訪日しての感想-その5 ( 訪日時期: 2007年12月 )




12月に日本に居るのは何と1987年以来、丁度20年ぶりとなります。当時の記憶ですと師走になると何となく気ぜわしく、寒くなるのと同時に年末風情を街のあちらこちらに見る事が出来たように思います。今回訪日して東京における温暖化の影響は顕著で寒くは無く、まだ紅葉の季節、どう見ても「秋」という印象でした。久しぶりに滞在した冬を書き綴ります。前回の訪日から2年以上が経過し、日本が新鮮に見えました。

訪日しての感想 -01 (99年10月) 
訪日しての感想 -02 (2001年 6月) 
訪日しての感想 -03 (2003年 7月) 
訪日しての感想 -04 (2004年 3月) 
訪日しての感想 -05 (2005年 3月) 
訪日しての感想 -06 (2005年10月) 



01・南米路線(2007年12月23日)

日本から南米への直行路線と言いますと今も昔もサンパウロ行きです。以前はリオが終点という便もありましたが、最近は全てサンパウロ行きとなっています。日本との直行便で一番活躍したのがブラジルのバリグ・ブラジル航空です。南米に行くというとまず誰もがこの航空会社が浮かんだものです。日本航空も路線があり、長い間この二つの航空会社が競っている時代が続きました。数年前にバリグの経営状態が悪化し、多くの路線が廃止されてしまい、日本行きも無くなりました。その昔にはバスピ・サンパウロ航空が関空へ、バリグ・日本航空が名古屋に直行便を飛ばしていましたが、現在は日本航空がサンパウロ路線を運航しているだけとなっています。

それでは多くの旅行者はどうしているのか言いますと、二つ以上の航空会社を乗り継いで南米に行っているようです。色々な理由はありますが、米国の査証の問題が大きいと思います。日本航空の直行便の場合にはニューヨーク経由となりますが、給油で立ち寄る際に一旦飛行機を降りて米国での入国手続きを取り、その後再度出国手続きを取って飛行機に乗る事になります。この際には査証が必要で多くの南米市民にとってはハードルが高くかなり難しい事になります。多くの人はメキシコ経由、カナダ経由、欧州経由など米国に立ち寄らないで行く事を選択しているようです。日本国籍を有する者は査証が免除されるので、米国経由で行く事には余り問題は無く、多くの日本人は日本航空の直行便を利用しています。ただ便数が少なく毎日運行では無いので日によっては途中から他のフライトを利用する事になります。今回の訪日では帰国便はニューヨークでタム(ブラジル)に乗り換え、その後サンパウロからアスンシオンもタムというルートを利用しました。タムはバリグが事実上ナショナルフラッグを降りた後にブラジルの代表になった会社で、パラグアイのLAPも買い取り、同じ名称で子会社として経営しています。

今回はタムと日本航空を利用して往復しました。

往路 アスンシオン-サンパウロ(タム)
   サンパウロ-ニューヨーク-東京(日本航空直行便)

復路 東京-ニューヨーク(日本航空)
   ニューヨーク-サンパウロ-アスンシオン(タム;サンパウロで乗り換え)

問題は帰途のニューヨークの乗り換えです。3年前にアメリカンから日本航空に乗り換える際に苦労した経験があるので、今回は前回の経験を生かしました。ニューヨークで別の会社に乗り換えをする場合に気をつけなければならないのは8つあるターミナルが結構離れている事で、乗り換える際には移動する必要がある事です。今回も日本航空が使用している1ターミナルからタムの4へ行く必要がありました。場内を走行している無人電車に乗る事になりますが、方向を間違えますと外へ出てしまう事は前回で理解しています。また荷物は各ターミナルに受け取り場所があり、そこで手続きが出来るという知識もありました。前回はこの場所で多少のトラブルはありましたが、今回はここもスムーズで快適に乗り換える事が出来ました。



(写真:ターミナル間の移動は無人電車-01)



(写真:ターミナル間の移動は無人電車-02:外回り)



(写真:電車の中の様子)

掲載されている電車の路線図を見ると分かるように外回りの電車は空港の外に出て行き地下鉄の駅に接続しています。内回りはループと呼ばれ内部を循環しています。ただ電車は同じですので気を付けなければなりません。今回は1ターミナルから4ターミナルへの移動ですのでどちらの電車に乗っても問題はありませんが、例えば前回2年前の場合は8ターミナルから1ターミナルへの移動でしたので注意が必要です。日本の電車と比較しますと何となく無機質な印象があります。



(写真:電車の路線図)

タムに乗る為に行った第四ターミナルは非常に殺風景なものでした。主要航空会社以外のその他の路線、新参会社が雑多に利用しているようで、がらんとした出発ロビーには椅子も無く、空港独特の華も無い何とも不思議な雰囲気でした。椅子が無いので客がその辺の地べたに座っており、国際空港のターミナルというよりはうらびれたバスターミナルという雰囲気でした。新参会社は中南米路線が多く、観光客よりも出稼ぎ客が大半を占めているからだと思いました。緻密で綺麗な成田空港から来ますと全てに大雑把という印象です。とにかく無事にチェックインを行い、何とか帰国の途に着きました。



(写真:椅子が無く、ガランとした第四ターミナル)



(写真:日本航空が使用している第一ターミナル)



(写真:ほぼ満席のニューヨーク発サンパウロ行きのタム便)

ただこのニューヨークからサンパウロに向かうタム便、食事の内容がいま一つでした。食事が出て来て、アルミホイールが掛かっている「料理」とパン一個、バター一個にデザートとしての果物3切れ、これが全てです。如何にも量が少ないと思いながらこの「料理」に期待を賭けて開けると何と同じパンにハムを挟んだものでした。これにはさすがにがっかりで、おかずもパンという不思議な組み合わせ写真を撮ってしまいました。このパンは余ったものを温めて再利用しているのではないかと疑っています。確かにもっとひどい粗末な機内食もあると思いますが、今回の「がっかり度」は相当高いです。競争も激しく経費節減に努めているのは理解出来ますが、特に贅沢は言いませんが、南北アメリカの両最大都市を結ぶ花形路線の機内食なのですからここまでは手を抜かず、もう少し頑張って欲しいものですね。



