訪日しての感想-その8 ( 訪日時期: 2009年2月 )






訪日しての感想-その6 ( 訪日時期: 2009年2月 )




親族の葬式、大統領訪日に伴うセミナー開催、研修とここ3回は目的を持ち課題を抱えての訪日でしたが、今回はそのようなものは無く久しぶりに日本をゆっくりと眺める事が出来ました。パラグアイに移住した1990年に移住手続きをしている間は時間がありゆっくりと日本を見ていましたがその時と比較して日本は豊かになり、見ている限りではよりバブルになっており、どこが不況なのかよく分かりませんでした。マスコミは100年に一度の変革の中にある、急激な景気後退が起きている、雇用調整が起きていると毎日のように報じていますが、本当なのでしょうが何となく違和感があります。今回は東京タワーそして幾つかの博物館を回りましたのでその感想を記すこととします。色々な話題を取り上げていますが、鉄道の話題が多くなっていますね。

訪日しての感想 -01 (99年10月) 
訪日しての感想 -02 (2001年 6月) 
訪日しての感想 -03 (2003年 7月) 
訪日しての感想 -04 (2004年 3月) 
訪日しての感想 -05 (2005年 3月) 
訪日しての感想 -06 (2005年10月) 
訪日しての感想 -07 (2007年12月) 

写真が140枚ほどあります。



01・南米路線(2009年02月11日)

航空運賃に関しては以前は大体横並びであったのですが、最近は大きな違いが出ています。今回選択したのはユナイテッドで初めての利用となります。この会社はワシントンとシカゴがベースのようで、サンパウロからそして東京からこの両都市に便があり、これを乗り継いで行く事になります。接続時間の関係上空港での待ち時間が長く、40時間かかります。行きはサンパウロ-ワシントン-東京、帰りは東京-シカゴ-サンパウロというものでした。行きと帰りの経由地が異なるのは待ち時間の関係なのだそうで、お願いした旅行社では大体このようにしているそうです。

帰りに成田に行きますと「シカゴ便はキャンセルになる可能性が高いので特設カウンターに行って欲しい」と言われました。何とこれは大変と指示された特設カウンターに行きますと「882シカゴ」と表示されており、振替便を斡旋していました。カウンターに行き係員の説明を受けますとワシントン経由で行くのが最良とのこと、ただ混んでいて真ん中の席しか取れないとのこと、「他に方法は無いかと食い下がると「ちょっと待って下さい、探します」としばらくコンピューターで検索し、「ロスアンジェル便が3時間出発が遅れており、これに乗り国内便でシカゴに向かいその後は予定した便に乗る事が出来ます」との回答、出発時間もアスンシオン到着時間も同じなのでこれを選択しました。職員の対応は簡潔明瞭で非常に良く好感を持ちました。

荷物は日本航空などですと32キロを2個持って行けるのですが、こちらは23キロを2個との事で荷物の整理にかなり苦労しました。お土産を買う際に普通は値段を考慮するのが普通なのでしょうが、重量制限があるので重さを重視します、100グラム単位で考えながら買います。持って帰りたい物が多いのですが出来るだけ日本で食べて行く事にしていますので、訪日しますと太ってしまいます。出発前にスーツケースを計量し手荷物にもぎっしり詰め込んでの帰途となります。



(写真:成田でのユナイテッド・カウンター)

飛行機に乗りますとエコノミー49番と中央からやや後ろの席でした。座りますとアナウンスがあり、「34番から44番までの席は料金別設定になっていますので、席を移動しないで下さい」とのアナウンスがありました。同じエコノミーの座席ですが、食事やサービスの内容を変えて差別化をしているようです。ファースト、ビジネス、エコノミー(上)、エコノミー(下)と4段階になっている訳で、三等客と思っていたら実は四等客であったという訳です。確かに今回利用したエコノミー(下)では食事もまずく、量も少なくアルコールは有料、例えば缶ビールは600円を徴収と徹底したコスト削減を図っていると感じました。帰途の東京からサンパウロまでの4食を紹介しますが、一日半の間でこれだけの食事は確かに少ないです。行きもそうですが、サンパウロ路線は東京路線と比較して食事が一段と少なくお粗末という印象を受けました。朝食はパン1個とヨーグルトだけです。これは日本人は細かくうるさいのと他社との競争もあるのである程度の食事を提供しているのでしょう。

東京からの食事は見た目には綺麗ですが一律「チン」で温めている為にブロッコリーも台無し、肉料理も機械的に切り分けた少量の肉に多くのソースを掛けて量の少なさを誤魔化しているという感じです。容器も以前と比較しますとかなり小さいという印象です。長時間の割には量が少ないので今回初めて途中の空港ででマクドナルドのハンバーガーを買ってしまいました、旅行の途中で食物を買うのは南米に来て以来初めての経験です。機内食と比較しますと出来立で美味しくいただきました。マクドナルドの方がずっと上等な食事になるとは機内食も落ちたものですね。多分、将来はこれも有料となるのでしょう、マクドナルドを空港で買って飛行機の中で食べる時代になるのも近いと思います。まだ南米と東京の間にバリグが飛んでいた昔の古き良き時代には、「機内食は食べ切れないので、1回バスするかもしくは残すように」とアドバイスしていましたが、現在は全部食べても少々不足という状況になりました。

