
日本からの留学生(女子大生・女子高生)
日本からスペイン語圏に留学する際の穴場はパラグアイだと思います。2000年2月から実際に南部のエンカルナシオン市に留学しパラグアイ生活を送っている日本の女子大生からの現地レポートをお送りします。
02・高校生留学(AFS)
高校生二人がアスンシオン郊外に(2004年 5月23日)
アスンシオン郊外のフェルナド・デラ・モラ市とイパカライ市にそれぞれ日本から女子高生が一年間留学に来ています。東京都から高校三年生の須賀華呼さんと大阪府からの小林由季さんです。高校生の留学を支援するAFSでは高校生をパラグアイに送り出しています。現在はこの二人の他に男子生徒一人がエステ市で勉強しているそうです。

(写真:小林さん(左)が住んでいるイパカライ市にて)

(写真:セントロ日系にて)
01・女子大生・久美・エンカルナシオン留学日記
2001年01月05日
1月1日〜5日 パラグアイ旅行。
元旦の朝から、日系人の友達達17人とパラグアイ旅行に行ってきました。4台のカミオネーター(4駆の荷台付き自動車)を使い、荷台には荷物を沢山詰め込んで、出発!!!最初の目的地ピラール市へと向かいました。4時間程で到着。思っていたより小さな街でしたが、ピラールは土が白く、建物との調和が可愛らしく、美しく、パラグアイには珍しい風景の街でした。ただ、車が通ると前が見えなくなる程の砂ぼこりでしたけれど。。。着いてすぐ、河の近くにその日のキャンプ場所を見つけ、そして隣の村、ウマイタへ行きました。ここはパラグアイのお金の裏にも描かれている、戦争で残った「煉瓦の建物」がある街です。その建物は一部だけが残ったのでしょう、それ程大きな建物ではなかったけれど、壊れかけたその建物の迫力、存在感は大きなものでした。私達はそこで少しピクニックをしました。そして再びピラール、キャンプ場所へと戻り、テントを張り、暗くなるまで、河で泳いだり釣りをしたりしました。こうして1日目は終了。1日目の食事はそれぞれが持ってきたお弁当やお菓子でした。
2日目、朝から太陽のつよーい1日。朝起きて、みんな手際良くテントを片づけ、荷物をまとめ、次の目的地フロリダ市へと向かいました。フロリダにはとてもきれいな砂浜のある河があり、その河辺にはトイレとシャワーもあるキャンプ場があったので、2日目はそこでキャンプをすることになりました。着いてすぐ、昼食。美味しい鶏肉のギソ(油っぽいおじや)と美味しい刺身を食べました。レモンを買い忘れてしまった様でなかったので、隣でキャンプをしていた人達にもらい、お礼に刺身をあげた所、パラグアイ人には珍しく、刺身を怖がらず食べていました。 昼食後あまりに太陽が強いので、日陰でのんびり一休みをし、少し弱まった3時頃河へ泳ぎ に行きました。それでも私には強かったのか、河へ入って5分たらずで軽い日射病にかかってしまい、気持ち悪くなり、再び日陰へと戻りました。。。パラグアイの太陽はホントに強い*2日目はきれいな砂浜のある河で、それぞれが、泳いだり、ビーチバレーをしたり、ビーチサッカーをしたり、釣りをしたりして遊びました。そして夜はみんなで火を囲み、カレーライスを食べました。
