パラグアイについて考える-02



 
パラグアイに関して作者の意見を気の向くまま述べて見ます。



31・世界一前向きな国 (2012年12月22日)
パラグアイは汚職ランキングなど世界ランキングで上位に来る時には余り良い事では無い場合がほとんどですが、今回ギャラップの「世界前向きランキング」で堂々一番となりました。良い事で世界一というのは嬉しいことですね。日本の新聞でも取り上げられており、日本での受け止め方は上位10位の中で7ヵ国が中南米という事でやはりラテン系というものです。ただその7ヵ国の顔ぶれを見ますと南米よりも中米の国が上位に来ているのは少々意外でした。IMFによる来年の経済成長予想ではモンゴル、イラクに次いで世界3位の11.5%とこちらも上位に名を連ねています。2012年は歴史の転換点になるという事はマヤ暦など色々と言われていますが、今まで世界をリードして来た先進国に翳りが出て南米は相対的に目立つ存在になって来たようです。世界的に不況と言われ閉塞感が蔓延しているようですが、手付かずであった南米はその可能性から基本的には成長路線であり、注目されるようになったのでしょう。パラグアイは基礎インフラを整備ししっかりと教育を行えば成長の余地は大きいと思いますが世界の皆さんがその事に気が付いたのでしょう。今の時点ではまだまだやれる事が多いパラグアイ、世界からますます注目を受け、多くの投資がならされ、しばらくは経済成長して行く事でしょう。

「前向き」世界一は中南米 日本59位 米調査(共同)
中南米の人は楽天的−。米調査会社ギャラップ社が世界の国民の「前向き度」を調べたところ、上位10カ国に中南米の8カ国が入ったことが20日までに明らかになった。日本は59位だった。 同社は148カ国の国民千人ずつに電話や対面で、前日に「よく休めたか」「面白いことがあったか」「たくさん笑ったか」など5項目を質問。それぞれに「はい」と回答した比率の平均を算出した。 パナマとパラグアイが85%と同率首位となり、エルサルバドルとベネズエラが84%で続いた。5位にタイ、7位にフィリピンが入った以外はベスト10を中南米の国が占めた。最下位は46%のシンガポール。日本は72%でラオスなどと並んだ。昨年の調査のため、東日本大震災が回答に影響を与えた可能性もある。




30・人口の増加 (2011年 5月23日)
パラグアイの人口は現在約650万人ですが、近年人口の増加率が鈍化しています。

GDP 増加率 人口 増加率 GDP/人
- 千ドル - - - ドル
2000 7,251,642 5,346,267 1,356
2001 7,401,336 2.06% 5,456,418 2.06% 1,356
2002 7,397,741 -0.05% 5,566,852 2.02% 1,329
2003 7,681,785 3.84% 5,677,448 1.99% 1,353
2004 7,999,448 4.14% 5,788,088 1.95% 1,382
2005 8,228,111 2.86% 5,898,651 1.91% 1,395
2006 8,585,255 4.34% 6,009,143 1.87% 1,429
2007 9,165,731 6.76% 6,119,642 1.84% 1,498
2008 9,699,803 5.83% 6,230,143 1.81% 1,557
2009 9,326,691 -3.85% 6,340,639 1.77% 1,471




29・パラグアイとボリビア (2010年 8月30日)
南米には12の独立国がありますがその中で内陸国はパラグアイとボリビアだけです。隣同士の二つの国は似ている点も多くあり、また地勢的に置かれている立場も共通するのですが、70年ほど前に列強の思惑もあり、地下資源が豊富にあるのではないかと考えられたチャコを巡り戦争となり未だにそのしこりが残っているように感じます。例えば勿論両国は陸続きで道路で結ばれてはいますが、通常の自動車が通行出来る道路は一本だけでそれも国境付近が未舗装のまま放置され簡単には往来が出来ない状況です。また空路にしても両国の首都であるアスンシオンとラパスを結ぶ直行便が就航したのは今年で、それも深夜の非常に不便な時間に「おまけ便」として飛んでいるだけで、到底隣国とは信じられない現状があります。日本の人は地図を見てアスンシオンから簡単にボリビアに抜けられると思っているようで、実際に当地に来て苦労される方も多いようです。相手への関心も薄くパラグアイでボリビアを思い出すのはサッカーの南米予選の時と盗難された自動車のマーケットとしてだけという話もある程です。

歴史的にはパラグアイはアルゼンチンなどのラプラタ諸国の一員という感じなのに対してボリビアは元々はアルトペルー(ペルーの高い部分)と呼ばれていたようにペルー等のアンデス諸国との繋がりが強く文化的にはペルーとよく似ていて、隣国パラグアイよりも国境を接していないエクアドルやコロンビアに親近感を抱いているように見えます。同じラテンアメリカそれも隣国でこれだけ差異が大きいというのも珍しいと思います。ただ、両国には意外に補完関係にあり、将来的には協力関係が確立出来れば良いパートナーになって行く可能性があると思います。人口を比較しますとボリビアは1千万人を超えたところ、一方のパラグアイは650万人とかなりの差がありますが、ドル建てのGDPを比較しますとほとんど同じ規模で推移しています。経済の内容は大きく異なりボリビアは鉱山資源が中心なのに対してパラグアイは農牧産品が主体です。地下資源特に化石エネルギー資源が未だに発見されていないパラグアイですのでボリビアの天然ガス等は魅力です。

両国とも人口の増加と共に急速に経済発展を遂げており、この勢いが続けば近い将来お互いの存在をより強く意識する時代が到来すると想像しています。ブラジル、アルゼンチンの南米の両大国とは異なる路線を進み、自国の国益を主張するには立場を同じにする仲間が必要で両国が協力して行けば双方の利益になると思います。しかしながら実際にはアスンシオンで周囲の人にボリビアについて尋ねてもほとんど知らず、チャコ戦争に勝利した事で見下す傾向もあり、低所得人ばかりの貧乏な国と信じ込んでいるのが実情で、ラパスに観光旅行に行くと言いますと不思議そうな顔をされてしまいます。このような人にラパスの方がアスンシオンより大きく近代的と説明しても信じず、撮影した写真を見せると発展ぶりに驚きようやく関心を示します。将来的にはパラグアイとボリビアで色々なレベルで特に若い人たちの間で交流が進み、理解が進めば状況は変わり、近くて遠い両国の関係が真に隣国の関係になり南米の中央部に位置するだけに面白い展開になる事でしょう。


[世] [画像] - 名目GDP(USドル)の推移(1980〜2010年)の比較(パラグアイ、ボリビア)[世] [画像] - 実質経済成長率の推移(1980〜2010年)の比較(パラグアイ、ボリビア)
[世] [画像] - 人口の推移(1980〜2010年)の比較(パラグアイ、ボリビア)[世] [画像] - インフレ率(2000=100)の推移(2000〜2010年)の比較(パラグアイ、ボリビア)



28・国境 (2009年 4月15日)
パラグアイは内陸国であり、国境に囲まれた国です。パラグアイにとっての国境とは何を意味するのか考えてみたいと思います。ヨーロッパ人が入り込む以前、先住民族の間には何らかの境界線はあったのでしょうが所謂「国境」というものは存在しませんでした。スペインから南米に渡って来た当初の目的は現在のボリビアにある銀でした。銀を目指してアスンシオンに街を築き橋頭保とし、開拓に向かいました。その後現在のペルーからのルートで銀鉱まで行けるようになり、パラグアイ川を上り開拓に向かう必要も無くなりスペインからの住民も定住化するようになりました。当時は広大な土地に少数の人が住むだけであり、見渡す限りの土地が全てスペイン領であった訳で国境は不要でした。その後、ブラジルで労働者が不足し奴隷狩りに出たバンデイランチと呼ばれる集団と遭遇し紛争が生じたのでポルトガル領との境界が必要となりスペイン領とポルトガル領の境が出来ましたがスペイン領内の区分けというのは余りはっきりとはしていなかったと想像します。

