思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります。-05 (2006年)



2006年は地味な一年であったように思います。多くの問題は先送りとなり、解決されるよりも膠着しているように見えます。何となくすっきりしない一年であったように思います。


思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-01 (98-2002年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-02 (2003年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-03 (2004年)
思うこと・作者の思うことを気ままに綴ります-04 (2005年)



56・EU(2006年12月02日)

EUが来月現在の25カ国にルーマニアとブルガリアが加わり27カ国になるのだそうです。欧州大陸のほとんどの国が参加しているという状況になっています。ベネルクス三ヶ国の経済共同体から始まりよくここまで発展したものと感心します、欧州の人達の努力の賜物なのでしょう。しかしながら同じ位の規模と人口を有する中国は現在に至るまで多様性を抱えながらも一つの国家として言語も北京語を標準語として成り立っています。これに対してローマ帝国の崩壊以降、欧州全体の統一と標準化を為しえなかった事が残念です。一方では近現代に分裂と敵対を繰り返す事により近代化に成功し、発展した面もあると思います。秦漢帝国で中国を統一国家に導いた中国に対して欧州は二千年遅れて今統一に向かっているのでしょう。ただ27ヶ国合計でも人口は5億人で、中国の半分にも達しません、そして言語は主要なものだけでも20もあり、コミュニケーションの問題もあります。

今後、どこまで加盟国を増やして行くのか、そして共通の通貨ユーロがどのようになるのか注目しています。具体的に現在加盟が検討されているのはマケドニア、クロアチアそしてトルコです。大きな問題として残るのがバルカン諸国、旧ユーゴとアルバニアです。敵対と内戦からユーゴスラビアが解体し、現在も憎しみの中にあるバルカン諸国、宗教・民族の状況が非常に複雑でこれを取り込むのは容易では無いと思います。旧ユーゴの中でスロベニアは既にEUに加盟し、申請をしているクロアチアとマケドニアも加盟に向けて大きな問題は無いと思います。セルビアから分離独立したモンテネグロも将来は加盟を申請して来るでしょう。小国であり、宗教もキリスト教であり、こちらも加盟への障害は小さいと思います。

ただ、コソボ問題を抱え、欧州の主要国と敵対して来たセルビア、イスラム教徒が多数を占めるボスニアとアルバニアの問題があります。今回のルーマニアとブルガリアの加盟で周囲をEUに囲まれてしまいました。EUに参加しない場合でも協調する事が生き残りの絶対条件であると感じます。当然ですが、EU内部では今後、拡大路線に反対する意見が出て来て今までのようには拡大一辺倒とはならないと思います。それでも諸問題を解決しながら前に向かって進んで行くと思います。

トルコの加盟問題は解決が難しい問題でしょう。イスラムの大国であり、歴史的に欧州と長い対立と戦争の歴史がある国です。そして世界の中でトルコだけが承認している北キプロス問題、この問題を含めてのギリシアとの長い確執の歴史もあり、簡単ではありません。そしてトルコが加盟するとEUはイラクと国境を接し、クルド人の問題が内部の問題となります。クルドの問題は即ちイラクの問題でもありますので、イラク問題の解決がEUに委ねられる事態となる事でしょう。ドイツ、フランスなど以前はトルコ加盟に積極的であった国々も国民の反イスラム感情を見て態度が後退しています。トルコもイスラムの方を向く姿勢を見せていますが、トルコとアラブが完全に手を組むとはどうしても考えられません。時間がかかるかも知れませんが、トルコとEUは歩み寄ると推測しています。

もしトルコが加盟を果たす事になればイスラムに対する拒否感も薄れてアルバニア、ボスニアを仲間に出来ると思います。イスラムという異文化を取り込む事はマイナス面もあると思いますが、多様化が生まれEUが強くなる可能性もあると見ています。トルコの加盟問題はEUにとり試金石となるのは間違い無いと思います。

ここまで欧州全体をEUが覆うと逆に加盟していない国が目立って来ます。取り残された印象があるのがアイスランド、ノルウェーそしてスイスの三ヶ国です。スイス欧州中央に位置しているので逆に欧州中でも陸の孤島となり、EUの外部としての利点を享受出来る事でしょう。永世中立国を金看板にして繁栄を謳歌して来ている国なので、加盟する可能性は少ないと思います。これとは対照的に欧州の縁に位置し、人口も多くなく経済力も強固とは言えないノルウェーとアイスランドは最終的には加盟するしか道は無いと思います。ノルウェーはスウェーデン、デンマークと歴史的に繋がりが強く併せて「北欧3ヶ国」と呼ばれています。この中3ヶ国の中では一番経済的には小さい国ですので共同歩調を取るしか方法は無いと思います。

さて、将来のEUを考える上で全く現在は話題にも上っていない二つの仮説を検討してみたいと思います。

(1)日本のEU加盟
(2)メルコスールと協定を結び、南米は通貨ユーロを使用し、ユーロ圏となる

かなり大胆であり、非現実的な事項に思うのですが可能性はあるのではないかと考えています。それぞれを検討してみたいと思います。

(1)日本のEU加盟
現在申請が出ているトルコまで加盟して大欧州EUが出現した後はどうなるのでしょう。東欧の大国であるウクライナは既にEU寄りを鮮明に打ち出しています。ルーマニアと近い関係に在るモルダバも加盟の方向に動く事でしょう。ここまで加盟をすると次はという事でベラルーシとロシアの問題が出て来ます。現在は全く加盟が議論されていませんがもしこの二カ国が加わり、名実ともに全欧州をカバーする組織になりますとその経済力は途方も無いものとなります。この場合には是非とも日本もEU加盟に動くべきであると思っています。日本から見て距離的にはロシアは一番近い国です。EUが数キロにまで押し寄せてくれば本気で考える人も出て来る事でしょう。

