つれづれなるままに-03




ページを開設して間もない頃、パラグアイの色々な話題を取り上げてみました。99年に販売した本「南米のパラダイス・パラグアイに住む」に多くの項目を入れました。






105・プールと風呂(2000年02月21日)

パラグアイ、特にアスンシオンの家屋にプールが付いている住宅が多いのには驚きました。日本ではプールがあるというとかなりの豪邸という印象を持ちますが、当地では中級程度のそれ程大きくない住宅にもプールがあります。100坪程の敷地に住宅が建ち、小さな庭にプールとなりますと、庭はほとんどプールだけという状況になる訳です。それでもプールが好きなアスンシオン市民、付けられる土地があれば出来る限りプールを付けている?という気がします。「風呂は無いがプールはある」これがパラグアイ式という気がします。

何故これほどまでにプールが増えたのか昔からの移住者に尋ねると、ブラジルとの国境に在るイタイプ・ダム工事の際にバブル経済となり、工事に携わる技術者等の貸し住宅として一気にプール付きの増えたという話をされていました。とにかくプールが多い、もし世界の首都、住宅のプール設置率という統計があればかなり上位に食い込むのではないでしょうか?飛行機からアスンシオンを見ると各家庭に在るプールの鮮やかなブルーが目に入ります。

確かに暑い夏が半年間も続くパラグアイでの生活でプールというのは良いのかも知れません。しかしプールというのは意外に維持管理が大変で、よく管理をしていないと直ぐに汚れてしまいますし、ほって置くと蚊等が発生して非常に不衛生となります。南米の人は泳ぐのが好きなのかというと必ずしもそうでは無い様に思います。プールサイドでのんびりと過ごすのが好きというのが正解だと思います。ブラジルの海岸などで見ていても海に入っている人よりも海岸で日光浴をしている人が圧倒的に多い、水辺に居ると確かに落ち着きますね。

プールがこれほどまでに発達しているのですが、その反面、風呂が少ないのが印象的です。シャワーだけという家が多いのです。風呂に入らなくても平気、シャワーさえあれば、という家庭が多いのです。大きな住宅でも風呂は無いと言うのが結構あります。例え風呂があったとしても例の西洋風呂、寝転んで入るタイプ、これでは作者はどうも風呂に入っているという気がしません。日系人などはどうしているのか尋ねるとブラジル製の日本風呂なるものを利用していると言うのです。早速国境地帯の友人に手配してもらい一つ手に入れました。ブルーの浴槽に電熱器が付いている単純なものですが、シャワー室に収まり、今ではこれで毎日風呂に浸かっています。作者は日本での長い習慣でしょうか、プールは無くても良いですが、やはり風呂はあった方が良いですね。またブラジルではよく見かける「サウナ」というもの余り見掛けません。サウナのように暑い日があるので、わざわざ人工的にまで蒸し暑い状態を作る必要が無いと考えているのでしょうね。


104・電力(2000年02月21日)

ガス、水道と並び生活必需項目は電力でしょう。資源の無いパラグアイと言いますが、確かに石油とか銀とか言うような地下資源はありませんが、豊かな大地と水と空気はあります。大河パラナ河(ラプラタ本流)そしてパラグアイ河(ラプラタの最大の支流)の二つの大河が流れており、水資源は豊かであると言えるでしょう。中でもイグアスの滝の近く辺り、ブラジルとの国境を流れるパラナ河の落差は大きく水力発電には適しているというので両国で水力発電所を建設しました。これが有名なイタイプ・ダムで発電量は水力発電所としては世界最大です。この発電所は主にサンパウロを中心とするブラジルの電力事情の逼迫でブラジルの利害で作られたようで、パラグアイは発電量の半分を利用する権利を有するのですが、自国での利用は少なく、大部分はブラジルに売電しています。

この為か電力料金は日本と比べるとかなり安いように感じます。クーラーをほとんど一日稼動させて、風呂に湯沸しにと電力をかなり消費しています。ただ聞くところによりますと送電には問題があるようで、近い将来には送電可能量を上回る消費量になるとか?電力公社ではこの対応に追われているようです。現在は何とかこのパラグアイ、中南米の中では電力の供給が良い国、言い換えれば停電の少ない国なので、何とかこのまま良い状態を維持して欲しいものです。

また、これだけ大量に余剰の電力があるのならば高い石油を買わずに、自動車も何とか電気自動車で自前のエネルギーを動力に使用出来ないものなのか?と思うのですが。



103・カレンダー(2000年02月21日)

年末・年始になると一番贈答されるのはやはりカレンダーでしょう。パラグアイでも色々な企業が宣伝を兼ねてカレンダーを造り配っています。多くのカレンダーは一枚で一年分がびっしりと書き込まれているもので余り綺麗とも言えませんので飾るのにはちょっと抵抗があります。作者は実際に利用しているのは日本企業からいただくカレンダーです。外国に進出している多くの日本企業では外国用にカレンダーを作成して国外の支店などで配布しているのですが、これを幾つか入手して利用しています。ただし、祝日が全く記載されていないか、もしくは日本の祝日なのでこの点は気をつけなくてはなりません。それにしても日本は祝日が多くなりましたね。ハッピー月曜日等と言うよく解らない制度も出来て連休が多く羨ましい限りです。

最近よく配られるのは3角形のプラスチック製の卓上用カレンダーです。片面6ヶ月づつ書かれていて見易く、適当な大きさなので余り机の上にあっても邪魔にはならず必要な時には直ぐに見る事が出来、便利なものです。無論のこと、祝日もパラグアイに合せてあり、実用上の問題はありません。ただ今年はちょっとした問題があるようです。実は5年前に復活した 9月29日の祝日はその復活の際に政令に「5年間を期限に復活する」という文句があったそうなのです。今年は6年目に当たりその政令通りに施行すると今年はもう祝日では無くなるというのです。これに関しては現在まで「する」とも「しない」とも言明しておらず、カレンダー会社の解釈で二通りのカレンダーが存在しているのです。

小さい頃はよくテレビを見ていましたので、番組を見ていて「今日は何曜日」と曜日を意識しておりましたが、当地に住んでいますとニュース以外は余り現地のテレビを見ないので曜日感覚と言うのも感覚が無くなって来ています。逆にカレンダーで確認する事が多くなっているような気がします。

(写真)卓上のカレンダー


102・ガス・燃料(2000年02月21日)

パラグアイの生活で水道と並び大切なものは家庭燃料としてのガスでしょう。アスンシオンではまだ都市ガスというものは無く、全部プロパン・ガスです。作者は日本では都市ガスに慣れた生活をしておりましたので、どうもボンベを買いに行く、交換するというのは最初の頃には抵抗があり、また爆発するのでは?という恐怖心がありました。ガス・ボンベは当地では「ガラーファ」と呼ばれていて、ほとんどどこのガソリンスタンドでも売っています。氷と共にガソリンスタンドの大きな収入源になっています。ただ、この「ガラーファ」という単語はブラジルではビールなどの「瓶」を指す言葉で、同じ単語で全く違う意味になるので当初は戸惑いがありました。当地では瓶は「ボテージャ」と言うのですが未だに取り違える事があります。

ガスの交換の際に一番驚いたのはねじのきり方が反対になっている事です。日本でもそのようになっているのかも知れませんが、最初は閉めるのと開くのが逆なので本当に閉まっているのか心配になったものです。作者の使っているコンロは点火装置の無い器具なので最初は火はマッチで付けていたのですがその内に家庭用の点火装置が路上で売っていることに気がつき、約150円でこれを買い求めました。それ以来、簡単に火をつける事が出来、不便がなくなりました。

(写真)家庭用の着火器具


101・水道水・飲料水(2000年02月21日)

日本に居る時には「水のように使う」等という言葉もある程、水に対しては無頓着で、小さい時には水道を捻れば飲む事が出来る水が出るというのは当然と考えていました。縁あってか大学で専攻したのは「水道工学」、ここで水道水の工程を勉強しましたが、これがなかなか大変なものであるという事が理解出来ました。

かなり以前にアスンシオン市に移住された方にお話を伺うと移住当初、そう45年程前にはアスンシオンの中心部でも水道は無く、各家屋には天水を集める道具が付いていたとか、現在では勿論水道がアスンシオン市内くまなくひかれています。パラグアイに移住して浄水場を見学する機会がありましたが、予想していた以上に立派な設備でフランスからの技術援助で運営されているとか。取水はパラグアイ河からで市内の中央近くで取水しています。河はかなり濁ってはいますが、土砂によるものであり、水道水にするには問題は無いように思います。これを見てから水道水を煮沸してからならば問題は無いと考えて沸かしてお茶などにして飲むようになりました。

ただ普段の冷たい水としては余り適切では無い様に思い、水は買って飲んでいます。日本でも水道水が余り美味しくないという理由で最近はミネラルウォーターを買って飲んでいる方も多いという話を耳にしますが、当地では普段飲むのはミネラルウォーターが当たり前という感じです。ただ入れ物が高いのか意外に値段が高いので気軽にガブ飲みという訳には行かないように思います。普通の家庭では飲料水は配達されるものを利用しているのが一般的なようです。10リットル入るタンクを毎週定期的に配達するというものです。10リットル入りで配達をしてくれて約200円程度、これならふんだんに利用する事が出来ます。ただ水を飲む器具は買取となります。最初の契約時に買わなくてはなりません。幾つかの機種がありますが、最近特に冷水、熱湯機能付きというのが人気を集めているようです。ミネラルウォーターのタンクを上に置き、蛇口は青が冷水、赤が熱湯ということになっています。熱水は文字通りかなり熱湯が出ますのでそのままお茶や珈琲に利用する事が出来ます。現在アスンシオンでは数社が競っていますが、最大手はセルツ社でマーケットの半分以上を占めているようです。作者もこれを利用しています。

(写真)給水装置(冷水、熱湯)

110・幼稚園、そして通学

パラグアイでも幼稚園が増えて来ているように思います。パラグアイの人口構成がピラミッド状になっており、若年人口が多いので子供の数が増えて来ているのです。また経済的に余裕が出て来て、幼稚園に通園させる事が可能になった家庭も多い事も要因の一つだと思います。幼稚園でも人気があるのは英語を取り入れている幼稚園、スペイン語と混ぜて、幼稚園によっては英語だけで子供と接している所もあるようです。教育熱は当地でも次第に高まって来ているようです。

通園風景は日本と似ているのかも知れません。多くの幼稚園ではスクールバスを用意して園児達の送迎を行っています。朝は早くなり過ぎるのでしょうか、父母が自動車で園児を送る事が多いようです。朝には幼稚園の周囲は自動車で大混雑してしまいます。公共交通のバスが必ずしもお年寄りや子供たちに優しくなく、運転は非常に乱暴かつバスの中でひったくり等の事件もあるので子供を自動車で送って行くしかないようです。幼稚園に通い始めると高校を卒業するまでずっと子供の送迎をしなくてはならないとボヤくお母さんも居るようです。3,4人子供が居てそれぞれ行く学校が異なり、またピアノ、水泳、英語などの習い事をしていると母親は子供の送迎だけで一日が終わるという話です。日本人・日系人についてはこれに日本語学校が加わり、お母さんはくたくたという感じになります。わざわざ学校の近くに引越しをするということもあるやに聞いています。

日本から派遣されて来ている駐在員の子弟が通う「日本人学校」の場合には送迎共にスクールバスで、全員これを利用しているようです。全員を迎える必要がある為にある一定の区域が決まっているようで、子供を日本人学校に通学させる場合にはこの区域内に居住しなくてはならないようです。

それにしても子供の通学にかなりの労力、エネルギーが費やされている事に気が付きました。送迎の自家用車が減ればかなりアスンシオンの交通渋滞も緩和されるのではないでしょうか?お年寄りや子供達が安心して利用出来る公共交通機関が必要であると思いますが、現状ではなかなか難しいでしょうね。


109・遊歩道

最近、遊歩道が増えているように思います。アスンシオン市内の住宅を通る石畳道・ボジャニ通り、とても環境の良い地帯にあるのですが中央分離帯が遊歩道になっています。歩く人、自転車で散策を楽しむ人達が行き来しています。また空港近くにある公園では長い遊歩道があり、早朝、夕刻には多くの人が散歩したりジョギングをしています。最近その数が増えており、パラグアイでもどうやら健康ブームが起きているように思います。

肉主体で、塩分、油分の多い食事が主なパラグアイ、どう見ても生活習慣病の元ばかりです。このような食事をして野菜は余り食べない、ゴロゴロしてばかり居るとなるとコレステロールが多い人、高血圧の人が多いのではないかと推測します。そこで医者達が人々に「歩きなさい」と言っているのでしょうね。アスンシオンの場合、ある程度より上の生活をしている人はバスに乗る事も歩く事も無く、専ら自動車で移動し、ほとんど運動をしていないと思います。作者も振り返ると本当に運動らしい運動はしていませんね。東京に住んでいると実に歩くし、満員電車に乗っているだけでかなりの運動になっている。アスンシオンに居るとほとんど移動は自動車で済ませている、これでは運動不足になるのは当然でしょう。南米に来て住民を見て最初に感じたのはデブが多いという事です。アスンシオンも例外では無く、本当にすごいデブを見掛けます。歩くの精一杯というような体躯で見ているだけで汗が出て来ます。日本の肥満体などは当地では標準体形に入ってしまうと思いますね。

このような状況ではこれから益々市内に遊歩道が増えて来る事でしょうね。

(写真)遊歩道(ボジアニ通り)


108・ゴミ

普通に市民生活をしていて必ず出て来るのがゴミです。世界のどこでも大きな都市となりますとゴミの処理が市の大きな仕事となります。日本ではゴミの分別がきっちりと行われるようになり、燃えるゴミと燃えないゴミ、それぞれ処理が行われているようですが、残念ながら当地ではまだそこまで民度が到達していないようで、現在のところゴミは黒い袋にまとめて入れられて捨てられています。家の外のゴミを置く場所はちょっと高目の籠状の専用・ゴミ置です。犬が来て食いちぎるのを防いでいるのだと思います。各人、自分の家の前に設置しなくてはなりません。

アスンシオン市のゴミ収集車の多くは日本からの寄贈によるものです。もう数年前になりますが、アスンシオンと姉妹都市の関係にある千葉市から市の廃棄物担当の職員が専門家として派遣されて来て、アスンシオンのゴミ収集の調査、改善を行い、最後にはゴミ収集車を市に寄贈したのです。日本でよく見掛けるあのゴミ収集車がアスンシオン市内のゴミを処理しているのです。でもどこへ行くのでしょうね?ゴミの焼却処分場というのを聞いた事も見た事もありませんし、海の無いパラグアイ、埋め立てする場所も無い、そうするとどこか利用されていない湿地にでも持って行き廃棄しているのでしょうね。人口が増加しているアスンシオン首都圏、分別を行い、処分場を造って折角の自然環境を守って欲しいものですね。

それにしてもどうも全体的にゴミが増えているように思います。例えば以前は清涼飲料水やビールはガラス入りのものがほとんどで中身を替えて売るのが一般的でしたが、最近はプラスティック製のペット・ボトルや缶ビールが増えています。またマクドナルド、バーガーキングなどのファースト・フードが増えて使い捨てのものが増えています。それにしてもマクドナルドに行くと何故たったあれだけの食べ物にこんなに紙を使うのか?不思議になります。米国と言うのは、やはり使い捨て文化、資源無駄使い国なのでしょうね。

(写真)ゴミを入れておく籠


107・家具屋

アスンシオンには多くの家具を取り扱う店があり、高級店から庶民的な家具を作るお店まで色々あります。日本で書架と言いますとスティール製の嵌め込み式のものを利用する事が多いと思います。事務所などではまず間違い無く、自宅でもこのタイプを利用している人は多いことでしょう。安く、また場所も取らず本の大きさで間隔を自由に変える事も出来て便利なものです。でもちょっと安っぽい、高級な感じと言えばやはり木製でしょうか?

