地球の反対側から日本を見て-08 (2007年)






地球の反対側から日本を見て-08 (2007年)




2007年の世界は不安材料を抱えながらも好景気の中にあります。ただ世界的な気温の上昇、東京では雪が降らないまま春を迎えました。このまま温暖化が進行するのでしょうか?日本の景気はどこまで続くのでしょうか?

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89・引き分け文化・日本(2007年09月30日)
日本から離れて暮らしていますと日本文化とは何か、日本らしさとは何かを考える事がよくあります。生花、茶道、武道そして食に関しても日本らしい物が多くあります。考え方としては新渡戸稲造の「武士道」などが有名ですが最近は日本人の中に「引き分け」を好む考え方が在る、これが色々な面に大きく影響していると見ています。日本人は何事でも引き分けにし、曖昧にして両者を混ぜて中間色にしてしまうのが特色という訳です。一番端的な例はプロ野球です。米大リーグでは引き分け等ありません。とにかく決着が着くまで戦います。何かの事情があると「何回・何アウトから」という形で別の日に試合を行ないます。試合は勝敗を付けるものであるという思想が根底にあるのだと思います。これに対して日本では引き分けがあります。各チーム年間数試合はあり、これが微妙に優勝に影響する事もあります。時間切れで引き分けになるのは当然と考えています。

国内の戦争で有名で人気があるのが「川中島の合戦」です。武田信玄と上杉謙信が何回も同じ場所で戦い最後まで決着が付かなかったのですが、この戦いに関しては今でも根強いファンが居ます。しかしながら双方とも中央から離れた場所で死闘を繰り広げるという愚を犯したのでこの戦いに固執して年齢が高くなり最後には天下を取る事が出来なくなってしまう。このような田舎で戦争をしていた事は結果的には余り賢いとは言えないと思います。確かにそれなりの事情があるのでしょうが、武田も早目に西を目指して行くべきであったのでしょう。外国に人にとってはこのような戦争を評価する考え方は理解出来ないと思います。戦争を模して作られている「将棋」にもこの思想が入り込んで世界各地に在る将棋の中で唯一相手の駒を自軍の勢力として利用出来るルールになっています。決着を付けない、要するに敵は殺して廃するのでは無く再利用するというのがいかにも日本的であると思います。

思想の面でも神仏合体というものがあります。外来の仏教が入って来て一般の人に理解出来ないとなるとそれまで一般に最も信仰されたいた神様と仏教の神を一緒にしてしまう、というのがありますが、本地垂迹要するに八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考えで、伝統の神道かそれとも外国から入った仏教かの選択を迫られた当時の日本人の出した答えであった訳です。「南無八幡大菩薩」とはそれまであった八幡神は菩薩であるというものです。仏教はその後も日本では変化を遂げて本来は修行を通じて煩悩を取り除き悟りを得るというものであったのが、天台の思想では信じれば救われるという事になり、非常に日本的なものになって行きます。他の国と比較してキリスト教が余り信者を増やす事が出来なかったのは仏教と比較して聖典宗教の為に曖昧さが少なかったからだと思いますし、イスラム教はもっと日本に入り込むのは難しいと思います。

日本は外交が余り上手では無いとよく言われますがこの引き分け思想が大きく影響しているのでは無いかと思っています。「全方位外交」などという世界の誰とも仲良くしましょうというのが日本の基本姿勢のようですが、これは正直無理であると思います。例えばパレスチナの地を巡って二千年間の争いをしているアラブとユダヤですが、敵の味方は敵であると思うことでしょう。白黒をはっきりされるのを避ける為の方便として出ているのがこの「全方位外交」と思います。日本人は外国音痴で日本的な発想で国際問題を判断し、誤った結論を出す事がよくありますが、自分のこの特徴をよく理解して臨めばもっと適切に対処出来るものと思います。



88・日本の物価(2007年10月28日)
日本の物価に異変が起きているようです。かなり長い期間日本はデフレ傾向にあり、物の値段が変わっていなかったのですが、ここに来て食料品、燃料などを中心に物価が上がっているそうです。イラク情勢などの為に世界的に燃料が高騰し全ての物価に影響が出ているようです。化石燃料が上がっているので本来は食料であるトウモロコシなどを燃料として使用するのでトウモロコシは勿論、小麦などの他の穀物も値段が上昇しているようです。燃料、食料という物の値段の基幹となるものが上がれば当然全ての物価に影響を及ぼし物価が上昇するのは当たり前に思います。ただ日本の物価指数の中にテレビなどの電化製品が入っているそうで、大きく値段が下がっているのでこれが物価指数全体の上昇を抑えているそうです。

日本はもう長い間「物価上昇」を経験していません。1973年、石油危機が起きて一年間に卸売物価が30%近く上昇し、「狂乱物価」と呼ばれた時代がありました。その後はバブルなどもあり、物価が上昇しても社会問題になるような事は全くありませんでした。要するに日本人は二十数年間に渡り物価問題を意識せずに来た事になります。要するに四十代以下の世代はインフレを知らないという事になります。五十代であっても当時は学生か駆け出しで余り影響は無かったでしょうから日本人の大半がインフレを知らないで居るという事になります。終戦後の政府は政策の最大重点課題にインフレの抑制に置き、この狂乱物価を抑え込む事でほぼ鎮圧しそれ以降はインフレが社会問題になる事はありませんでした。インフレがどのくらい社会に悪影響を及ぼすのか知らない人ばかりになっています。

1988年にブラジルに転勤した時に当時ブラジルでは月に30%というハイパーインフレが起きていました。一日1%の変化というのはものすごいもので、当時はレストランに入った時には「急いで食べろ値段が変わらない内に」という冗談が本当の話に聞えてものです。ドル表示の他に「公定物価指数」というものがあり、通貨の他に値段があるという状況で現金を所持しているとどんどんと目減りするので大変でした。ある程度所得がある人はドルへの換金、運用などの方法がありましたが、低所得層は金を貰うと直ぐに物に換える、要するに現金を全て使うので、給料前になると金も買った物も無くなり困窮する人が多く居ました。色々な面で社会はすさみ、社会不安は増大し、治安も急速に悪くなって行きました。ブラジルは全ての預金を凍結し、「公定物価指数」を通貨にするという荒療治を行いインフレを力でねじ伏せましたが、その結果の悪影響は現在まで残り、国民は政府を信用しない、通貨を信用しない状況となっています。このようにインフレの怖さを自分で体験しているのでインフレを心配しているのですが、日本の大多数の人はまだ無頓着のようです。

さて、日本でこれから近い内に狂乱的なインフレが起きるのでしょうか?当方の予想はイエスです。日本の物価はほとんど変化せずに来ています。バブルの時代にフランスに行くと何でも安く感じて高級料理店で食事を摂り、ブランド品を持てるだけ買っていました。現在はユーロでの物価が非常に高くなり到底このような行動は出来ない状況になっています。現地の人達、ユーロで給与をもらってユーロで生活している人にとっては大きな変化は無いはずで、円の価値が下がっているという事になります。ユーロではゆるやかに物価が上昇している、これに対して日本すなわち円の物価はほとんど変化していない、その上に円とユーロの為替が円安ユーロ高に推移し両者の合算でユーロ圏に行くと日本人は何でも高く感じる事になっているようです。英国ポンドもユーロ同様でロンドンの地下鉄が日本円で900円と驚くような値段になっています。当地パラグアイは物価が安い事で有名ですが、現在日本円に換算しても驚くような安さでは無くなっています。食事の値段を円で換算すると5,6年前の2倍くらいになります。例えばある定食が当時13,000グアラニでした。換算すると200円程度でした。現在は20,000グアラニで円に換算すると500円です。要するに世界の中で日本の物価は現在では相対的に安くなっているのです。かなりの長期間、財政的な理由で金利を抑制し、その結果物価も抑制して来たのでしょう。一旦物価が上昇を始めると金利も上がり色々な面で大きな影響が出て来る事でしょうね。



