地球の反対側から日本を見て-04 (2003年)




移住して地球の反対側から祖国日本を見ていて不思議に思うことがよくあります。「何故だろう」と考え込んでしまいます。日本への作者の思いを綴って行きます。



49・自由貿易協定 (2003年10月18日)

最近、自由貿易協定の動きが盛んになっていて、欧米を中心に次々に協定が締結されています。協定が締結されますと排他的になり、それ以外の国や地域は通商上不利になる、要するに囲い込みを行っている訳です。ガットからWTOを通じて世界は世界共通のルールを模索して来ましたが、世界中の国が納得する合意するというのは至難で、ほとんど進展出来ずにいます。自由貿易協定はこれに対して国もしくは地域間の交渉なので、合意点が見出せ易い特徴があります。日本は戦後一貫して政経分離の外交政策を採り政治的な色彩抜きで経済の交流を推進する事を目指していますが、本来政経の分離などはあり得ず、むしろ最近は政治的な意図を持って経済政策を行っているケースが多いように思います。官民一体となり戦い、市場を開拓するたくましい欧米そして中国の姿を見ていますと実害が出ない内に対応しておかないと日本が世界の市場から締め出されてしまうのではないかと危機感を抱きます。

欧米は欧州はEUという形で欧州を取りまとめ、歴史的に関係が深いアフリカ地域を経済的には傘下に収めています。そして米国は南米を含めた米州全体にインフラの共通化などを進め、経済的な一体化を目指しています。当地のニカノル・ドゥアルテ大統領が就任後、米国を訪問した際にブッシュ米国大統領が今まで無いほど丁重にもてなしていましたが、これなどしたたかな米国の意図の表れであると思います。要するに欧米は欧州、南北米州、アフリカの巨大市場を作り、中国・日本などのアジアを締め出しにかかっている訳です。一方中国はアセアンとの交渉を進め、アジア地域での中心的な存在を確固たるものにするべく邁進しています。中国で行われる国際見本市などでは政府の要人自ら力を入れ、官民全体で貿易の振興を図っています。このまま放置しておきますとアジアでも日本の入る余地は全く無くなってしまうように感じます。

最初自由貿易協定の事を考えた時に「自動車」「家電」などの分野では世界の市場から日本製品が締め出されてしまうのではないか?そのような心配をしました。しかしながら自動車メーカーや知名度の高い家電メーカーはさほど困っていないようなのです。トヨタもソニーも日本だけで製品を造っている訳ではないので心配は無いということのようです。例え欧米・南米のトライアングルが出来ても企業としてはその域内で生産した製品を売れば良いという訳で、何も日本で造ったものを売らなくても良いという訳です。このような事態になりますとますます日本の空洞化が進行することになるのでしょう。日本発祥の国際企業の意図と日本の国益とのずれが大きくなっているのかも知れません。

現在まで日本が締結した自由貿易協定はシンガポールだけです。これはシンガポールは都市国家であり、「農業問題が無い」からだと言うのです。日本が協定を協議する場合に一番守ろうとする権益が農業部門のようなのです。外から見ますとこの点はよく分からない事でしょう。日本は製造業が主力、そして現在ではサービス部門、アニメなどのコンテンツ産業が伸びており、経済全体での農業の割合というのは非常に小さいものになっています。これの小さな利益を守るために大きな権益・利益を放棄するのは到底理解出来ない事でしょう。

メキシコとの自由貿易協定の交渉が行われていますが、焦点は豚肉のようです。メキシコの安い豚肉が入ると日本の養豚業界は壊滅するので日本としては到底認める事が出来ないという訳です。メキシコから見ますと協定を締結すれば日本が強い製造業等で大きなメリットがある訳なのだから、自分が強い農業分野では譲歩、それも豚肉など量的にも貿易全体の中で占める割合も小さいものなのだから認めて欲しいと思っているのでしょう。日本の現政権が都市住民の利益を代表するものでは無く、伝統的な産業、農業や建設業などドメスティックな産業を基盤とした政権なのでメキシコの要求は到底受け入れる事は出来ないでしょう。これから本格化するアセアンとの交渉でもフィリピンは労働市場の開放、タイは米を要求して来るでしょう。先行している中国にどこまで食い下がれるのか危惧します。

ここメルコスール(南米共同市場:パラグアイ・ウルグアイ・アルゼンチン・ブラジル)もEUや北米と自由貿易協定の話が進行しています。そして中国、韓国などが話し合いを呼び掛けているようです。このまま放置しておきますと日本は南米から締め出されてしまう事になるでしょう。南米に関係している人々は日本が立ち遅れている現状を憂いていますが、現在日本の政策の中枢に居る人達がどこまで問題の重大さを理解しているのか疑問です。

国際的な競争力を無くして衰退してしまった産業や将来消滅が予想している業界を保護しても結果は余り変わらないと思います。日本は戦後一貫して自国のエネルギー確保の為、石炭産業を手厚く保護して来ましたが結局は産業は完全に消滅してしまいました。しかしながら「食」の世界は奥が深いものであるとも思います。オレンジ自由化の際には「日本の柑橘類は壊滅する」と大騒ぎになっていましたが、現在、八百屋の店頭には米国産のオレンジでは無くミカンは様々な日本国内産の柑橘類が並んでいます。農家と関係者の方が品種改良や生産コストの削減等に懸命に取り組まれた結果であると思います。このような例からも試練があると努力して乗り越えて行くものなのかも知れません。豚肉に関しても門戸を開放しても例えば安いカレー用の肉などは全て輸入品に置き換わるかも知れませんが、良質な黒豚などは残って行くことでしょう。第二の開国と余り恐れてはならないように思います。

農作物を即時、全面的に自由化しろとは言いませんが、従来のように関係団体や族議員を使って、声高にひたすら「絶対反対」を連呼するだけではもう既に通用しない時代になっていて、最近は政策でもマニフェストが示されるようになって来ていますが、このような問題についても「ある期間でこの対策を施すのでそれまでは関税は据え置いて欲しい」というような具体記な数値・方針を示して行く必要があるように感じます。競争力を失っている産業の中で何を残し再生を図るのか、国益は何かという事を官民一体となって検討し、国民全体で問題意識を持って外交の場で戦って行く必要に迫られており、そしてその為に残された時間は余り無いように感じます。



