ヒートウェイヴについて熱く語るヒートウェイヴ論のページだぜ!

The Outsiders

The band AS:
Bass:ORE
Guiter:Koitu
SAX:PAPA
Drums:Are

Artist Page Vol.1

Yutaka Ozaki
Yasuyuki Okamura
Sunny Day Service
Hiroshi Takano
Heat Wave
Donto

Artist Page Vol.2

Erick Clapton
BEGIN

:Take1
:Take2
:Take3

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GUEST BOOK

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:ヒートウェイヴ(Heat Wave)

:ついに登場のヒートウェイヴである。ヒートウェイヴの記念すべき1曲目だが、一体数あるヒートウェイヴの楽曲の中で、一体何が相応しいのか自分なりにここ数日考えてみてもヒートウェイヴではあの曲以外が1曲目に来るはずもなく、やはりヒートウェイヴの1曲目はアルバム『1995』より『荒野の風』である。多分1000回以上は聞いたであろうヒートウェイヴのこの曲はある時期自分のテーマソングであった程である。ヒートウェイヴ=山口洋の紡ぎ出すその世界はその稀有の詩人的才能によって、ヒートウェイヴ以外の日本のロックバンドが到底描き得なかった世界を表出させた。正に文学といって過言ではない。そしてOUTSIDERS' ROCK'n ROLLそのものである。ヒートウェイヴなくして今のOREは存在しないのだから。多くに傷つき、そして絶望し、生きる事自体を信じられなくなった時代、OREを支え続けてくれたその代表曲がヒートウェイヴの『荒野の風』である。ヒートウェイヴのこの曲は、都会という名の見えない檻に閉じ込められ行き場をなくした魂に再び戦う勇気と、生きる力を呼び起こさせるために書かれた作品である。作品中の「暗闇から立ち上がれ・・・」以降のあのフレーズがこの作品をカケガイノナイものにしている。そしてその流れのピーク「全てのものをこの世界に投げ込むために」以降の叫び「おーお・おーお・おおおー」を聞くがいい。多分そこにはヒートウェイヴ以外の日本のどんなロックでも成しえなかった、ヒートウェイヴ=山口洋だけが持つ本物のシャウトがある。このシャウトこそヒートウェイヴ=山口洋の真骨頂なのだ。このシャウトを耳にした数百回、OREはそのメロディーに涙し、鳥肌を立てていたのだ!そして後奏は1分以上のその長い長い後奏はそれによってOREの社会復帰を図るリハビリ期間のような気分で、夢心地で聞いていたものである。「全てのOUTSIDERSよROCKが必要ならば必ずここを経由すべきである。」by OREの言葉が指し示すまでもなく、日本でロックを標榜するのであれば絶対に欠くべからざるアーティストそれがヒートウェイヴ=山口洋であり、この『荒野の風』はきっと全ての俺たちOUTSIDER達の『バイブル』に当るとOREは信じてるぜ。

:立て続けに行ってみたい。ヒートウェイヴの原点を語る上でこの曲、EPIC時代の1枚目のアルバム『柱』から『僕は僕のうたを歌おう』を今回は取り上げてみたい。昨今やはりROCKについて思う時、今ROCKという形骸化された形式がもてはやされる一方でロックそのものが殆ど姿を消してしまっているのではないか!という問いかけが頭の中によぎる。もちろんそれに反旗を翻すかの様に息巻くほんもののOUTSIDERS=ROCKERも存在している。この『柱』時代のヒートウェイヴこそその最たるバンドだった。ヒートウェイヴのそのスタイルは、このOREでさえ一度は「こういうのはちょっと・・」と引いてシマウホドだったのだから。しかしそのヒートウェイヴのファーストアルバムである『柱』に出会って約半年が過ぎた頃、心の中に何か変化があることに気付いたOREは『柱』をダビングしたテープを取り出しカセットデッキにセットしてみた。もはや自分の中で社会は違って見えていたのだ。ORE=OUTSIDERが決定したその瞬間なのかもしれない。ヒートウェイヴというバンドは常に心の中に小さな《闇》を抱え、それを確認しながら、社会とは常に調和しきれず生き抜いている全てのOUTSIDERS達に捧げられた音楽そのものなのだ。話が少し自分よりに傾いてしまった。このヒートウェイヴの『僕は僕のうたを歌おう』は尾崎豊の楽曲で言えば『僕が僕であるために』に当る。尾崎は演歌(歌謡曲)なのに対し、ヒートウェイヴはROCKで、だから受け入れられガタイのだが、ヒートウェイヴのその主張は「僕は僕のうたを歌おう、君と僕が孤独を感じないように」の部分に集約されている。ROCKとは2本の足で立ち続けることなのだ。それが例えやせ我慢だとしてもたった一つの魂で生き続けることなのだ。OREにROCKの本当の意味を教えてくれたのがこのヒートウェイヴ=山口洋の『僕は僕のうたを歌おう』なのだ。そしてその楽曲たちと共にOREはこの先も立ち続け、行き続けていくことだろう。ROCKよそしてヒートウェイヴよ永遠なれ!

