2013年・大統領選挙 






2013年・大統領選挙



パラグアイではこの4月21日に総選挙がおこなわれ、正副大統領、45人の上院議員、80人の下院議員、18人の南米共同市場(MERCOSUR)議員、17人の県知事とそれぞれの県議会議員を選出する事になっています。ストロエスネル大統領時代は独裁政権でお手盛り選挙行い30年以上政権を維持していました。1989年にクーデターが起き、大統領となったロドリゲス将軍は民主的な大統領選挙実施を約束し、1993年から5年毎に実施されれています。当初は民主主義が根付いて居ない、稚拙な選挙活動、選挙でしたが、パラグアイ国民は色々な失敗、挫折も経験し、次第に民度が上がって来ているように見えます。民主主義には時間と経験が必要なのでしょうね。

大統領選挙ウェッブページ(スペイン語)



今までの大統領選挙(2013年 3月11日)
大統領が民主化が実施されて約20年、国民が大統領を選ぶ民主的な大統領選挙は過去4回実施されています。また一回副大統領選挙が行われています。過去五回の大統領選挙、副大統領選挙を振り返ってみたいと思います。

1992年:憲法改正が行われ、大統領の任期はストロエスネル長期政権の反省から一期5年とされ再選は認められない事また上位者による決選投票は無く、一回の選挙で一番多く得票を得た者が大統領に就任する事等が盛り込まれました。

1993年:ロドリゲス大統領の強い支持の元、事業家で与党赤党候補のフアン・カルロス・ワスモシ氏が当選し、39年ぶりの文民大統領が誕生となりました。選挙は青党ドミンゴ・ライーノ氏、実業家のギジェルモ・カバジェロ・バルガス氏の三つ巴となり、与党が選挙協力をすれば勝てるのにという意見もありました。ワスモシ政権時代、金融政策の失敗から金融危機が生じ、多くの金融機関が倒産しました。反政府の動きが活発となり、政治的にも不安定な状況となり1996年にリノ・オビエド氏がクーデターを計画したようですが、色々な事情、外国からの圧力で実行せずに断念したとされています。ワスモシ大統領に対する評価は低く、自分の金儲けに走ってしまった等とマイナスの評価を受けています。



1998年:大統領選挙に向けて赤党の党内候補争いが熾烈となり、軍出身の1996年にクーデター未遂事件を起こしたとされるリノ・オビエド氏と党幹部のルイス・アルガーニャ氏が激しく争いました。1997年9月に行われた党内選挙でオビエド氏が赤党の大統領候補とされましたが、不透明な部分も多いとされ、アルガーニャ候補の陣営からは選挙結果に対して強い抗議があり、両者の激しい対立の中、1998年3月に2年前にオビエド氏が画策したとされるクーデター未遂事件に有罪の判決が下り、10年の禁固刑とのことで、身柄は拘束され大統領候補から外されました。ただ、赤党は党内選挙でのオビエド氏の勝利は認め、オビエド氏の副大統領候補であった実業家のラウル・クーバス氏を大統領候補に繰り上げ、次点の大統領候補であったアルガーニャ氏を副大統領候補としました。1998年5月の選挙では赤党は挙党体制のクーバス(大統領候補)・アルガーニャ(副大統領候補)のコンビとなりました。ただ、クーバス陣営では「オビエドに自由を」というスローガンを用いるなどアルガーニャ派との確執は続き、赤党内部での火種を残しながらの選挙戦でした。それでも真正急進自由党(通称青党)を中心とする野党連合(ライーノ大統領候補-フィリソーラ副大統領候補)に対して10%近い差を付けて勝利し、クーバス氏が大統領に就任しました。赤党は大統領と副大統領が全く相容れない状況で新政権が発足し、政権を安定する事が出来るのか不安視され注目が集まりました。



1999年:1998年8月15日に就任したクバース大統領は4日後の8月19日に特赦令を出し大統領候補であったオビエド氏の拘束を解きました。アルガーニャ派などはこれに反対し党内の抗争は一段と激しくなり野党からもオビエド氏特赦に対して強い抗議の姿勢が示され、クーバス大統領への批判は増大し国会は空転、翌年1999年3月にアルガーニャ副大統領暗殺にまで発展しました。国会ではクーバス大統領への弾劾決議が審議され、抗議からバスなどは無期限ストに入り国会前には多くの市民が大統領への抗議に集まるなど市民生活にも大きな影響が出ました。これに対してクーバス大統領は国会前で抗議に集まっていた群衆に対して力で対抗し、軍を投入し戦車まで繰り出し騒然とした状態となり死者5人、負傷者は40人を出す惨事となり、クーバス大統領に対する批判は強まり、ついにクーバス氏はブラジルに亡命し、この時点で正副大統領が不在という異常事態となりました。前回当選したワスモシ大統領、そしてクーバス大統領と二代続けて実業家が大統領に当選しましたが評価は散々でした。

