インド7日間の旅(2)インドへ出発
デリー→ジャイプル→アグラ→ベナレス→サールナート→デリー(2007年1月11日〜18日)
2007年1月11日(木)晴・成田空港からインデイラ・ガンジー(デリー)国際空港へ。
成田12時00分発「AIR INDIA(A1307)」でインドに向かうためには、10時までに第2旅客ターミナルビル3Fに
くるよう、旅行会社より言われていた。
第2があるということは当然第1がある。大きな目印があるだろうから、或いは聞けば分かるだろうからなんとかなるだろうが、
時間は早めに着くようにする。
四国遍路で大分くたびれたザックだが、使い慣れた25Lのザックに荷物を入れ、ウエストポーチとショルダーバックを併用する。
携帯電話は、昨年、四国遍路のために買った写真の撮れないNTT・DOCOMO「F672i」を、目覚まし時計と電話帳の代わりに
持っていくだけとする。
NTT・DOCOMOで国際電話の出来る携帯電話の件も聞いたのだが結局止めた。
旅行直前に、そんな高級な携帯電話を駆りていっても使いこなすのが面倒であるし、インドで携帯電話の使い方を聞くわけにはいかない。
現在の携帯電話を出発前日に充電しておき、普段電源を切っておけば、目覚ましだけなら充分持つ。
JR大船発・6時7分の成田エキスプレスに乗って7時52分に成田着。 「エコノミークラスはあちらです」と言われて。
「AIR INDIA」に搭乗すれば、デリーまで直行便だから、インドには行ける。
香港、バンコクなどで乗り換えの便は2万円程安いのだが、乗り換えの時の心配が増えるだけであるから、始めから頭にはなかった。
9時半前に、旅行会社から航空券を受け取り、搭乗手続きをする。
インド人と思われる数人が並んでいる後ろに立っていたら女性が来て
「エアー・インデイアに搭乗ですか?」と聞くので、航空券を見せると
「エコノミークラスはあちらです」と3つ先の列を指した。フアーストクラスの列に並んでいたようだ。
そういえば、あのインド人達、立派なスーツを着て、裕福であるようだ。
彼らも、後ろに並んだザック姿の私を、「貧乏人が何故?」と疑問に思ったことだろう。
と、いうようなこともあったが、手荷物にするものは予め本や、経験のあるひとに教えてもらっていたので、ボデイチェックなども 予定通りで「AIR INDIA(A1307)」には搭乗出来た。日本語が通じるのだから当たり前であるが。
AIR INDIA(A1307)ほぼ定刻の12時に、8割方の客を乗せてインドに向かった。約8時間のフライトで時間差は3.5時間である。
日本語の機内放送は全くない。日本人が多いのにサービスが悪いなと勝手に思いながら、時々飲み物などを運んでくる女性乗務員に
「O.K」「THANK YOU」などといいながら、デリー空港での「入国審査」でのやり取りを復習する。
「WHAT IS POROSE OF YOUR VISIT?」(旅の目的は?)ときたら
「SIGHTSEEING」(観光です)
「HOW LONG・・・?」(どれ位)ときたら
「SEVEN DAYS」
これはなんとかなりそうだ。
「入国カード」が配られ、「地球の歩き方」を見ながら書き込む。1枚失敗。
女性乗務員に「MISTAKE」と言って、間違った箇所を示してもう1枚。
2枚目のカードに書き込みながら、書き方の不明な箇所がある。
丁度、ツアーリズムの女性の添乗員が私の横にきたので教えてもらってO.K。
後は、両替の件が残った。
1週間の私の旅は、全て日本円とした。
トラベラーズチェックもUSドルも不要であり、使ったことのない私には面倒なだけと判断した。
予備知識として、インドの通貨50ルピーと10ルピーに各々1万円づつ両替するつもりでいた。
100ルピーでは、おつりがない場合があるので、10ルピーはなくてはならないと。
(10ルピーは毎日、かならず使う。まずチップ、ミネラルウオ−ターを買うとき、そして今回はトイレなど)
インターネットで、インドの両替の話を読むと、破れた紙幣を入れたり、金額を誤魔化すことがあるから、どんなに後ろに長い
列があっても、1枚1枚数えるように書いてある。
自分に、こんなことが出来るか? 本当にやるべきなのか?