87・日本の財政難(2007年09月10日)
日本の財政難に関してはここで何回も取り上げて来ています。日本の国家財政に関して現在の状況は本当に深刻な状況であり、このまま進むと財政が破綻するのは不可避と思われます。ここ数年、日本国内におきましても「破綻本」なるジャンルがあり、書店には多くの破綻関係の本が並んでいるそうですが、最近は一時のブーム程では無いようです。ウェッブサイトの中でも破綻を取り扱っていたサイトが目立たなくなっています。慣れて来たのか麻痺して来たのか何となく危機感が薄れて来ているように見えます。当方も最初の頃は大きな問題で日本が大混乱になるのは必須というような書き方をしており、家計に例えて約800万円程度の支出の家庭で借金が一億円もある、その上に毎年400万円も借金を増やしているというような書き方をしました。客観的に見て非常に厳しい状況ではありますが、最近は居直り、財政破綻は恐れる事は無い、むしろ今の内にインフラ整備をもっと進めても良いのではないかとまで書いています。

よく日本国内の議論で外国の援助に関して批判的な意見を目にします。外国にODAで資金を供与するくらいであれば日本の財政建て直しに使うべきであり、そのように他国に貸すか余裕などは無いというような議論です。これに関しては「予算」という概念が欠けているように思うのです。国家は最初に予算を立ててその範囲内で一年間活動します。ODA予算を使う場合には税金であっても借金であっても日本人のお金なのですから、日本の国益に合った使い方をするべきであると思っています。例えば当地パラグアイのダムに融資するかどうかを議論するのはこの予算をどのように振り向けるかという話であって当地のダムか国内の財政再建の資金か二者択一という事ではありえません。当地のダムのプロジェクトが無くなればその資金が他のプロジェクト、例えばアフリカの貧困対策に廻るだけです。アフリカは欧州が簒奪をして来た長い歴史があります。今頃になってその尻拭いを日本に押し付けて来ているのです。同じアフリカに資金を出すにしてもアンゴラのように戦火が収まり豊富な地下資源が在る国に対して楔を打ち込むというのであれば理解出来ますがそのようなものは少ないようで、もたもたしている間に商売の面では完全に出遅れており中韓に大きく遅れを取っています。要するに尻拭いの慈善事業だけが日本に廻って来て欧米中韓に利用されているのが実情に見えます。それでも貿易立国としてある程度の繁栄を謳歌している日本は国際的に他の国を支援する義務を背負わされ、ODA支出が必要なので予算化されているのです。外交の場は熾烈な戦いの場所であり、水面下での激しく権益の取り合い国益のぶつかり合い、その上で「友好親善」の名の元で首脳同士が握手している事をよく理解しておくべきであると思います。

世界の中でほとんどの国では財政難になっています。ケインズの経済学が出て以来、不況となれば財政支出をするようになり、必然的に財政は悪化します。自由な経済を目指し、小さい政府にして、「見えざる手」に頼ると貧困が問題となり多数決を基本とする現代の民主主義ではこの声を無視出来ず、どうしても財政は悪化するのでしょう。これだけ悪化しても日本ではさほど大きな変化は起きていません。石油がこれだけ高騰していてもむしろ景気は上向きであり、国民もそこそこの生活をしています。どのように政策を変更しても借金の額は返済可能な水準を超えており、地道な方法でこの借金を返済するのは無理なのが現実であり、そうなのであれば、このままで良いのではないかと思ってしまいます。例え国家の財政が破綻する事態になっても国家が破綻する訳ではありません。経済が大混乱し、超インフレが起きて多数の企業が倒産し、公務員が大量に解雇され、失業者が溢れ、年金が全部消えるくらい事で済むでしょう。人的、物的な損失が無い訳で、そこから日本を立て直すくらい、太平洋戦争の終戦の廃墟から僅かの期間で立て直した事を考えるとずっと容易い事ではないかと考えるこの頃です。所詮「お金」は人間が考えたフィクションであり、一日の長さのように固有に存在している事とは異なります。フィクションの中身、ルールは変えれば良いのかも知れませんね。



86・高校野球・佐賀北優勝(2007年09月10日)
昨年のハンカチ王子から一年、今年の高校野球も漫画のような結末となりました。県予選で一昨年、昨年と2年連続初戦敗退のごく普通の県立高校チームが甲子園を目指し、出場を果たします。主力の3年生にとっては夏の大会に関しては、この年の予選初戦の勝ちが学校生活初の初勝利という訳です。初出場であれば多少は話題になるのでしょうが、過去に一度出場しており、それほど大きな話題にはなりませんでした。その一回の出場を調べてみますと初戦で強豪の横浜高校と対戦して初回に先取点の1点を取ったものの結果は12-1の大敗、惨めな戦いでした。今回の出場に当たり高校関係者の皆さんの願いは当然ですが初戦勝利、甲子園で校歌を聴きたいというものでした。実績から見ますと一つ勝つのも大変であるように見えます。

対戦相手を決める抽選では開幕戦を引き当てました。要するに開会式直後の試合であり、もしここで負ければ開会して直ぐに帰郷という事になります。そして、相手は甲子園常連の福井商、多分応援に来ていた多くの人は勝つ可能性は半々以下、正直負けるのではないかと思っていた事でしょう。この試合、安打は相手チームよりも少なかったのですが、良く守り、効率良く得点を挙げて逃げ切り勝利しました。2回戦は引き分け再試合、そして3回戦だけは楽勝したのですが、ベスト8の対戦相手は優勝候補、洗練された強さを誇る帝京でした。試合前の話では、これだけの強豪に勝つ事が出来れば有名になれると選手達は逆に張り切り、互角に戦い、壮絶な戦いを繰り広げ最後はサヨナラ勝ちします。野球の面白さを存分に出した戦いでした。準決勝は隣県の長崎日大、これは比較的楽に勝利しました。決勝まで6試合も戦い決して強さを感じないのですが、堅実な守りで勝ち抜いて来ました。ファインプレーというよりは冷静で落ち着いたプレーの積み重ねで勝ち上がって来ました。

そして決勝戦の相手は広島の私立の名門である広陵、準決勝では春の優勝高である常葉菊川を一点差で破っての決勝進出、実力から見ますと大方の予想は広陵有利でした。決勝戦はよく守る佐賀北に対して広陵は小刻みに得点を挙げて行きます。この試合13残塁で分かるように後どこかでヒット1本が出ていれば大量得点が入るケースが何回もありました。対する佐賀北はほとんど完璧に抑え込まれており、8回の時点で4-0でしたが、ワンサイドゲームに近い点差以上のゲーム内容でした、実際には何とか凌いで失点を4点に抑えていたというのが実情でしょう。

8回裏の佐賀北の攻撃も1アウト、4回から三者凡退を繰り返し、全くランナーが出ない状況が長く続いており、後アウト5つで試合は終了という状況、打順は下位打線の8番、甲子園でまだヒットが出ていない投手の久保、敗色濃厚となり奇跡的に勝ち上がって来た佐賀北もさすがに内心では正直諦めかけていたと思います。ここでヒットが出て続く9番には代打を送り連続ヒット初めての連打で1,2塁となりました。4点差があり、まだこの時点では広陵にも余裕があったように見えます。ただ佐賀北は凡退を繰り返してはいましたが、相手の野村投手には多くの球を投げさせており、ここまでで球数が120球くらいになっていました。籤運や再試合で佐賀北はここまで6試合を戦っていましたが、前々日は試合が無く、準決勝は楽な戦いをし、かつ先発投手が頑張りリリーフ役のエースの久保には余り負担が掛からない試合でした。対する広陵は前日、常葉菊川と1点差の試合を戦い3日連続の試合で疲れがピークに達していたのかも知れません。

