訪日しての感想-その3 ( 訪日時期: 2005年10月 )




ニカノル・ドゥアルテ大統領がパラグアイ大統領としては実に11年ぶりに訪日することとなり、在パラグアイ日本商工会議所ではこれに随行し、赤坂に在るジェトロ本部でセミナーを開催することになりました。これに加わり当方も商工会のメンバーと一緒に訪日することといたしました。3月に訪日したばかり僅か半年ぶりの訪日、当地に来てから一年に2回訪日したのは初めての事です。サラリーマンのように背広を着て通勤の満員電車に乗ることも多い今回の旅でした。住んでいる人の感覚で街を眺める事が出来ました。

また、秋に訪日したのは99年以来、日本の秋も新鮮でした。ただ暑いのには驚きました。この季節日本は暑いのですね。



訪日しての感想 -01 (99年10月) 
訪日しての感想 -02 (2001年 6月) 
訪日しての感想 -03 (2003年 7月) 
訪日しての感想 -04 (2004年 3月) 
訪日しての感想 -05 (2005年 3月) 

ニカノル・ドゥアルテ大統領訪日(2005年10月)
「パラグアイ・ビジネス・セミナー」(東京で開催:2005年10月28日(金))



01・横浜・みなとみらい

両親が横浜出身、現在親戚も大体横浜に住んでいます。当方は東京生まれですが「横浜が本拠地」のような意識があります。勿論横浜ベイスターズのファンです。訪日しますと横浜に行く機会が何回かはあります。今回は3回行きました。以前ですと東京から時間がかかりましたが、現在ではみなとみらい線なるものが出来て渋谷から僅か35分で中華街に行く事が出来るようになりました。本当に便利になったものです。ただし運賃が高い、渋谷から横浜までが260円でそこから元町中華街までが200円というのは納得が出来ません。みなとみらい駅まででも180円必要です。桜木町を廃止して新路線を作ったのですが、別会社にして料金を別体系にしているのはどうしても納得が出来ません。以前玉川線を廃止して新玉川線として地下化した時には東急の運賃体系に組み込み、現在は田園都市線として一体化していますが、東急の料金体系です。東急線の一部として機能しているみなとみらい線が別体系であるのか納得出来ないのです。

実際に渋谷から乗車しますと横浜で多くの人が降ります。横浜中心部へは湘南ラインなどが出来ましたので皆さん知恵を出して他の交通機関を利用しているのかも知れません。みなとみらい駅に降りますと確かに駅は綺麗です。



(写真:みなとみらい線の駅)

電車は全て東急東横線の電車で、渋谷と本町中華街の間を走っています。



(写真:みなとみらい線の電車)

横浜・みなとみらいは非常に綺麗です。幕張やさいたま新都心などと共に東京の機能分散化の一翼を担っていることは分かりますが、東京都心からみますと少々遠く、ここに本社機能を持って来ても実務に支障をきたす恐れはあると思います。「東京ではなく横浜である」する企業以外はなかなか難しいと思います。ただ景色はすばらしいものがあります。ウォーターフロントにありますので気持ちが良いのは間違いないでしょう。みなとみらいというネーミングは余り好きではありませんが、街の景観を見ていますとその意気込みは理解出来ます。小さい時に桜木町の駅に立つと赤レンガの人を威圧するような倉庫群があり、よくこのように変身したものと感心します。



(写真:みなとみらい外観-01)



(写真:みなとみらい夜景-01)



(写真:みなとみらい外観-03)



(写真:みなとみらい夜景-02)



(写真:みなとみらい遠景・山下公園から)

みなとみらいを歩いて印象的なのは建物の中のメイン通路が広いことです。これは気持ちが良いと同時に多くの人がここを訪れる理由でもあるでしょう。



(写真:みなとみらい-01)



(写真:みなとみらい-02)

ここまで変身する事が出来るのであれば川崎から磯子までのウォーターフロントに並ぶ埋め立て地に並ぶ工場群全体を移転させて生まれ変わらせて欲しいのですね。



02・横浜中華街

両親が横浜出身、親戚も大体が横浜に住んでいますので、親戚が集まると言いますと横浜中華街でした。小さい時には中国料理は得意ではなく、いやだと泣いていたそうですが、その後は中国料理が大好きになり、よく通いました。懐かしい味は和食では中国料理で、パラグアイで一人で何か食べに行くのも中国料理が多いのもこのような経歴からだと思います。



(写真:横浜中華街入口付近)

みなとみらい線が開通して渋谷から中華街まで僅か35分で来れるようなりました。日曜日ともなりますと東京から大勢の人がここを目指してやって来ます。余りの混雑に驚きます。小さい時には叔父さんの自動車でここに来てこの道に路上駐車した記憶があります。それほど混雑も無く良い時代であったと記憶しています。



(写真:横浜中華街メインストリート)

最近は情報誌、そしてインターネットの発達で人気店には東京からの人が並び長い行列となっています。学生時代に友人と通い詰めたのが海員閣です。中は余り綺麗では無く、メインストリートから外れており、当時は閑散としたお店で穴場であったのですが、現在は何時もで長い列が出来ています。



(写真:海員閣)

そして謝甜記、こちらも長い列が出来ていました。海員閣が人気店になり、行く難くなりその後サラリーマンになっても通ったのがこの謝甜記です。写真にもありますように粥のお店で、安記というお店と2軒があり、当時は安記の方が有名であったのですが、食べ比べてこちらの謝甜記が気に入りかなり長い間通っていました。粥と蝦シューマイが美味しいのは有名ですが料理も非常に美味しく、気に入っていました。ここの粥は並んでも食べる価値があると思っています。



(写真:謝甜記)

そして買物ですが、昔から「源豊行」に来てお茶などを買っていました。現在は向かいにも同じようなお店がありますが、現在に至るまで中国食材はこちらで購入しています。訪日して中華街に来ますとここでお茶とピータンなどを買い込むのが普通になっています。



(写真:源豊行-01)



(写真:源豊行-02)

お土産用に胡麻だんご、叉焼を売っているお店がありました。本格的なもので美味しいそうなので買ってみました。小さい時に食べた味そのものでした。



(写真:お土産売り)

並んでいる行列があるので何かと見ますと「ブタまん」売りのお店です。横浜では肉まんとは言わずに「ブタまん」と言います。今でも母は「ブタまん」です。美味しさ3倍とありますが、どのようなお味なのでしょう?



