1.タチアナ・マリニナ

 中央アジアの草原にウズベキスタンという小国がある。名前は聞
いたことがあるが、世界地図上のどこにあるのか正確には答えられ
ない。どんな人が住み、どんな言葉を話し、どんな暮らしをしてい
るのか。人口がどのくらいで、どんな産業があるのかも知らない。
ただ、ソ連邦崩壊後にできた多くの小国のうちのひとつという認識
しかない。わずかにサッカーのアジア予選で日本と何回か戦ったこ
とがあるような気がするくらいだ。
 最近はインターネットという便利なものがある。ちょっと調べて
みよう。
 場所はアジア大陸の中央からやや西寄り、カスピ海の少し東側に
位置している。まったく海のない内陸の国である。国名の最後に
〜スタンとつく数カ国に囲まれている。一昨年アメリカの空爆を受
けたアフガニスタンとは南に国境を接している。日本よりやや広い
 1.2倍ほどの面積に、日本の 1/5の2300万人ほどの人が住む。ウズ
ベク人が8割を占め、公用語としてウズベク語を話している。宗教
はイスラムが多い。主要な産業は綿花と天然ガスといったモノカル
チャー経済。そういえば首都のタシケントは綿花生産で有名という
の中学校の地理で習ったような・・・。

 そんな小国から長野オリンピックに参加した一人の女子選手がい
た。タチアナ・マリニナである。長野でのタチアナ・マリニナは、
実に鮮烈な印象として記憶に残っている。(長野の女子のビデオが
手元に残っておらず、記憶に残っているのみなのだが)
 何が鮮烈だったのかといえば、演技の内容に対する異常なまでの
得点の低さだ。高くキレのあるジャンプ、正確なスピン、端正なス
ケーティング。ショートプログラムでの演技は、どうみても5点台
後半の得点がでてもおかしくない演技に思えた。ところが、得点表
示を見て思わず「えっ!?」と声が出た。実際に出た得点は5点台に
届くか届かないかという低いものだったからだ。どこでどう減点さ
れたのか、いくら考えても分からない。当の本人は、自分の演技に
満足したためかそれほど不満げな顔もしていなかったし、場内から
もブーイングは起こらなかったようだ。しかし、明らかにあの得点
はおかしかった。
 解説の佐藤有香もマリニナの演技を絶賛していた。理想的な、お
手本のようなテクニックを持った選手であると。しかし、その割に
は点が低いではないか。
 マリニナは不思議な選手である。長野に出場した時点で、すでに
かなりの年齢になっていた。ロシアのブチルスカヤと同じくらいだ
ろうか。ブチルスカヤもかなりの年齢になってからトップスケータ
になった遅咲きの選手という印象がある。しかし、彼女の場合は、
若いうちからNHK杯などで伊藤みどりらと競い合っていたから、
その実力は十分知られていた。マリニナの場合、長野で急に出てき
た感がある。しかし、記録によれば、すでに93年あたりから世界
選手権にも出場し続けていたのだ。あれだけの演技のできる選手が
なぜあの年まで注目されなかったのか。20代も半ばになって、急
にうまくなるというのも考えにくい。ケガでもしていたのか、何か
それ以外の特別な理由でもあったのか・・。