:今日は当然の事として取り上げねばならないヒートウェイヴの代表曲を取り上げなければならない。日本ロック史上に残るであろうヒートウェイヴがアルバム『TOKYO CITY MAN』より名曲『TOKYO CITY HIERARCHY(トーキョーシティーヒエラルキー)』である。ヒートウェイヴ=山口洋という人は実際同じテーマをずーーっと歌っている人で、だからこそ持ちえた作家性、アーティスト性がある。今、Bank Bandに取り上げられ、この曲も、ヒートウェイヴ自体も多少脚光を浴びたのであろうが、この曲の真価はヒートウェイヴを本気で聞いたものにしか伝わってはこないだろう。楽曲は、TOKYO CITYで暮らす様々な人間模様を描きながら、そしてその全てのものに慈しみと愛情を持って歌われていく。ここでヒートウェイヴ=山口洋によって取り上げられている人々とは、ダメな人だったり、マットウに暮らそうとしている人だったり、報われない人だったり、寂しい人だったり、言わば弱者である。そしてこの曲も(やっぱりダメな)自分の為のテーマソングだった時期がある。TOKYOに馴染めず、生きる事に違和感を感じ、周りが全て《敵》みたいに思え、何も信じられないようなそんな時期、この曲はまさにOREの支えだった。出てくる登場人物に自分を投影し、自分もやっぱり「きっと今度こそはと」空に囁くのだ!そしてその後のコーラス!(正に圧巻なコーラス)によってすべては贖われるのだ。(もちろんそのときOREの頭の中は電流が流れ、身体は脱力し、そして頬には熱い涙がつたっている。) 何故だろう、人はいつしか、そして既に罪を背負って生きている。そしてその罪と抗い続け、生きていく。このヒートウェイヴ=山口洋の『TOKYO CITY HIERARCHY(トーキョーシティーヒエラルキー)』を、このコーラスを聞いたとき、自分の中の罪を認め、そして許されていくのがわかるのだ!馬鹿に馬鹿を重ねたような不器用な、そしてストレートな生き方でしか歩き続けて行くことが出来ない全ての人類にこの曲は、このコーラスは正に慈雨となって『降り注ぐ』のだ!そしてダメな人達を、そのダメなイキザマを醜いけれど『美しい』と歌うヒートウェイヴ=山口洋にその宗教観をも垣間見ることが出来る。抗い、贖いながら生き続けるカヨワイ存在である我等に一瞬の救いをモタラシテくれるヒートウェイヴ=山口洋。ROCKによって救われる《魂》の存在を、そして《浄化》されていく《魂》の動きをROCKによって体現できる日本でたった一つの存在がヒートウェイヴ=山口洋なのだ。

:今回ここで取り上げるのはヒートウェイヴ2枚目のアルバム『凡骨の歌』より『天井』を取り上げてみたい。いやーよく聞いてた。本当に暗い青春期のOREを支えた名曲である。しょっぱなからギターのソロではじまり、そこにエレキがさらに絡んでくるのだが、この前奏だけでも凡百のロックと呼ばれる偽者は吹っ飛ぶような出来!その内容は暗い青春期のOREそのものを描いたかの様な内容で、後に『馬車は走る』上記の『TOKYO CITY HIERARCHY(トーキョーシティーヒエラルキー)』等にテーマは引き継がれていく。今回なぜ敢えてこの曲を選んだかといえば、結局ヒートウェイヴ=山口洋じゃないがOREも全く学ばない、成長しないダメ人間と思ったからなのである。ヒートウェイヴ=山口洋は唄う「愚かな昨日に赤くなり・・・」の件、全くもって未だに埋められない自分への否定的想い。そして見上げる「天井」へと帰結する感覚はまさにOREそのものである。「真っ赤なウソと緑の本当」のどちらが正しいか「僕には分からない」と唄うヒートウェイヴ=山口洋の気持ちはOREにも痛いほど突き刺さる。そして歌の後半のシャウト「お・お・お」にはすべての「お」それぞれに想いがこめられ、ここでも他の日本のロックでは成し得なかった特別な何かを感じさせてくれる。すべての嘆き・怒り・悲しみを「お・お・お」で表現し、そして「ら・らん・ら・らん・ららん」で浄化されていく思い。届かない想いを抱えるOREの代弁をしているかのような楽曲、それがこのヒートウェイヴ=山口洋の『天井』なのである。

by ORE

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