48・景気回復 (2003年10月19日)

最近は株価が上昇、設備投資などの指数も向上しエコノミスト達も景気が上昇方向にあると言うようになって来ました。景気がある程度回復基調になるとどん底の時に最悪の事態を危惧していた事はすっかり忘れてしまい、日本の社会全体が「これで大丈夫」というような雰囲気になるのはとても不思議な気がします。健忘症というのか、のど元過ぎれば何とやらなのか、ある程度景気が回復してしまうと思い切った策が出なくなってしまうように感じます。一部の人たちがこの前まで「景気が回復してから財政再建や構造改革をやろう」と言っていましたが、この様子を見ていますとある程度危機が去ると何もしないとしか思えません、どん底の危機感がある時にしか思い切った政策は実行出来ないのではないかと思ってしまいます。

数ヶ月前に訪日した時には、ミニバブルと思うほどの景気の良さを実感しましたが、最近の経済指数にそれが出ているのでしょう。日本の産業界の底力はたいしたものであると改めて感心しております。しかしながらどうも今回の景気回復は本物では無い何か蜃気楼のような印象を持っております。国力が増し力強い成長を遂げた高度成長期の時ような健全さを感じないのです。景気回復の中で強弱がはっきりし、貧富の差も広がっているように感じます。切捨てられている部分が多くあるのかも知れません。リストラという名で語られる人員削減は粛々と進んでおり失業率は改善せず、一方雇用されている労働者の負担も大きくなるばかり、フリーターと呼ばれる若者も増える一方です。多分お金の回り方も本来の姿にはなっていないのでしょう。

よく足元を見ると景気回復の基盤は脆弱なものであるように感じます。国際情勢に関してはイラク・朝鮮共当面の危機は去ったように見えますが実際には良くなったとは全く言えない状況で、「直ぐには突発的な事態は起きないだろう」くらいのものであると思います、いつ問題が大きくなるか分かりません。イラクに自衛隊を派遣して攻撃された時にはどのように対応するのでしょう。憲法上では交戦権は無いのですから、外国で攻撃されて応戦したら「違憲」になってしまいます、もし死者でも出れば大きな社会問題に発展するでしょう。朝鮮情勢も基本的には全く進展が無く、日本の主張も相手には全く無視されており、解決の糸口さえも見出せません。危うい問題が多いように感じます。

国内の財政再建には全く目処は立っておらず、かろうじて株価の上昇で金融機関は一息ついているというのが現在の状況です。中国の台頭、自由貿易協定等で外堀は既に埋められてしまっているように思います。ある程度経過しますと全てが逆回転して行くのでは無いかと心配しております。国債の残高などマグマは毎年どんどんと大きくなっています。本質的には問題は何も解決していないので、ある程度膨張し「どかん」と行く時が来るのかも知れません。現在は日本に蓄積されたいた最後の富を食い潰しているのかも知れません。次回景気が反転した時は要注意のような気がします。



47・文科系・理科系 (2003年 9月19日)
最近理系出身の経営者がクローズアップされる事が多くなって来ました。「理系の経営」等と言う言い方も出て来ているようです何とか理系離れを止めようとしているのでしょう。米国でも日本でも理数離れが深刻のようで米国では生徒に文系と理系の生涯給をグラフに示し、「理系の方が断然有利、お金持ちになりたいならば理系に行きなさい」と説明しているというのです。これに対して日本では逆に生涯給に関しては文系の方が有利という調査結果が出ているそうです。

大学は工学部に入学したのですが、同じ大学の経済学部の学生を見ているとどうしても楽そうに見えました。学部での拘束時間が全く違うのです。工学部では授業の出欠を取り、ある程度の出席が無いと試験を受けることすら出来ません。実験等はレポート提出が義務付けられており、高校時代とは比較にならないほど勉強しなければなりません。経済学部の学生はそれなりに大変なのかも知れませんが、どう見てもそれ程苦労しているようには見えませんでした。

さて、就職時になり、経済学部の連中は日本を代表する企業に次々に決まって行きました。銀行・証券、大手メーカー、日本の有名企業が目白押しという状況でした。これに対して理系は学校から推薦される企業は1社だけ、それぞれの専門分野の企業は限られており、就職で多くの学生は苦労していました。初任給も経済学部の連中の方が良かったようでした。企業に入り、理系はブルーカラーとして工場、現場で油やほこりにまみれて仕事をしています。外で仕事をしているとオフィスで仕事をしている人が羨ましくもなるでしょう。これで理系に進めというのは無理のようにも思います。私立の場合には概して学費も高くつきます。我々の時代はそれ程は多くなかったのですが、理系学部の文系就職なるものが増えて来ています。これは、理工系の大学を出て、商社や証券会社、銀行などに勤務するというものです。個人個人の気持ちはよく理解出来ますが、これではせっかくの専門教育がそのままでは生かせず、社会全体としては大きな損失という結果になるでしょう。

理工系の出身者がやりがいを持って、社会的にも恵まれた環境を作って行かないと日本の物作りの将来は難しいのかも知れません。また最近理系の経営者に注目されていますが、理系の教育を受けた者が何が文系出身の人と比べて得意なのかと言いますと、ある事象をモデル化して数式化、表化、グラフ化する事ではないかと思っています。このページでも日本の予算について、宇宙の広さについて、地球の年齢について等をモデル化していますが、これは大学で教わり訓練を受けた事の応用のような気がします。ある自然事象を見て、仮説を立て実験をしてモデルを考え分析を行い利用出来るようにするのが工学の大きな流れですが、これを繰り返し行う事を教育され、このような手法を会得したように思います。ただ多少苦手と思われるのは非線形的な思考だと感じます。今後は理系の学生に対してもモデル化出来ないような事象を上手に考慮に入れる訓練は必要なのかも知れません。

理科系重視政策を打ち出し、社会全体に理科系にインセンティブを与える必要があるように思います。また企業は理系優先を打ち出し、例えば初任給で差を付けるとか、全員理系の学生を採用し、専門性の高いものを除き事務系の仕事も全部理系出身者に行わせる等社会全体が思い切った理系優遇対策を打ち出す必要があるように感じますが如何でしょうか?



