地球の反対側から日本を見て-03



 移住して地球の反対側から祖国日本を見ていて不思議に思うことがよくあります。「何故だろう」と考え込んでしまいます。日本への作者の思いを綴って行きます。(2002年)



36・日本語 (2002年10月19日)
世界の国には金は出さないが自国の利益を守る為に口を出し細かく注文を付けた上、自国のルールをグローバルスタンダードと称して世界中に有無を言わさず押し付ける国や、他国に密入国しテロや人攫い等を繰り返し、どんな証拠を突き付けられても「黒を白」と言い張る厚顔の国等、国際社会は遠慮は美徳等という論理は全く通用しないように見えます。

日本はこのような中でどうも遠慮し、相手は分かってくれるはずだという一方的な思い込みがあるように思います。言語に関しても遠慮し日本語を普及して行こうと努力している方も他の国と比較して少ないように思えます。日本に住んでいた時にフランス語でも勉強しようと思い立ったのですが、大学生をしていたその地方都市にも日仏学院なるフランス語を学ぶ為の学校がありました。そこで分かったのですが、フランス政府はフランス語の普及に多大な努力と投資を行ってフランス語を世界に広める活動を行っている事でした。

これに対して日本は自国語で押し通す事さえ避けているように見えます。当地で日本製もしくは日本メーカーの電化製品をよく買うのですが説明書は世界共通語の6ヶ国語に加えてドイツ語、韓国語やイタリア語が付いている事が多いのですが、日本語はありません。外国で日本語で見る人は居ないので必要は無いと考えているのかも知れませんが、日本製であるという意味からも日本の国益の点からも日本語の解説書を付けるべきでないかと思います。韓国製品には輸出用であったも韓国語が必ず付いているように思います。

また日本語は難しく他の国の人は学ぶ事が出来ない、もしくは余り人気が無く学びたいという人も居ない、と思っているのではないでしょうか?当地に住んでいますと多くの方が色々な形で日本語を勉強しています。イグアス移住地に在る日本語学校は非日系の方にも学校への入学を認めており、多くのごく普通のパラグアイ人が日本語を勉強しています。中には非常に上手に日本語の読み書きが出来るようになった生徒もいます。

また日本学校という学校では日本式の教育をする事をキャッチフレーズにして多くの生徒を集めています。学校の評判は上々で、多くの生徒を集めていますが、こちらはほとんどの生徒はごく普通のパラグアイ人です。日本語教育も行われていてそれなりに出来るようになっています。このような動きには支援して行く必要があるように思います。

日本国内では盛んに英語教育の大切さが言われていますが、日本はもっと日本語の普及に力を入れて行くよう努力して行くべきではないでしょうか?多くの資金が国際協力の名目で使われていますが、言語そして日本文化の普及に力を入れて行くべきであるように思います。相手は決してそのままで分かってくれないと思います。理解してもらう努力を積み重ねて行く必要があるように思います。



35・ノーベル賞 (2002年10月12日)

あざらしの「たまちゃん」くらいしか明るいニュースが無い日本で、今回ノーベル賞・初のダブル受賞のニュースに沸きました。二つの受賞者は実に対照的で、物理賞の方は東京大学の大教授がリーダーシップをいかんなく発揮し、官民一体となり、大きな予算を投じ大きな施設建設し国家の威信を賭けての研究であり、ニュートリノ発見の際には大きなニュースとして取り上げられていましたし、神岡の施設も当時から有名でした。直接利益には結びつかないが意義深いこのような基礎的な研究で日本が成果を挙げた事はすばらしい事であると思います。

国民の注目は勿論もう一人のサラリーマン受賞の方に向けられました。学卒で、家庭の事情で大学院に行かず企業の研究所のごく普通のサラリーマンをしている方の受賞に日本中が驚きました。博士号を持たない科学者のノーベル化学賞の受賞は長い歴史の中でこれで2例目だそうです。この研究はその後、この分野での基礎になっている重要な発明であったそうです。アイデアは今回の田中耕一さんが出されたものなのだそうですが、実際に開発し、製品として定着させるに至る技術開発はドイツの研究グループによるものなのだそうです。ドイツの研究グループはフェアーな人達で、はっきりと自分達の研究は日本の研究から発展したものであると明記されていたそうで、オリジナリティーを評価するノーベル賞は最初にアイデアを出したこの日本人に与えられたという事です。今までの日本ですとこれとは逆に外国で出たアイデアを日本が発展させて製品化するというパターンが多かったように思います。