統治の必要性から広大な植民地を統治する為にスペインは自国の中南米の領土を細分化しました。パラグアイを二つに分けてアルゼンチンとパラグアイとし、ブラジルとの係争地は英国の意図もあり、ウルグアイとなりました。19世紀に独立を果たしそれぞれ別の国家として独自の道を歩む事となり、国境も確定しました。国境を巡ってはパラグアイは独立後2回の戦争を行い多くの犠牲を出し現在の国境が確定しました。国土は独立当初と比較しますと半分になってしまいましたが、それでも面積は日本よりは広く決して小さい訳ではありません、国家の面積としては世界的に見ればごく平均的なものであると思います。南米に来るまで不思議であったのは何故同じスペイン語で文化的も大きな差異が無いのに四分五裂し、それぞれが独立国家になっており、統合や関税同盟の動きがあってもなかなか実効が伴わないのかという点です。欧州では二十年前までは実際に東西を隔てる壁があり、言語・文化が異なり一体化が難しいと見られていましたが近年は着実に統合へ向かい国境が次第に低くなっているように見えます。これに対して南米ではメルコスールが発動する等、多少は国境の壁を低くする取り組みを行っていますが、実際にはほとんど変わっていません。

パラグアイにとって国境は障壁なのか防御壁なのか考える必要があると思います。古来、欧州から中国にかけて大陸にある多くの都市は城壁に囲まれていました。外敵から守るためで近代になってほとんど取り壊されました。防御としては意味を為さないばかりでは無く障害になっていたからだと思います。世界中グローバル化が進行して国境も次第に防御の意味を為さなくなって来ているので次第に低くなっているのだと思います。国境は二つの国を隔てているので、双方が低くする事に合意しなければなりませんが、パラグアイの国境は低くなる様子はありません、これはパラグアイにとって国境は障害よりも防御壁となっているからだと思うのです。南米大陸の中央に位置しているのにも関わらず島国を演出しているのが実情のように見えます。アスンシオン市、エステ市、エンカルナシオン市、ペドロファンカバジェロ市などパラグアイの主要都市は国境付近に位置しており、街の中心から10キロも行けば外国という状況で、客観的に見れば国際的な国家になっていても良いと思うのですが実際は逆になっています。パラグアイの中で通じる常識による外とは別の小さな社会を構築して行こうとしているように見えます。三国戦争でアルゼンチン、ブラジル両大国の実力を見せ付けられ、両国の影響を出来るだけ小さくしておかないと飲み込まれてしまうという思いからなのだと思います。

時代は変化しパラグアイが好むと好まざるにも関わらずグローバル化は進行し国境はこれから少しづつ低くなって行く事でしょう。アスンシオンからコリエンテス方面に出掛ける際にはパラグアイ川の対岸にある国境を通過しますがわざと橋を遠くに造り、国境を越えるのも時間がかかるようにしています。アスンシオンから出発し、パラグアイ川を渡り約一時間かけて国境に到着しそこでまた一時間程度手続きを行いアルゼンチンに入り何となく遠くに来たような気になりますが、国境検問所を過ぎて左側を見ますとアスンシオンの市街地(セントロ)が目の前に見えます。ヨーロッパのようにメルコスールでも国境での検問などを止めて橋を架けますとこの地点までアスンシオンのセントロから僅か10分程度で来る事が出来るようになると思います。アスンシオンの市街地がアルゼンチン領内にも広がって行く事でしょう、フォルモサ市まで100キロ程度の距離しかありませんので、経済的な繋がりも強くなる事でしょう。メルコスール内を自由に往来出来るようになる時代は近い将来やって来るでしょう、その時にパラグアイはどのようにアイデンティティーを保ちまた本当の意味での国際国家として生きて行くのか注目です。



27・コリエンテス市とアスンシオン市 (2009年 4月15日)
パラグアイ首都アスンシオンと一番似ている都市はどこかと言いますとアルゼンチンにあるコリエンテス市である事はまず間違い無いでしょう。アスンシオン市はスペイン統治時代、ラプラタ流域の中心都市であった当時には「母なる都市」と呼ばれここを拠点に多くの都市が作られ、その中の一つがコリエンテスです。コリエンテスはアスンシオンからパラグアイ河を下りパラナ河と合流した場所の少し下流に位置しています。両都市の距離は直線でおよそ300キロ程です。同時期に作られたことと、地形が非常に似ているので今でも似ているという訳で、同縮尺の航空写真で両都市を比較しますとよく分かります。河が北から南に蛇行して流れ半島のようになっています。アスンシオンから植民を目的に開拓に行った人達は多分良く似ている地形を見つけて喜んだ事で、道路の区画や幅も同じように作られたのだと思います。

その後、コリエンテス市はアルゼンチンの一地方都市となり、アスンシオン市はパラグアイの首都となりました。現在はコリエンテス市は人口30万人強、アスンシオン市は都市圏で二百万人に達する規模に成長していますが、セントロ・旧市街地に限れば大体同じ大さです。コリテンテスは要するにアスンシオンをもしアルゼンチンにしたらどのようになるのかという事を示しているように見えます。コリエンテスを訪問して感じたのは実に似ているという事で時々アスンシオンを歩いているのかと錯覚を起こす程です。コリエンテスの方が人口が少ない事もあって比較的のんびりとした雰囲気があり、アルゼンチンのお洒落な雰囲気もあります。

一番の違い、コリエンテスを訪問した感じたのは河岸がしっかりと利用されているという事です。アスンシオンは河岸は不法住居の貧困層に占領されてしまっており、河岸を行く道路も無くほとんど利用されていないのに対してコリエンテスはしっかりと活用されています。河岸に沿って中央分離帯がある大きな道路があり、散策や河岸で遊べるようになっており、市民の憩いのスペースとなっています。道路の反対側にはレストランなどが多くあり魅力的な観光スポットとなっています。アスンシオンも今からでも河岸をしっかりと利用する事を考えるべきでしょう。もう一つ感心したのは歩行者専用の商店街がある事です。市民が歩いてショッピングや軽食喫茶を楽しめるようになっており、家族連れや若い人のグループで賑わっています。アスンシオンのセントロにはゆっくりと歩いて散策して楽しむ場所はありませんのでこれを見ますとパルマ通りから自動車を完全に締め出し歩行者専用の道路にするべきであると思います。両都市を見る限りでは残念ながら計画的に住み良い都市にする知恵はアルゼンチンの方が勝っているように見えます。

コリエンテスとアスンシオンのもう一つの違いはコリエンテスでは対岸まで橋があり、アスンシオンには無い事です。アスンシオンの場合には反対側に行く為には大周りをしてセントロから20キロも離れた橋を利用するしかありませんが、コリエンテスの場合には市街地の中心から直ぐに反対側に行く事が可能です。アスンシオンの場合には川幅がコリエンテスの半分しか無いにも関わらず橋がありません。これは国防上の問題からなのでしょう。アスンシオン・セントロの反対側の南半分はアルゼンチン領となっています。要するにセントロからアルゼンチンに国境を跨ぐ橋を架ける事は左程難しい事ではありません。現在はアルゼンチンに行くには対岸にあるセントロから直線距離で2,3キロの国境まで行くのに50キロ程迂回して行かなくてはなりません、そして入国には煩雑な手続きが必要でアルゼンチンに簡単には行く事が出来ません。もし国境の橋が出来てしまいますと大統領府から自動車で10分でアルゼンチンに行く事が可能となってしまい問題になってしまうので敢えて架橋しないのでしょう。もしメルコスールが進展してEUのように往来がノーチェックになりここに橋が架けられますと双方が眠りから醒めたように活気が出て来る事は間違いないと思います。特にアルゼンチン側には現在はほとんど何もありませんので急速に変化すし、ボーダレス化が進んでいる状況からそのような未来は確実にやって来る事でしょう。そのような時代になった時にはアスンシオンは再び南米の中心として輝くのではないかと期待しています。

コリエンテス市



(地図:コリエンテス市:グーグルアース)



(地図:アスンシオン市:グーグルアース)