46・平成の徳政令 (2003年 6月 6日)

3月末の株価は8千円を割り込み、多くの企業は低迷する株価の影響を大きく受け、金融機関の3月危機が心配される事態となりました。そして残念ながらその心配は現実のものとなり、「りそな銀行」の公的資金導入という結末になってしまいました。細かい点はよく分からないのですが、日本の会計原則では要するに銀行の自己資本に将来戻る事が予想される税金を算定し繰り入れても良い事になっており、りそな銀行の場合にはその割合が8割にもなっていたそうです。多額の不良債権でヨタヨタしている銀行が将来多額の利益が出る事を前提とした決算を行うこと自体に問題があり、監査法人がそれを認めない事になり、破綻の危機に陥り、今回の公的資金導入に至ったそうです。金融庁と監査法人は問題が表面化しないように事を進める気持ちもあったようですが、監査法人で自殺者が出、内幕が野党議員の掲示板に暴露されるに及び、政府も相応の処置を取らざるを得なくなったようです。首相の談話では破綻を未然に防ぐ為の公的資金導入とのことで、これが功を奏し、その後株価は急上昇し、日本の金融危機は一応避けられたように見えます。

しかしながらこれで問題は解決したのでしょうか?今回投入された公的資金は約2兆円、これだけの財政支出を行うのですから、しっかりとした法的な裏付けが必要なのですが、どうも判然としません。イラクを攻撃した米国のようなもので、不確かな理由で破綻もしていない一民間銀行に多額の資金を注ぎ込むというのは如何なものでしょう。りそな銀行が破綻する場合には他の銀行にも影響し、金融システムが崩壊してしまう危険性があるので未然に防いだということなのでしょうが、自己資本率を10%まで引き上げピカピカの一流銀行にまでお化粧する理由にはならないように思います。国民が税金を納めるのは自分の生活の為、直接間接的に利益があると信じるからであり、最近地方税等を故意に納めない人が増えているのは税金の使途に不満があるからなのでしょう。その上このような徳政令を出せば社会のモラルは確実に下がると思います。

3月決算を前に大銀行で資本に不安があるところは資本の増強を行いました。外資から資金を受け入れる、奇策を用い傘下の小さい銀行と合併を行い、そちらを存続会社として合併差益を出し、増強する等という方法も取られました。またある銀行は融資先に資本金を依頼し、要するに奉加帳方式で2兆円もの資金を集め、資本を増強した銀行もありました。苦しい経営の中、メインバンクからの強い要請を断れる企業はないでしょうし、資金を提供するからには何らかの見返りが必要でしょうし、これでは銀行の経営の自由度も減る事になるでしょう。

マスコミは最近盛んに企業の業績回復の報道を行っています。確かにある面からは事実であり、倒産する企業も低水準で推移しています。しかしながらどうも人為的に表面化しないように抑えているようで、中には展望が開けないままただ単に存続しているだけという企業が多く存在しているように見えます。今回のりそな銀行の処置を見ていますと、過去数回の金融危機を経て政府当局は巧みに問題を回避する手法を会得したように見えます。ただこれでは決して真の解決には至っておらず、問題は内在したまま先送りになっているに過ぎないと見ています。株価も危機的な水準からはかなり上昇し、当面は金融不安も生じないでしょうが、マグマは確実に大きくなっているのでしょう。今年度の税収見込みとの比較で税収が1兆円も不足しているという記事がありました。財政が実質的な破綻状況の中でデフレの効果で超低金利が長期間続いているので政府も予算を組む事が出来、問題が露呈しないだけであると思います。しかしながらそれにも限界があると思います。これからも様々な問題が噴出して出て来る事でしょう。一度禁じ手とも言える徳政令を出した以上、抑制する事も無く今後はさらにエスカレートし、様々な形で徳政令が連発される事態もあり得ると思っています。

苦しい生活を強いられ、身を削る思いで何とかやりくりしている中小企業の経営者は今回のりそな銀行の処理をどのように見ているのでしょうか?このような話を横目で眺めていると馬鹿馬鹿しくなるのではないかと思います。日本には真面目にコツコツとやっていれば必ず報いがあるという道徳観がありましたが、このような道徳的な美徳も、もはや風前の灯火でしょう。これからはますます刹那的な考えが横行し、社会から真面目さが失せて行く事を心配しています。一攫千金、たなぼたを狙い、税金も払わず国を頼りにしない、そのような国民が増えるとモラルが低下し、治安が悪化する事に繋がるでしょう。



45・最近のインターネットを巡る問題を見て(2003年 6月 1日)
日本では国会等でもインターネットを巡って様々な問題が指摘され、出会い系サイト被害防止法等という法律まで成立しています。自殺を呼びかけて見知らぬ数名の男女が集まり、集団自殺をした、出会いサイトで事件があった、売春が横行している、児童ポルノが氾濫している等、否定的なものが目立ち、規制をかけようとしているに見えます。テレビ、新聞等のマスコミを見ているだけの人達にはインターネットというのは恐ろしく、犯罪の巣窟になっている印象を与えている事でしょう。

インターネットがこれだけ普及するとマスコミに取り大きな脅威になっているようでに感じます。以前はマスコミが情報の全てをコントロールする事が出来、情報がリークする心配は少なかったと思います。政治家等でも大きな問題を抱えていても情報をコントロールする事が可能でした。現在は玉石混合ではありますが、インターネットにはホットな情報が満ち溢れ、特定の情報を隠蔽する事は事実上不可能な状態になっています。りそな銀行が事実上破綻し、国家管理になりましたが、その切っ掛けとなったのは野党候補のページの掲示板への書き込みであったそうです。そこには内部者しか知り得ないりそな銀行を担当する監査法人で自殺者が出た顛末が書かれ、野党議員がその事実を知った事により金融庁が動いたそうです。より深層に迫った情報がインターネットにあるという状況の中で新聞・テレビの役割にも変化が起きているように見えます。記者や番組制作者は以前は「自分たちが情報提供の担い手」という自負もあり、社会の深層に迫る努力をしていたように思いますが、インターネットで様々な情報が氾濫する中でその意欲を失ってしまったように見えます。テレビ・新聞の情報が表面的で当たり障りの無いものになってしまったのは残念な限りです。大新聞・キー局が東京から全国に情報を発信するという時代は終わりつつあるのかも知れません。マスコミに取りインターネットは既得権を侵害し、自身の存在を危うくする存在で脅威であり、意識をしていないかも知れませんが嫌悪する対象になっているのでしょう。