ごく普通の目立たないサラリーマンが一夜にして国民的英雄になる、今回の話はそのままドラマにしたら多分「うそ臭い」話になってしまう事でしょう。インタビューの際の毎回の発言も非常に面白く、率直で好感の持てる人柄がそのまま滲み出ているように思います。まさに「事実は小説より奇なり」、テレビを見ている人達はドラマを見ている感覚で今回の受賞者を眺めているように思います。画面で見ている感じでは、どこにでも居るような方で、名前も田中耕一・裕子さんとありふれたお名前。(二人とも当方と一字違い:田中裕一)ちなみに「田中耕一」で検索しますと多くの研究者がヒットしました。関西大学教授社会学部教授、鹿島建設の土木技術者で活躍されて論文等を出されている方、近畿大学で修士論文を書かれた方等・・中でも愛媛大学の化学工学、バイオの研究をされている助教授が同姓同名なのには驚きました。専門が近いだけに取り違えた方も居たことでしょう。「田の中を耕す」という名前は確かに良い名前ですね。

昇進すると研究が出来なくなるので、係長より下の主任のまま、研究熱心で時には変人とまで言われる、そのような事も新聞に出ていました。業績不振、リストラで元気の無いサラリーマンに勇気を与えてくれた事が一番大きな功績であったように思います。今回の受賞で受賞された方の待遇は一変し、特進するようで近い将来、役員待遇になるとか、本当にサラリーマンの夢実現という感じですね。奥さんも当たり前事ですが、ごく普通の方のようで、何でも実家に向かうタクシーの中でラジオのニュースを聞いていて「ノーベル賞受賞、富山の・・」で同じ富山の人が受賞した事を知り、その後にご主人の名前が続いたので非常に驚いたそうですが、インタビューには「ノーベル賞等は他の世界の事と思っていました。ごく普通の主人で自分はごく普通の主婦である」と話をしていましたが、その通りなのでしょう。

東北大学工学部出身者としては初のノーベル賞受賞者となります。東北大学は「研究第一」の学風で知られる大学であり、コツコツと研究に励むタイプが多く、ある米国の雑誌ではアジア一の大学という評価もありました。工学部は特に金属・電気通信の分野では世界的な研究で知られ、八木アンテナから始まり光ファイバー(西澤先生)、半導体などでは世界的な研究が行われています。(大見教授は傾きかけていた米国のインテル社を蘇らせた事で知られています。)今回受賞の際のインタビューで「富山の高校を出たことがどう影響しているか。」との質問に: 「こつこつ堅実という面では、富山の影響もあるが、常識にとらわれないのはむしろ、東北大の影響が大きいと思う。西沢潤一先生に一回だけ授業を受けたこともあります。一年間留年したこともあります」と答えています。

今回の受賞を契機に物造りに対する評価が変化する事をなりより期待したいですね、オリジナリティーがある研究をし、成果を出せば序列などには関係無く評価されるという事がはっきりし、企業に勤務する多くの技術者・研究者に活力を与え、学生たちの理科離れを防ぐものになれば良いよいですね。「よし自分も・・」と思われている方は多いと思います。日本は「物作り」でここまでの地位を獲得した国で、その衰退が何より心配されています。今回の受賞がその歯止めとなれば良いと思います。生産的な利益を生み、価値を創造する人達が会社の大きな資産であり、企業は声の大きい能書きを垂れる人ばかり大切にするのでは無く、もう少し技術者・研究者を大事にして欲しいものです。第一線で苦労を重ねている技術者に対する給与等の待遇面の改善について、今回のことがその契機になる事を期待しています。



34・教育 (2002年05月15日)
パラグアイに住んでいて国の発展の為には教育を充実させて行かなければならないと痛切に感じます。基礎的な教育が十分に為されれば国も発展すると考えます。パラグアイの場合には国民もその重要性は認識しており、着実に内容が向上しているようで、将来が楽しみになっています。日本の有する唯一の資源は人的資源であると思います。江戸中期より識字率は世界有数であったと言われ、現在に至るまで高い教育水準が維持され、それが日本の発展に大きく寄与して来た事は疑いの余地は無いと思います。高い教育を受けた人が滅私奉公で一所懸命に働く、それがつい最近までの日本の姿であったように思います。

最近の日本を見ているとその様子が多少変化しているように見えます。「ゆとり教育」という方針が出されて、内容が少なくなり、さらに土曜日が休みとなり、教育を受ける時間が少なくなって来ている。さらに総合時間とか何とか言う分からない時間が登場し、さらに通常の授業が減って来ている。生徒は楽しい時間が増えて良いでしょうが、基礎学力を付けるという点では如何なものなのでしょうか?そもそも学校というのは何でしょうか?当方の考える定義は「勉強をする場所」です。過度の平等主義がはびこり、順位を付けるのはいけない、成績は絶対評価にしよう、などの動きがあるのを見て心配になっています、生徒が学校で勉強しなくなる、少なくとも勉強に掻き立てる要素は確実に減っているように見えます。

