沖縄 (日本・沖縄県)



訪日した際に沖縄本島に行って参りました。2度目の訪問ですが本土とは異質の文化を堪能して来ました。またパラグアイを除く南米各国の日系人の約半分は沖縄県出身の方とその子孫であり、彼らのルーツをじっくりと見たいという気持ちもありました。

沖縄は魅力溢れる場所であり、、もし南米に来る前に沖縄を訪問していたならば、南米には行かずここに来て沖縄県民になっていたかも知れません。沖縄は勿論、日本国内であり、細かい事は他にたくさん情報あると思いますので、南米人が見た印象をそのまま綴って参ります。沖縄に関しては当然ですの事ですが多くのページがあります。詳しい情報はそちらをご覧下さい。ここではその内の一つを紹介いたします。

沖縄の風 




沖縄(2003年 7月)

01・概論


沖縄県は日本の一番南の端に位置しているのですが、東アジアの中心に位置しているという一面もあります。東京よりは香港、台北、上海、ソウルなどの東アジアの主要都市に近く、米国がここに基地を置き睨みを効かしているのも事実です。

沖縄本島を訪問して、その雰囲気の良さと同時に利便さに驚きました。那覇市は想像していた以上の大都会、ある友人のマンションを訪問したのですが、家の周囲は繁華街、ビルに囲まれており、東京の都心と変わらない雰囲気でした。そして郊外の雰囲気はなんとなくラテン的、植生はパラグアイとよく似ており、同じ花が多く咲いており、我々には馴染み易い感じでした。現在我々は沖縄本島から与那国島まで全体を「沖縄」と読んでいますが、現地ではこの本島を沖縄と呼んでいるようです。島全体で一つの都市という印象を持ちました。

フロリダが米国の中で温暖な気候が好まれ、リタイアした方が多く住んでいますが、沖縄が日本の中でそのようになっていない事が不思議です。ちょうど買った雑誌に「沖縄・奄美移住特集」というのがあり、目を通しましたが、そこには本土から大英断をもって沖縄に引っ越した人達が紹介されていました。国内であり、他県から近いわけでいまだにこのような取り扱いになっている事に逆に驚いてしまいました。



(写真:どこからでも綺麗な海が見える:本部町・ちゅらうみ水族館にて)


(写真:那覇市・波の上ビーチ)


歩いていて感じるのはパラグアイと南北の差はありますが、緯度が大体同じなので、植生が似ているという事です。木や花は同じものが沢山あります。



(写真:那覇市の街角)




02・那覇

沖縄県の県庁所在地は那覇市、沖縄本島の南部に位置している人口30万人の都市ですが、市の面積は非常に小さく実際には周辺の都市を含めた都市圏となっており、50万人以上の都市の風格があります。歩いていて他の日本都市と印象が異なるのは電車等の軌道の交通機関が無く、自動車中心の社会になっているからでしょう。何となく南米的な雰囲気でもあります。また「沖縄に行く」という言い方が為されても「那覇に行く」という表現は余りしないようで本土で「那覇」を正確に書ける方はそれほど多くは無いかも知れません。覇の字は覇者の覇ですが、「西を上に書いて革を書き、右には月」という事を今回始めて認識しました。



(写真:大都会・那覇市)

           
なお、上の写真は県庁の建物の上から撮影しましたが、県庁の建物は那覇市内の中心に位置し、非常に立派な建物で周囲を睥睨していました。職場が限られている沖縄では県庁への就職はエリートのようですが、本来は県民の為に働く公務員の居る場所、どうしてこれほど豪華で大きなものが必要なのか理解に苦しみます。基本的には公務員が公共事業を立案するのでこのような事が日本各地で起きているのでしょうが、これでは多くの地方の財政が赤字になるのも当然のように思います。

那覇は那覇港を中心に発展した歴史があるそうです。



(写真:那覇港)


都市の発展に道路が追いつかず市内の至る所で渋滞が起きていました。戦前には鉄道があったようですが、戦後米国軍に占領され、基地に多くの土地が割かれて全部廃線となり、この2003年8月にようやく那覇市内にモノレールが開通することになりました。市内は東京と変わらないほどの近代的な感じで、NHKで放映していた「ちゅらさん」的な場所はごく限られた場所であり、「ちゅらさん」のロケが行われた石畳の道は特別に保存しているような場所なのだそうです。

それにしてもこの交通問題は何とか解決しないといけません。自動車社会なのに自動車がまともに利用出来ないでは市民生活にも大きな影響があるように見えます。高速道路が島の中部まで通じていますが、何故か名護市の手前で終わりになっています。何故観光の名所である本部町までで無いのか理解出来ませんでした。



