つれづれなるままに-01




ページを開設して間もない頃、パラグアイの色々な話題を取り上げてみました。99年に販売した本「南米のパラダイス・パラグアイに住む」に多くの項目を入れました。




1・昼休み考・昼食考(3月22日)

日本に無い習慣として「シエスタ」があります。食後の長い昼休みのことで、元々は、これは食後昼寝をして午後の一番暑い時を避けようとする習慣であったのでしょう。筆者が移住して来た8年前には、12時頃に帰宅のラッシュがありました。一旦、皆家に帰り、3時頃にまた事務所に向かうラッシュがあり、仕事に戻るというのが一般的で、店も12時から3、4時まではお休みというのが普通であったように思います。年々、アスンシオンも街が大きくなり通勤距離が長くなり家に帰るのが次第に大変となったこと、クーラーが普及して暑い時でも快適に過ごせるようになった事、やはり経済的に非効率であると思いはじめた事等の理由で最近はこのシエスタが急速に減って来ています。

昔、筆者が日本企業の駐在員としてパナマに住んでいた時は、会社と借り上げアパートが歩いて5分の距離に在り、2時間ある昼休みに食事を作って、シャワーを浴びて、多少とも昼寝が出来ました、実に快適でしたね。

「シエスタ」の習慣が薄らぎ、最近は昼も残るとなると、簡単に食べられる食堂が人気を集め、お客獲得に向けての価格競争が始まっています。昼の定食は、300円程度という食事が人気を集めているようです。セントロ(中心部の意味)には奇麗なファーストフード風のレストランが色々出来ています。またショッピング・センターの食堂も早いのが受けて人気があり、最近はやっているのが、「秤でいくら」という方式です。この方法はブラジルではかなり前からあり一般的になっていて、サンパウロに駐在していた時にはよく利用したのですが、要するに全ての食べる料理を皿に盛って量り、その重量で料金を払うというシステムなのです。ご飯も肉料理もサラダも一緒、重さで料金が決まるのです。(ラテンは大雑把なのか、単価は一つ)筆者などはどの料理の原価が高そうか等とケチくさい事を考えて選んだりしますが、ラテンの人はさっさと自分の好みにそって選んで行きます。その中で、ただ一つ例外が「パン」(ちなみにスペイン語でもパン、発音も日本と同じです)、これはサービスです。このシステムの良い事は食べ物を残さない。必要なものしか取らないので無駄が出ないのです。これを真似してなのか、となりのアイスクリーム屋も同じシステムになりました。

また最近では仕出し屋、弁当屋が食事を運ぶ光景が多くなっています。各種の弁当が出てきており、和食の弁当も登場しました。 近年、このようにアスンシオンも次第に便利にはなっていますが、どんどんと忙しくなり、何かパラグアイらしさが消えて行くような気がします。

最近センターで開店した「ビッグ・ゲスト」(昼には大混雑になります)


2・服装 考(3月23日)

服装について話をしましょう。日本では、女性の服装が「スカート」主体から次第に「ズボン」主体に変わって来ているという、とても悲しいニュースを耳にしておりますが、南米・ブラジルでは、残念なことに、既にほとんどズボンなのです。それもカジュアルを通り越して、スニカーにジーンズなのです。ほとんどお化粧もしないで。南米最大の都市はサンパウロ市、人口は約1800万人、世界有数のこの都市では、男性の多くも勤姿がジーパンにノーネクタイ、会社でもそのままです。慣れない間は、一流企業の奇麗なオフィスでジーンズ姿にはちょっと面食らいました。女性もほとんどスカート姿の人はいません。美人も多いので非常に残念ですね。聞くところによると、治安が良くなくこのような嘆かわしい事態に陥ったようです。

一方、ここパラグアイの女性は結構スカート姿の人が多いのです。アスンシオンの中心部で見かける、多くの女子学生は白衣の制服です、とてもかわいらしですね。いいですね。でも「ダブダブの靴下」ではないですし、「たまごっち」も持っていません。

カジュアルでの勤務は普通ですが、若い女性は「超ミニ」の人も多くとても街が明るく見えます。こういう人がお尻を振って歩いているのを見て、男性が声をかけたり、口笛を吹いたりします。走っている自動車がわざわざ徐行運転になることもしばしばです。やはりラテンはこうでなくてはね。やはり女性はスカートに限りますね。

私などは日本のサラリーマンの癖が抜けきらないのか、スーツか紺ブレを愛用しておりますが、職種にも拠りますが、ラフな姿のビジネス・マンも多いようです。やはり日本に比べて暑いからでしょう。

市内には、仕立てをしてくれる洋服屋が多くあり、私の住んでいる近くのショッピングにも「ピエール・カルダン」が在ります。私は詳しくないのですが、アスンシオン市内には有名なブランドの店が色々とあるようです。安く、品質も良いようで、他の南米諸国から来る観光客が買って行くそうです。


3・ 季節、夏時間・冬時間(3月23日)

パラグアイに移住して来た当初、頭では理解していても馴染めなかったのは「季節」ですね。南半球ですから日本とは逆で、7、8月は夏で年末から2月位までが盛夏となります。暑いクリスマス、お正月というのは気分がどうも出ませんでした。

でも慣れというのは恐ろしいもので、移住6年も経つと暑くなり始めると「年末」が近いと感じるようになりました。クリスマスも真夏、夏至の直後の日差しの強い時期になります。でも、北半球の影響でか、クリスマスツリーには雪を飾ります。年末バーゲンセールではサンタクロースが登場しますが、時には40度近い猛暑の中で厚着をしているのは本当にお気の毒ですね。クーラーの中でも暑いでしょう。また3月は日本では桃の節句ですが、こちらでは初秋。柿、栗といった秋の物がおいしくいただける季節です。どうもしっくりしませんね。

パラグアイでは「夏時間」、「冬時間」というのがあります。10月の第一日曜日から「夏時間」になり、3月の第一日曜日から「冬時間」となります。それぞれ一時間づつ時計をずらすのですが、10月には一時間早起きしなくてはならないわけでどうしても寝坊がちになります。冬時間になる時は一時間ゆっくりと出来るのでいいですね。夏時間、冬時間というのは他の国でも行っているのですが、時間を変える日が少しづつ違っている。また北半球の例えば欧米では逆になるので、2時間ずれるのです。米国の友人に電話をする時には、何時なのか良く考えなくてはなりません。特に混乱するのは「飛行機の時間」。それぞれ自国の時間で運行しているので、確認が注意が必要です。ちなみに、パラグアイは日本との時差は夏時間で12時間、冬時間で13時間です。


4・ 銀行考(98年8月29日)

パラグアイには現在25の銀行があります。大別すると「外国資本系」「現地資本系」となるのですが、外国と言っても隣国ブラジルのものもあれば、欧米系(シティー、ロイズ、ABN−アムロ、ING)、そして最近は台湾系の銀行も進出して来ています。

現地系の銀行は「政府系」と「民間系」があるのですが、最近の金融不安でかなりお客が減っているようです。またドイツ銀行というのがありますが、これはドイツから進出して来ていた銀行が引き上げる際に現地のドイツ系住民が買い取り、現地ドイツ系の銀行として運営しているものです。

アスンシオンである程度の生活をしていますと、現金を持ち歩くことは少なくなり、銀行の小切手で支払いをすることが多くなります。当然どこかの銀行で口座を開設して小切手帳を作成してもらうことになります。当座預金にある程度の金額を常に残高として残す必要があり、これを下回ると罰金がかけられるのです。シティーのように人気がある銀行はこの金額が高いようです。全く金利の付かないお金をある程度置いておくわけです。

銀行に行きますとかなりの行列が出来ているのが普通です。窓口に並び皆静かに順番を待ちます。月末の週末などはものすごい混雑で、1時間以上待つこともあります。なぜこのように多くの人が待っているのか見ていると、多くの人は振り出された小切手を現金に交換しているのです。自分でどこかの銀行に口座を持っている人はそこに預金することが出来るのですが、一般の人は振り出された銀行に行って現金に交換しているのです。もう少し効率とかお客のことを考慮して方法を考えて欲しいと思うのですが、殿様?商売のようで、来る人が待つのが当然といった感じです。最近は特に外資系の銀行に資金が集中しているようで、外まで行列が出来ていることがしばしばです。お客様を大切にするという日本の銀行は進出していないのが残念ですね。


5・ 祝日 考(3月24日)

パラグアイは「祝日」が少ないように思います。年間たったの11日だけで、日曜日に重なっても特に「振り替え休日」等というのはありません。土、日と重なると全く意味を為さないのです。カトリックのお国柄、キリスト教の宗教上のお休みが多く、後は建国記念日のような記念日です。革命以前はもっと休日が多かったそうですが、「生産性を上げて働こう」という事で大分減らしたそうです。増やすのはた易いでしょうが、よく減らせたものだと思います。

一番長い休みは「セマナ・サンタ」で年により、祝日が移動しましますが、木、金が休みとなり、土日を合わせて4連休となります。ただ土曜日は普通の土曜日扱いだそうで、土曜日に仕事をする人にとっては単なる連休となるだけです。日本ですと、祝日が多い上、「振り替え休日」なるものがあり、その他には、年末・年始の休みもありますが、当方にはこのような特別の休みはありません。特に8月15日から12月8日までは祝日が無く、これが土日と重なった年には、年後半にはほとんど祝日が無い状況となりました。さすがにこれではと、昨年から9月28日が祝日として復活しました。また、「カーニバル」は、カトリックの多くの国で祝日で、特にブラジルでは一番のお休みといった印象なのですが、こちらでは全く休みにならず、ごく普通の日なのです。ブラジルからパラグアイに移住して来て一番がっかりした事です。

祝日の中でも「クリスマス」は特別な日で神聖な日と特別扱いをしますが、正月は特に大きな日では無く、「元旦」は単なる祝日です。どちらも休みは1日だけで翌日からは普通の日です。ただ、クリスマス・イブと大晦日は半日となるのが一般的です。注意しなくてはいけないのは、この2つの祝日は同じ曜日で一週間違いであるという点です。一番悲劇的な事はこの二つの祝日が日曜日になってしまう事です。イブと大晦日にはフィエスタ(パーティー)を行いますが、土曜日で日曜日休んでまた月曜日から仕事となり、全くいつもの週と変わらないのです。よく日本の人や駐在員の方に「年末はどう過ごされるのですか?」と問われますが、作者のように現地の企業で働いていると「1日だけの祝日が2回あるだけ」なのです。(よく働くので有名な日系企業、官庁でも、さすがに年末・年始はお休みになるようです。)

ではこれだけしか祝日が無くて可哀相かといえばそうとも言えません。皆「夏休み」をしっかりと取るのです、長い人は一ヶ月近く取ります。学校の夏休みに合わせて、12月のクリスマスから2月末までの期間に取るのが普通です。この間は仕事も一服、担当者が留守という事がよくありますが、「まあ仕方無い」と諦めるしかありません。巷もそろそろ秋になって涼しくなり、皆「さあ仕事」という感じです。



6・B級グルメ(3月26日)

パラグアイにも懐にやさしい庶民の味方である「B級グルメ」があります。アスンシオンの特選「B級グルメ」を紹介しましょう。

まずパラグアイ料理としてお薦めは、アスンシオン港に近い地区に5、6軒連なって食堂街でしょう。これは港湾労働者向けの食堂で、平日の昼には労務者で一杯になります。食事をしたり、ビールを飲んだりと仲間内で楽しむ光景は日本と同じですね。ここでのお薦めメニューは「ボリボリ」。ボリボリとはとうもろこしの粉で作った「団子」のことで、これを鶏のスープに入れていただきます。鶏の味ととうもろこしの味がミックスしていけますね。 また「魚のスープ」もおいしいですね。その他では「ギッソ」という煮込み料理もあります。これはパラグアイの人にとっては一番ポピュラーな家庭料理のようで、野菜、肉などをトマト味で煮込んだシチューのような料理です。米か麺が入りお腹にすしっと来ます。これも美味しいですね。これでどれも200円位。決して豪華では無く派手さも無いですが作る人の暖かみが伝わって来る料理です。