数日前に日本のテレビである高校で多くの生徒が授業中に携帯電話ばかりを使っていて授業を聞いていないというのです。ある理科の先生はそれを逆手に取り、「携帯で実験のレポートを書き、メールで送信するようにした。」というのです。生徒達の感想は「とても楽しかった」というものです。この番組を見てただただ呆れてしまいました。高校で授業中に携帯電話の使用を禁止する事が出来ない、それどころか授業が「楽しい場」に変化したという訳です。確かに学校もサービス産業でしょうが、提供するサービスは授業の内容であり、教育の質であると思うのです、決して生徒を甘やかし楽しく過ごしていただくというものでは無いと思うのです。授業中に携帯を使いたいのであれば、授業に出さない、高校であれば高校を辞めていただく、くらいの姿勢が正常な感覚であると思うのです。このような状況では基礎的な学力の低下は当然であるし、低下した生徒に合わせて教科書の内容を下げて行かざるを得ないというのが実情なのでしょう。

一方では受験戦争は一層厳しさを増しているようです。一部の有名大学の門は狭く、入学希望者はそれ相応の準備が必要になります。学校が勉強する場所で無くなっているのであれば、当然の帰着として有名校への進学希望者は私立学校並びに学習塾に通う事になります。公立学校に通う生徒の場合には学校では楽しく過ごして、学習塾で勉強をするというのが今の標準的な姿になっているのでしょう。これは非常に変?な事であるように思うのです。「父兄生徒の要望する勉強を教える」-学習塾が本来の学校の役割を果たしているように感じます。塾に通う事が出来ない学校での勉強だけをしっかりしているというような子供は取り残されて、有名大学に進学する事は難しいという事になるでしょう。私立や学習塾に通わせる事が出来ない家庭の子供は受験に関してはかなり大きなハンディを背負う事になると思います。パラグアイでは小学校から試験があり、落第があります。出来ない生徒は何回でも同じ学年をやることになります。もう一度日本も原点に立ち返り、学校を本来の「勉強の場所」に戻す必要があると思いますが如何でしょうか?



33・近代日本史 (2002年05月02日)
学生時代、日本の歴史を勉強している際に江戸時代までは「鎌倉時代」「室町時代」のように政権の交代を区切りとして時代区分をしているのに対して明治以降は天皇陛下の在位を基準にた元号、明治時代、大正時代、というように教わって来ている、これがどうもピンと来ない、と言って西暦でもしっくり来ない。そこで近代日本の歴史を「維新〜年」「戦後〜年」で眺めて見るとより理解が出来る様に考えますがいかがでしょうか?明治は維新とほぼ同じなのでこれを基準にし、終戦の昭和20年を戦後元年として見て行くという訳です、日本人は戦後50年くらいまでは西暦よりも元号よりも実際の基準としては、この「戦後〜年」を使っていたように思います。

もう一度明治維新を振り返りますと、1000年近く続いた武士の時代が終焉し、江戸幕府という地方の武士豪族政権を取り纏める組織が頂点にある連合体のような政権が一気に崩壊し、武士というそれまで頂点に君臨していた階級が消え、両という通貨も消え江戸幕府という国家が消えて新生・大日本帝国が誕生した。第二次世界大戦の敗戦、いわゆる「終戦」という変革もそれ以上の政変で、それまで君臨していた軍人が消えて大日本帝国も消滅、円も新円切り替えで実質的に消え失せた。近代史はまさに激動、それぞれこの二つの変動の際に生きていた人達はそれまで生きて来た社会での価値観を全面的に変更する必要があった訳で非常に大変であったと想像します。

大日本帝国というのは国名からも明らなように帝国であり、具体的には軍事国家であったと思います。国力、国民の関心は専ら軍事であり、戦艦の大きさとか軍人の数が国力を測る基準と考えられていたと思います。経済的には例え蚕という蛾の幼虫が吐き出す排出物に依存しているという心もとない状況であっても軍艦の数が多く軍事が整い、当時の国際法上の「一等国」と名実とも認められれば国民は納得していたのだと思います。一方、戦後の日本国の国力の基準はGDPであったと思います。経済力が全てという宣伝が為されて、世界〜位のGDPとマスコミで告げられ、それを一つでも上げるよう努力して来たのが戦後の歴史であると思います。