なお、途中ロスアンジェルス、シカゴ、サンパウロと空港に数時間滞在しましたが、確かにトータルの時間は余計にかかりますが、途中で休憩出来ると楽でした。飛行機が変わると気分転換にもなりこれも一つの方法だと思います。



(写真:機内食・夕食・東京-ロスアンジェルス)



(写真:機内食・朝食・東京-ロスアンジェルス)



(写真:機内食・夕食・シカゴ-サンパウロ)



(写真:機内食・朝食・シカゴ-サンパウロ)



(写真:空港内のマクドナルド)

機内は清潔で乗っている分にはさほどの不自由は感じませんでした。とにかく安全にそして最低限のサービスがあれば利用する人は多いのでしょう。四等客でも結構、値段が安いのであれば割り切ってまた利用するかも知れません。



(写真:機内の様子)



(写真:機体:ワシントン空港)

さて、以前はサンパウロ-東京の直行便はロスアンジェルスを経由していましたが、最近はニューヨークになっています。多くの人は何故遠回りするのか等と言っていますが実際にはこちらが最短コースです。丸い地球を平面で示す地図には何か不自然な点があるのですが、一番目にするメルカトル図法は見易いのですが、距離も方向も面積も実際とはかなり異なっています。この図法に東京サンパウロの最短コースを描くと大きなカーブのようになり、ほぼニューヨークを通過します。何故ルートが変更になったのかと言いますとソビエト崩壊でロシア上空を飛べるようになったからです。ソビエト時代には西側の飛行機が上空を飛ぶ事にかなり警戒心があり、許可は出ず、侵犯した時には大韓航空機のケースのように撃ち落とされる事までありました。ロシア上空を飛ぶ事が可能になった現在は当然最短コースを行く事となり、ニューヨーク経由になったという訳です。メルカトル図法ばかり見ていますとハワイのホノルルを経由して行くのが直線のように錯覚しますが実際にはこれは相当遠回りなのです。



(写真:サンパウロ-東京最短コース)



02・シカゴ空港(2009年02月11日)

今まで日本と南米を数多く往復していましたが、経由地はニューヨークとロス・アンジェルスに限られていました。今回初めてシカゴ空港に行きましたが、機能的で豪華、店も多く大型ショッピングに居るような印象を受けました。本来はここで7時間過ごす予定になっていたのですが、経由地が変更となり2時間程度となりましたが、もっとここで過ごしたいと思った程です。A〜Eまでのコンコースがあり、多分大体同じ程度の規模なのでしょう。その内のCコンコースに居ましたが広さに驚きです。ロスアンジェルスからの到着がBでしたので移動しましたが、途中の動く歩道の上にはイルミネーションが輝いていました。機能性ではニューヨークよりもずっと良いと感じました。



(写真:シカゴ空港-01)



(写真:シカゴ空港-02)



(写真:シカゴ空港-03:ユナイテッドのカウンター)



(写真:シカゴ空港-03:BとCをつなぐ通路)

通路の両側には多くの店舗があります。食べ物はハンバーガーとサンドイッチ、ホットドックなどです。



(写真:両側には多くの店舗があります)



(写真:ホットドック)

オバマ大統領就任直後という事もあり、オバマグッズが多く見られました。



(写真:オバマ大統領グッズ)



03・京成で成田空港へ(2009年02月20日)
成田空港へ行く方法として一般的なのはJR成田エキスプレスもしくはリムジンバスそして京成で行く方法です。JR特急もしくはバスで行きますと3千円かかりますが、京成特急ですと上野駅から丁度千円で成田空港まで行く事が出来ます。新宿からですと都営新宿線で本八幡まで行きそこで京成・八幡駅と接続しているので乗り換えて簡単に成田空港に行く事が出来ます、ただ同じ駅なのですが何故か名前が微妙に異なりインターネットで乗り換え検索をしてもヒットしません、この方法で新宿から成田空港へ行く事を妨げているのかも知れないと疑ってしまいます。

京成としては始発の上野駅もしくは日暮里駅からスカイライナーに乗って欲しいのでしょう、途中の駅には止まりませんので、勿論この八幡駅も通過駅です。ただ出発駅が上野駅であることと、京成本線の路線が蛇行しているので時間が掛かり横浜、新宿、池袋などから乗車出来るJRのエキスプレスに負けているのが実情です、また本線を走られているのでダイヤ作りも大変です。現在北総線を成田空港まで延長し将来はスカイライナーをこちらの路線を通して運行する予定なのだそうで、都営浅草線のバイパスを建設し将来は成田空港と羽田空港を特急で結ぶ構想もあるようです。時間的にも値段的にも優位になれば利用者が増える事でしょう。



(写真:八幡駅)



(写真:八幡駅を通過するスカイライナー)



(写真:普通の電車)



04・富士山(2009年02月12日)

日本の代表的な景色として誰もが挙げるのは富士山です。新幹線に乗り天気が良い時には富士山が見えるのではないかと期待してしまいます。写真で見ますと裾野が広くなだらかなのが分かりますが実際に目で見ますと浮世絵のようにかなり尖って見えます。目の錯覚なのでしょうが不思議ですね。



