「趣味悠々」私の2012年の日記です。

<留学日記を見る><オペラ・デビューを見る><孫自慢を見る>
<P-ちゃんの登山日記を見る>

新ゲストブック
  • 2012年5月27日(日) なんでも屋の夫


     5月も終わりに近づいたと言うのにストーブをしまっていません。それなのに今日は扇風機が欲しいような陽射しになりました。

     婿殿が埼玉の実家の法事に行って留守なので、娘が信ちゃん共々昨夜から泊まりにきています。お風呂に入れるのは、いーちゃん(ジジ)の役目。

     我が家へ来ると信ちゃんは安心した様によく寝ます。生まれて退院後、真っ先に連れて来られた家の空気や匂いを記憶してるのかな?娘が言うに、「自宅にいる時よりいい子だ」と。

     本当は釣りに行きたかった夫でしたが、「る・童夢」前の駐車場の工事が途中で放置されたまま。私としてはいつまでも道具を出しっぱなしされるのがたまりません。「作業優先で」、と頼んだので土方仕事をやってくれることになりました。

     休憩時には信ちゃんのお相手と忙しいこと。駐車場の面は魚と船を形づくり、石をはめ込んでデザインしセメントで固めました。プロのワザとはほど遠いですが、材料代だけですので文句なしです。このあと”龍のひげ”の緑を植え込みます。斜面の植物が茂ってくると見栄えもよくなるでしょう。

     とにかく大工仕事でも左官仕事でも、ふすま貼りや自転車のパンク修理でもやってくれます。もちろん我が家の庭師としても活躍中です。釣りと野菜作りは食に貢献しています。こんなに器用なのは田舎育ちというのが大きいですが、子どもの頃から通学路で職人さんの仕事現場を見るのが好きだったとか。

     「○○ちゃんと行くと遅くなる・・・」と友達に言われてたみたいです。興味関心が人並み以上にあったからでしょうね。この能力は工学博士の婿殿もかないません。アウトドアに強いのもこうした経験がモノを言うのでしょう。


  • 2012年5月17日(木) 大和葛城山のツツジ見物


     久々のアウト・ドアでした。山岳会に入っていた頃、実施された葛城山行に参加できなかったので、いつかチャンスがあったらと思っていました。その願いが叶ってツツジの最盛期のこの時期に訪れることが出来ました。膝が心配なので登山ではなく今回は往復ロ−プウェイ利用です。

     30分ほど並んで待って乗車。ロープウェイ山頂駅に到着するとそこからなだらかな上り道が続きます。木漏れ陽の森林トンネルです。観光の山だけに足元は途中まで舗装されています。個人的には落ち葉を踏んで歩く自然道が好きです。

     快晴の汗ばむ天候で、ストックを持ち呼吸を整えながら満開のツツジ群を目指しました。山道を右に曲がると突然、真っ赤な色が目に飛び込んできました。これって本当に自然に生えたの?ある斜面の一角だけにツツジが群生しているのです。

     花は見ごろで大勢の登山者がお弁当を食べたり、写真を撮ったりしていました。日曜日なんかだったらごった返していたでしょう。私の想像ではツツジは360度のパノラマかと思っていたので少々ハズレの感がありましたが、自然に群生したということですから凄いです。

     帰途、ねぼけ堂のバラ園に寄りました。まだ3分咲きということでしたが、2600本もあるという見事な薔薇が境内一面に咲き乱れていました。愛情を持って育てていることが良く分かる管理のしっかりしたバラ園でした。

     最後に立ち寄った當麻寺(西南院)では、牡丹は終わっていましたが、ピンクの石楠花が少し残っていました。旬の時期ならもっと華麗な庭園を観ることができたでしょう。それでも手入れの行き届いた新緑の庭園は本当に美しかったです。

     當麻寺の参道を出たところのお店で「柿の葉すし」を買って帰ってきました。


  • 2012年5月14日(月) カーネーション


     昨日の母の日、写真の品を子ども達3人からとして娘が届けてくれました。どこの兄弟でも女の子が兄弟姉妹のまとめ役になってる感じですね。

     岡山の私の実家でも姉がそうだし、夫の実家でも嫁いだ妹がいろいろ指令塔になっています。男の子は任務がいっぱいあって、それほどマメに考えていないのでしょう。 親孝行な娘であれば年老いた親にとっては一番力になってくれるかもわかりません。嫁に出しても女の子は親との距離は近いですからね。

     とは言え、有難いことに長男、長女、次男3人からカーネーションと災害時に便利な岩谷産業のカセットコンロストーブを頂きました。簡単に言えば携帯ストーブみたいで、コードが無いので持ち運び自由です。災害時だけではなく便利に使えそうです。

     1ヶ月検診を終えた信ちゃんが、午前中はひっきりなしに母乳を求めるので家のことが出来ない・・・という娘の話だったので、我が家の仕事が終わったら子守りに行こうと思っていたところ、乳母車でやってきました。

     体重も順調に増えてずっしり重く感じられます。体もしっかりしてきました。私の腕の中で眠ったのでその間、娘は休ませて欲しいと言うので「ゆっくり休んでおいで」と寝室に行かせました。しばらくするとグズグズ言出だしたので、おしめを換え抱っこしてあやすとまた寝ました。こんな調子で娘も休まらないのでしょう。

     コンビラックに下ろしたところで電話が鳴ってお目覚め。「お昼も食べて行ったら?」と言ったけど「お弁当の残りがあるから」と帰って行きました。もう夫のお弁当も作っているのね。なかなか頑張っているようです。


  • 2012年5月4日(金) お宮参り


     信ちゃんのお宮参りで弁慶ゆかりの闘鶏神社に詣でました。 お若い神官が「じゃ!頑張ろうか」と信ちゃんに語りかけ、抱っこして神殿に連れて行き祝詞をあげました。「健康で、すくすく育ちますように