3日目、この日の朝食は昨日の夜釣った魚のスープでした。そして、次の目的地ウポア湖へ・・・赤土の道をほこりまみれになりながら、水たまりや、壊れそうな橋を越え行ったにもかかわらず、あと少しという所で道路建設中の為道がなくなり、断念。泣く泣く戻り、気を取り直し ラ コルメナ市へ。ここは今から80年前、日本人が初めてパラグアイへ入植した地で、今でも沢山の日系人が住んでいる町です。静かな街を通り、続いて隣のビヤリカ市へ、ここは古い大きな煉瓦作りの教会とここの街の人々がグァイ(パラグアイの現地語グアラニ語で「逆」の意味)と呼ばれている由来のローマ数字の間違った時計台のある街です。これらの建物の前で写真を撮り、キャンプ場所を探しあるきましたが、なかなか見つからず、4日目に行くはずだった、イグアス市まで行く事になりました。イグアス市も日本人移住地です。この日は、1日中車を走らせていたのでドライバー達は疲れていました。ビヤリカからイグアスまでの日の暮れた夜の30qはどんなに辛かった事でしょう。その夜、メンバー家の牧場にある別荘に泊まりました。夕食はアサード。3日目は12時間も移動し続けた1日。本当に疲れた辛い1日でしたが、今となってみれば「旅」を味わえた1日でした。
4日目、この日は「滝ツアー(ブラジル)」と「プール(イグアス)」の二つに別れて行動しました。もちろん日本人の私は滝を選びました。イグアスの滝はブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3カ国にまたがっていて、世界三大に入るそうです。滝へはまずシウダー デル エステへ行き、車、バイク、人でごった返していた国境の橋「友情の橋」を渡ってブラジルへ入りました。滝は、滝の付近まで自分の車で行く事ができません。滝の近く、手前2q程の所に大きな駐車場があり、そこに車を止め、そこから出ているシャトルバスに乗って行くのです。その駐車場、バス、バス乗り場、トイレ、お土産屋さんの設備は新設されてまだ2週間ばかりと、とてもきれいでした。働いている人達はアドベンチャーな格好。そしてバスは2階建てで、サルや鳥がカラフルで鮮やかな色で描かれています。私はディズニーランドに行った時の様な「わくわく気分」でバスに乗り込みました。バスに乗っていると場内アナウンスが流れ、どうやら「窓の外を見ろ」と言っています。見てみると、目が覚めるような鮮やかな緑色をしたイグアナが歩いて?いました。滝の付近で降ろされ、歩いて行くと水(滝)の音がしていました。私は一度アルゼンチンからこの滝を観た事 があったけれど、やっぱり凄い!!滝へ落ちて行くもの凄い量の水はまるで空の上の雲のようにも見える程。「これは水?」と思ったのは私だけでしょうか?・・・滝のそばにはアライグマが沢山生息している様で何度か間近で観る事もできました。ブラジルは言語がポルトガル語、通貨はレアルとパラグアイと異なるので、旅行気分がたっぷり味わえました。そして、イグアスへ戻って夕食。メニューはタジャリン(スパゲティ)。夕食後、日系人が営んでいるカラオケ店へ行く人達もいま した。4日目はメンバーの親戚の家が経営しているKanzawa Hotelの大部屋で17人で雑魚寝。ホテルは新しくきれいでクーラーが効いていたので、みんなぐっすり寝ていました。ただで泊めてくれたおじさん「ありがとう!!」
5日目、旅行最終日はのんびり起きて荷物をまとめ、エンカルナシオンへと帰路をたどりました。途中ブラジル式料理店に寄り昼食。バイキングのサラダや豆料理、ボーイが持ってきてくれる焼きたての牛や豚の肉、鶏の心臓などを食べました。本当にアッという間だった5日間。天気に恵まれ、パラグアイの大自然、木や草や河、湿地帯、鳥や馬や牛などをじっくり観る事、夕日など美しい景色を味わう事ができた、本当に良い旅行でした。自然に囲まれて、そして仲間達と過ごした5日間。「あぁ、本当に幸せだった。」
