説 教 要 約 15

「真の愛について」

甲斐慎一郎
 「神は愛です」(ヨハネの手紙第一、4章16節)。
 聖書は「神は愛です」(16節)と教え、また多くの人々も「キリスト教は、愛の宗教である」と思っています。このこと自体は少しも間違ってはいません。しかしその内容となると、この愛ほど正しく受け取られずに誤解されているものはないでしょう。そこで真の愛について学んでみましょう。
 1.新約聖書の原語であるギリシャ語には、愛と訳される言葉が4つあります。
 ◆エロース(恋愛、夫婦愛)……これは初恋から始まり、本格的な恋愛を経て結婚し、夫婦愛となるもので、肉体的には性愛です。
 ◆ストルゲー(情愛、肉親愛)……これは親子、兄弟姉妹などの血縁の極めて近い者に対する愛です。
 ◆フィリア(友愛、朋友愛)……これは自分の好みに合い、自分と共通な場を持つ者に対する愛です。 
 ◆アガペー(聖愛、神的愛)……これは人間が神の像に似せて造られた不滅の霊を持つ尊いものであるゆえに愛する愛です。
 2.真の愛は、自分にではなく、相手に価値があると判断して愛するものです。
このエロース(恋愛、夫婦愛)とストルゲー(情愛、肉親愛)とフィリア(友愛、朋友愛)という3つの人間的な愛は、その相手が「自分にとって価値がある」と判断して愛するものです。これは対人関係においては、互いの価値を認め合い、良いものを分かち合うことによって成り立っています。
 これに対してアガペー(聖愛、神的愛)は、主がイスラエルの民に「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)と仰せられたように、また「キリストが代わりに死んでくださったほど」(ローマ人への手紙14章15節)、「相手に価値がある」と判断して愛するものです。 
 3.真の愛は、3つの人間的な愛を拡大したものではありません。
◆エロース(夫婦愛)の対象は、夫または妻という一人の異性であり、この愛をほかの人に広げるならば、姦淫の罪を犯すのです(マタイの福音書5章27、28節、箴言5章15−20節)。
◆ストルゲー(肉親愛)の対象は、肉親だけであり、この愛をすべての人に広げることは不可能です。もし私たちが、すべての人を肉親愛で愛するならば、その苦しみのために正常な精神を持つことはできないでしょう。
◆フィリア(朋友愛)の対象は、友人だけであり、この愛を自分の好みに合わず、自分と何の共通点もない他のすべての人に広げることは不可能です。 
 なぜなら3つの人間的な愛と真の愛(アガペー)とは根本的に異なるからです。真の愛(アガペー)は、すべての人を愛して、人を差別しない愛です。しかし3つの人間的な愛は、ある特定の人しか愛せない(または愛してはならない)愛であり、それは結果的には人を差別する愛なのです。
 日本の諺に、「可愛さ余って憎さが百倍」、「愛多ければ憎しみもまた多し」、「愛憎は表裏一体をなす」、「愛憎は紙一重」、「愛は憎悪の始め」とあるように、この3つの人間的な愛は、聖霊による真の愛(アガペー)を持たない限り、自分の思い通りにならないと、愛していながら同時に憎んでいるという心の状態になるのです。
4.真の愛は、本能的また自然的なものではなく、超自然的な神からの賜物です。
 このエロース(恋愛、夫婦愛)とストルゲー(情愛、肉親愛)とフィリア(友愛、朋友愛)という3つの人間的な愛は、教えられなくても生まれつき備わっている本能的なものであり、どのような人の心の中にも自然に芽生えてくるものです。ですから様々な限界があるとともに、真理に基づくものではなく、善悪をわきまえないために、暴走したり、脱線したりする危険性があるのです。
 これに対して真の愛(アガペー)は、生まれながらの人間にはなく、聖霊による超自然的な賜物であり、信仰と祈りによって与えられるものなのです。


東京フリー・メソジスト昭島キリスト教会-説教要約