エース野村の投球もボールとストライクがはっきりとして来ました。打順はトップに戻りフルカウントから粘って四球で満塁とし、そして2番打者もとにかくじっくりと見て1-3となり、5球目の低めの真ん中の球をボールに判定され押し出しとなりました。試合後に広陵の監督が強行に抗議した判定です。これで野村投手は冷静さを失い、かつ連投からの疲れも溜まっていたのだと思います。佐賀北の3番副島選手の3球目は何度もテレビに出て来るシーンでお馴染みですが、このたった1本の長打ホームランで逆転となりました。この打席も初球はストライクを取ったのですが、2球目は打者に当たりそうなるとんでも無いボール、これ以上押し出しで点を与えてはならないという心理が働き3球目は甘いボールが行ったのでしょう。ただ、打った瞬間ホームランかという良い当たりでこれは打者を褒めるべきでしょう。このような場面で打てるのは大したものです。

8回を終わった時点で5-4と逆にリードされて勝利を確信していた広陵は呆然としたまま、気持ちの整理がつかないまま九回の攻撃となります。それでもさすがに広陵、先頭打者がヒットで出塁します。同点更には逆転も可能な情勢で、ベンチ応援団は盛り上がりました。次の打者の時に相手の三塁手が猛然とダッシュして来るのを見て広陵はヒットエンドランを試みますが、バッテリーは徹底した外角勝負、打者はサードが目に入り引っ張る意識が強いバッターはファウルします。ここは外角を想定して右打ちを狙えば展開が違っていたように思います。そして次の球を一塁線に上手にバントを転がしました。一塁手は落ち着いて走ってくる打者走者にタッチして1アウト、1アウト2塁であれば一打で同点となります。一塁手は打者走者にタッチしているので、グラウンドに背を向ける形となり、更に前進していた三塁手はベースに戻っておらず、三塁ががら空きとなっていました。好スタートを切っていた一塁走者は迷わず三塁を突きます。三塁手はホームランを打った副島選手、急いでベースに戻り、一塁手は落ち着いて好送球をします。このような場面では慌てるものであり、プロでもよく暴投となりますし、なかなか良い球を投げるのは難しいものです。タイミング的にも普通はセーフとなりそうであり、好走塁と言って良いと思います。結果はタッチアウト、どちらにコールされてもおかしくない様な微妙なタイミングでした。(実際セーフのように見えます)この1プレーで勝利が確定したように思います。これで2アウトランナー無しとなり最後のバッターとなった野村投手はあっけなく三振して勝負が決まりました。

この佐賀北が勝って来たのはこのような緊張が続く試合の中でも落ち着いていたからなのでしょう。漫画のような筋書きの優勝、お釣無しの逆転満塁ホームランが目立ちますが9回表の沈着なプレーが光っていました。負けた広陵の選手は負けた気がしない何となく騙された悪夢を見ているような負け方であったと思います。悔しい思いはずっと残るでしょうが、準優勝なのですから胸を張って欲しいものですね。筋書きの無いドラマと言われる野球の面白さを十分に出した試合であったと思います。半分プロみたいな私立の野球高校が多い中での普通の高校の勝利、昔の良き時代の高校野球の復活という印象を持ちました。試合後のインタビューで選手が「甲子園全体が自分たちを応援してくれたと感じた」とコメントしていましたが、審判を含めて球場全体を味方に付けたのは確かで、ファンが望んでいるようなチームであったのでしょう。

そして勝利の大きな要因として挙げられるのは四死球の多さでしょう。2ストライクとなってもファールで粘りボールを見極めて出塁する事を心掛けていました。多くの試合で相手よりヒットが少なくて勝利するので、「奇跡」と称されていましたが、ヒットの少なさを四死球でカバーしていました。塁に出るのはどちらも同じ、ホームに戻れば同じ1点です。この作戦が最後の最後に開花したように思います。8回の攻撃もホームランとシングルヒット2本合計ヒット3本で5点を取りました。プロでも例えば巨人は全員4番のような打線を組み他を圧倒してメンバーでシーズンに臨みましたが、阪神、中日に食い下がられ終盤に入っても抜け出せません。データを見ますと四死球が少ないのです。例えば小笠原選手は日本ハムに居た昨年は多くの四死球で出塁していましたが、今年は激減しています。打率、ホームラン等はそこそこの成績を上げていますが、これでは得点能力が落ちてしまいます。盗塁やヒットエンドランを多用する事で得点力をアップしようとしていますが、あれだけの重量打線であればとにかく塁上に出せば点は入り勝つ事出来るはずです。

13年前の佐賀商業の優勝と比較される事が多いのですが、個人的には1965年の三池工業の優勝に似ているように見えます。三池工業高校が在る大牟田市までは佐賀市からは34キロと近くチームのスタイルもかなり似ているように感じました。当時、三池工業にとっては甲子園は遥かな存在、夢の舞台であり、強豪ひしめく福岡県の予選を突破するのはなかなか大変でした。この65年、エースが予選途中で不在となり補欠の背番号10の上田投手が代役を務める状況となりますが予選を勝ち抜き、決勝の飯塚商業に勝利して悲願の甲子園初出場を成し遂げます。当時石炭の街、三池(大牟田市)はエネルギー革命の影響で衰退しており、明るいニュースとして大きく取り上げられました。ただ実力的にはまだまだで初戦突破も難しいと見られてました。初戦の相手は古豪の高松商業、これに延長戦の末に競り勝ちここから波に乗り奇跡的に勝ち上げリ優勝します。普通の高校生達の勝利という面も今回と似ています。当時の監督は原貢さん、この優勝で一躍有名となり東海大相模高校に引き抜かれ、当時小学生であった息子も一緒に付いて行きます。これが現在の巨人軍・原辰徳監督という訳ですね。



85・日本売り(2007年06月10日)
今年も企業の決算は大企業を中心に非常に良いようで日本経済の好調さが伝えられています。バブル期を彷彿とさせる報道に日本企業、日本経済の強靭さを感じます。併せて新卒者の就職も非常に好調のようで大手企業の間で争奪戦となっています。ただその内容となりますといささか心配になるのも事実です。一番の要因は円安にあります。現在世界では米ドルが一方的に売られていて、ユーロに対して記録的な安値を付けていますが、ユーロだけでは無く、世界の多くの通貨に対して安くなっています。米中間の懸案事項として何時も取り上げられているのが、中国・人民元の切り上げ問題です。米ドルに対してもっと速いペースで元を切り上げるべきであるという議論、要するに元高米ドル安を促進しなければならないという事です。

また南米でもドルに対して通貨が切り上がっています。ブラジル・レアルは常に米ドルに対して強く、当地パラグアイ・グアラニでさえ数年前の最安値では1ドルが7000グアラニを超えていたものが、最近では5000グアラニの水準まで切り上がっています。ドルに対して自国通貨が長期間切り上げ傾向になる経験が無いパラグアイ国民は非常に戸惑っています。中央銀行が米ドルを買い支え、何とか5千程度に抑えているのが現状で、巷には4千に水準まで更に一層の米ドル安になるのではないかと考える人まで居ます。この為にドルを買う人は少なく余計に下がる圧力となっています。このドルが下がる傾向を示している数年間、グアラニ建てで見ても物価は着実に値上がりしています。生活実感から約20%程度の物価上昇があったと思います。これを米ドル建てで考えますと5割程度の値上がりという事になります。円で考えますと更に大きな変動となります。3年くらい前に食べていた定食が当時円換算で250円、現在は同じものが500円という感じです。

