公共圏論とコモンズ論の接点をめぐってA
―生活世界の人間的基盤の再構築―



 T コモンズの役割と多辺田政弘のコモンズ理解


 (1)コモンズ概念とその位置づけ

 コモンズ(commons)概念は、地域社会において伝統的、歴史的に形成されてきた「伝統的コモンズ」を理念型としている。それはもともと、土地、人、信用が商品化する以前の地域資源の所有形態を表すものとして議論されてきた側面が強いが、近年では、地域社会と結びついた海・森林・河川を母体とした地域資源に関する利用と管理の形態に着目し、地域資源とその利用、管理を行う住民、そしてそれを成立させている規範を含む社会関係を総合的にコモンズとする場合が多い。

 コモンズ論の蓄積を整理し、コモンズの果たして来た役割に着目すると、伝統的コモンズの特徴は次のようになるだろう(※6)。

 @ある種の地域資源に対して特定の集団による排他的な占有が行われている
 A地域資源に対する地域住民の日常的な利用が存在する
 B利用や管理に対して慣習的なルール、あるいは厳格なルールが存在する
 C非貨幣的な相互扶助による社会的なサービス(協働)が存在する
 D持続的な地域資源の利用による、自給的物流が存在する
 E持続的な人々の働きかけによる、独自の豊かな生態系の存在(里山や田んぼ)


 以上のうち、@、A、Bは資源管理や持続可能な利用という側面から見たコモンズの特徴である。これらの論点は主に環境社会学でのフィールドワークを通じた実証的研究から明らかになってきた。

→@伝統的コモンズでは、特定の集団が排他的な側面を持つ利用・管理を行っている場合が多い。ここでの所有関係は占有と呼ばれることがあるが、近年の議論では、私的所有と狭義の意味での共有地を含む「オレたちの土地」という、より包括的な「総有」という概念でしばしば示される(図1)。

→Aコモンズに包含される、海、河川、山林といった地域社会と結びついた地域資源は、住民の食料、消費財を提供するものとして地域社会の物質循環と密接なかかわりを持っている。また日常的な関わりそのものが、コモンズ自体を持続させるための精神的源泉でもある。

→B伝統的コモンズでは、多くの場合利用・管理に関わるルールが存在する。しばしば引用される日本の「入会」はかなり厳格な規制と懲罰を伴う例であるが、世界に広く見られるコモンズでは、慣習的なルールが結果的に持続可能な利用に結びついているといったように、必ずしも厳格なものとは限らない。環境社会学では、前者を「タイトなコモンズ」、後者を「ルースなコモンズ」として両者を区別する(※7)。

 それに対して、C、Dは、外部の市場システムから自律した圏としての側面からみたコモンズの特徴である。この側面も環境社会学の実証的研究によって明らかになってきたが、市場システムからの自律性を強調する論点を提起したのはエントロピー経済学の成果である。後にみるように、この二つの点はコモンズ崩壊にかかわる「商品化」の問題と密接に関わっている。

→C例えば農作業を持ち回りで集団的に行ったり、資源の保護監視を協力して行ったりと、伝統的コモンズでは協同的な社会的サービスである非貨幣的な相互扶助が極めて一般的に見られる。

→D多くの伝統的コモンズは自給的である。自給的であるというのは、多くの伝統的コモンズが必ずしも完全な自給自足ではなく、物質循環の中に例えば市場や交易という要素が組み込まれていることを指している。しかしながら、コモンズにおける市場や交易は二次的なものであって、物質循環の中心は地域社会で完結する自給的なものである。またこの物質循環は、Aでみたような住民の日常的な関わりを通じて成立している。

最後に、Eは生態学的な側面からみたコモンズの特徴である。しばしば言及されるように、里山や田んぼといった人間の日常的な関わりを通じて形成される二次的な自然には、独自の生態系を創出するという積極的な意味が指摘されている。特にエントロピー経済学では、生命体が必要とする養分を運び上げる遡流魚類や鳥類と同じように、コモンズでの人間の営みに独自の生態学的意味づけを行っている。

 以上をまとめると、伝統的コモンズが持っている特徴として、希少資源の持続可能な利用・管理、市場システムからの自律性をもった非貨幣的な物流と社会的サービス、物質循環を通じた生態系の創出、という三つの側面がある、ということができる