要するに大日本帝国と日本国を比較する場合には「維新」年号で軍事的に何があったのか、「戦後」年号で経済的に何があったのか比較すると日本の近代史が見えて来るように思うのです。

大政奉還が行われ、年号が明治になり、新政府が誕生し、一気に国際社会復帰を目指しました。維新10年でそれまでの支配勢力である武士の最後の抵抗が西南戦争という形で起きました。維新27年には日清戦争、維新37年には日露戦争に勝利して日本は名実ともに世界の強国にのし上がっています。この頃の日本は実に謙虚で対露戦争でも軍規はしっかりしており、統率も見事であったと思います。軍隊は弱小ながらも立派に機能し、それが勝利に結びついたものと思います。維新47〜50年には第一次世界大戦が起き、欧州での戦いを高見の見物しながらドイツが持っていた山東の利権を獲得し、中国大陸にも足場を築きました。この頃までは軍はそれなりに機能していたと考えてられます。

これ以降次第に変質して行き、維新61年には満州事変を起こし、軍の暴走が始まり、以降は軍に政治が引っ張られるという状況に陥り、維新70年には櫨溝橋事件を起こし、中国への全面的な介入を始め、維新74年には勝算の無い対米戦争を始め国家は破滅への道を突き進みます。この戦争でよく理解出来ないのは精神的な面ばかりが前面に出て、国民全体、合理的な思考が停止状態となり、戦争を始めた以上、全体のマスタープラン、要するにどのようにして終戦に持ち込むのかという全体作戦も無いまま南方を占領するという曖昧な戦略だけで戦争をしている。絶頂期以降、過度の精神主義が謳われ、世界が軍艦主体から空母などより起動性が高い装備に変化していく中、日本は大型軍艦主義に固執した。どうも成功体験で思考が停止してしまったように思います。軍がまともに機能していなかったと思います。そして維新77年、敗戦を以って大日本帝国は終焉を迎え、日本軍は消滅しました。

このように振り返りますと、維新15年くらいまでは混沌とした状況が続き、それから30年間くらい高度成長の時代があり、維新45年〜55年くらいの時に絶頂を迎え、そしてその後20年くらいで崩壊している。

戦後は戦後6年に朝鮮戦争が勃発し、戦後20年にオリンピックがあり、復興著しい日本を世界にアピールした。戦後26年に済大国日本の展示会である大阪万博を開催し、戦後29年にオイルショックを迎える。そして戦後42年〜47年がバブル景気、バブルが崩壊し、戦後53年に山一証券・拓銀が破綻、その後均衡縮小の為のリストラ、合併、破綻が相次ぎ、経済が縮小均衡に向かっている。そして現在戦後58年を迎えている。維新の時と同じように15年くらいの混沌とした時期があり、30年くらいの高度成長期、そして5年間の絶頂期があり・・・

戦後・経済が維新・軍事のように進みますと破綻の方向に進む事になります。両者を比較すると5年くらい戦後・経済の方が進展が早いように思われます。そうしますと戦後70年くらい、後10年ちょい位でまた大変革があるという推論が出て来ます。大変革の後は15年混沌の時代があり、高度成長を迎えるという同じパターンを繰り返す事が出来るかも知れません。その時の価値、「軍事」「経済」に続く国力の基準、国民の関心の中心が何になるのか想像する毎日です。



32・日本とアルゼンチン(2002年02月10日)
最近、日本の金融システムの崩壊が心配されるようになり、経済破綻を起こしたアルゼンチンのような事態になるとして、「日本のアルゼンチン化」が取り立たされるようになっています。アルゼンチンは移民の世代は懸命に働いていたと言います。戦前には既に首都ブエノス・アイレスはほぼ現在の街に近い姿であったと言います。現在でもこの街を訪れますとその大都会さには驚きますが、前後間もなく荒廃した日本から移住した方達は栄華を誇ったブエノスアイレスにさぞかし驚いた事だと思います。

20世紀に起きた二つの大戦争は世界大戦と言われていますが、主戦場はほとんどが北半球で南半球は兵站の役割を担っていました。戦争による特需が起き、食料等を大量に生産する能力を有するアルゼンチンには富が集まり世界でも有数の富裕国となりました。移民の子供達はこの裕福な国に生まれ、それが当たり前となり、遺産を食いつぶす状態が続き、今日の状態に陥ったようです。

日本は戦後第一世代は荒廃した廃墟から脱する為に猛然と働き、朝鮮戦争、ベトナム戦争という二つの特需そして冷戦化で西側の防波堤としての役割もあり、このように外からの要因もプラスに働いたこともあって、日本は奇跡の経済成長を遂げました。そして現在この遺産を食い潰している状態に見えます。その意味では確かにアルゼンチン化が進んでいるように思います。