(写真:富士山-01)



(写真:富士山-02)

富士山の写真と言いますと手前の方も大自然に囲まれている場所や湖畔などが選ばれ一層富士山を際立たせます。しかしながら新幹線で通る場所はどちらと言いますと工業地帯ですので煙突に囲まれている姿が一番自然のような気がします。絵葉書やポスターなどでは余り見掛けない普段着の富士山です。



(写真:富士山と工業地帯)



05・二重橋 (2009年02月19日)
東京中央に位置しているのが江戸城、現在の皇居です。徳川の天下となり、この城を中心に国が動いていた訳で以来現在に至るまでここが日本の中心となっています。その中でも象徴的な存在が二重橋で戦争中はここに昭和天皇が白馬に乗って現れたとか敗戦の日に多くの国民がこの前で懺悔した映像など日本の歴史を刻んで来た場所と言えます。今回この場所に行きますと変わらぬ静寂さがありましたが、外国人特に中国からの観光客が多く来ていました。賑やかで猥雑な集団という感じで統率が全く取れていませんが日本の天皇の住まいの静けさを理解して欲しいものですね。



(写真:二重橋前)



(写真:二重橋前・左側)



(写真:皇居の堀)



06・東京駅は改修中 (2009年02月20日)
東京駅は皇居の正面に作り東京の建設当時から現在に至るまで東京の中心として機能しています。新宿駅の方が乗降客が多いのかも知れませんが、東海道、東北両新幹線が発着するなど世界最高の鉄道駅ではないかと思います。現在は丸の内の駅舎で改修工事を行っていました。開業当初の姿を復元するそうで、国の重要文化財にも指定されている東京のシンボル的な建物の改修工事なので時間と手間がかかるようです。今から完成が楽しみですね。



(写真:改修中の東京駅-01)



(写真:改修中の東京駅-02)



07・銀座四丁目(2009年02月13日)
東京の中心はどこかと言いますと「銀座四丁目」という事になります。この交差点が最も賑わっている「街」なのでしょう。現在東京は中心が次第に見えなくなっているように感じます。新宿を始めそれぞれが発展している、この銀座もその中の一つのように見えます。もし日本を訪問した外国人がこの近くのホテルに宿泊しここと浅草そして六本木くらいを見て「東京」を判断しますと「それほど大きくは無い、ニューヨークやロンドンの方が大都会」と感じるかも知れません。この程度の街がそれこそあちらこちらに在るというのが東京のすごさなのですがそれは分からないでしょう。

小さい時、繁華街に行くのは何時も新宿、たまに銀座に行く時には少しお洒落して出掛けなくてはならないという意識がありました。銀座は特別な場所であったように記憶しています。今この四丁目と新宿駅前を比較しますと賑やかさは新宿の方が上のような気もします。それでもものすごい混雑でした。腰を下ろして少し休みたいと思いましたが休む場所、椅子がどこにもないのには困りました。キムラヤのパンという看板がありましたので中に入りますと名物のアンパンなどを求める人でごった返していました。上に喫茶店があるので行ってみますと行列になって並んでいました。喫茶のメニューを見ますとどれも千円くらいはします、ここに並んでいる人はこの程度の出費は何でもないのでしょう。確か不況という事になっていますが、どこも人で溢れている状況を見ますと到底不況とは思えません。



(写真:銀座四丁目交差点-01)



(写真:銀座四丁目交差点-02)



(写真:銀座四丁目交差点-03)



08・新宿 (2009年02月17日)
東京は現在東ライン(上野・秋葉原・日本橋・銀座・新橋)と西ライン(池袋・高田馬場・新宿・原宿・渋谷)とが競っているように見えます。東の中心が銀座、西の中心は新宿です。近年多くの鉄道が開通し人の流れが変化して来ましたが、以前は東京駅に集まっていた電車が現在は新宿に集まっています。副都心線が開通し渋谷発飯能行きの電車がある状況となり埼玉、神奈川、千葉からも新宿に向けて人が流れています。世界に冠たる超モンスター都市東京の中心が完全に新宿に移っているように見えます。写真を撮影するとその集積ぶりに驚きます。小さい鉛筆のようなビルが密集しその中に数多くのテナントが入っている、ここに来る外国人の多くがここでこの異様な光景を撮影しています。新宿の発展ぶりを見ていますと今後も超巨大都市の核として成長を続けて行くのでしょう。



(写真:新宿-01)



(写真:新宿-02)



(写真:新宿-03)



09・新幹線:品川駅にて (2009年02月17日)
新幹線は1964年の開業以来日本の経済成長を支えて来ました。その間本数は増え東京駅だけでは賄い切れない状況となり品川駅を新設しました。その品川駅で眺めていましたが、10分おきに「のぞみ」が出発しその間に「こだま」と「ひかり」が出ています。「のぞみ」だけで一時間に6本出ている訳です。数百メートルもある弾丸列車で千人以上の乗客を乗せて5,6分おきに東京駅を出発するというのはどう見ても異常な気がします。これほどの人が東海道を移動していると考えると日本人のエネルギーのすさまじさを垣間見る気がします。

