《海の道 自転車紀行》 1996年 夏
関門海峡を走る

 昨年の夏、東京湾横断フェリーを利用して初めて自転車で房総半島に出かけ、自転車の旅、というより愛車と一緒に船に乗る喜びを覚えた。それで、もっと長い距離、長い時間、船に乗りたいと考え、今年(1996年)の夏は自転車旅行初心者のくせに調子に乗ってフェリーで九州までやってきてしまった。
 北九州・新門司港に早朝、まだ夜も明けない5時に到着。僕は九州の大地の片隅に愛車とともに上陸したのだった。


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     新門司港から門司の街へ

 瀬戸内海の周防灘に面した新門司港は門司の市街から遠く離れ、広漠とした空き地を街路灯が虚しく照らすだけのところである。とりあえず、門司の市街をめざそう。
 さっそく低い丘陵を越える。真っ暗だった空がようやく白んできた。あたりの草むらではエンマコオロギやキリギリスが盛んに鳴き、関東地方にはほとんどいないクマゼミの声も聞こえてくる。九州を走っているのだ、という実感が少しずつじわじわと湧いてきた。

 県道を北へ8キロ。アップダウンを繰り返し、トンネルをいくつかくぐって、坂を一気に下ると門司の街である。人通りはまだ少ない。

重要文化財の門司港駅     門司港駅

 まずは門司港駅を訪れた。駅の時計塔は5時45分を指している。
 駅舎は大正3年に建てられたルネッサンス様式の素晴らしく風格のある建築で、鉄道施設としては初めて国の重要文化財にも指定されている。駅の内部も昔日の面影を色濃く残す典雅な造りで、「切符賣場」の文字にも時代を感じる(「自動券賣機」の文字まであるから、ちょっと嘘っぽいけど)。
 ヨーロッパのターミナル駅を思わせる行き止まり式のホームには鹿児島本線や日豊本線の列車が発車を待っているが、こちらは新型の近郊電車で、いささか趣に欠ける。まぁ、仕方がない。
 かつては本州と九州を結ぶ鉄道連絡船が発着し、まさに九州の玄関口だった門司港駅だが、海底トンネルの開通で、本州からの線路が門司港駅を無視して、ここから5.5キロ先で九州側の線路と接続し、そこに新しい門司駅が設置されたために、門司〜門司港間は九州の鉄道の盲腸のような存在に没落したのだった。

門司港の風景     門司旧市街

 その門司港駅のほかにも昔の栄華を偲ばせる歴史的建築物がこの古い港町には数多く残っている。どうやら北九州市が「門司港レトロ」とか「大正ロマン」とかをキーワードにして門司の再生を図っているらしい。旧大阪商船ビル、旧門司三井倶楽部、旧門司税関庁舎など明治から大正期の洋風建築が点在し、街全体が歴史博物館みたいなことになっている。
 こういう街を散策する時こそ自転車の威力は絶大である。早朝だから街にはまだ活気がないが、それでも観光客が何人か歩いていた。
 気ままに港周辺をぐるぐる走り回っていると、民家から大きな黒い犬が出てきた。犬に吠えられるのは旅人の常であるから、覚悟しながら近づいていくと、犬の方がこそこそと逃げ込んでしまい、門の中を覗くと、奥のほうで怯えた目でこちらを見ていた。張り合いのない奴だ。
ノーフォーク広場。対岸は下関
     ノーフォーク広場

 門司港の北はずれにあるのがノーフォーク広場。北九州市の姉妹都市、米国ヴァージニア州ノーフォーク市にちなんで名づけられた海辺の公園で、地元の人たちが犬を散歩させたり、体操をしたりしている。関門海峡を行き交う船を眺めるには絶好で、ちょうど通りかかったコンテナ船がポーッと汽笛を鳴らした。

     関門トンネル

関門橋 この辺は関門海峡の中でも最も幅が狭く、しかも潮流が非常に速いところで、「早鞆(はやとも)の瀬戸」と呼ばれている。僕が乗ってきた東京からのフェリーも以前はこの海峡を通って小倉港に入港していたそうで、新門司港発着に変更されたのはわりと最近のことらしい。
 その海の難所を見守るように和布刈(めかり)神社があり、頭上には関門橋が架かっている。自動車専用の吊り橋で、関門海峡に架かる橋はこれが唯一である。海峡を渡る交通路としてはほかに海底トンネルが3本あって、うち2本が鉄道(新幹線と在来線)、残る1本が国道である。その国道トンネルには人道も併設され自転車も通れる。その入口が関門橋のすぐ北側にあった。歩行者は無料だが、自転車は20円で、料金箱が置いてある。正直にお金を入れて、エレベーターで地底へ下る。
海底トンネルで県境を越える 30秒ほどで着いたところは海面下55メートル。案内板によれば、円形のトンネル断面の上層が自動車道で、その下が人道。人道の長さは780メートルとのこと。
 歩行者も自転車も誰もいない緩やかな下り坂をグングン加速していくと、まもなく福岡・山口県境を過ぎ、今度は緩やかに上ると、あっというまに下関側に着いた。再びエレベーターで地上に出ると、そこはもう本州なのであった。