2001年01月01日 *年末年始*12月31日〜1月1日 私は2001年をここの家で迎えました。クリスマスの時の様に時間になるのを待って、今度はシャンパンで乾杯!!!「Feliz ano nuevo」と言って挨拶をしました。 この時もまた外からはもの凄い爆竹音と花火の音がしました* 31日の夕飯はごちそうで、肉、焼き鳥、マンディオカのコロッケ、太巻き、サラダ、を食べました。もちろん食べる前には、お祈りと乾杯をしました。それぞれちょっとおしゃれをしていて、素敵な晩餐でした。いつもはお蕎麦を食べて、2年参りや初詣に行っていた私。ちょっとおしゃれに21世紀を迎えました。
2000年12月30日
卒業パーティー
エンカルナシオンのセントロソシアルという会場で、パラグアイの公立高校「セントロ レヒョナル デ エドゥカシオン デ エンカルナシオン 」の卒業パーティーが行われました。パラグアイでは「卒業パーティー」は有名なお祝いの1つで、盛大にやります。だいたい卒業生は白いウエディングドレスの様なドレスを着ます。そして、お父さんや彼氏、招待した男性達とワルツをおどります。私は1年間だけの留学生だけれど、卒業生のようにパーティーに参加させてもらいました。。。その割に気合いは十分・・・ 一ヶ月位前からドレス作りは始まりました。生地屋さんに行き、好きな生地を選んで買い、そして仕立て屋さんに行き、「ここはこんな風にして!」と入念に打ち合わせをしました。ちゃんと作業が進んでるかどうかを見に行ったり、頭につけるティアラ(冠)や手袋を探し歩いたり・・・「白いウエディングドレスのようなドレスを着る」という事に日本人の私は、最初、「いいの?」と抵抗のような物がありましたが、「みんなが着るなら私も!」とやるとなったら真剣に取りかかりました。。。
パーティーにはおよそ千5百人が訪れました。最初、卒業生が入場、女子生徒は父親、男子生徒は母親にエスコートされて優雅に入場。そして全員そろって写真撮影、フラッシュアワー!終わった頃ワルツの音楽が流れ初め、ワルツを踊る。それからそれぞれ用意されたテーブルで夕食。そのあとはよくあるフィエスタ。流行りの音楽やカチャカが流れ、みんな朝まで踊りまくっていました。本当にステキな卒業パーティーでした。この日の喜び、それと今は、1年間お世話になった校長先生、担任の先生、それから、同級生達への感謝の気持ちでいっぱいです。パラグアイに来て良かった!!!セントロに入れて良かった!!!
2000年12月24日 *クリスマス*
パラグアイ人はほとんどがカトリック教のクリスチャンなので、「クリスマスはキリスト様が産まれた日」と考えている人が多いようです。どの家もツリーはもちろん家や木に電飾をつけたり、又、庭や家の中にキリストが産まれた時を再現した、馬小屋、マリア、キリスト、三人の博士、星、羊など動物達の人形セットを飾ったりします。
24日の夜、私はここの家族と親戚達とごちそうを食べ、シードル(りんごのお酒)を飲みました。12時をまわった時に改めて乾杯。「Feliz Navidad」といって挨拶(ほっぺにキス)をしました。この時、外からはもの凄い爆竹音と花火の音がしました。窓から空を見て見ると、煙で空が白く、まるでこの街が爆発しているかの
様でした。「銃をうつ人もいる」と聞いたので、外へは出ませんでした。。。
「すごい音だなぁ〜」と思いながら外を眺めていると、後ろから「サンタさんが来たよ〜〜!!!」と、ここの家の6才の女の子がはしゃぎながらプレゼントを配り歩いていました。ハタチの私もをサンタさんからピアスをもらいました。少し静まった1時頃、日本人の友達達とのパーティーへと出掛けました。 パラグアイではクリスマスと言えば、「シードル」と「パンドゥルセ」のようで、沢山売られています。パンドゥルセとは大きなキノコ型?の甘いスポンジケーキで、クリスマスの頃おやつに朝食にと、よく食べます。それと、日本ではクリスマスが終わるとすぐに飾り付けを片づけ、お正月の飾りに変わりますがパラグアイではそのまま新年を迎え
