その他の情報



13・パラグアイ製の日本風呂(2009年05月26日)
パラグアイで日本風の風呂を製造販売しているという情報があり、早速出掛けてみました。キマフレックス社という塗料やプラスティック製品を扱っている会社で日本人・日系人向けに販売しています。タイプは一種類で色は幾つかあるそうで、基本的には注文販売なのだそうです。日本人は買うが中国人、韓国人は買わない、文化が違うのだね、との事でした。

Quimaflex SRL
Dir.: Las Residentas 605
Fdo. de la Mora -Paraguay
(595 21) 503 149



(写真:日本風呂-01



(写真:日本風呂-02



(写真:日本風呂-03:電熱装置)



12・宇都宮・「友」(チング)パラグアイ&韓国の屋台(2005年 9月18日)
宇都宮屋台横丁にパラグアイ&韓国の屋台なるお店があります。ご主人が韓国人で奥さんがパラグアイ人、メニューを見ますと韓国風のものが多いのですがその中に「ミラネサ」等のパラグアイ風もあります。日本の食べ物店の中で看板に「パラグアイ」の文字があるのは非常に珍しいのではないかと思います。なお、この宇都宮屋台横丁では23店が営業しており、JR宇都宮駅と東武宇都宮駅の中間地点にあります。



(写真:宇都宮・「友」(チング)パラグアイ&韓国の屋台




11・東京・大田区・大森本町(平和島駅前)「アスンシオン」(2005年 9月10日)

東京都大田区、京浜急行・平和島駅近くに「アスンシオン」なるお店があります。

オーナーは御園(みその)さん。奥様はエステラさん。もちろんアスンシオン、ビジャモーらの出身で在日25年は経過済み。02年11月にオープン。

通常は、日本風の鉄板焼きですが、予約を入れてもらえればパラグアイ料理もOK。アサード類、エンパナーダ類があります。もちろんアリストクラタもあります。近所のお客様は、パラグアイ、アスンシオンのゆかりをご存知の方はほとんどおられませんので是非皆様、足を運んでください。エステラさんは美人で親切、日本語心配不用です。

火曜日が定休日
電話 03−3765−2659
住所 大田区大森本町2−1−6
最寄り駅 京浜急行 平和島駅下車
徒歩6〜7分 旧東海道商店街



(地図)



10・パラグアイのオムライス(2005年 8月22日)

あの有名な村上龍が「パラグアイのオムライス」なる小説を書きそれが高等学校の教科書に使われているという事を知りました。パラグアイのオムライスとは何とも不思議な題名ですね。

(ある方からの情報)
パラグアイという国は、皆さんも知ってのとおり、大変マイナーです。ブラジルやアルゼンチンは、知られています。しかし、ウルグアイ、パラグアイとなると・・・。ところが、ウルグアイは、学校では、「ウルグアイラウンド」というのがあって、それ以来、「わけわからんけど、覚えろ」という感じです。しかし、これが、パラグアイとなると、本当にとっかかりがありません。しかし、数年前から、この状態が一変しました。それが、この「パラグアイのオムライス」です。パラグアイ自体は、借景として、ほのぼのとした家族愛みたいな話です。大修館という出版社の教科書ですが、職業高校を中心として、割と採用される率が高い教科書です。ということで、日本全国の何割かの生徒が1年生で、「パラグアイのオムライス」という小説を鑑賞します。実は、数年前から、教科書のどこでも好きなページをカラーページにして良いようになりました。それまでは、カラーページは、巻頭などの一ヶ所に集め、カラーページの枚数も指示されていました。理由は、教科書代を安くするためです。しかし、規制が緩和されて、小説の間にカラーページを入れてよいようになりました。ですから、教科書の「パラグアイのオムライス」は、最初のページが、イグアスの滝のカラー写真のページで、それで生徒の気を引いて、話が始まるのです。パラグアイの宣伝としては、これ以上のものはありません。