アジアにおいては日本は人口規模でも大きな方では無く、歴史的に見ても大きな役割を果たして来たとは言えず、今後はインド、中国が主役となる事は間違い無いと思います。それならば欧州と組み、その一員となってしまえば良いと思うのです。物・金・人が自由に動きますので日本は活力を取り戻せる、世界一便利な都市である東京に多くの会社が集まって来ると思うのです。真剣に検討してみる価値はあると思います。少なくとも中国と組むよりは現実的であると思うのです。中国やインドと仲間になってもイニシアチブを取るのは難しく商習慣の違いも大きく、一つの経済圏となるには障壁が大き過ぎると思うのです。アジアの国の中では地理的、文化的、歴史的な観点から日本を盟主にしようという動きはなかなか出て来ないと思います。

EU側にとり日本を仲間に入れるメリットは非常に大きいと思います。宗教的には色が無いのでトルコ、アルバニアのようなイスラムの国と比べるとトラブルが起きるとは考え難く、人的往来を自由にしても給与面で欧州の方が優っているという事は無いので単純労働者の移動はありえない、ただ知的職業の人の移動は大いにあると思います。要するに資格の中で一番重要な民度の高さがあり、思想的にも穏やかであり、仲間にしても問題が無いという事です。何時になるか分かりませんが、アジアの中で孤高の存在の日本、米国依存から脱却を目指し欧州と結ぶ選択もあると考えています。現在は米国と軍事政治の面から同盟関係にありますが、経済の視点から見ますと必ずしも共同体ではなく、相互に競争している面が多々あります。グロバリゼーションという名前で米国は自国の基準を世界基準にして自国の優位を万全なものにしようとしていますが、これが固体化されますと日本には将来は無いと思います。

勿論最初からEUに加盟という話にはならないでしょう。最初はFTA交渉から始まり、為替レートの固定化など経済同盟のような形が取られると想像しています。欧州から見て日本は遠い存在ですが、文化的な内容から見ますと中身は異なりますが同じような程度であり、理解が深まれば抵抗感は無くなると思います。またもしロシアがEUとは距離を置き従来通り対立の姿勢を崩さない場合でも日本はEUと組むことには支障は無いと思います。ギリシアが加盟した時にはかなり離れた状態でしたが、何も問題はありませんでした。飛地のような存在でも十分に機能すると思います。

日本は明治の時代に脱亜入欧を標語に掲げていた時期がありました。背伸びをして欧州のレベルに達したいという願望のようなものであったと思います。現在は逆にアジアとの共存が叫ばれています。交通機関さらにはインターネットを始め通信技術の進歩で距離は余り問題にはならない時代になっています。日本はアジア諸国とは確かに距離は近いですが、メンタリティーは国により千差万別です。インドや東南アジア、そして中国と同じレベル、考え方で一緒にやれるかというと自信が無いのが本音でしょう。欧州の国とならばそれほど大きな違和感を味合わないでやって行けると思うのです。

(2)メルコスールと協定を結び、南米は通貨ユーロを使用し、ユーロ圏となる
通貨のユーロは国家の枠を超えて使用され、今まで大きな問題も無く定着し、成功している事に驚いています。これがどこまで使用されて行くのか注目しています。加盟25カ国の半数で使用されており、今後もユーロを使う国は増えて行くと考えられます。将来は域内の国は英国を除いて通貨をユーロに変えて行くと思います。そして域外では世界通貨としてドルからユーロにシフトする動きがあります。一般的な国際通貨であるドルは米国一国の通貨であるのに対してユーロが多国籍通貨であり、政治的な色彩が強くなく、抵抗感が無い事が根底にあると思います。

現在南米では自国の通貨と共に米国ドルが広く利用されています。パラグアイにおいては例えばエステ市では自国グアラニよりも米ドルが流通している程です。これがユーロに置き換わりそしてその流通の度合いが増えて来るとどうなるのかと考えています。ドルは米国の通貨という事がはっきりしていますが、ユーロはどこの国のものでも無い共通貨幣です。導入当初は独仏の通貨、バックにドイツが経済があると考えられていましたが、ここまで使用する国が増えますと無国籍通貨になったと思います。

ブラジルは自国の通貨もしくはイニシアティブを取って「メルコ」というような名称で共通通貨導入を考えているようですが、他の国が受け入れる事は無いでしょう。可能性があるとすればユーロもしくは米ドルと固定相場制を導入した時だけでしょう。ただこれでもブラジル以外の加盟国は賛同しない可能性があると思っています。南米はスペイン語とポルトガル語の国々であり、宗教も大半がカトリックであり、東欧を取り込むよりはずっと問題は少ないと思われます。距離の問題はあってもEU側には拒否感は無いと思っています。