当地では書架はそのほとんどが木製、それも一品手作りが多いようです。アスンシオン市内でもメルカード4の近く、ペルー通りからちょっと入った辺りに家具店が集まっている地区があります。歩道にも箪笥や書架、ベッドなどを並べて歩けない程です。注文製作も可能で希望に従って家具を作ってくれます。日本で家具を注文等したことはありませんが、かなり高いものになるのでは?この前にも書棚を一つ注文しました。大きさは何センチ、高さは何センチ、色は、間隔はと結構細かく注文しました。期間は1週間、結構きっちりとした、注文通りの書棚を作って来ました。なかなかやるものです。ただし、人と店を選ばなくてはなりません。安物の材料を使い、しばらくすると開かなくなるというトラブルは頻繁に起きます。

ただ何時も不思議なのはこれらの家具はその後どのように処分されて行くのか?という事です。引越し等で使える家具が不用になる事は多いと思いますが、このような家具の引き取り先が無いのです。勿論タダとなれば喜んで持って行く人がいますが、リサイクル・ショップみたいなものがあっても良いのでは?と何時も思います。工賃が安いパラグアイ、少し手を入れれば新品同様になるものも多いと思います。安ければそれだけ買う人も多いでしょう。中古家具引取・販売業、始める人が居れば将来性があるかも知れませんね。

(写真)家具の専門店が建ち並ぶ一画


106・信号

アスンシオンで運転を始めた当時、走行していて信号が見え難いので随分困った記憶があります。まず信号が小さい、日本の信号は非常に大きく、どこからでも見えますが当地では非常に小さく知らないと見落とす可能性があります。移住した当初、一度信号を見落とし、赤信号を通常の速度で突っ込んだ事があります。その時にはたまたま走行している自動車が無く、事無きを得ましたがその後は始めて走る道路の場合、信号には特に注意を払うようになりました。また小さいだけでは無く、街路樹が茂っていて見えない場合もあります。信号は大きく見易くして欲しいものです。

次ぎに信号が手前にあるという事です。日本を始め他の国では信号は道路の向こう側にあるのが普通なのですが、パラグアイの信号は交差点の手前にあるのです。この為に非常に見づらい。これは多分、信号を先に作ると運転手が交差点の中に突っ込んで行くのでそれを阻止し、交差点の手前で自動車を止めるようにする為だと思います。要するに運転者を信じていないのでしょうね。

信号待ちをしていると何時信号が赤から青に変わるのか、変わったら直ぐに飛び出そうとする車が多く、反って危険でした。数年前から信号が赤から青になる直前に一度青に変わる表示として黄色が点灯するようになりました。これで安心して待つ事が出来るようになりました。

以前フォス・ド・イグアス市(ブラジル)に行った際に驚いたのですが、ブラジルの信号は青、赤の大きな信号の横に小さい信号が沢山並んでいてそれが少しづつ点滅して行くのです。全部点滅すると信号が変わるという仕組みで、後どのくらい青(赤)が続くのか解るという仕組みです。後どれほど青が続くか解るので、横断しても安心ですし、これだと赤信号でも多少長く待ってもイライラしないのです。まだかまだかと待っているのがイライラする原因で、待っている事、自体でイライラする訳では無い事が解りました。これなど日本でも取り入れてみては如何でしょうか?

信号の長さに関してはマチマチでそれ程考えているような様子はありません。所により交通量の多い方が短いということもよくあり、渋滞を起こす原因になっています。時間により上りと下りの混雑が変わるような地点でも何時も同じで、朝夕片側が非常に込み合うという場所も多いようです。また信号の設置場所にも問題があるようです。どうしてこんな場所に!というのがよくあります。また壊れている信号がよくあり、注意しなくてはなりません。一度青になり発進したら横から疾走して来る自動車にぶつけられました。見ると信号が壊れていて、ずっと黄色になっている。危ない限りです。それ以降信号をますます信用しなくなっています。

(写真)見え難いアスンシオンの信号




115・休暇(2000年 2月27日)

休暇、バケーションに当たるスペイン語は「バカシオン」、夏になるとどの会社でも順番でバカシオンを取ります。祝日の少ないパラグアイでは長期の休みは自分で取るバカシオンというのが常識のようです。これも数日と言うものでは無く、2〜3週間取ります。自分の仕事の都合と言うのは余り関係が無い様で、少々忙しくなっても「休む」と言ったら休みます。休暇を取るのは主に夏休み期間、学校が無い時期に社員が順番に取ります。12月の末から2月末くらいまでがバカシオンの期間のようです。この期間は普段よりも1、2割交通量が少ないように見え、何時もの渋滞も大分緩和されます。この時期担当者が居ないこともしばしばです。暑い時期でもあり、誰も急がないパラグアイのことですから担当者が帰るまで2,3週間その仕事はストップしてしまうこともあるようです。

さてバカシオンの過ごし方ですが、以前は自宅でぼっとしている、というようなことも多かったようですが、最近は旅行に出掛ける人が多くなっています。パラグアイ国内にもサンベルナルディーノを始め、意外にバカンス用のホテルがあり、そこでのんびりと過ごすという人が多いようです。最近はブラジルの海岸で過ごすというのが人気になり、最も近いサンタカタリーナ州・カンブリウ海岸はパラグアイ人で一杯と言う話です。飛行機の便は無く、バスもしくは自動車で行くようです。各旅行会社では安いバスとペンションを利用したツアーを売り出し人気を集めています。バスはアスンシオンを夕刻に出て、国境を深夜空いている時間に通過し、次の日のお昼前に目的地に着くということでそれ程の旅では無いと言います。

少しお金がある人に人気なのがフロリダ、カンクンなどの北米の保養地です。米州大陸の広さが余り理解出来ないかも知れませんが、これは距離的には丁度日本からオーストラリアにいく感じですね。決して近くありません。人気の秘密はパック・ツアーです。カンクンで1週間で1,400ドル程度なのですが、普通航空運賃でブラジル、リオに行っても同程度、それなら遠くまで出掛けようという訳です。南米は景気が悪い、パラグアイ経済は最悪だという話をよく聞きますが、確かにそのようにも思いますが一方ではこの10年間、アスンシオンの中級以上の家庭は着実に生活レベルを向上させているようにも思います。自家用車を持ち、外国に旅行するようになっているのです。


114・デンゲ熱(2000年 2月27日)

今年の夏は非常に暑く、長年当地に住んでいる人も驚く程でした。アスンシオンはその上、まだまだ緑が多いとはいえ、舗装が進み、ビルが立ち並び、クーラーが普及と街は暑くなるばかりです。そしてその影響なのか、今年はデンゲ熱が大流行しています。デンゲ熱は一種の風土病で、蚊を媒介する病気で、感染すると最初は風邪のような症状で、その後熱が下がらず、関節が痛むそうです。

新聞ではしばしばデンゲ熱に関する情報を掲載していますが、とにかく蚊を発生させてはならないと言う事で市民に水溜りを造らないように呼び掛けています。友人の話では、空き缶の中にもぼうふらが沸いており、気をつけなくてはならないと話をしていました。出来るだけ家を締め切り、殺虫剤を撒き蚊の居ない状態にしているとのこと。それでも友人達もかなり多くの人がこの病気にかかっています。そうは言っても暑いパラグアイ、外出する際に長袖というわけにも行かず困りますね。全部の蚊が感染をもたらすわけではないし、体調にも拠ると考え、作者の対策はよく食べ、良く寝るというものです。要するにいつもの通りと言う訳です。それでも蚊に対して少々神経質になっています。蚊取り線香をたき、殺虫剤を撒く毎日です。

それにしても地球の温暖化の影響なのでしょうか?ラ・ニーニャの影響なのでしょうか、今年の夏は雨も降らず異常に暑かったように思います。東京でヒートランド化の影響が心配されていますが、当地ではもう既に「ヒートランド」です。特にアスンシオンは暑いように聞きます。それでも2月も下旬になりますと朝夕は涼しくなり次第に秋の気配が漂っております。早く涼しくなりデンゲ熱の流行が収まるよう期待しているこの頃です。


113・自動車販売代理店(2000年 3月12日)

ブラジルからアスンシオンに来て驚いた事の一つに「日本車が多い」という事が挙げられます。サンパウロではほとんど見なかった日本車ですが、ここアスンシオンでは3割〜4割が日本車ではないかと思います。また全ての製品が入っているのです。「三菱」「トヨタ」「日産」「ホンダ」「いすゞ」「ダイハツ」「マツダ」「スバル」「鈴木」「日野」全てあり新車を売っています。ただどこの販売店も日本で売っている全部の車種は扱っていないようで、ある程度絞込み売れ筋に特化しているようです。それでもある友人が珍しい自動車に乗っているので尋ねたら「この自動車はパラグアイ国内では2台しかない」と言っていました。

これに最近は平行輸入が加わっています。チリのイキケ市を経由して日本の様々な自動車が輸入されています。これは車種の絞込みが無いので本当に多様な自動車が入っています。パラグアイで1台だけというものあるのかも知れません。トヨタ・コロナだけでも製造地により3種類あると聞きます。勢い多いのが部品屋さんです。新品・中古、清濁合わせてパラグアイには様々な部品店があるのです。

この多様な自動車というのは何も日本製に限りません。世界の自動車が入って来ていると言って良いでしょう。時に最近躍進しているのが韓国製、現代、大宇、起亜等の自動車が急速に増えています。その他色々な自動車が走り、ロシアのラダまであります。まさに自動車の展示場という気がします。でも人気はやはり日本車なのでしょうか、ある時、どこ製か解らない「おんぼろ・トラック」の後部に赤いペンキで大きく「MITSUBISHI」と書き、三菱のマークが描かれていました。日本製はステータスなのかも知れませんね。

(写真)アスンシオンに在る、ホンダ販売店


112・シティー銀行(2000年 3月12日)

数年前に起きた金融危機以来、銀行に、いわゆる勝ち組みと負け組みの2極分化が進んでいるように思います。外国特に欧米の銀行の支店・現地法人の銀行に人気が集中し、その中でも一番預金が集まっているのが「シティー銀行」です。

ここならばまず倒産する心配が無いと思われているようで金融危機以降は資金が集中しています。シティー側も積極的に支店を増やすなど顧客の要望に応えているのも業務拡大の要因に挙げられると思います。最近は市内の至るところで「シティー」の看板を目にします。このシティー銀行はパラグアイだけで無く、世界中で事業を拡大しているのでしょうか?日本から当地に来る方から「パラグアイにはシティー銀行ありますか?」という質問をよく受けます。日本でも一般的な銀行になっているのでしょうね。日本では金融不安以来、銀行の外国業務からの撤退が相次ぎ、このパラグアイなどに進出するような可能性は限りなくゼロに近くなっているというのは寂しい限りですね。

また、シティー銀行で、特に最近目に付くのは潤沢な資金を利用してなのか?資金の有用な運用先が無いのでしょうか?ビルの建設が目立ちます。エスパーニャ沿いクビチェ通りとの角に綺麗なオフィス・ビルを建設したかと思うと、現在はマリスカル・ロペス通り沿いに大型本社ビルを建設しています。ショッピング・マリスカル・ロペスのほど近く、これが完成するとシティー本店の他、テナントに多くの企業が入居することになり、またこの辺りが賑やかに、そしてさらにセントロの空洞化が進むことになるのでしょう。

(写真)シティー銀行本店建設


111・柿と梨(2000年 3月12日)

秋が近くなると果物の季節となりますね。秋と言えば何と言っても「柿と梨」この二つを食べると秋が来たと実感します。パラグアイも3月に入るとスーパーや日本食品のお店に秋の味覚が並びます。日本で食べる柿も梨も南米では昔は一般的な食べ物では無かったのでしょう。その証拠に柿は「カキ」と日本語そのまま、梨は西洋梨のことをペラと言いますが「アジア・ペラ」という表示で売られています。それにしてもごく普通のスーパーで和梨が並んでいるのです。聞くところに拠りますとパラグアイ製ではなくブラジルかチリ辺りからの輸入のようです。見た目から和梨なのですが、何故か多少こぶりです。味は日本で食べる和梨そのもの、特に大きな違いは無いようです。

柿の方はブラジルではかなり一般的な食べ物になり、当地にも輸入されているのですが、ブラジルと同様「完熟」状態、要するにグチュグチュになったものを売っています。食べて見ますと確かに甘くそれなりに美味しいのですが、やはり硬い柿の方が良いですね。日本食品店にパラグアイ製の硬い柿を売っています。こちらも余り大きくはなく多少緑で一見余り甘くなさそうに見えるのですが、食べると甘くこちらも美味しいのです。

(写真)柿と和梨


120・ピカチュー(2000年 3月27日)

世界的な人気で、今や子供達に好かれている「ポケモン」、当地でもピカチューを始めポケモン・キャラクターが大人気です。動物が居ない、その代わりにポケモンが居ると言う仮想世界を造り、その中で様々なバトルを行うというこの番組、確かになかなか面白い、大人でも楽しむ事が出来ると思います。最近このポケモンがパラグアイにも上陸し、子供達は今やポケモン・ブームが起きています。

アスンシオンの街でも、お菓子屋さんの店先にもピカチューの大きな人形が立ち、スーパーなどではポケモン・グッズが売られるようになっています。数ヶ月前には映画が大ヒットとなりました。ポケモンの名前などはピカチューなどはオリジナルのままのようですが、「かもねぎ」などはどうしているのでしょうね。(「かもねぎ」は葱をしょっている鴨というポケモン)この人気は本物、ブームはしばらくは続くかも知れません。

そこで気になるのはまたしても知的所有権、スーパーなどに入っているポケモン・グッズは米国からの輸入のようで正規のもので全く問題は無いのですが、路地等で売られているものには全く著作権を無視しているものもあるのでは?実は昨年エステ市であるかばん、リュックサック等を安く売っているお店に行きましたところ、世界の有名キャラクターは何でもあるのです。アスンシオンに住む日系人の友人へのお土産にとリュックサックを見たのですが、ミッキーマウスやバットマン等の米国の人気キャラクターの商品に混じり「クレヨンしんちゃん」「ドラえもん」まであるのです。またこれが非常に安いのです。綺麗な商品で全く利用には問題は無いのですが、使用料が支払われているのかかなり疑問に感じております。最近は行っておりませんが、今頃は「ピカチュー」「ニャース」などの人気ポケモンキャラクターで溢れているのでは?と想像しております。

(写真)ピカチューのぬいぐるみは子供達に大人気


119・アルゼンチナ丸(2000年 3月27日)

先週の週末の土曜日・日曜日の二日間、「アルゼンチナ丸移住者・31年目」という番組がNHKで放送されました。これは今から31年前、岩手県に住む老人、伊藤勇雄さんが武者小路実篤の新しい村運動を実践に移すべく、南米に働きながら学ぶ理想郷を建設し、それを一緒に行う仲間を求めているというような番組が日本で製作されたのが契機で、その後彼ら家族を追って移住船「アルゼンチナ丸」にスタッフが乗船し、そこで出会った移住者達の船内の様子、夢と不安をドキュメントした番組が製作された。そしてその後の生活を追うという企画が始まり、7年後、10年後、20年後の移住者の様子を撮影して来た。そして今回、本来は30年後を撮影する予定が一年ずれて31年目の彼らの様子が放映された。