(写真:パン一個、ハムを挟んだパン、バターに果物・これがニューヨーク・タム便の食事)

往路は日本航空を使用しましたが、その時のご飯と比較してみましょう。ハヤシライスのようなメインにパン、クリームチーズ、海苔巻き、サラダにデザートのプリンこれに赤ワインを付ければ十分ですね。決して贅沢ではありませんが、満足出来る内容です。細かい事ですがパンもきちんとセロハンに包んでいます。小さい配慮の積み重ねを感じます。



(写真:往路の日本航空の食事)

ドアTOドアで何と42時間の旅でした。12時間程度であれば飛行機の旅も楽しいのですが、ここまで長くなりますと苦痛です。やはり出来ればサンパウロと東京の間は日本航空の直行便が良いですね。ただ、旅行が終わり家に着きますとそれほど長かったという印象が無いのが不思議です、旅行が終わると非日常の世界から日常のある程度パターン化された何時もの忙しい毎日に戻るのだと鬱々と考えるからなのでしょうか?



02・東京シティーエアーターミナル・箱崎(2008年02月04日)

成田が開港したした当初、鉄道が通じておらず、ほんとどの人は箱崎からリムジン・バスに乗って出かけたものです。確か箱崎でチェックインが出来るというような謳い文句もあったように記憶しています。現在は鉄道で行くのが便利となり、新宿駅などからリムジンが出るようになり、箱崎に来る人はめっきり少なくなりました。地下鉄半蔵門線の駅がありますので、田園都市線沿線の方は利用されているのかも知れません。

今回久しぶりにここを利用しましたが、お客さんはほとんどおらず閑散としていました。成田行きは15分おきに出るのですが、利用する人は数名でガラガラの状態でした。これほど立派な施設を作りましたがターミナル用に作られているので、転用する事も出来ず、またそこそこ利用する人も居るのでそのまま使用されているのでしょう。



(写真:東京シティー・ターミナル内部)



(写真:東京シティー・ターミナル改札)

日本だと思うのはバスが出発する際にはスタッフが見送る事です。整列して一斉に礼をして送り出します。



(写真:発車時にスタッフが見送り)



03・横浜ベイスターズ・グッズ(2007年12月23日)

日本でプロ野球の帽子を購入しようと考え、どこで売っているのかインターネットで検索しますと「普通のスポーツ店では販売していない」というコメントが多数ありました。何でも大リーグの帽子は売っていても日本の球団の帽子はそれぞれのグッズ店もしくはインターネットでの購入しかないとの事でした。一昨年はたまたま仙台駅で楽天の帽子を買いましたが、楽天の帽子を関東で購入するのは非常に難しいとの事でした。贔屓チームの帽子が欲しいという思いは強く、買うとすれば横浜か楽天の帽子、せいぜい日本ハムくらいで他の球団の帽子など欲しくは無いと考えておりましたところ、横浜に行く用事がありましたので、横浜市の中心街、本拠地である横浜スタジアムが近くに在る関内駅前にある横浜ベイスターズの帽子を購入する事にしました。

シーズンオフの12月の平日の午後で、お客は誰も居ませんでした。店内に並ぶ応援グッズ、ファンとしては非常に嬉しく、色々と手に取って眺めていました。店員に「横浜の人は皆ベイスターズを応援するべきであり、阪神などを応援するのは邪道だ」と発言したところ、「そうなんですよね、スタジアムに行くと阪神戦の時は相手の方が多くて一塁側まで阪神ファンが居るんです」とのお話、20年以上前に横浜スタジアムで観戦したのと同じ光景、このような許せない事態は今も続いているようです。更に「最近この近所に阪神グッズ店が開店して結構繁盛しているのです」とのこと、どうやらここよりも売れているらしいのです。「阪神の方が人気があるのですか?」と聞くと「人気選手が多いので・・」とのお話、「村田、芳村、寺原・・、横浜にも魅力的な選手が沢山居るのではないか」と反論しても店員さんは醒めた様子で余り乗って来ませんでした。グッズの店にはベイスターズを愛し熱く、そして野球に詳しい人を店員に置いて欲しいものでね。



(写真:ベイスターズ・グッズ専門店)



(写真:ベイスターズ・グッズ)

さて、帽子ですが、選手と同じものは大リーグと同じ使用なのだそうで、一つ5800円します。少々ごつい感じです。ファン用の帽子はフリーサイズで後ろが網になっており、こちらは2400円、若干高い気はしますが他に選択肢は無いのでこちらを購入しました。自分達が小さい時には子供はプロ野球の帽子を被るのがごく一般的でした。現在そのような子供は全く見掛けませんでした。特定のファンだけが使うのでは無く、多くの人、特に子供達にチームの帽子を使ってもらう事がファン開拓に関してまずやらなければならない事のように思います。横浜スタジアムで相手の巨人や阪神のファンの方が多いなどというのはファンとして本当に悔しいものです。経営的な観点で観客動員数だけ確保すれば良いというのでは無く、地元の熱狂的なファンを如何に増やして行くのか、千葉ロッテのような取り組みが我が横浜ベイスターズにも必要なのかも知れませんね。



(写真:ベイスターズの帽子)



(写真:ベイスターズの帽子・応援用)

懐かしかったのは「大洋ホエールズ」のグッズを売っている事でした。当方のように昔からのファンにとっては非常に嬉しいもので、思わず手に取ってしまいした。店員さんに尋ねると結構売れているのだそうです。並べてあるのをみますと、チームのイニシャルである「W」の字体が変化しているのが面白いですね。チームカラーが緑とオレンジであった時代がある事も思い出しました。当時は「みかん」のようでどうしてこれで「鯨軍団」なのかと疑問を持っていました。その後は深海をイメージする紺に変わり納得した記憶があります。横浜に移転した際に「ベイスターズ」に改称されましたが同じチームが続いており、未だに「ホエールズ」と思い応援しているファンは多いと思います。



(写真:大洋ホエールズ・グッズ)

ファンを増やして行くために個々の球団の利益を追うような球団毎のグッズ店ばかりでは無く、プロ野球のファンを増やす為に全チームの帽子などを販売する拠点をもっと各地に作って欲しいものですね。



04・新井薬師(2007年12月29日)