一方では、アルゼンチンとは異なる状況もあります。アルゼンチンは国土は広く、富んでおり、人口はそれほど多くないので外国との通商を閉ざされても自給自足が出来る国で困る事は無いでしょう。開発されていない石油の埋蔵量もかなりあると言います。日本は通商の国です、貿易で得た利益で原料、石油、食料等を購入して生きている国で、通商が国の基本の国でこの点は大いに違います。人口も多く、世界経済に占める役割も非常に大きいものがあります。そしてアルゼンチンは僅か17兆円の借金で国家経済は破綻しました。日本は少なく見ても総額で800兆円はあると言います。アルゼンチンは外債に頼っており、日本は国内で90%消化しているので事情は全く違う、という説明をする方が居ますが、例え5%としてもアルゼンチンの借金総額の倍以上となります。またその多くを国内で消化しているのでデフォルトが起きた時の国内経済に与える影響はアルゼンチンよりも大きいと考えるべきでしょう。

しかしながら経済破綻が起きるとどのような状態になるのかの参考には大いになると思います。市内では市民が鍋を持ち出して毎日抗議していますが、借金を棒引きする際に貸し手側、借り手側の何れかに負担強いる事になりますが、企業、個人、金融システムが正常に働くようになるまでには相当の時間がかかることでしょう。そして政府の言葉を信用し、国内に預金をしている人達が結局は損をした結果になっています。いち早く国外に資産を持ち出していた人達が得をしたようです。日本も静かに資産逃避が始まっているのかも知れませんね。



31・日本のカントリーリスク(2002年01月26日)

近年、日本では南米諸国はカントリーリスクの高い国として投資の対象になり難いと見られているようです。事実アルゼンチンは最近、債務不履行状態、実質的なデフォルトに陥いり他の諸国の経済も冴えない現実があります。

しかしながら日本経済そして日本も同様の道を歩んでいる、むしろ日本の危機・リスクこそ根が深いようにさえ見えます。ある人に「日本は近い将来、ここ数年の間に経済破綻で大混乱になるのでは?」と尋ねたところ、「日本人は非常に賢い国民で大変な事が起きないように皆で努力、対処、解決するから大丈夫」という答えが返って来ました。確かに、この返答はある意味では正しいように思います、現在まで何も起きないように場当たり的に、その場でその時に存在する問題を対処し、その代わりに大きな問題全てを先送りにして来たように思います。外見では日本はバブル期とほとんど変わっていないように繁栄し社会に厳とした秩序が存在し、平穏に見えますがその裏側には財政金融の問題の他に地震・台風など元来日本に存在しているリスクも大きくあります。一度日本のリスク特に経済に関するものをまとめてみます。

(1)地震
自然のリスクとしてはまず地震があるように思います。再三マスコミなどで「関東大地震」「東海大地震」が起きると警告が為されていますが、戦後の機械文明になってからは実際には一度も大地震は起きておらず、このリスクの大きさは推定の域を出ないと思います。東海大地震が起きた場合には直接的な被害も大きいでしょうが、日本の大動脈が寸断されてしまう事は間違い無いと思います。阪神大震災の際に新幹線の桁が落下する事態が生じましたが、幸いにも運転時間外で事なきを得ました。しかしながら運転していない時間というのは一日僅か6時間、次回もこの時間に起きるとは限りません、むしろ確率的には25%しか無く、運転されている間に起きると覚悟しておかなければならないと思います。建設から35年以上経過している東海道新幹線、補修も万全を期しているでしょうが、毎日振動を受けて構造物が劣化しているのは間違いないと思います。被害を受ける長い距離の間に弱い部分が全く無いとは考えられない気がします。もし桁が落ちたらと考えると戦慄が走ります。特に富士市付近では確か高速道路も含めた大動脈が狭い地域に密集しています。もしここが被害を受けてしまったらどうなるのか?日本の経済活動の長期間停滞は避けられないように思います。しかしながら、プレートが日本付近で複雑に衝突している現状ではこのリスクを避ける方法は無いように思います。

(2)火山列島
そして富士山のリスクが大きくなっているように思います。首都圏の隣接した場所にこの火山がある、これは大きなリスクであるように思います。江戸時代まで噴火を繰り返し現在の関東ローム層が出来た事を考えますと山麓地域の開発が進んでいる現代では甚大な被害になるものと予想されます。