31年間と言いますと18歳で夢を抱き移住した青年が50歳を迎えるという非常に長い年月で、一緒に同じ様なスタートで始まった南米移住者達が色々な人生を歩み、この間、多くの方は既に他界されている。亡くなられた原因も過労による病死、落雷に遭い一年目で事故死された方、自殺した方、銃弾で倒れた方、そして心中された方・・・と人生流転の過酷さが随所に見られた番組です。特にブラジルのこの10年間は余り良くなかった、特に農業とか中流の自営業者にとっては厳しい歳月であった事がよく理解出来ました。勿論中には成功者として財産に恵まれ、幸福に暮している方もいますが、苦労されている方が多いのです、ブラジルの政治にそしてブラジルに翻弄された人生であると言って良いでしょう。

そしてパラグアイ、11年前の前回の放送では3家族が紹介されていましたが、花嫁移住で現在アスンシオンで幸福に暮している方の場面は無し、イグアス移住地で暮しているご夫婦と番組の発端となった伊藤さんの一家が紹介されました。伊藤さん一家に関しては理想の働きながら学ぶ農場の看板を一族総出で立て直すという場面が出て、31年前にはまだ少年であった伊藤玄一郎さん、拓次郎さんのご兄弟も出演されていました。特にコメントはありませんでしたが、お二人は現在国外で国際協力事業団の仕事に携わっており、パラグアイに住んではいません。この辺の説明が無かったのは非常に残念だと思っています。なお、伊藤玄一郎さんは下記のページで情報発信を行っています。この中で番組に登場したご家族の事にも触れています。

パナマより愛を込めて(伊藤玄一郎氏・発信)

それから今日まで僅か1週間の間に、TBSで世界遺産の番組で「イグアス」が紹介され、この番組が開始されて以来の視聴率を獲得したそうです。また東京テレビ系列ではアスンシオンまでレポーターが来て、福祉関係の番組が放映されたそうです。最近になって南米、パラグアイが多少は注目されて来ているのかも知れません。


118・舗装(2000年 3月26日)

最近、アスンシオンの街では街のあちらこちらで舗装工事が行われています。昨年、日本Aチームが南米選手権に参加するというので多くの方が当地に来ていましたが、皆さん異口同音にパラグアイにの感想として「舗装道路の状態が悪い」と口にされていました。ここで長年住んでいますと最初は不思議に思えていた事が「当たり前」になってしまうのですが、確かにパラグアイの舗装道路の状態はよくないですね、凸凹している所が多く、また陥没して穴が空いている場所も多いと思います。

これは多分道路を施工する際にきちんとした工事を行っていないことに原因があるように思います。道路を建設する時には、基礎を作り(基盤、路床)繰り返し展圧を行い、その上でアスファルトを施工するのが普通なのですが、どうもここでは基礎は適当な工事で済ませ、その上に薄くアスファルトをひくだけというように見えます。これでは完成した直後は良いですが直ぐに悪くなります。ただしヨットクラブに向う道路が数年前に出来たのですが、これは見ていて理にかなうものでした。まず道路を作り、石を敷き詰めてその上を自動車に走らせる。この状態が大体2年くらい、完全に沈下が収まり充分に展圧され締め固められた状態になった後、アスファルトを施工する。これならば陥没しにくいし、凸凹も余り出来ない、完成後数年経過してもそれ程傷んでいません。

また、補修工事も各所で行われています。日本ですと工事をする場合、その影響が最小限度になるような工夫を行い、迂回道路を作るなどするのですが、ここでは全面通行止め、それも長い時には数ヶ月交通を止めて行います。ペルー通りなどはもうかなり長い期間交通が止められています。道路の両側で商売をしている人などには大きな影響が出るでしょうが、このような工事に対して損失が出たとしても「国の責任」というような意見は出ないし、訴訟に発展する事もないようです。この辺りの感覚は先進国とはかなり異なるように思います。

最近増えているのが路地のコンクリート舗装です。今まで住宅街の道路には舗装を行わない、石道というのがアスンシオンでは当たり前でしたが、最近ではコンクリートで舗装する場所が増えています。これの方が傷みにくいし、パラグアイ向きかも知れません。便利にはなりますが、ただ舗装にするとスピードを出して通り抜ける自動車が増え、危険も増すようです。

(写真)ペルー通りの舗装工事:コンクリート舗装になる


117・ジュース類(2000年 3月26日)

南米に来た当初、ジュースというものは自分で絞って飲むものというのが、ごく自然で当然の常識であったように思います。ほとんどの場合、柑橘類、オレンジが主なもので、大量に買って来て、二つに割り専用の絞り機に押さえ付けて絞っていました。朝食にはこのような絞り立てのジュースが添えられるというのがパターンであったように思います。 ただし、最近ではスーパーに自動ジュース絞り機が備えてあるケースが増えて来ています。スーパーで絞りその場でペット・ボトルに積めて売るというわけです。作者のように自分でジュースを絞るのは面倒だ、と考える人にとっては大変ありがたいものですね。

また最近では色々なパック入りのものが販売されるようになって来ています。スーパーマーケットに行きますとすらりと並んでいます。よく買うのは「豆乳」です。以前は日本であるような白の甘くないものがあり、これを買っていたのですが、どうもパラグアイではヨーグルトにも言えるのですが、嗜好が甘めで、甘くないと売れないようなのです。この為に豆乳・白も現在ではかなり甘いのが売られています。仕方がないので、果汁入りと言うのを買っております。一番ポピュラーなのが、「ADES」(アデス)というメーカーのもので、味は「オレンジ」「りんご」「パイナップル」という日本でお馴染みのものの他、「マラクジャ」「トロピカル・ミックス」「甘いみかん」というような種類があります。値段は大体1ドル程度でしょう。

また健康食品に対する関心が多少は出てきているのか、野菜ジュースも売られています。最近スーパーでよく見かけるのが「K-10」というもので、人参をベースにしたもの、セロリをベースにしたもの、赤蕪をベースにしたものの3種類を売っています。適当に甘味を加えて上手に仕上げてあり、これなら野菜嫌いの子供にも受け入れられるように思います。 暑い季節が長いパラグアイの生活、水分を摂取する事が多くなります。同じ飲むのなら楽しんで飲もうと色々と試しております。ただ個人的には甘さを全く加えていない野菜ジュースが飲みたいのですが、甘党王国・パラグアイでは少々難しいようです。

また最近多く目にするのが粉末のジュースです。昔は日本でも人気があったこのジュース、パラグアイではこれから人気が出そうです。と言いますのは、スーパーでは販売促進のお嬢さんがお客さんに上手に勧めているからです。「オレンジを絞るよりも簡単で美味しく手間がかからないと」、余り栄養に関して知識の無いパラグアイ人達は販売員の説明に納得、大量に買っていました。

(写真)各種ジュース(パック入りならびに絞り立てのジュース)


116・鶏の丸焼き(2000年 3月27日)

移住当初アスンシオンに来て目に付いたのが「鶏の丸焼き」です。それほど綺麗でない素朴な造りの店に鶏が串刺しにされて廻っている光景を街中で見て、アスンシオンの人は鶏が好きなのだなあと感心したものです。勿論アサードなど他にも色々なご馳走があるのすが、手軽な食材として「鶏」があるのは間違いないようです。

鶏の丸焼きというのは見掛けは、どこも同じ様で大した違いは無いのでは?と想像していましたが、実際に食べてみますとかなりの味の違いがあるようです。下味、焼き具合、勿論鶏肉の質にも拠るでしょう。人気がある店では食べに来る人、テイクアウトする人で賑わっています。綺麗なお店が流行るのかと言いますと一概にはそうとは言えないようです。

自宅のほど近く、住宅街の中に一軒の店があり、設備投資は余り為されておらず、非常にシンプルな造りだったのですが、美味しいとの評判でテイクアウトするお客で賑わっていました。次第に鶏を焼く機械を増やし小奇麗になって来て、ある時テイクアウトも出来るがきちんとしたレストランに改装したのです。その後、ここは客足が遠のいてしまいました。鶏の丸焼きを食べにレストランに来る客は少なく、わざわざ店の中に入り買い求める人も少なくなってしまいました。焼いている鶏が道路から見える方がどうも売れるようです。

それにしても栄枯盛衰、設備投資が少なくて始められるこの商売、新規参入者が多く、また廃業者も多いようです。買いに行くと店がもうなかったという事もありました。そして現在ピザ、パンチョ、ハンバーガー等手軽に食べられるものが増えて来て選択肢が増え以前と比較すると鶏の丸焼きの店がかなり減ったように思います。

(写真)鶏の丸焼きを売る店(道路沿いの自動車からよく見える場所にある)


125・天気(2000年 4月01日)

日本に住んでいた時には毎日一回は天気予報を見ていたように思います。テレビでは明日の予報と共に必ず天気図を見て、予報官の説明を聞くというのが一般的であったように思います。学校でも気象について基本的な講義があり、天気図の見方に関して勉強した記憶があります。新聞にも天気図があり、予報と共にある程度天気図を見て天気に関して自分なりに判断していたように思います。考えてみますと無意識の内に天気に関して随分と時間を割いていたのです。

当地に来まして天気図というものをほとんど見なくなりました。新聞の天気の欄も予報だけで詳しい天気図と言うものを掲載してはいません。当地の人に尋ねたら学校で天気図に関して勉強などしたことが無いと言うのです。日本に住んでいた時の習性から当初はどうも物足い感じがして、天気図から天気を判断したい等と思っておりました。その内に当地の生活に慣れて来るとそれ程必要とは感じなくなって来ました。空と風の様子で大体の移り変わりが判りますし、天気を予測したところでまあ大きな違いは無い等と考えるようになりました。

最近、インターネットの時代、CNN等幾つかのサイトでは詳細な天気の情報を提供するようになり、また天気図を見るようになって来ました。見る事が出来るとやはり気になるのです。それ程必要なことではないのですが、日本に住んでいた時と同じ様に雲の動きと天気図を見て、自分なりに天気の予報をし、それから新聞等の明日の天気予報を見るようになってしまいました。日本人というのは天気予報が好きなのかも知れませんね。


124・牛羊豚(2000年 4月01日)

パラグアイに来ますと肉を食べる機会が多くなりました。何か人が集まると肉を焼いて食べるというのがパラグアイの一般的な光景です。肉の種類はそのほとんどの場合、牛肉です。その次ぎに豚ですね、豚は値段としては牛よりも少々高いようで牛よりも食べる機会は少ないようです。でも実際に豚肉を食べて見ますとこれが非常に美味しいのです。日本で食べる豚と何が違うのか知りませんがもっと味があり、なかなかのものです。豚肉は焼いても中華にしても美味しいですね。すっかり豚肉が好きになってしまいました。パラグアイの人達が好むのは骨付きの肉のアサードで、これはコスティージャ・デ・セルドと呼ばれています。一番豚肉を食べるのはソーセージ等加工品にしてでしょう。肉屋に行きますと色々なソーセージが並んでいます。焼肉用のソーセージは多少大き目に出来ています。ソーセージの区切りに小さな金属製の留金があるのですが、白が普通、赤が辛い(香辛料が入っている)という規則があるのです。ソーセージはアサードには付き物、最初おつまみとしていただく事が多いのです。

そして羊、これを見掛ける事はほとんどありません。北海道に行きますと羊肉が非常に一般的に食べられていて、集まるとジンギスカンという印象があります、また中国では肉は「牛羊豚」が基本と聞きますが当地では肉屋で見掛ける事もありません。どうやらほとんど食べる習慣が無いようなのです。ブラジルではある程度羊肉を食べる習慣があり、レストランのメニューでも見掛けた記憶があります。ブラジルの代表的な焼肉料理である「シュラスコ」でも羊肉がよく出て来ます。数年前にサンパウロのシュラスコ店がアスンシオンに支店を出し、本格的なブラジル式シュラスコが食べられるようになり、勿論羊肉も出て美味しくいただいていましたが何時の頃からか無くなってしまいました。店の人に尋ねるとパラグアイ人はほとんど食べないので止めてしまったとのことでした。パラグアイ人は肉と言えば牛肉、その他の肉には余り興味が無い様です。食に対して非常に保守的なパラグアイ人、もっと色々な味覚に挑戦して欲しいものですね。


123・韓国語で書かれた石碑(2000年 4月01日)

アスンシオン市を自動車で走っていると、とある公園で韓国語(ハングル文字)で書かれた石碑を見つけました。確かに近所には多くの韓国人が住んでいるようですが、ごく普通の公園の中にあるのです。これは何だろうと立ち止まってしまいました。

韓国語(ハングル文字)だけで書かれており、スペイン語などはありません。見てみますと、上には「ハン・パ」、すなわち「韓パ」と書いてあるようです。下はウジャン、すなわち「友情」、次ぎが日本語の「の」に当たる単語です。最後の単語は「コンウォン」すなわち「公園」、要するに「韓パ・友情の公園」と書かれてようなのです。多分何か韓国とパラグアイの記念式典か何かがあり、韓国人が多く居住している地区に石碑を建てたものと思います。それにしてもハングル文字だけなので韓国人とその子孫以外の人には理解する事は出来ないでしょう。スペイン語も書き添えておけば良いのにと思ってしまいます。

日本に住んでいますと隣国の韓国をそれ程生活上、意識することは無い様に思います。実際には在日の方も多いのでしょうが、2,3世ともなれば日本の社会に溶け込んでいる方が多く、表面上だけで判別することはまず出来ないと思います。しかしながら当地では市内で見掛ける東洋人の多くが韓国人、中国人です。色々な場面で接する事も多く、見た目が似ているので意識する機会も多くなったように思います。日本に住んでいた時には知識や概念、先入観での中国感、韓国感というものであったように思いますが、当地では生きている韓国、中国(台湾)と接する機会がありなかなか面白いですね。ちょっとした仕草にも少々違いがあるように思います。

(写真)韓国語(ハングル文字で書かれた石碑)


122・よろず屋(2000年 4月01日)

アスンシオンの街では最近では近代的なスーパーマーケットが次々に出来ていますが、庶民の買物で日常よく使うのはやはり近所に在る「よろずや」でしょう。野菜・果物、肉などの生鮮食品から米、パン、牛乳、お菓子、そして電球、掃除道具などの雑貨など生活に必要なものは何でも揃っています。大抵はそれほど大きくないお店に所狭しと商品が並んでいます。普段の生活で利用するものは大体あります。

元々は当然パラグアイ人が経営していたのでしょうが、日本人が移民してくると日本人経営のお店が増え、アスンシオン市内には今でもある程度日本人がこのようなお店を経営しているのですが、今では韓国人が経営しているお店が増えているようです。元々日本人が経営していた店の場合、店名はそのまま例えば「FUJI」などという名前を付けたまま韓国人が経営しているケースが多いようです。ただ当初より韓国人が始めたケースでも店名に日本名を付けることもあるようです。また多くの場合、「DESPENSA」とか「SUPERMERDADO」などという看板が出ています。

韓国人経営のお店のすごいところは「休まない」という事です。とにかくお店が閉まっていることが無いのです、土曜日・日曜日は勿論のこと平日も深夜までやっているお店が多いのです。いつでも開いているということは、何かちょっと必要な時には便利な存在です。このように韓国人が休まず働くので次第にパラグアイ人のお店も対抗上店を開けなければならなくなり、最近では買物は日曜日にという感じになって来ました。移住して来た時とは大変な違いです。

韓国人のお店にも色々なタイプのものがあり、看板もハングル文字で書いているお店もあります。店の中を綺麗にしている店もありますが、看板が倒れそうになっているようなお店もあり、様々です。なおこのお店、左側に書かれているのは「食品店」そして右側が「ビデオ」です。

(写真)韓国人経営の「よろずや」


121・果物屋(2000年 4月01日)

アスンシオンに来て当初大いに期待したのは果物です。亜熱帯の気候で様々なフルーツがあるのではないかと、しかしそれは期待はずれに終わりました。果物に限らず同じ亜熱帯と言いましても東南アジアの食材の多様性と比較すると本当に食が狭いという気がします。何故か誰もが何時も同じ様なものを食べているように見えます。あの中国や東南アジアで見られるような食のたくましさというのは余りお目に掛かりません。

