國體論及び純正社會主義
  北 一輝著
 
目  次
 
緒  言
第壹編 社會主義の經濟的正義
第貳編 社會主義の倫理的理想
第參編 生物進化論と社會哲學
第四編 所謂國體論の復古的革命主義
第五編 社會主義の啓蒙運動
 
 
緒  言
 現代に最も待望せられつゝあるものは精細なる分科的研究に非らず、材料の羅列事實の豊富に非らず、誠に渾べ
てに渉る統一的頭腦なり。固より微小なる著者の斯ることの任務に堪ふるものに非らざるは論なしと雖も、僣越の
努力は、凡ての社會的諸科學、即ち經濟學、倫理學、社會學、歴史學、法理學、政治學、及び生物學、哲學等の統
一的智識の上に社會民主々義を樹立せんとしたるとなり。
 著者は古代中世の偏局的社會主義と革命前後の偏局的個人主義との相對立し來れる思想なることを認むと雖も、
其等の進化を承けて今日に到達したる社會民主々義が、國家主義の要求を無視するものに非らざると共に亦自由主
義の理想と背馳すといふが如く考へらるべきものにあらずと信ず。故に、本書は首尾を一貫して國家の存在を否む
今の社會黨諸氏の盲動を排すると共に、彼等の如く個人主義の學者及び學説を的に鋒を磨くが如き惑亂を爲さゞり
き。即ち本書の力を用ひたる所は所謂講壇社會主義といひ國家社會主義と稱せらるゝ鵺的思想の驅逐なり。第一編
『社會主義の經濟的正義』に於て個人主義の舊派經濟學に就きて語る所少なくして金井田島諸氏の打撃に多くを盡
くしたる如き、第二編『社會主義の倫理的理想』に於て個人主義の刑法學を輕々に駁して樋口氏等の犯罪論を論破
するに努めたる如き是れなり。社會の部分を成す個人が其の權威を認識さるゝなくしては社會民主々義なるものな
し。殊に歐米の如く個人主義の理論と革命とを經由せざる日本の如きは、必ず先づ社會民主々義の前提として個人
主義の充分なる發展を要す。
 第三編『生物進化論と社會哲學しは社會哲學を生物進化論の見地より考察したるものなり。即ち正確に名くるな
らば『生物進化論の一節としての社會進化論』と云ふべし。而しながら今日の生物進化論はダーギン以後其の局部
的研究に於ては著しく發達したるに係らず全體に渉りて何混沌たり。即ち『組織』と『結論』となし。故に本書は
其の主たる所が社會哲學の攻究に在るに係らず、單に生物進化の事實の發見として繼承せられつゝあるものに整然
たる組織を建てゝ凡ての社會的諸科學の基礎となし、更に目的論の哲學系統と結び附けて推論を人類の今後に及ぼ
し以て思辨的ながらも生物進化論の結論を綴りたるものゝ始めなる點に於て、著者は無限の歡喜を有することを陰
蔽する能はず。固より人類今後の進化につきては今日の科學は充分なる推論の材料を與へず且つ斯るものゝ當然と
して著者其人の傾向に支配さるゝ所の多かるべきは論なしと雖も、是れ慎重なる歐米思想家の未だ試むるに至らざ
る所、後進國學者の事業として最も大膽なる冒險なり。而して著者は社會民主々義の實現が則ち其の理想郷に進む
べき第一歩たるべき宗教的信念として是れを社會民主々義の宗教と名け、社會主義と基督教との調和衝突を論爭し
つゝある歐米社會主義者と全く異なれる別天地の戸を叩きたり。由來基督教の歐米に於て思想界の上に専權を振ふ
こと今倍羅馬法王の如くなるは恰も日本に於て國體論と云ふものゝ存するが如し。日本の社會主義者に取りては
『社會主義は國體に牴觸するや否や』の問題にて巳に重荷なり。更に『社食主義は基督教と牴觸するや否や』とい
ふ歐米の國體論を直譯によりて輸入しつゝある社會主義者の或者の如きは解すべからざるも甚だし。而しながら本
論は固より宗教論にも非らず叉生物進化諭其者の説述が主題に非らざるは論なく、人類社會といふ一生物種屬の進
化的説明なり。著者ほ、憐むべきべンヂャミン・キッドの『社會進化論』が人類社會を進化論によりて説明せるダ
ーギン以後の大著なりとして驚歎されたる如き今日、この編を成したるにつきて聊かの自負を有す。
 第四編『所謂國體論の復古的革命主義』は則ち日本の基督教につきて高等批評を加へたるものなり。即ち、社會
主義は國體に牴觸するや否やの論爭にあらずして我が日本の國家其者の科學的攻究なり。歐米の國體論がダーヰン
及び其の後繼者の生物進化論によりて長き努力の後に智識分子より掃蕩せられたる如く、日本の基督教も亦冷靜な
る科學的研究者の社會進化論によりて速かに其の呼吸を斷たざるべからず。この編は著者の最も心血を傾注したる
所なり。著者は今の凡べての君主々權論者と國家主權論者との法理學を悉く斥け、現今の國體と政體とを國家學及
び憲法の解釋によりて明らかにし更に歴史學の上より進化的に説明を與へたり。著者は潜かに信ず、若し本書にし
て史上一片の空名に終るなきを得るとせば、そは則ち古今凡べての歴史家の擧りて不動不易の定論とせる所を全然
逆倒し、書中自ら天動説に對する地動説といへる如く歴史解釋の上に於ける一個の革命たることに在りと。この編
ほ獨立の憲法論として存在すると共に、更に始めて書かれたる歴史哲學の日本史として社會主義と係はりなく見ら
れ得べし。
 第五編『社會主義の啓蒙運動』は善惡の批判の全く進化的過程のものなることを論じ第二編『社會主義の倫理的
理想』に於て説きたる階級的良心の説明と相待て階級鬪爭の心的説明をなしたり。而して更に国家競爭に論及し帝
國主義が亦世界主義の前提なることを論じたり。權威なき個人の礎石を以て築かれたる社會は奴隷の集合にして社
會民主々義に非らざる如く、社會主義の世界聯邦論ほ聯合すべき國家の倫浬的濁立を單位としてのことなり。百川
の海に注ぐが如く社會民主々義は凡ての進化を繼承して始めて可能なり。個人主義の進化を承けずして社會主義な
く、帝國主義の進化を承けずしてせ界主義なく、私有財産制度の進化を承けずして共産社會なし。故に社會民主々
義は今の世の其等を敵とせずして凡てを包容し凡ての進化の到達點の上に建てらる。彼の、社會主義の理想は可な
りと雖も果して實行せられ得るやといふが如き疑惑は、今日の社會民主々義を以て人爲的考案のものと解して歴史
的進行の必然なる到達と考へざるが故なり。本書が終始を通じて社會主義を歴史的進行に伴ひて説き又多く日本歴
史の上に其の理論と事實とを求めて論じ、殊にこの編に於て儒教の理想的國家論を解説したるが如きこの故なりと
す。
 凡ての社會的諸科學は社會的現象の限られたる方面の分科的研究なるを以て、單に經濟學若しくは倫理學の如き
局部の者を以て社會主義の論述に足れりとすべからず。殊に本書は煩瑣なる多くの章節項目の如き規矩を設けず、
議論の貫徹と説明の詳細を主として放縦に筆を奔らしたるが故に一の問題につきても全部を通讀したる後ならずし
ては完き判定を下し得ざるもの多し。固より一千頁に渉る大册を捧げて斯る要求を敢てする著者の罪は深く謝する
所なりと雖も、全世界の前に提出せられたる大問題の攻究として多少の勞力は避けざるべきなり。
 著者は辯護を天職とする所謂學者等にあらず、又萬事を否認する事を以て任務とする革命家と云ふものに非らず。
只、學理の導きに從ひて維持すべきは維持すべきを説き棄却すべきは棄却すべきを論ずるに止まる。學者の論議は
法律の禁止以外に自由なり。故に、著者は本書の議論が政府の利uに用ひられて社會黨の迫害に口實を提供するに
至るとも、若しくは又社會黨其れ自身の不利と惡感とを挑發するに至るとも少しも係はりなし。例へぱ、萬國社會
黨大會の決議に反して日露戰爭を是認せる如き、全日本國民の輿論に抗して國體論を否認せる如きその例なり。政
府の權力と雖も一派の學説を強制する能はず。社會黨の大勢力と雖も多數決を挿んで思想の自由を輕視する能はず。
一學究の著者に取りては政府の權力と云ひ社會黨の勢力と云ひ學理攻究の材料たる以外に用なし。
 故に、著者の社會主義ほ固より『マークスの社會主義」と云ふものにあらず、又その民主々義は固より『ルーソ
ーの民主々義』と稱するものにあらず。著者は當然に著者自身の社會民主々義を有す。著者は個人としては彼等よ
り平凡なるは論なしと雖も、社會の進化として見るときに於ては彼等よりも五十歳百歳を長けたる白髯禿頭の祖父
會祖父なり。
 新しき主張を建つるには當然の路として舊思想に對して排除的態度を執らざるべからず。破邪は顯正に先つ。故
に本書は専ら打撃的折伏的口吻を以て今の所謂學者階級に對する征服を以て目的とす。
 著者は絶大なる強力の壓迫の下に苦鬪しつゝある日本現時の社會黨に向つて最も多くの同情を傾倒しっゝあるも
のなり。而しながら其の故を以て彼等の議論に敬意を有するや否やは自ら別問題なり。彼等の多くは單に感情と獨
斷とによりて行動し、其の言ふ所も純然たる直譯の者にして特に根本思想は佛國革命時代の個人主義なり。即ち彼
等は社會主義者と云はんよりも社會問題を喚起したる先鋒として充分に效果を認識せらるべし。著者は社會民主々
義の忠僕たらんが爲めに同情と背馳するの議論を餘儀なくされたるを遺憾とす。
 本書征服の目的なりと云ふ學者階級に至りては只以て可憐なりと云ふの外なし。率直の美徳を極度に發揮して告
白すれは、餘りに難を割くが如くにして徒らに議論の筆を汚辱するに過ぎざるの感ありと雖も、それそれの學説の
代表者として大學の講壇に據り智識階級に勢力を有すと云ふことのみの理由によりて指定したるもの多し。言責は
固より負ふ。而しながら今の日本の大學教授輩より一言の辯解だも來るが如き餘地を殘し置くことあらば是れ著者
が義務の怠慢にして辯解其事が本書の不面目なり。故に著者は或る學者−−例へば丘氏の如き−−對しては固よ
り充分なる尊敬を以てしたりと雖も、大體に於て−−特に穂積氏の如きに對しては−−甚しき侮弄を極めたる虐殺
を敢行したり。斯くの如きは學術の戰場にヂュネーヴ條約なしと云ふが爲めにあらずして、今の學者等が長き間勝
ち誇れる願倣と陰忍卑劣とが招きたる復讐とす。
 文章は平易の説明を旨としたり。而しながら寛恕を請はぎるべからざるは、開放せられたる天地に論議しつゝあ
る學者等の想像し得ざるべき筆端の拘束なり。爲めに學者階級との對抗に當て土俵の七八分までを讓與し、時に力
を極めて搏たんとしたる腕も誠に後へより臂を制せらるゝを常とす。加ふるに今の大學教授輩の或者の如きは口に
大學の神聖を唱へながら、權力者の椅子に鎚り哀泣して掩護を求むるに至っては如何ともすべからざるなり。權力
者にしてこの醜態を叱斥せざる間は決して思想の獨立なし。
 社會民主々義を讒誣し、國體論の妄想を傅播しつゝある日本の代表的學者なりとして指名したるは左の諸氏なり。
故に本書は社會民主々義の論究以外、一は日本現代の思潮評論として見らるべし。
 金井延氏『社會經濟學』
 田島錦治氏『最新經濟論』
 樋口勘次郎氏『國家社會主義新教育學』及び『國家社會主義教育學本論』
 丘淺次郎氏『進化論講話』
 有賀長雄氏『國法學』
 穂積八束氏『憲法大意』及び帝国大學講義筆記
 井上密氏 京都法政學校憲法講義録
 一木喜徳郎氏 帝國大學講義筆記
 美濃部達吉氏 早稻田大學講義筆記
 井上哲次郎氏 諸著
 山路愛山氏及び國家政會黨諸氏
 安部磯堆氏及び社會黨諸氏
 
  日露戰爭の翌年春
 
 
 
 
第壹編 社會主義の經濟的正義
        第一章
 
           所謂社會の秩序と國家の安寧幸福−−政府の迫害と學者の讒誣−−貧困の原因−−機械の
           發明−−機械工業の結果にあらず−−經濟的貴族國−−經濟的勢力と政治的勢力−−人格
           なき經濟物−−奴隷制度−−個人主義の舊派經濟學−−個人主義の發展と歴史の進化−−
           個人主義經濟學の革命的任務−−スミス當時の貴族國經濟組織−−經濟界の民約論−−個
           人主義の叛逆者−−階級に阻害されたる自由競爭−−機械と云ふ封建城廓−−自由競爭の
           二分類−−機械中心問題の社會的諸科學−−個人主義は革命に至る−−個人主義の論理的
           歸結−−官許無政府黨員−−所謂社會主義者に混ぜる個人主義者
 
 
 社會主義の深遠なる根本義は直に宇宙人生に對する一派の哲學宗教にして嚴肅なる科學的基礎の上に立ち、貧困
と犯罪とに理性を攪亂せられて徒らに感情と獨斷とによりて盲動する者に非らず。而しながら貧困と犯罪とを以て
蔽はれたる現社會より産れて、新社會の實現に努力しつゝある實際問題たる點に於て論究の順序が先づ貧困と犯罪
の絶滅ならざるべからず。故に吾人は第一編『社會主義の經濟的正義』に於て社會主義の物質的幸福を説き、第二
編『社會主義の倫理的理想』に於て社會主義の精神的滿足を論じ、而して第三編に於て『生物進化論と社會哲學』
として社會進化の理法と理想とを論じ、社會主義の哲學を説き、社會的諸科學の根本思想たる者を述べ、以て第四
編『所謂國體論の復古的革命主義』に入りて古來の妄想を排して國家の本質及び憲法の法理と歴史哲學の日本史を
論じ、第五編『社會主義の啓蒙運動』に及で實現の手段を論ぜんとす。
 
 貧困と犯罪−−實に社會主義の實現によりて斯の人生の悲慘醜惡なる二事が先づ社會より跡を絶つとせぱ、社會
主義ほ此の地球を導きて天國に至るべき軌道を發見せる者と云ふべし。而して社會主義は實に此の發見のために今
や全地球に征服の翼を張るに至れり。
 
 所謂社會の秩序と國象の安寧幸福
 然るに顛倒の甚しき。却て今の政府と學者とは社會主義を迫害し讒誣するに當よて、常に必
ず社會の秩序を紊亂すといひ、国家の安寧幸福を傷害すといふ。而しながら斯くの如き誣妄は
巳に現今の社會に秩序あり、今日の國家に安寧と幸福とあることを確實として云へるものなり。社會主義は實に反
問せざるべからず、現今の社會に紊亂すべきだけの秩序ありや、今日の國家に傷害すべからざるほどの安寧と幸福
とありやと。今日の科學的社會主義は徒らに感情的言辭を弄して足れりとするものにあらず、理性にして其の光を
文明の名に蔽はれざるならば、此の反問は實に凡ての口より聞かるべき疑問なり。若し或る階級の權勢と榮華とを
築かんがために警察官の洋刀と軍隊の銃鎗とによりて危ふく支へらるゝ状態を指して秩序なりと云はゞ、現今の社
會は斯る秩序の精微複雜なるものを有す。身命を失ふもの日に限りなくして財産は野蠻部落の如く多く各自の物質
力によりて各自に保護せらるゝに係らず、吾人は財産を保護し身命を安固にすといふ法律の下に國家の安寧幸福を
受けつゝあり。社會主義は斯る状態の秩序と斯る安寧幸福とを以て地球の冷却するまで維持すべきものなるかの如
く信ずるものにあらざるが故に、政府の迫害と學者の讒誣とほ此の意味よりせぱ試實なる憂慮より出づるものなり
とすべし。同類なる人類の血と汗とを絞り取りて肥滿病に苦しむものに取りては今日の國家は安寧幸福を與ふべし
と雖も斯る滋養物の供給を負擔せしむる社會の秩序は血と汗との階級に取りては紊亂すべからざるほどに尊貴なる
この餓鬼道の餓死より遁れんが爲めに男は盗賊となり女は賣婬婦となり、而して國家は赤煉瓦の監獄を築きて盗賊
に安寧を與へ、妓棲を警官に護衛せしめて賣婬婦に幸福を受けしむ。この幸福を受く可き賣婬婦を繁榮ならしめん
ものとは考へざるべし。生るゝとより死に至るまで脱する能はざる永續的饑饉の地獄ほ富豪の天國に隣りて存す。
がために賣婬の料を以て政府は設けられ、洪澣の法典は學者の腦漿を絞りて安寧む與へらるべき盗賊の歡迎のため
に存す。文明の華なりと稱する新聞紙は強窃盗の記事、毒殺匁傷の報道、老病の縊死、貧婦の投身、幼兒の遺棄、
乞食の凍餓といふが如き記事を補綴して其の文明の華を紙面に飾りつゝあり。而して殘忍に慣らされたる吾人には
其の紙面に附着せる斑々たる血痕と紙背より洩るゝ悲鳴の聾を忘却して、斯る平凡なるものゝ代りにより一層の悲
惨なる出來事の物語を待たしむ。斯る永續的饑饉を出すべき秩序、凍餓の幸福、殺傷の安寧は學者の奴隷的辯護を
受くべき或る階級に取りては一指も觸れしむべきものに非らざるべしと雖も、社會と國家とは實に社會主義の下に
眞の秩序と安寧幸福とを求めざるべからず、あゝ貧困と罪惡、これ人類に伴ふ永遠の運命のものか。基督教徒は是
れ神の御旨な月と誣ひ、佛教徒は未來に於て極楽に行くべしと僞はる。而も貧民はたとへ極楽に行くとも巳にマル
サスの在りて人口論を以て拒絶すべく、己れの形に似せて作れる男をして盗ましめ女をしで婬を鬻ぎて糊口せしむ
るの殘虐は神の觀念と相納れずして惡魔の名あり。
 
 政府の迫害と學者の讒誣
 而しながら社會主義者は決して斯み障害に對して徒らに憤怒するものにあらず。新しき理想の
前に舊思憩の横はりて急歩ならしめざるものは社會進化の常態にして、彼等は障害として横はる
と共に社會維持の或る任務に服し以て新社會の誕生までを蔽ふべき卵殻たるものなり。而して社會進化の斷崖に臨
みて權力階級の壓迫あるは是れ即ち權力者の權利にして、社會主義を實現すべき運動の本隊たる階級の尚未だ奴隷
として彼等の鞭の下に唯々たる間は、社會主義は社會の秩序と國家の安寧幸福の名に於て迫害さるべきを避くる能
はず。−−社會主義が社會より冷笑せられ、國家より恐怖せらるゝは其の空想なるが故に非らず又激烈なりといふ
が爲めにもあらず、只政府の迫害と學者の讒誣あるを以てのみ。社會主義! 何ぞ彼等の言ふが如きものならんや。
 
 社會主義とは何ぞ。
 先づ説明の順序として現牡會の大多數階級の貧困なる原因を察せざるべからず。如何にして大多數は斯くまでに
貧困なりや。
 貧困の原因
經濟學者はこの解釋として近世文明の機械工業の結果なりといふを以てせり、吾人社會主義者も亦
然かく信ずるものなり。而しながら若し此の問に對して斯く答へられて吾人が滿足し得るならば、
實に甚しき奇怪なりと云ふべし。鋳道は地球の周囲を六十回し月までの距離の二倍に達せりといふ。而も人類の多
くは其の生れたる地方に植物の如く定着して遊行の自由だも無きなり。ウォターべリ會社の懐中時計は僅かに一個
五分間を以て完成せらるといふにあらずや。而も農夫にして此の必要品の一個を夢むならば贅澤なりとせらる。ア
ダム・スミスが分業の利を説くに引例せし留針の製造に放て彼の當時分業の結果十人にて一日四萬八千個を作ると
 機械の發明
して驚歎されしもの、今日は僅かに一個の器械にて一分間に百八十個を製し單に三人の監督者は七
十個の器械を運用して一日七百五十萬個を容易に製出すといふ。農業につきて見るも、僅かに八馬
力の蒸氣脱穀器は八十人の農夫に休息を與ふべく、蒸氣犁は一日に五六町歩を耕やし、風力、水力、蒸氣力による
喞筒は一時に數百町歩を灌漑するを得べし。嘗て八十年前に五百人の強壮なる男子勞働者が終日の勞働を要したる
もの、今は一人の監督者だにあらば一個の器械にて足るといふにあらずや。一八八七年の古き統計によるも、世界
語國の蒸氣力のみを合して尚全世界の人口即ち十億人の勞働に匹敵すと云ひ、イリーの言によれば亞典全盛の時す
ら一家十人の奴隷を有するもの僅少なる富豪なりしに、今日吾人は一家六十人の奴隷を有する割合の機械の發明な
りと云ふにあらずや。−−この近世文明の機械工業は何を意味するぞ。斯る農具の發明あるに係らず、可憐の童幼
の時より弓腰の老衰に至るまで案山子の如く泥土の中に其の生を送らざるべからずとせぱ意義なきことなり。全人
類に匹敵すべき蒸氣力は全人類をして勞働の苦痛より脱せしむることに於て始めて理由あるべし。希臘の自由民が
十人の奴隷によりて其の燦爛たる文化の階級を作り上げしならば、其れに六倍せる機械の勞働力を有する吾人は人
類種屬といふ階級を擧りて希臘自由民の如く精神的活動に入るべき理にあらずや。機械が發明さるゝならば、其の
發明されたるだけ社會より貧困を驅逐すべく、近世機械工業の爲めに社會大多數が貧困に陷れりとは實に八に五を
加へて三となると云ふが如き顛倒せる答案なり。勞働の苦痛に代るべき者が機械ならば、機城の發明によりて勞働
者は其の苦痛の時間を減少さるべく、然るに減少は勞働時間の上に來らずして勞働者の數の上に落下し、絶間なき
失業者を産む。失業者は更に新たなる機械によりて需要さるゝまで食ふべき勞働の途なきなり。而して其の辛うじ
て途を得たる者と雖も、休まず眠らざる機械と共に終日終夜を勞働に過ごして不靈の自働機械と化し去る。物質的
生活の資料を供給すべき機械は却て勞働者の維持し來れる物質的資料を奪ひ、精神的生活に入るべき閑暇を與へず
機械工業の結果にあらず
して却て機械の周圍に勞働者を精神なき動物として繋やに至れり。−−貧困の原因は茲に求め
よ。是れ機械工業の罪に非らず、近世文明の與かり知らざる所なり。原因は茲に存す。−−即
ち經濟的貴族國の故なればなり。經濟的君主經濟的貴族の秩序的掠奪あればなり。
 實に今日の所謂大資本家といひ大地主といふ者は單一なる富豪にあらず国家の經濟的源泉を私有して殺括與奪の
 經濟的貴族國
自由あることに於て全き意義の大小名なり。北米の富豪の如きは廣大なる領土を有し幾萬の賃
銀奴隷を殺活するの自由なることに於て、恰もルヰ十四世の如き主權の本體たる家長君主なり。
幾多の實業雜誌と稱せらるゝ黄金宗の宗教時報とも稱せらるべきものを關きて巻頭に載せられたる其の御眞影を見
よ。石油王某、鑛山王某、製鐵王某、其々の銀行某、其々の石炭王。斯る尊號は決して比喩に於て用ひらるゝに非
らず、彼等は實に王位の尊嚴と權力とを有するものなればなり。−−否、現今世に存する近代國家の國家機關たる
君主等は殺法與奪の權を有する彼等に此するならば誠に無權力なるものに過ぎず。獨立戰爭によりて英王の苛政よ
り脱せるワシントンの子孫は國土及び人民を君主の財産として所有せる時代の絶對無限權の家長君主等を奉戴して
其の下に奴隷として呼吸しつゝあるなり。佛蘭西革命の名に於て皇帝と貴族の手より土地を奪ひて自由平等を呼び
たる全歐州は、斯る新國王と新貴族とに一切の經濟的源泉を掠奪せられて再び革命以前に逆倒せり。我が日本に於
ても然り、往年の貴族は其の國土を國家に返還せしめられたるに、更に國家の經濟的源泉を掠奪して私有せる新た
なる大小名は生じつゝ始まれり。今日日本皇帝と雖も國家の領土を掠奪し國家の臣民を殺活すべき權利なし、國土
及び人民は天皇の私有地にあらず天皇の經濟物たる奴隷にあらず。然るに普天の下地主の王土にあらざるなく、率
土の濱資本家の王臣にあらざるなし。若し其々の王と稱せらるゝ經濟界の家長君主等にして其の帝王の名なく大名
の稱なきが故に彼等の恐るべき權力を注意せざるならば、是れ南面して朕と稱せざる者は王にあらずと云へる王覇
の辯なり。一切の政治的勢力は經濟的勢力なり、國土及び人民を所有せる經濟的勢力の上に立てる幕府時代の大小
名を見て單に公債の所有者たる今の華族の如何に權力の皆無にして痕跡に過ぎざるかを見よ。然れば限られたる王
室費によりて支へらるる歐州諸國の君主よりも、土地と資本との經濟的家長君主の如何に優かに強盛なる權力を有
するかは想像せらるべし。一年の収入八千五百萬圓の露西亞皇帝の經濟的勢力は其の政治的勢力をして専制ならし
むる所以なりと雖も、二億八千六百萬圓のロックフェラー第一世が人類の咽喉に對して直接の權力あるに如かざる
べく、又土耳古皇帝が如何に東洋の暴君なりとも、其の収入が二千萬圓に過ぎざる間は、其れに二倍して尚餘りあ
る、カーネ一戰勝王が叡聖文武にましまさゞる時より以上の權力を振ふこと能はず。獨乙皇帝が如何に實質なき
神聖羅馬皇帝の虚名を襲踏せんがために帝國主義を主張すとも、其の歳入が一千八百萬圓のラッセルゼーヂ陛下の
三分の一の其れに過ぎざる間は三分の一の算盤に於て權力を得べし。−−全社會の貧困は斯る經濟的君主經濟的諸
侯の掠奪あればなり。彼の大小名に代りて再び大小名となりし地主の下に於ける土百姓は、國家に對して多くの權
利なき代りに大小名に對して無限服從の義務あり。地代借地料と稱せられたる苛重なる年貢租税を奉納し、少しく
滞納し御意に逆ふことあらんか、土地の取上げとなり御所拂ひとなる。彼等は『百姓は死なぬやう生きぬやう冶む
べきこと』と定められたる幕府の貴族政治の如く、新たなる貴族の下に蜜蜂の如く働き、働きて得たる凡ての蜂蜜
を地代なる名に於て悉く取り上げらる。而して彼等は地主の前に凡ての獨立を失ひて土百姓の如く土下坐せざるべ
からず。大阪の大資本家等が坐して地方の土地を占め最も冷酷なる代官をして誅求収歛を逞うせるは實に将軍家直
轄の御領地なり。彼等は地方の地主が舊慣等に制限せられて契約をなすに反してリカードの地代則其のまゝに於て
し、土地の騰貴に伴ふ地代の揄チを以て契約を繼續する能はぎるを待ち、猶豫なく土地を取り上げて御所拂ひをな
す。御所拂ひとは舊幕時代のことにして居住の自由を剥奪することにあらずや。斯る權力は平等の國民にあらず、
單一なる地主にあらず、事實上の疑ひなき貴族國の君主なり。
 否! 彼等は只に事實上の貴族なるのみならず、大名たるの榮譽と權力に伴ふべき尊號を有す。『殿様』といひ
『御前』と呼ばれ、其邸宅は舊大名の跡に構へられて『御屋敷』と稱せらる。彼の資本家なるものに至りてはエ場
と名くる城廓を築き、學者と政治家とを家老とし、無數の年俸奴隷月給奴隷を武士となし足輕として其の範圍内に
號令し他の經濟的君主と混戰しつゝあり。彼等の街頭に馬車を驅るや大名の御通りの如く考弱男女を追ひ散らして
行く。彼等大小名は今や全く當年の馬鹿大名となり、忠勤と私利と相半ぱする家臣等の畫策によりて其の尊榮と安
全を維持しつつあり。利子と名け利潤と稱せらるゝ租税は、家臣等の忠勤によりて大名の馬鹿をして更に馬鹿たら
しむべく、大名の知らざる方法を以て知らざる間に河の如く流れ込み山の如く積む。而して四圍の迎合阿諛のため
に馬鹿大名が『身共』の身體は特別の構造を有すと考へたる如く、彼等は彼等自身を國民と同胞なりと考ふること
に於て貴族たる面目を汚すかの如く感ず。舊大名が道楽半ぱに御仁政を敷きて快を取りしことのありしが如く、彼
等に於ても慈善なる名に於て天下を欺かんと試むること無きにあらず。而しながら彼等黄金大名に於ては黄金によ
りてのみ其の權勢を維持し得る大名なり。彼等にして黄金の一片を失ふときは其れだけ他の大名に對する對抗力の
 人格無き經濟物
失墜なり。−−あゝ斯る貴族國の土百姓と素町人よ! 彼等は人に非らず。商品として見らるむ
市價を有す。此の商品は魚の如く早く沾らされば腐敗するものなり。市價は需要供給の原則によ
りて支配せらる。法理的に云へぼ彼等は人格にあらずして物格なり。封建諸侯の百姓町人が經濟物として大名の自
由なる處分の下にありしが如く、彼等は資本家の自由に處分するを得べき經濟物にして人格ある國家の一分子にあ
らず。故に斯る經濟物の多く集り來たることは供給過多による物價下落の經濟學によりて經濟物の物價を下落せし
め、此の經濟物が空腹によりて斃死せんとするや、一切の條件を考ふる暇なからしめて貴族等の自由なる處分權を
認識せしむ。−−即ち、破産者、失業者、地方よりの放逐者がエ場の門前に供給過多と空腹の壓迫を以て叢がり集
まることは、經濟的貴族國の群雄諸侯が驚くべき權力を振ひ、其の家臣等が乗じて以て忠勤を抽きんじ功名を博す
べき機會なり。−−而して此の機會が不斷に存在し、永續して絶ゆることなきが故に、其の足に一たび縛せられた
る契約の鐵縛を墓穴にまで引き摺り行き、茲に嚴然たる奴隷制度は復活せり。
 奴隷制度
 奴隷制度! 鎖と鞭とあるもののみが奴隷制度にあらず。法理的に云へぼ人類の人格が剥奪さ
れて他の同類の自由なる生殺の下に在るを名づく。即ち彼の群雄戰國封建制度に於て土地と共に
人民が貴族等の所有權の下に經濟物として存したりし者の如き亦奴隷制度なり。吾人は鎖と鞭とありし時代の奴隷
が三百弗の價せし間は今の勞働者より幸福なりしや否やを知らず。而も晝は鐵鎖に繋がれて働き夜は暗黒なる穴倉
の中に眠りし羅馬の奴隷と、今日、九尺二間の病毒に充滿せる裏長屋に豚の如く父子重り合ひて眠り、一日十三四
時間の長き一分の休息だに得ずして機械に縛せらるゝ賃銀奴隷とが然かく差別あるを信ずる能はざるなり。羅馬の
奴隷は餓うることだけは無かりき、而も今日の契約奴隷、賃銀奴隷は、會社の破産のために、失業のために、不景
氣の爲めに、雨天のために、數日數十日に渉る斷食−−而して餓死は稀有のことに非らず。正義を顯現すべき法律
は實に明かに自由と平等とを萬人に與へたり。而しながら餓ゑて昏倒せんとするものゝ耳に就きて自由を囁やき、
眼に平等の法得を示すとも一片の麺麭の皮は遥かに正義よりも高貴なり。自由と平等とを呼吸して生括する能はざ
る動物は其の妻子の恩愛のために如何なる苦痛をも侮蔑をも忍びて、嘗て其の足を顧みて繋がれたる鐵鎖を疑はん
とだにせざるなり。昔時奴隷の子孫は家系によりて永久に奴隷となり、近世封建時代の百姓町人は階級によりて子
々孫々百姓町人たりしが如く、賃銀奴隷の腹より世に落ちたる子女は永劫に賃銀奴隷を脱する能はず、小作人の子
は小作人に、日雇取の孫は日雇取たらざるべからず。戰敗の捕虜が奴隷とせられ、債務者が身を奴隷にして債權者
の使役に致せし如く、此の慘澹たる經濟的戰鬪の敗者と債務者とは又賃銀奴隷たるより外生くるの途なし。露西亞
の農奴が其の主人の名を記せる金屬を頸に捜みて働ける如く、蟻の如くエ場より這ひ出づる賃銀奴隷は其の印半纏
に奴隷所有主の記號を附けられて侮辱せらる。過度の勞働時間は彼等をして全く動物化せしめ、面貌は黒奴の如く、
野蠻性の囘歸のために甚しく粗暴に愈々野卑となれり。嘗て米合衆國の南部に於て、四年間に利uを得盡さんがた
めに奴隷を極度まで酷使して斃死せしむべしとの動議が拍手喝采を以て可決せられし聯邦議會ありしが如く、天命
を短縮する長時間の勞働、人性を殘賊する婦人小兒の勞働を禁ずべきエ場法案が有耶無耶の間に消え去りし大日本
帝國議會あり。羅馬の奴隷の病む者あるときは餌薬を與ふるよりも、更に強壮なる奴隷を買ひ求むる方が遥かに利
uなりとして之を河中の離れ島に棄て嗚號して死せしめたりと云ふ。而も今日の勞働者は病氣老衰にあらず職業の
ために受げたる負傷も職に堪へずとして棄てらる。而も其の棄てらるゝや大都會の中央に於てし、無智なる世人は
彼等の病みて路傍に呻吟するを恰も頑童の湖邊に打ち上げられたる猫の死骸を見んとして集まる如く彼等の周圍に
繞ぐりて憐憫と好奇の面貌とを以て眺めつゝあるは累々見る所なり。農夫の如きは土地と共に賣買せらる。羅馬人
の所謂『話し得る農具』なり、中世史の土百姓農奴なり。而して此の奴隷の繁殖は廉價なる黄色奴隷として海外に
輸出せらる。彼の國法の保護の下に立てる移民會社なるもの、一個嚴然たる奴隷貿易商人にあらずして何ぞ。−−
貧困の原因は近世文明にあらず機械工業にあらず、實にこの經濟的貴族國の故なり。(貴族國、家長君主、奴隷制度
等の法理的意義及び歴史的説明につきては更に第四編の『所謂國體論の復古的革命主義』及び第五編『社會主義の
啓蒙運動』を見よ)。
 
 個人主義の舊派經濟學
 然るに解すべからざることは、嘗て貴族國の貴族政治と奴隷制度とを顛覆したる個人主義が、
今や却て此の新形式の貴族政治と奴隷制度とを辯護して經濟的貴族國の維持に努力しつゝあるこ
となり。是れ燦爛たる國家の妓布に眩惑して内容の醜怪なるを忘却せる、所謂舊派經濟學なるものなり。
 社會主義は固より個人主義と根本の思想に於て相納れざるものなりと雖も、個人主義の理想が如何に文明史の潮
流を指導して流れつゝありしかを考ふるならば個人主義の尊嚴なる意義につきて決して不注意なるべからず。人類
の歴史が進化の斷崖に漲り落ちんとせる時、即ち過去の革命は常に個人主義の名に於てせられたりき。ルーテルが
羅馬法王の權力に對して思想の自由を呼びて起ちしより、佛蘭西國民が天賦の平等を論じてマルセーユ城に突貫せ
 個人主義の發屈と歴史の進化
しに至るまで個人主義は實に革命思想の源泉なりき。これ理由ある事なり。個人主義は之を説明
の理論としては誠に一の臆説に過ぎずと雖も、理想として考ふるならば、或る高貴なるものを有
す。社會の組織は自由の括動を理想とすることに於て進化すべく人類の幸福は萬人の平等を理想として達せらるべ
し。今日の野蠻人は如何にすとも數百千年來の奇異殘忍なる舊慣を脱する能はずして、個人は唯その奇異なる習慣
や殘忍なる迷信の犠牲として生るゝかの如し。老いたる父母を殺して饗宴する習慣も幼兒を捕へて猛獸に供ふる迷
信も、其の一たび古來よりの習慣とさるゝや個人は一の疑ふことをだに得ざるなり。故に彼等は幾萬年を經たるべ
き今日と雖も依然たる喰人族の蠻風に止まりて進まず。吾人の歴史も亦始めは然らざるを得ざりき。當時に於ては
只社會的本能によりて社會的動物として存在せる社會を維持し以て他の社會との生存競争にのみ忙しく、爲めに個
人ほ全く犠牲たるの外なかりき。埃及の驚歎すべき文明も單に王及び僧侶の無用なる土木に過ぎずして、而も個人
は何が故に彼等の犠牲たらざるべからざるかにつきては一の考ふる所なかりしにあらずや。バビロンの榮華然り、
アッシリアの富有亦然りき。希臘羅馬の末年に及びては聊か個人の權威の認めらるゝに至りしと雖も、而もソクラ
テスは無智の群衆に急の自由を蹂躙せられ、自ら社會國家なる名の前に其の大なる人格を放棄して毒盃を仰ぎた
りき。羅馬の大都は貴族と乞食の府となりしと雖も、個人は何が故に乞食たらざるべからざるかといふ事の疑問は
無かりき。以降一千年、所謂中世暗黒の時代となりてゲルマン蠻族が文化に浴するに至るまで羅馬法王なる名に於
て社會の壓力は個人の凡ての者を無視したりき。凡ての者、習慣も、坐作も、行爲も、言菅、思想も、政治も法
律も、天下のことを擧げて法王の一命の下に在るに至れり。僧侶の破戒も、僧職の賣買も、贖罪符も、些の疑問な
しに信ぜられたりき。足れ法王一人の専制にあらず、社會の權力が法王を通じて個人を蹂躙したる者なり。−−歴
史の進化は個人々格の覺醒に在り。人類は宗教革命に於て茲に個人の權威を知り、『信仰の自由』となりぬ。−−
個人々格の覺醒は歴史の進行に伴ひて更に其の覺醒を擴げ行く。人類は更に佛蘭西革命の名に於て貴族と帝冠を顛
覆し茲に『政治の自由』を宣言したり。無用の貴族に土地を私有せしめて國民は奴隷たる可らず、國民の運命は誕
生の僥倖に過ぎざる一個人たる國王輩の掌中に置かる可らずと。個人主義の經濟學は此の革命の風潮に乘じて唱道
せられたる者なり。(第三編『生物進化論と社會哲學』に於て偏局的社會主義と偏局的個人主義を論じたる所を見
よ)。
 個人主義經濟學の革命的任務
 實に此の個人主義の舊派經濟學は過去の貴族國經濟組織の革命のために起り革命の任務は充分
に盡くしたる者なり。−−歴史は經濟界のルーソーに感謝せざるべからず。アダム・スミスの富
國論は實に貴族國經濟組織に對する革命の民約論にあらずや。凡ての分科的諸科學は時の根本思想たる本流の分派
なり。個人主義といふ大潮流は、ルーテルに於て信仰の自由となり、ルーソ一に於て政治の自由となり、而して彼
れアダム・スミスに於て實に『職業の自由』となりて發せるなり。スミスに於て當時の貴族國經濟組織を見る、蜘
蛛の巣の如き法制定規、雜多なる習慣々例は全部破壊せざるべからざるものなりき。即ち革命の外なかりしなり。
 スミス當時の貴族國經濟組織
國内に刺激を與ふるに缺くべからざる外國人の營業む排斥せんがために居住法あり。その居住法
によりて組合に屬せざれば何人も其の市府に於て營業を爲す能はず。これがためにデェームス・
ワットも其の發明せる蒸氣機關を以て營業する事をグラスゴー市のために拒絶せられたりき。公平と名けられたる
判事ありて、資本家と勞働者との間に立ちて賃銀を公平に決定すとの名義を以てする權力階級の殘虐なる爪牙あり
き。名は國家に於てするも實は經濟上の智識もなく誠實も公平もなき官吏の方寸にて物價を公定する専制ありき。
組合の權力は絶頂に達し、徒丁の年期より種々の慣習より製作品の品質形状大小に至るまで恣に制限を設けて一歩
 經濟界の民約論
もその外に出づる能はざりき。而して無用なる貴族國王等の寵幸によりて特許せる無數の獨占營
業ありき。經濟界の民約論は斯くて經濟的方面より貴族國に對する革命的任務を果すべく書かれ
たるなり。
 個人主義の叛逆者
 今の富国論を繼承する個人主義の經濟學者にして眞に個人主義の意義を解するならば、其れを
以て今の經濟的貴族國を辯護するが如きは實に個人主義の叛逆者なり。今の社會に個人の自由あ
りといふ者あらば、そは其等の音響を發するときの唇のみに在り。唇にもあらず、言論の自由、思想の自由は遠き
以前に去れり。ルーテルの信仰の自由によりて戰へる新教徒の子孫は、今や黄金大名の寄附金のために信仰の自由
を賣却して侍僧となり全く當年の舊教の地位に代りぬ。ルーソーの政治の自由によりて得たる鮮血の憲法は今や黄
金貴族の玉座を築かんがための礎石たるに過ぎずなれり。スミスの職業の自由今将た何處に在りや。經濟的貴族等
 階級に阻害されたる自由競爭
が其の縁故と寵幸者とを以て職業の統治權を獨占するが爲めに、餘りある經綸の才を抱けるもの
も三四十錢の賃銀を得て終生を暗黒なる鑛坑の中に送らざるべからず。自由競爭によりて彼れ取
て代るべしと云ふか。是れ徳川の封建制度に於て一劔天下を横行せし元龜天正の戰國を夢むる者、今の法制經濟を
學ぶ青年書生は凡て、是れなり。馬鹿大名の下に匍匐する封建時代よりも由井正雪等に取りては戰國の昔は遥かに
鼓舞せられたるべし。若し一劔を以て徳川の封建制度に反抗して諸侯に取て代りしものありしならば猿の如く口よ
り手に生括しつつある勞働者は一時間に坐ながち數百萬圓づゝの利潤ある經濟的諸侯に取て代るを得べし。或は往
年の山田長政の如く北米に渡航し滿韓に赴きて經濟的諸侯たらんとするか、而も海外の版圖は巳に更に大なる其等
に分割せられ終りたるに非らずや。今日三井岩崎を望む者あらば其の不可能なる日本皇帝たらんことを企だつるが
如く、不敬漢とは呼ばれざるべきも發狂者と見らるべきは論なし。自由競爭とは競爭すべき機會の自由なる獲得を
前提としての立言なり。重き一臺の車に、老病の父母と、貧血の妻と、飢餓に泣く子女とを載せて、よろばひなが
ら坂を昇り行く失望の子を、輕裘肥馬の一鞭を振って嘲笑し去る者ありとせぱ、そば地獄に存在すべき自由競爭な
り。纖弱なる婦女子と可憐なる童幼とを驅りて終生を機械囂々の下に繋ぎ、嘗て拝顔する事をも得ざるエ業主と自
由に競爭せよと云ふ。是れ封建諸侯と一土百姓とが自由競爭に在りといふと等しき殘酷なる侮弄なり。自己の殺括
の權下に在る奴隷の戰ふべき武器なきを知りて、而も教育財産の鎧に身を固め雲の如き家臣に護衛せられ、資本の
鎗を閃かして對等の勝負を求む、こは自由競爭にあらずして捕虜の虐殺なり。スミスは自由競爭のために自由競爭
を説きしに非らず、貴族國顛覆のために自由競爭の對等に行はるべき平等の天地を理想せるのみ。然るに今や再び
經濟的貴族國が美はしき自由平等の法律を被布として建てられ、社會は當時の如く上下の二大階級に越ゆべからざ
る空間を隔てゝ割裂したり。職業の自由とは空しく富國論の紙上に殘りて−−見よ、吾人は囚徒の如く機械の周圍
 
 機械と云ふ封建城廓
に繋がる。實に人類の勞働に代はるべく期待せられたる機城は、今や貴族階級の城廓となりて徒
年の平民を威壓したる如く全社會の上に轟々の響を爲して臨む。社會より貧困を驅逐せんがため
に歡迎せらるべき機械は、今や貧困者を絞磔し、絞磔を免れたる僥倖者をも失業の不安に脅かして運轉す。あゝ機
械發明に逆比例する貧民階級の擴大と失業者發生の驚くべき速力。斯る石壁と溝墟とを以て築ける城樓よりも遥か
 自由競爭中二分類 
に金城鐵壁の器械を以て黄金貴族の護らるゝ時、何の自由競爭あらんや。自由競爭とは階級に伴
ひて二つに分類さるべし、即ち黄金貴族間の殘虐なる經濟的混戰の放任、及び賃銀奴隷間の麺麭
屑に對する餓鬼道的爭奪これなり。−−尊き個人主義と我がスミスとは斯ることの爲めに自由競爭を説かんや。富
國論が兒戯に類するニュコメンの蒸氣機關を只一ケ所に而も偶然に引用せるに過ぎざるは彼が一百年前の人なれば
 機城中心問題の社會的諸科學
なり。彼にして存するならば今日の經濟學は機械を本論とし他は凡て附録に組み替へよと云はん。
今日一切社會の問題は機械より湧沸す、社會的現象の凡ては機械を中心として繞る。實に機械と
云ふ封建城廓を貴族階級に占領せしむ可きや否やが一切社會的諸科學の根本問題なり。
 個人主義は革命に至る
 個人主義の根據なき誤謬なることは後に説く。只その誤られるにせよ之を今日の經濟的貴族國
の下に於て唱道せんとする者あらば、そは嘗てスミスが爲せる如く革命の先鋒たらざるべからず。
經濟的貴族の闕下に匍匐して、徒らに望みなき賃銀奴隷を欺懣するを以て職業となす如きは其者に取りては職業の
 個人主義の論理的歸結
自由たるべしと雖も、スミスは地下に慟哭すべし。否、個人主義の論理的歸結は國家を以て
『止むを得ざる害物』と名くる如く一の無政府主義に在り。彼の個人の絶對的自由に憧憬して無
政府主義を唱ふる者の如きは論理的進行の當然にして、其の或者の爆烈彈に訴ふるが故に強力禁壓せらると雖も、
 官許無政府黨員
現社會の『止むを得ざる害物』を個人主義に於て讃美しつゝある者は爆烈彈よりも大規模なる餓
死に訴へて其の主義を實現しつゝある官許無政府黨員なり。社會主義にせよ個人主義にせよ、其
の現社會の經濟的貴族國なるを認めるならば悉く反對の側に立たざるべからず、今日日本に於て一括して社會主義
 所謂社會主義者に混ぜる個人主義者
と目せらるゝものゝ中に依然として舊式の獨斷的自由平等論を爲しつゝある者を見るが如き其
の個人主義者にして現社會革命の餘儀なきを認むる者の例なり。(故に彼等は廣き意味に於け
る社會革命家と云ふべし、後に説く)。
 
 
       第 二 章
 
           經濟的貴族國の歴史的考察−−個人的勞働時代の勤儉貯蓄−−マークスの價格論の誤謬−
           −『大日本史』と『資本論』−−資本は掠奪の蓄積なり−−經濟的土豪−−資本家發達の
           歴史−−日本の土地兼併は資本の侵略なり−−工薬革命の日本−−賃銀奴隷間の餓鬼道的
           競爭−−經濟的群雄の元龜天正−−恐惶−−企業家の所謂『自己の貴任』−−恐惶を負擔
           するものは全社會なり−−經濟的元龜天正はツラストの經濟的封建制度に至る−−ツラス
           トの物價低落は經濟的兵火なきが故に事實なり−−ツラストの誅求苛歛は封建なるが故に
           赤事實なり−−封建時代の百姓一揆とツラストに對する同盟罷工−−賣買關係の私法にあ
           らず公法の統治関係となる−−經濟的封建制度は經濟史の完結にあらず−−革命の發火點
           は權利思想の變遷にあり−−社會主義は權利論によりて立つ−−個人主義の掠奪せる所有
           權神聖の金冠−−權利思想の變遷−−腕カは所有權を確定すと云へる占有説の古代思想−
           −占有の國王貴族を顛覆せる勞働説−−社會主義は社會の所有權神聖を主張す−−資本家
           の機械占有と往年の奴隷占有−−機械は死せる祖先の靈魂が子孫の慈愛のために勞働す−
           −リカードの不備の點と地代則の説明−−地代は人口揄チの結果なり−−都會地の地代は
           社會文明の賜なり−−無數の土地所有權辯護論−−薄弱なる加工説−−個人主義時代の獨
           斷的權利論−−個人主義の權利の理想は形式に於て似たるも社會主義と混同すべからず−
           −個人主義の法理學は亦其の經濟學の如く現社會の辯護にあらず−−權利とは社會生存の
           目的に適合する社會關係の規定なり−−社會の利u即ち權利にして正義なり
 
 
 経済的貴族國の歴史的考察
 實に此の經濟的貴族國に對しては貴族主義を主張するものに非ざるよりは、如何なる者と雖も
打破の外なきを認むべし。而して科學的社會義は凡ての社會的諸科學の原理に立ちて根本的革
命を主張するむのなり。故に社會主義は此の經濟的貴族國につきて歴史的智識を要す。如何にして革命せられたる
封建の敗墟の上に更に革命を繰り返へすべき經濟的貴族國の建設さるゝに至りしか。
 此の説明は『資本』と『土地』との解釋なり。然るに下等なる物質を以て組織されたる頭腦の學者は經濟的貴族
國の城廓たる資本の説明に於て今尚勤儉貯蓄の結果なりと云ひて甘んず。斯る學者は貧困に生るれぱ天理教を信じ
狐狸を體拜して世を終るべき憐れなる天賦の爲めに、經濟史の進行に置き去られて一世紀前の智識に止まる者なり。
−−彼等は個人的生産時代の智識を以て社會的生産の現代を解釋せんとする者なり。而しながら彼等は巳に充分に
 個人的勞働時代の勤儉貯蓄
其の任務を盡せる者にして只安らかに死の手に抱かしめば足る。吾人は今日舊派經濟學の死屍に
鞭つものにあらず。例令ぱ茲に滔々たる大河の一所に停滞して數方哩に渉る湖を湛へたりとせよ。
而して其の湖面の上に狡滑なる獺が小さき頭を出して、この澎湃たる大湖の水は皆余が河畔に勞きて掬み來りし結
果なりと云ひしとせよ。生き殘れる舊派經濟學者なる者は、然りこれ獺の勤儉貯蓄の結果なりと云ひて信仰しつゝ
ある者なり。經濟學の問題は湖面にあらず、河流にあらず、溯つて水源に疑問を集中せざるべからず。農夫の有す
る一丁の鍬、大工の持てる一振の斧は固より彼等が勤儉貯蓄の結果なるべし。山と河とに分かれて働きし翁嫗の昔
話の時代に於て、アダム、イヴの勞働を命ぜられたる時代に於て、勤儉貯蓄は實に資本の源泉なりき。而しながら
機械發明以後の資本は斯る個人的勞働の資本とは流れ來る所の水源を異にす。若し一瓶の美酒に數百人の血液を湛
たへ、赤道直下に勞らく幾萬同胞の涙を凝集して輝やく粟大のダイヤモンドに其の浪費を飽かしむる能はずして、
終生の辛苦は消費の途を發見するに在りと云はるゝ所の經濟的貴族の資本が、却て幾何級數の勢を以て一年は一年
より倍加し行くを尚且つ勤儉貯蓄の結果なりとせぱ、世界の凡ての辭書は直に其等の文字を訂正せざるべからず。
若し個人の勤勞の結果なりと云ふならぱ生るゝとより何等の勤勞なる者をせざる彼等資本家の資本は無より有を生
ずるものなり。是れ個人的生産時代の勤儉貯蓄にあらず、社會的生産を資本家に獨占せしむる掠奪の蓄積なり。−
−『資本は掠奪の蓄積なり』と云ふ科學の歸結は生産を社會的に爲しながら個人的の分配を爲して生産せる社會が
分配に與かることを得ざるを以てなり。カール・マークスの『資本論』が頗る遠き以前の智識なるがために其の枝
葉の點に於て無數の非難を被むるべき餘地ありと雖も、『資本は掠奪の蓄積なり』と云ふ大原則は引力説の如く不
 マークスの價格論の誤謬
動の眞理なり。彼が其の價格論に於て貨物の價格は需要供給によりて決定せられず之を生産に要
する勞働時間の長短によりて定まるとして一切の議論を建設せしがために。路傍にて拾ひし寶石
は一分間の價格より外有せずして數時間を要する机は其れに數十倍する高價なるかと云ふが如き、勞働時間なき天
産物は無代價なるかと云ふが如き、同一の石炭にして發掘の困難なる者は容易なる其れより價格を高くして買ふも
のあるかと云ふが如き、長時間の勞働が無用の生産に終りし時と雖も短時間の有用なる貨物よりも高き價格を有す
るかと云ふが如き、一時間にて釣りし一尾の魚と時計師の一時間と著述家の一時間と其價格に於て同一なるかと云
ふが如き、斯る正當なる批評に對して根據より動揺せしが爲めに、遂に資本が掠奪の蓄積なりと云ふ鐵案をも蔽は
しむるに至りし事は事實なり。而して今日社會主義者と稱せらるゝ者の中に於て、恰も生物進化論者がダーギンを
偶像とせるが如く、マークスの資本論を信仰個條として今尚物價は勞働時間の長短によりて計算さると論じて甘ん
ずるものある事も亦事實ならずと云はず。而しながら長き討究を以て磨き上げられたる眞理は彼の價格論に大なる
修正を加ふると共に『資本は掠奪の蓄積なり』と云ふ經濟的貴族國の基礎を愈々嚴肅に發見するに至れり。即ち
革命されたる貴族の土地が各國の歴史によりて(日本に於ても幕末の順逆論の歴史によりて)掠奪なる事を發見せ
られたる如く、マークスの資本論は經濟的貴族の『資本』が亦等しく掠奪なる事を科學的歸納に於て發見したる者
なり。
 『大日本史』と『資本論』
 故に過去の貴族を顛覆せる革命家が歴史的敍述に於て貴族の土地掠奪の跡を明示せる如く、此
の經濟的貴族國を革命すべき社會主義は資本家掠奪の跡を歴史的攻究を以て明示す。故に水戸の
『大日本史』の如くマークスの『資本論』は經濟的貴族の發生し發達し來れる歴史を明かにす。彼の價格論の誤謬
を去れる眞理は下の簡單なる一言に在り。−−勞働者の賃銀は需要供給の原則によりて支配せらる。而して人口の
 資本は椋奪の蓄積なり
攝Bは勞働者の供給を過多にし機械の發明は(其の事業の擴張さる、時を外にして)需要を減少
せしめ、賃銀の市價をして勞働者自身を維持し得る食物の市價にまで低落せしむ。資本家は此の
食物の市價に於て勞働者と契約し一日十三四時間の長時間を勞働せしむ。此の長時間の勞働によりて得る生産物の
中(必ず注意するを要す、吾人は勞働の時間其者を價格となして長時間の勞働によりて得る價格の中とは云はず)、
勞働者の賃銀たる食物の市價だけを引き去り、殘れる生産物の有用なる價値を需要せらるゝことによりて生ずる價
格は悉く資本家の掠奪する所となる。この掠奪の蓄積は更に轉じて資本となり、更に勞働者の傭ひ入れとなり、更
に大なる掠奪となり、雪塊の轉々するが如く更に其の資本を搗蛯オ行く。是れ貴族國の萌芽たる土豪の發生せるが
如きものにして漸時に經濟的群雄割據の戰國となり(例へぼ現時の日本の如し)、更に嚴然として動かざる經濟的
封建制度の大資本家合同の時代となる (例へぱツラストの北米の如し)。
經濟的土豪
 實に斯る無數の土豪的小資本家が、僅かに一世紀間に於て僅少の群雄割據となり嚴然たる經濟
的諸侯となりて發達し來れる所以の者はへ實に近世文明の機械工業にあり。經濟的貴族國の城廓
なりと云へるもの是れなり。重力落下の物理的原則によりて支配せらるゝ歴史の進行は十九世紀に至つて彼自身が
發明せる汽車と競爭すべき速力を以て走り來れり。此の時勢の汽車に一歩を先んじて投じたる、否多くは或る事情
 資本家發達の歴史 
のために自ら知らずして車中に轉がり入りし僥倖者が今の經濟的貴族或はその父祖なり。機械工
業を利用することに於て智巧なる、或は幸運なる者は其機械の城廓に據りて獨立手工業者を壓
倒せり。而して壓倒せられたる獨立手工業者は麺麭のために其の獨立を維持する能はずして戰勝者の軍門に降り勞
働者となる。−−經濟的貴族國の萌芽は茲に於て培養せらる。嘗て獨立手工業者の獨立なる經營が其の勞働の結果
に對して全部の所有權を主張したりしもの、今や自己勞働の果實が食物の市價たる賃銀のみを除去して他の凡て掠
奪さるゝに一の疑ひをだに抱かず其の贓品の所有權神聖の下に唯々として働くに至りぬ。汽車に乘り後れたる一歩
の差は如何に健脚を以て走るも及ぶべきにあらず。一歩の幸運兒は掠奪せる價格の蓄積を以て更に新機械を使用し、
是を使用する能はぎる他のより小さき資本家を壓倒す。而して更にその新機械を以て其の資本を搗蛯オ、搗蛯ケる
資本を以て更に新機械を使用し、更に之を使用する能はぎるより小さき資本家を壓倒す。壓倒は更に資本の搗蛯ニ
なり、資本の搗蛯ヘ亦更に轉じて壓倒となる。茲に至りては勤惰にあらず賢愚にあらず、資本搗蛯フ速力は新機械
の發明に應じて數學的確實を以て進行す。而して新機械の發明と其れに對抗する能はぎる大資本家の敗北とは、無
數の失業者をして彼等の門前に集まらしむ。−−經濟的貴族國の土豪等ほ茲に於て征服の翼を張る。失業者は失業
者各自の競爭のために其の市價を動物として生存し得るだけに低落せしめ、背後に迫り來る空腹と妻子の悲鳴とは
彼等をして餓鬼の如く奴隷の鐵鎖を爭はしむ。始めには少なくも一家妻子を維持し得るだけの賃銀を以て最低限度
とせるもの、今や腕力を要せざる機械は家庭の神聖と幸福とを詩人と道徳家の問題に殘して、臨月の母と頑是なき
兒童とを捕縛して工業に繋ぐ。
 日本の土地兼併は資本の侵略なり
 此の經濟的戰國の君主等は更に其資本を以て地方に侵略して土地の掠奪となり、土地を掠奪
して存する地方の大地主は其の掠奪によりて得たる資本を以て其の版圖を擴張す。高利なる資
本は土地占領の彈丸となりて働らく。日本に於ては愛蘭土の大地主の如く革命前の歐州の如く、戰爭の掠奪による
土地の占有者は維新革命によりて其の掠奪物を國家に返へし、今は無權力なる華族として痕跡を殘すのみ。(故に
社會主義を直譯的口吻に於て唱へ土地は戰爭の掠奪なりとして没収を主張するは的なき發砲たるべし)。日本は諸
侯の所有權の下に小作權をのみ有したりし者に國家が權利を附與して小有土農夫國となれり。(故に國家が公債の
利子を負擔して與へたる權利は國家に囘復の自由ありと云はゞ聊か論理的なるべし)。兎に角日本の土地は一たび
戰勝の掠奪者の手より離れたることは事實なり。而も今や新たなる掠奪者は資本の威力によりて土地を併呑しつゝ
始まれり。近年機械工業の起ると共に資本は無限に需要せられて無限の價値を表はし、年々誤算なく入る所の諸外
國に類例なき利子利潤に比較しては、猫額大の水田に舊き小農式を以て一家老幼の營々たるも尚最低度の生括を維
持するより外なき土地の薄利は餘りに甚しき懸隔なり。往時農家の副業として重要なる収入を爲せる織業紡績等も
凡て資本に奪はれたり。地租の負擔は大地主にとりては地代の社會的産物に對する社會の權利なるべきも小有土農
夫にとりては微少なる所有權に對する威嚇なり。彼等は蜜蜂の如く働きたる諸侯の小作人たりし土百姓(サーフ)當時と多く
の相違ある生括を爲す能はぎるなり。都人士の嘲笑する赤毛布は其の嘲笑さるゝ如く東京見物の時と鎮守の祭禮の
時とより外には鄭重に保存さるゝ贅澤品なり。疊なき茅屋と泥と破れとに充てる布衣とは、實に中農と稱せらるゝ
農業者の一般階級に於げる平常の生括なり。若し中農と稱せらるゝ者が其の二三子女をして中農の名に應ずるだけ
の中等教育を受けしめんとせぱ借財せざるべからず。敢て子女の教育に限らず、平常に於てすら斯の如き低度の生
活を送りて漸く祖先よりの神聖視する土地を維持せる彼等が、暫々襲はるゝ不作、疾病、等によりて借財に陷るや
高利なる資本は土地の上に蛇の如く纏ひて、如何に勞働の上に勞働し如何に低度なる生括を更に低下すとも、土地
の薄利は到底資本の高利に對抗する能はずして高利は高利を産み、數年ならずして其の神聖視する土地は都會の資
本家、或は資本の自由なる他の大地主に兼併せらる。−−實に英國に於て『工業革命』の慘劇を演じて一瞬の間に
 工業革命の日本
小有土農を掃蕩したる機械工業は實に此の可憐なる東洋の英國の上に工業革命を繰り返しつゝあ
るなり。如何に統計は土地兼併の戰慄すべき速力を以て進みつゝあるかを示すよ。吾人は決して
無智なる農業者をして文明の光輝ある生括も知らず、子女ぱ高等なる教育をも受けしめず、只その生れたる土地に
粘着せしめぱ足ると云ふものに非らず、否、社會主義は其の實現と共に日本の未開なる小農法の如きは根底より棄
却して大農法の機械農業に改めざるべからざるを主張する者なり。然しながら此の年々數限りなく土地を驅逐せら
れて浪々する同胞の前途につきて單に、是れ自然に大農法に至ること英國の如くなるべしとして悦ぶことは實に英
國の工業革命と同一なる恐怖すべき形勢を忘却せるものなり。彼等は何處に行く。老衰せる父母は祖先墳墓の地を
離るゝに忍びずとなして掠奪せられたる土地の上に農奴(サーフ)となる事にあり。若き男女は各々賃銀奴隷となりて食を求
むべく都會に叢がり集まることに在り。父子相見えず兄弟妻子離散す。
 賃銀奴隷間の餓鬼道的競爭
 あゝ農奴と奴隷の日本! 經濟的貴族國の下に於ては彼等は何處に浮浪するも農奴と奴隷とよ
り外に生くるの途なき事を知らざるなり。土地を放逐せられたる地方勞働者が都會に流れ來りて
喪家の犬の如く桂庵の戸口に排徊するの時は彼等と同一なる苦境に沈淪せる都會勞働者が工場の門前に掃き出さる
ゝの時なり。羅馬の奴隷商人は奴隷の頸に代價、年齢、能力を書きつけて飼小屋の中に置き以て人の來り買ふを待
てりと云ふも、今日の桂庵は日に數百人を以て數ふる彼等に對して飼小屋をも有せず又食物をも與へ得るものにあ
らず。自由と平等の文字を額に烙印されたる奴隷は、如何なる困難を忍びでも先づ口を糊する事に急ならざるべか
らず。−−經濟的貴族國の君主等は茲に至て其の經濟的統治權を振つて愈々強大を加ふ。得業者に對する失業者の
競爭、失業者と失業者との競爭、都會勞働者と地方勞働者との競爭。實に賃銀奴隷階級の餓鬼道的競爭は酸鼻を極
む。
 
 賃銀奴隷間の餓鬼道的競爭と共に(完全に行はるゝ自由競爭よ!)一方に於て資本家間の相殺的競爭は眞に血の
河を流しつゝあり(前きに自由競爭を二大階級に從ひて分類すべしと云ひしは是れなり)。
 
經濟的群雄理の元龜天正
 經濟學者は、資本家が其の家老家臣を率ゐ賃銀奴隷を招集して商工業を營むと云ふを見て生産
なりと云ひつゝあり。而しながら事實は多く然らずして彼等は生産せんが爲めに企業なる者をな
すにあらず、他の對抗者の生産を打破せんが爲めに勞働を命令しつゝあるなり。是れ奇矯なる文字の玩弄にあらず、
却て元龜天正の群雄が國利民福の爲めに戰爭せしと云ふが如き經濟學者こそ文章に於て形容辭に富む。彼等は大部
分他の生産を破壊せんとする意志を以て費やされたる破壊費を却て生産費と名く。−−實に經濟的戰國なり。機械
の響、鐵槌の音は戰場の突貫鯨波の聲なりとすべし。彼等經濟的群雄は人情も、名譽も、高尚なる快樂も、精神靈
能の開發も、一切を忘却して只管戰爭にのみ熱狂す。殺伐なる群雄が血に渇せる如く黄金に渇する彼等經濟的群雄
は、暗殺襲撃を以て親戚も朋友も眼中に映ぜざるものなり。元龜天正の群雄が連合反間の目的のために妻女の贈與
放棄を手段として平然たりしが如く、令夫人と令嬢なるものとは資本の聯合のために結婚せしめられ市場の競爭の
ために離婚さる。野蠻人の道徳家たらんには其の資格として殺戮、強奪、喰人の缺くべからずと云ふ如く、資本家
階級の道徳家たらんには一切の不道徳と名けられたるものを履行して洒然たるべき良心を要す。彼等は床に即くと
きと雖も、如何にして彼の顧客を奪ふべき、如何にして彼の工場を顛覆すべき、如何にして彼の一家を倒すべきと
云ふ計畫に頭腦を惱ましつゝあるなり。彼等は夢に惡魔と囁やく。同一なる營業者と云ふことは彼等にとりては地
獄に落つるまでの仇敵にして、若し戦敗者の一家にして零落離散し、其の父老が内職の燐寸箱を張り、世波を知ら
ざる若者が腰辨當の小官吏となり、可憐なる愛女の細腰に飾るべき何者をも有せざるに至るが如き事あらば、是れ
彼等の生涯に於ける最高調の滿足にして、黄き歯を露はして嘲笑し、手を拍て凱歌を唱ふ。この戰鬪のために彼等
は特殊の良心を有す。驕慢に滿てる額も顧客の前には恥も外聞も解せずして叩頭し、利uを與ふべき官吏の足下に
は罪人の如く匍匐す。法螺と吹聽とは彼等にとりては最も高貴なる道徳なり。自家の正直、自己の勤勉、自店の誠
實、而し七其の製品の優秀拔群なる虚構より他の誹謗排撃に至るまで、實に一切轉倒せる道徳を奉ず。賄賂、買収、
運動、廣告、世にあらゆる醜悪なる良心に於てする醜惡なる戰鬪なり。(『社會主義の倫理的理想』に於て階級的良
心を説ける所を見よ)。而して戰鬪は軍事費なくして繼續する能はず。彼等は『生産費』なる名の下に經濟的兵火
の軍事費を租税の如く全社會の購買者に負擔せしむ。而して戰闘のために明を失へる彼等は各々需要を超越する生
 
 恐 惶
産をなし、掠奪されたる全社會が其の生産物を購買するの力盡くるや恐惶となる。恐惶! 此の一
語は地震の如く戰勝者も戰敗者も共に仆す。如何にロッセルが『唯野蠻なる民族のみ恐惶を免かる
ゝのみ、而も之を免かるゝも彼等は幸福なりと云ふを得ず』と云ふとも、又リカードが『恐惶を歎くは富豪が其の
滿船の貨物の風波に逢はんことを恐れて貧民の安全を欲するの愚と等し』と云ふとも、そが野蠻人も知らざる如き
悲慘なる爆發を來たし實に全社會を船に載せて難破する如く數年の蓄積を一朝にして掃蕩す。而して之れ必ず十年
毎に來り其の小なる者は常に至る處に在り。両もヂェオンスは其の責任を太陽の黒鮎に負擔せしむ。−−この經濟
的元龜天正の禍害を被むる者は、往年の戰亂の下に在りし百姓町人の如く實に勞働者と全社會となり。然るに凡て
 企業家の所謂『自己の責任』
の經濟學者が彼等企業家なる者の定義を下すや、皆必ず、『企業家とは自己の計算によりて自己
の責任を以て勞働者を雇傭して生産に從事する者なり』と云ふ。自己の計算と云ふことが空虚の
誤算と我利の計畫なりといふことならば充分に眞なるべく、生産に從事するといふことも或る程度まで僞りならざ
るべし。而しながら『自己の責任』といふに至りては憤怒すべき欺懣なり。彼等は何日その責任なるものを盡くし
たる事ありしか。利uは自己の責任に於て負擔する事は便宜にして事實なり。而も需要供給が世界的經濟に擴張せ
られて徹頭より暗中の飛躍に過ぎざる彼等が無謀なる計算のために、一切の損失困難禍害を負擔する者は實に勞働
者と全社會となることを知らざるべからず。掠奪の蓄積に過ぎざる資本の喪失は彼等冒險者にとりては本來の裸體
なり。而しながら工場の閉鎖によりて生ずる勞働者の失業、失業者によりて被る社會の危險と動亂とは『自己の責
任』は別問題とするに似たり。愚昧と殘忍との系統的組織に過ぎざる經濟學は、失業者の如きは小活字を以て一隅
に葬り去る。而もー人の失業者は其の老母をして縊死せしめ、其の妻をして貧血に病ましめ、その女をして賣婬婦
 恐惶を負擔するものは全社會なり
たらしめ、而して彼自身をして『犯罪たるべき危險状態』として流浪せしめ、愈々食なくして
飢ゆるや終に一錢の窃盗となり更に殺人の強盗となる。經濟的群雄の元龜天正のために、一戰
敗者の生ずる毎に社會の下層は實に一個の犯罪階級と化しつゝあるなり。而してこの犯罪者によりて害せらるゝも
のは猛犬と門壁とを有する上層の犯罪階級−−詐欺、賄賂、官金費消、投機、政治の罪惡によりて安全なる設備を
有する邸宅に住する犯罪階級にあらずして、備へなき家屋の中産者と勞働者との階級なり。彼等は上層の犯罪階級
の爲に一切の生産を掠奪せられ生産物の購入に於て軍事費を課税せちれ、戰敗者の生ずる失業者のために更に僅少
なる殘部を脅かさる。『自己の責任』とは企業家一人の覆没を以て抹殺さるべきものにあらず。
 經濟的元龜天正はツラストの經濟的封建制度に至る
 而しながら、この資本家間の殺戮戰は近き将來に於て全く停止すべきものなり。米
合衆國の如きは巳に殆ど全く停止しつゝ始まれり。彼等が小企業家を倒し、大企業家
を倒し、より大なる企業家を倒しつゝ進む間に、彼等は數十の戰勝者と相對抗せるを發見す。−−經濟的元龜天正
は經濟的封建制度に至るべき歴史的過程なり。資本家は徳義につきては良心の感覺は甚だ痴鈍なるも利害につきて
は驚くべき鋭敏の耳を有す。目醍むるとより黄金々々と呼び眠るまで經濟々々と囁きつゝある彼等が、籠虎の相撃
が大損失の創傷なくして終るものに非ざることに氣附かざるの理なし。廣告によりて數千萬圓を費やし、競爭によ
りて物價を低落せしむるよりも、最後まで踏み止まりし大資本間の合同は經濟史當然の潮勢なり。ツラスト是れな
り。而して他の階級に相競爭せる勞働者も亦強固なる勞働組合を組織し茲に二大階級は其の階級間に於ける自由競
爭を停止す。
 ツラストの物價低落は経濟的兵火なきが故に事實なり
 我が經濟的群雄戰國の日本に於ても近時ツラストの唱呼漸く高くなり來れり。恐く
は今後十年の後に於ては米合衆國の如き嚴然たる經濟的封建制度となるべし。資本家
の歴史が斯くて封建制度に入るや、大名階級の聯合によりて全社會を抑壓し、大名階級は盤石の上に築かれて全社
會の上に權力を振ひ誅求苛歛し始じむ。彼等が大合同による經費の節約と新機械應用の自由と、原料の安價なる買
入と、一切の廣告競爭の無用とのために驚くべき利潤の揄チを來し、爲めに其の餘澤を以て或は物價を低落せしめ、
全社會をして經濟的兵火より免かれしむる事は事實なり。故に吾人は皮相的見解者の如く徒らに慷慨してツラスト
は物價を騰貴せしむと論ずるものに與みせず、統計は明かにツラストが小資本家時代よりも物價を下落せしめて全
社會を幸福ならしめつゝある事實を示めせばなり。然しながらツラストの誅求苛歛といふことは亦統計の示めす所
なり。何となれば、そはツラストなればなり。經濟的封建制度なればなり。封建制度は群雄戰國より兵火の禍害
 ツラストの誅求苛歛は封建なるが故に亦事實なり
なしとするも封建制度の誅求苛歛は其の封建制度たる事に於て論なき事實なり。若し經
濟的諸侯にして永久に賢明に、又賢明なるものゝみならば社會の購買力を計りて物價を
低落せしめ、仁君なる崇尊と共に永續的に血液を絞り取る事は安全なる方法にして、過去の貴族等も頗る斯る智巧
ありき。然しながら彼等の多くが馬鹿大名なるが如く、絶對無限の専制權には驕慢と暗愚とが伴ふ。經濟身の専權
を有するツラストは其の生産が社會の購買力によりて維持さるゝものなる事を顧慮せずして物價の横暴なる騰貴は
續々として起る。これがために起る彼の生産過多−−實はイリーの所謂消費不足の爲めに依然たる經濟界の動亂は
今の北米に見よ。經濟的貴族國に於て驕慢暗愚のために顛覆する諸侯と其れが爲めに生ずる百姓一揆とは當然の現
 封建時代の百姓一揆とツラストに對する同盟罷工
象なり。−−實にツラストは専制無限權の封建諸侯なり。彼等は人類咽喉の支配權を有
す。ツラストにとりては賣買を保護する私法と云ふもの化して以て明白なる公法となる。
法律學者の云ふが如く、公法とは權力關係を規定し私法は平等關係を規定すといふものならば、而して權力關係と
 賣買關係の私法にあらず公法の統治關係となる
は強き意志が弱き意志に對する關係にして命令し服從するの關係なりといふに在るなら
ぱ、人類の物質的生活に對する一切の權力、生殺與奪の絶對専制權を有する彼等は、全
き意味に於ける統治者にあらずや。對等の意志による賣買にあらず、此の統治者が物價を命令し、之が消實者たる
社會が服從する明白なる統治關係なり。彼等は賣買と云ふ名の下に全社會に對して租税を徴収する眞の經濟的貴族、
經濟的家長君主なり。
 而しながら貴族制度が國家主權の公民國家に至りし如く(『所謂國體論の復古的革命主義』を見よ)、經濟的封建
 經濟的封建制度は經濟史の完結にあらず
制度は亦決して經濟歴史の完結にあらず。彼等がツラストの大合同を爲さんとするや、無用
なる、若くは利u少なき工場を閉鎖し、其の工場によりて立てる都會を土耳古人の如く破壊
し、際限なく發明さるる新機械の使用毎に一時に數萬の勞働者を失業者として社會に放逐す−−失業者の或者は輕
蔑に漲ぎれる慈善家の微笑に迎へられ、社會は監獄の鐵門を地獄の如く開放して待つ。切迫は勞働者をして尊き諸
侯に叛亂せしむ−−恰も封建時代の百姓一揆の如く。彼等は大團結を爲して數十日數閲月に渉る同盟罷工を爲して
百姓一揆を繼續す。罷工又罷工、工場の閉鎖又閉鎖、アナーキストは飛躍し、勞働者の飢餓は暴行となり、終に警
察權濫用の口實となり、更に軍隊の發砲となり、實に慘澹の市街戰を演ず。
河流は流るゝ所に流るゝものなり。ナイヤガラの大瀑布はオンタリオ湖に落ちんがために轟き、全社會は社會主
義に落ちんが爲めに沸騰す、屡々繰り返へされて屡々敗らるゝ同盟罷工の百姓一揆が終に政權の上に起ち現はれて
『社會主義』の旗幟の下に集まるの時、茲に經濟的貴族國は顛覆して維新革命の斷崖に漲ぎり落つ。
 