パラグアイのオムライス (村上龍)
滝で有名なイグアスは国境の町でもある。
イグアス川、パラナ川を境にして、アルゼンチンとパラグアイに接している。
私はちょっとしたビデオの作品のためにそこを訪れた。まだ十代の女性歌手のプロモーションビデオである。
十七歳の娘のくだらない歌のためにわざわざ地球の裏側まで出かけなくてもいいのにと思ったが、外貨獲得のためだろうがブラジルは世界で最も撮影に協力的な国であり、人件費は安く、航空会社とのタイアップが組めれば昨今流行のCGなどよりかえって安上がりなのだ。
コンセプトは、巨大な滝をバックに女の子が歌うというまったく単純なものだった。
女の子の歌は「素敵な地獄」というまるでアルチュール・ランボーを連想させるタイトルの割には内容が平凡でとても興味は持てなかったが、滝の方は私の想像をはるかに超えていた。
イグアスの滝はブラジル側とアルゼンチン側に分かれる大小三百を越すばく瀑ふ布群から成っている。
その幅は四キロに及びナイアガラやビクトリアの比ではない。滝は真上からヘリコプターで見るとU字形をしていて、その最も奥まったところは「悪魔ののど喉くび首」と呼ばれる大瀑布となっている。
滝の上は、川ではなくまるで湖のように広い。ほとんど波も流れも見えない。幅一メートルほどのコンクリート製の橋を「喉首」に向かって歩いていくとジェット機の爆音に似た音がしだいに大きくなり、向こう側に幻の火山があるかのように空高く水煙が上がっている。
 そして、滝は突然に始まる。
 その景観は一瞬のうちに見る者からあらゆる形容の言葉を奪い取って、とてもこの世のものとは思われない。
 十七歳の少女は「悪魔の喉首」から突き出た展望台の上でか可わい愛らしく踊りながら口をパクパクさせた。彼女がみず水しぶき飛沫でずぶぬ濡れになるのを防ぐために厚手のビニールシートを高く張らなければならず、各国からやって来た観光客たちは、巨大な滝を背景になぜ少女が踊っているのか理解できずしきりに首をひねり、あなた方はいったい何の撮影をしているのかと聞いてきた。
 撮影二日目の夜、現地のガイドが、日本食レストランに案内してくれた。イグアスは人口十五万の町だが、日本料理屋はない。
 シウダ・デル・エステという、パラグアイの街にあって、そこへ行くにはパラナ川にかかる橋を渡り、国境を越えなければならない。
 シウダ・デル・エステは無税商店の集まる街である。買って三十分もすると動かなくなるニセモノのブランドの時計を売る露店が並び、ブラジルではほとんど手に入らないスコッチやコニャックが無税で売られ、何軒かは本物のブランドものを売る高級店もある。商店が閉まる日曜と深夜を除いて、街は常に人であふれ、品物を持ち込もうとする者と持ち出そうとする者で橋はいつも渋滞し、税関のまわりはクラクションと怒号でまるで戦争のようなにぎやかさだ。
 「にじ虹、見ました?」
と、少女が橋の上で動かない車の中でそう私に聞いてきた。
 「滝の虹のこと?」
 「そう、見ました?」
 「見たよ、だって、ずっと出てるんだもの。」
 「あれ、映りますか?」
 「カメラに? うん、もちろん映るよ。」
 よかったあ、だってきれいなんだもん、と言って少女は笑った。彼女は撮影の合間にいつも両親あての絵ハガキを書いた。ていねいな字で、時々動物や自分の顔のイラストを入れながら、L・Aやリオでも時間があればハガキを書いていた。
 距離は十キロ足らずなのに一時間もかかって日本料理屋に着き、少女はメニューを見て、わあ、オムライスがある、とうれしそうに言った。
 その次の夜も少女のリクエストでパラグアイの日本料理屋へ行き、彼女はまたオムライスをオーダーした。
 帰りの車の中で、絵ハガキは何枚になった? と私は聞いた。
 「六枚書きました。」
 「全部、おとうさんとおかあさん?」
 「そうです。」
 「親孝行なんだね。」
 「遠くに来てるから心配してると思うし、それに、滝でも一枚じゃどんなにすごいかわからないでしょう? きれいな鳥や動物のもあるし、うちはみんな動物が好きだから。」
 「ボーイフレンドとか、出さないの?」
 「おにいちゃんに出したいんだけど。」
 「あ、兄貴がいるのか、そんな感じだね。」