アスンシオンのアジア系の住人で一番多いのは「韓国人」です。アスンシオンでは韓国人向けの庶民派「韓式料理」がいただけます。日本で食べるのとは一味違う、本場の味を賞味出来ます。作者はこの韓式料理が好物なので、一人でよく出かけます。(普通の日本人にはちょっと味覚がきついようです。)「韓一食堂」冷麺(特にビビン・冷麺)や「コムタン・スープ」も美味しいですが、お薦めは「メウンタン」ですね。これは韓国風「魚鍋」です。ボリュームたっぷりです。韓国風に「キムチ」等の小鉢が10皿くらい付いて来て、これで一人1000円位。また別の店では、「鶏参湯:サンゲタン」という韓国では非常にポピュラーな料理もいただけます。これは鶏の中にもち米を入れて、高麗人参で煮込んだ料理です。この店ではまた「ビビンバップ:まぜてこねていただくご飯」、日本でいただく「ビビンバ」と多少違い、釜飯のように「石の釜」に入れていただく本格派です。釜についたご飯がパリパリとして香ばしいです。

台湾、韓国とアジアの隣人がアスンシオンでは混在して住んでいるので、日本に居る時より何か身近な感じがします。一つ面白いのは、中国料理には中国人、日本人、韓国人が居、韓国料理、日本料理にはそれぞれ日本人、韓国人は行きますが、まず中国人を見たことがありません。何故なのでしょうかね。

韓国料理の店「韓一」(ペルー通りに在る):冷麺特に混ぜ冷麺とメウンタンが美味しい


7・世界不思議発見・パラグアイ編(3月25日)

先日、日本で世界不思議発見で「パラグアイ」が紹介されたというので、送ってもらって見ました。冒頭で随分長い時間「インディオ」が出てきましたが、あれは観光用の「インディオ村」の人で、残念ながら、あのような人を見つける事は出来ません。現在では政府が一部に残ったごく少数のインディオを保護していますが、村でも皆Tシャツを着ているそうです。(なお、この番組ではグアラニ族のように紹介されましたが、彼らはマカ族です。)

「アスンシオン」の街はほとんど瞬間でおしまい。あれだけですと、ほとんどどのような街なのか解らないでしょうね。建物は多少映すがほとんどが昔のコロニア風の建物ばかり。もっと普通の街とかパラグアイの今を取り上げて欲しかったのですが、大半は映画のシーンでした。

日系の話題等を取り入れてくれても良かったのではないかと思います。まあ確かに「世界・不思議発見」という名前の番組なので、日本の視聴者をびっくりさせなくてはならないので仕方が無いのかもしれませんが。でも、もう少し工夫して欲しいものです。期待はずれでした。それでも「パラグアイ」が一時間にわたりゴールデンタイムの人気番組で登場しただけでも良いとしなければならないのかも知れませんね。

あの番組を見たイメージを持ってパラグアイに来ると多分、現実とのギャップに驚く事になるでしょう。次の企画に期待しましょう。


8・バナナ 考(3月25日)

南国の果物で真っ先に思い浮かべるものは「バナナ」ではないでしょうか。戦後まだ日本が貧しかった時代にはバナナはかなりの高級品であったと聞きますが、最近では最も親しみやすく、安い果物という印象があります。日本では、昔は台湾からの輸入が多かったようですが、最近はフィリピン産のものが多かったようです。一時「南米バナナ」と銘打ったバナナが輸入されていたのを覚えている方も多いでしょう。南米バナナは確か「エクアドル産」であったと思います。エクアドルは南米ではバナナの大産地で栽培の技術も高いものがあるそうです。

パラグアイではバナナはその辺に成っているもの、という印象が多く、従来は特に手をかけて育てて居なかったようで、外見もいまいちで黒ずんでいるものが多いのが特徴です。でも種類が多く特に小さいのは美味しいですね。スーパーでも大量に置いてありますし、町角でも沢山売っています。誰も疑問に思わずバナナとはこういうものであると皆思っていたようです。

最近、アスンシオン近郊で大規模に「たまご」を作っている或る日系農家が近代的なエクアドルの技術を導入して大規模にバナナ栽培を始めました。今までの売られていたバナナよりもずっと弾力があり、形が良く、外見も黄色が美しくこくのある非常においしいバナナです。農場に見学に行きますと管理が行き届いているのが一目で解り、整然とバナナが並び、自動灌漑設備もきちっとしていました。バナナ好きなパラグアイ人にも大好評のようです。


9・もの売り 考(3月24日)

南米各国共通なのかも知れませんが、信号で停止するとどこからともなく沢山の物売り、物乞いの人が寄って来ます。多くは子供達ですが、大人もかなり混じっています。一番多いのは、「窓ガラス拭き」で、主な信号には数人の窓ガラス拭き職人?が居て、信号で停止するや否や飛んできてドライバーの意志など関係無く、モップで拭き始めます。モップ1本で始められる一番手ごろな商売なのでしょう。始めは断り方を知らなかったのですが、「ワイパーを動かす」のが不要の意志表示であることを教わり、最近では信号で停止すると急いでワイパーを動かします。料金は寸志としてドライバーの方が決めるのですが、少ないと文句を言う事もしばしばです。ドライバーの方は「御小遣い」のつもり、子供の方は仕事であり、正当な報酬をもらう権利があると思っているのでしょう。

この他色々な物が売られています。新聞、自動車用の雑貨、チューインガム、飲料水、果物、チパ等まあ理解出来る物も売っていますが、弁当箱、サッカーボール等も売っています。見ていると、意外な事にこれが良く売れるのです。また、どちらかと言うと、子供の方が買ってもらい易いので、子供を使ってお母さんは脇で見ているといったようなファミリーで商売をしている人も多いようです。

また物乞いの人も多く来ます。「子供が小さい赤ちゃんを抱いて来る」というのが多いですね。お情け頂戴という狙いなのでしょうが、往来の真ん中で非常に危険で見ていてハラハラします。また障害者を連れて居る人もよく見掛けます。社会福祉がまだまだなので、心が痛みます。

長距離バスに乗りますと、通常は、途中で「チパ売り」が乗ってきます。大体は若いミニスカートのお嬢さん二人組で、一人はチパをもう一人はコシード(甘いお茶)を売っています。バスの中で食べるだけでなく多くの乗客はお土産として買っているようです。チパはパラグアイでは最も一般的な軽食で、ターミナル、サッカー競技場等でも籠に沢山入れて頭に載せて売りに来ます。また軽自動車に積んでオフィスや住宅を「チパー、チパー」と日本の石焼きいものように売り歩いている人もいて、私もおやつとして時々買っております。


10・道路名、地番 考(3月24日)

日本で、道路の名称を見ていると「山手通り」とか「青梅街道」のように「行き先の地名」や「イメージ」で付けている場合が多いように思います。

パラグアイでは、道路の名称には「記念日」「地名、国名」「人物の名前」等が付けられています。また、パラグアイの国旗には裏表があり、紋章が異なっていますが、そこに描かれている「しゅろ」「星」「オリーブ」の3つの名称が首都の中心部の通りの名称になっています。「パルマ」「エストレーヤ」「オリバ」です。また街の中央を走る通りには「マリスカル・ロペス」という名称が付けられています。これは人名で、3国戦争(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国と戦った:結果は大敗戦)の時の英雄の名称です。 パラグアイの英雄の名称が付いている通りが多い中、「蒋介石」という通りがあるのを地図で見つけました。その通りに行ってみると、蒋介石の記念碑と銅像が立っていました。

私が住んでいるアパートは「5月14日通り」面しています。この日はパラグアイの独立記念日です。このように「〜月〜日通り」というような「日付け」の通りは多いですね。また国名も多く使われており、「ブラジル」「アルゼンチン」「ペルー」「合衆国」等が重要な通りの名称に付けられています。「日本」(アベニーダ・ハポン) というのもありますが、郊外の比較的目立たない通りに付けられています。 この他には「チャコの運転手」等というのもあります。「チャコ」とは西パラグアイの事なのですが、さてはてこれはどういう事なのかと現地の人に尋ねると、ボリビアとの戦争(チャコ戦争)の際に大活躍した記念だととの事でした。この他にも戦争際の激戦地の名称を付けた通りがかなりあります。日本で言えば、さしずめ「ガダルカナル通り」「インパール通り」と言った感じで、先人の苦労をいつまでも忘れない工夫なのかも知れません。

地番は日本とは随分違います。「〜通り、何番」という言い方をします。センターから離れるに従いこの数字が増えて行く仕組みで、道の両側で奇数、偶数になっています。家ごとに連続して番号が振られているのではなく、あくまでもセンターからの距離で決まっていますので、番地さえ聞けばたやすくたどりつけます。これはなかなか賢い方法だと感心しました。ただ、道路が連続していない場合があり、突然同じ名前の道路がすっと離れた場所にあるということもあります。


11・郵便事情(3月27日)

電話と並び、パラグアイでもう一つ困った問題は「郵便」です。日本等から郵便を当地に送られても、どうも着かない事が多いようなのです。特に着かないのは写真等を入れた封書のようで、中にお金でも入っていると思うのでしょうか、紛失するケースがあるようです。全部が来ないなら文句も言い易いのですが、着く事も多くあり、どなたから手紙をいただいたのか知るすでが無いので困ります。到着しない為、返事も書けず失礼しているケースが多いのでは心配しております。どうも、自宅よりも会社・事務所宛てに出した方が着く可能性が高いように思いますので、知り合いの方には出来るだけ勤務先の会社宛てに出していただくようにお願いしています。

アスンシオンにある「中央郵便局」は大統領府に近い一角で、こじんまりとした建物です。元々は個人の邸宅であったそうで、奇麗な中庭が付いています。アスンシオン市内の場合には、「小包」はここに取りに行かなくてはなりません。例えば、本、ヴィデオ等を日本から送ってもらう場合には「通知書」が来て、それが引き換え券となり、本人が証明書を持って郵便局に受け取りに出向かなくてはなりません。通知は3回来ます。ほっておくと処分されてしまうかも知れませんので、通知が来ると直ぐに取りに行くようにしています。例えば日本から、ヴィデオを送ってもらう場合には早くて5、6日、遅くて10日前後で着くようです。もし自分で行けない場合には、身分証明書の写しを添えて、通知書にサインして取りに行ってもらうことになります。

中央・郵便局

中央・郵便局の中庭

少し田舎になると住所が無い家というのがあります。郵便が頻繁に着く少し余裕のある家では「私書箱」を設定しますが、そうでない家宛てには郵便を送るのが難しくなります。「パラグアイ、〜市、〜様」と出して、本人がその街の郵便局に取りに行くのを期待するしかないようです。

パラグアイの経済の発展、近代化の為にも、これからの情報化時代、電話・郵便という情報の血脈の整備は不可欠でしょう。改善を期待しています。


12・電話事情(3月27日)

パラグアイで今一番遅れていて改善が必要なののは「電話」ではないかと思います。新聞を通じて、産業界は経済発展の為には電話を近代化しなくてはならないと盛んに訴えています。電話はまだ民営化されておらず、「ANTELCO」なる公社が独占営業しています。確かにかかりにくく、混線がかなり多いようです。最初は驚きましたが、「もしもし、おまえは誰か?」と電話する人が多いのも、混線が原因です。例えば、インターネットを使うために、プロバイダーにかける際、モデムが自動的にプロバイダーの番号を呼ぶのでダイヤルを掛け間違うはずは無いのですが、しばしば別の家に繋がり、相手の声がします。インターネットを深夜使う時には相手に迷惑な事ですね。

もう一つ繋がらない原因は、お話が長いという事です。とにかく挨拶が長い、本論に入る前にしばらくお話が続き、ようやく仕事の話をして、また最後に長々とお話をする。パラグアイ人というのはとても電話が好きな国民のようです。