果物に関しては青果物の流通に問題があるのかスーパーに行きましても新鮮なものは少なく、どちらかと言いますとかなり「くたびれた」のが並んでいます。中央市場に行けばある程度品質の良いものが買えるのでしょうが、市内中心部からは結構距離があり、そう容易く行けるような場所ではありません。

後は路上で売っているのをよく見かけます。夏の季節は西瓜が断然多いように思います、そしてメロンが多いようです。そして秋から冬にかけては柑橘類、オレンジとグレープフルーツが大きな袋に詰めて売られています。そしてもう一つ人気があるのはバナナです。1ダースのバナナが安い時には千グアラニ程度で売られています。(30円程度です)

東南アジアと似たような気候だと思い、例えば香港などでよく見掛けるライチー、楊貴妃の果物として有名で非常に美味しいのですが当初はありませんでした。しかしこの数年中国食材を扱う中国屋などで見掛けるようになって来ました。聞くところに拠りますと気候的には問題は無い様で、植えれば沢山実を付けるのだそうです。今までパラグアイ人は食べる習慣が無いので売る市場が無いので無いだけのようです。マンゴスティンなど他の果物もその内出て来るのでは?と期待しております。 

他の国でよくあるような果物屋さんというのは、ほとんど見掛けないのですが、ボジアニ通りになかなか雰囲気のある一軒を見つけました。写真でご覧いただけますと判るように並べ方は日本とよく似ています。昭和40年代のレトロ調のお店といった感じですね。沢山あるように見えますが、やはり売っている種類は少ないようです。

(写真)果物屋(ボジアニ通り)


130・OA化(2,000年 4月29日)

当地に移住して10年近くが経過しますが、一番変わったのはオフィスのOA化だと思います。当地に来たときにはパソコンもファックスも無いのが当たり前という状況でした。パソコンの普及と同時にFAXも急速に普及しています。中流以上の家庭ではまず持っているようになって来ています。

便利な点と価格の低下の相乗効果だと思います。価格の方はエステ市に行きますと大体150ドル程度から商品があり、この値段であれば、かなりの人が買う事が出来ます。ただパラグアイでは現在でも電話事情が非常に悪く、FAXの為に専用の回線を用いる人はまだまだ少数で電話と兼用というのが普通です。電話に出てもらい、それからFAXのボタンを押すというのが一般的だと思います。日本ではこのような場合どうでしょうか、多分「FAXに切り替えて下さい。」等と言うのでしょう。パラグアイでは「FAX音を自分に与えて下さい。」というのが普通です。言葉の性格もありますが、日本語との相違を認識します。

この上に急速に最近では携帯電話が普及して来ており、アスンシオンでの若者のライフスタイルは日欧米の先進国と比べて大きな違いは無くなって来ているように思います。どこに行っても同じような生活が享受出来る時代になって来ているというわけです。反面、パラグアイののんびりとした良さも薄れて来ているように思いますね。また田舎と都会との文明的な格差も広がって行くように思います。


129・スーパーマーケット(2,000年 4月29日)

パラグアイで一番よく買物をする場所と言えば日本と同様スーパーマーケットだと思います。並んでいる商品の種類には多少違いはありますが、生活に必要なものなら何でも買えるスーパーマーケットは便利な存在ですね。雑貨、食品などをカートに入れて廻り、最後にレジを通るまで大体手順も同じです。日本ですとそれこそ毎日、まめに買物籠に入るだけ、その日の買物をする奥様達が居ますが、当地ではまとめ買いが基本、カートに山と商品を入れて行きます。

中で一番混雑しているのが精肉売り場でしょうね、沢山の人が順番を待っています。売り場の端の方にある番号札を取り、自分の順番を待つのです。順番待ちをしている間に他の買物を済まそうとする人が多いのか不在の人も多く、番号が呼ばれた時に大きな声で応えないと直ぐに飛ばされてしまいます。キロ単位で何種類もの肉を買い込む人が多いのでカートが肉で一杯になっている人も多いのです。その隣が「ソーセージ・ハム、チーズ売り場」です。こちらも番号札を取って待っていなければなりません。またパンの売り場ではその場でパンを焼いて提供しているスーパーが多いので、焼き立てのパンの香りが漂っていることが多いのです。

果物、野菜、ミルク、ヨーグルトなどそして石鹸、電球、洗剤、紙類などを買い込み最後にレジを通ります。レジのやり方も日本と同様です。日本ですと現金で支払いを済ませる人が多いのですが、当地ではクレジット・カード、小切手を利用する人が多いのが特徴ですね。そしてレジが終わったら買物袋に詰めなくてはなりませんが、日本ですと自分で詰めるのが普通ですが,当地では大体15歳くらいの男の子がやってくれます。袋に積めて、自動車まで運搬し自動車まで積み込んでくれます。これが彼等の仕事、チップが収入となるのです。これで対価としてどれほど払うのか?と言いますと、昔からバス代一回分程度が目安といわれており、現在のバスは千グアラニ、(30円程度)、これをチップとして渡すわけです。


128・姉妹都市(2,000年 4月08日)

国際的な友好親善を図る為に「姉妹都市」なるものを締結して交流を促進して行く事があります。パラグアイと日本の間には「アスンシオン市-千葉市(千葉県)」ともう一つ「サン・ロレンソ市-竹田市(大分県)」という姉妹都市関係があります。アスンシオン市と千葉市は双方とも大都市であり、多方面で交流を深めており、例えばアスンシオン市のゴミ問題に関しては千葉市から専門家が来ていました。都市としての規模も同じ位でなかなか良い縁組だと思います。

もう一つの組み合わせである「サン・ロレンソ市-竹田市」というのはどのような経緯で姉妹都市になったのかよくは知りませんがなかなか面白い組み合わせだと思います。竹田市は豊後竹田として知られており、荒城の月を作曲した滝連太郎の出身地であり、そのモデルとなった岡城の城下町としての伝統がある町です。先年その竹田市から交流団が当地を訪問しサン・ロレンソと交流を行っていました。その時に記念公園がサン・ロレンソ市の一画に造られました。場所はアスンシオン市から行くとサンロレンソ市に入る手前、日系自動車代理店の裏手にあります。公園の入り口には友好のモニュメントがあり、その前には花が育つようにと棚が造られています。公園の中はまだまだこれからという状況ですがこのユニークな両都市の親善のシンボルとして整備されて行くことでしょう。今後このユニークな姉妹都市の親善交流が発展して行く事を期待しております。

(写真)竹田市・友好公園(サン・ロレンソ市)


127・金融会社ホームページ(2,000年 4月07日)

仕事上、取引のあるある金融会社から招待状が来ました。それによりますとパラグアイの金融会社として始めてWEB(ホームページ)を立ち上げ、そのお祝いをするというのです。時間もあり、特に用事も無いので出掛けてみました。市内の中心部にあるこの金融会社、比較的新しく設立は6年前だそうで、最近他の同業者を買収し規模を拡大し営業を拡大する目的でこのWEBを立ち上げたというのです。

招待状には「18:00」と書かれており、まあパラグアイ時間で多少は遅れるだろうがビジネスなので15分くらい余裕を見て行ってみたましたが、覗いてみますとまだ誰も来ておらず、付近のお店で15分くらい時間をつぶしてから行きました。中に入りますと、女子社員はユニフォーム、男性社員は全員濃紺の背広と意外にびしっとしていました。中央には今日の主役のパソコンが鎮座しており、立ち上げたWEBの表紙が表示されていました。その脇には牧師さんが立っているという日本では余りお目にかからないような光景を見る事が出来ました。7時近くになり、ようやくセレモニーが始まりました。まず司会者が挨拶し、牧師さんが新しいWEBのお払い、お清めを行いました。当然ですが、マイクがあり、それを利用して話をするのですが、どうも調子が良くなく、途中で切れたり聞き苦しかったりしていました。作者は日本でもセレモニーに出席した経験がありますが、音響には細心の注意を払い、何回もテストをしたものです。それでも時々調子が悪い時があり冷や汗をかいたものです、上司には睨み付けられ走って行って調整したものです。パラグアイではそのような事はありません。多少聞き苦しくても従業員はいたって平静、特に慌てる様子もありません。聞こえれば問題は無いだろうという様子でした。

WEBはまずまず出来栄えで、クリックすると投資の依頼も出来るようになっています。どうやって作ったのか尋ねてみましたところ、欧米のページを色々と見て参考にして作ったとのことでした。まだスペイン語だけですが、将来は英語のページも作りたいと話をしていました。下記にURLをリンクしておきます。興味のある方はご覧下さい。

「FINANCIERA PACIFICO S.A.」(スペイン語)


126・インターネット書店(2,000年 4月06日)

ある時、インターネットで日本の方から問い合わせがありました。アスンシオンに在る書店に本を買う為に注文を出し代金を郵送したが先方に届かず、半年近くかかっても入手出来ないでいる、というメールがありました。事情を尋ねてみるとアスンシオンの書店宛てに代金を郵送したがどこかで行方不明になったというのです。パラグアイの郵便事情は非常に悪く、代金が到着しない事もあり得ると思い、少しでもお役に立てるかと思い、そのインターネットのページを開き住所と電話番号を控えて訪問してみました。

実際に行ってみますと住宅地の中の写真で判るように、外見からはごく普通の民家なのです、取り立てて書店という印象はありません。ブザーを押してみますと中からかなり年配の女性が出て来ました。中に入ると8畳程の広さに本が積まれており、およそ書店という雰囲気ではありませんでした。本を見てみますとパラグアイで発行されている本でどうやらインターネットで本を販売しているようなのです。この店のおばあさんにあらかじめ本のリストを渡していたのですが、店番をしているだけの様子で何がどこにあるのかただオロオロと部屋を探すだけで全く要領を得ず、尋ねてみますと、「自分は店番でオーナーに取り次いであげる」と言うのです。このまま居ても仕方が無いので必要な本のリストと電話番号を置いて帰って来ました。

暫くしてオーナーなる人物から電話があり、必要な本は揃えたので取りに来て欲しいとの連絡がありました。オーナーなる人物から本を無事に受け取り用件は達成されました。話を聞くとドイツに行っていて最近帰って来たのだが、何か商売をと考え、ドイツでパラグアイの本を入手し難いという話を耳にしていたのでこれを商売にと最近WEBを立ち上げて本の商売を始めたという事でした。

それにしても日本からの送金は本当に到着していないのでしょうかね??若干疑問に思って疑ってしまう作者です。

(写真)インターネット書店



135・春分の日(2,000年 9月23日)

今日は日本では「秋分の日」秋のお彼岸という事で国民の祝日となっています。当然のことですが、パラグアイの在る南半球では「春分の日」となります。日本の春分・秋分は厳密な計算?の元、一番昼と夜の長さが同じとなる日をそれぞれ春分の日、秋分の日と決めているようで、年によりその日が多少前後します。それに対してパラグアイでは「春の日」は9月21日に決められています。またこの日は青年の日とされており、各地で若者のイベントがあります。今年は全国で10万人の学生が参加して「清掃活動」を行いました。アスンシオンの街でも至る所に若者の姿がありました。街を綺麗にして「浄化」しようというわけです。面白いのはそのスタイル、ユニフォームは下はジーンズ、上はサッカーのナショナルチームのユニフォームというものです。

それにしても今年はちょっとした異常気象のようです。大体9月に入ると寒さはもう来ないのが普通ですが、今年は何回か寒波が来ています。この春分を過ぎてからはまず「寒い」ことは無いのが普通なのですが、この週末はまた寒くなるようで、今度の月曜日は最低気温予想が10度となっています。この季節は体調を崩し易いのも特徴です。陽射は強く、時には気温が30度を大きく超える事もある反面寒波が来ると途端に気温が下がるからです。これからは毎日昼の長さが長くなります。そして10月に入りますと夏時間が始まり、1時間時計を進めます。夕方が急に一時間ずれるという訳です。


134・長距離(2,000年 9月23日)

パラグアイに来て、時々仕事や所用で長距離を運転する事があります。まず北に行く時にはエステの方向に180キロ、コロネル・オビエドに向い、そこから北に向う道を走ることになります。サンペドロ、ペドロ・ファン・カバジェロに行く時にはこの経路で行きます。ペドロ・ファン・カバジェロまで約500キロの旅となります。そして西パラグアイ、チャコに行く場合にはトランス・チャコという道路を走ることになります。アスンシオン中心部から約20キロの地点にパラグアイ河を渡る橋があり、それを越えるとチャコ方向に向う道路があります。「トランス・チャコ」と呼ばれており、将来は遠くボリビアまで舗装されることになっています。現在まだ途中からは舗装されておらず、ボリビアまで行くには4輪駆動の自動車で出掛けるのが無難のようです。最近このトランス・チャコからコンセプシオンに抜ける道路が舗装されました。以前コンセプシオンに行くには他の北方の都市と同様にコロネル・オビエドを経由して行くしか方法がありませんでしたが、現在はこちらのトランス・チャコ経由で行くことで時間的にも短縮されました。

南のエンカルナシオン方向に行く場合、単調な景色の中に大きな川が在り、そこにビジャ・フロリダというリゾートが開発されています。アスンシオンから行くと約160キロ地点、エンカルナシオンからですと約200キロ地点にあり、丁度休憩を取るのに適しています。川には橋が架りこの橋を渡り切ると河畔にレストランがあります。名物は魚のスープです。ここで休憩を取ると長い道のりも楽に感じられます。アスンシオンからエンカルナシオンまで365キロ、丁度一年の日数と同じですね。

(写真)ヴィジャ・フロリダに架る橋


133・南へのアクセス(2,000年 9月21日)

アスンシオンにこちらに来る前は大陸のど真ん中に在るので四方八方へ道が通じていると想像していたのですが、実際にはこのアスンシオンは「どんづまり」で出口はサンロレンソで分かれるエステ市、ブラジルに向う東に向う道路と、エンカルナシオン市、アルゼンチンに向う南に向う道路の2本だけが出口となっていました。アスンシオンから出て行くにはず、まずとにかくサンロレンソに向い、そのいずれかの道を走る以外無かったという訳です。

ところがこのサンロレンソ市は日に日に成長を遂げており、市内の生活道路して、また通過の為の道路として何時も道路は渋滞して、このサンロレンソを抜けるだけでかなりの時間を要しています。この交通緩和の一環としてこの度南に行く新道が開通しました。この道路、アスンシオン市内は既存の道路を走り、ニェエンブという街を通り40キロ位の地点で既存の国道一号線と合流します。エンカルナシオンを始め南部に行く時にはこちらを利用出来るようになりました。これで混んでいたサンロレンソを通過しなくても南方向に行けるようになり、時間的には約30分くらいの短縮になります。道路の出来もパラグアイとしてはまずまずで快適に走る事が出来ます。ニェエンブの街を過ぎると全く新しく作った道路の部分に入りますが、全く何もありません。既存の一号線沿いにはそれなりに人家がありますが、新道の方は人の気配が無いのです。パラグアイはアスンシオン近郊でも道路沿い等限られた場所にしか人家が無いことを改めて知り、だまだこれからの国なのだと再認識させられました。また新しい道路には既存の道路と違い料金所が無い(未完成)なので無料で走行が可能です。これも魅力の一つですね。

現在リンピオから北部に行く道路が急ピッチで整備されて来ています。ようやくアスンシオンも開かれた街になって行くと思います。それにしても一番の幹線である東方向の道路へのバイパスは何時になったら出来るのでしょうね。


132・チャベス(2,000年 9月21日)