 少女は少し黙って下を向き、小さな声で、住所がわからないんです、と言った。そうか、と私はあい曖まい昧に返事をして、橋の下で釣れるドラードという黄金の魚に話題を移した。住所がわからない、という少女の口調がそれまでとは違ってひどく寂しそうだったからだ。
 「ドラードはね、さけ鮭に似ているんだけど、からだ全体が金色なんだ、ドラードってスペイン語で黄金って意味だからね。」
 「見たことあるんですか?」
 「写真だけだけどね。」
 「ここで、釣れるんですか?」
 「うん、数は昔より減ってるけど、釣れるそうだ。」
 少女は窓から街と橋のあか灯りを映す暗い川をずっと眺めながら、見てみたいなあ、とつぶや呟いた。
 その次の夜も、またその次の夜も少女はパラグアイへ行きたいと言った。三日目まではスタッフも、よほどオムライスが好きなんだね、と苦笑しながら付き合ったのだが、四日目になるとさすがにみないやな顔をした。ガイドまでが頭をか掻いて下を向いてしまった。決してまずくはないのだが、メニューが限られていてみんな飽きていたのだ。橋の渋滞や街の人混みも毎日の撮影の疲労に重なって余計不快に感じられてきたところだった。
 あの、あたし、一人でタクシーで行っちゃいけないでしょうか? と少女が言って、マネージャーからきつくしか叱られ、目には涙があふれてきた。
 結局、わがままな歌手になってはいけないと反対するマネージャーを説得して私が連れていくことになった。実はボクもあそこの魚フライが食べたいんだ、と私はマネージャーにうそ嘘をついたのだ。
 「そんなにオムライスが好きなの?」
 うれしそうにスプーンを口に運ぶ少女に私はそう聞いた。
 「はい、好きです、でも、オムライスってとても手間がかかるんですよ、だから、ファミリーレストランとかドライブインとかないでしょう?」
 「パラオにはあるよ。」
 「そのお店知らない。」
 「店じゃない、島だよ、グアムの近くにある島だけど、昔、日本軍の基地があって日本人がたくさんいたから、今でもレストランのメニューに残ってるんだ。」
 「グアムなら撮影で行きました。」
 「グアムからも絵ハガキを書いたの?」
 少女は恥ずかしそうに肩をすくめ、うなずいた。
 「やっぱり何枚も出したの?」
 「二枚だけ、海とや椰し子の木ばっかりで、あんまりいいのがなかったから、でも、天才だと思いません?」
 「天才?」
 「オムライスを発明した人ですよ、ケチャップ御飯を薄焼き卵で包むなんて、とってもすばらしいアイデアだと思うな、きれいだもの。」
 「昔から好きだったの?」
 「うちはあんまりお金持ちじゃなかったんです、だからおすしとかそういうのってあんまり食べに行かなくて、日曜日とかはデパートに行って、アーケードの商店街があるんですけど、そこを家族でずっと歩いていつも行く食堂があって、そこはちょうどあたしと同じくらいの子供がいて、その子供が病弱で、その店の人とあたしのおとうさんがお友だちで、日曜日にはいつもその食堂に行ったんです、おとうさんは照れ屋だったし、ほかのあんまり知らないお店はいやだったみたいで、それでね、いつも決まってるの、おとうさんはチャーハンで、おにいちゃんはカレーライスで、おかあさんはハヤシライスなの、おにいちゃんは中学校に行ってからカレーとウドンと二つ食べたりしてたけど。」
 私は、その食堂とこのパラグアイの日本料理屋がきっと似ているのだろうと思った。
 「で、君はいつもオムライスだったんだね。」
 「そう、あたしが頼むと店の人が小さな旗を立ててくれたの、ほかの人が頼んでも旗はついてないんですよ。」
 その時入口の扉が開いて、現地人の少年がビニール袋を下げて入ってきた。ビニール袋には金色の魚が入っていた。釣り上げたドラードを売りに来たのだろう。
 少女は歓声をあげて黄金の魚を見に行き、早く早く、と私を呼んだ。あご顎が切れて一筋の血が垂れ、腹のあたりで赤黒く固まっている。
 ドラードを抱く少年を囲んで私達は記念写真を撮った。
 「素敵な地獄」はあまりヒットしなかったが少女はその後も何枚かレコードを出し時々テレビにも出演している。写真を送ってあげた時一度だけ電話があった。
 「あれからオムライス食べたかい?」
 いいえ、と彼女は言った。東京って本当にオムライスがないんですね、あの時うんと食べてて、本当によかったわ……。