     風は強かったですがそれほど寒くはなく、信ちゃんも良い子でぐずることもなく、大勢の応援団(長男とその子ども達)にも見守られて無事お宮参りを済ませました。

     闘鶏神社の正面奥には湛増(たんぞう。湛決の子。21代熊野別当)と弁慶(源義経の従者。湛増の子だと伝えられています)の銅像があります。

     二人の前では二羽の鶏が闘っています。これが。闘鶏神社とうけいじんじゃ)という一風変わった社名の由来を表わしています。弁慶は源氏に就くべきか平氏に就くべきか鶏の勝敗で決めたということです。

     毎年当地では「弁慶まつり」という行事があり、弁慶一行の武者行列や下駄おどりで賑わいます。


  • 2012年4月30日(月) 信ちゃんが帰っていきました


     ひとりで淋しいという信ちゃんのパパの切なる希望で、ママと信ちゃんは28日(土)午前中に自宅に帰って行きました。夕食を届けるなどの気配りは必要ですが、ひとまず産守りは終了。

     お隣さんの娘さんは1ヶ月半ほど実家で養生していたのに比べると2週間は早い帰還ですが、パパが料理などにも協力すると言うので希望に応えての措置でした。

     娘としては食事作りの心配もない実家で精神的にも安心だったと思います。もうすこし母乳が出るようになるまでゆっくりさせてやりたかったですが、パパを育児から遠ざけるのもよくないと思いました。

     娘には言わなかったのですが、このところ頭痛が度々あって仕方なく薬を飲んで治めていました。以前から頭痛持ちで、疲れたり人ごみの中に出たりすると起きていました。ここ数ヶ月間は調子が良かったのですが、頭痛が起きると急激にパワーがダウンします。平常時ではなかったので神経を使っていたのでしょう。でも娘の気苦労を思うと、私の任務など比べ物にならないからそんな状態であることは言えなかったです。

     お隣さんが娘さんとお孫さんを連れてお祝いに来てくださったので記念写真を撮りました。信ちゃんより5ヶ月早い坊やです。ずいぶんしっかりして大きさが違いますね。もう9kgもあるそうです。一級上のお兄ちゃんというわけ。おばあちゃんもジャンボなのでお孫さんも大きいのね。

     彼女とはいつものランチメンバーです。裏庭へ出たついでに垣根越しに声を掛け合ってお話することも多いのですが、これからは孫話しにも発展することでしょう。「趣味悠々」もしばらく信ちゃん日記みたいになる可能性大です。


  • 2012年4月16日(月) 孫との日々


     娘の長男(信ちゃん)が退院し、我が家に落ち着いて3日目を迎えます。正規の退院予定日の健康診断で、黄疸(ビリルビン数値)が少し高いと言うことで、丸24時間の光線治療を受けることとなり退院が延期されました。退院予定日には信ちゃんとママを迎える準備を整え、お祝いの食事の準備もしていたのでうろたえました。

     新生児黄疸は日本人の90%に現れる症状ですが、数値が高くなり過ぎてそのビリルビンという成分が未発達な脳の関門を通過し沈着すると脳障害を起こすこともあるとの説明を受け驚きました。

     
     最近の早い退院措置で症状の発見が遅れるということもあるらしいです。アメリカでは特に問題になっているとネットで知りました。生まれて10日もすると脳関門が閉じて、核黄疸の危険は回避されます。幸いなことに数値も下がり13日に退院を迎えました。

     ”オギャー オギャー”の声が日常になっている我が家。新米のパパ、ママは大奮闘!!時代の変遷と言うべきなのか、私達の頃の高度成長期の猛烈社員時代と違って、パパはとっても子煩悩で優しく沐浴の世話もやっています。

     私はと言うとひたすら家政婦です。一番気を使うのがみんなの日々の食事。家政婦の任務の一番がこれですからね。そんなわけで今年の桜は残念ながら全く鑑賞する間がありませんでした。桜前線が当地から去ってしまいそうです。新緑の5月ごろお役目がひとまず終了するでしょうか?

     信ちゃんの表情の七変化が面白く見ていて飽きないです。自分の子のとき以上に、ゆとりを持って接しられます。近くに住む孫第一号ですから、これからいろんな関わりが生まれることでしょう。
    娘さんの子どもは特に可愛いでしょう?」と言われますが、気のおけない娘との関係という意味で可愛いですね。しかし孫バカにならず、一定の距離を置き自分のやりたいことをして人生を送りたいなと思っています。
     

      信ちゃんの着ている着物は、私の母が私の最初の出産時に用意してくれた産着の一部です。荷物整理で出てきた2枚の新品産着で、母が手縫いで作ってくれた品です。ひと針ひと針、母の手の跡に思いやりが感じられた品でした。40数年の月日を経てひ孫が着るなんて母も思ってもなかったでしょう。


  • 2012年4月7日(土) 孫の誕生


     娘宅待望のべビーが6日午前9時4分に誕生しました! 予定より1週間ほど早い出産でしたが3324gの男児でした。

     それまでの経過ですが、前日5日木曜日は近くのスーパーの売り出し日で、出かけられない娘に代わって注文の食材を買いに出かける日でした。

     金銭感覚は親以上で、広告をきっちりチェックして注文メールが届きます。冷蔵庫の中はすっきりしているし、部屋はモデルハウス並に整頓されています。日頃から物を増やさない暮らしに徹しているので見習う必要がありそう。

     食材を届けてやって、午後から健康体操教室に出かけたのですが「しるしがあったから近いかも・・・」と携帯にメール着信。自宅に帰ると、夫が釣ってきたイサキとアジの刺身を作っていて、それを持って様子を見がてら娘宅を覗きました。