西武新宿線に乗り、新宿区を出て中野区に入り最初の駅が「新井薬師」です。小さい時に中野区に住んでいた事があり、近くという事もあり、「地名」としては馴染みがありました。寺か神社か何かが近くにあるので、このような駅名になっている事は知っていましたが実際にはどのような場所なのか知らずにいました。機会がありましたので、この名前の由来になっている「新井薬師」に行ってみました。

師走のこの日は丁度月に一度の縁日のようで、両側に屋台が立っていました。道路からここの門に向かう角の直ぐ右には不釣合いな大きな立体駐車場が立っており、敷地の形状、様子から見てここは新井薬師の土地であり、副業の事業であると推測します。今でこそ街の中にありますが、江戸時代の前にはこの辺りは武蔵野が広がるほとんど何も無いような場所であったでしょうから当時は相当に大きな敷地を有していたものと想像します。中に入りますとイメージ通りの「江戸」がありました。まず門に架かっている「新井薬師」と書かれている4つの提灯が如何にも日本風、他の国のものとどこがどのように違うのか論理的に説明しろと言われても無理なのですが、感覚的に強く「日本」を感じるものでした。長らく外国に住んでいますとこのような場所に来ると嬉しくなります。浅草寺には多くの外国人が訪問しましすが、都内にあるこのような由緒ある場所は数多くあるのですから、一覧を作り縁日などの情報を細かく記載して行けば良いのでは無いかと思います。



(写真:門に架かる提灯)




(写真:門-01)



(写真:門-02)

境内に入りここが「寺」である事を始めて知りました。薬師は薬師寺なのですね、由来を知り「なるほど」と思います。日本に住んでいますと宗教に対して非常に鈍感となり神社仏閣などとひとまとめにして言う事がよくあり、寺と神社が同じ場所にあり、そこにクリスマスツリーがあっても何にも不思議に思わないようになっていましたが、世界基準からしますとこれはかなり奇異な事であると思います。



(写真:境内-01)



(写真:境内-02)



(写真:提灯)

屋台を覗いていますと「あま酒」「ラムネ」という懐かしい名前ののれんが架かっているお店がありました。何となく懐かしい感じですね。



(写真:あま酒・ラムネ)

新井薬師界隈は新宿のすぐ近く、歩いてでも行く事が出来る距離にありますが、何となく田舎的な要素、昭和的なものが多く残っているように思います。



05・靖国神社(2007年12月29日)

東京の中心に在る靖国神社は誰でも知っている有名な場所です。しかしながらこの神社自体がどうのというよりは首相や政府要人の誰が参拝したかというような事で有名になっています。久しぶりに実際に訪問してみました。靖国神社の雰囲気、印象は「戦前」で、昭和の軍国日本の感じがします。江戸時代の何となく粋で雑然とした感覚とは全く異質の妥協を許さない直線的な感じ、良く言えば緊張感がある、悪く言えば威圧的な感じがします。訪日して思うのは、同じ「日本的」と綴られる中にも実に多様な感覚が包括されているという事です。

先入観があるのかここを歩いていますと背筋がピンとします。多くの参拝者が居ますが確かに他の神社とは違った雰囲気です。澄んだ晩秋の朝、ここに来るには一番ふさわしい季節なのかも知れません。



(写真:靖国神社-01)



(写真:靖国神社-02)



(写真:靖国神社-03)



(写真:靖国神社-04)



(写真:靖国神社-05)



06・移住資料センター(2007年12月30日)

横浜のみなと未来にある移住資料センターは移住者の資料がぎっしりと詰まっています。ブラジルやペルーにもそれぞれの移住の歴史資料館がありますが、ここは南北アメリカ大陸へ渡った日本人の歴史が詰まっています。平日の午後でそれ程来場者は多くなかったのですが、係りの方に尋ねると最近は修学旅行でここにやって来る学生も多いそうです。多くの日本人はかつての移住事業を忘れてしまったように見えます。つい最近まで移住事業団などが募集をしていたという歴史をよく理解して欲しいものですね。



(写真:移住資料館入口)



(写真:移住資料館の内部)

ポスターを見ますと移住事業団のものは淡々と書かれていますが、戦前の海外興業株式会社のものは煽る感じのものです。家族を片手に持っていますがそこに日の丸が描かれているのが印象的ですね。



(写真:移住事業団の募集)



(写真:海外興業株式会社の募集)

海外移住組合連合会の募集は命令調になっています。「行け!」と強い調子で書かれていて、拓務省後援、支度金補助とあります。お上が行いそれに従えという感じですね。



(写真:海外移住組合連合会の募集)

ジオラマでイグアス移住地のものがあります。国道沿いに町が出来ている、それが点在している様子がよく理解出来ます。



(写真:イグアス移住地のジオラマ)



07・不二家・と雪印(2008年02月09日)
小さい時に馴染んでいた不二家と雪印ですが、不祥事から再生法の申請となり事実上倒産状態となってしまい消滅したと考えていました。どっこい街を歩いていますと不二家も雪印も健在でした。特に不二家のペコちゃんは懐かしいですね、ミルキーそして不二家が提供していたポパイやおばQを思い出します。以前は「ポコちゃん」なる男の子が横に居たのですが、これは見掛けなくなりました。



(写真:雪印)



(写真:不二家)



(写真:ペコちゃん)



08・東急と西武(2008年01月10日)

東急と西武は長い間東京の私鉄としてライバルの関係にあるように思います。東急は渋谷を拠点として西武は池袋が拠点です。鉄道から始めてデパート、スーパーそしてホテル、レジャー施設など多岐に渡って事業を伸ばして来ました。西武はレジャーに相当の力を費やしていたが行き詰まり東証一部に上場していましたが、有価証券報告書の虚偽記載が発覚したため、上場廃止となっています。鉄道事業への力の入れ方は対照的であり、東急は常に路線の近代化を目指しているのに対して西武は他の事業を優先し遅れを取っているように感じます。

東急は本線である東横線の他に田園都市線があり、現在はステータスの高い線として有名です。元々は路面電車であった旧玉川線を廃止して営団地下鉄が路線を作る予定であったところを政治力で東急の路線とし二子玉川以遠に関しては既存の大井町線を延長する事で高級住宅街を造成しています。ただ近年この路線の混雑は余りにもひどく渋谷駅の近くでは電車が団子状態になり、駅構内は大混雑となり通勤に使うには大変な思いをしなければなりません。この対策として東急は二子玉川から先を複々線にして大井町線を活用する計画のようです。