この小説はイグアス地区のブラジル、要するにフォス・ド・イグアス市が舞台になっています。フォスの事を「イグアス」としているのですね。そして日本食を求めてエステ市に行く筋書きになっています。エステ市には現在は日本食のお店はありませんが、数年前までは寿司屋が一軒とニュートーキョーという日本食の食堂がありました。また10年くらい前までは大阪というレストランがあったそうで、この中のどこかにオムライスがあったのでしょうね。

現在は売られている商品はデジタル製品ばかりになっていますが、この小説の時代はまだ雑貨やウィスキーなどが中心であったようですね。何となくパラグアイらしいですが、時代も変化し違和感もあります。日本人の旅行者である作家が書くとこのようになるのでしょうね。

さて、「パラグアイのオムライス」ですが、実際にはどのようなものなのか、アスンシオンのホテル内山田の食堂を見てみましょう。メニューのサンプルを改めて見ますと右の方にしっかりと鎮座しています。オムライスがあります。



(写真:しっかりとオムライスがあります:内山田)

実際に注文してみますと見事なオムライスが出て来ました。これは正真正銘の「パラグアイのオムライス」です。サンプルよりもかなり大きく量が多いように見えます。中にはケチャップで味を付けたご飯がたっぷりと入っています。



(写真:パラグアイのオムライス-01:内山田)

サンプルもそうですが、通常ですと両端が細くなっているのですが、これは長方形です。ボリュームが多いのでしょう。味もしっかりとしておりオムライスの王道を歩いていると思います。



(写真:パラグアイのオムライス-02:内山田)

(ある方の感想)
誰だったか忘れたけれど、「この味がいいねと君が言ったからなんとかかんとか、サラダ記念日」という歌があった。実際には、「この味がいい」と言われたのは、カレーだったそうです。でも、「カレー記念日」にすると、色が悪いから、サラダにしのではないかと思います。そんなわけで、パラグアイのオムライスは、ひょっとして、パラグアイのエビフライだったんじゃないなかと思っていました。でも、パラグアイのエビフライでは、名古屋人の思い出みたいにローカルな話になっちゃって、下町っぽさが出ない。言葉のイメージを考えると、やっぱり、ここはオムライスしかないなと思いました。そして、そのオムライスが現実にあったなんて、本当にうれしいです。オムライスばかり食べているアイドルはいなかったかもしれない。でも、あんまり流行っていない食堂のオムライスというのは、今生きている人たちのある世代に共通する郷愁のような気がします。そして、ふと気が付くと、もう日本のどこにもそんな世界は残っていなくて、なぜか、パラグアイにひょっこり残っていたというのも、非常にありそうなことのように思います。私たちが、豊かさの中で忘れてきたものとでもいうのでしょうか。田中さんのアップしたページをみて、ふとそんなことを考えました。




09・パラグアイオニバス (2002年 8月11日)

パラグアイオニバスというのがあります。世界でも有数の大きさなのですが、子供などが乗る事が出来るので、植物園などでも人気があるようです。

特徴としては:
南米パラグアイ、アルゼンチン原産
他種に比べやや小さく、1〜1.5m
丸い盆状で、葉の縁は10〜20cm立ちあがる。
明るい黄緑色。
葉数は少ない。がく裂片にまったくとげがない。



(写真:パラグアイオニバス・広島植物園)



(写真:子供が乗れる・広島植物園)