チャベス移住地は戦前に入植が進んだコルメナ移住地を除く戦後の移住地の中では最も古い移住地だそうです。チャベス移住地はエンカルナシオン市からエステ方向に向い国道6号線を20キロ程行った所にあります。行政地域はカピタン・ミランダ市に属します。隣接するラパス移住地は別の行政地域になり、それぞれ別の移住地として日本人会も別になっています。パラグアイの移住地の中では一番規模の小さい移住地のようです。国道からラパス移住地に向う道路の両側に夏は大豆、冬は小麦の見事な畑が連なります。40年以上前に入植が始まった時には原始林で、テント生活から始めたと聞きますが、今の風景を見ているますと全く想像が出来ません。このラパス移住地に向う道路は完全舗装されて、今ではエンカルナシオン、アスンシオン等にも容易く行く事が出来ます。入植当時は国道すら舗装されておらず、歩いて何時間も掛けてエンカルナシオンまで行ったこともあったそうです。

日本人会館、日本語学校もあります。一時子供が全くおらず、学校は閉鎖されていたそうですが、現在は沢山の児童・生徒が通っています。今年からは日本から青年ボランティアの先生も来て、皆日本語を勉強してます。他の移住地では2世同士でも日本語を使用する事が多いそうですが、チャベス移住地はスペイン語が使われています。一番エンカルナシオン市に近く、移住地外との交流が多かった為かも知れませんね。

現在チャベス移住地で盛んなのは「パークゴルフ」です。今ではパラグアイ全国で人気があるスポーツ、元々はこのチャベスから始まったのです。北海道から井沢さんがこのスポーツを導入、自分の土地に立派なコースを造成して開放しています。井沢さんの敷地内なのですが、誰でも自由にプレーして良いのだそうです。作者もある日、訪問しましたが多くの方がプレーをし交流の場として活用されているようです。

(写真)パークゴルフ場


131・オルデナンサ(2,000年 7月07日)

世の中が複雑になり、日本でも色々な職業がありますが、当地では一般的であって、日本に無い職業と言うものが存在しています。それが「オルデナンサ」です。オフィスボーイという名称で呼ばれる職業で、要するに雑用係りと言えます。銀行に行く、事務所のちょっとした用事を済ませる事などを職業にしています。日本では一般的に女性社員が受け持っている仕事です。このオルデナンサ、若い時代に仕事を覚えるまでの期間見習として行うという場合が多いようです。オルデナンサをしているから教育程度が低いとも限りません。大学に通学しながら昼はオルデナンサとして働いているというケースもよくあります。学校を卒業したら正社員として採用となる場合がよくあります。

その他には「コブラドール」という職業もあります。要するに集金人です。きちっとした支払いをする事が商売上の信用という意識がある日本、支払いが滞る事は避けるのが普通だと思います。当地では支払うものはなるべく後で、と考える傾向が強く、あれやこれや理由を付けて支払いを延ばすことが多いようです。商売をしていて一番大事なのをはお金を頂くこと、コブラドールの善し悪しが商売の成否を決めると言っても過言ではありません。集金不能で未収金が不良資産として償却せざるを得なくなったら大変です。

日本などの先進国では人件費が高いので一々手間を掛けていたら経費が嵩んでどうにもなりませんが、パラグアイでの人件費はまだまだ安いのでこのような職業が成り立っているのでしょう。



140・中国式公園(2,000年10月07日)

以前取り上げた「蒋介石の銅像」を見に行って来ました。

以前紹介した蒋介石の銅像

中国式の公園は市内では珍しく、きちんとした形で在るのはここだけだと思います。この公園は「アベニーダ・蒋介石」に在りますが、市内にある「アベニーダ」で個人の名前が付いているのは多々ありますが、ほとんどはパラグアイの英雄もしくは南米の独立に貢献した志士達の名前が記されています。この「蒋介石」が唯一の東洋系であると思います。(親日国なのですが、日本人の名前はありません。)

以前ここに来た時には銅像はペンキで汚されていましたが、現在は綺麗に整備されており、土曜日の午前中でしたが、清掃中でした。蒋介石(中正)氏は毛沢東との内戦を戦った軍人で、国民党台湾政府で指導的な立場に居た人ですが、銅像を見てみますと、杖を持っていて頭は薄く、どうやら晩年を模写したように思えます。碑文を見てみますと日付は「1986年10月31日」となっており、「パラグアイ共和国大統領・ストロエスネル」の名が刻まれています。台湾政府としてはパラグアイは南米唯一の「中華民国承認国」ですので、非常に大切な存在なのでしょう。

公園は広いアベニーダ中央分離帯にあり、それほど広くなく、この銅像と2つの小さな建物が在ります、特にベンチなどは無く、座ってゆっくりするという感じでは無いのはちょっと残念ですね。アスンシオンを訪問して時間が余っている時にはちょっと寄って見ては如何でしょうか?

(写真)中国式公園

(写真)蒋介石銅像


139・ニュグアス(2,000年 9月30日)

パラグアイでも最近は健康ブームなのか、ウォーキングがはやっています。アスンシオンでは普通の道ですと自動車の往来が多く、危険です。そこで公園でウォーキングを楽しむ事が一般的になって来ています。大きな道路の中央分離帯を遊歩道にしたり、公園の中に遊歩道を作ったりしています。特に市民に人気が高いのはニュグアスの公園です。この公園、正確にはルケ市にあります。空港から市内に向う場合、空港から5分程、サッカー南米連盟本部の建物を過ぎると右側に広がっています。かなりの面積があり、子供の遊具、サッカーのグラウンドなどの設備もあります。

お腹の出具合が気になっている作者も土曜日の夕刻に歩きに出掛けてみました。行ってみますとその人出の多さに驚きました。主に家族連れが多くウォーキングもしくはジョギングをしている人が多いのですが、自転車やローラースケートを楽しむ人もいました。また。空港に隣接していますので、時折ジェット機が直ぐ上を通過して行きます。

(写真)ニュグアスの公園


138・IPT病院(2,000年 9月29日)

パラグアイでも勿論、社会保障制度があります。企業などに勤務すると日本と同様に社会保険料を徴収され、病気になると無料もしくはそれに近い料金で医師の診察を受ける事が出来ます。その病院がこのIPTの病院で、アスンシオン市ではサクラメント通り沿いにあります。住宅地の一等地にあり、敷地は広大で、建物の外見は非常に立派で、たのもしく見えます。

ただし、評判は余りよくは無いようです。多少ともゆとりのある人はここへは来ないで私立病院に行く事が多いようです。作者も勇気が無いのでこちらの利用は遠慮させていただいております。新聞にはこの病院での様々な問題がよく記事として出ています。長い時間待たされる、医師の診察も丁寧では無い、機材や医薬品も充分では無い、ストライキで機能していない等々。経済的な弱者にとっては「頼りの場所」なのですが、なかなか充分には機能しないようです。パラグアイでは医師の感覚も日本等とは多少違うようで、機材などは病院に属しているのでは無く、医師個人に属するというような話しを聞いた事があります。皆が安心して利用出来る病院があればと願うものです。

(写真)IPT病院


137・航空ショー(2,000年 9月29日)

パラグアイでも「航空ショー」があります。空軍が行うもので、市民との交流を図っています。行われた場所はアスンシオンからチャコに入りボリビア方向に自動車で10分程走った場所で、空軍の飛行場で行われました。案内には朝の9時から午後の5時までと書かれていました。夕方近くに出掛けてみました。結構な人出で賑わっていました。人の割には自動車が少ないので、多分近くの人が多く訪れているのでしょう。

見ていますと軍の飛行機と言うよりはむしろ旧式の遊覧飛行機という感じのものと、小型の飛行機が並んでおり、かろうじてヘリコプター1機が軍らしい雰囲気を出していました。遊覧飛行機らしきものに沢山の人が乗り込み遊覧飛行を行っていました。旧式の飛行機でちょっと危なげ?ですが、皆喜んでいる様子でした。乗客はと見ていますと、誰でもが乗れるようではなく、関係者の友人・知人のようです。

場内には、飛行機などの説明を行う人が居て、解説を行っているのを聞いていますと、「この飛行機は第二次世界大戦の時、米国で日本の攻撃を防ぐ為活躍した」というアナウンス、ゼロ戦等と同期生、何と60年前の飛行機と言う訳です。

パラシュートの降下などもあり、見ているとそれなりに楽しめましたが、どこかまとまりが無く、ダラダラとしている感がありました。最先端の飛行機が並びアクロバット飛行が披露される先進国の航空ショーとはまた違ったショーですね。

(写真)航空ショー

(写真)多くの人出で賑わった


136・9月29日(2,000年 9月27日)

明後日、「9月29日」はお休みなのか、どうか、今日皆の一番の話題でした。祝日ですと3連休になり、実はもう予定を組んでいる人も多いのです。ストロエスネル時代にはパラグアイには数多くの祝日があったと言います。 「働こう」の掛け声の元、祝日は一気に削減されてしまいました。実は10年前に当地に来た時に、カレンダーを見てショックを覚えました。祝日が少ないのです。ブラジルでは最大の休みであるカーニバルも平日と言うのには驚いたものです。

余りにも少ないというので6年前に「9月29日」が復活しました。年の後半、8月15日から12月 8日まで全く祝日が無かったので、皆大喜びでした。この9月29日すっかり定着していたのです。ところが、昨年の末、カレンダーを見ていると多くのカレンダーでこの9月29日が平日扱いになっているのです。最初は印刷のミスかと思っていましたが、よく聞くとこの9月29日の祝日は「5年間」に限り祝日とするという法令であったと言うのです。今年は6年目で、法令の期限が終了したので今年は休みでは無いと言うのです。ただもう定着した感のあるこの祝日を取り消すのも難しいだろ うという話しもあり、休みになるのかどうか両方の説が囁かれていました。

今週になり、「どうやら休みになるようだ」という話が有力になり、色々な行事が組まれたりしています。例えばセントロ日系では9:00スタートでパークゴルフ大会が行われるという話しです。ところが本日になり、「休みにはならない」という説が俄然有力になって来ています。正確には祝日にはならず、公官庁や学校だけが休みになるというのです。企業にとっては普通の日ということのようです。祝日にするという政令が出ていないというのです。もう明後日なので、休みと思っている社員達に「仕事だぞ」と号令を掛けても気合が入るものなのでしょうか?どのようになるのでしょうね。

9月28日・追記
「祝日」になるのかどうかは何と前日の28日でもまだ決定していませんでした。「明日は仕事」と皆考え出していたのですが、結局最終的には午前11時に政府発表があり、「祝日」とするということになりました。セントロ日系のパークゴルフ大会は日曜日に延期され、空軍の航空ショーは予定通り行われるようです。ただ月末の金曜日が急に消えてしまったので、会社によっては困惑しているところもあるようです。でも元々「休み」と思っていたのでそれ程の混乱は無いようです。

なお、この日は何の日かと言いますと「ボケロン要塞陥落の日」なのです。ボリビアとのチャコ戦争、エスティガリビア将軍は、1932年 9月 9日ボリビア側に占拠されたボケロン要塞を攻撃、この日に勝利を収めたのです。戦争は35年まで続き、最終的にはパラグアイ有利の元に終戦を迎えました。



145・看板(2,000年11月07日)

日本からアスンシオンに着いたばかりの方に第一印象を尋ねると「看板が多いし大きい」という答えが返って来ることがあります。またよく「あの看板には何が書かれているのですか?」という質問されることもあります。ある日本人は評して「香港のようだ」とのこと。 ここで生活しているとそれ程気にならない看板ですが、確かに改めて見回してみますと街中各種様々な看板で一杯になっているように思います。

よく見ますと中心部では道路に突き出している看板が沢山あり、正面から見ますと折り重なって見えます。看板の他に道路を横断する横断幕もあります。これらが街中に交錯していて何かごちゃごちゃした印象を受けます。タバコの宣伝、金融会社の宣伝、ビールの宣伝と内容も様々です。しかしながら街の「活気」を演出しているのも事実のようです。

看板屋は大繁盛なのでしょうが、見ているとどうも技術的にはいま一つと言う印象を受けます。アスンシオンの街が何となく「安っぽい」という印象を抱いておりましたが、看板のチャチさが要因の一つのような気がします。今後の看板業の技術の向上が望まれます。


144・撮影(2,000年11月07日)

アスンシオンの街を散策していると時々、撮影のシーンに遭遇します。テレビドラマなどのほとんどはアルゼンチンやブラジル(スペイン語に吹き換えて放送することが多い)からの輸入に頼っているという事情は他の産品同様です。ですからテレビドラマの撮影シーンに出くわすということはまずありません。特にスペイン語圏のドラマはそのまま放映出来るので作るよりは買った方が安くつくのでしょう。

しかしながら宣伝広告の需要は多いようで街で撮影しているシーンを見掛けることがよくあります。テレビを見ていますと様々な広告が出て来ますが、この小さいアスンシオンで撮影しているものが多く、大体はどこで撮影しているのか直ぐに分かります。

この日はショッピング・マリスカル・ロペスの地上階で撮影を行っていました。写真撮影ではなく、動画を撮っていましたので、多分広告・宣伝用のものであると思います。真っ赤なスポーツカーと美男・美女、さすがは美人大国?パラグアイ、絵に描いたような素敵なシーンですね。彼女が出て来て颯爽と自動車に乗り込むというようなシーンを何回も撮影していました。

(写真)撮影風景(ショッピング・マリスカル・ロペス)


143・レンタルビデオ(2,000年11月05日)

世界各地にある「レンタル・ビデオ」屋さん、このアスンシオンでは余り見かけません。地方都市に行きますとある程度の規模になりますと街の中心部に必ずありますが、アスンシオンでは小さいレンタルショップが散見されるだけです。街の規模から考えて、アスンシオンにはもっと沢山あっても良いように思います。

以前住んでいたアパートの近所にも一軒レンタルビデオ屋がありましたら、数年で潰れてしましました。アスンシオンでレンタルビデオ店が流行らない理由は幾つかあると思います。まず品揃え、日本のレンタルビデオ店とは比較にならない程のお粗末さで最新作、話題作を置いてあるケースは稀のようです。また古いビデオが多く画質が良くないことも理由として挙げられるでしょう。そしてケーブルテレビの普及、アスンシオンを網羅するケーブルテレビサービスが幾つかありますが、これに加入すれば映画専門放送が沢山あり、好きなだけ映画を見る事が出来ます。レンタルよりも最新、人気の映画を放映しています。

そしてもう一つ大きな理由はテレビのシステムにあるように思います。日本、米国など主要国が使っているのはNTSCというシステム、これに対してパラグアイはパル方式、それも特殊なパル方式を使っているので他のシステムと互換性がありません。当然ビデオもパル方式で用意する必要があります。コストも嵩むことでしょう。またこの為に米国などで作られているビデオを正規には取り扱えないというわけです。またアダルト系のビデオは不法にダビングされて街角の雑誌売りのアルバイトになっていることも要因の一つかも知れませんね。

DVDに関してはどのようなことになるのでしょうね?南米はゾーン4で、アスンシオンでは数は少ないですが、主にこの正規の4の商品が売られています。これに対して米国は1、日本は2となっています。エステ市で売られている機械はブラジル向けでNTSCで、ほとんどがこの両方のものを見る事が出来る商品のようです。アスンシオン一部のレンタル店ではDVDを置き始めていますが、これも正規の4に限られているのでまだタイトル数が限られているようです。余り商売として発展はしないかも知れませんね。


142・売り家(2,000年11月04日)

最近アスンシオンの街で目に付くのは「売り家」の看板です。住宅を売りたい時には家主は物件に「売り」という看板を掛けておくのが一般的です。大体の場合には「売り」の看板の下には電話番号が書かれています。勿論パラグアイにも多くの不動産会社があり、そこで取引の仲介をしている場合もありますし、直接個人が取引を行う場合もあるようです。

最近この数年、とみにこの「売り」の看板が目立つようになって来ました。不景気で家を売りたいという人が増えていることもありますし、住宅の供給が多少過剰になって来ているのかも知れません。建てれば売れるという事で安易に住宅が建設されている傾向があるように思います。近所を見回すと建売の物件が増えており、見掛けは大きく見え見栄えは良いが実際にはかなり間取りが小さいという物件が増えています。日本の建売のケースとよく似ていますね。(でも日本と比較すると格段に大きいですが)下の写真の通り、近くにも一軒かなり大きな家が新築されました。塀などは無く、家の外から覗くと中庭が見えます。ただよく見ると意外に小さいのです。値段は結構強気に付けられているようで未だに買い手は居ません。手入れはよく為されていて、毎日清掃、庭の手入れに人が来ています。果たして入居者は現れるのか注目して見ています。

最近は従来の一軒家だけではなく、アパートのような集合住宅、厳重な囲いを作り安全にこだわった住宅、一軒を二つに分けている住宅(ほとんどは左右対称に作られている)なども増えています。住宅の多様化が進んでいるように思います。

売りの看板を見ていると「VENDO」というのと「VENDE」というのがあります。現在分詞と普通の三人称なのですが、何と無く気分の差を感じますね。「売っていますよ」というのと「売りに出ています」という感じでしょうか、やはり前者に多少なりとも積極性を感じます。都市がある意味で次ぎのステップに脱皮する過渡期に差し掛かっているような気がします。

(写真)建売(塀は無い。毎日、清掃している)

(写真)売り家


141・火焔樹(2,000年11月04日)

アスンシオンの街は一年中色々な花が咲いています。一年の中で一番目に付くのは勿論有名な「ラパチョ」ですが、初夏になると炎のような花が街中に咲きます。実は何と言う名前か知りませんが、火焔のような感じです。真っ赤と黄色があり、またこの花は木全体に咲き、この木が並んでいるのをちょっと離れて見ているとまるで「紅葉」のように見えます。日光に当たると本当に見事なものです。

初夏の暑い時期になると毎日暑いのですが、雨が降った後に非常に済み切った爽やかな日があります。日本では秋の日にポカポカと暖かい日を「小春日和」と呼びますが、これに対して「小秋日和」と呼びたくなるほどです。そしてこの火焔樹を紅葉に見たてると「秋」という気分になります。実際にはこれから半年の間、長い暑い夏が来るのですが、一瞬爽やかな気分に浸る事が出来ます。

(写真)火焔樹-赤色:紅葉に見えませんか?