     壇ノ浦 

 目の前の海岸は壇ノ浦。1185年に源平最後の合戦が行われた平家終焉の地である。敗北が決定的となり、次々と海に消えていった平家一門の武将たち、女性たち、そして、幼い安徳天皇の悲劇を思うと、深い感慨が湧く。無数の命をのみ込み、西方浄土へ押し流していった早鞆の瀬戸は800年余りを経た今も変わらず激しく流れ続けているのだった。
壇ノ浦 赤間神宮


     赤間神宮

 海沿いの国道9号線を下関市街の方へ少し走ると、安徳天皇を祭る赤間神宮が見えてくる。きらびやかな竜宮城を思わせる建築なのは海に沈んだ少年天皇の魂を慰めるためだという。境内にはほかに平家一門を祭った七盛塚や耳なし芳一の木像を納めた芳一堂があり、その前に立つと、今も平家の人々の霊魂がさまよっているような気がした。

     下関

 ようやく下関の中心街に入ったところが唐戸港。ちょうど門司港の対岸で、あいだを小さな連絡船が結んでいる。これは昭和60年に一度乗ったことがある。ここには魚市場があるが、日曜日のせいか、閑散としていた。
 唐戸の交差点付近には旧英国領事館や秋田商会ビルなどレンガ造りの古い洋風建築が残り、古い港町の情緒が漂っているが、下関駅東側の一帯では再開発が進み、モダンな高層建築が街を睥睨していた。ここには韓国釜山行きのフェリー乗り場もある。今はパスポートがないので無理だが、いつの日か、この航路を利用して韓国まで自転車で行くというのも面白いな、と思う。

 ところで、せっかく九州に上陸したのに、すぐに本州に舞い戻ったりして、こうしてウロウロしているのには理由がある。実は今夜、門司のすぐ隣の小倉からまた船に乗って、九州のはるか北に浮かぶ対馬まで行ってしまおう、と考えているのである。というわけで、夜まではヒマなのだ。

長府の武家屋敷     長府

 とりあえず、再び国道9号線を引き返し、壇ノ浦も過ぎて、長府方面へ足を伸ばす。陽が高くなるにつれて暑くなってきた。
 下関市街から8キロほど走ると下関水族館や下関美術館がある。しかし、まだ早いので、これも通過して、まもなく長府の町に入った。

 長府は古くは長門国の国府が置かれていたところであり、今も城下町の風情を感じさせる歴史の町である。朝食用のおにぎりとお茶を買ったセブンイレブンは長府侍町店。昔はこの界隈に侍が住んでいたのだろう。武家屋敷らしい土塀の町並みも残っている。

 壇具川という小さな清流に沿って坂を上っていくと、功山寺という古刹に行き着いた。鬱蒼とした参道を登り、立派な山門をくぐると、日当たりのよい境内には観光客もちらほら。
功山寺の仏殿 優美な反りを持つ檜皮葺き屋根の仏殿は国宝に指定されているとのこと。幕末の志士、高杉晋作が徳川幕府に恭順する長州藩政府を倒すため挙兵したのがこの寺であったといい、勇壮な高杉の銅像が立っている。山口県に来ると、吉田松陰をはじめとする幕末維新の英雄たちへの尊敬の念が長州人のプライドを支えているのがよく解かる。
 木陰のベンチに腰掛け、のどかな気分で朝食を済ませ、仏殿を拝んで、寺をあとにした。

     下関水族館

 土塀の続く小道などを自転車で散策してから次に下関水族館を見物。大小さまざまな海水魚や淡水魚はもちろん、ウミガメ、ペンギン、アシカ、イルカ、ゴマフアザラシ、トドなど、思いのほか充実していたが、屋外プールのアザラシやトドはあまりの暑さに夏バテ気味のようだった。
 拍子抜けするほど地味なアシカのショーなども見て、昼前に下関の街に戻り、今度は彦島へ向かう。

     彦島

 下関は言うまでもなく、本州の西の果ての街であるが、その先に浮かぶのが彦島。かつて壇ノ浦の戦いで平家方の拠点になった島でもある。
 本土と島の間は逆S字形の瀬戸によって隔てられ、逆S字の真ん中あたりが下関漁港。北方で日本海に通じている。しかし、関門海峡に通じる南半分は埋め立てによって小川のように幅が狭まり、もはや水路の役目は果たしていないようだ。その一番狭いところを橋で渡って彦島に入る。事実上、本土と地続きになっているから、島という感じはしない。下関郊外の住宅地である。
彦島の漁村風景
 その彦島からは小倉へ渡るフェリーがある。道に迷いながら乗り場へ着くと、次の便は13時40分発で、まだ1時間半近くある。とにかく暑くて、汗だく。やたらに喉が渇くので、水分を補給してから、さらに彦島の北西端の南風泊(はえどまり)まで行ってみた。フグ(当地ではフクともいう)の水揚げ港として知られる漁港であるが、今は閑散として、家族連れが岸壁で釣りをしながら弁当を広げていた。