また、回線を確保するのが非常に大変です。新聞には電話設置に関しての苦情、トラブル、汚職がよく掲載されます。「ANTELCO」にはかなり多くの職員が働いているはずなのですが、一体何をしているのでしょうね。不通になって半年も放置されて、途中の電線が盗まれていて、抗議しても全く修理せず、そのくせ、請求書だけは送って来るということも聞きました。また、支払いの期日にはANTELCOの事務所には長蛇の列が出来ます。支払いの窓口は2つだけ、長時間かかるこの道のことを新聞社は「ゴルゴダの丘に通じる道」と比喩していた程です。

エステ市にある中国工業団地へ台湾企業のの進出が予定より遅れている一番の原因も電話にあるという事です。早期の民営化、競争の原理を取り入れて欲しいものですね。 この為、最近急速に人気を集めているのが携帯電話です。しかしながら、余りに急速に普及した為に加入者が一杯になりお昼時など使い時には使えない状態になっています。


13・露天商(3月27日)

アスンシオン、エステ市、エンカルナシオン市、いずれの都市にも共通して多いのが「露天商」です。雑貨、電化製品、食品、絨毯、ホットドックと色々なものを扱っています。その種類の多さ、たくましさは大変なものです。

まず、アスンシオンで目に着くのは「ホットドック屋」小さい荷車にコンロが一つ、小さな冷蔵庫が付いている非常にシンプルなお店です。席は小さい丸い椅子が3、4つあるだけです。パラグアイではホット・ドックのことを「パンチョ」と言い、このような街角のホットドック店を「パンチェロ」と呼び,市内の主な交差点の脇には必ずといっていいほど、このパンチェロを見かけます。ソーセージを入れたオーソドックなものの他、牛カツを入れたもの、ステーキを入れたものがあり、特に注文をすると目玉焼きを一緒に挟んでくれます。これが結構美味しいので、皆おやつ、朝食等に利用しています。

季節の果物を売る店も多いですね。ちょっと値段は高いですが、新鮮でおいしいです。売るものは季節によって変化します。夏はスイカ、メロン、冬は柑橘類、そして一番華やかな時期は春先の「苺」の季節でしょう。籠に苺を一杯に積めて売りに来ます。苺が出る期間は短いので、競争は激しく、事務所にも売りに来ます。なお、果物は露天かスーパーとなっているので、アスンシオンには「果物屋」を見かけません。

アスンシオン市内の露天・果物商

また、この他でよく見かけるのが「チパ」売りで、頭の籠にチパを入れて売り歩いています。チパはパンの一種でチーズ味がするパラグアイでは非常に一般的な軽食です。最初はそれ程おいしいとは思いませんでしたが、癖になる味です。なお、最近日本でこれを流行らせようとしている方からメールをいただきました。関心のある方は、食品専門商社の倉光さんへお問い合わせ下さい。

アスンシオン一の繁華街「パルマ通り」では、観光客相手の古着商、電化製品のお店が並び、歩道は通行出来ない程です。電卓、時計、ラジカセ、、カメラ、スーツケース、ヴィデオ等が破格の値段で売られています。確かに安いのですが、本当に大丈夫なのでしょうか?


14・川軍(3月26日)

パラグアイにも「陸軍」「空軍」そして「川軍」があります。「水軍」というべきなのかも知れませんが、パラグアイ川に浮かんでいます。ボリビアには「湖軍」があるそうですが、海が無くても河川が国境となっているので、責任は大きいでしょう。

アスンシオン港に行くと何隻が見る事が出来ます。また大統領官邸の裏側が川になているので、行事がある時など数隻見かける事があります。

もうメルコスール(南米共同市場)の時代、隣国との紛争は起きにくいでしょうが、やはり万一に対する備えは必要な事なのでしょう。


15・航空会社(3月26日)

パラグアイにも勿論「ナショナル・フラッグ」の航空会社があります。現在はTAM「メルコスール航空」という名称です。メルコスールとは「南米共同市場」の意味で、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイが参加しています。

数年前までは国営の「LAP」という会社でした。この会社の評判は非常に悪く、予約を入れてもほとんど取れないのです。直前になるとキャンセルが相次ぎ、実際はガラガラであったようにも聞いています。どうも公営交通機関というのはいづこも効率が悪いようですね。そこでパラグアイ政府は株式の大半を売りに出し、民営化したのです。買ったのは「SAETA」エクアドルの会社です。会社名を「LAPSA」として民営の航空会社として再出発したのです。飛行機は片側を「SAETA」の青いデザインにして、反対側は「LAPSA」の赤いデザインと片側づつ別の会社に塗り分けて、どちらでも使えるようにしたのです。突然サービスが変わりました。今まではカウンターでも待たされ、お役所仕事であったのが、出口まで赤い絨毯が敷かれて、荷物は自動車が着くと係員が持っていってくれる程でした。待ち合い室には専用のコーナーが出来て「飲み物、軽食」のサービスがあり、これほど変わるのかと驚いたものです。

でもそのうちにいつしか、サービスも低下して行き、突然売られていまいました。売られると直ぐに飛行機も、会社の名前も変更されて、「TAM」という会社名で、ブラジルから飛行機がやって来ました。実はTAM社はブラジルで急成長を遂げている航空会社で、国内専門であったのですが、国際線をブラジルで取得するのは難しいと見て、パラグアイのLAPSAを買収したのでした。名称も同じ「TAM」としてブラジル国内で使用している飛行機をそのまま使っています。

日本で新しい航空会社が発足するそうですが、実際に飛ぶのはまだ先のことらしいですね。パラグアイではテンポの早い事、随分違います。



16・名前 考(3月28日)

スペイン語の名前は見ていると数がかなり限られているように思います。男性では例えば「エンリケ」「フアン」「ホセ」等は数人づつは顔が浮かんできます。姓もスペイン語オリジンでは数が少ないように思います。例えば「ゴンサレス」「ロペス」「マルティーネス」等。従って、ホセ・ゴンサレス等という名前は同姓同名が沢山居る事になります。また襲名みたいな習慣があり、長男には自分の名前を付けるのが普通なので、親子が自動的に同姓同名になります。この場合には息子「イーホ」を付けて区別します。

そこで考えたのが、名前を二つにすること、例えば「ロベルト・ホセ」のようにするのです。これなら数学で計算すると解るようにかなり数が増えます。もう一つ姓も二つ名乗る事、母方の姓を後に付けます、すると都合「4つ」になります。「ホセ・フアン・ゴンザーレス・マルティーネス」のようになります。これがパラグアイ式の名前となります。ただ、ペルーでは二世が生まれる際に母方の姓は当然日本では結婚と同時にご主人の姓になっている訳ですが、この事情をよく理解いないのか、同じ姓を重ねる事になってしまったようです。例えば、大統領は正式には「アルベルト・フジモリ・フジモリ」と言います。

日本人はさらに日本語名を付けます。例えば秀一とすると、「ロベルト・ホセ・秀一」となりさらに姓が二つ付いて合計「5つ」となります、かなり長いですね。両親のうちいづれかが日本人ですと日本大使館に申請に行くのですが、通常は例えば「田中 秀一」で登録します。或る人の話では( )を付けてその中に秀一(ロベルト)のように書き、読みを「かっこロベルト」としたら、本名が「しゅういちかっころべるとかっことじる」のようになってしまったそうです。おやまあ!

女性は結婚すると、母方の姓を取り、ご主人の姓の前に所属を示す前置詞(DE:英語のOFに近い)を付けます。ですから女性の名前を見ると「セニョーラ」か「セニョリータ」か直ぐに解ります。


17・結婚式 考(3月28日)

パラグアイは敬謙なカトリックの国です。従って結婚式は教会で行うのが普通です。教会での式は、まず花嫁が自分のお父さんと一緒に教会に到着します。(この時点では花婿は一番前で待っています。)美しい赤いバージン・ロードの絨毯を静々と入場します。二人の子供が先導するのが普通ですね。音楽は、ほとんどはあのメンデルスゾーンの結婚行進曲、この辺は日本と同じですね。一番前に到着すると父親が花婿に自分のお嬢さんを渡します。音楽が終わり、場内が静まると式の始まりです。

神父さんが二人を立たせて、お話をし、愛の誓い指輪の交換を行います。途中でコーラスが入ることもあります。12月に日系人・日本人の結婚式があったのですが、作者もコーラス隊として歌いました。(初めての経験)それほど長い時間では無く大体が30分で終わります。季節の良い土曜日等は人気の教会では時々、順番待ちになる事がたまにありますが、ハワイの教会みたいな事はありません。ゆったりと式が行われます。

式が無事に終了すると、退場です。今度は花婿が花嫁を連れて参列者の前を通過します。参列者達は「おめでとう」と声をかけ、照れながら退場して行くのが普通ですね。出口で参列者とおめでとうの挨拶です。一人一人声を掛け、キスをして本当にラテンらしい雰囲気です。私も美しい花嫁衣装の花嫁さんとキスが出来、とても幸せになれる一瞬です

神父さんはほとんどが現地の人ですが、中には日本人の方もいらしゃいます。またエンカルナシオンには日本語出来る神父さんが居ます。この方は日本の東京・吉祥寺の教会で研修を受けた方で日本語はペラペラです。式一切を日本語で行えます。エンカルナシオンもしくは周辺の移住地の方には非常に有り難い存在ですね。

式が終わると披露宴に移るのが一般的です。日本と同様にホテル等の場所を借りて行いますが、始まるのは10時頃、二人がまず「ワルツ」を踊ります。ここに次に両親が加わり、それぞれ息子、娘と踊ります。次に親戚、友人が加わり次第に輪が広がって行きます。

食事が始まるのは通常は11時、もう夜中です。楽しく歓談していると、いよいよクライマックスの「ケーキカット」となります。通常は午前零時頃、過ぎて翌日に入ることもよくあります。ケーキは大きさは大体、日本の披露宴で見かけるのと同じくらいでしょうか、中にはかなり大きいのもあります。違うのは全体が本物で出来ている事と、中に「くじ引き」が入っているのです。ケーキカットの前に独身女性が呼ばれ、皆で籤を引きます。ケーキに沢山紐が付いており、一本だけ当り籤(指輪が付いている)が入っています。これを引き当てた人が次に結婚出来るというものです。花嫁と独身の美しいお嬢さんの中で男性は花婿だけ、一生に一度しか無い幸福が味わえる瞬間ですね。

後、面白いのは、花婿が独身女性一人一人の太股にガードルを付ける事です。スカートをちょっとめくり太股の上の方に迫ると大きな歓声が沸き上がります、Hな雰囲気があって盛り上がります。これなど日本でも取り入れてみてはいかがでしょうか?