憲法に拠りますと正副大統領が不在となった場合には上院議長が昇格する規定になっており、上院議長であったルイス・アンヘル・コンサーレス・マキ氏が大統領に就任、アルガーニャ派が与党赤党の実権を握り、非常事態ということで、野党有力者も協力する姿勢を示し入閣し挙国一致連立政権が誕生しました。また、2000年6月には拘束を免れてブラジルで潜伏していたオビエド氏はブラジル政府によって身柄を拘束されました。

2000年:副大統領不在の為、憲法の規定により2000年8月に副大統領選挙が実施され、赤党からは故アルガーニャ氏の子息であるフェリックス・カルロス・アルガーニャ氏が弔い合戦という意味を込めて候補者となり、青党からはフリオ・セサール・フランコ(通称:ジョジット)氏が候補者となり選挙が行われました。赤党は副大統領選挙であり、またオビエド派の造反、油断もあり、結果は僅差で野党・青党のフリオ・セサール・フランコ氏の勝利となりました。これにより大統領は与党赤党の所属で選挙を経ずに昇格したゴンサレス・マキ氏、副大統領は選挙で選ばれた野党青党のフリオ・セサール・フランコ氏という非常に変則的な政権となり、政府として一致した政策を打ち出せない状況に陥りました。オビエド・シンパによる抗議行動、政府への不信、ゴンサレス・マキ大統領の不用意な行動・発言から混乱し、政治的には非常に不安定になり、青党など野党側から再三大統領に対して辞任要求が出されましたが、赤党はゴンサレス・マキ大統領が罷免されると青党の副大統領のフリオ・セサール・フランコ氏が大統領に昇格してしまう事になるので、とにかくゴンサレス・マキ大統領を支えました。

2003年:大統領選挙に向けては1998年の大統領選挙以来、政治的に不安定な状態が続いていたので、「リーダーシップの在る政策を打ち出せる大統領」が望まれていました。与党赤党の予備選挙は実業家のオズワルド・ドミンゲス氏と党幹部のニカノル・ドゥアルテ氏の争いとなりました。ドミンゲス氏は人気サッカーチームである「オリンピア」の会長であり、南米クラブナンバー1を競うリベルタドーレス杯に優勝しトヨタカップに出場した手腕が高く評価されていました。世界一を決めるトヨタカップの対戦相手は当時世界最強とされていたレアル・マドリーで、もし仮にこの試合に勝利した場合は直後に行われる党内予備選挙でも勝利は間違い無いと噂されていたのですが、試合の結果はオリンピアの惨敗で、この影響も大きく作用しニカノル・ドゥアルテ氏が赤党候補に選出されました。実業家の大統領が二代続けて芳しくなかった事も影響していたように思います。青党からは現職の副大統領であるフリオ・セサール・フランコ氏が、これに実業家で新政党・祖国愛国党を設立したペドロ・ファドゥル氏が名乗りを挙げ、三つ巴の選挙戦となりました。野党連合が成立すれば勝てるという事で連立も模索されましたが双方譲らず、結果は与党・赤党のニカノル・ドゥアルテ氏が37.1%の得票で勝利し大統領に就任しました。ニカノル・ドゥアルテ氏は当初は新鮮さもあり、概ね好評でしたが政権半ばから腐敗が目立つようになり、60年以上続く赤党の長期政権に対する不満の声が高まりました。



2008年:独立系として元司教のフェルナンド・ルゴ氏が大統領候補として名乗りを上げ、南米ではブラジル・ルーラベネズエラ・チャベス、エクアドル・コレア、ボリビア・エバ・モラレスと大衆主義の反米的な左翼的な大統領が続いて登場しており、注目を集めました。祖国愛国党は前回有力候補として僅差で3位となったペドロ・ファドゥル氏を候補として擁立し、注目の青党はルゴ氏と選挙共闘を組み、ルゴ氏を大統領候補に押し立てました。オビエド氏は2007年に公民権を回復し、赤党とは別の政党(ウナセ)を結党しており、大統領候補として名乗りを上げました。これに対して与党・赤党はドゥアルテ大統領が再選に意欲を燃やし再戦を可能にするようにと憲法を改正しようと試みましたが実現せず、腹心のブランカ・オベラル教育相を後継者に指名し、自身は後見役として政治の中枢に残るとしました。一方、刷新を訴えるルイス・カスティグリノーニ副大統領が出馬し、赤党内選挙はオベラル女史とカスティグリノーニ氏の争いとなりました。党内選挙は混乱し数々の不正や不備が見つかり選挙区によっては再選挙も行われました。最終的には僅差でオベラル候補の勝利とされましたが、不透明な点が多くカスティグリノーニ氏は納得せずこれを不満としオベラル候補の勝利を認めないまま大統領選挙戦に突入しました。カスティグリノーニ氏がオベラル候補を支援するかどうかが注目されましたが、投票前日には「他の候補者達は票を盗まれないよう気をつけろ、自分の支持者は一番悪くないと思う人に投票するように」と発言するなど、最後までオベラル候補を支援する姿勢を示しませんでした。赤党内部がまとならないまま、左翼連合と青党の統一候補が勝利しフェルナンド・ルゴ氏が大統領に当選しました。