インターネットでの出会いが性の問題と結びつき、大きな社会問題となっています。マスコミだけを見ていると出会いサイト即「売春勧誘」のような印象を受けてしまいますが、インターネットでの出会いというのはもっとすばらしい出会いが多く、ハサミと同様、使う人の意識一つで宝にも犯罪にもなるものだと思っています。当方の周囲でもインターネットで伴侶と出会えたという例もありますし、当方自身、インターネットを通じて多くの方と出会える事が出来ました。インターネットで色々な方と接する事で人間関係に対する意識も変化しました。以前は知り合いとその他の人を厳然と区別する意識がありましたが、最近はそれが全く無くなりました。それ以前では全く接触の可能性があり得なかった方と何かのきっかけで知り合いとなり、友人となるという事が普通に起きるようになり、意識が変化したのでしょう。何で今まで知らない他人と知り合いを峻別していたのだとうと返って不思議に思っています。

インターネット的な意識がもっと進めば社会のあり方は全く違ったものになるように思います。このように意識の変化を起こさせるのでインターネットを中心とする情報革命は農業革命そして工業革命に続く第三の社会革命となると思っています。この影響は社会の広範囲に変化を起こし、今までのような地域や社会活動の制約が多かった時代のシステムは崩壊する事でしょう。現在の国家や企業のような中央集権的なピラミッドの組織は消滅して行くのではないかと思っています。上下関係というのも不必要になり、個人が蜘蛛の巣ようにネットワークを作り動かす社会になって行くのでしょう。百年後には国家も企業も存在しない社会に変化すると想像しています。



44・歴史(日本史)教育(2003年 4月 6日)

日本の歴史というのは小学校、中学校、高校と勉強した記憶があります。しかしながら十分理解したかどうかは、はなはだ疑問です。歴史のダイナミックな流れを感じる事も無く、年号とバラバラな事件の暗記に終始し嫌であった記憶があります。実際には語学を除くと最も苦手な科目でした。あれは何であったのだろう、と今でも疑問に感じています。その後歳月が経過し、最近は歴史教育もかなり改善されたと思っていましたが、あるテレビで街頭に立って主に女子高校生に「第二次世界大戦の際の三国軍事同盟の国は?」と質問する番組がありました。第二次世界大戦というのは日本の歴史の中で最大の出来事であると思っていましたのでこれは間違える人はほとんど居ないと信じていましたが、期待は見事に裏切られました。正解は半数くらいで、様々な答えがあり、中には「米国」を入れる学生も居て、「米国と戦争したのだ」と説明すると「えっアメリカと戦争したの、うっそー」とのこと、学生の日本史の理解は以前にも増して落ちているものと確信するようになりました。

今振り返ってみて、日本の歴史を取り扱う際に2つの大きな不満を感じています。一つは時代区分です。平安時代、室町時代、江戸時代と区分して説明を行って各時代に起きた事を説明し、それぞれに時代に大きな変革があった事を教えていますが、大人になっても江戸時代というのは始めも終わりも余り変わりなく同じようなもので変革も進歩も無いような時代と思っていました。その後多少は知識が増え、江戸時代中期は大きな変動の時代であり、文化的にはその後の大きなうねりの出発点であった事が分かりました。時代は繋がっており、人々の生活に関して江戸時代の初期と幕末期、幕末期と明治を比較してみますと、当然ですが、幕末期と明治の方が近い。明治維新、大政奉還というのは確かに大きな出来事ではありますが、当たり前の事ですが、それで全てが変わった訳では無い。例えて言うと江戸時代には全ての人が和服を着用していた、現在日常和服を着ている人はほとんど居なくなっている。ある日突然そうなったという訳では無く、半世紀前の戦後期においても多くの主婦は和服であった。区切りがどうしても必要というのであれば、例えば戦国江戸開幕時代、幕末維新時代という今までとは違う視点があっても良いと感じるのですが如何でしょうか?

そして二つ目の不満は近現代をきちんと教えていないという事です。現在に繋がるこの時代を知る事は生きて行く上で欠かせないと思い、個人的には歴史教育もここに力点を置くべきであると考えています。歴史の時間が限られているというのであれば、江戸時代くらいまでは概論的な説明で簡単に済ませ、歴史教育の本論を幕末明治維新くらいから始めるべきではないかと思っています。そして近隣諸国との触れたくない問題も避けるのでは無く、日本側の視点をしっかりと持ってきちんと教える事が必要でしょう。その中でも昭和初期から昭和30年代に始まる高度成長までの歴史について日本国民が共通の知識を持っている事が不可欠のように感じています。



43・地名考(2003年 4月 5日)
最近日本では市町村の合併が進められており、新しい市が沢山誕生しています。同じ名称は出来る限り避けるようにという事で、北広島市、東松山市とか新南陽市など東西南北を付けたり、新を付けたりしている都市名があります。鹿嶋市の場合には佐賀県に鹿島市があるので、島の字を嶋にして市制を施行しています。そして最近の傾向は「ひらがな」「カタカナ」が増えている事です。分かり易い親しみやすいというのが採用の理由なのでしょうが、「さいたま市」「東かがわ市」「さぬき市」等はどうして皆がよく知っている県名や旧国名をひらがなにするのか、全く理解出来ません。「埼玉県さいたま市」、「香川県東かがわ市」と表記するのが正しいということなのでしょうが、これが分かり易く親しみ易い地名の選択とは到底思えません。一番当惑したのは山梨県に在る「南アルプス市」、カタカナにすれば分かり易いとして命名したのかも知れませんが、恥ずかしくてここにだけは住みたく無いものです。日本の伝統、そして風格のある地名を付けて欲しいものです。

そして政令都市になりますと区を設置出来ますが、これも「北区」とか「緑区」のような底の浅い地名が多く利用されています。東京にも北区があるので調べてみましたが、飛鳥山があるので「飛鳥区」、「滝野川区」等と言う地名が検討されたようですが、何故か「北区」になったようです。また東京には大田区というのがありますが、どのような意味か調べますと大森と蒲田から一字づつを採って区の名前にしたようです。何と安直な!もう少し何か例えば「城南区」とか「六郷区」とかアイデアは無かったのでしょうか?そして「緑区」というのは横浜、千葉、名古屋等にありますが、これも短絡的過ぎるように思います。イメージだけで意味があるようで無い、非常に味気無い地名だと思います。名古屋市の場合、確か守山市と鳴海町を合併する際に守山はそのまま守山区、そして鳴海町の方は緑区にしたように記憶しています、何とも味気無い地名ですね。個人的には「桶狭間区」くらいにして個性を出して欲しかったように思います。その内にこちらもカタカナ地名、「クリーン区」とか「ブルー区」のようなのが出て来るのでしょうか?それならばいっそのこと、パリのように1区、2区・・と数字で表した方がよほど合理的であると思います。