ここまで終わるのに大体、午前1時になります。これからが、踊りタイム。激しいリズムの音楽が始まり参加者が踊ります。熟年の方も沢山参加しますよ。この時間になると次第に皆帰り始めます。全部終了するのは大体午前4時頃になるそうです。結構ハードな結婚式です。

日本の女性の方の間では外国の教会で結婚式というのが、はやっているそうですが、このパラグアイ式の結婚式良いでしょう。お薦めですよ。


18・パーティー考(3月28日)

パラグアイの人は「フィエスタ」(パーティー)が大好きです。何かあると皆集まって肉を焼いてフィエスタです、誰もがとても楽しむのが上手です。パーティーで出されるのはほとんどが「肉」です。それも牛肉の骨付きが好まれます。(パラグアイの人は美味しい時を表現するジェスチャーとして、骨付きの肉をしゃぶるまねをします。)

通常のフィエスタの場合、肉以外は非常にシンプルで「野菜サラダ」「マンジョカ」(タロイモの一種)「パン」等です。お通しとしてビールやワインを飲みながら「チョリッソ」と呼ばれるソーセージ「マンジョカ」を小さく切って爪楊枝を付けていただきます。ソーセージも普通のものと「ピカンテ」と呼ばれる少々辛いのを混ぜていただくのが普通です。両者は見た目では同じですが、ソーセージの区切りに付いている留め金が「白」は普通の「赤」は辛いのとメーカーを越えて約束されているようで、間違う事はありません。また黒い「血のソーセージ」(モルシージャ)を食べる事もあります。これらのソーセージとても美味しいのでついつい食べ過ぎてしまいますが、コレステロールが多いので注意が必要です。

音楽は豪華版ですと、楽団を付けることもありますが、ラジカセ等を目一杯にボリュームを上げて鳴らします。音楽は勿論ラテン、陽気な音楽でフィエスタが一層盛り上がります。土曜日になるとあちこちでフィエスタがあり、深夜になっても大きな音の音楽が聞こえて来ます。お互い様という暗黙の了解があり、音が大きいとの文句は出ません。さすがにこの辺は、おおらかなラテン気質です。

テーブルや椅子、飾り付け等は専門のパーティー道具屋から借りて来るのが普通です。スプーン、皿等を含めてフィエスタに必要なものは何でも揃っています。クリスマス・イブ等皆がフィエスタをやる日には予約が殺到します、余裕を持って予約して押さえておかなくてはなりません。

最近問題となっているのは、フィエスタを行う時には門を開け、扉を開けてオープンな状態になっている訳で、客を装って泥棒が入るケースが増えている事だそうです。パラグアイでは、招待客が友人を連れてくる事は普通の事で、家主が知らない人がやって来るのが当たり前の事なので誰も疑いません、堂々と女性にキス等をして入り込み盗んで行くそうです。ラテン気質を逆手に取った、日本ではちょっと起きないような泥棒ですね。


19・インディオの土産物売り(3月27日)

アスンシオン市内中心部には「インディオ」が路上で自分達の手作りの土産物を売っています。下の写真に見られるようなカラフルな模様の小物入れ等で観光客に人気があります。インディオのお土産屋は、政府の保護を受けているようで、中央の公園、お土産店の前、空港等で自分達の作品を売っています。小物入れの他では頭にかぶる「羽の飾り」とか「敷物」等を作っています。羽飾りを付けると酋長の気分を味わえますよ。でも市内で物売りをしているインディオは総勢で20〜30人位でしょうか?本当にごく少数なのです。

3月15日に放映された「世界不思議発見」では観光用の見世物の「インディオ村」の人が裸で踊っていましたが、実際は下の写真のようにごく普通の服を着ています。売っている人は全て女性の年配の人で、察するに若い人はどんどんと一般の人に同化して行っていると思われます。でも男性はどうしているのでしょう?

パラグアイでは、インディオは奥地にほんの一部残っているだけで、保護を受けています。やがては一般のパラグアイ人と同化して消えて行くのかも知れません。

インディオの土産物売り


20・市場(3月27日)

パラグアイでは、伝統的に野菜等の生鮮食料品の買い物は「市場」で行っていました。現在は「スーパーマーケット」で大量に野菜などが取り扱われていますが、つい5年程前までは市内に幾つかある市場で買うのが普通でした。アスンシオンの市場には、番号が付いていて、4番目、スペイン語で「メルカード・クワトロ」がその中でも最大です。

メルカード・クワトロの中は東南アジアでよく見かけるような雑踏で、小さい商店が軒を連ね、狭い路地には自動車がやっと通れる程の隙間があり、多くの人が往来しています。中には、野菜、果物、薬草、肉類等の他、各種雑貨が売られています。値段は野菜などはそれ程スーパーと違いが無くなって来ており、自動車の排気ガスから出る鉛の害が有ると新聞に出たりして、売り上げはかなり減少しているようです。

韓国系の商人達も多くの人はここで商売をしています。日本人と違い、韓国の人はハングルで堂々と看板を出します。韓国から大量に各種雑貨を持ち込み、リーゾナブルな値段で売っています。また中国人がその名も「中国屋」という店を構えて商売をしています。中国野菜、食品等を売っています。ここの「肉饅頭」は結構美味しいですね。

ただ、このメルカード・クワトロの大きな問題は「汚い」事でした。ごみだらけで腐敗臭が立ち込めてちょっと中の方に進んで行くには勇気が必要でした。しかし、野党統一候補としてアスンシオン市長に当選した若いブール市長は自分から率先してこのメルカードクワトロの大掃除を実施したのです。徹底的に掃除をして見違えるようになりました、やるもんですね、本当に美しくなりました。奇麗になってみるとゴミを散らかしにくいのでしょう。今でも充分に奇麗です。

メールカード・4(かなり雑然としている)


21・履き物 考(3月28日)

日本から移住して来て以来、身につけるものは、最近はほとんどのものを現地で買っていますが、ただ一つパラグアイ製で合わないのが「靴」です。

パラグアイは、西洋文化の国ですから、勿論、靴はふんだんにあり、値段も日本に比べて安いのですが、どうも足にしっくりしません。よく見てみると、こちらの靴は「長く、幅が狭い」のです。どうも日本人の足は横に広がって短いようなのです。(私は特に幅広なのかも知れません。)勿論サイズを測って特注という方法もあうのでしょうが、それならば日本で買って持って来た方が簡単なので、日本で「幅広」なる靴を買って使っています。

パラグアイは暑い国ですが、見ていると皆きちっと靴を履いています。街で、男性でサンダルを履いて歩いているのは余り見かけません。小さい子供も、赤ちゃんですら「靴下」を履き、「靴」を履いている子が多いのです。小さい時から訓練をしているわけですね。家の中で靴を履いて過ごすというのはこちらではごく普通の事ですが、これには私はなかなか馴染めません、今でも自分のアパートに戻ると裸足で過ごしています。こちらでは、床は汚れているのが当たり前という考えなのでしょうか、赤ちゃんも靴を履いてハイハイしているのを見ると、必要があって履かせているのが理解出来ます。

女性の履き物はそれ程日本と大差が無いように思います。10年位前からパンティーストッキングを履くようになったそうで、靴なども差はほとんど無いようですね。ただ、韓国などから大量に良質のサンダルが入っているのか、サンダルは増えているように思います。


22・デザート 考(3月28日)

食生活の習慣の違いからか、日本人には「エッ、」と言う物がある。例えば「ご飯」。白いご飯にミルク(コンデンスも少々)、砂糖、シナモン等をひたひたに入れ、冷やして食べるこちらの人達の好きなデザートが 「アロース・コン・レッチェ」(ライス & ミルク)。童謡に、「アロス・コン・レッチェ、サン ニコラスの娘さんと結婚したい。縫い物が出来、編み物が出来て、遊びに行く為の靴下を編んでくれる人がいいな」と 言うのが有るくらいこの組み合わせのデザートは一般的である。パラグアイに非常に同化し、二世かと思うほど現地社会に溶け込んだ友人でさえもこれにはさすがに手が付けられないそうな。しかし、ご飯は「食事用」、といった概念を取り外して食べてみると、なかなかいける代物である。試してみてはいかがでしょう。

これとは反対に、パラグアイの人には、羊羹、あんこ、といった小豆に砂糖というのが、「エッ、(もしくは ゲッ)」である。小豆はサラダ、煮込みスープとして食べるもので、甘くするとは何たる事、といった感じです。ブラジルでは、大衆料理で「フェイジョアーダ」というご飯に小豆に似た豆の煮込みをかけたものがあります。でも決して甘くしません。日本人がブラジルに入植した当初、これを甘くして売ろうとして大失敗したそうです。

日本でお菓子作りを勉強して来た方が、ケーキ屋「モニカ」をやっています。甘みを押さえたケーキが評判で予約をしないと手に入らないことがしばしば。さらに羊羹、ムース、プリンや、季節によれば、桜餅等も作ってくれます。

お菓子や・モニカ

またこちらの人がまずしないのが「アイス・コーヒー」。コーヒーは「熱いもの」という習慣が在り、決して冷たくしません。ですから「コーヒー・ゼリー」等は論外。ゼリーは甘い果汁などで「コーヒー」から作る発想など全く無いようです。でも日本料理のレストランで出す事がありますが、結構パラグアイ人にも評判が良いようです。


23・聖なる金曜日(3月28日)

カトリックの国で一番神聖な祝日は「セマナ・サンタ」(聖週間)の「聖なる金曜日」ではないかと思います。キリストが十字架を背負い処刑された日です。パラグアイではセマナ・サンタは木曜日、金曜日が祝日となり、特に金曜日は静かに過ごすようです。実は今日が「聖なる金曜日」なのです。(そして日曜日に復活するのだそうです。)

昔は肉も食べず、商店はほとんどが閉鎖して、皆静かに過ごしたとの話で、今日はどうかと朝、散歩に出かけてみました。近所の観光ホテルの前にはブラジル・ナンバーの大型バスが何台も止まっており、休みを利用してやって来たブラジル人観光客で一杯でした。スーパーマーケットも通常営業でしたが、その上にあるショッピングセンターはお休み、街の商店もやはり日曜日並みの静けさでした。但し、一番の繁華街「パルマ通り」にはいつものように観光客相手の露天商が並び、多くの商店も店を開けていました。数年前では考えられない事です。

しかしテレビは面白くないですね、やはりアクションもの等の血の気の多いのは今日は無いようで、聖書やキリスト教に関係した映画がほとんどのようです。街も観光客は別として、非常に静かで、いつも渋滞する通りも閑散としていました。

どういう規則でこの週が決まるのか知りませんが、毎年「聖週間」は動きます。大体は4月の上旬が多いように思いますが、今年は3月末になっています。カトリック国で仕事をしている日本企業の駐在員の方は、今は「本社の決算期」です、4月上旬ならゆっくりと休めるのでしょうが、3月末の今年は多分、皆さん出勤でしょう。

私はこのセマナ・サンタの期間、どんどんとこのページを書き加えております。今日は随分と書き進みました。


24・橋落ちた(3月28日)

アスンシオンの中央に位置する「独立公園」、全体で4区画を占めるかなり大きな規模の公園で、市民の憩いの場所となっています。緑が豊かな公園の中には鳩が多く、通りがかりの人が餌を与えており、また靴磨き職人が多く、新聞を見ながら靴を磨いてもらう人がいるというような非常にのどかな光景が見られます。

しかしながら年々増える自動車に対応する為に、この公園の内の2区画を地下駐車場にする事になり、工事が行われ見事な駐車場が完成しました。地上は近代的な公園に生まれ変わり、モニュメントが置かれ、小さなステージが作られました。そして公園全体を見渡せるようにと公園の中央部には美しい「歩道橋」が架けられました。

この公園の完成式典は独立記念日に併せて行われ、沢山の市民がこの新しい公園に集まって来ました。ステージでは記念コンサートが開催され、それを見に多くの市民が全体が見える橋から眺めていました。その内に橋は鈴なりの人となり、幾重にも人垣が出来てステージを見ていました。その時、橋が落ちたのです。橋の上に居た大勢の市民は重傷を負い、市内全域から救急車が集まり、騒然となりました。私はこの時アパートに居たのですが救急車の音がけたたましく何が起きたのか?この時市内全域の救急車が出動したのでしょう、市内中サイレンの音、市民誰もが何か異状事態が起きたと思ったでしょう。

その後、落ちた橋は撤去され、橋の基礎だけが残っています。橋が無くなると何か間が抜けたような感じとなり、最初の輝かしい印象は無くなりました。


25・国内線 考(3月28日)

パラグアイは日本より広い国土を有していますので、さぞかし国内線も発達していると想像される方もいらっしゃるでしょう。利用する旅行者の数が少ないのと、飛行機を利用する富裕な階層がまだ少ない事があり、今のところアスンシオン市から「エステ市」へと北部の中心都市である「ペドロ・ファン・カバジェロ市」に2航路が有るだけです。昔はエンカルナシオン市へも便があったのですが、利用者が少ないので廃止になってしましました。

飛行機は小型のジェット機とプロペラ機が使われており、つい最近までは下の写真にあるようなものでした。運行会社は2社あり、主にエステ市へ飛んでいます。ジェット機に乗りますと、中は狭く、11人乗り、戦闘機に乗り込んだような気分になります。コックピットも丸見えで景色は良いのですが、ちょっと心配になります。出発して高度が上がり、水平飛行に移ると間もなく高度が下がり始めます。エステ市までは、直線距離で約300キロ約30分で到着します。