(写真:ブタまん)

小さい時分から頻繁に通いこの街の変遷を見て来た者にとっては今日の盛隆は喜ばしい事ですが、まがいものの売らんかな的な商売が跋扈している様子も垣間見ました。押し売りのような中国人も多く居ました。初めてこの街を訪れた方にとってはどれが本物、伝統的なものかなかなか区別がつかないと思います。「中華街で売っているので美味しいだろう」と思うは自然ですが、横から見ていると感心しないような商売もありました。伝統の味を大切にして商売をしている所に行って欲しいものです。



03・鴻昌(横浜中華街)
横浜中華街の中でどこのお店に入るのか、色々な情報を集めて行きます。最近はインターネットや情報誌があり、東京の人でも情報通になっていますが、小さい時には横浜の人が行く店と東京の人が行く店は別であったように思います。東京の人は綺麗で外観の良い、コースメニューが充実しているお店で、料理を選ぶ事も無く、コースを食べるかもしくはチャーハンに麺、酢豚と何時も食べているようなものを注文するかであったように思います。これに対して横浜の人はどこの店ではコックが代わった、どこの店は値上げした、何が美味しい何がまずい等と言う細かい情報を耳で集めて、今は「この店が美味しい」とそれぞれの分析の元、食べに行ったように思います。誰かが中華街に行くと「あの店どうだった?」と必ず聞いていたように思います。

神奈川県横浜市中区山下町148 :中華街メインストリートに面しています。
TEL 045-662-8965
FAX 045-662-8965

家族で中華街に行く事となり、さてどこが良いのか行く前に検討する事になりました。なにしろ日曜日の中華街は渋谷からの直通の鉄道が開通して以来ひどい混雑、着いてから選ぶのでは到底間に合わない。出発前に店を決める事にしました。今回の結論は「鴻昌」でした。東京の人が押し寄せて行列が出来ている人気店を避ける、見栄えばかりのものを避ける、横浜中華街の伝統の味を守っている店にする、混んでいなさそうな店にする・・という中で選んだのがこのお店です。

みなとみらい線・元町中華街駅を降り、中華街を目指します。地図を見ていますとあるご夫婦が「私達はここは初めてでどこの店に行ったら良いでしょう?」と尋ねて来ました。「さあ、どこでも美味しいですよ」と当たり障りない答えをしますと「皆さんはどこのお店に行くのですか?」と聞かれました。素直に「鴻昌」と答えると納得されていない表情でした。多分事前の調査で幾つか候補を挙げていてその中になかったのでしょう。さて、駅を降りて一路中華街に向かいます。予想通りの混雑で、人気店にはどこも長い行列が出来ていました。もしかしたら目指す鴻昌も一杯か?と心配になりましたが、大丈夫でした。



(写真:鴻昌外観)

伝統店であり、昔の味を守っていると想像しましたがその通りでした。小さい時に親戚が集まると言いますと横浜中華街でしたが、この鴻昌にはよく行った記憶があります。その当時と余り変わりなく、入り口にはおばちゃんがしっかりと座っていました。内装も横浜中華街のイメージをよく残しています。

ただ、どこの店も混んでいる中、直ぐに座れるほど余り人は入っておらず逆に少々心配になって来ました。メニューを見ますと高くない、非常にリーゾナブルな価格です。スープとしてワンタン、そしてヤキソバにおこげに炒め物を掛けたもの等を注文しました。出て来た料理は写真の通りです。材料は良いものを使っているし、味は確か、懐かしい中華街の味を守り通しているという感じです。



(写真:ワンタン)



(写真:ヤキソバ)



(写真:おこげに炒め物をかけたもの)

料理も美味しくお値段もまずまず納得のものでした。味にうるさい家族全員「合格」の判定でした。昔から麺類が美味しいのでヤキソバ、そして湯麺類を中心に注文すると良いでしょう。巻き上げも食べましたがこれも美味しかったです。

さて、それでは何故空いているのか?ですが、写真を見ていただけると分かると思いますが、ケースに陳列されている料理が余り美味しそうではないこと、また左側にコース料理の説明の紙が貼られているのですが、高くて魅力が無いことが原因のように思います。多分「来る人は来る。外見は気にしない」のでしょう。現時点では中華街の穴場である事は間違いないと思います。



04・山下公園(横浜)

中華街を出ますと大通りを挟んで反対側は山下公園です。港の横にあるこの公園は気持ちが良いので、中華街を訪問する時には訪れると良いと思います。この日は日曜日でアベック、家族連れなどでごった返していました。ここを訪問してお昼に中華街でお食事というのが横浜見物の定番なのでしょうね。海を見ているだけでも価値があります。



(写真:山下公園-01)

海が綺麗な公園で氷川丸も係船してあり、港の公園という雰囲気が一杯です。



(写真:山下公園-02)



(写真:氷川丸)



05・自由が丘・散策
当方が生まれたのは自由ヶ丘です。現在では自由が丘と記載されるようになっていますが、生まれた当時は確か自由ヶ丘と書かれていました。地名の由来は現在でも駅の近くにある「自由ヶ丘学園」で、学校の名前が駅名、地名になった珍しいケースです。それまでの駅名は「九品仏」でしたが、大井町線が開通してより近い駅にこの名前を付けたので変更する必要があったようです。現在では各地に「〜が丘」のような地名がありますが、元祖はここであると思います。幼少の時、おばさま達が話しているのがいわゆる「ザーマス言葉」これが実際に使われていたのだと思います。そして促音が少ないもの特徴でした。要するに「お上品な街」で、おぼっちゃま、お嬢様が居た街でした。散策していますと小さい時のほのかな記憶が浮かび「故郷は良いもの」と思います。

