「阿修羅像」(興福寺)の絵

「阿修羅像」(興福寺) 三面六臂(さんめんろっぴ)・・・3つの顔と6本の腕を持つ。うち2本の手は胸の前で合掌し、他の2本は宙に捧げている。いまは何も持っていないが本来はこの手は日輪と月輪を持つ。
三面を少年の顔に造り、しかもそれが憂いを含んで誠に麗しい。中央の顔は眉根を寄せて、目を大きく見開いてまっすぐ正面を見据え、少年のような少女のような憂いをふくんだ眼差しである。向かって右の顔は、怒りでか悲しみでか、眉間に皺を寄せて下唇を噛んでいる。


1

2

3

4

5


6

7

8

9

10

阿修羅は本来、荒ぶる神であるのに興福寺の阿修羅が、ここではなぜ少年として造形されているのか?。
この像は、藤原不比等の三女で藤三娘(とうさんろう)とも呼ばれた光明皇后が天平五年(733)、亡き母・橘三千代追福のため興福寺西金堂建立を発願し、八部衆(五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)、阿修羅(あしゅら))が造立された。その直前、光明皇后は、ひとり息子を1歳で亡くし、西金堂が建立されたとき、亡くなった息子が生きていれば8歳であった。又、阿修羅のモデルになった女性は、聖武天皇と光明皇后の娘、当時16才の阿部内親王(後に2度、女帝となった孝謙天皇と称徳天皇)という。興福寺、阿修羅像の作者は仏師将軍万福(ぶっししょうぐんまんぷく)。