(写真:交通渋滞の那覇市)



(写真:那覇の市街地-01)



(写真:那覇の市街地-02)

那覇市の繁華街という国際通りを歩いてみました。本土の所謂「銀座」のような繁華街ではなく、観光客相手のお店が並ぶ通りという感じで、どこを向いても土産物店でした。



(写真:国際通り)

国際通りを途中まで進みますと雑然とした市場があります。結構大きな地域に縦横アーケードがあり、東南アジア的な雰囲気の中、多くの買い物客で賑わっていました。



(写真:那覇市内市場-01)




(写真:那覇市内市場-02)


土産物店には特産物が所狭しと置かれいます。その種類の多さと量には圧倒されてしまいます。



(写真:土産物店)



(写真:魚店)

売られている魚の色は赤、青、黄色と極彩色、余りにも鮮やかな色でちょっと見た目には食べたくない感じですが、これがなかなか旨いのだそうです。



(写真:売られている魚)

この魚店が集まっている市場の2階は食堂になっています。店頭に並べてある魚を選び、さしみや調理して出してくれます。雰囲気は以前訪問したサンティアゴの市場とそっくりですね。



(写真:2階は魚店の食堂)



03・沖縄中部(北谷・嘉手納・沖縄市)


那覇市から北に北谷という場所があるのですが、行ってみますとまるでフロリダ、大きな観覧車があり、近代的なショッピングモールやレストランが立ち並び、東京にも無いようなスポットとなっています。米軍基地が移転した大きな跡地を効率良く利用出来るのでこのような場所が出現するようです。最近では那覇市の北部の米軍住宅跡地が返還され、こちらも近代的な街に変貌しています。



(写真:アラハ・ビーチから北谷を臨む)

更に北に行きますと有名な嘉手納基地があります。嘉手納町は土地のほとんどが米軍基地になっており、端の僅かな場所に日本人が住んでいます。地図を見ますとこの基地になっている一帯が中部では一番大きな平地であり、基地が無かったならばこの嘉手納が中部の中心になっていたことでしょう。この基地を一望に見渡せる場所として長い間有名であったのが「安保の丘」、基地への抗議行動の際にはここに多くの人が集まったそうです。以前はここから基地を見るのが一般的であったそうですが、現在ではその向かいに4階建ての「駅の道・かでな」なる施設があり、そこから基地の内部が展望出来るようになっており、基地の無い沖縄を訴える数々の展示や短い映画があります。入場は無料であり、沖縄に訪れた際のお勧めスポットと言えます。



(写真:駅の道・嘉手納:安保の丘の向かいに在る)



(写真:嘉手納基地を望む:駅の道・嘉手納から)



(写真:基地の町、嘉手納:駅の道・嘉手納から)

展示されている地図を見て驚いたのですが、嘉手納町の大半は米軍基地になっており、日本人が自由に暮らせる場所は基地と川の間に挟まれた帯状の狭い場所だけなのです。



(写真:嘉手納町の全図)


上の写真が町の地図であり、大半が基地に使用されており、右上に見えるのは弾薬庫として使用されている地域です。勿論米軍オンリーの場所であり、日本人が使用可能なのは白く市街地になって示されている帯状の一画だけです。記念館では短い映画が上映されていますが、最後のシーンはエイサーを踊りながら住民が基地の柵を越えて基地の中に入って行くものです。沖縄の皆さんにとり、戦後は続いており、島の主要な地域を占めている基地の返還まで続くというのは実際の感覚なのでしょう。

この施設の中には色々な展示があり、非常に興味深いものでしたが、戦前ここから那覇まで鉄道があり、多くの乗客で賑わった様子が紹介されていました。現在鉄道は那覇市内で首里から空港までのモノレール1路線だけですが戦前は那覇から嘉手納までと糸満までの路線があったそうです。現在は主要な土地を 米軍基地となってしまっているので全島を結ぶ鉄道を復活するのは難しい状況です。いつの日か沖縄から基地が無くなり、名護・本部から糸満までを結ぶ鉄道が建設される事でしょう。



(写真:戦前の様子・ジオラマ)

戦前の鉄道網を見ますと北は嘉手納まで東は与那城、そして南は糸満まで鉄道が敷設されていた事が分かります。



(地図:戦前の鉄道網)


この建物にはカメラが数台設置されており、基地の内部の様子をモニターで見る事が出来るようになっています。各画像の前にはボタンが付いており、これで望遠にする事が出来るようになっています。