(写真:田園都市線・半蔵門線の乗り入れ)



(写真:東急・田園都市線・車内)



(写真:東急・田園都市線・沿線住宅街)

一方の西武でですが、電車は何となく軽い気がします。駅にもお金を掛けておらず昔ながらで懐かしい気分にはなりますが、東急に遅れを取っているのは否めません。新宿への乗り入れも中途半端で高田馬場が乗り換え駅になっています。将来は落合付近で東西線に乗り入れる案が浮上しているようです。



(写真:西武新宿線:高田馬場駅)

西武の中で他の線と全く連絡が無い路線があります。西武多摩川線で武蔵境駅と是政の間をワンマン運転しています。何と未だに単線であり、線路の両側には住宅が迫っており、今では電車を増やす事も新駅を作るのはかなり難しくなっています。元々は京王や小田急と並んで多摩地区に路線を延ばす計画であったようですが、鉄道に関心が無い経営者はそのまま放置し、現在でも30年前と変わらない雰囲気です。途中には大学等が増え、また運転免許を更新する府中自動車試験場がありますが、ほとんどこの路線を使わずバスで行くようです。試験場の横を通過するのですが丁度駅間の中央で新駅を作れば多くの人が利用するのでしょうが、投資を行なわなかったので無理のようです。電車には「開業80年」とありますが、もう少し努力をしていればもっと多くの利用客があったのにと残念です。



(写真:西武多摩川線)



(写真:西武多摩川線は単線)



(写真:西武多摩川線・車内)

西武線の沿線には独特な雰囲気があります。新宿線に乗り高田馬場を出ますと「西武の世界」が広がっています。例えば中井は新宿区なのですが、もう都心からは相当離れているように錯覚します。ここは都営大江戸線も通っている駅で、青山、六本木にあっという間に行く事が出来ます。代官山、田園調布などのステータスを作り上げた「東急の世界」とは異質の雰囲気ですね。



(写真:西武新宿線・中井駅前)



(写真:西武新宿線・新井薬師駅)

さて、この東急、西武の大きな目標は新宿乗り入れにあると見ています。東急-渋谷、西武-池袋の印象が強いのですが現在の東京の中心は新宿であり、電車を新宿に乗り入れる事に強い意欲があるように見えます。京王新宿駅ですが、この場所は元々は東横線が渋谷から延長しここに駅を作る予定になっていたようです。西武も西武新宿駅がありますが、歌舞伎町の場末に在るという印象があり、本格的に新宿に乗り入れる事を切望しているようです。この両私鉄の意図が東京メトロの副都心線のようです。池袋-新宿-新宿を結ぶ線は山手線と平行しており、余り新設する理由が無いように見えますが、西武池袋戦と東急東横線に乗り入れる予定になっており、この両本線の乗客が直接新宿に行く事が出来るようにするのが目的と考えると新設の意図が理解出来ます。東横線は東急の本線ですが、これで東京メトロに日比谷線、南北線と共に副都心線に乗り入れる事になり、便利になり、渋谷が通過駅となり終着駅では無くなる意義は大きいように思います。直通の電車が運行されるのかどうかは分かりませがん、秩父発元町中華街行きという電車が走るとなれば人の流れがまた大きく変わる事でしょうね。東京メトロとしては初となる急行(池袋-新宿三丁目-渋谷)が走る事でしょう。三副都心が山手線とこの新路線そして東急・西武と繋がりますとこの地域が副都心では無く一つの地域として「都心」そのものになって行くのかも知れませんね。



09・京浜・蒲田駅(2008年01月12日)
蒲田は東京南部の中心です。大田区は大森区、蒲田区を合併する際にそれぞれの一文字を取って新しい区の名前にしました。東京の一番南に位置しており、対岸は川崎市になっています。京浜急行がJRと平行して走っていますがまだ高架になっていない場所が多く京浜蒲田もまだ地上にあります。JRに対抗する為に京急は地下鉄への乗り入れと羽田線の充実を図っています。以前羽田空港に行く時には浜松町から地下鉄というのが普通でしたが、現在は京急を利用するのが一般的で便利です。その際に本線から分岐するのがこの京浜蒲田です。



(写真:京浜蒲田駅)

実際に踏み切りで待っていましたが15分は遮断機が閉まったままです。これは駅近くになりますと電車が徐行する為のようです。羽田空港発成田行きの電車が来ましたがのろのろ運転でした。



(写真:羽田線・開かずの踏切)



(写真:京浜蒲田駅)

駅前にはアーケードがあり、商店がひしめいています。昔ながらの懐かしい雰囲気で良いですね。このような街を大切して欲しいものです。



(写真:京浜蒲田駅前商店街・入口)



(写真:京浜蒲田駅前商店街-01)



(写真:京浜蒲田駅前商店街-02)



10・蒲田(2008年02月05日)
蒲田は日本の産業を支える町工場と呼ばれる中小企業が集積している街です。以前はこれらの企業がひしめき活気があったのですが、閉鎖された工場の跡地にはマンションが建ち、街の様子が変化して来ています。



(写真:蒲田-01)



(写真:蒲田-02)



(写真:蒲田-03)



(写真:蒲田-04)



11・浅草寺(2008年01月12日)
浅草には名高い浅草寺があります。小さき時、これを「あさくさでら」と読んでおり、「せんそうじ」である事は大分大きくなって知りました。有名な「雷門」がありますが、これは松下幸之助が寄贈したものだそうで、大きな提灯の下に「松下電器」と書かれています。松下は社名の「松下」「ナショナル」を止めて全て「パナソニック」に統一するという事ですが、ここの「松下電器」の文字も「パナソニック」になるのでしょう。



(写真:雷門-01)



(写真:雷門-02:松下電器が寄贈)

師走の夕刻に行きましたが本堂は非常に綺麗でした。浅草寺は第二次大戦の際に消失して戦後再建されたものですが、新しいだけに綺麗ですね。



(写真:本堂)



(写真:本堂前)



(写真:本堂から)

五重塔が綺麗にライトアップされています。



(写真:五重の塔-01)



(写真:五重の塔-02)