オニバスに乗ろう 東山動植物園で18日にイベント(中日新聞)
【愛知県】「パラグアイオニバスに乗ろう」と銘打ち、東山動植物園(千種区)は十八日、植物園内の「洋風庭園スイレン池」で、直径が一・五メートルにもなる葉に子どもを乗せる体験イベントを開く。対象は体重三〇キロ以下で、一人で乗れる小学生以下の子ども。参加は無料で、午前九時から受け付けを始め、先着二百人に整理券を配布。同十時半からの抽選で三十人を選ぶ。雨天時は中止。パラグアイオニバスはスイレン科の一年草で、同園では毎年三月に種をまいて鉢植えの形で温室内で栽培、五月中旬に鉢ごと池に移している。一九九八年以降、葉が最大となるこの時期に、子どもを葉に乗せるイベントを開いている。今シーズンは二鉢を栽培、それぞれ数枚の葉を広げている。
東山動植物園=電(782)2111

子供が乗れる巨大ハス 名古屋・東山植物園(毎日新聞)
名古屋市千種区の東山植物園で18日、子供たちが南米産の巨大ハスに乗り、残り少ない夏休みの一時を過ごした。巨大ハスは「パラグアイオニバス」。成長すると葉の直径が1.5メートル前後と水生植物では世界最大級の葉を持つ。この日は、抽選で選ばれた体重30キロ以下の子供たち30人が1人ずつハスの上に乗った。

オニバス「大きいね」 京都府立植物園 (京都新聞)
府立植物園(京都市左京区)で、中南米産の熱帯植物「パラグアイオニバス」の葉が例年の一・三倍以上の大きさに成長している。今年夏は高温が続き、日照時間も長かったためとみられ、来園者も「大きいわね」と驚いている。パラグアイオニバスは円形の浮き葉が直径一メートル以上にもなる大型水生植物で、葉の縁が十五センチほど立ち上がるのが特徴。夕方から夜間にかけて花を咲かせる。府立植物園では長年、観覧温室で栽培してきたが、庭園でも来園者に見てもらおうと、二年前から宿根草有用植物園内のプールでの栽培に取り組んできた。昨年までの葉の大きさは直径一メートルに満たなかったが、今年は一・三メートルを超すまでに成長した。高温や晴天が続いたことなどが成長を促したとみられ、順調な生育に職員たちも喜んでいる。



08・松永安巳さん・南十字星と共に (2002年 7月28日)

カナダ・バンクーバー在住の松永さんが本を執筆されました。しっかりした作りの本です。なお、この表紙の写真は当方が撮影したものです。

(松永さんのページより)
本の概要:1958年17歳で養子縁組をして南米パラグアイへ移住し結婚、25歳でかぎり無きゼロからのスタート子供にも恵まれ、仕事も順調だったが、治安悪化と事件に遭い25年住み慣れたパラグアイから帰国して色々な事に挑戦するが次々と挫折、しかし2年後郷里香川県高松市でフードショップをオープン10年後再びカナダ移住を計画して,閉店売却して、1996年長女の家族と共にカナダに移住、現在バンクーバー郊外のリッチモンド市で家族共に和食レストラン『瀬戸』を
経営している。出逢いと別れを繰り返しながら、家族に支えられながら歩んだ移住者の足跡です。多くの友人達に支えられて、今日まで生きてこられた事に感謝して手記をまとめました。最初は娘に書くつもりでしたが、あれから20数年経って終い60歳を直前にして今度は孫の為に書こうと思い書き上げたのが本書です。原稿を『文芸社』に送付した所、出版しないかと薦められ、今回出版する事になりました。若しも読んで下さり一つでも心に残るものがあれば、嬉しく思います。

著者名    松永安巳(旧姓 真部)
出版社    (株)文芸社
発売日    2001年1月
価格     1500円






07・パラグアイ純糖 (2002年07月27日)


「パラグアイ」と銘打った製品は幾つかあるようですが、認定有機栽培農作物として「パラグアイ純糖」というのが売られています。少々値段は高いようですが、自然志向に合った製品として有望であるように思います。