 革命め發火點は權利思想の變遷にあり
 革命の發火點は權利思想の變遷に在り。故に社會主義は徹頭徹尾權利論によりて立ち些の
調和折衷を許さず。社會主義にして權利の前に怯懦なるが如きことあらば社會と國家とは秩
序と安寧幸福の名に於て之を十字架に上すも一人の涕泣すべき使徒も無かるべきなり。
 社會主義は權利論によりて立つ
 現今、社會主義を審問して判ばきつゝある者は所有權神聖の金冠せ戴ける個人主義なり。而し
ながら個人主義よ、社會主義は爾が戴ける金冠其者よりして掠奪物なる事を指示する者なり。金
冠は侵かす可らず、所有權は神聖なり。而しながら單に所有權神聖と云ふが如きは内容なき文字にして其の所有す
 個人主義の掠奪せる所有權神聖の金冠
る理由によりて神聖なる權利が歸屬する所を異にす。マークス以前の空想的社會主義の如く
資本家階級の所有權を認識して只神に求め涙を流すとも嚴格なる權利は冷笑すべきなり。科
學的社會主義は自ら金冠を戴きて凡ての者の上に神の如く判ぱく。
 権利思想の變遷
 中世貴族國時代に於ては、我は我が力を以て天下を取れり、王たらんと欲すれば王、帝たらん
と欲すれば帝と云へる權利の聾ありき。而しながら維新革命は國家主義の權刺を以て遡つて之を
建てたる如き是れなり。是れ古代中世に於ける凡ての民族に共通なる權利にして、日本民族の祖先が此の國土を掠
奪して權利を設定せしが如き是れなり。腕力が所有權を確定すと云へる者是れなり。此の權利思想は永き間繼續し
 腕力は所有權を確定すと云へる占有説の古代思想
たりき。歐州に於ては大革命以前まで日本に於ては維新革命以前まで、土地の所有權は
此の占有説によりて國三貴族を神聖ならしめたり。然しながら土地に對する本來の占有
者は決して一個人にあらずして民族全體の發見と戰鬪とによる占有なり。而して占有によりて得たる所有權は占有
すること能はぎるによりて所有權の理由を打ち消さる、故に、骸骨が墓中より臂を延べて其の占有を繼續する能は
ぎるが故に相續權の如きは占有説によりては解すべからざることゝなり、爲めに之を今日に於て唱へんとするなら
ば相續によりて生ぜる財産、及び財産を相續せしめんとする理由を、自家の論理によりて暗殺することゝなる。否、
 占有の國王貴族を顛覆せる勞働説
是れ實に國三貴族が其の土地に對する所有權を打破せられたる所以にして、革命前後は個人童
義の勞働説を以て所有權を説明するに至れり。實に勞働の果實が勞働せる個人の所有となると
云ふ明白なる理由、は、遊牧時代より農業時代に入り(一面他の民族に對して主張せる占有説と共に)民族内個々の
間に於ける個人勞働の果實を無視せんとするものに對して生産を保護したり。而してこの勞働説による所有權の要
求は中世の封建諸侯の掠奪に對して市民の商工業を保護し、更に占有説によりて立てる國王貴族の土地所有權を打
ち消して唱へられたり。彼の革命の大破裂に於て掠奪によりて得たる彼等の土地財産を顛覆せるものは、實に此の
勞働の果實は勞働せるものゝ所有なりと云ふ勞働説が占有説の掠奪を否認したる者なり。焉ぞ地代資本の如き社會
的産物を占有なる名に於て掠奪せしめんがために、勞働説の個人主義が所有權神聖の語に飾られて唱へんや。個人
 社會主義は社會の所有權神聖を主張す
的勞働によりて個人の所有權が神聖なる時代は歴史に葬られたり。社會的勞働の今日、社會
のみの所有權が神聖なり。實に、所有權神聖の如き語は寧ろ社會の權利を神聖なりと云ふ者
にして却て社會主義の金冠たりとすべし。
實に社會主義は社會が社會勞働の果實に對して主張する所有權神聖の聲なり。然るに機械の公有を以て所有權を
 資本家の機械占有と往年の奴隷占有
無視すとの抗辯は何たることぞ。若し何者の勞働せる果實なるに拘らず余の占有せるものは余
の權利なりと云はゞ、是れ腕力を以て所有權を確定せる近代以前の權利思想にして、人類を鎖
と鞭とによりて占有するが故に奴隷廢止は所有權を無視すと云ふと同一なる議論なり。個人主義を主張して社食主
義に對抗するならば個人主義の權利論を以てすべく、而して所有權は勞働せるものに在りとの正義は實に個人主義
の法律の理想たり。然れば機械の公有を勞働説の個人主義に於て否定せんと欲するならば、權利の主張者はワット
以下の發明家の子孫たるべくして、單に排泄作用の勞働より外爲せしことなき資本家は其の勞働の果實たる醜怪な
る物質に對してのみ神聖なる所有權を得べし。否、機械其れ自體が勞働の限界分量を限りて分割するを得べきもの
にあらず、一つの蒸氣機關に於けるワットの個人的効果は其の機械を組み立つるに用ひられたる全智識の百千分の
一にも過ぎず−−故に個人主義は非なり。眞に法律の理想によりて圓滿なる所有權を主張し得るものは、其等個々
の發明家にもあらず、其の占有者たる階級の資本家にもあらず、又その運轉を爲しつゝある他の階級たる今の勞働
 機械は死せる祖先の靈魂が子孫の慈愛のために勞働す
者にも非ず、只歴史的繼續を有する人類の混然たる一體の社會のみ。機械は歴史の智
識的積集の結晶物なり。機械は死せる祖先の靈魂が宿りて子孫の慈愛のために勞働し
つゝあるものなり。愛兒の大多數をして地獄の苦痛に投じながら二三惡童の野蠻時代なる權利思想を以て占有を主
張すとも今日の正義は許容せざるなれ。故に若し所有權神聖の理由を以て社會主義に對抗せんとするものあらば社
會主義は寧ろ社會勞働の果實たる資本に對して所有權神聖の名に於て公有を唱ふと云はん。
 リカード不備の點と地代則の説明
 社會勞働の果實に對する社會の所有權は又地代の上に要求せらる。何人も知れる如くリカー
ドの地代則によりて、地代が人口揄チの結果と社會文明の賜なる事は確定せられたる事實なり。
固より後世の學者によりて充分に指摘せられたる如く、耕境の伸縮は彼の云ふが如く、時に應じて迅速に行はるゝ
ものにあらざるべし。小作料の如きは多く在來の慣習慣例に妨害せられて其の法則のまゝに上下する者にあらざる
べし。外國米の輸入、外國の土地の開墾等によりて又その法則の壓伏せられて働らかざる事あるべし。彼は舊世果
の英國に生れたるが故に土地は始め豊饒の地よりのみ耕やさるゝと思ひ全く反對の現象の存する新開國を知らず、
爲めに其の法則が事實上の根據に於て薄弱なりしことはあるべし。即ち舊派經濟學の抽象論に走る弊害の俑を爲せ
る彼れたることに於て、他の多くの働きを爲す社會的條件を忘却せる非難は充分に理由あり。而しながら斯る缺陷
に充てるに拘らず、彼れが如く考ふることによりてのみ地代の説明せられ得るものなることは一般の學者の否まざ
る所なり。吾人は固より舊派經濟學の無數の誤謬を認むる事に於て社會主義者の名が示す如くなりと雖も、彼の如
き方法によりて地代を思考し得べしとする者なり。−−穀物の市價は最も多き生産費によりて定まる。斯る生産費
 地代は人口揄チの結果なり
の差額は土地の肥度と市場への便宜とによりて生ず。斯く多くの生産費を要する下等地を耕作せ
しむるに至るは人口揄チの爲めに穀物の需要多くなるが故なり。されば今、生産費差額を全く土
地所有者に拂ひ土地を借りて耕作に從事するも、下等地を耕作すると同一なる利潤を得べし。茲に於て其の生産費
差額は常に全く地代となる。而して人口愈々揄チすれば、更に多くの生産費を要する下等地に耕境を低下せしめ、
其の低下するだけ生産費の差額を多くせしめ、其れだけ地代を揄チせしむ。故に現今小作人が地主に拂ふ多額の地
代は全く現今の如く揄チせる人口の結果なり。揄チせる人口と坐食せる地主と何の関係あらんや。實に人口揄チの
結果たる地代が所有權神聖なる名の下に常に全く地主に掠奪せられつゝあるが如きは個人主義の權利思想に背馳す。
 都會地の地代は社會文明の賜なり
 都會地の地代は實に明白に社會文明の賜なり。停車場の設けられて其の附近の地代が揄チす
る事は地主の所有を神聖ならしむべき理由にあらず。交通の發達による地代の揄チは蒸氣と電
氣との収得すべきものにして、立ち退きを怒號する地主の勞働の果實にあらず。東京市将來の土地暴騰を見込みて
土地を買収しっゝある富豪等は、将來の發達による東京市の所得たるべきものを現在の坐食によりて掠奪すべき權
利を有するものにあらず。地主は如何に蚯蚓の如く一升の土を喰ひて脱糞しつゝ銀座街頭を匍匐するも一升の金と
化し去る消化器を有するものにあらず。−−佛國革命の時代の權威たりし所有權神聖とは今や却て社會の主張すべ
き正義にして地主は占有によりてする掠奪者なり。
 無数の土地所有權辯護論
吾人は茲に世に存する無數の私有財産權の辯護論につきて煩はしく語らざるべし。勞働説によ
りて機械の私有すべからざるは上述の如く、又占有説に基きて土地を所有する理由なきことも
上述の如し。而しながら今日の土地は假令地代のみ社會的産物なりとするも土地其者は往年の貴族の如く掠奪によ
る占有に非ざるが故に尚以上の諸説によりて所有權其ものを無視さるべからずと論ずるの餘地あり。是れに對して
は或は贓品の賣買は無効なりと云ふを以てすべく、又或は吾人が先きに説ける資本の高利による土地侵略の非義を
 薄弱なる加工説
以て打破するを得べし。而しながら彼等は加工説なる者に殘りて對抗を試む。即ち今日の土地の
上に加へたる長き間の勤勞と云ふ事なり。而しながら斯る薄弱なる議論は其の所謂加工なるもの
ゝ部落共有の占有に係る土地に對しての小作権に過ぎざりし事を忘却せるものにして、且つ著述家が畢世の心血を
濺ぎて書ける版權にしてすら時効によりて消滅するを知らざるものなり。土地の表面の一呎を攪亂せるに過ぎざる
僅少なる加工が如何にして天空より地軸に達するまでの所有權を確定し得るか、又數百年の後に至るも連綿として
時効の來ること無きを得るか。資本家の藏する應擧の畫幅に拙劣なる畫工が一抹の白墨を塗抹し是れ余が加工なり
と云はゞ資本家は畫工の所有權に服從するか、此の地球は地主の奇蹟によりて六日間に創造せられたる者にあらざ
るなり。
 個人主義時代の獨斷的權利
 而しながら吾人は斷言す、斯る議論は等しく共に個人主義時代の根據なき思辨的獨斷の權利論
なりと。權利とは社會関係なり、社會と社會との間、若しくは社會の會員と會員との間に於ける
意志の發勤すべき限定されたる境界なり。人類と神との間は宗教が支配し、人類と他動物との間は生物學が支配す。
故に人類社會の關係たる權利の説明に於て、或は神を雲間より引き卸して天賦の權利を唱ふる如き、或は人類は生
 個人主義の権利の理想は形式に於て似たるも社會主義と混同すべからず
物なるが故に生存の權利ありと云ふが如きは、其の形式に放て社合主義の理想
に類似せりと雖も全く個人主義時代の革命論なり。(今日社會主義者に混ぜる
個人主義の革命論者は尚斯る權利論を爲す)。故に吾人は個人的生産時代の權利思想を以て現制度を辯護せんとす
るものに向つては上述の如く其等の諸説の却て、そが嘗て貴族國に爲せし如く此の經濟的貴族國の根據を覆へすに
至るべきことを指示すと雖も、眞理によりてのみ言動すべき社會主義は誤れる個人主義時代の天賦人權論的思想に
よりで社會の所有權を建設せんとするものにあらず。即ち此の經濟的貴族國に對しては社會主義も個人主義も共に
同一なる側に立つべきものなりと雖も、社會主義は社會主義にして根據なき個人主義とは同一視さるべからず。故
 個人主義の法理學は亦其の經濟學の如く現社會の辯護にあらず
に個人主義の經濟學が再び繰り返へきるべき革命黨たるの外なき如く、此の權利
論の問題に於ても個人主義の法理學は濟濟的貴族現に達して辯護者たるべきもの
に非らずと云ふことを解せば足る。社會主義の權利論は議論の基礎を單に思想上に於て思考し得べき原子的個人に
置かずして社會を利uの歸屬すべき主體となす。故に若し利uと云ふ文字を一時的便宜又は眼前の政策といふが如
 權利とは社會生存の日的に適合する社會関係の規定なり
き粗雑なる意味に用ゆる事國家社會主義者の如くならず、社會と云ふ生物が(『生物
進化論と社會哲學』を見よ)其の生存進化の目的に適合する手段との意義に解するな
らば、社會關係ぱ其の目的に適合する手段として變遷し、關係の規定たる權利はその變遷に從ひて進化す。故に原
始的平等と部落共有制とは平和なる庶人社會に於ては其の社會の目的に適合せる社會關係の規定たることに於て、
平等と共産とが其の常時の權利なりき。然るに人口の攝Bして遊牧時代に入りて漂浪し農業時代に入りで土地を爭
ふに於ては其の社會生存の目的の爲めに他の部落を排斥して土地を占有することが權利として其の時代の正義なり
き。而して斯く他部落に對しては強力の正義によりて權利を認むると共に、其の部落の社會内の會員間に於ては牛
羊を牧し農作を營む幸け勞働に伴ふ果實に對する權利として私有財産制が設定せられたり。即ち掠奪による土地の
占有も或る時代に於ては權利にして私有財産制度も亦或る時代の來るまでは正義なり。然しながら社會の進化と共
に新らしき正義は古き權利を破りて進む。嘗て充分の正義たりし占有の權利思想は個人主義の權利思想たる勞働説
によりて打破せられたり。而して今や又個人が終局目的なりとする思想は社會が利uの主體なりと云ふ新たなる他
の正義によりて打ち消されたり。社會主義の權利論は社會が利uの源泉にして又利uの歸屬する所なりと云ふ根本
思想に於て個人主義の其れを排す。
 社會の利遥即ち權利にして正義なり
 故に社會主義は徹頭徹尾權利論によりて立つと云ふと雖も、其の權利とは獨斷的正義の理想
に憧憬して社會の利uを無視すと云はるゝが如き者に非らずして、社會の利u即ち權利にして
正義なり。然らば正義と權利との名に於て土地及び生産機關の公有を主張する社會主義は社會の生存進化の目的に
適合する利uなるか。
 
          第 三 章
 
           社會の權利即ち社會の利u−−經濟的戰國の軍隊的勞働組織と經濟的公民國家の其れ−−
           今日の公民國家の軍隊と社會主義の勞働軍−−經濟史の大々的革命−−社會主義に對する
           無數の非難を先づ現社會に提出せよ−−人類の歴史は經濟的貴族國に止まるか−−社會主
           義の國旗を濫用せる國際法違反の國家社會主義或は講壇社會主義−−『社會經濟學』と
           『最新經濟論』−−國家社會主義は學界に於ける社會主義當面の敵なり−−金井博士の社
           會主義評−−氏は社會主義を解して掠奪階級の地位を轉換する者とす−−氏は資本と資本
           家とを混同す−−氏は資本の説明と權利論につきて無學なり−−田島博士と金井博士の人
           性の解釋よりする非難−−人性の解釋に於て新舊經濟學の五十歩首歩−−舊派經濟學と共
           に新派は公共心を解せず−−社會主義時代の公共心による經濟的活動−−有機的括動の生
           理的要求−−有機的休息と今日の懶惰−−将來の快樂又は精神的快樂の動機なし−−勞働
           は今日神聖に非らず−−神聖の意義−−勞働を忌避するは自由民たらんとの權利思想なり
           −−國家社會主義は勞働を忌避せしむ−−今日の貨幣は人生其者の價格を代表す−−貨幣
           の媒介なき地位と名譽とに對する利己心の經濟的活動−−萬人平等の分配は權力濫用の經
           濟的懸隔なからしむると共に個性發展の障害なからしめんが爲めなり−−田島博士の獨斷
           的不平等論−−社會主義は個性の不平等を認め分配は不平等となる−−金井博士は平等に
           分配さるゝ購買力と云ふことを享樂及び慾望の絶對的平等と誤まる−−獨斷的平等論と獨
           斷的不平等論−−不平等の正義なりし時代と平等の正義なるべき時代−−田島博士の不平
           等論は自殺論法なり−−平等觀發展と歴史の意義−−獨斷的平等論の逆進的批判と獨斷的
           不平等論の粘着的辯護−−元來よりの平等に非らず又元來よりの不平等に非らず−−社會
           主義の自由平等論の眞意義−−『社會問題解釋法』と憐むべしき一記者−−田島博士の經濟
           的貴族國の辯護論−−氏は君主國を却て共和國と云ふ−−賃銀基金説の誤謬とラサールの
           賃銀の鐵則−−勞働者は生産物の分配を豫じめ受くると云ふ新派の驚くべき空論−−氏は
           企業的才能と利uの主體たる企業家とを同一視す−−氏の外國貿易よりす非難−−氏の處の
           所謂強大なる専制國−−君主の目的と利uとの爲めに國家が手段として存する専制國に此
           すべき今日の資本家制度−−田島博士の所謂微弱なる共和國、金井博士の所謂生産の減退
           −−社會主義と偏局的社會主義−−今日の所謂官吏と社會主義時代の監督者−−獨乙に於
           て社會民主々義と云ふ理由−−官吏専制の生産は国家社會主義其者なり−−生産を減退す
           と云ふ非難の起る理由−−社會主義は分配論に重きを置かず−−今日の分配的限光と共産
           時代−−個人的分配の理論的不能−−分配は生産に伴ふ−−圓滿なる理想としての共産主
           義−−清貧の平分にあらず上層を引き下やるに非らず−−社會主義は大生産によりてのみ
           實現さる−−ツラストの資本家のみの合同を更に全社會の合同となす−−ツラストの浪費
           なき大ツラスト−−生産權が個人の財産權たる今日と賣官制度−−小企業家と小資本家の
           尚存在し得べしと云ふ事實とツラストが社會主義に至ると云ふ事實とは別問題なり−−鵺
           的社會主義と純正社會主義
 
 社會の權利即ち社會の利u
 實に土地及び生産機關の公有を正義と權利との名に於て主張する社會主義は社會の目的に適合
する刺uならざるべからず。故に本編に題せられたる社會主義の經濟的正義とは即ち社會患義の
實現による經濟的幸福と云ふことゝ同意義なりと解せらるべし。正義に反する者は利uにあらず利uを來さゞる者
亦正義ならず。社會主義が正義によりて土地及び生産機關の公有を主張するは其の社會の利uのためにする公共的
經營によりて全社會を經濟的幸福に進ましむることを意味す。經濟的群雄戰國は經濟的封建制度に至り經濟的封建
制度は更に經濟的公民國家に至る。徴兵的勞働組織と云ふ者これなり。
 經濟的戰國の軍隊的勞働組織と經濟的公民國家の其れ
 固より現今の生産と雖も或る程度まで軍隊的勞働組織なることは事實なり。即ち工
業革命前に於けるが如く各人各個が全く孤立的生産を爲したるが如くならず、機械は
集合的勞働によりて運轉さるべどものなるが故に其の間に秩序と一致とを生ずるに至りしを以てなり。而しながら
元龜天正の貴族國時代に於ける軍隊と、今日の公民國家の軍隊とは二つの重大なる根本點に於て異なる。−−即ち
貴族國時代の武士は其の君主との主從的契約關係によりて戰鬪に從事せるに反し、今日の公民國家の軍隊に於ては
全國民が國民各自の義務として又權利としての徴兵組織となれること。戰國時代の戰鬪の目的は君主に歸屬すべき
利uの爲めにのみ存し、其の武士と人民とは君主の目的の爲めに手段たりしに反し、今日の公民國家の戰鬪は國家
の目的と利uとの爲めに爲さるゝ事是れなり。今の經濟的貴族に率ゐられて戰ひつゝある此の經濟的戰國に於て
は、資本家と其の從屬者の關係ほ往時の米禄封土に於けるが如く全く賃銀年俸等の契約關係に於て成立し、而して
奴隷的服從の道徳を以て經濟的貴族の富を爲さんが爲めにのみ戰はる。往年の貴族等が其の奴隷的從屬の家臣を氣
儘に放逐し怒に任せて恣に斬殺するの權利ありしが如く、今日の經濟的貴族も亦その忠勤に是れ日も足らざる學者
と事務員とを自由に解雇し、自己の利uの爲めには幾萬の勞働者を餓死に陷るゝの權利を認識せらる、往年の彼等
が領土擴張の利uと他を凌駕すべき權力の爲めに萬骨を枯らすべき道徳上の權利を有したる如く、今日の經濟的貴
族も其の貪慾と蓄財の爲めには幾千勞働者の手足を機械の匁に掛けて切斷し不完全なる鑛坑の設備に投じて之を殺
戮するも道徳上の無責任なり。而して元龜天正の當時幾多の貴族の各地に割據して相攻伐し以て他の國土及び人民
を兵火に荒らしたる如く、今日の經濟的群雄も亦各業に割據し相互に他の生産と勞働者とを經濟的亂軍の兵火に掛
けて焼き拂ひつゝあり。吾人は是れ以上に社會主義の勞働的軍隊を以て今日の公民國家の軍隊に此することを止め
 今日の公民國家の軍隊と社會主義の勞働軍
ざるべからず。何どなれば其は亦二つの重要なる根本點に於て異なる。−−即ち今日の公
民國家の軍隊は外國の利uと權利とを排斥せんがために少くも對抗せんが爲めに徴集訓練
せらると雖も、社會主義の勞働的軍隊は全世界と協同扶助を共にせんがために生産に從事すること。今日の公民國
家の軍隊は絶對の専制と無限の奴隷的服從の階級とに組織せられ、其の報酬の如きは往年の主從の如き差ありと雖
も、社會主義の勞働的軍隊に於ては各個人の自由と獨立は充分に保證せられ、權力的命令的組織を全く排斥して公
共的義務の道徳的活動と他の多くの奨勵的動機とによりて勞働し、物質的報酬に至つては如何なる輕重の職務も全
く同一なること是れなり。即ち約言すれば、社會主義の軍隊的勞働組織とは徴兵の手續によりて召集せられたる壯
丁より中老に至るまでの國民が、自己の天性に基く職業の撰擇と、自由獨立の基礎に立つ秩序的大合同の生産方法
なりと云ふを得べし。
 經濟史の大々的革命
 是れ實に經濟歴史の大々的革命なり。然しながら國司土豪より群雄戰國となり遂に封建制度を
經て公民國家の權利義務たる國民的軍隊組織に至りし政治歴史の潮勢を見たるならば、此の經濟
的土豪の發達し併呑せられて群雄戰國の興隆滅亡となり更にツラストけ經濟的封建制度にまで流れ來りし經濟歴史
の潮流が獨り維新革命の斷崖を廻避して經濟的公民國家の國民的勞働軍に至らざるの理あらんや。只、規壯に甘ず
る人類の最む賤むべき弱點のために嘗て封建制度を人類終局の社會組織と爲して公民國家の今日を想望し得ざりし
如く、此の經濟的封建制度の下に兢々惶々として徒らに潮波に漂ひて溺れつゝある者は、此の『徴兵的勞現組織』
と云へる社會主義の理想に無恥も甚しき冷笑を以て臨む。曰く人は奨勵の利己心なくして懶惰とならざるか、曰く
人は肉體的勞働を忌避せざるか、曰く果して職業撰擇の自由あるか、曰く各個人の獨立は如何にして保證し得るか、
曰く官吏専制の時代を現出せざるか、曰く天性不平等の人に平等の分配は不當に非ざるか、曰く生産を減退せしめ
て社會を擧けて甚しき貧困に陷れざるか。曰く何、曰く何。紛々として限りなし。
 社會主義に對する無数の非難を先づ現社會に提出せよ
 吾人は明かに之を告けん、社會主義は是等凡ての高貴なる要求を全うせんがために
唱へらると。社會主義にして若し是等高貴なるものゝ中一の缺陷にても存するあらば
其の終局目的たる社會の進化と云ふが如きも空想に止まるべく實に傷けられだるダイヤモンドに過ぎざるべし。然
しながら吾人は切に希望す、斯る無數の質問を社會主義の提案に向つて發する者が、其の發せんとする前に先づ少
しく靜思して發せんとする所の同一の質問を現社會の前に提出すべきことを−−現社會は人をして利己的奨勵の動
機を挫き社會凡てをして懶惰とならしめつゝあらざるか。−−現社會は皆人をして肉體的勞働を忌避せしむるに至
ることは無きか。−−現社會に於て職業の撰擇は自由なるか。−−現社會に於て個人の獨立は果して保證せられ居
るか。−−現社會は甚しき官吏専制に非ざるなきか。−−現社會は果して天性の不平等に應ずる正當の分配を爲し
つゝあるか。−−現社會は經濟的兵火或は經濟的誅求苛歛を以て生産を相破壊し以て全社會を甚しき貧困に陷れつ
ゝあるに非ざるか。
人類の歴史は經濟的貴族國に止まるか
 恐くは否と云ふべし、然らば先決問題あり−−進化論は誤謬にして人類の歴史は經濟的貴
族國に止まりて地球の冷却するをで嘗て變ることなきか。
 
 吾人は社會主義の詳細なる説明、及び以上の如き無數の批難に對して答へんがために茲に代表的學者を指定すべ
し。そは講壇社會主義或は國家社會主義を主張すと稱する者なり。是れ一は講壇社食主義或は國家社會主義なる者
の眞相を暴露して彼等の欺懣より社會主義を保護せざるべからざる必要あればなり。實に純正社會主義は必ず斯る
 社會主義の國旗を濫用せる國際法違反の國家社會主義或は講壇社會主義
欺懣によりて汚辱さるべからず。彼等は其の大學の講壇より唱へらるゝが故
に講壇社會主義と呼ばれ、政府によりて取られたるが故に國家社會主義と稱
せらると雖も、斯るものは實に社會主義的慣向だも無きものなり。國家は政府のことにあらず、講壇の神聖は資本
家階級の私曲に蹂躙さるべからざるは論なし、而も何れの政府も其の權力階級の便宜は之を國家の名に於てし、資
本疑階級が事實に於て智識階級を使役するを以て神聖なるべき大學の講壇と倫理的制度たる國家とは、今や却て眞
理を讒誣し國家の權利を無視する所の彼等欺懣者に剽窃せられたり。否、彼等は少しも社會主義にあらず、只、現
今の經濟的貴族國が嚴肅なる個人主義によりては却て、維持さるべきに非ざるを知れるが故に、資本家主義が社會
主義の國旗を濫用して其の退却の遁路を濁さんと計る國際法違反に過ぎず。我が日本の如きに於ては猶社會主義の
幼稚にして全社會の未だ便々として眠れるが爲めに資本家主義が絶對無限權を振ひつゝあるけ時なり。故に吾人は
我國に於ける講壇社會主義者といひ國家社會主義者と稱しつゝある者が社會主義の勢力に讓歩せしめられたるより
生ぜる國際法違反の卑劣なりとは云はず。而しながら單に通辯の如く外國人の所説を飜譯して報告するに過ぎざる
一般の大學教授輩に於ては、温和折衷と云ふが如きは理解力の乏しき頭腦に適合すべく、又他面に於ては社會主義
に對する惡感情より免るゝ事に於て利uなりとすべし。而して其の社食主義の國旗を濫用して公平嚴正なるかの如
き感を與ふるが爲めに明確に眞理を解せざる社會主義者を疑惑に彷徨せしめて社會主義の提契者なるが如き感を與
へ特に一般世人に社會主義を讒誣して傅ふるの効果に至りては誠に以て警戒すべきなり。實に詩壇社會主義なる者
は神聖なる大學の講壇より説かるべきものに非らずして汚されたる講壇が資本家の辯護に勉むる『資本家社會主義』
と名くべく、国家社會主義の名も亦國家に歸屬すべき權利の主張にあらずして權力階級の政府が自家の官吏をして
權力の維持を圖らしむる『政府社會主義』と稱すべし。純正社會主義は斯る狐狸と同行する者にあらず。
 『社會經濟學』と『最新經濟論』
 國家社會主義が國家の本質及び法理を解せざることは後の『所謂國體論の復古的革命主義』
及び『社會主義の啓蒙運動』に於て説く。茲には社會主義の經濟的正義−−即ち社會主義の經
濟的幸福を全く解せずして國家社會主義を主張しつゝある學者の代表的なるものを指定して論ぜんとす。而して此
の代表的學者として見らるべき者に東京帝國大學に於ては法學博士金井延氏あり、京都帝國太學に放ては法學博士
田島錦治氏あり。前者の『社會經濟學』及び後者の『最新經濟論』によりて吾人は其の大體を察し得べし。而しな
がら注意すべきは『最新經濟論』の社會主義に對して淺からぬ同情を有するに反し『社會經濟學』の甚しき非社會
主義的惡感に漲ぎれる事なり。固より前者と雖も『社會黨は本と社會間題解釋の目的を以て起りたれども今や社會
黨それ自身が社會問題の目的物となれり』と云ふが如き禮儀を逸せるの言無きに非らずと雖も、『社會經濟學』の
如く經濟學の利uを數へて『惡意を以て殊更に起らしめ公安を害するの虞甚しき謬説を匡すの効用あり。世人一般
の斯學に暗きを利用し、否濫用して獨乙其の他に於て社會民主黨並びに其の亞流が爲せる惡むべき所行は今尚吾人
の記憶に存せり。之を匡正するは只それ正確なる經濟學の攻究に在り』との緒論を以て始まれる、實に全巻を通じ
て恐怖と憎惡の念を以て書かれたるが如きものゝ比にあらず。然しながら『最新經濟論』が社會主義に對して同情
を失はぎる穏健の態度なるだけ、其れだけ博士の誤解が讀者にとりて堅實に受取らるべく、『社會經濟學』が惡感
 國家社會主義は學界に於ける社會主義當面の敵なり
の挑發を以て任務とするの力に劣るものに非らず。而して二者共に十數版を重ねたる
堂々の大著たることに於て、全國數萬の法制經濟の公私大學書生が如何に經濟學の概
念と同時に社會主義に對する誤解と惡感とを播かして先入思想と爲しつゝあるや知るべからざるなり。吾人は固く
信ず、實際の運動に於て社會黨が勢力を占むる場合には國家社會主義の随行することはあるべきも、純然たる資本
家經濟學が維持すべからざる今日に於て眞理の敵として經濟的貴族主義唯一の殘壘として學界に殘るものは實に此
の國旗濫用の國際法違反者なりと。
 
 吾人は先づ金井博士の『社會經濟學』が如何に社會主義の根據より解する能はざるかを下の一節によりて知れり。
曰く。
 『社會主義の論者は往々資本の起原は元來勞力に在るを以て生産事業より生ずる凡ての利uは悉く之を勞働者に
報酬すべきものなりと説けり。然れども之れ大に誤まりたる説たるに過ぎず。社會の尚未だ全く開けざる時代に於
 金井博士の社會主義評
ては論者の如く資本の生ずるは全く勞力によれりと云ふを得べくこの點に於て勞力は資本の起原
なりと斷ずるを得べきかなれども、當時の所謂資本なるものは其の生ずるや否や直ちに消費され
しな以て未だ眞正なる資本の利uを與ふるに暇なし。其れより漸時進みて以て漸く今日の所謂資本なるものを生ず
るに至りしなり。之を資本の揄チする順序の大要とす。即ち然らば資本の揄チするに當りて其の揄チする所以の者
は單に勞力にのみ是れ依るに非らずして、資本其物も亦大に與かりて力ありと云ふを待べし。若し此の時に際し資
本全く無かりせぱ勞力は只孤立して何等生産の用を爲すを得ざるべし。畢資勞力は實本に逢うて其の用ひらるゝ所
を得べく、資本も亦勞力を得て括溌なる生産的の活動をなすを得べし。是を以て兩者は恰も車の兩輪の如く離るべ
からざる關係を生ず。この兩者に自然を加へて生産のこと全きを得るは、尚車の廻轉する兩輪の外に其の走る場所、
其の動く力を要するが如し。若し資本の起原は勞力なるを以て生産事業より生ずる所の利uを擧けて之を悉く勞力
に報酬するを得べしと云ふを得ぱ、同様の論據によりて其の要を爲さしむる所のものは資本なるを以て凡ての利u
は之を悉く資本に歸せざるべからずと云ふを得べし。然れども資本が勞力を得て其の用をなすと同時に、勞力は資
本によりて始めて其用を爲すを得るものなれば、到底兩者は應分の報酬を得て可なるものなり。』
 『未開時代に於ても資本の起原は獨り勞力のみによるに非らず。勞カほ資本の父たるべきも其の母たる自然なく
んぱ資本は決して生じ得べからざるなり。然らば即ち自然物を供給する土地の所有者も亦相當の報酬を受けざるべ
からざるの理なり。現今の經濟社會に於ける分配は不公平なち所あるにも係らず、社會主義の論者は尚一層不公平
なる分配を爲さんとするものなり。加之、今日の社會に於ける資本は資本として勞力を助けつゝあるものなり。且
つ多くは生産的の資本とじで活動しつゝあるものなり。資本其れ自身が又他の新たなる資本を生ずるの時代なり。
然らば即ち資本家に對しても報酬せざるべからざることは言を待たざる所なるべし。論者の誤れること以て知らべ
きなり』
 斯る誤解は敢て金井博士のみに限らず尚多くの資本勞働の調和を計ると云ふものゝ議論にして彼の社會學の上よ
り講壇社會主義を説きつつある文學博士建部遯吾氏の如き亦その一人なり。而しながら社會主義の理論は如何に深
遠にして容易に研究し得べからざるものなりとも、斯る根本點よりして解せざる如きものは社會主義につきて無知
 氏は社會主義を解して掠奪階級の地位を轉換するものとす
なりとするより外なし。世人は金井博士が嘗て勞働問題に係はりし事のあるが故に
或は社會主義者なるかの如く考へ、而して金井博士の大に恐怖して屡々辯解ぱ盡く
せりと雖も、斯くの如き點より誤解する者の社會主義者に非らざるは博士の辯解に有力なる證明を與ふる者なり。
吾人は博士の社會主義に惡感を抱けるを以て敢て齒を以て齒に償ふ者に非らずと雖も、他の主義を批難せんと欲せ
ば少くも他の文字を解し得るだけの能力を要求す−−實に斯る非禮なる要求は帝國大學教授法學博士の缺くべから
ざる能力なり。博士が社會主義の主張を解して『社會主義の論者に往々資本の起原は元來勞力に在るを以て生産事
業より生ずる凡ての利uは悉く之を勞働者に報酬すべきものなり』として批難しっゝありと雖も、社會主義は斯る
ことを要求せざるものなり。現在生存して勞働しつゝある個人或は階級のみが過去の祖先の肉體的精神的勞働の蓄
積たる資本より生ずる生産物の全部な壟斷すべしとは社會主義の要求せざる所なり。社會主義は資本家階級が祖先
勞働の蓄積たる資本より生ずる凡ての生産物の掠奪を否認する如く、現在の勞働よりして過去の勞働に對する壟斷
が勞働者階級の權利なりとは是認せざるなり。社會主義は階級の掃蕩を計る、資本家階級と勞働者階級とを對立せ
しめて其の上に資本勞働の調和と云ふが如き補綴を以てせんとする者とは論據其者よりして異なることを知らざる
べからず。資本の勞働調和を計ると云ふものは現在の資本家勞働者の二大階級を永劫不滅の制度なりと認識し、其
の何れかの階級が歴史と社會との生産物をより多く掠奪すべきかを爭論するものにして、社會主義は此の二大階級
を絶滅して『社會』が歴史的累積の智識と社會的勞働とを以て得たる生産物に對して所有權を有すと云ふ者なり。
故に社會主義が實現せられて、掠奪さるゝ階級、壟斷する階級の消滅せるときに於ては敢て資本勞働の調和なる名
の下に社會の生産物を各階級に掠奪壟斷することなく、一切の生産物を所有する社會に對して、生き殘れる資本家
も、地主の子女も、纖弱なる婦女も、幼兒も、又勞働する能はざる不具癈疾も當然の分配を要求することを得もなり。
吾人が前きに機械を以て祖先の靈魂が其の中に宿りて子孫の慈愛の爲めに勞働するものなりとは此の意味なり。然
れば今日の如く資本家階級のみが祖先の偏寵を恣にする能はざる如く、勞働し得る強壯者のみが自己勞働以外なる
祖先靈魂の勞働をも壟斷して身心の劣れる不幸なる祖先の愛兒を排斥し得べき者に非らず。社會的生産時代の生産
物は個人的勞働時代の分配的眼光を以て計るべからず。否! 資本家階級に歸屬すべき利uの爲めに主張せらるゝ
ものを資本家主義と稱せらるゝならば、金井博士及び一般の資本勞働調和論者の解する社會主義なる者は勞働者階
級のみの利uを終局目的とするかの如く考ふるが故に勞働者主義と名けらるべし。固より社會主義は當面の救濟と
して又運動の本隊として今の勞働者階級に陣營を置くものなりと雖も、此れあるが爲めに勞働者階級を維持する者
と解すべからず、階級なき平等の一社會たらしむるのみ。社會主義は社會が終局目的にして利uの歸屬する主體な
るが故に名あり。現今の階級的對立を維持して掠奪階級の地位を轉換せんと考ふる如きは決して社會主義に非らず。
 氏は資本と資本家とを混同す
 金井博士が文字を解する能力の缺亡よりして、階級絶滅に努力する社會主義を却て勞働者階級
を維持して掠奪階級の地位を顛換せんと圖るものなるかの如く解すると共に、實に資本と資本家
とを混同しつゝあり。曰く『資本それ自身が又他の新たなる資本を生ずるの時代なり然らば即ち資本家に對しても
報酬せざるべからざることは言を待たざるべし』と。斯る最も重大なる點に於ける思想の混亂は一千頁に渉れる
『社會經濟學』の大著をして全く反故の補綴となし終れり。金井博士は誠に親ら省みることを要す、我れ金井延な
る者は經濟學者なるか将た經濟學なるかと。若し金井延なる者が經濟學なりと云はゞ經濟學が談話し、經濟學が散
歩し、經濟學が貴殿禮を爲し天皇陛下萬歳を叫ぶ如き活動能力ぱ思考し得べからざることに非らずや。經濟學者と
經濟學とを混同することの斯の如くならざるならば、何が故に資本の効用より直ちに轉じて資本家の掠奪に權利を
附するや。社會主義は資本家の無用を云ふのみ、決して資本の無用を口にしたることあらず。地主の無用を云ふの
み、自然の無用を主張したることあらず。勞働者の開放と云ふのみ、勞働せずして生存し得と云ひしことあらざる
なり。資本の無用と云ひて而も其の無用なる資本の公有の爲めに身を捨てゝ努力する矛盾は人類として有り得べか
らざることにして社會主義にあらず。地主以前に自然あり、地主亡ぶとも自然は生産の源泉として存す。社會主義
は此の地球を去りて他の遊星に移住すべしとは云はぎるなり。
斯る白痴の如き文字の使用は歸する所博士が社會主義につきて理解せる何者をも有せざればなり。社會主義の革
命主義たるは其の經濟學の歴史的研究に於て資本家掠奪の跡を知り而して現在掠奪しつゝある經濟的貴族國なるを
發見したるを以てなり。『資本は掠奪の蓄積なり』。此の一語は實に社會主義が革命の旗幟を飜へす城廓にして、若
 氏は資本の説明と權利論につきて無學なり
し社會主義に一矢を試みんとせぱ必ず此の語が的たらざるべからず。然るに博士の所謂資
本の説明なるものを見よ。『當時の所謂資本なるものは其の生ずるや否や直ちに消費され
しを以て未だ眞正なる資本の利uを與ふるの暇なし。其れより漸時進みて以て漸く今日の所謂資本なるものを生ず
るに至りしなり。之を資本の揄チする大要とす』と。而しながら是れ一千頁に渉る太箸としては餘りに大要なりき。
而して社會主義が嚴肅なる權利論を以て立つに反して博士の其れは古來存在せる無數の權利思想の相刺殺する者を
羅列して括然たりとは驚くの外なし。『一個人の財産所有權は人類が占有と勞力とによりて外界の財産特に貨物に
捺印する所の人類としての性格に其の源を發し社會國家が法制上此れの性格を認むるに至り完備するものなり』と。
是れ佛蘭西革命を起したる占有説と勞働説とが平坦なる頭腦の上に権利を爭はずして存在せるものにして餘りに完
全に過ぎたる調和なりき。(資本勞働の調和につきては『社會主義の啓蒙運動』を見よ)。
 
 田島博士の『最新經濟論』は其巻末にカール・マークスの學説の大略を解説したるが如きに見ても、金井博士の
如く社會主義を勞働者主義と解し、資本と資本家と土地と地主とを混同するが如き醜態なきは論なし。而しながら
博士も亦國家社會主義者たることに於て國家社會主義の陷れる淺見は多く免る能はず。其の人性の上よりして社會
主義を排したる者に曰く。
 田島博士と金井博士の人性の解釋よりする非難
 『極端なる社會主義の學者の希望ずる所は往々經濟的活動の原動力の一なる利己心を
道徳心に變換し、而して自家の想像せる國家即ち社會的國家に於て其の人民をして各々
の全力を注ぎ勞物に從事せしめ、其の報酬は之を勞働に應じて公平に分與せんとするにあれど是の學説たる未だ
人間本性の全體を看破せるものに非らず。從て實效を見ること甚だ困難なるべきは論を待たざる所なり』
 金井博士の『社會經濟學』にも、
『生産の要具たる土地資本をして社會の共有物たらしめ、生産物の分配をして一に各人の勞働にのみ依らしむるも
亦過去に於ける文明進歩の状態に矛盾するものなり。一たび利己心を全く排斥して公共心にのみ依らば經濟上の進
歩は茲に全く休止すべし。而して經濟上に於ても亦一般社會上に於けると同じく、休止の状態は退歩と同一の結果
に歸すべけれぱ、共産制度によりて組織せられたる社會は日なるずして終に如何ともすべからざる窮困に陥るか、
或は人類の歴史上見るを得ざる専制の行はるゝ社會となるに至るべし』
 吾人は單に『最新經濟論』と『社會經濟學』とのみならず無數に出版さるゝ新派經濟學なるものゝ著書に於て、
 人生の解釋に於て新舊經濟學の五十歩百歩
實に舊派經濟學の誤謬なる人性に對する見解の駁論を開尊第一章に見る○固より舊派經濟
學の如く人間を以て單に貨幣をのみ慾宝する動物と假定するが如きは今更に彼等新派經濟
學の尊き駁論を待たず巳に遠き以前に於て社會主義者と人間靈能を直覺する文學者(例へぼカーライルの如き)と
によりて打破しつくされたる者なり。人間を以て貨幣のみによりて動く動物なりと假定することによりては、他の
文學、歴史、藝術、科學等に對する人類の強盛なる活動を説明する能はざるほ固より、經濟學其れ自身の對象とす
る經濟肘現象をも、解釋する能はぎるは論なきことなり。貨幣のみを慾望する利己的動物ならば、慈善によりて貨
幣を授受する如き、寄附金による貨幣の流通の如き、名譽、戀愛、權勢、其の他の政治的軍事的活動の如きにより
て生ずる流通交換の經濟的現象が一切説明されざるなり。吾人は新派感濟學が此の偏見を脱却して人類には他の公
共心即ち社會性の本能的に存在するを認識し、公共心による經濟的活動を研究の對象に包容せるを嘉するものなり。
−−而も尚、人類の榊己心を説明するに貨幣によりてのみ滿足さるゝものと斷定して推論を進むるに至りては、人
位を解せざるに於て眞に五十歩百歩の好き例なり。
 舊派經濟學と共に新派は公共心を解せず
 否、新派經濟學は公共心による經濟的活動を解せざることに於て亦舊派經濟學を多く凌駕
するものに非らず。社會主義は實に人類が強盛なる公共心によりて生産に從事するに至るべ
きことを期待するものなり。支那の傭兵よりも日本の徴兵が公共心によりて遥かに活動せるを知れるならば、今日
の傭兵的勞働者よりも社會主義の徴兵的勞働革が如何に熾烈なる公共心によりて經濟的活動に從事し生産的效果を
擧ぐるかは日清戰爭の懸隔によりても想像せらるべし。人類が一私人の命令によりて死する者に非らざるを知れる
 社會主義時代の公共心による經濟的活動
ならば、今日の傭兵的勞働者が貪慾なる資本家の利uの爲めに全力を注ぎて勞働せざるは當
然の事理なり。傭兵的勞働者が無數の監督あるに係らず尚且つ懶惰の隙を得んと窺ひつゝあ
るは恰も支那の傭兵が尚背後に指揮官の軍刀あるに係らず潰亂して退却せしと同一なる理由なり。社會主義の徴兵
的勞働隊を以て無數の官吏の監蓄を要するものと速斷し、人類の歴史上見るを得ざる甚しき専制の行はるゝ社會と
なるべしと云へる金井博士の如きは、維新革命後封建諸侯の廢せられて徴兵組織となれる當時西南役に於て實物教
訓の指示さるゝまで徴兵の武士に及ばざるべきを憂慮せると同一なる淺見なり。公共心が一切を排除して進むとき
に於て何の監督を要せんや、一大隊の指揮者が凡て戰死せるに係らず尚戰爭を繼續せし如き事實は専制の甚しき軍
隊に於てすら希有のことに非らず。生存の慾望ある生物として人の最も避くる所の死に於てすら公共心の動機は他
の凡ての動機に打ち勝ちて働くとせぱ、平和に、愉快に、社會の爲めにする勞働なることを明かに意識して服する
一日四五時間の僅少なる肉體的活動に於て、人の利己心が公共心を壓伏すと考ふる如きは嬰兒の推理力にも劣る。
(茲には暫らく利己心と公共心とを淺見者の使用する儘に用ゆ、尚『生物進化論と社會哲學』を見よ)。−−否、四
 有機的活動の生理的要求
五時間の勞働は生物として生理的に要求せらるゝものなり。有機體は有機的活動を要す。學者が
散歩せずして終日を書見にのみ耽る能はぎるが如く、學生が體操せず又長時間の遊戯なくして英
語數學の修得に堪へざる如く、嬰兒が揺藍の中に在りて絶えず自動機械の如く手足を動かしつゝある如く、人類は
有機體として如何に精神的事務に從ふものと雖も苦痛なく倦怠に至らざる程度の勞働は却て當然の生理的要求な
り。今日牢獄に在るものゝ禁錮の無爲に堪へずして自ら進て定役を願ひ出づるを以て通例とするが如きは全くこの
理由なり、(故にべラミーは其の囘顧(ルッキング・バックワード)に於て特別なる懶惰漢を此の生理的要求の束縛に置きて無爲の苦痛を味は
しめんが爲めに滑稽の口吻を以て獨居せしむるの制度を語れり)。 −−而しながら有機體は有機的活動を要すると
 有機的休息と今日の懶惰
共に又有機的休息を要す。吾人は今日の賃銀奴隷が懶惰となり易き専實を見て人性の本質は懶惰
に在るかの如く考ふる淺見の學者をして、彼等の懶惰ならざるべからざる理由を解し易からしめ
んが爲めに斯く想像せんことを要む。即ち今の經濟學者が七歳の時より白髪を過ぎて墓穴に至るまで一日十ニ三時
間一年三百六十日、休息時間なく寧日なく希望なく變化なく興味なく、例へぼフォーセッートの小經濟學一册を繰り
返へし々々無限に繰り返へして一生を送るべき單調の運命に捉へられたりとせよ。斯くても學者は其の經濟學に
對して懶惰ならず又懶惰は人性の本質なりと云ふ信念を維持し得るや。斯る假設の問は殆んど常識を缺ける者に非
ざれぱ發し得ざる如きなり。而も斯る常識を缺ける事に於て法學博士大學教授は社會主義を批難する議論を綴りつ
つありとせぱ如何。勞働者は斯る没常識の假設を事實に於て味ひつゝあるなり。早朝より日没まで機械の耳を破る
が如き運轉の傍に在りて単に鐵板を反覆するに過ぎざる勞働あり。夏日の燒くが如き日中に至るも休息時間なく石
炭を火に投ずるのみの勞働あり。而して凡ての階級を通ずる勞働者は斯る變化なき一日を繰り返へし希望なき一年
を繰り返へし以て單調なる一生を終るなり。勞働者は有機體以下なる石にあらず又有機體以上なる神にあらず。有
機體として學者が有機的活動の散歩を要むる如く有機體として要求さるゝ勞働者の有機的休息が懶惰と名けらるる
 将來の快樂又は精神的快樂の動機なし
は勞働者を無機物の機械と考ふるが故なり。のみならず、懶惰其れ自身と雖も今日の社會組
織に於ては當然なり。人は苦痛の動機によりて動くものにあらず、眼前の苦痛を忍び又物質
的の其れを甘受するものは将來の快樂若しくは精神的快樂の其等に打ち勝ちて働らくものあればなり。今日の賃銀
奴隷の如く徒らに他人に歸屬すべき利uの爲めに生産し、自己の眼前には暗黒の躍るより外何者も認めざる境遇に
繋がれたるものが、眼前の苦痛を囘避せんが爲めに懶惰に走るは明白の事理にあらずや。又社會主義の時代に於け
るが如く其の勞働によりて社會の幸福が攝iさるゝことを明かに意識するならば假令特別の事情により勞働時間の
多く又肉體的苦痛の少なからざるものありとするも精神的快樂の動機は利己心の其れを壓伏して働くべく、然る
に勞働が輕蔑すべき奴隷の職たる今日に於ては精神的快樂の動機は皆無なり。(尚『社會主義の倫理的理想』を見
よ)。
 勞働は今日神聖に非らず
 實に勞働と云ふ語の中には輕蔑の意昧が伴ふ、是れ奴隷の職なればなり。奴隷は輕蔑せられ自
由民は尊敬せらる。今日多くの世人に神聖なりとせらるゝ軍務に服することも其が奴隷の職なり
し間は甚しく輕蔑せられたりしが如きこれなり。由來、神聖と云ひ下賤と云ふが如きは其の時代に於ける社會組織
の状態に在りて職業その事とは全く關係なきことなり。故に吾人は一般社會主義者の如く戰爭ほ罪惡にして勞働は
神聖なりと主張して甘ずるものにあらず。理想ならば可なり。今日勞働は決して神聖にあらず。輕蔑すべき奴隷の
 神聖の意義
職にして、神聖なるものは一の黄金のみなり、黄金ならば盗賊の者にても、賄賂のものにても
詐欺の者にても、賣婬の者にても、理由は問はずして價値に高下なし。神聖とは斯る其れ自體の
價値を有して外部的條件によりて妨げられざる絶對者にのみ名けらるべきもの、例へぼ絶對無限權を有せし時代の
君主を神聖と稱したりしが如し。今日の勞働の如きは其の如何なる勞働なるかの相對的條件によりて差等を附せら
る、決して神聖なる者に非らず。今日の勞働が肉體的と精神的との相對的條件によりて或は尊敬せられ或は軽蔑せ
らるる所以の者は明かに勞働が絶對者なる神聖に非ざるの證にして、其の輕蔑せらるゝ肉體的勞働は奴隷の輕蔑す
べきが故なり。奴隷は軽蔑せられ自由民は尊敬せらる。故に今日精神的勞働の萬人に希望せられ肉禮的勞働の忌避
 勞働を忌避するは自由民たらんとの權利思想なり
せらるゝは勞勵の難易にあらず尊卑にあらずして奴隷の屈從よりも尊敬さるべき自由民
たらんとの權利思想の要求なり。−−權利の前には何者も稽首せざるべからず、勞働の
神聖と雖も。−−此故にこそ階級打破の社會主義あるなり。精神的勞働は掠奪階級が其の掠奪によりて培養せる花
なるが故に掠奪階級の背景に輝やき、肉體的勞働は屈從階級が其の屈従者たることを表白する所以の勞働なるが故
に輕蔑せらるゝを解せば、奴隷の階級と自由民の其れと無くして、即ち全社會悉く平等の權義によりて相愛する自
由民として、自由民たる權利として又義務として以て勞働するに至らば、茲に勞働は外部よりの相對的條件によ、り
て差等せらるゝ事なく、勞働すること其れ自體が絶對者として神聖なるべし。然るに階級打破の社會主義に對して
人は勞働を忌避すべしと云ひ懶惰の爲めに官吏専制に至るべしとの非難は何事ぞ。國家社會主義こそ資本家階級の
掠奪者と勞働者階級の奴隷とを維持する者、故に勞働は神聖にあらず。−−人をして懶惰ならしめ勞働を忌避せし
 国家社會主義は勞働を忌避せしむ
むるものは却て國家社會主義その者に非らすや。軍人の職が輕蔑より光榮に至れる如く勞働を
して屈從勞働の忌避より階級無き神聖に至らしめよ。達人の光榮に代れる勞働の神聖は軍人が
戰場に於て表はす如き公共心を以て生産に活動すべし。
而しながら田島博士の誤解せる如く、社會主義は今日直ちに經濟的活動の『原動力の一たる利己心を全然道徳心
に變換せん』と主張する者に非らず。吾人は『今日直ちに』き云ふ前置きを置く、何となれば今日の強盛なる利己
心は人類が私有財産制度に入りしよりの強盛にせられたる本能にして、社會主義の實現後三四世の後に及ばゞ共産
制度に適合すべき道徳心の本能化すべきは社會進化の理想として吾人の充分に信ずべき根據あればなり。(『生物進
化論と社會哲學』の道徳の本能化を論じたる所を見よ)。兎に角社會進化の斯る一階段に到達ずる間までは利己心
が公共心と相並で社會的活動の二大柱たる事は疑ひも無き事實なり、故に社會主義は經濟的活動に於て利己心の動
機を無視するものにあらず。而ながら利己心の動機を無視せずと云ふことは利己心が貨幣によりて滿足きると云ふ
ことに非ざるなり。吾人が前きに新派經濟學の人性に對する見解は舊派經濟學の其れと五十歩百歩なりと云へるも
の是れなり。彼等は須らく經濟學の貝殻より頭を出して先づ『貨幣』の中に含まるゝ元素を分析する事を要す。貨
 今日の貨幣は人生其者の價格を代表す
幣の本體たる黄金が光輝ある物質なるが故に珍重さるゝは本來の意義にして野蠻人はこの意
味に黄金を使用す。然るに黄金が貨幣に用ひらるゝに於ては單に光輝ある物質と云ふ意味に
あらず又單に他の物質の代表と云ふ意時にも非らずして黄金の代表する者は實に人生其者の價格なり。一片の黄金
の中には、生存の安慰籠り、疾病の平癒籠り、家庭の快樂籠り、子女の教育籠り、老後の休養籠り、丈夫の威嚴、
貞操の神聖、良心の獨立、政治の自由、公共の活動、智織、品性、權力、名譽の源泉、實に一切人生の意義籠れる
なり。然るに社會主義の實現されて人生の價格が黄金によりて評價されざるに至るも、尚黄金が人性と同一なるメ
ートルを保つと考ふるならば憐むべき思考力なり。社會は權力組織に非ざれぱ黄金を以て購買すべき權力なく、政
治なる名に於て黄金の掠奪が營業となれる世に〔あら〕、ざれぱ政治業者ならんが爲に要むる黄金を要せず、又黄金
によりて購買し得べき政治業者無し、公共的活動を爲さんとするには今日の如く一私人の奮勵を要せず、公共が公
共の財産を以て活動すべく。個人に賄賠を贈るべき財産と必要となきと同時に、賄賂に値する權力を有し誘惑さる
べき専制と奴隷の官吏組織なし。個人は國家の物質的保護によりて何人にも其の良心の獨立を屈するの必要なく、
道徳の履行ぱ經濟上の強迫と誘惑と無くして本能的に行はるべし。明哲なる學者と熱誠の政治家が無智にして豚の
美服せるが如き資本家の前に匍匐するの醜態もなく老排の獸慾に蕾の少女を弄ばしむるの殘忍も去るべし。子女の
養育は公共に於て其の費用を支辨し、教育は社會之に任ず、病みては公共の病院と醫師の自由あり、老いては養老
金の下賦あり。平等の分配の爲めに家庭は經濟的從屬關係より生ずる専制と屈從と無くして純潔なる父母の戀愛と
親子け慈悲とのみによりて結合せられ、今日存する生存の不安の如きは夢むべくもあらず。今日黄金の中に籠る是
等凡ての要素を引き去りて殘れるものを考へよ。貨幣は全く本來の光輝ある物質に過ぎざるに非らずや。而して又
社會主義の提案の如く、手形が紙幣を代表し紙幣が黄金を代表し更に黄金が貨物を代表すと云ふが如き重複を去り
て、貨物其物を直接に代表する紙片を以て貨幣とすとするも、人生の充分なる滿足は大いに擴張されたる公共財産
によりて足れりとするが故に、其の紙片が今日の貨幣の如ぐ人生其者の價格を有して爭奪の對象となるが如きは想
像すべきものに非らず。所謂經濟學者なる者は須らく顧みるを要す、人が貨幣を欲するは貨幣其者なるか、貨幣の
光輝ある性質なるか、貨幣の與ふる快樂なるか、貨幣によりて購買し得る他の一般の快樂なるか、快樂を受くる所
の自我なるか、自我の實現に在るか、一層高き自我に到達せんとする或る他の目的の手段に在るか。−−守錢奴と
装飾とは貨幣の要求さるゝ一の理由なり、衣食の滿足は又實に他の一の理由なり。而もその滿足の後に於て貨幣の
無限に要求せられつゝあるは實に名譽と地位に對する購買力あるを以てなり。而して斯る重大なる購買力が單に一
個の鑛物に存するは名譽と地位が貨幣によりて築かるゝ社會組織なるを以てのみ。社會主義が斯ら社會規制を革命
 貨幣の媒介なき地位と名譽とに對する利己心の經濟的活動
したる後に於ては、名譽と地位に對する利己心は貨幣の介在を待たず名譽其者、地
位其者に對する利己心の括動となり、括溌に生産的動機を刺激すべし。新派經濟學
者にして少しく思考を囘らさば、經濟的競爭の無くなると共に彼の武士が尚經濟的階級あるに係らず利己心の滿足
を他の名譽文武の道に求め黄金を扇面に載せて觸るゝをだに汚らはしとせる事實を認むべきに非らずや。社會主義
の徴兵的勞働組織は大に公共心の強盛なる活動を待期すると共に、社會の或る進化に達するまでは名譽と地位に對
する利己心の競爭によりて生産的活動の刺激さるべき奨勵的設備を要すと信ずる者なり。
 
 萬人平等の分配は權力濫用の經濟的懸隔なからしむると共に個性發展の障害なからしめんが爲めなり
 故に社會主義の萬人平等の分配と云ふことは固より權力濫用
の源泉たる經濟的懸隔なからしむるに在りと雖も、一は亦個人
性の發展をして障害なからしむる事に存すと考へらるべし。若し物質的報酬にして人爲的差等の存するならば、而
して差等し得べきものならば、個人は個性其者の發展によりて得べき名譽と地位の途を取らすして、先づ名譽と地
位とに早く到達すべき物質的報酬の多額なるべき職を擇び個性の發展は第二次に位すべし。是れ個性個々の傾向を
曲け發展を障害するに至るべきものにして、今日の社會主義が在來の勞働に比例する報酬の差等と云ふ提案を排斥
したる所以なり。社會主義の批難者は茲に至て不平等論を囂々す。
 田島博士の『最新經濟論』は曰く
 田島博士の獨斷的不平等論
『人は元來不平等なり。而して社會の萬般の事情はu々人をして不平等ならしむ。この故に經濟
上の絶對的平等を望むは猶人面の同じからんことを望み、人壽の等しからんことを望むが如し』
『人は元來不平等なり。智力徳力體力の人々に同じからざるは蓋し其の面より甚しきものあり。是の故に人が社會
を組織するに當りては各個人決して平等の關係を維持する能はずして賢は必ず愚を率ゐ、君子は必ず小人を役し、
強者は必ず弱者を制すべし。茲に於てか夫唱婦随となり、君尊民卑となり、自由民及び奴隷の區別となり、富豪及
び貧困の差別となる。依之見之、社會の不平等なるものは人性自然の結果のみ』
 金井博士の『社會經濟學』は曰く、
『一個人の私有財産を全く廃止し人々の享樂並びに慾望の滿足をして絶對的に平等ならんことを欲するものなり』
社會主義の分配につきては本編の後に説くべし。而しながら明かに告けざるべからざるは分配の平等と云ふこと
 社會主義は個性の不平等を認め分配は不平等となる
ゝ經濟上の絶對的平等と云ふことゝは決して同意義に非らず。多病なるものは公共の
病院に多く依頼することに於て不平等なるべく、多くの子女を存するものは社會の學
校に多くの教育を仰ぐことに於て不平等なり。旅行家は鐵道を、學者は圖書館を、美術家、音樂家、皆其れ々々に
美術館、音樂堂を多く使用することに於て經濟上の不平等なり。即ち不平等なる各個人が各々不平等に公共財産を
使用することに於て享くる所の經濟上の利uは各々不平等なり。故に個性の不平等に應する正當の分配と云ふこと
を要求するならば社會主義は此の公共財産の大なる擴張を以て要求を滿足し得べし。−−社會主義は個人の不平等
 金井博士は平等に分配さるゝ購買力と云ふことを亨欒及び慾望の絶對的平等と誤まる
を忘却せるものに非らず。其の平等の分配と云ふことは分配さるゝだけ
の私有財産が平等なりと云ふことに過ぎずして、享樂及び慾望の滿足を
して絶對的に平等ならしむと誣妄する金井博士の如きは學者として誠に卑しむべき不眞面目なり。分配の平等とは
平等の購買力を分配さるゝと云ふことなり。この平等の購買力を不平等なる個人が不平等に使用することに於て購
買さるゝ經濟的貨物は決して絶對的平等のものにあらず、固より絶對約平等の享楽を與へ慾望の滿足を絶對的に平
等ならしむるものにあらず。同一なる價格を以て購買せる書籍と葡萄酒とは經濟的貨物として與ふる所の享楽に於
て平等なるものに非らず、又同一なる價格なるが故に書籍と葡萄酒とは凡ての人に平等に慾望さるゝものに非らず、
金井博士は嚴肅なる一個の主義に對して單に誣妄を傅播するを以て足れりとするに似たり。只遺憾なるは社會問題
の専攻を以て法學博士たり大學教授たる田島錦治氏にして、人は元來不平等なりの一語より絲の如く一切の演繹を
爲して平然たることなり。社會主義は固より個人としての不平等を認む、而も其の故に人類としての同類を個性に
陰蔽せられて平等主義を主張するを憚かる者にあらず。平等主義! 社會主義は固より社會主義にして社會の生存
進化を終局目的とすと雖も、其の目的の爲めに平等の平面の上に自由なる競爭を爲し得べき社會組織を強烈に要求
することに於て明かに自由平等論を繼承す。而しながら社會主義の自由平等論は個人主義時代の革命思想の如く、
 獨斷的平等論と獨斷的不平等論
自由の爲めに自由を、平等の爲めに平等を唱ふるものに非らず、又人は元來自由平等なるが故に
不自由不平等なる社會を打破すべしと云ふものにあらず。何となれば元來より自由にして平等な
るものならば不自由不平等なる社會を(個人主義の思想なるを以て契約によりて)組織するの理なく、自由のため
の自由、平等のなめの平等とはフェリーの政治的手婬なりと云ヘる如く効果なきことなればなり。而しながら社會
主義の自由平等論は田島博士の如き人は元來不平等なりとの根據なき臆説を許容するものにあらず、何となれば原
人社會に對する科學的推理は本能的社會性に於て平和に存在せる原始的平等なりと云ふことに在ればなり。−−即
ち社會主義の平等論とは斯る恣なる臆説の如く元來よりの平等と云ひ元來よりの不平等と云ふに非らずして、社會
の生存進化の爲めに階級的不平等を去りて平等の平面の上に自由なる活動を爲さしむべしとの要求なり。故に其の
平等を説くに當りても『身長肥痩強弱性情趣向等は不平等なれども推理し談話し理性を有する動物として他の動物
と異なる點に於て等し』と云ふぱ如き生物學の許容せざる非科學論斷を爲さゞると共に、又個性の不平等を認識す
るに於ても『最も下等なる人類と最も高等なる人類との間に在る優劣は、最も高等なる動物と最も下等なる人類と
の間に在る差よりも大なり』との言を科學的權威の如く遵奉して議論の基礎を築くものに非らず。何となれば推理
し談話し理性を有することは單に人類に限らす他の動物の高等なる者に於ては或る程度まで之を有するを以て人類
をのみ特別に他動物と隔絶せる天空に置く能はぎるは生物進化論の原理なると共に、接近を同一分類に置くと云ふ
生物分類の原則によりて恰も犬の黒きを猫に分類し赤きを狐に入れ洋犬の大なるを馬に和犬の小なるを羊に組み込
まざる如く、高等なる動物を人類に組み込むか下等なる人類を高等動物に分類するかに非ざれば野蠻人と高等動物
の接近を人類間の隔絶より甚だしと形容する能はざれぱなり。即ち社會主義の自由平等論は人に元來より平等なる
が故にとして正義なるかの如く主張せざると共に、人は元來より不平等なりとして自由平等を非義なるかの如く考
ふるものにあらず、正義とは社會の生存進化に適合することを示す外包約言辭にして其の内容は地理的に又時代的
に異なる、社會の生存進化の爲めに古代の奴隷制度は充分に正義にして中世の君權萬能、貴族専制も決して非義に
非らぎりしは何人も知れる所の如し。而しながら正義の内容は常に流轉して止まず。古代奴隷制度の正義或は中世
 不平等の正義なりし時代と平等の正義なるべき時代
の君主貴族の萬能専制の正義を以て今日及び今後の正義を律する能はぎるを知れるな
らば、何が故に田島博士の如く人は元來不平等なりとの凝結せる獨斷を以て正義の歴
史的進化を無視するや。『人が社會を組織するに當りては賢は必ず愚を率ゐ、君子ぱ必す小人を役し、強者は必ず
弱者を制すべし』との博士の前提は必ずしも眞ならずとは云はず。而もこの前提あるが故に『茲に於てか夫唱婦随
となり、君尊民卑となり、自由民及び奴隷の區別となり、富豪及び貧困の差別となる。依之見之、社會の不平等な
るものは人性自然の結果のみ』どの結論は明かに社會の進化につきて無智なるものなり。若し此の前提あるが故に
常に必ず此の結論なかるべからずと考ふるならば國家社會主義なる者の主張は下の如くならざるべからず。−−人
は元來不平等なり。而して社會の歴史は進化するものに非らす、主義は古今木變なり、故に今日の民法を改めて羅
馬以前の家長無限權の下に家族を物格とし、天皇と華族とをして國土及び人民を經濟物としての殺括贈與の權ある
家長君主となし、國際戰爭の捕虜と債務者とは鐵鎖を繋ぎて奴隷とせざるべからず、而して貧富の懸隔は人は元來
不平等なる人性自然の結果なるを以で資本勞働の調和と云日勞働者保護と云ひ國家社會主義其者と云ひ、不平論と
 平等觀發展と歴史の意義
相納れざる空論なりと。社會進化の跡を顧みよ。社會は其の進化に應じて正義を進化せしむ。河
流は流れ行くに從ひて深く廣し、歴史の大河は原人部落に限られなる本能的社會性の泉よりして
社會意識發展の大奔流となりて流る。−−人類の平等觀これなり。家長權の制限、婦人の獨立、奴隷の解放、而し
て國王と貴族とを顛覆せる佛蘭西革命の大瀑布。社會主義はこの大瀑布の波瀾を受けてさらに千尋の斷崖に漲ぎり
落ちんが爲めに奔りつゝある社會意識の大河流にあらずや。此のナイヤガラを經てオンタリオ湖に落下し、社會意
識が鏡の如き湖面に漲ぎり渡り、人類の平等觀が全地球に發展せられたる時−−茲に社會主義の主張する社會の進
化と、個人主義の理想したる平等の平面の上に行はるゝ自由なる活動と在り。若し六千年の歴史を有する吾人にし
て此の大河流に浮びつゝあるものなることを解せざるならば、歴史なきことに於て祖先が猛獸と戰ひしと云ふが如
き口碑傅説より外有せざる南洋の土人部落にも劣る。(否! 東洋の土人部落に於ては二千五百年の平等觀發展の
大河流を順逆論に蔽ひて未だ一の歴史無し、有するものは南洋の其れの如く口碑傅説を集めたる古事記日本紀のみ。
(『所謂國髄論の復古的革命主義』を見よ)。−−故に吾人は自由平等論を斯る意味に於て主張す。即ち社會進化の理
想を實現せんが爲めに嘗て家長専權となり君主無限權となり奴隷制度となりしが如く、社會の進化して同類意識が
甚しく鋭敏となりて在來の正義とされたる不平等を排し、平等を正義とし平等の團結自由の活動によりて今後の社
會を進化せしめんとするに在りと。戰爭による掠奪の權利、占有による土地私有制度が社會の或る進化までに適合
して正義なりしが如く、家長權も貴族も奴隷も亦社會の或る進化までは充分の正義として社會の目的に適合したる
 獨斷的平等論の逆進的批判と獨斷的不平等論の粘着的辯護
者なり。故に自由平等論を歴史の波濤に逆進して不平等の非義を唱ふることの誤れ
る個人主義時代の獨斷論なるは論なく、今日社會主義者の或者が尚依然として斯る
議論を繼承しつゝあるも其は或者なるが故にして社會主義の眞理は此の爲めに蔽はるべからす。而も社會の或る進
化に至るまでに不平等の一たび正義たりしを以て今日今後の社會進化に抵抗するを事とし、甚しく鋭敏となれる同
類意識の階級的懸隔に堪ふべからざるに及びても尚平等論を壓伏せんとするは更に遥かに取るに足らざるべく、國
家社會主義なるものは一の眞理もあらず。正義は逆進して可否さるべからす又辯護を事として粘着すべからず、元
來よりの平等と云ひ元來よりの不平等と云ふことは共に根據なき非科學的論斷なり。何となれば元來よりの不平等
と云はゞ人類一元論によりて元來は不平等に非ぎりしと云はるべく、又元來よりの平等と云はゞ凡ての生物は元來
は單細胞生物の進化せるものなるを以て一切の動植物は平等なりと論じ、終局平等即差別の哲學に論陣を移轉する
の外無きに至るべけれぱなり。吾人は社會主義を主張する者なり、社會進化の理想に適合する手段を執れば可なり、
故に吾人は元來平等なり不平等なりと云はずして、社會進化の理想のために此の不平等なる社會を打破して平等と
自由とによりて新社會を組織せんと主張するものなり。即ち吾人は人類其者が元來より自由平等なりしか又懸隔差
異ありしかを論爭せずして、社會進化の理想のために物質的保護を均一に與ふべしと要求するものなり。−−社會
 社會主義の自由平等論の眞意義
主義の自由平等論とは此の眞理なることを明確に解せよ。田島博士及び凡ての國家社會主義者に
して社會主義の平等論を人類其者の同一不異と誤解せず物質的保護の平等の事なるを知れるなら
ぱ、而して物質的保護の平等が或る程度まで今日の法律の上に現はれて、美人も醜婦も、八十歳の高齢も三歳の夭
死も、其の身命に對する危艱脅迫に對して平等の物質的保護を受けつゝあるを解するならば、『經濟上の絶對的平
等を望むは猶人面の同じからん事を望み人壽の等しからんことを望むが如し』との非難は誠に噴飯すべき方角達ひ
の者となるを知るべし。社會主義は平等主義なり、而も個人性の障害なき發展を圖らんが爲めにする物質的方面の
みに於ける平等主義なり。(平等論につきては更に『社會主義の倫理的理想』及び『生物進化論と社會哲學』を見
よ)。
吾人は殊更に田島博士の賢明を傷くる者に非らず。社會主義が貧弱汲趣味なる下層的平等の中に個人の人格を溶
解し去る衆愚主義と解せらるゝが爲めに、而して或時代の社會主義が斯る者なりしが爲めに、獨斷的不平等論は令
 『社會問題解釋法』と憐むべき一記者
日學者階級に於ける勢力にして偶々田島博士の之を口にしたるを以てなり。嘗て安部磯雄氏
の『社會問題解釋法』に向つて一書を著はして論戰の光榮を要めたる一記者の如きは此の勢
力に漂溺せる者にして、而も人間には如何に智識道徳品性文章等に於て不平等の存するかを、其の論辯に於て記者
自身の身を以て證據立てしが爲めに論據に甚だ有力を加へたることありしが如き是の例なりとすべし。
 