 佐藤有香が理想的というようにマリニナのジャンプは実にクリー
ンである。正確なエッジで踏み切り、完璧な空中姿勢で素早く回転
し、空中で回転を終えて余裕をもって着氷する。だから着氷後もよ
くスケートが流れる。コンビネーションはともかく、単独のジャン
プに関しては非の打ちどころがない。プログラム全体はアスレティ
ックでシャープな印象があり、見ていて気持ちがいい。
 ただ、プレゼンテーションという意味では、若干、損をしていた
部分もあったと思う。アスレティックで筋肉質の身体は、女性的な
柔らかさに欠けるとみる向きもあったかもしれない。こけた頬や落
ちくぼんだ眼はやや貧相な印象を与えてしまう。コスチュームもど
こか垢抜けないような気もする。端正できまじめな滑りは面白みに
欠けるという評価につながったのかもしれない。
 彼女自身、自分をどのようにプレゼンするかということについて
は迷いがあったのではないか。ロシア・ヨーロッパ的なバレエの素
養もなく、アメリカ的なエンタティメントを基調とするプレゼンの
手法もしっくりこない。振付師やコーチを雇うことも難しく、伝統
を持たないアジアの小国の選手にとって、自分をどうアピールする
かは大きな問題である。ロシアの影響を離れ、アメリカ的な経済に
傾斜するアジアの小国の苦悩が、そのままのかたちで演技に表われ
ていたとみるのは、ややうがちすぎだろうか。
  かつては日本も同様な悩みを抱えていた。日本というアジアの片
隅の未知の国をどうやって世界に知らしめるか。それは文化的要素
の強いフィギュアというスポーツにとって重要なポイントだ。その
悩みを払拭するためには、長い年月を経て佐野稔や渡部絵美の活躍
そして伊藤みどりの登場を待つ必要があった。今では技術的な優位
性によって世界でもスタンダードを勝ち取りつつある。しかしもと
より日本は文化的伝統という意味でも、他国にひけをとらないはず
である。ひけをとらないばかりか、西欧にない繊細で細やかな美的
感覚によって、世界をリードすることも可能なはずである。
  マリニナの場合も、コスチュームにしても髪形にしても、それは
それでひとつの個性なのだろう。垢抜けないと見るのも、見る側の
偏見なのかもしれない。手の平を上にして首を水平に動かすといっ
た中近東風の振り付けにしても、見慣れない動きというだけで、よ
く見ればその良さが見えてくるのかもしれない。少なくともクワン
などがやった場合には、単にエキゾチックな雰囲気を醸し出すため
ともとれるが、中近東の影響の強いウズベク人のマリニナにとって
は、よほど身近な自然な動きなのかもしれない。
 結局、長野ではフリーでもほぼ完璧な滑りをみせる。しかし、そ
れにも関わらず、結果は8位というものだった。それまでほとんど
実績のない選手が8位に入賞したのだから、一般には上出来ともい
える。しかし、演技内容からいえば、本来メダル争いをしていても
いい内容だった。実績のないマリニナには、最初からある程度決め
られた席次が与えられていたとしか思えない。こういったことは、
フィギュアの世界ではよくあることだ。ポッと出の選手がいくら良
い演技をしても、いきなり高い評価が与えられることは少ない。何
年かの積み重ねがあって徐々に認知されていくケースが多い。それ
はそれで、そういうものかとも思う。しかし、長野でのリピンスキ
ーやリレハメルでのバイウルが1、2年であっという間に金メダル
をさらっていったのと比べると、その違いは歴然としている。しか
もマリニナの場合、長野に出た時点ですでに十分な下積みがあった
のである。
 ソルトレイクその他でいろいろとジャッジの不正疑惑が取り沙汰
されたりしているが、ウズベキスタンのような国から見れば、何を
いまさら言っているのかと思えたことだろう。
 ISUもこのときのマリニナの得点については、反省があったの
だろう。翌年からは主要な国際大会などでは常に優勝争いに絡むよ
うな得点が与えられるようになった。

 長野のとき、ウズベキスタンから男子としては、スコルニアコフ
という選手が出場していた。NHK杯などの国際大会でもマリニナ
とスコルニアコフは、よくいっしょに出場していた。突然の死によ
ってコーチを失った彼らは、互いに互いをコーチし合う関係だった
という。スコルニアコフのほうがかなり年下だと思うが、しばらく
してこの二人は結婚する。キス&クライで、コーチも関係者もなく
たった二人で仲良く得点を待つ微笑ましい姿が見られるようになっ
た。
 長野から数年は、マリニナにとって一番輝いていた、いい時代だ
ったろう。やっとジャッジからもよい評価がもらえるようになり、
いくつかの国際大会では優勝も果たした。しかし、世界選手権では
依然としてメダルには手が届かずにいた。世界選手権あるいはオリ
ンピックでのメダルは彼らにとって悲願であったろう。2002年
のソルトレイクでは、メダルを狙っていただろうし、実際、メダル
候補の一人だったと思うが、風邪のためフリーを演技することなく
途中で棄権してしまう。
 そしてソルトレイク後の長野での世界選手権。このときマリニナ
はすでに29才になっていた。この大会が彼女にとってメダルを狙
う最後のチャンスだった。しかし、結果は惨憺たるものだった。あ
れほど得意だったジャンプがまったく決まらなくなっていたのだ。
4分間の演技で決まったジャンプは最後のダブルアクセルだけ。こ
れは、本当に悲しい結末だ。4年前は完璧な演技をしたのに評価さ
れず、やっと評価されるようになって再び乗り込んできた長野では
もはやかつての高いジャンプは失われていた。長年報われることな
く不遇の時代を過ごし、やっと咲きかけた遅咲きの花が陽に当たる
ことなく散っていった瞬間だ。それでも演技後の観客の温かい拍手
がせめてもの救いだっただろうか。中央アジアの小さな国からきて
長年高い技術を持ちながら、なかなか評価されず、それでも夫との
二人三脚で毎年世界に挑戦し、29歳になった女性に対する観客の
拍手は温かかった。
 キス&クライで涙を流すマリニナだが、夫に肩を抱かれたその姿
はなぜか幸せそうにも見えた。



                                  戻る                   (2004.07.16)