     初産と思えないほどの落ち着きぶりで、「早く信ちゃんに出会いたいわ。」、「頑張るからね!」と。ちっともジタバタしてなかったです。

     胎教もしっかり学んで、モーツアルトのピアノ曲を毎日聴き、一日に一回はお腹のべビーに絵本を読んでやっていました。パパになる婿殿も毎日お腹に声をかけていたそうです。9ヶ月までは毎朝ウオーキングをし、私も時々便乗させてもらっていました。親になる覚悟も出来ているようなので、良い親になって欲しいなと思っています。

     5日夕方には「出産が近いかもしれないからお風呂に入るわ。陣痛が10分間隔になたら病院に電話して家を出るつもりよ。」と電話連絡がありました。夜10時半には病院に向かったらしく、11時15分には「今は陣痛室にいます。陣痛は5分間隔ですが 強くはないみたいです。」と婿殿から携帯に連絡がありました。新しい命との出会いのために、これまで力を合わせてきた彼らを信じて私らは見守っているだけでした。

     その夜は携帯電話を枕元に置いて休みました。でも気になって朝まで寝てなかったような感覚でした。6日午前10時過ぎに「生まれました!!」の連絡をもらって病院に駆けつけたのです。

     昔と違って、夫が分娩室にまで入ってくるような出産で、許可の範囲で写真も写していました。その為に小型の一眼レフデジカメまで買ったのですから。生まれたら産湯もせずその場で30分間、カンガルーケア(母子密着)とやらで抱っこしてお乳を含ませます。これが赤ちゃんと母親の精神衛生上大切な措置なのだそうです。産湯も拭き取るだけで洗い流しません。赤ちゃんの肌は母親からの分泌物で感染症などからの予防効果があるからと言うことでした。新しい医学と情報は親の世代の我々の知識とは全く違うのだと感じました。

     写真上部は生まれた日に撮影。下部は7日母乳を飲んだあとの体重測定です(共に院内撮影)。


  • 2012年3月25日(日) 花だよりとコンサート


     花冷えの日々が続きますが、それでも本格的な春に向けて、季節は確実に一歩一歩進んでいます。裏庭の花たちは一斉に競って咲き始めました。

     岡山牛窓の兄宅から頂いた黄色いスイセンがあちこちに咲き、ムスカリはひっそり控えめな青色で足元に、桜草は昨年の種から華麗に咲き誇っています。

     水栽培で楽しんだあと、土に戻した球根から今年もクロッカスが仲間を増やしてくれました。黄色、紫とビオラは花壇の色合いの准主役です。もうすぐチューリップが開花します。

     この季節の花壇を眺めてひと時を過ごすのは私にとっての至福の時。咲き終わったすみれやビオラの花を摘んでやります。水遣りも忘れてはいけません。植物は本当に正直ですからね。ついうっかり水分不足にさせると花首を下げてしまうのです。

     このところ3週連続で土曜日はコンサートに足を運んでいます。ピアノとチェロ、そして先週は田辺ゾリステン例会コンサートで、娘のお弟子さんのSさん(音大3回生)がソロで歌うということで行ってきました。音大で専門的に勉強しするとすべてが垢抜けますね。

     舞台マナーも洗練され、声の伸びも素晴らしかったです。出産が近づいた娘は、万が一を考えて自宅待機を医者から言い渡されているので聴きに行けませんでした。

     そして昨日は、午後1時30分から上富田文化会館で「彦五郎物語」の演劇鑑賞。知り合いが脚本・演出をしています。夜は相愛大ピアノ科講師の「瀧浪ゆかりコンサート」でした。カワイ、スタウエン、ヤマハの3台のグラントピアノでの連弾やパーカッション(よしうらけんじ氏)とのコラボがとっても楽しい演奏会でした。

     また「トモジャズダンス・スタジオ」の息子さんがピアノに合わせてヒップホップダンスを披露し、当地の新進画家、廣本直子さんの「日々絵はここから」がスクリーンに写し出されるなど、観客を退屈させない企画に目を見張りました。小さい街ながら芸術家の多い地域です。  
    ビオラをメインに寄せ植え
    レンガ造りの花壇の表情
    大好きな黄色いスイセン


  • 2012年3月11日(日) いのち守ろう!3.11県民大集会


     東日本大震災から早や一年。自然災害の脅威、特に大津波の恐ろしさに打ちのめされた一年だった思います。多くの人々の命が失われ、それに輪をかけた原発災害では、家族がバラバラになり、失業と貧困という新たな課題が生まれようとしています。みんなの願いに反して復旧復興の動きは鈍く、日本全国で今日の様な3.11の集いが開催されたことでしょう。

    原発ゼロ!震災復興!いのち守ろう!3.11和歌山県民集会」には紀南各地からバス5台が出て私も参加しました。ご近所の高齢者のYさん90歳、Tさん84歳もお誘いしてご一緒しました。

      Tさんは最近ご主人を亡くしたばかり、家に閉じこもりがちになってる様なので、それを避けてもらう為でもありました。バス代もカンパのワンコインということだったので、金銭的な負担も少ないし、バスに揺られて和歌山城公園に集うのも悪くはなかろうと思ったからです。

     和歌山城西の丸広場には県下から続々集まり、メーデーでもこんなに集まったことがないと言うほどの大集会となりました。新聞社発表によると2500人ということでした。城を背にした中央舞台では太鼓や歌声、田辺から「なつおmeets南風」の若者が震災復興のオリジナル曲を歌ってくれました。

      呼びかけ人の和歌山大学の教授、弁護士、和歌山歯科医師会代表、各団体の挨拶がありました。 今回の集会は「TPP参加反対!ストップ増税!」も訴えての集会で、歯科医師会代表はTPP参加で日本の皆保険制度が崩れ、医療の公平・平等が失われると話されておられました。なんでもアメリカナイズされることに大きな不安があります。日本の誇る健康保険制度はなんとしても守って欲しいと思うばかりです。