ここが発展したのは渋谷から近距離にあることと、東横線、大井町線の交差点にあり乗り換え駅となっているからです。これは下北沢、三軒茶屋、吉祥寺などが発展したのと同じ理由であると思います。



(写真:自由が丘駅・大井町線のホーム)

駅を出で北方向に「自由が丘デパート」なる建物があります。小さい時に母がここで買物をしていたような記憶があります。現在行きますと「昭和」が残りレトロな雰囲気がとても良いです。周囲がモダンさを争っているのでそのコントラストが絶妙です。上の階に上がりますと飲食店がぎっしりと並んでいます。最近は「昭和ブーム」でわざわざ昭和を演出するようですが、ここはそのまま残っています。



(写真:自由が丘デパート・2階)

自由が丘と言いますとモンブランという洋菓子店が有名です。当時は余り洋菓子店というのは一般的ではなかったのですが、このお店のお陰で小さい時から美味しい洋菓子をいただいていました。このお店の名物は勿論「モンブラン」なのですが、シュークリームとエクレラが好きでよく食べました。現在では周囲に埋もれてしまい特に目立つ存在では無く、どこにでもある洋菓子店に見えますが中に入りますと「老舗の風格」のようなものを感じます。



(写真:モンブラン外観)

店の中に入りますとやはり東郷青児の絵が光ります。中に入りますと「ああ、モンブラン」と感慨深くなります。このお店は支店などは一切なく、この本店のみで70年間やって来たのだそうです。大きさを求めず着実に事業を展開している・・基本に忠実なのでしょう。



(写真:モンブラン店内)

そしてもう一つ自由が丘で忘れてならないのは「亀屋万年堂」でしょう。王選手の「ナボナはお菓子のホームラン王です。」のキャッチフレーズで人気を博し、現在では大きなお店になっています。世界の王選手が何で小さい街の和菓子の宣伝に出るのだ?と不思議に思っていましたが、巨人軍の先輩で親しくしていた国松選手から依頼されたと記憶しています。確か最初は国松選手も一緒に出ていたように思います。



(写真:亀屋万年堂外観)

お店の中に入りますとやはり「ナボナ」が目に入ります。色々な味のナボナがあるのですね。チョコレート味を試食してみましたが、なかなか美味しい、売れたのは王選手のお陰ばかりではなく、味も確かであったからなのでしょう。

色々な味のナボナの垂れ幕の横にはそう勿論王選手の「お菓子のホームラン王」の宣伝ポスター、良いですね。



(写真:亀屋万年堂店内)

街を散策していますと奇をてらったお店が目に付きます。競争相手が多い中何とか一目に付いてお客を勝ち取る必要があるのでしょう。店の名前、外観にも相当工夫が見られます。



(写真:食堂-01)

熱烈ジンギスカン食堂なるお店がありました。何でも最近はジンギスカン料理がブームなのだそうで、この自由が丘にも3軒もあるそうです。何とか特徴を出そうと凌ぎを削っているのでしょう。何となく興味をひきますね、入ってみたい気持ちになります。



(写真:食堂-02)

洋麺とありますが、要するに普通のスパゲティーのお店のようです。名前を和風にしているのが工夫のようです。



(写真:食堂-03)



06・カレーの店・自由が丘・サンガワ
「日本で何が食べたいか?」訪日した時によく聞かれる質問です。「寿司」「うなぎ」「天ぷら」など純和風も楽しみですが、実際に一人で食事をする時にどこに行くかと言いますと「カレー」と「ラーメン」です。日本に住んでいた時に外食で一番食べたものがこの二つで、これが身に染みた懐かしい日本の味なのかも知れません。カレーに関してはアスンシオンでは内山田と広島にもありますが、和食のカレーで日本で言えば「蕎麦屋のカレー」で美味しいのですが、インド風のカレーとはかなり違うものです。

さて、昨年訪日した時には吉祥寺のカレー店に行きましたが、今回は友人から「自由が丘に美味しいカレー店がある」との話を聞き訪ねてみました。場所は自由が丘の駅の近く、亀屋万年堂総本店の向かい自由通り沿いにあります。駅を出て東横線の線路に沿って北に行く道を歩けば直ぐです。

目黒区自由が丘1-24-3
03-3718-6157
サンガワ

何故「サンガワ」という名前なのか聞き忘れましたが何となくインド風の印象がありますね。店の入り口を見ますといたってシンプルです。インド料理の店ですとコテコテと装飾にこだわり、「いかにもインド」を演出している店が多い中、見掛けは喫茶店のような感じでかえって好感が持てます。



(写真:レストラン外観)

平日のお昼時でしたのでランチ・メニューとなります。セットメニューで大体1000円前後です。メニューを見ますと種類は5つ、牛肉が無いのがかえって本格的な感じですね。メニューを見ますと値段の順でも無くアイウエオ順でもありません。想像するに食べてもらいたい順なのかも知れませんね。店主のこだわりが何となく感じられます。それにしても外に書いてあるメニューの字が小さい、覗き込まないと見えない程です。

お昼は基本的には(カレー + ナンもしくはライス + チャイもしくはコーヒー + サラダ)のようです。これも先に書いてある「ナン」「チャイ」を選択して欲しいと考えているのでしょうね。要するにチキンカレー、ナン、チャイという選択がベスト・チョイスなのでしょう。これでは余りに店主側の意向に沿ってしまいますのでチキンではなく、二番目にある「マトン」を注文しました。ナン、チャイは名物で美味しいのでしょうからお店の意向に従う事と致しました。店の中を覗きますと皆さん「ナン」を召し上がっている、どうやらここはナンが名物のようです。



(写真:ランチメニュー)

中に入りますと厨房があり、その奥に20席くらいあります。決して大きくは無く、装飾もシンプルです。外観もそうですが、中も何となく喫茶店という感じですね。

入り口付近に丸い饅頭のようなものが並んでいるのが目に付きました。下の写真で左の隅にあるものです。不思議に思いご主人に「これは何ですか?」と尋ねると「ハイ、ナンです。」と明快なお答え、ナンは丸い形にしておくのですね、これは知りませんでした。



