鈴木康博がさり、再活動がはじまった。
小田さんたちにとっては、やっとたちあがろうと、したわけだ。
「 もう、音楽を止めようと思った、解散して、後のことは考えもつかなかった」小田さんは、いろんな本でそう19826.20を述べている。
そんな中、デビューからお世話になった東芝EMIから、ファンハウスに移籍することになった。(YESーNO 小田和正ヒストリーから)
東芝EMIの製作部の一部が独立、オフコースや独立組みは風当たりが強くなった。
the best year of my life のLPを出す時に、東芝EMIはオフコース5人時代のベスト盤を出してきたのだ。それが、
オフコースA面コレクションYES-YES=TES
小田さんたちは待ってくれといっても、出してきた。
5人時代のオフコースが4人の船出のオフコースの販売を妨害するように。
それから、数多くのベスト盤がでる。本人たちが理解把握できぬほど。
オフコースのLPの作り方は、作品として一枚で仕上がっている。
その上、前のLPの歌とつながっていたり、AサイドとBサイドとつながっていたり構成にも非常に綿密に計画されていた。
針を落とす、聞く、この合間を大切にするように。。。
しかし、彼らはむさぼるようにベスト盤をだしていった。

また、鈴木康博さんは、B面にいつもまわされていることについても少なからずコンプレックスをもっていたと思う。
だから、B面コレクションというCDまで出している。

どこで音楽を出そうと同じだ。実は僕はそう思う。
問題は中身だ。うり方もあるだろうけど、
小田さんは実に、4人時代、苦労する船出をしたと思う。
とにかく3年だけやろうと。
でもね、4人時代の作品も、いいんですよ、
いまごろになって、時代が追いついてきたように、

ファンハウスに移籍