オーガニックファーマーズクラブ・パラグアイ純糖(1袋 400g ¥410)オーガニック認証団体「OTCO」の認定オーガニック
シュガーです。 刈り取られたサトウキビの一番搾り搾汁を蒸留し結晶させています。ナチュラルブロンドのサラサラした砂糖です。
オーガニック認定無漂白のお砂糖(パラグアイ純糖)原料には100%認証されたオーガニックサトウキビを使用。通常の上白糖精製工程とは違い、イオン交換はせず、一番絞り汁を蒸留して結晶させています。精製、漂白等の加工処理を一切おこなっていないため、砂糖本来の栄養素を損なわずに、甘みがさらりとしていて、アクがなく、においもないお砂糖です。
パラグアイ産 認定団体/OTCO(オレゴンティルス)


付加価値を付けて売る努力が今後とも必要なのでしょう。



06・朝日新聞にわに捕獲の話題(2001年08月28日:朝日新聞)

干上がる湖、ワニ救出作戦 パラグアイ・ワニの救出作戦=AP (朝日新聞記事より)
南米パラグアイの首都アスンシオンの北西550キロの湖でワニの救出作戦が始まった。アルゼンチンとの国境を流れるピルコマヨ川のかんがいの影響で付近の湖水が10年以上前から干上がり始め、数千匹のワニが危機にひんしている。政府は、800キロ離れた東部のイタイプダム近くへ数百匹を避難させる計画だ。




(写真:ワニの捕獲:朝日新聞)

サッカー以外の話題でパラグアイが登場するというのは珍しい事ですが、次回は是非「人間」の話題を取り扱って欲しいものですね。


05・カエル:浅井さんからの情報(2001年06月17日)

実は私はカエルの飼育繁殖が趣味なのですが、現在ソバージュネコメアマガエルというカエルをペアで飼育しています。文献によりますと、このカエルはパラグアイとボリビアおよびブラジルに接するチャコ地方(高原)と呼ばれる場所が原産地でとても不思議な生態と姿を持ったカエルです。

極端に乾燥した地域で生息できるよう体中にワックス状の分泌物を塗って、体の水分の蒸発を防いだり、通常のカエルのように跳んだりはねたり、また泳ぐことは全くできませんが前肢、後肢とも指が非常に発達しており、猿のように枝を掴んで移動することが出来ます。ゆえに英名は“WAXY MONK EY−FROG”と呼ばれています。学名はフィロメデューサ・ソバージーです。

一般的な飼育方法はかなり確立されてきたのですが、現地で野生の状態ではどのような環境に生息し、どのような餌(昆虫類)を捕食しているかがわかりません。inter−netでいろいろ検索しているうちに貴殿のHPにたどりつき、もしやパラグアイ在住の方なら何かご存知かと思いメールした次第です。もし可能であればお伺いしたいことはチャコ地方のどのような植物の葉の上で暮らしているか、また主にどんな昆虫類を捕食しているか、また繁殖は雨季に集中して行われるようですがそのときのチャコ地方の気温や降水量などお教えいただければ幸いです。

ご参考までに、現在飼育中の♀の画像を添付させていただきます。この画像は寝ている状態です。といいますのは本種は完全な夜行性のため日中は木の葉の上などでじっと眠っており、日が沈みはじめるころ活動をはじめます。夜、起きているときは瞳も真っ黒でまん丸な大きな目となりとても可愛い表情になります。

(写真:ソバージュネコメアマガエル)



04・富山善夫さんが書かれた・パラグアイ関係の本の紹介(2000年02月09日)

パラグアイ関係の書籍として、当地でボランティア活動をされていた富山さんの本があることを知りました。以下は富山さんご本人からのメッセージです。

書名:「世界はワシらを待っている」 

風媒社 1700円です。

ISBN4-8331-3109-9
帯は「JICA(国際協力事業団)初のシニアボランティアとして、南米パラグァイへ赴任。大きすぎるほどの文化ギャップ、スペイン語との格闘等各・・・悪戦苦闘の日々と忘れがたい人々との出会いを描いた体験記。第二の人生を模索する人々に贈るボランティアのすすめ」 となっています。ダカーポ(マガジンハウス)395号で採り上げらました。パラグァイのことを何も知らないような人を、対象としていました。


03・バンド・パラグアイ結成に関して(99年8月06日)

僕は日本の音楽プロデューサー、ミュージシャンの吉田建というものです。今年、友人のやはりプロデューサーでミュージシャンの鳥山雄司と、その名も『paraguay』というユニットを結成しました。