(写真:店内の様子)

さて、注文した料理が出て来ました。やはり「ナン」が偉そうです。このナンふっくらとしていて、食べてみますとモチモチ感があります。今までナンはパサパサしていると思っていましたのでこの食感には驚きました。これは確かに美味しい。カレーも勿論ですがこのお店の名物はこの「ナン」にあるようです。確かにこのナンをいただくだけで来たかいがあるというものです。



(写真:料理)

このお店に居るのはご主人と奥さんそしてインド人のコックさんの3人です。ご主人は自由が丘のご出身とのこと、会社員を経て開業されたのだそうです。奥さんとコックさんの息の合ったトリオです。キビキビとした感じがあり、気持ちの良いお店です。



(写真:ご主人、奥様、コックさん)

美味しいカレーそしてナンが食べたい方には是非ともお勧めのお店です。



07・ラーメン
日本を訪問した際に一人で何かを食べる時にはカレーもしくはラーメンを食べに行きます。行くのは桂花・新宿東口店です。

東京新宿 東口駅前店
新宿3丁目25-6
03(3352)4836
午前11時〜深夜1時

新宿にも同じ桂花のチェーンで少し大きい店が幾つかあるのですが、食べ比べた印象でここが一番美味しいと思うのです。気のせいかも知れませんが訪日した時には、この店には必ず行きます。



(写真:桂花ラーメン・外観-01)

小さいビルで周囲と比較しても鉛筆のようです。



(写真:桂花ラーメン・外観-02)

中に入りますと1階は席が10も無く後ろを通るのも難しいほど狭いのです。ラーメンを調理している人が二人居るのですが実に狭いスペースを有効に使って仕事をしています。



(写真:桂花ラーメン・内部)

ラーメンは熊本ラーメン、最近は九州風の豚骨ラーメンの店が色々とありますが、東京での元祖はここであると思います。小さい時に九州に住んでいてそれ以来ラーメンは熊本が一番と思っています。



(写真:桂花ラーメン)

桂花に通い始めたのは高校時代であったと思います。まだ新宿にはこの一店舗だけで懐かしい味を求めて集まって来る人で賑わっていました。当時は普通の東京の人達には「豚骨ラーメン」は余り知られておらず、熊本ラーメンを知らないで入って来る人は味に驚き全く手をつけずに怒って帰って行く人さえいました。今は皆さんおしゃべりをすることも無く黙々と食べて出て行きます。ラーメンを食べるというのは何か一種独特の雰囲気があるように感じます。食べる事に集中し味を確かめながらひたすら食べる、そんな約束があるのではないでしょうか?ラーメン道の世界があるのでしょうか?

さて、もう一度ラーメンを食べに行きました。今度は近所のチェーン店です。幸楽苑という名前のチェーン店で現在は273店舗あるのだそうで、全国一千店舗の展開を目指しているそうです。このラーメン店は福島発祥の会社で、東証一部上場企業なのだそうです。



(写真:幸楽苑外観)

この日は祝日であったのでとにかく混んでいました。待っている人が多く家族連れが多いが特徴です。特に感じたのはどの家族連れもお父さんが中心であるという事です。「お父さん何か食べに行こうよ」と子供にせがまれて、よし「外食に行くぞ」とお父さんがきばって来るのがここなのでしょう。お母さんが中心ですとパスタなどもっとお洒落な選択になるのだと思います。



(写真:幸楽苑内部)

店内は綺麗で値段もリーゾナブルで味もそこそこでした。特にすばらしく美味しいという事はありませんが、一定のレベルには達しているように感じます。この値段であれば納得です。ただ全国展開と言いましても西は奈良県までに留まっているようです。発祥が会津、要するに喜多方ラーメンの系統で西の豚骨文化には相容れないかも知れませんね。確かに当方も豚骨党ですのでやはり熊本ラーメンが良いですね。より西に進出する時にはメニューに豚骨・九州風を用意する事でしょう。



(写真:幸楽苑のラーメン)



08・生麦
日本史で有名な生麦はどのような街なのが興味がありました。現在は何と言いましても麒麟麦酒・横浜工場の存在が大きく、最寄り駅として利用されています。有名な場所の割には駅はシンプルで乗降客もそれ程は多くないように見えました。



(写真:生麦駅)

駅前の商店街を見ますと懐かしい、昭和の駅前という感じでした。横浜らしい雰囲気で気に入りました。駅を出てしばらく歩きますと今風のマンションが並び余り面白くない景観になりますが、ここだけは時間が止まっているような印象です。また麒麟麦酒の城下町ですので麒麟の看板が目立ちました。ここで他のメーカーのものは出せないでしょうね。



(写真:生麦駅前商店街)

東海道線と京浜急行が通るこの街、踏切を3回越えないと反対側に行く事が出来ません。京急とJRの間に非常に狭い土地があり、そこに商店や民家があるのですが、よく暮らしていると感心します。常に遮断機が下りている状態で不便でしょうし、何より電車の音がうるさいのではないでしょうか?



(写真:生麦駅踏み切り)

電車の線路の様子は下記の写真の通りです。東京と横浜を結ぶ3つの路線があり、土地が完全に分断されています。同じ鶴見区生麦なのでしょうが、これでは別の世界になってしまうでしょう。これが阻害要因となり街がいまいち発展しないのでしょうね。



(写真:生麦駅付近の鉄道の様子:生麦駅付近から横浜駅方向を望む)



09・生麦事件
日本史で明治維新に繋がる大事件として有名なのが「生麦事件」です。この事件があったので日本人の大多数が「生麦」の地名を知っているとも言えます。1862年、明治維新から遡ること6年前、薩摩藩主の父で実権を握る島津久光が江戸を出てこの地に差し掛かった際に馬上のままこれを横切ろうとした英国人4人を殺傷し、その内の一人が亡くなったという事件です。これが何故倒幕の中で重要かと言いますとこれを機会に英国と薩摩が接触、交戦までし相手の存在をしっかりと理解した事にあるのだと思います。薩摩特に久光は外国人が嫌いであり、攘夷を唱えていましたが、実際に接触してみてその愚に気が付いたのだと思います。維新の頃には薩長の後ろに英国、幕府の後ろにフランスという構図になりますが、英国と薩摩が結ぶきっかけになったのがこの事件です。