この写真にある「アルパ」航空はパラグアイの代表的な楽器「アルパ」から来ているので、待合室ではアルパの演奏が聞け、演奏を聞きながら、サンドウィッチ等を軽食をいただく事が出来ます。



26・交通事故 考(3月29日)

アスンシオン市内では日本に比べると、かなりの頻度で「交通事故」が発生しています。原因は様々であるでしょうが、まず言える事は、とにかくパラグアイ人の運転マナーが良くない、横からの割り込み、無理な追い越しが多く、特にバスは競争をしているかのような猛スピードで疾走して行くし、タクシーも多くは「神風タクシー」状態、また車検が無く、整備不良の自動車が野放し状態になっているのにも原因があるのかも知れません。

また問題は「信号」にもあるように思います。市内の「信号」は数が少ない上に、かなり見にくい位置にあり、またアスンシオンは非常に木が多いのですが、これが信号を覆ってしまうことが多いのです。また信号の位置が交差点の手前に在ります。交差点の向こう側に付けると、交差点に自動車が入り込んでしまうと考えているのでしょう、どうも全く運転手を信用していないようですね、その証拠に大きな交差点にはわざわざ道路を横切るようにして「蒲鉾状の障害物」を造って、自動車が減速しなくてはならないようにしてありますし、場所によっては洗濯板のような「ギザギザ」を付けてある。しばしば通過する道であればこれらの所在を知っているのであるが、余り通らない道で突然「ボッコン」と衝撃を味わう事もしばしばで、同乗者が飛び上がってしまいます。

また、市内中央部では道路がほぼ格子状になっているのですが、ほとんど信号が無いのです。その為に交差点での衝突が多いのは当然化もしれません。その上、歩行者が余り自動車を恐れないのか、どんどんと渡って来ます。見ていても「ニアミス」はしばしばです。

最近危ないのは「自動二輪」。手軽な乗り物として、日本から中古が大量に入って来るようで、急速に数が増えている。ヘルメットをせず、自動車の間を縫うように走り抜けて行くのを見ていると事故が起きないのが不思議な気さえします。


27・ショッピング・センター 考(3月29日)

アスンシオン市内に、以前にもホテルの経営する「ショッピング・エクセル・シオール」等小型のものはありましたが、本格的なショッピング・センターがオープンしたのは今から一年ちょっと前、95年の年末でした。「ショッピング・デル・ソル」これが最初の本格的なショッピング・センターとなりました。

ショッピング・デル・ソル」は、アスンシオン空港から市内に至る道路沿い、センターからは10キロ位離れた、従来は住宅地域に創られました。大きな駐車場を完備し、2階建ての建物は今までのものとは全く異なり、非常に垢抜けた感じのものです。中には各種ブランド品、カジュアル洋品、土産物店、書店、レコード店等が入り、食堂のコーナーには「ピザ」「中華・和食」(日本人の経営)「メキシコ・タコス」「ハンバーガー:バーガー・キング」「アイスクリーム」「ビヤホール」「焼き肉」等が出店し、またチリの大型スーパーマーケット「サンタ・イザベル」が出店しています。この他には映画館、小さな遊技場等が在り家族全員で楽しめるような工夫がしてあります。

ショッピング・デル・ソルの内部の様子

それから半年位で、ライバルのショッピング・センター「ショッピング・マリスカル・ロペス」が完成しました。これはセンターと「ショッピング・デル・ソル」の中間地点に在り、地上4階、地下2階の大型店舗です。地下は全て駐車場となっており、そのスペースはかなり大きく、まず一杯にはならないでしょう。立地条件も良く、かなりはやっています。こちらにも食堂が在り、週末は、家族連れで賑わっています。

ショッピング・デル・ソルの内部の食堂

両方とも非常に立派で、清潔、トイレもホテル並みと訪れた人をリッチな気分にしてくれます。この二つのショッピング・センターの出現で人の特に自動車で行動する購買力の高い層の行動はかなり変わって来ており、あい次ぐ大型スーパーマーケットの出現と併せて、従来型の小売店には危機感が感じられるようになって来ました。


28・空港 考(3月29日)

パラグアイを訪問する際に、多くの方が最初に足を踏み入れるのは「空港」でしょう。その国のイメージ、第一印象が空港で決まる事がよくあります。始めて行った国で、空港で気持ちの良いサービスを受けてスムーズに通関出来るとその国の印象が良くなり、逆に、不快な思いをすると悪くなるという経験があります。観光立国ではサービスの向上に努めていると聞きます。

しかしながら、我がアスンシオン空港は「ちょっと、ウーン」と言った感じです。まず到着して荷物が着き、通関を通過すると直ぐにポーターが寄って来て荷物を持とうとします。これはかなり強引で、油断しているとさっさと荷物を持って行ってしまいます。一応「一個一ドル」というように料金が決まっているようなのですが、値段のトラブルが多いので御用心。それ程多くない場合、迎えが来ている場合にはきっぱりと断らなくてはいけません。出発の際に空港に着いた時も同様です。到着して、荷物を自動車のトランクから出そうとするともうポーターの手が伸びています。日に数回の限られてた収入のチャンスなので彼らも一所懸命なのです。

アスンシオン国際空港

最近は便数か増えて来て、アスンシオン空港では国際線は日に10便〜20便位飛行機が発着します。6年前はこの半分位であったと思います。(サンパウロは直行が日に3便、ブエノスアイレスは2便、6年前にはサンパウロ・ノンストップは無かったのです。)

出発は「上の階」、到着は「下の階」になっています。出発階は到着すると駐車禁止で直ぐに自動車を動かさなくてはなりませんのでそれ程の混雑では無いのですが、問題は下の到着階。構造上、設計上にに問題があるようで、出口がいつも自動車で大混雑です。非常に荷物を積み辛いので、いつも四苦八苦です。不法駐車が多く、他人の事を考えない行動が目立ちます。また、迎えに行くと通関からの出口は一つ、そこに鈴なりになって人が待っています。一応柵が備え付けられているのですが、皆お構いなしに越えて出口を塞ぐように待っています。その為、出口付近はいつも大混雑、通り抜けるのも大変です。パラグアイ人は、空港のようなものを合理的に運営するのはどうも苦手のようです。観光客を増やす為に改善の努力をしているようですが、成果はこれからでしょう。

なお、アスンシオン空港には普通の国際空港では、どこにでも在る「免税店」がありません。中の待合室にお土産店はありますが、特に免税店というわけではありません。市内で「酒」「たばこ」「電化製品」等が安く売っているので意味を為さないようです。確かに洋酒等は日本やサンパウロの空港・免税店よりもアスンシオン市内で買う方が1〜2割り程安いようです。

アスンシオン国際空港・内部


29・お土産 考(3月29日)

訪日する際に最も頭を悩ませるのが「お土産」です。ご無沙汰してお世話になった方々に何かパラグアイの記念になるものを持って行きたいと悩みます。まず考えるのが、「ニャンドゥティ」これはパラグアイ独特のもので、蜘蛛の巣状の刺繍をして周りの布を取り除いたもので、全てがて手造りで手がかかり最近は造れる人も減って来ており値段も上がって来ています。かさ張らず、額に入れると奇麗ですし、手造りのぬくもりが伝わって来て、日本の方には好評のようです。従いまして、一回目のお土産はこれ、「ニャンドゥティ」で決まりです。

さて、問題となるのは2回目以降です、やはり何か記念になる「お土産」を持って行きたい。ここで悩むのです。まず考えるのは「お酒」以前は日本では洋酒が高かったので、これは喜ばれたそうです。アスンシオン市内にはスーパー等でも「お酒」を売っていますが、聞くところによると、今でも世界一を争う程、安いそうです。(市内で物が酒等の豊富で、安いので「アスンシオン空港」には「免税店」がありません。)しかしながら、最近は日本でも量販店等が出来て、洋酒はかなり安くなって来ているようなので、重い割にはそれ程喜ばれなくなって来ているのが現状です。

次に考えるのが「皮製品」「木彫りの人形」です。皮は沢山あるので、バック、小物入れ、ごみ箱等として沢山売っていますが、どうもデザイン、仕上げにちょっと問題があるのです。木彫りの人形は良いのですが、ちょっと重いのが難点かも知れない。等と悩みます。また「焼き物」があるのですが、これは焼いた後、ペンキを塗ったもので、カラフルで楽しいのですが、ウーン。その中では「鶏の置物」を持って行く事があります。これは白黒の一対になっていて、縁起物で、幸福を呼び込むものとして大切にされています。大きさも色々とあり、「よいしょ」、と持ち上げなくてはならないものから、指先の大きさ程度のものまであります。ただ、壊れ易いのが難点ですね。結婚式の引き出物の中に入れると喜ばれるかも知れませんね。

土産物店


30・人造りセンター(3月29日)

パラグアイに対して、日本はアスンシオン市に「国際協力事業団」の事務を持ち、長年にわたり、数々の援助を行って来ており、現在でも数多くの「専門家」、「海外青年協力隊」の方が各専門分野で活躍されています。

援助が目に見える形でアスンシオン市内に在るのが, 「人造りセンター」(CENTRO PARAGUAYO JAPONES PARA DESARROLLO DEL RECURSO HUMANO) です。直訳すると「人間の資質開発の為の日本・パラグアイ・センター」とでもなりましょうか、ちょっと長いので、日本人の間ではこれを「人造りセンター」と呼んでいます。(私などは、最初聞いた時は「赤ちゃんを作る為のセンターかな?」と顔を赤らめ、あらぬ方向の想像をしてしまいましたが)

市内の閑静な住宅街の中に忽然と聳え立っています。外見はギリシアのパンテノン神殿を思わせるような造りで、正面から見ると左右対称、前庭に「灯篭」があり、中庭にも「灯篭」が在り、「千葉市」とアスンシオン市の姉妹都市の碑もあります。

建物の正面は劇場で、後ろには体育館が在ります。また日本人会がこの中にあり、生け花、茶道を行う為の「和室」また「柔道場」等もあります。図書館、小さい展示スペース、コンピュータ教室、外国語研修室等があります。日本語もここで学ぶ事が出来るそうです。要するに「市民会館」として利用されている訳です。

日本人の催し、日本からの来た方の音楽会等はここで行われます。先日は「日本航空」の提供で「落語」の催し物がありました。毎年6月には「日本人祭り」と称して日本人の文化祭、成人式をここで行います。 「日本人祭り」では、各団体、勿論個人でも参加出来るのですが、踊り、歌、寸劇等を行います。順位を競い、優勝者には「豪華商品」があるようです。かなり凝った物が多く、各団体そろそろ今年の出し物の準備に取り掛かっている頃でしょう。

「人造りセンター」




31・遊園地(98年12月25日)

パラグアイで余り見掛けないのは「遊園地」でしょう。日本ですと大型の施設がそれこそどこにでもあるのでしょうが、当地で、そのような施設は皆無だと思います。そこで登場したのがショッピングの遊園地、それ程大きくは無いのですが、メリーゴーランドを始め小さな観覧車、自動車等を並べ、半分の空間には日本製のゲーム機が所狭しと並べてあります。色彩は非常にカラフルでいかにも楽しそうです。料金は一回約100円、当地の物価から見るとそれ程安くは無いと思います、それでも週末ともなると多くの家族連れで賑わいます。小さいながらも遊園地気分は味わえ、ポップコーンとか綿飴なども売られています。これを目当てにショッピングに来る家族連れも多いのではないでしょうか?