(3)地政
次に地政的なリスクを考えてみたいと思います。日本は東アジアの端に位置しており、近代技術が発達する以前、長い期間にわたり鎖国も可能であったほど他の国と離れていました。しかしながら近代に入り、実質的な距離は急速に短くなっています。日本への直接的な脅威は隣国に位置する朝鮮半島と中国です。朝鮮半島が停戦状態になり、既に50年近くが経過しようとしています。経験則ですが、50年が経過するとどのような大事件も「歴史」となり呪縛が解け新しい時代になるように思います。あの世界大戦ですら例外では無く冷戦構造は完全に崩壊しました。朝鮮戦争から50年近く経過してどうやらこの戦争で活躍した(暗躍した)主役達の多くは亡くなり、「歴史」になりつつあるように感じます。北が崩壊して南北が統一するというシナリオが一番現実的であるように思いますが、最も平和的に統一した場合でも大きな混乱が生じる事は必至であると思います。また、日本に存在する在日社会にも大きな影響を与える事になるでしょう。そして場合によっては多くの難民がやって来るでしょうし、復興にも多額の費用がかかり、かなりの負担を日本は強いられる事になるでしょう。振り返りますと、日本が高度成長の発火材料がこの朝鮮戦争による特需であった事を考えれば相応の対応は自然な流れであると思います。そして中国、ここも分断国家として50年が経過しています。さすがに新しい時代に入り経済的には非常に密接な関係となっていますが、政治的には未だに解決の方策が見えて来ません、一方の当事者である国民党が実質的には崩壊し、ますます話し合いが難しくなっているにさえ見えます。この二つの分断国家が隣国であるという世界で最も厳しい状況の中に日本は存在している事を常に意識しておく必要があるように思います。

(4)人口構成・高年齢化
人口構成に関しては言うまでもありません(平均年齢は世界は26歳、日本は41.3歳)。これが50年には53.2歳まで高くなるそうで、今後しばらくは世界最高を維持すると見られるそうです。また日本でいま子ども1人に対し60歳以上が1.5人なのに対し、50年には日本を含む4カ国で「子ども1人に60歳以上が4人以上」と高齢化が急速に進行しており、世界でも例が無い老人大国になろうとしています。日本は年寄りばかりの国になるという事です。老齢化が進むと年金・医療費がかかり、コストが増加するのに対して生産人口は減少して経済を支える層が少なくなる懸念が持たれています。社会コストが高くなると、それを税金等の形で負担するとなり、企業のコスト増に繋がり、国際競争力が失われる事になると思います。また社会が保守化、硬直化し、新しい事態に即応出来なくなることでしょう。そしてインフラの老朽化の問題があります。東京などの大都市では高度成長期に都市の大改造を行い、高速道路、地下鉄などのコンクリート土木構造物を建設して来ました。これらの構造物の大規模な補修が必要になる時期が近づいているように思います。特に大きな要因が無いのに高速道路の桁が落下した・・などという事態が起きる可能性があるように思います。現に新幹線のトンネルでは構造物の一部が落下して電車に当たる被害が生じています。これらのコストも増えて行く事でしょう。

(5)エネルギー
そしてエネルギーの問題があります。自国燃料の確保と言う事で長い間「石炭産業」を保護して来ましたが、政策の転換で現在日本から炭鉱は消えました。自国で生み出しているエネルギーは水力発電などごく僅かであり、その多くを石油・天然ガス等の化石燃料と原子力に頼っているのが現状です。石油は当然ですが近い将来枯渇する資源です。現在までは何とか安価で購入する事が出来ますが、何時貴重品となるのか分かりません。政治的な道具にも利用され易いので、お金があっても必要量を確保出来るとは限りません。日本には寒い冬があります、燃料が無くては生活出来ません、必要なエネルギーを何時までどのくらい確保出来るのか、心もとない気がします。

(6)食料
そして食料、これは戦後飛躍的に生産量が増えて現在のところ、先進国では食料不足が顕在化していませんが、これも人口が爆発的に増加し、世界の多くの場所では飢餓が深刻な問題となっている現状から、ある時必要な量が確保出来ないという事態が来るかも知れません。鎖国の江戸時代には人口が約3千万で静止していました。度々起きる飢饉などもあり、人口が調節されていたのでしょう、現在はこの4倍の人が住んでいます。一旦食料が輸入されない事態となったらどのように食料を確保するのでしょう。日本の食料自給率は非常に低くそれも輸入飼料等を使った生産物を国産として計上したものです。