この米ドルに対して日本の円は安くなっています。多くの説明を見ますとユーロの金利が上がり、円との金利差が大きくなり資金がユーロに向かっているとされています。確かにこれは正しいでしょうが、マクロの視点では日本売りが進行しているのではないかと心配しています。世界の大資本家達が意図的に日本円安を演出しているのではないかと疑っています。円安になりますと輸出産業の占める割合が大きい日本企業の決算は良くなりハッピーとなり、日本政府も政権維持に有利となります。一方では円の為替を引き下げるとただでさえ低い日本企業の時価総額を下げる事が出来ます。

グロバリゼーションの名目で次々に日本の法律をハゲタカに有利な方向に変更させて優良な企業を乗っ取る作戦に出ていると見ています。例えば先月施行された三角合併解禁のような形です。この法律を使って具体的にはインド人の経営するミタルが新日鉄を狙っています。新日鉄と言いますと明治の国営製鉄所から出発したトヨタと共に日本を代表する企業であり、製造業の根幹を為す鉄を担う企業です。これが株式の時価総額がどうたら、という話で株式の等価交換か何かの方法でミタルに買収される可能性があります、新日鉄は勿論、日本にとって良い事は何もありません。新日鉄が長年培ったノーハウが全て持ち出されてしまうだけでしょう。最近では成立してはいませんが、日本ビクター、ブルドックソースなど言う優良企業が狙われています。

円安を実現出来ますと当然外貨建での時価総額、特にこのケースのように欧州に本拠地が在る企業にとっては下げる効果があります。このままですと日本の優良企業は外国のものになるか、外国に出て行くかのいずれかの形で日本経済の空洞化が一気に進行する可能性があると心配しています。このまま進行しますと主要の製造業は日産のように外国企業所有の企業ばかりになると想像します。そうなりますと日本人が努力して開発した技術、そのエッセンスは全てそれぞれの本社へ持って行かれる事になるでしょう。経済大国・技術立国・日本の看板に危機が訪れるのではないかと危惧するこの頃です。日本から優良企業が無くなり、多額の財政赤字と老人ばかりという全国夕張化現象が現実に起きるのではないでしょうか?多額の財政赤字の返済と多くの老人の扶養にかかるコストは莫大なものとなるでしょう。これを税金に転化しますとコストの上昇となり、多くの製造業は生産拠点を国外に移す事になるというシナリオです。日本の将来の姿を真剣に検討するべき時のように思います。



84・年金問題(2007年06月05日)
ここに来て年金問題が大きくクローズアップされて来ています。何でも5千万件の年金記録が誰のものか分からなくなっているそうで、更に数日後には1千4百万件も追加になりました、これは全く入力もされていないのだそうです。これだけ大量の情報が今ここに来て急に不明になったとは考えられません。関係者の間では自明の事であり、先送りされて今ここで表沙汰になったものと推測します。日本人は政治の不備に余り怒らない国民です。例えば不正を繰り返し、嘘を並べて国会で追及されて最後は自殺した大臣へはもうこれで幕引きという感じです。韓国が竹島を占領しても、中国が自国の海域で石油を掘り出しても、米国が策を弄して利権を巧みに吸い取り、優良企業を乗っ取られても怒ることは無く、自分自身に余り関係が無い事には強い関心を示さないように見えます。

これに対して今回の年金問題は一人一人の懐に直結する大問題です。他人事には寛容な国民も自分自身の生活に直結する問題には強い関心を示しています。受け取る年金の額が月額1万円減るというような問題ですので、無関心ではいられません。政府は事の重要性をよく理解して何とか事態を鎮静しようと法案を国会に提出し、救済の方向を示しています。ただどう見ても焦りが見え、付け焼刃という印象があり、果たして効果があるのか、また本当に実施出来るのか疑問です。全面解決まで一年という期限を設けていますが、国民はこの期間が過ぎれば残りは「時効」として「解決済み」として処理されてしまうのかと疑心暗鬼になっています。ただグレーゾーンを認めるという処置を取りますと悪用する人達が大勢出て来るでしょう、裏の社会の人達はこれで何とか資金調達・・と考えるのは明らかです。裏の社会の方達も日本社会の一員ですので、年金の納付の義務、受け取りの権利があり、対応する必要があります。また詐欺などの横行も心配されます。公平さを保ちながら国民が納得出来る解決策を打ち出すのは至難と言えます。しかしながら、ここで国民に不信感を与えるとますます納付しない人が増えてしまう事は明らかです。そうなりますとただでさえ破綻が懸念されている年金システムが崩壊してしまう危険があります。

また社会保険庁のありかたが問題になっているようです。社会保険庁の人件費の他色々な経費が集められた年金資金から支出されているようです。潤沢な資金が入って来るのを自分のお金のように感じてしまっているように見えます。人件費やその他の経費などは税金から支出として、年金原資とは別枠に仕切るべきであったと思います。一度だけ社会保険庁の事務所に行った事がありますが、不思議な雰囲気のするオフィスでした。「30年前の郵便局」というような感じで化石的な印象がありました。競争も効率化も関係が無い惰性で仕事が流れているという感じでした。そしてこの年金資金がどのように使われているのかと言いますと長年財政投融資の原資となりその多くが不良債権化しています。

50歳も過ぎますと日本人の多くは勤労者であり、退職が秒読みとなり、年金を中心とするいわゆる老後の生活設計を考え始めます。何とか60歳まで働くとして年金が支給される65歳までどのようにして暮らして行くのが問題にされています。政府はこの穴埋めの為に65歳まで企業が雇用するように法律を制定しましたが、実際には難しいと思います。現在団塊の世代が60歳の定年を迎えてこれからは年金を受け取る方になります。大量の数のあの世代が全員年金を貰う年齢に到達する7〜8年後に本当に年金が滞りなく支給出来るのか、心の底では多くの人は不安に思っているのでしょう、今回その不安な気持ちに火を付けた形となりました。

今後はこの問題から年金制度、年金資金の内容にまで踏み込んだ議論が出て来るでしょう。実際には長年財政投融資として使われて回収が難しいものが多く、問題が積み上がり大変な状況でマグマのように溜まって来ているのが実情でしょう。それでも現状では不安ではありますが、多くの人はまだ自分は年金を受け取れると考えていると思います。日本人はまだ政府や国を信じておとなしくしているように見えます。もしこれが大丈夫では無く、将来の給付は不確実などという見解が出ますと一気に国民の不満が爆発し、おとなしい、政治に無関心と考えられている状況が一変すると見ています。国債に対しても疑念が生じたら大変です。大激変が起きるかも知れませんね、この問題は非常に深刻です。



83・日本抜き(2007年06月04日)
高度成長の時代までは「日本は世界で何位」のようなニュースが多かったように思います。戦後敗戦からの復興、ほとんど何も無いような状況から出発し、冷戦化での戦争特需などがあり奇跡の経済復興を成し遂げ、自他共に認める経済大国に至るまで、世界に存在を認められようと日本は謙虚に地道な努力を積み重ねていたように見えます。外国へ進出する企業も出来るだけ多くの国に自社の旗を立てるかという競争であったように思います。知的な事は欧米人が上でアジア人の製造した電化製品や自動車など良かろうはずが無いと考えていた当時の人達に売り込む努力を重ね、信用を積み上げ、「日本ブランド」を確立しました。当時の人達のご苦労は大変なものであったと想像します。