 資本家社會主義者が斯る獨斷の不平等論を呶々する所以の者は此の經濟的貴族國の維持に在り。如何に田島博士
 田島博士の經濟的貴族國の辯護論
がその辯護の爲めに『最新經濟論』を汚辱しつゝあるかは左の一節に見よ。
『抑々現今の勞働者が企業者の如く企業上の危險を犯すことなくして常に定額の賃銀を受取
ることを得るは實に彼等に取りて利uある方法なりとす。佛國經濟學者エミール・ヴァリエ氏が賃銀制度を批評し
て、一種固有の組合にして其の組合の一部は業務より生ずる危険の外に立ちて其の報酬、及び報酬を受くるときが
豫定されたるものなりと云ひしは眞に至當の言なりとす。余輩は又セルニュスキー氏が賃銀制度を改革するを以て
文明の退歩を望むものなりとの痛言に同意を表せざるを得ず。實に人間に企業者と勞働者との別を生じたも所以は
自然の勢なり。人は平等なりと云ふ社會主義の學説は毫も實際に適せず。試に思へ勞働者が一致團結して企業家を
排斥し生産組合なるものを組織すとするも、其の勞働者の中に才能の優れたるものと劣りたる者と在る以上は、才
能あるものは主として企業的業務に從事し劣れるものは力役的業務に從事するに非らざれぱ何を以てか世界の市場
に競爭して勝を制するを得んや。假令彼等の説の如く一國の主權の力を假りて一國内だけは企業家を驅逐して其の
國内の生産事業は凡て皆勞働者の生産組合によりて行ふを得べしとするも他の諸國には機敏なる企業家尚存し勞働
者を使役して之に當らんには、其の國は必ず不振の地位に立つべき事恰も微弱なる共和國が強大なる専制國に其軍
事上外交上後れを取ると一般ならんのみ。故に吾輩は社會主義者の説の如く生産組合を凡ての産業に適用して現今
行はるゝ賃銀制度と企業家の存在を社會より驅逐するの説に同意する能はず。我輩は賃銀制度の革命者にあらずし
て改革者を以て自ら任ぜざる能はず』
 若し以上の言が金井博士の如く徒らに非社會主義的惡感情の傅播を任務として書かれなるものなりとせぱ、『最
新經濟論』は吾人の爲めに憐むべき愚弄の題目となり、茲にも文字上の能力を疑はるべき帝國大學教授法學博士を
見出すべかりしなり。田島博士は固より通辯約學者に非ざるべく、特に吾人の如きは何々氏曰くとの虎威は最も快
よしとせざる所なるが故にエミール・ヴァリュの言は恐らくは單に博物傍證の用に過ぎざりしことゝ信ず。而しな
がら今日の賃銀制度を目して却て一種固有の組合なりとの言を自己の責任に於て裏書人となるとは何たる不謹愼ぞ。
組合制度の生産とは社會主義の或る程度をでの發現にして社會主義的生産制度と呼ぼるるものなり、然るに若しヴ
 氏は君主國を却て共和国と云ふ
ァリエの言の如く賃銀制度が巳に一種の生産組合ならば是れ現社會が巳に社會主義の理想郷なり
と云ふことにして、世界の社會黨は悉く解散ずべく而して社會黨處分策を以て社會政策上の難問
とせる『最新經濟論』も燒棄して可なり。生産組合は組合員の發言權を要し、生産に關しては共和的合議制を要す。
經濟的貴族が其の家臣等の畫策を聞きて生産に關する一切の事を決定し、勞働者は賃銀の多少以外には一言の容喙
も爲す能はず、斯るものを何の國語に於て組合と稱するや。一人の利害によりて身命を奪ひ居住營業の自由を剥奪
し得る國家は決して共和國と命名せられざる如く、資本家の権利によりて賃銀奴隷を工場の門外に放逐し明日にも
糊口の途を失はしむる生産の専制君主國は生産的共和國と全と異なれる今日通用の文字、資本家制度賃銀制度の名
あり、何を苦んでか經濟學の根本思想より覆すが如き文字の混同を爲すや。統治權が國家の權利に非らずして君主
及び諸侯が統治よりして得る利uの歸屬する主體たりし時代を共和國と命名せざるならば、生産が經濟的家長君主
等の統治權として其の目的と利uとの爲めに勞働者を物格として處分しつゝある今日を、何が故に生産的共和国た
る生産組合に比するや。社會主義の生産組織は固より大に今日の生産組合と異なること論なしと雖も、或者ぱ政治
的革命の途によらず生産組合を經て社會主義に到達すべしとまで考ふるほどなりとせぱ、斯る馬を指して鹿と云ふ
が如きは學者として不謹愼の極と云ふべし。生産組合は生産組合なり、賃銀制度は賃銀制度なり。ヴァリエと田島
博士とは人類界の言語を使用せざる者なり。
 賃銀基金説の誤謬はラサールの賃銀の鐡則
 而しながら斯く賃銀制度を却て生産組合に混同する所以の者は考ふるに團結的生産の利
uが資本家一人のみに歸せずして勞働者も其の利uに與りて高き賃銀を得べしとの議論を
爲さんが爲めなり、固より舊派經濟學の假説する如く、賃銀基金なるものゝ世に存すべき理なく、其の基金に對す
る需要者(即ち勞働者)の人口の搆クによりて賃銀が常に一定の默より一定の點までの間を上下すとは議論として貫
徹せざる者なり、故に其の基金説の上に築かれたるラサールの『賃銀の鐵則』が大に修正さるべきは論なし。即ち企
業家が勞働者に賃銀を拂ふは將來の生産物より配當さるべき勞働者の分を先き拂ひとなすものにして、賃銀は生産
物より支拂はるとの説明は或る場合の事實なることば吾人固より否まざるものなり。而しながら或る場合とは凡て
 勞働者は生産物の分配を豫じめ受くると云ふ新派の驚くべき空論
のことに非らず、企業家が其の生産物によりて利uを得ざる時に於ては勞働者
へ支拂ひたる賃銀は決して生産物の中より出でたる者に非ざるを以て、この説
明も多く假説に過ぎず、吾人は斯る枝葉を云爲する者に非らず、問題は賃銀が支拂はるゝ所に非らずして賃銀が契
約さるゝ所に在り。企業家が勞働者と賃銀を契約せんとするや、生産物の利uによりて支拂ひ得べき將來を期待し
て『需要』すると共に、市場に於ける勞働者は空腹の壓迫と人口過多とを以て『供給』しつゝあるなり。−−即ち
勞働者は勞働を賣ると云ふ名の下に(恰も人身其者を賣る娼妓が婬のみを賣ると云ふ如く)、肉體を需要供給の法則
の上に横へて人身賣買を行ひつゝあるなり。而して一たび買はれて契約の鐵鎖に繋がれたる奴隷は其の生産物の利
uにつきて何等の要求もなく、支拂はるゝ賃銀が假令企業家の巳に有する資本の中より出づるとも又企業者が將來
生産物より得べきを期待して先拂ひを爲せるものなりとも、又其の期待の誤りて他の資本家の金庫より出づるに至
るとも、そは神と雖も解する所に非らす、奴隷の價格は巳に市場に於て決定されたればなり。新派經濟學者は企業
家が生産物の中より賃銀を支拂ふべきを期待して勞働者を需要するを以て、供給者が經濟物として巳に市場に於て
價格の決定さるゝをも顧みず、又恰も其の期待の誤りなきものなるかの如く獨斷し、即ち賃銀制度は一種固有の生
産組合にして勞働者は生産物に對して分配を豫じめ受くる便利なる制度なりとは何たる空論ぞ。否! 自ら稱して
科學的なりと云ひ經驗的なりと云ふ新派經濟學は此の點に於て舊派の其れよりも如何に甚しく空論に耽りつゝある
よ。『其の組合員の一部は業務より生ずる危險の外に立ちて其の報酬及び報酬を受くるときが豫定されたるものな
り』。『現今の勞働者が企業の危險を犯すことなくして常に定額の賃銀を受取るを得るは實に彼等に取りて利uある
方法なり』。然らば失業者とは企業の危險を負擔せず豫定されたる定額の賃銀を受取りたるが故なり!
 氏は企業的才能と利uの主體たる企業家とを同一視す
 田島博士の經濟的貴族國の辯護論は前きに言へる獨斷的見解の不平等論に在り。即
ち企業家と營働者との別を生じたる所以は不平等なる人性自然の結果にして假令勞働
者の生産組合を以てするも企業の才能あるものは企業的業務に服し他は力役的業務に從事するに至るを以て平等の
勞働組織は不可能にして企業家は不滅なりとの議論これなり。而しながら是れ即ち文字の能力を疑はるべき所にし
て、社會主義は今日の企業家を排すと雖も企業家的才能の者を獨斷的平等論によりて無視するものた非らず。國家
社會主義の白眉たるイリー博士の如く企業家を工業の船長なりとして重要視する事は絶對に否まざるも、彼の如く
工業の船長が同時に工業の船主たらざるべからざる理由を認めざるものなり。法理的に云へぼ自己の目的の爲めに
自己の利uに歸属すべき權利の主體として企業を爲す今日の企業家を排すと雖も、国家の目的の爲めに國家に歸屬
すべき利uのために國家の機關として企業を爲す才能ある者を無用なりと云ふに非らず。繰り返へして云へぱ、工
業の船主たり利uの主體たる企業家は國家にして、全國民は國家の機関として國家の利uの爲めに或は筋肉を勞し
或は才能を働かす所の勞働者なりとすべし。更に繰り返へして云へば、過去貴族國時代の家長君主等の如く自己の
目的の爲めに自己の利uに歸屬すべき権利の主題として存せしむる今日の經濟的貴族國を打破して、恰も今日の中
央地方の官吏が國家の目的の爲めに國家に歸屬すべき利uの爲めに國家機關として存する如く、企業的業務に服す
る機關を其の才能ある者に行はしむることに在り、即ち博士の言の如く勞働者の生産組合中にて企業の才能ある者
が企業的業務に從事すとも、其の生業者は所謂企業家と全く異なれる組合の機關にして、即ち或る種類の勞働者た
るに過ぎず。統治權を行使する才能ある者が直ちに統治權の主體たる諸侯君主たらざるべからずと云ふ理由なき掛
如く、企業の才能ある者が必ず利uの主體たる企業家たらざるべからざるの理なし。この點に於て博士も亦金井博
士の如く我れ田島錦治なるものは經濟學者なるか將た經濟學かと顧みるの要あり。獨斷的不平等論に頭腦の中樞を
腐蝕せられたる者は斯くをでに賢明を蔽はるゝか。
 田島博士の經濟的貴族國の辯護論は餘蘊なき者なり、氏は放縱に專制權の利uを列べて憚からず。曰く、『其の
國内の生産業は凡て勞働者の生産組合によりて行ふを得べしとするも他の諸國には機敏なる企業家尚存し勞働者を
 氏の外國貿易よりする非難
使役して之に當らんには、其の國は必ず不振の地位に立つべき事恰も微弱なる共和國が強大なる
専制國に其軍事上外交上後れを取ると一般ならんのみ』。是れ事實なり。故に一國家内に於ける
生産組合が勞働者の適度の勞働時問と高尚なる生活との爲のに、他の廉價なる賃銀奴隷の酷使によりて廉價なる生
産費にて足る資本家組織の産業と市場の競爭に勝へざることば事實にして、是れが爲めに社會主義が一局部の生産
組合の方法を排し政權の上に立ち現はれて国家が凡ての産業を國家の手に吸集せんとする如く、外國に於けると同
じき資本家的産業の存在は社會主義の實現されたる國家の産業に妨害たるべきが故に、茲に社會主義の萬國國際大
同盟の運動あるなり。斯ることは社會問題専攻の博士の不注意なるべき理なく彼の矢野文雄氏の微温的なる『新社
會』が此の點に於て殊更に注意を拂ひて善かれたるが爲めなることは何人も知れる所の如し。而して其の微温的な
るにせよ一國内に於ける社會主義の成る程度までの實現が必ずしも不能にあらず、國家内の資本と勞働の團結の爲
めに經濟的先進國に對抗し得べしとの矢野氏の議論は博士の根據なき推理を打消して餘りあるべし。何となれば小
資本の分立的競爭よりも大資本の合同的活動が遥かに有力にして、相殺的破壊的勞働よりも團結的秩序的勞働の大
 社會主義と偏局的社會主義
に過ぎず。−−社會主義は全社會の驚くべき富有と個人の獨立とを共に得べきことを確信するも
のなり。吾人は決して尊敬すべき金井博士を通辯的學者なりと信ずるものに非らずと雖も、社會
主義を以て官吏専制の國家萬能主義と誤解して強烈に個人性の權威を主張する者は所謂個人主義なり。(個人主義
の大なる意義につきては後の『生物進化論と社會哲學』を見よ)。而しながら誤解さるゝが如き偏局的社會主義は
プラトー以前の遠きに千年前のことゝして如何に官吏の干渉を許したるかは婦人の貞操をまで監督せしめたるにて
も知るべし。現今の科學的社會主義は決して斯る素朴なる本能的社會性によりて無意識に繋がれたる古代の復古主
義にあらず。十九世紀に至るまでの個人主義の清鮮なる覺醒を受けて社會性と個人性との確實なる自覺の上に新ら
しく築かれたる全く別個の理想なり。此の精細は更に『生物進化論と社會哲學』に於て説く。而して官吏の監督無
くしては生産的活動を萎縮せしむと推想する事の人性に對する無智識に基くことは前きに説けり。而しながら社會
主義の世と雖も決して僅少なる監督者の凡て無用なりと云ふにあらず、只其の甓督者とは今日の官吏と全く別種の
 今日の所謂官吏と社會主義時代の監督者
者なることを忘却せざれば足る。今日の官吏の重要なる任務は權力階級の維持の爲めに常に
反抗せんとする劣弱階級を抑壓する事に在り、而して經濟的誘惑によりて腐敗し易き組織の
下に置かれ、階級組織の爲めに専制の驕慢と奴隷の卑屈あり。斯る者が社會主義の實現されたる曉に於ても尚存社
すと考ふるは、日出でゝ尚狐の隱れずと云ふと同一なり。今日の如く上官の前には叩頭の藝術家たるに過ぎざる者
が轉じて社會に對するや帝王の如き權力を振ふは此の經濟的懸隔と權力的階級組織の暗Kなる社會なればなり。監
督者の推擧に至りても決して今日の官吏の如く、妻君の縁故、形式の試驗、月謝納附の履歴書、政黨騷擾の獵官に
非らずして撰擧によりて立ち。而して其撰擧と云ふも其の軍中より撰出されし羅馬末年の皇帝の如くならず、勞働
の義務を終へたる局外者より勞働軍中の適當せる者を撰擧すとのべラミーの提案の如くせぱ何處に専制あらんや。
而して今日の司法官の職が人格ある人物の名譽職となりて權力の濫用を監視して個人の自由獨立を保護して立つべ
 獨乙に於て社會民主々義と云ふ理由
く、且つ勞働的兵卒も監督者も又今日の企業家に相當する所の重大なる機關も同一の分配を受
けて經濟的に對當の地位に立つとせば其間亦何ぞ専制と卑屈の官吏的階級あらんや。この故を
以て古代よりの偏局的社會主義即ち國家萬能主義を個人主義の革命によりて一たび全く顛覆して佛蘭西の如くなる
能はぎりし獨乙に於ては民主々義なる名に於て個人の權威が社會の利uの爲めに強大に主張せられ、中世の遺物を
載せて流れ來れる國家萬能主義の浮氷を國境外に驅逐せんが爲めに『社會民主々義』なる者あるなり。即ち社會主
義と共に民主々義の主張せられつゝあるは個人の權威が社會なるの名に於てする他の個人の意志に汚辱さるべから
 官吏専制の生産は國家社會主義其者なり
ずとの要求にして、何ぞ今日の如き官吏を以て生産を司らしむるを得べしと考ふる者ならん
や。−−否! 今日の國家萬能の官吏専制を以て生産を司らしめ或は生産に容喙せしめんと
する者こそ金井博士等の所謂國家社會主義に非らずや。金井博士の用ふる兩刀論法の一刀は却て深く國家社會主義
自身の心臓を貫けるに過ぎず!
 生産を減退すと云ふ非難の起る理由
 茲に於て問題は、金井博士の所謂生産を減退せしむと云ひ、田島博士の所謂微弱なる共和國
と云ふことに歸す。これ誠に以て顛倒せる誣妄なり、社會主義は生産を減退せしむるものに非
らずして生産を攝iせんが爲めなり。微弱なる共和國に非らずして強大なる産業的共和國を現出すべき者なり。吾
人は斯る全く顛倒なる誤解が敢て二氏のみならず充分に尊敬せらるべき人々の頑強に維持する所となるを見る毎に、
誤解者が何の理由によりて斯る非難を發するかを考慮したりき。而も吾人は上來打破し來れる不見識或は無思慮よ
り外に斯る非難の發せらるべき理由を見出す能はざりき。若し有りとせぱ空想的社會主義及び今日の社會主義者の
或者が分配の不公平を論議する事に力を注ぎつゝあるを見て生産の多少を顧みず平等の清貧に至るべしと考ふるこ
とに在るか。
 而しながら吾人は斷言す、科學的社會主義は決して分配論に重きを置くものにあらずと。これ奇怪に似たるも吾
 社會主義は分配論に重きを置かず
人の特に強く主張せんと欲する所なり。空想的社會主義時代に於ては獨斷的平等論の規矩を以
て上層の階級を只下層に引き下ぐれぱ可なりと考へしが如きもあり、又社會主義の發見に導き
たる動機が現社會の分配の不道理不公平に在りしを以て、分配論が主張の眼目なるかの如く思はるゝは社會主義者
自身と雖も亦免かれざる所なり。而しながら社會主義の眞髓は分配論に非らずして實は生産論に在るなり、即ち土
地及び生産機關の公有と其の公共的經營と云ふことが社會主義の脊髄骨なるなり。事實に見るも世界の社會黨は無
數に異なれる分配論によりて嘗て離散せしことなく、生産論を中心として合同して動かざるなり。由來分配と云ふ
語は私有財産的臭氣を有す。固より分配さるゝ配當額が私有財産として全く各個人の權内に屬することなれば此の
語を然かく不當なりと云ふに非らずと雖も、一切を現社會の標準によりて推論するより外知らざる彼等に取りては
 今日の分配的眼光と共産時代
分配と云ふ語は直ちに、大に擴張されたる公共財産の存することを想像せずして、私有財産制度
の非社會的觀察を以て受取らる。現今存する僅少なる公共的財産は私有財産制度の砂漠中に在る
オアシスなるを以て圖書館には鐵網あり公園には鐵柵あるの止むを得ざるに係らず、而も尚この非社會的思想より
外有せざる今日の人と雖も決して軍艦に對して分配を主張し兵營の建物に向つて分配を要求せざるに非らずや。是
れ軍事上の事は往年の大名の如くならず國家の經營すべき者なる事を解すればなり。故に此れと同様に生産上の事
も決して一私人に任ずべき者に非らずとの事が明瞭に了解せらるゝに至らば、兵營よりも大なる工場、軍艦をも築
造する大製造所の如きを今日の如く私有財産制度の分配的眼光を以て眺むるの不合理は存せざるべきなり。然らば
社會財産の大部分は共産として存すべく分配さるゝ部分の如きは平常の生活と社會の進化に應じ個性の傾向を滿す
ための購買力なるべく、決して現今用ひらるゝ分配−−名譽權力生活戀愛の凡てを含有する意義の分配に非らざる
は明白なるべし。故に社會主義者の分配に對する提案は種々に異なり、サン・シモンの如きは勞力に比例する分配
の差等と云ひ、ルイ・ブランの如きは理想の極致を掲けて能力に應じて生産し必要に應じて消費すと云ひ、今日の
社會主義者は萬人平等の分配と云ふ。固より『能力に應じて生産し必要に應じて消費す』とのプランの理想は吾人
の理想にして遠からざる將來に於て達し得べき者なり。然しながら斯る理想的の共産社會は生産のより一層に多く
なり道徳的進化の更に一段の高きに到らざれば實現さるべからざる者なるを以て、科學的社會主義は現今の程度に
應じて萬人平等の分配に止まりて次の進化を持つ者なり。固より現時の日本に於て今日直ちに社會主義の實現さる
ゝ者と假定せぱ、『新社會』の如くシモンの提案を暫くの間取る事は生産の然かく發邃せざる國の状態として可な
るべしと雖も、斯る實現は決して今日に期待さるべからず(『社會主義の啓蒙運動』を見よ)。のみならず、一個の
 個人的分配の理論的不能
生産物の上に其の生産に從事せる人々の個人的勤勞の限界を附する能はず、又歴史的累積の智識
の効果が其の中に如何ほどの分量に於て含まるゝや知る能はず、生産物とは渾然たる一個不可分
の社會的歴史的産物なるを以て、其れを個人的に現在的に分配の差等を設けんとするは、社會的生産時代に於て個
人的生産時代の分配法を繼承する者にして今日の正義とする所と甚しく背馳すべければなり。吾人は分配論に關す
 分配は生産に伴ふ
る種々なる提案を時代的に進化すべき者と見よと云へる見解を執る。分配は生産に伴ふ。社會と
云ふ生物は其の生存進化の物質的資料たる生産の多少に應じて分配法の正義を異にす。彼の生産
の最も缺亡せる喰人族が其の社會生存の目的のために同類の肉をも分配さるべき物質的資料の中に加へて相殺戮す
る如く、今日までの私有財産制度が戰爭或は法律の形に於て他の社會と或は他の階級との間に於て掠奪の分配を爲
しつゝある如く。原始的平等の部落共産制に在りては原始的共産なるべき原始的生産物の富有ありて行はれ、將來
に來るべき共産的分配は無限なる發明による共産的生産の富有ありて行はれ、其れに到達すべき階級たる社會主義
の萬人平等の分配は萬人をして平等の分配に與かりて經濟上の慾望が相衝突するの要なきまでの富有なる大生産を
徴兵的勞働組織によりて來さゞるべからず。孟子が『民水火に非ざれば生活せず、昏暮に人の門戸を叩いて水火を
求むるに與へざる者なし、至て足ればなり。聖人の天下を治むる菽粟ある事水火の如くならしむ。菽粟水火の如く
にして民焉ぞ不仁なる者あらんや』と云ひしは豊饒なる平原に人口の稀薄なりし堯舜時代の原始的部落共産制に於
ては眞なりしなるべく、之を私有財産制度に入りて君主貴族等の掠奪階級が生じたる素朴なる莢犁の農業的産業時
代に主張せるは固より空想に過ぎざりしは論なし(孟子の社會主義につきては後に『社會主義の啓蒙運動』に於て説
く)。而しながら、今日再び人口より遥かに超過せる生産を爲し得べき機械は續々として發明せられつゝあり。こ
の機械を以て今日の如く經濟的貴族階級の獨占して相破壊するが如き方法に於て生産せざるに至らば、分配論の如
 圓満なる理想としての共産主義
きは生産の進化に伴ひて自ら解釋さるべきなり。−−故に吾人は社會の進化して萬人平等の分配
と云ふ一階級を越えて純然たる共産的社會に至るべき事を圓滿なる理想として有する者なり。今
日の社會主義者が孔子の如く少きを憂へず均しからざらん事を憂ふと云へる過去の空想的社會主義を脱して、擧り
て土地及び生産機關の公有に全力を注ぎつゝある者は一切が大生産を擧ぐる事によりてのみ解釋さるゝものなるを
知ればなり。微弱なる共和國と云ふに至りては今の社會主義を以て空想的時代の其れと同一視し、只退嬰的に清貧
 清貧の平分にあらず上層を引き下ぐるに非もず
の平分に甘んずと解すればなり。社會主義は貧少なる分配を平等にすべきことを主張せ
ずして寧ろ富有なる公共財産に對して個性の相異に應ずる共産的使用によりて滿足を得
べきことを理想とする者なり、上層階級を下層に引き下ぐる者にあらずして下層階級が上層に進化する者なり。誣
妄も極る。
 社會主義は大生産によりてのみ實現さる
 然らば如何にして全社會をして今日の上層階級の如き幸福なる生活を受けしむるほどの大
生産を得るや、曰く歴史的進行の流に從ひて至るべきのみと。吾人が前きに經濟的貴族國の
歴史を述べて、經濟的土豪より經濟的群雄戰國となり更に經濟的封建制度に至ると云へる如く、經濟史の潮流は今
や實に滔々としてツラストに流れつゝあり。而して群雄戰國の兵亂に苦みたる者が封建制度の貴族政治を悦びたる
如く今の經濟學者は擧りてツラストの大生産を讃美しつゝある者なり。是れ固より當然のことにして分立せる資本
が合同せる資本よりも多く經濟的にして協同の勞働よりも相破壞し合ふ勞働が多くの生産を來すと云ふが如き痴呆
の存すべき理なく、經濟的封建制度は群雄戰國の經濟的兵火なきを以て彼等諸侯と共に社會を利して大生産を擧ぐ
るを得るは疑ひなき眼前の事實なればなり。如何に米國の法官がツラスト禁壓に全力を注ぎたりとも、又如何に勞
働者と小資本家とが其の横暴に恐怖して極力妨害に努むとも歴史の大潮流は木柵石塊を以て阻むべからず、全世界
は今や殆んど全くツラストを以て蔽はれんとす。嘗て北米の石油業者の破壊的競爭の爲めに石油は徒らに倉庫に積
まれ地に流れて顧みられざりしが如き大損失を來せし者、一八八二年スタンダード石油ツラストの組織さるゝや、
實に生産費の六割を減じ近年の配當總額六億萬圓に近しと云ふにあらずや。四十憶圓の資本を合同して成れるカー
ネギーの鐵製ツラストが如何に他の合同なき歐州の資本家を支那の市場より驅逐せるかを見よ。グールゴース製糖
會社は全米國の悉皆を合同し、ナショナル・ビスケット會社は全國大製造會社の九割を合同し、倫敦に於ては八百屋
すらツラスト組織となれりと云ふに非らずや。社會主義はツラスゝが如何に専横を働く・とも歴史の進行に逆ひて小
 ツラストの資本家間のみの合同を更に全社會の合同となす
資本分立の前世紀を囘顧する者にあらず、ツラストの進行を繼承して更に大合同に
進まんとする者なり。ツラストの資本家大合同は同業者間の破壊的競爭を止めて廣
告の莫大なる浪費と各自の破壊的行爲による資本の徒費なしと雖も、そは單に資本家間の大合同に過ぎずして他の
勞力大合同の勞働組合と激甚なる戰鬪を絶たざるが故に如何に資本と勞力の浪費あるや知るべからず−−是れツラ
ストの尚勞力と資本との關係に於て全からざる合同にして大なる浪費をなして生産を傷害する所以なり。ツラスト
の資本家大合同は暗中の飛躍に過ぎざる經濟的混戰を止めて需要供給の關係を統計に於て眼下に俯瞰するの便宜あ
るが爲めに從來の如く十年毎の大恐惶を來すが如き事は無しと雖も、而も其の經營が専制權に伴ふ暗愚と驕慢に基
くを以て需給の關係を見るの明を蔽はれ、諸侯等の誅求苛歛の爲めに社會の購買力を枯渇せしめて茲に頻々たる生
産過多となり社會は如何に資本と勞力を消費しつゝあるや知るべからず−−是れツラストの尚消費と生産との關係
に於て全からざる合同にして大なる消費を爲して生産を傷害しつゝある所以なり。ツラスト資本家大合同は無數の
小賣人を要せず、同業者間の破壞の爲めに要する人員、及び収u少なき工場を閉鎖するより解雇する勞働者等によ
りて勞力の消費を避くることに於て大なる利uを待つゝありと雖も、其の節約されたる勞力は直ちに生産の途に即
く能はずして徒に節約たらざるのみならず或は社會の慈善に衣食して次ぎの需要までを遊食し或は社會を脅かして
犯罪者となる。社會の被る勞力の浪費は如何に多大なるや知るべからず−−是れツラストが猶凡ての關係に於て全
からざる合同にして大なる浪費を爲して生産を傷害する所以なり。而して經濟的活動の二大動機たる公共心は個人
的契約關係の爲めに壓伏されて働かず自己心は階級的隔絶による絶望の爲めに刺激さるゝ所なし−−是れツラスト
が全社會を打て一丸とせる大合同に非らずして全社會を富有ならしむべき大生産を來す能はぎる所以なり。社會主
義は此の資本勞力の大浪費あるツラストを社會の經營に移して斯る浪費の缺陷を去れる者なりと考へらるべし、經
濟的群雄戰國は經濟的封建制度に至り、經濟的封建制度は更に經濟的公民國家に至る。社會主義は社會の爲めにす
 ツラストの浪費なき大ツラスト
る生産なるを以て社會の購買力を枯渇するが如き誅求苛歛なく、専制の暗愚より生ずる生産過多
なく、無責任なる勞働者の解雇、工場の閉鎖より生ずる失業者なく、勞力資本の二大階級の鬪爭
より生ずる資本勞働の徒費無し。而して平等の分配の爲めに自由に行はるゝ個性發展によりて達せんとする名譽と
地位に對する利己心の強盛なる括動あり、社會に歸屬すべき利uなる事を意識して努力する公共心の神聖なる刺激
あり。經濟學者なる者はツラストの大生産を禿筆瀾舌して説きながら、ツラストの進化を受けて其進化を繼續し更
に其れよりも遥かに大生産を來すべき社會主義を誤解して却て生産を減退せしむと云ひ微弱なる共和國と云ふは何
たる事ぞ。彼等は一個人の利己心をして社會の經濟的源泉を左右せしむるを然かく賢明なる制度なりと思はゞ何が
 生産權が個人財産權たる今日の賣官制度
故に大倉其の如き者をして砲兵工廠の工場主として砲彈に砂を入れ銃丸に石を混ぜしめざる
や。國家生命の根源たる生産權を個人の財産權として存せしむる今日の賣官制度を然かく確
定の經濟組織なりと思はゞ何が故に統治權を皇帝の利uの爲めに存する財産權として官職を賣買しつゝある支那朝
鮮の如くならしめざるや。
 
 而しながら誤解すべからず、ツラストの經濟的封建制度の一轉して社會主義の經濟的公民國家に至ると云ふ事、
ツラストの時代に小企業家と小資本家との存在する餘地なしと云ふ事ゝは自ら別問題なり。統計は明かにツラスト
の大企業家合同が其れと同業の小企業家を併含し壓倒すると共に、ツラストの餘澤によりて立つ小企業家は其れに
併行して發生し、又大規模によりて生産する能はぎる美術品修繕業等の手工業的小企業家はツラストの勢力範囲の
外に立ちて存在しつゝあるを示し、月給年俸にて雇傭さるゝ精神的勞働者及び賃銀に衣食する肉體的勞働者と雖も
ツラストの株券を買ひ一面小資本家となり得べきを以てなり。故に吾人は社會主義者中の皮相的見解者の如くツラ
ストの勢力を見て直ちに小企業家の存在し得べき餘地なきかの如く信じ、社會の階級的隔絶を直ちにツラストの株
 小企業家と小資本家の尚存在し得べしと云ふ事實とツラストが社會主義に至ると云ふ事實とは別問題なり
劵の悉くが黄金貴族階級に獨占さるゝ者なるかの如く解する
の誠に獨斷論なるを知る。而しながら斯る小企業家と云ふが
如き小さき掠奪者の存在し得べきは恰も封建時代の政刑普及せざるが爲に森林に山賊あり市井に賻徒ありしが如く
黄金大名の目を避けて鼠の如く存する者にして、其のツラストの株主として小資本家たり得べしと云ふが如きは、
恰も封建時代と雖も、土百姓のみに非らず貴族階級に隷屬して掠奪階級を組織せる武士若くは足軽仲間の階級あり
しが如し。若し封建時代と雖も森林に山賊あり市井に賻徒ありと云ふ理由を以て、貴族階級と士百姓の階級とのみ
ならず其間に武士と云ひ足輕仲間と云ふが如き掠奪階級の介在せしと云ふ理由を以て、人類の政治史が封建制度を
以て終局とせざりし事を解するならば、彼の講壇社會主義者なる者が社會主義者中の皮相的見解者を窮迫するに此
の經濟的封建制度の下に於て小企業家と小資本家の存在し得べき餘地ありと云ふを理由として、却て自ら經濟史の
進行を忘却せるが如き失態に陷るは何事ぞ。金井博士と田島博士との著書に於ては此の點よりする非難は見出され
ざりしと雖も、自ら稱して講壇社會主義を主張すと云ふ者の多くは殊に此の點に力を極めて純正社會主義の前に資
抗を試む。京都帝國大學教授法學博士桑田熊藏氏の如き、千山万水樓主人の名の下に讀賣新聞紙上に流麗の筆を揮
つて大に議論せし法學士河上肇氏の如き、『社會問題解釋法』に對して論戰を求めたる一著者の如き是なり。社會
主義は小企業家と云ふが如き小さき掠尊者が尚經濟的諸侯の勢力外に立ちて存在しつゝある現時代に甘んずる者に
非らずして來るべき時代に於ては小企業家をも存在せしめて掠奪せしむべからずと主張する者なり。精神的肉體的
勞働者がツラストの株券を得て一面小資本家の小さき掠奪者として經濟的貴族の下に隷屬して存在しつゝある現時
代に甘ぜず、來るべき時代に於て小資本家をも存在せしめて掠奪せしむべからずと主張する者なり。即ち、經濟的
封建制度の下に於て小企業家と小資本家の尚存在しつゝありと云ふ事は其れだけの事實にして、經濟的階級國家が
歴史的進行の當然として經濟的公民國家に至ると云ふことゝは他の事實にして別問題なり。講壇社會主義者の議論
は經濟史の進行する將來を看る能はずして經濟的貴族國の維持を以て思想の基礎とし、純正社會主義は經濟史の潮
流に從ひて經濟的民主國を理想す。而して今日の權利思想は強力による所有權の主張にあらず。個人的勞働に對す
る個人的分配の正義にあらず。社會が凡ての富の生産者にして凡ての富の所有者たる事は、今日の國家に於ても種
々の法律に於て其の『最高の所有權者』たる事を現はしつゝあるを見るべし。斯く國家が最高の所有者と承認さる
るまで權利思想の進化し正義の理想の向上せる今日に於て尚小企業家と云ひ小資本家と云ふが如き小さき掠奪者の
存在し得べきことを理由として經濟的維新革命を阻害せんと試むるは何ぞや。
 是れ先きに先決問題と云ひしものなり。曰く−−進化論は誤謬にして人類の歴史は經濟的貴族國に止まり地球の
冷却するまで嘗て變ることなきか。
 
 『社會經濟學』と『最新經濟論』とが社會主義に關して傅播しつゝある誣妄は決して以上に止まらず。只だ、吾
人が以上のニ氏を殊更に指定して打破したる所以の者は其の肩書と地位と而して其著書の名聲とが斯る思慮なき讒
誣に光輝を放つものなるを認め、特に半鳥半獸の鵺の如く社會主義の假面を剽窃して被れるが爲めに純然たる資本
家經濟學よりも世を毒する事に於て遥かに甚だしき者あるべきを信じたるが故なり。而して以上の説明に於て彼等
の云爲する所が些の社會主義的傾向だになく『政府社會主義』或は『資本家社會主義』に過ぎざる事を明にし、以
て辨妄の間に於て純正社會主義の本義を經濟的方面に於て或る程度まで示し得たりと信ず。−−純正社會主義は鵺
 鵺的社會主義と純正社會主義
的社會主義の誤解するが如く掠奪階級の地位を轉換せんとする者にあらず、一切階級を掃蕩して
社會が社會の權利に於て社會の利uを圖る者なり。純正社會主義は鵺的社會主義の如く經濟的活
動の動機を壓伏する現社會を辯護するほどに人性につきて無智なる者に非らず、公共心の強盛なる刺激と共に利己
心の障害なき發動によりて驚くべき經濟的活動を期待する者なり。純正社會主義は鵺的社會主義のごとく階級隔絶
を維持して勞働を輕蔑忌避せしむる者に非らず、勞働それ自身を外部的條件の上に置きて絶對に神聖ならしむる者
なり。純正社會主義は鵺的社會主義の如く獨断的不平等論によりて今日の階級的不平等を維持して歴史の潮流に逆
らはんとする者に非らず、同類觀の鋭敏になれる社會進化に應じて社會の進化の爲めに個人性の發展を障害なから
しめんとして物質的保護の平等を圖る者なり。純正社會主義は鵺的社會主義の如く一私人の目的の爲めに爲さるゝ
専制を讃美する者にあらず又國家萬能主義を以て今日の官吏をして生産に係はらしめんとする者にあらず、個人主
義の覚醒を承けて僅少にして平等なる監督者を賢明なる選擧法によりて社會の機關たらしむる者なり。純正社會主
義は鵺的社會主義の誤解する如く微弱なる生産をなし清貧の平分に甘ずる者にあらず又分配論を重要視する者にあ
らず、一切が大生産によりてのみ實現さるゝことを知りてツラストの進化を更に進化せしめツラストに伴ふ凡ての
浪費を去り、資本家間のみの合同を更に全社會の大合同に來らしめ、私人の權利たる生産權を國家の目的と利uと
の爲めにする公權となし、個性發展の競爭と公共心の強烈なる動機によりて全社會を驚くべく富有ならしむること
に在り、而して此の富有は利己的妄動の障害なく犯罪なく盲目の企業なく階級の爭鬪なく恐惶の大破裂なく、經濟
的誘惑を去れる平等の出發點よりする競爭の自由と、智識の遺漏なき廣漠なる普及とによりて發明は更に發明を産
み機械は更に機械を作り、累積して止吉ざる資本は又さらに其累積して止まざる資本を止まずして累積し、今日の
程度を以ては想像し得べからざる速度を以て揄チ又揄チしで無限無際邊に進む−−實に社會の權利と利uとを主張
する純正社會主義は此の社會進化の理想を根本義とす。徒らに政府と資本家との爲めに國家の權利と講壇の神聖を
汚辱して鵺の如く怪鳴する彼等は社會主義と名けらるべき何者をも有せざるなり、鵺的社會主義にとりては經濟的
貴族國は人類歴史の終局にして地球の冷却するまでの制度なり、純正社會主義は進化論の上に立ちて嚴肅なる科學
的基礎によりて推理し明確に社會進化の理想を意識して努力す、斷じて錦繍に包まれたる糞土の塊と混同すべから
ざるなり。
 而しながら社會主義の理想郷に到達するまで資本家階級に對する階級鬪爭の一擧にして勝を制する能はぎるが爲
めに、社會進化の跡が國家社會主義の途を經由するの形を現すや否やは自ら別問題なり。(彼の『社會主義の啓蒙
運動』を見よ。)
 
 
 
 
第貮編 社會主義の倫理的理想
         第 四 章
 
           個人主義の犯罪觀−−先天的犯罪者の多くも祖先の社會的境遇の遺傅なり−−生括の慾望
           と下層階級の犯罪−−犯罪者の多くは家庭に於ける道徳家たらんが爲めなり−−カルカッ
           タの獄に繋がれたる貧民階級−−緊急奴隷權と個人主義の刑法學の矛盾−−高尚なる生活
           の慾望と上層階級の犯罪−−高尚と云ふ文字の内容は今日黄金を以て充塞せらる−−講壇
           社會主義の犯罪觀−−樋口勘次郎氏の犯罪不滅論−−犯罪は病的現象に非らず−−社會良
           心−−進歩の先驅者と犯罪者−−生體の根本的組織の革命と其れに伴ふ必然的現象たる犯
           罪の消滅−−デュルクハイムの承認せる宗教的犯罪の消滅と社會主義による經濟的原因に
           基く犯罪の消滅−−普通良心の鋭敏と刑罰の軽減−−社會良心の進化−−社會主義は餘り
           に多くを將來に期待する空想なりと云ふ先入思想−−重力落下の原則と社會進化−−宗教
           に關する犯罪の時代と社會良心の進化−−強者の意志に反する犯罪の時代と普通良心の進
           化−−生體の組本的組織の革命と犯罪の質の變化−−犯罪の質と數−−偏局的社會主義時
           代の社會良心と社會主義時代の社會良心−−樋口氏は報復主義の刑法論を取る−−社會良
           心の進化と死刑−−法律の時代と道徳の時代−−個性の變異を尊重する社會良心は變異の
           個性を犯罪視する者に非らず−−今日の多くの犯罪は各階級の各異なれる階級的良心と國
           家社會の利uを理想とする良心との衝突なり−−良心の内容の社會的作成−−國家の法律
           は階級的行爲を律するを得べきも社會の道徳は階級的良心を責むる能はず−−獨乙皇帝の
           階級國家時代の良心−−經濟的貴族階級の良心−−裸體に生れたる良心と階級的衣服−−
           貧民階求の良心作成の状態−−一國家一社會内に地方的時代的良心を混在せしむ−−社會
           主義と階級的良心を掃蕩の爲めに革命主義となる−−階級的良心と階級鬧爭−−『人は只
           社會によりてのみ人となる』−−倫理的生物と倫理的境遇−−狼に養はれて獣類に退化せ
           る小兒の事例−−獣類の如く退化する變化性は神の如く進化する變化性なり−−遺傅と境
           遇−−摸倣性の説明−−現代の人は凡て狼の手に養はれつゝあり−−空腹即ち犯罪飽腹即
           ち犯罪と云ふ意味−−社會主義と個人の責任−−思想の獨立信仰の自由あるは其の独立信
           仰を認むる社會良心あるを以てなり−−社會主義の自由論の眞意義−−純正社會主義は個
           人主義の進化を繼承す−−私有財産制と個人主義−−社會主義は赤私有財産制の進化を繼
           承す−−經濟上の獨立と政治上及び道徳上の獨立−−私有財産制度の高貴なる意義と民主
           々義−−經濟的貴族國の現代として政治の自由なく道徳の獨立なし−−現社會に個人の自
           由なきは其の根底たる個人の私有財産なくなれるを以てなり−−社會主義時代には個人は
           他の如何なる個人にも屬せずして社會に屬す−−忠君と愛國−−個人は社會に對する經濟
           的從屬關係より社會の幸福進化に努力すべき政治的道徳的義務を意識するに至る−−賣買
           廢止は亦この理由による−−獻身的道徳の武士道と素町人の利己的道徳との差は經濟的關
           係に於て責任を有すると有せざるとによる−−國家社會に對する經濟的從屬關係より國家
           社會に對する獻身的道徳を生ず−−個人社會と社會主義とを混同しつゝある奇觀
 
 以上、吾人は社會主義の實現による經濟的進化によりて貧困の消滅すべきことを説きたり。本編に於ては更に社
會の道徳的進化によりて犯罪の消滅を論ずべし。
 
 個人主義の犯罪觀
 吾人は先づ個人主義の犯罪觀を排斥せざるべからず。固より刑法學者によりて體質犯と命名せ
られたる種々の生理上の病的原因に基く犯罪、又は酒精中毒の爲めに不徳に抵抗する意志の薄弱
による犯罪、又は父母の犯罪的傾向の遺傅による犯罪の如きは、其の犯罪者其者に原因の存するを以て、個人を犯
罪の責任體となす個人主義の刑法學は或る程度までの理由を有す。而しながら斯る一局部の者を捉へて犯罪人には
凡て先天的特質ありとして無用なる方面に研究の力を注ぎし時代は過ぎ去りて、今や犯罪は殆ど全く社會の必然的
現象なりとして取扱はれつゝあり。而して其の體質犯と云ふ先天的特質の犯罪者と雖も、犯罪者が某の犯罪的特質
 先天的犯罪者の多くも祖先の社會的境遇の遺傳なり
を先天的に有するは其の父母若しくは其の祖先が或る特殊の境遇若しくは社會的壓迫
の下に在りて陷りたる犯罪的傾向を遺傅するに基くと解せらるヽに至れり。固より吾
人は犯罪が社會の必然的現象なりと云ふ理由を以て、意識の主體たる個人の責任を悉く無視する者に非らずと雖も、
十九世紀の始めより犯罪の驚くべく揄チせる事實は、社會進化の一過程として社會組織其者の革命さるゝより外責
任を間ふべき何者をも見出すべからざるべきを思ふ。辯護を天職とする學者の解釋としては是を以て或は人口の
加に歸し、富の攝Bに歸し、或は犯罪發見に關する司法機關の精微に赴きたる結果に歸すべし。然しながら司法機
關の精微に比例して犯罪の巧妙を加へ、人口の揄チ、富の揄チに比例して犯罪の揄チすと云ふが如きは現社會が或
る進化の斷崖を走りつゝある故なるを解せざるが爲めにして、實は揄チせる富が精微なる司法機關に護られたる或
る階級に壟斷せられて揄チせる人口は某の凍餓を免かれんが爲めに巧妙なる犯罪を爲しつゝありと云ふことが多く
の理由なり。人は生物なり。生物は生活の慾望を有す、何が爲めに生活の慾望を有するかの如き問ひは、何が爲め
 生活の慾望と下層階級の犯罪
に生物たりしかと云ふ答への與へられざるかぎりに於ては吾人の知り得る所に非らずと雖も、只
人は生物として生活の慾望を有することは事實なり。生活の慾望の爲めには空腹裸體なるべから
ず。人は此の生活の慾望を有する生物としての第一の慾望の爲めに、さらに高尚なる生物として生活すべき第二第
三の怒望が壓伏さるゝを以て犯罪に陷るを餘儀なくせらる。空腹即も犯罪と云ふことは社會主義者中の皮相的見解
者の信ずる如く凡ての説明たり得べき者に非らずと雖も、社會の下層階級より出づる殆ど凡ての犯罪者ほ實に全く
此の經濟的缺亡に原因するなり。
 否!彼等は家庭に於ける道徳家とならんが爲めに社會の犯罪者となる。一切の動物界に於ても一匹の生物其者
 犯罪者の多くは家庭に於ける道徳家たらんが爲めなり
が生存競爭の単位に非らざる如く(次ぎに説く『生物進化論と社會哲學』を見よ)、今日
の激烈なる經濟的生存競爭の社會に於て單位たる者は實に家庭なり。鴉が惡童に某の
雛を奪はるゝ時に如何に鷲の如く狂ふかを見よ。可憐の雉子が鼬に其の卵を襲はるゝ時に如何に闘鷄の如く鬪ふか
を見よ。本來菜食動物に生れて最も柔和なるべき人類と雖も、其の妻子の愛の故に狠の如き純然たる肉食獸と化し
去る。−−實に社會の犯罪者の多くは家庭に於ける道徳家たらんが爲めなり。社會主義の倫理的理想は固より之れ
を是認せず。然しながら國家の我利の爲めには人類の幸福、世界の平和を無視し、外交を以て欺くも兵力を以て侵
略するも貿易の名に於て掠奪するも、是れ國家の道徳なりと云ふマキアべリズムが帝國主義の名に於て主張されつ
ゝある今日に於ては、若し彼等犯罪者の或者にして余は小さき帝國主義者として讃美きるべき榮譽を有すと云はゞ
如何にする。今日、吾人は空氣を掠奪して相爭はず、然るに昔時カルカッタに於て殘虐なる印度王に捕へられたる
百人の英人が一小孔によりて辛うじて空氣を通じ得る牢獄に繋がれなる時、缺亡の壓迫は終に充分に道義ある人士
のるなりしに拘らず、其の一小孔より空氣を吸入せん事を爭ひて相殺傷せしむるは至りしと云ふ。是れ何ぞ印度の
 カルカッタの獄に繋がれたる貧民階級
昔噺ならんや現今眼前に存す。都會の膨脹と共に一方に城廓の如き障壁を繞らし森林の如き
花木によりて新鮮にせられたる空気を占有しつゝあるに拘らず、九尺二間の豚小屋の中に於
て、腐敗と熱氣の流通せざる空氣の爲めに如何に無數の小兒が窒息して殺されつゝあるかを見よ。都會の小兒死亡
の統計は明かに之れを語る。若し個人主義者にして空氣の缺亡の時に於て相殺傷せるカルカッタ獄中の英人を絞殺
に處すべしと主張せざるならば、吾人は實に此の空氣の如く充滿せる富の中に於てカルカッタの獄に繋がれたる貧
 緊急状態權と個人主義の刑法學の矛盾
民階級の一錢の窃盜をも羅織して縛せんと迫る繩の説明を要む。今日の刑法と刑法學とは緊
急状態權を認むるに非らずや。若し其の緊急状態權の説明として希臘にありし例なりよして
引用さるゝ、船の覆沒の時に於て一人が他の一人の據りて浮べる木を奪ひて溺死せしめたるも緊急状態なりとして
寛假さるゝならば、而して妻子父母の溺死を救はんが爲めにも其緊急状態權の擴張されたるならば、吾人社會は社
會の制度によりて下層階級を不断の緊急状態に落し置きながら、尚且つ軍艦より一片の木片を盗みて溺死を免かれ
んと悶へつゝある如き難破者に對して、個人主義なる者の犯罪を呼ぱゝるに何の理由を以てするや。斯くの如くに
して彼等は其の家庭を維持する能はず破壞の斷片となりて終に自暴自棄の再犯三犯となり、而して其の小さき斷片
は所謂將來恐るべき惡童となりて次代の犯罪者として待つ。
 高尚なる生活の慾望と上層階級の犯罪
 上層階級の犯罪と雖も然り。人は生物として生活の慾望を有す、而しながら人はプラトー
の謂へる如く單に生活するのみならず更に高尚なる生活に至らんとする傾向的生物なり。然
るに元來此の内容無き高尚と云ふ語の中に、今日充塞せられたる者は黄金のみなり、黄金の時計を有せざれば醫師
は病者の信頼を失ひ、黄金の眼鏡を持たざる學者は其の學説の價値を保つ能はず、單に排泄作用を營むに過ぎざる
一塊の腐肉も黄金の後光を帶びては旦那樣として崇められ、ホッテントットの部落に於てのみ第一流の美人も黄金
の指環を有すれば乃ち令嬢として其の斗大の臀後に擾々たる戀慕者を引率するを得るなり。高尚と云ふ語の内に含
 意尚と云ふ文字の内容は今日黄金を以て充塞せらる
まれたるプラトーの内容は全く驅逐せられて黄金が全部を占領せり。斯くの如き今日
に於て、下層階級が生活すべき黄金を得んが爲めに犯罪者となる如く、上層階級が高
尚なる生活を爲さんとして又等しく犯罪者となるは論なき事に非らずや。窮迫に陷れられて犯罪者となるも、誘惑
に圍繞せられて犯罪者となるも、其の犯罪者こそ薄倖なる犠牲にして社會は社會の必然的現象として自己の責任に
顧みる事を要す。善良なる境遇に置かるれぱ下層階級より強窃盗を出さゞる如ぐ、詐欺収賄賣節の如き犯罪が決し
て上層階級より産るゝの理なし。學者が其の眞理を黄金に沾りて生活せざるべからざるが爲めに更に高尚なる生活
を爲さんとして黄金の前に眞理を曲けて高く沾るに非らずや。官吏が其の地位によりて得る黄金を以て生活せざる
べからざるが爲めに、更に高尚なる生活を爲さんとして其の地位を届き黄金に沾りて賄賂を貪るにあらずや。憲法
によりて現在の地位は保證せられて生活の憂ひなき司法官と雖も、現在より高尚なる生活を營まんが爲めに私曲に
誘はるゝは避くべからざる事なり。遊廓に育てられたる子女が貞操を解せずと云ふ如く、黄金に埋沒さるゝ銀行員
の詐取費消等は、高尚なる生活を營まんが爲めとすれば阻むべき途なし。今日の政治業者なる者が學識才能文章論
辯等によりて立つ能はすして、投票を買収すべき黄金によりて代議士の椅子を得、其の得たる椅子も黄金によりて
得べき車馬、壯大の邸宅によりて飾らざるべからざる時に於ては、例へ彼等の奉ずる資本家經濟學の自由競爭によ
る物價下落の原理を以て一頭百金の市價は聊か噴飯に値すと雖も、高尚なる生活を營まんとする傾向的生物なりと
云へる希臘の哲學者は止むを得ざることなりとして看過すべし。−−個人主義の刑法學は斯く窮迫に陥れられたる
下層階級と誘惑に圍繞せられたる上層階級とに向つて、意志自由論の獨斷的假定を挾んで徒らに個人の責任を呶々
する者なり。
 
 講壇社會主義の犯罪觀
 個人主義の意志自由論の今日に於て科學的批評に堪へざることは事新らしく説くの要なし。然
しながら意志自由論の根據なきこを知悉せる講壇社會主義者なる者にして社會主義の倫理的效し
果を解せざるに至つては誠に思考すべからざることなり。吾人は茲に其の例として講壇社會主義者中の倫理的方面
に研究の力を注ぎつゝある名聲ある一教育學者樋口勘次郎氏を指定すべし。其の『教育家と國家社會主義』と云ひ、
『國家社會主義新教育學』と云ひ、『國家社會主義教育學本論』と云ひ、皆嚴肅なる理論の上より社會主義の犯罪絶
滅を期待しつゝあることを以て純然たる空想なりと論ぜり。吾人は嚴肅なる理論の上より犯罪絶滅の必ず社會主義
の實現によりて期待さるべきを信ずる者なり。誠に其の『國家社會主義新教育學』中に於て氏の論ずる所を掲げし
めよ。
 樋口勘次郎氏の犯罪不滅論
 『社會的事實の病的なるか否かを知らんは斯くまでに複雜にして困難なるを、往々にして簡單
なる演繹論法によりて輕々しく斷言するは癖事なり。之れが爲めに同じ事實を或者は病的とし或
者は正的とし何れとも區別し難く議論の絶えぬこと甚多し。
 『例へぱ彼の犯罪の如き、明かに病的現象の如く見え、多くの刑法學者亦然りと爲す者の如し。されどデュルク
 犯罪は病的現象に非らず
ハイム教授は(其の數の或る範圍を超えざる限りは)健康状態なるを論じて曰く、『刑罪は啻に一
種の社會に現はゝるのみならず、あらゆる社會の或る程度に於て見らるゝ現象なり。其の形状に
は變化あり。されど罪惡として取扱はれ、刑罰の下に置かるゝ所爲は何れの社會にも之れあり。若し社會の高等に
進むに從ひて人口と刑罪との比例が少なくなり行くならば、罪惡は今假りに常態とするも、次第に其の性質は變し
行く事例へぼ宗教的信仰の如き者なりとするを得ん。されど吾等は此の想像を確かむる一理由だも有せず、否寧ろ
其の反對の方面に向はしれる事實却て多し。吾人は統計によりて十九世紀の始めより刑罪の進行を觀察するを得る
が、各國共に某の數を揄チせざるなし。佛國に於ては凡そ三百パーセントの揄チなり。天下何れの所にか此れにま
したる普通性を現はせる現象あらんや。啻に普通なるのみならず、其の數を揄チし行くは、社會の組織内に於て他
の現象との關係上必然の結果なるによらざらんや。刑罪を社會的疾病となすは、病氣の偶發性の者にあらずして、
生體の根本的組織より發生することあるをも許すなり。此れ生理と病理とを全く混同することなり。勿論刑罪の變
體を呈するをあるべし。例へぱ其の數の非常に多き時の如し。罪人の過多なるは健康なる社會に非らざるべきや疑
ふべくもあらず。只或る數まで達し而して之を超過せざる程度に於て罪人に存することは之を尋常のことゝせざる
を得ず。而してこの割合は各社會につきてのみ決定するを得べし、斯く云へぱとて刑罪の心理的若しくは生理的に
變體なるをば滸さゞるにあらず。罪人個々を取りて見るときは病的なり。其の社會現像として一定數まで現はるゝ
ことは病的にあらず』と。
 『斯る結論は一見奇矯に感ぜらるべしと雖も、聊か考慮を費やす時は其の人生の缺陷に出づるは止むるを得ざる
結果なるのみならず、公共衛生の爲めに缺くべからざる現象にして健康なる社會の必要なる要件の一なるを知るに
足るべし。第一、刑罪は如何なる社會も之れを免かるゝ能はぎることなれば之れを常態とせざるを得ず。前諸章に
於て道徳上の罪惡を社會の公共良心を犯すより成立するを明かにせり。豈に道徳上の罪惡のみならんや、刑法上の
罪惡も亦然り。刑法は道徳的良心の保護者なり。されぱあらゆる社會に此の罪惡なからしめんには、全會員が一樣
 社 會 良 心
なる良心と又これに服從する傾向とを有せざるべからず、されども若し現在社會の良心が、今入
り込み居らぬ人々の心を開きて入り込み、若しくは今までの感じの弱かりし者に弱く感ぜられん
には、從前よりは強き者、鋭敏なる者とならざるべからず。殺人犯の無くならんためには、血を見るを忌むの心が
今まで殺人犯を爲したる社會の層の中に浸み込まさるべからず。其れが爲めには全社會の道徳感情の強くなるを要
するや明かなり。且つ殺人犯が減ずるときは減ずるほど一級の良心の殺入犯を見るu々酷なるに至るべし、されば
是と同時に今日さまでのことゝ思はれざりし罪惡が鋭敏に感ぜられて、前きに殺人犯が與へしと同じ感覺を與ふる
に至るべきなり。強盗も窃盗も同じく他人の財産を尊重するの感情を犯す者なり。されど強盗は惡事と感ずる者の
尚窃盗はさまでに感ぜざるがあるべし。他人の財産を犯すを惡しとする感情の愈々鋭くなりて強盗の減少するに從
ひ窃盜を惡と感ずる者は揄チし行くべきの理。最初輕罪として扱はれたる窃盗が前よりは重き罪に問はるべきは自
然の勢。野蠻社會を見よ。我等の社會にては重罪に問はるべきことの日常に行はれて世の責罰を免かるゝを。同じ
社會につきても世の進むに從ひて輕き罪を重く見るに至り、同じ時代の中に於ても、又種々の階級、小社會の中に
は各異なれる良心ありて、政治社會にては罪とならざることの教育社會にては罪となること多し。何れの社會にて
も罪の絶えざるはこれが爲なり。
 『抑々人は遺傅を異にし、體質を異にし、傾向を異にし、境遇を異にするを以て、全く同一の感情を有せんこと
は想像し得べからず。既に其の間に多少の相異ありとせぱ、必ず普通良心の命ずる所に從はぎる者の出づるを免か
れ難かるべし。而して其の僅微なる犯罪も次第に強き感情を生ずるに至るべけれぱ、罪人は終に絶ゆる時無かるべ
しと云ふなり。
 『是れに依て之を見れば罪惡は社會に必然なり。凡ての社會生活の諸事情と結合して離るべからざる關係を有す。
故に其の適度に現はるゝことは恰も婦人の月經の人身に有uなる如く、社會に對しで有uなりとせざるを得ず。
 『人間社會の道徳は次第に進化する者にして、此の進化は社會全般の進化に對して必要なるが此の道徳の進化あ
 進歩の先驅者と犯罪者
らんためには道徳の根底に横たはれる社會良心の極端に強からざるを要す。何となれば、若し社
會の良心が常に嚴重にして聊か之れに達ざかれる者をも壓抑せば此處に變遷なく又進化なかるべ
けれぱなり。凡ての組織の保守的勞カありて改革に妨害なる事は前にも之れを言へり。實に過酷なる社會良心は却
て社會を停滞せしむるを免かれず。詳言せぱ一人の罪人も出づる餘地なき社會は其の社會良心の權力強大なるの證
にして、誰も之れに觸るゝを肯ぜざるべし。從て社會進歩の途も杜絶すべきなり。或る社會の進歩せん爲めには個
人の特性の發揮せらるゝを要す。ソクラテスの道徳界に出で、ガリレオの物理界に出で、ルーソーの哲學界に出で、
ルーテルの宗教界に出でんためには、社會の智識に若干の「ゆるみ」あるを要す。此の「ゆるみ」は一方に水平以
上の罪人たる進歩の先驅者を出すに必要なると同時に、他方には進歩の殿騎なる水平以下の罪人を伴ふは止を得ざ
るの結果と云はざるべからず』。
 生體の根本的組織の革命と其れに伴ふ必然的現象たる犯罪の消滅
 吾人は、犯罪を以て社會的疾病の偶發性の者に非らずして生體の根本的組織
より發生する者なりと云へるデュルクハイムの言を全き眞理と認むる者なり。
−−故に吾人は犯罪を現社會の組織に伴ふ必然的現象となし社會主義を以て生體の根本的組織より革命せんと企圖
す。然しながらデュルクハイムより演繹して犯罪の永久に絶ゆるの期なしと推論せる樋口氏の主張を全く否む者な
 デュルクハイムの承認せる宗教的犯罪の消滅と社會主義による經濟的原因に基く犯罪の消滅
り。デュルクハイムが社會の高等に進むに從ひて人口と刑罪との比
例が少なくなり行ぐならぱ罪惡は今假りに常態とするも次第に其の
性質の變じ行くこと例へぼ宗教的信仰の如き者なりとするを得んと云へるは吾人の主張せんとする所なり。−−故
に吾人は宗教的信仰に係はる犯罪の消滅せるが如ぐ今日の經濟的競爭に基く犯罪の消滅すべきことを社會主義に於
て期待す。而しながら其の爲めに普通良心の鋭敏を加へて今日の窃盗が強盜の刑罰を以て取扱はるべしと云へる樋
 普通良心の鋭敏と刑罰の輕滅
ロ氏の議論を全く否む者なり。殺人犯の無くならんためには血を見るを忌むの心が今まで殺人犯
をなしたる社會の層の中に浸み込まざるべからずと云へる樋口氏の議論は社會の進化として正當
の推理なり、而も血を見るを忌む所の普通良心が其の鋭敏になれるが爲めに今日血を以て罰せざりしことにまで血
を以ですべしとは理由なき臆斷なり。我等の社會に於て重罪たるべきことが野蠻社會に於ては平常に行はれて責な
しと云へる樋口氏の事實は固より事實なり、而も吾人の社會に於て罪とならざることの野蠻社會に於ては峻酷なる
刑罰を以て問はれつゝあることは亦注意すべき事實なり。樋口氏の罪惡を指して社會衛生に必要なること婦人の月
經の如しと云へるは價値なき比喩の玩弄に過ぎずと雖も、普通良心より惡人を以て遇せられたる卓越せる個性が社
會を進化せしめ又進化せしむべきことは吾人の充分に認識する所なり。而も民の指示せるソクラテスと云ひ、ガリ
 社會良心の進化
レオと云ひ、ルーテルと云ひ、其の宗教的信仰に背反したるの故を以て罪惡視せられたるは個人
性を蹂躙するを不可とせざる偏局的社會主義時代の普通良心なりしが爲めにして、個人主義の覺
醒を承けて社會良心が個人性の變異を尊重する今日及び今後に於てはデュルクハイムの所謂『罪惡は今假りに常態
とするも次第に其性質を變じ行くこと宗教的信仰の如き者なりとするを得ん』と云へる如くなるべきを考へざるべ
からず。氏は犯罪の數と質とを無視し、道徳と法律とを無視し、而して普通良心の進化を無視す。
 豊富なる學識を有する樋口氏の如きに向つて斯る重大なる雖を無視せりと云ふが如きは誠に道徳現象の専攻者た
る名譽に對して甚しき非禮たるを免かれず。而しながら是れ敢て氏の罪に非らずして過て講壇社會主義の誘惑に陷
れるが爲なり。講壇社會主義の純正社會主義に對抗しつゝある旗幟は實に『社會主義は餘りに多くを將來に期待す
 社會主義は餘りに多くを將來に期待する空想なりと云ふ先入思想
る空想なり』と云ふ一語に在りとす。−−あゝ空想! 社會主義は空想なりと
云ふ先入思想の全社會に蔓延せるは、實に吾人社會主義者に取りて政府の迫害
よりも學者の讒誣よりも最も頑強なる敵なりとすべし、而して講壇社會主義なる者は此の先入思想に誤られて生じ、
此の先入思想に油を灑ぐことを以て任務とす。−−吾人が講壇社會主義を以て純正社會主義の當面の敵として斷じ
て思想界より驅逐せんと欲する所以の者は實に此の社會主義は空想なりと云ふ旗幟の飜れるを以てなり。何をか憚
 重力落下の原則と社會の進化
からん−−重力落下の原則が物理界に行はるゝ如く社會に行はるゝ事を信ぜぱ、何ぞ過ぐる一世
紀間の進歩は中世暗Kの一千年間に優ることを忘却するや。胎兒の九ケ月間は十億萬年の生物進
化の歴史を繰り返へし、文明國の兒童は二十歳にして六千年の文明を經歴す。社會主義は過去無意識的進化の蠕動
的進動に放任する者にあらず。吾人は明かに告けん、社會主義は實に驚くべき多くのことを社會進化の理法に随ひ
て將來に期待する者なり。而して最も近き將來の期待は先づ『貧困』と『犯罪』とのニ事だけを社會より消滅せし
むることに在りと。講壇社會主義を奉ずる經濟學者が講壇社會主義の爲めに誤られて貧困を人類と共に存する永遠
不滅の者なりと信ずる如く、講壇社會主義を奉ずる樋口氏は其の倫理學を講壇社會主義の爲めに誤られて犯罪を地
球の冷却するまで存する永遠不滅の者なりと解す。−−由來講壇社會主義なる者は表皮を科學的研究の名に飾りて
根本思想は進化論以前の者なり。
 實に、進化論の思想によりて社會進化の跡を見よ。犯罪は數に於て尚殘るも質に於て消滅せし者多く、法律は漸
時に其の範圍を道徳に譲り、普通良心は社會の進化と共に進化せり。例せぱ、宗教的信仰によりて社會の組織せら
れたる時代に於てはデュルクハイムの言へるが如く宗教的犯罪は當時の社會の常態にして、今日の野蠻社會が吾 
 宗教に關する犯罪の時代と社會良心の進化
人の社會に於て罪とならざる噴飯すべき偶象、愚を極めたる祭禮に對する些少の違非をも
虐殺しつゝあるが如くなりき。樋口氏の舉示せしソクラテス、ガリレオ、ルーテルの如き
が當時の社會良心より犯罪視せられたる如き是れなり。然るに今日は宗教によりて社會の組織さるゝに非らざるが
故に、デュルクハイムの謂へるが如く其の生體の根本的組織より發生する宗教的犯罪は無くなれるにあらずや。而
して宗教的信仰に對する社會良心は大に進化して違警罪によりて制裁さるゝ婬祠邪教を外にして異教徒無宗教者を
直に犯罪者(法律上及び道徳上)と認めざるに至れるに非らずや。強力が凡ての道徳法律の源泉として社會の組織
されたる時代に於ては強力者の意志に背反する事が犯罪なりき。佛國革命以前及び組織革命以前の階級國家時代
(階級國家の意義につきて後の『所謂國體論の復古的革命主義』を見よ)に於て皇帝若しくは貴族の意志に反する
事は直ちに社會良心より犯罪を以て目せられ、梟斬絞磔の刑罰を以て臨まれたるが如き是れなり。而しながら當時
 強者の意志に反する犯罪の時代と普及良心の進化
の貴族階級諸侯階級は全く存在の意義を異にせる痕跡となりて殘り、國土及び人民の所
有者たりし各國皇帝も國家機關となりて内容を一變せる今日の公民國家に於ては(凡て
後に説く所を見よ)、貴族諸侯の意志に反するを以て罪せられたるが如き犯罪は全く消滅し、其の存する不敬罪の刑
法と雖も決して強者たる皇帝の權を維持するが爲めに非らずして國家の利uの爲めに國家が國家の機關を保護する
制度として全く別意義の者となれるに非らずや。彼の獨乙皇帝が佛國軍命の如く中世史と近世との截然として區劃
されざりしを倖ひとして自己の虚榮心の爲めに國家の制度を曲用し年々無數の不敬罪犯人を作りつゝあるも、獨乙
國より進化せる米佛等に於ては斯る強者の權に基く犯罪は存せざるに非らずや。而して社會良心も大に進化して強
者の意志に背反する者あるも或る場合を除きての外は決して犯罪者(法律上及び道徳上)として遇せざるに至れる
 生體の根本的組織の革命と犯罪の質の變化
に非らずや。−−實に生體の根本的組織の革命さるゝ毎に其の或組織に伴ふ必然的現象た
る犯罪は其の質を變じ行くこと斯くの如くなるを見れば、今日の經濟的階級國家が其の根
本的組織を社會主義によりて革命されたる後に於て獨り今日の經漓的原因を中心とせる犯罪の消滅せざるの理あら
んや。彼の『社會主義評論』の河上肇氏が今の社會主義者を評して人の經濟的慾望に限りある者なるかの如く速斷
すとなして今日の經濟的犯罪の絶滅を期待する社會主義を難ぜる如きは、向上的生物たる傾向の鋒が現時の經濟的
競爭の爲めに經濟的方面に現はれたるに過ぎざるを考へざる淺見なり。
 犯罪の質と數
 樋口氏の推論は尚維持さるべき餘地あり。即ち、犯罪は質に於て社會組織の革命と共に變ずと
し、今日の經濟組織の革命されたる後に於て今日の經濟的犯罪は消滅すとするも、人は遺傅、體質、
傾向、境遇を異にするを以て皆一樣の良心を有する者に非ざるべく、從て其の良心に随はぎる所の犯罪者は永久に絶
えざるべきを以て數に於て存すべしと云ふ事なり。而しながら是れ社會良心の進化と云ふ事を忘却せるが爲めなり。
若し今の科學的社會主義にしで佩人主義の革命を承けて個人性の權威を尊重すべきを知らざる偏局的社會主義の如
 偏局的社會主義時代の社會良心と社會主義時代の社會良心
き者ならば、偏局的社會主義の社會良心によりて遺傅、體質、傾向、境遇、を異に
せる個人は直に犯罪者として取扱はるべし。即ち宗教革命の名に於て個人の權威が
認められざりし以前の凡ての大思想家が迫害されたる如き是なり。今日宗教的信仰に對する社會良心が大體に於て
個人の自由を信仰に認むるに至れるを知れるならば、來るべき社會主義の時代に於て社會良心が退化して羅馬法王
時代に逆倒するが如き事を想像し得べきや。特に樋口氏が社會良心の鋭敏に進む事より誤解して、今日輕視された
る罪も鋭敏になれる社會良心を以て今日よりは重く罰せらるべしと云へる如き、單に理論としても、今日の鋭敏な
 樋口氏は報復主義の刑法論を取る
らざる社會良心を以てすら輕視する者を鋭敏になれる社會良心が重刑を以て報復すと説くが如
きは矛盾の甚しき者なるのみならず(是れ某思想中に報復主義の刑法論を混在す)、社會良心の
鋭敏になれるが爲めに刑罰を加ふるに堪へずして刑法の如き單に犯罪者を社會より隔離するに過ぎざるに至れる事
實を無視する者也。例を死刑に取りて見るに、實に刑法學者の言ふが如く人を殺し得る凡ての方法を以てしたり。
 社會良心の進化と死刑
猛獸に喰はしめしもあり、鰐魚と鬪はしめて殺せしもあり、象に踏み殺さしめしもあり、羅馬の
如きは數種の虎狼を飼養して犯罪者と鬪はしめ市民の最上の娯樂たりき。日本の如きも絞あり、
斬あり、梟あり、鋸引あり、火責あり、水責あり、車裂あり、牛裂あり、釜煎あり、磔あり、.火焙あり。其の磔の
中にも手足を縛し直立せしめて殺すあり、逆倒して數日間弄殺するあり、板に横臥せしめで大釘にて手足を打ち面
を剥ぎて漸時に殺すあり。其の火焙の中にも二本の青竹の上に魚の如く横へて焙るあり、織田信長の吾妻踊と名け
て歡べる雀躍して火中に死せしむるあり、其の火刑の火を罪人の妻子をして燃やさしめし殘忍もありき。體刑の如
き今日支那と土耳古とを除きては各國凡て存せざる所なるに、眼をゑやり耳を斫り、鼻をそぎ、陰部を去りし如き
殘忍ば近き以前まで平常の輕罪なりき。今日、怠納處分として濟むべき事も僅か一百年前の徳川氏の貴族國時代に
於では、水籠、簣卷、木馬、等の苦痛を加へ嚴寒に老親幼兒と共に一家凡て水牢に入れ膝を沒して立たしめし酷刑あ
りき。斯くの如きは一例に過ぎずと雖も、體刑の廢滅に歸し死刑も絞臺若しくは電氣等の方法により可成的苦痛を
去るに努めつゝあるに見れば樋口氏の如き推理は誠に原因結果を顛倒せる者なり。佛國にて一八一〇年に死刑たる
べき罪百五十種ありしに今日は二十二種に減少し、英國にては一八七〇年に死刑たるべき罪ニ百七十種ありしも今
日は最も重大なる者のみ三種を殘し、而も各國殆ど悉く特赦權を以て刑の執行をなすこと無くなれりと云ふに見よ。
斯く身體に加ふる外部的苦痛なく、其の自由を剥奪し、勞働を賦課する刑罰も罪人に苦痛を與ふることが目的に非
らずして社會より隔離せんが爲めにする餘儀なき方法なりと解せらるゝに至れるは社會良心の大に進化せる所以に
 法律の時代と道徳の時代
して、外部的強迫力によりて道徳を勵行せる法律の時代(即ち他律的道徳時代)が漸時に道徳の
維持を内部的強迫力即ち良心の制裁に移す道徳の時代(即ち自律的道徳時代)に進化しつゝある
ことを示す所以なり。社會良心の進化して鋭敏となることは吾人樋口氏と共に充分に認識する者なりと雖も、其の
鋭敏となれる社會良心は犯罪者に刑罰を加ふるに堪へざるに至るべしとして推論さるべて、今日棄却されたる報復
主義の刑法論を以て犯罪者の上に鋭敏に逆比例する酷刑を以て反撃すべしとは想像すべからざることなり。社會の
 個性の欒異を尊重する社會良心は變異の個牲を犯罪視する者に非らず
進化を認め道徳の進化を認むるならば普通良心の進化を認めて其が個性の變異
を尊重する所の普道良心たることを認めよ。二十世紀に實現さるべき社會主義
の前に中世暗黒時代の社會専制國家萬能の偏局的社會主義の過ぎ去れる者を以て非難の矢を番ふとは何事ぞ。樋口
氏は只講壇社會主義の倫理的方面の代表者の如き觀あるが故に指定したるに過ぎずと雖も、斯る思想はダーヰン以
後の者にあらずして濱の砂の如く盡きじと云ひし石川五右衛門の哲學系統に屬する者なり。(尚『生物進化論と社
會哲學』に於て死刑淘汰の刑法論及び生存競爭の意義を論じたる所を見よ)。
 今日の多くの犯罪は各階級の各異なれる階級的良心と國家社會の利uを理想とする良心との衝突なり
 吾人は信ず、今日の多くの犯罪は寧ろ各階級に各異なれる階
級的良心と國家主義社會主義を理想とする良心との衝突なりと
 之を以ての故に階級的社會に對する根本的革命の社會主義あり。法理的見解よりすれば佛蘭西革命以來、鮭新革
命以來の國家は中世史までの如く階級國家にあらず、目本天皇と雖も國家の一分子たる點に於て他の分子たる國民
と同樣に強盛なる愛國心を有し、愛國の良心に於ては階級的差等なし。而しながら之を經濟的方面より見れば國家
の内容は階級的にして經濟的諸侯階級、經濟的武士の階級、經濟的土百姓の階級に分れ從て各階級各々異なれる階
級的良心を以て相對立す。−−故に今日の犯罪は國家社會が國家社會の利uを害する良心及び行爲に對して命名し
つゝある所にして、各階級より見れば階級的良心が國家主義社會主義の良心と相背馳すと云ふことなり。即ち、今
日の經濟的原因を中心とせる上層階級及び下層階級の凡ての犯罪は其の經濟的階級國家なるが爲めに經濟的階級を
異にせるより異なる各階級の階級的良心が國家社會の法律道徳より犯罪として取扱はるゝなり。例せぱ國家の法律
は貧民階級の強窃盗を犯罪として所罰しつゝありと雖も貧民階級の階級的良心は恰も貧民教育に從事する者が強盗
の暃惡なるを解せざる兒童を發見すと云ふが如く然かく良心に背反せる罪惡にあらずとし、社會の道徳は地主資本
家階級の驕奢貪慾を背徳として指弾しつゝありと雖も地主資本家の階級良心は然かく良心に苛責さるべき非道とせ
ざるが如き是れなり。
 良心の内容の社會的作成
 由來、良心とは單に道徳的判斷を意識する本體と云ふだけのことにして其の内容は些少なる遺
傳的傾向を除きて全く空虚なる者なり。即ち判斷する所の意識は先天的の者なりと雖も如何に判
斷すべきやと云ふ内容は全く後天的の者なり。而して其内容は後天的に社會より受くる道徳的訓誨、即ち父母の形
に於て投射せられ模倣さるゝ社會的慣習、家庭、近隣、學校、交遊、書籍等を通じて現はるゝ社會的智識によりて
形成せらるゝ者なり。即ち、個性の變異を外にして其の個人に影響するだけの社會的境遇に存する社會良心により
て凡ての良心は形成せらるゝなり。而して現今の社會國家は法律の上に於てのみ一社會一國家なりと雖も、經濟的
實質に於ては無數の階級的層に割裂せるポ爲めに、個人は各階級内の個人として存し、各階級内に存する階級的良
 國家の法律は階級的行爲を律するを得べきも社會の道徳は階級的良心を責むる能はず
心を以て其の良心となすの外なくり從て、國家主義社會主義の理想を行
爲の上に規定しつゝある法律よりしては所刑するの理由ありと雖も、良
心の背反を以て始めて罪惡とする道徳の上よりしては其の階級が良心の背反したる場合の外道徳上の責任を責むる
能はざるなり。故に國家主義社會主義の倫理的理想より見れば、彼の獨乙皇帝が朕と稱して噴飯すべき驕慢暴戻を
 獨乙皇帝の階級國家時代の良心
極めたる壓制とは國家に對する叛逆にして社會の利uを害する罪悪なりと雖も、中世階級國家時
代の階級的良心を惰力として繼承しつゝある者なりとせば其の行爲の如何に係らず彼の良心につ
きて道徳的責任を問ふ能はず。何となれぱ空虚を以て産れたる彼の良心の内容には、皇帝は國家の利uの爲めに存
すと云ふ愛國心なく、國家は皇帝一人の利己心を滿足さすべき手段として存すと云ふ中世時代の國家觀、朕は天な
る神より蒼々たる朕の臣民を附與せられたる神聖不可侵なる者にして脱糞などを爲す人類以上の者なりと云ふ君主
觀を注入せられ、便侫迎合の宮廷的慣習、奴隷的道徳の社會良心より涌出する皇帝陛下萬歳の聲と、及び宦官的法
律學者、假へばザイデルによりては國家とは國土及び人民の事にして君主は國家の外なる空中にぶら下り居る者な
りと教へられ、ポルソハックによりては國家とは君主の別名にして國土及び人民は地球に存在する者に非らすと教
へられ、全く其の良心を中世の者に形成せられたるが爲めに、近代の社會國家よりして其の良心に背反せざる行爲
なるに係らず罪惡視せらるゝなり。資本家地主階級の經濟的貴族と雖も然り。彼等は中世史の貴族が凡ての土地と
 經濟的貴族階級の良心
人民とを自巳の目的の爲めに存する者と考へて誅求苛歛を恣にしたる如く、勞働者と小作人は黄
金大名階級の榮華を築かんポ爲めに世に産れたる人類以下の者なりと考ふるが故に餓孚の途に横
はるをも顧みずして掠奪を逞うし、而して經濟的武士の階級とも云はるべき政治家事務員等の誠忠に奉戴せらるゝ
ポ爲めに恰も往年の土百姓を下等人種と考へたる如く一般階級の上に貴族として驕慢を極むるなり。故に彼等の行
爲は國家社會の立場より見て殘忍たり得べきも、良心の上より批利すべき道徳的責任の點よりしては決して不徳に
 裸體に生れたる良心と階級的衣服
あらずと知らざるべからず。−−人は肉體に於て裸體に生れて其の社會階級の種々の衣服を着
せらるゝ如く、等しく裸體に生れたる良心も其の社會階級の異なるに從ひて種々異なれる衣服
を着せらる。裸體に産れたる獨乙皇帝の肉禮が一呎もある愚を極めたる冠と兒戲の甚しき勳章なる金屬の玩具を以
て飾らるゝ如く、等しく、裸體に生れたる獨乙皇帝の良心にはカイゼル髯の寫眞は禮拜すべき者海軍擴張の演説は
ヒヤヒヤノー々々と云ふべからざる勅語なりと云ふが如き中世時代の特權を以て野蠻人の如く人墨せらる。經濟的
貴族等は其の裸體に生れたる同體が勞働者の汗と涙とによりて織られたる綿繍に裝飾さるゝ如く、等しく裸體に生
れたる其の良心は勞働者の血と骨とに餓ゑて猛獸の心臟の如くなれり。而して一般下層階級を見よ! 彼の幾千萬
 貧民階級の良心作成の状態
の勞働者と小作人は裸體なる肉體に襤褸を着せらるゝが如く、裸體なる良心に着せらるゝ所の者
は、種々の醜海なる慣習、父母の殘忍なる家庭、餓ゑて犬の如くなれる四隣の境遇、賣婬の勸誘、
犯罪の誘導、婬靡殘暴なる思想、實に世に在するあらゆる襤褸を以て其の良心の内容を形成せられつゝあるに非ら
ずや。幸福なる者が充分に開發せられたる境遇に生れ、暖かき母の懐と威嚴もる父の手とに訓育せられ、古今の智
識、世界の精神によりて良心の内容を形成せらるゝに係らず、斯くの如く不潔にして粗野なる動物の如き群集中に
豚の如く産み落され、疾病によりて泣く時も生活に忙はしき母の毆打によりて沈壓せられ、只夕より外に相見ざる
べき父は終日の勞苦と前途の絶望を自暴自棄の濁酒に傾け怒號して歸へる、智識も無く世界も無し。−−吾人は此
の意味に於て貧困即ち犯罪と云ふ事を全き眞理として主張すべし。經儕的幸福に置かれて開發されたる良心を有す
る者、若しくは開發されたる良心に近づく事によりて良心の開發せられたる者は、假令經濟的缺亡に投ずる事あり
とも犯罪者たるが如き事の無きは當然なり。故に空腹即ち犯罪と云ふ事を斯る場合に推及する事皮相的見解の社會
主義者の如くならば其は固より非科學的なり。而しながら經濟的缺亡の階級に生れ落ちて良心の開發せらるゝ時な
く、又開發せられたる良心に近づく時なき貧民階級に對して、其の階級内の階級的良心を以て批判する事なく直ち
に國家主義社會主義の尊き理想を掲げて犯罪を以て呼ぱはるとは何たる獨斷ぞ。法理的見解を以て見れば今日の國
家は一國家一社會なるを以て刑法は國家の國民、社會の會員に對して國家主義社會主義の良心を以て一樣の行爲を
要求するを得べし、而しながら道徳的立場に立ちて考ふれば其の國民と會員とは各異なれる階級的良心に從ひて行
 一國家一社會内に地方的時代的良心を混在せしむ
動しつゝあるを以て一樣の國家主義社會主義の良心を挿んで批判する能はざるなり。K
奴の嬰兒を遺棄する事がK奴の部落に於て不道徳にあらざるを知れるならば、喰人族の
人肉を喰ふ事が喰人族の部落に於て不道徳に非らざるを知れるならば、貴族國時代の奴隷的服從が當時に於て不道
徳に非らざりしを知れるならば、今日の民主的國家に於て自主獨立の行動を不道徳に非らずとするに至りしを知れ
るならば、而して道徳とは地方的に(即ち縦的に)又時代的に(即ち横的に)それぞれ異なるを知れるならば、此
の來るべき大革命前の混亂を極めたる現代に於て一樣の道徳的批判を以て凡てを律せんとする事の妄りなるは言を
待たざるべし。K奴の如き良心を有する貧民階級あり、喰人族の如き良心を有する地主資本家階級あり、未だに貴
族國時代の奴隷的服從を道徳的義務とする良心あり、民主的國家の現代を強烈に意識して行動せんとする良心あり。
恰も一國家一社會の内に地方と時代とを異にせる數種の民族、數世紀間の祖先を混在しつゝあるが如し。實に今日
の犯罪は犯罪本來の意味に於ける良心の背反と云はんよりも、甚しく相異せる階級的良心が國家社會の利uを理想
とする良心によりて打撃せらるゝ事なり。犯罪者の或者は固より自ら良心の命ずる所に反して惡を爲す者あるべし
と雖も、其の良心の些少なる不徳とする所が他の良心より重大なる惡とせられ、又其良心に從ひて善を爲せりと信
 社會主義は階級的良心を掃蕩の爲めに革命主義となる
じつゝ他の良心より犯罪とせられつゝあるなり。−−この故にこそ社會主義は革命主
義となる。現今の經濟的階級國家を打破して經濟上に於ても一國家一社會となし、以
て國家社會の利uを道徳的理想とする良心の下に現時の階級的良心を掃蕩せん事を計る。而して階級的良心の掃蕩
によりて統一せられたる普通良心は偏局的社會主義時代の其の如く個性の發展を抑壓するが如き偏局の者ならず、
社會國家の利uと共に個人の自由獨立を最も尊重する所の普通良心として進化すべし。斯く階級的良心の掃蕩せら
れて統一せられたる普通良心となり、而も其普通良心が個性の發展を尊重する所の者に進化せる社會主義の世界に
 階級的良心と階級鬪爭
於て罪惡の絶滅を信ずる事は果して空想なるか。(階級的良心の説明は後の階級鬪爭を説くに重
要なり、階級闘爭は單に階級的利u若しくは階級的感情のみに非らずして、實に階級的良心と階
級的良心との衝突なればなり)。
 
 『人は只社會によりてのみ人となる』
 べルゲマン曰く『人は只社會によりてのみ人たるを得』と。此の一語は實に社會主義が其
の倫理的理想の實現を社會制度の革命によりて期持しつゝある所なり。べルゲマンの社會的
教育學が我國に於ても三種の飜譯を有し、樋口氏の教育學の基礎となれる如く、今日の科學的倫理學教育學の根本
原理は實に人は只社會によりてのみ人たるを得と云ふことにあり。蓮が沼澤に養はれて花さく如く、薔薇が日光に
 論理的生物と倫理的境遇
浴して芳ふ如く、花園に於て胡蝶が舞ひ砂漠に於て獅子が吼ゆる如く、一切の生物は皆それぞれ
の境遇に置かれて其の種屬を成せし生物進化の原理によりて、倫理的生物は倫理的生物の生存に
適する倫理的境遇を要す。講壇社會主義に誤られたる樋口氏は社食主義の倫理的効果を殆ど全く解せざるかの如く
なるに係らず、其の『國家社會主義新教育學』に於て驚くべき事實を掲げ、以て個人が如何に社會によりて作らる
 狼に養はれて獸類に退化せる小兒の事例
ゝかを示したりき。『一八五〇年の博物年報にムルヒゾン氏がスレーメン大佐より「フォル
デリソデン」の「アウデ」地方に於て狼の群中に兒童の發見せられし五個の事實を報ぜり。
日はく「カウプール」「ルーナック」地方には豺狼多くして幼兒を奪ひ去ること屡々ありき。勿論其中の多數は喰
ひ殺さるれども稀には哺乳養育せらるゝことあり。ある時憲兵等「アウデ」より「グップッチェ」の岸に向ひて進
みしに三個の動物の水飲みに來るあり。彼等馳せ行きて之を捕へしに焉ぞ圖らん二匹の乳兒と一個の小兒ならんと
は。彼は裸體のまゝ四肢にて歩行し、肘と膝との皮膚は骨状に硬化せり。其の當に捕へられんとするに當りてや猛
り怒りて人を噛み、又掻かんとすること其の伴侶の如く、更に言語を知らず、其の理解力は恰も幼き犬兒に似たり
と』。是れ獨乙の例のみに限らずテニソンのアーサー王の詩に『狼は時々人の子を盗みて之を食ひしも、自己の子
の失せ又は死したる時は其の恐ろしき乳頭を人間の子に借せたり。其の窟に住みたる子供は其の食する時にうなり、
其の獸なる母の四足を擬ね、究極終に狼に優る狼の如き人と成長せり』とあるに見ても古來より稀有のことに非ら
ざるなり。
 獸類の如く退化する變化性は神の如く進化する變化性なり
 斯の、人は獸類の境遇に置かるれば一代を以ても獸類の如く退化する變化性あり
と云ふ事は、直ちに是れ人は神の如き境遇に置かるれば敢て一代を以てとは云はざ
るも神の如くにまで進化し得る變化性ありとの推理に來らしめずや。固より遺傳の事實の輕視すべからざるは論な
 遺傳と境遇
く遠き以前の喰人族の風習が隔世遺傅の形に於て現はれ殺人罪を犯せし者ありと云へば、吾人が
現今犯しつしある無數の罪惡が或る特殊の境遇によりて遺傅として現はるゝ事は考ふべからざる
に非らずと雖も、而も斯くの如きは今日の刑法にて巳に病的現象として明かに犯罪の外に置く者。且つ、遺傅とは
其の遺傅的傾向の發現すべき境遇に於てのみ始めて發現すべき者なるを以て、社會主義の境遇に於て今日の個人主
義時代の犯罪的遺傅が發現する機會多しとは思考さるべからず。(尚次ぎに説く『生物進化と社會哲學』に於て道
徳の本能化を論じたるを見よ)。實に、狼の社會に養はれたる人の子が獸類の歩行を模倣して半獸半人の怪物とな
 模倣牲の説明
りしが如く、吾人は人類社會に養はれて父母の歩行を模倣するが故に人類の形を得るなり。古來
より人は理想を有する者なりと云ひ、傾向の生物なりと云へるが如く、今日の科學的研究も人は
模倣性を有すと云ふことを以て確定せられたる事實とせり。斯の模倣性の爲めに吾人は母の膝に抱かれたる時より
して蕾の如き唇を動かして母と同一なる發音を爲さんには如何にすべきかと考へつゝあるが如き眺めを以て唇の進
動を模倣しつゝあり。而して其の辛うじて發音し得るに至りては其の發音中に如何なる意味が含まるゝかも考へず
して發音と共に發音の中に含まるゝ思思共者を善惡の取捨なくして模倣す。其の漸く長じて近隣の兒童と嬉戯する
に至りても又等しく年長の伴侶の言語擧動を撰擇なく模倣す。而して學校に入るに至りて教師朋友の其等を模倣し、
書册に掲けられたる古今人物の某等を模倣す。而して更に斯る間に於ける智識の發達は模倣の對象を撰擇せしむる
の制斷を生じ、撰擇又撰擇の結果、模倣せる高き者の逹せらるゝと共に又更に高き者を模倣して其の高き者に達し、
其の高き者の達せらるゝや又更に高き者を模倣して其の高き者に達せんとす。斯く模倣の對象は始めは其の父母、
家庭、近隣等にして漸時に學校となり、社會となり、書籍となり、古今の人物となり、世界の思想となる。而して
是等先在の理想にして尚足らずとせられ更に一層の高き對象を求むるに至るや、茲に其の巳に模倣して得たる先在
の材料を基礎として、各個人の特質を以て更に高き者を内心に構造し、構造せられたる理想を模倣することにより
て到達を努力す。此の特質と其の構造せられたるものゝ高貴偉大なる者が即ち英雄なり。故に史上に足跡を殘した
る英雄は其の特質に於て偉大高貴なる者ありしと雖も、其の特質を發揮せしむる基礎として材料を供給する社會的
境遇に於て幸運なりしものならざるべからず。古今英雄の傅説は凡て之を證す、彼の戰陣の英雄が血痕の附着せる
揺藍中に眠り、革命の英雄が旋風前の陰暗なるK雲中に産聲を擧げし如き是れなり。山河に悠遊することによりて
詩人西行あり、石山寺の月を挑めて源氏物語は書かる。超然内閣と百從議會とを以てはグラッドストーンの雄辯は
産れず。ヂェファーソンの獨立宣言書は國體論の材料を組立てゝ書かれたるものにあらず。人は只社會によりての
み人となる。吾人の如き明白なる野蠻人は今日の如き野蠻部落の如き未開なる社會組織を脱する能はぎるが故に斯
 現今の人は凡て狼の手に養はれつゝあり
る野蠻人となれるなり。今日社會の大多數は獨乙の森林に發見せられし如く、蒸氣と電氣と
を有する大都會の中央に於て實に獸類の手に養はれつゝあることを氣附かざるか。地主資本
家階級の社會に見よ、社の如き發展を爲し得べき人類として生れたる嬰兒は、先づ模倣すべき對象としで眼前に現
はるゝ者は實に狼の如く殘忍に狒々の如く婬蕩なる父、四圍の迎合訶諛の爲めに絹服の豚に過ぎざる令夫人と稱せ
らるの母あり、嬉戯の間に模倣すべき對象としては便侫隱險なる乳母、婬靡野卑なる僕婢、競々として命是れ從ふ
出入の子女のみ。斯くのごとき不幸なる境遇に人となれる彼等が、其の等しく人と云ふに係らず喰人族のごとき良
心を有する人として作らるゝは何の怪しむべきことかあらむ。下層の貧民階級に至りては全く狼の手によりて狼と
して養はる。狼のごとく四肢を以て匍匐する事は教へられざるも生作進道退悉く獸類なり。爪を以て掻き牙を以て噛
むことは學ぱざるも小兒間の爭鬩が狼の父母によりて多く歡迎さるゝことは事實なり。此の餓鬼として睥睨する山
の神が模倣の理想として白紙の如き心情の奥に投射さるゝ時、べランメーとして息卷く宿六が酒氣を吐きて蠑螺の
如き鐵拳を未だ形成されざる灰白質の頭腦に加ふる時、其の子女が長じてK奴の如き良心を有すると何の疑かある。
實に今日の上層階級も下層階級も法律と道徳とが要求する國家社會の利uを目的とする良心は其の始めより胸裏に
 空腹即ち犯罪飽抱即ち犯罪と云ふ意味
形成せられざるなり。是の意味に於て空腹即ち犯罪なり、而して飽食亦即ち犯罪なり。
 人は只社會によりてのみ人となる。社會主義は倫理的生物が倫理的制度に於てのみ倫理的
生物たり得べきことを發見して革命の手を社會の組織に降しつゝある者なり。
 