生麦を歩いていますと「生麦事件の碑」なるものがありました。場所は旧東海道と国道の交叉するところ、鉄道のガードがある辺りです。



(写真:生麦事件の碑がある付近)

「生麦事件の跡」という場所があります。それほど広い場所ではありませんが、石碑が建っています。



(写真:生麦事件の跡地)

この解説によりますとここは事件が起きた場所ではなく、英国商人・リチャードソンが亡くなった場所なのだそうです。事件はもう少し川崎寄りで起きたようです。



(写真:生麦事件の説明)



(写真:生麦事件の碑)



(写真:生麦事件の石碑)

当時の「生麦村」というのがどのような場所なのか気になりましので、インターネットで検索してみました。写真がありましので参考までに掲載してみます。正直「田舎」ですね。現在の鶴見区の様子からは想像も出来ないですね。



(写真:当時の写真:参考)

たまたま生麦に来て歩く事になり、この碑に出会いました。久しぶりに史跡を実際に目にする事により歴史を実際の観点から見つめました。昔と様子が一変しているとは言え、本だけでは無い実際の場所で歴史を考える事が必要なのでしょう。品川から京浜電車に乗り生麦に来ましたが、久光は品川駅の直ぐ近くにあった薩摩藩邸下屋敷から出て籠に乗ってここまでやって来て事件が発生した訳で、距離感がよく理解出来ました。歴史は予想もしない突発的な事件を契機にして一気に動くものなのでしょう。この事件から6年後にはもう明治維新なのですから。



10・麒麟麦酒・横浜工場
今回は商工会議所としての訪日でプログラムの中に訪日中の土曜日に「工場見学」を組み込む事にいたしました。日本の最先端の技術、工場管理を見学しようという事です。出発前の商工会議所の集まりで「さて、何を見学しよう?」と議論になりました。東京もしくはその近郊というのも条件の一つです。そして結論はビール工場でした。要するに工場を見学しついでに美味しいビールをいただきたいというのがメンバー全体の意向、当然と言えば当然の選択ですね。

キリンビアビレッジ
住所:230-8628神奈川県横浜市鶴見区生麦1-17-1
電話:045-503-8250(ブルワリーツアー、受付10:00-17:00)
時間:10:00-16:30のガイドツアー(30分毎)のみ
休み:月曜日、年末年始、臨時休業日
料金:入場料 無料

さて、麒麟の横浜工場は横浜市鶴見区生麦にあります。日本で最初のビールはこの横浜で生産されたのだそうで、その伝統はこの工場に引き継がれているそうです。外見からみても近代的な工場、ここでは関東で飲まれているビールのかなりの部分が生産されているそうです。



(写真:麒麟麦酒・横浜工場外観)

見学コースの入り口は立派なものです。



(写真:麒麟麦酒・横浜工場見学・入口)

地図を見ますと敷地が広い事が分かります。



(写真:麒麟麦酒・横浜工場地図)

さて見学コースの受付で登録して見学をしたのですが、カメラはご法度で撮影禁止なのだそうで、途中の様子が撮影出来ないのが残念ですが、近代的なビール工場の様子メンバー一同納得でした。



(写真:麒麟麦酒・横浜工場見学受付)

見学の終わりには楽しみにしていたお試しコーナー、見学者それぞれ2杯づつ試飲出来る様なシステムになっていました。



(写真:麒麟麦酒・見学コース試飲コーナー)

さて、缶ビールの美味しい飲み方の実演がありましたので紹介しましょう。まず綺麗なグラスに缶ビールを高く持ち上げて泡だけになるようにつぐ、それからある程度の時間が経過してから同じような要領で継ぎ足すというものです。3回目につぐと何と泡がソフトクリームのようにグラスから盛り上がります。普通につぐ場合と飲み比べてみましたが、味が全く違いまろやかにいただく事が出来ました。これは知りませんでした。現在では多くが缶ビールで消費されていますが、何も知らないでいただいている人がほとんどであると思います。



(写真:缶ビールの飲み方実演)

さて、試飲コーナーの横にはお土産コーナーがありました。商工会メンバーもめぼしいお土産を探していました。ビール酵母を使ったカステラ、シャツなど色々なものが置いてあり、お土産を沢山買い込んでの帰宅となりました。



(写真:麒麟麦酒・見学コースお土産コーナー)

麒麟麦酒の工場見学を終えますとメンバー全員「麒麟党」になってしまいました。工場でいただく「一番搾り」は格別のものがありました。



11・新宿でロミト・アラベ
新宿を歩いていますと色々なものを見掛けます。その中で自動車を使った移動屋台で「ロミト・アラベ」がありました。最近パラグアイで人気のロミト・アラベですが、前回の訪日までは東京では全く見掛けませんでした。何だろう?と興味深く覗き込む人も多く、ちょっとした腹ごしらえに最適と多くの人が注文していました。



(写真:ロミト・アラベの屋台)

以前ある人が新宿で「エンパナーダ」の屋台をやれば大はやりになるのではないか?と言っていました。その時には「幾ら人が多いと言っても東京の人は厳しい、あのようなものが売れるはずはない」と思っていましたが、このロミト・アラベの次から次と売れている盛況を見ていますと意外に行けるのではないかと思うようになりました。新宿の人は厳しい一方で非常に好奇心に富み、新し物好きであるという事も事実ですから。



12・丸の内線・四谷駅
東京メトロと改称した地下鉄、何時も降りてみたい駅があります。丸の内線の「四谷」です。何故かと言いますと丸の内線の電車には架線もパンタグラフの無いので実際に見てみたいという単純なものです。丸の内線はよく利用しますが実際にこの駅に降りた事はありません。今回南北線に乗り換える必要があり。この駅で下車する機会がありました。

