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古城探訪 / KOJYO TANBO


近世城郭の見方 / KINSEI JYOKAKU NO MIKATA 〜古城の魅力は石垣や天守の出現によってさらに美しさに磨きがかかりました〜


 日本の城郭は、中世(鎌倉・室町)と近世(安土桃山・江戸)では大きな差違があります。
 わかりやすくいえば、織田信長の
安土城の築城以前と以後では、その築城法が大きく異なってきます。すべての城にあてはまるわけではありませんが、総じていえば、安土城以前は基本的に城郭建築の中に天守(天主)らしきものはありませんでしたし、石垣についても現在に見られるような長大なものは、ほとんど存在しませんでした。
 ごく稀に、例えば佐々木六角氏の観音寺城(滋賀県)などのように、戦国時代末期には、堅牢な石垣で築かれている場合もありますが、これは地場産業の差違等が関連しているようです。つまり畿内には当然の如く、寺社の絶対数が多いです。当時石垣を構築する技術は寺社が有しており、技術者集団も近江国には多かったのでしょう。その代表例が穴太衆です。
 そして、豊臣政権が確立されるに及んで、近世城郭の築城法がほぼ確立されてきます。言うならば、近世城郭は
織田・豊臣系の大名が全国に拡散するに及んで、各地にその築城法が広まっていったと考えてもよいと思います。
 さらに、
慶長期における徳川氏による天下普請において、全国各地の大名が競って城郭の普請を行い、それに伴って築城技術が最高水準に達したといえるでしょう。
 ここでは、おもにほぼ完成されたとでもいうべき近世城郭の見方について簡単に説明したいと思います。
安土城
日本の城郭史上におけるターニングポイントとなった安土城址。二之丸(西之丸)方面より天守台石垣および(左側)を本丸御殿跡(右奥)を望む
◆近世城郭の種類
近世の山城 近世の平山城 近世の平城
近世の山城「岩村城」(岐阜県) 近世の平山城「彦根城」(滋賀県)

近世の平城「名古屋城」(愛知県)
 近世大名の居城の多くは平山城で、次いで平城という感じでした。山城を居城とした例は、それほど多くはなく、岩村城、大和高取城、備中松山城、津和野城、岡城などかなりの少数派になります。
 近世では在郷の領主の城はすべて廃され、幕府の統制のもとに城が維持管理されましたから、お城の絶対数が極端に減ってきますが、その反面、規模は大きくなり、中世城郭とは、かなりかけ離れた豪華で壮大なものになってきます。

◆近世城郭の知られざる遺構
土塁によって固められた
土造りの城郭 土塁によって固められた
土造りの城郭  近世城郭といえば、やはり壮大な高石垣に天守、櫓などをイメージする方が多いかと思います。
 もちろん、それが近世城郭の特徴なのですが、すべてがそうであったかというと決してそうでもありませんでした。
 たとえば、関東では江戸城と小田原城を除き、その大半が土塁と堀による土造りの城郭でした。
 佐倉城は廃藩置県まで存続した城郭ですが、石垣は一切使用されていませんし、黒野城は近世初頭に廃城になった城郭ですが、これも土造りの城郭でした。
 そして、分厚い土塁の上に土塀を、土で固められた櫓台の上に櫓が構えられていました。
 いわゆる土の城です。
土塁によって固められた土造りの城郭「佐倉城」(千葉県) 土塁によって固められた土造りの城郭「黒野城」(岐阜県)


 今日では天守のことを天守閣と呼ぶことが多いですが、「閣」が加わったのは明治以降のことで、近世ではおもに、天守櫓、天主櫓、御天守などと呼ばれていました。櫓を矢倉と書く場合もあるようです。
 ところで、「お城=天守閣」と認識している方が多い中で、がっかりさせてしまうような話になりますが、近世城郭といえども、すべてが天守のある城郭ばかりではありませんでした。というよりも、天守のない城郭は相当数あったようです。
 理由は大きく以下の2点です。
  @幕府に対する遠慮
  A火災(落雷)による焼失
 天守の代用として、重層の櫓を天守代用としたりすることもありましたが、天守台だけ造って天守を上げなかった例も多数あります。
御三階櫓を天守代用
とした城郭 天守のない天守台
御三階櫓を天守代用とした例「丸亀城」(香川県)