日本と違うのは深夜になっても賑わっていることでしょう。12時近くなってもまだ小さい子が遊んでいます。日本ですと「早く寝なさい」と言われることが多いように思いますが、当地ではどうやら夜更かしは問題無いようです。ゲーム機を見ていると日本の中古をそのまま持って来ているので、解説が日本語なのです。「コイン入れ100円」などとそのまま、人形をクレーンで取るゲームなどの音楽は「踊る・ポンポコリン」です。

(写真:マリスカル・ロペス・ショッピングにある遊園地;非常にカラフル)


32・駐車場 考(3月30日)

アスンシオン中心部、センター(スペイン語ではセントロ)では自動車の混雑が激しく、用事があって出かけても問題は駐車です。自動車がスムーズに走るようにと、中心部は全て一方通行にし、河に沿った郊外に行く通行量の多い方を常に優先としています。とくにこの優先になる方の道路は駐車も禁止にしており、とにかく流れを止めない事を最優先にしているようです。

従って、自動車を駐車するのは主に河と直角方向に走る道路となります。昔は「駐車・チケット」となる紙を買って、駐車する時に書き込みをして置くという方法でしたが、ある時、「パーキング・メーター」にしてコインを入れると時間を示す方式に切り替えたのです。管理する事が苦手なパラグアイ人のこと、その内に故障する機械が続出し、今度は全部取り外し(もったいないですね。)コインで時間を示すカードを買う方式に変えました。所々にこのカードを入手する機械が置いてあるのですが、駐車する場所によってはかなり遠くになったり、壊れていたりと不便このうえありません。しかも最近は駐車違反の取り締まりが厳しくなり、直ぐに罰金です。それもタイヤに箍(たが)を嵌めて動かせないようにするのです。罰金は7万グアラニ(3,500円)とパラグアイの物価から見るとかなり高いものです。

駐車場・券売機

勿論、有料の駐車場もありますが、スペース一杯に自動車を詰め込む所が多く、中に入り込むと、出すのに10分以上かかる事もしばしばです。最近は中央の公園の地下を駐車場にしましたが、ここは料金が非常に高く余り利用されては居ないようです。

駐車場の問題からセンターから事務所を移すケースが最近は目立って来ており、今後は空洞化が進むかも知れません。特に買い物は駐車場が完備されたショッピング・センターや、スーパーマーケットに行くケースが増えているようです。


33・緊急自動車 考(3月30日)

どんな自動車混雑があっても優先されるのが、「緊急自動車」でしょう。サイレンと共に疾走して来る緊急自動車があると道を開けて通すのは万国共通だと思います。

一番、ポピュラーなのは、やはり「救急車」でしょう。パラグアイには日本、台湾等から「救急車」が無償援助されており、近代的な救急車が走っています。急速に近づいて来まる救急車を最初に見た時は驚きましたね、バックミラーを見ると「AMBLANCIA」と大きく書かれた文字がはっきりと普通に見えるのです。過ぎ去って行くのをよく見たら鏡文字で「AMBLANCIA」と書いてあるのです。前の自動車をすみやかに道路脇に寄させる工夫でしょう。

警察のパトカーは様々な自動車が使われているように見えます。もしかしたら没収した自動車を使っているのかも知れません。事件が少ないのかパトカーが疾走している姿を見た事はほとんどありません。最近では、民間の警備会社でしょうか、「SAP」と書かれたピック・アップをよく見かけます。最近では、銀行や、大型商店等では、自分で警備員を雇用するのでは無く、このような会社を利用する事が増えているようです。

この他で非常に多いのはパトカーを先導した「VIP用の自動車」です。首都ですので、VIPも多く、大統領も移動するので、どうしても多くなるのは当然ですが、どうもそれにしてもVIPが少し多いように思います、気のせいでしょうか?。最初に警官が出て来て通過する道路の信号を止めて自分達の合図に切り替えます。次に道路状況を調査する白バイが来て、しばらくすると先導のパトカーが来ます。交差点に配置された交通整理の警官は勿論このVIPの自動車を最優先に通します。ラッシュ時に通過する場合には、混雑に拍車がかかります。


34・教会 考(3月30日)

パラグアイはカトリックの国であり、国中のいたるところに教会が在ります。カトリックの国では、多くの場合都市の中心は教会です。大都市では「カテドラル」と呼ばれる大聖堂があるのが普通で、アスンシオンにも、大統領府の並び、国会議事堂の隣、警察庁の向かいに「カテドラル」が在ります。

南米の他の主要都市のカテドラルと比べると地味で小さいように思うのですが、訪れると敬謙な信者が祈りを捧げており、使われている、信仰の対象としての一種の威厳みたいなものを感じます。以前、日系人の友人がここで結婚式を挙げたのですが、荘厳な雰囲気が漂っていました。アスンシオンを訪問する機会があれば是非覗いて欲しいですね。また、河川沿いに住んでいた不法住民がパラグアイ河が氾濫した時にこの教会の脇に住み付き、現在では教会の裏側にはびっしりと家が出来ています。

パラグアイで一番権威が在るのは「カアクペの教会」のようです。カワクペ市はアスンシオン市から約50キロ程、東に在る都市で、コルディジェラ県の県庁になっています。門前街のようで、中心に教会が聳えています。パラグアイの数少ない祝日の中で「カアクペの日」とおいうのがあります。12月 8日で、この日は皆歩いて教会に向かいます。未明にアスンシオンを出発して延々歩いて行く姿が見られます。(最近では途中までバスで行って、最後の区間歩く人も中には居るようですが。)

その他、街中に教会が在り、アスンシオン市街地にも「エンカルナシオン教会」「トリニダー教会」等、一見の価値がある教会があります。

アスンシオン大聖堂(カテドラル)


35・ランバレの丘から(3月30日)

アスンシオン市の郊外「ランバレの丘」からの景色は、アスンシオン市がどのような街であるのか理解するのに非常に良い場所である。パラグアイ河に沿って、下流方向に街のセンターから約10キロ、ポツンと小高い丘があります、この「ランバレの丘」の地名はアスンシオン市と境界を接している「ランバレ市」から来ているのでしょう。アスンシオン観光のページでも紹介していますが、ここからの景色はすばらしいのもがあります。

この丘は、高々数十メートルの小高い丘で、歩いても簡単に登る事が出来、デート・コースになっています。また自動車でも登る事が出来ます。上には物売り、特にビール、清涼飲料水売りが商売をしています。上まで上がると、他に高いものが何も無いので360度見渡す事が出来ます。頂上にはモニュメントがあり、キリストの像が在り、アスンシオンの「コルゴバード」と呼ぶ人が居ますが、これはちょっと恥ずかしいですね。このモニュメントの周りには歴代の英雄の像が在るのですが、正面だけが空いています。元々ここには革命で追われた大統領の像があったそうです。

まず、パラグアイ河の方向を見ると、ラプラタ河・最大の支流、大河「パラグアイ河」が見渡せます。日本の河川とは違い非常に大陸的、とうとうと流れている様子が理解出来ます。ブエノス・アイレスまでは千キロ以上、アスンシオンは海抜が百メートルそこそこですから、この河の傾斜はほとんど無いのが理解出来ると思います。

対岸は一面の緑、草原では無く、潅木が広がっています。何も無い緑の地平線を見る事が出来ます。アスンシオン中心部から対岸までは橋が架っていないので、無人の荒野がただただ広がっているだけです。方向は西、ここから見る地平線に沈む、夕日は本当に雄大なものです。

反対側は市街地になっています。市街地と言っても樹木ばかりが目に付きます。下の写真を見てもわかるように街というよりは、一面の森です、これで「木々の中に家が在る」と言った状態ですが理解出来ると思います。

ランバレから見たアスンシオン市内の様子


36 バス・ターミナル(4月 2日)

アスンシオンの玄関口は、空港ともう一つは「バスターミナル」です。鉄道の駅もありますが、ほとんど貨物用で、アスンシオンに入るには飛行機かバスということになります。アスンシオンのバスターミナルはセンターから5キロほど行ったどちらかと言うと住宅街にあります。元々は各社がバラバラに事務所を構えていて、そこからバスを発着させていたのですが、乗り換え等に不便な為にここに集めたようです。

ここを利用しているバス会社はどのくらいあるのでしょうか?数えた事は無いですが数十の会社が在り、チケット販売の窓口を持っています。1社の間口は約3メートル程で、ガラスには行き先と出発時間が示されており、それがずらっと並んでいます。中には各地に路線を持っている大きな会社もありますが、ほとんどは専門が決まっています。例えばイタプア県方面に行く場合には「エンカルナセーナ」、チャコ地方(西パラグアイ)に行くには「NASA」が便利です。

国際線も出ています。サンパウロ、リオ、フォス・ド・イグアス、クリチバ等のブラジル、ブエノスアイレス、コルドバ等のアルゼンチン、チリのサンティアゴ等へ直行バスが出ています。以前サンパウロからアスンシオンまでバスに乗りましたが、24時間かかりました。お尻が痛くなります。ブエノスアイレス、サンパウロなら、万円以下で行く事が出来ます。長距離バスには「エグゼクティブ」(ブラジルはレイト)と呼ばれる豪華バスもあります。これは3列で25席程度しかありませんので、ゆったりと座れます。

バスターミナルの中に多いのは物売りと何故か「犬」。「物売り」の方は理解出来ますが、犬が多いのはなぜなのでしょうね。パラグアイの野良犬は一体におとなしく、バスターミナルの犬達も寝ているのが多いです。バスターミナルの周囲は、庶民向けのホテルや食堂が並んでいます。歩道にはかつては掘っ建て小屋が並んで商売をしていたのですが、当時の市長が浄化を打ち出し、今では赤く小奇麗なボックスが並んでいます。お腹が空いたので一度ここで串に刺した肉を買って食べましたが非常に美味しかったですね。

アスンシオンのバスターミナルの外観

バス会社毎に切符販売所がある。


37 身分証明書(4月 2日)

パラグアイを始め南米諸国では、パラグアイ人、外国人を問わず一人一人の人別を示す身分証明をいつも携帯していなくてはなりません。パラグアイでは「セドゥラ」ブラジルでは「カルタン・デ・イデンチダージ」と呼ばれています。それ程大きくは無く定期券サイズです。国籍、名前、等が記してあり、出身地が記載されています、作者の場合、日本での本籍地が「神奈川県」なので、「KANAGAWA」と記載されています。この他には「既婚か未婚か」「職業」等が記載されます、作者は一応「工学部」の出身ということになっていますので、「エンジニア」を意味する「INGENIERO」と記載されています。

下にサインをしておき、番号が付いてます。何か必要な場合、例えば、郵便物を取りに行く時、銀行に口座を開設する時等には必ず本人の確認の為に提示を求められます。公務で来ている国際協力事業団・専門家のような人は「オフィシャル」という特別な身分証明書を持っています。また、メルコスール地域内(パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ)ではこの身分証明書で国境を越える事が出来ます。(域外の外国人を除く)パスポート無しで外国に行ける訳です。日本では総背番号制はプライバシーの侵害になると導入には消極的な意見が多いようですが、不審な人を選別するには有効な方法かも知れませんね。

次に紹介するのは「納税証明書:RUC」です。これは税金を納める時に使います。また不動産、自動車等を買う時には必ず必要になります。商売をする人は必ず必要となります。普通ですと、申請するともらう事が出来ます。これは皆が持っているというわけではありません。

この他に大切なのものとしては「運転免許書」があげられます。「運転免許書」は5年更新となっていて、日本と同じように警察に出かけて目の検査等をして、更新されます。間の4年間は一年毎に市役所に行き、穴を開けてもらいます。駅の切符鋏みたいなもので、年により形が異なります。

以上の3枚は外出する時には必ず携帯しています。


38 国籍 考(4月 2日)

「パラグアイ」には多くの外国人が住んでいますが、パラグアイの民法によると日本とは異なり国籍に関しては「出生地主義」で、パラグアイで生まれた子供は全てパラグアイ国籍となります。近隣の諸国も同じように「出生地」主義です。言語が同じですので、アルゼンチン、ウルグアイ等に働きに行くケースが多く、そこで生まれる子供達は、アルゼンチン人、ウルグアイ人となります。南米諸国は、移民の国で民族というのは特に無いのですから特に違和感も無い訳です。

