Himeji Castle and Mt.Fuji painting
Himeji Art ひめじ 芸術 絵画 壁画 絵馬

缶 スプレー ペンキ アート  ペンネーム Gyokunen 玉稔
Chamorro Art グアムの人をチャモロと呼びます

缶スプレーと筆を使ってベニヤ板、紙などに気軽に絵を描いて楽しむアートです
Paint art for a fun using spray cans and brush work


For tourists Himeji Castle and Mt.Fuji painting
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Profile
西川 稔(にしかわ みのる)
1945年(昭和20年)生まれ
兵庫県姫路市飾磨
ボディビル、水泳、海外旅行
アメリカンヘルスクラブ代表
グアム名誉親善大使
兵庫ボテイビル連盟理事
姫路水泳連盟理事

アメリカンヘルスクラブ


陶芸家:西川都子


中1の冬に描いた 昇り龍
Storted Can Spley Arts
幼稚園の時に小学校の先生に、「絵が上手いね」と褒めてもらってから絵が好きになりました。
小学では、この先生の指導を受け、いろいろな展覧会で受賞。中でも大きな賞は5年の時に全国児童図画工作展でもらった「金のぺんてる賞」でした。
中学、高校では、どの先生も「絵が上手い」と言ってくれなかったので、あまり絵を描く機会はありませんでしたが、中学一年の時、水泳部だったので秋の暇な時に描いた、昇り龍の絵が父の部屋に、一枚偶然残っていました。

大学生になり上京、水泳部の合宿所、下宿先、商店街の居候のおじさんの家等どこも、絵を描く機会は無かったが、3年の時通っていた川崎の神奈川ボディビルセンターの看板90X360cmを1枚挑戦。
ビルダーの上半身とジムの連絡先と会員大募集を描きました。

卒業してすぐの1968年、ボディビルの武者修行にアメリカへ行く事になり(当時は海外に行くのはまだ船が主流。海外旅行と言わずに洋行などと言っていた時代)に、貧しい日本の若者が世界一裕福なアメリカに行くので、向こうでは誰かにお世話になる事になるので、お礼に絵を描いて渡す事にし、短時間でスピーディーに描ける、俳画のような絵を練習をしました。
下記のすずめは始めて描いたもの、2枚目が鳩、3枚目は雀のつがい、この後10匹位の雀と、椿、梅、松、竹、いろりなどを1週間位練習し、次の年の1月早々にアメリカに出発。

すずめ


昭和の農家の庭
この旅で3ケ月位過ぎた頃、日本をどこにも感じるところがなかった海の近くのサンヒ゜ドロにいたので、日本が恋しくなり、リトル東京へ行き、日本食で日本を思い出しに行った時、隣のメキシコ人街の不良達は、缶スプレーが無い時代ペンキ用のハケで建物の壁や橋桁に、落書き芸術をスタートさせていた、日本では見た事のない素晴らしいテクニックの落書きを見せてもらいました。
同じ頃、ハモッサビーチの小屋でサーフィンボードにエアーブラシで絵を描くのを見せてもらって、これにも感動しました。当時の貧しい日本の若者にはこの道具をそろえてスタートする事は出来ませんでした。

また、この旅で嬉しかったことは、ハリウッドのビンスジムで、一緒にボディビルの練習をしていた、サンフェルナンドの家具屋の社長がボートを買ったので試運転につれて行ってやるとマリーナデルレイのボートベースに招待を受けた、このクルージングのお礼に色紙に絵を1枚描きプレゼントしました。
次の日、社長が「友人のプロの絵描きが目の前で描いて見せてくれ」と言っていると言われて、驚きました。
自信は無かったが、雀なら何とか描けるだろうと家具屋の社長と奥さんと画家のブレントウッド地区のアトリエへ、30坪位の大きなアトリエで、プロの描いた油絵がいっぱい有るアトリエの真ん中で、自信の無い中、スタートしました。。