明治そして昭和も遠くなり江戸時代もほとんど歴史の話だけになっているように思いますが、一番江戸時代の影響が残っているのは行政区画の線引きであると思います。現在の都道府県の境界の多くは旧国境をそのまま使っている場所が多く、また旧国名「信濃」「加賀」「讃岐」等が現在もなお利用されています。100年以上経過しても旧国名が使われるという現象は地名というのは伝統を考えて命名する必要があるという事でしょう。また、最近長野県山口村が岐阜県中津川市に合併し岐阜県に編入されるという話が出ていますが、「信州の藤村の村が美濃になるのは許せない」等という意見が出ているそうですが、信州は過去の話であり、不変であり、今更信州の一部が美濃になるはずは無く、合併後には岐阜県は「旧美濃、飛騨そして信濃の一部」となるに過ぎないのですが、住民には長野県民という意識と信州の民という意識がいまだに同居しているのでしょう。行政改革で市町村の線引き、州道制度等が議論されていますが、いっその事、全ての線引きをやり直す、コンピュータに最適の線引きを行い全部ゼロからやり直してみては如何でしょうか?

追記(2004年 1月 6日)

最近の地名に関する話題から二つほど。日本の新聞を眺めていましたら長野県の田中知事が長野県を「信州」に改名しようと提案している記事がありました。「信州」は過去では無く現代に蘇りそうな気配です。尤も実際の手続きは煩雑であり、まず実施は難しいと思いますが、政府内でも賛成されている方が居るようで全く不可能とは言えなさそうです。もしこれが実現しましたら、県名としてはインパクトが余り無い「滋賀県」や「石川県」等が改名に名乗りを挙げるかも知れませんね。明治政府が付けた名前の中には明らかに失敗と思われるものが幾つかありますのでこの際「近江県」「金沢県」のように変更するのも良いかも知れません。

次に栃木県氏家町を中心とする地域が合併し市の名前を「さくら市」にする事が決定したというニュースがありましたが、これもイメージだけの選択ですね。桜の名所は全国どこにでもあり、特にここだけのものでは無く単にイメージで選択したのでしょう。ただこれが公募第三位というのでどのような選択の幅があったのか見ましたら、一位と二位は二つの町名の一字を取って繋げたもの、後は「みどり市」というようなものでした。もう少し千年使える地名は無いものでしょうか?また「さくら」ですが、この場所から南に80キロほど行った千葉県に佐倉市(さくら市)という市があります。こちらの方は伝統在る地名ですが、何も近くに実在する地名と同じ名前にしなくても良いものを・・と思ってしまいます。どうせイメージで名前を付けるのであれば朝鮮のように「勝利」とか「栄光」等というのは如何でしょうか?また「日本一」「天下一」とか「極楽」「天国」等という名前を付ければ話題となり日本中から観光客が来るように思うのですが・・。



42・政府予算 (2003年03月05日)
日本政府の2003年度予算案が衆議院で可決され成立する運びとなり、小泉首相はほっとした表情を見せていました。イラク、朝鮮情勢など国際情勢が緊迫するなど他に重要なニュースが多くあり、テレビ新聞などマスコミでの取り上げ方は小さく、多くの国民は国の予算に対して余り注意を払っていないように見えます。多分、「誰かそれなりの賢いエキスパートと呼ばれる人達が国家財政を運営してくれているので大丈夫、それに自分の生活には直接は関係が無いし、第一数字が余りに大き過ぎて実感が湧かずよく分からない」と考えているのかも知れませんが、日本の財政状態、本当にこれで大丈夫なのでしょうか?心配になって来ます。

よく政府の予算を家計に例えると分かり易いと言われていますので、ここでもそれをやってみましょう。政府の来年度予算は81兆円余り、これを1000万の1として家計になぞらえて考えてみましょう。81兆円は810万円となります。一家の予算規模が810万円と考えればごく普通の一般家庭のサイズとなりますね。その内訳、収入はまずお父さんの収入(税収)は418万円、お母さんのアルバイト(その他収入)が36万円、不足分は新たな借金として借りることになりますが、これが364万円となります。驚いた事に収入と借金とがかなり近い額になっているのですね。一方、支出の方は生活費(一般歳出)は476万円、借金の利子(国債費)に168万円、子供の仕送り(地方交付税)に174万円となります。このようにして見ますとこの家庭はどうみても破産状況と言えると思います。借金の支払いと子供への仕送りを除いた生活費の部分だけでさえも収入で賄えきれない状況なのです。

日本 太郎 さんの家計 (単位:万円)

お父さんの収入 418 生活費 476
お母さんのアルバイト 36 利子支払い 168
借金 364 子供への仕送り 174
収入合計 818 支出合計 818


さて次に、借金ですが、国債・借入金残高が2002年9月現在で630兆円あります。この家計で考えますと6300万円の借金があることになります、多いですね。これに子供の借金(地方債)、寸借、つけ、支払いの遅れ・・その他諸々で一家の借金全体の額は(公的負債全体)大体1億円(1000兆円)まで跳ね上ることになります。収入が400万円程度の家庭で支出が800万円以上有り、その上に累積した借金が1億円あるとしますと・・これは大変なことであると思いますが如何でしょうか?近い将来、国債の借り換え、要するに借金の期限が来て借り直す必要額が毎年100兆円に達することになります。これは上記の家計にとって1000万円に相当します。景気が悪く今後税収の伸びは期待薄だと思います。この400万円の収入が飛躍的に伸びる事はまず無いと思います、むしろ減少する可能性の方が大きいでしょう。このような家計の状態で将来どのようにしてこの巨大な1億円の借金を返済して行くのでしょうか?政治家やエコノミストの中には財政支出を増やして景気が良くなれば税収が増えて借金を返せると主張する人が居ますが、このような状況の中ではとても現実的では無いように思います。現在の状態で考えても借金を少しでも減らすには収入が支出全体である810万円を上回る必要がありますがその額は現在の倍なのですから。

