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大洞城 / KOJYO TANBO

■大洞城を歩く  〜大洞城をぶらりと歩く全く先の見通しのない気ままな旅物語です〜


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大洞城ひとくちメモ
■所在地:岐阜県武儀郡武儀町富之保一柳、上之保村宮脇 ■城郭様式:山城 
■別名:
一柳城、津保城 ■築城主:宇佐見左衛門尉? ■城主:宇佐見氏、一柳氏、稲葉氏 
■築城年代:天文年間(1532〜55)? ■遺構:
土塁、竪堀、堀切、櫓台、石垣
■標高:250m ■比高差:120m
「大洞城を歩く」へ入れます ■歴史
 天文年間(1532〜55)の頃に、宇佐見左衛門尉が築いたのが始まりとされるが定かではない。織田信長の美濃侵攻後、郡上八幡城の遠藤慶隆の南下に備えて一柳直末が修築した。天正16年(1588)、豊臣秀吉は遠藤慶隆を減封。替わりに曽根城主稲葉貞通を入封させ、武儀郡の北部も領地に編入した。貞通は遠藤氏に対する防御として郡上八幡城の改修と共に、大洞などの6支城に一族を配置した。特に大洞城は加茂郡から八幡に至る重要な位置にあるため重視され、嫡子典通を城主とした。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いにおいて遠藤氏は東軍に属し、郡上八幡城や大洞城を攻めた。その後、稲葉氏は豊後に臼杵城主として転封され、郡上八幡城に再び遠藤氏が入城するが、領地は郡上郡内に限られたため大洞城は廃城となった。
■現在
 主郭南側下櫓台遺構の石垣を始めとして、遺構が完存している。主郭には小さな祠が建っているが、まさに手つかずの遺構といえよう。
大洞城主郭南側にある櫓台遺構の石垣。約6m四方の規模を有し、南東隅には高さ1.5mの縦石がを用いられている。この石垣は道なき道をほぼ直登し、尾根筋に築かれた小曲輪の右手にすると忽然と現われる。

■観光ガイド
★標高250m、比高差120mの山頂付近には小規模ながら織豊期の様相を伝える見事な城郭遺構が完存している。無名ではあるが、まさに脅威としかいいようがない城郭である。
★一柳神社脇が登山道入り口であるが、神社の位置そのものがわかりにくい。県道58号線沿いにあるスーパーマルマンの横の道を西側に入った奥に一柳神社はあるが、標識等は一切ないので、うっかり通り過ぎないよう気をつけたい。
★城址の近くには上之保温泉があるので下山後に温泉に浸かって疲れを癒すのもよいだろう。露天風呂のほか、高野槇の「木の風呂」、御影石と石英岩張りの「石の風呂」などがある。
上之保村役場ホームページ
★交通
・名鉄新岐阜駅より岐阜バス「上之保川合」行きのバスに乗り、一柳下車。
・マイカーの場合、関市より県道58号線を経て武儀町役場付近の交差点を左折。県道63号線を津保川に沿って北上後、一柳神社を目標にして左折する。
★詳細地図⇒ (地図上の は一柳神社の位置を示す)