26・エリート (2009年05月02日)
パラグアイ人のエリートに対する見方はどのようなものなのでしょう。まず日本の場合を考えてみますと日本人のエリートに対するイメージは多分「一流大学を出て中央官庁もしくは一流企業に勤務いしている人」というようなものでしょう、そこに行けばエリートが集団を作りお互いに競い合いながら高度な業務をこなしているというようなものでしょう。一流大学も一流会社も特に定義があるわけではありませんが、メディアなどを通じてある程度序列化が進み、社会的な勝組と見なされ若い人達はエリートになる事を目指しているのでしょう。昔と比較しますと大分緩和されたとは言え激しい受験競争があるのはエリートを目指す戦いが存在する証だと思います。一旦、エリートとなりますと自他ともに意識し、日常の行動にも節度を求められ、毎日を切磋琢磨しながら生きて行くというイメージがあります。このエリートの概念には収入との相関は問題では無く、あくまで社会的な立場が重要であるよに思います。エリートを目指すのは社会的な勝者を目指しているもので、当然社会的な地位が高ければ収入も多くなるはずですが、金銭はどちらかと言いますと副次的なもので後から付いて来ると考えているでしょう、金が目的では無い点が少々特殊なように思います。

パラグアイは貧富の差が大きい国ですので社会的な勝者と敗者がはっきりと分かれていると言えます。金持ちと貧乏という概念は国民誰もがはっきりと持っていますが、エリートと非エリートという概念が無いように見えます。一つにはエリート集団が無い事が挙げられます。大企業が存在しないので雇用されているサラリーマンでエリートという層が存在しません。パラグアイでは激しい受験競争は余り目立ちません、確かにアスンシオン大学医学部のように受験競争が激しい場合はありますが、どちからと言いますとこれは例外であり、私立大学など大体の場合にはそれ程激しい競争はありません。そもそも日本で考えるようなエリート集団が存在しないので目指すモチベーションが無いようです。官庁も日本のような定期採用は無く、どちからと言いますとほとんどが縁故採用という感じですので個々では能力の高い人が居ますが優秀な人が集団を作っているという印象ではありません。これに対して金持ちと貧乏人の差は歴然としていて、大人になるに従い自分がどちらの層に属しているのかはっきりと分かります。都市部と農村部との格差は大きいものがあり、都市の中でも富裕層と貧困層の格差は大きいものがあります。貧困層の多くの人はこれは運の問題で富裕層は楽をして金持ちになっていると考えているように見えます。確かにある程度生まれで将来の所得が決まり、また貧困層の人が富裕層の生活を見る場面は運転手もしくはお手伝いさんというような職業でしょうが、そこでの富裕層の人は確かに楽をしている事でしょう。富裕層の人はそのような人には自分の重要な部分は見せないでしょうし、また見せる必要もないからで主にオフタイムの時間にこのよう人達と一緒に居る事が多いと考えられます。オフタイムしか見ないのでこのような人達は「自分達は一所懸命働いているのに雇用者はぐうたらしている」と考える事でしょう。

ではパラグアイ人に「エリート」というのはどのような人なのか尋ねるとどのような答えが返って来るのでしょう、多分、「豪邸に住み、大きな牧場と幾つかの企業を所有し、センテナリオのような有名クラブに所属し高級車を数台所有し、ブラジルもしくはウルグアイの海岸に別荘を持ち年に数回はマイアミに出掛ける人」というようなものでしょう。そこには努力して得るものという概念が無く世襲で生れ付き得られるものというイメージがあります、これはエリートでは無く金持ちのイメージでそもそもエリート層というものが存在しないので想像が出来ないというのが正しいのでしょう。不幸にもそのような恵まれた境遇に生まれなかった大多数の人達は不平不満を口にしながら何も努力もせず、神から降って来る幸運をただ待ち、時には政府に文句を付け、「自分達にも何かくれ」と要求を言うだけという事になります。このような意識の人達に何かを与えてもそこから生まれるものは無く余り効果は期待出来ないのかも知れません、反応は「もっとくれ」なのかも知れません。その中で向上心のある人は特殊な技能、職種に付き立身出世を目指します。能力の高い人は猛烈に勉強をし、特に優秀な人は本当の意味でのエリートを目指して国外に行くケースもあるようです。また苦学を続け官庁や企業等で能力を発揮し社会の下支えとなっている人も多く居ます、確かに最近はこのような人達がかなり増えて中間層を築き始めているように見えます。また中には自分の不遇な生まれから社会に対する復讐心を抱く人も居て、プラス思考で社会に貢献する事を目指すのでは無く悪徳弁護士や賄賂をせびるような警官になるというケースもあるように見えます。

貧困から抜け出す、社会のレベルを上げて行くにはしっかりとしたエリート集団を築く事が重要なファクターではないかと思います。日本が明治維新以降、発展をを遂げたのは若い人にエリートのイメージを植え付け、努力をすれば誰でもエリートになれると公正な形で競争をさせた事にあるように思います。明治の高級軍人には外様の藩の人が数多く居ますし、試験を突破すれば誰でも高級官僚の道が開けていました。出自を問わず能力があれば登用する事で日本は発展を遂げて来ました。パラグアイでは人口が増加し経済が大きくなり次第に社会が熟成して来ています。現在育ちつつある中間層がその活躍している企業、官庁の中でエリート集団を形成し、本人達がやりがいを持ち、業務の成果が社会に見える形で示す事が出来、それに伴う安定した収入を得られるようになればモチベーションが出て、若い人の多くの人が勉強をし、社会が活性化するのではないかと期待しています。金持ちになりたいという意識を社会に貢献するエリートになりたいという気持ちに変える事が出来れば社会はより活性化するのではないかと期待しています。



25・大パラグアイ(2009年 3月29日)
パラグアイの人の夢は大パラグアイでしょう。現在は南米の中央に位置しているとは言えアルゼンチン、ブラジルが目立つ中で埋没しており、余り注目されていないパラグアイですが、「南米の元祖」特にラプラタ流域の中心という意識は強く持っているように見えます。大航海時代にスペイン、ポルトガルの人が南米に来た理由は何と言いましても金銀財宝を求めてでしょう。当初は南米に根付く事などは念頭に無くひと山当てる事だけを考えていたと想像します。スペイン領の南部南米の最大の関心事は現在のポトシに在る銀であり、これを求めて多くの人がこの地域にやって来ました。ラプラタというのは銀という意味、そしてアルゼンチンという国号も銀という意味ですので当時の銀を求める想いというのすさまじいものがあった事でしょう。多くの人が銀を求めてラプラタ河を遡り、アスンシオンを拠点にして更に河を上っていったのでしょう。アスンシオン市そしてパラグアイの開発は銀を求めての旅の途中、過程であり入植自体が目的であった訳ではありませんでした。その後ポトシへはペルーから探索していた人が到達してリマ方面に抜けるルートが確立しました。そうなりますとラプラタ流域の拠点は本来の意味を失い取り残される事となり土着化が始まり植民地化が始まります。最初から計画的な入植をした訳ではない地域の開発を目的としたものではなかった訳です。結果的にはパラグアイは現地が進み「パラグアイ人」という意識が強くなって行ったと考えます。

その後周囲との関係は余り芳しくなく、ブラジルからはバンデイランチという開拓者によって領土が侵食されこの為にヴィジャリカのように7回も引っ越しを余儀無くされたケースもあります。約200年前の独立当時は隆盛を誇り南米の先進国として名を馳せていました。更にはナポレオン、ナポレオン三世の影響があり、拡大主義に走りブラジル、アルゼンチンとウルグアイを巡る戦争を行って大敗し領土の半分と国民の多数を失いその後は現在に至るまで南米の小国に甘んじています。北半球全体を舞台にした第二次世界大戦と南米限定の三国戦争と規模の差はありますが、日本の第二次世界大戦とよく似ています。ただ異なる点も多く戦後日本は大いに経済発展を遂げた事に対してパラグアイは沈滞したままです。これは国民の質ややる気という問題よりも国際情勢そして地勢に拠る点が大きいと思います。日本の場合には米ソによる冷戦が始まり日本は米国側の最前線としての役割を担う事となりその為に意図的に米国は支援しまた戦争特需で潤い一気に経済成長を遂げました。これに対してパラグアイはアルゼンチン、ブラジルにとってはやっかいな存在以外の何者でも無く黙って「静かにしておれ」と考えられている存在です。この構図は現在も変化無くパラグアイ人の両国に対する不満に繋がっています。

