二度も金曜句トップに輝いた蓮城が満を持して更新を担当したいと思います。蓮城カテゴリに投稿してあげないと寂しいですよね。僕ぐらいしかこのカテゴリに投稿する人いませんし。
(禁止ワード:「でしゃばるな」「誰もお前に期待なんかしていない」「蓮城って誰?」「てか大胆なことするなよ」)


これまでに、蓮城が金曜句に輝いた句を挙げてみようと思います。
☆がついている句は、金曜のトップ句、○がついている句は、その「同時投句」の句です。


切り分ける空ぞ無き震災の鷹
鷹翔る中国国家盛衰史

松過や遅延証明貰う駅

残暑吠える地殻変動3センチ
ちはやぶる神田酒店燕の子

弟の九九聴き凧の骨を組む

黒潮のざぶるん凧の高くなる

火の鳥を彫りしサックス桃の花

花桃やコントラバスの弓を置く


挙げてみると、今のところ全部で9句。思ったよりも載っていたんですね。

あなたは、俳句をつくる際、一番何を重視しますか?


内容?表現?リズム?


全て大事なことです。どれか一つが欠けてしまっただけで、作品としての出来はぐっと下がってしまうでしょう。



僕の場合、人の作品を褒めるのは得意なのですが、自分の句を褒めるのは苦手です。しかし、上に挙げた句は好きな句が多いので、それで見ていきたいと思います。



例えば、「切り分ける空ぞ無き震災の鷹」。

明らかに切れ字「ぞ」が使われているので、句の切れに注意すると、
「切り分ける空ぞ無き/震災の鷹」
となるのはすぐに分かることでしょう。


詠者として、一応この句に説明を添えさせていただきます。


今から16年前、1995年1月17日、無数の平穏な日常が一瞬にして失われる、『阪神・淡路大震災』が発生しました。

一瞬にして街は瓦礫の山となり、誰もが状況を飲み込めないまま目の前の事実に圧倒され、自然を目の前にした人間の無力さを痛感しながらも、何もせずにはいられず、ただがむしゃらに瓦礫をかき分け、それは徐々にやり場のない憤りと悲しみと変わっていく。
目の前を明るく照らすのは、燃え盛る建造物。そして、耳に入る無機質な音の数々。

悪夢です。


事態は静まっても、絶望感にうちひしがれ、余震が続く先の見えない毎日を送り、それでも人々は、街が秩序を失いつつあるのを辛うじて食い止めようとする。

瓦礫の山から運び出され、並べられていた遺体も次々と荼毘に付されていき、残されるスペースは虚無感の象徴。

―少し脱線してしまいました。

地上を切り裂く強烈な地震のパワー。
淡路島でその巨大な断層を目の当たりにしましたが、数メートルの段差が元は平坦な地表だったのだという事実を俄かには信じられません。それは、火山の活動によるものとは全く異質のものです。

ところで、その時、空を見上げれば、そこにはどのような世界が広がっていたのでしょうか。

青空が見えていたのでしょうか。雲がかかっていたのでしょうか。薄黒い煙で覆われていたのでしょうか。
どのような空であったにせよ、被災者たちにとって、そこに「空」はあったのでしょうか。

自分が立っている世界は、もはやこの世ではない。そこにあったはずの空も、自分の知っている空じゃない。

そんな、やり場のない憤りと悲しみを、鷹という、孤高で勇猛な鳥に託したのです。

それを表現した言葉の内容には触れませんが、この句を印象深くしているのが、「ぞ」という切れ字と、それの作る独特なリズム、空間だと思います。


「切り分ける空ぞ無き」
ここでこの句を読む者は誰しもが立ち止ります。この句において、「ぞ」という切れは唐突に表れ、とても強烈なインパクトを与えます。そして、そこに "間" が生まれます。
そして、次に現れる「震災の鷹」。
ここで、読む者の目の前に突如、視界が広がります。

不安定な句のリズム、強烈な切れの印象が、震災の生々しい悲惨さを髣髴させ、しかしそのモノクロームな世界に、僅かに色彩感を与えます。

そして、それが、被災者たちの生の感情を伝えるのです。


もっと語れますが、長くなりすぎるのと、多少独りよがりな読みになってしまっているので、ここでやめておきます。

他人がどう読むのか、気になりますからね。(ここまで書いておいてこう言うのもおかしな話ですが)


今回はここまでです。



そうそう、「今日の一曲」コーナー、存続していますよ。
僕のブログでも紹介しましたが、この句に関連して、
おほなゐ〜1995.1.17阪神淡路大震災へのオマージュ〜
 第1楽章「瓦解」
 第2楽章「荒廃、Requiem」
 第3楽章「復興そして祈り」

を紹介しましょう。

あの著名な天野正道先生の吹奏楽作品です。

とても聴きやすい曲です。心でお聴きください。