     福島から避難された方の訴えなどもあり、最後は城周辺のアピール行進でした。さすがYさん、Tさんは行進には不参加。それぞれの思いをプラカードに書いて行進しました。途中、近鉄運輸の運輸一般労働組合の大型トラック軍団も横断幕を車体に貼り付けて、行進に向ってクラクションで合図を送ってくれました。再び公園内に集合し、黄色い紙を頭上に「原発ゼロ」の人文字を作って写真に納め終了しました。


 
  • 2012年2月26日(月) 白浜御苑へ一泊


     夫の現役時代の教え子の保護者で、今は子どもに関係なく親しくお付き合いしている2組の夫婦と6人で「白浜御苑」で遊んできました。もうかれこれ15年は続いている集いです。

     今は住む町も違い、日常出会う間柄ではないのですが、年に一度の忘年会か新年会で出会う約束になっているんです。ところが2010年から私の眼科手術が続き、今回は3年ぶりの集いとなりました。夫の関係者なのに、なぜか私が居ないと駄目なようで私の名前は呼び捨てにされてます。

     白浜御苑は一昔前までは高級ホテルとして知られていましたが、不況で経営悪化、湯快リゾートに買収され、一泊二食付き7800円という格安ホテルに変わっています。今回はその安さに加え、2月末までは6000円を切ったプライス価格ということで利用してきました。離れた町から来た父兄にも負担なく、お酒を飲んでも宿泊付きなら心配なしと言うことで幹事を引き受けました。

     各自ホテルに集合。5時前に到着したらすでにみなさんお揃いでした。平日というのに客は結構多く、夕食バイキングの時間帯は3交替にもなっていて、私らの食事は8時からと遅かったので酒好きの男性軍はもう部屋で下ごしらえ。あとゆっくり温泉に入って夕食会場に向いました。有名ホテルだっただけに温泉は最高です。

     大宴会場で食べ放題のバイキングです。会場が広いので周囲の客のことは意識しなかったです。大学生の卒業旅行みたいな若者も多く価格を下げた取り組みで、若者を温泉地に誘うことに成功した感じでした。

     回転すしの雰囲気と食べ放題というのを私はあまり好みませんが、価格が安いので文句は言えません。和洋折衷で沢山の品ぞろい。フルーツもソフトドリンクも自由。私は生ビールと梅酒を注文しましたがこれは有料です。

     9時半まで食べて飲んで、満腹で部屋に戻って深夜12時ごろまでまたワイワイと。私らより高齢な方たちなので足が痛い、腰が悪いと・・・そんな話題が多くなりました。いつまで元気に集えることでしょう。
     翌朝は「とれとれ市場」と最近できたコーヒー無料、せんべいも試食できる「おせんべい屋」に寄ってお別れしました。来年も元気で出会いたいものです。


  • 2012年2月21日(火) 私の誕生日


     この歳になって誕生日祝いってこともないんですが、何か口実をつけてふたりで今夜は外食することにしました。午前中長男から大きな箱が届き、「なんだろう・・・?」と思いながら開けてみると、何やらクッションみたいな物が出てきました。

     ただのクッションと思ったら、マッサージ機にもなる代物。早速説明書を読んで私専用の椅子(腰を圧迫骨折をしているので)の背もたれにしてスイッチを入れたら、クニャクニャと動き出しました。位置を変えれば腰にも背中にもマッサージが出来るという品物。

     卒業証書を依頼されて夫は只今、書作中。「肩が凝ったからやってみる」と椅子に座って試みました。「こりゃ〜いいわ」と。我が家では温泉にも置いてあるようなマッサージ機を何度買おうかと思ったことでしょう。値段も思案しましたが、何より適当な置き場所が無かったので買うに至らなかったという経過があります。これだと置き場所の心配がありません。息子達よありがとう。

     知り合いの子たちに「今日は誕生日で食べに行こう思うんだけどどこがいい?」と尋ねると、「くら寿司」「スシロー」「吉野家」と日頃行くのだろう場所を次々提案してくれる。「かずちゃんに、美味しいところへ連れて行ってもらい」と大人びた言葉を発する子もいる。「ラブラブやな〜」と言う子。「おばあさんでもラブラブなん?」 「おばあさん ゆうたら悪いやろ」 本当に面白い子ども達です。

     結局、高級料理店でも寿し屋でもなく、ちょっと前にテレビで見た焼き鳥が無償に食べたくて、駅大通りの焼き鳥屋さんに行ってきました。焼き鳥と生ビール!!グググッときましたよ。全く庶民的なラブラブ誕生日祝いでした。


 
  • 2012年2月19日(日) ストレス・コーピング講座


     男女共同参画推進委員企画の「ストレス・コーピング講座 ストレス対処のコツ」には事前に50名ほどの予約登録があり、当日は飛び入りも含め約60名を超える受講者で開講しました。

     講師は元JAL国際線客室乗務員として皇室フライトなどの乗務経験を持ち、退職後の現在はビジネスマナーやコミケーションスキル、ストレス・コーピングや女性の働き方といったテーマで講師としてご活躍の真山美雪さんをお招きしました。

     男女共同参画推進委員として、私の役目は司会でした。これもストレスの溜まる任務です。緊張している感はなかったのに、講師のプロフィール紹介をうっかり飛ばすところでした。やっぱり緊張していたんだなぁと思いました。

     人間は様々なストレスにさらされています。逆にそのストレスが成長のステップになることもあるし、それを乗り越えた時は喜びにもつながるなど、悪い面ばかりではありません。それらストレッサー(=刺激)が引き起こす「ひずみ」を元の平常な状態に戻そうとする試みをコーピングと言います。

     ストレッサーには「物理的刺激」と「心理的刺激」があり、「ライフイベント」つまり親しい人の死、転居、結婚、出産、離婚、就職、転職、昇進、定年など様々な生活上の出来事に関連して起こるストレスや、「ディリーハッスル」の様に日常の些細なイライラ、つまり仕事上や職場の仲間や家庭生活上での人間関係に起因するイライラ、舅や姑にたいするイライラ・・・などそれこそ数限りないストレス要因が身辺にいっぱいあるわけです。