(写真)火焔樹―黄色



150・バス停(2,000年11月25日)

市内の交通の主役はバスです。電車など走っていないアスンシオンの街、庶民の移動の手段はこのバスしかありません。近年アスンシオン市も地方からの流入者が増加して人口が急激に増加し、都市圏が膨張しています。かなり遠方からバスを利用してアスンシオン中心部まで働きに来ている人も多くなっています。最近では通勤に1時間かかることも珍しい事ではなくなっているようです。都市の膨張にインフラ整備が追い付いておらず、バスや自家用車の増加で朝夕のラッシュ時はものすごい渋滞になっています。

このバスに乗るには決められているバス停で乗車することになります。バス停の雰囲気はそれほど特異なものではなく、日本のバス停と似たようなものです。バスの路線番号に対応している行き先と経由地が記してあり、目的地の地名が分かれば乗ることが出来ます。ただ見ていますとバス停で待っている人達は如何にも不安げで、一所懸命バスが来ないかと見ています。日本ではバスは安全運転、安全を確認する事が当たり前ですが、当地ではバスは「神風」で自分の都合で走ります。バス停に近づいてバス停付近が混んでいると見るとかなり離れた場所に停止します。乗客はそれを見極めると走って行って乗り込まなくてはなりません。最後の乗客が乗るか乗らないかという状態でバスは発車します。慣れないと非常に危ないのです。

下りるのはどこでも良いようで、赤信号の時にはさっさと皆降りて行きます。自動車を運転していて注意しなくてはならないのは2車線の場合、中央寄りの車線走行しているバスからも乗客が降りることがあるという事です。停止しているバスからは人が降りてくる可能性を何時も頭に入れて運転しなくてはなりません。

運賃は現在1100グアラニです。大体40円くらいでしょう。バスの運賃は均一でワンマンですので、乗った時に支払います。小銭を用意しておく必要があります。ある程度距離があっても同じだそうで、空港からセントロまで乗ってもこの値段です。ただ乗り換える場合にはその都度支払います。定期券などというものは無い様です。また日本のように会社が負担という事もありません。ですから通勤に2回乗り換える必要がある人は一日6600グアラニ必要となります。一ヶ月20日通勤すると約13万グアラニ必要となるわけです。最低給が70万グアラニのパラグアイでは決して少ない額ではありません。


149・ランバレの丘(2,000年11月24日)

ランバレの丘はアスンシオン市とランバレ市の市境に在り(実際にはアスンシオン市)、展望の良いこの丘はアスンシオンの名所の一つです。多少の起伏はあるもののほぼ平たいアスンシオンの中で何故かここだけが高くなって小高くなっている、ここからの景色はすばらしいもので、チャコの地平線を見る事が出来ます。またアスンシオンの街が木々に覆われているのがよく分かります。

頂上にはキリストの像と公園があり、日曜日ともなりますと丘の上にあるこの公園は人で一杯になります。多くの人達は若い人で、デートに来ていてすっかりと二人の世界に入っているカップルも目に付きますが、多くの場合はグループで来ていて、ロックのような音楽を大音響でかけてビールなどを飲んで過しています。他に行くところも無いので来ている、人が集まっているから来ているというように見えます。確かにアスンシオン市内にはプラプラと気軽に出掛けられる場所が少ないように思います。繁華街といっても大したものではないし、後はショッピング・センターくらいでしょう。パラグアイの生活に不満はないが、時々「歌舞伎町を散策したい!」という気持ちになる事があります。

(写真)ランバレの丘(ある日曜日)


148・DVD(2,000年11月24日)

今、世界は「IT・革命」というのが起きているそうです。デジタル技術の発展が急で身の回りにも変化が起きています。テレビ、ヴィデオも革新的なものが登場し、また価格の低下も大きく、テープ1本100円程度で買える時代になって来ました。そして「DVD」大分前からポスト・ヴィデオの呼び声が高く、余りの高性能性に米国の映画界が恐怖を持ち、わざわざ色々な制限を付けて販売しています。

その最たるものが、ゾーン分けでしょう。米国が恐れるのは「中南米」と「日本」なのでしょうか?それぞれ独立のゾーンとなっています。日本などはあの小さな島国で単独の「ゾーン・2」なのだそうです。そして中南米は「ゾーン・4」ということになっています。米国は「ゾーン1」でこの3つの地域には互換性が無い様になっています。要するに中南米では米国のソフトは見る事が出来ないということになってしまったのです。こうでもしないと米国では安心出来ないのでしょう。この米国の都合で作られたルール、中南米の人達がおとなしく従うとは到底思えません。実態パラグアイで売られているDVD再生機はゾーン1と4の両方見る事が出来る器械です。正式のゾーン4だけという器械はありません。そして売られているDVDは全てNTSC対応のもののようです。値段はグングンと下がり、とうとう日本のあるメーカーの製品で200ドルを切るものが登場しました。これなら手が届くと最近買ってしまいました。

さて、家に設置して何時でも見る事が出来る状態となりましたが、果たしてソフトはあるのか?心配になって来ました。DVDに詳しい友人に問い合わせると、アスンシオンには既に「貸し・DVD屋」というDVDだけを置いている専門店があると聞き、早速行ってみました。確かにDVDだけでそれも結構タイトルがあり、また訪問する人も以外に多いのです。アスンシオンでは余り貸しヴィデオ屋さんが繁盛しなかったのですが、これはテープの質にかなり問題があったことが原因しているように思います。アルゼンチン辺りで散々使ったお古を持って来ているようで、画像は良くなく、下手をするとヴィデオ再生器械のヘッドを痛めてしますのです。おまけに当地はPAL方式ですので、どうしてもタイトルが限られてしまうようなのです。これに対してDVDであれば劣化の心配はありません。安心して借りる事が出来ます。

貸しDVD屋さんであれこれ見ていると、ゾーン4のDVDなのに「日本語」というのを見つけました。試しに借りてみますと確かに日本語の吹き替えも付いている。1回目は日本語の吹き替えで見て、2回目は英語で日本語字幕で見ました。同じ映画でもかなり違った感じに見えるのは不思議なものです。今後は日本から少しづつDVDを取り寄せて行きたいと思います。レザーディスクでは運ぶのに苦労しましたが、DVDなら簡単、郵送も楽に出来ます。とにかく我が家に「DVD」がやって来ました。これから急速に普及して行くのではないでしょうか?

(写真)貸し・DVD店(ショッピング・ヴィジャ・モラ)


147・コンビニ(2,000年11月12日)

日本の経営で世界に誇れるものに何があるのでしょうか?米国の経営学の教科書には「自動車のトヨタの看板方式」と「セブンイレブン」の二つが挙げられているそうです。今や日本の小売業の主体は「コンビニ」になっているようですね。

当地でもこのコンビニ?が登場しています。「エッソ・ショップ」というような形でガソリンスタンドに併設して作られているのです。中に入りますとコンビニ風の作りです。まだまだ未整備で日本のような細やかさというものはありませんが、一応色々なものが置いてあり便利ですね。朝から深夜まで営業しており、普通のお店が閉まっている時にはありがたいものです。新聞が欲しいとか、喉が乾いた、お腹が空いた時に利用する人が多いようです。ただ深夜にはアルコール類は販売しないそうです。

この数年、大型スーパーが相次いで開店し、またこのようなコンビニが出来、アスンシオンの小売業の形態に大きな変化が起きています。

(写真)コンビニ


146・ソーセージとハム(2,000年11月12日)

パラグアイは内陸国、海が無いので魚を食べる機会は限られており、蛋白源として肉が主に食べられています。そして多く食べられてるのがその加工品であるソーセージとハムです。余り主役になることはありませんが、アサードの時にはソーセージはその前座を務めることが多く、肉が焼けるまでマンジョカと一緒につまむ事が多いのです。

ハムは日本と同じ様に1本売りと薄く切って売っているものがあります。スーパーや小売店で色々な種類が売られており、食べて見ますと非常に美味しく、毎日のように食べています。特に美味しいと思うメーカーは「オチ」ですね。他のハムと比較すると少々値段は高いですが、旨みがあり、気に入っております。一度サン・ロレンソ市にある工場に行きましたが、ドイツ系の人達が経営しており、よく管理された工場に感心しました。

ソーセージは当地では「チョッリッソ」と呼ばれており、アサードに欠かせないものです。普通「ピカン」と呼ばれる多少辛味を付けているものと「シン・ピカンテ」と呼ばれる辛味を入れていないものがあります。見分け方はソーセージの繋ぎの金具が白は「シン・ピカンテ」、赤は「ピカンテ」という事になっています。そしてもう一種類よく食べられるのが黒いソーセージで「モルシージャ」と呼ばれています。これは血を素材として作られるソーセージです。また子供が大好きなウィンナー、そしてビールの友、サラミも勿論あります。本格的なソーセージを味わうのであればやはりドイツ料理店に行かなくてはなりません。こちらのレストランではソーセージが主役です。豚肉をそのまま食すことは余り無いパラグアイですが、このように加工品として食する事が多いのです。

(写真)ソーセージとハム



155・チパ売り(2,001年03月25日)

日本ですと伝統的なおやつに煎餅というのがありますが、これに近い存在と思えるのが「チパ」です。ちょっとした空腹を満たすのにとても良い食べ物です。バスに乗って国内を移動する際には以前は食事時間になると休憩を兼ねて国道沿いのレストランに停車する事が多かったのですが、時間的なロスが大きいのか最近はノン・ストップが多くなっています。途中でチパを売る、売り子を乗車させて車内販売させることが普通になっています。大体が二人一組で乗って来て、赤いミニスカートをはいている。若い娘さんですと似合っていると思うのですが、年配の方や大き目の体型方も皆さんこの格好なのです。一人はチパを売りもう一人は飲み物を売っています。大抵の場合には、コシードと呼ばれるマテ茶を焦がして砂糖を入れたお茶とオレンジ・ジュースです。

もう一箇所チパ売りが活躍するのがサッカー競技場です。サッカーの競技場ではアルコール類の持込は厳しく制限されており、また販売もされていません。その他「投げられる物」はまず持ち込み禁止です。ほとんどの観客は手ぶらか応援グッズもしくは座布団くらいを持参して応援に来ます。当然お腹が空きます。売っている食べ物は「チパ」、売り子が始終回って来ます、女性も多いのですが、大量に運べる男性も多く活躍しています。不思議なのはタオルをくるくると巻き円状にして頭に載せているのです。目印なのでしょうか?この理由は分かりません。

このチパ、パンのようなもので、固くちょっとボソボソしています。チーズの香りが強く最初は食べ難く敬遠していましたが、今ではサッカー観戦の時には必ずと言って良いほど食べています。パラグアイに来たら是非チパを食べながらサッカー観戦に行きましょう。

(写真)サッカー競技場のチパ売り


154・ワルツ(2,001年03月25日)

日本ですとケーキカットが結婚披露宴のメインになるのでしょうが、パラグアイでの結婚披露宴で一番盛り上がるのは何と言っても「ワルツ」を踊る時であると思います。このワルツ、本格的な踊り方というものがあるように聞いていますが、当地のワルツのステップは非常に簡単です。とにかく誰でも踊れる事が第一義であるからです。新郎・新婦がワルツを踊る、この瞬間に披露宴はクライマックスを迎え、出席者全員の注目が二人に注がれます。ワルツの曲というのは無数に存在するのでしょうが、この時に使われるのはあのワルツ王、ヨハン・シュトラウスの「美しき蒼きドナウ」なる曲です。これ以外の曲を使う事はまず無いように見えます。照れくさそう、でも嬉しそうな二人が踊り出すと会場内から盛大な拍手が沸き起こります。

皆の注目の的となり踊るのですから、当然「練習」が必要となります。多くのカップルは結婚式が始まるまでの時間で暇がある時には練習をしているようです。晴れの舞台ですから少しでも息の合ったところを見せたいと思うのでしょうね。

二人である程度踊りますと、次は新郎・新婦のご両親が加わるのが普通です。お嫁さんと踊る新郎のお父さん、何とも言えないほのぼのとした雰囲気があります。そして親戚・友人等が加わり次第に輪が大きくなって来ます。華の新婦と是非踊りたいと沢山の人が列を作ることもあります。

(写真)結婚式でのワルツ


153・旗売り(2,001年03月25日)

アスンシオンを自動車で走っていますと路上で色々な物を売っていますが、特に目立つのは非常にカラフルな旗ですね。大きなものから小さなものまで色も様々で思わず目を向けてしまいます。よく見ますと一番多いのは「赤と青」そして「白と黒」、時々「黄色と黒」とか「青と黄色」「青と白」などを見かけることもあります。大体が2色でそれも鮮やかな色、最初の頃は「これは何だろう?」と思っていました。

直ぐにこれがサッカーチームの応援旗である事が分かりました。一番数が多い2つの旗はパラグアイで人気を二分する「セロ・ポルテーニョ」と「オリンピア」の旗、時々見かける「黄色と黒」は三番人気の「グアラニ」の旗です。大小色々な大きさがあり、体に巻き付けたり、自動車に付けたりもします。会社でも各自のデスクの後ろに旗を貼っている人がいます。「俺はセリスタ」(セロ・ポルテーニョのサポーター)「俺はオリンピスタだ」(オリンピアのサポーター)という事を誇示し、また誇りにしているのでしょうね。パラグアイではサッカーが生活の一部となり文化の一部となっているのかも知れません。