南米において、ユーロと自国の通貨が同じように流通して来ると自国の通貨では無く次第にユーロが使われる事態も在り得ると思うのです。将来、南米がメルコスールとして経済統合に進む際には新たに独自の共通の通貨を作るのでは無くユーロを使い、メルコスールとEUが相互乗り入れを簡単にするような協定を結ぶのではないかと想像しています。ただ、南米全体をEUの加盟国の形で取り込みますと経済的な格差があり、民度に大きな差が在りるので、人的な流入が激しくなり収拾が付かない事が予想されますので、これは近い将来は難しいと思っています。それでも文化的には非常に近い関係にあるので、将来的には完全統合もあり得ると思っています。

また、旧ユーゴスラビアの中にモンテネグロという国がありますが、ここはセルビアと連合していた時代から通貨はユーロを使用し、独立国となった現在でもユーロを国の通貨にしています。域外の国でもユーロを通貨にしている例であり、これで問題が無いのであれば南米で使われても差し支えは無いと思います。

南米は米国の庭と考えられがちですが、実際には北米に行くのも欧州に行くのも距離はほどんと同じです。今後の状況によっては南米の欧州化が進むかも知れませんね。南米の一般的な心情は伝統的に反米であり、EU側が本気になって南米を取り込む気持ちがあれば一気に状況が進展する可能性があると見ています。EUの地図を見て気が付くのは南米仏領ギアナがユーロ圏となっている事です。フランスは海外に領有している領土は自国の一部「海外県」としているのです。従いまして南米に在る仏領ギアナはEU内部であり、通貨はユーロという事になります。人口が少ない仏領ギアナですが、これが出来るという事は南米全体に広げる事は不可能なことではないと思うのです。

EUは加盟国を増やし、東へ進む事を目指して発足しました。ベネルクス三国に独仏伊の三ヶ国が加わり、経済共同体となり、東に向かって次々に加盟国を増加させて今日に至っています。成り立ちの精神というものはずっと続いて今後も東に向かって突き進むとすれば大陸の反対側の日本まで到達する可能性も大きいと思います。かつてアメリカ合州国がフロンティア精神で大陸を開拓し西に進み遂には西海岸にたどり着きました。その後もフロンティアを広げる精神は宇宙開発など未知の分野に挑戦する形でその後も現在に至るまで脈々と生きています。これと同じような事になるのではないかと想像しているのです。でも日本が入ったらヨーロッパ共同体ではおかしいのではないかという議論が出てくるでしょうが、その時には「ユーラシア共同体」とすれば良いと思います。日本までと南米を取り込めば世界を一周しているという感じになると思います。EUの発展に注目しています。



(地図;現在のEU加盟25カ国、加盟申請国:ウィキペディア)

なお、在パラグアイ商工会議所では11月の月例定例会でドイツ人のタイヒャーさんを講師にEUに関して講義していただきました。これに刺激を受け上記の文章を書きました。

月例定例会・総会(タイヒャーさんの講義録がある)

タイヒャーさん作成資料



55・タムマシン(2006年12月17日)
タイムマシンというのはかなり以前、ウェルズから小説や映画などに登場しますがまず現実には出来ないものと考えられて、多分これは事実なのでしょう。アニメでも頻繁に登場しますが、体表的なのはドラえもん、タイムマシンを駆使して楽しい話を沢山作っています。それでもタイムマシンの小説や映画は面白いものです。SF小説で色々な形で登場します。日本のもので有名なのは眉村卓、「とらえられたスクールバス」:『時空(とき)の旅人』というアニメは当時大ヒットしました。そして筒井康隆の「時をかける少女」、これは角川映画として歌も大ヒットしました。

個人的には外国のものとしてはホーガンの3部作「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」「巨人たちの星」、そして日本のものとしてはと広瀬正の「マイナス・ゼロ」豊田有恒の「モンゴルの残光」が好きです。広瀬正は認められて活躍したのが2年間という非常に不遇な作家ですが、このマイナス・ゼロは本当にすばらしい。ストーリーの面白さは勿論ですが、主人公が戦後の昭和38年から戦前にタイムマシンに乗って行くという設定なので戦後から見ての昭和初期のノスタルジックな雰囲気が見事に描写されています。当方の昭和初期のイメージはこの本から培ったものだと思っています。昭和恐慌が収まり昭和11年の226事件が起きる僅か数年間が戦前の黄金期で、戦後とは異なる価値感で人々が生きていた事が理解出来ます。

「モノゴルの残光」は元の時代の中国で産業革命が起き、その後は中国中心の世界となり、黄色人種中心、白色人種蔑視の世界となり、現代では更に徹底された人種差別が行なわれているという時代設定になっています。白人の若者がタイムマシンを奪い取り、元の時代に潜入し当時の大王の家来として入り込み、殺して歴史を変えようとするものの、別の時空から来た白人のタイムパトロールに諌められる。色目人として大王の家来となり真摯に務め、自然の流れの中で歴史が変わるようにする。大王はこの色目人の一言から急に宗教心が強くなり、やがて死に至り歴史は変わる。この白人は変えられた時空を現代まで行き世の中の変遷を見るが黄色人種と白色人種の立場が単に入れ替わっただけで到底理想の世界とは言えず絶望し、元朝の時代に戻ろうとするものの途中の元朝最後の時期でタイムマシンが故障して止まり、最後は元の武将として明と戦い、戦死するという話です。これを大学生の時代に読み、かなり影響を受けた気がします。文化とは何か文明とは何か、西洋文明の現在の盛隆というものは今後も継続するのかなど色々と考えるきっかけになっていると思います。残念ながら本自体はどなたかに貸して現在は所有していませんが、この小説の内容ははっきりと頭にあり、今でも時々思い出して考える事があります。人種差別・宗教など微妙な問題があり、アニメ化は難しいのかも知れませんが、これなどは是非ともアニメにして欲しいものです。