当たり前ですが架線がありません。非常にすっきりして見えます。



(写真:東京メトロ・丸の内線・四ッ谷駅-01)

電車にパンタグラフが無いので何となく変な感じですね。



(写真:東京メトロ・丸の内線・四ッ谷駅-02)

電車が好きな人間にとってはこのようなものを見るだけで幸せになれるのです。「パンタグラフが無い、架線がない、だからなんなの?」と電車などに余り興味が無い人は尋ねる事でしょう。理解出来ないものと思います。

東京メトロの路線が増えましたが最初に出来た二つの路線、銀座線と丸の内線を使う頻度が多いのは変わりません。当方の最寄り駅が京王線の西調布で、行くターミナル駅が新宿と渋谷になるのが大きな理由です。そしてもう一つの理由はこの二つの路線が最初に出来たので地上の近くを走り駅まで簡単に行ける事が挙げられるでしょう。そして電源のシステムが横から取る方式なので他の私鉄との相互乗り入れが出来ないので結果的には空いている事です。新しい路線ほど地下深い所を走っている・・大江戸線、南北線に乗りますと駅までの遠さに嫌気が差します。



13・「おっさん」だけの通勤電車
今回の訪日ではかなりの日は通勤時間に出掛けて満員の通勤電車に乗りました。通常の訪日の場合には家を出る時間を少しずらして通勤時間帯を避けるのですが、今回は毎日のように朝早く中央に着く必要に迫られ、背広にネクタイという日本標準のサラリーマンスタイルで通勤電車に乗り込みました。久しぶりのサラリーマン通勤で初日は昔を思い出し楽しくさえありましたが、二日目からはかなり苦痛に感じました。そして周りを見ますと以前乗って居た時と雰囲気が異なる事に気が付きました。

最寄の駅は京王帝都・京王線の西調布駅、ここから一駅各駅停車の電車に乗り調布から急行などに乗り換えます。ここからの電車は特に昔と雰囲気が異なってました。周囲を見ますと「おっさん」ばかりで女性の数が非常に少ない、女性が居ても多くは「おばちゃん」で、若い女性、女学生さんの姿が全くと言っていいほど見えないのです。何でも最後部に「女性専用車両」というのがあり、女性の多くはそちらの車両を利用しているので男ばかりの味気ない電車になっているようでした。新宿までおっさんばかりの満員電車に30分ほど揺られて行きましたが、何と味気なくつまらないものか、本当にがっかりしました。次の日には女性車両というのを外から覗き込んで見ましたが、女性だけの車両に乗っている皆さんは決して幸せそうには見えませんでした。周囲は女性の厳しい視線のみ、楽しそうではありませんでした。

友人にその話をしますと「エレベーターの中に何人乗れるのかギネスに挑戦するグループが居て試したところ、男性だけ、女性だけよりも混合するとたくさん入る事が分かった」との事でした。何でも男女で、でっぱっている場所と引っ込んでいる場所が異なるので多く詰め込むには混合の方が良いとの事でした。この理論によりますと女性車両を導入した事により男女が別々となり、より混雑がひどくなる事になります。学校などでは男女共学が当たり前の時代です、何で今更時流に逆行するような事をするのでしょうか?本当に電車で男女を分ける必要があるのでしょうか?男女が約半数づつ居ての世界であると思います。このような通勤電車をつまらなくなるような事には断固反対ですね。



(写真:通勤電車を待つ:京王線・西調布駅)



14・吉祥寺
実家が三鷹市にあり最寄の繁華街と言いますと吉祥寺です。三鷹市と言いましても外れにあり意外と吉祥寺には行き難いのですが、街の大きさがほどほどで買物に便利なので今回は数回訪問しました。



(写真:吉祥寺駅前)

駅前からはアーケードが続きます。



(写真:吉祥寺・街の様子)

アーケードの一角に何時も長蛇の列が出来ています。ここのメンチカツは有名でこれを求めて客が列を作っています。12個以上買うと安くなるという商法でまとめ買いを促し待つ時間を助長しているようです。



(写真:吉祥寺・メンチカツに長い行列)

さて、当地のメルカード・4を歩いていますと何時も「吉祥寺に似ている」と思うのです。今回実際に吉祥寺に来てみますと確かに似ています。



(写真:吉祥寺・迷路のような街-01)



(写真:吉祥寺・迷路のような街-02)

この吉祥寺は非常に大きな繁華街ですが、友人達と「東京首都圏の中で何番目くらいか?」という議論になりました。東京の中で銀座、新宿、渋谷、池袋、錦糸町・・大きい所は幾らでもあります。都下でも立川、八王子、町田などはここよりも大きいでしょう。30番目から50番目くらかな?という結論になりました。東京というのは本当にすごい街ですね。



(写真:吉祥寺・夜の街)



15・回転寿司
ジェトロのあるアーク森ビルで2日間過ごす事になり、お昼時に何を食べるか?ビルの中を歩いてみました。その中で商工会メンバーと選んだのが「回転寿司」です。街に在る回転寿司と比較しますと何となく「高級」な感じがします。

回転寿司・UOKI
港区赤坂1-12-32 アーク森ビル3F
TEL 03-5575-3555 
FAX 03-5575-0944
営業時間 11:00〜23:00(L.O.22:00)
定休日 年中無休

日本に来たら寿司をいただきたい、値段は安く美味しいのを・・と思います。見るからに感じの良さそうなお店です。



(写真:回転寿司・UOKI)

中に入りますとお昼の時間帯からは多少ずれているので余りお客さんは居ません。正面のカウンターに陣取る事が出来ました。メニューが目の前にあり、120円くらいから高いものまで皿によって色分けされています。パラグアイでは余り食べる事が出来ない「アナゴ」「しゃこ」等が安い部類にありましたのでそれらを注文しました。板前さんがその場で握ってくれるので普通の寿司屋のカウンターと同じ感覚でいただく事が出来ました。板前さんに「何が美味しい?」と尋ねますと「旬のはさんま」とのこと、早速さんまを注文してみました。確かにこれは美味しい、さんまの寿司が美味しい事を始めて知りました。ネタの良いものを使っている、回転寿司としてはいますが、内容は本格的です。