バブルの80年代に日本は慢心して感覚が麻痺してしまったように見えます。謙虚が不足し、自分を特別な存在と思うような傲慢さが見て取れるようになってしまいました。テレビで見掛ける一例を挙げますと「アジア」という表現が出て来ますがほんとどの場合「日本を除くアジア」の意味に使われています。日本は特別な存在でアジアに入らないと考えているようです。その一方ではアジアの中核としての役割などというと日本がその中心になるべきである、と思っているようです。あるテレビのドキュメンタリーで競争が激化している中国市場で日本のある有名家電メーカーが苦戦を強いられ、その際に「おかしいなあ、ブランドがあるのに」と自社のブランドを過大評価している姿を映し出していました。確かに日本のメーカーは一時代を築きましたが、もう日本ブランドで売れる時代は終わりつつあります。南米の家電センターとなっているエステ市でも以前は日本メーカーの電化製品が大半を占めていましたが、現在は韓国製品に独占されてしまっています。三星、LGなどの製品が中心となり、DVDなどのディスクも韓国メーカーのものとなっています。最近家電メーカーの決算が悪いようですが、この状況では仕方が無いと思います。

自動車は豊田、本田などが世界の人気で市場を席巻しているように見えますが、現在売れているのは数年前の製品の良さの為であって、現在の製品の良さで売れているのでは無いと思います。これは家電製品と同じで数年後には家電製品と同じように韓国メーカーの自動車に取り換わられるのではないかと心配になります。最近の現代自動車の見た目の良さは大したもので、ユーザーに聞きますと故障も少なくなり、品質は飛躍的に向上しており、丈夫で以前のようなトラブルは無い、非常に良くなったと言います。何も日本車で無くても良いではないかという気分が当地の日本人・日系人の中にも生じていて少しづつ韓国車に乗る人が増えています。品質的に日本メーカーの自動車との差は小さくなっているので価格面での差が大きいだけにユーザーは後数年後には韓国車に対して抵抗無く買うようになるのではないかと想像しています。そして日本人だから日本製品を買わなければならないという意識が薄れているのが心配です。以前はあった母国への熱い思いは次第に減って来ているのは確かです。

南米に住んでいて感じるのはこのまま放置しておきますと全ての点で日本抜きが始まるのではないかと言う事です。世界の他の国にとっては日本が無くても、そこに住んでいる人が貧乏になって生活に困るような事があっても他所事で別に関係ありません。そして、外での実態と日本人の意識とのギャップは大きいものがあります。例えばフィリピンから介護士を受け入れる事になったそうですが、実際にフィリピンの人が希望するのはカナダやイスラエルであり、日本へ行きたいと思っている人はそれほど多くはありません。「日本というすばらしい国に入れてやるから高いハードルを満たして来い」というような姿勢では到底良い人材を確保するのは多分難しいでしょう。

日本が魅力ある国であり、活力溢れる国であること、世界に日本シンパを多く作る事、そして在外の日本人・日系人という財産を大切にする事が望まれます。老人ばかりの国に将来はありません、如何にして子供を増やして行くのか、本気で考えなくてはいけません、外国から留学生をもっと大量に受け入れて日本のファンになってもらう努力をしなければなりません。そして在外邦人を棄民として切り捨て日本で3K要員として使い捨てするだけでは余りにももったいない、日本の大切な財産である事をしっかりと受け止め、育てていく必要があると考えています。



82・路面電車(2007年06月01日)
小さい時に何が好きかと尋ねられたら多分「電車」と答えていたと思います。電車は乗るもの見るのも大好きでした。これは、生まれたのが東横線と大井町線が交叉する自由ヶ丘(現在は自由が丘)の直ぐ近く、赤ちゃんの時には毎日自宅前を通る大井町線の電車を見て育った事にも関係しているのかも知れません。電車が通る度に万歳をしていたそうです。小学生の時には時刻表を毎日眺めていました。特急、寝台特急、新幹線・・楽しい夢の本という印象があります。ところが近年近代化、合理化の名の元、多くの路線、特にローカル路線の廃止が目立っています。またモータリゼーションの発達からか路面電車も姿を消しつつあります。これは実に寂しい事であると思っています。

その中で最近路面電車に関して新しい動きが2つあり注目しています。まずは都電荒川線に見た目は昔の電車というのが登場した事です。中は昔懐かしい雰囲気、以前都内中心街を走っていた都電をよく現しています。世界にはまだまだ路面電車が走っており、特にドイツなどの欧州では都市交通機関の中核を担っているケースも多いようですが、日本の路面電車と雰囲気が異なります。都電荒川線の終点の早稲田付近でほぼ直角に曲がる地点があり、そこで撮影した写真がよく出ていますが、「日本」を感じさせるものになっています。広島、岡山、長崎、熊本、鹿児島など路面電車が活躍している街は多いのですが、どこでも「日本」を感じさせるものになっています。懐かしい日本の風景の路面電車を存続して欲しいものですね。

そしてもう一つは富山のケースです。こちらは廃線となるローカル線を活用し、一部を路面電車にしてしまうというもので、具体的には富山市内を走る赤字ローカル線をライトレールとして復活し活用しているというものです。ライトレールと英語にしてますが、要するに「軽便鉄道」手軽に利用出来る鉄道という事でしょう。JR西日本の富山港線は戦争中に国鉄が既存の私鉄を買い取った路線で、駅間が短く路線も全長で8キロしかありません。路線名の通り富山市街地から海岸まで走る路線で大体が市街地を走ります。こちらは日本製の電車ですが、従来の日本の路面電車とは違うドイツかスイスの電車?と思うような雰囲気で、欧州センスの車両が使われています。電車と言いますとバスなどに比べると大きく「乗るぞ」と気構えてから利用するという印象がありますが、このライトレールはバスと同じような感じで気軽に利用する事が可能です。敷居が低いという感じですね。また、駅とは呼ばずに停車場としているようです。途中駅を増やして利用し易くしているのと一番良いのは15分間隔で運行している事です。JR時代の廃線前のこの路線では一時間間隔が普通で日中の一番閑散としている時間では2時間開いている事もあったそうです。利用する立場からしますとこれでは使えないという感じです。料金は200円という事ですが、以前利用が少なかった日中に関しては何と「100円」にしています。この料金の安さ、利便性が受けて乗降客は当初の予定よりも多くライトレールは順調に走り出したようです。東京で言えば「東急世田谷線」という感じであると思います。

今回のこの富山の例は既存の路線を活用していますが、今後は新規にライトレールを導入する動きが出て来るのではないかと想像します。地下鉄と比較してかなり建設費が安く、自動車に頼っていては渋滞を引き起こすだけなので、今後はこのような鉄道が地方都市を中心として増えて来るのではないでしょうか?車両にも工夫がなされてデザイン、乗り心地を競い、それぞれが観光の目玉になって行くかも知れません。鉄道ファンにとっては楽しみが増えました。



81・日本の懐の大きさ(2007年05月28日)
国際大競争時代となり次第に世界の中での中国の台頭もあり、日本の姿が小さくなっているように感じます。この先日本の将来はあるのか、と不安に感じる人も多いと思いますが日本人はもう少し自国の良さと利点を認識する必要があると思っています。一番の利点は日本社会の大きさ、懐の広さにあると思っています。人口、面積の割には日本は非常に大きく、社会は懐が広いという最大のメリットをもっと日本人は意識しても良いと思うのです。

ある日本の番組で、売り上げを伸ばしている安売りスーパーを紹介していました。その努力もたいしたものと感心するのですが、一番驚いたのは商品の仕入れ会議です。食品仕入れ担当のバイヤーが色々なものを数百点持ち込みこの中で厳しい審査で70点が合格となったというのです。ここで取り上げられたのは厳選された商品であると思います、それがどの程度の頻度で開催されるのか知りませんが、ごく普通に一週間に1回程度、定例的に行なわれているように見えます。そこに出される商品が数百点もあると言う事がまず驚きです。世界は広いでしょうが、これだけ候補となる商品が常に存在する国は無いと想像します。製造する側も厳しい消費者に対して常に新商品を出しているのでしょう。日本に行くと何でもある、買いたいものが多いと感じるのはこのような競争を勝ち抜いた商品だけが店頭に並んでいるという訳です。日本人であればこれは当然の事なのでしょうが、外国の視点から見ますと驚異的な事であると思います。