るのが ほとんどです。しかし、考えてみればキリスト様の誕生を祝っているのだから、そんなに慌てて片づけなくてもいいのですよね。
2000年12月10日〜19日
私は高校の修学旅行でブラジルのカンボリューへ行ってきました。カンボリューはパラグアイ人アルゼンチン人ブラジル人の観光スポットだけあって海の景色はすごーくすごーくきれいで、街もきれい、お店もいっぱーいあります。 最初、レアル(ブラジルのお金)とポルトガル語に少し戸惑ったけれど、 観光地なので、ほとんどスペイン語が通じます。洋服がすごく安くて買い物が楽しいです。
そして、朝御飯がすごい!!パパイヤ、すいか、オレンジ・・・・などフルーツ類、ポンデケージョ、サンドイッチ、パン類、それから、朝から、甘いケーキ、甘いお菓子がいっぱーい好きなだけバイキングで食べられます★私達が泊まったホテルは4つ星のホテル「Sibara」で立地条件が良く、料理が美味しかった!ただ、驚いたのは友達達(パラグアイ人)はほとんどの人がバイキングの沢山の料理を前にしてじゃがいものサラダと肉ばかりを食べていました・・・ブラジルはその頃ちょうど雨がよく降る季節だったようで、晴れたり曇ったりだったけれど、やっぱり「夏」結構焼けました。 ブラジルは食べ物が美味しく、ライム味のつめたーい美味しいお酒「カイピリーニャ」もあり、物価が安いのでホントにおすすめです!!!
2000年10月19日
日本の群馬県知事小寺弘行氏、群馬県議会副議長矢口昇氏が来パし、 アスンシオンで開かれた「在パラグアイ群馬県人会20周年記念祝賀会」に
御出席なされました。 私は群馬県民。縁あって私も出席させて頂く事が出来ました。知事から、今の日本、群馬県の話しを聞き、「残りの留学生活もがんばろう!」と思えた貴重な時間を持つことができました。アスンシオンへは一人で、バスで片道6時間かけていきました。日帰りは無理なので、ホテル内山田に一泊。祝賀会の翌日は朝食を取った後、ホテルから近いペティーロッシ通りへ一人でぶらぶら買い物に行きました。この通りには服や雑貨、野菜など色々な物が安く、沢山売られてています。
私はスペイン語の勉強の為に?ディズニーの絵本を3冊買いました。。。その後、タクシーに乗ってセントロ(街の中心)に行きました。が、日曜日だった為、店やショッピングは閉まっていて
しずか〜な街を一人散歩し、ホテルに戻り、エンカルナシオンへと帰ってきました。
私が一人でアスンシオンへ行く事を、ここの家族、友達達はすごーーく心配してくれました。「私の冒険」「一人旅」は無事終了し、楽しい良い経験ができました。
2000年 3月29日
パラグアイでは何処に行っても音楽が流れています。朝起きたらスイッチオン♪。ご飯を食べるときも、掃除をしている時も、勉強をしている時も・・・。だからいつ
もみんな楽しそうで、踊るのが上手いのでしょう。ここには、音楽が聞こえてくると「反射的に踊りだす」という人が沢山います☆ここは日本より遙かにラジオのチャ
ンネルが多いです。特にここ、エンカルナシオンは河を挟んで向こう側はアルゼンチンなのでアルゼンチンの番組も聞くことができます。ラジオからはすごい早口で巻き舌のスペイン語と
ミュージックがノンストップでが流れてきます。踊りを誘う南米の音楽、伸びやかなアメリカの音楽などなどここでは色々な国のあらゆるジャンルの曲や歌を聞くこと
ができます。又、道ゆく車からも大音量の音楽が聞こえてきます。これには最初びっくりしました**「ご近所のみなさんに迷惑でしょう!!」と思っていたらパラグ
アイ人は老若男女問わずみなさん音楽が好きなんですね、誰も怒りません。聞いた話によると、「家具がなんにもないお宅にもラジカセだけは良い物がある」と