江戸時代と現代をタイムスリップするというテーマのものも幾つかあります。こちらはタイムマシンではなく、何かの原因で時空を飛び越えてしまうというもので、気に入っているものでは石川英輔さんの「大江戸神仙記」そして半村良さんの「およね平吉時穴の道行き」があります。石川さんの小説は現代の人が江戸を訪問した時にどのように見えるのか、綿密な調査で当時の様子をリアルに描いています。江戸の町の描写はなかなかのものです。そして半村さんの「およね平吉時穴の道行き」は筋立てはすばらしく、途中まではすばらしいのですが、後半腰砕けという感じです。ストーリーの展開までで止めてしまったという印象があります。主人公が交通事故で死んでしまっておしまい、というのが原作ですが後半の展開を充実させればすばらしい作品になるのではないかと思っています。これを原作にして後半と付け加えれば面白いドラマが出来ると思っています。

このように考えますと小説のタイムマシンは時代に干渉して歴史を変えるというだけではなく。どの時代の文化や歴史そのものを考えるツールになっているように見えます。タイムマシンの小説はパラドックスが生じて非常に難しいとは思いますが、今後も楽しい小説が出て来る事を期待しています。

そして映画でもタイムスリップやタイムマシンはよく取り上げられます。タイムスリップのものとして不思議な雰囲気があり、気にっているのが韓国映画の「イルマーレ」です。海に面している一軒家に住んでいる女性が同じ家に昔住んでいた人と何故か手紙のやり取りが出来るようになり、恋してしまう、青年の方はその女性の傍を通るがまだ彼を全く知らないので通り過ぎてしまう・・何となく不思議で今までのパターンにない映画です。そして最高傑作と思うのが「バック・トゥー・ザ・フューチャー」です。3部作のこの映画、色々な仕掛けがあって非常に面白い、1955年に戻るという話なのですが、複雑に絡み合い見応えがあります。タイムパラドックスや疑問点を挙げればきりがありませんが、楽しめる作品です。現在第四部を制作する事が検討されているようですが、是非実現して欲しいものですね。



(バック・トゥ・ザ・フューチャー) 



54・宇宙の大きさ(2006年12月07日)
まず、銀河とアンドロメダについて考えてみましょう。我々の銀河天の川銀河とも呼ばれているこの銀河の隣にあるのがアンドロメダ大星雲と呼ばれる銀河です。直径は我が銀河の2倍もあるそうで、この二つの銀河は非常に近く220万光年の距離に在り、30億年後には両者は合体すると天文学では言われています。「フーン」という感じですね。一光年というのは9兆4600億キロメートル要するに約10兆キロ、メートルで表示しますと1京メートルという事になります。1X10の16乗メートルという事になります。220万光年という事は2.2X10の6乗で要するに銀河系と隣のアンドロメダ銀河までの距離は2.2X10の22乗メートルという事になります。これではまだよく分かりませんね。何でも両方の銀河は秒速300キロというすさまじいスピードで接近していて、30億年後には衝突して一体化するのだそうです。

1京分の1の縮尺を用いますと1メートルが1光年となり分かり易い、220万光年すなわち220万メートル2200キロ先となります。これが直ぐ近くの隣の銀河なのだそうですから想像を絶します。この宇宙には天の川銀河やアンドロメダのような銀河が2000億程存在するのだそうです。一体この宇宙はどうして出来たのか、どのような力が作用して出来たのかと考え込んでしまいます。神が創ったと考える、もしくはこの宇宙を作った力を神と呼ぶのが妥当ではないかと考えてしまいます。

よく大気圏外に行った時に「宇宙」と呼びます。無重力状態の中、宇宙空間で作業をしている姿を見ますと遠い壮大な宇宙に人類が進出したような印象を抱きます。遥かかなたの火星や木星に探査機を飛ばすと宇宙の果ての探検のように感じます。さてこれがどの程度のものなのか考えてみます。太陽と地球の距離はおよそ1.5X10の11乗メートルです。上記の1京分の1縮尺では0.015ミリメートル、15ミクロンとなります。アンドロメダまで2200キロという縮尺で太陽と地球との距離は僅か15ミクロン、自分達の小ささが嫌になり、大気圏に出たくらいで「宇宙」と呼ぶのはちょっと恥ずかしくなりますね。



53・対話重視、友好親善そして国益(2006年12月06日)