 (2)市場システムとコモンズ論

 コモンズ論が果たした成果の一つは、伝統的コモンズを明らかにすることで、まだ完全に崩壊していないコモンズに対して、コモンズの優れた側面を資源利用・管理のあり方に、政策的あるいは制度的に導入することであった。これは先にも触れたように、成功事例、失敗事例ともに、多様な実践が蓄積されてきている。

 しかしより重要なのは、伝統的コモンズの研究を通じて、完全にコモンズが壊れてしまった現代社会の持続可能性を考える際に、コモンズ論がどのような成果を果たせるかという点である。そのような視点に立つとき、すぐに思い浮かぶのは制度派経済学の宇沢弘文らの研究であろう。ここでは深く掘り下げる余裕はないが、宇沢らはコモンズ論を生かしながら、都市空間における自然環境、道路や交通機関・上下水道・電力といった社会的インフラストラクチャー、教育・医療・金融といった制度資本を、行政システムや市場システムから自律した組織によって管理・運営すべきだとして、「社会的共通資本」の概念を提起している。もっとも宇沢らの議論はコモンズ論の潜在力を十分に生かしきれているとはいえない(※7’)。

 コモンズ論が持っているラディカルな視点を生かしていくためには、伝統的コモンズの機能を明らかにするだけでなく、コモンズが崩壊する過程と市場システムとの関係をより深く考えていく必要がある。環境社会学では、コモンズの崩壊について、所有論の立場からいくつかの議論がある。ここでは近代化を推進した明治期の日本を事例に、コモンズ的な所有が解体され、所有関係が私的所有と公的所有に分割されることで、コモンズ全体が持っていた性質が次第に失われたとされている(※8)。所有論にはいくつかのバラエティがあるが、議論全体としてはコモンズ的土地所有が近代的な所有関係に移行することでコモンズが破壊されるという図式は同様である。

しかしコモンズの崩壊と市場システムとの関係には、所有論には収まらない射程が含まれている。所有論では、人々によるコモンズの継続的な利用の喪失、非貨幣的なサービスの喪失、といったコモンズの有する重要な性質が十分に位置づかない。コモンズの崩壊と市場システムの関係を説明するために最も重要な概念は「商品化」である。所有論が問題にしていたのは、商品化の中でも「土地の商品化」という問題であった。

 したがって、今回の報告の出発点になるのは、コモンズ論の中でも、この商品化の問題を積極的な意味で位置づけた多辺田政弘の議論となるだろう。


 (3)多辺田政弘と「コモンズの経済学」

 先にものべたように、コモンズの崩壊と市場システムの関係は、所有論に収まらないよりラディカルな商品化という脈絡で捉えなければならない。『コモンズの経済学』の著者である多辺田政弘は、マルクス経済学から出発して日本における第三の経済学あるいはエコロジー経済学にいたった玉野井芳郎を中心とした研究グループの「広義の経済学」を引き継いでいる(※9)。

 玉野井らの経済学は日本のエントロピー経済学のはしりとして注目されたが、研究グループのうち、コモンズ論として成果を練り上げたのが、この多辺田であった(※10)。多辺田はコモンズを「商品化という形で私的所有や私的管理に分割されない、また同時に国や都道府県といった広域行政の公的管理に包括されない、地域住民の『共』的管理(自治)による地域空間とその利用関係(社会関係)」と定義している。

 それでは多辺田の議論を見ていこう。多辺田まず、アメリカの評論家であるH・ヘンダーソン「デコレーション付三段ケーキモデル」を引き合いに出し(図2)(※11)、これをコモンズ論的に解釈しなおしていくことからはじめる。ヘンダーソンモデルによれば、私たちの産業社会の生産構造は、4層に分かれており(最上段がデコレーション)、上からGNP「私的」セクター、GNP「公的」セクター、「社会的協働対抗経済」、自然の層、となっている。またこれらの層はそれぞれ一段下の層に依存する構造になっており、上半分(上の2層)が貨幣で表すことのできる領域、下半分(下の2層)は貨幣に換算されない「非貨幣的生産部門」と呼ばれる。経済学がこれまで研究対象としてきたのは上半分の領域であった。