(7)貿易収支・国際収支
次に貿易について考えてみたいと思います。現在経常収支が次第に悪化しています。このまま推移するとこの数年の内には経常収支は赤字になる事でしょう。戦後の日本の貿易構造は、工業製品を売って燃料と食料を買うというものでした。ごく最近までは日本製品は国際的に高い評価を受けて、絶対的な優位を保って来ました。ここに来てその点が怪しくなっているように思います。高い技術力を底辺で支えて来た中小企業は崩壊状態となり、自動車・家電などの核となる産業も急速にその競争力を失いつつあります。エコノミストは在庫調整とか景気の循環等に注目しているケースが多いのですが、実際経済の根本のところで大きな変化が起きているように思います。このままの事態が進み、増税圧力が高まれば国際的に競争力のある企業は日本から拠点をどんどん外国に移して行くことになるでしょう。その一方で中国などの追い上げは急で、今後日本は何を売って行くのか戦略を立てる必要があるように思います。

(8)国際競争力
その技術力確保のために後継者としての人材育成が急務なのですが、教育の問題は深刻で学生の学力低下が取り立たされていますが、特に理数系の落ち込みは大きいようです。大学の理工学部は文系学部と比較すると拘束される時間は長く、油や泥にまみれながら地道に勉強する必要があります。企業においてある年齢になると技術職の多くは営業その他、他部門に配置転換される事が多く、またもしリストラされた場合には持っている技術が時代に合わない場合には就職も難しいという現実があります。この現実から理工学部に進学せず、経済学部で遊んで過ごして綺麗な事務所でカッコいいディイラーになりたいと思っても仕方が無いように思います。技術者を大切にする社会をもう一度構築する必要があるように感じます。

(9)民間財政
そして財政金融の問題があります。まず株価の低迷に関しては、低迷の要因を個人の資金が市場に入らない事に帰着している議論が多いのですが、現在全企業の決算を総合計すると赤字であり、要するに総計すると日本経済は収益を挙げていないという資本主義としては異常事態が発生しており、収益が上っていないので金利がゼロに近づいており、このような状態で株に価格が付いている方が不思議であるとさえ思います。また、銀行の不良債権が43兆円などと言われておりますが、実際には180兆円にも上るという推計もあります。国が資本を入れて何とか保っている銀行も多いようですが、配当が出来ないと国有化ということで、準備金を取り崩して何とか中間決算を凌いだ銀行が多いようです。銀行株は一本調子で下がり続けています。このままでは大銀行破綻と言うような最悪の事態も有り得るように思います。特融、資本の再注入もあるということですが、それこそ新旧勘定の分離くらい大胆な政策を取らないと問題は解決しないかも知れません。

(10)国家財政
そして国債の問題は更に深刻です。02年度末の国債残高は414兆円、国と地方の長期債務残高は693兆円に膨らむそうです。新規国債が30兆円に抑えたと大騒ぎしていますが、増大している事に何ら変化はありません、借り換えを含めて100兆円に達するのも時間の問題でしょう。銀行が70兆円というかなりの額を引き受けており、もし価格が下がれば膨大は損失を計上する必要があり、たちまち破綻してしまう金融機関も多いと思います。5年以上ゼロ金利を続けた弊害としてこれが経済の前提条件となってしまい、インフレに出来ない経済になっているように思います。表に出ていない、隠れた負債を含めると1000兆円あるという話を耳にします。もし本当であれば金利が僅か1%増えると10兆円の金利負担が生じるということになります。国債の増加を抑えるためには増税しか残されていないと思いますが、例えば消費税を20%にした場合、消費は壊滅的な打撃を受けるでしょうし、優良な企業・個人の流出に拍車をかけることになると思います。破綻せずにこのまま持ち堪えたとしても数年内には予算が組めない事態になってしまうように思います。大胆な構造改革が必要であることは言うまでもありません。

このように列挙しますと日本は実際には「リスク大国」であり、現在の前提条件のほんの些細な部分がおかしくなっても大混乱に陥る危険性を孕んでいるように思います。

この国債ですが近い将来、引き受け手が無くなり暴落する恐れがあります。銀行などが買ってくれないとしても、おいそれと国民が買ってはくれないと思います。一つのアイデアですが、国債をお札と同じような形で発行しては如何でしょうか?勿論あくまで国債ですから償還日を明記する必要はありますが、形や大きさ、外見をお札と同じようにして1万円、10万円札としても使えるように発行するのです。現在お金として流通している「日本銀行券」とこの「日本国債券」が一緒に流通するという訳です。(勿論額面の価値は同じという訳です)「国債券」に関しては償還日には利子を付けて「日本銀行券」と交換する事を明記しておきます。例えば償還期間を5年としますと最初の2年間くらいは「国債券」を手にしても使うかも知れませんが、償還日が近づくにつれて皆タンスにしまい込むと思うのです。残り2年くらいになると5年分の利子が手に入るわけですから使わずにそのまま持っている方が得と考え、多くの国民はこの国債券を保有する行動を取ると思います。これを継続的に行えば流通している通貨量を余り増やさず、結果的に広く国民に国債を保有してもらえる事が出来ると思うのですが如何でしょうか?