 社會主義と個人の責任
 而しながら誤解すべからず、社會主義は社會の中に個人を溶解する者にあらず。倫理的制度に
よりて倫理的生物たると共に、倫理的生物が平等の物質的保護と個性の自由を尊重する社會良心
の包容中に於て更に倫理的制度の進化に努力すべき責任を有することを要求す。社會主義の自由平等論とは即ち此
の意味なり。(平等論の意義につきては前編の『社會主義の經濟的正義』に於て説けり)。偏局的社會主義時代の社
會良心は其の内包の甚だ狹隘にして個性の自由なる發展を許容せざりしが爲めに個人は全く社會の強力中に併呑せ
られ、ソクラテスもルーテルもガリレオも皆犯罪者として遇せられ爲めに社會の進化に於て誠に遲々たるの外なか
りき。而しながら佛蘭西革命に至るまでの偏局的個人主義の如く思想上に於てのみ思考し得べき原子的個人を終局
目的として、社會は單に個人の自由平等の爲めに存する機械的作成の者なりと獨斷せるが如き者に非らず。思想と
雖も、信仰と雖も、決して個人の自由に非らず、思想信仰の上に於て個人の自由を尊重する所の自由なる社會良心
あるが故に自由なり。故に社會良心が思想信仰の自由を許容せざりし時代に於てはソクラテスもガりレオもルーテ
ルも悉く犯罪者なりき。良心の社會的作成なる事を歸納せる科學は思想も信仰も或る個性の特異が發展する場合を
外にして全く社會に先在せる思想信仰を繼承して其の個人の思想信仰を成作する者なる事を論結せしむ。思想と信
 思想の獨立信仰の自由あるは其の獨立信仰を認むる社會良心あるを以てなり
仰とは決して偏局的個人主義の獨斷するが如く始めより自由なる者に非らざ
るなり。社會専制國家萬能の偏局的社會主義時代の思想信仰を有する社會良
心は個人の良心を作成して思想の獨立信仰の自由を認識せざる者とし、機械的社會觀を有する偏局的個人主義時代
の社會良心は假令社會の利uを阻害するも思想の獨立信仰の自由は犯すべからずと云ふ思想信仰を以て個人の良心
を作成す。−−故に吾人の純正社命主義が社會進化の爲めに個人の自由を尊重すべしと云ふことは、思想信仰は原
 社會主義の自由論の眞意義
子的個人に先天的に獨立自由に存すと云ふ意味にあらずして、社會進化の爲めに個人の自由を尊
重する所の社會良心を以て思想の獨立信仰の自由を許容すべしと云ふことなり。社會進化の爲め
に社會良心の内包は偏局的なるべからず、社會の進化を終局目的とすると共に其の目的を達せんが爲めに個性の自
由なる發展を障害なからしむべし。純正社會主義は此の點に於て明らかに個人主義の進化を繼承す。
 純正社會主義は個人主義の進化を繼承す
個人主義! 實に此の偏局的個人主義は中世史までの偏局的社會主義と共に純正社會主義
を築ける二大柱なり。個人主義が中世貴族階級の土地(當時に於ては經濟的源泉の凡て)
を占有せるを否認して自由平等を叫びたる如く、純正社會主義は現代の經濟的貴族階級の經濟的源泉(即ち土地及
び資本)の壟斷を公有にせんとするは、實に此の個人の自由平等にあり。經濟的に自由平等ならずしては他の凡て
に自由平等なる能はず。吾人が先きに平等の分配とは物質的保護の平等によりて個性の自由なる發展を爲さしめん
が爲めなりと云へる如く、個人主義の佛蘭西革命は其の個人の自由の爲めに經濟的に自由なるべく貴族階級の經濟
 社會主義は亦私有財産制の進化を繼承す
的源泉の占有を否認して私有財産制を樹立したるなり。−−純正社會主義は亦この點に於て
明かに私有財産制の進化を繼承す。經濟的に獨立する者は政治的に道徳的に獨立し、經濟的
に從屬する者は政治的に道徳的に從屬す。君主が土地及び人民を(經濟物として)占有せる時代に於ては人民は財
 經濟上の獨立と政治上及び道徳上の獨立
産權の主體にあらず君主に經濟的從屬關係を有せしを以て政治的に道徳的に從屬し、君主の
み經濟的に獨立せしを以て政治的に道徳的に獨立したり。(日本に例せば鎌倉幕府以前まで
の如し)。而して貴族階級が土地を掠奪して經濟的に獨立するに至るや茲に君主に對抗して政治的に道徳的に獨立
し以て支配權を承認せず忠順の義務を拒絶したり。(日本にては維新以前までの貴族國時代の如し)。而して一般階
級に於ては土百姓として土地と共に貴族の所有物にして財産權の主體たる人格にあらざるを以て其の經濟的從屬關
係よりして政治的に道徳的に無限の從屬に服し、彼の武士の如き下層階級に對しては絶大の権威を弄したりしと雖
も其の經濟的從屬關係の爲めに貴族階級に對しては政治的に道徳的に嘗て獨立する事なかりき。(後の『所謂國體
 社有財産制度の高貴なる意義と民主々義
論の復古的革命主義』を見よ)。然るに個人主義の思想は佛國革命の名に於て貴族階級に獨
占せられたる土地を全國民の勞働によりて獲得すべき私有財産制度の下に置き而して革命の
波濤は横ざまに東洋に波及して維新革命の民主々義を經濟上に現はして土地私有制を確立したるなり。
 然るに今や如何。歴史は恰も逆行せるかの如き形を以て世は再び經濟的貴族國時代となれり。否、冷靜に考ふれ
ば經濟史の進行として經濟的公民國家に至るまでの過程として經濟的貴族を經過しつゝあり。經濟的源泉たる土地
と資本とは經濟的貴族階級の封建城廓となれり。經濟的貴族國のみ政治的に道徳的に無限の自由を有して國民は凡
ての獨立を失ひて奴隷の如く服従を事とするに至れり。講壇社會主義者の田島博士が資本家と勞働者との關係を君
臣の關係の如しと形容して讃美せるが如く、年俸月給によりて從屬する精神的勞働者も賃銀によりて從屬する肉體
的勞働者も誠に往年の武士若しくは土百姓の如く専制の支配權を承認し奴隷の忠順を履行しつしあり。貴族國時代
の武士階級が其の下層に對しては虎の如く威を振ひたるに係らず馬鹿大名の前に平身匍匐し、其の經濟的從屬より
して自己の身を大名の所有物と考へ、切腹を命ぜらるゝも御手討に逢ふも嘗て其の從はざるべからざる理由を疑ふ
こと無かりしが如く、今の黄金大名に隷屬して經濟的武士の階級を作れる事務員政治業者の如きは其の下層階級に
對しては抑壓侮辱を事とすと雖も、其の年俸月給を受くる經濟的從屬關係よりして政治的に道徳的に些の獨立無く
假へ馬慶大名の拜謁に於て如何に傲慢を以て迎へらるゝも一切を叩頭して猫の如く柔順に、而して自家が下層階級
を制御する事によりて大名の玉座が保たるゝことを考へずして却て自家が大名の恩惠によりて生存するかの如く信
じ、減俸に逢ふも解雇に違ふも唯々として一の疑問なしに此の奴隷的服從の義務を負擔しつゝあり。而して彼の勞
働者と小作人の一般階級に至りては純然たる奴隷と土百姓なり、政治の自由なく道徳の獨立無し。−−個人主義の
 現社會に個人の自由なきは其の根底たる個人の私有資財産無くなれるを以てなり
根底たる所の私有財産制は今や社會の大多数に取りては貴族國時代の下層
階級の如く經濟的貴族等の私有財産を使用して生活し得べしと云ふ意味に
過ぎずなれり。巳に貴族階級の下に經濟的に隷屬す、革命以前の其れの如く再び個人主義の革命を繰り返へさゞる
べからざるほどに政治の自由道徳の獨立なきは何をか怪まん。吾人が本書の始めに於て現社會を個人主義に於て辯
護せんとする者は個人主義の叛逆者なりと云へるは、實に社會の大多數に個人の私有財産が無くなるを以ての故な
り。社會主義は固より社會の進化を終局目的として偏局的個人主義の如く機械的社會觀を以て社會を個人の手段と
して取扱ふ者に非らず、而しながら社會進化の目的の爲めに個人の自由獨立を唯一の手段とする點に於て個人主義
の基礎を有する者なり。個人は個人相互の間に於て經濟的從屬關係なし、一の個人が他の個人の爲めに政治の自由
 社會主義時代には個人は他の如何なる個人にも屬せずして社會に属す
を抑壓せられ、道徳の獨立を侮辱せらるゝことなし。社會は階級的の層を爲さ
ず、個人は上層階級の個人に經儕的從屬關係なきを以て上層階級の個人の權力
に盲從する政治的義務なく、上層階級の個人の幸福を目的として努力すべき道徳的義務無し。個人は他の如何なる
個人にも經濟的從屬關係を有せず只社會の經濟的平等の保護の中に在り。故に他の個人に個人の自由を犯さるゝ事
なく、個人の自由を尊重する所の社會良心の廣豁なる内包中に於て社會の幸福進化を目的とすべき政治的道徳的義
務を個人の責任とするに至る。即ち貴族階級に經濟的時從屬せし維新以前に於ては貴族等の利uの爲めにする支配
 忠君と愛國
に服從すべき政治的義務を有し、貴族等の幸福の爲めに努力すべき道徳的義務を有して−−
『忠君』を個人の責任とせしに反し、今日は法理上國家の土地及び資本(何となれば國家は國家
の利uの爲めに個人の凡ての財産を吸収すべき最高の所有權を有するを以て)に經濟的に從属するを以て、國民は
國家の利uの爲めにする支配に服従すべぎ政治的義務を有し、國家の幸福に努力すべき道徳的義務を有して−−
『愛國』を個人の責任とするに至れる如し。只、社會主義は今日の法律の如く單に理想として止まらず、事實に於
 個人は社會に對する經濟的從屬關係より社會の幸福進化に努力すべき政治的道徳的義務を意識するに至る
て國家社會の利uを個人の責任として意識するに至らしめん
とする者なり。社會主義は個人主義の如く個人其者の爲めに
個人が自己に對して責任を有すとする者に非らずして、社會國家の爲めに社會國家に對して個人の責任を要求す。
而して吾人が前きに國家と社會とは社會主義によりて眞の秩序と安寧幸福とを得ざるべからずと云へるは、國家社
會が其の法律的理想として有する最高の所有權を行使して全國民全會員の上に經濟的源泉の本體として臨み、以て
全國民全會員をして國家社會に對する責任ある個人たらんことを政治的に道徳的に期待する者なりと考ふべし。今
日吾人の社會主義を難ずるに個體責任論を以て對抗するが如きは、實に個人主義以前の偏局的社會主義時代の如く
個人が上層階級に從屬して一個の責任體たらざりし其れと同一視する者なり。
 賣買廃止は亦この理由による
 社會主義が徴兵的軍隊組織の勞働法を以て個人間の賣買關係を維持せんとする講壇社會主義を
排するは亦理由の一をこゝに有す。固より單純なる經濟論として考ふるも、無數の商店、商人、
店員、仲買人、取引所、ありて無用の資本と無用の勞力とを投じて相破壞し以て強大の浪費をなし、生産より直に
消費に移らず交換と云ふ戰場を通過して生産物の多くを破壞せられ軍事費を負擔せられて生産費に倍揩ケる價格と
して消費者の手に來ることは、人類の當然に棄却すべき愚劣なりと雖も、純正社會主義が特に徴兵的勞働組織の生
産法を主張するは、經濟的從屬關係に於て社會と個人とを直接ならしめんとするに在り。即ち徴兵的勞働に於て生
産せられたる貨物を凡て一たび社會の者となし更に社會より社會の貨物に對する平等の購買力を表示する紙片とし
て分配せらるゝことは、個人をして社會の爲めに存する事を明確なる責任に於て自覺するに至るべきを以てなり。
(前編の『社會主義の濟濟的正義』に於て公共心の經濟的活動を論じたる所を見よ)。彼の武士の階級亡びて武士
 獻身的道徳の武士道と素町人の利己的道徳と差は經濟的関係に於て責任を有すると有せざるとによる
道滅び、卑劣なる利己心を中心とせる素町人道徳が今日に跋扈
する所以の者は其の武士道なる者の貴族階級に對して奴隷的服
從の卑むべき要素を含むに係らず、經濟的從屬關係を有する主君の爲めに身を捨てゝ盡くす獻身的道徳の高貴なる
に反し、素町人道徳は自己の經濟的努力によりて自己の維持さるゝを以て自己中心の卑むべき道徳となり、而して
今日は凡ての個人が社會國家に從屬する經濟的關係なく自己の經濟的努力によりて自己を維持しつゝありと信ぜら
るゝが故に素町人道徳の個人主義を繼承しつゝあるなり。個人主義は社會主義の下に於て尊とし。個人は社會其者
の幸福進化に努力する良心と行爲とありて尊とし。個人其者の自由獨立の爲めに個人の自由獨立は價値なく、社會
の幸福進化の爲めに個人の自由獨立は尊とし。故に貴族國時代の武士道騎士氣質が其の經濟的從屬關係を有する貴
 国家社會に對する經濟的從屬關係より國家社會に對する獻身的道徳を生ず
族に對して獻身的道徳を有したる如く、經濟的貴族國の打破せられて經濟的
に一國家一社會となるに至るや、全國民全會員は其の經濟的從屬願係を有す
る國家社會に對して、獻身的道徳を以て國家主義社會主義の倫理的理想を實現すべし。純正社會主義は個人の自由
を個人其者の爲めに要求して社會國家の幸福進化を無視せんとする個人主義の革命論に非らず。社會國家の幸福進
化を無視しつゝある個人主義の組織を革命して、社會が經濟的源泉の本體たる經濟上の事實を、國家を最高の所有
権者となしつゝある今日の法律の理想に於て實現し、以て個人を社會國家の利uの爲めに自由に活動すべき道徳的
義務を有する責任體たらしめんとする者なり。(經濟と道徳法律との関係は彼の『所謂國體論の復古的革命主義』
に詳細に説けり、就きて見よ)。
 故に。彼の社會主義者と稱する者の中に於て個人の自由を主張するに當り、或は『社會の各會員は自由なる發達
を希望する者なれば政治上に於ける個人の自由は成るべく大にして社會の權力は成るべく小なるを要す、即ち社會
 個人主義と社會主義とを混同しつゝある奇觀
の權力は社會の生存と發達との爲めにか或は各會員の自由の保證の爲め、必要なる程度を
超ゆべからず』と云ひ、或は『思想と信仰とが全く自由にして他人若しくは社會の如何と
も爲し得ざる所、之を發表し之を實行するに於て美術上にも宗教上にも科學上にも政治上に於ても全然一切の覊範
の外に立たざるべからざるは疑義の外なる根本法なり』と云ふ如き者ありと假定するも。そは單に結論の形式に於
て社會主義に似たるだけにして全く個人主義の獨斷を繼承する思想なるは論なく、之を以ての故に罪を社會主義の
上に及ぼすべからず。彼の社會主義に對する高等批評を以て任ずる樋口勘次郎氏が其の『國家社會主義教育學本
論』に於て社會主義の自由平等論なりとして打撃を加へたる所は實は個人主義にして社會主義の受くべき失に非ら
ざりし如き是れなり。從で其社會進化の理想に對する否難の如きも純然たる個人主義の學者を指定しつゝあり。日
く、『さればルーソーの所謂共同の權力を以て各會員の生命財産を保護すれども各會員は自己に從ふ事によりて此
の權力の命令に一致し得る如き社會は一のユトピアに過ぎず。スべンサーの遠き理想とせる自己の意志の外、外來
の壓抑なくして圓滿に運轉せらるゝ個人主義の社會の如きも、其遠きと云ふ形容辭に無限と云ふ副詞を附して無限
に遠き即ち實現し難き理想とせざるを得ざるは勿論、矢野氏の想像せる訴訟なる者幾ど無く犯罪なる者殆ど無き、
若しくは一層極言して訴訟沙汰の皆無となる新社會のごときは眞に一個の夢に過ぎざるなり。實に「新政會」は之
を一個の見果てぬ夢として記載せられたれども「社會主義全集」に同氏の講語せらるゝ所に徴すれば夢に託して著
者の社會主義を述べられたる者なるは明かなり。果して然らば氏も亦極樂式の社會主義を持する者に非ざるか』と。
以て如何に相背馳する社會主義と個人主義とが却て社會主義者にも非社會主義者にも混同せられつゝあるの甚しき
奇觀を見るべし。
 遮莫。純正社會主義は極樂と云ひ天國と云ふ者を在來の哲學宗教の如く死後の他世界に求むる者に非らずして、
社會進化の將來に期待する者なり。而して人類社會は一の生物社會なり。故に社會哲學は生物進化論の一節たる社
會進化論として論ぜざるべからず。
 
 
 
 
 
第參編 生物進化論と社會哲學
 
       第 五 章
 
           生物進化論者と社會主義者との背馳−−社會主義は生存競爭論の外に立つ能はず−−組織
           の皆無なる生物進化論−−代表的學者として丘博士の『進化論講話』−−其の社會主義評
           −−今の生物進化論者は人類の生物界に於ける地位を獸類の階級に置く−−滅亡すべき經
           過的生物『類神人』−−生物進化論者は進化の跡を見て更に進化し行く後を見ず−−獸類
           教の迷信−−優者適者強者の内容は生物種屬の階級に從ひて異なる−−人類の優者と獸類
           の其れとを同一視す−−生物進化論者は生存競爭の單位を定むるに個人主義を以てす−−
           顯微鏡以前の個體の觀念−−へッケルの個體の定義−−個體の階級と社會有機體説−−ヘ
           ッケルの生物學者大會の演説の奇怪−−個人と社會とは同一異名の者なり−−個人的利巳
           心と社會的利己心−−社會的利己心による社會単位の生存競爭−−人類に於て特に社會性
           の重ぜらるゝ理由−−クロポトキンの相互扶助による生存競争−−生物進化論は古來の漠
           然たる道徳的意識に科學的根據を與へたり−−偏局的個人主義を顛覆せる生物學−−高等
           生物の生存競爭は社會単位の相互扶助なり−−生物進化論の哲學史上の革命と社會に於け
           る社會主義の革命−−單位たる個體の社會は生物種屬の進化するに從ひて高まる−−丘博
           士は進化論と背馳する循環論の思想を有す−−國家競爭人種競争は歴史の進化に從ひて
           其の單位を大にし行く−−丘博士の帝國主義論ほ競争の内容の進化し行くことを解せざる
           より起る−−丘博士は帝國主義の空想を以て却て社會主義の者となす−−帝國主義の歴史
           上の效果−−同化作用と分化作用−−社會主義は國家を認識し國家競争を認識す−−階級
           鬪爭と国家競爭−−聨邦義會にて決する國家競爭−−丘博士の論理の蕪雜−−天地創造説
           の思想を以て人種競爭論を不靈殘忍ならしむ−−吾人の文明人に作らるゝ所以−−肉體的
           遺傅と社會的遺傅−−肉體的遺傅其者も種屬的智識を繼承する本能なり−−下等人種の滅
           亡は社會進化の當然なり−−人種競爭の内容の進化−−社會主義は個人と人種の劣敗者の
           上に建てらる−−正義の進化と驅逐殺戮による人種競爭論の因難−−死刑淘汰の刑法論よ
           りする驚くべき推論−−一の分子若しくは分子の集合が他の分子を殺戮する權ありとせる
           偏局的社會主義時代の普通良心−−道徳的淘汰の生存競爭と社會的群集の生物−−原人時
           代は平和に菜食して漁獵遊牧にあらず−−今日の野蠻人を以て文明人の原始に推及すべか
           らず−−漁獵遊牧の時代に入りて部落單位の生存競爭をなし意識的道徳時代となる−−社
           會単位の生存競争時代と死刑淘汰−−朕即ち國家の意義−−同化作用による社會單位の擴
           大と分化的發展の個人主義時代−−希獵羅馬の未年及び羅馬法王の下にて個人主義の興起
           したる事實−−個人単位の生存競爭は遥かに後代の歴史過程なり−−社會民主々義−−社
           會主義は個人の分化的發展の爲めに個人主義を權承す−−國家主義と個人主義とは共に現
           社會の經濟的貴族國に對して革命に出でざるべからず−−個人の国家に對する犯罪と國家
           の世界に對する犯罪−−個人の自由と国家の獨立の意義−−國家の理想的獨立は世界聯邦
           によりて得られ個人の完全なる自由は萬國平和によりて得らる−−偏局的社會主義の國家
           竸爭の爲めに個人の自由が蹂躙せられたる事例−−人類の歴史に入りてより生存競争の内
           容の進化−−強力の優勝者たりし中世−−勞働を優勝者とせる個人主義の理想−−糞泥の
           上に産み落されたる優勝者−−奴隷の境遇に遖する奴隷の優勝者
 
 
 今日、社會主義に對する哲學的根據よりの非難は、社會主義は生存競爭を廢滅せんと企圖する者なるが故に生物
進化論の原理に反する空想なりと云ふことに在り。是れ實に大問題なり。
 生物進化論者と社會主義者との背馳
 實に科學哲學の一切の基礎が生物進化論に在りて、而して生物進化論の根本原理が生存競爭
説に在りとすれば社會主義と雖も此の外に立つ能はぎるは論なきことなるべし。而しながら今
日の生物進化論は單に生物種屬は進化によりて生ぜるものなりと云ふ事實の發見に過ぎずして、人類の生物界に於
ける地位を誤まり、其の説明の理由として執られつゝある生存競爭説も誠に古今比類なき支離滅裂を極めたるもの
にして、個人主義を以て解釋しつゝあるものなり。此の故に生物進化論者は、生存競爭説を掲けて社會主義を空想な
り、非科學的なり、社會の進歩を停止せんとする不可行の計畫なりと難じ、社會主義者は亦生物進化論を廻避して、
社會主義は生存競爭を廢滅せしむと雖も尚その外に名譽道徳等の競爭ありと云ふが如き薄弱なる理論を築きて漸く
 社會主義は生存競爭説の外に立つ能はず
對抗するに過ぎず。吾人は信ず、社會主義が若し生存競爭説と背馳するならば誠に非科學的
の空想に過ぎざるべく、自ら稱して科學的社會主義と云ふとも其は經濟學倫理學歴史學等の
諸科學の上に於てのみ言はるべくして、其等諸科學の根底たる社會哲學の上よりしては如何にすともユトピアたる
べきなり、社會主義とは人類と云ふ一種屬の生物社會の進化を理想として主義を樹つる者なり。然れば當然に人類
と云ふ生物種屬を包含せる生物進化論の原理たる生存競爭の外に通する能はぎるべく、若し此の原理を排斥するほ
どの有力なる根據なくして徒らに科學其者に對する罵倒を以て事とする如きは如何にすとも非科學的なるを免かる
能はず。−−科學的社會主義は何處までも科學の嚴肅なる理論の上に築かれざるべからざるなり。
 組識の皆無なる生物進化論
 只、今日の科學者の所謂生物進化論なる者は吾人の茲に僣越を以て生物學の範圍内に侵入して
組織せざるべからざるほどに矛盾混亂を極めたる理論より外有せざる者なればなり。即ち、生物
進化の事實を個人主義の獨斷的思想を以て解釋しつゝあること。人類の生物界に於ける地位を獸類の種屬中に包含
しつしあること。
 
 吾人は茲に斯る生物進化論の日本に於ける代表的學者として帝國大學教授理學博士丘淺次郎氏の『進化論講話』
の社會主義評を指示すべし。吾人は氏の如き眞理其者の爲めに主張を爲す學者によりて社會主義の非難せられたる
を深く惜しむ者なりと雖も、是れ決して氏の責任にあらずしてダーヰン其人が生物進化論を獸類教と化し生存競爭
説を個人主義によりて解釋して傅へたるが爲めに、氏は單に其宣傅者として彼等の誤れる點を傅へたるに過ぎざる
 代表的學者として丘博士の『進化論講話』
也。只吾人が特に氏を指定したるは、一般世人に生物進化論を普及せしむる目的を以て書
かれたりと云へる『進化論講話』の大著が最後の暗Kなる頁を以て社會進化論の宣傅を阻
害し、社會主義に對する誤妄を傅播するの驚くべき力あるを以てなり。而して其の暗Kなる頁の中に凡て獸類教の
生物進化論と個人主義の生存競爭説を遺憾なく發揮したるを以てなり。死刑淘汰の刑法論あり。歴史の進化を無視
し革命の意義を解せざる社會循環論の思想あり。異人種間の殺戮的競爭を主張する積極的尊王攘夷論あり。人種の
發展國家の強盛は其の人種内國家内の個人間の競爭にのみ基くと云ふ個人主義の生存競爭説あり。種屬維持として
の生殖なることを解せざる人口論あり。異人種異國家間には永久に戰爭は消滅せず世界一社會となる社會進化の將
來を空想なりと云ふ蠑螺的國家學あり。否! 未だ渾沌として組織なき生物進化論の祖述として『進化論講話』の
全部を通じて、生存競爭の單位を定めず、生存競爭の目的を解せず、生存競爭の對敵を誤まり、生物種屬の階級に
伴ふ生存競爭の内容の進化を知らず、生物進化論に於ける食物競爭と雄雌競爭との地位を注意せず、人類種屬の今
日の地位及び今後の進化を推及することなし。吾人をして其の社會主義評を左に掲けしめよ。
 其の社會主義評
 『現今の社會の制度が完全無缺でないことは誰も認めなければならぬが、さて之を如何に改良
すべきかと云ふ問題を議するに當りては常に進化論を基として實着に考へねば何のuも無い。社
會改良家が幾通り出ても悉く痴人の夢を説く如くであるのは何ぜかと云ふに一は人間と云ふ者は如何なる者なるか
充分に考へず猥りに高尚なる者と思ひ誤つて居ること、一は競爭は進歩の唯一の原因で苟も生存して居る間は競爭
の避くべからざることに氣附かぬに基くやうである。
 『異人種間の競爭の結果は各種族の盛衰榮枯であつて、同種族間の競爭の結果は其の種族の改良進歩であること
は前にも説いたが之を人間に當嵌めても全く其の通りで、異人種間の生存競爭は各人種の盛衰存亡の原因となり、
同人種内の競爭は其の人種の改良進歩の原因となる。其れ故數多の人種の相對して存在して居る以上は異人種との
競爭は避けられぬのみならず、同人種内の個人間の競爭も廢することは出來ぬ。分布の區域が廣く個體の數の多き
生物種族は必ず若干の變種に分れ後には互に相戰ふのであるが、人間は今日恰度その有樣に在る故異人種が或る方
法によりて相戰ふは止むを得ない。而して人間の競爭に於ては進歩の遲き人種は到底勝つ見込は無い故何れの人種
も専ら自己の改良進歩を圖らねばならぬが、其の爲め其の人種内の個人間の競爭が必要である。
 『社會の有様に満足せず大革命を起した例は歴史上幾らもあるが、何れも罪を社會の制度のみに歸し人間とは如
何なる者なるかを忘れて、唯制度さへ改めれば黄金界になる者の如く考へてかゝる故、革命の濟んだ後は只從來權
威を振うて居た人の落ちぶれたのを見て暫時愉快を感ずるの外には何の面白いことも無い。世は相變らず澆季で競
爭の烈しいことは矢張り昔の通りである。今日社會主義を唱へる人々の中には往々突飛の改革談を説く者あるが、
若し其の通り改めて見たならば矢張り以上の如き結果を生ずるに違ひない。人間は生きて繁殖して行く間は競爭は
兔かれず、競爭があれば生活の苦しさは何日も同じである。
 『教育の目的は自己の屬する人種の維持繁榮であることは巳に説いた通りであるが進化論から見れば社會改良も
矢張り自己の屬する人種の維持繁榮を目的とすべきである。世の間には戰爭と云ふ者を全廢したいとか、文明が進
めば世界中が一國になつてしまふと云ふやうな考へを以て居る人もあるが、是等は生物學上到底出來ないことで利
害の相反する團體の並び存する以上は其の間に或る種類の戰爭の起るは決しで避けることは出來ぬ。而して世界中
の人間が悉く利uの相反せぬ地位に立つことの出來ぬは固より明瞭である。敵國外患なければ國は忽ち減ぶると云
ふ言葉の通り、敵國外患があるので國と云ふ者が纏つて居る譯故、假に一人種が他の人種に打勝つて世界を占領し
たとするも場所々々によりて利害の關係が違へば忽ち爭が起つて數ケ國に分れてしまふ。僅かに一縣内の各地から
撰ばれた議員等が集つてさへ、地方的利害の衝突の爲めに激しい爭の起るを見れは、今世界が一團となつて戰爭の
絶えると云ふやうなことの望むべからざるは無論である。
 『若干の人種が相對して生存する以上は各人種は勉めて自己の維持繁榮を圖らねぱならぬが、他の人種に負けぬ
だけの速力で進歩せなければ自己の維持繁榮は望むことは出來ず、速かに進歩するには個人間の競爭による外は無
い。されば現在生存する人間は敵である人種に滅ぼされぬ爲めには味方同志の競爭によりて常に進歩する覺悟が必
要で、味方同志の競爭を厭ふやうのことでは人種全體の進歩が捗らぬ爲めに敵である人種に負けてしまふ。
 『今日の社會の制度には改良を要する點が澤山にあるが孰れに改めても競爭と云ふ點を到底避けることは出來ぬ。
他の人類と交通もない所に閉ぢ籠つてJ人種だけ生存し得る場合には烈しい競爭にも及ばぬが其の代り進歩が甚だ
遲い故、後に至つて他人種に接する場合にも恰もニューヂーランドの駱駝鳥の如く忽ち亡ぼされてしまふ。世間に
は生活の苦しみは競爭の激しいことに基くので競爭の激しいのは人口の揄チが原因である。それ故子を産む數を制
限することが必要であると云ふやうな考へを以つて居る人もあるが、前きに述べた所によると此は決して得策と云
はれぬ。今日の處で必要なことは競爭を止めることでなく、寧ろ自然淘汰の妨害となるやうの制度を改めることで
あらう。人種生存の點から言へぼ腦力健康の劣等なるものを人爲的に生存せしめて人種全體の負擔の重くなるやう
の仕組を成るべく減じ、腦力健康共に優等なる者が孰れの方面にも主として働けるやうの制度を成るべく完全にし
て個人間の競爭の結果、人種全體が速かに進歩する方法を取ることが最も必要である。斯樣な世の間に産れて來た
人間は唯生存競爭と心得て力のあらん限り競爭に勝つことを心掛くるより外に致し方はない。
 『人道を唱へたり、人権を重ずるとか、人格を尊ぶとか云うて、紙上の空論を基とした誤た説が屡々出ることが
ある。例へぱ死刑を廢止すべしと云ふが如きは此の類で、人種維持の點より見れば毫も根據なき説であるのみなら
ず明かに有害なるものである。雜草を刈り取らねば庭園の草が枯れてしまふ通り、有害な分子を除くことは人種改
良にも必要なことで之を廢しては到底改良の實は擧げられぬ。單に人種維持の上より言へぼ尚一層死刑を盛にして
再三刑罰を加へても改心せぬやうな惡人は容赦なく除いてしまう方が遥かに利uである』
 實に斯る魔界の人の如き暴言は固より法律學、歴史學、國家學、社會學に關する智識の缺亡に基くものなりと雖
 今の生物進化論者は人類の生物界に於ける地位を獣類の階級に置く
も、歸する所生物進化論其者が未だ組織なきを以てなり。−−即ち第一に生物
界に於ける人類の地位を他の獸類と同一階級に包含するを以てなり。ダーヰン
が『種の起原』の一版に於て基督教の信仰と甚しく背馳するを慮りて人類の地位につきて説明することを避けたり
し如く、今日の生物進化論者は基督教の『人類は神の子なり』と考へ來れる獨斷を打破するに急にして正確に人類
の地位を定むるの暇なく、振子振動の方則によりて其の止まるべき點を通り越して等しく獨斷なる他の『人類は獸
の類なり』と云ふ反對の極點に走れるなり。振子は永久に振動する者に非らず、吾人は此の振子を止まるべき點に
止まらしめざるべからず。若し今日の學者によりて想像さるゝ如く、吾人の神と稱して人類より遥かに進化せる生
物が他の遊星に生息するならば、而して吾人々類の生息しつしある此の遊星が他の其れの如く進化しつゝあるなら
 滅亡すべき經過的生物『類抻人』
ぱ、而して又進化に極點なく、人類が進化の極點に非らざるならば、吾人々類は將來に進化し
行くべき神と過去に進化し來れる獸類との中間に位する經過的生物なり。今日、吾人々類は人
類の猿猴類と分れたる時代の祖先の化石を發掘して類人猿と名くる者を見出すならば、吾人々類が類人猿として消
滅せる如く更に人類として消滅せる後に於ては、吾人々類より分れて進化せる人類の子孫なる神の化石學者によ
りて『類神人』として發掘せらるべき半神半獣の或者なり。(此の説明は詳しく社會進化の理想に於て論ずべし)。
彼等生物進化論者にして、人類が類人猿より來り、類人猿が四足獸より來り、四足獸が鳥類と共に驚くべき形態を
有せし爬蟲類より分れ來り、爬蟲類が今日と全く形態を異にせる魚類より來りたりと云ひ、而して人類は一胎兒の
 生物進化論者は進化の跡を見て更に進化し行く後を見ず
九ケ月間に於て魚類よりの十億萬年の生物進化の歴史を繰り返へすと云ひ、以て過
去の囘顧に於て大膽に推理力を發揮しつしあるならば、其の推理力が人類今後の進
化と云ふ將來の進行に至て全く挫折して働かざるは誠に以て抱腹すべき現象に非らずや。−−今日までの生物進化
論は恰も人類を進化の終局なるかの如き獨斷の上に組織せらる。ダーヰンの時代よりして生物進化論は人類を神に
よりて作られたる神の子なりと云ふ基督教の信仰を破らんが爲めに全く人類の動物なることを更に他の諸科學の上
より立證し、骨骼を比較し、筋肉を比較し、内臓を比較し、腦髓を比較し、發生の状態を比較し、以て基督教の科
學的批評に堪へざる獨斷に過ぎざることを論ずるに於て實に間然する所なし。吾人固より人類を以て全く神の子な
りとなして他の生物と隔絶せる天空に置く事の非科學的なる事を否む者に非らず。而しながら、骨骼も、筋肉も、
 獸類教の迷信
内臓も、腦髄も、發生の状態も、發生して後も、決して他の獸類と全く同一に非らざるものを、
獸類と全く同一にして異ならずと獨斷する彼等は、彼等の罵りて以て科學的批評に堪へずと爲す
基督教以上に科學的研究に於て注意深き者に非らず。全く神の子なりと云ふことの非科學的なるならば、全く獸類
に同じと云ふことも又等しく非科學的なり。−−人類は動物の一種屬なり、而しながら動物の種屬中に於て獸類が
鳥類若しくは魚類と階級を異にせる如く、獸類とは全く階級を異にせる人類と云ふ動物中の一種屬なり。今日生物 
進化論第一の誤謬は人類を獸類と同一階級に置くことに在り。彼等の打撃によりて崩壞せる基督教が迷信教なりし
ならば、彼等の生物進化論は明白なる迷信の獸類教なり。而して社會の或る進化までの核子たりし神の迷信教が終
に無數の科學者を殺戮して社會の進化を阻害せる如く、神の迷信教を打破して社會の進化に盡くせし生物進化論は
亦終に今日迷信の獸類教となりて社會の進化を阻害しつゝあり。實に獸類教徒の生物進化論者は今日思想の上にも
社會の上にも純然たる羅馬教僧侶として存す。神の迷信教徒よりダーヰン等の非難せられたる如く獸類教の迷信者
より社會主義の哲學宗教が迫害されつゝあるは社會進化の常として如何ともするなし。
 
優者適者強者の内容は生物種屬の階級に從ひて異なる
 實に、人類と云ふ一階級の生物種類を他の生物種屬たる獸類の階級に包含するが故
に、今の生物進化論者は人類の生存競爭も獸類の生存競爭も其の内容に差等無き者と
なし、優勝劣敗と云ひ適者生存と云ふが如き文字を、獸類としての適者、人類としての優者として差等せず、獨斷
の甚しき弱肉強食と云ふ戰慄すべき一語より一切の演繹を始む。若し其の所謂弱肉強食と云ふことが、牛は蚊に刺
さるゝが故に弱肉にして人は蚤に喰はるゝが故に強の食なりとの意味ならば其の常經を逸したる文字の使用なるに
係らず生物學上の事實としては充分に眞なるべしと雖も、斯る文字を使用する者に取りては多く強弱の標準を瓜と
牙とに求むる者なり。由來、適者生存と云ひ、優勝劣敗と云ひ、將た弱肉強食と云ふが如き文字は外包的の者にし
て内容の空虚なる言なり。即ち、単に其の生物種屬の境遇に適する者は優者として生存すとの意味に過ぎずして、
其の内容に入るべき境遇の異なるに從ひで適者たり優者たり強者たる者を異にするなり。而して境遇は各生物種屬
の各階級の異なるに從ひて異なる。彼の韓退之の蛟籠も陸梁すれば蟻螻に等しめらると云ひしは、境遇による優者
適者強者のそれぞれに異なることを最も明白に説明せる者に非らずや。熱帶の砂漠に於てのみ獅子は其の境遇の適
者にして優者として生存するも、境遇の異なれる北極の氷雪中に於ては柔順なる馴鹿が遥かに適者にして強者とし
て生存す。鷲は茫漠たる天空に翔ける境遇に於ては適者たり優者たり強者たるも、之を簷端の[缶廬]隙の境遇に持ち來
らば實に燕雀よりは不適者たり劣敗者たり弱者たらざるべからず。土中を走ることに於て馬は[鼠晏]鼠よりも劣敗者に
して、泥土に潜むことに於ては鯛は鰌よりも遥かに不適者たり。腐敗せる埃塵の中に埋まりては蚯蚓は社會主義者
 人類の優者そ獸類の其れとを同一視す
よりも境遇の適者にして、蛆は肥桶の縁に於ては生物學者よりも生存の優者なり。−−今の
生物進化論者にして之を知らば、獸類の優者を以て全く境遇を異にせる人類の適者に類推し
て憚らざるは獨り何ぞや。若し精神の平調を失ひて、鰌が泥中の優者なるが故に鯛を泥中に投じて窒息せしむべく、
[鼠晏]鼠が土中の優者なるが故に馬を穴に葬りて生埋めにすべしと云ひ、人類も亦蚯蚓の如き蛆の如き境遇を求めて始
めて適者たり使者たり強者たり得べしと云ふが如きに至らざるならば、境遇を全く異にして生存する人類と獸類と
を一緒して、爪と牙との四足獸の其れと混同するが如きは何たる沒論理ぞ。若し四足獸の境遇に於ける生存者を以
て人類に擬すること生物進化論者の如くならば、道徳家は牙なく智者は爪なきを以て生存競爭の劣敗者たるべく、
最も殘忍暴逆なる者が適者たり優者たり強者たらざるべからず。而して丘氏の死刑淘汰の刑法論の如きは瓢箪より
出づる駒なり。
 
 實に、人類の生存競爭は死刑を以て不道徳の者を淘汰しつゝある如く其の内容は全く道徳的優者道徳的強者の意
義なり。説明の順序として先づ今の生物進化論が生存競爭の單位を定めざることより論ぜん。
 生物進化論者は生存競爭の單位を定むるに個人主義嘉を以てす
 吾人は信す、今の生物進化論は生存競爭の單位を定む.るに個人主義の獨斷的先
入思想を以てする者なりと。吾人は社會主義を生物進化論の發見したる種屬單位
の生存競爭、即ち社會の生存進化を目的とする社會単位の生存競爭の事實に求むる者なり。此の説明は生存競爭の
單位たる個體と云ふことの定義の確定さるゝを要す。而して吾人は生物學者間に採用さるゝ定義を信ぜんと欲す。
即ちへッケル(生物進化論と社會主義と背馳することを最も強く主唱せる學者にして其のミューヘンの生物學者大
會の演説は丘博士等の社會主義評の議論の骨子を爲せる者)等によりて教へられたる個體の階級と云ふことなり。
 顯微鏡以前の個體の觀念
即ち顯微鏡以前に於て個體と云ふときには、個々離れ々々になりて中間に空間の存するものを一
個體となすと定義し、或は一個の卵より生長したる者を一個體となすと定義するの外なかりしも、
斯くしては單細胞の分裂によりて生ずるアミーバの如きは一個の卵子より生長せる者に非ざるを以て、又樹状をな
して繁殖せる個々の生物が密着せる芽生々物の如きは中間に空間を存せざるを以て、一個體なるか、一個體の斷片な
るか、個體の集合なるか、全く何れとも定むる能はずして不明瞭極まる觀念となる。即ち、個體の定義として中間の
空間、或は一個の卵と云ふが如きを以て觀念の基礎とする事は顯微鏡以後に於ては全く維持すべからざる臆説とし
て棄却さるしに至れり。茲に於て個體の階級と云ふ説明によりて、一個の個體たる單細胞生物より分裂せる無數の
 へッケルの個體の定義
單細胞生物はそれぐに無数の個體と考ふる事を得ると共に、又始めの一個體の一部と云ふ點よ
り見て分裂によりて生ぜる單細胞生物を空間を隔てゝ分子とせる一個體と考ふることを得るなり。
即ち、分裂によりて生ぜる單細胞生物は其の單細胞生物たる點に於て一個體たると共に、其の分裂によりて生ぜる
單細胞生物を空間を隔てゝ分子とせる最初の單細胞生物は其の個體を大きくせる者と考ふることを得るなり。芽生
々物の如きは其の大きくなれる個體が空間を隔つる分子とならずして密着せる分子其れぞれが生物として一個體た
ると共に、樹木の大きくなるが如く最初の生物は一個體として大きくなれる者なり。而して人類の如き高等生物も
生殖の目的の爲めに陰陽の兩性に分れたる者なるを以て、是れを男子として或は女子として、又親として、子とし
 個體の階級と社會有機體説
て、兄弟としてそぞれ一個體たると其に、中間に空間を隔てたる社會と云ふ一大個鱧の分子な
り。今日の眞理に於て唱へられつゝある社會有機體説、國家有機體説は此の點より生れたる者な
り。(此の説明は次編の『所謂國體論の復古的革命主義』に於て國家人格實在論を説くに重要なり)。丘博士の『進
化論講話』中には生存競爭の單位たる個體の説明を爲さゞりしほどなるを以て社會主義を生物進化論によりて排撃
 へッケルの生物學著大會の演説の奇怪
するに至れるは止むを得ざることなりとするも、個體の階級を教へたるへッケルにして社會
主義が生存競爭説によりて維持すべからざるを論ぜる生物學著大會の演説ありとは奇怪とす
るの外なし。生物界を通じて生存競爭の單位は彼等個人主義を以て解釋しつゝある者の如く小さき階級の個體のみ
に非らず。一個の生物は(人類に就きて云へば襞へば個人は)一個體として生存競爭の單位となり、一種屬の生物は(人
類につきて云へば社會は)亦一個體として生存競爭の單位となる。而して個體には個體としての意識を有す。−−
 個人と社會とは同一異名の者なり
個人が一個體として意識する時に於て之を利己心と云ひ個人性と云ひ、社會が一個體として意
諭する時に於て公共心と云ひ社會性と云ふ。何となれば、個人とは空間を隔てたる社會の分子
なるが故に而して社會とは分子たる個人の包括せられたる一個體なるが故に個人と社會とは同じき者なるを以てな
り。即ち、個體の階級によりて、一個體は個人たる個體としての意識を有すると共に、社會の分子として社會とし
ての個體の意識を有す。更に換言すれば、吾人の意識が個人として働く場合に於て個體の單位を個人に取り、社會
として働く場合に於て個體の單位を社會に取る、吾人が利己心と共に公共心を、個人性と共に社會性を有するは此
 個人的利己心と社會的利己心
の故なり。−−即ち、公共心社會性とは社會と云ふ大個體の利己心が社會の分子としての個人に
意識せらるし場合のことにして、分子たる個人が小個體として意識する場合の利己心も其の小個
體が社會の分子たる點に於て社會の利己心なり。故に利己心利他心と對照して呼ぶが如きは甚だ理由なきことにし
て寧ろ大我小我と云ふの遥かに適當なるを見る。今の生物進化論者にして個體につきて斯の科學的智識の缺亡せざ
るに非らざるならば、個人的利己心の小我をのみ認めて社會的利己心の大我を忘却し、個人間の生存競爭が個人的
 社會的利己心による社會單位の生存競爭
利己心による如く、實に社會的利己心による社會間の生存競爭の事實、社會間の生存競爭を
行ふ社會的利己心たる社會性公共心の存在することを忘却せりとは解すべからざるも甚だし。
斯の個人的利己心も社會的利己心も共に等しく輕重あるべからず。而しながら其等の利己心が一は個人の者にして
他は社會なるが爲めに、而して人類は特に社會的團結によりて他動物を凌駕し社會的團結を單位として他の單位た
る其等と競爭し來りしが爲めに、社會的利己心のより多き必要よりして殊更に公共心、社會性、道徳的本能、神の
 人類に於て特に社會性の重ぜらるゝ理由
心等と命名せられて特別に重き地位に置かるゝに至りしなり。肉食獸の如き獨居的生物は多
く一動物としての利己心による生存競爭によりて其の地位を保ち菜食獸の如き群居的生物は
社會的利己心によりて社會を單位としての生存競爭によりて其の地位を上進せしむ。生物學の全く開墾されざりし
時代のホッブス、スビノーザならば個體を顯微鏡によりて考察する事なく、空間と卵との漠然たる思想より獨斷的
個人主義を持するに至るも咎むべきに非らずと雖も、生物學者其者が今に尚其の獨斷を繼承して幾んど個體の觀念
につきて無智なる者の如ぐ、個人的生存競爭のみを主張して社會性による生存競爭を忘却せりとは何たる事ぞ。
 クロポトキンの相互扶助による生存競爭
 實に、今の生物學者は玉を抱いて瓦の如く考へつゝある者なり。生物進化論が人類に與へ
たる福音は、如何なる道徳論も如何なる宗教も及ばざる者なることを氣附かざるか。ダー
ヰンによりて惡魔の聲の如く響きたる生存競爭説は、終にクロポトキンに至りて相互扶助の發見となれり。即ち是
れ個體の高き階級たる社會を單位とせる生存競爭にして、古來の漠然たる道徳的意識に明確なる科學的根據を與へ
たる者なり。古人は其の思辨的考察と、直覺的に社會的本能を認識することゝによりて、アリストーツルは人は政
治的動物なりと云ひ、國家の外に在る者は神か然らざれば禽獸なりと云へり。氏の國家とは社會が常に政治的組織
に於て發見せらるゝの故にして、實に人は天性よりして政治的組織をなし、共同生活をなして存在する動物なり。
 生物進化論は古史の漠然たる道徳的意識に科舉的根據を與へたり
而して國家の外に在るものは神か然らざれば禽獸なりとは、亦實に人は社會に
よりてのみ人たるを得と云ふ今日の科學の結論を哲學史の緒論に於て書き始め
たる者なり。シセロが蜂は其の巣を作る目的の爲めに群集を爲すものに非らず、其の性群集に在るが故に巣を作る、
ときに於て勞力を協同するのみ、而して人の社會を組織するは全く人の天性によるものにして共同の目的の爲めに
勞力を協同することは此の天性あるが爲めなりと云ひしは、クロポトキンが生物學によりて説明せる原理を羅馬の
遠き昔に於て一個の公理として殘し置ける者なり。此の社會的利己心は社會單位の競爭の最も激烈なりし古代に於
ては最も多く要求せられ、等しく重要なる個人的利己心が全く壓伏せられ來りしを以て、社會單位の競爭の平靜な
るに至るや個人的利己心が必ず伴ひて頭をもたぐ。希臘の末年、羅馬の末年に於ける個人主義の源泉即ちこれにし
て中世基督教の統一の下に於ける社會單位の競爭の杜絶と共に、思想信仰の自由となり、政治經濟の獨立となり、
個人の自由獨立は終に偏局的に要求せられて個人主義の思想は澎洋の大河となりて歐州の天地を洗ひ其の波濤の餘
波を十九世紀の半ばにまで波うたせたり。されば此の個人主義の大河に浮びて流れつゝありしホッブス、ルーソー
 偏局的個人主義を顛覆せる生物學
の徒が、人類の社會的存在なることを解せずして或は契約前なりと云ふ自然の状態を想像して
各人の各人に對する戰鬪と伝ひ、或は各人皆神の如き目由獨立を有せりと云ひて其の上に社會
契約説を建設せしとするも毫も怪むべきことに非らず。然るに生物學によりて、人類のみならず多くの動物が個々
に生息せずして社會的群集に、て存在する事を説きつゝある生物學者其者が、今尚彼等溺沒者の足にすがりて個人主
義の流れに溺れつゝあるは何たる奇怪ぞ。十九世紀の半ばに善かれたるダーヰンの『種の起原』が偏局的個人主義
の餘波を受けて生存競爭の單位を個人、或は個々の動物に置き、爲めに其の生存競爭説が道徳的要求と背馳する方
向に走れりとするも、彼は生物進化の事實の發見者として從來の天地創造説を破るに急に、爲めに其の事實の解釋
たる理論にまで完からん事を要求する能はざれぱなり。實に個人主義の今日に至て全く維持すべからざるに至りし
所以の者は理論其者に於ても、例へば、人は元來詐り易き者なりと斷定して而も契約によりて社會を組織せりと云
ふホッブスの如く、人は自然に自由獨立の主権を有すといひて而も壓制暴戻の社會を契約によりて組織せりと云ふ
ルーソーの如く、自家撞着の甚しき者を根本思想とするによるのみならず、生物學の研究によりて事實として人が
個々に存在せぎりし事を指示さるゝに至りしを以てなり。實に、今白の政治學經濟學等の社會的諸科學は、人は決
して契約の如き方法によりて社會を作れる事實なく、人類の社會は他の動物の社會的群集を爲しつゝある如く社會
的動物なるが故に始めより社會を爲して存したりと云ふ生物學の發見によりて、茲に從來の思辨的獨斷より目醒
めて其科學の根底より組織を建て替へたるなり。而して其の人類ぱ始めより各人の各人に對する爭鬪の者に非らず
又各人悉く神の如き自由獨立の者に非らずして社會的動物としての社會的存在なりと云ふことは、更に社會的結合
の大にして強きものは其の社會的利己心即ち相互扶助による大個體を單位としての生存競爭に於て他の孤獨なる其
等に打ち勝ちたりと云ふ進化の説明と結合して、個人主義の諸科學を愈々價値なきものとなし終れり。即ち、人は
個々分立にして個人的利己心のみなりと云ふ假定よりして、資本勞力の協同よりも各々の相殺破壞が遥かに多き生
産を來すと論ずる經濟學、契約以前は自由獨立の個々に於て存在せりと云ふ斷定より國家社會の如き結合團結は止
むを得ざる害物なりと説きつゝある政治學は、實に生物學の發見せる人類の萬有に對して優勝者たるを得たるは其
の社會的生物としての社會的利己心、即ち相互扶助に在りと云ふ事實によりて根底より覆がへされたればなり。團
結は強力なりとは生物界を通じての原理なり。−−即ち、相互扶助による高級の個體を単位として生存競爭をなす
 高等生物の生存競爭は社會單位の相互扶助なり
菜食動物は、分立による下級の個體を單位とする肉食動物に打ち勝ちて地球に蔓延せり
と云ふ事なり。敢て丘博士とのみ云はず、今の生物進化論者にして生存競爭を個人間或
は個々の生物間のことのみと解するならば、個々としては遥かに弱き菜食動物が肉食動物に打ち勝ちたる所以も解
せられざるべく、野馬が其の團結を亂さゞる間は一頭と雖も他の猛獣に奪はるしこと無しと云ふが如き無數の現象
を説明する能はぎるべく、牙と爪とを有せざる人類は原人時代の遠き昔に於て消滅したるべき理にあらずや。否!
喰人族の野蠻人も其の喰ふ處の肉は個人間の鬪爭によりて得るに非らずして、生存競爭の單位は少くも戰鬪の目的
に於て協同せる部落なり。最も協同せざる肉喰動物と雖も生存競爭の單位は如何に少くも相互扶助の雌と子とを包
含せる聊か高級の個體に於て行はれ、最下等の蟲類たる蚯蚓の如きすら土中に冬籠る必要の爲めには二三相抱擁す
るが如き形に於て暖を取るの共同扶助を解すと云ふ。生物の高等なるに從ひて愈々個體の階級を高くし、鳥類獸類
の如き高等生物に至りては殆ど全く人類社會に於て見るが如き廣大強固なる社會的結合に於てのみ見出され、社會
的結合の高き階級の個體を單位として生存競爭をなす。而して此の高き階級の個體を單位としての生存競爭は其の
個體の利己心、即ち社會的利己心、更に言ひ換ふれば分子間の相互扶助によりてのみ行はれ、個體の最も大きく相
互扶助の最も強き生物が最も優勝者として生存競爭界に殘る。人類の如きは其の優勝者中の最も著しき者の例なり。
實に生物學者は自家の貴きを顧みるを要す。社會單位の生存競爭と云ひ、相互扶助による優勝劣敗と云ふことは基
督よりも釋尊よりも遥かに々々高貴なる福音なることを。生物進化論が此の福音を擧けて惡魔の有識を殘らず根底
より顛覆せしが爲めに、單に政治學と經濟學とのみならず、倫理學の上にも教育學の上にも心理學の上にも『社會
 主物進化論の哲學史上の革命と社會に於ける社會主義の革命
主義』の金冠が加へられ、人類の思想史は全く新たなる光明界にむかつて流れ始
めたるなり。實に生物進化論は哲學史上未曾有の大革命なりき。吾人が社會主義
を生物進化論の上に建てゝ又等しく大々的革命を以て任ずる者、誠に生物學者の思想界に爲せる所を現實の社會に
爲さんとするにあるを以てのみ。吾人は個人主義の獨斷的假定を思想の根據として生物進化論を解釋しつゝある生
物學者によりて虐待せらるゝとも、生物進化の事實は社會主義を待ちて始めて説明せられ得べきを見て歡喜に堪へ
ざる者なり。
 
 吾人をして丘博士の迷妄を啓かしめよ。吾人は博士が屡々人種競爭と云ひ國家競爭と云ふを見て必ずしも個人以
 單位たる個體の階級は生物種屬の進化するに從ひて高まる
上の或る高き單位の生存競爭の存するに考へ及ばざりしと信ずる者に非らず。而し
ながら博士は生存競爭の單位を定むべき根本點たる所の個體の定義をすら決定せざ
りしほどの不注意よりして、競爭の單位が生物種屬の進化に伴ひて擴大し行くことを全く解せざるかの如し。即ち
以上説ける如く、下等動物の生存競爭の單位は最も低き階級の個體即ち個々の生物單獨の生存競爭なるに高等動物
に進むに從ひ其の競爭の單位たる個體の階級を高くして社會と云ふ大個體を終局目的とする分子間の相互扶助によ
る生存競爭に進化するを解せざると同樣に、此の單位の進化は人類に於ては特に(人類としての歴史の進行中に於
て)其の進化と共に愈々擴大し行くと云ふ『社會進化論』につきて些の考ふる所無きが如し。斯くて博士は歴史上
の革命に對して無神經の冷笑をなし、來るべき革命によりて得べき世界聯邦論を輕侮して不靈殘忍なる帝國主義の
讃美者となれり。
 世人は生物學者たる丘博士に對して歴史的智識を要求せざるべし。而しながら吾人は生物進化論者たる博士とし
 丘博士は進化論と背馳する循環論の思想を有す
て歴史の進化を輕視すること恰も宇宙循環論を爲すものし如くなるを怪しむ。循環論と
進化論と、是れ氷炭相納れざるものに非らずや。丘博士にして生物進化論を信じ、而し
て人類の歴史は人類と云ふ一生物種屬が進化せる跡なりとしての社會進化論を信ずるならば、歴史上の革命を以て
單に一種の夢想より生ぜる擾亂の反覆なりと云ふが如き口吻は進化論者として有るまじき純然たる循環論の思想な
り。而して現今の地理的に限定されたる社會、即ち國家を以て永久に生存競爭の單位となし、今日の進化の途上に
於て生ぜる人種の差を以て永劫まで相對抗すべき單位の競爭者なるかの如く斷ずるに至つては萬有を靜的に考ふる
者として愈々以て進化論の思想と背馳す。若し丘博士にして、山腹或は沼澤に數十百人の小さき群をなし他の小さ
き群と無関係に若しくは爭鬪して生存しづゝありし原人部落より、併呑或は合併の途によりて漸時に歴史時代の人
 国家競爭人種競爭は歴史の進化によりて其の單位を大にし行く
口の稀薄なる境域の小さき小國家となり、主に種々の征服分裂の後今日の如き幾
千萬人數億萬人を包容せる大國家として對立するに至れる進化の跡を顧みるなら
ば、今日の大國家が、今日の大國家にまで進化し來れる原理を辿りて更に今後のより大なる國家にまで進化し行く
べきことを推理せよ。現今の單位に於てする國家競爭、今日の差別に基きてする人種競爭を見て、直ちに今後の進
化を想空して努力しづゝある社會主義に對抗を試むる如きは生物進化論を解せざる者なりと云ふの外無し。
 帝國主義の國家競爭に就きては後に説く。只、吾人は丘博士が其の生物學の上よりして帝國主義の裏書人となれ
る態度を見て、誠に世の導きたるべき科學者が却て世に随伴を事とするの顛倒を遺憾とす。固より吾人は生物學上
の事實として變種間に生存競爭あり。而して其の競爭を多く鬪爭に訴へて決しづゝあるを否むものにあらず、而し
 丘博士の帚國主義論は競爭の内容の進化し行くことを解せざるより起る
ながら是れ先きに言へる如く生物種屬の階級の進化するに随ひて其の競爭の内
容を進化せしむることを解せざるより來る。獸類が其の變種間に於て牙と爪と
を以て生存競爭を爲しつゝあるは其れだけの事實にして、人類と云ふ他の生物種屬の階級の其れが亦等しく其の方
法に於てせざるべからずと云ふことゝは別問題なり。而して又、人類の過去及び現在に於て異人種異國家間の生存
競爭が戰鬪によりて行はれ來りしとするも牙は其れだけの事にして、人類の進化と共に人類の生存競爭の内容が更
に進化して他の方法にて優勝を決するに至るべきや否やは別問題なり。社會主義の戰爭絶滅論は生物種屬は進化に
伴ひて競爭の單位を擴大し行くと云ふ一の理由によりて人類種屬を生存競爭の単位として他の生物種屬に對して完
き優勝者たらんが爲めなると共に(後に説く)人類単位の其れに到達するまでに生物種屬は進化に伴ひて競爭の内
容を進化し行くと云ふ他の理由によりて國家競爭を聯邦議會の辯論に於て決するに至らしめんとする者なり。若し
丘博士の如く利害の背反を直ちに戰爭の不滅に推及せしめんとして縣會議院内に於ける田紳閥諸君の雄辯を國際戰
爭の屍山血河に比するが如き疎雜なる推論を爲さず、地方間の利害の背反が戰爭によりて決せられし者より進みて
縣會の多數決に至りし如く、今日の國家間の利害の背反が亦今日の如き戰爭によらずして聯邦議會の決議にて決定
するに至ると推論せば、生物進化論を掲けて社會主義を排するが如き失態なかるべかりしなり。丘博士は歴史の進
 丘博士は帝國主義の空想を以て却て社會主義の者となす
化を無視して恰も相刺殺する進化論と循環論とを混在せしめつゝある如く、全く相
納れざる社會主義と帝國主義とを混直しつゝあり。社會主義の戰爭絶滅は世界聯邦
國の建設によりて期待し、帝國主義の終局なる夢想は一人種一國家が他の人種他の國家を併呑抑壓して對抗する能
はざるに至らしむる平和にあり。是れ歴史上多くの英雄に指導せられたる民族の爲せし所にして、嘗て驕慢なる獨
乙現皇帝の夢に入りし所のものなり。(獨乙皇帝は他の國家の強大と國内の社會黨の勢力の爲めに今は世界統一の
帝國主義を棄却したりと傅ふ)。然るに丘博士たる者社會主義の萬國平和の理想に對して『假に一人種が他の人種
に打ち勝ちて世界を占領したとするも場所々々によりて利害の關係が違へば忽ち爭が起つて數ケ國に分れてしも
う』との非難は何たる事ぞ。是れ帝國主義にして社會主義の力を極めて排斥しつゝある空想なり。固より循環論的
思想を有する博士の如く歴史は繰り返へす者にあらず、從て征服による統一の跡に分裂の來るも、其の分裂は統一
 帝国主義の歴史上の効果
されざる以前よりより大なる單位に於て對立し、若しくはより大なる單位たらんが爲るに小單位
に分裂す。歴史に意義なきものなし、斯の點に於て今日までに行はれたる國家競爭が征服併呑の
形に於て社會を進化せしめたる−−即ち社會學者の所謂同化作用によりて個體の階級を高めて今日までの大國家に
進化せしめたるは固より事實なり。故に吾人は帝國主義を以て歴史上社會進化の最も力ありし道程たることを強烈
に認識す。而しながら同化作用と共に分化作用あり、外部的強迫力によりて同化するより外なかりし國家競爭の進
 同化作用と分化作用
化は他の進化たる分化作用によりて其の同化作用を阻害せられ、又外部よりの同化作用を強迫さ
るゝことの爲めに分化作用を壓迫せられて社會の進化に於て誠に遲々たりき。−−社會主義の世
界聯邦國は國家人種の分化的發達の上に世界的同化作用を爲さんとする者なり。故に自國の獨立を脅かす者を排除
 社會主義は国家を認識し国家競争を認識す
すると共に、他の國家の上に自家の同化作用を強力によりて行はんとする侵略を許容せず。
−−この點に於て社會主義は國家を認識し、從て國家競爭を認識す。吾人は生物進化論を
唱へたるダーヰンと同時に於て社會進化論を説けるマークスの偉大を尊ぶものなりと雖も、彼等よりも進化せる現
代の人として彼等の言を信仰個條とする者に非らず、階級競爭と共に國家競爭を事實のまゝに認むる者なり。階級
は横斷の社會にして、國家は縱斷の社會なればなり。而しながら同化作用によりて階級的隔絶の漸時に掃蕩せられ、
 階級鬪爭と國家競爭
小國家の對立が歴史の進化によりて消滅すると共に、即ち競爭の単位たる個體の階級を高めて進
化すると共に、更に其の競爭の内容を進化せしむることを看過すべからず。社會主義の世界聨邦
論は斯の競爭の單位を世界の單位に進化せしむると共に、国家競爭の内容を聯邦議會の議決に進化せしめんとする
者なり。階級鬪爭が始めに競爭を決定すべき政治機關なかりしが爲めに常に反亂と暗殺の方法にて行はれ來りしも
の、今日内容の進化して競爭の決定を投票に訴ふるに至りたる如く、現今の國家競爭が等しく未だ競爭を決定すべ
 聯邦議會にて決する國家競爭
き政治機關なきが爲めに今尚外交の隱謀譎詐と砲火の殺戮の方法に於て行はるゝものを、今後は
階級競爭の其れの如く投票によりて決せんが爲めに世界聯邦論あるなり。固より同化作用が階級
間に行はるゝ如く國家間に行はれて階級鬪爭の絶滅の如く、更に一段の進化によりて聯邦間の競爭は全く絶滅して
人類一國の黄金郷に至り、全人類を同胞とする同化作用と共に障害なく發展する個性の分化作用によりて社會を進
化せしむるに至るべしと雖も、社會主義の實現されたる當座の近き時代に於ては聯邦議會内に於ける利害の全然一
致すべきことは想像し得べからずとすべし。社會主義は帝國主義の如くユトピア的世界統一主義の空想に非らざれ
 丘博士の論理の蕪雜
ばなり。實に丘博士にして縣會議員の激論に對照せしめんと欲せば決して國際戰爭を以てすべか
らずして、此の聯邦議會内に於ける各國代表者の説述問答を以てすべく。利害の背反を直ちに戰
爭不滅論に歸結せしめんと欲せば、縣會議事堂内の發砲拔劔を前提としての後なることを要す。由來、比喩の玩弄
は科学者として謹慎なるべきなり。
 考うるに。人種競爭論を殘忍不靈なる口吻に於て主張する者は多く文明人と野蠻人とを先天的に異なる者の如く
 天地創造説の思想を以て人種競爭論を不靈殘忍ならしむ
信ずる先入思想を有する者なり。丘博士にして若し是れあらば是れ由々しき大事に
してダーヰンによりて打破せられたる天地創造説を執る者なり。實に後にも説く如
く今の生物進化論者は特に多く天地創造説を無意識の間に繼承して思想の中樞を作りつゝあり。文明人は天地の始
めより文明人にあらず、野蠻人は地球の終局迄野蠻人として了るべく創造せられたる者にあらず、野蠻人と雖も文
明国の空氣中に育つれば文明國人に劣らず充分に發達し、文明國人と稱せらるゝものと雖も其の小兒を捉へて野蠻
人の部落に置けば全く野蠻人として停滞すべし。『人は只社會によりてのみ人どなる』。吾人が前編の倫理論に於て
述べたる如く人は境遇によりて狼ともなる。されば人の團繞せられたる社會的境遇によりて、其の文明社會なると
きは文明人として作られ野蠻社會なるときは野蠻人として作らるゝは容易に想像せられ得べし。吾人は文明社會に
育成せられ、原人の野蠻時代より今日に至るまでの十萬年間と計算さるゝ長き時日の積集せる智識を、二十歳に至
るまでに吸収し體得して以て文明人となれるなり。或る四圍の境遇によりて依然たる原人の状態に止まれる、若し
 吾人の文明人に作らるゝ所以
くは原人の状態より吾人と異なれる方向に進化したる社會的境遇に圍まるゝが爲めに、野蠻人は
死に至るまで何等吸收すべき智識の社會に存在せざるを以て常に野蠻人を繰り返へしつゝあるの
み。吾人の遠き祖先たる原人が火を發見するに如何に長き進化の後なるやも知るべからずと云ふに、吾人は母の乳
房を含みつゝ驚くべき石油の發火と電氣の發光を眺めつゝあるにあらずや。十進數の如きは如何に遥か後代の發明
なるやも知るべからず、而して此の發明の爲めに如何に人類の智識が整頓されしか圖るべからずと云ふに、吾人は
五六歳にして其れ以上の高等なる數學を知るにあらずや。吾人の生息する地球の動きつゝ太陽の周圍を繞ぐること
を知り、圓形なることを事實において知りしは僅かに五六百年前、即ち原人の始めより計算すれば九萬九千五百年
の後において漸く得たる智識なるも、吾人は十二三歳の小學兒童にして明白に其の理由までも解しつゝあるにあら
ずや。コロンブスの船長とワットの火夫を有する社會的歴史的智識を滿載せる大汽船がダーヰンを載せて世界漫遊
の途に上りしが爲めに生物進化論は發見せられ、而して吾人は今この筆に於て斯の驚くべき智識を論議しつゝある
にあらずや。−−文明國人は文明國人としての肉髏的遺傅の外に文明の智識の社會的遺傅によりて文明國人として
 肉體的遺傳と社會的遺傳
作らるゝなり。吾人文明國人は生れながらの肉體に於て文明國人となれるに非らずして、此の歴
史的智識を遺傅しつゝある社會に置かれて、其の智識を受入るゝことによりて文明國人として作
らるゝなり。野蠻部落の兒童が文明的教育の下に於て殆ど文明人に比肩し得べき智識道徳の發展を爲し得たる幾多
の事例は、進化論を個人主義によりて解釋・せる代表的學者とも云ふべきべンヂャミン・キッドの『社會進化論』
にてすら無數に引用せるを見よ。吾人は人は只社會によりてのみ人たるを得との事のみを以て、今日の程度にまで
分れ來れる人種の分科的發達による遺傅の相違を輕視せんとする者にあらず。而しながら只一切を肉體的遺傅にの
み歸して社會的遺傅、即ち智識の歴史的集積を忘却し、南洋の或る土人が十以上の數を數ふるとき頭痛を起すと云
ふが如き事例を擧けて反證せんとする者あらば、吾人は多大の尊敬を以て下の如く答ふ。そは年老いて神經中樞の
 肉體的遺傳其者も種屬的智識を繼承する本能なり
衰弱せるが爲めにして、博識の老いたる野蠻人が獸類教の生存競爭が如何に謬れるかを
説き聞かさるゝも死に至るまで移るの期なきと同一の現象なりと。否! 遺傅其者が生
物進化論によりて種屬的智識を繼承する本能なり。
 而しながら現今の如き野蠻人が永久に科學者の興味ある材料として地球に存すべきものに非らざるは論無し。吾
人は社會主義者として人類同胞の理想と、同胞たる所の智識を人類一元論によりて有する者なり。然しながら事實
を事實として人種の差等を認む。而して下等人種の消滅すべき運命なることをも認む。−−誤解すべからず、吾人
が下等人種の消滅を云ふは從來の如き驅逐或は殺戮の方法によりてする人種競爭にあらず、下等人種其れ自身が文
 下等人種の滅亡は社會進化の當然なり
明に進むことによりて野蠻人として消滅し、若しくは冷酷なる生存競爭律によりて野蠻人と
しての現状を維持する能はずして消滅すべしと云ふことにあり。吾人は涙を以てする人道論
とは無關係に、社會進化の理法と理想とによりて社會主義を説く者なり。進化は一に生存競爭による。社會進化の
途上相互扶助の道徳なき無數の個人を失敗者として淘汰しつゝある如く、文明の進行に併行して進む能はざる人種
の減亡しつゝあるは如何ともすべからず。人類と云ふ大社會は地理的小社會の上に起越して一大個體なり。小社會
の進化が眞善美に於て劣れる個人の淘汰によりて得たる如く、大社會の進化に於て亦眞善美に於て劣れる人種が淘
汰せらるゝは如何ともすべからず。−−而しながら野蠻人中の文明に進む能はぎるものゝ野攣人として消滅すべし
と云ふことゝ、文明人が野蠻人を壓迫して滅亡せしむるの權利ありと云ふことゝは全く別問題なり。生存競爭の内
 人種競爭の内容の進化
容は生物種屬の階級の進化によりて進化する如く、人類種屬の歴史の進化するに從ひて進化す。
相互扶助の道徳なき個人が嘗て死刑によりて淘汰せられしも進化して他の競爭の方法によりて滅
亡しつゝある如く、驅逐或は殺戮の方法によらずして人種間の生存競爭は今日の正義の理想と背馳せざる方法によ
りて行はるべし。滅亡の名に戰慄する勿れ。個人として、又人種として社會性の缺亡せる者の淘汰さるゝなくば如
何にして『類神人』が更に高き進化を得べきや。民族或は国家が小社會としての個體たり從て其の分子たる不適な
る個人が淘汰さるゝも他の分子たる個人が適者として進化しつゝあるならぱ、其れ等を分子とせる社會と云ふ個體
より見て滅亡にあらず進化なる如く、進化に随伴する能はざる人種が消滅するも、他の人種が進化して神の境に入
るなちば、是れを人類一元論による大個體と云ふ點より見で決して滅亡にあらず歡喜すべき進化なり。−−個人主
義の人道論を爲すものに取りて斯る斷言は冷酷に響くべし。然り冷酷なり。冷酷なる生存競爭律は『類神人』とし
 社會主義は個人と人種の劣敗者の上に建てらる
ての境遇に不適なる所の眞ならざる善ならざる美ならざる者は劣敗者として殘酷に淘汰
す。茲に至つては社會主義なる者、恰も一基督の名の爲めに十字軍の犠牲を敢てしたる
如く、限りなき個人と人種の屍の上に『神』を祀らんが爲めに幾萬の劣敗者を穴に葬る。而しながら更に後に説く
如く個體は死するものにあらず、一元の人類と云ふ大個體は其の不適なる分子を淘汰すと雖も、他の分子によりて
生き以て無限の天に進化し登る。即ち、分子自身の進化によりて眞となり善となり美となることによりて不眞不善
不美なりし分子として消滅すると共に、又永久不眞不善不美にして進化する能はざる分子は他の眞善美の分子によ
りて生き以て其の進化を得。然るに斯の生存競爭と云ふ事を直ちに相互の殺戮と速斷するが故に丘博士の如き死刑
 正義の進化と駆逐殺戮による人種競爭論の困雛
淘汰の刑法論となり、不靈殘忍なる人種競爭論となるなり。人類は其の歴史に入りてよ
りも生存競爭の内容を進化せしめ、從て正義の内容を進化せしめて止まず。若し今日の
社會意識の甚しく鋭敏となりて同類を窮迫する事に堪へざるまでに進化せる正義あるに拘らず、尚不靈殘忍なる人
種競爭論を以て不幸なる彼等に壓迫を加ふべしとする學者あらば、吾人は實に問はん−−人類は胎兒の九ケ月間に
おいて魚類の時代を經、獸類の時代を經、生れて人類となるも小兒の間は野蠻人なる原人時代を繰り返へしつゝあ
るを以て、堕胎の如きは魚を釣り獸を射ると同じきがゆえに死刑淘汰の刑法論の外に逸すべく、軍艦を用ひて熱帶
の遠きに行かんよりも、何ぞ先づ爾が産みて爾の膝下に置く野蠻人より殺戮の手を下さゞるやと。野蠻人の極端な
る者にてすら然かり、然るを況んや單に皮膚の色を異にするを以て相殺戮するをや。
 
 死刑淘汰の刑法論よりする驚くべき推論
 死刑淘汰の刑法論と雖も亦然り。若し丘博士及び國家の刑罰權を生存競爭によりて解釋し
つゝある刑法學者の如く改心の見込なきものは人種の改良進歩の爲めに死刑に處すべしと論
ずることは、其の論理によりて恢復の望なき老親は毒薬を盛りて殺すも國家の刑法は處罰する能はぎることゝなる。
人種の改良進歩の爲めに再犯三犯の者は一層死刑を盛にして殺すべしと云はゞ、其の論理の進む所人種の改良進歩
を最も阻害すべき肺病患者を収容せる病院内に斷頭臺を架設するの企に出でざるべからず。人種の改良進歩の爲め
に醜婦痴漢の如きは酌量減刑もなく死刑に處すべく、人種の改良進歩に害ある學者の如きは驥馬の如く繋ぎて刑場
に送るべし。人種の改良進歩は一に生存競爭に在ることば論なしと雖も、生存競爭が必ず死刑に於て行はれざるべ
からざるの理なし。−−社會と云ふ一個體の中に於て其の中の一の分子の上に、他の分子若しくは分子の集合が殺
戮を加ふる事は偏局的社會主義時代の普通良心にして今日の正義に非らず。偉大なる分子が他の分子若しくは分子
 一の分子若しくは分子の集合が他の分子を殺戮する權ありとする偏局的社會主義時代の普通良心
の集合の爲めに犯罪者として死刑に處せられたる著しき例は彼の
基督、ソクラテスに在り。前編に述べたる如ぐ犯罪とは普通良心
に背反する事を云ふ。一時代の普通良心必ずしも次ぎの時代に於て普通良心たる者にあらず、次ぎの時代に於ける
普通良心は多く一時代の普通良心によりて犯罪視せられたる特殊なる分子の先覺によりて作らる。今日偏局的社會
主義時代の良心を以て一の分子の上に他の分子若しくは分子の集合が殺戮の權ありとの主張は、誠に羅馬法王の學
者と學説に對する刑罰權を復活せしめんとする者にあらずや。ダーヰンをしてガリレオに代りて生れしめよ。『進
化論講話』をして中世の伊太利に於て書かれしめよ、生物進化論者は自家の論理によりて絞殺臺に上らざるべから
ず。丘博士は刑法學につきて豊富なる智識を有せざるべし、然しながら萬有進化の大權が何が故に特殊の個人の掌
中に握らるゝかゞ疑はるべきにあらずや。
 遮莫、人類種屬の生存競爭は死刑淘汰の刑法論が今日殘る如く全く道徳的内容の者なりき。是れ人類のみに眼ら
 道徳的淘汰の生存競爭と社會的群集の生物
ず。菜食動物の如き群集を爲して生存し、社會單位の生存競爭に從ひつゝある凡ての生物
に通ずる競爭なり。下等動物の如きは生存競爭の單位が最も下級の個體なるが爲めに其の
内容は各個的利己心の者にして、動物の高等に進むに從ひ其の單位が漸時に擴大して高級の個體なるが爲めに社會
的利己心、即ち社會性による道徳的内容の生存競爭となるなり。故に各個的利己心による肉食獸に於ては牙と爪と
が優勝を決定するも、社會的群集をなす一般の菜食動物に於ては社會性の發達したる者が優者強者にして小我の利
己心のみによりて社會團結を害する者は淘汰さるゝ所の生存競爭の劣敗者なり。彼の象の如きは社會の安寧を害す
るものは放逐せらると云ひ、猿猴類にては姦通の如き最も嚴罰に處せらると云ひ、蟻蜂の社會に於ける道徳的淘汰
は何人も知れる所の如し。而して人類は最も大なる社會を組織せる道徳的生物なり、故に道徳的生存競爭は死刑を
以て淘汰さるゝほどに強烈に行はる。
 原人時代は平和に菜食して漁獵遊牧にあらず
實に人類は原人の遠き昔よりして道徳的生物なりしなり。吾人は斯く斷定せんと欲す。
個人主義時代の學者の契約前の状態は各人の各人に對する鬪爭なりと想像せしが如き虚妄
は固より、原人とは殺戮のみを事とせる純然たる喰人族なりしと云ふが如き推定は最早棄却さるべき根據なき臆説
に過ぎず。即ち、原人の最初の状態を以て漁獵時代と想像して其の魚鳥を殺すことより喰人を學びたるべしと推論
せしも、そは遥かに後のことなるべく漁獵に要する器具を發明するまで進化するに至らざる間は、豊饒無盡の沃野
に天産物を採りて平和に生活せりと云ふことは遥かに合理的の推測なりと信ず。若し原人が喰人族なりしならば彼
の原人時代を短かき年月中に繰り返へす所の小兒が、其の足の裏を合せて獸類の坐する時に爲す如く爲すと同樣に、
一たび必ず猛惡なる性情を表はさゞるべからず。然るに事實は全く正反對にして神の笑ひと稱せらるゝ如く最も平
和に最も怯懦なるにあらずや。而して此の小兒の平和と怯慨とは、原人の平和なる生活と、雷鳴風雨猛獸鬼神暗K
等に對する無數の恐怖を抱きし原人の怯懦を説明する者なりと見らるべし。吾人は信ず、根本の誤謬は今日の野蠻
 今日の野蠻人を以て文明人の原始に推及すべからず
人を直ちに原人と名けて吾人の原始時代に推及することにありと。爭鬪と喰人とは饑
餓の民族と氣侯の爲めに荒びたる性情を有する民族のみに限る。今日の野蠻人の中に
爭鬪喰人の風盛なるものあればとて、全く境遇の異なれる至福に置かれて天淵の懸隔ある發達を爲せる今の文明人
の原始に推及することは、人種の分科的發達を認むる者の爲すべからざる所なり。人類は今日肉食も半ばしつゝあ
りと雖もそは亦等しぐ遥かに後代のことなるべく、今日の猿猴類と共に類人猿より分岐せる原人の當時に於ては純
然たる菜食動物として豊饒なる平野に社會的群集を爲して存せしなるべし。何となれば社會的群集をなす菜食動物
は獨居治生活をなす肉食動物に打ち勝ちで今日の如く地球に蔓延せりと云ふことが生物學上の事實にして人類が今
日の猿猴類よりも虎の如き猫屬に近き血系の者なりと信ぜざる限りは、原人が猿の如く平和に群集せずして虎の如
く相殺戮せりと云ふが如き想像は根據なきことなり。否、虎と雖も虎と虎との間に於ては猥りに相殺戮せず、後に
食物競爭につきて説く如く生存競爭の意識的なる對敵は食物にせんとする生物種屬と食物たる生物種屬との異種屬
間の競爭にして、間接に無意識的に行はるゝ同一種屬の食物に對する同種屬間の個々の競爭の如きは、食物の僅少
なるが爲めに重複せる慾望の衝突の場合より外起るものにあらざるを以てなり。果して然らば虎の如き牙と爪とを
有する肉食獸すら食物の充分なるときに於て相爭はざるならば、豊饒なる天産物の中に置かれたりと推定さるゝ原
始人が虎にしてすら相爭はざる所の餘りある食物の爲めに爭鬪喰人を事とせし非社會的生物なりしとは誠に思考し
得べからざることなり。堯舜の時代とは斯る原始時代を云ふ。
 