どうしてこれだけの列車が必要なのかどのような人が乗っているのか電車の中を覗いてみると、「洋服の青山辺りで買ったドブネズミ色背広を着たサラリーマンが疲れた顔でおもむろに発泡酒を開け柿ピーをつまみながらパラパラと週刊現代を眺めています。」このような人達が、同じような人が電車の中にぎっしりと詰まっています、多分商談、出張、研修、会議などなど会社の用事で出掛けるのでしょうが、東京から名古屋、大阪、広島、福岡にこれだけの人が移動する必要があるのか疑問に思います。経済が減速しこのところ新幹線の乗客が減り続けているというニュースがありますが、会社内で無駄を削減となると最初に考えるのが無駄な出張、費用がかかる新幹線を利用しての旅行も減るのが当然だと思います。社用族では無く本当に旅行する事が必要な人はもう安価な高速バスを利用しているのでしょうね。



(写真:品川駅新幹線下りホーム)



(写真:のぞみ号)



10・渋谷(2009年02月19日)

渋谷は近くに青山、代官山などがあり、3副都心の中では気取ったハイカラな街という印象があります。若者に人気があり、ファッションの発信地というイメージもあります。勿論「渋谷駅」を中心に発展した街で駅が中心なのですが、渋谷駅はつぎはぎだらけの駅で、大きな駅なのですがよく分からない駅で、慣れていない人は戸惑う事でしょう。地下から地上まで色々な位置から電車が出発していますが、一番上に在るのが東京メトロの銀座線、その他東京メトロの半蔵門線、副都心線が地下を走っています。私鉄は地上に京王・井の頭線、東急東横線そして地下に東急田園都市線が走っています。JRは元々は山手線だけであったのが貨物線を活用するなどして湘南ラインや埼京線が走っています。複雑に入り組んでいてバラバラで全体が良く見えません、乗り換えにも苦労します。この駅の大改造計画があるそうで、バラバラであったものをまとめて分かり易くするそうです。ただ渋谷のこの複雑系が好きというファンも多いと思います、どのように生まれ変わるのが楽しみですね。



(写真:渋谷-01)



(写真:渋谷-02)



(写真:センター街)



11・渋谷駅前に東急の車両(2009年02月12日)

生まれは自由ヶ丘、小さい時にはどこかに行く時には東急東横線に乗っていました。当時の電車が渋谷のハチ公前に展示されていました。5000系通称「青カエル」というのだそうです。この車両は下膨れで何となくユーモラスで素敵な電車です。渋谷と桜木町の間を走っていたのですが、旧字体で書かれています。ハチ公前は待ち合わせ場所として有名ですが少々小さく人でごった返していますので、近くに目立つ楽しいモニュメントが登場した事は良かったと思います。これ以前は確か青と黄色の二色の箱形の陳腐な電車であったのでこの緑の電車は近代的でデザインも良く人気の車両であったのでしょう。その後東急の電車と言いますと長い間「緑色」という印象ですね。

この車両は長野の上田電鉄で活躍した後に長津田に保管されていて、元の色に塗り直し、車両を短くしてここに展示しているのだそうです。全部で105両が生産され、現在でも熊本電鉄では現役で活躍しているのだそうです。



(写真:東横線の昔の車両-01)



(写真:東横線の昔の車両-02)

JRや井の頭線、地下鉄などが走っていますがやはり渋谷は東急の街でこのモニュメントが似合っていると思います。



12・NHKスタジオパーク(2009年02月19日)
渋谷にあるNHKスタジオパークに行きました。以前はスタジオの中の様子を上から眺める事が出来たのですが全てカーテンがかかり中を見る事が出来ませんでした。なんでもフラッシュを点けて写真を撮影する人が多く収録に支障が出ているのが理由のようでやむを得ずの処置だそうです。



(写真:NHKスタジオパーク)

現在放映中の大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続の兜の複製が飾られていました。「愛」と記した兜を実際に使用していたのでしょうが、文字が大きいのには驚きですね。



(写真:直江兼続の愛の兜)



13・副都心線(2009年02月18日)
東京メトロは営団地下鉄の時代から大正時代の銀座線(上野-浅草)から地下鉄の建設を進めて常にどこかで新線を建設していました。そして最後の路線である副都心線が開通しもう新路線の計画は無いのだそうです。副都心線は名前の通り3つの副都心を繋ぐ路線で埼玉県の人を新宿・原宿・渋谷に運ぶ鉄道です。今まで都会と言えば池袋という人が一気に新宿に流れて来る訳です。新宿三丁目の駅に行きますと「和光市」行きの電車が止まっていました。時刻表を見ますと「飯能」行きなど今まで渋谷・新宿には縁遠い埼玉の地名が並んでいました。秩父地方までが新宿の商圏になったという訳です。近い将来渋谷から東横線に乗り入れを行い、横浜中華街まで電車が行くようになるという話です。



(写真:副都心線・新宿三丁目駅)



(写真:埼玉方面への電車:副都心線・新宿三丁目駅)



14・浅草(2009年02月19日)
東京の観光名所として江戸情緒を色濃く残している事で名高い浅草に行きました。一月でまだ初詣の飾り付けが残っているのでしょう、「賀正」の文字が見え至るところで「甘酒」を売っていました、この仲見世の雰囲気は昔から変わらず良いものですね、外国人にも人気があるのが分かります。