仲見世は江戸情緒を伝える貴重な観光資源のようで、観光客で賑わっています。



(写真:仲見世-01)



(写真:仲見世-02)



(写真:仲見世-03)



(写真:せんべい焼き)



12・花街・浅草  映画の町・浅草(2008年01月10日)
浅草を歩いていますと他の街には見られないものがあります。さすがに伝統的な花街であると実感します。「見番」なる事務所がありました。余り聞き慣れない言葉ですが、地元の友人によりますとここが芸者などを派遣するのだそうで、浅草には男芸者要するに太鼓持ちも居るのだそうです。江戸時代からの雰囲気がある街ですね。



(写真:浅草見番)

少し歩いて行きますと警察の看板がありました。どこの街角にもあるような看板ですが、内容が少し異なっています。「暴力、たかり、スリ、娼婦」が多くなっているとあります。この時代でも浅草では娼婦が多く居るのですね。



(写真:浅草警察署の看板)

浅草と言いますと浅草ロック地区は戦前の一時期は東京最大の歓楽街であったそうで、当時は映画館等が建ち並び多くの人で賑わったと聞きます。現在でも映画館がありますが、看板を見ますと他の地域で見られるようなハリウッドの映画では無く懐かしい東映映画などです。上映中そして次週予告がありましたが、昭和の映画栄光の時代の作品が並んでいます。ポスターを見ていますと入りたくなりますね。



(写真:映画館の看板-01)



(写真:映画館の看板-02)

日本各地に昭和をテーマにした施設や町起こしが行なわれていますが、ノスタルジーを求めるのであれば何と言いましてもこの浅草でしょう。江戸時代から現代までが一箇所に凝縮されているように見えます。



(写真:木馬館)



(写真:電気ブラン)



13・有楽町ガード下(2008年02月04日)
現代の東京都心を見ていますと戦後が遠くなった、痕跡も無くなったと思いますが、所々に昔の雰囲気が残っているのは嬉しい限りです。有楽町・新橋のガード下もその一つです。周りのお洒落な世界とは全く異質の庶民派飲食街になっています。昭和30年代を懐かしむ人にとっては安らぎの場所になっているのでしょう。看板のニッカウヰスキーの文字が良いですね。ニッカというのは本来は「日本果汁」という企業名の略なのでしょうが、「トリス」(「鳥居です」から来ていると言われている)と共に庶民的なお酒というイメージに響きます。今回はこのようなお店には立ち寄れませんでしたが、チェーン店が増える中、伝統的な庶民派居酒屋の味わいは良いですね。



(写真:有楽町-ガード下-01)



(写真:有楽町-ガード下-02)



14・虎ノ門金刀比羅宮(2008年02月02日)
ビジネス街の中央に虎ノ門・金刀比羅宮があります。江戸時代に讃岐の殿様がここに建てて以来、江戸市民には人気のスポットであったそうです。現在はビルの中にあり、不思議な印象がありますが、ここが元々江戸であった事を思い出します。



(写真:虎ノ門・金刀比羅宮-01)



(写真:虎ノ門・金刀比羅宮-02)



(写真:虎ノ門・金刀比羅宮-03)



(写真:虎ノ門・金刀比羅宮-04)



15・ニコライ堂(2008年02月02日)
神田駿河台にニコライ堂がある事は小さい時から知っていました。ただ普通に在る教会とは何が違うのかは余りよく分からずロシア風建造物くらいに思っていました。特に興味も無く一度も行きませんでした。キリスト教に対して多少とも知識が出来、近くに用事がありましたので初めてここを訪問しました。日本正教会の中心的存在である正教会の教会で大きな存在と言えます。



(写真:ニコライ堂-01)



(写真:ニコライ堂-02)



16・中華街(2008年02月02日)
横浜の名所と言いますと何と言っても「中華街」でしょう。東急が従来の東横線をここまで延長し、東京から簡単に来る事が出来るようになり、一層多くの人で賑わっているようです。ただ何となく以前の雰囲気とは違って来ているように見えます。



(写真:中華街-01)



(写真:中華街-02)



(写真:中華街-03)



17・日比谷公園の紅葉(2008年01月10日)
12月と言いますと冬枯れをイメージしますが最近は地球温暖化の影響が大きいようで日比谷公園の紅葉は最高でした。写真に撮りますと実際に目にする美しさは出ませんがそれでも綺麗なものです。日比谷公園は都心の中にあるオアシスのような存在で四季楽しませてくれますが、紅葉がこれほど美しいとは知りませんでした。



(写真:日比谷公園の紅葉-01)



(写真:日比谷公園の紅葉-02)



(写真:日比谷公園の紅葉-03)



(写真:日比谷公園の紅葉-04)



(写真:日比谷公園の紅葉-05)



(写真:日比谷公園の中に在るレストラン)



18・新宿(2008年02月02日)
新宿は東京の中心、大都会です。欧米の都会と違っているのはごちゃごちゃしている点です。このコントラストは日本らしいものですね。



(写真:新宿-01)



(写真:新宿-02)



(写真:新宿-03)



(写真:新宿-04)

小さい時に繁華街に行く時は「新宿」でしたのでここに来ると故郷に戻ったという気分になります。住んでいる場所は転々としましたが、新宿は変化しながら何時も活気に満ち常に新宿らしさがあり、好きですね。

新宿には色々な顔があります。将来の夢を追い、路上ライブを行なっている人も居ます。



(写真:路上ライブ)



19・ 幡ヶ谷(2008年02月09日)
幡ヶ谷は東京都渋谷区に在ります。渋谷区と言いますと渋谷駅、表参道、原宿、広尾、松濤などがあるちょっと気取った町、超高級住宅街というイメージがあります。ここ幡ヶ谷はそんな渋谷区のイメージとは別の世界でが広がっています。一口で言いますと新宿の影響が非常に強い中野的な場所という感じです。甲州街道に面しており、京王線が道路と並行して走っていましたが、輸送量拡大の為に地下化し、都営地下鉄線との複々線化を進め、現在は京王線の駅であるが、まるで都営新宿線の駅のようになっています。田園都市線の渋谷-二子玉川とこの京王線の新線新宿-笹塚間は民間が運営している地下鉄という感じです。通る電車は笹塚発の都営線直通電車で普通の新宿駅には向かわずに新線新宿に行きます。地下鉄なのですが、京王線、電車賃は120円です。



