中世の女たち中世の文化1中世の文化2巡礼と十字軍

中世の女性ファッション

BGMはBUSNOIS Antoine (1430 - 1492) です
music by The Internet Renaissance Band


ビザンチン文化

紀元三世紀の終わり頃には分裂していたローマ帝国は、衰退。コンスタンチン大帝は、武力でローマ帝国を統一して黒海とマルモラ海を結ぶボラポラス海峡にあったビザンス(現在のイスタンブール)に新しい帝都を築きコンスタンティノポリスと名付けた。
ビザンチン文明はヘレニズム、ローマの古典的理念にオリエントの神秘主義と活力あふれる新生キリスト教文化が加わったものとなった。異文化を混ぜ合わせた華麗で不可思議な新文明の出現であった。
ビザンチンファッションの特徴は、男性も女性も皇帝以外は、帽子なしで、男性は短い断髪、女性はローマ時代の髪型のままだった。ビザンチン時代は、オリエント、中国とのシルクロード交易が確立され、大量の絹を輸入することができた。552年、中国に向かったビザンチンの修道僧が中国からこっそり蚕を密輸し、ビザンチン帝国に生糸産業がおこされ、国は繁栄していった。六糸織のどっしりと厚手の丈夫などんす織は、壮麗好みのビザンチン衣装にはうってつけだった。絹糸に金糸を織り込む豪華な交織技術の発展や、宝石や真珠を織り込む方法も考案された。色彩は無限の色の組み合わせができた。
衣装の基本スタイルは初期は、ローマ帝国の末期のものに似ていた。踝まで届く軽いタイト.スリーブのシュミーズを下に着込み、上にはチュニカ風ガウンを着た。ベルトは、布地によって締めたり、帯なしだったり様々だった。ベールをつけ、ベールの下に長い布地をつけ背や胸でフォールドをして二の腕あたりにドレープを作っているものもある。

8世紀からの3世紀にわたって、衣装の基本的な種類の変化はほとんどなかった。だが、デザインや装飾方法は次々と変わっていった。

    
ローマ時代のファッション     ビザンチン帝国時代のファッション(モザイク画)

   
4世紀〜6世紀フランス                       5〜10世紀   ともに ブラウン&シュナイダー社イラスト

9世紀〜10世紀にかけての女性のファッションは、ほとんど変化はなかった。袖のカフスがたっぷりととれるくらいで、11世紀まで形は全く変わりなかった。
中世の全体を通して既婚女性が公の場に出るときは、ヴェールを必ずつけた。夫だけが、妻の頭髪を見ることが許された。


ロマネスク文化


エドワード王とエディスの結婚」ロング.チュニックをドレープさせて着付け、
たっぷりとヒダをつけたクロークを着ている


中世ロマネスクの女性ファッションの中心は、ガウンだった。ガウンは次第に洗練され、高度な仕立て法が考案されていった。
ガウンのボディ部分には、右か左どちらかに脇開きができてくる。脇からウエストラインまのスリットに紐をかけてレース結びにしてブラウス部分を調節することで、ぴったりとボデイラインも形よく見せることができるようになった。上部がぴったりすれば、スカートはたっぷりフレアーを出して床までの長い裾は足にからまるほどになった。
12世紀のガウンの特徴では、ぴったりフィットさせた袖は、肘のあたりから大きく広げて大きなカフスをつけるデザインだった。手をさげないでも袖のフレアーは、地面をひきずってしまう程だった。この長い袖をうっかり踏んでしまう危険防止のために、途中で結ぶというファッションスタイルも流行したのである。

12世紀中ごろには、ガウンのスカートは、さらにたっぷりとフレアーが入り、鋭く細かいプリーツをいっぱいつけるようになった。バストの下からピップまでの幅広いベルトを胸高に締めたような形で巻いてアクセントにするファッションが流行。袖は、大きくて長いまま、プリーツを入れていた。
12世紀半ば以降、女性のヘアスタイルは、長い長いおさげ髪を編んで、後ろから肩ごしに胸にたらしていた。膝くらいまで伸ばして編んでいたが、多くは人工のヘアピースを使ってより長く見せていた。

ロマネスク時代の後半になると、コットと呼ばれる、ワンピース形の衣服を人々は着用するようになる。
11世紀から13世紀の間には、裾にかなりのしわを作ってたるむ引き裾にするのが普通であった。

   
「ベケット伝記」の挿し絵             12世紀フランス   ブラウン&シュナイダー社


ゴシック文化

ヨーロッパの13世紀は、文化的にも政治的にも大きな変化が見られた。それまでのロマネスクのスタイルに変わってゴシック様式の建築が出現した。それに伴って自然主義の芸術が生れ、ヨーロッパ各地に次々と大学が創設された時代だった。忠節と勇気と優雅なマナーで貴婦人を崇拝する騎士道精神が花開いた時代でもあった。キリスト教の教会文化も法皇を頂点として統一を達成したのだった。エルサレムへの十字軍の遠征は回を重ねるごとに宗教的性格を失っていき、オリエントの回教国と協定が結ばれ、国交が始った。

