はしご湯のすすめ青森県の温泉



下風呂温泉の年末年始〜夏〜メモリアルロード


下風呂の年末年始

大晦日、雪の積もるこの季節は、下風呂温泉を訪れる観光客もほとんど無く、温泉街はひっそりとしています。日が暮れて温泉街を歩いてみれば、客室にひとつの明かりもも灯っていないお宿も珍しくありません。真っ白に凍るメイン通りは、火の用心と、そして時折猫がブラッと歩くだけです。

下風呂温泉の日暮れは関東より幾分早いような気がします。17時も過ぎると、もうすっかり真っ暗です。そして18時、下風呂温泉にあるニ箇所の共同浴場は今年最後の営業を終えます。



新年を迎え、神社へ


提灯の中、お参り


お神酒をいただきます


テレビ番組は紅白歌合戦も終わり、ゆく年くる年の除夜の鐘が静かに流れています。そんな中、冬の澄んだ夜空に時折、遠い祭ばやしのように人々の明るい声が流れて来るではありませんか。「おや?」と外を覗いてみると、新年の初詣へ向う家族連れです。下風呂温泉には大湯共同浴場の裏手、小高い崖の上に稲荷神社があり、人々は新年をそこで迎えます。私達も早速でかけてみました。

普段は薄暗い参道を今日ばかりは橙色の灯りが照らします。けれど、いかんせん凍る急勾配。次々と人が滑り転ぶ。滑り止めを捲きに来た人も滑る。老若男女、コケつつ笑いつつ、拝殿へ向います。稲荷神社では参拝の後、お神酒をいただきます。お神酒にしては随分なみなみ注がれてビックリしてしまった。

お参りの後は大湯共同浴場へ。大晦日の夕方、18時に一度閉められたニ箇所の共同浴場は、年明けを迎える零時に再び開かれ、そして元旦いっぱい無料開放されます。番台さんは無く、人々は自由に出入りです。初詣の後の冷えた体に大湯の白濁湯が、なんと染入る事。これは昔より続く下風呂温泉の年始行事のひとつだそうです。



元日の朝



イカ飾りの街灯



冬の温泉街



元日の神楽



迫力ある舞



一日かけて村を巡る



冬は烏賊さまレースもお休み


風間浦村と書いてある


北海道はすぐそこ

元日、いつもと変わらぬ冬の朝も、何か特別な空気を感じます。この日は下風呂温泉を獅子舞神楽が練り歩きます。地元の青年団の皆さんでしょうか、見事な舞と神楽を見学する事ができました。

いつだったか遠い昔、こんな新年を迎えた事があった。そんな郷愁すら感じる下風呂温泉の年末年始でした。
(05年大晦日-06年元日)



海峡フロンティアフェスティバル

一年で一番下風呂が賑わう(らしい)夏祭りです。出店あり、ステージでのライブあり、烏賊さまレースも特別仕様で大フィーバー、夜は夜で花火の乱れ打ち。近隣の町村からも大勢の人が遊びに来ていました。
(05年7月)



イカ釣り漁船




漁船の電球




船どまりから見た
温泉街



烏賊さまレース



棒でうまくイカを泳がせます



防波堤の壁画も



「イカが食べたいのぅ〜」


フロンティアフェスティバルの出店


夜は花火が打ちあがります



鉄道アーチ橋メモリアルロードと足湯

戦争に翻弄され、遂には幻となった「大間鉄道」跡地の一部が「鉄道アーチ橋メモリアルロード」として整備され、足湯もつくられました。駅舎を思わせる造りの足湯には「さつき荘」と同源泉「海辺地2号泉」を使用。「さつき荘」といえば黒い湯ですが、訪問時の足湯も黒(というよりグレー)。この足湯、出来たてホヤホヤだった為か、観光客への浸透がまだまだ浅く、訪問時湯に浸かっていた人々は全員地元の人。さつき荘の女将さんによると、これをつくった方々は「この足湯は100人入ったら100人が満足する!」とかなり自信満々だったとの事。足湯からは下風呂の温泉街と海峡が見渡せます。

それにしても「幻の大間鉄道」、歴史を紐解けば泰緬鉄道と重なる辛い労働の過去があり、劣悪な環境下、過酷な労働を強いられた人々を思うとやはり辛い。彼等の瞳に、海峡を自由に行き交うウミミコ達がどのように映ったのだろう、と思う。もし客車の行き交う鉄道が開通していたならば、そして「下風呂駅」があったなら、この漁村も随分と違った姿になっていたかもしれない。
(05年7月)

※足湯の泉質などは「さつき荘」を御覧ください。
※足湯は冬期閉鎖



鉄道アーチ橋
メモリアルロードと足湯



駅舎のような足湯




グレー色をした湯




幻の大間鉄道が走っていれば
こんな駅もあったのかもしれない


メモリアルロードには
線路も敷かれている


鉄道アーチ橋からの眺め



最後に・・

下風呂の名前の由来。一般的に知られているもの。アイヌ語のシュマ(岩)+フラ(くさい)=下風呂。そして、もうひとつ。恐山を上座と見ての下座=下風呂。



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