(写真:仲見世)

これから少し行きますと「新仲見世」というアーケード街があります、こちらは下町の普通の商店街です。



(写真:新仲見世)

浅草には面白い店が多くありますが、今では珍しい鯨料理の店がありましした。「鯨は日本の食文化」とのふれこみで鯨料理、鯨製品を売っていました。昔は鯨は安い食品で給食には鯨ベーコンが出ていましたが、今では珍味の代表格となっていますね。店の名前は「勇新」、比較的新しいお店のようです。一度食べに来たいものですね。



(写真:鯨料理)



15・東京タワー(2009年02月15日)
東京のシンボル東京タワーは50周年を迎えたそうです。ここを訪れる人が増加し賑わっています。50周年という事と映画「三丁目の夕日」が人気の元にあるのでしょう。最初の映画では東京タワーが建設中、続編の最後に家族で東京タワー見物に出掛けるシーンがあり、映画の中で重要な役割を果たしています、この映画を見て懐かしい東京タワーに行こうと考える方も多いのではないかと思います。



(写真:東京タワー)



(写真:東京タワー入口)

受付(1階案内所)に行きますと美人の方、笑顔で応対する方が訪問者の質問などに答えていました。



(写真:一階案内所)

エレベーターに乗り上に上がるのですが一基毎に係員が居て案内します。雰囲気が何となくレトロで良いですね、この雰囲気が人気の秘訣なのでしょうね。それにしても職員が多過ぎる気がします。デパートなどからはエレベーターガールが姿を消しているのですから数機のエレベーターで客を捌くには2,3人で十分であると思います。



(写真:エレベーター)

展望台に上がりますと多くの人がいます、人気があるのですね。何でも以前設置されていた望遠鏡を取り除いたのだそうです。スッキリとした感じですね。



(写真:展望台)

展望台から下を眺める事が出来る場所があります。



(写真:展望台から下を)

やはりありました、三丁目の夕日のジオラマです。



(写真:三丁目の夕日のジオラマ)



(写真:東京タワーのシンボル人形)

入口にはタワーの模型があり、多くの人が記念写真を撮っていました。



(写真:東京タワーの模型)



(写真:東京タワーから見える景色-01)



(写真:東京タワーから見える景色-02)

眼下には芝増上寺が見えます。



(写真:増上寺)



16・船の科学館(2009年02月15日)
台場方面を見ますと船の形をした建物があり目をひきます。遠くから見ていた時には最初は古い船を再利用しているのかとも思っていましたが、近くに行って見ますと建物である事が分かります。予想通り色々な船や船の構造、歴史などが展示されており勉強になります。



(写真:船の科学館)



(写真:船の科学館・外観)



(写真:港のジオラマ)

その中で意外な展示であったのは「アホウドリ」です。鳥島に生息し絶滅寸前まで追い込まれ現在は少しづつ個体数を増やしている事はよく知られており、繁殖場所を変更する為に求愛の対象として模型を置き鳥を呼び込んだ事は知っていましたが、その使われた模型が展示されていました。本物と同じように作られている訳ですが、想像していたよりも大きく可愛らしい鳥ででした。



(写真:アホウドリの模型)

屋上では船の模型操作が出来るようになっており一回百円で遊べるとあり、少年達の人気を集めていました。



(写真:模型船)

科学館横に南極観測船・宗谷が繋留されており、ここを見物する事が出来ました。非常に小さい船でよくこれで南極まで出掛けたものだと感心します。何でも戦前にソ連から発注され建造され、引き渡される事なく日本の貨物船となり、ミッドウェーにも参戦しているのだそうです。戦後南極観測を行う際にこれを利用する事になったそうですが、当時の日本の国力ではこれが精一杯であったのでしょう。建造されて70年以上が経過し、経年による損傷は大きく維持管理にはかなりの費用が掛っているそうです。科学館を訪問しこれを見物するだけも価値があると思います。



(写真:南極観測船・宗谷-01)



(写真:南極観測船・宗谷-02)



(写真:南極観測船・宗谷内・士官食堂)



17・江戸東京博物館(2009年02月15日)
東京の歴史を江戸時代から見る事が出来る東京都江戸東京博物館、驚くほど非効率でバブル風の建物にまず驚きました。柱も無い巨大な空間を作りその上に展示部分が在るのですが何でこのような構造が必要なのか全く理解出来ません、維持管理には膨大な費用がかかるでしょうし、両国駅前の景観もこれでは台無しですね。普通に四角く建てれば建設費も維持費も少なくて済んだでしょう、このような建物を建ててしまう程バブルの時代の感覚はどこか狂っていたのでしょう、呆れるばかりですね。公共の建物は都庁もそうですが、より無駄で金がかかり非効率な事が尊ばれた時代なのでしょう。見るからに不安定な構造であり、崩れ落ちるのではないかと心配になります。また、見掛けに比べて展示スペースが少ないのも不満です、何でこのようなものを建設したのでしょうね。中の展示の中に浅草12階で知られる浅草・凌雲閣のジオラマがありますが、これと同じく大震災で崩壊しなければ良いのですが・・。