例えば文房具、日本では「このようなものが欲しい」と探すとまずありますし、感心する商品が並んでいます。では外国ではどのようになっているのでしょう。当地を始めブラジルなど南米諸国ではまあ使えそうな商品が大量に並んでいます。鉛筆などは芯が真ん中に無く機械式の鉛筆削りで削りますとずれているのがよく分かります。一方日本製の鉛筆を削りますと綺麗に芯が中央にあるのが理解出来ます。一旦マーケットを独占すると他の商品が入り込む隙が無くなり、また努力もしなくなるのでしょう。消費者もある程度の商品で満足してしまう傾向があるように見えます。書ければ良いという筆記具、入れば良いという容器が並んでいます。どのような商品に関してもライバルが多く常に切磋琢磨して商品開発を常に行なっているのは日本だけであると思うのです。他の国では世界にライバルがある商品では同じように商品開発が行なわれているでしょうが、条件としては大きなマーケットがある事が挙げられると思います。ある番組でインドで日本のメーカーがクーラーで苦戦している様子が出ていましたが、このような大きなマーケットがある主戦場ではどこの国でも努力をしているのでしょう。日常品やマーケットが小さいものまでも必死に商品開発が行なわれているのは多分日本が一番であると思うのです。この特性を生かして世界のニッチな部門へ進出して行けば日本はまだまだ戦えると思うのです。

そしてもう一つ感心した番組が「熱中時代」という番組です。ある意味おたくが出て来るのですが、普通で無い趣味に熱中している人が登場する番組なのですが、こんな事に熱中している人がこれほど居るのか感心するばかりです。民放ですとテレビ東京系列で放映されている「テレビチャンピン」はその道の日本一を争うもの、道を究める人が出て来ます。このような人達が特殊な人とか特別な高等教育を受けている人では無くごく普通の人である点がすごいという事です。例えば金融機関の現金を入れる封筒を集める会があり、それぞれのお宝を持ち寄り分け合うとか、山城巡りを趣味にしている人は一人で研究者並みの調査をしています。他の人が到底真似が出来ないような超極ミニの盆栽を作る人はビルの管理人で費用を捻出する為にアルバイトで新聞配達までしているというのです。このような人達の積み重ねで日本は非常に懐の大きい、そして多様性がある社会を作り出していると思うのです。これは日本文化が純粋培養された江戸時代から続く日本社会の特色であると思います。欧米型のスタンダードを適用し、日本的な良さを排除してしまう一見合理的な動きが色々な場面で見受けられますが、今こそ日本とは何か、自国の利点はどこにあるのかしっかりと見つめ直し将来を見据える必要があるのはないかと思うこの頃です。



80・海外安全情報(2007年04月21日)
日本の国際放送で「海外安全情報」という番組があります。治安情勢や健康情報を提供する番組であり、外国を訪問する日本人に向けての情報番組です。イラクを始めとする西アジアの情勢を見ていますと好奇心から物見湯山で訪問すると殺害に遭い拉致されるなどの危険があり、その場合には多くの方に迷惑を掛ける事になりますのである程度の情報提供は必要であると思います。

ただし、情報の中身を吟味して確かな情報を提供する必要はあると考えるのです。例えば「クーデターが起きた」というニュースが流れますと国中が大混乱になっていると日本人は想像します。大体の場合には首都の中心部に戦車が登場するというような緊迫した状況の映像が出てテレビを見ているとその国全体が大混乱しているように思います。確かにそのようなクーデターもあるでしょうが、多くの場合は一部の限定された地域だけで事件が起きている事が多いようです。最近タイでクーデターがありましたが、数日前からのニュースを眺めていたので、ほとんど市民生活には影響が無いと想像していましたが、日本では「タイでクーデターが起きた、渡航を控えよ」というアナウンスが事務的に出ます、あるテレビ局が空港で旅行者にインタビューしていましたが、「詳しい情勢が分からないので困る」と皆さん訴えていました。国民、特に渡航をされる皆さんに正確な情報を伝えるのが目的で無く、何か事件に巻き込まれた際の関係者としての責任逃れの為に「危険情報」を出しているように思うのです。想像した通り市民生活にはほとんど混乱も無く直ぐに騒ぎは沈静化しましたが、情報を出す時にはもう少し中身を見極める必要があったと思っています。

当地ではこの夏雨が多く「デンゲ熱」が大流行しました。確かに多くの方がこの病気に罹り大変でしたが、旅行を取り止める程では無いと思っていました。しかしながら多くの訪問者がアスンシオン市は危険であるという事で旅行を取り止めてしまったようです。日本からサッカーチームの遠征の予定もあったようですが、これも中止となりました。何か事件が起きると殊更に騒ぎ立てるように見えるのです。パラグアイは日本よりも広い国土を有する国家です、何かあると全土が危険になるという訳ではないのです。

思い出すのは阪神淡路大震災の時に神戸の中心部が火災に巻き込まれ、高速道路が落下し中心部では大きな建物が倒壊しましたが、日本に留学に出しているパラグアイ人の家族が自分の子供が被災したに違いない、もしかしたら死んでしまったのではないかと悲痛な思いで心配していたのを思い出します。聞くと息子さんが大阪で勉強しているとのことで、「大阪では被災したという話は無いので大丈夫」と言ってもテレビでは神戸の街が広範囲に火事になっている様子が映し出されおり、直ぐ近くで起きたので巻き込まれたに違いないと説明しても納得しませんでした。十分な情報があり、国内事情を正確に把握出来る日本人には早い段階から被災地域を特定出来ますが、外国の人にとってはよく理解出来ないのは当然でしょう。勿論このご子息は元気でその後間も無く連絡が取れて喜んでいましたが、この例からも外国の出来事をある程度内容を正確に把握して伝えるのは難しい事であると思うのです。

最近当地で誘拐事件がありました。日本国籍を有する方が被害に遭ったという事で大きな騒ぎになりましたが、日本のマスコミの大騒ぎと比較しますと日系社会は極めて落ち着いて対応していたように思います。当地では誘拐された方が社長を勤める会社がどのような会社であり、現地社会、政府とのやり取り、背景を知っており、ベースになる知識を持っていたからだと思います。事件は皆さん無事に開放され、容疑者もかなり拘束されたとの事で良かったとおもいますが、日本のほぼ全部の新聞テレビが当地に取材に来て、毎日報道しますとパラグアイ全土が危ないような印象を与えます。良い情報、楽しい情報、前向きな情報を発信してもほとんど取り上げないマスコミですがマイナス情報、ネガティブな情報には飛び付くようです。このような事では当地日系社会が努力して日本に向けて投資等の情報を発信しても二の足を踏むことになるのでしょう。

国外から観ていますと日本は急速に治安が悪化しているように見えます。事件が続出している状況からしますと海外安全情報を提供するのであれば、国内安全情報もしくは国際放送では在外邦人向けに「訪日安全情報」を提供した方が良いのではないかと思っています。「長崎市では市長選挙中の市長が市街地で銃撃され殺害されるという事件が発生しました。90年にも当時の市長が発砲され、重傷を負う事件が発生しています。長崎市では最近、資金源の新たな獲得を目指し暴力団の動きが活性化しており、長崎市中心部では一人で歩かない、夜の繁華街には近寄らない等の対策が必要と考えます」次に「町田市では暴力団同士の諍いから市街地のコンビニエスストアーの前で発砲殺害されるという事件が発生し、犯人は近くのアパートに立てこもり近づく警官隊に発砲を続けるという事態に発展し、15時間にわたり付近周辺への立ち入りが極めて危険な状態となりました。アパート近くには犯人の所属する暴力団事務所があり、事件後も極めて危険な状態となっています。この為町田駅近くを歩行する際には十分注意する必要があります」とでもなるのでしょうか?もしこのような紹介がある場合には地元の方達は「暴力団同士の抗争」「市長を恨みで狙っていてるだけ」と説明し、一般市民は全く問題は無いと力説する事でしょう。実際には銃の持ち込みは増えており、安全に見える市民生活の中で事件が起きる可能性は増大していると考えるべきでしょう。