 ヘンダーソンモデルから理解できるのは次のことである。すなわち、経済成長の指標として私たちが使用しているGNPやGDPは、基本的には「貨幣支出を伴うモノとサービスの生産量と生産額」を算出したものに過ぎない(すなわち上半分)。しかしデコレーションケーキの上半分は下半分の「非貨幣的生産部門」に完全に依存しており、中でも汚染コストを吸収してくれる層である「自然の層」に依存する「社会的協働対抗経済」には、物々交換、家族、ボランティア、相互扶助などが含まれている。結局これまで人々が支えられてきた生存基盤や豊かさの母体となっていたのは、むしろ「非貨幣部門」によって生み出されるモノやサービスであり、これまでの経済学はそれを無視してきたということである。

 そこから多辺田はこのようなヘンダーソンモデルをコモンズ論的に解釈していく。つまりコモンズに支えられた持続可能性をもった経済という視点から、多辺田がヘンダーソンモデルに手を加えたのが、「健全なエコロジーが支える経済」図3)である。多辺田がここで伝統的コモンズの理念型を想定していることは明らかであろう。

 伝統的コモンズの営みは、地域資源からもたらされる多くの無償の富(おいしい水や空気、海の幸山の幸、美しい景観、遊び場)を土台としており、その上に、顔の見える人間関係を通じて(非貨幣的に)生産され、交換されるモノや社会的サービス、相互扶助の層がある。そのようなコモンズへの関わりが大きい場合、コモンズに関わるためのルールが充実し、過剰な生産や過剰な廃棄を集団が自らコントロールできるようになる。すなわちこの経済をコントロールするのは市場的な機構ではなく、コモンズ的制度であった。多辺田があえてこのモデルを円柱ではなく円錐形にしたのは、この「非貨幣部門」=「『共(コモンズ)』的部門」が十分広く自給的であることを示している。

 多辺田モデルの重要な点は、「共」的部門が充実している経済では、結果として貨幣部門への依存度が小さくできること、言い換えると、自給余剰分の商品化や、自給の補完物として商品を購入することはあっても、市場への依存度を低くすることができるという、コモンズと市場システムの関係をモデルに組み込んだところにあった。

 他方で多辺田はもう一つのモデルを用意している。それが、「非貨幣部門の破壊による経済成長(市場経済の社会からの突出とコモンズの崩壊)」図4)である。このモデルが興味深いのは、コモンズの崩壊、市場システムと行政システムの拡大、商品化という極めて重要な三つの過程が、モデルに十分位置づいているところにある。

 図のうち、下半分(非貨幣部門)が矮小化し、その分上半分「貨幣部門」が肥大化しているのが、その三つの過程を示している。すなわち自然層の破壊は、主に地域外から流入する商品による人工物への代替・商品化、自然破壊を伴う公共事業への切り替えによって引き起こされ、「社会的協働対抗経済」の層は、社会的サービスの商品化と行政システムへの財政移転によって掘り崩される。しかも注目すべきことに、この「共」的部門の矮小化は、同時に貨幣部門を増大させるために、経済成長の指数であるGNPの飛躍的な増大としてみることもできる。

 コモンズ破壊の過程は、代替物への切り替えと、生産物やサービスの商品化という二つの商品化による市場システムと行政システムの肥大化ととして理解できよう。以下、環境破壊と商品化が連鎖的に進行する様子を描いた多辺田の興味深い記述を引用しておく。

「健全な生態系を持つ海浜やさんご礁の破壊は、住民の天与の恵みとしてのオカズ(魚介類、海藻類)の採取場の破壊でもあり、それら自給食料の代替商品を他地域から買わざるを得なくなる。それは明らかに貨幣部門を拡大する。

・・・海では及べなくなってプール(代替商品)をつくり、そこで入場料を払って泳がなければならなくなると、これも貨幣部門を拡大する。毎日、朝夕、美しい海を眺めて心和ませてくれた海が埋め立てられ建造物が建てば、もはやその海浜は憩いの場ではなくなる。そのため、憩いの場としての代替サービスを求めて別の観光地に金を払っていかざるを得なくなれば、無償のサービスが有償のサービスとなり、これまた貨幣部門を拡大する。