天守のない天守台「明石城」(兵庫県)
市街地に残る石垣
<目立つ例> 市街地に残る石垣
<目立たない例> 市街地に残る石垣
<目立たない例>
市街地に残る石垣<目立つ例>「姫路城」(兵庫県) 市街地に残る石垣<目立たない例>「姫路城」(兵庫県)

市街地に残る石垣<目立たない例>「福山城」(広島県)
 近世城郭を理解するための第一歩は、「お城≠天守閣」という認識に立つことから始まります。なおかつ、城とは建物を指すのではなくて、土砂の塁壁を意味しているという認識に立つことができればよりベターです。
 城という文字は、「土」と「成」という2文字によって構成されています。まさに読んで字の如く、城とは
土から成るものであったわけです。
 城とは土木工事が主体となった構築物であり、建築工事は二次的な要素が強くなります。ですから、お城を見て歩くということは、すなわち、惣構えよりも内側にある土木工事の痕跡を見て歩くということになります。それが、
土塁であったり、外堀であったり、内堀であったり、それらに付随した石垣であったりするわけです。
 惣構えとは外堀と土塁のことをいい、城郭とはそもそも城下町をも含めた外堀と土塁によって囲まれた広大な区域を指すわけです。
 それらの広大な区域は、現代ではその大半が
市街地の中に組み込まれてしまっています。しかし、注意して見て歩くと意外な場所にポツリとその痕跡を留めていることがあるのです。

 上左側の写真は、石垣をずらせて屈曲させ、外からの侵入を阻止するという意図が見てとれる遺構ですが、それが現代では屈曲する道路に変貌しています。比較的発見しやすい遺構の例といえましょう。
 上真中の写真は中堀の入り口にあたる門の石垣ですが、背後の建物に同化し、ほとんどオブジェと化してしまっていますが、立派な遺構です。これは、やや発見しにくい遺構の例です。
 上右側の写真は鉄道の高架の下に残存している石垣です。これもよほど気をつけていないと知らずに通り過ぎてしまいそうな遺構です。
市街地に残る土塁
<わかりやすい例> 市街地に残る土塁
<わかりにくい例> 市街地に残る
土塁と外堀跡
市街地に残る土塁<わかりやすい例>「姫路城」(兵庫県) 市街地に残る土塁<わかりにくい例>「彦根城」(滋賀県) 市街地に残る土塁と外堀跡「彦根城」(滋賀県)
 同じ遺構でも石垣は注意して見ていれば発見することができます。しかし、これが土塁ともなると、注意して見ていても発見が容易ではなくなってきます。なぜなら、時を経るに従って、土塁は崩壊の一途をたどるばかりで、一見すると単なる土盛りにしか見えないからです。
 土塁を探すポイントとしては、
土盛りに沿って堀もしくは側溝がないかどうか確かめてみることです。
 通常、土を掘って堀をとなし、掘り上げた土を盛って土塁とすることによって、防禦ラインを確立するわけですから、堀と土塁は切っても切れない関係にあるのです。

 上左側の写真は、土盛りの外側に見事な水濠が存在していますので、比較的発見し易い土塁といえましょう。
 上真中の写真は、駐車場の脇に、この部分だけ残存している遺構ですので、これが土塁だと気づく人はよほど城郭に詳しい人ではないかと思います。但し、この土盛りの裏側には側溝がありますので、これが判断材料のひとつになるかもしれません。
 上右側の写真は、側溝と土盛りがセットになっているわけですが、土盛りの上には住宅が建っていたり、側溝はコンクリート製の壁面で覆われたりしていますので、一見すると通常どこででも見られる景観となんら変わりはありません。
 しかし、これも明らかな土塁と水濠の痕跡なのです。



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