(写真:江戸東京博物館)

数多くのジオラマが展示されています。武家屋敷のジオラマでは門の華麗さに驚きました。時代劇では古ぼけた門が出て来ますが考えて見れば当時は歴史的な建造物では無く「現代」の建物であった訳で新しくかつ美しかったのは当然なのでしょう。テレビや映画での映像が知らない内に刷り込まれてそれが真実であると考えてしまっている事に反省です。



(写真:江戸時代・武家屋敷のジオラマ)



(写真:江戸時代の暮らし)

現在の三越の前身に当たる駿河町三井越後屋呉服店のジオラマもありました。



(写真:江戸時代・駿河町・越後屋呉服店のジオラマ)

等身大の花魁人形が展示されていました。これも実物は綺麗なものであったのでしょう。



(写真:江戸時代・花魁の人形)

明治後期から大正時代の大震災まで浅草のシンボル的な存在であった凌雲閣の模型がありました。12階建ての建物で日本最初のエレベーターが設置されていたそうで建設当時は大人気であったそうです。震災の時には脆くも崩れ去り、現在ここはパチンコ店になっているそうです。これも一種のバブルの塔(バベルの塔)であったのでしょう。



(写真:浅草・凌雲閣の模型)

戦後日本の高度成長の発端となった1964年の東京オリンピック。



(写真:東京オリンピックの旗とテレビ)

現在でこそ日本は世界に冠たる自動車生産国になっていますが、本格的な家庭用の自家用車として最初に世に出たのが「てんとう虫」の愛称で親しまれた「スバル360」ですね、この開発の中心的な技術者である百瀬晋六さんの功績は高いものがあると思います。1958年から1970年まで12年間に渡り製造されたそうですが、今でも愛好者は多く一般道を走行している現役の自動車もあるそうです。



(写真:名車・スバル360)



18・鉄道博物館(2009年02月16日)
以前中央線の万世橋駅跡にあった交通博物館を閉鎖し事実上こちらに移転しました。場所は大宮駅の北、新交通システムで一駅の場所にあり、元は車両解体施設であったそうです。ここはJR東日本の施設でJR西日本はこれとは別に大阪に交通科学博物館という施設を持っているそうです。従いまして基本的には現在のJR東日本の車両が主体でした。



(写真:鉄道博物館)

以前の交通博物館には小さい時に行き興奮した記憶があります。鉄道少年には夢の博物館という印象があり、それ以降閉館の前年まで数回訪問しています。今回は新たにオープンした施設で期待して行きました。圧巻は本物がずらっと並んでいる展示場です。懐かしい車両と言いますかつい先頃まで現役として走っていた車両がずらっと並んでいます。古い車両にも興味がありますが、鉄道少年の夢を掻き立てたこちらの車両にどうしても目が向きます。上から見ますと模型のように見えます。



(写真:実物の車両がずらっと並ぶ)

交通博物館では入口に一部だけが展示されていた〇系新幹線もここでは車両全体が展示されています。新幹線と言いますとこの〇系のイメージが強烈ですね。中に入る事も出来ます。



(写真:〇系新幹線)



(写真:〇系新幹線・内部)

特急ときが展示されていました。大学時代東京から離れて地方の大学に通っており、休みになると名称は異なりますがこれと同型の特急・ひばりに乗って帰京していました。東京まで4時間、途中で食堂車で食事をするのが非常に贅沢に感じました。



(写真:特急とき)

車両の中にも入る事が出来るのは嬉しい限りです。当時の様子をそのまま残しています。座席は勿論地図が懐かしいですね。



(写真:特急の内部)

中央にある蒸気機関車を動かす事無くターンテーブルを回す事で一回転させ、その間数回汽笛を鳴らすという実演を行っていました。実際大した事をする訳ではないのですが多くの人が食い入るように見つめていました。日本は鉄道ファン所謂「てっちゃん」が多いのですね。



(写真:蒸気機関車)

この他にも色々な展示がありました。鉄道のジオラマがあり、早朝から深夜までという設定で色々な列車を走らせます。ただシナリオが余り良くないのと近づけないので見る方としては不満が残りますね。プラレールで巨大な線路を作り子供が遊べるようなものがあれば楽しいかも知れませんね。



(写真:鉄道のジオラマ)

この他にも興味深い展示物が多くあり、鉄道少年達が食い入るように見ていました。「はつかり」「はやぶさ」など懐かしい名前が並んでいますが、中には「海峡」のように知らない名称のものもありました。



(写真:鉄道資料の展示)

外はJR東日本の路線等が多く走行しています。展望台からは本物を眺めて楽しむ事が出来るそうです。手前の方でゆっくりと特急・ひたちに使われているような車両が走行していました。鉄道博物館の一部でデモでもしているのかと見ていましたが、行ったり来たりし特に関係はなさそうでした。どうやら試運転を行っているようでした。



(写真:外の様子)



19・舞浜駅からディズニランドへの鉄道(2009年02月17日)
JR舞浜駅からディズニーシーまで歩くには少々遠くモノレールを利用して行きます。元々は無料にする構想もあったようですが、日本の鉄道事業法か何かに抵触するとの事で有料の正式な鉄道として運行しているそうです。窓も吊皮もミッキーになっており、ディズニーの特別な電車を演出しています。電車は単線で同じ方向のみの運転になっています。JR舞浜駅からディズニーシー駅に行くにはほぼ一周する必要があります。