プロの絵描きの前で描くのは不安いっぱい、少し硬くなったのを覚えている。 描いている途中で少し落ち着いて自分の絵を見ると、アメリカに行く前に、(大卒の給料12000円の時に)、奮発し2500円もする、私には高価な岩絵具を持っていっていたので、雀の茶色、庭に干している大根の葉の色が素晴らしい色で、いつもの自分の描く絵より、良い絵が描けたのを覚えています。

それでも、まだまだ、自信はわいてこなかったが、ゆっくりと墨をすり、玉稔とにわか作りのペンネームを書いて、印鑑やで作ってもらった、落款のような印鑑を自信有りげに付いたら、その画家が「素晴らしい」と褒めてくれました、「下書きもせず、色紙の白い空間と絵、サイン、印鑑のバランスが取れている」とお褒めの言葉をいただき、何とかこの場を切り抜けたのを思い出します。

この数年後よりアメリカでは、公の建造物、大きなビルの廃墟などに缶スプレーによる落書きが不良の間で大流行し、のちのニューヨークでは地下鉄まで落書きされるようになり、治安が悪くなる原因だとして、ニューヨークでは大きな問題となりました。

50年の歳月が過ぎた今日、アメリカでは若者が缶スプレーを持って車に乗っているだけで逮捕されるようになり、未成年は缶スプレーが買えなくなってきました。
それでも最近では上手な落書きはGraffity Art (落書き芸術)として、ルールを守つておれば、色々なところで認められるようになり、活躍し始めました。
2000年頃より公の建造物や他人の建物の壁、コンクリートの塀に書くのは激減し、彼らの中から紙やプラ板の上に絵画のように描く者が現れてきました。その頃より私も何かの方法で、やってみようかなと思うようになってきました。

2009年頃にはボディビルの本場、ベニスビーチのビーチサイドウォークでは毎日、数名のアーティストで(宇宙に浮かぶ土星、木星、月などの星、ピラミッドにニューヨークのビル街に滝が流れて、この前には,サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ、など現実離れしたファンタジックな作品だった)をよく見ることができました。
早い、上手い、綺麗だが、出来上がった彼らの絵は、私には受け入れられない絵なので、しかし、気になる、まだまだ、スタートする気にはならなかった。

この数年後、ラスベガスでボディビルの大会の打ち上げが終わり、仲間と散歩していたら、フレモント通りの真ん中に島のような人の塊があったので、覗いて見ると、すごいテクニックとスピードで、風景画に近い絵を描くパフォーマンスを見いていて、俺もこれをやりたいと感じました。
自分なりに彼らのテクニックをこの30年の間、観て頭に叩き込んでいるし、ペンキ、缶スプレーで日本画の風味を持たせた風景画を描けるのではないかと思うようになってきました。
彼らの缶スプレーでの手順、テクニックと、グアムの絵描きの、グレーグ フローレス氏の工房もにも30年間、数えきれない位訪問し、彼のテクニックも頭に叩き込んでいるので、自分なりに、「缶スプレーとペンキでの日本画的な風景画」に挑戦してみようと、2012年の3月より30年も掛かってスタートする事になりました。

この数か月後、グアムの最南端のイナラハン村に滞在、何もする事が無いので絵でも描くかと思い、材料をさがしました。
この村は首都まで45kmと遠いので、村に有る物だけで挑戦してみました。
まずキャンバス代わりのベニヤ板、住宅壁用の水性ペイント、刷毛、ローラー、フライパン、バターナイフ、クギ等を使用、額縁には近所の家の庭に茂る竹や木の枝を使ってみました、
何もかも現地調達の材料でトライた割りに、素晴らしい出来栄えだったので、チャモロ アートとなづけました。
この時より、紙やブラ板をやめて、ベニヤ板に楽しく描いています。

実際にやってみると、簡単なものは30秒、少しこったものでも5分から10分程度で完成します。
空、雲、海、山、岩、池、水平線や水面等の自然の情景が面白いように描け、最近では自分であみ出したテクニック、身近な物、手袋、指先、雑巾、バターナイフ、釘、フライパン、タワシ、お好み焼きのコテ等利用して、簡単に風景画が描けるようになりました。
簡単に描ける割には、自分の実力以上に、美しく、雄大な絵が描けるので、気分良く、毎日、朝食前に1枚描いています。


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