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堂洞城 / KOJYO TANBO

■堂洞城を歩く  〜堂洞城をぶらりと歩く全く先の見通しのない気ままな旅物語です〜


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堂洞城ひとくちメモ
■所在地:岐阜県加茂郡富加町夕田 ■城郭様式:山城 ■別名:− 
■築城主:
不明 ■城主:岸氏 ■築城年代:不明 
■遺構:曲輪跡 ■標高:192m ■比高差:90m
「堂洞城を歩く」へ入れます ■歴史
 永禄6(1563)年に信長の侵攻に備えるため中濃三城(関・堂洞・加治田城)は反信長の盟約を結ぶ。永禄8(1565)年、東美濃侵略の軍を進めた信長は鵜沼・猿城の両城を陥れ、堂洞城の攻略に向かう。加治田城主佐藤紀伊守は信長側についたのに対し、堂洞城主岸勘解由は主家である齋藤家に対する一徹の姿勢を崩さず信長に抵抗する。岸勘解由は大軍の織田勢を前に一歩も退かず、激しく抵抗したが、最後は一族もろとも堂洞城で自決して果てた。この攻防により、織田信長の美濃侵攻の礎が固められた。信長の侵攻に表れるように、この地が中濃における要衝であったことが分かる。
■現在
 川浦川の南にある夕田の山稜一帯に堂洞城跡がある。周囲はゴルフ場開発され本丸の一角だけ雑木林が残されている。山頂の本丸跡には石碑と案内表示がある。
堂洞城本丸付近を北洞から眺める。堂洞城の周囲は現在ゴルフ場に囲まれてしまっているが、北洞から眺めると一番城跡のある山の形状を把握しやすい。


■観光ガイド
★堂洞城跡を見つけるのは初めての人には大変わかりにくい。表示が倒れてしまって大手通入り口をうっかり通り過ぎてしまう。よって半布里公園内にある富加町郷土資料館へまず見学に行き、そこで付近の地図などをもらって道順をしっかり確認してから行くのが賢明。
★本丸から南方向に向かって二の丸跡、大手門跡があるが、道路が舗装され、かつての形状を窺い知ることは難しい。ただし、はたして、そういう遺構がもともとあったかどうかは定かではない。
★道順は半布里公園内の富加町郷土資料館から夕田、さらに美濃加茂市蜂屋方面に向かう。ちょうど富加町と美濃加茂市の境界線あたりが大手道入り口である。そこを左折し狭いダラダラ坂を登りきり、坂を下り始めたところで左斜めの薮の中の細い山道へ突入すると歩いて5分程度で着く。
★本丸跡は多少広い平場になっているが、眺望はまったくきかない。
★近くには夕田茶臼山古墳がある。高畑恵日山遺跡は信長が本陣を置いた場所といわれている。
★半布里公園内の富加町郷土資料館へ行くと富加町に関する歴史がわかるが、堂洞城に関わる展示は全くないのが残念。松井屋酒造資料館は江戸寛政期の町屋の家屋を今に残している。
★交通
・JR高山本線美濃太田駅乗り換え、長良川鉄道富加駅下車。
・マイカーの場合、東海北陸自動車道、関ICから約20分。
★詳細地図⇒ mapion (地図上の は堂洞城本丸跡の位置を示す)