なぜ『paraguay』かという理由は、ただただ音感です。作る音楽がノイジ−で熱帯的なものなので、僕達にはなにかしらそこが『paraguay』というイメージに繋がったのです。しかし、ユニットの名前にしたにもかかわらず、僕達はあまり多くのことを知りません。日本とは季節が逆で、先月サッカーの予選リーグの会場になったことくらいでしょうか。

特に知りたいのはパラグアイの音楽事情です。大体は予想がつくのですが、どんな音楽が街に流れているのか、独自のスタイルというものはあるのか、人気のある歌手やグループは誰なのかなどをもっと具体的に知りたいのです。僕達の作る音楽はサンプリング(おわかりになりますか?昔のレコードや自分で録音した音を編集して新しいものをつくり出す方法です。)を主体としていますので、折角名前を『paraguay』にした以上、まだ見ぬ国へのリスぺクトの意味をこめて、音源に混ぜたいと思っています。



02・中学国語の教科書

中学の先生・山田純枝さんからの情報です。

出版社は 教育出版株式会社
本の題名は 中学国語3

「世界をひらく」という単元にある、無医村の優しい人々という 文章です。

著者は 渡辺 啓子さん 1955年生まれ、1985年から3年間、青年海外協力隊員としてパラグアイに行かれたそうです。

この文章は、パウロ文庫「思いきってとび出せば」の中の「無医村の優しい人々」に、加筆したものだそうです。

要旨は看護婦として忙しい日々を送るうち、自分自身の優しさや思いやりが失われていくように感じられていたとき、青年海外協力隊のポスターを見て、参加を決意した。看護婦として赴任したところはパラグアイのエデリラという小さな村で、村の人々は厳しい自然環境の中で、昔と変わらない生活をしていた。もののないところでの活動で、自然治癒力のすごさ、人間のすばらしさに感動する一方、人々の早すぎる死に向き合いながら「日本」との格差に悔しさも味わった。

ものに頼れず、人々のところに何度も足を運ぶうち、だんだん私は素直になり、内なる傲慢さも認識した。そのことで私は次第に彼らに近づいていった。電気も水道もない、美しく、厳しい自然を当たり前に受け止め、決して無理をしない彼らと共に生活をするうち、私もそれをごく当たり前に思うようになった。そんなエデリラでの生活は決して忘れることのできない私の歴史である。

内容はもっと具体的に、雨の日にバイクで急患の家に行こうとしてどろんこ道に困ったことや、予防接種をするため、最初子供には嫌われたこと、日本に帰るときには、ホームステイしていた家のお母さんから、「啓子は自慢の娘だ。」 お父さんからは「ここは啓子の家だからいつでも帰っておいで。」といわれたことなどいろいろ書かれていました。

****教科書は3年に一度くらいの割で、内容が少しずつ変わるので入手を希望されるなら、年度がかわらないうちが良いと思います。



01・漫才師

ウルグアイ・パラグアイという漫才師が吉本興行に居るそうです。芸名に「パラグアイ」というのもなかなか面白いネーミングですね。

吉本興行ホームページ・ウルグアイ・パラグアイ

ウルグアイ

植村朋宏
生年月日:S48.5.20
血液型:A型
身長:171cm
体重:60kg
出身:香川県
趣味:映画観賞
夢:借金返済

パラグアイ

桑折貴之
生年月日:S48.2.15
血液型:O型
身長:181cm
体重:60kg
出身:東京都
夢:ゴールデングラブ賞受賞

〜ウルグアイパラグアイ〜

 平成6年4月、第1回銀座7丁目劇場オーディションで合格。
その後、7丁目劇場でのレギュラーデビューは時間がかかったが、もともとルックス、ファッションセンスは抜群で、最近ではネタのセンスも向上し、人気も急上昇。7丁目劇場の注目株の1組である。

【これまでに出演した主なTV番組】 TBS『急性吉本炎』OA(木)24:40〜26:10 *H7年10月終了 テレビ朝日『DABO銀』OA(月)25:40〜26:10 *H8年3月終了


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