2012年:非合法な土地無し農民が警官隊を殺害するという事件に対して以前から土地無し農民寄りのルゴ大統領は毅然とした対応をせずにいた為、議会は弾劾裁判を実施ました。青党に政権が渡ることを嫌っていた赤党はそれまでは大統領弾劾には反対の立場でしたが、それまでの左傾化した政策、隠し子の発覚などのモラルの問題などで態度を変え、ルゴ大統領の罷免に協力する立場を取り、弾劾は成立しフェデリコ・フランコ氏が大統領に昇格しました。、

民主化以降の歴代大統領
1993年:ワスモシ大統領(選挙で選出、任期を全うした)
1998年:クーバス大統領(選挙で選出、任期途中で亡命を余儀無くされた)
1999年:ゴンサレス・マキ大統領(上院議長から繰り上げ)
2003年:ニカノル・ドゥアルテ大統領(選挙で選出、任期を全うした)
2008年:フェルナンド・ルゴ大統領(選挙で選出、途中で弾劾された)
2012年:フェデリコ・フランコ大統領(副大統領から繰り上げ、現職)


という事になります。任期を全う出来たワスモシ大統領、ニカノル・ドゥアルテ大統領共にその後の評判は余り芳しいものでは無く国民から尊敬を受けている状況とはとても言い難いのが現状です。

過去五回の大統領選挙の得票数の推移が出ていました。1989年の時にはまだストロエスネル政権下で公正な選挙ではなかったと言われています。2008年は青党はルゴ氏と連立を組んでの得票です。



(写真:過去5回の青党・赤党得票数:ABCコロール紙)



現在の情勢(2013年 3月11日)
1993年から本格的な民主的な方法で選ぶ大統領選挙が行われるようになり、5年毎に党内候補選び、連立を組むかどうかなど半年前から国民の大きな関心事となり、色々なドラマがあり、盛り上がりを見せていたのですが、今回は様相がかなり異なります。前回の選挙では内部抗争で自滅した赤党は今回はまとまりを見せて早くから候補を一本化し、オラシオ・カルテス氏を大統領候補とし万全の体制をひいています。与党の青党は政権に就いてからの半年間、無難に切り抜けて来ましたが、青党だけの力では赤党に対抗するだけの力は無いように見えます。エフライン・アレグレ元労働相を大統領候補として選出し選挙運動を行っていますがどこまで支持を伸ばせるか注目されています。オビエド党(ウナセ)は常に大統領選挙において台風の目となっていたオビエド氏を大統領候補として擁立する事を決め選挙活動を行っていましたが、ヘリコプターの墜落事故で死亡してしまいました。オビエド氏あってのウナセなので急速に求心力を失ってしまいました。ルゴ氏を支持する人達は貧困層を中心に結集を図かり、フエルテ・グアスなる政治組織を作り活動していますが、前回のような盛り上がりは無いようです。

このような状況で、赤党の候補であるオラシオ・カルテス氏が断然優勢との見方が有力です。与党のエフライン・アレグレ氏がこれに続いていると見られています。各種世論調査では結構拮抗しており、オラシオ・カルテス氏がそのまま当選するのかエフライン・アレグレ氏等の対立候補が追い上げを見せる事が出来るのか注目しています。



(写真:オラシオ・カルテス候補:ABCコロール紙)



(写真:オラシオ・カルテス候補:ABCコロール紙)



(写真:青党・ラファエル・フィリソーラ副大統領候補・エフライン・アレグレ大統領候補:ABCコロール紙)



(表:2月末までの世論調査)