・・・無償のものが代替商品に取って代わるにつれて、家計における支出も増大し、それを補うために少しでも現金収入を必要とするようになる。そのためには、無償の相互扶助的労働や自給部分を商品化させようという作用が働いてくる。出稼ぎに出たり、自給農作物に代えて自分の必要としない換金作物を作り出すようになる。相互扶助としての田植えの結も、近隣の人たちが出稼ぎに行くようになると、労賃を払って人手を雇うようになる。このような労働力の商品化も貨幣部門の拡大であり、非貨幣部門である社会的共同対抗経済の縮小である。(※12)


 一端地域に貨幣経済の代替物が増えると、人々はそれを補うために現金収入が必要になり、出稼ぎや相互扶助の商品化、あるいは自らが消費する作物でなく換金作物を植えるようになる。そうすると「共」的部門はますます縮小する。この商品化の過程は連鎖的に引き起こされる。

 この過程にはもう一つの側面があることを多辺田は指摘する。これはエントロピー経済論の成果に由来する指摘であったが(※13)、市場システムによる分配は地域社会の物質循環から切り離され、歯止めの利かない資源の過剰利用と、いずれは必ず廃棄物になる過剰な生産のフローを生む。この「ネガ」のフローによって自然の層はますます破壊される。これらの過程の進行は、関連する同一の過程として引き起こされるのである。

 これらのモデルを使用して、多辺田は最終的には次のような提起へと行き着く。すなわち、コモンズが解体してしまった現代社会に対して、地域内での物質循環を活性化し(「定常系経済化」)、商品化した社会関係を脱商品化し、「共」的領域を再構築していくという道筋である。この多辺田の議論は、当然今日の地域主義の議論に引き継がれている。しかし多辺田の解決案は、地域内の物質循環の奨励と法による生産の規制とった不十分な政策論に留まっているうえ、公共圏論が近年到達した「ガバナンス」の射程にまで結びついていない(※14)。そもそも、多辺田が『コモンズの経済学』を執筆した80年代末から状況は大きく変わってきた。コモンズ論は公共圏論によって補完されることで、潜在力をもつのである。



     


――――注
(※6) 現実のコモンズが多様性を持っており、必ずしもこれらの特徴をすべて有しているとは限らないだろう。ここでの議論の主眼は概念的な整理であるため、細かいコモンズの多様性を明確に整理・分類するものではない。以上はあくまでコモンズ論によって取り上げられてきた重要な論点である。
(※7)「タイトなコモンズ」と「ルースなコモンズ」の区別を提起した井上は、持続的な資源利用の様式を、「意識的な持続的利用」、「偶発的な持続的利用」、「副産物としての持続的利用」として分類している。
(※7’)宇沢の議論の優れた点は、これらの要素を社会的共通資本という概念に位置づけることで、市場システムや行政システムに任す事ができないものとしたところであった。しかし彼はその後、社会的共通資本の担い手として「専門家集団」による委託という道筋を提起する。専門家集団は確かにシステムからの自律性を持つが、それがテクノクラートを生む危険性は十分考慮されるべきであろう。
(※8)池田(1995)、井上(1996、1997)、他にも宇沢編(1994)
(※9)玉野井、室田武、槌田敦、中村尚司など、「天動説研究会」を前身として1983年に「エントロピー学会」が創立された。
(※10)多辺田の『コモンズの経済学』は1990年に出版されたが、これは環境社会学会の前身である環境社会学研究会が発足したのと同じ年であった。同書は今日では多くのコモンズ論の基本文献になっている。
(※11)ヘンダーソンの図は1985年の“もう一つの経済サミット(The Other Economic Summit-TOES)”において使用されたものだと考えられる。図はP・エギンズ(1987)(P.Ekins, 1986)に収められている。
(※12)多辺田(1990)pp.54-57
(※13)ここでは、玉野井芳郎、室田武、中村尚司、大崎正治が言及されている
(※14)多辺田(1990)の他にも、「自由則と禁止則の経済学」室田武・多辺田政弘・槌田敦(1995)を参照









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