(写真:地下にある幡ヶ谷駅)



(写真:地下鉄の入口のような幡ヶ谷駅-01)



(写真:地下鉄の入口のような幡ヶ谷駅-02)



(写真:新宿・中野的な幡ヶ谷の町-01)



(写真:新宿・中野的な幡ヶ谷の町-02)



(写真:閑静な住宅街)



20・足立区北千住(2008年01月12日)
足立区は東京23区の北東端に位置しており埼玉県と町が続いています。面積のほとんどが荒川の北部なのですが、北千住付近だけが荒川の南部に位置しており、一大繁華街となっています。東京西部の街とは異なり何となく独特な風情があります。狭い路地には多くの飲食店がひしめいています。写真を見ますと重なりあう感じですね。



(写真:北千住-01)



(写真:北千住-02)



(写真:北千住-03)

この一体は京成、東武、東京メトロ、JRなどの路線が入り組んでいます。中でも京成は何故かターミナル駅の北千住を横に見て通り過ぎ上野へ向かいます。北千住に一番近い駅は関屋という駅です。



(写真:京成電鉄・関屋駅)



21・荻窪(2008年02月02日)
東京の西部にも結構「昭和」を感じる事が出来る街があります。杉並区の中央、地下鉄の駅もある荻窪も昔ながらの雰囲気がよく残っています。このような街を歩いてると落ち着きますね。特に保存している訳では無いでしょうがこのような景観を残して欲しいものですね



(写真:荻窪-01)



(写真:荻窪-02)



22・宝くじ(2008年02月02日)
年末になりますと日本どこへ行っても見かけるのが「宝くじ売り場」です。どこで買っても本来は確率は同じはずですが、当選を多く出す販売所は人気があるようです。目立つように日本としては不自然な程の原色で幟をたくさん立てて販売しています。



(写真:宝くじ売場)



23・水の在る景色(2008年02月03日)
東京の東側には大きな川が多くあります。西側で育ちますと小さい時には新宿より向こうはほとんど行かず、銀座の向こうとなりますとほとんど行く事はありませんでした。大人になり、東京を散策して東半分は大きな川が多く全く異質な世界であり、「東京というのはこんな街だったのか」と驚いています。最近は川の水も澄んで来ており、非常に綺麗です。ただ見ていてもほとんど川面と両岸の高さが同じで、増水し氾濫するような事があると大変であると想像します。地盤沈下などでいわゆるゼロメートル地帯が大きくなっている現状は地震等の災害の際の危険と背中合わせなのでしょう。



(写真:東京東部の水の在る景色-01)



(写真:東京東部の水の在る景色-02)



24・神田明神(2008年01月12日)
神田と言いますと明神様というのが相場になっています。神田という地名はここが伊勢神宮の所有であったので神の田で神田だったのだそうで、ここに神社があるのは自然という気がします。本当の名前は「神田神社」とういのだそうです。時代劇などでは「明神下の・・」等という表現でよく登場しますが実際に行く事は余りありませんでした。



(写真:神田明神正面)



(写真:神田明神-01)



(写真:神田明神-02)



(写真:神田明神-03)

よく時代劇で「明神下」という表現を聞きます。神社の反対側は急な坂になっており、階段になっています。この辺りが明神下なのでしょうね。現在は高級マンションが建っていますが、江戸時代は庶民の街であったのでしょう。



(写真:明神下)

神田明神というのは元々は現在の大手町、東京の中央に位置していたのでそうです。ここは平将門の首塚がある場所です。東京は江戸時代の前には何も無かったように思っていましたが、色々な出来事が関東平野で起き、幾つかは現在の東京での出来事という訳です。将門と言いますと千年以上の前の武将ですが、首塚の後に神田明神が出来てその後現在の位置に移転したという事です。大手町の将門首塚に行きますと確かに「神田明神」の幟が立っています。江戸の守り神であったのですね。



(写真:平将門首塚・大手町:元の神田明神-01)



(写真:平将門首塚・大手町:元の神田明神-02)



25・皇居(江戸城)(2008年02月02日)
現在の皇居は江戸城です。小さい時から常識としている事ですが、江戸時代も今と同じ景色であったと考えますと少々不思議な気持ちになります。城の外、江戸の街は明治維新から急速に変化し、現在は世界有数の近代都市・東京となっていますが、皇居の中は江戸時代のまま残り、時代の変遷を見て来ています。お馴染みの二重橋は戦争当時には昭和天皇が白馬に跨りここを通過し、敗戦の時には泣き崩れる市民の映像を見た記憶があります。今も同じ景観で、実物を肉眼で確かめる事が出来るというのは妙なものです。



(写真:皇居-01)



(写真:皇居-02)



(写真:皇居-03)



(写真:皇居-04)

それにしても日本の城郭というのは戦いに備えて建造されたのでしょうが、芸術的に美しいものですね。



26・横浜・みなとみらい(2008年02月02日)
横浜の「みなとみらい」は倉庫や港湾施設だった場所を再生したのですが、実に美しい景色になっています。写真を撮影したくなる風景と言えるでしょう。水と近代的な建物のコントラストは綺麗です。夜に同じ場所で写真を写しますとまた違った風情となります。



(写真:みなとみらい-01)



(写真:みなとみらい-02)



(写真:みなとみらい-03)



(写真:屋形船)

バスも何となく復古調にしていますね。



(写真:バス)



27・ゆりかもめ・台場(2008年01月12日)
台場方面に行く時には最近は新宿から「りんかい線」なるもので簡単に行く事が出来るようになっています。ただ地下路線で景色を楽しむ事は出来ません。観光を兼ねるのであれば新橋駅から「ゆりかもめ」に乗るのが一番ですね。



(写真:ゆりかもめ・新橋駅)

電車は新交通システムとかでタイヤになっています。



(写真:ゆりかもめ車両)



(写真:台場を走るゆりかもめ)



(写真:ゆりかもめ車内の様子)

夕方に乗車しましたが景色が良く気持ちが良いものでした。小さい時に想像した未来都市がありました。どこかで見たような景色と考えてみますとマイアミに似ているという印象です。臨海地帯が発展しているので似ているような気がするのでしょうね。ロマンチックな印象がありますので、デートには最適でしょう。ただ電車の遅いのは想像以上でした。有名なレインボーブリッジを越えるのにグルグルと回り高い橋まで上り越えて行くからでしょう。