有力4候補で討論会(2013年 3月18日)
有力4候補を招待して討論会が開催されました。今週と来週の2回にわたり行われるもので今回は主に経済、外交、次回は教育、衛生等のテーマで討論を行います。有力候補として招待されなかった主に左翼候補は不満を表明し、また開始直後には妨害の為に停電となるなど多少の混乱はありましたが討論会は行われました。また最大紙のABCコロールは投票一ヶ月前として世論調査を公表しました。オラシオ・コルテス候補が優勢で37%、レスライン・アレグレ氏が30%でこれに続き、後の候補は10%未満と苦しい情勢になっています。大方の見方は上位2候補の争いでオラシオ・コルテス候補が断然優勢というものです。多数の候補で票が割る場合には当選ラインは大体40%程度となる事が多く今回も大体このくらいになると思われます。



(写真:有力4候補:ABCコロール紙)



(写真:世論調査:ABCコロール紙)

一方のウルティマ・オーラ紙ではカルテス候補の支持が40%迫る勢いを示しています。



(写真:世論調査:ウルティマ・オーラ紙)



青党とオビエド党との合意なる(2013年 4月 6日)
選挙まで2週間に迫っている中、劣勢が伝えられる与党アレグレ候補とオビエド党が選挙合意に至ったとの報道が流れました。カリスマ的なリノ・オビエド氏を事故で失い支持率がいまいち伸びない中、オビエド党は青党候補者であるアレグレ氏を支持すると表明しました。選挙公示前に両者で話し合いが行われ、大統領候補-青党、副大統領候補-オビエド党という形で統一候補を出す動きがあったのですが、不調に終わりそれぞれ独自候補を立てて選挙戦を戦って来ましたがこのままでは共倒れになるとして合意に至ったものと推測されます。オビエド党からも入閣する事を明言しており、連立政権となる見込みです。

合意直線に行われた世論調査では赤党・カルテス候補が37.6%、青党・アレグレ候補が31.7%と赤党優勢の状況ですが、オビエド党・オビエド候補への支持率が7.1%あり、単純に合算すれば38.8%あり、カルテス候補を上回る事が出来ます。オビエド支持者が必ずしもそのままアレグレ支持に廻るのかどうかは分かりませんがこの合意で両候補の支持率がかなり拮抗した状況になったことは間違いないと思います。追い上げを図る青党・アレグレ候補、どこまでオビエド党支持者から支持を得ることが出来るのか、赤党支持者にも食い込む事が出来るのか注目です。



(写真:インタビューに答えるアレグレ候補)



(写真:青党とオビエド党との合意なる:ABCコロール紙)



(写真:世論調査:ABCコロール紙)



最後の追い込みカルテス候補断然有利のまま終盤戦に(2013年 4月14日)
14日は選挙前最後の日曜日、赤党カルテス候補支持のキャンペーン・キャラバンが通過して行きました。100台の自動車が音楽、爆竹を駆使して華やかに行進して行きます、お祭りの山車のノリです。支持者は自宅から出て旗を振り応援します。



(写真:青党アレグレ候補)



(写真:赤党カルテス候補)



(写真:赤党キャラバン-01)



(写真:赤党キャラバン-02)



(写真:赤党キャラバン-03)



(写真:支持者-01)



(写真:支持者-02)



(写真:支持者-03)

4月14日にウルティマオーラ紙に出た世論調査では更に差が開きカルテス候補が断然有利との事です。15日の新聞にはカルテス氏が実質的に経営するアマンバイ銀行がパラグアイで金融危機が発生した1996年に南太平洋上に在るクック諸島というタックスヘーブンの島にアマンバイ・トラスト銀行を開設し2000年まで営業を行っていたという事です。銀行が内外を問わず子会社を作る際には中銀に届ける必要があるとの事ですがこの銀行は書類上の銀行で実際に事務所を開いていたわけでは無く2000年には閉鎖したとの事です。これに対してカルテス氏はアマンバイ・トラスト銀行の株主ではなかったですし、全く関係ないと釈明しました。この説明に納得しない若者150人程がカルテス氏の自宅前で抗議活動を行う事態となっています。



(写真:世論調査:ウルティマオーラ紙)

右派伝統政党が復活へ 21日にパラグアイ大統領選(共同)
昨年6月、中道左派のルゴ前大統領の弾劾で周辺国から反発を受け南米の関税同盟、南部共同市場(メルコスル)を加盟資格停止となっているパラグアイで21日、大統領選が行われる。中南米ではベネズエラのチャベス前大統領登場後に各国で左傾化が進んだが、中道右派の伝統政党擁立候補が当選する見通し。ルゴ政権発足前に約60年間政権を維持した伝統政党、コロラド党の実業家カルテス氏(56)と、別の伝統政党、真正急進自由党(PLRA)のアレグレ前上院議員(50)との事実上の一騎打ち。世論調査ではカルテス氏がわずかに優勢。両党とも中道右派で外資導入による経済成長維持が公約。メルコスルは、大統領選後に加盟資格復活を協議する方針だ。カルテス氏は共同通信に対し「自由市場は発展に不可欠で、早急に復帰を目指したい」と話した。