か・・。私は今高校3年生です。家から歩いて12分程の公立高校に通っています。
校長先生に頼みに行ったところ、快く受け入れてくれました。しかも「テストなし」という好条件付きで☆やっぱりパラグアイ人は日本人に優しい♪。学校は午前の
部、午後の部、夜の部、と3つに分かれています。これは生徒の数が多いのと、働いている子がいるからです。もちろん一番人気は私も通っている午前の部で、教室は
ぎゅうぎゅうづめです☆クラスメイト達はみんな明るて、よくしゃべって、優しくて、本当にいい人達です。
私の様な留学生は珍しいらしく、みんな私に興味を持ってくれて、色々と話しかけてくれます。これは本当にうれしいことです。留学は「留学生慣れ」してない国に行
くのが一番だと思います。パラグアイでは、店の名前、商品の名前などでTOKIOという名前をよく見かけます。これは東京つまり日本への憧れなのでしょう。こちらでは「日本製」というと
かなりの信頼があ ります。しかし、変な??勘違いもあるようで「日本人は頭がいい」と思っている人がいるお陰で物理の授業中ぼ〜〜っとしているだけで「素晴らしい!!!君にはこ
んな問題簡単すぎるのかぁ〜〜」と喜ばれたり・・。「日本人はお金をくれる」と思っている人が近づいてきてニヤニヤしていたり・・・。面白い目に遭いました☆日
本にいると日本の悪い面ばかり聞かされていた様に思いますがこちらに来て「日本という国はすごく世界に影響を及ぼしていてカリスマ的存在なんだ。」と分かりまし
た。これは日本人としてすごく嬉しかったです。
2000年 2月12日
アスンシオンの空港から、エンカルナシオンへ向かう道中トラックや4WDの車の荷台に沢山の人が暑そうに乗っているのを見てびっくり!!!パラグアイでも禁止されているようですが結構見かけます。バスが沢山走っていて、バスのドアが壊れていてなかったり・・「そんなに乗せちゃいけないだろ〜〜」というくらい超満員だったり・・・。全体的に車の整備不良が目立ちますね。車はやっぱり実用的な4WDが多く、又「海外では日本車が人気」という事は「本当なんだ〜〜」と実感しました。パラグアイの人は、「人間観察」が好きな様で??家の外に椅子を持ち出しテレレを飲んだり、道行く人や車を眺めている風景をよく見かけます。私はまだまだ「外人」の様で、沢山の人と目が合います。エンカルナシオンについて この街へ着いて最初の印象は「以外に都会」ということです。専門店というか商店が沢山あって、きれいな銀行も幾つかありますし、交通量も多くにぎやかな街だと思います。みなさん運転が乱暴なので道路を渉るのが怖いです・・・。私はこの街の日本人会青年部に入っています。みんな日本語とスペイン語がペラペラで「ここは何処??」と思う事はしばしば・・・。又、年間を通してイベントが多く、日本を忘れる事は出来ません。どちらかというと、日本に居るより日本人らしく生きているかもしれません・・・。
2000年 2月26日(土)
日本人学校で「夏祭り」がありました。これには、多くの日系人が訪れ、龍神太鼓に合わせて櫓の周りで炭坑節の盆踊りを踊りました。お祭りは全て手作りで、日本人学校の生徒達が、お化け屋敷、や、金魚すくい、くじ引き、輪なげ、など模擬店を開き、婦人部青年部が焼き鳥、お好み焼き、寿司、あんみつ、枝豆、・・・などなど沢山のお店を開きました。しかしここはパラグアイ、お祭りの最後には、ディスコの音楽になりみなさん踊りまくっていました・・・。つまり日本の反対側で、日本人が日本の文化を大切にしながら生きているのです。私は、これに驚きと喜びを感じました。まだ行った事はありませんが、エンカルナシオンには市場や下町があっておもしろい街だと思います。