徒桜 ―解答篇―

 俺は息を切らしながら田崎の家の前までたどり着き、チャイムを鳴らしていた。返事はない。俺は何か不吉なものを感じ、家に勝手に上がりこんだ。
 さっき訪ねたばかりの彼女の部屋の扉を何回かノックするも、返事はない。俺は、思い切って扉を開けた。
 予感は当たった。彼女は、手首から血を流し、床に倒れていた。俺はどうすればよいかよく分からなかったのだが、咄嗟に彼女の手首を近くにあった布で巻き付け、止血しようとした。俺が救急車を呼んだのは、それからだった。


――晴美。お前はこのことを危惧していたのか。俺は、お前からのメッセージ、ちゃんと受け取った。
 「竜俊」に「夜食」を渡したのも、「熊切」に「稲積む」様子の絵を渡したのも、「田崎」に「雪渓」の写真を渡したのも、「粂テル」に「ラグビー」を頑張れと言ったのも、そして、俺、「井之尻」に、あの、「桜」の見える部屋を忘れないでと言ったのも、全部俺にこのことを伝えるためだったんだな。
 おかげさまで賢くなった。「桜」は「春の季語」であることはまだしも、「夜食」は「秋の季語」、「稲積む」は「新年の季語」、「雪渓」は「夏の季語」、「ラグビー」は「冬の季語」だなんて。
 俺は、このことに気付いてすぐ、「新年」「春」「夏」「秋」「冬」の順番に、それぞれの人の名前を並び替えてみた。すると、「熊切」「井之尻」「田崎」「竜俊」「粂テル」となった。
 ここから少し悩んだが、お前はあの時、言ってくれたんだったよな。「頭で考えることに、意味はない。大事なのは中身よ。表面じゃなくて、中身」って。
 それで分かったよ。「くまきり」「いのじり」「たさき」「たつとし」「くめてる」というそれぞれの名前から、中の文字を抜き出してみた。「まき」「のじ」「さ」「つと」「めて」。「まきのじさつとめて」、か。

 田崎は間一髪のところで一命を取り留めた。俺の応急処置が功を奏したようだ。
 田崎が入院することになった病室は、桜が外から見守る、あの病室だった。
 俺が見舞いに行くと、彼女はだいぶ回復した様子で、明るく俺を迎えてくれた。
「ごめんなさい。迷惑掛けて」
「ほんとに。晴美が教えてくれていなかったら、お前は死んでいたんだよな・・・」
「晴美が?」
「ああ。晴美が俺にメッセージを遺してくれていたんだ。『真紀の自殺止めて』って。どうして俺に直接言ってくれなかったんだろうな」
「私、晴美が死ぬ少し前に、彼女にこの腕を見られてしまったのよ」そう言って、田崎は左腕を俺の目の前に差し出した。「リストカットの痕よ」
 そうか、あの時こいつはこの痕を隠すために、わざわざあのジャケットを羽織っていたのか。
「これを晴美に見られて、私は問い質(ただ)されたの。私は渋々答えたわ。『自殺したいんだ』って。案の定、彼女は必死になって私を止めようとしてくれた。今思えば、私のこと、あんなに考えてくれたの、晴美だけだったわ。あんまりしつこいから、あの時、私は晴美にこう言ったの。『もうリストカットはやめたのよ。死なないから、安心して。絶対に、死なないから。このことは、誰にも言わないでおいて』って。でもそんなこと、嘘に決まっているわ。あれから晴美も何も言ってこなくなったから、私の嘘を信じてくれたんだと思っていたけど、やっぱり晴美、分かっていたんだ・・・」
「お前は、晴美に『大丈夫だ』と言ったことを、嘘だと感じながらも信じようとしていたんじゃないかな。晴美は、親友であるお前が嘘をつくなんて思いたくなかったし、自分の分まで生きていてほしかったんだ。晴美は、俺に、お前が死にたがっていることを伝えたかった。でも、口に出すのが怖かったのかもしれない。晴美自身、死を目の当たりにしていたから、ことさら田崎の死に関しては敏感だった」
「分からないわ。本当の事なんて。ただ単に、晴美は私たちを試していただけなのかもしれない」
「そうかもしれない。晴美に聞いてみないと、分からない」
「でも、どちらにしても、あなたは晴美にとても信用されていたようね。あなたは、晴美の立派な恋人よ」
「そうかな・・・そうだといいんだけど」
 窓の外の桜の花はほとんど散り、緑の葉が芽吹き始めていた。
 きれいな葉桜になるのは、もうすぐだ。

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