ところが1万円を1ルピー=2.8円で計算すると50ルピーが71.4枚となる。数えることはできるが多い。
1万円を10ルピーにすると178.5枚となる。混雑しているなかで数えることはできない。
数えなければならないとすると、額を減らす以外にはない。
最終的に、全部で5000円を50ルピーと10ルピーにして、ホテルに入った後で必要な額を両替することにした。
これならば、時間はかからない。
と、この時、安心したのだが、そうは簡単にいかなかったのだ。
インデイラ・ガンジー(デリー)国際空港に到着
デリー空港に着いたのは日本時間で21時30分頃か。
「入国審査」の前にトイレに行く。
ところがである。小用をしようとしたら、150センチそこそこの私は背伸びをしなければ出来なかったのである。
インド人の背の高さを考えても、現在の日本人並と見た。
以後、旅の中で、度々小用のトイレを使ったのだが、背伸びせずにできたのは1回だけであった。
ガイド氏に「ススムさんは、大変ですね」と言われたことがあったが、小用のトイレが高い、そのいわれを聞くことを忘れた。
日本人乗客の後について、「入国審査」の列に並ぶ。
担当官は、こちらを一度見ただけで、一言もいわず、スタンプを押して「NEXT」。
「SIGHTSEEING」も「SEVEN DAYS」も空振りに終わった。
荷物は何処に!
次は荷物受取所でザックを待つことである。
以下のことは<機内預けにしていた荷物は、到着便名が表示されたターンテーブルで受け取る>ということをやらなかったために
起きたドタバタである。
私は「入国審査」を終えて直ぐの5番の荷物受取所の列に、日本人(と思ったが、韓国人だったことになる)がたくさんいたので、 並んで待った。
所が、いつまで待っても私の荷物が出てこない。
ターンテーブルの周りにいた人達もだんだん少なくなってくる。そして殆どいなくなった。
20分以上は過ぎていたろうか。
私は、係官らしき人に、「BAGGAGE END?」と聞くと、
「JAPANESE?」
「YES」
と答えると
「JAPANESE IS THREE」と、「3」と書かれたターンテーブルを指した。
あわてて「3」に向かう。
そういえば、日本人がターンテーブルから荷物をとっては離れていく。
ここで待てばよいとほっとしたのだが、ターンテーブルに私のザックは乗ってこない。
5番と同じに、人は殆どいなくなった。
「地球の歩き方」の文章を思い出した。 <荷物が分からなくなったら、その場ではっきり云う事。後になっては絶対にダメ>と。
私は、5番の荷物受取所にいる係官の所に急いで「MY BAGGAGE ・LOST」と告げた。
すると、その係官一言(着いて来い?)言って走り出した。
私は後を追いながら<事務所に行って遺失物の書類を書くのか、言葉が分からぬままでやりようがないな>などと考えていた。
係官は5番から1番のターンテーブルを過ぎてから立ち止まり、部屋の隅を指さした。
そこには約10個のトランクが並んでおり、近づくと、私のザックがトランクの間に横になっている。
3番のターンテーブルにいつまでたっても取りにこないので、遺失物の一歩手前で処置されていたのだろうか。
私は「THANK YOU」「THANK YOU」と繰り返して、係官の素早い行動にお礼を言った。
とにかく、インドに到着そうそう、有難かった。
それにしても、約10個のトランクの持ち主はどうしたのか? 荷物はどうなるのか? こうした事はよくあることなのか?
言葉が分かれば、幾つか聞いてみたかった。
両替がダメ?!