高級とは言えそこは回転寿司ですから無駄な人件費はカットされています。お茶も自分で用意する仕組みになっています。写真を観ていただけば分かるようにそれぞれの場所にステンレスの小さい入れ物が二つづつあります。中を空けますと緑と茶色の粉末が入っています。これが煎茶と番茶の粉なのです。要するにインスタントお茶でこれを器に入れて横にあるお湯を注ぐと好みの濃さのお茶がいただけるという仕組みです。飲んでみますとなかなかいけます。板前さんも「美味しいでしょう」と一言、自信のある味のようです。



(写真:店内の様子)

さて、10皿近くをいただき、お腹が一杯になりました。これでご飯お茶碗に2杯程度なのだそうです。お勘定なのですが、一人千円強、納得のお値段でした。高級回転寿司はなかなかのものでメンバー全員大満足でした。



16・東横イン
ビジネス・セミナーを行なう為に訪日した商工会メンバー、多くの人が宿泊に利用したのが「東横イン」です。有名な老舗的な存在である「東急イン?」と尋ねますと「いやいや東横イン」との答え、東急の本線の名称が東横線、渋谷にあるデパートの名前が東横デパートですので、東急グループなのかと調べますと全く関係は無く設備会社が経営しているホテルチェーンでした。値段は朝食付きで7千円弱で全国どこでもほとんど同じ料金です。東京の都心に在るホテルはほとんど満杯状態、全体でも80%の稼働率を誇っているのだそうです。設備会社が経営しているのでメンテナンスが良く室内は清潔そのものです。何でも作りはほとんどどこも同じなのだそうで、規格を統一する事でコストを下げているのでしょう。また働いている人は全て女性で主婦を採用しているのだそうです。家庭に埋もれがちな人材を活用している点は評価されます。

フロントの横にある電話は自由に利用する事が出来、インターネットが利用出来るパソコンも使えます。髭剃りなども部屋にあり全く不自由ありません。快適そのものでメンバー全員納得の様子でした。



(写真:東横イン-01)

朝食はおにぎりでした。お茶とインスタント味噌汁があり、そしてコーヒーがあります。おにぎりも幾つか種類があり、美味しく朝食としてはこれで充分です。



(写真:東横イン-02:朝食の様子)

このビジネス・モデルを見ていますとホテルが変わっていると実感しました。必要なものを全て揃えてコストを抑えて提供すれば利用者が増えるのは当然でしょう。




17・秋田南部の旅
友人を訪ねて秋田南部を訪問しました。東京駅から「こまち」に乗るとあっという間に盛岡に着きます。そこから在来線に入り大曲駅に到着しました。大曲駅は大曲市であるとばかり思っていましたが、既に大曲市は無く仙北市と名称が変わっていました。仙北郡であったのでこの地名が採用されたのでしょうが、何となく仙台の北に在る都市のような気がします。中心都市の大曲の地名を残した方が良かったのでしょうが、それでは他の町村の面子が立たないのでこのような選択になったのでしょう。人口10万人の都市ということなのですが、とてつもなく市の地域は広く水脹れの感は否めません。

秋田新幹線に乗り大曲に到着しますとその先に線路は無くまるで終点のようです。実はこの駅で運転手と車掌の位置が変わり電車は下の写真の左前方(盛岡方向)から来て右前方(秋田方向)に出て行きます。



(写真:秋田新幹線・大曲駅-01)



(写真:秋田新幹線・大曲駅-02)



(写真:こまち・車内販売)

さて、友人の住む湯沢までは下の写真にある電車で行きます。余り本数は多くなく一時間に一本程度の割合で走っています。学生と老人が多く普通は皆さん自動車で移動されているのでしょう。

大曲から横手を通り湯沢まで一時間この電車に乗りました。新幹線の出来る前は奥羽本線という名称で福島から山形、秋田を経て青森まで大動脈でした。山形県、秋田県にとってはこの線が生命線であったと言って良いでしょう。実際に乗ってみましたが、今は見る影も無いローカル線で、単線で乗降客も少なく寂れていました。



(写真:従来線の電車)

さて、ようやく湯沢駅に到着しました。大学時代にこの駅に来たのですがその時と余り変わった様子はありません。昔ながらの駅舎で風情があり良いのですが発展からは取り残されているという感じです。



(写真:湯沢駅)

さて、外の様子はどのようなものなのか散策してみました。大曲駅の駅前通りの様子は下記の写真の通りです。通りの名前は「花火通り」と華やかですが余り人は歩いていません。東京の活気とは別次元という印象を受けました。



(写真:大曲駅前・仙北市-01)



(写真:大曲駅前・仙北市-02)

湯沢市も同様の状況です。駅前の寂れ方は想像以上でした。歩いている人をほとんど見掛ないのです。



(写真:湯沢前前)

さて、お腹が空きました。友人が案内をしてくれたのが湯沢市内の蕎麦屋です。美味しい蕎麦と丼のセットメニューがあるというので楽しみにして付いて行きました。



(写真:蕎麦屋・湯沢市)

出て来たのが下の写真のものです。蕎麦屋なので蕎麦が美味しいのは当然としても天丼が美味しかった。大満足でした。



(写真:蕎麦と天丼のセット)



18・泥湯温泉(秋田県湯沢市)
さて、お腹が一杯になり連れて行ってもらったのが栗駒国定公園内にある泥湯です。湯沢市の中心街から仙台方向に山を登り県境の近くにあります。紅葉の季節でもあり仙台からの観光客が多いのだそうです。今年は紅葉が遅く一部が紅葉しているだけのまだら模様ですがそれでも綺麗なものです。



(写真:紅葉)

さて、泥湯温泉の近くに行きますといわゆる「地獄」があちらこちらにあります。湯煙が立ち如何にも温泉地らしい雰囲気です。



(写真:地獄)