日本の新聞などを眺めていますと何か国際的な問題が出てきますと「対話重視」という単語が出て来ます。アンケートなどでも「対話を重視」「まず話し合いで解決」という選択肢が出て来て多くの人が賛同します。外国との交渉で世界中大事なのは対話であり、話し合いで解決出来る事は全て解決している訳です。話し合いでは解決が付かない時にどうするのか、そこが問題なのだと思います。外交の場では当然両国の利害が対立する場面があり、片方の立場から見ると当然と思うことが相手にも同じとは限らないという事がしばしばあります。韓国は朝鮮に対して対話を重視し、出来る限りの支援をする事で朝鮮の経済を改善しようと努めています。韓国の立場からしますと同じ民族であり、全く見返り無しの支援をする事については朝鮮は喜んで受けると考えているようですが、朝鮮側からしますと経済の改革は政治的には不安定要因であり、政府にとっては必ずしも喜ばしい事では無いので、最近特に韓国の想定外の行動をする事が多くなっています。一方的な対話では問題は解決しない良い例であると思います。

最近いじめの問題が大きな社会問題になっていますが、いじめが起き易い学級というのは馴れ合い型の学級なのだそうです。言い換えれば「自主性を重んじる」一見耳に心地良く聞えますがこれが問題なのだそうです。聞いた感じが良く、良さそうに感じる事が実際には問題がある例です。生徒との馴れ合いでクラス全体で特定の生徒にストレスのはけ口が向かう事があるというのです。内容をよく吟味せずに安易に答えを出す事は非常に危ないと思うのです。「対話を重視、友好親善から」などという言葉があると「制裁」などという厳しい言葉よりは受けが良いので何となく良いように感じるかも知れませんが、実際には国益を損ねている事が多いのではないでしょうか?外国との関係は緊張感あるものです。一方的に相手に屈して友好親善だけを唱えると相手になめられるだけであると思います。その場合には相手は向こうに弱みがあるので屈している、これならば何でも要求出来ると解釈するのが外交の場であると思うのです。クリントン時代に米国は無節操に朝鮮との対話を行い。妥協案を呑んだので、朝鮮はその後は無理難題を出して相手が最後は屈するのを待つようになっています。日本のマスコミの一部などでは近隣諸国に対してはただひたすら懺悔を繰り返すべきであると主張するものもあるようですが、この場合には多分要求がエスカレートし、馬鹿にされ、感謝される事はまずなく、余計に悪者にされてしまう可能性すらあると思います。

友好親善というのは両国の間で良い意味での緊張感があり、それぞれの国益に合致し、利害の一致があって初めて実現するものだと思うのです。一方的に屈して相手の言い分だけを聞く事では本当の相互理解は決して生まれないと思います。国家というものは話し合いで解決しない時には常に次の手段を用意しておく必要があると思います。自分の論理が通用しない時には国益を重視し「制裁」する事は当然の事でしょう。



52・ホームページは「朝日新聞」(2006年12月02日)

日本語で普通にホームページと言いますとウェッブサイトの事を示すようです。本来の意味は文字の通りで「頭のページ」の事のようです。パソコンを立ち上げ、インターネットを開く時のページもホームページと呼ぶようです。一番見るページ毎日確認するページを置くのが一般的であるようです。これを何にするかは本人の自由でしょう。農業などをされている方であれば天気のサイト、金融関係で働いている方であれば株式市況や為替のページが使われる事でしょう。ただ多くの人はニュースのサイトを利用しているのでは無いでしょうか?最新の情報を得る為にはその中でも新聞が一番です。インターネットが普及する初期においては新聞社の中にはウェッブサイトに積極的で無い会社もありました。インターネットで出してしまうと新聞を購入しないと考えたからでしょう。その中で朝日新聞は当初から積極的にウェッブサイトに情報を提供していました。実際の新聞では売る為には紙に印刷して購入者に手渡す必要がありますが、インターネットであればこの必要はありません。一度更新すれば何人に対してもどこに対しても情報を提供出来ます。閲覧が多くなれば広告料金も得る事が出来、今ではほとんどの新聞社が競争でネット上で新聞を発行し、頻繁に更新されています。

朝日新聞は小さい時親しんでいました。両親はずっと朝日新聞であり、家に在り目にするのは朝日新聞でした。朝日新聞を読みながら育ったと言っても過言では無いでしょう。このような習慣から現在もウェッブサイトで見るのは真っ先に朝日新聞、ホームページは朝日新聞という事になっています。文章は解り易くバランスも良い、話題の取り上げ方も非常に上手であると思います。四コマ漫画も「サザエさん」「フジ三太郎」など他を圧倒して来ました。

それでも、どうしてここまで「朝日」にこだわっているのかよく考えて見ますと他の読売や産経を見ても余り面白いとは思わないからだと思います。他の新聞は比較的常識的であり、当たり前の事ばかり書いてあり刺激が少ないからでしょう。朝日新聞ですと「おっ、こう来たか」と思わず唸り、感心してしまう記事が多くとても楽しめます。例えば日本と朝鮮に関する記事に関しては一時期まで他の新聞は「日本」が主語になっていますが、朝日だけは「朝鮮」の方が主語になっていました。日本の立場では無く相手の立場に立って相手側の主張を中心に展開している記事が多いのが特徴であるようです。当方のように日本の立場で日本の国益を優先して物を考える人にとっては非常に参考になります。ただ、朝鮮の立場を重んじるのは朝日は本当は「ちょうにち新聞」読むのだという説もあるようです。なるほどと納得してしないそうになりますが、真偽の程は分かりません。