(写真:舞浜-ディズニーシー間の電車-01)



(写真:舞浜-ディズニーシー間の電車-02)

窓がミッキーになっているので何となく変な感じですね。



(写真:ディズニーシー駅)

駅舎はそっけないものでした、もう少し「夢の国」を演出する何かがあっても良いのではないでしょうか。



(写真:ディズニーシー駅・駅舎)



20・ディズニーリゾート(2009年02月20日)
東京のディズニーランドは二つのテーマパークを中心に一大リゾート地帯を形成しています。モノレールの外側には大きなホテルがあり、非日常の世界を作り上げています。浦安と言いますと昔は田舎のイメージでしたがこれが出来たお陰でイメージが急上昇したそうです。巨大なホテルが数軒あり、それがほぼ満杯になるというのですからディズニーはすごいですね、日本中で多くのテーマパークが不振で閉鎖に追い込まれている中での独り勝ち、成功の秘訣を改めて検証してみる必要があるかも知れません。



(写真:ディズニーリゾート)



(写真:ディズニー直営のホテル)



(写真:ディズニーの象徴・シンデレラの城)



21・ディズニーシー(2009年02月17日)
世界には現在5か所ディズニーがあるのだそうです。小さい時に金曜日の夜8時から日本テレビで「ディズニーランド」という番組を放送していました。毎回4つの国から一つの国が紹介されディズニーの夢の世界を紹介していました。当時は確かまだロスアンジェルスにしかなく、遠い米国の「ディズニーランド」は少年達の憧れの場所でした。小さい時に刷り込まれた事が影響しその後「ロスアンジェルス」「パリ」「オーランド」とそして東京を併せて世界五か所の内4か所を訪問しました。ただ東京のディズニシーには行った事が無く一度は訪問してみたいと考えていました。オーランドにはテーマパークが4つありますが、シーに匹敵するものは無くこれは東京だけのオリジナルです。

行きますと想像していた以上に広い印象があります。ディズニーランド(マジックキングダム)と同じ広さなのだそうですが、こちらの方が広い気さえします。海がテーマで自然があるのも良いと思います。遊覧船そしてヴェネチアを模したアトラクションもあり楽しむ事が出来ました。ディズニーランド(マジックキングダム)の方が人気が高いのだそうで割合と空いていました。パリやオーランドでは老夫婦を多く見掛けましたが東京は若い人ばかり、熟年世代が多い日本ですがこの世代にはディズニーは余り人気が無いようです。ただ園内にホテルがあり、このような場所に宿泊して近場で気分転換するのは良いかも知れません。

オーランドのディズニー訪問記

正面入口は建物に南米にはどこにでもありそうなラテン風の建物になっています。ホテルになっているそうで、名称は「MIRACOSTA」とスペイン語になっています。「海岸を眺める」という意味ですね。



(写真:ディズニーシー正面入口)



(写真:ディズニーシー-01)



(写真:ディズニーシー-02)

水上パレードが行われていました。



(写真:ディズニーシー-03)



(写真:ディズニーシー-04)



(写真:ディズニーシー-05)



(写真:ディズニーシー-06)



(写真:ディズニーシー-07)



(写真:ディズニーシー-08)



(写真:ディズニーシー-09)



(写真:ディズニーシー-10)



(写真:ディズニーシー-11)



(写真:ディズニーシー-12)



(写真:ディズニーシー-13)

何故かアラブ世界の地域があり、ニューヨーク街を再現している場所もあります。これはオーランドに在るディズニーワールドの「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」「エプコットセンター」からの転用なのかも知れませんね。日本人にとってアラブ世界というのは非常に異質なものですのでとても良いアイデアであると思います。もしもう一つテーマパークを作るのであれば科学的な「エプコット・センター」のようなものを作れば人気が出る事でしょう、ただ敷地の余裕があるのかどうかは知りませんが・・。



(写真:ディズニーシー-14)



(写真:ディズニーシー-15)

東京ディズニーランドが開園して今年で25年なのだそうです。四半世紀が経過しテーマパークの中で一人勝ちという印象があります。オーランドやパリと比較して働いている人のレベルが高いという印象があります。



(写真:ディズニーシー-16)



22・横浜港巡り(2009年02月15日)
横浜見物の際に船から港を見物したいという方にお勧めなのが「シーバス」と呼ばれる遊覧船です。山下公園から途中赤レンガ、みなとみらいを経由して横浜駅まで行きます。横浜駅から行きに利用しても良いですし、中華街、山下公園の帰途に利用するのも良いでしょう。余り知られていないようで乗客は少なくもったいない気がします。



(写真:料金表:山下公園)



(写真:遊覧船:山下公園-01)



(写真:遊覧船:山下公園-02)

船から見る山下公園というのも良いものです。



(写真:遊覧船からの横浜港-01:山下公園)



(写真:遊覧船からの横浜港-02)



(写真:みなとみらい方面)



23・横浜・みなとみらい (2009年02月19日)