     しかしストレスの感じ方には個人差があり、同じ事態が起きても反応は人によって違います。個人差とは思考のクセから来るもので、心理学では、「マイナスに作用する思考クセ」を自動思考非合理の思い込み認知のゆがみと呼んでいます。

     例えば水を飲みたいと思っている人の前に、コップに半分入った水があったとします。それを見たとき、「もう半分しかない」と思うのか「まだ半分もある」と思うのか・・・その違いです。プラスに変えた方が得だと講師は言われました。

     人間には限られた人生しかありません。「イライラしていたらもったいない」とも言われました。人からの助言や忠告も「うるさいと」と思うか「有難い」と思うか。後者は人間関係を円滑にします。人は無視していたり、眼中に無い人へは忠告も助言もしませんから。

     出来るだけ沢山の人と出会う暮らしをしなさいとも言われました。一生に出会う人間数は平均で3万人。ちょっと活動的な人では5万人だそうです。私は後者で在りたいと思っています。いろんな違いがあって当然と思うようにしたらストレスは随分減りました。「みんな違ってみんないい」 そう金子みすずの世界ですかね。「過去と人は変えられない。変えるべきは自分」重い言葉でしたが本当にそうですね。

    問題解決策として
    ●対人関係= 話し合う、相手を理解する、一緒に何かをする、仲介者を頼む、最後は避ける。
    ●仕事関係= 教わる、整理する、断る、任せる、改善する、きちんと学ぶ。
    ●生活関係= パターンを変える(時間の使い方、お金の使い方、趣味の持ち方)

    ●行動として、深呼吸をする、体を動かす、音楽を聴く、動物に触れる、好きなものを食べる、ガーデニングをする、旅行をする、温泉に入る、美術館に行く、映画を観る・・・。

     最後に各自診断テストを受けました。それによって、イライラ型ビクビク型ムカムカ型クヨクヨ型ヘトヘト型イジイジ型ウジウジ型のどこかに判定されます。

    ムカムカ型の私へのアドバイス
    ○断片情報で判断せず、相手の考えが十分にわかるまで聞いてみること。
    ○どのような出来事も、自分の成長にとって大きな意味がある。
    ○言われるうちが花。
    ○自分への攻撃、悪口ととるか、自分への心あるメッセージととるか、人生の岐路。

     結果はしっかり受け止めて、反省点を肝に銘じ努力します。なかなか勉強になった講座でした。


  • 2012年2月15日(水) 瞼下垂手術


     中高年になったら加齢に伴って誰でもシワが増えたり、シミが出来たり、瞼がたるんだりと美容的にも問題が発生します。顔の中でも眼は命というべき存在のようで、私が瞼下垂手術をしたと言ったら、どんなになったのかを見たいと言う人が結構いるんです。

     右の写真は網膜剥離手術後、余り日にちが経過していない時の瞼の様子です。赤みがあるのは度重なる手術によって皮膚が変色したのだろうと思います。黒目がふさがれるほど瞼が下がってはいませんが、左右の違いは明瞭で、私としてはとっても気になる状況でした。白内障の術後でも下垂する人がいますが、黒目のどの位置まで下垂しているかが問題で、保険適用になる範囲は決まっています。もし美的にと言うなら保険外で、美容整形の分野でしょう。

     私の場合は瞼下垂の原因が判っていたので、主治医は難しい注文をつけず希望どおり手術を行ってくれました。本当は左右やってもらったらもっと満足だったろうと思います。術前、術後の写真をアップしました。

     なかなか眼科医も上手にやってくれてるでしょう?見かけだけでも悩みが解消しました。「この手術でこんなに綺麗に成功した人、見たことないって」言った人もおりました。


  • 2012年2月14日(火) バレンタインデー


     バレンタインデー。毎年ながら夫のところには義理チョコが数品届きます。元の職場の方、夫のファンである私の通う体操教室のK先生、知り合いの子ども達からです。

     子ども達は2年生と4年生で、小さいデザインチョコは4年生のAちゃんの手作りだそうです。「かずちゃん ピーちゃんいつもありがとう」の可愛いメッセージが添えられていて胸にぐっと来ます。

     みんな私が非常勤講師のとき教えた子たちです。あの頃と比べて大きくなりました。背も抜かれそうです。

     学校のボランティアのふれあい教室で書道指導のために、小学校に月2回足を運ぶ夫は、子ども達とも顔見知り。冗談の多い少年の様にチャメな夫は、子ども達にも人気があるようです。


 
  • 2012年2月12日(日) 水本愛堂遺墨展と温泉の一日


     11日〜12日の両日、水本愛堂遺墨展が開かれました。水本先生は書研究「青童社」の主宰者で、日展会友、毎日書道展審査員、日本書芸院展審査員、和歌山県展・田辺市展審査員としてご活躍された恩師です。

     他界されて早や一年半が経ちました。今回はご遺族が所蔵されている書作品と弟子達が恩師から書作して頂いて所蔵している作品を展示した遺墨展です。

     我が家からは、夫が現役時代に昇進記念に書いて頂いた軸作品の、「照干其一隅」=(その一隅を照らす)を出展いたしました。この語源は「照一隅」という天台宗最澄の教えをバランスよく5文字にして書いて下さった作品です。「自分の持ち場をしっかり守って、全体を照らし、社会のために奉仕せよ」と説いた言葉です。我が家の家宝となっています

     水本流とも言われる独特の筆の流れ、線の美しさに気品を感じます。繊細且つ大胆な文字、特にハライの流れる曲線が特徴的で、それから続く文字との微妙な間(ま)が私は好きです。