(写真:レインボーブリッジ)



(写真:ゆりかもめからの景色)



(写真:駅)



(写真:橋)



(写真:道路)

臨海地帯には東京の一番新しい顔があります。



(写真:夕暮れ)



28・東京国際展示場・東京ビッグサイト(2008年01月18日)
東京国際展示場は、東京都江東区有明三丁目に所在し、株式会社東京ビッグサイトが経営している日本最大級の展示場です。東西に展示場があり、そのスペースの大きさには驚きます。デザインも斬新で小さい時に見た「未来の建物」という印象です。



(写真:東京国際展示場・東京ビッグサイト外観)



(写真:東京国際展示場・東京ビッグサイト入口)



(写真:東京国際展示場・東京ビッグサイト内部)



29・展示会(2008年02月05日)
この日はIT産業の展示会をやっていました。近未来の生活がテーマのようでユビキタスというのがキーワードのようでした。



(写真:会場の様子)

近未来のオフィスを模したショーをやっています。



(写真:オフィスをモデルに演技)

エコカーも出展されています。



(写真:自動車も展示)

来ている人はサラリーマン、そこに綺麗なお嬢さんがにこやかに迎えている・・というのが展示会の風景です。どうしても振り向いてしまいますね。



(写真:お姉さん-01)



(写真:お姉さん-02)



(写真:お姉さん-03)



(写真:お姉さん-04)



(写真:お姉さん-05)



(写真:お姉さん-06)



(写真:お姉さん-07)



(写真:お姉さん-08)




グルメ編

ここからはグルメ編です。訪日して何が楽しみと言いますと食べる事です。美味しかった話、目に付いた物等を紹介して行きたいと思います。



01・京浜蒲田駅前・穴子丼・寿司 和加松(2008年01月19日)
京浜蒲田駅の近く蒲田神社の前に「寿司 和加松」というお店があります。ユニークなのは「穴子専門店」なのです。寿司屋なのでしょうが、「あなご丼」の幟が立ち、穴子の文字ばかりが目立ちます。お昼のメニューも穴子丼・850円とあります。穴子専門店というのも珍しいので入ってみました。

東京都大田区蒲田4−24−14
03−3736−4457
[営業時間] 11:30〜15:00
      17:00〜23:00
      (土日は11:30〜23:00)
[定 休 日] 年中無休



(写真:寿司 和加松:穴子専門店・入口)

中に入りますとご主人に聞きますと「穴子が美味しい」との、寿司屋とありますが、ここはどうやら「穴子屋」と思った方が良いようです。



(写真:寿司 和加松:穴子専門店-01)



(写真:寿司 和加松:穴子専門店-02)



(写真:寿司 和加松:穴子専門店-03)

出て来た穴子丼は見事なものでした。プリプリの穴子がふんだんに乗り、その横には卵と山井もが添えられています。850円としては価値のある一品です。



(写真:穴子丼・850円)

待っている間に出していただいたのは大根の漬物と骨せんべいです。これも美味しく、お茶を飲みながら幾らでもいただけます。



(写真:骨せんべいと漬物)

しばらくすると穴子が配達されて来ました。良い穴子が入ったので注文よりも今日は多目に持って来たとの説明に困った様子でしたが、蓋を開けて生きの良い穴子を見ますとご主人満面の笑みでした。



(写真:穴子の仕入れ)

訪日中毎日のように昼食に色々なものをいただきましたが、この穴子丼は最高でした。蒲田に行き、お昼を食べる機会がありましたら立ち寄られる事をお勧めします。



02・駅で一杯(2008年01月12日)
東京から郊外に向かいますと色々な風景が大きく変化して来ます。それまではスタバーとコンビニだけの世界からもう少しアナログ的と言いますか昭和的と言いますか懐古的な施設があります。忙しい東京の駅ではプラットフォームは忙しく走り去る場所というイメージですが多少郊外に行きますと変化して来ます。ある駅で電車を待っていて駅の売店を探していると「一杯飲み屋」がありました。最初は蕎麦でも出しているのかとよく見ますと飲み物だけ、最初に「コーヒー」とあるのは付け足しでお酒を飲む場所でした。 



(写真:飲み屋・スタンド)

中にはおでんなどが用意されています。「のみもの」の一覧を見ますと「コーヒー」などは無く「お酒」だけでした。清酒、チューハイなどのメニューが並んでいます。一番高いのがウィスキーなのですね。



(写真:メニュー)



03・抹茶アイス(2007年12月23日)

日本を訪問して食べたいものが沢山ありますが、「抹茶アイス」もその一つです。よく「パラグアイでも抹茶をバニラアイスに入れれば出来るでしょう」と言われますが、確かにそれらしい、「もどき」は出来ますが、商品として気合を入れて作ったものとは比較になりません。やはり抹茶アイスは日本で食べるものですね。旅行の最終日に家族と一緒に喫茶店に行き注文していただく事が出来ました。それまで喫茶店に行く機会はありましたが、男同士であり、「ブレンドコーヒー」を注文していました。日本では男性同士の場合には甘味を頼むのが憚れる雰囲気というものがあるように感じます。

さて、場所は新宿・中村屋、多くのレストランが在る中でも老舗のお店です。「抹茶アイス・あんみつ」なるものがあり、早速注文してみました。抹茶アイスに抹茶ゼリーがあり、抹茶団子そして白玉、バニラアイスに餡そして杏が一切れというものでした。色彩も良く美味しそう、日本の伝統の和菓子のセンスが見事に生きています。その上、見た目以上に味が絶妙のコンビネーションで、美味しくいただきました。横に蜜が付いているのですが、これを掛ける事も忘れていただきました。日本に来て良かったと思う至福の瞬間ですね。



(写真:抹茶あんみつ)


04・洋菓子(2008年01月19日)
日本は洋菓子を和菓子のように作る、そんな印象を持っています。出来栄え味とも世界最高レベルにあると思います。新宿高野で見ましたが本当に見事なものですね。



(写真:高野の洋菓子-01)

ただお値段も見事なものです。一個でそれなりの定食がいただけるお値段ですね。



(写真:高野の洋菓子-02)