日本の場合ですと「日本人」と言う場合には、「日本国籍」を意味する場合と「日本民族」を意味する場合と両方が混在していますが、南米諸国の場合には、例えば「パラグアイ人」という場合には普通は「パラグアイ国籍を有する人」と言う意味で使われるわけです。家族で国籍がバラバラという事もよくあります。勿論、「国籍保留」という形で一応二重国籍にする事も出来るのでしょうが、南米諸国同士の場合には特に登録もしないで生まれた国の国籍で生きているのが普通のようです。登録を行い、正規の住人となれば、普段「外国人」ということで特に不自由を感じる事も、差別を感じる事も無いのです。差があるとするとすれば、「選挙権が無い」事くらいです。また男子に限りますが、もう一つ大きな理由は「兵役の義務」があるという事です。日本、欧米の移民の場合には、子供を二重国籍にする場合が多いようです。南米諸国のパスポートで外国を旅行する場合には制限が多く、母国の国籍を保持している方が得な場合が多いようです。

ここで生活をしていると、もし「パラグアイ人は誰だ」クイズをしたらかなり難しいのではと思います。以前パラグアイに住んでいる外国人に対して国勢調査の意味も有り、再度登録をする必要があると言う事になったのですが、会社では意外な人が「外国人」でした。「自分はウルグアイ国籍だ」というのです。両親がウルグアイに働きに行った時に自分は生まれたと言うわけです。また、日系二世達は勿論パラグアイ人です。確かによく解りません、これでは差別のしようが無いわけです。登記所に行ったところ人の多いのには驚きましたし、来ている人は普段街で見かけるような人ばかりで、これでは区別が付かないのも無理はありません。外国人はなんと一説には、パラグアイ全体で10%は外国人だと言う話も聞きました。


39 国会議事堂(4月 1日)

パラグアイの「国会議事堂」は日本の国会議事堂に比べるとかなり小さく、概観はどこか図書館のようにも見えます。正面は公園となっていて、近くには写真でも右上に見えていますが、大聖堂(カテドラル)が在ります。国会議事堂と言うとどこの国でも威厳の在るちょっと近寄りにくい印象を持つような建物が多い気がしますが、パラグアイの国会議事堂はどこか女性的な優しさを感じます。パラグアイは2院政で、上院と下院に別れていますが、全てが比例代表制選出です。主な政党は、与党「赤党」野党は「青党」「エンクエントロ」です。フアン・カルロス・ワシモシ大統領は赤党の候補として出馬当選して大統領になったのです。

この地域は大統領官邸、警察庁、中央郵便局等が在り、まさにパラグアイの中心なのですが、写真で解るようにどこかのんびりとしています。この公園の中を荷馬車がゆっくりと走っている事さえあります。のんびりとした散歩に利用されたり、デートにも良いでしょうね。

この公園は政治の中心から近い事も在り、各種の政治的な陳情によく利用されているようです。先月も全国の農民がここで大規模な「決起集会」を開いていました。選挙の時はここがメインの会場となります。家のアパートから歩いて行ける程の距離なので、歓声や花火の音がよく聞こえひどい時には眠れない程です。でも大きな騒ぎにはならないようです。この公園の正面が警察庁ですから安心なのです。また、時々青果物を売る市場になったりしています。

実際はこの建物の裏手はパラグアイ河になっており、増水した時に不法住民がここに押し寄せて来て、現在は小さい住居が密集しています。場所柄、国の顔となるところだけに何か対処を考えて欲しいものです。

国会議事堂、写真右上はカテドラル


国会議事堂(現在はピンク色になっている)


40 たまご 考(4月 1日)

日本では「たまごっち」が流行しているそうですが、「たまご」は最もポピュラーな食べ物の一つでしょう。パラグアイでもたまごは沢山消費されています。生で食べる事は無く、目玉焼きが特に好きなようで、ステーキの上に目玉焼きを載せた「ビフェ・ア・カバージョ」(馬乗りステーキ)は人気があります。以前、ブラジルで小さなリゾートホテルの支配人をしていましたが、これが皆大好きなようで、とにかくこれを出しておけば、どうやらブラジル人は文句を言わない事を覚えました。また、ゆで卵にしてサラダに入れたり、かき混ぜて卵焼きにしたりするのは日本と同じです。それから、パラグアイの人はたまごを使ったケーキを沢山食べます。

昔は庭に鶏を放し飼いにして産み立てのたまごを食べたりしましたが、田舎G別として、アスンシオンでは現在、たまごは奇麗なパックに入って売っているのを買います。通常は12個入りで、スーパーマーケットに行くと山積みになって置いてあります。消費、季節によって大幅に値段が動くようですがやはりパラグアイでも物価の優等生です。最近は、生産者が自分の名前を入れるようになって来ています。例えば、アスンシオン郊外にある日系・M農場では、近代的な設備を導入してたまごを生産して、自分の名前を入れたパックに入れて売っています。このたまごは大粒の褐色のたまごで、日本のたまごより弾力があるように感じます。これを新米炊き立てのご飯にかけると美味しいですね。たまごはやはり庶民の強い味方ですね。

後、よく見かけるのは「うずら」のたまご。日本でも食べた記憶がありますが、パラグアイ等南米ではよく食べますね。肉のバイキング料理のサラダ・バーには必ずありますね。



41・花火 考(4月 6日)

南米の人は「花火」が好きなようです。日本ですと江戸時代からの伝統でしょうか、花火は美しく、遠くから眺めるものという印象を持っていましたが、パラグアイを始め南米では景気付けの爆竹の大きいのといった感じです。

一年で最も花火が打ち上げられるのは、クリスマスの日元旦で、年末になると路上に大量の花火が売られている光景をよく目にします。クリスマス・イブ、大晦日の午後11時頃から街中で花火の音がし、12時前後になると連続して大きな音が鳴り響きます。数年前が一番派手に花火が使われていましたが、事故が多発して怪我人が続出して、最近はちょっと自粛気味です。

「選挙」「デモ」等の景気付けにも使われます。何かイベントがあると、とにかくドンドン大きな音を出して盛り上げるのが好きなようです。また、「サッカー」の時は一段と熱が入ります。アスンシオンで大きな試合がある時はテレビでは中継しないので、ラジオを聞きながら花火を傍らに用意している人をよく見掛けます。パラグアイがゴールを決めると即、花火を点火しますので、市内で一斉に花火が上がります、ですから試合を聞いていなくても街中で「バババーン」と大きな音がしますので、ああ点が入ったのだなと直ぐに解ります。寝ていても大音響で目が醒めてしまいます。試合終了、勝った瞬間にも沢山の花火が炸裂します。この音の大きさでパラグアイ人がどの試合を重要視しているのか解りますね。現在Wカップの予選が行われていますが、実力的には上と見られるコロンビアよりも宿敵、どうやら隣国アルゼンチン戦の方が熱が入るようです。アルゼンチン戦で点が入った時の花火はすごかったですね。

なお、89年に革命が起きた時、アスンシオン市の中心部の部では実際に「銃撃戦」等も多少はあったようなのだそうですが、聞くところによりますと、皆、「花火」だと思っていたようで、ほとんど市民は平静だったようで、気が付いた時には全てが終わっていたわけです。作者は翌年の90年にパラグアイに移住して来ましたが、その頃は今度は逆に大きな花火が上がると皆「革命では?」と心配そうな顔をしていました。


42・読書 考(4月 6日)

日本では、皆実に読書?が好きなようで、電車の中など、本を見ている人をいたる所で見かけます。本ばかりでなく、雑誌、コミックも実に多くの種類が出ているようです。パラグアイでは、日本に比べると書店が少ないようで、市内にも書店がありますが、日本の駅前にある小さな書店程度の規模です。売っている本の種類も少なく、お客も少ないように見えます。眼鏡をかけている人は非常に少ないのもこの為かも知れませんね。読む場所に制限があるように思います、家の中は日本と比較するとかなり暗いのが一般的で、バスの中も運転が乱暴ですから本等を読むような状況では無く、家以外では公園等で読む事になるのでしょうか。

市内で一番目立つのが公園の中に在る本屋です。公園にテントを張って営業をしてます。仮設のもので時期が来れば閉鎖するのかと思っておりましたが、アスンシオンに来て以来、現在に至るまですっと同じ位置にあり、どうやら常設のようです。日曜日はほとんどの店が閉店になるのですが、ここは日曜日も営業しているようです。

最近、ショッピング・センター等にチェーン店を積極的に展開している書店があります。

「キホーテ」、名前はあの有名な「ドン・キホーテ」から来ているのですが、入ってみると本だけでなく音楽CD等を多く置いてありました。そのほかでは、市内にある「ウルグアイ」公園の中に結構大きな書店がありますが、テントみたいな店舗の中にかなりの書籍を売っています。

学生も余り本を読んでいる様子は無いですね、パラグアイは本を学校に置いている「置き勉」が多いように思います。特に激しい受験も無いので皆、のんびりと楽しそうに過ごしているように見えます。


43・称号(4月 6日)

日本ですと、誰か人を呼ぶ時には「〜さん」と呼びますね。例えば、「田中さん」と。また手紙などでは「様」を使って「北中 様」のように書くと思います。パラグアイではスペイン語が使われていますので、英語等と同様に頭に「称号」を付けるわけです。最も一般的なのでは男性なら「セニョール」女性なら既婚者には「セニョーラ」、未婚者には「セニョリータ」を付けます。これは日本の方どなたでもご存知の事だと思います。

パラグアイでは大学出がまだ貴重であった名残か、これら「セニョール」等の他に大学出には専門別に称号を付けます。文科系の大学、経済、経営、文学等の大学を卒業すると男性なら「LIC:リセンシアード」女性には「リセンシアーダ」と呼びます。工学部、農学部等の理科系の人に対しては技術者を意味する「ING:インヘニエロ」建築家には「ARC:アルキテクト」等と呼びます。名刺にも例えば作者は工学部ですので、「ING.YUICHI TANAKA」、コスモス・ツールの北中氏は経営学部の出身ですので、LIC TORU KITANAKA」と書く訳です。街で知り合いに出合っても「オーラ、ケタル、インヘニエロ」等と声を掛けられます。現在何の仕事をしているかは余り関係が無いようです。例えば、現在の大統領は工学部の出身ですので、必ず紹介の時には「インヘニエロ フアン カルロス ワスモシ」と紹介されます。なお、女性に対して、普通では「セニョリータ」か「セニョーラ」と区別するので、既婚か既婚か直ぐに分かるのですが、「リセンシアーダ」等になるとどちらか分からなくなります、困った事です。

資格を持つとまた別の称号を使います。「DR:ドクトール」、他の国と同様に、医師の資格を持つ人に対してと、「博士号」を持つ人に使われます。でもこの「ドクトール」、何故か非常に数が多いのです、パラグアイだけでなくブラジルでも大勢居ました。南米はインフレが激しかったのですが、お金だけでなく、どうも称号もインフレになっているようです。


44・年末の贈り物・忘年会(98年12月21日)

日本ですと年末にお歳暮という習慣があり、日ごろお世話になっている方とか取引先に贈り物をする習慣がありますが、当地でもよく似た習慣があります。一種のクリスマス・プレゼントなのでしょう、「カナスタ」という習慣があります。カナスタというのは籠のことで文字通り籠に色々な食品とか飲み物を入れてクリスマスの時期に贈るのです。お世話になった人に贈る場合、また各会社は従業員にも配ります。どこの会社も担当者がコストを押さえて豪華に見える?カナスタを工夫しているようです。大きさも内容もマチマチで持ちきれない程の大型の籠に高級品が満載されている場合もありますが、小さな籠に小奇麗に並べている場合もあります。並べ方も上手で沢山入っているのかと思って品物を出してみると思わぬ上げ底という場合もあります。いずれにしろ物を贈られるというのは嬉しいものですね。