(写真:基地の様子)


嘉手納から更に北に向かいますと沖縄中部の中心都市である沖縄市に着きます。以前はコザ市という名称であったこの街は基地の街として有名であり、小さいときにはテレビでよく出て来た記憶が在ります。米兵が歩いている米国のような街と言う印象でしたが、実際に行ってみますとかなり感じが変わっていました。ただ米軍依存から普通の街への脱皮はなかなか難しいのか余り活気があるようではありませんでした。



(写真:沖縄市)




04・城址(首里城、今帰仁城)

さて、観光名所と言いますとまず挙げられるのは首里、那覇市にある守礼の門は有名です。こちらに行きますと観光名所らしい雰囲気で、記念撮影をする観光客を目当てに王宮時代の衣装を纏った女性が多く居ました。



(写真:首里-01)



(写真:首里-02)



(写真:首里-03)

復元された首里城は見事なものです。中は博物館になっており、なかなか興味深いものが陳列されています。戦前の同じ場所の写真があるのですが、貧粗な感じであばら家のようでした。またここでサミットが開催されたそうで、主要国の元首が一同に集まったのだそうです。 



(写真:首里城)



(写真:首里城の模型)



(写真:王座)




(写真:那覇の市街地が望める)

北部、北山・今帰仁城にも出掛けてみました。緑に囲まれて城跡がありました。遠く海が綺麗に見えました。



(写真:北山・今帰仁城)



(写真:今帰仁城跡から綺麗な海が見える)




05・観光沖縄

沖縄の玄関となる那覇空港は綺麗なターミナルが出来ており、非常に快適でした。東京や大阪ばかりでは無く、日本各地からの便が絶え間なく発着しているのには驚きました。空港は市内中心部からも近く、最近は空港から中心部更には首里まで結ぶモノレールが開通し、一層便利になっています。



(写真:那覇空港)


沖縄を訪問して当然誰もが期待するのはビーチです。本島にも風光明媚なビーチが随所にありますが、どこも遊泳の区域を指定し監視員が付いています。くらげなどの危険が多いのでしょう。それと日差しが強く、地元の方達は日中の暑い時にはビーチに行かず、朝夕の涼しい時に泳ぎ、それもTシャツを着て泳ぐのだそうです。本土から来た観光客はそのような習慣はありませんので、直ぐに見分けが付きます。



(写真:海水浴場・本部町:遊泳区域が指定されている)


沖縄は観光の島ですので、訪問する人達を惹きつけようと色々な工夫をしているレストランがあります。中でも目を引いたのは木の上に鎮座しているレストランで「アジア食堂」と言います。海に面しており、ここから見るサンセットは有名で、この時間帯には予約が必要です。



(写真:那覇市内にあるレストラン)

沖縄ではエイサーなる踊りが盛んで、観光地で演じてくれます。韓国の農楽に似た感じで、リズムが良く楽しめました。



(写真:エイサー)

土産物店でよくシーサーの置物を見かけました。守り神のようで家の瓦の上に鎮座して家を守るようです。



(写真:沖縄のシンボル・シーサー)

イメージしていた古い沖縄の景色というのは特別に保存されたものしか見ませんでした。



(写真:風景-01・おきなわワールド)



(写真:風景-02・おきなわワールド)



(写真:中村邸-01)



(写真:中村邸-02)

上の4枚の写真は訪問前にイメージしていた沖縄ですが、どちらも観光用に保存されているものです。中村邸は沖縄中部に在り、特別な観光地で、行ってみますと写真のような古い家屋が在るのです。このような家は珍しく特別な観光用しか残っていないとは知りませんでした。なお、中村とありますが、沖縄では仲村さん仲本さん等人偏が付くケースが多いようで、田中も田仲が多いのだそうです。

沖縄は海と観光の島という側面があり、楽しめる場所ですね。その中でもちゅらうみ水族館は大型の水槽、そしてイルカショーなどが充実しています。



(写真:近代的なちゅらうみ水族館)




(写真:イルカ・ショー・ちゅらうみ水族館)

イルカショーの中心は「おきちゃん」というイルカでよく訓練がされており、子供と一緒に観客に向かってご挨拶をし、愛嬌を振り撒きます。笑っているように見えますね。



(写真:人気者のイルカのおきちゃん)



(写真:悠々と鮫が泳ぐ:ちゅらうみ水族館)



(写真:おきなわワールド:玉泉洞を中心にしたテーマパーク:入り口付近)