     今日の予定であった温泉に入るために、昼前に会場を後に白浜方面へ車を走らせました。2月誕生日の私のところへ来た案内パンフから、3100円の「黒潮御膳」が2100円で頂けることを知って4人で途中、「海鮮・丸長」で食事にしました。昼から豪華メニューで、朝食のプチ断食をしていたので余計に美味しかったです。

     ホテル「海舟」の入り口でスタッフに記念写真を撮ってもらいました。「ホームページに載せてくれるならホテル名を入れなきゃな!」と快くパチリ。 

    ここは和風の高級ホテルです。ロビーは畳敷きで太平洋が一望でき、温泉は桧風呂の名湯です。サウナにも入ったので顔が火照り、お風呂上りのアイスクリーム食べ放題が有難く、みんな嬉々と子どもみたいに頂きました。

    私たち温泉大好きメンバーにとって、近くにこんな遊び場があるってなんて幸せなことでしょう。夫たち用の夕食はお惣菜屋で調達し手抜きさせてもらいました。


  • 2012年2月2日(木) アトピー性皮膚炎の対処


     現代病ともいうべきアトピー性皮膚炎で悩んでいる方は非常に多いと思います。孫の美咲も背中やお腹や腕の関節内側に炎症を起こして痛々しいことがあります。私の知人の男性も幼少時からひどいアトピーで、年頃ということもあってその手入れに余念がありません。彼は最近結婚し、今はお嫁さんが食事にも気を配ってくれているそうです。

     かゆみの原因に、入浴時の洗いすぎがあるそうです。ボティシャンプーは使いすぎるので低刺激の固形石鹸が良いそうです。皮脂が多い場所は頭、背中、胸の中心部で、膝下の足部分は指先以外は洗い過ぎないことです。特に冬のこの時期は乾燥に注意です。乾燥を防ぐクリームを塗ることや、部屋に加湿器があると良いでしょう。

    日頃の手入れ
     ○汗をかかないように保湿剤「ヒルドイド」やひどい時はステロイドを塗る。
     ○かゆい時はかゆみ止めを塗ったり錠剤を飲む。食事にはビタミンB群Cをとる。
     ○ストレスを持たない、睡眠をしっかりとる。
     ○炎症のある顔部分は顔用のステロイドを塗ったり、ワセリンを塗る。

    洗顔 入浴に伴うお手入れ
     ○石鹸は低刺激性の「アトピュ」や「ギュレル」を使う。
     ○入浴後タオルで拭いたらミネラルウォター系の「エビアン」「ノブ」「アベンヌ」を体全体にスプレー。
     ○皮膚の表面が潤ってるうちに保湿剤「ヒルドイド」を塗る。
     ○抗アレルギーサプリ(乳酸菌サプリノアル)などを飲む。

    プロトピックを使った治療
     ○落ち着いたらプロトピック洗顔する。入浴の3時間前に塗る。塗っている間はかゆみが出ても触らない。3時間後はいつものお手入れをする。

     まあすごい丁寧な手入れで現状は美しく保っておられます。アレルギー体質そのものは治せないですが、アトピーをひどくさせない方法はあるということです。保湿剤「ヒルドイド」は私も病院でもらって来たことがあります。皮膚反応があるとすぐヒルドイドを塗ってからステロイドを塗ります。私の場合アトピーというほどではありませんが、かゆみを伴った赤い斑点が出るときはすばやく処置します。

     私の入浴法は、東京愛育病院で乳児に実験済みのトルマリン含有の洗顔石鹸を泡立てて洗顔し、その泡の残りで体を手で洗います。タオルは一切使いません。背中も手を伸ばして洗うので体操している様ですね。それに乳癌の自己検診もできます。とにかく皮膚を乾燥をさせないことが一番大事ではないでしょうか。


 
  • 2012年1月29日(日) 夫の誕生会


     夫の誕生日は今月の25日でしたが、私が体調を崩したり、手術を受けたりで娘宅からのお招きに応えられず、今夜になりました。長男宅からは好物の薩摩焼酎が届けられ、娘宅では自宅で誕生会を開いてくれました。

     テーブルを囲みながら近況報告をし合うのですが、お腹も目立って来ていて、婿殿が「今日はお天気で良かったです、布団が干せましたから」などと言うほど、家事協力も積極的にやってくれてる様で親としても有難いです。

     夫婦で出産前の学習会にも参加して、婿殿はお腹に10kgの物を当てて妊婦体験もして来たのだそうです。

     良い子育てをするには母親の安定感がとても大切で、何より夫婦仲良きことが一番だろうと思います。娘は毎日時間をとってお腹の赤ちゃんと対話しているそうです。時に夫も加わってお腹に向って声を掛けると動くとか。望んで生まれる子なので、どんな苦労も耐えられそうだと。

     若くないだけに気持ちの安定感もある様だし、覚悟も座って講演や育児書での学習もしっかりしている様子です。「親がこうして育ててくれたってことが本当に分かって感謝してるよ」とも言ってくれます。やはり人間は親にならないと本当の意味で大人になれないのかもしれませんね。

     誕生会と言っても夕食を共にするだけですが、料理の腕を振るって親を招いてくれる心意気に感謝します。ブロッコリーと玉葱のスープ、鶏肉のソテーに野菜を添えたもの、貝柱の洋風酢の物、それにパンの上にトマトをバルサミコスで味付けしたソースを乗せた内容でした。夫も婿殿とのお酒も進みご機嫌でした。


  • 2012年1月26日(木)瞼下垂の手術を終えました


     昨日午前9時50分、いつもの病院の眼科にてH医師の執刀により眼瞼下垂術が始まりました。眼科の手術は5回目なので、手術室の物々しさにも慣れたもので、白い術服に着替えて控えのベットで上を向きます。消毒液を何度も注入され、ガーゼで眼の周りを丁寧に拭かれます。同時に麻酔液が眼に振り掛けられ、いよいよ手術台に乗り換えます。