     関門海峡フェリー

 関門海峡フェリーは彦島の荒田港と小倉の日明(ひあがり)港を結ぶ2キロ余りの短距離航路である。料金は150円で、自転車込みだと200円。
 レストハウスでかき氷を食べながら待っていると、「フェリーふく彦」という小型の船が海を渡ってきた。接岸作業が完了すると、乗用車やトラック、バイクが次々と出てくる。船が空っぽになると、今度はこっちが乗る番だ。自転車は僕だけ。ほかにバイクが2台。あとからクルマが乗ってくる。たちまち車両甲板はいっぱいになった。行楽客風も意外に多い。
 階上の客室は冷房が効いて涼しく、生き返る心地。テレビでは甲子園の高校野球をやっていて、人だかりができたが、家族連れなどはみんな外で海を見ている。確かにそっちの方が面白い。
関門海峡フェリーからの眺め 船はすぐに折り返し、対岸の小倉へと海峡を渡っていくが、コンテナを満載した韓国の大型船に行く手を遮られ、こちらが迂回させられたようである。所要時間は13分とのことだが、もう少し時間がかかったような気がする。
 いずれにせよ、あっという間に小倉・日明港に到着。小倉といっても埋立て地の先端部の殺風景なところである。北九州工業地帯に隣接して、門司のような情緒は全くない。

     小倉

 小倉の市街までは20分ほど。さすがに百万都市・北九州市の中心だけあって活気がある。同じ北九州市でも門司とはだいぶ雰囲気が違う。
 とにかく、ふだんは街乗りに使っている自転車で今日は九州を走っているというのが、なんだか不思議で、なんだか嬉しい。周囲から見ても、東京からの旅行者だとは誰も気がつくまい。

 対馬行きのフェリーの出航は22時40分。時間はたっぷりある。まず、小倉駅のコインロッカーに荷物を預けて身軽になり、それから対馬行きのフェリー乗り場の下見に出かけた。駅の北方にすぐ四国の松山行きフェリーのターミナルがあったが、対馬行きの乗り場は見つけるのに少し苦労した。松山行きのターミナルが真新しい国際会議場などのバブル建築に隣接した、いわゆる「ウォーターフロント」にあるのに対して、対馬行きの乗り場はうらぶれた場末の波止場である。古びた待合所にはかなりの人が座っていたが、これは北九州市の沖合に浮かぶ馬島と藍島への市営航路の乗客。釣り客の姿が目についた。
 とにかく、対馬行きの窓口が開くのは20時からであることを確認して、再び小倉の街へ走り出す。しかし、今日は暑さのせいか、睡眠不足のせいか、やけに疲れた。もうのんびりしよう。
 小倉城の城山に登って公園のベンチで座っていると、大学生風の3人組が記念写真を撮っている。こちらは何もする気が起こらないくらいにバテた状態で、ぼんやりそれを眺めていると、彼らの会話が聞こえてきた。韓国語であった。
 さて、本場のとんこつラーメンでも食べにいくか。

     対馬行きフェリー

 小倉駅から北へ5分ほどの浅野埠頭。20時過ぎに着くと、すでに九州郵船・対馬行きの「フェリーあがた」が入港していた。1,296トン、478人乗りの中型フェリーである。小倉を夜に出て翌朝対馬に着き、昼過ぎに対馬を発って夜に小倉へ戻ってくるという1日1往復体制。博多からの便は対馬最大の町・厳原に着くが、こちらは対馬北部の比多勝へ行く。閑散航路らしく、薄暗い待合所に人影はまばらだった。
 料金は僕が4,190円で自転車が880円。窓口のおじさんが切符の作成に手間取っていたところを見ると、自転車の客というのは珍しいのだろう。対馬は地形図を見ると島全体にまるで指紋のように等高線がひしめく、山ばかりの島なのだ。比多勝から厳原まで縦走するつもりだが、体力に自信のないブンカ系サイクリスト(文化系というほど高尚でもない)としては不安いっぱい、というのが今の正直な心境である。

 埠頭にはトラックと乗用車が2台ずつ、それに自転車が僕だけ。ほかに車のない乗客が数人。要するに船はガラガラであった。
 カーペット敷きの船室の片隅に今夜の寝床を定め、50円の貸し毛布を借りると、そのまま横になる。
 22時40分出港。比多勝まで161キロ、5時間55分の船旅である。(注*小倉〜比多勝航路は現在は博多発着に変更になっています。)


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