地蔵さんがあるので何かと思い見ますと「目洗い湯」とあります。昔は目の治療にも温泉を利用したのでしょうね。



(写真:目洗い湯)

少し上から温泉を見ますと如何にも日本の温泉、秘湯という感じです。



(写真:泥湯温泉郷-01)



(写真:泥湯温泉郷-02)



(写真:泥湯温泉郷-03)

ここにある奥山旅館というのはなかなか風情のある旅館です。このような場所で温泉に入りながらゆっくり出来れば最高ですね、日本の秋を満喫出来ると思います。この話をオフ会でしますとパラグアイMLオフ会幹事の大友さんが「この奥山旅館のご主人とは高校時代同級生であった」と話していました。世の中狭いものです。



(写真:泊まってみたい奥山旅館)

さて道端にお土産店がありました。友人がこのお店の人と知り合いのようでした。この紅葉の季節限定でここに店を出しているのだそうです。この日は土曜日で本来であれば観光客で一杯になるのですが、紅葉が遅れており天気も悪いので閑散としていました。ちょっとあてが外れているという様子でした。



(写真:みやげ物店)

さて、ここは湯沢市の一番奥になります。市町村合併で湯沢市は周辺の町村と合併し丁度市議会議員選挙が行われいました。この秘境にも選挙カーがやって来ました。「まつだ、まつだくにたろうでございます」大きな声で近づいて来ました。



(写真:湯沢市議会議員候補・松田国太郎候補の選挙カー)

選挙カーが止まると候補者が笑顔で降りて来ました。小雨の中、笑顔で軽やかな足取り、小走りに駆け寄って来ます。「握手、握手」ここに居た全部で10人くらいの人に握手して廻っていました。



(写真:軽やかな足取りの松田国太郎候補・湯沢市議会選挙-01)



(写真:軽やかな足取りの松田国太郎候補・湯沢市議会選挙-02)

なお、この松田国太郎候補は定員30(立候補44)で14位・943票で当選しています。当選ラインが700票余りですので1票の重みは大変なものです。おめでとうございます。



19・東京都心:大手町・丸の内・日本橋
東京の中心部を歩く機会がありました。東京に住んでいる時には余りにも当たり前の景色ですが、改めて見ますとなかなかすばらしい景色であると思います。皇居の前、内堀通りの景色は東京の代表的なものですが、素敵なものです。



(写真:東京の景色-01)



(写真:東京の景色-02)

江戸時代の構造物である石垣と掘りは本当に美しいものです。往時は幕府の力を庶民に示すものであったのでしょう。



(写真:東京の景色-03)

丸の内を歩いていますと多くのサラリーマンが歩いていました。ちょっと気取っている印象もあります。



(写真:東京の景色-04)



(写真:東京の景色-05)

普通の東京も外から見ますと本当に魅力的な景観であると思います。日本人の美的意識というのはなかなかのものであると思いますね。



20・六本木
東京の中心部にある六本木は少し前までは電車では日比谷線で行くしかなく、意外に不便な場所でしたが、大江戸線、南北線が開通し簡単に行く事が出来るようになりました。今回セミナーを行なう会場が南北線・六本木一丁目駅でしたので数日間、毎日六本木に行きました。

六本木の中心は何故か知りませんが「アマンド」という喫茶店という事になっています。ピンクを基調にしたこのお店確かに目立ちますね。そして外国人が多い、金髪の欧米系の方が多いのでかえってほっとします。



(写真:六本木・アマンド)

歓楽街として有名ですが六本木ヒルズ、アークヒルズなどの高層ビル街があり、その他にもオフィス用のビルが建ち並んでいます。看板を見ていますと大きな会社よりも小さい事務所のような感じですね。



(写真:六本木の街)

お店にも色々と工夫があり、見ているだけで楽しいですね。目立つのがレトロを売りにしたものです。ビール瓶を埋め込んだようにみせ、レトロ調の看板を掛けている店、このような感じのものが多かったですね。



(写真:六本木・レトロ調の店)

そしてもう一つがパリ風のお店、元々パリの街角をイメージして街が発展したように聞いていますので当然の事だと思います。もう一つの理由は欧米系の住民が多いので彼等の嗜好に合わせているのでしょう。



(写真:六本木・パリ風の果物店)

六本木をのんびりと歩いたのは初めてですが、メインストリートに高速道路があり、これが景観を邪魔しているのが気になりました。発展する以前からこれが存在していたのでしょうが、東京の美観を損ねているこの高速道路、欧米から観光客を招き入れる、観光都市・東京を目指す気持ちがあるならば将来何とかする必要があるのかも知れませんね。



21・渋谷
大学を出て南米に来るまでは日本の会社で普通のサラリーマンをしていましたがその本社は渋谷にありました。渋谷に本社があるとアフター5を期待するかも知れませんが、サラリーマンをしていた時には余裕は無く、通勤電車で朝早く渋谷駅に降り、深夜帰宅するまで仕事、仕事が終われば急いで帰宅という毎日でした。要するに「渋谷=仕事」という意識が強く何となく避けて来ました。今でのここの景色を見ますと気分的に重くなり「仕事バージョン」になります。

駅を降りた雰囲気は当時とほとんど変化していないように感じます。細かく見ますと店などは変わっているのでしょうが、見た目は昔も今も変わらぬ渋谷です。



(写真:渋谷・道玄坂方向)

駅近くの明治通りでは東京最後の地下鉄路線の工事が行なわれていました。池袋、新宿を経てこの渋谷までの路線で既存の銀座線、半蔵門線と合わせて東京メトロの3路線がここで交叉する事になります。子の他には東急東横線、東急田園都市線、京王帝都井の頭線などがここを起点としていますが、JR(山手線・埼京線)以外の電車は余り目立ちません。



(写真:渋谷・地下鉄の工事)

会社があったのは宮益坂の方向、もう少し行って右に曲がり銀座線を越えた辺りでした。この辺りはよく歩きましたね。



(写真:渋谷・宮益坂)



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