少なくとも借金の増え方を抑える必要がありますが、毎年その額は増しているのが実情です。それに利子支払いもある・・これは相当大変な危機的な状態であると思います。この数年間金利が史上空前の低金利になっていますので、金利の問題がさほど表面化していませんが、1億円の1%は100万円(10兆円)です。金利が数パーセントという常識的なレベルまで上がると既に現在でも予算が組めなくなる恐れがあります、要は低金利を続けているから何とか予算が組めているとも言えるでしょう。小泉首相は当初この新たに増やす毎年の借金を300万円(30兆円)に抑えましょうと歯切れ良く話をしていましたが、何時の間にかそのような話は消え去りウヤムヤになっています。

そして普通の家庭では何とかやり繰りして生活のレベルを落として生活費を抑え無駄を出来る限り無くして行こう、仕送りも減らそうと考えるものですが、実際に数年間、橋本内閣の時にこの政策を実施しようと試みたのですが、これが現在の不況を造り出した元凶であるとされ、今では悪政と評価されています。仕送りを減らそうにも地方の借金も巨額に膨らみ危機的な状況ではドラスティックに減らすのは難しいでしょう。このような状況の中で与党の中で、声の大きい人たちが財政の支出を増やせという主張しているのは理解に苦しむものです。第三者的に責任無く、減税しろ、増税反対、景気対策として財政支出を増やせと言うのは簡単ですが、日本の財政状況の悲惨な状況を本当に分かっているのでしょうか?つけは全て先送りになっている事をよく理解する必要があるように思います。

日本の財政は完全に火の車の状態であり、このままでは挽回は相当難しいと思われます。よくプライマリーバランスの実現と言われますが、これは借金をさて置いて、とにかく通常の支出だけでも収入で賄うというものですが、ここまで悪化した財政内容を改善し、プライマリーバランスを実現する事も至難でしょうし、その上に多額の借金を抱えている。この借金のクーポン券(国債)のリスクは国内ではゼロとされ銀行などが大量に引き受けていますが国際的にはボツワナ以下という評価は納得出来る話だと思います。最近、個人向けに国債が売り出され、これは長期、低金利、途中解約に制限が多く、手数料も高い等デメリットが多いにも関わらずリスクの無い投資として人気商品になっていると聞きます。不思議な事だと思い首を傾げております。銀行等の金融機関は国債を大量に所有しているということは一旦金利が上昇すると国債の価格が下がり多額の損失が発生する訳で、この民間に対する国債バブルのリスクも膨らんでいると思います。

ここに来て株価が3月10日に日経平均で朝鮮のミサイル発射もあり、8千円割り込み、20年来の安値を付けています。この先どこまで下がるのか分からない状況に陥りパニック状態になっています。日経平均で89年末に記録した4万円から現在はその1/5の8千円の水準にまで落ちているので損失は巨大な額になるのでしょう。今回の下落の直接的な原因は米国によるイラク攻撃で、十数年前に同じ場所で起きた湾岸戦争の時は勃発後に株価が急落し、戦争終結で大きなリバウンドがありましたが、今回、日本は朝鮮のリスクを抱えていますので、例えイラク問題が何らかの形で解決して欧米市場が回復したとしても朝鮮問題が一層緊迫化して日本のリスクは高まると見なされる恐れが大きいように思います。中国、朝鮮という隣接する両国が分断国家であるという地政上のリスクは当分解決されないでしょう。

多くの企業の決算期となる3月危機が叫ばれる中、企業サイトからは悲鳴が聞こえ、現政権の政策はハードランディングを目指すもので間違っており、今はとにかく不良債権を棚上げして景気回復を図るべきである、という主張が目立って来ています。一見すると正しい主張のようであり、通常の財政状況であれば確かにその通りなのでしょう。また、その内容を見ますと日銀による株式の一層の買い上げ、土地の買い上げ等、抜本的な対策では無く要するに単に私的な不良債権を公的な不良債権に置き換えるだけの内容が多いように見えます。企業は何とか3月決算を乗り切れるかも知れませんが、これ以上公的な債務を増やして行くと最悪のシナリオを考えなくては行けない状況に追い込まれると思います。いよいよ日本伝統の得意技である「徳政令」が近いのかも知れませんね。



41・デフレ (2003年02月09日)
現在世界的にデフレが進行し、日本でもこのデフレ不況から如何にして脱出するのか議論されています。中にはインフレを故意に起こしインフレターゲットなるものを設定しようという動きがあるようです。

この現在起きている世界的なデフレは今まで世界経済の枠組みの外にあり小さな存在であった中国、そして中国ほどではないですが、インドも世界経済の枠組みの中に入って来ている事が主原因であると思っています。この二つの国の人口を合算しますと22億人と途方も無い大きさになります。中国が世界の工場として登場し、安い製品を世界に撒き散らしている、当初は製品の質は劣悪で「中国製」と書かれていると大くの人達は敬遠してものですが、最近は質の向上には目覚しいものがあります。日本もかつて同じような道を辿って来て今日の繁栄を築いたと思うのですが、経済規模が全く異なり、中国の発展と世界経済への積極的な参加こそが現在世界中で価格破壊をもたらしていると思います。一部の人が考えているような通貨供給の問題では無い様に感じます。

一方の日本では以前の土地本位制度から国債本位制度に移行しています。銀行は本来の貸し出しを抑えて多額の国債を所有し、最近では個人まで国債を持ち始めています。デフレが長期化し金利がほとんどゼロの状態が続き、その為に国債価格が長期間高止まりしている中、国債の発行残額は急速に増加しています。国債バブルの足音が迫っている。このような状況で少しでも金利が上がるような事態となりますと金融システムは耐えられないでしょう。日銀、中央銀行はなりふり構わず、銀行の所有する株式を買い取ることまで行っており、近い将来、土地やその他の資産まで引き受けることまでやるのかも知れません。「禁じ手」を行えば次第に信用を失い、コントールが効かない時代がやって来るかも知れません。銀行が所有する資産の中で国債は高々10%程度であり、国債バブルなど起きるはずは無いという意見もありますが、国に対しての信用がもし失墜する事になれば一気に事態は深刻化すると思っています。国の借金であるという意味では国債とよく似ている郵便貯金の残高が250兆円近くに達しています、もし何らかの要因で国民が一斉に引き出しを行った場合にはパニックとなるでしょう。多分そのような事が起きた場合には国は現金による引き出しを制限し、一定の金額を超す部分については国債に切り替えることでしょう。

日本は経済発展をしていた時代には長期間インフレに苦しめられていました。当時の街頭インタビューを見ていますと政治に一番期待するのはインフレ撲滅だと主婦達が口を揃え、狂乱物価という言葉まで出ていました。これに対して当時の政府は色々な方策を打ち出したにも関わらず、インフレの克服は非常に困難でした。この事を多くの日本人は忘れてしまっているのではないでしょうか?

