「アンデスへの夢とロマンに生きた

日本ペルー協会 天野博物館友の会

Asociacion Nippo-Peruana Amigos de Museo Amano

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更新日 2014-02-18 | 作成日 2010-12-12

「アンデスへの夢とロマンに生きた
天野芳太郎」をホームページ化するにあたって


  1964年にペルーのリマに天野博物館を創設された天野芳太郎氏は若い頃より、“南米雄飛”という青雲の志を持たれ、平凡な一流会社の技師に満足することなく、23歳の若さで『子育て饅頭』天野屋の事業に成功しつつも、30歳になって順調に進行しつつあった、事業を後にし、中南米に渡航、第二次太平洋戦争の始まる前には、南米各国に、一国一事業を確立した。

しかしながら順風満帆の状況が断ち切られる時が来た。すなわち

第二次世界大戦の勃発により、米国の傘のもとに入った中南米諸国では、“敵対国人”とされ、パナマで拘留されて、米国に送られ、過酷な収容所生活を経験するとともに、これまで築き上げた全ての財産資産を没収された。

しかしながら不死身の天野氏は戦後間もない昭和26年、再度南米へ飛び立たれ、ペルーにて漁業、魚網会社を設立し、莫大な資産を形成されるや、子供の頃から抱いていた古代アンデス考古学の研究に没頭され、プレ・インカ文明の貴重な遺物の収集ならびに発掘、とりわけ、その時までは陽の目を見ることのなかった、“チャンカイ文化”の発見の功績は特筆されなければならない。

こうして集められたペルー文明の遺産を保存されるべく、私財を投げ打ってペルーのリマに“天野博物館”を建設されたのである。

今日の我々日本人が、ともすれば生きがいを失いつつある状況、或いは、若者たちの生きる目的の模索の手がかりにいささかなりと役に立つのではないかと、期待を込めながら、今回関係者のご承諾、並びにご協力を得て、ホーム・ページに掲載させて頂くことと致します。毎週1回の掲載を原則に、全文を二十数回にて読んでいただくこととします。

なお原文は初代ペルー味の素の社長であられた小池道雄様が、1983年の10月から12月の三ヶ月に亘り、JICA青年海外協力隊の広報誌『クロスロード』に掲載されたものです。

また今回新たにご提供頂きました『移住者の一生展』における天野芳太郎様の写真も活用させて頂きます。さらに関連資料として、これまで天野博物館友の会のホームページにて掲載したページの文章にリンクしているところもありますので、ご興味をお持ちの方はぜひリンク先にも立ち寄って下さい。

2006年3月吉日

天野博物館友の会事務局

惜しまれる逝去

roman-1.jpg晩年の天野芳太郎氏 南米ペルーで古代アンデス文明の発掘、調査、研究活動を行い、リマ市の「ムセオ・アマノ(天野博物館)」の創設者として世界的に有名であった天野芳太郎氏は、昨年十月十四日(1982年)八十四歳の偉大な生涯を終えたのである。

 遺体は博物館講堂に安置され、各方面から贈られた弔花七十余個に囲まれ、柩の上にはペルーおよびブラジル、ボリビア等の各政府から授与された数々の文化章や日本よりの「国際交流基金賞」や「吉川英治文化賞」等が氏の死を悼むかのように飾られた。また、ベラウンデ大統領代理、野田日本大使、ビミエンテル国立人類考古学博物館長を始め、日秘人多数が参列し、館外に長蛇の列を作る有様で、氏の両国民より敬愛された人柄と国際人としての功績とを偲ばせた稀に見る盛葬であった。

 “天野氏逝去”のニュースは、東京の各新聞は勿論、現地のコメルシオ紙を始め各新聞にも大々的に報道され、各紙ともその突然の訃報を悲しむと共に、考古学研究家としてアンデス古代文化の究明と紹介とに大きな貢献をした氏の業績を称えた。

 特に、ベラウンデ大統領は「古代アンデス文明の研究家としてペルーに熱烈な愛情を有する日本人の親友・天野氏を失ったことは痛惜に堪えない」と、その遺徳を偲んで賛辞を呈せられた。また桜内外務大臣より「天野氏が日秘両国間の文化交流および相互理解に果たしてこられた役割は計り知れないものがあり、まさに日秘友好の象徴的存在でありました。日本政府および日本国民の名において衷心より哀悼の意を表します」との弔電がきて披露された。

 天野氏の最後は、リマ市内の高級住宅地、ミラフロレスの自宅で、妻・美代子さん、次男・万里夫さん達にみとられながら、静かな平和な大往生をとげたのであるが、その生涯は決して平穏でなく、波瀾万丈のものであった。

roman-2.jpg中南米の天野芳太郎氏の版図  氏は、考古学の民間研究家としてだけでなく、国際的実業家として昭和の初期より各種の事業を経営し、その活躍の地域もペルー一カ国だけでなくウルグアイ、チリ、ボリビア、エクアドル、ベネズエラ、パナマ、コスタリカとアンデスの全域に及び、そのスケールの大きい人柄と稀にみる頭脳の働きで、氏の国際人としての活躍が前人未踏の版図を形成したといえよう。

私は、我が日本民族の海外発展史上、世界に誇れる快男子・天野芳太郎氏のロマンと波瀾の生涯を、皆さんと一緒に辿ってみたいと思う。

小池道雄

目次

生い立ち  男鹿に生まれた芳太郎と父とのつながり
独立への道 2 3歳で脱サラし、独立事業家へ
子育てまんじゅう  横浜馬車道での成功
南米への門出  夢の実現のために南米へ
抜群の秀才一年生  ウルグアイでのスペイン語の習得
コンセプション農場  チリ国での農場経営
コスタリカの切手になった「天野丸」  パナマでは天野商会が繁盛、コスタリカでは漁業経営
”スパイの巨頭”囚人二〇三号  日米開戦に伴うスパイ容疑での拘束
億万長者が頭陀袋一つで引き揚げ 着のみ着のままで、 日米交換船で帰還
雌伏八年  戦時下・戦争直後の活動
パナマ大統領より招待状  1948年かっての親友より書状が
再渡航の困難  再渡航を果たすまでの苦闘
太平洋上、 死の十三時間 クリスターサレン号遭難からの生還
旅券なしの密航  聖川丸にて再度の船出

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八面六臂の活躍(1)  いよいよペルーでの活躍が開始されます
八面六臂の活躍(2)  事業が落ち着くとアンデス文明の虫が
アンデスに咲いた花(1)  有能な助手が欲しい
アンデスに咲いた花(2)  結婚へ・海外で生活する秘訣
泉教授との運命的出会い(1)  泉教授を古代アンデス研究に引き込む
泉教授との運命的出会い(2)  両雄の二人三脚での研究推進
両雄の東奔西走(1)  天野氏は日本で文化展、泉教授はペルーへ調査に
両雄の東奔西走(2)  泉教授の名著『インカ帝国ー砂漠と高原の文明』の誕生
天野博物館の建設(1)  1963年4月よりムセオ・アマノいよいよ着工
天野博物館の建設(2)  天野芳太郎氏の博物館運営方針
皇太子殿下ご夫妻のご来館  1967年5月皇太子殿下ご夫妻のご来館
両雄倒る  1970年泉教授のご逝去
アンデスへの讃歌

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