パラグアイの分岐点となった三国戦争に勝っていればという思いは日本人が第二次世界大戦に対するものとは比較にならないと思います。戦争が勃発する際には双方に言い分があり、一方のみが悪いという事はあり得ないと思います。第二次世界大戦後、極東軍事裁判なるものが開かれて日本側で戦争を推進したとされる人達が戦勝国によって裁かれ死刑にされていますが、これは納得出来ないと考える人が多いのも当然です。まして男性成人の半数以上そして最終局面で大統領が戦死するという異常な事態の中で大敗したパラグアイ人の無念は相当なものがあったと思います。あの三国戦争で買っていれば現在はアルゼンチン、ブラジルと互角に渡り合えたのにという思いは相当残っているように感じます。

コンセプシオン市の博物館に中央に飾られている地図があります。古地図にしてはいやに目立つ展示をしていると不思議に思い見ますと何と大パラグアイが描かれた地図でした。三国戦争のかなり前の時代、まだ植民地時代に17世紀にパリで印刷されたものです。この後にアルゼンチンが分離され副王領となり繁栄して行きます。当時としては確定していない部分も多かったでしょうが本当にこのような国境となっており、領土であったのでしょう。

独立後、三国戦争を戦う際には当時の指導者達の頭の中にはこの地図の版図が本来のあるべきパラグアイであり、奪還するべき対象と考えていたのかも知れません、ウルグアイは元々は自国の領土であり、奪え返して何が悪いと考えていたのでしょう。この地図のパラグアイは南米の中央の大国として存在し、首都のアスンシオン市は国の中央に位置しており、現在のクリチバ以南のブラジル南部三州、ウルグアイ全土そしてブエノスアイレスを含むアルゼンチン全土がパラグアイになっています。国は6つの州で構成されており、「パラグアイ」「グアイラ」「ウルグアイ」「パラナ」「リオ・デ・ラプラタ」などに分かれています。この地図の通りの国が成立していたならばブラジル以上の国力の南米随一の国となっていた事でしょう。パラグアイの人達の儚い夢ですが、現実となっていた可能性もあったと思います。ただこのような国になっていた場合には国の形が全く別のものになっていた事でしょう。どちらが幸せであったのか分かりませんね。



(地図:大パラグアイ地図:17世紀パリで発行)



25・パラグアイから見た世界、日本からと比較して(2009年 3月02日)
アスンシオンと東京を直線で結ぶと18000キロ離れている事が分かります、本当に遠いですね。中間地点はそれぞれの地点から9千キロという事でロスアンジェルス付近の太平洋上という事になります。東京とサンパウロを直線で結ぶとニューヨークの付近を通過するので随分ルートが異なりまし、サンパウロよりは短いのですが、それでも対蹠点までの90%という事になります。

アスンシオン、東京から正距方位図法で同心円を描くと下記の通りになります。同じ地球上に居ても見えている世界が異なるのが実感出来ます。最初の円は2500キロである程度近くにある地域と実感出来ます。東京からですと朝鮮半島、台湾、中国主要部などが入りこの辺りまでが近い場所です。アスンシオンからですとブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、チリの主要部が入ります、アスンシオンから感じる近い地域です。次に5千キロを見ますと東京からですと、ガダルカナル、インパール、アッツ島など日本が第二次世界大戦に最大に版図を広げた一番外側に当たります。この5千キロラインの地点で敗戦を喫しその後ほとんど反撃する事も出来ず終戦となっています。インドやオーストラリアそしてアラスカの近くで日本からの実感としては日本に影響を及ぼす可能性のある一番遠方の地点というのが実感でしょう。アスンシオンからですと南米全域のみがこの円の中に入ります。パラグアイの人達が南米のみが自分に影響する地域と感じているのは当然であると言えます。

一万キロという距離は地球の反対側までの半分、遠いが何とか意識がある地域であると思います。東京からですとアフリカと中南米を除くほぼ全域が入ります。日本の中学の地理の教科書で中南米とアフリカについて教えていないのは外の地域という感覚があるからだと思います。アスンシオンからですと北米、西欧アフリカの半分が入ります。南米とアフリカは確かに距離的には欧米と同じくらいもしくはそれ以上に近いのですが交流は限定されており、実際の距離よりは遠い印象があります。パラグアイからですと米州と西欧までが意識する世界であるのも頷けます。



(地図:東京・アスンシオン最短コース:正距方位図法:アスンシオンを中心)



(地図:東京・アスンシオン最短コース:正距方位図法:東京を中心)



24・佐賀県とパラグアイ(2007年 9月11日)
パラグアイと似ている国に関しては以前ここに記しました。ジンバブエやラオスなどは置かれている状況が似ていると思っています。他に似ている場所は無いかと考えてみましたが、スケールの差はありますが、九州における佐賀県の立場がパラグアイと似ているのではないでしょうか?パラグアイは南米の中央に位置している国ですが、日本人が「南米」で思い付くのはブラジル、アルゼンチン、ペルーなどだと思います。ギニア三ヶ国は少々文化も違うので除きますと南米10ヶ国で思い出す順番を付けますとエクアドルと並んで最下位になるのでは?と思います。余り目立たない国、田舎の国という印象があります。

一方の佐賀県ですが、九州の中で同じような立場にあります。皆さんがまず思い浮かべるのは福岡県でしょう。異国情緒溢れる長崎県、別府、湯布院などがある大分県、天草、阿蘇を有する九州の中央に位置する熊本県、桜島の景色でインパクトがある鹿児島県、南国の情緒に溢れる宮崎県と残りの6つの県はどこも個性があります。佐賀県と言いますと伊万里焼などが有名ですが景色、イメージが湧きません。数年前に「はなわ」というコメディアンが佐賀県を茶化した歌で人気を集めていましたが、オチは何時も田舎であるというものでした。県庁がある佐賀市のイメージも他の8つの市と比較して余り印象がありません。アスンシオン市が他の国の主要都市と比較して印象が薄いのと似ているように思います。九州で観光地になっていない唯一の県庁所在地になっています。県の面積も他の県と比較して狭く人口も86万人しか居ません。隣の福岡に飲み込まれそうになっており、経済圏としては福岡です。パラグアイも田舎で人口が少なく経済的には隣のブラジルに飲み込まれそうになっています。佐賀市は筑後川に面していますが、反対側は福岡県大川市です、県庁の建物からでも約10キロ程で着きます。アスンシオンがパラグアイ川に面していて対面はアルゼンチンというのと似ていますね。また、南米は世界の外れにあり、その中で田舎のパラグアイですが、九州は日本の端に位置していてその中の田舎の佐賀県と立場が似ています。

何となく陰が薄い佐賀県とパラグアイですが、過去には栄光の時代がありました。パラグアイは南米の先進国として君臨した時代があります。三国戦争で負けて衰退しました。佐賀は幕末の時代、肥前藩は日本で最近の藩としてアームストロング砲や蒸気船を地力で開発し、日本国内では最先端でした。薩長は肥前の技術力を評価し、仲間に引き入れ、幕末の最終局面では薩長土肥となっています。明治政府には多くの人を輩出していましたが、佐賀の乱で新政府に反抗し、肥前は長崎県と佐賀県の二つに分割されて以来すっかり陰が薄くなり田舎県に転落しています。世界の人がパラグアイを思い出すのはサッカーで活躍する時くらい、日本の人が佐賀を意識するのは高校野球で佐賀北高校が優勝した時くらいでしょう。このような点も似ていますね。時代に取り残されて来たパラグアイと佐賀県ですが、逆転の発想が出て来てまた主役に躍り出る時代が来るのではないかと密かに期待しています。



23・パラグアイ人の体型(2006年 9月01日)
パラグアイに来て街を歩いて感じるのは「デブ」が非常に多いという事です。南米は大体において太っている人が多いは事実です。以前アルゼンチンが金融危機に陥った時に銀行に庶民が列を作って並んでテレビに向かって政府へ生活が困窮していると不満を訴えていましたが、どの人も丸々と太っていて世界からの同情を得るには至りませんでした。デブが多いこの南米にあってもパラグアイは特に多いのではないかと感じるのです。以前NHKで世界の様々な地図を見て考える番組があり、その中で「肥満」を取り上げていました。世界の国を肥満度に分けて色を付け塗り分けた世界地図が画面に出て来ました。肥満度最高を示す赤色は何と米国とパラグアイの二国だけでした。実際にパラグアイは世界最肥満国家のようなのです。