また、ゴシックの時代は、東洋文明に触れた支配階級が、手工業生産物に関してより高度の熟練と、生産性の飛躍を要求したことにより、それぞれの職種ごとにギルドが形成されることで社会的分業を確立し、それは衣服に関しても同様であった。そのため、ヨーロッパの織物工業の量、質ともに大きく発展。フランネル、サージなども各地で織られ、リネン製品は薄いローンから厚手のキャンパス地まで実に様々だった。絹織物も、ヨーロッパ製の種類も増え、値が下がったので手に入りやすくなったのだった。毛皮のおしゃれは、最も贅沢で高級な趣味とされていた。13世紀は、より幅広くいろいろな毛皮や皮が装飾に使われるようになった。毛皮は、セーブル、フォックス、ビーバー、キャット、ラム、、マーテン、リス、アーミン、ラビットなどである。ネックラインや袖口、裾周りなどを贅沢な毛皮でトリミングするのが流行したのだった。

ゴシック時代の建築物の特徴は、鋭角的な塔と尖塔形のアーチに代表されるような外観であり、これがそのまま衣服にも取り入れられていったのである。先のとがった靴や、高々とした被り物、端が鋸歯状の衣服などに、この時代の鋭角的な感覚の影響を受け、さらに、織物や装身具の豊かな光沢と鮮明な色調は、ステンドグラスからの影響を受けている。

ヘアスタイルは、13世紀初めに少々の変化があっただけである。未婚の女性は、長い髪を自然に肩から背に流し、時に簡単な飾りとしてサークレットをのせていた。既婚女性は、アップの髪をヘア.ネットでまとめていた。顎の下から白いリネンでヘア.バンド風に髪をまとめて頭の上で結び、てっぺんに小さな小箱の形の帽子をのせるヘアスタイルもあり、帽子にはベールをつけることもあった。

 
  女性群像 北イタリアのフレスコ画                           13世紀ドイツ  ブラウン&シュナイダー社



14世紀

 
ANDREA FIRENZE (1343〜1377)

1340年頃になると、ファッション革命が起こってくる。ゆったりと長くて、壮麗な流れる線を基調にする貴族的なファッションは、すっかり流行遅れになってしまう。富と質量ともに、たっぷりと華々しく押し出して見せるのが特徴であった。
13世紀までのファッションは、基本的には男女同じような衣装であったが、ここで初めて明確に男女のファッションが分かれたのだった。男性衣装は、パットの入った広い肩と、ぐっと短くなって脚出しスタイルになっていくのに対し、女性は、ほっそりカーブの優美なシルエットで長い裾をひいていた。ヨーロッパ全体が同じようなタイトフィットさせた衣装になった。
1380年頃には、高級な装飾技術と高度な縫製でエレガントなオープンのサーコート(シュルコー.トウベール)が登場した。高貴な人々のハイ.ファッションであった。肩から腰のあたりを大きくくり、スカート丈は着丈よりも数インチも長くたっぷりととってあった。スリーブレスの大きな脇開きからは凝ったローブがうかがえ、ローブの腰を締める鮮やかな刺繍のサッシュが身動きのたびに垣間見えた。そしてこのコートには白てんなどの毛皮のトリムをほどこすのが普通であった。
ヘアスタイルでは、それまで未婚の女性は自然に背に流してした髪を、結い上げてリネンのベールに包み込むようになった。14世紀中ごろには、長く編んでヘア.ドレスから出して顔の両脇にさげるスタイルに変わっていく。「クリスピン」という名のメッシュのヘア.ドレスが登場し、円筒形の二本のヘアネットで片方ずつヘアを包んで金属の飾りリングでまとめた。後頭部にはベールをつけ、全体を宝石や金銀や、絹などで品よく飾っていた。

 
サーコート                          14世紀の絵画          14世紀フランス  ブラウン&シュナイダー社


15世紀

前半は、変化はみられないが、全体のシルエットは、さらに細くなっていた。ウエストを高く、胸を小さく見せたがったのである。
胸をひっこめると身体のバランスをとるためにお腹が前に出て、シルエットは、くねくねとゆるいカーブをつなげた優雅な立ち姿が当時の魅力のポイントだった。お腹のカーブの不足を補うためのパッドも登場。サイドレスのガウンもひき続いて愛用されていた。


1440〜50年当時のファッション


15世紀後半には両肩からV字型にフロント.カットを入れて、下に重ねているローブがさらによく見えるようになった。袖は長く細くぴったりとしていた。この時代、最も凝ったデザインが次々に出現したのは、ヘア.ファッションである。網状型、ターバン型、エナン、角(ホーン)型などのかぶりものが流行った。網状型は、前の時代に流行ったネットに髪をまとめるクリスピンから進んだもので、コウルと呼ばれた。以前よりもずっと大きなものになって、髪をすっぽりと金属ネットに包んでしまうものだった。ターバンは厚くパッドを入れたベルベット製である。髪は耳の後ろまですっかりアップにして隠してしまい、ターバンには宝石を縫い付けベールをつけて顎の下に結んだ。エナンは、尖った円錐形の頭飾りで、たいへん高価な生地で作られ、先端からは長いヴェールを床まで垂らした。二重エナンともいうべき、角型になると、頭の上に二本の角を生やしたような格好で、その角も次第に高くなり、それぞれ一フィートといったものも珍しくなかった。その仕掛けは、針金細工の牛の角みたいなものをベールで覆ったヘア.ドレスであるが、細工も細かい飾りを付け足してはネットを重ねていったので、途方もなくかさばってしまった。翼のように広がって肩幅よりも広く幅四フィートもあるものも珍しくなかったという。これらのヘアスタイルで通りやすくするために、屋敷の改築をさせたという貴婦人もいたという。
あるカルメル会修道士が説教で、これらの頭飾りを批判し反対運動を起したが、結局モードに負け、1434年に異端とし火刑に処せられたのだった。




エナンをつけた貴婦人たち 15世紀