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加治田城 / KOJYO TANBO

■加治田城を歩く  〜加治田城をぶらりと歩く全く先の見通しのない気ままな旅物語です〜


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加治田城ひとくちメモ
■所在地:岐阜県加茂郡富加町加治田 ■城郭様式:山城 ■別名:なし 
■築城主:佐藤紀伊守忠能 ■城主:
佐藤氏 ■築城年代:永禄年間(1558〜1569) 
■遺構:
曲輪・石塁、横堀、竪堀、虎口 ■標高:271m ■比高差:170m
「加治田城を歩く」へ入れます ■歴史
 永禄6年(1563)に信長の侵攻に備えるため中濃三城(関・堂洞・加治田城)は反信長の盟約を結ぶ。永禄8年(1565)、東美濃侵略の軍を進めた信長は鵜沼・猿城の両城を陥れ、堂洞城の攻略に向かう。堂洞城主岸勘解由は主家である齋藤家に対する一徹の姿勢を崩さなかったが、加治田城主佐藤紀伊守は信長側につく。堂洞城は陥落し、その後関城も斉藤新五の活躍により落城し、東美濃は信長の勢力圏に入った。その後、斉藤新吾は信長の命により佐藤紀伊守から加治田城主を嗣いだ。「信長公記」によると斉藤新吾は天正十年本能寺の変で討ち死にしたと伝えられる。
■現在
 川浦川の北にある梨割山から南東へ峰続きの山が「古城山」と呼ばれており、加治田城跡と考えられている。 山頂の尾根には一の丸、二の丸と呼ばれる平場があり、そこから南へ曲輪がいくつも広がっており、石垣の根石も確認されている。
加治田城本丸のある古城山を南東方面より望む。かつて東美濃最大の激戦地となった加治田付近も今はひっそりと静まり返った静かな集落である。このあたりは小寺や古墳も多く、かつては東美濃の中枢部を担っていた地域であったことが窺える。

■観光ガイド
★加治田城のある古城山へ登るには麓の清水谷川公園から梨割山・加治田城跡登山道が続いているのでその道を標識に沿って古城山の裏側へ回りこむような感じで進む。途中雑草が著しく前へ進むのが困難なように感じるが山中に入ってしまえば比較的歩きやすい。
★古城山の旧西曲輪付近からは川浦(絹丸)川を中心に加治田の集落の眺望が美しい。堂洞城方面は木々が覆い茂り、よく見えない。梨割山からならば堂洞城方面の眺望もきく。

清水谷川公園の清水寺・ニ天門は県の重要文化財に指定されており一見の価値がある。
★富加町には古代遺跡も多く、高畑恵日山遺跡、井高一号古墳、半布里(はにゅうり)遺跡などがある。

半布里公園内にある富加町郷土資料館へ行くと加治田に関する歴史がわかるが、加治田城に関わる展示は全くないのが残念。松井屋酒造資料館は江戸寛政期の町屋の家屋を今に残している。
★交通
・JR高山本線美濃太田駅乗り換え、長良川鉄道富加駅下車。
・マイカーの場合、東海北陸自動車道、関ICから約20分。
★詳細地図⇒ mapion (地図上の は加治田城古城山の登山口・清水寺の位置を示す)