また、このチーム・カラーはアスンシオン以外ですとその街のカラーにもなっています。「青と黄色」はルケ市のシンボルカラーであり、またスポルティーボ・ルケーニョというチームのシンボル・カラーにもなっており、街中にこのカラーが溢れています。電信柱等は全てこの色で塗られています。イタグア市に行きますと「白と青」、一部リーグで活躍する「12 de Octubre」のチームカラーですね。これらの旗、パラグアイのお土産に如何でしょうか?荷物にならずに良い記念になると思います。

(写真)カラフルな旗売り


152・市場(2,001年03月25日)

市内にはメルカード・クワトロなどメルカードと呼ばれる市場が幾つかあり、庶民の生活用品の調達には欠かせない場所でした。ただ老朽化が進行して余り綺麗では無く、駐車スペースも無く、品物も粗悪品が多いなど問題が多く、最近は売上も低下傾向にあると聞いています。それに代わり、はやっているのがショッピングセンターに仮設される市場です。例えば代表的なショッピング・マリスカル・ロペスでは毎週・火曜日には「青果物市場」が開催されます。地上階に在る駐車場が市場に変身します。その他の日にも色々な市場が開催されます。この日は日曜雑貨等が普段の半額等と言う特価で並んでいました。「売れ残り処分市」とでも言うのでしょうか、とにかく多種多様な商品が並んでいました。

見ていますと一番多いのが容器で、プラスティク製のものが処分価格で販売されていました。靴、洋服等も売れ残りが並んでいました。よく探しますと掘り出し物を見つける事が出来ます。またレザーディスクを多く並べている店がありました。DVDが急速に普及している中、ほとんど買い手が付かず通常の店頭にはもう置かれなくなった商品を格安で売っていましたが、誰も買う人は居ないようでした。以前「CD」が急速に普及し始めた時にそれまでのアナログレコードが叩き売りされていた事を思い出してしまいました。

他のショッピング等でも同じような仮設市場が行われています。ショッピング・ソルでは正面玄関向かいの駐車場の一部にテントを張り、それが常設のようになってしまいました。綺麗な冷房が完備した内部よりも「仮設」にして、ちょっと違った雰囲気で売る、買う方も常設店よりも安いのでは?とつい思ってしまいますね。

(写真)ショピング・マリスカルロペス・市場(駐車場に作る仮設市場)


151・アンテナ都市(2,001年03月25日)

アスンシオンの街を見回しますと最近アンテナが目立ちます。大きな鉄塔から家屋の屋根や庭に設置されたアンテナなどよくまあこれだけあるものだと感心するほどです。アンテナ都市という感じになって来ました。

パラグアイには地上波のテレビは3チャンネルしかなく、それも余り面白い番組が無いというので、最近はケーブルテレビが急速に普及しています。そして、そしてケーブルテレビを見たいと普及を促進しているのが「サッカー中継」なのです。以前はワールドカップ等の大事な試合もほとんど地上波で放映していましたが、最近ではケーブルテレビが囲い込みを行い、ワールドカップ、その予選そしてリベルタドール杯など主なサッカーの試合はケーブルテレビでしか見る事が出来ないようになってしまいました。サッカーの試合を見る為にケーブルテレビを入れるという家庭は多いと思います。それでは経済的に余裕が無い人はどうするかと言いますと、ショッピングセンターに大画面のテレビが設置されており、それを見に行くとか、ラジオで我慢するという事になります。なお、市内で行われている試合であれば競技場で観戦した方がかえって安くつくかも知れません。(一番安い席ですと150円程度)

アスンシオンでは、ケーブルテレビの最大手は「CVC」という会社でこれを見ている人一番多いと思います。そして最近急速に台頭しているのが電波にて送受信を行う会社「CMM」です。この会社はインターネットのサービスも同時に行っており、両方のサービス併せて月100ドルだそうです。24時間接続されていてこの値段ですから割安かも知れません。多くの家にはこのようなサービスを受ける為の鉄塔が建っています。

そして携帯電話、アスンシオンでは4社が営業を行い、普及が進んでいます。学生は勿論、最近では女中さんや路上販売業者が利用している光景もあります。それぞれの会社が電話網を形成しているので、電話会社の塔が多くあります。 このようにアスンシオンはアンテナ、塔が多い街になっています。様々な電波が飛び交っている事でしょう。電話回線を独占する電電公社が余り機能していない事が大きな理由であると思います。これからは通信の時代、世界では次々に革新的な技術が技術が生まれています。アンテナ都市・アスンシオンが劇的に変わる時が来るでしょうか?




160・日本学校 (2,001年07月12日)

パラグアイには「日本学校」という学校があります。この他に「日本人学校」「日本語学校」というのもあり、非常に紛らわしいのですが、「日本人学校」と言いますのは日本から赴任で来ている子弟の為の学校で日本と全く同じ事を勉強しています。一方、「日本語学校」は当地の永住者の子弟が対象で、日本語を教育する学校で、アスンシオンの他、各移住地にあります。そして「日本学校」というのは?これは非常に不思議な学校なのです。日本から要人が来る等で生徒が日の丸を持って来る時、日本の歌を歌う等という場合にはこの学校の生徒が出て来る事が多いのです。日系かと見ますと外見は全く当地の子供たち、果たして何でしょうか?

日本学校は私立の学校で、生徒数は約800人とか、日系人は皆無に近くパラグアイ人が通う学校なのです。私立の競争は非常に激しく、特色を出し、生徒を集める必要があります。「日本学校」は規律と躾を重視し、勤勉を旨とする日本的な要素を取り入れた学校なのです。パラグアイの通常の教科の他、日本語は勿論、課外活動では日本舞踊、日本の歌など日本文化を学ぶようになっています。このような現地の子供たちの為の日本学校というのは例が無いのではないかと思いますが如何でしょうか?

この日は日本から要人が来ると言う事でその歓迎式典に参加する為に生徒さんが来ていました。女子学生を見ていると非常に理知的で清楚、笑顔の可愛い娘達でした、本家日本の女子学生の皆さんに見せたい?と思いますが如何でしょうか?

(写真:日本学校の生徒さん)


159・ダンス(2,001年07月12日)

パラグアイのダンスを見る事がよくありますが、暗い時が多いのでなかなか写真に収めるチャンスがありません。この日は人造りセンターでダンスをしていましたので撮影しました。写真を見ていただきますとカラフルな服装で男女がダンスをしているのが理解出来ると思います。パラグアイのダンスは特に女性の動きが綺麗で見ていて気持ちが爽やかになります。この日はトランペットの奏者が並んで軽快なメロディーをひいていましたが、何かマリアッチとも共通するものを感じます。一口にラテン音楽と言っても各国により独自性が強く、パラグアイも楽しい音楽が沢山あります。

ただ残念なのはこのようなダンスを見る事が出来る場所が少なくなっているという事があります。以前は観光客相手のショー・レストランというの何軒かありましたが、現在は全くなくなり、外国からせっかくパラグアイを訪問した観光客にお見せする場所が無いのです。行事などがあれば見る事が出来ますが、「そこへ行けばやっている」という場所を設営して欲しいものですね。

(写真:パラグアイの伝統ダンス)


158・何でしょう(2,001年07月12日)

この写真を見て皆さん何であるとお思いでしょうか?見れば分かりますがお城です。場所はパラグアイ国内の某所です。まだ完成していませんが非常に立派なお城です。パラグアイには高い山はほとんど無く、この場所にはこの近くでここにだけに小高い丘が存在しているのです。

観光地と呼べるものがほとんど無いパラグアイですが、これが完成するば大きな話題となるかも知れませんね。なにしろ、アスンシオンには定期観光というものが存在しないのです。この場所が観光名所となるのかも知れませんね。それにしも外貨収入に乏しいパラグアイです。何か知恵を絞って外国からの観光客を呼び込む努力をするべきなのかも知れませんね。

(写真:何でしょう?)


157・友好(2,001年07月12日)

日本に住んでいた時には「友好」を確認しあう場所などというものには余り出席したことはありませんでしたが、パラグアイに居ますと「パラグアイ-日本・友好」の場面に出席する機会があります。両国の国旗を立てて記念品を交換するというのが一般的です。この日は国際協力事業団の斎藤総裁がパラグアイを訪問、アスンシオン市のマルチン・ブール市長と記念品などを交換し、名誉市民としての証明書を渡しました。このような積み重ねを繰り返して友好を深めて行くわけです。

(写真:国際協力事業団斎藤総裁とマルチン・ブール・アスンシオン市長)


156・参議院選挙(2,001年07月12日)

在外の我々にも国政選挙に参加出来るようになり、2度目の国政選挙、初めての参議院選挙が行われています。12日、本日公示されましたが、在外公館での投票は本日から数日間となります。前回で大分様子が分かりましたので、今回も初日に投票に出掛けて来ました。お昼頃に行ったのですが余り人気は無く、どうやら有権者の出足は余りよくは無いようです。在外選挙に関しては海外ブロックを作るという運動もありますが、選挙登録をしていない人が多く前途は多難です。選挙が出来ると言いましても比例区だけの投票ですと大変な思いをして出掛けるまでも無いと思ってしまいがちになるのも分かります。

それにしても複雑な手続きが必要となります。郵送の封筒に送付先の選挙管理委員会の住所を記載して中にさらに封筒があり、その中に投票用紙を入れるという手順になります。今回は比例代表区なのですが、政党名でも個人名でも投票が出来るようになり、ますます複雑になったという印象を受けました。日本で無効票が大量に出るのではないかと心配になります。

今回は「ちびまるこちゃん」がキャラクターになっているようで、投票を呼び掛けるポスターやパンフレットに使われていました。投票を行うと記念品として「ちびまるこちゃん」のシールをもらいました。日本でもこのように記念品を用意しているのでしょうか?せっかく永住者が勝ち取った投票権ですので、今後もずっと途切れる事無く投票して行きたいものですね。

(写真:外務省の用意したパンフレット)


メーリングリストでのやり取り


A・選挙の話ですが、不肖弊員も在外選挙権登録をしておりますので、投票をする予定です。土日も投票出来る由、認識を新たに致しました。改めて投票期間を見れば7月12日(木)‐7月20日(金)9日間とありますから、土日も含む訳ですが、やはりすっと頭に入る表現であったならと思います。ところで、在外選挙権登録をしている方々に、所謂選挙違反とされる行為を行なった場合、日本の公職選挙法違反にひっかかり、処罰されるのでしょうか。在外選挙の手引きを読んでもこの辺りのことは明記無く、またパラグアイではパラグアイの法律が適用される訳で(一歩大使館の構内に足を踏み入れればそこは日本の領土とみなされますから話は別でしょうが)、公職選挙法も何のその、悪意をもってすれば、饗応、買収何でもありという極論になりますかね。どなたか法律に詳しいかた、教えて頂けませんか。


B・面白い点に気がついたように思います。公職選挙法というのは確かに外国で通用する法律とは思えません。外国ではどのようになるのでしょうね?現在、インターネットでの選挙活動は禁止されていますが、パラグアイでどこかの政党の支持団体を作りパラグアイに住んでいる日本人を対象に広報活動しても処罰の対象になりませんよね?それを日本の人が見ても罰する規定はないでしょうね?盲点であるように思います。


C・東京選管では
(1) 基本的には日本で違反に該当する事は海外でも適用されると考えて欲しいとのこと。 未だ実例がないがそれぞれのケースを見ながら判定されるとのその筋の見解でした。 つまり外国でも適用されるとの判断です。
(2) 電話の勧誘は問題なさそうでした。
(3) 海外の場合の問題は登録を済ませた後、投票に至るまでに領事部の所在地
とのアクセスが不便な為、投票を断念するケースがある事で投票率は高くならないとコメントがありました。 つまり登録だけはやるけれど。。の人がいる。

A・適用されるは良いとして、実際の運用は不可能と思います。何故なら
1)選挙違反を取り締まるマンパワーが海外にまで物理的に及ばない。
2)外国において、日本の法律を適用するのは国際法上出来ないと弊員は了解します。当該国の主権侵害になりかねませんから。
3)仮に明白な選挙違反があっても、逮捕は当該国に依頼することとなり、しかも違反者の身柄引渡しは当該国の領海若しくは領空を出た時点で行なわれるということになると思います。すると、実際には選挙違反でそこまでやれるかという話で
  おしまいになりますか。
4)大使館の敷地内、建物内で選挙違反が行なわれたなら、日本の領土とみなされますから、逮捕となるのでしょうが、そこまでして選挙違反をする愚か者はいませんよね。




165・柳沢紀子展(2,001年08月25日)

銅版画家の柳澤紀子さんの展覧会がアスンシオン市・人造りセンターで開催されました。柳澤さんは柳澤伯夫金融担当大臣の夫人で東京藝術大学では油絵を学び、後に銅版画家に転じられたそうです。

今回の展覧会の主催はオイスカ・パラグアイ(笠松エミリア会長)で、最初に柳澤さんの講演会があり、展覧会が開催されました。


(写真:柳澤さん(右)、笠松エミリアさん(左))


(写真:展覧会の様子)


164・市章(2,001年08月25日)

何時からなのか余り意識も注意していませんでしたが、最近よくアスンシオン市のシンボルマークを目にします。これが非常にセンスが良くパラグアイもやるものだ!と感心しておりますが如何でしょうか?2001とありますので今年限定なのかも知れませんが、最近は色々な場所にあります。まず上の教会のアレンジが良い!単純な4色のデザインなのですがユーモラスでもあり、センスが良いし、色の配色もすばらしいと思います。

下の方にあす「ASUNCION」の文字は免許書の更新で目にしました。免許証も従来のものは如何にも古臭い田舎くさいという印象がありましたが、現在もものはお洒落です。日本の免許証もデザイン、もう少し考えてみる必要があるのかも知れませんね。


(写真:市章)


163・バイオリンのお稽古(2,001年08月25日)

パラグアイに来て少々がっかりしたのは、オーケストラのレベルの低さです。アスンシオンにはプロの交響楽団は無く、アスンシオン交響楽団というのはアマチュアのオーケストラなのです。主な楽器はヤマハ等の日本製、聞けば日本からの援助らしいのです。カトリック国であり、欧州文化の一翼を担っている?はずのパラグアイとしては少々情けなく、またそのレベルも余り高いとは言えません。ある時、日本からクラシックのトランペット奏者がこのオーケストラの管楽器の指導にみえ、その成果発表会としてのコンサートに行きましたが、正直言って日本の高校レベルという感じでした。最初にメンデルスゾ−ンの「交響曲イタリア」が演奏されたのですが、最初に管楽器のリズミカルで軽快な前奏があるのですが、これが全くで、最後までピリッとしませんでした。

パラグアイではクラシックは駄目なのかと思っていましたが、ある時に意外な光景を目にしました。人造りセンターに出掛けたある夜、高校生くらいの二人の若者が中庭で熱心に練習しているのです。これが意外に上手かった。二人とも雰囲気から「上手」というのが漂っており、今までパラグアイで聞いて来た中ではまずまずのレベルでした。人口のピラミッドが綺麗で若年層が非常に多いパラグアイ、何事でも教育の仕方では今までよりも数段のレベルアップが可能なのかも知れませんね。


(写真:バイオリンのお稽古)


162・上空からの写真 (2,001年08月25日)

アスンシオン市の上空の写真を撮影しました。このように上空から見ますとまだまだ間がかなり空いているというのがよく分かります。アスンシオンは「緑が多い」という話ですが、視点を変えると、まだまだ空き地が多いという事になるのでしょうね。

撮影した場所はどちからと言いますと倉庫や中小の工場が集まっている地域です。道路沿いには大体建物がありますが、その裏は空き地というケースが多いように見えます。アスンシオン首都圏に人口が集中して来ており、首都圏では人口が150万とも言われています。空から見ますとまだまだ「余裕」に見えますね。しかしながら道路の整備が為されておらず、交通渋滞は年々悪化の一途を辿っています。今後近隣諸国と争い経済発展を進めて行くのであれば、インフラの整備が必要となります。


(写真:上空からの写真-01)


(写真:上空からの写真-02)


161・ナンバー・プレート (2,001年07月22日)

パラグアイのナンバープレートが一新されることになりました。今までは町毎にナンバープレートを着けていたのですが、不正が多く、「マウ:MAL」(これはポルトガル語から来ていると思われます)と呼ばれる盗難車が多少の賄賂で平然とナンバープレートを着け、合法的に走行出来る状態が続いていました。極めつけはゴンサーレス・マキ大統領のBMW、これが何とブラジルで盗難された自動車と判明したのです。ブラジルでは「さすがパラグアイ!!」と大々的に報道されてしまいました。(パラグアイにとっては本当にマイナスです。)今回のナンバープレートは「パラグアイ」の文字にアルファベット3文字と数字3文字です。大きな赤い字で書かれています。今まで都市名が記載されていましたが、今回の変更で「パラグアイ」と国名そして国旗が上に記載されています。「AAA」から始まって、当方のは「ADJ」、番号は901です。アルファベットは26文字ありますので、組み合わせは26の3乗 17,000を超えます。そして数字が3で1000ですので、17,000,000 通りあるということになります。これならば当分の間は大丈夫という事になります。数字が沢山あるよりもこのようにアルファベットと数字の組み合わせの方が暗記し易いので良いと思います。そしてこのナンバープレート写真ではよく分かりませんが、数字の下の白い部分に浮き上がる模様が入っているのです。光の加減ではっきり出ます。偽造防止策だと思います。

このナンバープレートですが、この10月までに取り付けを完了するよう通達が出ています。6月現在で市内では大体半数近くの自動車の交換が完了しているように見えます、しかしながら全国レベルではまだまだのようです。果たしてこの10月まで全部の自動車への交換が完了するのか見ものですね。新聞でも手続きを行う際の当局の対応がいたって官僚的であると嘆いていました。

そしてこのナンバープレート手続きが済みますと自分で前のものと交換するのです。日本ですと陸運局かどこかへ持って行く必要があったように思いますがこの点はお手軽で良いですね。とにかく以前のものと比較すると格段に見栄えが良く、すっきしりしていると思いますが如何でしょうか?