 漁獵遊牧の時代に入りて部落單位の生存競争をなし意識的道徳時代となる
 然るに、人口の攝Bと共に豊饒なる沃野の狹隘を來し、或者は漁獵時代に
入り、或者は遊牧時代に進み、以て其の漁場と牧場との爲めに烈しき生存競
爭を開始したり。而してこの競爭は部落を單位とせる、即ち小社會單位の生存競爭にして部落の各員の相互扶助を
最も強盛に要求せられたり。各員の獨立自由は一切無視せられて部落の生存發達的素朴なる彼等の頭腦に人生の終
局目的として意識せらるゝに至れり。−−斯の意識は是れ原人の無爲にして化すと云はるゝ無意識的本能的社會性
が、生存競爭の社會進化によりて實に覺醒したる道徳的意識として喚び起されたる者に非ずや。漁獵時代遊牧時代
の殺伐なる爭鬪を以て道徳なき状態なりと速斷する如きは幼穉極まる思想にして、この部落間の爭鬪の爲めに吾人
 小社會單位の生存競爭時代と死刑淘汰
は始めて社會的存在なることを意識するを得たるなり。是れ即ち偏局的社會主義時代の古代
にして社會單位の生存競爭の爲めに個人の自由獨立は全く蹂躙せられ、社會の名に於てする
社會の一分子若しくは分子の集合の意志によりて當時の普通良心に不道徳なりと認められたる者は實に輕率にして
殘忍なる方法による死刑を以て淘汰せられたりき。彼の偏局的社會主義時代のルヰ十四世が朕即ち國家なりと云ひ
 朕即ち國家の意義
しは、皇帝其人が社會の分子たると共に社會の凡てたりしを以ての故にして、其皇帝なる一分子
をのみ國家なりとして他の凡ての國家の分子は國家なる皇帝の利uの爲めに存在し、而して其の
存在の爲めに忠順の道徳的義務が愛國の其れと一致し、皇帝に不忠なる者が即ち國家に對する叛逆者として取扱は
るゝに至りしなり。此の偏局的社會主義による道徳的淘汰は原人の時代より歴史時代の中世史の終りまで續き、又
現今に於て眼前に行はれつゝあり。希臘羅馬の建國當時に於ては民族單位の偏局的社會主義が隆盛を極めて彼のソ
クラテスをも毒殺し(而して其の民主國なりしが故にルヰ十四世の如く一分子即ち國家にあらずして分子の集合
意志即ち國家の意志なりき)。中世暗K時代の封建的區劃を單位としての生存競爭の激烈なりしが爲めに貴族階級
を組織せる分子の意志に反する者は即ち社會の叛逆者として最も輕率にして殘忍なる死刑の方法によりて淘汰せら
れ、自由獨立を持てる者は社會の意志を表示すと云ふ君主若しくは貴族の階級のみにして、下層階級の個人は全く
其權利を認識せられざりき。彼の敵國外患なければ國即ち亡ぶと云ふ素朴なる歴史哲學は誠に古代及び中世を通じ
て民族或は地理的區劃の小社會を單位として生存競爭をなし、其の生存競爭の單位たる所の國家の爲めに(事實論
としては國家の意志の宿る所たる社會の一分子若しくは分子の集合の爲めに)、個人が存在しつゝあることを示す
ものにして、佛國革命前後の個人主義の獨斷的假定を以て生存競爭を解釋しては人類種屬の歴史、即ち社會進化論
を全く説明する能はず。(此の説明は後に國家の本質及び國家の意志を説くに重要なり、『所謂國體論の復古的革命
主義』を見よ。)
 而しながら社會の進化は同化作用と共に分化作用による。小社會の單位に分化して衝突競爭せる社會單位の生存
 同化作用による社會單位の擴大と分化的發展の個人主義時代
競爭は、衝突競爭の結果として征服併呑の途によりて同化せられ、而して同化に
よりて社會の單位の擴大するや、更に個人の分化によりて個人間の生存競爭とな
り、人類の歴史は個人主義の時代に入る。彼の希臘羅馬の末年に放ける個人主義萌芽は實に其征服併呑による同化
作用に依りて社會の單位が擴張せると共に社會單位の生存競爭の沈靜せるを以て、覚醒せる競爭の分化的發展の要
求にして、其偶々社會單位の生存競爭を爲しつゝありしゲルマン蠻族に亡ぼされて偏局的社會主義の中世史を晴K
 希臘羅馬未年及び羅馬法王の下にて個人主義の興起したる事實
に經過せしと雖も、更に、其の封建的區劃の小社會單他に於てする生存競爭が羅
馬法王の教權の下に同化せらるゝや、茲に個人主義の大潮流となりて個人の分化
作用を以て社會を進化せしむる時代に至りしなり。而して波状形の進動を以てする社會進化の方則によりて、恰も
天地創造説が人類の地位を神の子なりとせしに對して生物進化論が獸類の屬なりとせる如く、社會の一分子たる個
人が他の分子たる國王貴族の爲めに犠牲たりし階級國家の打破の爲めに個人の價値が終局目的として認識せられ、
社會國家の如きは個人の自由獨立の爲めに組織せられ個人の意志によりて解散するを得べき機械的作成の者なりと
するに至れり。個人は目的なり、手段たるべからずとは個人主義の精神なりき。ダーヰンの生存競爭が全く個人單
 個人單位の生存競爭は遥かに後代の歴史的過程なり
位の生存競爭のみの者となりしは此の偏局的個人主義の餘波に漂はされたるが爲めに
して、丘博士及び一般の生物進化論者は其の今日に於て主張しつゝある所の生存競爭
とは遥かに後代の歴史的過程の者なるを知ることを要す。
 實に斯の社會單位の生存競爭と個人單位の生存競爭とは社會進化論を偏局的社會主義と偏局的個人主義との二大
柱となりて建設する者なり。而して斯の二大柱の或は長くなり或は短かくなることによりて動揺しつゝ支へられ來
 社會民主々義
りし社會進化は、此の二大柱を併行して建てたる社會民主々義の理想によりて始めて健確なる急
調を以て進化すべし。社會民主々義は社會の利uを終局目的とすると共に個人の權威を強烈に主
張す。個人と云ふは社會の一分子にして社會とは其の分子其のことなるを以て個人部ち社會なり。之れを偏局的個
人主義時代の機械的社會觀の如く個人のみ實在のものにして社會とは其の個人の集合せる或る關係若しくは状態な
りと解しては、個人は目的たるべし手段たるべからずの言ば意義なしと雖も、個人が社會の分子として社會其者た
る以上は個人の目的は即ち社會の目的たるべきなり。−−社會主義は此意味に於て個人主義を繼承す。然しながら
分子たる個人は其死と共に滅亡す、故に分子たる個人其者を終局目的としては目的は五十年の後に終局して意義な
し。故に個人の自由獨立は社會進化の終局目的の下に於て嚴肅なり。又、偏局的社會主義の如く社會の分子たる個
 社會主義は個人の分化的發展の爲めに個人主義を繼承す
人の自由獨立が他の分子若くは分子の集合の下に蹂躙せられては、君主若くは貴族
等の權力階級の意志が絶對不可侵なるを以て、個人の分化作用を以てする個人間の
生存競爭によりて社會良心の内包を豐富ならしむる能はず、從て社會の生存を終局目的とすと雖も社會の進化に於
て誠に遲々たるの外なし。即ち、社會は社會全分子の上に幸福進化を來らしむる能はずして、社會の或る階級の分
子のみ自由獨立に其他の下層階級は其等の分子の榮華幸福を築かんが爲に全く礎石たるに過ぎず。社會の進化は同
化作用と共に分化作用による。分化作用を完全に行はしむるに缺く可らざる個人の自由獨立が君主(君主國時代に.
於ては)若くは貴族階級(貴族國時代に於ては)の少數に限られ時代の進化に急なる能はざりしは止むを得ざる事
にして、之を今日及び今夜の民主國時代の如く全國民悉く自由獨立を認識せられて分化作用を大多數に於て行ふに
至りて社會の驚くべき勢を以て進化し始めたるは亦當然也。實に社會主義は個人主義なくして高貴なる能はず。感
謝すべきは個人主義なり。
 希くは今の個人主義者と國家主義者と、實に現社會の状態につきて一觀する所あるべし。經濟的貴族等が各地方
 國家主義と個人主義とは共に現社會の經濟的貴族國に對して革命に出でざるべからず
(地主ならば)各職業(資本家ならば)に群雄諸侯の如く割據して國家の
經濟的源泉を掠奪し、彼等が國家の分子として國家の幸福の爲めに努力
すべき義務あることを忘却し宛として國家を手段の如く取扱ふ。−−國家主義者なるもの斯くて甘ずるを得るや。
經濟的貴族のみ其の經濟的獨立よりして個人の自由を放誕に主張しつゝありと雖も、經濟的武士の階級も經濟的
土百姓の階級も只管に奴隷的服從を事として佛國革命以前の如く個人の權威なるもの地を掃つて去れり。−−個人
主義者なる者斯くて何の疑問をも刺激せられざるや。吾人は慷慨と涕泣を以て社會主義を説くものにあらずして、
科學的宿命論の上に理論のみを主張す。故に今日までの經濟的貴族國時代を以て罪惡となし誤謬となすが如きもの
にあらずして、社會道化の當然なる道程として、社會全分子の幸福に浴する能はざるが爲めに或る階級の分子のみ
先づ經濟的獨立よりして政治的道徳的自由を持たるものなることを認識す。然しながらこは一過程のことにして固
より永遠のものにあらず、嘗て武力を以てせる貴族が他の分子の犠牲の上に權威を築きたる者の、社會の進化と共
に犠牲の分子たりし下層階級が自由獨立を得て社會の全分子に法律上は政治道徳の自由平等を普及せしめなる如く、
經濟史進行中の一過程として今の經濟的貴族階級のみ經濟的進化に浴しつゝありと雖も、更に土地資本の公有によ
る經濟的進化と共に今日の犠牲たる下層階級の經濟的武士經濟的土百姓等は經濟的自由平等による政治的道徳的獨
立を得べし。−−個人主義者なる者何が故に再び佛國革命を繰り返へさずして、國家主義者なる者亦何が故に維新
革命を繰り返へさざるや。貴族政治の經濟的階級國家の現代なることを嚴格に解せよ、階級國家を顛覆せる維新革
命の國家主義は『其の最高の所有權』を振つて經濟的貴族等の土地資本を國家の手に移すべく、貴族政治を掃蕩し
て民主的立法を與へたる佛國革命の個人主義は其の自由平等論を叫びて經濟的貴族等の生産の専制權を民主的合議
制に來すべし。國家と個人の名を以て吾人の純正社會主義を迫害すとは何事ぞ。
 實に、國家主義と個人主義は社會主義によりて其の完き理想の實現を得べき者なり。國家が個人の分子を包容し
 個人の國家に對する犯罪と國家の世界に對する犯罪
て一個體たると共に、世界は國家を包容して其の個體の分子となす。故に個人が其れ
自身を最善ならしむるは國家及び社會に對する最も高貴なる道徳的義務なる如く、國
家は其の包含する分子たる個人と分子として包容せらるゝ世界の爲めに國家自身を最善ならしむる道徳的義務を有
す。此の義務を果すことによりて國家はルーテルの言へる如く倫理的制度たり。然るに、個人が其の小我を終局目
的として國家の利uを害するならば國家の大我より見て犯罪なる如く、國家にして若し−−否! 今日の如く世界
の大我を忘却し國家の小我を中心として凡ての行動を執りつゝあること帝國主義者の讃美しつゝある如くなるは、
實に倫理的制度たるを無視せる國家の犯罪なり。個人の自由が他の大なる我の爲めに意義ある如く、國家の獨立は
世界の大我の爲めに嚴肅なる意義を有して存す。故に偏局的個人主義の如く個人の利uの爲めに國家を手段として
取扱ふことは國家の大我よりして不道徳なる如く、偏局的社會主義の如く小我の國家を終局目的として世界の凡て
 個人の自白と國家の獨立の意義
の國家と民族との分化的發展を無視することは世界の大我よりして許容すべからざる不道徳なり。
個人の自由が害用せられて罪惡たる如く、害用せられたる國家の獨立は戰慄すべき無數の罪悪を
敢てす。−−社會主義の世界主義たる所以は茲に在り。個人の自由を認識する如く國家の獨立を尊重す、而も其の
個人の自由の爲めに國家の大我を忘却し、其の国家の獨立の爲めに更に世界のより大なる大我を忘却することを排
斥するなり。否! 小社會を單位とせる偏局的社會主義時代の國家は其の國家競爭の爲めに個人の自由を蹂躙し、
個人の自由が蹂躙せらるゝ國家は世界の人文に效果なく、從て國家單位の生存競爭に於て劣敗者なり。−−故に倫
 国家の理想的獨立は世界聨邦によりて得られ個人の完全なる自由は萬國平和によりて得らる
理的制度としての國家の理想的獨立は社會主義の世界聯邦によりて
實現せられ、何人の完き自由は小社會單位に於てする偏局的の社會
競爭なき社會主義の萬國平和によりて實現せらるべし。彼の個人主義の佛國革命が其の自由平等論の實現の爲めに
爲されたりと云ふに拘らず、終に四境の同盟軍に對しで國家單位の生存競爭を開始するに至るや、個人の自由は全
 偏局的社會主義の國家競爭の爲めに個人の自由が蹂躙せられたる事例
く蹂躙せられてローランド夫人を斷頭臺に送り、王黨の自由を悉く剥奪して慘
殺したりし如き、如何に個人主義の理想が國家競爭の下に於て一の夢に過ぎざ
るかを見るべく、又彼の日露戰爭の時に於て非戰論を喝道せる者が其の凡ての自由を擧國一致と云ふ偏局的社會主
義の爲めに剥奪せられたる如き實に社會主義の萬國平和の理想が一は個人主義の理想の爲めに唱へられざるべから
ざるを見るべし。社會主義を以て小社會單位の國家萬能時代の偏局的社會主義と同一視して個人を社會の中に溶解
すべしと難ずるが如きは誠に思考の淺き者なりと云ふの外なし。而して萬國平和の實現によりて國家競爭は滅亡の
憂なき聯邦議會の演壇に於て行はれて世界の人文の爲めに倫理的制度となり、個人の自由は或は國家を通じて若し
くは國家を超越して世界の人文に對して道徳的義務を果すべし。而して今日議院内の演壇によりて鬪はれつゝある
階級鬪爭が全く消滅して横の隔絶なき一社會となる如く、今後聯邦議會内に於て爭はるべき國家競爭が更に全く消
滅して縦の障害なき一國家となるに至らば−−あゝ是れ實に黄金郷にして世界を單位とせる大社會の同化作用と障
害なく發展する個人性の分化作用とによりて『類神人』は翼を生じて進化し行くべし。國家主義と個人主義とは社
會民主々義に包容せられて始めて其の理想とせる所の完き實現を得べし。
 
 人類の歴史に入りてより生存競爭の内容進化
 吾人をして生存競爭説の説明に歸へられしめよ。以上説く如く人類の生存競爭は凡ての
生物種屬に通じて社會單位と個人單位との者なりき。而して人類は更に高き生物にまで進
化し行くべき經過的生物として、同化作用によりて小さき單位の社會たりしものより漸時に其の單位を大社會とな
し、又分化作用によりて最初には部落若しくは家族團體の如き個人より大なる單位に分化したるものが、更に小さ
く分化して個人を單位となして愈々精微に分化的競爭をなすに至れり。然しながら斯く生存競爭の單位に於て同化
と分化とを進めたると共に、更に其の同化によりて擴大せる社會單位の生存競爭と分化によりて精微になれる個人
單位の生存競爭とは、其の競爭の内容を進化せしむ。即ち漁獵遊牧時代より社會單位の生存競爭は全く戰鬪により
 強力者の優勝たりし中世
て行はれ、叉個人單位の其れも等しく然りしを以て、武力に於て勝れたる國家從て武力に於て勝
れたる個人は或は酋長となり(漁獵遊牧時代に於て)、或は國王貴族武士となり(歴史時代に入り
て中世史までの如く)、以て生存競爭の優勝者として存したりき。然るに今日に於ては武力に訴ふる生存競爭は社
會單位の其れの或る場合にのみ限られたるを以て軍人階級は其れだけの範圍内に於て生存競爭の優勝者なりと雖も、
國家内の個人間の生存競爭には中世史以前の貴族武士の如く腕力による強者の認識せられざるに至りしこと恰も彼
の武士の習ひとせる切取強盗が死刑若しくは他の重刑を以て淘汰せらるゝ如し。實に國内に於ける生存競爭は佛蘭
西革命以後(日本に於ては維新革命以後)に及んで全く其の内容を一變し、經濟的活動の能力勝れたる者が優勝者と
 勞働を優勝者とせる個人主義の理想
なるに至れり。然しながら革命以前の上層階級と雖も強力が凡ての所有権の基礎たりしを以て
強力に於て優れたる者は經濟的活動の能力者なりし如く、今日の經濟的活動の能力者と雖も理
想としては個人主義の勞働説によりて權利の説明とせられつゝあるに拘らず、其の經濟的戰爭の優勝者は占有説の
古代思想を繼承して經濟的貴族となることに在り。若し中世の武力階級の占有を打破せる佛國革命の勞働説にして
蒸氣電氣の發明なく平坦なる平等の上に行はるゝ個人的競爭の世に行はれ來りしとせば、最もよく勞働する所の個
人は生存競爭の優勝者たるべかりしなり。然しながら是れ理想に過ぎざりき。機械と云ふ封建城廓に經濟的貴族階
 糞泥の上に産み落されたる優勝者
級の立籠るや、生存競爭の最上の擾者は其の城廓中に産み落されたる嬰兒にして、恰も糞泥の
上に産み落されたる蠅の卵が蠅の優勝者として生存するが如くなれり。−−あゝ讃美さるべき
優勝者よ。適者生存と云ひ、優勝劣敗と云ひ、弱肉強食と云ふが如き文字は外包的の者に止まり、生物種屬の境遇
の異なるに從ひて適者たり優者たり強者たる者を異にすと云へるは此の意味にして、斯る經濟的貴族國の境遇に産
れては如何なる哲學者も、如何なる科學者も、如何なる詩人も、貴族等の馬車の前に叱咤さるべき生存競爭の劣敗
者なり。而して經濟的群雄割據の時代に於て最も紆惡なる敏慧なる殘忍なる平沼氏喜八郎氏の如きが優勝者たりし
 奴隷の境遇に適する奴隷の優勝者
が如く、ツラストの經濟的封建制度の時代には純然たる馬鹿大名を以て最も優れたる適者優者
強者となす。−−讃美を繰り返へさしめよ、政府と學者とは斯る生存競爭の世を維持せんが爲
めに社會主義を迫害しつゝあるなり。斯の經濟的貴族國の時代に於て經濟的武士の階級を作れる事務員學者の優者
は最も奴隷的服從に誠忠なる正成と三太夫との心を以て心とする者にして經濟的土百姓の階級に於て劣敗者たりな
がらも尚僅かに解雇を免かれて衣食しつゝある優勝者は権利の何者たるを解せざる精神なき完き意味の奴隷なり。
 社會主義の時代には斯る優者適者強者は當然に淘汰さるべき生存競爭の劣敗者なりとす。
 
       第 六 章
 
           社會主義の世に於て固より生存競爭あり−−個人単位の生存競爭即ち雌雄競爭−−個體の
           延長−−靈肉の不死不滅−−食物競爭と雌雄競争との生物學に於ける地位−−食物競爭に
           よる進化と雌雄競争による進化−−天地一切の美は雌雄競爭による進化なり−−詩人の直
           覺と吾人の科學的研究−−生物進化論に對する組織組み替への要求−−萬有進化の大權を
           社會全分子の手に屬せしむ−−生存競爭の劣敗者たる夫戀者−−食物競爭ほ雌雄競争に先
           だつ−−現實と理想−−下等生物にては食物競爭の優勝者が同時に雌雄競爭の優勝者たる
           者多し−−人類に於て食物競争の優縢者が雄雌競争の優勝者たる過去及び現在−−臀下の
           權利と男色奴隷−−積極的賣婬の男子階級−−女子を購責するの權利と男子を購買するの
           自由−−男女同權論は私有財産制と共に實現せられたりし−−貧富同權論と云ふのみ−−
           『福神』が結びの神となれり−−雌雄競爭によりて理想を實現すと云ふ理由−−雌雄同數
           ならざる下等動物の雌雄競争と同數なる人類の進化−−家庭單世の食物競争と理想の實現
           に非らずして單に現實の繼承に止まる−−社會の進化と戀愛の理想の進化−−視今の戀愛
           の理想−−理想の爲めに現實を犠牲とする下等生物−−戀愛の理想の進化と自由戀愛論
           −−舊思想の壓迫を排除すとの意味に於てする自由戀愛論−−戀愛の自由は先天的に非ら
           ず−−社會主義の自由戀愛論は革命の爲めに唱へらる−−詩人の直覺せる饒と戀のニ大鐡
           槌−−戀の要求の最も充たされざる蟻蜂の社會−−全分子戀愛を要求する人類は全分予理
           想を有する故なり−−戀愛と平等主義−−悲慘なる家庭論−−金井博士の家庭論よりする
           社會主義の非難−−私有財産制度は民主々義を確立し女子を開放せり−−一般階級には再
           び私有財産なくなれり−−自由戀愛論と女權問題とは無關係なり−−個人主義時代の男女
           同權論の誤謬を繼承する所謂社會主義者−−分化的進化をなせる個人としての男子と女子
           とは同等にあらず−−自由戀愛論とは社會の全分子たる男女の理想とする所を自由に實現
           して社會を進化せしめんとする戀愛方面に於ける自由平等論なり−−經濟上の獨立による
           戀愛の自由−−女學生の墜落とは女子の經濟的獨立による貞順の奴隷的義務の拒絶なり
 
 
 茲に於て當然の疑問は起らん。社會主義の世に於ては死刑による淘汰なく、腕力による淘汰、經濟上の競爭によ
る淘汰なく、國家間人種間の戰爭による淘汰なし。然るを如何ぞ生存競爭によりて淘汰さるべき劣敗者と云ふやと。
 社會主義の世に於て固より生存競爭あり
 誠に然り、社會主義は社會の一分子たる個人の手に萬有進化の大權を掌握せしめ等しく分
子たる所の他の個人の權威を蹂躙するの甚しき死刑淘汰の如き社會の進化を阻害する生存競
爭を廢滅せしめんとする者なり。高尚なる理想の實現に向つて努力しつゝある經過的生物として食物競爭の爲めに
相搏噛する野蠻殘虐なる生存競爭を絶滅せしめんとする者なり。等しく一元の人類より分れたる大なる個體の一分
子たりながら國家を異にし人種を同うせずと云ふが如きことよりして相殺戮する生存競爭を世界聯邦により地球よ
り掃蕩せんとする者なり。而も尚大なる單位の社會競爭と完全に行はるゝ小單位の個人競爭なからんや。
 
 先づ個人單位の生存競爭より説く。
 個人單位の生存競爭即ち雌雄競爭
 實に、斯る當然に似たる疑問の起るは亦等しく個體の思想に於て顯微鏡以前の者を取るが故
なり。即ち個體の延長と云ふことを解せざるが爲めなり。−−社會主義時代の個人單位の生存
競爭は、斯の個體の延長の爲めにする生存競爭−−即ち雌雄競爭のことなり。實に個體を横に擴大したる點より見
れば現在生存する凡ての人類は一大個體にして、之を縦に延長しなる點より考うれば原人よりの十萬年間の歴史は
一大個體の長命なる傅記なり。樌に見られたる兄弟が各々別個體に非ざる如く、縱に考へられたる親と子とは又各
々別個體にあらず、上は大きくなれるものにして一は長くなれる者に過ぎざればなり。アミーバが無數に分裂して
 個體の延長
繁殖する如く親は其の親自身の一部分を分裂せしめて是れを子と名けて抱けるのみ。一個のアミ
ーバより分裂せる無數のアミーバが各々一個のアミーバたると同時に空間を隔てたる分子として
本の一個のアミーバの大きくなれるものと見るを得べきが如く、一個體の分裂せる親と子とは各々一個體たると同
時に親の生命の長くなれるものと考ふることを得べし。吾人はワイズマンの生殖細胞不死の假説が多くの困難なる
非難に對して維持する能はざるを知るを以て敢て彼に據らずとも、単に、親の細胞が子に傅はり、子の細胞が孫に
傅はり、孫の細胞が曾孫に傅はり、而して其の細胞は傅へたる親の肉體の一部なりと云ふのみの事實によりて、吾
人に永遠の生命ありとは即ち肉體其者が永遠に死せずして生くとの意味に取る者なり。即ち、一個のアミーバが分
裂し其の分裂せる或る部分が死するとも、他の部分が生きて分裂を續けて繁殖しつゝあるならば本のアミーバは繁
殖せるアミーバによりて明かに不死不滅なる如く、分裂せる親の舊き部分が死して新らしき親の部分が子となりて
分裂し孫となりて分裂して繁殖しつゝあるならば、元との親は繁殖せる子孫其者となりて明かに存在し肉體に於て
も不死の精神に於ても不滅なり。即ち其死したりしと見らるゝ親は恰も爪の落ち髮の拔け表皮の脱落すると同一に、
子と云ふ親の部分の生存進化の爲めに觀自身が親自身の用なくなれる部分を去ることなり。−−科學は一元論とな
 靈肉の不死不滅
り宗教に歸へれり。唯心論の要求たる精神の不滅は唯物論の説明たる物質の不死によりて滿たさ
れたり。物心もとより一元にして人は肉鱧に於ても精神に於ても不死不滅の者なり。斯く生存競
爭の單位を定むるには個體の擴大と云ふことを知ると共に、丈實に個體の延長と云ふことを解するを要す。
 雌雄競爭による生存競爭とは斯の個體の延長と云ふことを解してのみ解せらるゝを得べし。生物とは生存の慾望
ありて生存しつゝあるものなり、生物は生存の慾望の爲めに生存競爭を爲さゞるべからず。即ち生物たる以上は生
 食物競争と雌雄競争との生物学に於ける地位
存競爭は免かるべからざるものなり。故に生物は現在の生存の爲めに生存競爭を爲しつ
ゝあると共に、永遠の生存の爲めに更に激烈なる生存競爭を爲さゞるべからず。−−即
ち食物競爭と雌雄競爭とは生物界を通ずる生存競爭の二大柱なり。而して斯の生殖の目的の爲めにする雌雄競爭と
は、アミーバの如く雌雄の別もなく分裂によりて生殖するものや、油蟲の如く雌のみによりて無數に生殖するもの
や、蛙の如く一疋にて陰陽雨具を有し他の如何なる一疋にても會すれば足ると云ふ生殖の者には無き所の者なり。
競爭は進化なり、凡ての進化は競爭によりて得たる者なり。故に他の進化ある高等の生物に至りて種屬對種屬の生
存競爭たる食物競爭の激烈なると共に、種屬内個々の生存競爭たる雌雄競爭は更に愈々激烈を加へて、食物競爭の
其れよりも更に遥かに生物を進化せしめたる生存競爭なり。是れダーヰンの混沌たる組織なき生物進化論に於ても
事實としては無數に羅列せられたるものにして、吾は生存競爭の中に於ける食物競爭と雌雄競爭とを左の如く考ふ。
−−食物競爭は種屬對種屬のものにして同種屬間の個々が他種屬たる其れに對する競爭は間接に無意識的なり、雌
雄競爭は同種屬個々のものにして他種屬とは無關係に同種屬の個々が個々を競爭者として直接に意識的にする生存
競爭なりと。
 食物競爭による進化と雌雄競爭による進化
 實に、天地一切の美と稱せらるゝ渾べての美は殆ど悉く此の永き命の爲めにする生存競
爭の結果にあらざるはなし。固より或る蟲類の美をなせる保護色の如きは其れを食物とせ
んとする他の鳥類に對する種屬對種屬の食物競爭による進化にして、獅子の牙、鷲の嘴、牛の角、馬の足、皆其れ
ぞれに食物競爭による進化なりと雖も、其の直接に、意識的に、個々對個々の生存競爭たる點に於て雌雄競爭に及
ばざること遠し。雪の頂より待たるゝ鶯の初音は雌を喚ぷ雌雄競爭によりて進化せる者にして、一聲を詩人の窓に
 天地一切間の美は雌雄競爭による進化なり
落して雲に消ゆる杜鵑の戀歌は永き命の爲めに爭へる生存競爭の淘汰なり。柔和なる小鳩の
白き翼の舞も雌雄競爭の進化にして、剛健なる雄鶏の蹴爪と鶏冠とによりて鬪ふも永き命の
爲めに爭へる競爭の淘汰なり。鴛鴦の雄の美、鳩雀の雄鳥の麗、一夫一婦と一妻多婦との差あるも共に雌の愛を先
めんための雌雄競爭による進化なり。獸類に於ても然り。獅子の[髟參]々として長き鬣ば決して食物の爲めにあらず、
獸王の威厳を示して牝の愛を得んが爲めの雌雄競爭による淘汰にして、食物の目的の爲めには不便を極むる雄魔の
角も雌雄競爭の故に爭ふ激烈なる競爭の進化なり。昆蟲類の美色美音に至つては僅少の保護色を除きて凡て此の雌
雄競爭による進化なり。胡蝶と名くる装飾を極めたる春の舞踏家なくば新緑の春野も砂漠に等しかるべく、切々の
哀音を奏づる鈴蟲松蟲と云ふ秋の音樂家なくしては秋夜の月も一塊の銅板に過ぎず。實に彼等戀愛の可憐なる競爭
者の爲めに春は戀に舞ひ秋は戀に歌ふ。只に動物のみに非らず、彼の蟲媒植物と名けられたる蟲類の媒介によりて
雄蕋と雌蕋とを接せしむる所の植物に至りては其の戀の文使を招かんが爲めに如何に花の顔を飾りて待つぞ。櫻花
の爛漫たるも是れが爲めなり。牡丹の濃艶なるも是れが爲めなり。春草の臈たげなるも、秋花のしとやかなるも、
實に一切花の美はしき者は悉く雌雄競爭による進化ならざるものなし。然るに今の獸類教徒は其の生物進化論を講
ずるに必ず嘲罵の餘洙を詩人の上に飛ばし、彼の詩人の如きは努めて天地の美を歌ふも宇宙は彼等の考ふる如きも
のにあらず、蝶の舞ふを雀がねらひ、雀のねらふを鷲がうかゞひ、其の鷺を又獵夫が射んとす、天地の樂しきを歌
 詩人の直覺と吾人の科學的研究
ふ詩人等は愚なるかなと、詩人は天地の美を直覺し、吾人は其の直覺を科學的研究に於て確實な
らしむ。字宙の美は戀によりて作られたる者なり、轍によりて作られたる凡てポ宇墸の美なり。
生物進化論に於て雌雄競爭の占むべき地位を解せず、徒らにダーヰンを反響して此の大なる天則を附録的に持て餘
しつゝある獸類教徒が詩人を解せざるは當然にして生物進化論を掲げて他を侮弄するは僣越の極なり。實に吾人は
 生物進化論に對する組織組み替えの要求
力を極めて斷言する者なり、直接に意識的に同種屬間の個々對個々の生存競爭は雌雄競爭の
みにして、而も其の直接に意識的に個々對個々の者なるが故に最も生物進化に與りて力あり
し者なりと。而して此の斷言は誠に今の生物進化論の組織其者に對する組み替への要求なり。
 社會主義時代に於ける個人單位の生存競爭とは斯の永き命の爲めにする雌雄競爭のことなり。即ち現在の生命を
維持する爲めの食物競爭が個人間に行はれざるが爲めに、雌雄競爭は驚くべき強盛に行はれ驚くべき速力を以て社
 萬有進化の大權を社會全分子字の手に屬せしむ
會を進化せしめん。−−換言すれば萬有進化の大權を特殊の個人に屬せしめずして社會の
全分子の自由競爭に任じ、全分子が自由なる戀愛の競爭の間に於て眞ならざる善ならざる
美ならざるものを失戀者として淘汰するに至るべしと云ふことなり。自然は快樂に對照せしめんが爲めに苦痛を與
ふ。今日社會主義を讒誣する者が、社會主義は人生より苦痛を除き云らんとする空想なりと云ふが如き矢を番へつ
ゝありと雖も、是れ實は社會主義の効果を稱揚するに過ぐるものにして彼等は今日巳に社會主義者の或者によりて
 生存競爭の劣敗者たる失戀著
唱へられつゝある自由戀愛論の叫聲に耳を傾くるを要す。斯の自由戀愛論は雌雄淘汰律の發動の
自由と云ふことにして、この生存競爭によりて淘汰さるゝ失戀者は社會主義の如何ともする能は
ざる所の者なり。斯くの如きは個人主義時代の獨斷的人道論を以て見れば歎くべきことなりと雖も、社會進化の原
理は涕泣を以て阻み得べきものにあらず。人類は一生物種屬なり、一生物種屬としての人類の進化に努力しつゝあ
る社會主義は當然に生物進化論の凡ての法則の外に逸する能はずして、社會進化論は生物進化論の卷末の一節なり。
故に社會主義は第一の主張として人は高尚なる傾向を有する者なりと雖も其の生物たる點に於て先づ生物として生
存すべき物質的資料としての食物競爭あることを認識し(食物競爭の眞意義につきては後に説く)、人類社會は最
も高き進化の先登にあるものなりと雖も等しく生物なるが故に、生物進化の重大なる天則たる雌雄競爭によりて社
會を準化せしむべしと云ふ。而して、其の雌雄競爭の生存競爭とは恰も食物競爭の其れの如く、生物種屬の階級を
異にするによりて其の内容を異にするを以て、蟲類の其れが鳥類と異なり、鳥類の其れが獸類の其れと異なる如く、
獸類と生物種屬の階級を異にせる人類の雌雄競爭の内容は全く『類神人』として戀なり。
而しながら、『戀は滿腹の後なり』。凡ての生物種屬を通じて雌雄競爭は食物競爭に壓伏せられ、食物競爭の優勝
 食物競爭は雌雄競爭に先だつ
者を以て時雄競爭の優勝者を決定するの條倅となす。理想とは規實の滿足されたる上に將來に平
達すべき更に高き現實なり。雌雄競爭は其の將來の命の爲めに爭ふ者なるが故に其の優者勝者を
理想に對照して求め、食物競爭は其の現在の命の爲めに鬪ふものなるが故に其の優者勝者を現實の状態に得て甘ず。
理想は現實の後に來るべき現實なり。故に他種屬に對して現實の生存を維持するより外なき生物種屬に於ては理想
 現實と理想
を其の子孫たる永き命に於て實現せしむる所の雌雄競爭無く、前きに引例せし蛭、油蟲の如き下
等生物は單に種屬對種屬の緩慢なる生存競爭に止まる。而して更に高等なる生物と雖も、尚其の
種屬を食物とせんとする種屬及び其の種屬が食物とせんとする種屬との間に行はるゝ食物競爭の困難の爲めに、現
實の命を維持することのみに急にして理想の實現を雌雄競爭によりて其の子孫たる永き命に期待すること強烈なら
 下等生物にては食物競爭の擾勝者が同時に雌雄競爭の優勝者たる者多し
ず。著しき例は彼の肉食獸の雌雄競爭の優勝者が同時に食物競爭に於て優勝者
たる所の強猛なる者の如き是れにして、鶏が鬪爭に勝利を得て多くの牝鶏を率
いつゝあるは人の知る所なり。
 人類と雖も亦この例に洩れず。現在の命を維持せんが爲めの食物競爭が理想を實現すべき永き命の爲めにする雌
雄競爭を壓伏し、若しくは其の一條件としつゝあるは歴史の始より今日までを通じて事實なり。部落單位に於て食
物競爭をなし而も其れが戰鬪によりて決せられし漁獵遊牧時代より、封建的區割を單位として食物競爭(即ち土地
の爭奪)をなし而も其れが武力によりて決せられし中世史時代に至るまで、酋長若しくは國王貴族が食物競爭の優
 人類に於て食物競爭の優勝者が雌雄競爭の優勝者たる過去及び現在
勝者たる武力を以て同時に雌雄競爭の優勝者たりき。今日食物競爭の土地爭奪
が其の優勝を武力に訴へて決しつゝある國際間に於ては其の優勝者たる軍人階
級が同時に其の食物競爭の優勝者たる所以を以て雌雄競爭の優勝者となりつゝあるが如し。斯の意味に於て今日自
ら稱して文明人となす吾人は、恰もアイオー洲のスウ土人が人頭を得て始めて頭上に羽毛を飾り結婚を要求すべき
資格を備ふと云ふと大に異ならず。否! 今日の文明人は其の野蠻なる食物競爭の方法を國際間にのみ止めて國内
の食物競爭は個人主義の勞働説を以て理想とするに至れり。而しながら前きに屡々説ガる如く其の單に理想に止ま
りて依然として武力時代の占有説を繼承し、而して機械の發明の爲めに純然たる經濟的貴族國となれるが爲めに、
雌雄競爭は全く食物競爭の經濟的優者に壓伏せられ(下層階級より賣られて上層の妻妾となる如く)、又食物競爭
の經濟的優者を以て雌雄競爭の一條件となすに至れり(財産の多寡を以て結婚の條件となしつゝある者の如し)。
斯の意味に於て今日の文明人は恰もチェラデルヒーゴの土人が女子の父母に財産或は勞働を拂ひて妻を購買すと云
ふと誠に差なし。理想よりも現實なり。食物競爭は雌雄競爭に先だつの。個人主義の勞働説は娼婦の婬を賣ること
を勞働なりと説けり。吾人はこの尊敬すべき勞働説を認めて決して男子が金錢を以て娼妓を強姦し、其の巡娼と云
ふが如きは單に地位を顛換せるに過ぎざる輪姦なりとは云はず、是れ雌雄競爭が食物競爭に壓伏せられたる最も著
しき事實なればなり。而して彼の財産の多少を以て結婚の條件となる所の上層階級に至つては實に食物競爭の優者
を以て雌雄競爭の條件となしつゝある興味ある事實として認識するの外なく、彼等賣婬的令夫人は御酒肴附一夜五
十錢と云ふ下層階級の賣婬者よりも甚だ廉價に、丸髷附一生ロハと云ふに過ぎざるなり。
 令夫人の或者は言はん、旦那樣の如きは臀の下なりと。是れ決して笑ふべきことにあらずして充分に主張せられ
 臀下の權利と男色奴隷
たる權利の聾なり。固より斯る令夫人階級に於ては其の稱する旦那樣なるものゝ國家の爲めに行
ふ政治的會合が如何なる機密を有するやは察し得べからずとするも、臀の下の一語は今日の男子
階級の大部分が又等しく雌雄撰擇權の喪失者となれるものなることを宣告する侮辱に非らずや。吾人は社會主義者
なり然しながら男子なり、吾人は女子の階級に容喙するの越權よりも吾人自身の悲慘なる醜態に省みざるべからず。
藝娼妓を醜業婦なりとし、夫君の勞働を扶けて貧に苦しめる尊き主婦を眼下に見下して行く令夫人の丸髷附賣婬者
の輕蔑すべき極なるは固よりなるべし。而しながら街頭馬車を驅て道行く人を叱咤しつゝある男娼的政治家學者の
如何に驕慢に漲ぎれる微笑を湛へて行くよ。娘を責る親あり、婿を買ふ親あり、天下の女子が白粉と絹服とを以て
装飾を盡くし、海老茶袴を穿ち女學校の卒業證書を得て金箔を附くることが、目的とする所ダイヤモンド入指環の
價格にて高く賣らんが爲なる如く、今日男子の多くがハイカラーを着くるも、水白粉を塗るも、政治學經濟學を脩
むるも、早稻田大學帝國大學の肩書なかるべからずと云ふも、歸する所令嬢なる者の持參金の多額に存するなり。
吾人は實に問ふ−−今日の男子にして一切階級の虚飾を剥奪せる裸體の女子を諸手に抱きて、吾れは爾の美に向つ
 積極的賣婬の男子階級
て二世を契るべしと廣言し得るもの果して幾人ありや。女子は消極的にして男子は積極的なり。
故に下層階扱が生活の爲めに消極的に犯罪者となり、上層階級が積極的に高尚なる生活の爲めに
犯罪者となる如く、女子の賣婬は令夫人階級を除きては多く生活の爲めにする消極的の者にして、男子は高尚なる
生活の爲めに積極的に賣婬す。否! 吾人が前編に少しく述べたる如く經濟上に獨立せざる者は政治の上にも道徳
の上にも自由なし。往年男女同權なる能はぎりし時代は女子が財産權の主體たる能はずして男子の殺活贈與するを
得べき經濟物たりしが爲めなる如く、今日權利を抱て其の實質たる財産なき男子階級が上層階級の女子の爲めに臀
下の抑壓を受くるは誠に科學的方則なりと云ふの外なし。權利を主張し得ざる者は奴隷なり。然らば吾人は無數の
賣色奴隷たる女子を認むると異に戀愛の権利を剥奪せられたる凡ての政治家學者を人格ある自由民なりと辯護する
能はず。(奴隷なり−−奴隷の意志が國家の意志なりとせられ、吾人は其の下に呼吸しつゝあり)。而して奴隷より
自由民が光榮なるならば、俳優買の令夫人と臀下の權利を主張する令嬢とは其の奉待する男色奴隷より遥かに光榮
なるべきは羅馬法の遠きよりして認められたるべき權利にして上官の恩賜の妻君に低頭して昨夜の外泊を辯解しつ
 女子を購買する權利と男子を購買するの自由
ゝある政治家や、妾宅に行き度きを忍びて恰も情郎ある藝妓の且那の勤めをなす如く成り
上り者の實業家より神輿を奉ぜし醜怪至極の令夫人の機嫌を取りつゝある學者よりも、福
原の銅像を以て名を後世に垂るべき伊藤博文氏、お鯉なる者のことを以て有名なる桂太郎君の如きは此の嚴肅なる
権利を極度まで主張せる雅典の古代に見るべき自由民なり。實に自由民と奴隷とは經濟的基礎によりて分る。伊藤
氏桂君の如きが女子を玩弄するの權利あるは−−然り吾人は權利と云ふ、恰も資本家階級の女子が堂々として待合
に出入し以て吾人男子階級の者を快樂の犠牲として取扱ひつゝあることの完き自由なるが如し。藝娼妓を購買して
家妻たらしむることは些の不道徳にあらず、男子自身が購買されて婬を賣りつゝあるは輕蔑すべき限りの罪惡なり。
娘を實る親あり、婿を買ふ親あり、親に賣られたる女子は藝娼妓となり親に買はれたる男子は政治家學者となる。
 男女同權諭は私有財産制と共に實現せられたり
男女同權論の必要にして意義ありし時代は個人主義の革命による私有財産制度の確立と
共に過ぎ去れり。然るに今や經濟的貴族國の世となりて社會の大多數は權利の基礎たる
財産なきを以て、令夫人と妾とを購買するを得べき男子と政治家學者と俳優とを購買するを得べき女子とに戀愛の
権利は與へられて、他の階級の女子と男子とは往年の女子の如く全く奴隷となれり。男子のみが經濟的獨立を有せ
 貧富權論と云ふのみ
し時代に於て無権利の奴隷たりし女子の悲惨なりし如く、悲慘なる哉、經濟的獨立を失へる男子
は今や上層階級の女子に玩弄せらるべき奴隷となれり。只貧富同權論と云へ、意義無くなれる男
女同權論を今日に於て唱ふるは直譯的反響も甚し。
 誠に斯くの如し。今日雌雄競爭律の行はるべき撰擇權は全く男子にも非らず又女子にも非らず。明かに言へば永
き命に於て實現すべき理想に對する愛に非らずして、光輝ある物質の流通する所蓄積する所に從ひて雌雄競爭律の
中心點が移動するなり。即ち所謂男女の縁なる者、今や出雲の神の輿論にて決する共和的合議制にあらずして獨裁
 『福神』が結びの神となれり
専制の福神が結びの神となれり。−−『福神』の像は婚禮の床に置かるべからず、社會主義は社
會進化の理想の爲めに此の像を驅逐せんとして自由戀愛論となれり。アミーバの如き無性生殖、
油蟲の如き單性生殖よりして雌雄兩性に分れて相競爭するに至れる高等動物は、殆ど全く此の競爭によりてのみ高
等にまで進化せるものにして實に進化律の特寵を受くるものなり。理想の實現は雌雄競爭による。生物は斯の雌雄
競爭の爲めに異性の中より自己の最も善にして最も美なりとする者を撰擇して獲んと望み、而して其の望を達せん
 雌雄競爭によりて理想を實現すと伝ふ理由
が爲めに同性中に於て自己を最も善く最も美ならしめて他の競爭者に打勝たんとするの努
力を生じ、其の努力の爲めに異性各々自己をより善により美ならしめて、其の生れたる子
なる新らしき自己を遺傅と出生後の教育とによりてより善なるより美なる自己となす。實に宇宙は斯の雌雄競爭に
依りて櫻花となり牡丹となり胡蝶となり秋蛩となり鳴禽となり、以て其の解すべからざる絶對的理想の實現に努力
しつゝあるかの如し。『類神人』は斯の理想の或る部分を實現すべき任務を帶びて−−即ち人類としての進化の程
度に於て解し得たるだけの相對的理想に向つて進化しつゝある者なり。而して其の進化に於て最も先登に立つ者な
るが故に他の高等生物の與へられざる進化律の特寵を最も多く被る。即ち他の動物にては雄性の者が雌性に比して
甚だ多數なるに反して人類は雌雄殆ど同數なることなり。故に他の生物に於て進化せるは(食物競爭による進化を
除きて、)雄性のみなるに反し人類は雄性の外に雌性の美は特に著し。彼等の多くは恰も一の雌蝶に對して百の雄
 雌雄伺数ならざる下等動物の雌雄競爭と同數なる人類の進化
蝶が競爭する割合なりと云ふほどに雌雄の數が甚しく相違し其の殆ど同數なるも
のと雖も一夫が多くの妻を有する關係よりして、爲めに雌は雄の如く相競爭せず
とも自由に多數の雄の中より撰擇するを得べく、且つ産卵の任務よりして美色美音の如きは他動物の注意を引き易
くして危險なりと云ふ他の食物競爭の爲めに、雄の進化に併行する能はずして凡て皆甚しき懸隔ある下級の状態に
止まる。斯く彼等の中の雌が雌雄競爭律の外に立ちて傍觀者となりて受動的の態度を執れるは、是れ即ち進化律の
慈愛より排斥せられたる者にして進化律の繼子なり。然るに進化の先登に立てる人類に至りては雌雄悉く同數なる
を以て其に此の慈母の懐に入り相携へて駈けりつゝある特別なる寵兒なり。即ち男女同數と云ふことは、女は女と
の競爭によりて其の嬌笑と優美とを進化せしめ、男は男との競爭によりて其の威嚴と智識とを進化せしめたる者な
り。然るに今や如何の状ぞ。愛の爲めに綻ぶべき嬌笑中には經濟的要求籠り、優美なるべき肩に重荷を負擔せしむ。
老嬢の皺よれる額と近眼鏡とは決して女子の美に非らざるべく、鐵の如くなれる腕骨と臼の如き臀とはツマル土
人を除きては如何なる野蠻人に見するも醜と云ふべし。如何にシルクハットを戴くとも其の頭蓋骨の中に平坦なる
一塊の物質より外有せざる寄生蟲屬の揄チは決して男子の進化して智識の發達せる者と云ふ能はざるべく、同一な
る社會の分子たりながら經濟的君主貴族の前に匍匐して忠順の奴隷的服從を強ひられつゝある政治家學者は、如何
に髯を嚴めしくして馬車に身を飾るとも、勲章を帶ぶるとも、大禮服を着たるとも、大臣となるとも、決して進化
せる男子の威厳と云ふ能はず。吾人は敢て今日の食物競爭が單純なる個人單位の者なりとは云はず、實は其の永き
 家庭單位の食物競爭は理想の實現に非らずして單に現寶の繼承に止まる
命たる子孫が食物競爭の劣敗者たらざんとするよりの家庭單位の者なりとす。
即ち食物競爭と云ひ雌雄競爭と云ひ、一は現在の我を一は、永き命の我を維持す
る努力たる點に於て生命維持の物質的資料を得べき經濟的競爭たるは論なし。即ち今日の雌雄競爭は男女各々が自
己をより善くより美にして永き命たる子孫を進化せしむと云ふよりも、單に永き命たる子孫が其の命を維持すれば
足るとして各々の理想とする所の男若しくは女を撰擇することを第二に置くが故に、其の子孫は自己よりも進化す
る能はずして理想の實現たるべき子孫は單に現實の繼承者たるに過ぎざるなり。否、理想の男と云ひ理想の女と云
ふは今日全く經濟的優者たるなり。即ち理想の内容には光輝ある物質を以て充塞せらる。天下の男と女とは黄金を
持てること其事が天下の女と男とに理想の戀人として戀せらるゝなり。社會の進化に一の不合理なることなし。人
 社會の進化と戀愛の理想の進化
類種屬が種屬の維持進化の爲めに腕力に訴へて生存競爭を爲せる初期に於ては、腕力の優れなる
者が社會の維持進化に最も利uありしを以て同時に雌雄競爭の優勝者となり、其の時代の女子は
最も剛健克く鬪ふものを理想として戀し、其の理想の男子が亦其の當時に於ける理想の女を撰擇して、茲に社會の
中に於て最も理想に近き男女の結合を得、其の子孫が社會の中に於ける最も理想的なる其等の遺傅を受けて剛健克
く關ふものとなり、以て社會の理想を實現しつゝ進み來れり。而して今日は腕力による經濟戰爭にあらずして勞働
考しくは智識を以てする經濟戰爭なり。故に腕力を以て他の經濟物を掠奪する者は刑罰に問はるゝと共に離婚請求
の理由たるほどに雌雄競爭の敗者として理想の内容を全く一變し、勞働若しくは智識によりて經濟的優者たるもの
を戀愛の理想となすに至れり。社會の進化とは經濟的進化なり、故に勞働若しくは智識を以て經濟的優者たるものを
雌雄競爭の理想としつゝあることは、懶惰なる若しくは魯鈍なる分子を淘汰し最もよく勞働し最も多く智識あるも
のが子孫を得、其の子孫が社會の中に於ける最も理想的なる其等の遺傅を受けて最もよく勞働し最も多く智識ある
ものとなり、以て社會の理想を實現して社會の經濟的進化を來しつゝ進み來れり。−−而しながら誤解すべからず、
社會の進化は純然たる段落を劃せらるべきものにあらず。今日の勞働と智識とを以てする經濟的優者は尚腕力に訴
へたる生存競爭時代の思想を繼承して其の勞働と智識とは全く經濟的資料たる所の他種屬の上に向はずして同族間
の、即ち吾人同胞間の鬪爭に用ひられつゝあるなり。即ち第一編の『社會主義の經濟的正義』に於て述べたる經濟
 現今の戀愛の理想
的戰國と云ふもの是れにして、上層階級の用ふる智識と下層階級の絞らるゝ勞働とは全く他の其
等の者識と勞働とを打消さんが爲めに過きざるなり。此の殘虐醜惡なる經濟的戰國に敢ては個人
維持の生存竸爭たる食物親爭の優勝者が殘虐醜感なる者なる如く、子孫進化の生存競爭たる雌雄競爭の優勝者は亦
誠に殘虐醜悪なる者ならざるべからず。鬪爭に勝てる闘鶏が數十羽の牝鷄を率ふる如く倖運なる黄金大名階級の勝
利者は一夫一婦論者を睨視して無數の雌鷄を妾宅に畜ひ置くにあらずや。杜鵑の血に鳴く如き失戀の詩人ありとも
鳥類と競爭の内容を異にせる人類の雌は其の羽毛を黄金に装飾せんが爲めに戀愛神聖論者を嘲笑して老狒の前に群
をなして集まるにあらずや。ボルネヲの土人が人頭を持ち來りて結婚の資格を示す如く、同胞の血に塗られて輝や
くダイヤモンドの指環を贈らざれば婚姻の資格に於て缺亡を感ずるに非らずや。野蠻部落の婦女が最も猛惡にして、
殘忍なる者を撰んで其の身を任すと異なるなく、蒸氣と電氣とを有する野蠻部落は黄金戰爭の虐殺に於て最も猛惡
殘忍に働きたるものゝみ婦女を得るなり。實に黄金なきものは家庭を作る能はず、作られたる家庭も破壞せらる。
家庭は實に雌雄競爭によりて得たる理想の男女が遺傅と教育とによりて其の子女に理想を實現せんとする社會進化
の唯一の聖場なり。然るに依然として今日の如き經濟的戰國を維持して(固より維持すべからずと雖も)、斯る雌雄
競爭が數代に渉りて行はるとせよ、人類は果して如何なる万向に其の進行を轉ずべきぞ。婦人の嬌笑と優美とは男
性化の學問と男子的勞働とによりて維持せらるゝものに非らず、奴隷的服從の經濟的武士土百姓と寄生轟の階級と
 理想の爲めに現實を犠牲とする下等生物
によりては男子の威嚴と智識とは進化すべきものにあらず。高尚なる現實(即ち理想)、の爲
めには卑近の現實の犠牲とさるゝことは高等生物の凡てに在り。彼の蟲類の美色美音が甚だ
其の對敵たる鳥類の注意を引きて個々の蟲類としての維持生存には不適極まるに係らず、尚其の雄性のみは遥かに
雌に優る多數を以て多くの犠牲を供しつゝ、以て其の音樂の妙音と舞踏の晴衣とを進化せしむるに餘念なきを見よ。
生物は只に種屬の維持を以て足れりとする者に非らず、更に進化せる種屬たらんが爲めに雌雄競爭をなし、雌雄競
爭の進化の爲めに無數の犠牲を食物競爭の中より出して平然たり。人類は種屬對種屬の食物競爭に於ては他の凡て,
の生物種屬の上に最も強き優勝者たるを以て(固より未だ黴菌の如き種屬には全く打ち勝つ能はずと雖も)、雌雄競
爭を爲すに當つて他の生物種屬の如く食物競爭に妨害せらるゝの憂遥かに少なし、故に彼の蟲類の雌が他種屬の食
とならんことを恐るし食物競爭の爲めに雄蟲の如く雌雄競爭をなす能はずして進化に遲るゝが如くならず、女子は
 戀愛の理想の進化と自由戀愛論
男子と同數を以て男子の其れの如く女子間の雌雄競爭によりて健確なる急調を以て進化しつゝあ
る者なり。男女を同數に産み落して人類にのみ偏寵を示せる進化律は雌雄競爭の選擇權を男女凡
ての手より奪ひて不靈冷血なる『福神』の絶對無限なる淘汰權の下に置かんが爲めならんや。土人部落に於ても命
を的の戀路はあり、今日の經濟的戰國の中に於て尚且つ智識廣く道徳高く容姿美はしき男女が戀愛の理想とせられ
つゝあるは實に社會進化の理想を社會の全分子たる男女の凡てが其の子孫に於て實現せんとしつゝある所の要求に
して茲に社會主義の自由戀愛論あるなり。
 故に社會主義の自由戀愛論が事實に現はるゝの世は食物競爭が今日の如く個人若しくは家庭若しくは經濟國體若
しくば國家を単位として同種屬が競爭の對手たる事の無くなれる−−即ち經濟的方面に於て社會主義が實現せられ
 舊思想の壓迫を排除すとの意味に於てする自由戀愛論
人類を單位としての對他種屬の食物競爭に入りし時ならざるべからず。自由戀愛論が
舊思想を抱ける親の壓迫を排除すとの意味に於て、即ち自己が斯らしき自己の利uの
爲めに自己の舊き一部より脱却せんとすとの要求に於て唱へらるゝ事も固より大に意義あり。是れ即ち社會の舊き
分子と新しき分子との衝突にして社會とは新分子が舊分子に代ることによりて(即ち舊分子自身が死滅することに
よりて、若しくは新分子の爲めに地位を奪はるゝことによりて)進化する者なるを以てなり。而しながら始めより
人は自由なるものに非らず、其の自由なるを得るは人の自由を認識する所の社會良心あるが故に其の範圍内に於て
 戀慶の自由は先天的に非らず
自由なるものなりと前編に説明せる如く、戀愛の自由と雖も父母の良心の包容外に出でゝ先天的
に自由なりと云ふに非らず、父母によりて作られたる良心に甘ぜざるまでに子女の良心が進化
せる場合に於ては進化せる良心に從て行動すべしと云ふことなり。故に子女が父母の意志の下にありて其の良心を
作られつゝある間に於ては父母は自己の良心を以て其の戀愛を禁壓する權力を有すべく、子女は自己の良心を以て
父母の良心を排除するの値ありと認識せざる間は戀愛の自由なし。社會主義の自由戀愛論は斯ることの外に當面の
意義を有す。即ち單に父母の舊思想を排除すとの意味ならば社會主義に待たずとも其れ自身の途あり。−−即ち月
下に相抱て囁けば可なり。社會主義の自由戀愛論とは現社會顛覆の爲めに唱へらる。『政治家が議論しつゝある間に
 社會主義の自由戀愛論は革命の爲めに唱へらる
饒と戀とは世界支配す』。社會主義者は詩人の直覺を科學的根據に於て明確に把持し、
今の上層階級が政府を作り議會を作りて議論に日を送りつゝある時、此の『饒』と『戀』
との二大鐵槌を振つて社會の根底より組織を立て替へんが爲めなり。生物に於て現實の要求は食物にして理想の要
 詩人の直覺せる饒と戀の二大鐡縋
求は戀愛なり、斯の嚴肅なる人生の要求−−社會の維持と進化との要求が無視せられ壓伏せら
るゝの社會は一打撃を以て覆へるべき浮ける基礎の社會なり。斯の要求が社會の一部にのみ充
たされて他の凡ての分子が純然たる犠牲として存する著しき例は、彼の蟻と蜂の社會に在り。(上層階級の學者は
 戀の要求の最も充たされざる蟻蜂の社會
努めて蟻蜂の其れを以て人類の社會に比し其の蜂に女王あるを以て無用になれる故英女皇或
は今の和蘭女皇の存在を辯護し、蟻の雄蟲のみ勞働せずして存するを以て貴族等の婬蕩に權
利を附與す。而も生殖後無用となれる其等を勞働蜂の集まりて噛み殺すに比することあらば秩序紊亂と云ふ)。然
 全分子戀愛を要求する人類は全分子理想を有する故なり
しながら最も高等なる生物たる人類は男女凡て理想を有し、理想の實現を社會全分
子の競爭によりて得たる者なり。一の理想は實現せられて更に高き理想は踵を接し
て現はる。人類は其の進化するに從ひて即ち理想を實現することを重ねるに從ひて理想を高くし、從て戀愛の要求
 戀愛と平等主義
を大膽華麗ならしむ。在原業平をして今日の獨乙宮廷に産れしめよ、人類は大に其の美を進化せ
しめてカイゼル鬚の醜貌は人類より淘汰さるべし。戀に上下がある者かと言ひし(吾人は此の大
膽なる平等主義の英雄の名を忘れたるを恥づ)女子をして獨乙皇太子の傍に在らしめよ、珠玉を飾りたる蝦蟇は雌
雄競爭の劣敗者として人類は大に其の美を進化せしむべし。あゝ『饒』と『戀』! 饒へたる者が何の故に一片の
麺麭だもなきか、戀せる者が何の故に其の戀せる男と女とを奪はるるか。斯の解決が社會全分子の手に答案として
與へられたるとき−−即ち經濟的貴族國が地震の如き轟きを以て崩壞するの時なり! 語を寄す、羊の如き可膵な
る家庭論者よ。戀女房と一人の愛兒とのみなる間は僅少の月給は其の家庭の城壁たり得べし。而しながら愛兒の二
 悲惨なる家庭論
人となり三人となるに至らば是れ誠に城内に内應者の出でたるものにして、又そのすがりつゝあ
る資本家の冐險、會社の破産、或は解雇等によりて夫君の破靴と腰辨當とが用なくなれる時爾の
兵糧はよく幾日を支へ得べきぞ。この小さき城壁を維持し兵糧を蓄へんが爲めに羊の如き天亶の主人は狼の如くな
りて世に戰ひ、昔日の希望に輝ける活氣は失せて、三十にして老者の如く衰へ、簿鬚の下に湛へたりし微笑は石の
如く閉されたる陰暗の唇となる、海老茶の袴に花の如く笑まひ小鳥の如く囀りし少女は一瞬に去りて、其の豊頬は
生活の苦難の爲めに落ちて亦笑まず。至の光たるべき小兒の小さき手は母の痩せたる胸の骨を更に削らんとするも
 金井博士の家庭論よりする社會主義の非難
のなるかの如く其の乳戻を探ぐる。家庭論とは悲慘の中より落つる涙の笑まひに非らすや。
家庭の窓を開きて怒號して押し寄する海嘯の何處より流れ來るかを見よ。金井博士の『社
會經濟學』が社會主義を誹りて『私有財産制度の廢止は道徳上並に經濟上の利uにとりて必要缺くべからざる家庭
の神聖を毀傷し家族制度を打破するに至らん』と云ひし如き、誠に人類に通ぜざる意志の表白と云ふの外なし。家
庭論者よ、家庭の神聖は個人主義の革命を以て論理上の事實となれり。即ち貴族階級のみ土地を所有して一般階級
には單に小作權をのみより有せぎりし時代の如くならず、又男子のみ所有權の主體にして女子には其の獨立を維持
すべき何等の經濟的基礎なき時代の如くならず、誠に經濟的幸福に圍繞せられたる女子は却て男子を玩弄するの自
 私有財産制度は民主々義を確立し女子を開放せり
由あるほどになれる時代なり。實に私有財産制度に感謝すべきものは其れによりて確立
せられたる民主々義と、而して此の女子の開放にして、戀愛神聖と云ひ一夫一婦と云ひ
て家庭論を爲すものに取りては私有財産制の打破を叫ぶ社會主義の敵なるが如きは一見然るかの如し。而しながら
見よ。家庭の維持、男女の獨立に缺くべからざる私有財産とは往年の其れの如く經濟的貴族階級のみの者にして
小作人の土百姓、裏長屋の勞働者は固より可憐なる家庭論者の如きは只月末に與へられて味噌屋に拂ふをでの私有
 一般階級には再び私有財産なくなれり
財産に過ぎざるに非らずや。若し今日ありて明日なき月給、朝得て夕に消ゆる賃銀が私有財
産制度なりと云はゞ、一年間の期限を以て平等の購買力として分配さるゝ社會主義の私有財
産は寧ろ世襲財産の名あつて然りとすべし。家庭論を口にして男子の樂むべき平和なる世は遠き將來なり。武力時
代に於て男子が最も戰鬪の義務を負擔せる如く、來るべき大革命の前に於て最も戰鬪に堪ふる所の男子が小天地に
閉息して兒女子の安逸に耽る如きは男女の分化的發達を忘却する者なり。女子はこの殘虐なる矢叫びの達せざる所
に置きて月桂冠を作るの任務に服せしめよ、革命戰爭の中に其の繊細なる手を捉へて躍り入る事は是れ落城の時を
 自由戀愛論と女權問題とは無關係なり
慮るものにして社會主義は巴御前の出馬によりて戰ふほどに望なきものに非らず。社會主義
の自由戀愛論は個人主義時代の女權問題とは自ら無關係なり。實に今の時に於て家庭論を爲
して社會の傍觀者たる者の如き、其の羊の如きところは以て憐むべしとするも單に經濟的貴族等の大規模に爲しつ
ゝある利己的行動を貧弱なる状態に行はんとする消極的利己の者に過ぎず。世に輕蔑すべきは家庭論の流行なり。
 誠に斯くの如し。故に自由戀愛論に伴ふ所の男女同權論とは、個人主義時代の其れの如く男子たる個人と女子た
る個人とを比較して精神上の能力若しくは肉體的活動に於て同等の力ありと云ふが如き事實を無視せる獨斷に論據
 個人主義時代の男女同權論の誤露を繼承する所謂社會主義者
を置くものにあらずして(個人主義の獨斷を繼承して自ら社會主義者と稱するも
のに斯の失態多し)、社會の進化の爲めに最も生物進化に力ある雌雄競爭を自由な
らしめんが爲めに男女に平等の撰擇權を與へよとの意味に解すべし。自由平等論は何處までも社會進化の利uの下
に唱へられざるべからず。女子は其の月經、姙娠、分娩、哺乳の大なる犠牲の爲めにエナーヂーを消耗する事甚し
く、爲めに特殊の男性的なる着か、或は兩性的の者か、若しくは老孃(多く後には女性たる所を失ふと云ふ)かに
非らずしては決して男子と精神的肉體的競爭に於て對等に立つ能はざる者なればなり。實に個人主義の獨斷的平等
論の如く思想上に於てのみ思考し得べき原子的個人を假定して凡ての個人と個人とを比較する事によりて男女同權
 分化的進化をなせる個人としての男子と女子とは平等にあらず
論の基礎とするは恰も個人たる大人と小兒とを比較して精神的肉體的能力に於で
同一なりと云ふと異ならず。社會主義は科學的基礎によりて大人と小兒との異な
る如く、分化的進化をなせる男子と女子とが斷じて同一の者に非らざる事を認む。然しながら科學的基礎によりて
社會の舊き分子と新らしき分子との自由なる競爭によりて、即ち前代の理想を實現して之を維持せんとする現代の
舊き分子と現代の理想を實現して後代の進化に到達せんとする新らしき分子との自由なる競爭によりて社會の進化
 自日戀愛論とは社會の全分子支る男女の理想とする所を自由に實現して社會を進化せしめんとする戀愛方面に放ける自由平等論なり
するを認むる如く、社會の雄性の分子と雌性の分
子とが各其の自己の理想とする所の(即ち其の理
想の大部分は其の時代の社會の理想にして更に其の各の個性を以て特殊にせる所の理想の)實現を永き命たる子孫
に於て得んとし、其の時代に於ける社會の理想を最もよく體得せる男女が雌雄競爭の中心となることによりてのみ
社會は進化するを得べしと主張する者なり。即ち男女同權論とは戀愛方面に於ける自由平等論なり。而して凡ての
個人の自由平等が經濟的從屬關係なき平等の平面の上に立ちてのみ自由なる如く、男女戀愛の自由平等論は女子が
 經濟上の獨立による戀愛の自由
私有財産權の主體たる能はずして男子に經濟的從屬をなせし時代、及び經濟的活動の能力に於て
男子に劣るが爲に事實に於て全く經濟的從屬關係に在る現代、否、現代の如く財産の多くを有す
る女子に男子の却て經濟的從屬關係に在る者の多き如き社會進化の過程にては遠き理想に過ぎず。(この點に於て
も經濟上の獨立は凡てに通ずる獨立なり、故に彼の土地の掠奪によりて經濟上に獨宜せる貴族等が君主に對する忠
順の義務を拒絶して凡てに獨立を得たる如く、元禄時代の永き平和の爲めに一般階級が經濟的基礎を作ると共に更
 女學生の堕落とは女子の經濟的獨立による奴隷的義務の拒絶なり
に其の貴族等に對して忠順の義務を拒絶して維新革命の民主々義を立てたる如
く、今の稱して女學生の堕落と云ふは其の經濟的獨立より男子に對する奴隷的
服從(即ち彼に在ては二君に仕へずと云ふ忠順の義務、此れに在ては兩夫に見えずと云ふ貞順の義務)を拒絶して
自由平等の曙光を得たる者なり。而して往年の貴族が君主より亂臣賊子と云はれたる如く、維新革命の民主々義者
が貴族より亦等しく亂臣賊子と稱せられたる如く、女子が男子の放縦なる戀愛と同等なる戀愛を放縦に行ふに至り
しを見て男子階級より堕落なりと云はるゝは恰も社會進化の跡なる歴史が進化の當然として平等觀の發展擴張する
を却て世の澆季なりとして慷慨すると同一なる野蠻人なり。堕落せよ、男子が堕落しつゝある間何處までも平等に
平行線をなして堕落せよ。女學生の堕落や實は進化にして誠に以て讃美すべしとせん、讃美すべきかな)。
 
 社會主義時代に於ける個人單位の生存競爭とは萬有進化の大權を社會全分子の手に置き、理想實現の唯一の途た
る雌雄競爭の自由平等に行はるゝことを云ふ。
 
 
 
 
 
       第 七 章
 
           戀愛の自由なると共に人口過多に至ると云ふマルサス論は社會単位の生存競爭たる食物競
           争によりて説明さるべし−−マルサス論を現在の状態と社會の將來との二樣に解す−−個
           人主義の人口論を以で上層階級より解する者と下層階級より解する者−−マルサス論は個
           人主義の立脚地よりするも價値なし−−算術級數と幾何級數と云ふ獨斷より統計の取扱ひ
           を誤まる−−人口も食物も算術級數に揄チする者に非らず又幾何級數に揄チするものに非
           らず−−マルサスは時勢の致す所の外に價値なき凡物なり−−マルサス論を以て社會進化
           論に對抗する金井博士の醜態−−今の學者階級は社會進化論を解する頭腦を有せず−−マ
           ルサス論とは『人口』對『食物』の問題なり−−經濟學の範圍内にて『食物』を論ず−−食物
           の種類の進化と食物の生産方法の進化−−食物の種類は漁獵時代牧畜時代農業時代と社會
           の進化するに從ひて進化せり−−食物の生産方法の進化−−人智を以て食物たるべき生物
           種屬を繁殖せしむと云ふ意味の生産方法の進化−−生物種屬を人類の口にまで持ち來る間
           に於て更に人智を加ふる經濟的活動の意味に於ける生産方法の進化−−一切の生産は原始
           的生産より工業的生産に進む−−煮燒の僅少なる工業的生産行爲−−原始的生産より工業
           的生産に進化せる住居及び衣服−−蒸氣と電氣とを有する胃腸の工業的消化時代−−科學
           の一元論と化學的調合の食物時代−−マルサスの獨斷論よりも科學者の實驗に從はん−−
           『人口』を生物學によりて説く−−ダーヰンの大過失はマルサスの人口論を凡ての生物種
           屬に擴充して生存競爭説を立てたるに在り−−ハックスレーは食物競爭が種屬對種屬のも
           のなる事とを正當に解せり−−ハックスレーの不備の點−−食物競争は凡ての生物種屬を
           通じて同種屬間の個々對個々の者にあらず−−生存競爭の優者達者強者の意義−−今の生
           物進化論は生存競爭の對敵と結果とを混同す−−社會主義時代に於ける社會單位の生存競
           争とは種屬單位の最も廣き意味に於ける大個體の生存競争なり−−ダーヰンの偉大は生物
           種屬は其の種屬の生存進化の爲に必要なるだけの子を産むと云ふ生物學よりの歸納に在り
           −−目的論の哲學系統は生物進化論によりて科學的に決定せられたり−−凡ての生物種屬
           は生存進化の目的の爲に必要の形を執る如く必要の子を産む−−社會主義は凡て生物學の
           基礎に立つ−−ダーヰンのニ大功績−−人口論は人類種屬を包含せる生物學の斷案により
           て解せらる−−種屬の生存進化に困難なる下等生物は最も多く子を産み困難の滅少と共に
           高等生物は産子の數を減少す−−今日マルサス論は社會進化論に延長せられたる如し−−
           今の生物學者も或る程度迄ダーヰンを解す−−ダーヰンの目的論を執りてマルサス論を社
           會進化論の否定に用ふる滑椿なる矛盾−−今日の人口過多は生存競爭の劣敗者あるが故に
           必要なる天則なり−−人口過多は貧民階級其れ自身の爲めにも必要なり−−生殖慾と歴史
           の進化−−貧困の劣敗者去ると共に下等生物の方法にて種屬を維持する必要去る−−戰爭
           の劣敗者が亦下層階級より出づるが爲めの人口過多−−社會の必要に應じて人口の摶ナす
           る歴史上の事實−−日本今日の人口揄チは貧困と戦爭との繼續の爲めなり−−人口の捌口
           を滿韓に求めたるに非らず−−戰爭を理想とする國家なるが故に人口は其の必要の爲めに
           揄チす−−社會主義が思想其者の革命を要する理由−−皮相を解釋せるに過ぎざる主戰論
           者と非戰論者−−上層階級より個人主義を以て貧民の生殖慾に道徳的責任を負擔せしむる
           能はざる如く下層階級より個人主義を以て上層階級の貪慾非道に基く貧困なりとして道徳
           的責任を問ふ能はず−−今の社會主義者と名くる者に個人主義者多し−−下層階級は上層
           階級の感性たらんが爲めに人口過多なり−−社會と云ふ大個體の今日の進化の程度は下等
           生物の如く個體の一部を缺損して生存する犠牲の方法なり−−下層階級の人口過多は政治
           的單位の個體及び經濟的単位の個體の缺損すべき部分として補缺の爲めなり−−人口過多
           なけれぱ人類は巳に消滅したるべし−−人口過多の恐怖さるべきは過多の子を犠牲とする
           に堪へざるに至れる愛の進化なり−−犧牲として多くの子を産みつゝありしことを知らざ
           りし奴隷農奴の時代−−社會の進化は同類意識の深く廣くなることに在り−−人口論の解
           釋が近代に至りて要求さるゝに至りし理由−−同類意識の進化と佛蘭西革命−−天則の挑
           發する下層階級の生殖慾−−革命は愛の満足を求めて起る−−上層階級は人口過多の聲を
           革命の意味に恐怖せよ−−社會主義の世に於て人口揄チは恐怖の意味にあらず−−社會主
           義時代に人口揄チに苦しむと云ふは恰も個體を缺損して生存する生物を見て人類の手足が
           幾何級敷に揄チしたりと云ふと等し−−日本の學者は通辯なるが故に責任の負擔者に非ら
           ず−−ダーヰンに混ぜる個人主義と社會主義−−人類の進化は其の過大の繁殖力によりて
           相競爭する故なりと云ふ彼の過失を繼承せるキッドの『社會進化論』−−キッドの理論な
           らば人類は滅亡して蠅と[虫條]蟲の文明國時代なるべし−−キッドは兒童なり−−丘博士の
           『進化論講話』はマルサス論の擴充に過きずして理論なし−−社會主義時代に生存競爭あ
           りとの斷案
 