横浜みなとみらいに在る観覧車の近くまで行ってみました。この観覧車だけがあるのではなく、遊園地の中にあるのだという事を初めて知りました。ジェットコースターの横に在るのですね。



(写真:観覧車)

近代的な都市でモニュメントも現代芸術、何かよく分かりませんが上の遊園地のイメージと同じですね。



(写真:不思議なモニュメント)



24・深大寺(2009年02月12日)

実家の近くに深大寺があります。この寺は非常に古く八世紀に建立されたそうで、東京では浅草寺に次いで歴史があるのだそうです。多くの建物が火災に遭い現在の本堂の建物は大正時代のものなのだそうです。武蔵野の雰囲気があり、東京都下・多摩地方では有名な名所で深大寺付近を散策し蕎麦そしてお団子をいただくというのが一般的なコースとなっています。門前にはお店が並び土日は多くの人で賑わいます。東京にあって日本的な雰囲気が味わえる貴重な場所として外国人眼光客にも人気があるようです。



(写真:深大寺マップ)

この深大寺で一番古いのが山門なのだそうで、桃山時代のものなのだそうです。



(写真:深大寺山門)



(写真:深大寺本堂)

深大寺の門前には昔風のお店が並んでいます。



(写真:深大寺門前-01)



(写真:深大寺門前-02)



(写真:深大寺門前-03)

お団子、味噌田楽、饅頭などが売られています。



(写真:団子屋)



(写真:味噌田楽、饅頭)

また水車があります。この水車は本当に稼働しているもので小屋の中でその仕組みを見る事が出来るようになっています。



(写真:水車)

また蕎麦屋が多くあります。



(写真:蕎麦屋)



(写真:名物の蕎麦)



24・ウォーターフロント (2009年02月12日)
江戸から東京となりこの百年余り急激な膨張を遂げて来ました。一番変化したのがウォーターフロントだと思います。昭和の時代、京浜・京葉の海岸は埋め立てられて工場地帯になりました。住んでいる住民には全く利益の無い話でしたが、最近は首都圏ではウォーターフロントの再開発が盛んに行われて市街地の外れの場末の地域が近代的なビル街に変貌しています。膨張都市・東京を象徴する光景です。百年に一度の経済の後退と言いますがビルの建設は今も続いており東京は更に膨張を続けているように見えます、その勢いはバブルの時代以上にさえ感じます。



(写真:ウォーターフロントの光景-01)



(写真:ウォーターフロントの光景-02)



(写真:ウォーターフロントの光景-03)



(写真:無人で走行する・ゆりかもめ-01)



(写真:無人で走行する・ゆりかもめ-02)



26・果物が高い (2009年02月17日)
諸物価、特に食料品が高い事はある程度覚悟していましたが、特に高く買う手が止まるのが果物です。柑橘類の他、苺、バナナなどが売られていましたがその値段には驚きます。日本の人にとってはこれが当たり前なのでしょう、南米に来たある奥さんが「日本では果物はお客さんが来た時くらいしか食べられない」とこぼしていましたが、南米では幾らでも手に入るのでこの値段には驚きですね。金柑は10個入りで580円、このような値段では買うのは大変です。例えばパラグアイでは苺は時期になりますとキロ8000グアラニ(約200円)です。2キロも買いますと苺はしばらく食べたくないくらいの量があります。グレープフルーツは50個で1万グアラニ(250円)、重くて持つのもやっとという量があります。



(写真:果物-01)



(写真:果物-02)



27・吉祥寺にて (2009年02月20日)
吉祥寺は武蔵野市にある都下屈指の繁華街です。特別快速は停車しませんが、沿線では一番の賑わいであると思います。



(写真:吉祥寺)

ここでの名物は何と言いましても「メンチカツ」、。1個が120円、売り方が非常に上手で道を挟んで客を並ばせて売っています。何時も大変な混雑で行列が出来ていて何でも毎日三千個売るのだそうです。数年前に不法労働の中国人を使ったとのことで話題となりそれ以降は以前程は売れないようで、この時も全く行列は無く売っている人が手持ち無沙汰の様子でした。確かに揚げたてのメンチカツは美味しそうですね。



(写真:メンチカツ)

もう一軒紹介するのは、インド人が料理をしているカレー店があります。ランチサービスというのがあり、食べ放題で1,050円という事で賑わっています。カレーの種類はマトン、豆、野菜、鶏で、パキスタン人とインド人が混じって料理を作っているのか、イスラムの人は食べない豚、ヒンドゥーの人が食べない牛もありませんでした。飲み物は紅茶とヨーグルトが飲み放題です。最初に注文しますと沢山入れてくれますがお代わりの回数が増えますと次第に量が少なくなり、扱いもぞんざいになって来ます、要するにもう十分食べたろうとの意思表示です。普通の日本人であればこのような態度をされますと遠慮がちになり食べるのを止めてしまうのでしょうが、南米でサービスの悪いのには慣れている当方は平気でお代わりを続けしっかりいただきました。辛さは注文しないとほとんど辛くは無く、「辛くして」と注文を入れると横にある唐辛子をたっぷり入れて温めてくれます。



(写真:インド人のカレー店)



(写真:マトンカレー)



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