もう一つ年末に欠かせないのは忘年会ですね、これも日本と似た習慣があります。多くの会社の場合、社員だけでなく配偶者(恋人)を連れて来ます。要するに社員数の倍の人数になるわけです。従いまして12月になりますと大きなレストランはどこも予約で大変です。クリスマス前に行うのがこちらの習慣ですので、ピークはクリスマスの2週間〜1週間前の金曜日でしょう。勿論「夜は長い」とういのが南米パラグアイ流、始まるのは10時頃、食べ終わると12時を廻り、それからダンスに興じるというのが普通です。帰宅は早くても2時頃というのが相場ですね。

(写真:贈答用のカナスタ)


45・肉売り場 考(4月 6日)

パラグアイでは肉特に牛肉が主食と言って良いほど食べられています。当然街角には肉屋が沢山並んでいます。日本ですと「上肉」とか「カレー用」等という表示がされている事が多いように思いますが、パラグアイでは、売り方は部所毎です。「ロミット」「ロモ」「バシオ」等と表示されています。「ロミット」は肉で一番良い所で、非常に柔らかい食感です。「ロモ」はロースです。

値段は一番高い「ロミット」でキロ500円、比較的安い「煮込み用」であれば、150円程度でしょう。買う単位は、「キロ」です。スーパーマーケットに行きますと、まず番号札を取り、自分の順番を待ちます。買う時は「ロモ」を2キロ等と注文するわけです。皆さん大量に買って行きます。日本ですと百グラム単位ですので、最初は驚きました。勿論牛肉の他にも「鶏肉」「豚肉」も売っています。でも豚肉の方が牛肉よりも高いのです。鶏は一羽毎に売っているのが、普通です。そのほか臓物等も売っていますが、例えば牛舌等はそのままの形で置いてあり、一本毎に買います。牛肉は6年前食べた時にはかなり固いのが多かったように思いましたが、最近は非常に柔らかくなったように思います。

羊、あひる等はありません。現地の人に、湿地帯の多い、亜熱帯のパラグアイではあひるが向いているのではと尋ねたところ、「誰も食べない」と言われました。確かに食べないものを作っても仕方無いわけです。ブラジルですと、リオ市郊外などをドライブしていると道に人が立っていて、ウサギを耳のところを持って並んでいるのです。最初は、ペット用に売っているのだと思っていましたが、止まっているドライバー達は、お腹を指で突ついて元気かどうか試しているのです、これは食用として売っていたわけです。ブラジルではウサギやヤギ等も非常にポピュラーのように思いますが、パラグアイでは余り見かけません。

肉売り場の様子(プリメ)




46 お金について(グアラニ)(4月 12日)

南米はブラジルを始め「インフレ」が長年ずっとひどく続いて来ており、何回も「デノミネーション」を行い、よく「0を3つ」取って新しいお札に変えて来ました。この南米の中ではパラグアイは、インフレの優等生と言われ、30年以上も「デノミネーション」を行わずに今日まで来ています。その為に現在では、かなり桁数が大きな状況となっています、そのため、現在は1ドルは2,140グアラニとなっています。買い物に行くと直ぐに「〜百万グアラニ」との表示に驚きますが、ドル表示にするとたいした事は無いことがよくあります。自動車でも高級車になると億の単位にまで上がることもあります。自動車が一台、「1億グアラニ」などというと何か目がクラクラしますね。

お札は全部で5種類です。500、1,000、5,000、10,000、50,000。コインは1、5、10、50、100の5種類。最高紙幣でも約2,500円程です。大きな買い物をする時にはかなりの札束が必要になります。また1、5のコインはもう実際にはほとんど無く、お釣は省略という事がよくあります。また、1,000紙幣、100のコインもかなり不足気味のように見えます。札はかなり使い込んでいて、「札」か「ゴミ」かが判別出来ないものもよく見かけます。セロテープで貼り付けて、ゴシャゴシャになったのを受け取るとつまんで財布に入れますが、一番最初に使うのもこのようなものですから、汚いお金が市内をグルグル廻り、ますます汚くなる訳です。一方コインは、なかなかりっぱなものなのです。「100グアラニ・コイン」など日本の100円よりもずっと価値があるように見えます。50グアラニ・コインでも日本の500円玉位あります。コインをお釣でもらうと財布が重くなる割には価値が無く困る事があります。聞くところによりますと、近々500グアラニのコインと100,000グアラニの札が発行される予定だそうです。早く出して欲しいものです。最高紙幣が「5」から始まるお札ですと計算が難しいのです、やはり最高紙幣は「1」から始まるのが良いと思います。

今後何時の時点でデノミネーションを行うのかがかなり難しくなって来たように思います。デノミネーションを行う必要性はあるのですが、急激なインフレを起こす原因にもなりかねないので実施を決断する事はなかなか出来ないでしょうね。

最高紙幣5万グアラニ、千グアラニとコイン


47 清涼飲料水 考(4月 8日)

南米では、よく清涼飲料水を飲みます。ブラジルでは「ヘフリジェランチ」と呼び、パラグアイでは「ガセオーサ」と呼びます。「ソーダ」は通常では「ガス入りの水」を指します。スーパーマーケットに行きますと大量に売られています。以前は「コカコーラ」等の日本でもお馴染みのメーカーのが大半を占めいましたが、ここ数年国産のメーカーが新製品を投入して、かなり競争が激しくなっています。昨日もスーパーに行きますと金髪・ミニスカートのお嬢さんが試飲を薦めてくれたので、思わず買いそうになりました。(試飲してみたらかなり甘いので止めました。)「ワトソン」「セルツ」等の国産メーカーががんばっています。以前は瓶入りが普通でしたが、最近はペットボトル主体に変わって来ました。大量に瓶入りを買うとかなり重く、腰に負担がかかるのと、少々高くても返さなくても良いのが受けているのでしょう。

食事の時に必ずと言っていい程何か飲み物を飲みますが、ビール等のアルコールを飲まない時には清涼飲料水を注文します。「コーラ」「スプライト」「ファンタ」等日本にお馴染みのがありますが、「アーグア・トニカ:トニック・ウォーター」「グアラナ」というのも非常にポピュラーです。「アーグア・トニカ」は透明で見た感じは「サイダー」のようなのですが、結構ほろ苦いのです。この苦みが好きで作者いつもこれです、注文する時は「アーグア・トニカ・コン・リモン・シン・イエロ」と注文します。長い注文ですが訳すと「トニック・ウォーター・レモン入り、氷無し」となります。氷を入れないのは氷は水道水から作る事が多く、腹に堪える事がおおいからです。「グアラナ」は茶色の清涼飲料水で、グアラナの実から作るのでしょう。一時日本でも確か麒麟が「キリン・グアラナ」としてテレビでも宣伝していましたが、余り人気が無かったのでしょうかその内に見かけなくなりました。

あの甘い清涼飲料水、どうみても日本で売っているよりも甘いと思います。一説によりますとコカコーラの砂糖の量は日本の倍だとか、パラグアイ人でデブが多いのはこのせいかも知れませんね。


48 餃子・肉マン(4月 8日)

パラグアイの中国料理店でメニューには無いが、いつも食べたいと思っているものは「ラーメン」「餃子」「肉マン」の3つです。どうやら「ラーメン」というのは日本独特の食べ物のようで、中国料理店に行きますと「湯麺」というのはありますが「ラーメン」というのは無いようです。この「タンメン」を幾つかの店で注文したのですが、大体において、麺は「うどん」みたいな小麦粉の麺で日本の「ラーメン」のような麺に出合った事はありません。

「餃子」これは大体の店にあるのは「蒸し餃子」「ゆで餃子」で日本で食べるような「焼き餃子」はメニューには無いようです。「喜臨門」では注文をすると日本で食べるような「焼き餃子」を出してくれます。最近では「蒸し餃子」の美味しい「華都飯店」が「焼き餃子」を出すことを発見しました。これも日本人の嗜好を研究しているのでしょう。

最近は韓国人、中国人の食料品店で、焼けば食べられる焼き餃子用のパックが売りに出されています。これは便利ですね。冷凍しておき、必要な時に焼けば食べられる。また日本食料品店「さくら」には日本人が作った「焼き餃子」のパックを売っています。自分で作る場合に材料で何が問題かというと、「皮」なのです。売っているものは、少し厚い感じで伸びが無くどことなくボッテとした感じで、上手く餃子の形に出来にくいのです。日本人の中で器用な方は自分で皮を作っているようです。

「肉マン」これは便利な食品です。冷凍しておき、必要な時に蒸せば美味しくいただける。昔小型の肉マンを日曜日だけ売っている料理店があったのですが、いつのまにか閉店。長い期間食べていなかったのですが、中国食材の店「中国屋」で結構いけるのを売っている事に気が付きました。

最近は、餃子と肉マン食べる機会が増えました。

おいしい肉饅頭が買える「中国屋」


49 国境(4月 8日)

パラグアイに来て最初に違和感があったのは「国境」の存在です。内陸国ですから当然なのですが、すぐそばに外国があるのはどうも変な感じがします。日本では島国で「外国」と「海外」の二つの言葉が同義語として使われているようで、会社の国際部門も「国際部」としている会社がある一方では、業務の内容は同じでも「海外部」等といいう名称も多く見られます。

日本では外国に行くには船か飛行機で結構「外国に行くぞ!」みたいに覚悟を決めて出かけるのでしょうが、パラグアイでは非常に手軽です。なにしろこのアスンシオンの対岸はアルゼンチンなのですから。「橋を渡れば外国」というのがこちらの感覚です。エステ市等は完全にブラジル・フォス・ド・イグアス市と向かい合っていて、一つの経済圏になっていますので、遠くから見ますと、一体に見えます。「友好の橋」で両市は結ばれているのですが、この橋は歩いて行くと普段は全くチェックがありません。簡単に出入りが出来るのです。余りに通行する人が多いので、全部を管理するとなると相当数の職員が必要になるので、最初から管理して居ないようなのです。

国境の橋の中央には大体両国の国境の線が引かれています。これを越えると隣国になります。パラグアイの場合には南部の国境は大部分がこのように河(パラナ河、パラグアイ河)になっていますが、北部では陸続きになっています。東北部の中心都市「ペドロ・フアン・カバジェロ市」はブラジルの都市「ポンタ・ポラ」と街が完全に一体になっています。街の中心に走っている街路が国境になっているのです。道を挟んで向こう側はブラジルなので、全部ポルトガル語で書かれています。経済的にはブラジルの方がずっと大国なので、このペドロ・フアン・カバジェロ市ではポルトガル語が日常で使われていて、お金もブラジルのお金がそのまま流通しており、まるでブラジルの都市のように見えます。

友情の橋(パラグアイ−ブラジル国境)エステ市側から対岸ブラジル・フォス・ド・イグアス市を臨む


50 上空から(4月 8日)

「アスンシオン市」を上空から見ると、アスンシオン市がどのような街かよく理解出来ます。街というよりは田舎が果てしなく広がっているというのが、作者の印象です。街路の多くはまだ未舗装で、赤茶けて見え、家々の屋根はその土の色、それ以外は緑一色なのです。大きな家には「プール」が目立ち、それがポツンポツンと青く光ってとても奇麗に見えます。普段、地上で暮らしていますと「アスンシオンもかなりの都会だ」等と思っているのですが、空からの印象は「大きな田舎」、印象は全く違ったものでした。

一旦、アスンシオンを出ると、ただひたすら緑の大地が広がっているのを見えます。人家はまばらで、牧場、畑に利用されていて、実に豊かな大地です。上空から見ている限りでは、国内、目先の問題は色々とあっても「パラグアイの将来は明るい」等と思ってしまいます。しかしながら30分も飛ぶとパラグアイ領を出てしまいます。日本より広いと言ってもブラジル、アルゼンチンに比べれるとパラグアイは、本当に小さい国です。

アスンシオン空港に北側から近づく場合には、パラグアイ河の湿地帯上空を飛びます。段々と降下して行くのですが、何も無く、当り一面緑一面、潅木だけで人の気配も全く無く、始めて来る人は不安になるようです。

エステ市・空港もしくはフォス・ド・イグアス空港に近づく時には運が良いと「イグアスの大瀑布」を見る事が出来ます。空から見るスケールはさすがですね。

アスンシオンの上空




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