30・日本-ラテン化のすすめ (2002年01月24日)
日本の閉塞的な状況を見ていますと日本を良い意味でラテン化して行くのが良いのではないかと思ってしまいます。多額の国債・地方債、銀行の不良債権、製造業の衰退、失業率の増加など暗い話ばかりの日本ですが、ラテン的な、もっとおおらかな社会に変えてみては如何でしょうか?

まずは恋愛の奨励、これには二つの目的があります。異性と恋愛関係のある時にはやる気が出て前向きになる事、そして出生率を上げる事が出来る。夜這いが無くなり一夫一婦制が敷かれたのは明治だと聞きます。日清・日露そして第一次世界大戦と苦しい戦争を戦う男性、女性たちに節度が求められたそうです。それ以前は日本は非常に恋愛に関してはおおらかな社会であったようです。現在のような国民全員が結婚を登録して配偶者となるとどちらかが姓を変えるというのも明治以降でしょう。もっと色々な形での男女の出会いを創造する社会が必要であるように思います。二番目の目的は出生率のアップです。例えば未婚の母子に対して差別無く社会的に認知して行く必要であるように思います。子供が少ない事が社会の活性化を削いでおり、生涯子供を持たない女性を少なくする事が求めらられているように思います。男女関係の活性化が必要であると思います。

そして社会のあり方、文化面でもラテン化をして行くと良いのではないでしょうか?欧州の料理を考えますと美味しいと言われている料理はフランス、イタリア、スペイン等どちからと言いますとラテン系のように思います。ファッションもイタリア、フランスが有名ですね。日本は明治以降、社会のシステムをドイツ、英国、米国のものを取り入れて社会をアングロ化して来たように思います。アングロ化した為に安定的で着実な社会を作り出しましたが、反面、窮屈で面白みに欠ける社会であるように思います。「人生は楽しむ為にあるものだ」という事を前提に週末には皆で楽しむようにすれば消費も上がり、結果的にはワークシェアリングにも繋がると思いますが如何でしょうか?



29・カジノ (2002年01月03日)
2002年の日本は不況の中で経済に明るさが見えない状態で始まりました。雇用は落ち込み新しい産業は思うように育ちません。国は税収不足で新たな国庫への収入が必要な状況となっています。そこで新たな資金源としてカジノを解禁にしてはどうでしょうか?日本では賭け事は悪い事、「おこちゃま」には特に有害なものであり、サッカー籤も18歳未満お断りの世界なのですが、競馬・競輪・宝くじなどは盛隆を誇っています。パチンコも直営の景品所があり、そこを利用する事で換金出来ます。実質的にはギャンブルで溢れている日本、それならばカジノを始め全てのギャンブルを公認してはどうかと思います。

国・公共団体が許認可を与え、一定の料金を支払えばカジノ等のギャンブルを経営する許可を与えるというものです。勤め帰りにちょっとルーレットを楽しむとか、日曜日はポーカーで一勝負という訳です。カジノを始めアイデア次第では外国人観光客を呼び込む目玉になるように思います。何事も建前上、禁止すると暴力団等、闇の世界の資金源になります。隠れて存在するものならが、国庫に入るようにしたら良いというわけです。人体に直接害が在るような麻薬や拳銃の禁止は当然の事であると思いますが、それ以外の事は出来る限り公認して行く、そして少しでも国庫を豊かにして行く方法を考えて行くべきだと思います。

「飲む・打つ・買う」と言いますが、これを楽しみに外国旅行に出掛ける男性軍は多いと思います。このようなニーズを国内に揃えて国内でお金を使わせるようにし、逆に外国から旅行客をび込むという訳です。米国のネバダ州は砂漠地帯で産業が育ち難い環境にあります。「飲む・打つ・買う」の規制を緩やかにして多くの観光客を呼び込む事に成功し、ラス・ベガスは世界一カジノが有名な街になっています。日本も過疎地帯で住民の支持が得られた場所では、認定地域として規制をぐっと緩やかにしすれば、少々「いかがわしい歓楽街」が出現して多くの人を集める事が出来るようになると思いますが如何でしょうか?考えられる事は何でもやってみる、くらいの事が無いと財政破綻は間近に迫っているように感じます。貿易収支が悪化している現在、サービス収支を少しでも改善し、経常収支の悪化を食い止めて行くべきであるように思います。




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