(写真:新しいナンバー・プレート)


170・水田(2001年12月18日)

パラグアイに来て感心したのはお米の美味しさです。普通のスーパー等ではインディカ米を販売しているのですが、日本人移住地では日本のお米を作っています。移住地のほとんどの土地は小麦と大豆の栽培に利用されていますが、一部ではお米を栽培しています。12月にチャべス移住地で水田を見たのですが、何故か懐かしい気がします。考えてみますと日本の都会を除く風景というのはほとんどの場所で水田の景色なのだと思い当たりました。日本と季節が反対のパラグアイ、12月は田植えが終わり稲が生長する時期です。実りの秋は2月末、新米が美味しい季節となります。米というのは現在は北海道や新潟等を中心に栽培されていますが、元々は亜熱帯の植物なのでパラグアイでは生育が良いようです。日本から色々な品種を持ち込み栽培されているようです。

数年前、日本が米不足で騒ぎになった時には当地からお米を担いで訪日しました。日本の方たちにも好評でした。品質的にはひけと取らないと思います。値段は日本と比較するとかなり安く、どの家庭でも安心して美味しいお米を食べる事が出来ます。ある農家の方と話をしておりましたら、日本から来た農協の団体が米をお土産に担いで来た事があると話をしていました。日本のお米を食べて欲しいと思ったのでしょうが、パラグアイのお米を目にして貰った方も持って来た方も気まずくなってしまったようです。お土産は当地で出来ないような「海苔」「お茶」「和菓子」「うなぎ」などが無難であると思います。




(写真:水田-チャべス移住地)



169・プリクラ (2001年11月18日)

パラグアイでもプリクラ店があります。以前にも日本製の中古を利用したプリクラ店がありましたが、今回出来たのは韓国で使われた機械の中古です。この場所はショッピングセンターのミニ遊技場の前なのですが、ここには色々な商売が出店しては撤退しています。プリクラがここで商売として成り立つのか注目しております。



(写真:プリクラ店)



168・折り紙展(2001年11月17日)

パラグアイにおきましても色々な日本文化を紹介する機会がありますが、「折り紙」は日本の伝統文化の中でもすばらしいものであると思います。アリシア林は料理も非常に上手で、多才な方で広範な技能をお持ちですが、折り紙を当地の方達に教えています。女性ばかりでは無く男性も多く学んでいるそうです。ある医師の方は折り紙をリハビリに使う目的で学んでいるとか・・確かに折り紙で手を動かす訓練をするというのは良いアイデアですね。このような地道な活動が日本への理解に繋がるものと思います。

今回は人造りセンターにおいて、日本国大使館ならびにパラグアイ日本協会の協賛で「折り紙展覧会」が開催されました。先生であるアリシア林さんの作品は勿論、生徒さんの作品も多数展示されました。生け花の展示というのはよくありますが、今回の折り紙はパラグアイの人にはかなり新鮮に映ったようです。



(写真:折り紙展覧会-01)



(写真:折り紙展覧会-02)




167・東洋風(2001年11月06日) 

最近、当地でちょっとしたブームになっているのが「東洋風」特に人気なのは「香」。インド風、中国風、日本風をミックスしたような店をショッピングで見かけるようになりました。「御香」を炊いた良い匂いがして来ます。また漢字で書いてあるものが色々と並べられています。「漢字」というのをどうも文字としてでは無く、ファッショナブルな図形と見ているのかも知れません。中国などから輸入したものは当然綺麗な文字で書かれていますが、それを当地で真似して書かれた商品もありますが、当地の人が真似て書いているだけなので「漢字」が変なのです。商品を見ていますと、香の他は照明、飾りなどが中心になっています。

自動車等でも「四駆」と大きく書かれているスペヤータイヤを見かけます。アルファベットの世界では何故か非常に新鮮に感じます。



(写真:ショッピングに在る東洋風のお店)



166・スイカ(2001年11月06日)

パラグアイの夏に欠かせないのはスイカでしょう。この季節、11月になりますと、街角にスイカが並べられます。当地の方に話を聞きますと以前は長く縞模様の無いロシア・スイカなるものが主流であったそうですが、今では日本と同じスイカが主に売られています。違いは大きい事だと思います。大玉でこの季節1万グアラニ(約250円)、小さいのは3千グアラニ(90円)程度で売られています。ミネラルウォーターや清涼飲料水と比較しても割安なので、暑い夏の水分補給には最適です。小玉ですと半分に切って刳り貫いて食べます。

大きいスイカを買ってきますとまず冷蔵庫に入れるのが大変です。この大きさですから収納スペースを確保すると他のものがはみ出してしまう事もしばしばです。また普通の家庭では到底一日で食べ切れる量では無く、数日はスイカと格闘する事になります。



(写真:スイカ)




175・大学紹介展示会(2002年09月23日)

パラグアイは数年前から大学の設立ブームが起きています。12年前にパラグアイに来た時には確か国立大学とカトリック大学だけであったのですが、最近は雨後の筍状態で大学が出来ています。大学と言いましても設備等の概観は日本の専修学校か予備校のような感じです。各大学は生徒を一人でも多く獲得しようと奇麗なブースを作り勧誘に懸命です。

パラグアイでは普通「セニョール」というように呼びますが、大学卒に対しては敬意を込めて文科系の場合には「リセンシダード」理系の場合には「インヘニエロ」と呼ぶのが普通です。ある意味では日本よりも学歴社会なのかも知れません。

ファッショナブルでカッコ良さを際立たせるブースが目立ちました。アメリカーナ大学では英語専修コースが売り物で、米国などへの留学も可能等のがキャッチフレーズのようです。



(写真:アメリカーナ大学のブース)

ウニノルテ大学のブースでは各学部の大きなポスターが綺麗に並べてありました。左から法学部、工学部、教育学部です。工学部のメインは情報工学で、コンピュータ等の勉強したいという学生に説明を行っていました。



(写真:ウニノルテ大学のブース)

未来派志向のカッコ良いブースの中で際立っていたのは警察学校のブースです。レトロな感じですっかり気に入ってしまいまいました。制服を着た男女二人の方が前に立っていて色々と説明をしてくれます。ブースの中に学校の校舎の模型が展示されていましたが、現在のルケにある校舎への移転前のものなのだそうで、1985年まで警察学校はレプブリカ・アルヘンティーナとマリスカル・ロペスの現在公園となっている場所にあったそうです。これは知りませんでした。市内の一等地ですね。



(写真:レトロな警察学校のブース)

皆様もパラグアイの大学へ進学というのは如何でしょうか?一部の有名大学は入学試験がありますが、他の大学は無試験です。要するに高校を卒業している事が唯一の条件で、日本の高校でも受け入れてくれる大学もあるようです。ただし、進学は非常に厳しく、なかなか卒業に至らないようで、途中でドロップアウトする学生が大半のようです。



174・大きなマクドナルドの人形 (2002年09月23日)

ある日、ショッピング・マリスカル・ロペスに行きますと大きなマクドナルドの人形が置いてありました。何の理由か分かりませんが入り口付近にどかっと置いてあったのです。人形は大きな風船で弾力があり、乗ると弾み、多くの子供が遊んでいました。風の強い日でこの大きな風船はユラユラと揺れて多くの買い物客が足を止めて見ていました。客引きのアトラクションかと思ってしばらく見ていますとショッピングセンターの職員が出て来て子供達をどけて空気を抜いてしまってしまいました。今でも何の為に置いてあったのか・・と考えています。



(写真:大きなマクドナルドの人形)



173・浜辺(2002年09月23日)

アスンシオンに浜辺?があります。綺麗に砂が敷かれ、向こうには船が見えます。ここはアスンシオン郊外にあるヨット&ゴルフ・クラブの中にある浜辺です。写真で見ますと結構広いように見えますが、これでほとんど全部です。海の無いアスンシオンで気分を出すにはもってこいの場所です。テレビを見ていますとこの場所がよく出て来ます。ビキニの女性が楽しそうに浜辺で・・というような広告で、さすがはプロでここが外国の海辺のリゾートに見ててしまうのです。実際には川の水は澄み切っているという程ではありませんが、イパカライ湖と違い「流れ」があるのでそこそこで、川に浸かっている人もいます。なお、この先にはゴルフ場があります、河川敷コースで水が多く、平らな割には初心者には難しい池ポチャ、川ポチャ頻発コースです。


(写真:アスンシオンの浜辺)



172・ショッピングで人気の食べ物店 (2002年09月23日)

ショッピング・デル・ソルは家族連れ、カップル等で何時も賑わっていますが、今一番人気の食べ物店は外にある軽食店のようです。外の庇のある歩道に小屋のように作られているこのお店、いつも多くの人が列を作っています。中を覗くとパラグアイで普通に食べられているエンパナーダ等のおやつが並んでいます。飲み物はマテ茶から作るコシードに人気があるようです。特に変わった事で人気を博しているというのでは無く、自然体で親しみ易さが人気の秘密のようです。ショッピングの中には椅子もあり、多くの食べ物屋さんがあるのですが、外で立って食べるこのお店が一番人気というのは面白いですね。



(写真:ショッピング・デル・ソルに在る人気の食堂-01)



(写真:ショッピング・デル・ソルに在る人気の食堂-02)




180・一村一品運動(2002年10月27日)

大分県帯刀副知事を始めとする大分県の一行がアスンシオンを訪問しました。大分県と言いますと一村一品運動の成功が非常に有名で当地でも帯刀副知事が講演会を開催しました。パラグアイにおいても各地方で特色のある産品もしくはイベントを立ち上げて産業発展に繋げて欲しいとの話でした。大分県等九州は日本の中でも地理的に西にあり、特にアジア志向が強いように感じますが、南米にももっと目を向けていただきたいものですね。大分県では長年継続して来ており、一村一品株式会社まで存在するそうです。



(写真:一村一品運動の講演を行う、帯刀副知事-01)




(写真:一村一品運動の講演を行う、帯刀副知事-02)



179・パラグアイ産品(2002年10月27日)

パラグアイの輸出産品の一部が陳列されていました。帽子、衣類、木材、へちま、木材、ウール、ごま、ステビア、ピーナッツ、有機砂糖などが並んでいました。世界中で自然志向が強まり、日本では食への安全が損なわれている現状から、「自然」という付加価値を付けて販売すればまだまだ販路は広がると思っています。



(写真:パラグアイ製品-01)



(写真:パラグアイ製品-02)



178・マリスカルロペスの像 (2003年06月10日)

パラグアイの歴史上の英雄と言えば何と言いましても3国戦争を勇敢に戦い、非業の最期を遂げたマリスカル・ロペス将軍でしょう。この時代、世界に名を轟かしたナポレオンに憧れ、パラグアイを帝国化し、その結果として周囲の国を全て敵に廻して戦い、無残な敗戦を招き、現在に至るまで長い沈滞の時代の契機になった人です。それでもパラグアイにとり、国の為に自らの死を賭して戦った聖人として国民の尊敬を集めています。当方がこのパラグアイに来た当時はアスンシオン市内のメインストリートであるマリスカルロペス通りの中央、ヘネラル・ディアス通りとの交差点のロータリーの上にマリスカルロペス将軍の像が鎮座していました。その当時はマリスカルロペス通りにその像があるとごく自然に受け止めていました。しかしながら、市内の交通事情は自動車の増加に従い、悪化の一途を辿り、とうとうこの像があるロータリーも障害物化したとして撤去される事になりました。そしてこのマリスカルロペスの像は市内セントロの公園の端に移されました。

以前は一等地の一番目立つ場所にあり、非常に大きく感じましたが、現在は公園の隅にあり、その後ろはゴミゴミとしている不法住居地帯という環境で同じ像が小さくくすんで見えます。同じ像でも置かれている場所でこうも見え方が異なるものかと驚いています。馬に乗っている像ですが、馬は躍動感があり、見ていても勇気が出て来ます。現在の場所は多少治安的には問題があるかも知れませんが、是非見物に訪問して欲しいものです。



(写真:マリスカルロペスの像)


(写真:その後ろにある不法住居)



177・自動支払機


日本では至る場所にある銀行の現金支払機、ロイズ銀行のものがショッピング・マリスカル・ロペスの通路の中央に設置されています。銀行のカードだけでは無く、VISAカードでの利用も可能なようです。自動支払機がこのような目立つ場所に置かれているのは隠れた場所ですとかえって強盗に狙われて危ないという事でしょうが、それにしても余りにも皆が見ている場所で、しばらく注意していましたが、利用している人は居ませんでした。日本のような現金主義の国では現金を常にある程度用意する必要があるのでしょうが、当地のような小切手中心の国では現金を用意する必要性は多くなく、設置場所が少なくても余り問題にならないのでしょう。ちなみに当方も今まで一度も利用しておりませんが、不都合を感じた事はありません。



(写真:自動支払機)



176・国慶節(2002年10月10日)

10月10日は中華民国の国慶節にあたります。市内各所にお祝いの飾りが掲げられて、パラグアイが中華民国と国交があり、友好関係にあることを再認識します。ショッピング・マリスカル・ロペスにも両国の友好を紹介するコーナーが設けられていました。中央には陳水扁総統とパラグアイのゴンサレス・マキ大統領の写真がありました。南米で唯一の中華民国承認国、台湾にとり重要であると共に経済的にはパラグアイに取り非常に重要な役割を果たしています。10月10日当日には当地にある中国人学校である蒋介石学校で盛大に祝典が開催されました。政治的な交流を見据え、北京政府がまず経済の分野かの交流を図る中、台湾h南米の橋頭堡を如何に確保して行くか注目しています。



(写真:ショッピングでの飾り)









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