     「○○さん 麻酔注射は痛いですよ」とH医師が言います。以前、眼球注射の物凄い痛さを経験しているので、「あれに比べれば大丈夫!!」と思っていまいた。シャープな針を瞼の表と裏に刺し麻酔液の注入が始まると、染みる感じが痛いのだそうですが、「これが そんなに痛い? 」大したことはありません。瞼が切開されました。

     30分後「今 筋肉を縫っていますから」と。「あと表面の皮膚を縫うのは5分くらいです」と手術の進度をきちんと伝えてくれるので、耐えることが出来ます。すべてを終えて手術室から出てきたのは50分後だったと思います。

     左眼の度重なる手術により瞼が下垂し、左右バランスが悪くなって気になっていたのです。誰でも加齢と共に若いときのパッチリした眼とは異なって来るものですが、それが左眼に顕著に現れ昨年から先生にお願いしていたのです。

     今朝は消毒のため早朝から眼科に出向き、初めて自分の顔を鏡で見ました。まだ赤く腫れていますが、瞼はキリッと上がって手術は成功の様です。右眼と比べても多少大きく見えます。これはこれからの加齢を計算しているのだそうです。H医師の眼瞼下垂術は上手いと看護師さんからの定評を聞いていたので、決意して本当に良かったと思いました。これから体操教室に顔を出してきます。


  • 2012年1月24日(火) まいっちゃった


     いやはや参ってしまいました。 先週の火曜日朝から倦怠感と精神も不安定になり勝ちで、話しかけられるのもうっとうしいという感じで夫に当り散らしておりました。昼過ぎからこれは変、「もしや風邪かな?」と感じたとおり、夜には37.8分くらい熱が上がってて18日は38.9分まで上昇。

     なるべく医者に行きたくなく、「風邪くらい自分で治すわ」と思っていたのに、これほども高熱が続くとそんなわけにもいかず、近くの医院へ行ってきました。医院では隔離するかの様に別の待合室に通されました。鼻の粘膜から採取して何型インフルエンザか判定するのですが、私の場合判定機はCのところを指していました。「ああ〜C型なんですか?」=そんなのあるわけないやん。

     「いやいや 機械が機能しているという位置がCのところで、A型 B型いずれにも針が指していないのでインフルと違うかもしれません」「まあ〜熱が高いのでインフル対応の薬を出しておきます」ということで、いろいろ問題のあったタミフルを5日分をもらって帰ってきました。それから3日・・・熱にうなされ食欲は全くない状態でずっと寝てました。冷えたタオルを時々夫が交換してくれ、ひたすら寝てばかりの日々を過ごしておりました。今日あたり声は出ないものの、体は元にもどりつつあることを感じています。

     風邪もひかない元気者と自負していたのに、免疫力は低下してきているのね。ただ不幸中の幸いということか、体重が1.8kg減っていました。ダイエットでもなかなか減らなかったレベルです。


    • 2012年1月14日(土)ドイツ・シュツットガルトからの来客


       午後から、ご近所のいつものメンバーとロンドン帰りのKさん宅で笑い転げ、夕方は娘宅でドレスデン時代からのお客様、クリスチャンを迎えました。

       彼は娘がドレスデン音大に留学していた当時、学生寮の隣部屋の男の子でドレスデン工科大学の学生でした。その寮はドレスデン市内の色々な大学の合同寮でしたが、音楽関係でも、日本人としても娘はひとりだっだそうです。寮ではいろんな国々の留学生と交流を深め、部屋や廊下でパーティを楽しんでいたそうです。アウトドア好きの彼には、山や自然散策にも誘ってもらった寮仲間というわけです。

       娘の帰国後、彼は京都大学留学生として来日。我が家にも訪ねてくれ、娘の母校(中学校)で帰国演奏会したときは、舞台に立って中学生達にドイツのお話をしてくれたりした事もありました。

       私達とも交流を深めていたので、とっても懐かしかったです。
       娘の家に入ると「クリスチャン!!ようこそ!」「おお〜」と抱き合って再会を喜び合いました。2m近い長身の彼は「また背が伸びたんだよ」と冗談を言って笑わせます。楽しく、明るく、可愛いい青年です。


       彼は好奇心が非常に強く、日本の留学を終えて帰国するときは、シベリア経由で未知の国々に立ち寄りながら時間をかけて帰って行きました。モンゴルでのゲル(移動テント)生活が面白かったそうです。

       現在はドイツ・シュツットガルトの「BOSCH」=ボッシュというメーカーの開発研究者として勤務しています。日本のトヨタ・ニッサン・ホンダ自動車ではこのメーカーの商品が使われているそうです。農機具の一部にも使われているとか。今回の来日は社用で東京出張でした。わざわざ遠い当地まで足を延ばして休日の時間を使ってくれたのでした。

       以前はベジタリアンでしたが、今夜は娘の肉料理とにぎり寿司も結構食べていました。社会人になって嗜好も変わったのかもしれません。酒はビールをメインに夫が焼酎「一刻者」を勧めたら「リキュール?」と聞くので「そう そう」と。焼酎も少し。食後のデザートに娘はアップルパイを焼いていて紅茶で頂きました。

       彼はドイツ語、英語、デンマーク語と日本語が少し話せます。変な日本語まじりの英語や身振り手振りでの会話でしたが、娘が忘れかけたドイツ語で通訳もしてくれたので、違和感なく楽しいひと時を過ごすことができました。

       娘宅の畳間で一泊し翌朝、熊野古道を案内方々ドライブして夕方東京へ戻っていきました。17日に帰国するそうです。


    • 2012年1月9日(月) 2012年 動き始めました


        元旦を家族揃って(お嫁さんは3日に無事退院)お祝いし、2日も揃って初詣に出掛け、その夜は場所を娘宅に変えて牡丹鍋をよばれました。自分の手料理でもてなす立場と、ご馳走になる立場では、やっぱり頂く方が味わえますね。「娘さんが近くだから いいわねぇ〜」って言われますが、本当にそう。