 戀愛の自由なると共に人口過多に至ると云ふマルサス論は社會単位の生存競爭たる食物競爭によりて説明さるべし
 茲に於て必ず起る問題あり。即ち人口論なり。男女の自
由なる戀愛に放任すれば人口の揄チを如何にすべきやと云
ふマルサスの人口論なり。吾人は茲に社會主義時代に於ける社會單位の生存競爭と云へる食物競爭を説くべき機會
に到達せり。
 若し、個人主義の經濟學者ミルが解釋したる如く、マルサスの人口論とは社會の前途に横はれる鐵壁と云ふ意味
にあらずして現在の社會の下に敷かれたる網なりとの義ならば、是れ或る程度までの事實なり。何となれば彼等は
 マルサス論を現在の状態と社會の將來との二樣に解す
斯の社會を解釋するに個人の集合せる關係若しくは状態と解する個人主義者なれば
なり。即ち、社會を以て社會其れ自身が其れ自身の目的の爲めに進化し其の過程とし
て幾多の現象を呈すとして解せず、貧民階級の貧困なる所以を貧民自身の個人として道徳的責任となし、爾等が子
を産み過ぐるが故の自業自得なりと云ふに過ぎざる也。露骨に言へぼ、資本家階級の婬蕩逸樂は富有なる個人の權
利にして、貧乏人は貧困に伴ふ生殖行爲を抑制するの個人的義務を忘却するが故なりと云ふに過ぎざるなり。吾人
は今日の勞働者階級が他の高雅なる精神的快樂なきが爲めに、又幼少より肉慾を桃發さるべき境遇に置かるゝが故
に、多く生殖行爲を娯樂として取扱ひ其の行爲の累積はラマルクの用不用説によりて其の生殖慾を甚しく昂進せし
 個人主義の人口論を以て上層階級より解する者と下層階級より解する者
めたる者なることを否む者に非らず。而しながら不幸なる境遇によりて不幸に
なされたる彼等に一切貧困の責任を負擔せしむるならば、吾人は實に等しく不
幸なる境遇によりて不幸になされたる資本家階級の婬荒を寛過しつゝあるの寛大を止めざるべからず。斯れが人面
を備へたる者の口にすべき事か、掠奪は婬荒の權利を作り貧困は生物として缺くべからざる義務を消滅せしむと云
ふ。統計は明かに示めす、即ち今日の如く揄チせる人口あるが故に、揄チせる機械を運轉し揄チせる新發見地を開
墾し、以て今日の如く揄チせる富の資本家階級を作り上げたるなり。貧民の生殖慾が熾烈なるを以てこそ今日の經
濟的貴族は維持せらる。僧侶の身を以て人の閨中にまで容喙すとは何事ぞ。
 而しながら吾人は理論を語る者の恥づべき感情論に陷る事を避けざるべからず。彼れマルサスの如き個人主義時
代の古人に對して斯る態度を以て怒罵しつゝある社會主義者と稱するものゝあるも、そは亦等しく個人主義を以て
貧民階級の傍より人口論を解釋しつゝあるものに止まりて社會主義は自ら論據を異にす。否、單にマルサスと等し
 マルサス論は個人主義の立脚地よりするも價値なし
く個人主義に脚を立てて彼の人口論を考ふるも價値なきの甚しき獨斷論に過ぎざるな
り。マルサスの人口論は獨斷の一點より演釋を始め、其の獨斷を先入思想として獨斷
に適合すべく統計を解釋し、其歸納より如何にも科學的研究なるかの如き眺めを以て再び出發點の獨斷に歸り來れ
り。人口論の空中樓閣は實に『算術級數』と『幾何級數』と云ふ二語の夢より畫かる。而してこれが誠に全部根據な
き獨斷なり。即ち、マルサスは、食物は算術級數即ち一二三四の割合を以て揄チするに人口は二、四、八、十六の速
度を以て揄チする幾何級数の者なるが故に貧困は先づ以て人生の永遠に伴ふ運命なりと獨斷せり、−−而して此の
夢よりも驚くべき獨斷が人口論の全部を組織し、今の學者階級がこの獨斷に疑を挿まずして彼を權威として奉戴し
つゝありとは解すべからざるも甚し。彼は固より統計を掲けて論じつゝあり、而しながら彼の平凡なる腦中には巳
に算術級數と幾何級數と云ふ獨斷が統計の歸納より先きに凝結して存せしが爲めに、統計の按排の上に常に此の獨
 算術級數と幾何級数と云ふ獨斷より統計の取扱ひを誤まる
斷が君臨す。例を擧ぐれば、彼が二十五年毎に人口がニ倍するものなるに食物の
加は遥かに僅少なりと歸結するに當て、全く比較すべからざる別種の者を比較した
る如き是れにして、彼の根據とする二十五年毎に二倍する人口の揄チと云ふ統計の計算は北米の未開時代の事にし
て常時の北米にては人口の揄チと共に食物は其れと同一の幾何級數を以て揄チしつゝありし天然として存したる者
なるを顧みざるなり。然るに彼は北米に於ける人口の幾何級數を同じく北米に於ける食物の幾何級數に對照せしめ
ずして、北米の人口のものゝみを抱いて空中を飛行して歐州の食物の上に來り、見よ人口は幾何級數を以て揄チす
る者なるに食物は算術級數の揄チに非らずやと、全く別種の統計を指したるなり。斯る統計の取扱ひによりて聊か
歸納せられたるかの如き跡を有すとも、其根本點たる算術級數と幾何級數とに何等の力を加ふる者ぞ。由來、食物
も人口も決して算術級數によりて揄チするものにあらず、又幾何級數によりて揄チする者にもあらず。人類に今日
 人口も食物も算術級數に揄チする者に非らず又幾何級數に増加するものに非らず
食物として取られつゝある動植物も生物種屬にして、其れを食物として取
りづゝある人類も生物種屬の一なり。−−實に今の學者なるものは恥ぢ
よ!一粒萬倍に非らずとも一粒より出でたる米の莖に算術級數の揄チを以てニ粒の米より外なき穂の稻ありや。
鼠は幾何級數を以て産るべき割合なりとせらる、而しながらそは單に産るべき割合と云ふだけの事にして、其の
内の大部分が物質的危難、或は猫の如き、べスト屬の如き他の生物種屬との生存競爭に於て劣敗者となり、第二の
幾何級數を割り出すべき産兒前に死するが故に決して揄チする時に於て幾何級数に非らず。今のマルサスを合掌禮
拜しつゝある經濟學者の神棚には鼠が一年一疋の母より、八千疋殖加する所の割合を以て幾何級數の山をなしつゝ
ありや。マルサスは論なく平凡以下なり、若し平凡の人としての誤謬ならば、寧ろ人類の食物とせらるゝ下等なる
生物種屬は之を食物とする人類に比して、数十倍の子を産み、数百倍の果實を結び、數萬倍の卵を産む者なるが故
に、却て『食物は幾何級數を以て揄チし人口は算術級數を以て揄チす』と云ふ獨斷ながらも顛倒すべかりしなり。
 マルサスは時勢の致す所の外に價値なき凡物なり
固よりマルサスの時代は人口揄チを國家競爭の爲に過度に奨勵せるメルカンタイル・シ
ステムの反動たりしことは事實なり。又漸く悲慘なる現象を呈しつし始まれる英國の工
業革命の爲めに判斷の冷靜を保つ能はぎりしことも事實なり。又工業革命の初期にして經濟的土豪の時代なりしが
爲めに、恰も幕末に至りて漸く諸侯掠奪の跡を發見したりし如く、彼の時に何人の出づるもカール・マークスたる
能はざるは社會進化の程度として固より事實なり。而しながら算術級數と幾何級數と云ふ如き、野蠻人よりも數の
觀念の不明確なるは誠に劣等なる頭脳なりと云ふの外なく、爾來一百年の長き間無數の學者によりて繼承せられて
一種の經典の如くなり、権力階級に執られては殘忍暴戻なる壓虐となりて下層階級に臨み來れりとは人類の靈智も
怪むべき者なるかな。而も今尚マルサスより幾何級數の勢を以て揄チし來れる靈智ある經濟學者、時に靈智ある金
井博士の如きは曰く『地球全體を開墾すとも人類は三階五階の家を建てゝ空中にまで揄チするが故に人口揄チは避
くべからず』と。人類の靈智も極まるかな。
 然しながら、如何なる下等なる學者と雖も輕蔑を以て經過すべからず。彼等下等なる者に於ては眞理を語るより
も單に當時の大勢の後へに附隨して大勢たるものを反響する者なり。大勢ならば如何に價値なき者と雖も充分に惑
を解かざるべからず。而してマルサスの人口論は下等ならざる貴き金井博士の今尚以て社會主義に對抗しつゝある
最後の城砦となしつゝあるに見れば全く大勢なることは看過すべからざるなり。白く、飢餓を餘儀なくされつゝあ
る下層階級の無くならば全社會を擧けて人口の揄チを來して全社會の餓死を來すべき論理にあらずやと。是れマル
サスの人口論をミルの其れの如く現社會の下に敷かれたる網なりとの意味に解せずして、社會進化の前面に立てる
 マルサス論を以て社會進化論に對抗する金井博士の醜態
鐵璧と考ふる者なり。社會主義の根據は誠に社會進化論に存するを以て、社會主義
は社會進化の将來につきて嚴肅なる智識を要す。故に若し社會哲學の上に經濟學を
築きて社會主義に對抗するならば社會主義の非難者として堂々たる者なるべしと雖も、兒童すらも言ふを敢てせざ
る三階四階の家などの建つべきを北極より南極まで想像して其の上に幾何級數のマルサスを祀る如きに至つて只以
て醜くしと云ふの外なし。斯る學者の多くは自ら社會主義者と區別せんが爲めに愛國者を以て居り學者は千年後の
後世を洞見するを要すと任じつゝあるが故に、地球冷却後の大日本帝國を如何すべきかと云ふ大々的問題と共に、
此の一千年後の人口論は路傍の餓孚を外にしても必ず論議せざるべからざる緊急問題なるべく、社會主義者は常に
斯る學者の前に講釋を要求せられつゝあり。吾人は公言す、斯る學者に對する最もよき答辯は輕蔑を表示する沈默
なりと。經濟學は社會の物質的基礎を論ずるものなるを以て社會學の智識を要し、而して社會學は人類と云ふ一生
物社會の生存進化の理法を研究する者なるが故に凡での生物種屬の生存進化を研究する生物學の一章たり。從て經
濟學者が今日誠に狹少なる甲殻申に窒居して盲動的に研究しつゝある人口論の如き全く生物學の智識に要めざるべ
からざる者なり。而しながら今の經濟學者なる者は、生物學以前、社會學以前の糟粕を豫じめ先入思想として頭腦
を組織せる者なるが故に、假令彼等に向つて社會學によりて新社會を論じ、生物學によりて新社會の人口を説くと
も、其の効果なきことに於て石地藏と語るが如きなり。否! 彼等が今日經濟學の對象としつゝある食物の無限と
 今の學者階級は社會進化論を解する頭腦を有せす
云ふことにつきて語り、北米の平野のみを開墾すとも尚三十五億人を入るゝことを得と
云ひ、海と名けられたる地球三分の二の牧場ありと云ふとも、全地球を開墾したる上尚
其の表面の凡てに三階五階の家が建つと云ふほどに豊富なる詩人的想像力を持てる彼等のことなれば必ず千年後洞
見の明を以て百億千億に揄チせば如何と窮追すべく、若し又將來の食物は化學的調合によりて得らるべしと云へば
亦必ず其の丸薬を一服見せざるに於ては經驗的科學に非らずと答ふべし。吾人は禮儀に拘泥する能はず、『生物進
化論と社會哲學』は憐むべき頭蓋骨の陳列されたる今の學者階級に向つて語りづゝあるものに非らざることを告示
す。
 マルサスの人口論とは人口對食物の問題なり
 否、マルサスの人口論とは人口對食物の問題なるが故に、吾人は生物學によりて『人口』
を論究するより先きに單に經濟學の今の範圍内にて『食物』を考ふるも、マルサス論を社
會進化の将來に立てる鐵壁と解釋して恐怖することは理由なしと信ず。經濟學者は食時の進化と云ふことを知らざ
 經濟學の範圍内にて食物を論ず
るや。實に、彼等は食物の種類及び食物の生産方法が社會の進化と共に進化し來り、又進化し行
くべきことを知らざるが故に、即ち今日の米麥魚鳥の如き食物の種類、及び今日の原始的の者と
大差なき煮燒の生物の生産方法より進化すべきことを知らざるがゆゑに、幾何級數と云ふ獨斷に構造せられたる頭
腦を以て直に人口の揄チを推論し、社會全員の餓死か然らずんば社會主義の夢想と云ふ笑ふべきヂレンマを設くるな
り。若し今の經濟學者にして進化論を否定せず社會を現状に停滞する者若しくは循環する者と考へざるならば、吾
 食物の種類の進化と食物の生産方法の進化
人は先づ首を囘らして今日の食物の種類と食物の生産方法とが今日にまで進化し來れる經
濟的進化を顧みることを要す。固より未だ誠に微々たる者なることは論なし、而しながら
社會の進化が漁獵時代に入り牧畜時代に入り農業時代に入るに從ひて食物の種類が其れぞれに進化したる事は注意
すべき事實なり。光榮ある農學博士新渡戸稻造氏が其の『農業本論』に於て佛蘭西人フォアサック氏の言なりとし
て引用せる所によれば、農業と牧畜とは同面積を以て養ふべき人口の差は二十倍乃至三十倍にして更に其の牧畜と
農業とは同じ面積を以て養ふべき人口の差亦凡そ二十倍なりと云ひ、ゼオガマストの言なりとして農業にては五反
乃至一町歩にて一人を支ふるを得るも牧畜にては五十町歩乃至七十町歩にて辛うじて一人を養ふを得べしと云ひ、
而して牧畜が多くの土地を要する例なりとして露西亞にて男子一人を養ふに八十町歩乃至百町歩の放牧地を要し、
濠州のクヰンスランドにては羊一頭毎に一方哩を要すと云ヘり。是れ即ち、食物の種類が野生の魚鳥と云ふ純然た
る原始的生産物を以て主要なるものとせし漁獵時代は、其の原始的食物の存する地球の部分のみより外生産に用ふ
 食物の種類は漁臘時代牧畜時代農業時代と社會の進化に從ひて進化せり
る能はぎるを以て人類の稀薄なりしと共に食物の缺亡せし理由にして、社會
の進化して聊か人類の智能を生産の上に現はし原始的に存在する牛羊を人爲
を以て繁殖せしめ得るに至るや、生産に用ひらるべき地球の部分は人智を以て擴大せられ人口の揄チと共に食物の
揄チを來し、更に社會の進化して食物の種類が多く米麥となるに至るや、植物は動物よりも繁殖する生物種屬なる
を以て生産に用ひらるべき地球の部分は更に大に擴大せられ人口の揄チと共に食物の揄チを來したることを示す者
にあらずや。漁獵時代に『魚鳥のマルサス』出でず、牧畜時代に『牛羊のマルサス』出でず、而も獨り農業時代の
食物に進化してのみ『米麥のマルサス』と其の迷信者の擾々たりとは何ぞ。
 食物の生産方法の進化
 社會は食物の進化と共に更に食物の生産方法を進化せしむ。最初は原始的に放任したるものが、
漸時に人智を以て食物となるべき生物種屬(即ち牧畜時代ならば牛羊、農業時代ならば米麥)を
繁殖せしむることなり。農業に例せば、マルサスが北米に得たる統計の人口は二十五年毎にニ倍すと云ふと正比例
をなして、デルプリュックは獨乙の農學の發達によりて百年間に四倍の生産を得たりと云ひ。マルサス宗徒は耕地
 人智を以て食物たるべき生物種屬を繁殖せしむと云ふ意味の生産方法の進化
一定の限度と云ふことを以て凝結するも、農學者は陸海軍が外國に領地を擴
張する如く科學を以て國内の土地を侵略し三四倍大に大きくしたり。即ち、
人類の食物の種類が農業時代の米麥に進化せる間、米麥の生産方法は又等しく進化したるなり。而しながら吾人が
茲に食物の生産方法と云ふ『生産』の文字は經濟學上の術語に於て用ふるものなり。即ち、食物たるべき生物種屬
を繁殖せしむる方法が生産方法の一たると共に、其の生物種屬を人類の口にまで持ち來る間に於て更に人智を加ふ
 生物種屬を人類の口にまで持ち來る間に於て更に人智を加ふる經濟的活動の意味に於ける生産方法の進化
る經濟的活動を意味す。言ひ換ふれば、羊毛を取らんが爲め
に人智を以て羊を繁殖せしむることが生産行爲たると共に、
羊毛に人智を加へて紡織することが亦等しく生産行爲たる如く、家を建てんが爲めに人智を以て松柏を繁殖せしむ
ることが生産行爲たると共に、松柏に人智を加へて切削することが亦等しく生産行爲たる如く、人智を以て食物た
るべき生物種屬を繁殖せしむる農牧が生産行爲たると共に、更に其の動植物に人智を加うる煮燒は經濟學上の生産
行爲なり。−−吾人は實に此の意味に於ける食物の生産方法が進化すべきことを忘却せる經濟學者を怪しむ。一切
 一切の生産は原始的生産より工業的生産に進む
の生産が原始的生産より工達的生産に進化するは經濟學上の事實なり。即ち社會の原始
時代に於ては原始的存在のまゝに衣食住の用に供せられたるものが、社會の進化と共に
人智を以て原始的存在を變形若しくは變質したる後衣食住に用ふと云ふことなり。然るに食物のみに於ては未だ原
始的存在のまゝの者を用ふること原始人と大差なきが故に、今日吾人は其の取りつゝある食物の大部分を消化せし
むる能はずして體外に排泄す。即ち、只僅かに火食を知れりと云ふ點に於て原始人よりは食物の工業的生産をなし
 煮焼の僅少なる工業的生産行爲
つゝありと云ふを得べきも、麥を麺麭に燒く、米を飯に炊と、魚鳥獸肉を煮、若しくはあぶると云
ふ其れだけのことにして、衣服住居の如く正確なる智識によらず殆ど全く本能の嗜好に從て只舌
に適する方法を執りつゝあるに過ぎざるなり。住居の原始的なる者は樹上に巣くひ山腹に穴居することなりき。而
も其れが原始的に存在するまゝに木石を用ゆる事より拙劣なる工業的生産行爲を加へて小屋を作ることに進み、更
に今日の如く大都會に五階十階の工業的生産行爲を爲すに至りしが爲めに、今日の經濟學者は『住居のマルサス』
となりて、皆生殖を謹慎せよ、世界の樹上と山腹には限りありて巣を作くり穴居する能はず、人類は平原の洪水に
 原始的生より工業的生産に進化せる住居及び衣服
溺死すべし(禹水を治むるまでは支那にても皆巣居穴居なりしと云ふ)とは云はざるに
非らずや。衣服の原始的なる者は一方哩の牧場を要する一疋の羊よりして只一領の皮
衣を得る事にありき。而も其れが今日牧畜時代の如き原始的存在のまゝの衣服を去りて、羊毛をのみ年々に刈り取
る紡織の工業的生産をなすに至りしを以て現今の經濟學者は亦『衣服のマルサス』となりて、爾等生殖を防制せよ、
世界の牧場には限りありて爾等は凍死すべしと説かざるに非らず中。−−住居の生産方法の進化によりて住居の溺
死なく、衣服の生産方法の進化によりて衣服の凍死なく、然るを如何ぞ獨り食物の生産方法をのみ現今の原始的生
産に止まりて進化なきものと考へ、『食物のマルサス』のみ跋扈して食物の餓死を叫びつゝありや。吾人が今日生
穀を噛み生肉を喰ひし原人時代より今日の火食にまで進みしは火と庖丁との僅少なる工業的生産行爲が食物の上に
加へられたるものなり。若しこの工業的生産行爲の僅少にして而も盲動的に過ぎざるものと雖も、其れが爲めに同
量の食物を取りながら生食の野蠻人よりも其れだけ多く消化しつゝあるならば、口中より送られて單に醜怪なる物
 蒸氣と電氣とを有する胃腸のエ美的消化時代
質として其の大部分が排泄さるゝ(呵々、今の獨乙皇帝もこの進化的生物たるを免かれず)
今日の原始的食物が、科學者の分析によつて見る滋養分を全部消化し吸収し得べき工業的
生産行爲の加はると推想せよ。今日直に食物とされつゝある所の者は單に原料となるに至り茲に數十百倍する人口
をも優に維持し得べきことを推想すべし。繰り返へして云ふ、吾人は下等なる頭腦の學者階級に向つて語りつゝあ
るものにあらず。吾人は只、今日にまで進化せる方則が更に將來の進化に至るべき方則なりと云ふことゝ、凡ての
生産は原始的生産より工業的生産に進むと云ふ經濟學の原則とによりて、今日の原始的生産のまゝの食物が又等し
く工業的生産時代に入るべき事を確信するものなり。而して、斯の工業的食物時代の到來すべきを確信するが故に、
今日科學者が折々其の實驗室の窓を開きて告ぐる、人類は將來化學的調合によりて食物を得るの時來るべしとの豫
言を俯伏して傾聽しっゝある者なり。−−即ち、人類の生存進化を維持するに要する營養物が原始的生物種屬を胃
陽の工場にて生産することより進化して、蒸氣と電氣とを有する大なる胃腸によりて生産する工業的消化時代とな
り。更に營養物其れ自身を原始的生物種屬に求めずして人爲的生物種屬に得るの時至るべしと云ふことなり。詩人
 科學の一元論と化學的調合の食物時代
は天國を指し、科學者は天國に至るべき梯を造る。科學が一元論となり無機物有機物の別が
なくなりて萬有凡て生物種屬なりとの實驗による斷案は、人類の手によりて在來の生なき者
となしたる無機物より有機物を造るに至れり。例せぱ、一八五四年化學者べテルローはグリセリンと酸とを以て天
然物と全く異ならざる脂肪油類を合成し、更に簡單に炭化水素より之を化成するを得たりと云ひ、而して今日糖分
も亦化學者の實驗室内に於て合成せられ、剩す所は蛋白質のみなりと云ひ、甚しきは未だ精確なる報道なきも或る
學者は化學室に於て全く一個の生物を作りしと云ふ如きこれなり。而して是れ實に所謂無機物を有機物が喰ひ、植
物を動物が喰ひ、更に其の動植物を人類が喰ふと云ふが如き重複と殘忍とを去りて、人類が直ちに本原の無機物有
機物(實は無差別なる原々素)に食物を求むるものにして、推論の走る所驚くべき遼遠のものなりと雖も、『類神人』
の消滅後に來るべき『神類』の時を想像せば然かく哲學的思辨のものに非らず。(後に説く社會進化の理想を見よ)。
 マルサスの獨斷論よりも科學者の實驗に從はん
マルサスは實に一百年以前の古人にして新派經濟學者の嘲笑する舊派の者なるのみなら
ず、ダーヰンの『種の起原』より五十年以前の者なり。吾人は斯る平凡なる古人を迷信し
て經濟學の上にノアの洪水を説くよりも、過去の進化の跡に顧みて科學者の慎重なる實驗に從はんと欲する者なり。
 
 『人口』を生物學によりて説く
吾人は茲に『人口』を生物學によりて説かざるべからず。是れ、吾人が種屬對種屬の生存競爭
と云へる食物競爭の生物學上に於ける地位の決定なり。
 實に、ダーヰン彼れ自身の自白によれば、其生存競爭説がマルサスの人口論より考へつきし者なりと云ふを以て、
生物學の上より更にマルサスを確かむるかの如き現今の状態なり。而しながら是れ誠にダーヰンの由々しき不注意
にして、是れあるが爲めに彼の『種の起原』は單に生物種屬は天地創造説の如く神の作成せし者にあらず進化によ
りて成れる者なりと云ふ事實の發見以上に何等の理論を提供せぎりし所以なり。マルサスが其の所謂幾何級數を以
て生るゝ人が算術級數を以て揄チする食物の上に競爭をなすと云へることよりして、ダーヰンは其れを凡ての生物
 ダーヰンの大過失はマルサスの人口論を凡ての生物種屬に擴充して生存競爭説を立てたるに在り
種屬の上に擴充して以て其の生存競爭説の理論となせるなり。マ
ルサスが十八世紀末の個人主義の空氣によりて養はれて人口揄チ
の意義深き天則を解する能はぎりしが如く、ダーヰンは社會主義の科學的基礎たるべき生物進化の事實を解するに
尚個人主義の餘波に漂はされたるが爲めに生物進化論に於て占むべき食物競爭の地位につきて遺憾なる過失に陷り
たり。即ち彼れに取りては生存競爭とは同じ食物の上に重複する同種屬間の食物個々の要求が衝突して、其の競爭
の優勝者が生存すと云ふことに過ぎず。
 誠に惜むべきことなり。若しダーヰンにして當時巳にカール・マークスの出でしほどに進める社會主義の風潮を
取り入れたるならば、少くも個人主義の獨斷論より脱却し得たりしならば、生存競爭を同種屬個々の競爭と解する
が如き過失なかるべきなり。此の點に於て最も正當なる見解を有したる者は彼と同時代のハックスレーなり。彼は
 ハックスレーは食物読爭を種屬對種屬のものなることを正當に解せり
同種屬間の生存競爭とは間接にして無意識なるも、異種屬間即ち食物にする
者と食物にせらるゝ者との間に於ける生存競爭は直接にして意識的なること
を明かに表白せり。言ふまでもなく、ハックスレーの間接にして無意識的なる同種屬間の生存競爭とは狭義に解せ
られたる食物競爭のことにして吾人の廣義に用ひたる生存競爭、即ち長き命に於て理想を實現せんとする最も直接
にして意識的なる雌雄競爭を除外せる者にして、又、食物競爭を異種屬間の生存競爭と云ふも吾人の如く明かに競
爭の單位を決定してのことに非ざるは論なし。何となれば異種屬間の生存競爭たる食物競爭が異種屬問に於て直接
に意識的なると共に、同一の食物たるべき生物種屬の上に同種屬が或る單他にて(即ち遊牧時代には部落の單位に
 ハックスレーの不備の點
て、現代には國家若しくは階級の單位にて、飢饉の如き場合には純然たる家族若しくは個人の單
位にて)直接に意識的に生存競爭をなすを以てなり。而しながら同種屬間の直接に意識的に食物
競爭をなすと云ふも、其の競爭は食物たるべき異種屬に對して直接に意識的に生存競爭の優勝者たらんが爲めに同
屬を排除すると云ふだけのことにして、同種屬を排除するの要なきほどに食物たるべき異種屬の豊富なる所(人類
に例せば堯舜の原人時代の如き)、若しくは同種屬を排除するの努力を轉じて協同に團結せる大なる單位にて他の
生物種屬の上に完き優勝者となり以て異種屬を豊富ならしめたる所(例せば社會主義の理想が實現せられたる時代
の如き)、にては直接に意識的なる食物競爭は種屬對種屬のものなり。若し個人主義を以て生物進化の事實を解釋せ
るダーヰンの如く、生存競爭とはマルサスの人口論が凡ての生物種屬に行はるゝことゝ解しては、即ち同種屬間の
個々の生物が個々の生物に對する生存競爭と解しては、彼の蟲類の保護色の如き最も解し易き事實は如何にして説
明さるゝや。この保護色とは其の蟲類を捕へて食物とする所の鳥類と云ふ他種屬に封して生存を保護せんが爲めに
 食物競爭は凡ての生物種屬を通じて同屬間の個々對個々のものにあらず
して、有毒を表示する色や木葉、花辨に擬する色によりて、等しく其等の保
護色を有する同種屬の他の生物を恐怖せしめ、或は欺きて食物を爭奪すとの
意味にあらざるは何人も知れる所の如し。斯く蟲類の保護色の如き例を以てすれば生存競爭の對敵が明かに他種屬
なることを見るを得べしと雖も、皮相的見解者の眼前に犬が屡々相爭ひ猫が時に相噛むを以て肉食獸の如きは個々
の生物が他の個々に對して各々競爭の對敵なるかの如く速斷す。而しながら彼等は單に協同せざる非社會的生物な
りと云ふだけのことにして、肉食獸の牙と爪とは決して同種屬の肉を目的として磨かれたるものにあらず、其の食
物たるべき肉の他種屬に對する生存競爭の優勝者たらんが爲めなり。實に同種屬間の個々の生物が他の個々の其れ
に對して對敵として存在するならば、彼等は食物たるべき他種屬の乏しからずして慾望の重複せざる場合と雖も、
直接に意識的に食物競爭をなして同種屬の肉其者が競爭の勝利者の爪と牙とに來らざるべからず。而してこれ實に
狼の如き肉食獸が食物たるべき他種屬の豊富なる西比利亞の廣野にては數千頭の群をなして存すと云ふ如き生物界
の現象は謎語として持て餘すより外なく、數千頭の肉は決して數千頭の食に非らざるなり。否! 今のダーヰンを
偶像として崇拜する生物進化論者にして尚其個人主義の生存競爭を維持せんと欲せば、吾人は實に問はざるべから
ず。アミーバはアミーバを喰ひて生存しつゝありや。芽生々物は芽生々物を喰ひて珊瑚樹を作りつゝありや。牛は
牛を喰ひ馬は馬を喰ひ、燕は燕を、鳩は鳩を、胡蝶は胡蝶を喰ひて其の生存競爭をなしつゝありや。稻は稻を喰ひ、
芋は芋を喰ひ、松の木は松の木を喰ひて其の生存競爭をなしつゝありや。
 生存競争の擾者適者強者の意義
 吾人は茲に生存競爭の優者適者強者の意義を繰り返へして説かざるべからず。即ち所謂生存競
爭の優勝者とは他種屬との生存競爭に於て同屬の中最も優れたる點を有するものが其の優れたる
點を維持して生存すと云ふことにして、生存競爭の對敵とは別意義なる結果なり。繰り返へして言へば、同屬の中
の優者適者強者とは同屬の劣者不適者弱者を對敵としての其れに非らず、其の優劣と云ひ適不適と云ひ強弱と云ふ
は生存競爭の對敵たる他種屬に對してのことにして其の他種屬に對して優者たり適者たり強者たる同屬の者が生き
殘ると云ふ事は生存競爭の結果なり。例へば、茲に各々一軍團を以て戰ふとせよ、戰爭の結果として戰爭後に殘る
ものは其の軍團中の優者適者強者なりと雖も、戰爭の對敵は固より敵の軍團として自己の軍團内の各員が各員に對
 今の生物進化論は生存競爭の對敵と結果とを混同す
する戰鬪をなして優者適者強者の意義が決定さるゝには非ざる如し。實に、馬の進化
せる四足は同屬相蹴らんが爲めに非らずして他種屬たる競爭者より遁來し得たる優者
の結果なり。猫虎の如き猫屬の犬齒は同屬相噛まんが爲めに非らず他種屬たる競爭者に打ち勝ち得たる強者の結果
なり。毛蟲が毛を、針鼠が針を皮膚に有するは同屬相刺さ、んが爲めに非らずして、鼬の遁走の時に臭氣を放つは他
種屬たる競爭者を撃退し得たる適者の結果なり。生存競爭の結果と對敵との斯くまでに見易き事理なるに係らず同
屬が或る特殊の場合に直接に意識的に爭ふを以て生存競爭の優勝者とは同屬間個々を對敵としての者なるかの如く
信じ、飢餓の喰人族が他部落の同屬の肉を食となす特殊の現象を凡ての生物界の通則として當嵌めんとするに至つ
ては妄も亦甚しい哉。
 
 社會主義時代に於ける社會單位の生存競爭とは種屬單位の最も靡き意味に於ける大個體の生存競爭なり
 誠に斯くの如し。生物界を通ずる食物競爭とは食物にせんと
する種屬と食物とさるゝ種屬との間に於ける生存競爭にして、
種屬單位即ち最も廣き意味に於ける社會單位の生存競爭なり。社會主義は社會の單位を此の最も廣き意味に於ける
人類種屬に於て他種屬の上に生存競爭の優勝者たらんとする者なり。從て社會主義の時代に於ては先きに説ける理
想實現の競爭たる雌雄競爭の個人單位の者あると共に、此の社會單位の現實維持の競爭たる食物競爭は固より他種
屬を對敵として存するは論なし。然らば社會主義時代に於ける食物競爭に係はる人口論は如何に考ふべきや。
 ダーヰンの偉大は生物種屬は其の種屬の生存進化の爲のに必要なるだけの子を産むと云ふ生物學よりの歸納に在り
 吾人は茲に於て生物學が誠に高貴ある光を放つを見ると
共に、ダーヰンの偉大が雲を突きて高きを仰ぐ。彼は曰く
−−『生物種屬は其の種屬の生存進化のために必要なるだけの子を産む』。哲學史の緒論よりして宇宙に目的ある
事は思辨によりて解釋せられんことを要求せられつゝありき。而してダーヰンによりて著しく發展したる生物學は
宇宙一切の者の目的を有する事を科學的研究の歸納として説明す。鶯は囀らんと欲するが故に美音ありや、美音あ
 目的論の哲學系統は生物進化論によりて料學的に決定せられたり
るが故に囀らんと欲するや。胡蝶は舞はんと欲するが故に麗翅ありや、麗翅あ
るが故に舞はんと欲するや。獅子は肉を喰はんと欲するが故に牙ありや、牙あ
るが故に肉を喰はんと欲するや。斯くの如きは是れ實に古今哲學上の大題目にして、天地創造説を取り若しくは舊
式の唯物論を取りて宇宙に目的なしとの見解を持する者は、鶯は美音あるが故に、胡蝶は麗翹あるが故に、獅子は
牙あるが故に、歌ひ舞ひ猛ける者となせり。然るに生物學は嚴肅なる事實より歸納して天地創造説を覆へし舊式の
唯物論を破り萬有進化の宇宙目的論を確立したり。路傍一莖の野花より、雲聳の松柏より、地上に匐ふ昆蟲より、
花間を飛ぶ小鳥より、海波に嘯く鯨鯢より、豁谷を捗る蛇籠より、犬より、猫より、馬より、猿より、紅流るゝ東
天にあこがれて[皐羽]翔の翼を科學者の發明に待ちつゝある人類にいたるまで、宇宙萬有を擧げて生存進化の慾望の結
果として生じたる者なる事を歸納したり。宇宙は經過的生物たる人類の解すべからざる永遠の目的、相對的存在た
る人類の考ふべからざる絶對の理想あり。この目的と理想とあるが故に、凡ての生物は其れぞれの目的を達し、其
れぞれの理想を實現せんが爲めに、歌はんとする目的ある者は美音を進化せしめて歌ひ、舞はんとする理想ある者
は麗翅を進化せしめて舞ふ。哲學史ありて以來の兩系統の對戰は生物學の嚴肅公正なる判官によつて證據調べの上
 凡ての生物種屬は生存進化の目的の爲めに必要の形を執る如く必要の子を産む
明白に決定せられたり。(今の生物學者の多くが斯る金冠を戴ける判官た
らずして死刑執行者の賤業に甘んじつゝあるは憐むべし)。−−人口論も
亦實に此の宇宙目的論の生物學によりて解せらる。即ち、凡ての生物種屬が其生存の維持若しくは進化の爲に境遇
(競爭者たる他の生物種屬をも含みて)に適應せんとして其れぞれ必要の形を執りて其れぞれの生物種屬に進化せ
る如く、亦等しく生存進化の目的の爲に其れぞれ必要なるだけの子を産む。この凡ての生物種屬は生存進化の目的
を有すと云ふ事は實に人類と云ふ一生物種屬を生存進化せしめんとする社會主義の據て立つ處にして、生物種屬は
生存進化の目的の爲めに必要なるだけの子を産むと云ふ事よりして、社會主義は今日の如き驚くべき人口は決して
 社會主義は凡て生物學の基礎に立づ
マルサスの如く恐怖すべき者にあらず、是れなくしては人類の滅亡し若しくは進化する能はぎ
るよりの必要に伴ふ結果なることを信ず。生物學は凡てに於て社會主義の基礎なり。食物競爭
が同種屬間の個々の生物を對敵とする、若しくは對敵たる他種屬に對する競爭者とするに於ても競爭の單位が個々
の生物なりとするが如きは、誠に偏局的個人主義の思辨的獨斷論に誤まられたる者なりと雖も、ダーヰンの偉大を
以てマルサス輩の水平線以上に突出せる大なる點を蔽ふが如きは天才を知るの途に非らず。即ち、生物種屬は其の
生存進化の爲めに必要なるだけの子を産むと云ふ社會主義の科學的基礎これなり。(故にミューヘンの生物學者大
會に於て生物進化論は社會主義に至ると恐怖して排撃に努めたる者のありしは執るに足らざる愚妄なりと雖も、生
物進化論が社會主義に至ることを或る不明確なる觀念にて考へ及ぼせしと稱すべしとす)。吾人はダーヰンを研究
 ダーヰンのニ大功績
する者に向つて只二つの注意を要む、即ち、ダーヰンは生物進化の事實を確めたることゝ其の説
明として不貫徹を極めたりとは云へ生存競爭説の緒を開きしと云ふ點とに於て偉大ならしめよと
云ふ事。而して他の一は宇宙目的論の歸納に導きて凡ての生物種屬は其の生存進化の目的の爲めに其れぞれの形を
執りて其れぞれの種屬に進化し、其の目的の爲めに必要なるだけの子を産むと云ふ嚴肅なる事實を示したる點に於
て萬世不朽ならしめよと云ふこと。
 人口論は人類種屬を包含せる生物學の斷案によりて解せらる
 實に、人口論はダーヰンの與へ・たる斷案の上に立ちてのみ解せらるべく、生物進
化論以前の過ぎ去れる智識を繼承して甘ずる今の經濟學者輩の千言萬語は一の價
値なき蛙嗚に過ぎず。彼に依れば種屬の生存進化の爲に必要なる産子は下等なる階級の生物種屬より高等なる階級
の其れに進むに從ひて減少すと云ふ。例せば、マルサスの幾何級數と云ひ、世俗の鼠算と云ふ彼の鼠の産兒數は一
年一母より八千疋に揄チすべき割合の産兒數にして、蜂は一年五六萬疋を産み、蝿は一疋二十萬の卵を一度に産み
十五日間にて生成し一週間毎に百萬倍に揄チすべき割合なりと云ひ、鱈は其の袋に一千萬の卵を有し、[虫條]蟲は一節
に一億萬の卵を有して百五十節あり。油蟲は教年間にして全地球を蔽ふべく、ハックスレーの計算によれば植物の
殆ど凡ては八九年にて〔全地球を〕蔽ひ盡くすべき割合の産子なりと云ふ。然るに高等なる階級の生物種屬に進む
に從ひて其數を減じ鳥類若しくは獸類の如きに至つては何人も知る如く誠に僅少なる者となる。ダーヰンは斯くの
如き無數の事實によりて『凡ての生物種屬は其種屬の生存進化の目的の爲めに必要なるだけの子を産む』と云ふ斷案
に歸納したり。郎ち、凡ての生物種屬は(人類につきて云へぼ人類社會は)其種屬の生存進化の爲めに(人類につきて
云ヘば人類社會の生存進化の爲めに)、必要なる子を産む者にして(人類に於ては即ち人口の多少は社會の必要にし
て)、若し。必要なる莫大の産子なくしては下等生物の如き忽ち其の種屬の滅亡を來す。二十萬疋の蝿は各々同屬の
 種屬の生存進化に困難なる下等生物は最も多く子を産み困動の減少と共に高等生物は産子の數を減少す
二十萬疋の弱肉強食となり、首五十萬億の[虫條]蟲が各々同屬の百
五十億萬に對して生存競爭を爲さんが爲めに非らざるなり。即
ち、産子の最も多き植物に於ては其種子を風若しくは蟲、鳥等によりて偶然に持ち運ばれ偶然に善き境遇に置かれ、
偶然に他の生物の食物となれるを免かれし僅少なる僥倖者によりて其の種屬を維持せざるべからざる必要の爲めに
全地球をも蔽ふべき多くの種子を産する所以にして、[虫條]蟲の如き一節一億萬の卵を有する百五十節によりて、其中の
偶然に水中に入り、更に偶然に魚に喰はれ、而も其の魚は偶然に會すべき特定の魚にして、而して更に偶然に其の
内に入り、又更に偶然に其の肉の人に喰はれ、喰はるゝ時も亦偶然に生肉として喰ふときに於てのみ始めて人の腸
に入り以て漸く其の種屬を維持し得るが故なり。實に食物の生存競垂とは目的が種屬に在り單位が種屬に在り對敵
が他の種屬に在り。從て、種屬對種屬の競爭に於て多くの劣敗者を有する下等なる生物種屬は、多くの劣敗者の犠
牲あるも其種屬を維持するに足るだけの、否寧ろ種屬を維持するに足るだけの分子を生存せしめん爲めに多くの犠
牲たるべき劣敗者として夥多の産卵をなすなり。然るに生物の高等なる階級に進むに從ひて産子の數の夥しく減少
するは、等しく種屬生存の目的に於て對他種屬との競爭の劣敗者を多く出さゞる迄に進化せる者なるが故に、必要
の去れるよりの減少にして、凡ての生物種屬の中に於て人類種屬の最も産子少なきは其の必要の最も少なき迄に最
も進化せる生物種屬なるを以てなり。ダーヰンは誠にマルサスに誤られて其生存競爭が如何に激烈に生物界を通じ
 今日マルサス論は社會進化論に延長せられたる如し
て行はるゝかを實驗に於て證據立てんが爲めに他の生物種屬の侵人を禦ぎて植物の鷺
くべき繁殖の速度を験せし如きありて、爲めに生存競爭とは同種屬の夥多なる分子が
各々其れ自身の生存の目的の爲めに他の同種屬の其等を排斥せんとする競爭なりとの意味に取られて、ダーヰンは
マルサスの人口論を凡ての生物種屬に擴充して進化論の上より確めたる如くなりき。是即ち個人が其れ自身の目的
を有すと云ふ個人主義なり。故にダーヰンによりて確められたるマルサスとは經濟學者中の少しく智識廣き者に取
りては社會主義に對する最も堅固なる城砦にして、マルサスの人口論は今日殆ど社會進化論の上にまで延長せられ
たる状態となれり。然しながら偉大なる思想史の革命家は些少なる浮雲によりて全部の光輝を蔽はるゝものに非ら
ず、今の擾々たる生物進化論者の輩は彼の全き御姿を拜するを得ずと雖も其の雲間より投げらるゝ光は彼等の眼を
 今の生物學者も成る程度までダーヰンを解す
射て明かなり。丘博士が如何なる理由に基きて時に『人種』とのみ限りしかは解すべから
ずと雖も−−何となれば、國家もあり、民族もあり、嘗ては固き團結なりし宗教團體もあ
り、今日は大なる聯合をなせる階級もあり、又人類と云ふ他種屬に對して一體をなせる社會もあるを以て−−一切
の不靈殘忍なる暴論が人種の生物進化の爲にと云ふ權威より演繹されしに見るも、決してダーヰンの導ける宇宙目
 ダーヰンの目的論を執りてマルサス論の社會進化論を否定に用ふる滑稽なる矛盾
的論の外に逸出せる者に非ざるを知るべし。經濟學者にして若し生物種屬
は種屬としての生存進化の目的を有すと云ふ事を認識して而も尚且つ人口
論を社會進化の面前に横たふる乎、誠に以て野蠻人と云ふの外なし。種屬の生存進化の目的の爲めに劣敗者を餘儀
なくせられて今日多くの子を産みつゝある人類と云ふ生物種屬が、社會主義の實現によりて食物競爭の劣敗者が少
なくなると共に(無くなるとは云はず、後に説く)、種屬生存の爲めに必要なる産子が即ち人口が幾何級數を以て
三階四階まで揄チし、其揄チによつて全社會の餓死となり却て生存の爲めにせし人類種屬の滅亡となるとは! 實
に博士と云ひドクトルと云ふはアメリカンインデアンに鼻眼鏡を掛けたる者なり。吾人は繰り返へして斷言す、今
日驚くべき人口は人類種屬の未だ低度の進化なるが爲めに他種屬との競爭に於て劣敗者の絶えざることよりして種
屬生存の爲めの必要に伴ふ天則なりと。生物學以前の經濟學者ならば知らず、凡ての社會約諸科學に根底を賦與す
べき最も重大なる任務を帶ぶる所の生物學者までが−−あゝ丘博士よ−−偉大なるダーヰンを一介の凡物マルサス
輩の足下に蹂躙せしめて括として恥ぢずとは何事ぞ。マルサスが生兒中四分の三は嬖兒にて死するか、或は四分の
−の壽命にて死するかの二なりと云ひしは、實に未だ人類の進化到らずして四分の一にて人類種屬の生存進化をな
 今日の人口過多は生存競爭の劣敗者あるが故に必要なる天則なり
し、絶えず四分の三の劣敗者を餘儀なくさるゝ所以なりと考へよ。天然の物質
的缺亡、或は母の遺棄放任等によりて(動物の多くは然かり)最も種屬生存の
困難なる野蠻人は最も多く子を産し、掠奪階級の壓力下に生存の困難最も多き今日の下層階級は所謂貧之人の子澤
出の必要あり。何事も天則なり。彼等は多くの子の中より僥倖の機會によりて自己を生存し(即ち現實を維持し)、
進化せしむる(即ち永き命に於て理想を實現せしむる)者を得。他の多くはマルサスの言へる如く四分の三まで嬰
 人口過多は貧民階級其れ自身の爲めにも必要なり
兒にて營養不良と腐敗せる空氣の裏長屋中にて死し、其長ぜる者も過度の勞働と低度の
生活の爲めに四分の一の壽命を以てラサールの言へる漸時的に餓死するなり。吾人は貧
民階級の所謂人口過多を以て貧民階級其れ自身の爲めに必要となす者なり。彼等は其の子澤山なくんば遠き以前に
於て永き命は絶たれたるべく、即ち生存競爭の完き劣敗者として滅亡したりしなり。只、進化律は平等の愛を以て
彼等の生殖慾を驚くべく昂進せしめたるが爲めに、彼等は多くの劣敗者あるに係らず尚辛うじて、永き命に於て生存
 生殖慾と歴史の進化
し進化するを得たるなりとす。生殖慾の昂進が愛なりとの語に向つて君子の輕蔑を表はすなかれ。
之は決して今の不幸なる勞働者階級のみにあらず。吾人日本人は現に雄略天皇のころまで母子兄
妹の間は固より、馬姦、鶏姦、犬姦と云ふ鶯くべき禽獸との生殖關係が、刑罰によりて禁止せられ若しくは祓をな
して神に謝したりと云ふほどに強盛なる生殖慾を有したる者なることを顧みよ。日本のみならず、モーゼの律法に
ては婦人は牛馬の前に立ちて交はるなかれ犯す者あるときは死すべしとして嚴罰を以て禁止せられたるほどなりき。
斯る刑法と斯る強盛なる生殖慾とは今日にまで進化せる吾人を以ては想像だも能はぎる所なりと雖も、種屬生存の
最も困難にして多くの劣敗者を餘儀なくせられたる古代に於ては人類社會の生存進化の爲めに缺くべからざる重大
の慾望なりしなり。天則に誤謬と無用なし。今日の強烈なる生殖慾は宇宙進化の大目的の爲めにする神の命じ給ふ
 貧困に依る劣敗者去ると共に下等生物の方法にて種屬を維持する必要去る
所と云ふべし。−−果して然らば、今日全社會の婬蕩荒亂は是れを社會主義
の世に至つて顧みる、将に今日の吾人がモーゼの律法を見、雄略崩御の祓を
見るが如くならずとせんや。社會進化論の前にマルサスの骸骨を横へて何の權威ぞ。社會主義は衣食の劣敗者たる
貧困を去り子孫の生存を下等生物の.方法に於て維持する多數の出産を不要ならしむる者なり。
 又、下層階級の人口過多と云ふ理由は貧困の外に戰爭の劣敗者が悉く下層社會より出づるが爲めなり。−−即ち
 戰爭の劣敗者が亦下層階級より出づるが爲めの人口過多
彼等は横の階級競爭に於て多との犠牲を餘儀なくさるゝ如く、竪の國家競爭に於て
常に劣敗者となる。即ち貧困よりの餘儀なき子澤山ある如く、戰爭の爲めに必要な
る結果として人口過多の聲あるなり。例せば、今日の佛蘭西は人口の平率を保ち居るが爲めに國際競爭に堪へずマ
ルサス教徒と正反對に人口過少は國を亡ぼすとして敢て帝國主義者に限らず凡ての者を通じて憂慮せられつゝあり
 社會の必要に應じて人口の摶ナする歴史上の事實
と雖も、ルヰ十四世の下に侵略を事としナポレオンを擁して全歐州を戰亂に落しつゝあ
りし時代に於ては人口の攝Bは驚くべき者なりき。中世史の戰國時代に於ては等しく其
の必要よりしてメルカンタイル、システムが思想界に於ても亦實際政策の上に於ても人口攝Bを以て第一の目的と
なし其の攝Bせる人口を戰亂の劣敗者とし其の中の僅少なる部分の生存者によりて下層階級は維持せられたりき。
日本の今日に於て半々五十萬の率を以て揄チしつゝある人口は、群雄戰國の中世史の始めより徳川の貴族階級の下
 日本今日の人口増加は貧困と戦爭との繼續の爲めなり
に掠奪せられし終末と共に、即ち戰爭と貧困との長き繼續と共に、更に經濟的貴族國
の下に依然たる貧困を繼續し、維新戰爭、十年戰爭、日清戰爭、日露戰爭と絶えず戰爭
を繼續せしを以て、日本民族としての生存を維持せんが爲めの必要に伴ふ人口にして、戰爭は人口の捌口を滿韓に
 人口の捌口を滿韓に求めたるに非らず
求めたるにあらず、未開時代の國家競爭を要求する國民の思想の爲めに、戰爭及び戰爭に伴
ふ貧困による劣敗者として多くの人口を生じたるなり。即ち、先きに鶯は美音あるが故に歌
ふに非らず胡蝶は麗翅あるが故に舞ふに非らずして、歌はんとする目的舞はんとする理想あるが故に美音と麗翹と
を生じたるなりと云へる如く、生物進化の宇宙目的論によりて日本今日の過多なる人口は、人口過多なるが故に戰
爭生ずるに非らず、戰爭を目的とする中世的思想の國民、戰爭によりて優勝者たらんとする野蠻なる理想の國家な
るが故に攝Bしつゝある天即なり。天即は噛まんことを目的とする既に毒を賜ひ、喰はんことを理想とする狼に牙
 戰爭を理想とする國家なるが故に人口は其の必要の爲めに揄チす
を賜ふ。國民と國家とが此の蛇の如き目的と狼の如き理想とより脱却せざる同
は、日本民族は永久に下等動物の天則を被りて人口過多に苦むべし。而しで階
級的感情を超越して言へぼ、今の下層階級は上層の者と等しくこの低度なる進化の途にあり。故に社會主義は國際
 社會主義が思想其者の革命を要する理由
戰爭に導き易き専制の制度を去り、資本家の貿易戰爭をなしつゝある産業的専制制度を顛覆
すると共に一層深く國民國家の日的とする所理想とする所より革命せんとする者なり。進化
律が鶯に毒を與へ覘蝶に牙を與へざる如く、世界聯邦の下に萬國平和を目的とし理想とする社會主義時代に於て何
 皮相を解欅せるに過ぎざる主戦論者と非戦論者
の人口過多あらんや。(故に彼の日露戰爭に於て主戰論を取れる帝國主義者と稱する者
が人口の捌口を要すと云ふを理由とせる如き、又非戰論を唱へたる社會主義者が其の意
氣の壯なりしに係らず未だ誠に無勢力なる二三子の資本家の爲めに戰爭の戰はれしと解したる如き、價値なき皮相
の説明に止まりしを遺憾とす)。
 上層階級より個人主義を以て貧民の生殖慾に道徳的責任を負擔せしむる能はざる如く下層階級より個人主義を以て上層階級の貪慾非道に基く簣困なりとして道徳的責任を問ふ能はず
 吾人は純正社會主義者と
して凡ての階級的感情若し
くは利uの上に超越して科學的研究の態度を汚辱すべからす。即ち人口論を資本家階級の傍より個人主義を以て解
釋して個人としての貧民に道徳的責任を負擔せしむることの誤謬なると同樣に、下層階級の傍より個人主義を以て
人口論を拒絶し資本家が貪慾非道なるが故の貧困なりと論ずることの誠に社會主義と少しも聯絡なき獨斷論の者な
りと云ふ事なり。−−明かに言へば下層階級の夥多なる人口は上層階級の犠牲たるべき社會進化の一過程なり。更
に具體的に言へぼ、一將の功を成さしめんとして萬骨の枯るゝことの爲に、一人の榮華を築かんとして數千の小作
人と幾千の工夫とが貧困に世を終り凍餓に倒れん事の爲に、多くの人口を要し來り又要しつゝあるなり。吾人が始
めに下層階級の道徳的謹愼、即ちマルサスの所謂防制と云ふを逆倒して、下層階級の強盛なる生殖慾なくば今日の
富の階級なしと斷定し置けるものこの意味なり。個人主義の思想を以て見れば貧民の生殖慾が卑しむべきが如く、
吾人のかゝる断定は下層階級の個人としての權利を無視するの言としての響くべきは論なし。社會主義者は如何に
 今の社會主義者と名くる者に個人主義者多し
すとも個人主義者たる能はず。若し社會主義の名の下に貧民階級の個人としての幸福を主
張するを以て足れりとする慈善家あらば、鐵よりも冷たき科學によりて一切の理論を行る
吾人は社會主義の忠僕たらんが爲めに斯る慈善家を輕蔑すべし。自己一身の不平に導かれて社會主義の大傘の下に
集まりたる者、若しくは一百年前の佛蘭西革命時代の個人主義を繼承して獨斷論の暗闘に耽りつゝある者は今の下
層階級の貧困を以て上層の罪惡に歸し、上層の者を見るに凡て犯罪人を以て目す。進化律の天則に不合理なること
なし。然るに斯る獨斷論の上に社會主義の旗幟を建つるが故に、其の人格の高潔にして主張の熱烈なるものあるに
係らず、然らば神は偏頗にして其の能は全からざる缺亡の者なるかと反撃せられ、社會主義を以て嫉妬の凝結せる
ものと慷慨業者の巣崛なるかの如く誤らしむるにいたる。人類社會は渾然として一個體なり。貧民と云ひ富豪と云
ひ各々社會と云ふ一個體の部分なり。即ち個人とは社會のことにして、貧民と云ふ個人が今臼犠牲となりつゝきた
 下層階級は上層階級の犠牲たらんが爲めに人口過多なり
れるは富豪と云ふ他の個人の罪過の爲めにあらず、社會の進化の爲めに社會の自身
が社會自身の或る部分を先づ進化せしむる必要によりて社會自身の他の部分を犠牲
としつゝあるなり。ゆゑに今日幸福に置かるゝ所の富豪も貧民の肉體の一部なり、犠牲に投ぜられつゝある貧民も
富豪の其れの一部にして、獨乙皇帝も路傍の乞食の一部にして、柳蔭の娼婦も和蘭女王の一部なり。憐むべきマル
サスも吾人の一部にして、更に笑ふべき博士ドクトルの輩も釋尊基督の一部なり。人類は個人主義時代の假説の如
く契約以前若しくは征服併呑以前は個々に存在せる者にあらず、生物進化論の科學的基礎によりて證明せる如く、
一元の人類よりアミーバの如く分裂せる一個體の部分たるに過ぎざるなり。個體は個體としての生存進化の目的を
有す。この目的を達せんが爲めに其れぞれ其の目的に適應する形を執る。即ち、人類社會と云ふ一個體の生物−−
人類を空間を隔てゝ分子とせる一個體の生物は其の生存進化の目的の爲めに其の目的に適應する形を其れぞれ進化
の過程に於て執る。吾人はこの説明の爲めに暫く人類と云ふ大個體を下等生物の一疋としての個體と比較すべし。
固より單に比喩の玩弄に過ぎざる生物學以前の舊き社會有機體説(彼の『所謂國體論の復古的革命主義』に説く)に
比して社會を首足胴腹ある一疋と解すべきに非らざるは論なしと雖も、今日の人類社會に於て下層階級を犠牲とし
 社會と云ふ大個體の今日の進化の程度は下等生物の如く個體の一部を缺損して生存するの方法なり
て取扱ひつゝある所以は、全くこの大個體の進化の程度が純然た
る下等生物の其れの如き者なるを以てなり。下等生物は物質的危
難、或は他の生物種屬の爲めに常に生存の困難なる進化の程度にあるが故に、一疋としての個體の或る一部を犠牲
にして走り其の犠牲にされたる部分は忽ちに補缺せられ原形のまゝの生物としての生存の目的を達す。蚯蚓、蛭の
如き遁走する能はざるものは身體の一部を切斷せらるゝも忽ち原形のまゝを赭缺し、蟹は其の鋏を失ふも間もなく
小さき鋏を生じて原形のまゝに補缺し、蠑螺が其の四肢を失ひ、嘶脇が其の尾を切られて遁走するも又忽ち其れ其
れに補缺して原形に返へるは、皆斯る犠牲の方法によりて生存の目的を達するより外なき必要に基く者なり。人類
社會と云ふ大個體の進化の程度も今日の状態にては斯る下等なる犠牲の方法なり。即ち、地震洪水風浪の如き物質
 下層階級の人口過多は政治的單位の個體及び經濟的單位の個鰉の缺損すべき部分として補缺の爲めなり
的危難は漸く避くるを得、食物とすべき動植物の如き他の生物
種屬との生存競爭及び食物とせらるべき他生物黴菌の如き者と
の生存競爭に於ても亦漸時に優勝なる地位に進みつゝありと雖も、尚小さき政治的單位即ち國家、或は小さき經濟
的單位即ち會社ツラストが激烈なる生存競爭をなしつゝあるが爲めに、其れぞれの單位としての個體の生存を維持
せんが爲めに其の單位たる個體の缺損する一部を絶えず補缺するの必要あり。詳しく云へぼ、國家の下層階級即ち
萬骨として枯るべき階級は國家の缺損すべき一部として人口過多を以て補缺し、會社ツラストの下層階級即ち掠奪
されて貧困に捉へられたる勞働者階級は其の經濟社會の缺損すべき一部として人口過多を以て補缺するなり。−−
 人口過多なければ人類は已に消滅したるべし
人口揄チは恐怖すべきものに非らずして是れなかりしならば貧困と戰爭との爲めに人類は
遠き以前に於て地球より跡を絶つべかりしなり。然り、人口揄チは恐怖すべきものに非ら
ず、只恐怖すべきは下層階級が、何の故に徙らに死滅するに過ぎざる子の多くを産むやを疑ひ始めたること是れな
 人口過多の恐怖竜るべきは過多の子を犠牲とするに堪へざるに至れる愛の進化なり
り。−−而して彼等は疑問に對する答案を科學者に俟たずして、殆ど獅
子の鬣を振ふが如き憤怒を以て犠牲の義務を拒絶し始めたり。おゝ讃美
すべき天則よ! 彼等は嘗て其の豚の如く産み落せる多くの子が奴隷として使役せられ、士百姓として誅求せられ、
 犠牲として多くの子を産みつゝありしことを知らざりし奴隷農奴の時代
以て涕泣して他界の淨土に慰安を求め、つゝ犠牲たりしことを知らざりき。今
日赤尚知らずして小作人と賃銀奴隷とは其の多くの子を抱き、負ひ、撫でゝ吐
息す−−おゝ子等よ、爾等は如何にしてこの行路難の世に立ち得るやと。社會の進化は同類意識の深く廣くなる事
なり。古代に於ては親子兄弟の間の同類意識も淺く他の部落國家は固より酋長君主に對しても解すべからざる何者
 社會の進化は同類意識の深く廣くなることに在り
かの如く考へて同類意識は狹かりき。然るに社會の進化と共に同類意識を廣く國家の凡
て世界の凡てに迄及ぼし、同時に深く親子兄弟を自己と同一若しくは同一以上に愛する
に至らしめたり。人口論の解釋が要求されたるはこの愛の滿足を求めんが爲めなり。マルサスの時に至つて人口が
 人口論の解樺が近代に至りて要求さるゝに至りし理由
揄チしたるに非らず、經濟學が講義せられて日本の出産數が五十萬となりしに非らず。
近代よりも中世は中世よりも古代は更に遥かに人口の率は多かりしなり。只、過去に
於ては其の淺き狹き同情を以て其の子の死滅を痛切に感ぜす又自由に生長しつゝある上層階級につきて疑ふ所なか
りしのみ。然しながら天則は停滞する者に非らず、現代の深度廣汎なる同類意識は決して奴隷土百姓の犠牲に甘ぜ
 同類意識の進化と佛蘭西革命
し時代のものに非らず。斯くて同類意識は人類を進化律のレールに乗せて佛蘭西革命を起さしめ
麺麭と憲法の要求を叫びて國王貴族を顛覆したり。麺麭は與へられずして投けられたる憲法の上
に新貴族は再び麺麭の掠奪を始めたり。父と母とは油よりも濃き愛の滴りを頑是なきうたゝねの穉子の顔に落して
依然たる行路難を泣く。マルサスは僧服の袖を振つて冷酷にも貧民に道徳的責任を問ふ。而しながら天則は彼等の
手より智識を奪ひ彼等の目より美術を奪ひ、彼等の耳より音楽を奪ひ、彼等の袖を引きて肉慾の街に誘ひ、彼等の
 天則の桃資する下層階級の生殖慾
唇を開きて濁酒を注ぎ、彼等の夜具をでも奪ひて夫妻を平常の同衾に包み、恰も娼婦の客を醉
はしむる如く生殖慾の挑發を事とす。子は産まる。膝に抱かる。−−子趺愛に於て聖母と吾人
 革命は愛の滿足を求めて起る
の母と何の擇ぶ所ぞ。子の愛の爲めには燒野に鳴く雉子は鷲の如くなりて鼬に向ふ。マルセーユ
城に突撃せし先鋒は誠に纖細の女子なりしことを記憶せよ。−−革命は愛の滿足を求めて起る。
マルサスは欺かれたる貧民の行くと云ふなる極樂に赴きて更に昇天者過多の人口論を唱へよ。深くなれる同類意識
の父母が其の膝に眠れる多子を眺めて前途に憂へつゝありし眼を擧けて上層階級を眺むるの時! 茲に廣くなれる
 上層階級は人口過多の聾を革命の意味に恐怖せよ
同類意識は洪水の如き勢を以て馬車を顛覆しダイヤモンドを飛ばし肉の食卓を打破し舞
踏會の玻璃窓を破り、茲に革命となる。−−人口過多は社會の必要にして上層階級はこ
の意味に放て恐怖せよ。
 只斯くの如きのみ。失丸に裂かれたる社會主義の赤旗が博物館に置かれて、平和と平等の國民の物語りとなるの
 社會主義の世に於て人口揄チは恐怖の意味にあらず
世に於て人口の揄チが恐怖の意味に放て攝Bすと考ふるは理由なきことなり。(社會
主義の世に於ける人口は更に後に説く)。人類は他の生物種屬の中にて最も進化せる
者なるが故に最も犠牲たる劣敗者の少なく從て最も出産數の少なき生物種屬なり。而して更に他の高き生物種屬に
まで進化すべき經過的生物として更に犠牲たる劣敗者を少なくし從て更に出産數を少なくすべき生物種屬なり。今
 社會主義時代に人口揄チに苦しむと云ふは恰も個體を缺損して生存する生物を見て人類の手足が幾何級數に搏zしたりと云ふと等し
日の人類が更に進化して社會主義の實現せられた
る後、即ち犠牲たるべき劣敗者の少なくなれる後、
出産教の少なくならずして却て幾何級數となり以て人類を擧りての餓死か(若しくは實現せられたる社會主義の破
壞せられて進化論以前の思想の如く社會が循環するに至るか)と考ふるは、恰も、蠑螺が其の四肢の缺損の必要よ
りして補缺するを見て、四岐を犠牲にして生存を全うするの要なき迄に進化せる人類の手足に推及し、人類は少し
も四肢を缺損せざるを以て吾人の手は八本となり十六本となり三十二本となり幾何級數を以て揄チしたりと云ふと
等しき事實の無視なり−−爾等の手を開き見よ。蠑蠑社會の大學教授と雖も斯る推論をなしつゝありとは想像し得
 日本の學者は通辯なるが故に責任の負擔者に非らず
ず。固より通辯の用に存する日本の學者等は斯る事の責任體にあらざるは論なく、實
に我がダーヰンなり。彼はマルサスの獨斷をヒントして受取れるが爲めに、事實の歸
納としては『生物種屬は其の種屬の生存進化の爲めに必要なるだけの子を産む』と云ふ社會主義の基礎を與へながら、
他の點に於ては是れを全く打ち消すべき『人類の進化は其の過大の繁殖力によりて相競爭するが故なり』と云ふ意
 ダーヰンに混ぜる個人主義と社會主義
味の個人主義の裏書を爲したり。この言が彼のべンジャミン・キッドに取られて『種の起原』
以後の大著なりと云はるゝ『社會進化論』となり、更に其れが今の學者階級に反響せられて社
會退化論か滅亡論か解すべからざる者となれり。人類の過大の繁殖力は相競爭せんが爲めにあらず、他の生物種屬
 人類の進化は其の過大の繁殖力によりて相競爭する故なりと云ふ彼の過失を繼承せるキッドの『社會進化論』
との生存競爭に於て種屬を生存せしめんが爲めなり。單に繁
殖力の大なる者が個々對個々の生存競爭を激甚ならしめて最
もよく生物種屬を進化せしむるならば、−−輕蔑すべき推理力よ! 蝿の如きは二十萬の卵を産み一週間毎に一億
萬となるほどの過大の生殖力を有するが故に、人類の文明に二十萬倍し一億萬倍せる進化をなし吾人の滅亡せる屍
 キッドの推想ならば人類は滅亡して蝿と[虫條]蟲の文明國時代なるべし
の上にK山の如くたかりて其の文明國を建設しつゝあるべく、[虫條]蟲は百五十億
萬の卵を産む過大の生殖力を有するが故に、人類よりも百五十億萬倍も高等な
る進化的生物として世は[虫條]蟲の第二十世紀に入り[虫條]蟲のキッド君が[虫條]蟲進化論を著はして蝿の如き學者階級の崇拜
 キッドは兒童なり
を集めつゝあるの時ならざるべからず。マルサスを合掌禮拜しつゝある如き今の學者等に取りて
は彼れキッドの如きは金光の頭腦なるべし、吾人を以て見る數言の侮弄にて足る三尺の兒童なり。
 吾人は西人の言に筆を馳せて日本の代表的學者なりとして指定したる理學博士丘淺次郎氏の『進化論講話』を忘
却したり。曰く『世間には生活の苦しみは競爭の激しいことに基くので競爭の激しいのは人口の揄チが原因である、
それ故子を産む數を制限することが必要であると云ふやうな考へを持つて居る人もあるが前きに述べた所によると
此は決して得策とは云はれぬ』と。吾人は固より新マルサス派の社會改良策が無目的の盲動なりしことを博士と共
に知る。而しながら博士が其の結論に於て顧みて『前きに論べたる所』と云ひし『進化論講話』の全部は混沌とし
 丘博士の『進化論講話』はマルサス論の擴充に過ぎずして理論なし
に只事實を羅列せるのみにして一の理論もなく、同屬間個々の生存競爭により
て凡ての生物種屬は進化せるものなるが故に過大の繁殖力を有する人類の進化
はマルサスの人口論によると云ふ意味の説明なり。而しながら是れ亦等しく今の生物進化論其者の組織なきが爲め
にして吾人が研究に忠實なる丘博士を特に指定したるは日本の代表的學者なりとの理由にして博士一人の責任を負
ふべき過失なりとの意味にあらず。
 
 社會主義時代に生存競爭ありとの斷案
 社會主義は進化論の外に逸出して生存競爭を禁遏若しくは緩慢ならしめんとする者に非ら
ずとは以上説く如し。即ち、他の生物種屬に對して全人類の大社會單位に於てする現實維持
の食物競爭あり。而して前きに説ける同屬間の個々に對して個人單忸に於てする理想實現の雌雄競爭あり。
 
 
 
 
        第 八 章
 
           今日まで生物進化論に結論なし−−進化の意識は字宙絶對の意識なり−−社會主義の世に
           於て人口は出産と死亡と平率を保つと云ふ推論−−猛獸に對する生存競爭をなせし原人と
           黴菌屬に對して生存競爭をなしつゝある現代−−人口は更に揄チすべしとの推論−−人口
           揄チは今日と雖も歓喜すべき天則なり−−凡ての生物種屬は生存の目的の爲めの産子以上
           に進化の理想の爲めの多産あり−−人口揄チは二樣の意義を有す−−生死平均との推論は
           一面の解釋に過ぎず−−生物學より見たる君主國貴族國民主國の三時代−−法律の進化を
           解せざる所謂社會主義者−−恐怖の意味に非らざる人口揄チ−−上層階級の多産が歡喜な
           る如く今の下層が凡て上層に進化せる社會主義時代の人口揄チ−−人口揄チは雌雄競爭を
           なさんが爲めに多くの卓越せる個性を要するゆゑなり−−一元のアダム、イヴの雌雄競爭
           なき時代より十億に揄チせる現代の進化−−今日の失戀者を以て社會主義時代を想像すべ
           からず−−大體の事實として上層は全社會の理想なり−−片思をも絶望せる失戀者の下層
           階級−−階級内の戀愛競爭の現代と全人類の大を看客とする釋尊とマリアとの戀−−階級
           的善と階級的眞−−『氏』の階級的定型の遺傅と『育ち』の階級的定型−−階級によりて
           作らるゝ容貌即ち階級的美−−何が故に戀の理想たる上層を要求する能はぎるかと云ふ積
           極的自覺−−雌雄競争による眞善美の進化、天才の世界−−個人主義の高貴なる理想と萬
           有進化の大權−−若き男女の握れる手と手は羅馬法王の絶對無限權を有すべし−−社會主
           義と個人主義との理想の合致−−講壇社會主義には何の理想なし−−社會主義は個人主義
           と異なりて社會の進化を終局の理想とす−−卑近なる科學者の態度を以て最も近き社會の
           將來を想像せしめよ−−社會主義時代に於ける社會進化の速力−−『類神人』の遺傅の累
           積は本能を異にするに至り從て別種の生物種屬『神類』として分類せらるべし−−『善』の
           本能化は一世紀間にて來る−−個人主義の倫理學は社會性の滿足の爲めなる道徳を解せず
           −−意志自由論と意志必致論とは合致すべし−−今日に於て犯罪者若しくは消極的善人の
           みなる理由−−現社會は法律の上においとも道徳の上においても社會主義を理想としつゝ
           あり−−道徳法律の理想と現實の道徳法律−−偏局的個人主義の歐米と偏局的社會主義の
           日本−−中世的蠻風の社會性と私有財産制の自本−−社會主義の世は無道徳の世界と云ふ
           べし−−今日の本能を固定的なりと考ふるは天地創造説の思想なり−−人爲淘汰による本
           能の急速なる變化−−今日の利己心の強盛なる本能は私有財産制度に入りしよりのことな
           り−−豚がニ三代にて野猪に返へる如くニ三代にて蕘舜時代の蕾を爛漫たらしむべし−−
           『眞』の進化−−人類はカンガルーと等しき有袋動物なり−−體外の袋に在るカンガルー
           の九ヶ月が生殖作用の一部なる如く社會の袋に教育さるべき二十歳までは生殖作用の一部
           なり−−獨斷的不平等論の最後の呼吸−−生殖作用とは現屬的經驗智識を肉體的に遺傅す
           る教育にして教育作用とは社會的に遺傅する生殖なり−−社會主義を下層的平等と解する
           『平民主義』の惡しき命名−−個人の絶對的自由は先づ社會の−分子に實現せられて君主
           國となる−−其實現の少敷階級に擴張せる貴族國時代−−タルドの模倣による平等−−戰
           國時代とは個人の權威の衝突なり−−革命以後の日本の法律は社會民主々義なり−−今の
           世に平民なし−−衆愚主義に非らず全社會の天才主義なり−−社會主義は先づ天才の發展
           すべき自由の沃土たる點に於て天才主義なり−−社會主義は更に天才を培養する所の豊富
           なる肥科を有することに於てu々天才主義なり−−天才と社會との関係−−天才の見義−
           −自由の沃土なき時代の天才−−豊富の肥料なき時代の天才−−社會精神とは過去の個性
           の精神なりと云ふ點に於て社會主義と個人主義の合致−−人類は腦髓及び神經系統を進化
           せしめて本能を異にするに至る−−『美』の進化−−凡ての眞善美は進化的なり−−圓滿
           なる美の理想たる天人天女の容貌は二三代にして實現さる−−人類は排泄作用を去るを得
           べし−−凡ての生物種屬は其目的理想の爲に凡ての器官を進化せしめ退化せしむ−−人類
           の器官の進化せる部分と退化せる部分−−人類の今日迄の消化器の退化と其理由−−食物
           の進化に併行する消化器の退化は工業的食物時代に入りて愈々退化し化學的調合に至で全
           く排泄作用を去る−−戀人の脱糞獨乙皇帝の放屁−−問題は何が故に脱糞放屁を恥辱と感
           ずるかの理由の根本に存す−−更に其れを恥辱と感ずる事小兒よりも大人に野蠻人より
           も文明人に甚しきかといふ感情の進化が問題なり−−目的論の哲學と生物進化論は凡ての
           説明なり−−凡べて眞善美に係はる恥辱の感情は理想に對照されたる現實の不滿なり−−
           排世作用を恥づるに至れるは大なる進化なり−−理想の低級なる下等動物と其排泄物−−
           理想の進化と排泄作用に對する感情の進化−−社會進化の原則によりて獨乙皇帝は放屁を
           塗り附ける理由あり−−進化とは理想實現の聯續なり−−物質文明を讃美せん−−人類は
           交接作用をも廢止すべし−−戀愛と肉慾とを分離せんとする要求は人類の進化的生物たる
           より發する理想なり−−一元論の化學−−凡べての生物は兩性抱擁の生殖方法に限らず−
           −人類は魚類の如き方法にいたる能はざるか−−肋骨の一片と實驗室中の小さき生物−−
           油蟲の単性生殖と男性なくして英雄を産める歴史上の事實−−兩性生殖も進化の一過程な
           り−−生物進化論は大釋尊の哲學宗教に歸着せり−−生殖作用が理想實現の方法たる點に
           おいて獨身の聖者は大なる生殖をなせり−−社會とは空間なき密着の大個體なり−−小個
           體腹中の教育と大個體腹中の生殖−−無我絶對の愛の世−−人類の滅亡は胸轟くべきの歡
           喜なり−−個人主義の哲學宗教は棄却さるべし−−天國は人類の滅亡せる『神類』の地球
           なり−−科學的宗教−−無我絶對の愛を説くは『神類』に致らざる人類に向つては癲狂な
           ること恰も類人猿の如く爬蟲類の如くなれと云ふと同一なり−−社會民主々義の哲學宗教
           は社會單位の食物競爭と個人單位の雌雄競争を社會民主々義の名に於て主張する生存進化
           の科學なり−−基督教は一夫一婦論を要求して絶對の愛に非らず又佛教は他生物の小我を
           承認するを以て無我の愛に非らず−−基督釋尊は吾人と等しく人類社會の一分子として
           『神類』を理想としたるのみ−−社會民主々義の天國に至るべき途は階級鬪爭にあり個性
           發展に在り伏能啓發にあり自由戀愛にあり科學に在り−−吾人社會民主々義者は『人類』と
           『神類』とを繋ぐ鐡橋工事に服しっゝある一工夫なり−−發狂漢は鐡橋工事を解せず−−
           以上の歸結、今の生物進化論は凡て悉くそのカを極めて排撃したる天地創造説を先入思想
           として生物進化の事實を解釋しつゝあり−−宇宙目的論の哲學と生物進化論の哲學とは茲
           に始めて合致し相互に歸納となり演繹となりて科學的宗教となる−−『類神人』の語は生
           物進化論の結論なり
 
 
 今日まで生物進化論に結論なし
 吾人は茲に人類の消滅すべき經過的生物なることを説かん。即ち生物進化論の結論なり。今日
まで生物進化論に結論なし。
 人類の今日までに達したる智識にては、天地萬有悉く進化しつゝありと云ふことなり。而して一切の進化は生存
競爭に在りと云ふことなり。吾人々類種屬の如く、明確なる意識に於て進化に努力しつゝある者に非らずと考へら
るゝ、下級の獸類鳥類より昆蟲魚介に至るまで、其の生物として生存せんとする慾望其の事が進化なり。而して其
 進化の意識は宇宙絶對の意識なり
の意識と云ふは進化の程度を異にするよりの程度の差にして、生存の慾望−−從て進化の意識
は宇宙絶對の意識なり。吾人は餘りに哲學的思辨を事とすべからず、兎に角吾人々類種屬が生
物として生存せんとする慾望あり、其の慾望の爲めに生存競爭あらば、人類の更に進化すべき經過的生物なること
は、進化論其者に對して懐疑的態度を執る者に非らざるよりは充分に肯定すべし。
 吾人は先きの人口論を繼續して語らざるべからず。即ち、社會主義の世に入りて社會單位の生存競爭と云へる人
類と云ふ一大個體を單位として他の生物種屬に對する生存競爭、及び人類個々を單位として他の個々の人類に對す
る生存競爭は如何になり行くやと云ふことなり。
 推論は二樣に導かるべし。其の一は、社會主義の實現によりて生存競爭の劣敗者が少なくなると共に出産數と死
 社會主義の世に於て人口は出産と死亡と平率を保つと云ふ推論
亡數と平均を保つべしと考ふることなり。斯く推論せんとする者に取りては其者
の自由にして誠に生物學の事實と理論とに適合せるは論なし。固より、蒸氣と電
氣との生産機關によりて−−恰も虎に取りて牙が生産機關たり、鷲に取りて翼が生産機關たる如く−−人類の食物
とすべき生物種屬との生存競爭に於ては完き優勝者たるを得べきは社會主義の實現後直ちに來るべき可能なりと雖
も、人類を食物とせんとする生物種屬即ち黴菌屬に對して尚完き優勝者たる能はぎるべく、從て疾病の劣敗者を犠
牲として出すも人類種屬の生存進化に支障なきだけの多くの人口を要するは明かなり。又、地震、火山、洪水、風
浪等の物質的危難もあり。而しながら、今日の野蠻人が猛獸に對する生存競爭に忙はしく、又原人が其れに對する
生存競爭の爲めに湖上に家を建て或は樹上に眠りしと云ふ如き状態より進化して今日の吾人に達し終に猛獸に對し
 猛獸に對する生存競爭をなせし原人と黴菌屬に對して生存競爭をなしつゝある現代
ては全き勝利に歸したる如く、醫學の進歩によりて猛獸よりも困難なる
競爭者たる黴菌屬に對しても猛獸との其れの如く完き勝利の來るべきは
疑ひなかるべく、從て疾病によりて缺損する部分を補缺する必要の爲めの人口も必要の去ると共に減少すべしと考
へらるべし。自ら稱して經驗的なりと云ふ學者階級に取りては眼前に野蠻人の状態を見るが如く發掘せられたる原
人の遺跡を見るが如くならざれば斯る推論に對して恐らくは『空想』の慣用語を放つて嘲けるべしと雖も、若し彼
等にして其の遺跡と状態とを見て今日の文明にまで進化し來れる原理を推論するの腦力あらば、更に今日にまで進
化し來れる原理を辿りて今日より進化し行くべき或る状態が等しき推理力によりて畫かれざるべからざるの理なり。
實に、病死者(今日は社會的原因の者多し)なきに至るべしとの推論は、今日の文明人が猛獸に喰はるゝことなし
と云ふ今日までの進化が更に將來に向つて進化せるものと解せば可なりとす。今日發掘せらるゝ湖上の家、若しく
は樹上の巣居が獸類種屬との生存競爭に努力しつゝありし原始時代に奇怪に非らぎりしが如く。今日少しも奇怪と
も考へ及ばざる病院の如き建築物が『類神人』の遺骨と共に發掘せられて遺跡たる時代に於ては黴菌屬との生存競
爭に努力しつゝありし時代として大に『神類』の興味を喚起すべしとせん。而して今日徐々に除去しつゝある物質
的危難の如き亦進化と共に去るべく、從て出産數と死亡數と平均を保つとの推理は正當なり。
 人口は更に揄チすべしとの推論
 地の一の推論は吾人の主張せんとする所にして人口は更に揄チすべしとの見解なり。即ち、人
類は原人の時代より他種屬との生存競爭に於て無數の劣敗者を出しつゝ來りしに係らず、尚他種
屬との其れに於て優勝の地位に進むに伴ひて人口を揄チせるを以て、社會主義の實現によりてさらに地位を優勝に
進むるに至らば更に尚人口の揄チを見るに至るべしとの推理なり。吾人が先きに社會主義の時代に於て人口が恐怖
の意味にで揄チする者に非らずとして、人口の揄チが他の意味に於て想像せられ得べき事を語る餘地を剩し置ける
はこの故なり。固より天則は如何なる者と雖も恐怖すべきに非らず。今日の人口揄チが恐怖さるゝは上層階級の階
 人口増加は今日と難も歡喜すべき天則なり
級的利uの見地よりの事にして、社會の生存進化の上より見るに於ては缺くべからざる天
の設計なりとす。吾人は社會主義の時代に入りて人口の更に大に揄チすべき事を無限の歡
喜を以て信ず。−−經濟學者は吻を容れて云ふべし、然らば再び生存競爭の激烈を繰り返へすべしと。吾人は斯る
小さき貝殻より外知らざる甲級類に向つて語りつゝあるものに非らず。−−凡ての生物種屬は單に種屬の生存を維
 凡ての生物種屬は生存の目的の爲めの産子以上に進化の理想の爲めの多産あり
持する目的の爲めに努力するのみならず、種屬を進化せしめんとする理想
に向つてさらに強烈なる活動をなす。ダーヰンが植物にて實驗せる如く、
凡ての生物種屬が其の種屬の敵たる他の生物種屬の排除さるゝときに於て無限の繁殖をなすは、固より他の敵たる
生物種屬の下に無數の劣敗者を出しつゝありし生存の方法の障害なく發展せるものなりと雖も、凡ての生物種屬が
生存の維持以上に更に繁殖して進化せんとしつゝあることは生物學上の事實なり。即ち、一元より今日の十億萬に
繁殖せる人類は、種屬生存の意味に.於て劣敗者の補缺として多くの人口を繁殖しつゝありしことの上に、更に人類
自身の進化によりてダーヰンの植物に爲せる如く人類の敵たる猛獸又は黴菌の如き他の生物種屬を排除し、若しく
は人類を敵とする他の生物種屬たる動植物を牧畜又は農業の方法にて征服し若しくは奴隷として繁殖せしめ、以て
今日の如き人口にまで揄チし今日の進化にまで到達したるなり。−−故に人口の揄チは二樣の意義を有すと考へら
 人口揄チはニ樣の意義を有す
るべし、一は他種屬との生存競爭に於て劣敗者を補缺するが爲めの現實維活の目的よりする種屬
生存の結果として、他の一は他種屬との生存競爭に於て劣敗者の少なくなり行くが爲めに理想實
現の目的よりする種屬進化の結果として、即ち、吾人は社會主義の時代に入りて出産數と死亡數と平均すと云ふ第
 生死平均との推論は一面の解釋に過ぎず
一の推論より以上に出でゝ、社會主義の時代に入ると共に更に大に人口の揄チを來すべしと
の推論を爲さんと欲する者なり。一は凡ての生物種屬を以て単に種屬生存の目的より外にな
しと考ふる消極的見地なり、一は凡ての生物種屬は種属生存の目的を達すると共に更に種屬進化の理想を實現せん
とする者なりと云ふ積極的見地なり。若し種屬が單に其の生存を維持するを以て足れりとする者なりと考ふるなら
ば、先づ何よりも解すべるらざることは一元の人類より十億萬に繁殖せる社會進化の事實なり。具體的に云へば、
古代の君主國時代に於て、社會の一分子たる君主の生存の爲めに他の凡ての分子が忠順の義務を負擔して種屬生存
 生物學より君主國貴族國民主國の三時代の説明
の爲めに犠牲となりしことより、中世の貴族國時代に進みて、社會の少數分子たる貴族
階級の生存の爲めに他の武士平民の階級の多くの分子が忠順の義務を負擔して種屬生存
の爲めに犠牲となりしことに至り、さらに現代の民主國に至りて社會の全分子が悉く生存して種屬を生存せしめん
とするまでに進化せる社會進化の事實と沮格する推理なるを以てなり。斯く、一人によりて種屬を生存せしめたる
ものより、少數階級によりて種屬を生存せしむることに進み、更に凡ての階級なき全國民によりて種屬を生存せし
めんことを理想とするに至れるは、生存競爭の勝利を得る毎に生存すべき人口の繁殖することを法律の理想に於て
 法律の進化を解せざる所謂社會主義者
表白せる者なり。(法律の理想は社會の理想なり、法律の理想たる正義が君主國、貴族國、民
主國と進化せるは人類社會と云ふ生物の理想が進化せるを以てなり。社會主義者中の皮相的
見解者の如く法律を以て彼らに掠奪階級の罪惡を働かんが爲めに作られたるかの如く解するは無智の極なり)。從て
この過ぎ去れる社會の進化を認むるならば、社會主義の實現によりて人類の對他種屬の生存競爭が更に優勝の地位
に進むと共に、人類種屬進化の意味に於て人口の大に揄チすべきを推論するは困難に非らず。今日の人口揄チが恐
 恐怖の意味に非らざる人口揄チ
怖の意味に受取られつゝあるは、下層階級にとりて其の子女の犠牲として死しつゝあることを憂
ふる深厚の同類意識の堪ふべからざるまでに進化せることゝ、其の進化が社會の進化にして今の
上層階級が社會進化の方法たる革命を恐怖するよりのことにして、等しく種屬生存以上に種屬進化の意味に於て
加せる人中なりと雖も、社會主義時代の人口揄チは恐怖の意味に非らざる社會進化の揄チなり。例へば上層階級の
人口増加が其の階級にとりては恐怖に非らず却て歡喜なるが如し。社會主義は人類社會を一個儘と見て生物界に於
ける君主々義なり、人類を個々に見て生物界に於ける貴族主義なり。−−今の君主貴族が現實維持の生存競爭に於
て最も優れたる優勝者となれるを以て、更に進化せんが爲めに多くの子を産みて而も悉く生存進化しつゝある如く、
 上層階級の多産が歡喜なる如く今の下層が凡て上層に進化せる社會主義時代の人口増加
社會主義の實現によりて全社會が擧りて生物界の上に君主となり貴族
となりて完き優勝者たるに至らば、人口揄チは理想實現の爲めに無限
の歡喜を以て攝Bし而して悉く生存すべし。(吾人が第一編の一『社會主義の經濟的正義』に於て社會主義は上層階
級を下層に引き下ぐるに非らず、下層階級が上層に昇ることによりて階級の掃蕩さるゝ社會の進化なりと云へるは
これなり。故に社會主義は所謂世の『平民主義』に非らざるは論なし)。
 人口揄チは雌雄競爭をなさんが爲めに多くの卓越せる個性を要する故なり
 然り、吾人は斯く推論して人口の攝Bすべきことを信ぜんと欲す。而して
社會の進化は揄チせる人口の爲めに個性發展の競爭を激烈ならしめ、人口の
多きだけ其れだけ卓越せる個性の多きを以て其の速力は想像し得べからざるものなるべし。この競爭の優劣を決す
べきものは社會の全分子たる男女の雌雄競爭なり。男女の全分子は各々其の理想とする所の男女を獲んと競爭する
事によりて、獲たる理想の男女の結合によりて社會の理想を其の永き命たる子孫に於て實現しつゝ、社會は進化す
べし。即ち、吾人が人類社會が食物競爭の完き優勝者たると共に人口の揄チすべきを想像するは、人類は更に進化
 一元のアダム、イヴの雌雄競爭なき時代より十億に揄チせる現代の進化
すべき經過的生物なりと云ふ生物進化論の上よりして、雌雄競爭なきアダム、
イヴの時よりも十億萬人の男女が雌雄競爭をなす今日が遥かに進化の速かな
る如く、十億萬人の少なき人口の今日よりも更に多き人口の男女が雌雄競爭をなすことは更に遥かに進化の速力に
於て大なるべしと信ずるを以てなり。
 