朝日新聞の応援サイトで「朝日新聞を購読しましょう」というのがあります。今までの記事を整理しているのは勿論、読売の世論調査の比較等、興味在るデータが沢山あります。リンクも多くあるようです。朝日新聞があるから情報にバリエーションがあり、新聞の比較も出来ると思っています。今後も朝日新聞に注目して行きたいと思います。

「朝日新聞を購読しましょう」



51・IP電話・インターネット電話(2006年12月03日)

電話が無くなるという事はかなり以前から囁かれている事です。インターネットの普及で音声を簡単に取り扱えるようになり、電話がインターネットの中に取り込まれるのは必然という意見からです。確かにインターネット電話は便利なものです。当方はスカイプなる当地ではまだ余りインターネットの質は良く無いのですがそれでも日本との交信が問題無く出来ます。日本語のサービスはライブドアがライブドア・スカイプというサイトでサービスを行なっています。今までの世界中でのダウンロード総数が4億を超えているそうで、今後も利用が拡大して行くのでしょう。

日本では普及が余り進んでいないように見えます。固定電話そして携帯電話が普及しており、全く不便を感じる事無く過ごす事が出来るからでしょう。余り目立ちませんが外国との連絡はどんどんとインターネット電話に置き換わっているものと推測します。

IP電話そしてインターネット電話事業に将来はあるのかと考えて見ますと「全く無い」というのが正直なところです。スカイプは原則無料であり、お金の取りようが無いからです。インターネットで直接お金を稼ぐのは難しいというのが常識になっています。無料でコンテンツを提供し、何か別の形で利益を得るというのがこの世界の一般的なビジネススタイルです。スカイプも無料で使い易く音声の状態も良いものを無料で提供しており、これに勝るものがあったとしても多くの人がお金を出すとは到底思えません。

近未来通信なる会社がIP電話事業で多額の資金を集めたという話ですが、これはよく理解出来ません。まずどうしてここまで問題が大きくなるまで放置されていたのか、監督官庁の総務省は対応をしなかったのか大きな疑問です。インターネットを利用している人であれば、この事業モデルが余り儲からないという事は直ぐに理解出来るはずです。年配の方が多く出資したとありますが、インターネットを使っていない人達が多くの資金をつぎ込んだのでしょう、余り知らない分野に多額のお金を費やす事は理解出来ません。

インターネットはこれからも進化して行くのでしょう。可能なコンテンツはより便利になり無料になって行くのでしょう。条件はあるでしょうが、インターネット自体が無料になる可能性があると思っています。ある条件を満たす人には「パソコン、インターネットを無料で提供します」という事が当たり前になる時代が来るのではないかと想像するこの頃です。



50・アルファベット(2006年11月23日)

アルファベットというのはABCの事で、ギリシア語の最初のα(アルファ)とβ(ベータ)から来ています。このパラグアイに長年住んでいて毎日スペイン語で生活していますが、正確にアルファベットを知らない事に気が付きました。あるスペイン人が電話で「僕のメールアドレスを言うから書き取って」と言われて、結構複雑なメールアドレスを当然の事ながらスペイン語のアルファベットで言うのですが、実は幾つかよく分かりませんでした。何故そうなるのか、と言いますと多言語不完全状態、要するに今まで沢山の欧州言語を少しづつ勉強し、どれもものになっていない状態で訳がわからなくなっているからです。

英語は中学入学時に始めました。これは多くの人が同じであると思います。そして大学に入ると第二外国語があり、ドイツ語を選択、ここで別のアルファベットの読みを勉強しました。そしで学生の時代にフランス語と簡単なイタリア語を勉強、ここでまた二つの別の読み方を知りました。社会人となり、ブラジルそして当地パラグアイに住み、ポルトガル語とスペイン語を実地に勉強しましたが、この6種類の読みが頭でごちゃごちゃになっているのです。それでは実務的にはどのようにしているのかと言いますと実は全て「英語読み」で過ごして来ているのです。何故そうするのかと言いますと「エー」とか「カー」などは言語によって別の文字の名称になっているのです。「ケー」が「カー」になり、「クー」になり、他の言語では「キュー」が「クー」でまた別の言語では「ケー」であったり、と非常に紛らわしいのです。Wも英語のように「二つのU」というものあれば、「Uが二つ」もしくは「二つのV」という言語もあります。UだったのかVだったのか正直分からなくなります。「エー」がある言語では「アー」であり、「アイ」が「イー」になり、「イー」が「エー」になりと大混乱です。「イー」「エー」「ケー」が英語ではEAKですが、他の言語ではIAQになります。「ジェー」「ジー」なども他の文字を示す場合があります。6ヶ国の言語の読みが頭の中で交錯し訳が分からない状態になっているのです。

そして結論は最初に勉強した「英語」で通す事です。多言語中途半端ではこれが最良の方法だと思っているのです。



49・日本に住む(2006年09月01日)