時間は大分経過した。
「AIR INDIA(A1307)」の乗客は殆ど、用事を済ませて宿に向かっているだろう。
空港の出口で、待っているガイドは心配しているに違いない。早く両替をして空港を出なければと,気持ちはあせるが両替が残っている。
![]() |
日本に戻る時に撮ったもの(到着の時はそんな余裕はなかった)。
左側の「Thomas Cook」で替えてもらえず困っている時
後ろから声をかけてくれた仙台のT・W氏が、右側の「Punjab・・・・」に話をして50ルピーに
両替してくれた。 |
両替所が左右両側に2箇所ある。「Thomas Cook」と「Punjab・・・・」である。
時間が過ぎたせいなのだろう、並んでいる人はいない。
近くに日本人(に見えた)数名のグループがいたので、2箇所の違いを聞こうと思って「済みませんが」といったら、
「KOREA」の返事。
あちこちにいると思った日本人は、殆ど韓国人らしい。とにかく多い。10人以上の団体客が主である。
その違いを聞くことは出来ないので、「Thomas ・・・」で、5000円を50と10ルピーに替えて欲しいと
なんとか伝えると 日本人が声をかけてくれて
「NO!」という。1万円がベースでそれ以下はしないようだ。それも50と10ルピーなどは論外のようだ。
それでも5000円で頼むと、両替してくれたのだが、50と10ルピーはなく、500ルピーと1000ルピーである。
これでは困ると言うと、5000円を返してきた。<勝手にしろ>ということなのだろう。
そこへ、「どうかしましたか?」と声をかけてくれた人がいる。
ザックを背負った、40前後の男性である。
いきさつを話すと、「Thomas ・・・」の店員とやりとりをした後、隣の「Punjab・・・・」に行き、
「ここで替えてくれそうです」という。
店の親父は笑いながら、100ルピー1枚が入ったが、あとは50と10ルピーを入れてくれた。
店の親父が1枚づつ両替する台に置いていく。
声をかけてくれた男性が、「ワン、ツウ、スリー、・・・・」と声を出しながら合わせる。
私はただ「THANK YOU」とだけ言って受け取ることになった。
お礼を言う私に、仙台から来たというT・W氏は、「北部インドは初めてなんですが」と言いながら、空港の出口で待っているガイド も探してくれた。
流暢な英語の強みを感じた。
この人は、ネパールからインドのデリーに入り、数日歩いて帰国するとのことであった。
優しい人であった。感謝。
後になるが、この両替の方法は、こちらにも考える必要があると感じた。どうすればいいのかはまだ分からないのだが。 今、言えることは、両替したルピー札を、1枚づつ数えることなど私は出来ないということである。
やっと、ガイドに会えた時は、日本時間の私の時計で23時(インド時間・19時30分)を過ぎていたように思う。
親切なT・W氏に感謝!!。そして分かれる。
ガイド氏は、余りに遅いので、日本の会社に電話をしたとのこと。
もしかしたら、悪い奴に引っかかって、何処かに連れ去られたのではないかという話も出たらしい。
とんだ、お騒がせなことをしてしまったことになる。
空港からホテルへ・人、人、人!
今度の旅には、日本語ガイドとドライバーがつくようだ。
車と人とオートバイそしてライトの無い自転車が混雑するデリーの街を、殆ど信号のない、2車線、3車線の道路を、
クラクションを鳴らしながら走る抜ける。
オートバイはヘルメットを被った人もあれば、そうでない人もいる。
3人乗り、4人乗りもいる。
自動車が抜く場合もあれば、オートバイが自動車と接触するような近くをすり抜けて、自動車の間に割り込んで行く。
クラクションが絶え間なく続く。事故がないのが不思議であるが接触事故も起きない。
車が途切れた間をぬって、道路を歩行者が渡る。又、クラクションが鳴る。
(昼間は、ここに牛が参加する。絶妙なバランス感覚である。インド恐るべし)
ホテルに近づくにつれ、雑多な商店街となる。
映画「仁義なき戦い」で見る戦後の闇市の人いきれ。混乱と混沌に会わせて繁華街の裏通りのごった煮の様相である。
とにかく人、人、人である。
ホテルに到着。
すぐボーイがきてザックを取って部屋に持っていこうとする。
自分の荷物は自分で運ぼうとすると、ガイドがボーイに持たせるように言う。10ルピーのチップのためである。
ホテルに入った時の自分の荷物を自然にボーイに渡す動作は、旅の最期までスムーズにいかなかった。
重くもない汚れたザックを、自分の部屋に運ぶくらいは他人の世話にならず自分でしたい。
ガイド氏に、「ボーイに渡すように」と、何回も言われたのである。
夜はホテルの外には出ないよう繰り返し注意される。危険とのこと。
言われなくとも、出る気はないが。
![]() |
![]() |
写真はインド最初の宿・ASHU PALACE(アッシュ パレス)と 翌日の朝、ホテルの屋上から撮ったもの。 |
ホテルで30代の男性に会う。
同じ旅行会社の同じ行程だが最期のベナレスからデリーに戻る行程が異なる。
(彼は飛行機で戻りデリーで一泊、私は列車で一晩かけて、朝デリーに戻る)他は同じである。
ガイドはそれぞれ別である。1組にガイドとドライバーが付くということを、この時知った。
明日からインドを廻る。
来る前に本屋やインターネットで知ったインドは、「気をつけろ」の連続であった。
この場合の対象は、自分一人で歩くパックパッカーなので、私のとは大きく異なるし、どこがどう違うのかは分からないが、
緊張して廻ることは必要であろう。
雑踏の中心からは外れた、狭い路地に面したホテルでも、日本では味わえぬ空気は伝わってくる。
インド7日間の旅(2)「成田からデリー空港に」(2007年1月26日・記)