食生活を振り返りますと、好きな物は牛肉、それを毎日大量に食べている人が多いと思われます。パラグアイ人の食生活を見ていますと基本は「牛肉・マンジョカ芋・マテ茶」だと思います。これは貧富の差に関係無く同じであるように見えます。先進国ですと貧乏人と金持ちが描く「ご馳走」は別のものであり、実際に毎日食べているものもかなり異なると思います。贅を尽くした料理、高級料理というのは材料から違っているというのが他の国では常識で、例えば中国であれば満漢全席というのがありますが、熊の手を始め普通では手に入らない超高級食材が並びます。日本においては例えばフグ、マツタケなどは庶民には縁遠いもので、当方も今までの人生でどちらも口にした事がありません。興味はありますが、実際に食べた事が無いので食べたいと考える事もありません。多少お金があるならば美味しいウナギかお寿司でもと考えてしまいます。(どなたかご馳走してくれるのであれば喜んでお伴しますが・・)

パラグアイにおいてはご馳走のイメージは貧富の差が無く同じなのが特徴です。国民だれもが頭に描くご馳走のイメージは牛肉を焼いたアサードとマンジョカです。金持ちのパーティーでも貧乏人の集まりでも基本的なメニューは同じなのです。デブが多いのですが、一般の常識からすると栄養が足りている金持ちの方が太っていると考えます。多分昔の世界ではこのような現象があったのでしょう、パラグアイでは貧富の差に関係が無いように見えます。むしろ貧困層に太っている人が多いようにさえ見ます。中には歩く事も出来ないようなデブが居ますが、多くは金持ちではありません。では何故そうなるのでしょうか?一つの原因は肉の質にあると推測します。肉の値段は部位によって違うのですが一般的に油脂が多い程安い傾向があります。この結果として収入が少ない人ほど油脂分が多い肉を購入する結果となります。富裕層であれば例え油脂分が付いていても取り除く人が多いでしょうが、貧困層では全部食べてしまうでしょう。また富裕層ではしっかりとした教育知識もあり、肥満に対する知識もあり、体型を保つ意識も高いと推測します。

このような食生活を続けて肥満であれば、当然成人病が多いと思いますが、医者に聞きますと確かに多いそうですが、想像している程では無いようです。成人病予防には大量の食物繊維を摂取する必要があるようですが、パラグアイ人は大量にマンジョカ芋を食べる事で賄っているのでしょう。野菜をほとんど食べないパラグアイ人にとってビタミン等が含まれているマテ茶は必要不可欠なものなのでしょう。時代が変化し食生活にも変化が出ていますが、パラグアイ人は食に関しては非常に保守的で、今後も余り変わる事は無いでしょう。むしろ最近牛肉の質が向上しており、ますます牛肉を食べる傾向が強まるのでは無いかと想像しています。そうであれば肥満大国はしばらく続くと考えて間違い無いと思います。



22・パラグアイの外交(2006年 8月28日)
パラグアイにも当然の事ながら外務省があり、独立国家としての外交政策があります。パラグアイの外交政策の基本的な考え方は「時流に乗り、逆らわない」という事のように思います。独立した当初は独自の発展を遂げ南米の雄としてナポレオンのような帝国を目指していました。野望を持つ指導者の元、帝国拡大の為の戦争を起こし、その結果は惨憺たるものでした。戦争には総動員体制で臨み、男性国民の多くは死亡し国家は疲弊してしまいました。ブラジルの軍隊が首都アスンシオンを占領し戦争は終結、国土は半分に削られ、国民の数も激減しました。ここからパラグアイが学んだ事は流れに乗る、両大国との関係を重視して行くというものです。以来アルゼンチンとブラジルの両大国との外交がほとんど全てであり、両国の隙間を縫って生きて行くというのが基本戦略となりました。欧米も日本もその向こうに在る国、伯亜両国のその大きな存在が存在が全てでした。強い方に付く、利益がある方に味方する、経済もその隙を巧みに利用して行くというものでした。

大きな転機はメルコスールの発足です。メルコスールは当初は四カ国でスタートしましたが、基本的にはブラジルとアルゼンチンの同盟です。地理的にこの両国に依存しているパラグアイとウルグアイはこれに追随するしか道が無かったと言えます。ブラジルは自身が南米そのものであり、残りの弱小国家はブラジルに従っていればそれで良いと考えている節があります。統合のコストを支払わすに自国を中心とする経済圏、要するに経済的には他の加盟国の植民地化を狙って来ました。パラグアイでは当然メルコスール反対の動きがありますが、そこは何となく時流に乗ることで凌いで来ました。ここに来て反米的な政権・ベネズエラが加盟し、メルコスールの中身自体が変化しており、必ずしもブラジルの意思だけでは動かない状況となっていますが、これはパラグアイにとっては望ましい事なのかも知れません。

パラグアイの外交の中で目に付くのは台湾の存在です。台湾・中華民国を承認しているのは現在世界で25ヶ国です。アフリカ、太平洋の小島、そして中米・カリブの国がほとんどでパラグアイは南米唯一の国です。ある意味では一番まともな国家なので、台湾政府は大事にしています。数年前に国会議事堂が建て替えられましたが、これも台湾が資金援助しました。国権の最高機関である国会を他国の資金をあてにして建てるというのは如何なものかと思いますが、パラグアイでは「いただけるものは喜んでいただき、使えるものは使いましょう」という姿勢があり、特に問題にはされないようです。台湾政府は国際的な援助のルールを超えて例えば省庁のランニングコストに当たる部分にまで資金援助しています。では何故台湾承認国なのか、という事ですが、歴史的に反共であった事が挙げられると思います。1989年まで続いた独裁的な政権にとっては反共を看板に掲げ、冷戦下で親米をアピールした方が徳であったからだろ思います。冷戦終結と共に独裁的な政権も終わりを告げましたが、現在に至るまで同じ政党が政権を維持しており、基本的な構造には変化がありません。お金を出して支えてくれる国家と断行する事など考えてもいないでしょう。経済的には大陸の中国政権とも既に密接に繋がっており、今更ここで断行して中国と国交を締結しても利益は少ないと見ているのでしょう。中国の狙いは資源大国であるブラジル・アルゼンチン、ベネズエラであり、パラグアイに特に関心を寄せる事は無いものと思います。ただし、ここで問題となっているのはメルコスールと中国との自由貿易協定・FTAです。メルコスールと中国とがFTAを締結するにはパラグアイが邪魔になって来ます。国交も無いのにFTAを締結する訳には行きません。今後中国政府の圧力は増して来るでしょうが、貴重な資金供給源となっている台湾政府と断行する事はまず現時点では無いと見ています。メルコスールと中国が関係を深める中でパラグアイと台湾との外交関係が一つの焦点となっており、パラグアイとしてもこれを利用して行く事でしょう。

日本との関係もパラグアイは逆らわない事が基本となっています。パラグアイは貰い上手な国です。何か援助資金・物資を貰うとけなげに喜んで見せます。大げさに歓迎式典を開催し、相手に喜んでいる意思を素直に示します。パラグアイは多額の援助を日本から受け取っていますが、これに対する外交政策は巧みです。国際社会の場で日本が提案する事に対して直ぐに賛成して見せるのです。例えば最近では日本が常任理事国になるという事で国際社会に働き掛けをしましたが、パラグアイは真っ先に賛成をしています。日本に対しては常に「親日国」を示す事で多額の資金援助を受けて来ました。そして米国に対しても近隣諸国とは多少異なった政策を打ち出しています。ポピュラリズムの台頭で南米では反米左翼的な政権が次々に誕生している中で親米をしっかりと全面に出し米国に協力する姿勢を見せています。これの方が徳であり、利益があると見ているのでしょう。深く熟考して外交戦略を立てているとは到底思えないのですが、利のある方に付く、流れに乗るという基本戦略が成功しているように見えます。両大国に挟まれて時流を見る感覚は確かなように思います。



21・出稼ぎとパラグアイ(2006年 6月05日)
パラグアイには農業と農産加工以外の産業は余り無く、常に高い失業率になっています。表面に出ている数字以上に農業地域で過剰な人を抱えており、潜在的な失業率はかなり高いように感じます。人口増加率で計算しますと毎年パラグアイの人口は15万人づつの自然増があり、人口特に若年層の人口が増えています。これらの若年層の働き場所としては外国への出稼ぎが挙げられます。元々パラグアイからはアルゼンチンへの出稼ぎは多くブエノスアイレスのレストランのボーイ、女中等、3Kの仕事に従事する人がいました。その稼ぎはパラグアイにとり大きな収入でした。