当地に引っ越して来て以来、日本からの旅行者などによく聞かれる質問があります。「日本が恋しくなりますか?」「よく移住する事を覚悟しましたね」「永住するのですか?」などです。実はこのような質問をされますと答えに窮します。パラグアイに来てもうかなり長い時間が経過しましたが、実際に思い返してみて、パラグアイに来る時に「かなりの覚悟などしていませんし、何時まで住むか等最初から分かるわけは無い」と考えていましたし、単なる引越しと考えていました。当地に来た当初今まで住んでいた家を「東京の家」と表現したところ、先輩移住者に驚かれました。何でもそれ以前の考え方としては移住する時に全てを捨てて来る感覚のようで、日本が同時進行しているように考えている当方の言い方が奇異に感じたようです。時代は変化して、インターネットの時代、そして衛星テレビ、電話もインターネット電話であるスカイプ全盛の時代になりました。NHKは24時間放送していますし、スカイプのお陰で日本との交信に関しても特別に料金が要らない時代になりました。定額のインターネット料金を支払えば使い放題、これは便利です。

このような状態の中で「日本に住んでいる」というのはどのような状況なのか改めて考えてみました。日本に住んでいると実感するのは「行きたい場所に行く」「友人・知人と会う」「情報を得る」くらいでしょうか?この内の「行きたい場所に行く」は当地に住んでいると無理です。残りの二つについて考えてみますと、昨日学生時代の友人から電話がありました。何でも広島に住んでいる同期の仲間が訪ねて来たので懐かしい仲間が久しぶりに集まって飲み会をしたとの事です。もう何年も会っていないのでしょう。日本国内に住んでいるから友人・知人と頻繁に会っているとは限らないようです。インターネットを通じて当方も知人・友人と自由に交信出来ますのでこれは問題無いと思います。そして「情報を得る」に関してですが、日本に住んでいた時に主な情報源となっていたのは新聞とテレビです。現在当地に住んでいてもこの二つの情報源はリアルタイムで接する事が出来ます。好きなプロ野球に関しては日本に住んでいる人よりも詳しいかも知れません。

このような状況に居ますと「日本に住んでいない」と余り考えていません。勿論パラグアイに居ますので日本は遠い国なのですが、昔と比べますと状況は全く異なっていると思います。物理的には外国に居住し、精神的には両属する事が可能な時代になったと言えると思います。これも技術革新のお陰であると感謝します。色々な形で外国に引っ越す人が増えているようですが、世界の人のネットワークは一段と広がって行き、国境の壁がまた一段と低くなると想像します。数十年前に描いていたような世界から紛争が消え、一つの社会として機能するようなバラ色の未来が本当に到来する可能性があると思っているこの頃です。



48・地図を見て(2006年08月28日)

会社の壁などに地図を貼っているのをよく見かけます。世界共通なのでしょうが、世界地図よりは自国の地図である場合が多いようです。学校で目にするのも大体が自国の地図です。小さい時から無意識に自国の地理を頭に入れる効果があるのですが、時としては隣の国でも全く違う意識を生む場合がある事に注意しなければならないと思っています。

日本は列島になっていて全国が右上から左下に斜めに描かれていて、北方領土と沖縄・南西諸島そして小笠原諸島は別に描かれる場合が多いようです。日本人の意識はこの地図がベースになっていると思います。他国への距離感も無く単独で日本が存在しそしてその他の世界が広がっている、要するに世界は日本と外国の二つに分かれているという意識です。これに対して中国の地図を見ますと四角の地図に中国全体が描かれます。右の方を見ますと朝鮮半島、日本列島が完全に描かれています。この地図を見ていますと日本に対しては堂々たる中国大陸の端にあるおまけのような国というようなイメージになると思います。普通の地図では自国は色彩が施されて綺麗になっていますが、外国は白などで描かれている場合が多いので更に印象は弱いものになります。日本等は対等の存在とは考えないようになると思います。

南米でも同様です。パラグアイの人は自国が堂々と中央に大きく描かれて、周囲にブラジル、アルゼンチン、ボリビアが在り自国が南米の中心に位置している国家という認識なのでしょうが、中国と大体同じ大きさのブラジルの地図を見ますとパラグアイ全体が端の方に小さくモノトーンの灰色か何かで貧弱に描かれている。パラグアイの大きさは日本と比較して若干大きい程度で同じ位ですのでまさに中国と日本と同じようなイメージになります。ブラジルの地図を毎日眺めている一般のブラジル人にとってパラグアイは自国の付属品と考えても仕方が無いのかも知れません。中国と日本そしてブラジルとパラグアイの国民の相手国への認識の差異というのは相似しているのかも知れませんね。隣国の地図を買い込み眺めていると自国に対して別のイメージが浮かんで来るのは不思議なものです。自国だけでは無く隣国そして周辺諸国の地図を買い込みそこから世界を論じる事により真の国際感覚、隣国との協調が生まれるのではないかと考えるこの頃です。



47・20世紀(2006年08月18日)

20世紀が次第に遠く過去の事となって来ています。2000年問題なるもので世界が大騒ぎをしながら20世紀は終わりました。100年間の区切りというのは一年の区切りと同じで人間が決めたものであり、当然の事ながら宗教や民族によって異なるものです。現在欧米そして南米、アジア等の多くの国で採用されている西暦はキリスト教がベースとなっており、従って世界全体で採用されているものではありません。それでも多くの国で使われているのでこの区切りが世界標準となっています。

20世紀は何の世紀であったのか、一言では表現出来ないでしょうが、敢えて言えば「戦争の世紀」であったと思います。国家連合同士の大戦争が二回あり、多くのエネルギーがそこに注がれました。個人的には「人口爆発」の世紀と考えています。1900年には推定で15億人であった人口は100年後には65億人となっています。戦争や紛争が多発した時代ですが人口は急増した事が最大の特徴であると思っています。