05・東京でラーメン(2008年01月19日)

久しぶりの東京で何を食べるかと言いますと「ラーメン」です。南米にもラーメン屋がありますが、片手間にやっているものが多く、東京激戦区で戦い勝ち抜いているお店と比較しますと雲泥の差です。今回は渋谷と杉並で2回いただきました。

渋谷のセンター街には多くの飲食店があります。ここで勝ち抜き客を集めるのは並大抵の事ではありません。歩きながら店の中の様子を見て余り入っていない店は敬遠しますので、激烈な競争の中ある程度の客を集めなければなりません。センター街の中央に清潔そうで客が多く入っている店があったので入ってみました。



(写真:渋谷のラーメン屋)

ラーメンは東京のものでは無く関西風なのだそうで、関西でチェーン展開し東京に進出した店のようです。多くの客を集めているのも関西で味に親しんだ方が多いのが理由かも知れません。味がよく出ていてなかなかのものでした。



(写真:渋谷のラーメン)

もう一回は杉並区の井の頭線・浜田山駅前にある「虎ジ」なる店です。「トラジ」と音だけを聞きますと何となく、韓国料理を想像してしまいますが、ラーメン専門店です。付け麺が美味しいので有名になったお店のようです。営業中とせずに「虎活動中」としているのは工夫でしょう。店の外観はお洒落な雰囲気です。

TEL 03-5357-3558
住所 杉並区浜田山3−34−6
営業時間 11:30〜22:00



(写真:虎ジ外観)

店内は狭くカウンター席だけでした。結構メニューも多く、餃子もあります。



(写真:虎ジ店内)

出て来たラーメンはボリュームたっぷりです。上から見ますとよく分かりませんが結構盛り上がっています。



(写真:虎ジ・ラーメン-01)



(写真:虎ジ・ラーメン-02)

最近はネット上で評価を付けているサイトが多く、評判を落としたらお客が来なくなる恐れがあります。その中で一定の評価を得て人気店になっているお店は大変な努力をされているのでしょう。昔は脱サラで簡単に「ラーメン屋」を言っていた人が多かったのですが、実際には激烈な競争があり、普通の努力では生きて行けないものと推測しています。結果的にはラーメンは日々進化しているのでしょう。



06・餃子のハルピン & ハルピン餃子(2008年01月13日)
東京三鷹市下連雀に少々ユニークな餃子屋があるというので出掛けてみました。「餃子のハルピン」と「ハルピン餃子」の2軒です。本場の味で美味しいのでも有名なのですが、この2軒は隣に在りそれもぴったりくっついています。同じような名前でおかしいと事情通の方に尋ねますと「ここは元々は一家で一軒を経営していた。姉妹とそれぞれのご主人で店をやっていたのが、喧嘩別れした」との事です。それぞれの夫婦が店を二つに分けて営業しているとの事です。



(写真:右が餃子のハルピン・左がハルピン餃子)

ハルピン餃子に入りますとご夫婦とお手伝いの女性の3人で切り盛りしていました。



(写真:ハルピン餃子の店内)

ショーロンポー、餃子は名物なのですが、意外に美味しいのが麺類です。ラーメンとは呼びませんが、ラーメンそのものです。スープの味もそして麺も最高です。



(写真:麺)



(写真:ショーロンポー)

今回はハルピン餃子に行きましたが、餃子のハルピンも美味しいそうです。メニューは大体同じ、値段も同じくらいなのだそうです。時間がありましたら食べ比べてみたいですね。



07・横浜・中華街・安記(2007年12月30日)

横浜に行きますとお腹が空くと自然に足は中華街に向かいます。2年前に行ったお店は残念ながら閉店しており、今回は粥の老舗である「安記」に行きました。中華街で粥と言いますと以前はこの「安記」を指していたのですが、戦後にもう一軒「謝甜記」というお店が出来、場所も表通りに面しており、海老餃子等にも人気が出てこちらの方が人気店となっています。20年くらい前にはこの謝甜記によく通いましたが、雑誌などでの紹介が多いのでしょう、現在は行列が出来ています。横浜中華街伝統の雰囲気というのがあるのですが、どうも最近は中国本土から新たな中国人が入って来ているようで、街全体の雰囲気も変化しています。

一方の安記ですが、時々は行っていましたが、料理も値段も店内の雰囲気も今ひとつという印象でした。お店は最近改装したようで小奇麗になっていました。粥の専門店として有名ですが、勿論メニューは色々とあります。今回は粥以外のものを試してみました。豚バラそばを注文してみましたが、これは美味しかったですね、伝統的な中華街の汁そばという印象で、スープに麺も良く肉もしっかりとした味です。一人でここに来ますと「粥」を注文するのが当然でしょうが、2人で来る時にはこれを注文すれば良いでしょう。



(写真:安記外観)




(写真:安記店内)



(写真:粥のメニュー)



(写真:豚バラそば)



(写真:チャーハン)



(写真:ヤキソバ)



08・吉野家の牛丼(2008年02月10日)

学生時代にお世話になり、未だに懐かしく思い出すのが「吉野家の牛丼」です。それまで日本には余りこの牛丼というのは普及していなかったように思います。牛肉と言いますと高級、高いというイメージがあり、これを庶民、学生の手軽なファーストフードにした功績は大きいと思います。今回もこの味を求めて吉野家に入ってみました。



(写真:吉野家)

中はやはり男性ばかり、ほとんど女性の姿を見ないのが特徴ですね。注文しますとたちどころに出て来ます。忙しいビジネスマンには強い味方です。



(写真:吉野家・店内)

食べてみなすと、「そうだこの味」と思い出しました。少々脂身が多く感じますが、若い皆さんにはこれで丁度良いのでしょう。量もあり、ご飯も美味しく良かったです。



(写真:吉野家の牛丼)

一時吉野家の牛丼が姿を消した際には社会問題にまでなりましたが、これが何時でも食べられるという安心感は大きいのでしょう。



09・地方都市の昼 (2008年02月21日)

地方都市で昼飯を食べることになりましたが、何となく東京とは異なった雰囲気です。お昼の定食も庶民的ですね。



(写真:地方都市の食道)



(写真:地方都市の食道の店内)



(写真:定食-01)



(写真:定食-02)



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