そして、南米に住んでいる者としては、経済が不安定な状態の中でインフレを一旦起こすとなると、ハイパーインフレを引き起こすのではないかと危惧します。当方は80年代後半の2年間ブラジルに住んでいましたが、ブラジル経済自体はそれほどは悪く無かったのですが、とにかくすさまじいインフレでした。インフレはハイパー化し、月間30%近くにも跳ね上がりました。一日1%づつのインフレというのは本当にすごいものでした。「食事を早く済ませよう、料金が上がらない内に」にと真面目に話をしていた記憶があります。ドルやインフレ指数で値段を表示する事も一般的に行われていました。最終的にはブラジル政府はインフレを止める為に預金を封鎖したりインフレ指数を通貨にするというかなり強引な手法を取り、何とかハイパーインフレは収束しましたが、現在に至るまで経済不振は続いています。

国債バブルの爆弾を抱える日本も一旦インフレになると思惑とは異なり、一気にすさまじいハイパーインフレになる予感がします。月間30%くらいのインフレで国債は紙屑化し、預金もほとんど消える・・経済へ与える影響はすさまじいものになるでしょう。ただ信用を失った通貨の下落も同時に生じて、外貨建てでは価格は下落する可能性はあります。これはハードランディングなのでしょうが、もしかしましたらこの方法以外に現在の国債を返済し、借金を無くせる手段は無いのかも知れませんね。



40・テレビ番組(2003年 4月17日)

毎日NHKを見ていますが年々番組の内容が以前と比較して軽くなっているような気がします。また民放の番組を録画したものを日本の親類・知人に送ってもらい見ますがこちらの方はもっと軽い、昔も低俗な白痴番組が多かったのですが、その中でも何かと趣向を凝らし内容があるものがあったのですが、現在の番組は単に悪ふざけをして馬鹿を見せているだけ、工夫も何も無いように感じます。数年前まではおば様方に叱られるような少々エッチなものもありましたが、最近は当たり障りの無いどれも同じような番組ばかりになっています。視聴者が余り考えないようになっているのでは無いでしょうか?

NHKに関しても世相を切るような番組が多かったように思いますが、最近は次第に民放化している。誰か話をしている時に字幕が多く出るようになったのも最近の傾向のように思います。内容が深くない、本質の問題は避けて通る傾向が一層ひどくなっているように思います。底の浅い内容になっているように思います。以前は特派員報告のような番組で世界の情勢を色々な角度から取り上げていましたが、今は欧米の主要国と中国と韓国と一部アジアの情報だけで、アフリカ、南米の情報などはほとんど皆無になっています。これでは世界情勢に関してバランスの取れた正確な判断は出来ないように思います。

日本には多くの問題があるように見えます。外国との関係では朝鮮半島、二つの中国と隣国は50年間分断国家のままであり、ロシアとの北方領土は未解決のままです。国内では経済の問題は勿論、老人の急激な増加、性、教育、フリーター現象などの雇用の問題等若者の問題、増え続ける外国人との関係、様々な問題を抱えています。このような問題を掘り起こし社会に提起しているのがマスコミ本来の使命ではないでしょうか?問題を誤魔化すのではなく、正面から取り組んで行かないと日本の将来は暗いように思います。テレビをはじめとするマスコミは一部圧力団体の批判を恐れずに社会の諸問題を正面から取り扱って欲しいものですね。



39・エコノミスト(2003年 6月 2日)

日本の多くの大学には経済学部が在り、毎年経済学を専攻した多くのエコノミストを輩出しています。日本や世界の経済に関して4年間以上、みっちりと多くの時間を割いて勉学しているのですから、世界の経済的な動きには鋭い感覚が身に付くことでしょう、羨ましい限りです。今になり、大学では工学などを専攻せず世の中を見る目を養う経済学を勉強すれば良かった等と考えております。ただ面白いと感じるのは難しい経済学はさておき、一見、簡単な事象でも経済学者で見解が分かれるのが普通であるという事です。例えば最近のデフレに対する処方箋としてインフレターゲットの導入を検討するべきであるという話が出ていますが、これに関してもエコノミストの中で是非を巡り真っ向から対立する二つの意見が出ています。また経済の動向、株価の予想に関しても専門家により千差万別です。これに対して工学の分野、例えば最近問題になっているコンクリート橋の破壊の原因に関しては学者により大きな意見の差が出ないのとは対照的であると思います。

その名も「エコノミスト」言う毎日新聞社から出ている週刊誌を愛読しているのですが、色々な経済問題に関して丁寧かつ分かりやすく説明しており、教材として利用しております。ただ、数年前に発行した雑誌を眺めていますと経済予想に関しては外れている事も結構在ります。また正しい予測警告の記事の通り事態は進展したけれど、政治が特に対策を実行せずに進んだので事態は危機的な状況になった例もあります。

経済学、特に近代経済学はケインズが大きな役割を果たしたと考えられています。その後も統計的な手法や数学を使い進化を遂げているようで、ノーベル経済学賞の内容に関しては当方などは全く理解が出来ません。ただ工学を勉強した視点からしますと今後の経済学は非線形的な要素を多く取り入れて行くようになるのではないかと予想しております。人々の考え方や行動が異なるので南米に北半球とは同じ経済理論は通用しない、心理な要素等を取り入れて行くことになるのでしょう。モデルを単純化しないで出来るだけあるがままの要素をそのまま組み入れてシミュレーションする方法が開発されて行くのでしょう。これからの経済学の進化を注目しています。