人類は全体で一つの見えない意思のようなものがあると考えています。個々それぞれの人間は自己の意思で行動していますが、それば全体では一つの大きなベクトルになっているのでは無いかと思うのです。人口を十分に増やして混ぜる事がそのベクトルの方向にあるように思うのです。数が少ないと特に大きな問題も生じる事無くその地域で安住していますが、急激に数が増えると引越しや戦争で人間が混じり合います。技術が発達し移動が簡単となり、結果的に大戦争が起きましたがこのような出来事が繰り返し起きてかなり混ぜる事に成功したと思います。 

混ぜる最大の目的は亜種を発生させるのを防ぐ狙いであると思うのです。類人猿から現世人類に進歩する過程で多くの亜種が発生し、滅亡した人類は20種類くらいあったと推定されています。世界に散った人類はそのままそれぞれ別々に交配を繰り返して行くと別の種となる恐れがあり、それを防ぐ為に起きたと思うのです。現在も進行していると見ています。特にここアメリカ大陸では人種が異なる結婚が多く、混ざっている現場という感じです。これから数世紀で人類は肌の色に差異が無くなるのでは無いかと考えるこの頃です。



46・ 南米でポピュリズムの台頭(2006年01月05日)

南米でこのところポピュリズムが台頭して来ています。これまでもアルゼンチンのペロンを始め何回もポピュリズムの波はありましたが、今回は左翼的な政策、貧困層を支持基盤にした政権が誕生しているのが特徴的です。ペルーでは藤森政権の後には先住民のトレドが大統領となり、ブラジルでは左翼の工場の工員上がりのルーラがそしてベネズエラではカストロと通じているチャベスがそして今回パラグアイの隣国ボリビアではコカ農民のモラレスが大統領に当選しました。カストロは早速当選したモラレス次期大統領に対して専用機を用意して国賓待遇でキューバに招待しました。チャベスもベネズエラに招待し、貧困対策の無償援助、オイルと食料のバーター等を約束しました。米国と一線を画す方針を打ち出しています。

米国から南米を見ますと中米の下にうじゃうじゃとレベルの低い奴等がたむろしているという印象なのでしょう。南米の各国の特徴もそれぞれの国の間の距離感も歴史の違いの認識も無く全ての国が重なり合っているようにイメージして居ることでしょう。米国人にとってのスペイン語系の連中は下層階級、掃除夫かハンバーガー店の売り子、バスの運転手をしている連中というものでしょう。この世界の中で一番すばらしい麗しき米国に命を懸けてやって来たにもかかわらず低脳でかつ英語(イコール教養)もろくに出来ない厄介者という感じでしょうか?少なくともまともとは見られていないと思います。このようなイメージから米国は南米に対して指導者として振舞って来ました。基本的には「金は出さずに口を出すそして銃で脅す」という作戦です。

このような米国の政策にも波があります。民主党政権では民主化、人権が強調されて融和政策が取られてラテンアメリカに対してある程度譲歩する政策が取られて来ました。具体的にはカーター政権の際のパナマ運河返還です。当時のパナマトリーホス政権に2000年を前にして運河の主権をパナマに渡すというもので、米国の大きな利権を失う事になりました。共和党政権下ではまず考えられない判断です。

現在の米国共和党政権は今までと比較しても一段と強硬な路線を取っています。その国の事情を余り考慮せずに米国の論理で事を進めています。イラク問題等はその典型でしょう。南米に対してもその姿勢は変わらず自己のスタンダードを押し付けて来ています。中南米を米国を中心とする新自由主義の経済圏にしてグロバリゼーションという名前の米国基準で統一しようと図りました。これに対して南米では大きな反発が起きているのが現在の状況であると見ています、これは当然の成り行きでしょう。民主党政権の際には南米は常に政権の基盤が弱まり政治的に不安定になるのですが、今回は政治的に混乱しているのでは無く多くの国で左翼的大衆主義が支持されて路線が変化しているのです。

米国はプロテスタント精神から生まれたフロンティア精神を国是としている国です。神との契約と同時に横との契約も大切にする現代資本主義の国です。カトリックのラテン社会はイスラム社会と同様に存在感のある宗教の存在で精神的には安定し、神のご加護の元に民衆は生活しています。プロテスタント精神からは労働を行なう事が信仰の証という発想が出て来ますがカトリック社会ではそのような発想は生まれず先進国とはなりきれない部分がどうしても残ります。約束して果たせなくても「仕方がない、神のおぼしめし」と考えてしまうのだと思うのです。このような社会に米国流をそのまま押し付ける事に無理があると思います、これはイラクに対して行なっている事と同じように思うのです。特に現在の政権はその傾向が強いように感じます。

この1月22日にボリビアで新政権が誕生します。カストロ、チャベス、モラレスという軸が中南米に生まれます。ボリビアの隣国であり、南米の中心に位置するパラグアイがどのような影響を受けるか、どうしても大衆迎合的な政策が増えて来る事になると思います。今後予想されることとしては、米国はパラグアイを橋頭堡と考え軍事的な肩入れを強めて来る事でしょう。南米の政治は米国の政治と連動している面が大きいので今後の共和党政権の動きに注目しています。



(写真:ボリビア・モラレス大統領)



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