(写真:琉球王国交易船・おきなわワールド)



06・食在沖縄

沖縄の食は本土とはかなり異なる事は有名でテレビなどでよく取り上げられていますが、「ぜんざい」には多少戸惑いました。我々には馴染みの良い南米風、主にブラジル風のパステル屋(パラグイアですとエンパナーダ)などが在る他、台湾風のデザート店がありました。本土には無いトロピカルフルーツや黒糖等を上手に商品化していましたが、ドライフルーツ、ハイビスカス茶などを見掛けましたが同じ材料は当地パラグアイにも沢山ありますので、加工品を新たに作る上で何らかのヒントにはなるかも知れません。



(写真:台湾風のデザート店)


名物は何と言いましても「沖縄そば」、最近では東京辺りでもよく目にするようになって来ました。食べた感じはうどんよりはこしがある感じで当地アスンシオンの福星の麺類に似ている印象を持ちました。沖縄の至るところで「沖縄そば」の看板を見ます。



(写真:沖縄そばの店)




(写真:名物の沖縄そば)

また、沖縄で「ぜんざい」なるものを注文しますと下の写真のようなカキ氷が出て来ます。下にあずきを煮た甘いものがありますが、全く違う感覚には驚きました。



(写真:ぜんざい)

もう一つ不思議な食べ物がありました。タコスライスというもので、沖縄ではかなり一般的な食べ物のようです。タコスと言えばメキシコ料理ですが、とうもろこしで作ったトルティージャで巻いてそれを揚げていただくものですが、これはその中身をご飯にかけていただく料理です。訪れたのは沖縄市(コザ)にある有名な「チャーリータコス」メキシコ生まれの沖縄育ちという看板ですが、ファーストフードのようにコカコーラで食べるのが正式な食べ方のようです。メキシコ、米国、日本、沖縄・・まぜこぜ、要するにチャンプルー状態で生まれた料理のようです。



(写真:タコス・ライス)



07・むすびに

沖縄本島を巡ってみて感じたのは、可能性です。米軍がここを東アジアの拠点として占拠しているほど、ここは東アジアの中で良い位置にある。東アジアの主な都市へ飛行機でほぼ2時間以内で行く事が出来る。また島内は多くの行政地域に分かれてはいますが、実際には本島全体で一つの都市と言って良い大きさ、それも丁度手ごろな大きさであるように思います。主な平地を基地に占拠されている土地が将来返還された時には大発展することになるでしょう。シンガポールに対抗出来る、そんな気がします。

訪問した中で良かった場所は
01・ちゅらうみ水族館:有名な大水槽で悠々と泳ぐ魚を見ているだけで心が休まります。鮫やエイが泳いでいる姿は見ごたえがありました。ビーチもあり、なかなか良かったですね。入場料が少々高いように思います。
02・おきなわワールド:多分昔は玉泉洞という鍾乳洞を見るだけの場所であったのでしょうが、現在は「おきなわ」を見せるテーマパーク。エイサーの公演があり、この時間を調べて廻るのが良いでしょう。本来は鍾乳洞を見てから他の場所を巡るのですが、朝着いて反対周りをしたところ、人が少なく、ゆっくりと見物出来ました。おきなわワールドと改名し、今後も集客に工夫を凝らして行くのでしょう。
03・駅の道「かでな」:嘉手納基地の向かいにある有名な安保の丘の向かいに出来た新名所。嘉手納町が力を入れている様子がよく分かります。基地の様子、基地がある事で沖縄がどうゆう状況に置かれて来たのか、そして現在どのような境遇にあるのか、ここでは戦後がまだ終わっていない事を実感出来ます。地図や写真、模型が色々とあり、工夫されていて非常に分かり易かった。入場無料であり、ここは非常に良かった。奥の方に短い映画が上映されている場所があったのですが、2本だけというのは少々残念でした。
04・北谷:米軍跡地に出来たショッピング街は見事、日本と言うよりはマイアミのショッピング街を彷彿とさせます、大観覧車も良いですね。ただ駐車場不足という感じで、この点は米国とはかなりの違いです。
05・首里:首里城は那覇市内一の観光名所。現在ではモノレールも出来て気軽に訪問する事が出来るようになっています。綺麗に復元、管理されており、気持ちの良い場所で気に入りました。戦前のまだ燃える前の建物の様子が館内に飾られていましたが、同じ建物でも「あばら家」という感じなのには驚きました。



(写真:北谷にある観覧車:刻々と色が変化する)



(写真:ちゅらうみ水族館)




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