大統領選の投票開始=与野党候補が一騎打ち−パラグアイ(時事)
南米パラグアイで21日、任期満了に伴う大統領選の投票を開始した。11人が出馬する中、事実上、与野党候補者が一騎打ちの構図。前回選挙で約60年ぶりに野党に転落したコロラド党が政権を奪還できるかが争点だ。副大統領選、議会選も合わせて行われ、即日開票される。新大統領の就任日は8月15日で、任期は5年。

21日にパラグアイ大統領選 与野党一騎打ち(日本経済 )
南米パラグアイで21日に大統領選挙が行われる。与党の真正急進自由党(PLRA)、野党で2008年まで約60年間政権の座にあったコロラド党の候補者が競っており、事実上の一騎打ちの構図だ。5年前の政権交代後に国内政治が混乱。長期政権の安定性が再評価され、世論調査では野党のコロラド党がやや優位に立っている。即日開票で、結果は早ければ21日夜(日本時間22日午前)にも判明する見込み。11人が立候補しているが、与党のアレグレ前上院議員(50)と、実業家で国内有数の富豪である野党のカルテス氏(56)が競る。直接選挙による単純多数で勝者を決め、決選投票はない。次期大統領は8月に就任し、任期は5年となる。パラグアイでは12年6月、貧農による農地不法占拠事件の対応に失敗した左派連合のルゴ前大統領を議会が罷免。副大統領だったPLRAのフランコ氏が大統領に昇格した。周辺国は弾劾の経緯を批判し、関税同盟メルコスル(南米南部共同市場)での資格を停止する処分を下した。大統領選後に資格について協議する見通しだ。

ルゴ元大統領弾劾のパラグアイで大統領選挙(世界日報)
2012年に中道左派のルゴ元大統領を弾劾・罷免した南米のパラグライで21日、現職フランコ大統領の任期満了に伴う大統領選挙が実施される。就任式は8月15日の予定で、任期は5年。パラグアイでは、2012年6月、土地なし農民と治安部隊の衝突から17人が死亡する事件が発生、中道右派のコロラド党など野党は、この事件の責任を中道左派のルゴ元大統領に問う弾劾裁判を行い、罷免した。ルゴ元大統領は、議会による弾劾裁判をクーデターだと批判、メルコスル(南米南部共同市場)などに加盟する他の南米各国もこれに同調、パラグアイはメルコスルと南米諸国連合(UNASUR)の加盟資格停止処分を受ける事態となった。今回の大統領選挙では、パラグアイは国際社会からの制裁解除を受けるために米州機構(OAS)などから多数の選挙監視団を受け入れることになっており、選挙後には南米諸国連合への復帰が決まりそうだ。一方、大統領選挙には10人が立候補しているが、事実上、中道右派コロラド党のカルテス候補(56)と、中道の真正急進自由党から出馬しているアレグレ前上院議員(50)の一騎打ちとなっており、5年ぶりに保守政権が誕生する可能性が高い。世論調査結果はカルテス候補有利だが、アレグレ候補も故リノ・オビエド陣営の支援を受けるなど差をつめている。元陸軍司令官で保守のオビエド氏(69)はアレグレ候補の叔父にあたる。オビエド氏は、今回の大統領選挙への出馬を表明していたが、今年2月にヘリコプター事故で死亡していた。パラグアイでは、伝統的に保守政党が強く、現最大野党のコロラド党は、ルゴ元大統領が登場する以前は、半世紀近くに渡って同国政治の中心となってきた。元神父のルゴ元大統領は、「解放神学」の影響を受けながら同国の貧民街で宣教活動を行ってきた。2008年の大統領選挙では、貧困対策や土地改革を訴えながら、半世紀以上続いてきた保守政権を打倒、左派政権を誕生させた。しかし、2009年に、神父時代に宣教地の複数の女性と性関係を持っていたことが発覚、隠し子が見つかるなど国内を揺るがす事態に発展した。南米最貧国の一つでもあるパラグアイは人口の3分の1が貧困層に所属、同国経済も停滞している。カルテス、アレグレ両候補共に、民間資本の導入などによる経済活性化を訴えているが、同時にカルテス氏はタバコ絡み、アレグレ氏は土地絡みでの汚職疑惑を抱えており、新政権は、こうした汚職疑惑を一掃するだけの成果を求められることになりそうだ。




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