日本人・日系人でも出稼ぎブームが起き多くの若者が日本に向かいましたが、「出稼ぎなのか、それとも引き上げ・再移住」なのか分からない点もあります。ともかく多くの青年が日本で働いています。一般のパラグアイ人は稼ぎの少ないアルゼンチンから米国、特にフロリダに目を向け、フロリダには一万規模のパラグアイ・コミュニティーがあるようです。しかしながら、米国への入国は次第に難しくなって来ており、新たな出稼ぎの先として欧州、特にスペインが注目されています。労働査証を取得するのは難しいのでしょうが、観光客としては入国は比較的楽に出来るようで多くの人がスペインを目指しています。親戚・友人が居るとそのつてを頼って行くのでしょう。言葉の問題も無いので米国よりも楽に生活が出来るのが魅力と言えます。既に5万人の人が欧州に出稼ぎに行っていると聞きます、これは全人口の約1%に当たります。

今でも毎日パスポート申請には長い行列が出来ています。列は建物を出て外まで長く続いています。数時間待つのは普通という状況になっており、出稼ぎ以外の目的で旅行する人達にも大きな影響が出ています。査証がどうなっているのかはよく分かりませんが、何か技能を持っている人、電機修理、水道修理、大工、左官などは大挙して行っているようで、熟練技術者が不足していると聞きます。ただ若年層が多いので補充は出来ているようで、社会的な問題にはなっていません。累計で5万人は大きな数字に見えますが、毎年人口が15万人程度は増加しているので大した影響は無いのでしょう、むしろ送金の形で多額の外貨が流入している影響が顕著になっています。為替に大きく影響し、グアラニが珍しくドルに対して大幅に切り上がっています。物価自体は上昇しており、ドル建ての物価は急上昇していると言えます。

上層階級の頭脳流出は今までもありましたが、大量に普通の人が欧州に行くというのは初めての事です。若年層が流出して問題ではありますが、当地に居ても中間層の方達なので、欧州で働き、欧州的な仕事の進め方を身をもって体験するのは悪い事では無いと思っています。一部はそのまま残る事になるのでしょうが、多くの人は将来当地に戻って来ます。外の社会に関して余り関心がなかったパラグアイ人ですが、この人達が戻ってくれば大きく変化するのではないかと期待もしています。ただ知的な仕事に携わる訳では無いので知識技能を身に付けて来る事は余り期待出来ないと考えています。

世界は大移動の時代に突入しているように見えます。これは長い時間を掛けて世界中に人類が広がりましたが、各地での差異特に経済的な格差が大きくなっているように原因があるように感じます。また地域により白人種、黄色人種、黒人種・・見て違いがはっきりと判る程になっています。主に経済的な理由で人々が動いていますが、これは亜種を作らないという世界の人種をダイナミックに混ぜる為の人類全体の知恵なのかとも思っています。最初に混ぜられて来たのがこのアメリカ大陸でしょう、そこから大量の人が欧州に流れている。欧州で人種の攪拌が始まっていると考えています。



20・南米の中のパラグアイ(2006年 2月18日)
パラグアイは南米の中心に位置する内陸国です。南米には12の独立国とフランスの海外県であるフランス領ギアナ(カイエンヌ)があります。これと南米12ヶ国の内旧ギニアのスリナム(元オランダ領)とガイアナ(元英国領)は文化圏も全く違うのでこの二つの国は除外して考えることとします。パラグアイの人は自分は南米の中央に位置していて南米の中心ひいいては世界の中心?に位置していると思っているのかも知れませんが、客観的に南米の中でどのような位置にあるのか考えてみます。

南米の中の地域の分け方にも色々あると思います。元ポルトガル領であるブラジルが半分を占め残りの国の内9ヶ国がスペイン語を使うので「ブラジルとその他」と分ける考え方です。また経済圏として南米共同市場(メルコスール)の存在がありますので「メルコスールとその他」と分ける見方もあると思います。実際にはブラジルを除くとアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ諸国、ペルー、ボリビアの旧ペルー副王領であったアンデス地域そして大コロンビアが分裂して出来たエクアドル、コロンビア、ベネズエラの3ヶ国、そしてチリに分けられると思います。チリはアンデス山脈と砂漠で周囲と隔絶されており、一国で一地域となっているように感じます。

ブラジルの見方は南米の大部分、主要な部分は自国であり、ブラジルは世界の中で米国、中国、ロシア等と並ぶ大国である。その縁にスペイン語圏の弱小国がへばりついている。アルゼンチン、ベネズエラ、コロンビアは自国の大きな州程度の存在、その他は小さい州程度の存在でパラグアイなどは独立国というのも恥ずかしいような存在と見ている事でしょう。サンパウロに住んでいた時にはパラグアイをまともなものとは見ていない人が多かったように感じます。「泥棒の国、密輸の国」「ブラジルのおまけ」「ブラジルの密林の向こうに在る得体の知れない未開の地」というようなネガティブな意見が大半でした。確かにブラジル全図を見ますとパラグアイは完全に入っていてブラジルの州程度の大きさです。とあるブラジル人が「外国に行った事はない」と言っているのを聞いて、昔の会話を思い出し「以前、君はパラグアイに行った」と言っていたではないかと反論しますと「あれは外国の内に入らない」との説明でした。要するにブラジル人にとっては外国とすら思っていない存在のようです。

アルゼンチンの人はパラグアイは自国内では発展が遅れている北の地域の更に向こうにあるまだ野蛮さが残る国というイメージでしょう。パラグアイからブエノスアイレスに多くの方が出稼ぎに行っていますが、多くは女中、レストランのボーイ等の単純労働、3K産業です。アルゼンチン人の考えるパラグアイ人像はこのような人達から出来ているので、貧乏で教育の無い連中という印象もあるでしょう。南米ので唯一の先進国である栄光あるアルゼンチンの北に位置する野蛮国くらいの感じでしょう。こちらの方も余りまともなものとは思っていない事は間違いないと思います。ボリビアではまだチャコ戦争のイメージが抜けきれないと思います。良い印象は無く近所付き合いもお断りというのは本音でしょう。その他の南米諸国にとっては存在は知っているという程度で、意識するのはサッカーの時に対戦し意外に強くワールドカップの席を取られてしまう国くらいの印象でしょう。

これに対してパラグアイの人は自国が南米で太陽のような位置にあり、中央で輝いている、それを取り囲むようにアルゼンチン、ブラジルなどの他の南米諸国が在る・・というようなイメージでしょう。中央にあるので何事パラグアイ抜きでは南米は語れないと自負していると思いますが、周辺国の意識とかなりのギャップがあるように思います。確かに数字で見ますとパラグアイは人口で1.6%、面積でも2.3%を占めるに過ぎないのですね。経済力で考えますと更に比重は下がります。

表:南米各国の人口と面積:黄色はメルコスール

国名 人口 - 面積 -
ブラジル 176,029,560 49.70% 8,511,965 47.72%
コロンビア 42,708,227 12.06% 1,138,910 6.39%
アルゼンチン 36,260,130 10.24% 2,791,810 15.65%
ペルー 26,949,639 7.61% 1,285,220 7.21%
ヴェネズエラ 24,287,670 6.86% 916,445 5.14%
チリ 15,498,930 4.38% 756,950 4.24%
エクアドル 13,447,494 3.80% 283,560 1.59%
ボリビア 8,445,134 2.38% 1,098,581 6.16%
パラグアイ 5,884,491 1.66% 406,750 2.28%
ウルグアイ 3,386,575 0.96% 176,220 0.99%
ガイアナ 698,209 0.20% 214,970 1.21%
スリナム 436,494 0.12% 163,970 0.92%
フランス領ギアナ 182,333 0.05% 91,000 0.51%
- - - - -
合計 354,214,886 - 17,836,351 -