38・少子化(2003年 6月 5日)
日本の少子化の現象は一段と深刻さを増しているように見えます。年間生まれる新生児は100万人そこそこ、女性一人当たりの出生数も1.38まで低下しています。老人が急速に増える一方で子供が生まれていない、日本人の平均年齢は急上昇しています。結婚をしている理性のある夫婦にとっては子供を生んでもその子の将来が不安だという理由が多いのでしょうが、とにかく子供がある程度生まれない限り社会は沈滞する一方であると思います。社会の仕組みは以前と同様にピラミッド型の人口構成を前提にしているでしょうから、この現象は社会システム全体に大きな影響があると思います。また数字には出ていませんが、少なくとも片親が外国人というケースが急速に増えているようです。

本気で少子化対策を進めて行く必要がありますが、理性のある夫婦だけが子供を作るわけでは無く、愛を突き進みその結果で子供が出来ると言うが自然であるように思います。早く結婚させる、その為には男女の付き合いを促進する必要があるように思います。シンガポールでは政府が音頭を取り、見合いを勧めているという話ですが、日本も怪しい出会いサイトに任せるのでは無く、行政が何らかの役割を果たすべきであるように思います。また興味本位になっている現在の風潮を黙認するのでは無く、積極的に関与し性教育というのは、異性を尊重し、相手を真に愛するためであるという本来の目的と意義を強調し教育の中でしっかりと教えて行くべきであると思います。子供を増やすにはセックスの回数を多くして中絶を少なくする必要があるのですから、高校生で同棲もしくは結婚しても不利益にならないようにする、そして未婚の母に対する社会全体のケアーも大切であると思います。一種の殺人となるような中絶を安易にさせない社会の仕組みが大切であると思います。託児所がある高校というのも考えて良いと思います。

老人と借金だけの国になると現在のような国際的に魅力ある製品を作り出す事は難しくなると思います。子供を増やす事を社会全体が最重要課題として取り組む必要があるように感じます。



37・水戸黄門 (2003年 6月12日)
日本のテレビで人気番組が多々ありますが、長寿で親しまれていると言えば何と言いましても水戸黄門でしょう。この番組には幾つか特徴的な事があります。ずっと以前はテレビ番組というのは一つの番組には一つのスポンサーというのが普通でした。現在ではほとんどの番組では多くのスポンサーが付き、それが当たり前になっていますが、この水戸黄門は当初より現在に至るまで松下電器の提供です。松下幸之助さんの時代にこの番組は始まり、松下と共に歩んで来たという気がします。次に何時も話のパターンが同じであるという事です。

主役の水戸黄門役は今まで何人か代わりましたが何時も水戸黄門は同じ格好であり、白い髭をつけている、話の内容は勧善懲悪、不正を働く木っ端役人に対してその悪を暴き、最後に印籠を出して身分を明らかにして、相手は恐れ入ってひれ伏すというものです。これに関しては石坂浩二さんが登場した時にパターンを変えましたが、結局元に戻ってしまいました。長い間この番組を見ていますとストーリーも似ているものになるようで、以前見たような・・というのがしばしば登場します。それでも見ている自分は何でこれを見ているのだろう、何を求めているのだろう、と考えていまいます。歴史的な事実としては徳川光圀という人物が実在したことまでであり、諸国漫遊などは行われているはずも無い事です。

歴代の水戸黄門を再放送等で見ますと古いシリーズは非常に古臭く感じます。初代の東野英次郎の時には一種の威厳があり、庶民の姿をしていても近寄り難い雰囲気というものがありました。よく考えてみますと時代劇に古臭いという感覚があるというの変な話で昔の時代を再現している訳ですからより時代が近い昔の作品の方がより実際の姿に近いのでしょう。昔の雰囲気をドラマで再現するというのは非常に難しいもので、例えば昭和30年代を舞台にしたドラマと昭和30年代に作られたその時代が舞台になっているドラマを比べますと雰囲気が全く異なっているのに驚きます。

脇役は常に助さんと格さんで、この二人は不変でシリーズによりこれにさらに忍などの脇役が付きます。この二人の共の者というのが滅法強く、連戦連勝で多勢に対しても決して負けない、怪我一つしないスーパーマンなのです。ただこの従者に関しては妻帯者になったり、その後独身に戻ったり余り一貫性が無いのが特徴です。そして決め文句、「畏れ多くも先の副将軍、水戸光圀に」というものですが、確か当初は「先の中納言」であったように記憶しています。黄門というのは引退した中納言の事ですのでこれが当然であるように思います。第一「副将軍」等という役職があるばずも無く、江戸時代の幕藩体制から考えて矛盾しているのですが、作り話で分かり易くという配慮でこのようになっているでしょう。

水戸黄門が人気があるという事に関して韓国人が不思議に見ていました。支配者が権威を振りかざしている番組が面白いのですか?と。日本では為政者に対しては期待をするものなのかも知れません。韓国や中国のように権力が一点に集中し、中央集権国家になっていたのとは違い、日本は藩それぞれが独立国であり、それを束ねる形で将軍家が在り、その上に天皇家が存在するという非常に複雑な構造をとっていたので、将軍家といえども絶対的な権力者ではなかった事が影響しているように思います。そして現在と見比べて見ますと、日本人というのは首相に常に水戸黄門を期待しているように感じます。以前の首相の中には福田さんのように自ら「水戸黄門」を名乗っていた人もいましたが、国民が小泉さんに期待しているのもそのような姿なのでしょう。

それにしても水戸黄門は不死身のスーパーマンです。かなり長い間テレビで活躍しているとそのように思えて来ます。以前あるNHKの大河ドラマで歴史的な人物として徳川光圀公が登場し、しばらくして「光圀公ご逝去!」とあったのですが、「ああ、水戸黄門も不死身ではなかった」と変な気持ちになった事を思い出します。テレビの水戸黄門は実際と乖離しているお話と分かっていても、このような気持ちになるのか不思議なものです。このマンネリから外れた意外な水戸黄門というのを見てみたいという衝動にかられます。例えば助さん、格さんが負けてしまうとか、印籠を出して本物のご老公と分かった後でも相手はひれ伏さず同じ態度を取り続けるとか、印籠を出して決めせりふを言った覆面の相手が何と綱吉公で、「馬鹿め、お前こそひれ伏せ」などというストーリーが見てみたいと思っています。




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