当地でも同様でそれぞれの国での事情があるのは当然です。もしアスンシオン市が危険というのであれば、長崎市、町田市も同等それ以上に危険として欲しいものですね。他国の情報を一方的に分析無しに流す事はその国に住んでいる人、特に邦人に多大な影響を与える事をよく分かって欲しいものですね。



79・のだめ・カンタビーレ(2007年01月06日)
韓国ドラマに圧倒されて日本製のドラマが余り話題になっていないように思います。日本では近年ドラマのシリアス性を追求し、嘘っぽい話を避けるようになっていましたが、韓国のドラマはそれとは逆に奇想天外な話を連発し圧倒的な迫力で人気を集めていました。元々韓国のドラマは日本から大きな影響を受けているので、面白い筋の韓国ドラマは日本に受け入れられて韓ドラブームが起きました。「冬のソナタ」「パリの恋人」「ホテリア」「チャングム」等映像技術の高さもあり、どれも大人気となりました。

日本でも新しい動きが出ているように見えます。「お話はお話」と割り切り現実世界とは違うと居直り、御伽噺に徹するというものです。少々現実離れしていても良いではないかと考えるようになり、このような居直りから面白いドラマが生まれ初めているように思います。その中での象徴的なドラマが「のだめ・カンタビーレ」だと思います。最初に幾つかのドラマの途中の場面だけを見ますと若い男女がたくさん出ていますので何かどろどろした男女関係が出て来るのかと想像していましたが、実際に最初から見ますと実にすっきりとしています。原作は大人気の漫画なのだそうで、見ていても少女漫画をそのまま映像にしているという事がよく理解出来ます。少女漫画に登場する男性は男女を意識せずに「おんなとは見ずに同じように接する」「優しく思いやりがある」のが特徴です。

元々は別の局で昨年ドラマ化される予定であったそうですが、その時は、主役は今回と同様に上野樹里さんと決まっていたそうですが、ジャニーズの若者を前面に出して原作とは少々異なる内容で制作を考えていたところ、原作者が反対をし、取り止めになったそうです。今回のドラマはこの反省から原作に出来る限り忠実に再現したもなのだそうです。当方がこのような乙女チックなドラマを見る気になったのはドラマが音大が舞台でクラッシクがテーマになっていて良い音楽が終始流れると聞いていたからです。何でもこの漫画は10年ほど前に漫画の作者のファンという音大のピアノ科に通っている学生がゴミの中でグランドピアノを弾いている写真を作者に送って来た事に始まるのだそうです。当時武蔵野音大に通っていた野田恵さんという方で、学校時代に同級生に「めぐみ」が沢山居たので区別する意味で「のだめぐみ」略して「のだめ」になったのだそうです。漫画の作者は音楽の専門家ではなく、彼女からの情報がこの漫画のベースになっているそうで、「リアル・のだめ」として協力しているのだそうです。現在は福岡県大川市でピアノ教師をされているとの事です。

今回の作者の意向もあり、ドラマは原作に出来る限り忠実に再現しているそうで、非常に漫画チックで最初は「何だこれは」と思って見ていましたが、筋立てが良く出来ているので面白く見てしまいました。特にクラシックに対するこだわりは相当のものがあり気に入りました。かなりの部分は出演している俳優自身が演奏しているそうで若い俳優さんの努力に敬意を表します。ドラマの中で一番出て来るのがベートーベンの交響曲第七番というのが良いですね。有名な運命と呼ばれている五番は「ミミミド、レレレシ」という非常に単純な主題で作られている驚異的な曲ですが、この七番は何と「ドレミファソラシド」という最もシンプルな主題で作られている曲で、その意味では5番を上回る驚異的な曲だと思っています。大好きなシンフォニーで小さい時から繰り返し聞いて来ました。何でも漫画の原作では同じベートーベンでも三番が使用されているのだそうです。七番に変えたのは正解であると思います。

主演は上野樹里さんです。NHKの朝の連ドラの「てるてる家族」で主人公(石原さとみ)の姉を演じているのですが、調べてみますとこの二人は実際には同じ歳なのです。その後は話題になった映画「スウィング・ガール」で主人公を演じています。この映画は今回のドラマと通じるものがあり、公募した俳優が特訓して映画の中では実際にジャズを演奏しています。上野さんもサクソフォンを演奏しており、非常に上手ですがこれも特訓で演奏出来るようになったのだそうです。何でもこの映画の大ヒットの後にはこのメンバーで数回演奏会を行なっているというのでうからすごいですね、若さというのは何でも可能にするのですね。今回も上野さんは実際にピアノを弾いており結構上手に演奏しています。これだけ大活躍の上野さんの現在の年齢は弱冠二十歳、たいしたものです。天性の明るさ(天然とも言うそうですが)があり、演技力に加えて演奏力、今後の活躍に大いに期待します。

ドラマは余りにも漫画チックな内容で滑稽ですらありますが、音楽に対するこだわり、原作を忠実に描こうとする努力を随所に感じます。また一つ一つの場面に対して非常に丁寧に考えられて作られていると感じます。ドラマに求められるのは現実に即したシリアス性では無く作品に対するスタッフ、出演者などの真摯な思いと気合なのかも知れません。ただ韓国のドラマとは違う一面も持っています。筋は漫画的ではありますが、決してあり得ないような事ではないし、音楽大学に通う学生の心理もよく出ているように思います。音大に入ると4年間で納付金は大体1千万近くと医学部並にお金がかかるそうですが実際にオーケストラに入るなどプロとして生活が出来るのはほんの一握りであり、その多くはピアノ教師もしくは一般企業に就職するなどです。苦労が多い割には報われていません。今まで余り一般には知られる事が無かった音大生にスポットが当たったのは良かったと思っています。

多くの視聴者がテレビドラマに求めるのはシリアスな現実ではなく、明るいファンタジー、夢物語であると思っています。この「のだめ・カンタビーレ」のようにすっかりとした楽しいドラマが増えて行く事を期待しています。



(漫画:二宮知子さん原作)



78・横文字(2007年03月03日)
日本語の特殊性として固有の文字を使用している事が挙げられると思います。勿論中国の文字である漢字も混じりますが表記される半分以上は日本の文字であるひらがなとカタカナです。日本語は本来は縦書きするものであり、多くの書籍などは現在でも縦書きです。現在は当ウェッブサイトもそうですが、横書きが多くなって来ています。横でも縦でも書く事が出来るというのは我々にとってはごく自然ですが、他の文字を使用している人にとっては驚異的な事なのかも知れません。

アルファベットの事を日本では自国の文字が縦書きであったので「横文字」と称したのでしょう。長い江戸時代の鎖国の時代を経て、幕末の時代にオランダ語や英語を学習する際にアルファベットが入って来て「外国語の学習=横文字」という事になったのでしょう。大人になるまで日本語の世界だけに生きていた人が蘭学を始めてあの複雑な発音を有するオランダ語を学習し、優秀な人は短期間の間に習得したというのは脅威であると思います。以来「横文字に強い、横文字がすらすらと読める」というのは日本では知性の代名詞になってしまったように思います。電車の中で目立つように英字新聞を読んでいる人が居ますが、この人達の多くは「自分は英語を楽々読めるほど優秀なのだ」と誇示する意味が強いのではないかと思っています。確かに学生時代に英語の本を簡単に読める人を見ると「おーすごい」と思ったものです。

