『世に棲む日日』と吉田松蔭

『世に棲む日日』を読んだのは、今からもう十年以上前になるが、今でも感動が尾を引いている。 特に心に残っているのは吉田松陰の愛すべき純粋無垢な青年像で、この小説によって吉田松蔭の人 生と思想がよく理解できたように感じている。小説の構成は二部に分かれ、前半の主人公は吉田松 陰で後半が高杉晋作なのだが、印象として吉田松蔭の輪郭の方が鮮明で、高杉晋作の方は少し薄惚 けた感じがする。それと二人の交錯部分の残像が弱い。吉田松陰が死んだ後に高杉晋作が舞台に登 場する印象があって、同じ舞台の上で二人が台詞し合っている場面の記憶が薄い。小説の読後感想 として、高杉晋作より吉田松陰の方が存在感の強い影を残しているのは、読者の感性にもよるだろ うが、どうも司馬遼太郎が高杉晋作よりも吉田松陰の方に強く思い入れがあり、松蔭への感情移入 が強かったからではないかと勝手に想像している。

私の場合、吉田松陰というのは小説を読む前は不可解な思想的存在だった。不可解と言うよりも、 どう言うべきか、幕末尊王攘夷思想の巨魁の表象があり、日本思想史上の正体不明の難解な巨人の 印象が強かった。丸山真男の『日本政治思想史研究』の中に収められた『国民主義の前期的形成』 の論文の中で、初めて吉田松陰に触れたのだが、攘夷を倒幕へ転徹させる松蔭の思想的旋回を追跡 する丸山真男の分析は、これは勝手な偏見だが、何か神聖不可侵な観念的対象に恐る恐る触れて、 その対象に大胆に思想史学のメスを入れるのを躊躇しているようにも感じられた。すなわち松陰の 評価の問題、松蔭の思想的意味を腑分けする上での困難があったのではないか。結論的には前期的 国民主義。積極的な評価と消極的な評価が両方被さる。前期的はマイナスだが国民主義はプラス。 距離を取りながら松蔭の思想的魅力を告げる視角のように見える。

『世に棲む日日』はそうした松蔭像を根本から覆して、軽信で活発な思想青年の姿をそこに対置し た。完成された思想家としての松蔭ではなく、模索と蹉跌を重ね、打開を求めて行動し、焦心の中 で問答する若者の松蔭。詩人の激情を抑え切れぬまま、精神の純白を最後まで貫徹して、時代の前 で自ら死を引き受けた若い青年。松蔭の思想というものは、その死を離れて語ることはできないし、 松蔭の尊皇攘夷論なるものを文脈として遺稿から切り出してもあまり意味は無いし、それは松下村 塾の教育論などという問題認識もまさに同様であると思われる。松蔭において注目すべきは、まさ に死生観であり、政治する者が死と向き合う態度そのものなのだ。時代と対決して生を剥奪される 不条理との対峙であり、死との引き換えに思想の生を得るあり方なのだ。人を落涙させ、感動させ、 人の心に残り、人を動かすとはどういうことかということなのだ。松蔭の思想とはそういう問題だ。

吉田松陰がいなければ、明治維新は無かっただろう。革命党派である松下村塾党の結束はなく、同 志の屍を踏み越えて、踏み越えて、革命の劫火の中に一身を突撃させる長州の怒涛のエネルギー は無かっただろう。確かに長州藩閥が、それをシンボルとして神聖化して、やや誇張して政治利用し ている部分はある。だが、魂を留めて死んだ松蔭の事実は、自分の魂も同じように同志の心に留ま ることを若い長州志士たちに確信させただろう。決死の覚悟が無ければ革命はできない。司馬遼 太郎は革命の第一世代という表現で松蔭を評している。詩人である予言者が第一世代として出現し、 体制に自己の肉体を激突させて非業に死ぬ。その志を継いだ第二世代が革命を成し遂げるが、その 殆んどは生き残らない。そして第三世代が、革命の果実を独占して貪り食う。詩人であり預 言者である松蔭。その表現で正解だろう。司馬遼太郎の松陰への熱い感情移入が窺われる。

革命長州の過激主義やテロリズムについては、他のところでは眉を顰め消極的な視線を向けること の多い司馬遼太郎だが、『世に棲む日日』の吉田松陰については、不純を拒絶する潔癖主義な純情 青年が、陽明学の理論と実践の統一に身を染めて、回天の激情を噴出させ国事に狂奔する姿を肯 定的に描述している。革命的ロマンティシズムの世界。『留魂録』の言葉を引き、早世した松蔭の 魂を悼み慰めている。その言葉は、そのまま夭逝した正岡子規に対して司馬遼太郎が暖かく贈る言 葉ともなっている。すなわち、どんなに短い人生であっても、人の一生には必ず春夏秋冬の四季が あり、人生は起承転結を持った一編の詩として完結しているのだという諦観である。それは逆に、 主張として受け止めれば、男子の生は、起承転結の四句で表現された詩であらねばならず、生で詩 を織る美学を持たぬ男の人生は、失格であり失敗であるという緊張感として伝わってくる。