故に、社會主義の世に於て失戀者の多きことば如何ともすべからず。現實の苦痛たる食物競爭なきが爲めに、理
想に憧憬して而も其の實現を得ざる雌雄競爭の劣敗者は、是れ社會進化の天則にして吾人社會主義者の阻み得べき
所にあらず又阻まんと夢想する所にもあらず。理想高きに至て到らざる現實の苦痛愈々大なり。『類神人』は『神
類』に進化せんが爲めに激烈なる雌雄競爭をなす。
 今日の失戀者を以て社會主義時代を想像すべからず
 然しながら、吾人は今日の社會に於ける雌雄競爭(前きに説ける所を見よ)を以て
社會主義時代の失戀者を想像すべからざるは論なし。今日の戀愛は皆階級に阻害せら
れ、而して單に階級によりて相思の者の阻害さるゝのみならず、階級の隔絶の爲めに多くは所謂片思と稱する戀愛
の最も悲惨なる征矢を負ふ。固より社會主義時代に於ては相思の者の阻害さるる事なくして、其失戀者とは斯の片
思の者なることは論なし。何となれば最も眞なる最も善なる最も美なる所の、即ち最も『神類』に近き所の個性を
有する男子及び女子が全社會の戀愛の中心點たるべく、從てこの『神類』に近き所の者を獲るは他の『神類』に
近き異性にして及ばざる多くの失戀者は片思の苦痛を嘗むべきを以てなり。而しながら今日に於ける片思の失戀者
は不幸なる階級に其の眞と善と美とを作成せられたるが爲めに、理想とする異性に向つて進んで戀愛を要求すべき
道徳智識容貌を有せざるなり。明かに言へば下層階級の者は上層の異性に對して相思を求めて得ざる片思の苦痛よ
 大體の事實として上層は全社會の理想なり
りも、片思を爲すこと其のことをも絶望せるなり。社會は其多くの分子を犠牲にして先づ
上層の分子より漸時に理想を實現し、以て全分子に其實現を及ぼす。(社會學者の或者は
之を指して模倣にとる同化作用と云ふ)。故に大體の事實として上層階級の智識道徳容貌は其の階級の理想たると
共に全社會の模倣して到達せんとする事に於て全社會の理想なるなり。故に一介の田舎娘と雖も哲學者の頭腦に戀
せざるに非らず、婬を鬻ぎて生活する娼婦も嚴めしき道學者の鬚髯に戀せざるに非らず、塵埃を浴びて走る車夫も
 片思をも絶望せる失戀者の下層階級
深窓を洩るゝ瑟の罟に戀せざるに非らず。.只、彼等に片思の失戀なきは巳に絶望せるを以てな
り。彼等は『雲に掛け橋』として己に戀するも達せざる事を絶望して戀の心を動かさざるなり。
−−何たる悲慘ぞ! 單に自由競爭が經濟的方面に於て階級間に限られたるのみならず、(第一編の『社會主義の
經濟的正義』に於て自由競爭の二大分類を説ける所を見よ)、戀愛の自由競爭は階級的城壁内の小天地に局限せら
れて其の階級間の理想するに止まる低き程度の緩慢なる競爭となれり。乞食は乞食を、勞働者は勞働者を、小作人
 階級内の戀愛竸爭の現代と全人類の大を看客とする釋尊とマリアとの戀
は小作人を、藝妓は俳優を、間の拔けたる令夫人は長芋の若樣を、宿六は山の
神を、泥棒火附の男子は窃盗スリの女を。斯る小社會の内に限られて斯る牴き
理想の異性を得て足れりとする今日、何の社會進化あらんや。社會主義が實現せられて、即ち今の下層階級が上層
階級に進みて全人類が天地萬有の上に君主となり貴族となるの時、戀の天地は九尺ニ間にあらず待合に非らず、戀
の理想は藝妓に非らず長芋に非らずダイヤモンドに非らず、全人類の大を看客として釋尊とマリアとの戀なり。實
に戀の理想は社會の理想なり。社會の理想が社會の全分子たる男女に戀せらるゝことによりて社會は其の理想を永
き命たる所の子孫によりて實現し以て進化す。理想として今日の男女に問へ、釋尊基督のごとき眞善美、マりア觀世
音の如き眞善美は必ず戀の理想たるべし。而して是れ社會の實現すべき理想なり。然るに、今日に於ては社會の未
だ進化到らずして階級的割裂にあるが爲めに、凡ての智識も、凡ての道徳もへ凡ての容貌も、階級的理想によりて
階級的に作成せられたる階級的の眞善美に止まる。吾人が前編『社會主義の倫理的理想』に於て述べたる如く今日
 階級的善と階級的眞
の良心は階級的善なり。而して智識の多くも階級的眞なる事は下層階級の宗教が多く鰯の頭にし
て其哲學が亦多く狐狸の司どる運命なるが如し(幸ひに階級を超越することを得たる吾人が今打
撃を加へつゝある上層の學者階級の智識の亦階級によりて憫むべく作られたる如き等しく然かり)。即ち、凡ての
者が社會的作成なる事によりて、道徳的判断も智識的判斷も各々其の社會的階級によりて作成せられて階級的善と
なり階級的眞となる。容貌と雖も然り。階級的美と云ふの外なし。『氏より育ち』と云ふ如く今日の美人と云ふも醜
夫と云ふも僅少なる個性の變異を外にして全く階級によりて作られたる階級的定型なり。而して其の『氏』と云ふ
 『氏』の階級的定型の遺傳と『育ち』の階級的定型
も階級的定型の遺傅たるに過ぎず。彼の刑事人類學者が社會的階級によりて容貌の作
らるゝことを知らざりしが爲めに、犯罪階級の定型的容貌を有するを見て悉く天稟な
りと斷定したる如く(固よりの其の表稟なる者あるは犯罪階級の社會的作成の遺傅たる『氏』なりと雖も)、上層
階級の容貌も下層階級の其れも皆悉く育ちなりと云ふ社會的作成と氏なりと云へる父祖の社會的作成の遺傅なるな
り。資本家階級の唇に殘忍なる冷笑あるは清貪に甘ずる者の如く素朴率直なる能はずして譎詐謀略を餘儀なくさる
ゝが爲めの社會的作成にして、其の丸髷が驕慢に空向ける鼻を有するは高潔なる禮讓を以て相敬する平等を知らず
常に諂諛に圍繞せらるゝ爲めの社會的作成なり。若樣なるものゝ長芋と云ふ興味ある代名辭を有するは其の人を愚
呆ならしむる畑に墾やさるゝよりの階級的定型にして、愛嬌も引力もなき定型的容貌の令夫人は間の拔けたる奥座
 階級によりて作らるゝ容貌即ち階級的美
敷に封ぜられて作成さるが爲めにして藝妓との雌雄競爭に於て劣敗者となるは決して嘲笑す
べき事に非らず。一元の人類より分れたる吾人が風土氣候等の地理的境遇によりて赤白黄K
の數人種となり又歴史的境通によりて數十の民族となりて其れぞれの定型を有する如く、階級的境遇によりて亦其
れぞれの階級的定型を作成せられたるなり。勞働者の醜惡なる顏、粗野なる手足、卑屈なる態度と雖も然り。其社
會的作成と父祖の社會的作成の遺傅とによる階級的定型なり。生活の困難の爲めに成り上り者の實業家と稱する者
の持てる有福の相もなく、運命の寵兒なる政治家等の有する嚴めしき髯もなしの其皮膚は暑熱風雪に冒されてK
奴の如く、智識もなく趣味もなく高尚なる道念もなく一個の機械として運轉するに過ぎざるを以て骨格の如き純然
たる野蠻人なり。斯くの如き彼等が、纖き絹の如き指と白薔薇の如き頬とを持てる上層階級に戀の心をだも起さゞ
るは當然にして、英國王女等の路行くに逢ふも秋波を送る能はずして徒らに警官の叱咤を蒙りて惶走し、獨乙皇帝
 何が故に戀の理想たる上層を要求する能はざるかと云ふ積極的自覺
が日本に漫遊して其の馬車が偶々傾斜の街に入る時ありともチヨイトチヨイトと呼
びて招く能はぎるなり。美人と美男とは年若き凡ての社會に戀せらる。只、彼
等下層階級の男女が上層の美なる者を見るも戀の苦痛なきは、一介の工夫が三井岩崎たらんと欲するの苦痛なきが
如く誠に絶望の爲めなり。彼等は戀心の動かざる如く絶望をも意識せざるべし。而しながら、吾人は何が故に斯く
までに饒ゆるやと云ふ消極的自覺と共に、彼等は何が故に彼れほどに富めりやと云ふ自覺が積極的に來りつゝある
如く。吾人の戀する男と女とが何が故に親に賣られ親に買はれて斯く迄に戀を失へるやと云ふ消極的自覺と共に、
彼等は何が故に彼れほどに美にして醜なる吾人の戀する能はざるやと云ふ積極的の自覺が來る。是れ革命が大膽華
麗なる歩調を以て地平線に現はるゝ時にして、革命の成就と共に斯る意味に於ける戀の絶望は去るべし。敢て美の
一面に限らず、社會の全分子は平等の物質的保護と自由の精神的開發とによりて、智識を好む者は智識廣き者を戀
 雌雄雄競爭による眞善美の進化、天才の世界
し、道徳を慕ふ者は道徳高き者を戀し、美貌を愛する者は美人美男を戀するの完き自由を
得べし。而して某自由にして競爭者の多きが爲めに、男は男と、女は女との雌雄競爭によ
りて各々其の眞善美を進化せしめ、其の進化せる中の最も眞なる善なる美なる者が最も眞なる善なる美なる異性を
得て其の眞善美を子孫に遺傅し以て社會の理想を實現すべし。即ち廣き意味に於ける天才の世なり、天の眞なる個
性、天の善なる個性、天の美なる個性は、戀愛の中心となりて全社會の崇敬を集むるの世なり。−−是に至つては
社會主義の極致にして個人主義の理想と抱合す。
 個人主義の大潮流は羅馬法王の絶對無限權を排除し思想の自由を呼號することによりて流れ始めたり。社會の一
分子たるに過ぎざる羅馬法王が他の凡ての分子の上に眞と善との決定權を有すべからざるは論なく、一派の學説た
 個人主義の高貴なる埋想と萬有進化の大權
る『國體論』が個性の自由なる發展を壓伏して、思想界の上に羅馬法王として其の眞とし
善とする所を強制するの權なきは亦論なく、『福神』が其の醜くき手を延べて男女の間を
離合せしむるの結びの神として、美の判決をなすの權力は亦實に何者よりも許容すべからず。凡ての進化は生存競
爭なり。生存競爭の決定權ほ萬有進化の大權にして基督と雖も有すべからず。如何なる者が善として、眞として、
美として生存するやは社會全分子の多數決によるの外なく、而して一時代の多數決は其時代の眞善美に過ぎずと雖
も、次ぎの時代は更に次ぎの時代の多數決を以て眞善美を決定すべく、而して多教法の最も多數にして僞りなき投
票は、議會の討論にあらず新聞紙の輿論に非らず、又直接立法に非らず、社會の全分子を擧れる男女の理想とさる
ゝ所なり。只、今日の社會は階級的層をなせるが爲に戀の理想は宿六となり長芋となり藝妓となり空向ける鼻の令
夫人となりて甚しく低級の者なりと雖も、社會の進化と共に理想は進化し、階級の掃蕩と共に理想は磨き高き者と
 若き男女の握れる手と手は羅馬法王の絶對無限權を有すべし
なるべし。社會の全分子たる男女に平等の物質的保護と自由の精神的開發が擴張
するの時、−−若き男女の握れる手と手は羅馬法王の絶對無限權を有すべし。是
れ個人の絶對的自由の世に非らずや。社會の一分子たる法王若しくは皇帝の意志によりて眞善美の決定さるゝ事に
怒りて起てる個人主義なる者、寧ろ社會主義の實現によりて其の理想を實現せらるべし。故に吾人は個人主義者を
 社會主義と個人主義との理想の合致
排せず、又個人主義の思想を繼承して社會主義者と稱しつゝある今の社會革命家の多くを排せ
ず。個人と社會とは小個體たる點より見たると大個體たる點より見たるとの立脚地の相違にし
て、社會主義の極致は社會の一部分たる法王皇帝等が其意志によりて絶對の自由を以て眞善美を判決したる如く、
社會の全部分たる男女の意志によりて凡ての眞善美を判決するの自由を絶對に得べきことを理想とするを以てなり。
實にプラトーの『部分は全部に先だゝず全部は部分に先だゝず』と云へる如く個人は社會の一部分にして社會は個
 講壇社會主義には何の理想なし
人の全部なるを以てなり。只、講壇社會主義と名くる者に至ては社會の進化を解せず何等の理想
だも無し(前編の樋口氏が矢野氏の理想を空想なりと云へる如き一例とすべし)。一言にして評
すれば盲動者の烏合なり。
 社會主義は個人主義と異なりて社會の進化を終局の理想とす
 實に個人主義の要求は社會主義の下に於て滿足せらると云ふべし。而しながら
社會主義は社會主義にして社會の生存進化が終局目的なり、然らば社會主義の實
現によりて社會は如何に進化すべきや。
 
 而しながら、吾人はこの社會進化の将來につきて語るべく其の推理力は甚だ乏しくして筆亦貧し。吾人は時に一
 卑怯なる科學者の態度を以て最も近き社會の將來を想像せしめよ
種の宗教的歡喜に全身の戰慄を覺ゆ。唯、吾人をして最も卑近なる科學者の態
度を持して最も近き將來の社會を想像せしめよ。−−先づ貧困と犯罪とは去る。
生活の苦悶惡戰の爲に作成せられたる殘忍なる良心と醜惡なる容貌とは去る。物質的文明の進化は全社會に平等に
普及し、更に平等に普及せる全社會の精神的開發によりて智識藝術は大いに其水平線を高む。經濟的結婚と奴隷道
徳とは去り、社會の全分子は神の如き獨立を待て個性の發展は殆ど絶對の自由となる。自我の要求は其れ自身道徳
的意義を有して社會の進化となり、社會性の發展は非倫理的社會組織と道徳的義務の衝突なくして不用意の道徳と
 社會主義時代に於ける社會進化の速力
なる。水平線の高まる事によりて社會の全分子は天才の個性を解するの能力を開發せられ、
天の眞善美なる男女は老いたる社會の分子によりては崇尊せられ若き分子よりは戀愛を以て
報酬せらる。男子は其理想の眞善美とする女子を得んが爲に愈々其眞善美を磨き、女子は其理想の眞善美とする男
子を得んが爲に又u々其眞善美を加ふ。而して社會の中に於て眞善美の最も優れたる個性が雌雄競爭によりて子女
を更に優れたる眞善美に遺傅して殘し、遺傅によりて加へられたる眞善美の子女の更に最も眞善美に於て優れたる
個性が、雌雄競爭によりて又更に眞善美を加へ又更に之を遺傅し行く。
 『類神人』の遺傳の累積は本能を異にするに至り從て別種の生物種屬『神理』古して分類せらるべし
 あゝ、『類神人』はこの累積しで止まざる所の眞善美の遺傅に
よりて終に何者に進化せんとするや。生物學によれば本能とは
遺傅の累積にして、單細胞生物より無數の種屬に進化して其れぞれの本能を有するは實に遺傅の累積なりと云ふこ
となり。故に『類神人』が其の完全に行はるゝ男女の愛の競爭によりて今日の理想とする神を遺傅の累積によりて
實現し得るの時來らば、茲に人類は消滅して『神類』の世となるべし。而して人類が猿類と其の種屬を異にして本
能を異にする如く、人類と本能の異なる神類は神類の生物學者によりて種屬を異にせる最も進化せる生物として分
類せらるべし。
 『善』の本能化は一世紀間にて來る
 第一に想像せらるべき本能の變化は『善』の上に來る。即ち、社會主義の實現後ニ三代にし
て(即ち一世組間にして)道徳は本能化すべし。或る倫理害者によれば、道徳的行爲とは苦痛
に打ち勝つ所の努力と克巳とにありて、本能に從ひ若しくは快樂に導かれてなす行爲は少くも非道徳的なりと云ふ。
固より個人主義の倫理舉としてこの説明の上に出づる能はざるべしと雖も、誠に人類がアミーバの如く分裂せる一
大個體としての社會的存在なることを解せざるよりの價値古き説明なり。若し、吾人が自己に不利なることを目的
として又は不快なる導きによりて一の行爲にてもなすとせば生物界を離れたる奇異なる動物と云ふべきなり。即ち、
生物とは別なる神の子なりとの天地創造説の假定を取り入れずしては解すべからざる議論なり。道徳的行爲とは社
會の生存進化の爲めに要求せらるゝ社會性の發動なり。生物學の發達以前に於て、個體と云ふことの見解が單に空
間を隔てたる動物と云ひ、一つの卵子り生長せる生物と云ふ如き漠然たる考へより外なかりし時代に於ては、この小
さき我其者を以て一個體と考へしが爲めに、大なる個體の分子としての社會的利己心によりて小さき個體としての
個人的利己心が壓伏せらるゝ時、利己心の小さきものゝ感ずる苦痛と不利とのみを見て、其の行爲が實は其の苦痛
と不利とに打ち勝ちて働らく所の社會性の滿足による快樂と利uとに存することを解し得ざりしなり。若し、克己
の努力によりて始めて道徳的評價を附せらるとせば、好んで妻を愛し友を愛し社會國家を愛する如きは道徳的行爲
とさるゝ價値無かるべく、母が自身の身よりも子を愛する事は苦痛にもあらず又克己にもあらず努力にも非らざる
を以て些の道徳的なりと云はるゝ理由なし。又、君主の所謂七十にして心の欲する所に從ひて規を超えずと云へる
ごとき習慣化せる道徳的行爲は其の苦痛なく努力なく克己なきに至るを以て、習慣化せざる時代よりも大に道徳的
價値に於て下落せざるべからざる筈なるべく、父祖の遺傅によりて道徳的傾向を繼承せるものゝ行爲の如きは全く
努力なきを以て市場に於ける道徳的價格は無代價なりと論ぜざるべからず。而も是れマークスの價格論の誤謬にし
 個人主義の倫理學は社會性の満足の爲めなる道徳む解せず
て吾人は天産物なりとて價値其れ自身に代償を拂ひつゝある如く、所謂天品の仙骨
のごとき最も尊重せらるゝに非らずや。−−而しながら如何なる價値ある者も空氣
の如く存すれば價格なし。價値の少なき者も需要に應ずる能はざる少數の者は價値以上の價格を表はす。今日『道
徳』が無限の價格を表はれつゝあるは其の要求の甚しくして、而も天産物として存する聖の天なる者がダイヤモン
ドよりも少なく、又非倫理的社會組織の中に於ては徒らに努力多くして人造の寳石が得られざるの故なり。人は個
人の立脚點より見ての利己心を有すると共に、社會の立脚點より見ての社會的利己心を有す。故に、彼の意志自由
 意志自由論と意志必致論とは合致すべし
論と云ひ、意志必致論と云ひ、顯微鏡以後の個體の科學的基礎より考ふれば少しも論爭すべ
きことに非らず。意志自由論は意志の自由とは最も多き内心の必致なりと云ふ點に於て意志
必致論と合致し、意志必致論は亦等しく意志の必数とは最も多き内心の自由なりと云ふ點に於て意志自由論と合致
す。即ち、吾人が道徳を行ふは最も多き内心の必致に驅られたるにて、吾人の罪惡を犯すは最も多き内心の自由に
從ひたるなり。人は内心に於て社會性と個人性とを有す。内心に於て社會性が最も強盛にして他の個人性を壓して
働くときに於ては人は其の最も多き社會性の必致に驅られて道徳をなし社會性は茲に自由を感じて意志自由論とな
る。而しながら壓伏せられたる個人性は其の自由を失ふが故にこの意味に於て意志必致論なり。是れと同じく、其
の内心に於て個人性が最も強盛にして他の社會性を壓して現はるゝ時に於ては人は最も多き個人性の自由に打ち勝
たれて社會性は必致を感じ意志必致論となる。而しながら打ち勝ちたる個人性は其の自由を得たるが故にこの意味
に於て意志自由論なり。只、意志必致論を以て人類の上に存する神の命ずる所に從ひて意志すとの意味に於てする
古代宗教の宿命論として唱へ、意志自由論をルーテル以後の個人主義の獨斷の如く人は先天的に自由なる意志を有
すとの意味にて唱ふることの謬なるは論なし。而して此の社會性と個人性とは其の強弱の度に於て各個人が先天的
に異なるのみならず、今日の如き雲泥の懸隔ある社會組織の下に於ては階級的差等に從ひて後天的に雲泥の如く異
なる。先天的に強盛なる社會性を有する者、即ち父祖の社會的境遇によりて強盛にせられたる社會性を遺傅せられ
 今日に於て犯罪者若しくは消極的善人のみなる理由
たる者、若しくは後天的に教育ある階級の空氣によりて強盛にせられたる社會性を有
する者は、其の強盛なる社會性の必致に驅らるゝ意志の自由を以て平易に道徳を行ふ。
而して是れ今日に於ては殆ど曉星よりも乏し。然るに社會の大多數は先天的に、即ち父祖の社會的境遇の遺傅によ
りて甚だ薄弱なる社會性を有し、又後天的に我利俄慾を以て爭關せ事としつゝある各々の階級に培養せちるゝを以
て個人性のみ強烈を極めて、其強盛なる個人性の自由に打ち勝たれて必致に犯罪者となり、然らざる者も漸く抵抗
し得て敗殘の社會性を大なる努力によりて維持し、以て僅かに犯罪を犯さゞれば足ると云ふ一般の消極的善人とな
るに止まる。道徳とは社會性が吾人に社會の分子として社會の生存進化の爲めに活動せんことを要求するこ意り。
故に吾人が吾人自身を社會の一分子として(小我を目的としてに罪らず)より高くせんと努力することが充分に道
 現社會が法律の上に於ても道徳の上に於ても社會主義を理想としつゝある理由
徳的行爲たると共に、多くは他の分子若しくは將來の分子の爲めに、即ち
大我の爲めに小なる我を沒却して行動することをより多く道徳的行爲とし
て要求せらる。彼の大我の生存進化を無視して小我の名譽榮達を要むる行爲が不道徳とせらるゝのみならず、小我
の利u其事を目的としての(社會の一分子としてに非らず)行爲が假令偶々社會の利uに歸することありとも一般
に道徳的行爲とされざるはこの故なり。−−實に、現社會は法律の上に於ても道徳の上に於ても社會主義を理想と
しつゝある者と云ふの外なし。然るに社會の現實は、個人主義と其の根底たる私有財産制度の爲めに、事實に於て
 道徳法律の理想と現實の道徳法律
は經濟的貴族國となりて個人の私有すべき財産なく從て個人主義も消え去りつゝありと雖も、
個人の凡ての努力は多くの私有財産を獲得して多くの自由を個人其者の利uの爲めに待望しつ
ゝあるの状態なり。我が日本の如き歐州の大革命の如く一たび國家萬能社會専制の偏局的社會主義を打破して個人.
の權威を絶對に要求せず、維新革命と雖も甚だ微温的なりしを以て、個人の目由獨立の爲に國家社會が手段として
存するかの如く考ふる機械的社會觀が凡ての法律道徳の上に規定さるゝ事歐米の如くならず、從て、國家が法律を
以て強制しつゝある所も、社會が道徳を以て要求しつゝある所も、偏局的社會主義を繼承して個人の權威を無視す
るは社會主義の許容せざる所なるに係らず社會性を最高権威となしつゝある點に於て社會主義の理想を朧げながら
も想望しつゝある者なり(故に歐米に於で土地資本の公有を唱ふることは個人主義によりて建てられたる法律より
 偏局的個人主義の歐米と偏局的社會主義の日本
見て秩序紊亂たり得べしと雖も、國家萬能の偏局的社會主義を繼承する日本の法律は法
律に背反すとなして處罰するの理由なし。從て、彼の社會主義者と稱して個人主義の自
由平等論をなせる者が國家其者の否定を公言するは日本の法律は所罰すべき權利ありて歐米の法律は秩序紊亂を以
て壓迫するの理由なし)。而しながら、日本の法律が偏局的社會主義を繼承すと雖も、單に國家が最高の所有權者た
るてとを法律の理想に於て表白するに止まり、事實は個人主義を産むべき私有財産制度なり。固より極度まで主張
せられたる個人主義の歐米と雖も理論を以て事實を左右する能はず、引力なくして天體の秩序が保たれざる如く社
會性なくして社會國家の一日も存在し得べき者に非らざるは論なしと雖も、而して日本に於ても維新革命と共に個
 中世的蠻風の社會性と私有財産制の日本
人が私有財産權の主體となり明治六年の地租条例に於て更に國家の最高の所有權の下に土地
所有權を得て、茲に個人主義の根底を築きたるに係らず、尚『愛國』の聲に於て中世的蠻風
の社會性が喚び起さるゝ如くなりと雖も、其の微にして存する社會性が私有財産制度の個人主義的社會組織の爲め
に壓伏せられ破壞せられて、獨り個人性のみ四圍の個人主義的空氣を呼吸し個人主義的思想の階級に培養せられて.
以て枝を張り根を擴げ實に牢乎として拔くべからざる大木となれるなり。斯くの如く、個人性のみ繁茂して社會性
の萌芽にて摘み去らるゝ如き社會組織の下に於て、社會性の摘み去られて個人性のみ強盛になれる吾人が、個人性
の必至に驅られて犯罪を犯し若しくは大なる努力と克己とを以て漸く犯罪を犯さゞれば足ると云ふ消極的善人とな
りて甘ずるの外なきほ論なきことなり。
 今の法律道徳の理想が社會主義によりて實現せられたるの世は然らず。道徳に努力なく克己なし。人は悉く社會
性の自由に徒ひて必致的に道徳に從ふ。故に道徳的行爲を以て克己と努力とに在りとせば、社會主義の世には道徳
家と稱せらるゝ者なく、其最も必要なるものなるに係らず人は空氣の如く無代價に感ずべし。−−是に於ては道徳
 社會主義の世は無道徳の世界と云ふべし
世界と云ふも不可なく無道徳の世と云ふも可なり。今日に於ても盗賊と貧困者に取りては殺
さず盗まずと云ふことが大なる努力と克己とによりて達せらるべき道徳なるに係らず、恒産
と恒心とあるものには單に其れだけにて何の尊きことを加へぎる平常の無意識に非らずや。今日の如く黄金と權力
との社會組織に於てこそ、吝嗇ならずとか、賄賂を貪らずとか、買收されずとか、權カを濫用せずとか、云ふに過
ぎざる消極的の道徳行爲も、大度なる實業家と云はれ清廉なる官吏と云はれ高潔なる議員と云はれ賢良なる大臣と
云はるゝなり。而して是れ大なる努力と克己とによりて不徳に抵抗し得たる僅少の人格にして、其の多く要求せら
れて誠に少なきダイヤモンドの如くなるを以て燦瀾たる光輝を放ちつゝあるなり。而しながら、黄金と權力との社
會組織の去れる社會主義の世に於ては、恰も盗賊と貧困者が大なる努力と克己とによりて達する殺さず盜まずと云
ふ道徳め如く誠に價値なき平凡のことゝなる。凡ての個人は社會に經濟的從屬關係を有するを以て大我其者の一分
子たることを意識して獻身的道徳を生ず。(第二編『社會主義の倫理的理想』及び第四編『所謂國體論の復古的革命
主義』に於て經濟と道徳法律の關係を説けるを見よ)。社會は社會性の自由に活動すべく社會の利uを目的として
凡ての制度を組織せるを以て、社會性の他に壓伏せられて其の自由の束縛を感ずることなく、個人性は個人自身が
社會の一分子としての發展として其の自由を尊重せられ、自我の發展其れ自身が道徳的意義を有すべし。斯くのご
とくならば意志自由論もなく意志必致論もなく各人の恣なる行動それ自身が道徳的行爲となるべし。−−而して恣
なる行動が凡て道徳的行爲ならば是れ誠に無道徳の世なり。而して、社會性を培養する所の社會組織によりて強盛
にせられたる社會性は、雌雄競爭によりて累積せられて遺傅し更に強き社會的本能となる。本能とは遺傅の累積な
り。即ち後天的の社會的境遇によりて強盛にせられたる社會性は、某社會的境遇の強盛を遺傅して先天的に社會性
の強盛なるものを有する、所謂聖の天なるものとなる。若し、是の道徳の本能化を否むものあらば、是れ實に天地
 今日の本能を固定的なりと考ふるは天地創造説の思想なり
創造説を信ずるものにしてダーヰン以後の人に非らず。天地の始めより各々の生物
種屬が其れぞれに截然と存在したりと云ふ思想に非らずしては、本能の固定的なる
を今日に主張する能はぎるを以てなり。言ひ換ふれば、各々の生物種屬が各々本能を異にして其れぞれの階級を形
づくれるは、其れぞれの生物種屬の境遇による種屬的經驗の遺傅的累積にして、人類の本能の今日あるは類人猿以
後の種屬としての經驗を遺傅によりて累積したる者なり。人類今後の進化を想像し得ざる今の生物進化論者に取り
ては人類の本能の今後に變化すべき事を推論するの困難を感ずべし。而も、是れ等しく人類を天地の始めより固定
的に創造せられたる者と考ふべからざる如く、遺傅の累積によりて作られたる今日の本能を固定的に考ふる事は純
然たる天地創造説なり。否! 生物進化論の供給する無數の材料は吾人をして道徳の本能化が實に社會主義實現後
の二三代に來るべき事を斷言せしむ! 彼の人爲淘汰によりて二三代にて全く異なる種屬を作るはこの本能の變化
 人爲淘汰社よる本能の急速なる變化
の容易なるが爲めにして、野鴨より家鴨を作るに二三代の間迄は飛び去らんとする野鴨の本能
を有すと雖も終に境遇の力によりて全く本能の異なれる家鴨として作り上げらるゝ如き著しき
事實なり。若し、斯る明白なる事實を他の生物種屬に於て見るならば、等しく生物種屬の一たる吾人々類の本能が
社會主義の境遇によりて二三代の後社會性の強盛なる本能に變化すべきを疑ふの要あらんや。吾人は信ず、今日吾
 今日の利己心の強盛なる本能は私有財産制度に入りしよりのことなり
人の如き特殊に強盛なる小我の利己心を有するは等しく本能の變化にして、原
人より歴史時代の私有財産制(固より此の私有財産制とは個人主義の革命以後
の如く個人凡てが財産權の主體たる者に非らずして國王或は貴族等の私有なり。更に後に説く)に入る間の九萬五
千年間は堯舜の如き無爲にして化する道徳世界として強盛なる社會性を有せしなるべしと。是の例として他の生物
 豚が二三代に野猪に返へる如く二三代にて堯舜時代の蕾を爛漫たらしむべし
種屬には、例へば豚の如き其の人に畜養せられて野猪の本能を失ひしと雖
も之を野に放つこと二三代ならば又野の境遇に適應する本能を得て再び野
猪となると云ふが如し。實に吾人は無限の歡喜を以て信ず、今日の強盛なる利己的本能は人類進化の一過程にして
社會主義の世に進化せば其の境遇に適應する強盛の社會的本能を有すること、恰も野鴨が家鴨となり豚が野猪に返
へるが如ぐなるべしと。而して是れ花の蕾なりし堯舜の世が爛漫たる櫻花として開く神の時代なりとす。
 『眞』の進化
 更に『眞』に於て進化すべし。吾人は茲に於て更に生物學の上より獨斷的不平等論を打破して全
く其の呼吸を止めざるべからず。吾人は屡々『人は只社會によりてのみ人となる』と云ふべルゲマン
の語を引用して、『社會主義の倫理的理想』に於ては下層階級の誠に低級なる階級的善に止まる所以を説き、又本編に
 人類はカンガルーと等しき有袋動物なり
於て野蠻人の野蠻人に作らるゝ所以の理を説きたり。吾人は更に進んで斷言せん、−−『人類
はカンガルーと等しき有袋動物なり』と。是れ決して比喩に非らず、生物學上の嚴肅なる事實
として人類は誠にカンガルーと少しも異ならざる有袋動物なるなり。何人も知れる如く、カンガルーは一寸ほどの大
きさにて一週間にて母の體外に出で後の九ケ月を母の袋の中に養はれて始めて完全なるカンガルーとして獨立す。
即ち、他の胎生動物にはこの袋が母の内部に在りて其の子は出生までの全き九ケ月を體内の袋に送りて出づるに反
し、カンガルーに於ては其の袋が母の體外に在りて児は體外の袋に九ケ月を送るなり。獨斷的不平等論者は一寸の
カンガルーと九ケ月後のカンガルーとを比較し、元來カンガルーは不平等なる者なりと論じつゝあるに非らざるか。
−−生れたるまゝの人は一寸の大きさを以て一週間にて世に出でたるカンガルーなり、少くも二十歳迄を社會の袋
に教育せられて始めて獨立なるカンガルーとして世に立つべき者なり。生物學の高貴なる教訓を見よ、教育とは生
殖作用の一部(補缺と云はんよりも實に一部)なりと云ふ事なり。他の胎生動物が體内に於て完成する所の九ケ月の
 體外の袋に在るカンガルーの九ケ月が生殖作用の一部なる如く社會の袋に教育さるべき二十歳までは生殖作用の一部なり
生殖作用を體外に於てする所のカンガルーに取りては、
體外の九ケ月が生殖作用の一部なる如く、二十歳迄の教
育期間は人類にとりては社會と云ふ母の體外の袋に養はるべき生殖作用の一部なり。生物の下等なる階級の者に至
つては分娩其事にて生殖作用は完成せらるゝを以て、分娩後は全く教育なくとも完全なる一生物として獨立す。然
るに高等なる生物に至つては分娩のみにては生殖作用の完成せられざるを以て教育と云ふ生殖作用を爲す。例へ
ぼ、猫の如きは絶えず其の尾を敏速に振ひ小猫に之を捕ふる事を慣れしめて鼠に對する教育をなし、虎ほ噛み殺し
たる動物の頭に小虎の小さき齒痕を附けしめて餌を捕ふることを教育するが如し。然らば最も高き階級の人類に於
ては最も長き間の綿密精練なる教育を要するは、不完全を極めたる生殖作用の一部として缺くべからざる重大なる
生殖作用なり。現今の如く殆ど教育なき下層階級を以て六千年の智識を以て充たされたる袋に養はるゝ上層に比す
るは、殆ど人の形を爲さゞる胎兒と分娩後の小兒七を比するが如き沒理なり。人類は分娩迄の九ケ月間に於て人類に
 獨斷的不平等論の最後の呼吸
至る迄の生物進化の歴史を經過し、分娩後より二十歳に至るまでの間に於て更に原人よりの十萬
年間の生物進化の歴史を經過す。若し、脂兒と小兒とを比較して不平等論を唱へ一は獣類時代に
して一は人類時代なることを忘却せざるならば、原人の野蠻時代と十萬年後の文明時代とを比較して不平等論を説
くとは何事ぞ。實に今の下層階級は數百千年以前の智識に止まるが故に、憐むべき學者等よりして『人は元來不平等
なり』と云はれつゝあるなり。而して斯くの如き不平等論は一切の時間を無視して、二十世紀の兒童が蒸氣と電氣
とを解するを以てプラトー、アリストーツルの上に置き六千年の歴史の遠き古代に不平等論を逆進せしむる者なり。
分娩のまゝに非らず固より教育さるべし、而しながら小猫の鼠を捕ふる如く食物を得る爲めの外、人類の文明時代と
して受くべき十萬年間の智識的累積の袋に入らざれば決して文明人として完成せられたる分娩に非らざるなり。又
固より智識的教育を受けずとは云はず、而しながら辛ふじて宮本武勇傅の講談を讀み得る智識と三十歳まで古今内
外の累積せる智識に養はれたる者とは、生殖作用の完全の程度に於て恰もカンガルーの袋より三週間にて取り出せ
しものと九ケ月後に出でたる者との如き懸隔あることを記憶せざるべからず。(故に階級的隔絶の現時に於て凡ての
智識が階級的眞となりて、今尚佛蘭西革命時代の獨斷的平等論を繼承しつゝある無智の階級も、又階級的隔絶によ
りて誤謬にされたる智識によりて養はるゝ事によりて獨斷的不平等論を掲げて他を輕侮しつゝある今の學者階級も、
其の袋の異なるより生ぜる變種のカンガルーなりとす)。生殖作用を娯楽として取扱ひつゝある者にとりては教育
が生殖作用の一部なりと云ふ如きは了解に困難なるべし。而しながら生物哲學の上より見る時に於ては、生殖作用
 生殖作用とは種屬的經驗智識を肉體的に遺傳する教育にして教育作用とは社會的に遺傳する生殖なり
は種屬的經驗智識を肉體に於て即ち本能として遺傅する方法な
り、教育とは其の本能の上に社會的に遺傅したる六千年の經驗
智識を精神に於て遺傅する方法なり。故に、蘭燈影暗き閨房は一夜にして十萬年の課目を教育する講壇にして、獨
身の基督が野に立ちての教へは一千九百年間の子々孫々が父と仰ぐ如く幾萬限りなき子を産める大なる生殖作用な
り。家庭も學校なり。圖書館も閨房なり。論語も戀の言葉なり。紅筆の玉章も聖書なり。社會凡てが産褥なり。
 社會主義の要求は社會の全分子が四疊半と待合との講壇を去りて、論語と聖書とを戀の言葉とし玉章として社會
の産褥に於て産聲を擧げんことを第一とす。而して社會の全分子たる凡ての個人が平等に之を要することに於て個
 社會主義を下層的平等と解する『平民主義』の惡しき命名
人の權威を絶對に認むる所の個人主義と合致す。社會主義が清貧に停滞する下層的
平等と解せらるゝが爲めに、而して社會主義者の多くが單に皇帝を顛覆し貴族を打
破して平民階級にまで上層を引き下ぐれば可なるかの如く考へて『平民主義』の命名をさへ生ずるに至りしが爲め
に、古來の大皇帝若しくは剛健なる貴族等が振へる個性の權威を無視するかの如く誤られて徒らに劣敗者の鳴號な
るかの如く取らる。若し社會主義とは斯くの如き者とせば吾人は、今この走らしつゝある筆を折りてむしろ君主々
義貴族主義を唱ふと云はん。個性の權威は單に多數なるの理由を以て犯すべからず。社會主義とは最大多數の最大
幸福と云ふ事にあらず。神聖不可侵なる絶對無限權の皇帝が其の一個性の權威を以て全社會を擧れる大多數をも壓
抑したる如き『個人の自由』なくして何の社會主義あらんや。而しながら社會の進化は凡てのことに於て直ちに全
 個人の絶對的自由は先づ社會の一分子に實現せられて君主國となる
分子に及ばざる如く、個人の自由につきては先づ其の一分子たる皇帝をのみ進
化せしめて君主國となり、更に其の進化を少數分子に擴張せしめて茲に貴族階
級に及びて貴族國となり、貴族等は其の武士農奴の上に君主として(彼等は皇帝と等しく君主なりき)絶對の自由
を有し、他の自由を得たる無數の君主等と權威の衝突する場合に於ては乃ち強力の決定なりき。如何に貴族國時代
に於てこの個人の自由の決定が強力によりしかは後に説く『所謂國體論の復古的革命主義』に於て日本の例に見よ。
日本の皇室は歴史の始め其強力によりて絶對の自由を個人の權威に於て表白したり。貴族階級たる群雄諸侯の多く
 其の實現の少數階級に擴張せる貴族國時代
の君主は(皇室も君主なりき)又等しく其強力によりて自由の衝突を決定し、其の強力が
他の其れを壓倒して働らく時に於ては絶對無限の自由を振つて他の多くの君主の頭上に白
刃を閃かしたりき(而して皇室も君主なりき)。斯くの如く、個人の権威の爲めには如何なる多數を以ても敵として
敢然たるべしとの自由主義は、誠に社會が君主國時代よりの理想として掲げたる所の者なり。社會主義が社會進化
の理法に背きて鳴號さるゝ時に、思想界に於ては空想の亂矢を蒙りて戰死し實際界に放てほ暴民の動亂として忽ち
沈壓せらる。社會の一分子が金冠の下に爛々たる眼を光らして社會の大多數を威壓したるの時は、是れ個人の權威
は絶對無限なるべしとの理想が先づ社會の一分子によりて實現せられたるの時なり。社會の進化は下層階級が上層
を理想として到達せんとする模倣による。(タルドの模倣説は倫理學に於て同一の説明をなして合致せる者ある如
 タルドの模倣による平等
く凡て當れり)。而して模倣の結果はタルドの言へる如く平等なり。群雄諸侯の貴族階級の君主
等は平等觀を血ぬられたる刃に掲げて君主と同一なる個人の絶對的自由を得ん事を模倣し始めた
り。其の最高權威たる天下を取らんとの理想は富の爲めに非らず名の爲めに非らず、自己の自由を妨ぐる凡ての者
 戰國時代とは個人の權威の衝突なり
を抑壓して個人の權威を主張せんが爲めのみ! 而して其等の君主の中に於て其の理想を實現
すべき強力を持てる者は或は後醍醐天皇となりて他の君主たる北条氏を滅ぼし、或は徳川氏と
なりて他の君主たる多くの天皇諸侯等に壓迫を加へ以て其個人の権威を全社會の上に振ひ、而して強力に於て乏し
かりし諸侯階級の君主等は武士農奴の下級に向つて其の自由を絶對に發現したり。社會の進化は平等觀の擴張にあ
り。個人の権威が始めは社會の一分子に實現せられたる者より平等觀の擴張によりて少数の分子に實現を及ぼし、
更に平等觀を全社會の分子に擴張せしめて茲に佛蘭西革命となり維新革命となり、『個人の自由は他の如何なる個
人と雖も犯す能はず』と云へる民主々義の世となれり。故に現今の法律は誠に社會民主々義なり。一の個人の利u
 革命以後の日本の法律は社會民主々義なり
の爲めに他の個人は犠牲たるべからずと云ふ民主々義と共に、其の個人の犠牲たる場合は
社會の利uにして犠牲を要求する所の者は個人たりと雖も(軍隊の長官の如き、裁判官の
如き)そは個人としてにあらず國家の利uを主張する國家の代表者としてなり。法律の理想は誠に社會民主々義な
り。只經濟的貴族國の爲めに對他種屬との生磊爭に於て、又社會單位の生存競爭に於て、貧困と戰爭の劣敗者を
生じつゝあるが爲めに全人類を擧りて未だ生物界の上に君主たり貴族たる能はざるなり。吾人は繰り返へして斷言
す。社會主義は君主を顛覆し貴族を打破して上層階級を下層的平等の内に溶解する『平民主義』に非らず、社會の
 今の世に平民なし
全分子が往年の君主國時代の一分子の實現せる所を凡てに實現せんとする個人の絶對的權威にあ
りと。今の法律を見よ。徳川時代の平民なく、戰國時代の貴族なく、雄略仁徳時代の君主なし。
只、國家と國民(天皇も廣義の國民なり)とあり。而して國家は大個體の點より見られたるが故に社會主義なり、
國民は小個體の立脚點より考へられたるを以て民主々義なり。(尚『所謂國體論の復古的革命主義』を見よ)。
 この説明を解するならば、社會主義は衆愚が多數を挾んで天才を壓迫すること雅典市民がソクラテースに於ける
が如くなるべしとの非難の理由なきを見るべし。−−社會主義は天才主義なり。而も全社會の天才主義なり。(故
 衆愚主義に非らず全社會の天才主義なり
に吾人は今の社會主義者の或者が『凡人社』と名くるを代へて天才社となさんことを望む、
先覺者は決して凡人に非らず)。天才とは衆愚の壓迫に打ち勝ちて個性の變異を發揮し得た
る權威ある個人なり。故に天才の多くは衆愚を排して個人の権威を振へる大なる意志の君主貴族(固より數代の後
には退化して他の權威に代はらる)と、其君主貴族に對して個人の權威を主要したる大なる頭腦に在り。而しなが
ら、過去の天才に於ては其の個性の變異を發揮せんが爲めに個人の權威を無視する所の狹少なる社會良心と鬪ふこ
との爲めに、其の大なる意志と大なる頭腦とは個性の發揮よりも發揮を自由ならしめんとする努力の爲めに多くを
消耗せらる。社會主義の世は然らず。古代君主國の一分子が實現して示したるほどの絶對無限なる個人の自由が社
 社會主義は先づ天才の發展すべき自由の沃土たる點に於て天才主義なり
會の全分子に實現を擴張せるを以て、天才は自由其事の爲めに努力するの要な
く凡ての努力は與へられたる個性の發揮に注ぐ。實に天才の種は無數に地に落
ちたるなり。而も今日までの世は天才の培養さるべき自由なる沃土に非らざりしが爲めに多く無名の英雄として腐
朽し、或は土質を異にせる階級に播かれて多く畸形の天才となり與へられたる一部若しくは變質の或る部分を發露
するに止まる。−−社會主義は先づ天才の發展すべき自由の沃土たる點に於て天才主義なり。而して更に天才を培
 社會主義は更に天才を培養する所の豊富なる肥料を有することに於てu々天才主義なりとす
養する何の豐富なる肥料を有することに於てu々天才主義なりとす
べし。凡て種子にとりて發育を自由ならしめざる妨害あるべからざ
ると共に、發育すべき肥料を要す。天才とは社會より肥料を吸收して開き芳ふ社會の花なり。大詩人も之を野蠻部
落に置かば十歳の兒童の有する如き僅少なる言語を以て何を歌ひ得べき、思想の根も巳に存在する社會の其れに材
料を取り天地を見るの險も社會の母の手によりて開かる。大釋迦をして波羅門の哲學と衣食に不自由なき印度に産
れしめずして終生を營々たる氷雪の下に哲學の芽もなぎエスキモー部落に置げば實に小さき偶像教の開祖たるに過
ぎず。基督が未だ世界的眼光なくして只學者とパリサイ人とを對手とせしは猶太以外に足跡の及ばざりしが爲めに
 天才と社會との関係
して、ポーロによりて始めて世界に氾濫せる思想となりしは基督の思想を抱いて世界に翼を張れ
る羅馬に入れるを以てなり。義經が鵯越の武将たるに過ぎざるは其の個性を發揮すべき境遇の一
島國なるが爲めにして、ハンニバルのアルプスは其の舞臺の大陸なるを以てなり。噴飯すべき朕と稱する獨乙皇帝
が一たび全地球の上に君主たらんと夢想せしは其の十九世紀なるが故にして、シーザーの大と雖も地中海沿岸を征
服して世界茲に盡くとして甘ずるの外なかりき。コロンブスが地球圓形の意見を述べしとき、當時の學者等は忽ち
説破して然らば吾々の足下に當れる世界の裏は草木も倒まに生え居るべく人類鳥獸皆奈落の底に落ち行かざ直べか
らずと言ひて爭ひぬ、而も是れ引力説なき時代に生れたるが爲めにして其の多くの中には卓越せる個性もありしな
るべしと雖も電信と鐵道とを以で少女が手球をかゞるごとく地球を弄びつゝあるを見る今日の小學生徒にも劣りし
なり。大建築には多くの材料を要す。如何なる天才と雖も思想上の大建築をなすに其の材料たるべき思想を先づ社
會より吸収せざれば其の建築的個性を示す能はず。而して大建築には.亦前人の建築術を見るを要す。南洋の土人部
落に二十層の家屋が建たず、希臘羅馬の建築術、中世基督教の寺院、印度支那の佛寺伽藍が歴史的發達を有すと云
ふも是れにして、十進數なき原人部落より今日の天文學は傅はりたるものに非らず、アリストーツルの演繹法のみ
 天才の定義
にては今日の科學的研究は起るものに非らず。天才とは其の時代までの社會的遺傅の智識即ち社
會精神を一たび一身に吸入し、吸入したる材料を其の變異なる構造力によりて自己個性の模型に
之を構造し之を後代の社會精神として社會の上に放射す。凡ての天才が其の思想に於て時代的彩色を帶ぶと云ふは
この理由にして、哲學史が連續せる思想系によりて編まるゝも是れなり。天才が社會的生物なりと云ふとは凡ての
眞理に非らずと雖も、天才が社會の土と肥料とによりて培養されたる花なりどは動かすべからざる事實なり。然る
に人類の今日までの歴史は如何。天才の種は植物の種子の風に吹かるゝ如く人生に落つるも、自由なき磽[石角]の爲め
 自由の沃土なき時代の天才
に芽も出でず、芽ばえたるものも君主貴族の馬蹄に蹂躙せられたりき。而して其の僅少なる種子が
自由を得たる上層階級に落ち、若しくは上層階級の手によりて自由の土地に移し植ゑらるゝとも、
社會の進化せざる時代として肥料の貧しきが爲めに開く所の花も誠に野花に過ぎず。斯くの如くなれば、史上の天
才なるものゝ眞に百代を隔てゝ望むは論なく、而して其の光も時代を隔つるに從て微かに消え行くなり。古人と今
人も母體を出づるときは同一なる原始人なり。其の天才も原始人の部落に於て原始人の天才たるべき個性の變異な
り。只、社會の床に於て社會的累積の智識を遺傅せしめらるゝ生殖作用によりて、古人は古人となり今人は今人とな
る。基督は天國を星の遠き彼方に指したりき、而しながら彼れよりも智識ある今日の吾人は近き將來の地球に樂園
 豊富の肥料なき時代の天才
の在ることを認めて歩を違びつゝあり。釋尊は結跏跣坐して宇宙循環説の外に出づる能ほざりき、
而しながら彼れよりも研究の積める今日の吾人は宇宙人生の進化しつゝあることを明かに解し得
たり。アリストーツルは明哲なりき、而しながら吾人を以て見れば神童たる事を免かれず。ダーヰンは生物進化論
の大成者なるが如くなりき、而しながら彼の遺傅を受けて彼の白髯よりも年老いたる吾人は二十三蔵にして彼れ以
上の思想を有す。あゝ斯くの如く無限に累積し無涯に遺傅して止まざる『類神人』の眞よ! 個性は社會精神を特
殊にするものにして社會は其の特殊にせられたる個性の精神を受取りて普遍にし以て社會の精神としで後代に遺傅
 社會精神とは過去の個性の精神なりと云ふ點に於て社會主義と個人主義の合致
するものなり。而して個性の社會精神を特殊にせんとして吸收するは其の
社會が遺傅して普遍に存在せしむる先代無數の個性の精神を吸收すと云ふ
ことなり。社會と個人とは單に大我と小我との立脚地の相違なり。然らば何ぞ個人の自由を絶對に尊重する社會主
義を以て衆愚萬能主義と解するや。社會主義が物質的保護の平等と共に精神的開發の普及を無上の要求となしつゝ
あるは、如何なる天才の個性と雖も社會の水平線が餘りに下級にしては其特殊にしたる精神も貧しく又其の精神を
受取りて後代に遺傅する社會精神となし能はず、爲に天才が無名にして腐つると共に社會の進化が遲々たるを以て
なり。くれぐれも知るべきは社會主義と個人主義との理想の合致なり。社會全分子の(即ち凡ての個人の)あらゆ
る歴史的社會的智識を以て開發せられたる自由平等は、全分子全個人が其れ自身誠に天才の如く輝やくと共に、更
に其の中の最も優れたる滿天星の如き天才の精神を凡て悉く普遍にして其の社會精神を大にし、更に後代のより大
なる天才に基礎を與ふ。このより大なる天才はより大にせられたる基礎の上に立ちてより大にせられたる社會精神
をより大なる天才を以て特殊にして之を社會に放射し、より大にせられたる社會精神は其のより大にせられたる精
神を受取り之を更に後代のより大なる天才のより大なる基礎として普遍にして行く。
 人類は腦髓及び神經系統を進化せしめて本能を異にするに至る
 人類は茲に至て『眞』の爲めに其の本能を變化すべし。即ち類人猿より分れた
る人類が其の社會的生殖作用の爲めに腦髓及び神經系統を他の生物種屬の對比す
べからざるほどに進化せしめたる如く、『神類』に進化すべき類神人ほ靈能の驚くべき透徹明敏なる本能を有する
に至るべし。
 
 『美』の進化
 吾人は從來の多くの宗教の用ひ來れる神と云ふ語の意味する思想と區別せんが爲めに『神類』
の文字を用ひ來れり。吾人は更に人類が如何に『美』に於て進化すべきやを想像すべし。
固より凡ての眞善美は進化的のものなるを以て、一の時代若しくは一の地方に於て眞とし善とする所を以て凡て
 凡ての眞善美は進化的なり
の時代と地方との其等に推及する能はぎる如く、美に於ても亦時代的に地方的に其れぞれ異なる
は論なし。是を地方につきて云へば、或る野蠻人は頭顱の極端に圓錐形なるを美とし鼻の肩平に
して厚唇に入墨せるものが最も戀慕せられ、多くのK色人種間にては白色の男女は醜なりとして多く配偶を得ず。
又ダーヰンが大膽に形容せるソマル美人の臀の如きが其部落にては美の絶頂とせられ、支那人は顔の平坦にして[安頁]
圓く眉淡き足の小さきを美とし、歐州は胸張りて脊高く顔面の曲線の明瞭なるを美とし、日本は臀細く髦Kき卵子
に目鼻を以て美とする如し。又時代につきても社會の進化し理想の進化するに從ひて美の理想を進化せしめ、上臈
の眉墨となり、馬上の英姿となり、元禄の丹次郎となり、更に胸間の勲章となり、演説家の髯となべ小説家の瘠頬
となり、角帽となり、海老茶袴となれるが如き是れなり。斯くの如くなれば一の進化的過程に過ぎざる所の今日の
美の理想を以て永久を律する能はざるは論なきことなりと雖も、而しながら今日の理想として仰いで以て到達せん
と努力しつゝある所は、男子としては基督釋迦の如き女子としては觀世音マリアの如きものなるべし。是れ實に眞
 圓滿なる美の理想たる天人天女の容貌は二三代にして實現さる
善美を體現せる容貌の圓滿なる相として、現世に求むべからずとして斷念しつゝ
而も憧憬しつゝある美の頂上とさるゝものなり。而しながら是れ疑ひもなく社會.
主義の實現後二三代を以て實現され得べき美の理想なるは先きに説ける所によりて解せらるべし。只如何せん、人
類の神と仰ぎ佛と仰ぐ所の理想(實在の彼等に非らず)の美に於ては排泄作用なきに、吾人にはこの醜怪極まるも
 人類は排泄作用を去るを得べし
のあり。凡ての理想は凡て實現さるゝ者なり。この醜怪を維持しては神の美に非らざるは論なし。
而して吾人は亦目的論の哲學と生物進化の事實によりて、人類がこの排泄作用より脱し得べきこ
とを確信す。
 凡ての生物種屬は其の目的理想の爲めに凡ての器官を進化せしめ退化せしむ
 吾人は依然として科學的基礎を保つ。生物進化論に從へば、凡ての生物
は其の生存進化の目的理想の爲めに、境遇に應じて或る器官は著しく進化
し或る器官は著しく退化して以て今日の如き無數の生物種屬に作られたりと云ふことなり。同じく爬蟲類より分れ
たる者なりと雖も、鳥類に於ては其の前肢の驚くべく進化して羽翼となり、獸類に分れて四肢を有するに至れるも
のも、其の水中に入れるものは又更に海鰮の如く四肢半ば尾に退化し鯨の如く全く尾となれる如し。人類も亦然り。
人類としての境遇に適應して生存せんとする目的に進化せんとする理想の爲めに或る器官は著しく進化し或る器官
 人類の器官の進化せる部分と退化せる部分
は著しく退化したり。一切の工業的生産をなすに必妻なる前肢の指の自由なる運動(猿猴類
にては拇指が特殊なる働きをなさず他の動物は單に歩行の用に供せらるゝに過ぎず)、腦
髓及び神經系統の比類なき發達(是れ人類が猿猴類と別種の階級に分類されざるべからざる理由なり)、の如きは器
官の進化せる部分にして、全身の毛の脱落せる(猿猴類にては眼の周圍と尻の赤き部分のみ脱落し他の獸類は進化
して毛深かし)、耳の運動する能はざる(猿猴類の多くは自由に動かし兎の如きは進化して著しく大きくなれり)、
齒の小さくして減少せる(猿猴類は人類より大にして多く肉食獸は大に進化せり)、尾の胎兒にのみ見られて分娩後
は尾[骨氏]角の體内に陰れて縮少せる(猿猴類は凡て尾を有し他の獸類は多く著しく進化せり)、如きは皆器官の退化せ
る部分なり。若し舊式の唯物論を取り若しくは天地創造説を取りて、天地の始めより神の作造によりて若しくは何
の理由もなく單に、牙ある者、翅ある者、直立する者、匍匐する者、尾ある者、毛ある者として存在したりしと信ぜ
ざるならば、吾人が目的論の哲學と生物進化論とによりて、人類の理想とする所に從ひて凡ての器官が進化し若し
くは退化すべしとの推論を否定する理由なし。否! 人類の今日迄に如何に消化器の退化せるかを見よ。口に於て
著しく退化せり。獸類に共通なる三つ口の如きも人類にては偶然の畸形にのみ見らるべきほどに退化せり。齒に於
 人類の今日までの消化器の退化と其の理由
ても猛獸の如き犬齒は固より、草食獸の如き大なる臼歯もなく、又數に於て猿より進化し、
文明人は更に野蠻人より退化し、第三臼齒の如きは全然缺乏し、文明人中の都會人は田舎
人に比して上側門歯の早く脱落すと云ふほどに退化せり。胃腸に至つても其菜食をなすが爲めに純然たる肉食獸よ
りは比較的に長しと雖も、他の純然たる草食獸に比して驚くべく退化し、文明人は野蠻人の腹部より更に小さく退
化せり。彼の蟲様埀と稱せらるゝ腸の上部に位しで附着せる者の如きは他動物に於て消化作用をなすも人類に至つ
て甚しく退化したる結果、疾病の爲めに切り去らるゝも支障なきほどに無用のものとなれりと云ふ。是の消化器の
退化の事實はラマルクの用不用説の如く使用せざる器官は漸時に退化すと云ふ事を示したる者なり。即ち反芻類の
三つの胃と長き腸とを有するは最も消化に困難なる食物を食ふが爲めなり。鳥類の胃壁が石の如く堅く胃中に又石
を有すと云ふは食物を粉碎せずして送る必要より胃中に摺鉢を置くものなり。野蠻人の齒が文明人の其れよりも多
くして大に田舎人の門歯が都會人よりも健全なりと云ふは食物を切りきざまずして口に投ずるが爲めに口中にて庖
丁を要する故なり。野蠻人が文明人よりも胃腸の長大なりと云ふは外界に於て食物を消化する煮燒を知らざるが爲
めに其の膨脹せる腹中には鍋釜を入れたるが故に大なるなり。−−人類は胃中に摺鉢を置かざる如く口中より庖丁
を取り去る能はぎるか。消化器の或る部分を蟲樣埀たらしめたる如く鍋釜の凡てを取り出す能はざるか。三つ口が
人類に取りて畸形なる如く肛門を有することが崎形たるに至らしむる能はぎるか。吾人は科學的研究の名譽に掛け
 食物の進化に併行する消化器の退化は工業的食物時代に入りて愈々退化し化學調合に至て全く排泄作用を去る
て斷言す、人類の今日迄の消化器の退化が食物の進化によ
ると云ふ凡ての生物進化論者が科學者の推理なる如く、吾
人は科學者としての推理に從ひて更に人類今後の食物の進化は同じき生物進化論によりて人類の消化器を全く退化
せしむべしと。而して食物の進化は一百年前のマルサスの枯骨を合掌しつゝある經濟學者に非らざれば充分に期待
すべく。今日の野蠻人と大差なき原始的食物が近き將席に於て食物の工業的生産時代となり、今日の如く腹中の鍋
釜、臍のある小工場によりて消化せられつゝあるを、蒸氣と電氣とを有する大消化器によりて消化するに至らばラ
マルク説によりて漸時に退化し始むべし。而して更に遠き將來化於て今日の化學者が實驗室の窓より豫言しつゝあ
る如く化學的調合の食物時代に入らば、是れ古來よりの理想たりし所謂仙薬なり。人口は茲に消化器の凡てを退化
せしめ(若しくは痕跡に止まらしめ)て三つ口の如く尾[骨氏]角の如く全身の毛の如くならしむべし。是れ臺所の用を
務めたる胃が大工場に移されて腸の水道が下水を流さゞるの時なり。下水の糟粕に眞玉手を汚しつゝありしお三ど
上の肛門が化學者を家僕として菊花の一つ紋を着けたる令夫人となるの時なり。排泄作用の要なくなれる時なり。
『美』の理想は斯くて完たし。
 理想とは來るべき高き現實なり。進化とは理想實現の連續なり。人類歴史ありてより以來最も高き理想として、
即ち永き進化によりて來るべき現實として畫きつゝある神に脱糞放屁を想像したることありしか。今日、吾人は戀
の理想に憧がれて我が天女の如き戀人よと呼ぶ。而しながら天女とは理想にして戀入の現實は人知れず縮緬の褌を
 戀人の脱糞獨乙皇帝の放屁
掲げて約一貫目のポテトーを秘し置くものなり。獨乙皇帝は自ら萬民の理想なりとして朕は萬能
の神なりと稱しつゝあり、而しながら沈香に匹敵する洋服のすかし屁は其の朕なる神の尊嚴を表
白する所以にあらざるべく、如何なる侍醫と雖も其の衝の上に蟠まれる黄色なる蛇状の物質を見て龍顔美はしとし
て讃へざるべし。(昔は御便器を掃除せる匹婦曰く、将軍などゝ威張りてこの垂れたる事を見よと。共同便所はこ
の點に於て連帶責任なるを感謝す)。此の書が獨乙語を以て書かれたりとせば獨乙皇帝は其の尊嚴を犯せるものと
なして日本政府に抗議を申し込むべし。然しながら問題は何が故に放屁がカイゼル髯の尊嚴と調和せざるかに在り。
大臣責任論を横充してピュロー伯の名が甚だびゆろうたる其れの音響に似たるが故に外交の失策と等しく内閣大臣
 問題は何が故に脱糞放屁を恥辱と感ずるかの理由の根本に存す
の放屁たる可と雖も、問題は何が故に獨乙皇帝自身が其の責任を負擔するを囘避
して神聖不可侵權を振ふかに在り。又、この書が御婦人諸君の手に上りたる時社
會主義者にもあるまじき女權の蹂躙なりとして攻撃主るべし。而しながら問題は女權論を主張する所の女學生等が
其口に送る燒芋は憚らず之を横町に求むるに係らず海老茶袴とやらんを掲げてのポテトーは嘗て解せざるかの如き
眺めを以て大道を濶歩する事の理由に在り。西洋の貴婦人が便所に出入するは親子兄弟の間にも知れざる一個の祕
密なりと云ふ、問題は何が故に秘密にせざる可らざるかの理直に在り。吾人が斯る問題に筆を染めたるは醫學者が
其の指頭を以て糞尿を攪亂するが如く科學的研究として些の恥辱に非らず。而しながら問題は何が故に糞尿を恥辱
となしつゝあるかの人類の現實に在り。而して其の恥辱と感ずる程度の小兒よりも成人に甚しく、野蠻人よりも文
明人に甚しき感情の進化に在り。吾人は斷言す、是れ理想に對して現實の到らざるを、即ち高き現實を望みて未だ
 更に其れを恥辱すること小兒よりも大人に野蠻人よりも文明人に甚しきに感情の進化が問題なり
低き瑰實を脱却す古能はざるよりの感情なりと。目的論の哲學と
生物進化論とはこの感情に説明を與ふ。人類は進化的生物なり、
理想に到達せんとする目的の爲めに常に現實を脱却せんと努力して止まざる宇宙の顯現なり。若し宇宙にして進化
の目的無く、人類にして進化的生物に非らずとせば、決して排泄作用をなさざる所の神若くは天女を理想に畫くべき
 目的論の哲學と生物進化論は凡ての説明なり
理由なく、從て其の理想と現實との甚しく懸隔せる脱糞放屁を恥づるの理由なし。恥辱の
感情は理想に對照されたる現實の不滿なり。吾人は自己の道徳につきて無數の恥辱を感じ
自己の智識につきて無限の恥辱を感ず。即ち吾人が其善ならざるを恥辱とし眞ならざるを恥辱とするは、其の道徳
的理想若しくは智識的理想に對照して、其の遥かに及ばざる不善無智の現實を恥づるなり。吾人がソクラテスを
理想とする時其の哲學史の源泉をなせる眞と毒盃の全身に廻はるまで靈魂の不死を説きし善とに對照して誠に至ら
 凡て眞善美に係はる恥辱の感情は理想に對照されたる現實の不滿なり
ざる現實を恥づ。吾人がワシントンを思ひリンコルンを思ふときに其善を理想
として到らざる現實を恥ぢ、マークスを思ひルーソーを思ふときに其眞を理想
として到らざる現實を恥づ。是れと同樣なり。吾人が理髪店の鏡に對してパイロン、ゲーテの美を思ふて醜劣極ま
る現實を恥ぢ、女子の多くが其の自惚鏡なるに係らず(失敬!)暗におぼめく芙蓉にも似たる衣通姫の豊頬を思ひ
露や滴るべきクレオパトラの明眸を思ひては其盤坐かける鼻と廂髮にも蔽はれぬ高額とを恥づべし。−−排泄作用
 排泄作用を恥づるに至れるは大なる進化たり
を恥づることは美の極致たる神を理想として到達を努力するまでに進化せるを以てなり。
理想の殆ど認められざる、若しくは誠に低級なる下等生物に至っては眞に對し善に對して
現實の恥辱なき、若しくは甚だ少きが如く、美の理想も甚しく現實と懸隔なきを以て其の糞尿につきて何の感覺な
し。牛馬の如きは糞尿の間に起臥し其れ自身に糞尿を肘着せしめて平然たる如き是れなり。彼の其れより高き階級
に在る犬猫の如きに至つては或は其の後足を以て之を埋むるを知り、猿猴頭に至つては更に其の排泄物を忌避する
 理想の低級なる下等動物と其の排泄物
の甚しきを加ふと雖も、到底理想の高遠なる人類の比にあらず。而して人類に於ても小兒よ
り成人に、野蠻人より文明人に理想の階級を進むるに至りて、愈々其の排泄物を忌避するの
感を甚しくす。小兒の如きは原始的生活時代の反覆として排泄物を衣袂に附着するも解せず、野蠻人は其の茅屋の
 理想の進化と排泄作用に對する感情の進化
前にうづだかく積む。吾人は此の生物進化論(從て社會進化論の上よりして)、西洋の貴婦
人が海老茶式部なる者の如くおや失敬と云ひ出物腫物と辨ずるが如く公明正大なる能はざ
るの遥に進化せるを見る。社會進化の原則は先づ社會の一分子たる所の皇帝によりて實現せらるとは屡々前に説け
 社會進化の原則によりて獨乙皇帝は放屁を塗り附ける理由あり
る所なり。吾人はこの原則によりて獨乙皇帝の誠に憐むべき例外なるに係らず尚
自ら朕を萬民の仰ぐべき理想としつゝある點に於て其の放屁をビューロー伯に塗
り附くるの理由あるを發見す。宿六が其の白馬を酌みつゝ身を斜めに轟然として放つ如きは決して聯邦國の主長の
なすまじき所にして、其の時に餘薫滿朝に芬々たるときありとも決して鼬の如き御滿足の大御心を以てする思召に
あらざるは論なし。約言すれば、吾人々類が善に對しても眞に對しても美に對しても幾多の恥辱を感じつゝあるは、
 〔進化とは理想實現の聨續なり〕
人類の進化的生物として有する理想に對照して到らざる現實を恥づるなり。而してこの到らざ
る現實を理想に到らしめんとして努力し、理想を現實ならしむべき方法を發見せるとき茲に進
化と云ふ。故に曰く進化とは理想實現の聯續なりと。善の理想を實現する今後の方法は社會民主々義にあり。眞の理
想を實現する今後の方法は社會民主々義にあり。美の理想を實現する今後の方法も亦社會民主々義にあり。天則に
 物質文明を證美せん
不用と誤謬なし。君主國時代も、貴族國時代も、民主國時代も、資本家制度の今日も、私有財産
制度の現代も、貧困も犯罪も貪慾も殘忍も、天下一切のことを擧げて社會進化の理想の努力なり。
彼の遠き昔の二元論の思想を繼承して科學を罵り物質文明を罵るが如きは神の美の宗教的要求の一面のみに於ても、
食物の化學的調合によりて達せらるべきを解せざるが故なり。物質精神一にして二ならず、天地萬有皆一體たり。
 
 人類は交接作用をも廢止すべし
 人類は更に支持作用を廢止すべし。交接作用の言ふべからざる恥辱たるや排泄作用の其れより
も甚し。凡ては目的論の哲學なり、凡ては生物進化論なり、彼の戀愛と肉慾とを二分して一を神
の光明に置き一を動物慾として唾棄しつゝあるは其の解釋の二元論の外に出づる能はざるは止むを得ずとするも、
 戀愛と肉慾とを分離せんとする要求は人類の進化的生物たるより發する理想なり
其の要求たる誠に人類の進化的生物たるより發する理想なり。−−人類も
茲に至つては誠に以て神の座に指頭を觸れたる者なるかな。おゝ眼前に見
ゆる神よ!不幸にして未だ今日の科學は吾人に充分の基礎を供給せず。吾人は科學的研究者の態度を忘却して徒ら
に雲間の御姿に手を延べて裾を引かんとする者に非らず。 二元論の基礎を爲せる有機物無機物の差別が科學の進
化によりて無くなれりとするも、又科學者の或る者が無機物より有機物を作り又全く生きたる生物を作りしとする
 一元論の化學
も、吾人は直ちに神が其の肋骨の一片を取りて人を作りしと云ふ神話の事實となるの時來れりと
は斷言せず。−−然しながら來るべきことを待望す。生物學の範圍内に推論を止めて生殖の方法
が如何に異なれるかを見よ。兩性抱擁の醜怪なる方法は凡ての生物の生殖行爲にあらず。魚類の多くは(或者を
 凡ての生物は兩性抱擁の生殖方法に限らず
除きて)雌の卵の上に雄の精蟲を振りかくる事なり。人類は何が故に異性の體内に於て精
蟲を振り掛けざるべからざるか。人類は何が故に九ケ月間を母體に送らざるべからざるか。
 人類は魚類の如き受精の方法に至る能はざるか
今日に放ても醫學の進歩は或る産婦の利uの爲めに七八ケ月にし・て取り出すと云ふに非
らずや、−−人類は何が故に女子を分娩の冐險に捉へて九ケ月間の膨大を待たざるべか
らざるか。産婦の膨大なる腹其事が美の理想と背馳して男子の亂行を來しつゝあるに非らずや。分娩其事が交接の
 肋骨の一片と實驗室中の小さき生物
恥辱を連想せしめで無邪氣なる兒童は母の臍より出でたりと教へられつゝあるに非らずや。ア
ミーバの如きは單に分裂その事によりて無數に生殖す。人類は何が故に其の肋骨の一片を取り
て精氣を欺き込む能はざるか。無機物有機物の無差別は其の肋骨の中に精氣の存する事を教へざるか。化學者の實
驗室に於て作られたる小さき生物は、何が故に神が爲せしと云ふ理想の如く己れの形に似たる人として作らるゝ生
物たる推論を否むか。龍その腹に倚ると夢みて沛公を産めりと云ふ匹婦、神を夢みて基督を孕めりと云ふマリアを
 油蠱の單性生殖と男性なくして英雄を産める歴史上の事實
直ちに野合姦通なるべしとの斷定ほ、油蟲が雄なくして無數の生殖をなしつゝある
事を發見せる生物學以後に放て唱ふるならば額上に角ある獸にも劣る。油蟲と人類
と單に進化の程度を異にせるよりの現象にして、其の本體に至つては彼れの發生も此れの發生も同一なる單細胞な
るには非らざるか。凡てのことは進化の過程なり。アミーバの分裂が進化の一過程なるが如く、油蟲の單性生殖が
進化の一過程なるが如く、獸類の期節を定めたる兩性生殖が進化の一過程なるが如く、期節もなき不断の兩性生殖
をなしつゝある人類の其れも進化の一過程なり。人類が進化の過程たる雌雄競爭の要なきまでに進化せるとき−−
何をか憚らん、吾人は生殖作用の廢滅を斷言す。
 生物進化論は大釋尊の哲學宗教に歸着せり
 茲に至つては戀愛は小にして生存競爭の名や卑やし。小我は大我となり大我は無我とな
る。−−生物進化論は大釋尊の哲學宗教に歸着せり。−−肉慾を超越せる戀愛の要求は斯
くて實現せられ、世は擧げてプラトー的の愛たるべし。吾人は理想の翅を收めて生物進化論の小天地を飛び去るべ
からず。吾人は前きに生殖作用とは理想實現の方法なりと云ひ、戀愛の誠に高貴なることを説けり。而しながら基
 生殖作用は理想實現の方法たる點に於て獨身の聖者は大なる生殖をなせり
督の理想を實現せることの廣大永遠なる、其の戀愛たるや幾萬千の子孫を作
れるや圖るべからざる戀愛なることを又他の所に於て説けり。獨身の聖者は
其の理想を實現せしむることの多きに於て數十人の子をなせる凡物よりも多くの生殖をなし、婬蕩なりし若年より
も白髮になれるトルストイは全世界を閨房として生殖作用をなしつゝあり。男女抱擁の生殖は原人時代までの現實
を遺傅するに止まり、ヤスタヲ姙を持てたる釋尊の戀愛は全人類の男女を添寢に四千年間の理想たるべきものを遺
 社會とは空間なき密着の大個體なり
傅したり。肉體的遺傅と社會的遺傳との説明は更に強く説き替ふることを要す。社會とは空間
を隔てたる人類を分子とせる大個體と云ふよりも、其の空間とは物質と精神とを以て充塞せる、
即ち哲學的に云へば少しも空間なき密着せる一個體なり。故に空間なき小個體の腹中に在りて遺傅を受くる生殖も、
 小個體腹中の敦育と大個體腹中の生殖
等しく空間なき大個體の腹中に在りて遺傅を受くる教育も、共に等しく生殖にしで教育なり。
社會的遺傅の教育も大腹中の生殖にして肉體的遺傅の生殖も小腹中の教育なり。吾人は母の
腹中を出でて基督の腹中に入り釋尊の腹中に入れり。否! 依然として社會の腹中に在り。而して基督も釋尊も全
 無我絶對の愛の世
社會も吾人の腹中に在り。茲に至て何の一夫一婦論あらんや、戀愛神聖論あらんや。大我の愛な
り、無我の愛なり、絶對の愛なり。
 『人類』は滅亡して『神類』の世は來る。
 
 人類の滅亡に恐怖する者ありや。人類の滅亡とは地球の冷却によりて熱を失ふの時滅亡すべしと云ふが如き懸け
離れたる推論を悲歡的になすべきものに非らずして、神類の地球に蔓延する事によりて滅亡すべしと云ふ大歡喜な
 人類の滅亡は胸轟くべきの歡喜なり
り。若し人類の祖先たる類人猿が永劫に滅亡せずして吾人を産みしならば、吾人々類は今日尚
半人半猿の生物たらざるべからざるに非らずや。又若し更に遠き人類の祖先たる爬蟲類が永劫
に滅亡せずして吾人を産みしならば、吾人々類は今日半鳥半獸の驚くべき形態の生物たらざるべからざるに非らず
や。この愚かなる智識の人類、この卑しむべき道徳の人類、この醜くき容貌の人類、排泄作用と交接作用とをなし
つゝあ古人類の一日も早く滅亡して『神類』の世の來らんことは胸轟くべきの歡喜に非らずして何ぞ。而して凡て
の生物は永久に死するものに非らず、吾人が爬蟲類の子孫たり類人猿の子孫たる如く、『神類』ほ吾人々類の死せ
 個人主義の哲學宗教は棄却さるべし
ずして永き命に進化せる子孫なり。是れ社會主義の哲學宗教なり−−即ち、從來の哲學宗教の、
如く現在の小個體の死後を他世界に求め、理想は自己の胸裏に止まりて實現する能はずと云ふ
が如きは、多神教の哲學祖先教の宗教と等しく舊哲學舊宗教として棄却さるべき個人主義の哲學宗教と云ふ.べく。
 天國は人類め滅亡せる『神類』の地球なり
宇宙ほ一體にして進化し吾人は、永久に不死不滅に進化す。死後の幸福は他世界にあらず理
想は悉く實現さる。天國と云ひ極樂と云ひ人類の進化せる一生物種屬『神類』の地球なり。
誠に是れ社會主義の哲學宗教なり。吾人は後の大哲聖者の出現まで之を以て吾人の科學的宗教となして安心立命
 科學的宗教
となしつゝあり。而しながら必らず知るべきことは理想ほ漸時に實現さるべきものにして進化は
踰越せずと云ふ事なり。無我絶對の愛は神類の世界のことにして人類の現實にあらず。人類は今
日爬蟲類に非らず、類人猿にあらざる如く、決して凡てに於て神類に非らず。然るを今日の進化の過程に在る人類
 無我絶對の愛を説くは『神類』に非らざる人類に向つては狂妄なること恰も類人猿の如く爬蟲類の如くなれと云ふと同一なり
に向つて神類の世に於てのみ來るべき無我絶對の愛を
説くとは何ぞ! 是れ今日までに進化せる人類に向つ
て爬蟲類の如く類人猿の如く生活せよと云ふと等しき狂妄を轉倒して要求する者に過ぎざるなり。−−故に社會民
主々義の哲學宗教は基督教を排し沸教を付けて只社會民主々義の哲學宗教として立つべし。今日の人類として衣食
なくしては生存する能ほず−−故に社會主義と云ふ。戀愛なくして不死なる能はず−−故に民主々義と云ふ。實に
社會民主々義は『人類』と『神類』との進化を繋ぐ唯一の大鐵橋なり。人類が排泄作用と交接作用との恥づべき現
 社會民主々義の哲學宗教は社會單位の食物競爭と個人單位の雌雄竸爭を社會民主々義の名に於て主張する生存競爭の科學なり
實を脱する能はざる間、種屬單位の食物競爭と個人單
位の雌雄競爭と云ふ厭ふべき現實の生存競爭を脱する
能はず。進化律の天即に一の誤なし。小我發展の競爭なくして大我に至る能はず、無我の愛絶對の愛に至る能はず。
基督は絶對の愛を説けり、而しながら一夫一婦を命じたり、是れ其の夫と婦との外なる愛の排斥を意味して絶對の
愛に非らず小我の愛なり。釋尊は無我の愛を説けり、面しながら其の股の肉を割きて狼に與へたり、是れ狼の小我
 基督教は一夫一婦論を要求して絶對の愛に非らず又佛教は他生物の小我を承認するを以て無我の愛に非らず
を承認せるものにして絶對の愛にあらず。吾人は獨乙皇帝に
對したる如く釋尊の脱糞基督の放屁を語る者にあらず、而し
ながら斯る排泄作用を餘儀〔なく〕されたる彼等は神佛の美に非らず。彼等は美に於ても善に於ても眞に於ても、
吾人と等しく人類社會の分子として人類の遠き將來に達すべき『神類』の世を理想としたるのみなりとす。神類の
理想は彼等二三の人類に限らず全人類の理想とする所なり。只、理想現實の途に於て社會民主々義は社會民主々義
 基督釋蓴は吾人と等しく人類社會の一分子として『紳類』を理想としたるのみ
の途あり。社會民主々義の双眸は仰いで神の世を認む、而して其の足は大
踏濶歩して地球の上を離れず。社會民主々義の天國に昇るべき門ほアーメ
ンにあらず、極樂に到るべき途は南無阿彌陀佛にあらず、一に−−階級鬪爭にあり。個性發展にあり。伏能啓發に
あり。自由戀愛にあり。科學にあり。
 社會民主々義の天國に至るべき途は階級鬪爭にあり個性發展に在り伏能啓發にあり自由戀愛に在り料學に在り
 (吾人は是を以て全世界の要求しつゝある科學的宗教の導
きをだも發見せりと云ふがごとき暴慢なきは論なし。吾人は
『人類』と『神類』とを繋ぐ鐵橋を架設せんとして努めつゝある微少なる一工夫として、聊か槌の手止めて彼岸を
指ざし以て社會民主々義者が勞働する目的を物語りたるに過ぎず。吾人は報酬なき勞働、困難なる鐵橋も、この彼
岸の光明を臨みては一の苦痛だもなき宗教的信念によりて歡喜に堪へざるを告白すれば足る。彼の絶對の愛を説く
と云ふ基督教徒、無我の愛を説くと云ふ俤教徒、而して殊に近年に至りて自ら豫言者と稱し救世主と掲げて其等を
 吾人社會民主々義者は『人類』と『神類』とを繋ぐ鐡橋工事に服しつゝある一エ夫なり
宣傅しつゝある者に至つては吾人斷じて與みせず。彼等は『人類』に
向つて直ちに『神類』たらんことを要求し、而して却てそれに到達せ
んとして努力しつゝある社會民主々義の架橋工事を嘲笑し怒罵しつゝあり。吾人は彼等の熱誠を尊敬す、固よりそ
 發狂者は鐡橋工事を解せず
は人類に向つて『類人猿』の如く『爬蟲類』の如く生活せよと云はざるだけの無害なる發狂者と
しての条件に於てなり。彼の『社會主義評論』の筆を捨てゝ無我の愛と云ふを説きつゝある河上
肇氏の如きこの點に於て最も惜しむべしとす)。
 以上の歸結は下の如くなる。
 今の生物進化論は凡て悉く其カを極めて排撃したる天地創造説を先入思想として生物進化の事實を解釋しつゝあ
 以上の歸結は今の全物進化論は凡て悉くその力を極めて排撃したる天地創造説を先入思想として生物進化の事實を解釋しつゝあり
る者なりと云ふ事。即ち人類は天地の始めより個々
に存在せりと云ふ個人主義の思想によりて個體の觀
念を作り、一元よりアミーバの如く分裂せる大個體なりと云ふ社會單位の生存競爭を解せず、從て個人單位の生存
競爭たる雌雄競爭と其れの食物競爭との生物進化論に置げる地位を定むる能はずと云ふこと。人類を天地の結局ま
で存在すべきものなるかの如く考へて生物種屬の階級に於て人類の占むべき地位を解せず、從て理想の實現せられ
て人類より上級の生物が人類に代りて地球に存在すべしと云ふ生物今後の進化を推論する能はずと云ふこと。而し
て人類今後の進化によりて天國が地球に來ると云ふ科學的宗教に到達せざるは、亦等しく天地創造説の宗教を先人
思想とするが故なりと云ふこと。
 宇宙目的論の哲學と生物進化論の科學とは茲に始めて合致し相互に歸靹となり演繹となりて科學的宗教となる
 實に、社會哲學は人類社會と云ふ一生物種屬の生存進化の
理法と理想とを論ずるものなるを以て、當然に生物進化論の
卷末の一章としての社會進化論どして論ぜらるべし。而して宇宙目的論の哲學と生物進化論の科學とは茲に始めて
合致し、相互に歸納となり演繹となりて科學的宗教となる。只、吾人々類は相對的存在の生物種屬なるが故に、其
 『類神人』の一語は生物進化論の結論なり
れによりて見られたる宇宙、考へられたる目的は之を宇宙の大より見るときは相對的理想
たるに過ぎずと雖も人類として生存しつゝある間は『神類』が絶對的理想なり。
 故に吾人は生物進化類に『類神入』の一語なくしては結論なしと云ふ。
 