当地に住んでいて当然の事ですが新聞、雑誌、書かれている書類等は全てスペイン語です。横文字に溢れる世界で、毎日横文字との格闘の日々となります。二十歳前後くらいまでに当地に来てスペイン語に完全に慣れ親しんでいる人は別にして大人になって当地に来た我々にとり、「横文字」のハードルが高いように感じます。日本では横文字を本格的に学習するのは中学に入学し英語を学習する時からです。筆記体をお手本通りに何回も繰り返し練習した記憶があります。日本では小学校から「習字」なる科目があり、その影響から綺麗に書く訓練が出来ており、大体お手本に近い筆記体を書くようになります。日本人が書くアルファベットは皆似ていると言われますがこれは当然でしょう。当地に来てかなりになりますが、未だに当地の人が書いた文字を判読するのは難しい、文字を小さい時に学習しているのでかなり個性的なのです。日本人の外国語として学習する横文字との差を感じます。

日本人が国際的になるには横文字に小さい時から親しむ必要があるのかも知れません。画一的な綺麗な筆記体を書けなくなる可能性はあるのかも知れませんが、特に英語を書くのではなく、日本語をアルファベットで読み書きさせる訓練をすれば良いと思います。現在日本語をびっしりとローマ字だけで書かれた文章があるとすると多分読むのにかなり苦労すると思います。小さい時から小学校の低学年から訓練すればそれ程は難しくなく読めるのではないかと思います。戦後米軍が乗り込んで来た際にそれまでの日本の教育を見て色々な提言を行い、その中に「日本語のアルファベット化」というものがあったのですが、これは実現しませんでした。当時の大人が対応する事が出来なかったのでしょう。ただもし実施していれば案外簡単に大きな混乱も無く移行出来たのかも知れませんが日本語は多分大きく変化していたでしょう。韓国ではハングルだけで教育を受けたハングル世代が居ますが、漢字が分からなくてもさほど大きな混乱はありません、日本語も漢字抜きにしても知的レベルを維持する事は可能であるのかも知れません、今からでもやってみる価値はあるのかも知れませんね。



77・ニート・フリーターの減少(2007年03月03日)
最近は景気が良いのか、団塊の世代が大量退職を迎えるためなのか就職氷河期とは比較にならないほど就職が良いようです。優秀な人材の確保にあの手この手、企業は大変な様子です。このような状況にあって、ニートとフリーターが減少しているそうです。正社員としての雇用が多くなっているのには景気の回復の他に企業の都合と若者達の意識の変化があるように思うのです。企業は多くの臨時雇用者を採用して業務にフレキシビルに対応出来る体制を作っていますが、臨時の雇用ではやはり本気にはならずどうしても作業の質が悪くなります。待遇を良くして正社員としての雇用が長い目では結局は得であると判断しているのでしょう。そして社会の目線が厳しくなっており、簡単に臨時雇用者を増やせない状況が出て来ているのでしょう。

そして若者にも変化が起きていると思います。以前ですと大きな社会問題になっておらず取り上げられる事がなかったフリーターですが、フリーターの末路が哀れであるという番組をテレビが繰り返し放映した事で就職を控える若者に危機感が生じているのだと思います。情報が無いと何とかなると気軽に楽観的に考えていた人達がいざ実際の姿を見るとそこには何も夢を描けない現実が待っている事を示され、とにかく社会の中で最初からしっかりと入らないと大変な事になると考えるようになったからであると思います。今後の雇用はどのようになるのでしょうか?以前のような終身雇用制に戻る事はもうあり得ないと考えます。企業の中に正社員の中にフリーターを抱え込むような形になるのではないかと案じています。比較的低賃金で働く出世の見込みの無い正社員というような形です。

本来あるべき雇用政策は選択肢の多様化ではないかと思っています。社会の在り方を固定化せずに流動性を前提に考えるべきであると思うのです。公務員はほとんど未だに新卒です、高級官僚は中国の科挙制度そのままに入る前に行なう試験の成績が未だに将来を決めるファクターとなっており、中途採用はまだまだ少数です。ある程度社会経験を積んだ人を採用をすればコスト感覚もあり。社会人としての常識も備わっており新卒を雇うよりもベターであると思うのです。また外国で仕事をする人をもっと増やすべきでしょう。在外日本人社会特に南米は若い人が出稼ぎに出て行き、担い手が減っています、確かに目の前に仕事は無いのですが将来性のあるこのような社会で経験を積み、そのまま残るにしても日本に帰国するにしても視野が広まりより活躍出来る人材になると思うのです。狭い枠の中に人を閉じ込めるので「いじめ」が生じるのだと思っています、いかに社会の懐を大きくして行くのか日本のあり方が問われているのだと思います。



76・お笑いブーム(2007年03月03日)
日本はお笑いブームとか言いますが、完全にお笑いが定着したように見えます。以前お笑いの王様と言いますと落語、講談という印象がありますが、現在のお笑いの中心は漫才で、それも吉本が完全に握っているように見えます。漫才はエンタツ・アチャコから始まるのでしょうが、「ダイマル・ラケット」、「いとし・こいし」などの時代を経て最初のお笑いブームとなります。コント55号、ツービートなどが活躍した時代そしてとんねるず、ダウンタウンの時代を経て現在に至っています。落語と漫才の差はスポーツで例えますと相撲とボクシングの差に似ているように感じます。相撲は伝統があり、衣食住更には髪型に至るまで細かな決まりがあり、出世して強くなるとある程度安定した生活が保障され、親方などの形で定年まで相撲協会の中で生活して行く事が出来ます。これに対してボクシングは一発勝負で負けたら終わりの厳しい世界です。一握りの世界チャンピオンだけがジム経営、解説、テレビタレントとして生活する事が可能で、多くは若くして引退後、第二の人生を模索する事となります。ぱっと咲き、ぱっと散る感じです。

お笑いの世界では落語は師匠が居て前座から始まり芸を磨き、長い下積を経て真打になると一人前としてある程度生活が安定します。高座にも序列があり、名人・師匠と呼ばれるようになると最後のトリを務めるようになりますが、これには長い修行と伝統的な世界で生き抜くこと、そして時間が必要となります。漫才は対照的に人気が出た者が勝ちの世界です。人気が出てテレビに出る事を目指し多くの若者が漫才を目指します。人気が出れば持て囃され、人気が無くなれば捨てられる世界です。テレビに出られる人はまだ良い方で芽も出ないまま終わる人がほとんどでしょう。誰でも参入出来るので多くのライバルがひしめき、新しい人がどんどんと出て来る中、生き抜いて行くのは本当に大変であると思います。落語の世界であればまず弟子にしてもらうのが大変です、落語家に認められ入門出来る人よりも門前払いされる人が多い事でしょう。また途中の下積の時代に挫折して去って行く人も多いと思います。漫才は落語と異なりオーディションの場所で受ければ短時間で人気者になれる可能性があります。普通の人が有名になる事が出来る数少ないチャンスです、社会で地味な人生を送るよりも万に一つの夢を追う気持ちは理解出来ます。多くの若者が茨の道を覚悟で飛び込むのでしょう。

NHKのオンエア・バトルそして民放では年末に行なわれるM-1が有名です。オンエア・バトルは10組漫才をやり会場の人気が高かった5組だけが放映されるというもので、敗者は最初に登場し、最後に嘆くだけの過酷な番組です。そしてM-1はその年の若手漫才日本一決定戦というもので、数千組の中から勝ち上がって来た9組だけが出場出来るというものです。これに優勝する漫才は確かに面白い、2004年と2006年を見ましたが、特に昨年優勝したチュートリアルは見事、何回見ても面白いすごい漫才でした。審査員も絶賛していましたが、確かに2004年優勝のアンタッチャブルと比較しても数段面白く紳介が「年が離れていて良かった」と言うほどのものでした。この栄誉に向かい多くの若手芸人が明日を目指して努力しているのでしょう。




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