さて、メルコスールですが、パラグアイ国内では当初よりメリットが無いと反対する意見が多くあります。元々ブラジルとアルゼンチンの南米2大国の協力という側面があり、その両国に経済が依存している2つの小国を加えて成立したというのが実態に近いと思います。ブラジル、アルゼンチンとしては「一国として入れてやったんだから黙ってついて来い」という気持ちが強いのでしょうが、パラグアイの民間人の立場としてはメリットの無いものには追随出来ないという不満が強くなっています。

ベネズエラやボリビアが加盟する動きがあり、「それならパラグアイは抜けてもいいや」という気持ちが出ているように感じます。特にブラジルには位置的にその気持ちが強いように見えます。メルコスールはなかなか機能しない面がありますが、ブラジルが真に大国としての役割を果たせるのか、正念場を迎えているように思えます。



19・パラグアイの牛肉(2005年12月05日)

パラグアイは農畜産の国、畜産の中では牛肉が重要な存在になっています。パラグアイの食の中で牛肉の占める割合は非常に高く、牛肉の生産は主に国内消費向けに生産されて来ました。移住して来た当時、肉は硬く、余り美味しいものとは言えませんでしたが、改良が進み今では柔らかい味の良いものが簡単に手に入ります。病気、品質管理の問題があり、肉のままでは日本に輸出出来無いのですが、チリには大量に輸出されているそうです。以前チリにお住まいであった方に尋ねるとスーパーでパラグアイの牛肉は「高級品」として人気を集めていたという事です。確かに一定の基準は満たしているのでしょう。



パラグアイからの食肉の輸出量は確実に増加しています。輸出先を見ますと2004年にロシアが突然首位になっています。それまではベスト5にも入っておらずロシア向けが急に増加したことが分かります。反面、品質に厳しい日本や欧州向けは非常に少ない事が分かります。


牛肉に詳しい方に日本に大量に輸出しているオーストラリアとパラグアイの牛肉生産に関して比較していただきました。

1生産上の特徴
(1) 輸出志向であること。つまり国家の主要産業であり、国の管理基準レベルが非常に高いこと。
(2) 地域によって特性があり、北部ではグラスフェッドの牛(いわゆる草を食べる牛)南部ではグレインフェッド(穀物を食べる牛)の飼育が盛んです。この背景には、地域で取れる飼料作物の問題もからんでいます。グレインフェッドは、脂がのりやすいため、日本人、韓国人の感覚にあう味です。昔は、豪州国内向けではグラス主流だったのですが、最近ではグレインフェッドに人気があるようです。グレインフェッドは日本向け、グラスフェッドは米国向けひき肉と、大きく市場が分かれています。
(3) グラスフェッドでは熱帯系(いわゆるコブ牛)と欧州系の肉用系の混血を用いているようですが、グレインフェッドでは、アンガス系など肉用種の血統が主流となっています。
(4) 牛を含む家畜伝染病の防疫に対し、地理的に優れていること
一方、パラグアイの牛肉産業の詳細はわかりませんが、あくまで牧場等を見学した範囲の知識として、
(1) 国内消費志向が強いこと
(2) 輸出志向が弱いことから、牛の血統管理、衛生管理、品質管理、規格基準等の国家基準がほとんど無いに等しいらしい。
(3) グラスフェッドがほとんどであるため、血統管理がほとんどできていない。そのため、品種改良や血統維持、等の管理ができていない模様。これはひいては品質の不均一につながります。
(4) 輸出志向が弱いことから、農家の牛群管理能力、個体識別登録制度などの基盤が不十分。

この違いの背景には、パラグアイの気候が、欧州系の肉用種専用牛を育てるには不向きであることが関係しています。暑すぎるのです。そのため、暑さに強い熱帯系牛(いわゆるコブ牛)が主力となり、グラスフェッド中心の牛肉生産にならざる得ない状況があります。コブ牛に、穀物を食べさせても、いわゆるサシ(筋肉内の脂肪)がほとんど入らないことから、グレインフェッドで育てても経済性(商品価値)をあげることができないのです。サシがあるほうが、口当たりが良いことから、一般的には、やわらかくおいしいといわれています。またパラグアイでも和牛を生産しておりますが、純血和牛は暑さに耐えられないこと(死亡率、増体重など)で非常に不利なため、コブ牛系の血統を何割かは入れないと、生産性が落ちるはずです。 ですから、”牛肉生産は同じ”と単純にはいいきれないのです。米国も牛肉生産は盛んですが、99.9%、いや100%はグレインフェッドであり、国内向けと輸出向けは、同じ生産方法がとられていますので、国内・輸出との間で、スイッチングが比較的簡単にできるといわれています。もちろん、輸出に向かない部位を米国内の市場で消費できるという利点もあります。豪州の場合は、国内市場が大きくないことから、どうしても輸出志向にならざるを得ないということもあります。この違いが、輸出方法にも影響し、米国から日本向けには、特定部位(牛丼向け、焼肉向けのバラ)だけという単品輸出ができるのですが、豪州からの場合は、日本向けには1頭のセット(全部の部位のセット)での輸出となります。

2:消費傾向
単純には言い切れませんが、レストラン等では、サーロイン、リブロールのステーキ、そして、ランプのステーキが多いようです。スーパーでは、肩(CLOD)の部分のステーキも売られています。パラグアイで多いアサードの部位であるバラ肉は、韓国向けに高い値段で売れること、脂身の多い肉をあまり食べない嗜好があるので,BBQPARTYなどでは盛んではないようです。

3:パラグアイ牛肉産業の課題と展望
今後、パラグアイ産牛肉の輸出を伸ばすためには、次のような点が重要と思われます。
(1) 輸出用の規格基準、衛生管理の徹底。豪州のような厳しい国家管理基準が必要になってきます。
(2) グラスフェッドが中心であること、チルド(冷蔵)の輸送は船便の日数の関係から、アジア向けにはほとんど不可能。近隣諸国(ブラジル、アルゼンチン)の消費をターゲットにするべきかもしれません。
(3) 感染力の強い口蹄疫の完全防御は、実際上、ほとんど不可能でしょう。国境での密輸が多く、家畜衛生に関する知識が現場作業員に徹底していないこと、パラグアイ一国の問題ではないこともあります。
(4)であれば、加熱済みの商品に特化せざるを得ないのですが、加熱済みの商品となると、市場が狭くなります。いわゆる日本の缶詰コーンビーフなどの限られた市場しかないのが現状です。これも豪州産のモモ肉で、日本国内での加工した方が安上がりという状況でもあります。
(5)牛肉を入れたレトルトカレーなどの真空加熱調理をした商品の開発が比較的有望かもしれません。
(6) ブラジル、アルゼンチンなどへの子牛の生産基地、牧草肥育の委託生産基地というのが、実際上、一番、実施しやすい方策ではないかなあ。。と考えています。マキナの農業版ですが。。牛肉産業(他の畜産分野も含みますが)にとって、重要なことは、
(1)家畜衛生問題と国家レベルでの衛生管理基準
(2)国内市場と輸出可能部位の問題
(3)牛の生産方法(草OR穀物)、穀物肥育の場合の穀物の価格は?
(4)品質の安定性、供給体制の確立
(5)輸送方法と品質保持期間の問題
(6)為替問題

このような点が重要になるのではないかと思います。



18・パラグアイの使用言語(2004年07月12日)

パラグアイの使用言語。最初は掲示板での次の書き込みから始まりました。

(掲示板への書き込み):こんにちは。私は大学三年生の女子です。今ゼミでパラグアイの言語使用について調べています。幸運にも偶然このサイトを見つけて、ぜひ協力して頂けないかと書き込んだ次第です。まず質問なのですが、パラグアイでは新聞や雑誌、テレビのニュースなどにはスペイン語とグアラニーとどちらが使われているのですか?政治の場ではどちらですか?また、ここで使われているスペイン語は本国スペインでも通じる様なものなのですか?訛りなどはきつくないですか? 質問ばかりですいません。たくさん資料を探したのですがどこにも載っていなくて、グズグズしてる間にゼミの発表が来週になってしまいました。本当に申し訳御座いませんが早めに回答をお願いします。