       8日は、宴会好きの夫より一足先に合唱団の新年会に行ってきました。
      1月のカレンダーも結構詰まってきました。他にも新年会が入ってるし、男女参画関連のDV講座が日曜日2回入りました。海南商工会議所まで友人の車で参加します。

       そのスケジュールの中で一番重要なのが、25日予定の眼科手術です。2010年からの複数回の眼科手術でまぶたの筋力が低下したのか、左眼が下がり気味なんです。主治医は40才前半、「僕はそんなに気になりませんよ」とおっしゃる。そりゃ〜 年取った私の眼など気にならないでしょうが、本人は嫌なんですよ。高額でなけりゃ両眼美容整形に行きたいくらいなんですが、とりあえず左眼をパッチリしてもらう予定です。

       片眼うっとうしい様な状態でヨーロッパを旅して、どうなのか・・・と思って出掛けたのですが、「もっとクリアに見たいな・・・」と思って観光していたのに、帰国後の記憶は結構クリアなので不思議です。過ぎた思い出や風景の記憶は眼が良かった時と変わらないです。脳の海馬の仕組みに興味が湧きますわ。


    • 2012年1月5日(木) 中欧6カ国の旅日記を書きました


       長い長い旅日記ですので、書き上げるまでに時間がかかりました。早く書かねば記憶も途切れてしまうので急ぎました。読み返せばまだ不都合な部分も多々あると思います。文字の変換ミスもあるでしょう。お気づきになったらメールください。

       こちらからか、トップ(表紙)のピカピカ光っているところをクリック「ヨーロッパ旅物語・世界旅日記」へお入りください。


    • 2012年1月3日(火) 熊野那智大社初詣


       3日朝、第一陣の孫達が帰って行きました。孫たちが去ると一変に静かになります。「来るも嬉し、帰るも嬉し」という言葉がありますが、新年の準備から掃除、洗濯と手抜きも出来ず、気楽なふたり暮らしの日々からの変化ですからそんな心境にもなります。

       「お母さんを慰労してあげるわ、」と夫が言うので、次男と3人で予定に無かった那智方面へドライブすることになりました。お正月に那智大社や西国一番札所の青岸渡寺にお参りするのは長い和歌山暮らしで初めてのことです。

       国道42号線を南下すると、太平洋の大海原を右手に道路は蛇行します。運転には神経を使いますが眺めの良い道路です。この日も穏やかで暖かい日和でした。

       本州最南端・潮岬に立ち寄って、国道42から那智大社へと入って行きました。昨年の台風で大被害を受けた那智川沿いの様相は凄かったです。川には大石がゴロゴロ積みあがり、傾いた家がそのまま残っているなど痛々しい現場を通過しました。

       この辺りはまぐろ料理の本場となっています。串本の町で「まぐろ丼」を食べようと思っていたのですが、満員で出来上がりに30分もかかると言うので、那智山のふもとの「ねぼけ堂」というお店まで走りました。

       次男が那智へ来たのは小学生のころ以来とか。途中の大門坂で車から降ろし、古の面影を残す熊野古道を上って那智で合流することにしました。ひとり静かな所を歩いてみたかったかったのだそうです。

       合流後、那智大社の石段を上って青岸渡寺にもお参りして来ました。長い石段で、脚力が無かったら上がれない方もおられるでしょう。ストックを持参していて良かったです。

       那智の滝を見てから次男の希望で、勝浦温泉の「ホテル浦島」へ桟橋から送迎船で渡り、有名な洞窟風呂、「忘帰洞」で海を眺めながら湯に浸かってきました。ホテルロビーで甘酒とぜんざいの振る舞いがあり、それも頂きすっかり癒やし気分になっていました。夫の気遣いに感謝の一日でした。


    • 2012年1月1日(日) 元旦


       新年おめでとうございます。比較的穏やかなお天気で新年を迎えました。本年もよろしくお願い致します。

       暮れの27日に長男のお嫁さんが子宮筋腫の手術をすることになって、孫達を預かっていて、いつもの静かなふたり暮らしから賑やかなになっていました。

       31日には長男、次男が一緒に帰ってきました。兄弟が連絡を取り合って一緒に帰ってくる約束をしたのでしょう。仲良きことは親にとっても嬉しいことです。

       お節料理は完食出来る量をと例年より控えめに作りました。娘からは自分で料理した丹波黒豆と伊達巻が届き、それも加えて三段重に盛り付けました。彩りも良く、まずまずのおせち料理が出来上がりました。今年も何とか形にしましたが、いつまでこんな事が出来るでしょうか。

       孫のいつきは暮れから熱っぽく、お正月に悪化してはと28日に内科に連れて行きました。用意したホームコタツ(平素コタツは使いません)のお守りでずっと過ごしていました。本来ならアジ釣りや山歩きに連れて行こうと思っていたのに残念でした。

       小康状態になって、やっと白浜の「とれとれ市場」に出掛けただけで可愛いそうなお正月でした。市場の梅にんにくの試食がお気に入りで、これを食べて少し元気が出たそうです。

       それでも我が家恒例のすり鉢ゲーム(コインをすり鉢に落として重なったら取る)では家族中が騒ぎ、夫が購入して準備していた「四文字熟語カルタ」でも遊びました。「喜怒哀楽」「無我夢中」「切磋琢磨」と。さすが教育者のジージです。遊びの中で自然に学習ってことでしょうか。4年生の美咲は四文字熟語をほとんど覚えた様です。

       家族が健康で過ごせることが一番です。また昨年は大変な年でしたが、今年は穏やかな気持ちになれる一年でありますように。


      

    <もどる>


    私のホームページへ | SilkRoad-Desertのページへ | メイン | 今すぐ登録