コメント-01
家内はパラグアイ人で、十年程前から上智大学のコミュニティカレッジでスペイン語を教えています。教科書はスペインのものを使っておりますが、授業で  時折「この表現は南米(南部)ではしません」というような解説をすることはある  らしい。まさにアメリカ英語とイギリス英語の違いのようなもので「通じない」と  いうことはありません。むしろ人口の比で大きい、南米のスペイン語の方が  マジョリティー(主流派)になっており、今後「スペイン語標準語」というものが出来るとしたら、より南米・中米寄りのものになっていく、のではないでしょうか。余談ですが、自動車の「ジャガー」はグアラニー語です。英語読みでは「ジャ  グワ」に近いですが、グアラニーでは「ジャワ」に近いような響きです。あと「チェ・ゲバラ」の「チェ」もグアラニで、「あんた(親しみを込めた)」みたいな意味です。

コメント-02
パラグアイ大統領府企画庁統計局のウェブで2002年の国政調査結果が公表されています。それによれば、家庭での使用言語は、スペイン語35.7%、グアラニ語59.2%、そのほか5.1%とのことです。また、都市部ではスペイン語54.7%、グアラニ語42.9%とスペイン語をメイン言語とする家庭が多いのに対し、地方部ではスペイン語8.4%、グアラニ語82.7%と圧倒的にグアラニ語がメインであるようです。ただし、政治の場、職場等、公共の場ではほとんどスペイン語が使用されていると思って間違いないの  ではと思います。私がパラグアイの地方に行った印象では、ブラジルに近い東部では、ブラジルから移民した方が多いせいか、ポルトガル語をメイン言語としていらっしゃるご家族が多いと思いました。パラグアイのスペイン語はスペイン本国でも十分通じると思いますが、語尾の"s"が欠落する特徴があります。たとえば、"estamos"という単語はカタカナで発音表記すると「エスタモ」というように発音される方が多いようです。この傾向はウルグアイ、アルゼンチンの一部でもあるように思います。

コメント-03
パラグアイに4年弱いましたが、田舎の生活しか知りません。その上での情報提供です。田舎では老人はグァラニー語しか話せない人が多いです。ホームステイ先の人たちやそのお友達(大体40歳くらい)の人達は私と一緒の時はスペイン語を話していますが、話がノッてくるとだんだんとグァラニー語へと移行していきます。まぁ、日系人と話す時はスペイン語を使うけれども、パラグアイ人同士で話す時はグァラニー語の方が気楽なようです(特に男性)。グァラニー語は必須科目で、大学受験にも必要なようです。国歌もグァラニー語バージョンがあって、学校で習うようです。TVはあまり見たことがありませんが、スペイン語のものが多いです。ドラマなんかはメキシコやスペインなどの番組がほとんどなので、スペイン語です。パラグアイのニュース番組もスペイン語です。ただ、バラエティで、音声はスペイン語で、字幕がグァラニー語の番組(もしかしたら逆かもしれない)を見たことがあります。新聞はスペイン語ですが、日本の新聞の4コマ漫画のように、グァラニー語ジョークが一面のはじっこに載ってました。スペイン語もグァラニー語も公用語ですが、国会などでは、スペイン語が使われます。ただし、政治演説をスペイン語とグァラニー語の両方ができないと、選挙で勝てないという話も聞いたことがあります。TVのニュースでワスモッシ大統領がグァラニー語で話しているのを見たことがあります。公的書類は全てスペイン語です。訛りはあります。結構、他の国の人から指摘されます。ただ、私は田舎のパラグアイ訛りしか知りませんので、都会のパラグアイ訛りはよくわかりません。ただ、単語の最後が「s」だった場合、この「s」が発音されないとか、単語の最初が「s」で、次に子音が来る場合、「s」の前に「e」がついたりします。かつて、独裁政権をしいていたストロエスネル大統領のことを「エストロエスネル」と発音してたりするわけです。挨拶とか「なんてぇっこった!」とかは、グァラニー語を使うことが多いですね。まぁ、田舎では、私的な会話はグァラニー語を好む様です。ただし、アスンシオンなんかでは、生活の中でグァラニー語を聞くことはほとんどないそうです。今、思いつくまま、脈絡なしに書いてきましたが、パラグアイの田舎はどこもそんなもんじゃないかと思います。

コメント-04
うちも家内がパラグアイ人なのですが、グアラニ語を結構使いますよ。家内の家族はアスンシオンやサンロレンソなどに住んでいますが、夫婦間、近所の人などとはグアラニ語で世間話をよくしているようでした。(子供達にはスペイン語で話していたようですが。)もともと田舎に住んでいたからかもしれません。金沢にいる他のパラグアイ人も、地方出身者が多いせい(コンセプシオンなど)か、結構グアラニ語で話しています。グアラニ語がわからない私はそんなとき大変困ります。パラグアイのスペイン語でびっくりしたのは、グアラニ語の接辞が時々使われることです。ときどき、「何?」をQuepa?とかQuepiko!とかいいます。(疑問文に出る-paとか-pikoが付く。)また、「来てよ、お願い」をVeninaと言ったりします。(これもグアラニ語の接辞-naが付いている。)しかしこれはスペイン語ではなく、グアラニ語の会話に、スペイン語の単語を交ぜているだけなのかも知れません。アスンシオンではあまり聞かれないのかも知れませんが、うちの家内の家族は結構こんなスペイン語を話しています。(しかし、家内は私が日本人にこんな話をすると嫌な顔をします。別に悪口で言っているわけではないのですが、そう聞こえるのでしょうね。)

コメント-05
高尚な話ではありませんが。私の学校の運転手さんやマンションの門番と毎日顔を合わせます。こちらはスペイン語が分からなくて四苦八苦しているのに、すぐにグアラニー語では−−−−−だよ!と説明を始めます。ちなみに門番はアスンシオンからバスで6時間かかる田舎から単身赴任?1ケ月に1度帰って行きます。運転手さんはアスンシオンの河辺の出身です。一生懸命教えてくれようとする気持ちには感謝しています。

上記のコメントで国政調査の結果で家庭の常用語に関してスペイン語が36.7%というのには正直驚きました。アスンシオンで生活している限りではほとんど全てがスペイン語という感じです。色々な人が集まる大きなスーパーに行きましたが、ここでもスペイン語しか聞こえて来ませんでした。ここでは中級のごく普通の家庭が集まる場所ですが常用語はスペイン語のようです。テレビでサッカーのダイジェスト番組を見ていますと選手の多くは田舎の出身でしょうが、インタビューは全てスペイン語です。

会社では当方が日本語、社員の中にはドイツ語やフランス語を話すのが居て両方の言語も聞えて来ます。またブラジル人の客も多くエステの支店関係ではポルトガル語が当たり前に使われています。また常用語が英語、中国語、韓国語の客も居ます。最近ではフリースランド語を常用語としている顧客が増えています。考えてみますとかなり国際的な状況になっていますが、顧客でグアラニ語を中心に話すという方はほとんど見掛けません。ここで仕事をしている限りではグアラニ語を学ぶよりは上記の言語を学ぶ方が良い(仕事上)と思ってしまいます。



17・パラグアイのカタカナ表記(2003年05月13日)

パラグアイをカタカナ表記する時には当方は常に「パラグアイ」と表記しています。文字からも音を聞いてもこれが自然に思うのです。カタカナ表記にはこれ以外にも色々とあり、「パラグァイ」と途中を促音にするもの、そして「パラグワイ」更には「パラガイ」という表記も見た事があります。「パラグァイ」は官庁関係に多く見られます。「パラグワイ」というのも時々見ます。アスンシオン日本人会の会議室に綺麗な蝶の額がありますが、そこには「パラグワイ」とあります。耳で聞いていますと確かにこれの方が近いのかも知れませんね。外国の音を日本語にするというのはなかなか難しい問題があるように思います。途中のAの文字を特に短く発音するというルールがある訳では無いと思うので「パラグアイ」と書いています。

隣の中国では文字が漢字なので更にやっかいなようです。音で聞いてそれなりの漢字を当てる方法を用いているようですが、パラグアイは「巴拉圭」と書くようです。「パラグェ」というような発音になるのでしょう、まずまず感じが出ていると思います。アスンシオンは「亜松森」と書くようです。大体音の感じから漢字を当てているのですが、エステ市は意味の通りで「東方市」となります。隣のブラジルは「巴西」と書くのだそうです。これで「パーシー」というような音になるのですが、どうしてこのように書かれているのか未だに不思議に思っています。



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