 其の次ぎの章は固より『神類』の筆執るべきことなり。
 
 
 
 
第四編 所謂國體論の復古的革命主義
 
       第 九 章
 
           社會主義と『國體論』と云ふ羅馬法王−−社會主義の唯物的方面よりも良心の獨立の急務
           −−國體論中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非らず−−國體其者日本歴
           史其者の爲めに復古的革命主義を打破す−−現今の國體を論ず−−社會主義の法理學は國
           家主義なり−−君主々義或は民主々義の主權所在論と個人主義の誤謬−−今日に於て個人主
           義を唱ふるは前提の契約論を拾てゝ結論の主權論を爭ふことゝなる−−契約説の意義あり
           し階級國家時代−−天皇と國民とは權利義務の契約的對立に非らず−−中世の階級國家と
           近代の公民國家−−政權と統治權−−國家主權の法理−−國體の進化的分類−−君主が國
           家を所有せる家長國と君主が國家に包含されたる公民國家−−法律學の動學的研究−−今
           の學者が國體及び政體の分類に無uなる論箏をなすは進化的研究なきが故なり−−穗積八
           束氏と有賀長雄氏−−『國法學』は歴史的研究にあらずして逆進なり−−有賀博士は治ら
           すの文字の形態發音によりて今日の統治關係を太古に逆進す−−文字なき一千年間は天皇
           と呼ばれず−−古代の權利と今日の天皇の權限−−國家は地理的よりも寧ろ時代的に異な
           る−−天皇の文字の内容の地理的時代的相異−−法律學は文字の内容を決定するを以て重
           大なる任務とす−−歴史によりて憲法を論ずと云ふ穗積博士と有賀博士の僣越−−俄が國
           體に於てと云ふ循環論法−−日本國民は萬世一系の一語に頭蓋骨を毆打されて悉く白痴と
           なる−−徹頭より徹尾までを矛盾せる白痴の穗積博士−−君主々權論を取るならばザイデ
           ルの如く國家を中世の土地人民の二要素の客體とせよ−−凡ての君主々權論者の國家觀は
           近代の主權體たるを表はす國家主權論者の者なり−−君主々權論者は國家觀を中世の者に
           改むるか憲法第一條の大日本帝國を國家に非らざる國土人民のみと添削するか−−穗積博
           士の恣なる文字の混用−−皇位或は天皇を國家なりと命名することの結果−−穗積博士は
           主觀的に見たる國家を移して客觀的に見たる天皇と等しと云ふ惑亂なり−−穗積博士は皇
           位説を捨てゝ天皇の一身に統治權ありと云ふ−−生命の延長と云ふ氏の遁路を生命の蕃殖
           と云ふことを以て追究せよ−−天照大神より延長せる統治權とは天照大神より蕃殖せる統
           治權と云ふことを是認して民主々義に至る−−穗積搏土の議論は萬世一系の國體に限らず
           −−憲法の文字と學理攻究の自由−−『國の元首』の文宇に對する凡ての憲法學者の態度−
           −比喩的國家有機體説は維持すべからざる比喩の玩弄なり−−國の元首とは比喩的國家有
           機體説の痕跡にして國家學説の性質を有す−−天皇は國の元首に非ず−−天皇は統治權を
           總攬する者に非らず−−今の國家主權論者の政體ニ大分類を絶對に否認す−−機關の意義
           −−天皇と議會とは立法機關の要素なり−−最高の立法を爲す憲法改正の最高機關−−立
           憲君主政體とは平等の多敷と一人の特權者とを以て統治者たる民主的政體なり−−紛々た
           る國家主權論者の無意義なる論辯−−美濃部博士の議論の不貫徹−−憲法解釋に於て智識
           の基礎を國家學に求めざるよりの誤謬−−美濃部博士の基礎なき國家觀−−統治權總攬の
           文字は學理の性質を有する者に非らず學者は矛盾せる條文につきて取捨の自由を有すと云
           ふのみ−−公民國家につきて政體三大分類の主張−−一木博士は攻體の差制よりなしと云
           ひ美濃部博士は國體の差別よりなしと云ふ−−國體及政體の歴史的分類−−國家主權論者
           の國體と政體とを混同するを排す−−吾人は國家人格實在論の上に國家主權論を唱ふ−−
           法律の進化とは實在の人格が法上の人格を認識さるゝことに在り−−國家が實在の人格に
           して法上に認識せられざりし家長國時代−−羅馬時代の個體の觀念と當時の人格の思想−
           −君主主權論者と國家主權論者との臆説の暗鬪−−國民の信念に於ける國家主權論の表白
           −−今日の國家は實在の人格が法上の人格に認識されたる者なり−−『君の爲に』と云ふ君
           主々權の時代と『國家の爲に』と云ふ國家主權の時代−−今日の國家有機體説と比喩的國
           家有機體説−−國家意識は一人にのみ有せらるゝ者に非らず−−君主の威力に非らず團結的
           強力と自己の畫きたる觀念なり−−君主の基礎−−井上博士と穗積博士は前提と結論とを
           顛倒す−−國家意識と政權の覺醒−−原始的共和平等の時代と君主制の原始−−アリスト
           ーツルの国家三分類を進化的に見よ−−日本史に於ける君主國貴族國民主國の三時代−−
           井上博士は君主々權論を主權體の更新と云ふことを以て説明す−−今の凡ての學者は個人
           主義の法理學を先入思想とす−−更新する國家の分子は主權體にあらずして主權體たる國
           家の利uの爲めに統治者となる要素なり−−『社會民主々義』と云ふは社會が主權の本體
           にして民主的政體を以て之を行使するを意味す−−日本今日の國體と政體とは社會民主々
           義なり−−社會主義は國家主權の國體の擁護者なり−−政體今後の進化は國家の目的と利
           uとによる−−國家機關の改廢作成に於ける國家主權の完全なる自由−−社會主義の法理
           學は國家主義なりと云ふ理由−−法理學を離れて事實論としては政權者の意志が國家の意
           志なり−−社會主義と強者の意志
 
 以上三編。社會主義に關する重要なる讒誣を排除し、其の根本の理論たるべき者の大要を説述したり。社會主義
の論究は斯くの如くにして略々足れりとすべきなり。只、此の日本と名けられたる國土に於て社會主義が唱導せら
るゝに當りては特別に解釋せざるべからざる奇怪の或者が殘る。即ち所謂『國體論』と稱せらるゝ所のものにし
 社會主義と『國體論』と云ふ羅馬法王
て、−−社會主義は國體に牴觸するや否や−−と云ふ恐るべき問題なり。是れ敢て社會主義
のみに限らず、如何なる新思想の入り來る時にも必ず常に審問さるゝ所にして、此の『國體
論』と云ふ罹馬法王の忌諱に觸るゝことは即ち其の思想が絞殺さるゝ宣告なり。政論家も是れあるが爲めに其の自
由なる舌を縛せられて専政治下の奴隷農奴の如く、是れあるが爲めに新聞記者は醜怪極まる便侫阿諛の幇間的文字
を羅列して恥ぢず。是れあるが爲めに大學教授より小學教師に至るまで凡ての倫理學説と道徳論とを毀傷汚辱し、
是れあるが爲めに基督教も佛教も各々堕落して偶像教となり以て交々他を國體に危險なりとして誹謗し排撃す。斯
くの如くなれば今日社會主義が學者と政府とよりして國體に牴觸すとして迫害さるゝは固より事の當然なるべしと
雖も、只歎ずべきは社會主義者ともあらんものが此の羅馬法王の面前に立ちて厳格なる答辯を爲さゞることなり。
少くも國體に牴觸すと考ふるならば公言の危きを避くるに沈默の途あり、然るに辯を巧みにして牴觸せずと云ひ、
甚しきは一致すと論じて逃るゝが如きは日本に於てのみ見らるべき不面目なり。特に彼の國豪社會主義を唱導すと
云ふ者の如きに至りては、却て此の『國體論』の上に社會主義を築かんとするが如きの醜態、誠に以て社會主義の
暗殺者なりとすべし。吾人は純正社會主義の名に於て、永久に斯く主張せんとずる者なり−−肉體の作らるゝよりも
 社會主豪の唯物的方面よりも良心の獨立の急務
先きに精神が吹き込まれざるべからず。歐米の社會主義者に取りては第一革命を卒へて
經濟的懸隔に對する打破が當面の任務なり、未だ工業革命を歩みつゝある日本の社會主
義にとりては然かく懸隔の甚しからざる經濟的方面よりも妄想の驅逐によりて良心を獨立ならしむることが焦眉の
急務なり。否、單に國民としても現今の國體と政體とを明らかに解得することは社會主義を實際問題として唱導す
る時に殊に重大事なり。『國體論』といふ脅迫の下に犬の如く匍匐して如何に土地資本の公有を鳴號するも、斯る唯
物的妄動のみにては社會主義は靈魂の去れる腐屍骸骨なりと。
 而しながら今日に於ては。南都の僧兵が神輿を奉じて押し寄せたる如く、『國體論』の背後に陰れて迫善の刃を
揮ひ讒誣の矢を放つことは政府の卑劣なる者と怯懦なる學者の唯一の兵學として執りつゝある手段なり。而して往
年山僧の神輿に對して警固の武士が叩頭禮拜して慰諭せる如く、『國體論』の神輿を望みては如何なる主義も學説
も只囘避を事とするの状態なり。然れば今、吾人が此の神輿の前に身を挺して一矢を番へんとする者、或は以て冒
險なりとすべし。而しながら吾人は平安に此の任務に服せんとする者なり。何となれば僧兵の神輿中に未だ嘗て神
罰を加ふべき眞の神の在りしことなきが如く、『國體論』の神輿中に安置して、觸るゝものは不敬漢なりと聲言せら
 國體論中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非らず
れつゝあるは、實は天皇に非らずして彼等山僧等の迷信によりて恣に作りし土偶
なればなり。即ち、今日の憲法國の大日本天皇陛下に非らずして、國家の本質及
び法理に對する無智と、神道的迷信と、奴隷道徳と、顛倒せる虚妄の歴史解釋とを以て捏造せる土人部落の土偶な
るなればなり。土人部落の土偶は假令社會主義の前面に敵として横わるとも又陣營の後へに轉がり來るとも、社會
主義の世界と運動とには不用にして天皇は外に在り。土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋の土人部落中亦
之を爭奪して各々利する所あらんとするものありとも、社會主義は只眞理の下に大踏歩して進めば足る。−−思想
の獨立の前に何の羅馬法王あらんや。
 吾人は始めに本編の斷案として世の所謂『國體論』とは決して今日の國體に非らず、又過去の日本民族の歴史に
ても非らず、明かに今日の國體を破壞する『復古的革命主義』なりと命名し置く。吾人は古來の定論たる斯る輿論
の前に逆行して立つを危險なりと信ずるが故に迫害を避けんが爲の方便として恣なる作造を爲すに非らず。日本民
 國體其者日本歴史其者の爲めに復古的革命主義を打接す
族の歴史と現今の國體とは實に一歩も『國體論』の存在を許容せざればなり。嗚呼
國家大革命以後三十有九年、今日微少なる吾人の如きをして所謂國體論を打破せし
むるの餘儀なきに至れる者抑々何の由る所ぞ。吾人は一社會主義者として云ふに非らず、世界何の所に於ても學術
の神聖を汚辱する斯くの如く甚しき者あらざればなり。實に學術の神聖の爲めなり、決して社會主義の爲めに非ら
ず。否! 國體其者の爲めなり! 日本歴史其者の爲めなり!
 
 先づ現今の國體を論ず。
 現今の國體を論ず
而して主權の所在によりて國體を分つと云ふ一般の學者に從ひて、國家が主權の本體なりや天
皇が主權の本體なりやと云ふ國家學及び憲法々理の説明を爲さゞるべからず。
 眞理は凡ての者の上に眞理なり。社會主義は單に經濟學倫理學社會學歴史學哲學の上に眞理なるのみならず、法
 社會主義の法理學は國家主義なり
律學の上に於ても亦眞理なり。即ち、地理的に限定せられたる社會、即ち國家に主權の存する
事を主張する者なり。−−即ち社會主義の法理學は國家主義なり。故に個人主義時代の法理學
に基きて君主々義と云ひ民主々義と云ふことは明かに誤謬なり。從來の如き意味に於て君主々義と云へば利uの歸
 君主々義或は民主々義の主權所在論と個人主義の誤謬
屬する所が君主なるを原則とし、民主々義と云へば國民が終局目的なるを論據とす。
而して各々利uの歸屬する所、目的の存する所に權利が存すと云ふ根本思想に於て個
人主義なり。社會主義−−法理的に云へば國家主義は國家が目的にして利uの歸屬する權利の主體たりと云ふ思想
にして主權は國家に在りと論ずる者なり。個人主義を持して今の社會的團結を見るならば、其の原殆に於ては個々
に結合せずして存在せしとの臆測なるが故に當然に契約説によりて説明するの外なく、而して契約説の誤謬にして
人類は原始時代より社會的存在なる事は生物學の事實なるを以て、主権の所在の意味に於て君主々義或は民主々義
を論爭することは理由なき事なり。故に君主々義或は民主々義を個人主義時代の法理學に基きて唱ふるならば、此
 今日に於て個人主義の主權論を唱ふるは前提の契約説を捨てゝ結論を爭ふことゝなる
の社會國家を個人の自由獨立の爲めに(即ち個人の目的と利uの爲め
に)組織されたる者と斷じ、其の組織さるゝ以前に於ては國民各自に主
權が(ルーソーならば平和にホッブスならば各人の各人に對する鬪爭をなして)存在したりと想像したる者なるを
以て、組織前に各自に存在すと假定せる主權が組織後に於て何者に存するかを問題とする者なり。而して其の組織
の方法は當時の思想に於て契約説より外なく、從て契約説が棄却されたる今日に於ては個人主義の主權所在論は前
提を棄てゝ其の結論を爭ふ無意義の者となる。固より國體論が幕末に於て大なる意義ありしが如く、契約説は一た
び一切議論の基礎なりき。佛蘭西革命に至るまでに於ては、今日の如く平等の法律の下に生ぜる階級に非らずして
 契約課の意義ありし階級國家時代
法律其の者よりしての階級國家なりしが爲めに、議會の如きも各階級各々異なれる決議に於て
其れ自體の目的と利uとを持して對立し、決して今日の如き一國家としての法律にあらず、各
階級の契約による一の条約的性質の者なりき。故に契約説は個人主義の思想に執られて之を國家の起原社會の原始
にまで及ぼしては根據なき臆説に過ぎずと雖も、其當時の國家の説明、法律の解釋としては避く可らざる唯一の歸
結にして又この假説なくしては一切の社會現象は解釋す可らざる者なりき。今日は然らず、假令資本家發達の爲め
に國家の機關は一階級に獨占せられ社會の階級は大割裂を隔てゝ相對するに至りしと雖も、そは經濟學の取扱ふべ
き所にして法律學の立脚點よりしては日本國は疑ひもなく一國家なり。又假令藩閥が天皇を擁して自己の階級に利
uある法律を制定し議會は全く資本家の手足となりて其の階級の目的によりて法律に協賛すとも、その一たび法律
となる以上は法律學ほ事状を顧みず階級を超越したる日本國の法律として見るべきは當然也。故に中世の契約説時
 天皇と國民とは權利義務の契約的對立に非らず
代の憲法は、君主と貴族、或は國民との条約的性質を有したるも、今日の憲法は決して
契約に非ずして君主と國民とは憲法の訂結を以て權利義務の關係に於て相對立する二個
の階級にあらず。君主の行動の制限さるゝは國民の權利の前に自家を抑制せざるべからざる義務の爲めにあらずし
て、國民の義務を負擔せしめらるゝは君主の要求の下に君主の權利を充さんが爲めにあらず。即ち、國民の負擔す
る義務は國家の要求する權利にして、君主の主張する權利は國家の負擔する義務なり。日本國民と日本天皇とは權
利義務の条約を以て對立する二つの階級にあらず、其の權利義務は此の二つの階級が其の条約によりて直接に負擔
し要求し得る權利義務に非らず。約言すれば日本天皇と日本國民との有する權利義務は各自直接に對立する權利義
務にあらずして大日本帝國に對する権利義務なり。例せば日本國民が天皇の政權を無視す可からざる義務あるは天
皇の直接に國民に要求し得べき權利にあらずして、要求の權利は國家が有し國民は國家の前に義務を負ふなり。日
本天皇が議會の意志を外にして法律命令を發する能はぎる義務あるは國民の直接に天皇に要求し得べき權利あるが
爲めにあらず、要求の權利ある者は國家にして天皇は國家より義務を負ふなり。−−是れ中世の階級國家と近代の
 中世の階級國家と近代の公民國家
公民國家との分るゝ點なり。(階級國家の中世史に付ては後の歴史解釋を見よ)。固より今日に
於ても法律其者の上より、君主と云ひ貴族と云ひ一般國民と云ふが如き階級的形跡の者なしと
は云はず。而して其の法律によりて利uの歸屬する所が或る見解(特に政治學上の見解)を以て見れば君主のみ或
は貴族のみに限らるゝ者無しとは云はず。是れ國家とは進化的生物(『生物進化論と社會哲學』に於て個體を定義
したる所を見よ)にして國體と云ひ政體と云ひ其の生物の成長に從ひて進化し、人爲的に進化の過程を截然と區劃
する能はざる者なればなり。而しながら今日の國家を以て中世時代の階級國家と見るべからざる法理學上の根據は
中世の如く君主或は貴族が其れに歸屬すべき利uの主體として存せず、國家の目的の爲めに國家に歸屬すべき利u
として國家の維持する制度たるの點なり。例へば天皇無責任の利uは或る見解を以てすれば歸屬する所天皇なるか
のごとく解せらるべきも、法理學上よりしては國家の目的と利uとの爲めに存する法規なり。又貴族及び或る限ら
れたる者のみ貴族院議員たるべき權利あるは又等しく利uの歸屬する所其等の階級にあるが如く見らるべきも、國
 政權と統治權
家の目的と利uとの爲めに存する法規なりと解することは法理的見解としては避くる能はず。固
より君主と云ひ貴族と云ひ又國民と云ひ、等しく其の地位に應ずる獨立自存の目的を有し其れぞ
れ自己に歸屬する利uを有するを以て固より權利の主體たりと雖も、其の權利とは所謂政權にして、君主に在りて
は重大なる權限を有する皇位に即くの權利たり。貴族に有りてはまた特別なる權限を有する貴族院議員或は其の撰
擧を爲すべき權利たり、國民に取りては多く撰擧の際に重要なる機關たる所の撰擧者の地位に即くの權利なり。而
しながら皇位に即く權利、撰擧者たる権利は決して主權にあらずしで主權を行ふべき地位に對する權利なり。故に
近代の公民國家に於ては如何なる君主専制國と雖も又直接立法を有するほどの民主國と雖も、其の君主及び國民は
決しで主権の本體に非らず、主権の本體は國家にして國家の獨立自存の目的の爲めに國家の主權を或は君主或は國
 國家主權の法理
民が行使するなり。從て君主及び國民の權利義務は階級國家に於けるが如ぐ直接の契約的對立に
あらずして國家に對する權利義務なり。果して然らば權利義務の歸屬する主禮として國家が法律
上の人格なることは當然の歸納なるべく、此の人格の生存進化の目的の爲めに君主と國民とが國家の機關たること
は亦當然の論理的演繹なり。
 故に階級國家時代の契約説と個人主義の假定とを維持する者に非らざるよりは、現今の憲法を解して君主と國民
とが權利義務に於て對立する者となし、君主或は國民を主權の本體と斷ずるの理由無し。
 
 國體の進化的分類
 而しながら國家は始めより社會的團結に於て存在し其の團體員は原始的無意識に於て國家の目
的の下に眠りしと雖も(『生物進化論と社會哲學』に於て原人時代を論じたる所を見よ)。其の社
會的團結は進化の過程に於て中世に至るまで、土地と共に君主の所有物となりて茲に國家は法律上の物格となるに
至れり。即ち國家は國家自身の目的と利uとの爲めにする主權體とならずして、君主の利uと目的との爲めに結婚
相續讓與の如き所有物としての處分に服従したる物格なりき。即ち此の時代に於ては君主が自己の目的と利uとの
爲めに國家を統治せしを以て目的の存する所利uの歸屬する所が権利の主體として君主は主權の本體たり、而して
 君主が國家を所有せる家長國と君主が國家に包含されたる公民國家
国家は統治の客體たりしなり。此の國家の物格なりし時代を『家長國』と云ふ名
を以て中世までの國體とすべし。今日は民主國と云ひ君主國と云ふも決して中世
の如く君主の所有物として國土及び國民を相續贈與し若しくは恣に殺傷し得べきに非らず、君主をも國家の一員と
して包含せるを以て法律上の人格なることは論なく、從て君主は中世の如く國家の外に立ちて國家を所有する家長
にあらず國家の一員として機關たることは明かなり。即ち原始的無意識の如くならず、國家が明確なる意識に於て
國家自身の目的と利uとの爲めに統治するに至りし者にして、目的の存する所利uの歸屬する所として國家が主權
の本體となりしなり。此れを『公民國家』と名けて現今の國體とすべし。
 斯く國體を進化的に分類せず、國家が人格なるか物格なるかに論點を定めざるが故に今の君主々權論者も國家主
權論者も無數の矛盾撞着の上に立ちて意味なき爭論を繰り返へすに過ぎず。元來彼等は法律學の研究方法に於て根
 法律學の動學的研究
本より誤まる。國體と云ひ政體と云ひ決してアリストーツルの統治者の數と云ふが如き形式的數
字に多少の補綴を爲して解せらるべき者にあらず。今日の法律學は希臘古代の如く靜學的に思辨
に耽るべき者にあらずして、國體及び政體は進化的過程の者として、即ち歴史的進行の社會現象として動學的に研
究すべき者なり。若し今の憲法學者にして此の態度あらば今日の進化の程度に在る獨乙帝國の統治權が聯邦各國に
在りや又帝國にありやと云ふが如き論爭も起らざるべく、英國を以て君主政體なりや民主政體なりやと云ふ議論も
無かるべく、特に今日大多數の立憲君主國と名けらるゝ者につきて−−君主々權論者も國家主權論者も共に陷れる
如き實に由々しき誤謬も存在せざるべきなり。法律現象を動學的に研究せず國體或は政體を進化的に考へざるなら
ば、古代の國體及び政體、中世の國體及び政體は全く法律學の研究外に逸出すべく、從て其の進化を繼承せる現今
 今の學者が國體及び政體の分類に無uなる論爭をなすは進化的研究なきが故なり
の國體及び政體を説明する能はざることゝなる。『國體論』と云ふ迷信を
有する日本の如きは此の爲めなり。故に彼等の解釋は其の無數に異なれ
るに係らず、日本國につきて進化的考察なきが爲めに今日の國體と政體とを説明する能はざるに至りては共に一な
り。國家學の原理によりて國家を進化的に見よ。今日の國體と政體とは明かに解せらるべく、紛々たる學者の分類
が何の價値だも無きことを發見すべし。故に法學博士穗積八束氏の如きは此の點を解せざるが爲めに終に匙を投じ
て國體も政體も分類的に取扱ふべからざる者なるかの如く云ふに至る。大學筆記に曰く『國體は歴史の結果にして
各国一ならず、故に一般普通の國體と云ふことなし、また豫じめ學者が國體の種類を列擧しづくすことを得ず。過
去及び將來に於て主權の所在は歴史の結果として種々なる變動あり得べきなり。故に余は國體を説くは或る特定の
國、時代を論ずる者にして一般に且つ抽象的に國體分類を列擧すること能はずと信ずる者なり。我が憲法を説くに
當り我國の歴史によりて定められたる國體を説くの外直し』。
 固より穗積八束氏の如きが假令歴史によりて國體を定むと云ふとも其の動學的研究に非らざるは論なく、単に萬
國無比の歴史なるが故に萬國無比の國體なりと論ぜんが爲めに過ぎず。而して其の所謂『特定の國』と云ふことの
特別なる日本國を指せしものなりとするも、其の所謂『特定の時代』につきては彼より何者も聞けることあらず。
偶々『國家統治の主權は萬世一系の皇位に在りて變ることなかりしは我國體なり』と云ふかと思へば忽ち『維新革
 穗積八束氏よ有賀長雄氏
命は主権を囘復せる者なり』と論ずる如き何の據る所あるやを解する能はず。故に斯る歴史的智
識の全く缺けたる者よりして、其の所謂歴史によりて定まると云ふ我が國體の動學的説明を期待
せざるべし。只誠に奇怪なるは天下の歴史家を以て認識せられつゝある君主々權論者の一人法學博士有賀長雄氏が
等しく進化的研究なきことなり。有賀博士は穗積博士と等しく君主々權論者の權威にして、等しく主權の所在は歴
史によりて定まると主張する者なり。而して主張に背かず其の著『國法學』の如きは緒論として日本の國民對皇室
の歴史的敍述に少なからざる頁を費やしつゝあり。吾人は主權の所在は歴史によりて定まることを信じ、國家主權
論の基礎は全く日本歴史に求めざるべからざることを信じ、國體及び政體は只動學的研究によりてのみ解せらるべ
きことを信ずる者なり。而して有賀博士が歴史家の意義を以て『日本國民を悉く天照大神の子孫なりとし此の事實
のみを以て日本國民に對する天皇主權の基礎となすは歴史を考へざる俗論なり』と喝破し、穗積博士の如き君主々
權論者は博士の前には誠に價値なき者となれる如きを見て、『國法學』が君主々權論に有力なる歴史的根據を與ふ
べき者なるを期待したり。恐らくは博士も期したるべし。而し乍ら今日の意味に於ける統治權と云ひ統治と云ひ天
 『國法學』は歴史的研究にあらずして逆進なり
皇と云ふ文字を二千五百年間同一不異の者と考へ、却て歴史的進行に反して逆進して論
じ昇れるを見て、吾人は實に日本國中未だ一人の國家の進化的研究をなす者なしと斷言
せざるを得ず。固より吾人と雖も最古の歴史的記録たる古事記日本紀の重要なる經典たる事は決して否まず。而し
ながら有賀博士の如く神武紀元後十四世紀後なりと云ふ其等によりて、而も『夫の豐葦原の瑞穂國は我が子孫の王
たるべき地なり、爾皇孫就きて治らせ、寶祚の隆えまさんこと天壌と共に極まりなかるべし』の僅少なる一言を論據
として一學説の根本思想となすは明かに不謹慎極まる獨斷論なり。斯る十四世紀後の支那文字にて『王』と云ひ
『治らす』と書かれたりとも、其の文字の形態發音の似たるが爲に今日の『統治權』に當て嵌めて十四世紀前の太
古と十世紀後の今日とを一繩に結び付け得るや。古事記日本紀に至るまでの十四世紀間に渉る長き間は−−少くも
外國文明に接觸するまでの十世紀間は全く文字なく前言往行存して忘れず繩を結びて事を記したりと稱せらるゝ程
の原始的生活時代なりしぞ。之を假定して下の如く考へよ。若し今日以後十世紀間文字なく、火星との交通により
 有賀博士は治らすの文字の形態發音によりて今日の統治關係を太古に逆進す
て火星の文字を以て十四世紀後に明治歴史が書かれたりとせよ。十四世紀後
の火星の文字の古事記日本紀に表はれたる火星の『王』『治らす』と云ふ文
字を以て明治の統治關係を説明するを得べしと思ふや。今日の吾人が假りに繩を結びて記録とし、其の繩が十世紀
間腐朽せざるほどの金屬なりとするも、又吾人の頭腦が驚くべく進化して十世紀間の前言往行が言語によりて祖父
の口より孫の耳に傅へられて誤りなしとするも、火星の文字は火星の思想を表はし、十四世紀後の進化せる國民は
十四世紀後の思想を以て火星の文字を使用すべし。然らば、有賀博士が、王と云ふ文字が國王の王に似、治らすと
云ふ文字が統治の治に似たるが爲に、斯る文字なき時代の太古と其文字の用ひられたる支那文明の輸入時代と、更
に歐州文明の今日に使用さるゝ全く異なれる統治權の思想とを變遷進化なき者と獨斷して、今日の統治關係を以て
原始的生活時代の文字なき數千年前まで逆進して憚らずとは巳に歴史家の資格に於て皆無なるを知るべし。吾人は
 文字なき一千年間は天皇と呼ばれず
斷言す−−王と云ひ治らすと云ふ文字は支那より輸入せられたる文字と思想とにして原始的生
活時代の一千年間は音表文字なりや象形文字なりや將た全く文字なかりしや明らかならざるを
以て神武天皇が今日の文字と思想に於て『天皇』と呼ばれざることだけは明白にして、其の國民に對する権利も今
日の天皇の權利或は權限を以て推及すべからざる者なりと(吾人は文字無き一千年間の原始的生活時代は政治史よ
り除外すべきを主張する者なり、彼の歴史解釋を見よ)。
 斯く文字の形態發音に於て同一ならば内容も古今異らずとの歴史家なるが故に、家長として土地人民を所有せし
 古代の天皇の權利と今日の天皇の權限
時代の天皇の權利を無視し、雄略が其の臣下の妻を自己所有の權利に於て奪ひし如き、武烈
が其の所有の經濟物たる人民を恣に殺戮せし如き、後白河が其の所有の土地を一たび與へた
る武士より奢ひ其寵妾に與へし如き、斯る所有權の主張を今日的天皇の權利を以て逆進して論じ、以て或は暴逆無
道なりと云ひ不仁違法なりと云ふにいたるなり。當時の天皇は今日と全く意義を異にせる國家の所有者と云ふ意義
にして、人民は人格にあらず國土と共に天皇の『大郷寶』として經濟物なりしなり。而して斯る歴史家の或者は當時
の天皇の權利を認識して斯る逆進的批判を爲さゞることありと雖も、而も却て當時の天皇の權利を以て今日の天皇
に粘着的に論下し、尚國土及び人民を自由に與奪し殺活するを得べき家長なるかの如く云ふ。今日の天皇は當時と
全く意義を異にせる國家の特權ある一分子と云ふことにじて、外國の君主との結婚によりて國家を割讓する能はず
國家を二三皇子に分割する能はず、國民の所有權を横奪して侵害する能はず、國民の生命を『大御寶』として毀傷
破壞する能はず、實に國家に對してのみ權利義務を有する國民は天皇の白刃に對して國家より受くべき救濟と正當
防衛權を有するなり。即ち等しく天皇の形態と發音とあるも、今日の天皇は國家の特權ある一分子として國家の目
的と利uとの下に活動する國家機關の一なり。更に詳はしく云へば、維新に至るまでの天皇は維新後の天皇の如く
日本帝國の統治機關にあらずして、理想に於てのみ之を以て自ら任じたりしと雖も、法律上の事實に於ては其の所
有の人民を物格として所分するを得たる家長君主なりき。故に天皇の最も強大なりし時は日本全國に及びて(例へ
ば藤原氏に至るまでの如し)、其の微弱なるときは其の勢力範圍の内に於て(例へば頼朝以後の如し)、其の所有せ
る國土及び人民は天皇の目的と利uとの下に存在し、天皇は目的の存する所利uの歸屬する所として統治權の主體
なりき。(後の歴史解釋を見よ)。−−實に日本の國體は數千年間同一に非らず、日本の天皇は古今不變の者にあら
 國體は地理的よりも寧ろ時代的に異なる
ざるなり。然るに中世の家長國時代に於て、當然の權利として主張せしルヰ十四世の朕即ち
國家なりとの言を『我が國體に於ては』との前置の下に西洋に於ては不當なるも我國體に於
ては不當ならずとして今日の國體に於て唱へんとする者のありとは何たる事ぞ。ルヰ十四世の言は西洋に於ても當
時の國體に於ては不當にあらず。我國體に於ても中世迄は不當にあらず。而しながら之を今日の國體に於て唱ふる
ならば其西洋なると日本なるとを問はず、單に不當なるのみならず明かに國家に對する叛逆なり。−−彼等は國體
とは横に異なるのみならず縦に異なる事を知らざるか。彼等は數十日にして達すべき外國と日本とが天地の別ある
國體なりと論ずるならば、當然の推論として數千年間を隔てたる昔と今とが國體に於て全く同一不變なりと考ふる
の根據なきに至る事を心附かざるか。彼等は等しく天皇と云ひ皇帝と云ふも、露西亞の天皇と土耳古の天皇と自耳
義の天皇との異なれることを知れるならば、又等しく天皇と云ふも神武天皇と後醍醐天皇と明治天皇との全く内容
 天皇の文字の内容の地理的時代的相異
を異にせる者なるべきに考へ及ばざるか。彼等は文字の發音が類似すればミゼレブルと云ふ
英語の悲惨もミゾレフルと云ふ日本語の霙降るも、ソージャと云ふ兵士も然うぢやと云ふ合
點も同一なる意義にして、文字の形態が同一ならば鎌倉時代の主従関係を意味する臣僕も、今日の君僕失敬の臣僕
も決して相違なき意義の者にして、友人間の無作法も恐くは失敬罪重禁錮五ケ年に値すと考ふる者なるに似たり。
 由來、法律學に於ては文字の内容を決定するを以て最も重大なる任務となす者なり。他の自然科學等に於ては酸
 法律學は文字の内容を決定するを以て重大なる任務とす
素水素と云ひ胃心臓と云ひ文字其者が地理的に又時代的に變化する者にあらざるが
故に、術語の内容を決定することを以て研究の焦點とする社會的諸科學とは大に異
なる。特に社會諸科學の中に於ても法律學に於ては、其の社會の進化し其の社會現象の異なるに係らず依然たる同
一の形態發音の文字を繼承して使用する者なるを以て、文宇の内容を定むること其事が殆んど終局目的なり。法律
の歴史的研究者によりては殊の外に此の點に於て嚴肅なるを要す。果して然らば『天皇』と云ふ語の内容が數千年
 歴史によりて憲法を論ずと云ふ穗積博士と有賀博士の僣越
の長き間に於て變遷限りなかりしことを忘却しては、其の如何に歴史によりて憲法
を論ずと云ふとも誠に僣越を極めたる標榜たるに過ぎざるを知るべし。−−故に穗
積博士は現今の天皇を以て土地人民を所有せる時代の天皇の如く解し、有賀博士は文字なき時代の神武天皇を以て
或時代の統治權を所有權として有する天皇と考ふるに至れるなり。
 國家の進化的分類と云ふ吾人の主張は茲に存す。
 
 而しながら今の憲法學者と雖も西洋諸國の國家を歴史的進化に從ひて時代的に分類せざるにはあらず。只、我が
日本國を論ずるに於てのみ常に古今の差別を無視して『我が國體に於ては』と云ふ特殊の前置きを以て憲法論の諸
論より結論迄を一貫すとは抑々何の理由に基くぞ。−−『萬世一系の皇統』と云ふことのあればなり。日本國民は此
 我が国體に於てと云ふ循環論法
の萬世一系の皇統と云ふことのあるが爲めに西洋諸國に於ては國體及び政體は歴史の進化に從ひ
て進化せるも、日本民族のみ進化律の外に結跏跌坐して少しも進化せざる者なりと考へつゝある
なり。故に日本の憲法學者に於てほ、國體を憲法論に於て論ずるは我が國體は如何なる國體か、即ち主權は何處に
所在するかを決定せんが爲めなりと云ふに其の解釋としては常に必ず、萬世一系の我國體に於ては主權は天皇に在
りと一貫す。是れ少しも解釋に非らず、萬世一系の天皇に主權が所在するが故に主權は天皇に生りと云ふものなり。
 目本國民は萬世一系の一語に頭蓋骨を毆打されて悉く白痴となる
甲が年齡を問はれたるに乙と同じと答へ、更に乙を問はれて甲と同じと答ふる問
答の循環なり。笑ふべきは法律學者のみに非らず、倫理學者にても哲學者にても、
其の頭蓋骨を横ざまに萬世一系の一語に撃たれて悉く白痴となる。日本に於て國家の進化的分類なきは此の故なり。
 萬世一系の皇統につきては後の歴史論に於て明瞭に説かん。只茲には憲法學に於て此の萬世一系の一語を一切演
繹の基礎となす穗積八束氏を指定すれば足れり、博士の頭腦は此の語の打撲によりて憐むべき白痴となり、憲怯に
 徹頭より徹尾までを矛盾せる白痴の穗積博士
係はる凡ての事が連絡もなく組織もなく、自ら述べて自ら打ち消し前きに主張して後に打
破し、忽ち高天が原に躍り上りて神集ひの神道論をなし直ちに顛落して神話の科學的研究
者となる。特に甚しきに至りては主權本質論に於て全く君主々權論者の地位を棄てゝ國家主權論者に一變し、其の
歴史論と見らるべき言に於ても或は天皇主權論を唱ふる如く或は幕府主權論を唱ふる如し。本編は博士が國體論の
首領的代辯者なるが故に最も多く議論を及ぼしたる者なり。或に吾人は博士を能ふだけ精密に研究すべき必要のた
めに、其の世に出したるだけの著書も見、諸雜誌に掲げられたる殆んど凡ての論説も見、年々歳々花相似たる大學
及び他の私立大學の講義筆記をも見たり。而しながら矛盾撞着せる言語の羅列の中より一貫せる思想を見出す事の
不能なるは論なく、萬世一系の一語に打撲せられたる頭腦よりしては如何なる精神病醫も意味を取る能はざるべき
なり。否、博士は實に國家の觀念に於て國家主權論の國家觀を執る。
 此の點は敢て穗積博士のみに限らず。凡ての君主々權論者は誠に其の國家の定義に於て近代國家の者を窃取して
恬として氣附かざる者なり。穗積博士及び凡ての君主々權論者は其の憲法學を組織するに『統治の主體』と『統治
 君主々權論を取るならばザイデルの如く國家を中世の土地人民の二要素の客體とせよ
の客體』とに分つ。而して統治の主體を天皇とし、統治の客體を國土及
び人民と爲す者なり。若し彼等にして吾人が前きに中世の國家とは國土
及び人民にして君主の目的と利uとの爲に存する物格なりしと云ひし如く、即ち君主々權論者のザイデルの如く國
家とは國土及び人民の二要素にして天皇は國家の外に在りて國家を統治する者なりと云ふならば、憲法第一條の
『大日本帝國は萬世一系の天皇これを統治す』とある大日本帝國とは國土及び人民の二要素にして中世時代の物格
の國家なり。君主主權論を取り、統治の主體と統治の客體とに分つならば、統治さるべき所の大日本帝國なる者は
中世時代の二要素なる國家ならざるべからず。然るに穗積博士及び今の凡ての者主々權論者は全く近代思想の國家
觀を執りて却てザイデルを排す。穗積博士は曰く、國家とは一定の土地に住する人類社會にして統治者と人民とに
よりて組織されたる者なりと、曰く國家とは主觀的に見れば統治権の主體なりと。
 實に、國家を主權的に見れば統治權の主體なりとは是れ國家が統治の主體なることを主張する國家主權論の思想
に非らずや。國家とは統治者と人民と土地との三要素なりとの思想は、君主が國家を所有物として贈與し相續せし
中世時代には無き國家觀念にして國家主權の近代國家にあらずや。何となれば三要素ある國家ならば君主其者をも
 凡ての君主々權論者の國家觀は近代の主權體たるを表はす國家主權論者の者なり
包含せるを以て君主が國家を贈與し相續することは自己其者をも同時に贈
與し相續すと云ふ意義なきことゝなるべく、中世時代の君主が國家の所有
者たる思想に於て『朕の國家』と呼ぶときは其の國家とは二要素の者なりしを以てなり。即ち中世に於ては君主を
法理上國家の外に置きて國家を統治する主體となし、國家は其れによりて統治さるゝ客體たりしに反し、博士等の
執れる近代思想に於ては君主を國家の一要素として、即ち國家を組織する一員として國家の内に包含する者なり。
國家の外に在りては國家を所有するを得べく、又國家を統治するを得べく、從て國家は君主の所有物たり統治の客
體たりき。國家の内に在るならば國家を所有する能はず、包含されたる一分子は其の分子を包含する所の國家に對
して所有權を主張し得べき統治の主體たる能はず。故に統治の主體と統治の客體とに分ちて君主々權論を主張する
ならば、第一條の大日本帝國を中世時代の物格たる二要素の國土及び人民とすべく、然るに國家を人格となし統治
權の本體となすならば第一條の大日本帝國は三要素ある主權の本體にして下の如く解せざるべからず。曰く、統治
權の本體たる近代國家め大日本帝國は其の統治權を萬世一系の天皇によりて行使すと。
 加之。天皇を統治の主體となしながら大日本帝國を三要素ある近代國家となすならば第一條は添削されて、一國
家にあらざる大日本の國土及び人民は萬世一系の天皇之を統治すと書き替へられざるべからず。何となれば三要素
ある近代思想の國家觀を取るを以て、是れ大日本帝國中に博士等の所謂統治者たる所の天皇をも包含せるやのにし
 君主々權論者は國家觀を中世の者に改むるか憲法第一條の大日本帝國を國家に非らざる國土人民のみと添割するか
て、之を主體と客體とに分ち天皇を統治の主體となすは此
れ一要素を國家の外に置くものにして憲法の明示したる大
日本帝國とは一國家にあらず單に國家の二要素たる所の國土及び人民のみとなればなり。即ち國家を以て統治者を
包含せる三要素の者とせば、更に統治者たる天皇が統治者を包含せる大日本帝國を統治すとは解すべからざること
ゝなるべく、憲法第一條の大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治すとある帝國も天皇も共に其の統治すと云ひ統治
せらると云ふに係らず統治の要素を各々有することゝなる。約言すれば穗積博士及び他の凡ての君主々權論者は兩
刀論法に陥れる者なり。即ちゲイデルの定義の如く國家とは土地及び人民の二要素なりといふ中世の國家觀を執る
か、國家を三要素ある近代思想に持して統治の一要素を萬世一系の天皇が持ちて憲法第一條の大日本帝國とは國家
にあらず國土及び人民なりとして添則するか。
 穗積博士の恣なる文字の混用
 而しながら斯る兩刀論法は穗積博士のみに對してほ効果なき者なり。何となれば博士が主觀的
に見れば國家とは主權の本體なりと云ふ事は三要素ある國家の大日本帝國を云ふ者に非らずして、
其の所謂一要素の在る所天皇を指せる者なればなり。即ち憲法第一條の大日本帝國と明示されたる國家を統治權
の本體とせずして、萬世一系の天皇を統治權の本髏なりとし從て天皇を國家なりと命名しつゝある者なればなり。
而しながら斯る混亂せる文字の使用は思想を秩序正しく排列する方法なりと云ふ定義の目的に反するのみならず、
思想の根底より混亂せしむることに於て徒らに法律學を攪亂するに過ぎず。近代國家の産物たる憲法に於て帝國と
あらば博士等の定義する如く三要素ある近代思想の一國家なるべく、萬世一系の天皇とあらば又等しく斷絶せざる
皇統の天皇たるべし。然るに博士の如く、國家主權論の国家觀たる國家とは主權的に見れば統治權の主體なりとな
し、從て其の主體たる天皇を恣に國家なりと命名するならば、日露戰爭は國家の戰爭にあらずして天皇一人の戰爭
となり六萬の死者を出したる者は萬世一系の天皇なりと論ぜざるべからず。斯る方法に於て文字を使用するが故に
今の國家主權論者も博士を上智の移らざる者として優遇するの外なきなり。吾人が今日國家と云ふ思想を各々の國
語によりて口より耳に送る時、其思想は必ず一定の領土の上に政治的團結を爲せる人類社會なりと云ふ近代思想の
國家觀なるは論なく、然るを況んや國家と云ふ時に亞米利加入が議會を思ひ出し、佛蘭西人が選擧人を考へ浮べざ
る如く、吾人が大日本帝國と云ふときに博士の如く皇位若しくは天皇を想起するが如き事あらんや。若し博士の如
く皇位即ち國家なりと云はゞ、或は高御倉なる者の上に田畠あり牛馬あるべく人民も往來すべく種々の建築物もあ
 皇位或は天皇を國家なりと命名することの結果
るべく、而して伊太利の皇位は長靴の如く、日本の皇位は一千哩に渉る蛟龍の如しと考
ふる小學校生徒も無きに非らざるべし。又若し博士の如く天皇即ち國家なりと云はゞ、
國家に美男子もあるべく頗る長芋に似たる面相もありと云ふべく、国家が鼻を垂らし居る時代もあるべく頭が追々
禿げる國家もありと云ふに至るべし。獨乙の國家は愚を極めたる鬚を有して驕慢に滿てる演説をなし、英國の國家
は一婦女子と婚して接吻することあり。君主が傷くときには國家が痛しと呼び、君主が散歩するときには國家は散
歩すべく、又君主が他に漫遊するときには國家は地球の上を移動し他の國家と撞突し他の國家の表面を滑べり行く
べし。而して彼の治療の時に其の足を斷つや國家ほ今その足を失ふと云ひしフレデリック三世の言は穗積博士の憲
法學に於て引用を忘るべからざる權威たるべく、特に權威中の權戚たる朕即ち國家なりと云へるルヰ十四世の言を
證明せんが爲めに博士は羅典語の古書より博引傍證してルヰ十四世の森蘭丸が國家の脱糞に侍りて國家の放屁を數
 穗積博士は主観的に見たる國家を移して客觀的に見たる天皇と等しと云ふ惑亂なり
へたる效によりて匕首を賜はりたりと云ふが如き事實を指示せざるべか
らず。醫學者が胃を主觀的に見れば心臓と云ひ客觀的に見れば膀胱と名
くとしては解すべからざる如く、主観的と云ひ容觀的と云ふことは博士の如く全く異なりたる者に使用さるべきに
非らず。主觀的に見たる國家を移して客觀的に見たる天皇と等しとは何たる惑亂ぞ。−−國家を主觀的に見れば統
治権の主體なりとの言は國家の主權體なることを主觀的に指示したる國家主權論にして、客觀的の天皇を主歡の本
體なりと主張する君主々權論者に取られて天皇を國家なりと命名せしめんが爲めの語に非らざるなり。
 而しながら穗積博士の本來は主権の本體を以て皇位なりとせる者なり。而して凡ての國家主權論者及び君主々權
論者の或者−−例へば京都帝國大學教授法學博士井上密氏の如き−−によりて皇位とは國家の制度たることを充分
に打破し盡くされて、今日は天皇の肉體其者に統治權の存することを主張しつゝあるが如し。而して此點を國家主
 穗積博士は皇位説を捨てゝ天皇の一身に統治權ありと云ふ
權論者の捉へて、然らば天皇の死と共に國家は滅亡すべしと云ふ駁撃に對して、穗
積博士の答辯は誠に巧妙なり。白く、天皇は死する者にあらず、萬世一系連綿とし
て延長したる天照大神其の者の生命なりと。
 實に、生命の延長と云ふことを科學的意義に於て主張し以て國家主權論者の非難の上に超越したるは誠に巧妙な
る者なり。個體は延長を有して永久に死せず、天照大神の生命は萬世一系永久に死する者にあらず現に今日現在生
きつゝあるなり。(『生物進化論と社會哲學』に於て個體の延長を論じたる所を見よ)。故に吾人は其の所謂天照大
神に博士の所謂主權なる者の存したりしや否やを問はずして、假に今日の天皇の一身に博士の主権なる者の存すと
せば皇統の萬世一系なる間は主權は斷絶せざるべく、從て博士の所謂國家は死する者に非らざることを充分に認識
する者なり。而しながら個體は無限の延長を有すと共に又無數の蕃殖を爲す。是れ博士等にとりては由々しき大事
 生命の延長と云ふ氏の遁路を生命の蕃殖と云ふことを以て追究せよ
にして法皇、上皇、天皇と個體の蕃殖によりて而も悉く生存せる間は各完全なる
統治權の主體が三個存在しで相對立したることなるべく、其の崩ずるや各々其の
肉體を擔ひて墓穴に運び去りしなるべし。而して博士は統治權の主體即ち天皇にして國家なりと云ふを以て當時の
日本國とは三個の國家なりしなるべし。又彼の遠島に流竄せられたる天皇も統治權の主體にして國家なるを以て國
家が謫居に於て死したることゝなり、彼の落髮せる天皇は統治權の主體を法衣に包みて寺院に入り圓頂の大日本帝
國が木魚を叩きて唱名したるべき理なり。−−穗積博士は然りと云はぎるべからず。何となれば博士の所謂生命の
延長と云ふことが皇位説の困難によりて發見せられたる遁路なるを以て、其等の天皇が皇位を去れりと云ふことに
よりて統治權の主體に非らずと論ずる能はぎればなり。而して又天皇の生命が長子によりて延長さるゝか或は第二
第三の皇子等によりて延長さるゝか老少不定なるを以て皇太子のみの生命に統治權が傅はりて他の皇太子に傅はら
ずとしては皇太子の廢位或は早世の時に、統治權を延長されたる生命なくしては統治權の本體なく天皇なく國家な
きに至るを以て凡ての皇子に統治權は肉體の一部として延長されざるべからず。故は景行天皇は七十二人の皇子を
産めりと云ふを以て七十二の統治權の主體あり生命の延長されたる國家あるべく從て其の七十二皇子の地方に土着
して土豪となり群雄となりて興廢し後の封建貴族となりし者は皆天皇の統治權の延長し蕃殖せし者なるべきなり。
−−穗積博士は然りと答へざるべからず。何となれば若し之れを否定するならば皇室以外の者にして、例へば蘇我
稻目の産める敏達の皇后たりし推古天皇の統治權の如きは天皇より延長せられたる生命にあらず稻目の生命の延長
なるを以て蘇我氏の祖先竹内宿彌に生命を延長したる孝元天皇の統治權によりて説明せざるべからざればなり。即
ち、今日以后に於ても直系なき時は傍系を以て繼承するは皇室典範の規定にして、特に今日までの萬世一系とは決
して直系に直下して幅狹きものに非らず、無數の傍系より傍系の間を透遲として辿り來り甚だ幅廣き者なるを以て、
天皇の叔伯にも天皇の甥姪にも、更に其の叔伯の叔伯にも甥姪の甥姪にも、生命と共に統治權は傅はり居るべく、
從て田野に陰れし繼體天皇、源氏に降りし光孝天皇にも統治權が生命と共に延長し蕃殖したる如く、清和の末たる
 天照大神より延長せる統治權とは天照大神より蕃殖せる統治權と云ふことを是認して民主々義に至る
源氏、桓武の末たる平氏は決して博士等の考ふる如く亂臣賊子
に非らず、天皇の生命の延長による正當の統治者なりと論ぜざ
るべからず。終には博士等の所謂天照大神より分れたりと云ふ君臣一家論なる者によりて、四千五百萬人皆悉く天
照大神の生命の死せずして延長せる考なるを以て皆悉く主權の本體なりと論ぜざるべからず。−−是れ民主々義に
あらずや、『同一民族は民主々義に至る』と云ふ者に非らずや。(斯る推理は決して博士を侮弄するが爲めにあらず、
後の歴史解釋に於で系統を辿りて政權覺醒の歴史的に擴張するを論じたる所に對照して見よ)。然れば博士と雖も
然り々々と爲して斯る推論の後へに尾行して民主々義の世界にまで誘はるゝ者に非ざるべく、從て或る所に停立せ
ざるべからず、即ち天照大神の生命の蕃殖し延長したる者の中、特に天皇の位に即きし者のみ統治者なりと云ふこ
となり。而しながら是れ天皇の肉體に統治権ありと云へる主張を捨てゝ先きに逃遁せる皇位に統治權在りとの説に
再び逃げ返れる者、而して皇位説は國家主權論者の駁撃によりて維持すべからざるは博士自身の之を棄却したるに
て知るべし。曰く、皇位とは國家の制度にして此の國家の制度によりて皇位に即き始めて統治權を行使するを得、
此の皇位に即くの權利は又國家の制度によりて或る限られたる系統の者の有する權利にして、皇位に即きて行ふ權
利は國家が國家の目的と利uとの爲めに行ふ國家の權利なり。
 加之、若し穗積博士の如く統治權は天皇の一身に存し個體の延長と云ふことによりて永久に死せずと云ふならば、
敢て萬世一系の我國のみに限らず、三世にて亡びたる者も三世間統治權は生命と共に延長せるものにして、英獨と
 穗積博士の議論は萬世一系の國體に限らず
雖も子孫の斷絶せざる間は皇位が統治の主體にして、天皇即ち國家なるべく終身の力を注
ぎて『萬國無比の國體を論ずるなり』『日本歴史によりて定められたる憲法を論ずるなり』
『比較類推の如きは無要なり』と論ずるの要無かるべきなり。由來、萬世一系の一語の爲めに一切の判斷を誤まり、
日本 國 のみ特殊なる國家學と歴史哲學とによりて支配さるゝと考ふる事が誤謬の根底なり。謂ふまでもなく人
種を異にし民族を別にするは特殊の境遇による特殊の變異にして人種民族を異にせる國民が其れぞれ特殊の政治的
形式を有して進化の程度と方向とを異にせるは論な書ことなりと雖も、恰も鎖國時代の人種民族を異にする者は人
類に非らずと考へたる如く、些少の特殊なる政治的形式によりて日本國のみは他の諸國の如く國體の歴史的進化な
き者の如く思惟するは誠に未開極まる國家觀にして、依然たる尊王攘夷論の口吻を以て憲法の緒論より結論までを
一貫するは誠に恥づべき智識の國民なり。故に凡ての君主々權論者は其の國家觀が社會の進歩に從ひて近代思想の
者なるに係らず、尚且萬世一系の一語あるが爲めに國家主權者の根本思想の上に君主々權論を築き、特に其の代表
的學者たる穗積博士の如きは天皇も皇位も國家も一切を無差別に混同するに至れるなり。博士打憲法第一條を博士
の思想によりて組織し見よ、誠に下の如き奇怪を極めたる者となるべし。曰く、國家に非らざる大日本の國土及び
人民は(然らずんば人格なき國土及び人民の二要素なる中世時代の大日本帝國は)、君主の利uと目的との爲めに
存する私有地と奴隷にして、萬世一系の大日本帝國之を統治す。皇位或は天皇は大日本帝國なりと。
 實に今の凡ての君主々權論者は其の執りつゝある近代思想を棄却して中世の國家觀に改むるか、然らずんば憲法
第一條より添削するかの何れかならざるべからず。
 
 而しながら誤解すべからず。吾人は決して憲法學の學理を法文の文字によりて定むべきものとなして斯るヂレマ
 憲法の文字と學理攻究の自由
を設くるものにあらず。故に今の凡ての君主々權論者にして憲法第一條の大日本帝國とあるを添
削して國家に非らず單に土地と國民のみと改むるとも、固より學者としての自由たるべきなり。
何となれば如何なる憲法も法文の文字其の儘を以ては決して解釋せられ得べきものにあらずして、憲法の解釋とは
其の根本思想と其の表白たる多くの法文とが圓滑に考察さるべく其の法文の文字の意義を決定することに在ればな
り。故に、萬世一系の天皇とあるを穗積博士の之を萬世一系の大日本帝國と解釋することの自由なるが如く、又氏
を除きて今の凡ての憲法學者の『天皇は神聖にして犯すべからず』とある神聖の文字を歴史的襲踏の意味なき者と
して棄却しつゝある如く、吾人は又學理攻究の自由によりて憲法第四條につきて大に論議せざるべからず。即ち天
皇ほ國の元首にして統治權を總攬し此の憲法の條規によりて之を行ふとある條文なり。
 問題は『國の元首』の一語に集まる。若し『國の元首』と云ふ語が神聖の文字の如く單に歴史的襲踏の痕跡なら
ば、學者は注意を拂はずして經過して可なり。何となれば、是れ恰も第一條がF『櫻花爛漫たる大日本帝國ほ叡聖文
武なる萬世一系の天皇之を統治す』と書き表はされたりとも、櫻花爛漫と云ひ叡聖文武と云ふが如きは法律學に取
りては意義なきものにして、櫻花なければ帝國たるの要素に缺け叡聖文武ならざれば皇位に即く資格なしと云ふ性
質の者に非らざるが故に、法律學者としては之を削り去りて考ふるは當然なると同一なるを以てなり。『國の元首』
 『國の元首』の文学に對する凡ての憲法學者の態度
とは斯る意味の者に過ぎざるや、吾人は之を信ずるものなり。然るに今日日本の憲法
學者の凡ては此の一語を思想の中心として議論を組織しつゝあり。穗積博士の如きが
之を執りて權威となすぼ固より、同じき君主々權論者たる井上博士の如きは『國家神識の宿る所なり』として之を
以て日本の國體を定め主權の天皇に存する唯一の論據とす。而して他の國家主權論者なる者と雖も其の國の元首と
云ふが故に國家の最高機關なりと論じ穗積博士と對抗して國家主權論の頭首たる東京帝國大學教授法學博士一木喜
徳郎氏の如きは之を以て政體分類の基礎となし、國家は主權の本體にして日本の政體ほ君主政體なりと論ず。實に
『國の元首』の一語は今の憲法學者に取りては思想の根本たる者なりとすべし。
 而しながら問題は『國の元首』と云ふ語の字義を論爭することに非らずして、一層深く國家に元首ある者なりや否
やを疑はざるべからず。國家に元首ありや、而して其の元首は如何なる者なりや。此の點に於て吾人は井上博士の
國家有機體説を持して議論の基礎となしたるを嘉せざる能はず。吾人は固より國家有機體説を主張する者なり。而
 比喩的國家有機體説は維持すべからぎる比喩の玩弄なり
しながら吾人の今日に於て主張する國家有機體説と、井上博士の執る『國の元首』と
云ふ語の用ひられたる時代の國家有機體説とを同一視することあらば實に亞羅比亞
僧侶の錬金術と十九世紀後の化學とを混同するが如きなり。吾人が『生物進化論と社會哲學』に於て述べたる如く、
國家とは空間を隔てゝ人類を分子とせる大なる個體なり。即ち個體其れ自身の目的を有して生存し進化しつゝある
有機體なり。此の今日に唱へらるゝ眞正なる國家有機體説は、『國の元首』と云ふ文字の用ひられたる時代に於て
は全く發見せられざりし眞理なり。即ち、彼の佛蘭西革命頃まで唱導せられたる偏局的個人主義の歸結として國家
或は社會を人爲的製作物の如く全く機械視したる獨斷に反動して、他の獨斷、即ち單に國家は機械的のものにあら
ずして生命あるものなりと言はんが爲めに國家を一個の生物に比較し以て之を國家有機體説と名けたるに過ぎざる
なり。而して此の比喩は兒戯に等しきまで玩弄せられたり。例へば領土は骨格にして人民は筋肉なりと云ふが如き、
郵便電信は神經系統にして動脈静脈等は鐵道船舶なりと云ふが如き、軍人は爪や牙の如き者にして音樂家演説家は
舌の如き者なりと云ふが如き是れなり。而して此の比喩的國家有機體説の悦ばれたりし者は頭首に比較せられたる
皇帝や政府にして手足に比較せられたる勞働者階級こそ最も不幸なる者なりき。而しながら偏局的個人主義の機械
的國家觀の獨斷なるは固よりなると共に、斯る獨斷的比喩が暫く假令反動たりしとも長く學界に存在すべき者に非
らざるは論無し。實に國家有機體説を今日の眞理に於て唱へず斯る首足胴腹ある一疋の生物と云ふ比喩に執るなら
ば、演説家の軍人となるは舌の一變して爪となることにして、手足の勞働者階級が元首たるルヰ十六世の首を刎ね
 國の元首とは比喩的國家有機體説の痕跡にして國家學説の性質を有す
しが如きは、自らの手にて自らの首を拔き而も却て活溌に生活する奇怪極まる
生物なりと云はざる可らず。外國の無用なる君主等は驕奢を極めたる生活を爲
し一年三千萬圓五千萬弗の王室費を浪費つゝあるが故に、自己の手足を喰ふ所の章魚に比する事は大に當を得たる
べしと雖も、斯くては天皇を章魚坊主なりと推論するに至るべく、井上博士は外國に於て之を主張するを得べきも
日本の法律は許容せざるなり。(日本の現天皇が諸外國の君主等と同一視す可らざる事は後に説く所を見よ)。或は
今日の國家は陸海軍を以て外部を警護しつゝあるが故にホッブスのレヴァイヤサンに比せんか、其の鰐魚の如き甲
殻は似たりと雖も、獨乙の鰐魚の元首にカイゼル髷ありとは亦奇怪なる生物なり。馬に比すれば國家に尾はなしと
云ふべく、牛に比すれば天皇に角ありと論ぜざる可らず。吾人は實に『國の元首』の一語を中心として或は君主々
權論を唱へ或は國家機關論を唱ふる今の凡ての憲法學者に反省を要めざるべからず。国家は如何なる動物に比喩す
べく、國家の元首を如何なる動物の頭に比較すべきや。若し日本の憲法が伊藤博文氏によりて起草せられ伊藤氏は
スタインの糟粕を甞めて歸朝せしがゆゑに、スタインの謂へる如く國家は高等なる人類なりと云ふか。而しながら
ルヰ十六世は斷頭臺に元首を斷たれて其高等なる人類の頭となりしと雖も、日本の天皇に於ては、決して人類の元
首のみにあらずして些の缺損なき完全なる一人類にあらずや。比喩的國家有機體説を最も極度まで推究せしはブル
ンチェリーにして、教會を女性に、國家を男性に比較したり。今の憲法學者にして『國の元首』の語を棄却せざる
ならば是れ比喩的國家有機體説を是認するものにして、而して元首のある生物にアミーバの如く無性生殖の者非ら
ざるが故に、必ずプルンチュリーの如く國家が何等かの性なるかを定めざるべからず。問ふ、日本國と云ふ生物は
男性か女性か、ブルンチェリーに從ひて男性なりと答ふべし。然らば和蘭は如何、男性の國家に女性の元首あるに
非らずや。而して更に見よ。英國と云ふ男性の國家には甞てヴィクトリアと云ふ女性の元首が附き今日現皇帝の即
位によりて男性の頭と變りたるは甚しき奇怪なる生物なるべく、而して斯る生物は人類種族中には其如何に高等な
 天皇は國の元首にあらず
りとも見られざる所の怪物にして、日本の歴史を顧みるに亦この奇怪なる生物たるを免れざるに
非ずや。然らば國家は牛馬にも非らず、鰐魚にも非らず、有性生物にもあらず高等なる人類にも
非らず、『國の元首』とは人類の頭にも非らず、鬚ある鰐魚の菰にもあらず、亦章魚坊主にも非らず。即ち何者にも
非ざる國の元首とは意味すべき何者も非らざるを以て、無意義として棄却すべき文字也。今の憲法學者が『神聖』
の文字を歴史的襲踏の形容辭として取扱ひ乍ら、等しく無意義になれる獨斷的比喩の痕跡たる『國の元首』の文字
を殊更に重大視して論議の焦點としつゝあるは理由なきも甚だし。
 特に、斯る文字は學理の性質を有する者なり。而して國家は外部的生活を規定する者にして、思想の内部に迄立ち
入らざるは近代國家の原則とする所なり。即ち、法律命令を以て醫學上の眞理、化學上の方則を制定する事は國家の
爲さざる所なる如く、憲法の法文を以て國家學の舊き一學説たる比喩的國家有機體説を強制する事は大日本帝國の
試みざる所なり。只、憲法制定の當時に勢力ありし或る思想が偶々法文の上に痕跡を印したるに過ぎず。故に、假令ば
大日本帝國は三角形の地球にして此憲法の條文によりて月の周圍を運行すとの規定ありとも天文學者に強制の效力
を生ぜざると同一に、憲法學者は斯る國家學上の學理的性質を有する文字の外に獨立して自由に思考し得べきなり。
 
 天皇は統治權を總纜する者に非らず
 實に吾人は此の主張によりて天皇は國の元首に非らずと信ずる者なり。而して更に憲法の精
神と他の條文とに照して天皇は統治權を橄欖する者に非らずと主張せんと欲する者なり。此の
主張は吾人をして今の凡ての國家主權論者の政體分類を絶對に排斥せしむ。
 今の圖家主權論者は最高機關によりて政體を分類し、君主政體と共和政體との大綱に二分す。而しながら斯くの
如くしては今の立憲君主政體の正當に思考されざるは論なきことなり。最高機關と云ふことが最も高き權限を有す
る機關と云ふことならば、近代國家の立憲君主政體と名けらるゝ者は君主と議會と合體せる一團が最も高き權限を
 今の國家主權論者の政體二大分類を絶對に否認す
有する最高機關にして、君主政體にも非らず又共和政體にも非らず。立憲君主政體とは
彼等の二分類中に入るべきものに非らずして、政體は嚴肅に三分類に改むべきなり。
−−是れ吾人の力を極めて主張せんと欲する所なり。憲法の條文を見よ。第五條に『天皇は帝國議會の協賛を經て
立法權を行ふ』と在り。第七十三條に『將來此の憲法の條項を改正するの必要ある時は勅令を以て議案を帝國議會
の議に附すべし』と在り。吾人は實に是等の明白なる明文を眼前に置きて、而も階級國家時代の思想を以て君主と
議會とを直接に契約的對立を爲す者の如く解して恣なる解釋を戰はせつゝあるに驚く。問題は『最高機關』の意義
を定むることによりて解釋せらる。而も今の憲法學者は、契約説時代の階級的國家を否認して尚今日の君主と國民
とを直接に權利義務に於て對立せる者と考ふる如く、彼等が最高機關を天皇一人なりと斷ずる所以は恐くは彼等の
維持すべからざる誤謬として棄却したるモンテスキューの三權分立論に其の頭腦を捉へられたるが故に非らざるか。
固より彼等は三機關獨立して截然たるべしと云へるモンテスキューの其れの如く、君主を單に行政の長官とのみ見
るが如きこと無しと雖も、其の君主と云ひ議會と云ふ者を一個獨立の機關と考ふるに非らざれば斯く君主を以て完
 機 關 の 意 義
全なる最高機關と斷ずるの理由なきを以てなり。固より日本に於て天皇は行政の長官たり或は陸
海軍を統率する時に於ては各その場合に於ける機關たることは明白なり。何となれば一個の機關
とは段落ある活動を爲して始めて完全なる一個の機關たるを得べく、而して天皇が行政の長官たり或は陸海軍を統
率する時に於ては完全なる段落ある活動を爲せばなり。而しながら日本に於ては米合衆國の如く三機關截然と獨立
せず、天皇は行政の長官としては完全なる一機關なるも、議會は議會のみにて完全なる立法機關にあらず、天皇と
 天皇と議會とは立法機關の要素なり
共に立法機關を組織すべき要素なり。故に議會が単に要素たるに過ぎずして完全なる機關に非
らざる如く、等しく又その要素たる天皇が統治權を總攬して立法機關の完全なる者に非らざる
は論なし。即ち、立法機關は天皇と議會とによりて組織せられ始めて一機關としての段落ある活動を爲す事を得。
憲法第四條の天皇は帝國議會の協賛を經て立法權を行ふと云ふ者是にして、議會の協賛なき時は立法機關の要素の
缺けたる者なるを以て天皇は立法權を行ふ所の立法機關たる能はざるなり。然るに學者の或者は、議會は法律を決
定し天皇は之を命令する者なるを以て議會は單に背後の機關たるに過ぎずと論ず。固より立法機關を組織する要素
たる遠會は法律の命令權を有せざるが故に立法機關に非らざる事は明白なり。而も内容の定まらざる間は法律を命
令する能はざる天皇は又等しく立法機關にあらず。元來、法律を分ちて内容と強制と爲すが如きは無意義なる學究
的作造の甚しき者なり。強制力なき内容のみの決定にては法律にあらず、内容の決定されざる、即ちゼロなる強制
は法律にあらず。内容のゼロなる者を命令する權限ある立法機關とは命令する何者をも有せざる立法機關と云ふこ
とにして、即ち立法機關に非らずと云ふことなり。又學者の或者は云ふ、國家の最高機關とは天皇にして議會は副
機関なりと。而して其の或者は理由を議會の成立が一に天皇の命令に仰やと云ふことに求む。而しながら是れ恰も
議長の開會の辭ありて討議の開かるゝを見、達長のみ帝國議會にして他の議員は副たるに過ぎずと解すると一般の
沒理にして、天皇は一年以内に議會を召集すべき義務を負擔して帝國議會と共に立法機關を組織する者なり。而し
 最高の立法を爲す憲法改正の最高機關
て『最高機關』とは最高の權限を有する機關のことにして即ち憲法改正の權限を有する機關
なり。他の諸國に於ては憲法改正の機關は通常の立法機關の外に組織せらるゝ者ありと雖も、
日本に於ては單に或る指定されたる手續を以て平常の立法機關を以てす。而して通常の立法に於て天皇と議會とに
よりて始めて立法行爲の完全せらるゝ如く、憲法改正の發案權を有する天皇と三分の二の出席議員と三分の二の多
数とを以て協賛する議會とありて始めて最高の立法を爲し得る。即ち憲法を改正し得る最高機關たるなり。故に若
し此國家の意志の表白さるる所の者を以て主權者と呼び統治者と名くるならば、天皇は立權者にあらず又議會は統
 立憲君主政體とは平等の多數と一人の特權者とを以て統治者たる民主的政體なり
治者に非らず、其等の要素の合體せる機關が主權者にして統治者なりとす
べし。果して然らば今日多く存する所謂立憲君主政體なる者は、今の學者
の分類しつゝあるが如く政體二分類中の君主政體の變體と見らるべき者に非らずして、平等の多數と一人の特權者
とを以て統治者たる民主的政體なり。即ち、最高機關が一人にて組織さるゝ者と考ふる國家機關論者の如きは聊か
君主々權論の變色せる者に過ぎずして、特に著しく卓越せる國家機關論者の一人法學博士美濃部達吉氏の如きが、
『君主は統治權を總攬する者に非らず』と斷言しながら、而も立憲國の君主を以て依然として一人にて組織する最
高機關と爲せる如きは矛盾も明かなるべく、英國を以て君主國體と名くるに至りては理由なきも甚し。(日本今日
の政體が民主的政體なることは後の歴史解釋に於て維新革命の本義が平等主義の發展なるを論じたる所を見よ)。
 吾人は美濃部博士の天皇は統治權を總攬する者に非らずとの断言き嘉みする者なり。何となれば是れ『國の元
首』と云ふ比喩的有機體説の國家學より演繹せられたる形ありて、憲法の他の凡ての條文と矛盾し憲法の精神と背
馳する者なればなり。吾人は美濃部博士が明かに今日の日本憲法が比喩的有機説の痕跡を有すとなして統治權總攬
の文字を否定したりや否やは想像すべき根據なしと雖も、其の國家有機體説を排すと云ふより見れば他の國家主權
 紛々たる國家主權論者の無意義なる論辯
論者より一歩の高き地位に立ちて論断したるべきを信ぜんと欲す。故に例へば一木博士の如
く『君主が主權の主體なりとする時は諸般の關係を理會する能はず、君主は國家の最高機關
にして統治権の總攬者なり。總攬者とは統治権の主體にも非ず又統治權を行ふ機關にもあらず、即ち統治權の作用
を統ぶる機關は自ら自己の權限を伸縮する權を有するなり。自己の權限を伸縮する權ある者は憲法を變更する權を
有する者なり。故に統治權の總欖者とは憲法を變更し得る權を有する國家の最高機關なるべし』と云ひて、天皇は
議會の協賛なくとも恣に憲法を改正變更するを得べき者なるかの如く論じ、而して總攬者を主體にもあらず機關に
も非らずとして解すべからざる者とせるが如き混雜せる思想を有せず。又同じき國家主權論者の一人副島義一氏の
如く『天皇は國家の中に在る所の機關中最高の機關なり。左れば天皇の地位は國の元首と云ふの甚だ適當なるを見
る。其天皇ほ統治權を總攬すと云ふは、即ち國の元首たる所以の實質を掲げたるなり。天皇は國家の統治權を總攬
する故に國家の統治權は皆天皇を經過し來る。天皇は自ら統治権を行ひ、或は他の機關を設定して權限を與へて行
はしむ吾國に於ては天皇が唯一の統治權總攬者なり』と論じて比喩的有機體説の國家學の上に他の君主々權論者と
文字の論爭に勉むるが如き妄動もあらず。而しながら天皇は統治權の總攬者に非らずと云ふ事は、天皇一人にては
 美濃部博士の議論の不貫徹
最高機關を組織して最高の立法たる憲法の改正變更を爲す能はずと云ふ他の條文と憲法の精神と
に基きて斷定さるべき者にして、美濃部博士の如く日本の國體は最高機關を一人にて組織する君
主國體なりと解釋しては斯る斷言の根據なくして明かに矛盾せる思想たるは論なし。想ふに凡ての國家機關論者を
して今尚専制の迷霧中に彷徨せしめ、美濃部博士の如きをして斯る矛盾に陥らしむるは、國家の本質に就きて不注
意に經過すればなり。
 吾人は考ふ、主權論の思想は法律學の文字によりてのみ解せらるべき者にあらずして、智識の基礎を國家學に求
 憲法解釋に於て智識の基礎を國家學に求めざるよりの誤謬
めざるべからずと。固より憲法論は國家學に非らず、主権の本質は國家學の問題たる
べきも主權の所在は憲法の明文と精神とによるべく、特に國家の目的理想を掲げて現
行法を超越する如きは憲法解釋の方法に非らざるは論なしと雖も、其の現行の憲法其者が亦制定さるゝ當時の國家
學によりて影響されたることは明かにして、例へば『國の元首』の語が佛國革命反動時代の國家學に基き、從て比
喩的國家有機體説によらずしては解すべからざるが如し。而して主權とは國家の本質論によらずしては解すべから
ざる思想なり。故に比喩的國家有機體説を思想の基礎として今日の國家を解釋せんとし、『國の元首』と云ふ語を
國家神識の宿る所なりと斷ぜる井上博士の態度は、其の全く消滅せる臆説なるに係らず先づ國家の本質につきて或
る信念を有し其れよりして國家の基礎法たる憲法の解釋に及びたるは、思考の順序として當を得たる者なり。彼の
穗積博士の如きも國家を以て一家の膨脹發達せる者なりと云ふ誠に舊き國家學の上に其の蜃氣樓の如き神道的憲法
論を建設せるは、固より齒牙に懸くるに足らずと雖も研究の方法としては充分に正當なり。然るに今の國家主權論
者には悉く此の態度なく、研究の着手と結末とを顛倒しつつあり。一木博士が國の元首を以て主權の本體にもあら
ず又機關にもあらざる玄の又玄なる者の不可解に終りたる如き、又美濃部博士が『法律學上の國家とは現行の法律
 美濃部博士の基礎なき國家觀
を矛盾なく解釋するには如何に國家なる者を思考すべきかに在り』と云へる姑息を極めたる國家
觀の如き是れなり。現行の法律と云ふが如き絶えず動揺する所の者より歸納して、國家と云ふ者
を單に現行法の矛盾なき状態に思考すれば可なりとほ、假令個人主義の機械的國家觀を捨て比喩的有機體説の獨斷
を捨てゝ未だ思想の基礎とすべき國家學を有せざるよりする止むを得ざる一時的の者なりとするも、其の姑息を極
めたる者なることは蔽ふ能はざるべく、特に始めより矛盾衝突を以て發布せられ又時代の進化によりて當然に矛盾
衝突に於て存在するより外なき人爲の現行法よりして、矛盾なき國家と云ふ一個の法律學上の思想を抽象せんとす
る如きは誠に奇蹟を試むる者なり。『神聖』と云ふ文字の如き、『國の元首』と云ふ文字の如き現行憲法の條文を如
何なる方法によりて矛盾なからしめ、而して斯る矛盾に滿てる條文によりして如何なる國家の思想を歸納し得べき。
『神聖』と云ふ文字を本來の意味に於て推究すれば帝王神權説なるか或は穗積博士の如き高天ヶ原の國家に歸納さ
るべく、『國の元首』と云ふ條文のまゝに推論すれば其思考さるべき國家は比喩的有機體説の首足胴腹ある動物と
して歸納されざる可らず。決して美濃部博士等の主張する主權の本體たる國家は是等現行憲法の條文よりして矛眉
なく思考さるべき思想に非らざるなり。巳みならず、法律學上の國家を單に現行法の矛盾なき思考のための歸納に
過ぎずとなすならば、美濃部博士の如く、『君主は統治權を総攬するものに非らず、統治權を總攬すと云ふが如き
憲法の條文は學理の性質を有する者にして、國家は學説の公定權を有せず、學者は自由に憲法の文字を改めて考究
すべし』と云ふが如き權威ある言の吐かるべき根據なし。何となれば是れ明白に現行憲法の第二條に矛盾する者に
して、矛盾なき思考としての國家觀念は矛盾せる條文を改めて攻究すべしと云ふ力を有せざればなり。吾人は信ず、
 統治權總攬の文字は學理の性質を有する者に非らず學者は矛盾せる條文につきて取捨の自由を有すと云ふのみ
國家は學説の公定權を有せずと云ふは、恰も天動説を命令す
る能はざる如く、國家學上の一學説たる比喩的有機體説を強
制する能はずと云ふことにして、學者は自由に憲法の條文を思考するを得べしとは、相矛盾せる條文は憲法の精神
に照らして孰れかの取捨を決定すべき思想の獨立を有すと云ふことなり。故に憲法第二條と他の重大なる第五條及
び第七十三條と矛盾せる如きに於て、各々其の憲法の精神なりと認むる所、國家の本質なりと考ふる所によりて自
由に取捨するを得べく、彼の比喩的國家有機體説の思想を有する者、神道的信仰を有する者が第二條を取りて他の
條文を無視することの恣なると共に、吾人は亦第五條及び第七十三條に注意を集めて第二條を棄却するに於て自由
なるは、憲法の精神と國家學につきて法文の文字は強制力を有せざる者なればなり。美濃部博士の考ふる如く統治
權を総攬すの條文其の者は決して學理の性質を有する者に非らず、他の第五條及び第七十三條の存在せざるときに
於ては法律の解釋として第二條に從て天皇を以て統治權を總攬する唯一最高の機關なりと推論すべきは當然なり。
憲法の精神と國家學の原理とは法文の矛盾せる場合に於て取捨を仰ぐべき判官にして、美濃部博士の所謂現行法の
矛盾なき思考たる國家觀は斯る嚴肅なる權力を有する判官たる能はず。又直本の憲法を解して一人の最高機關たる
君主國體と名くる如き見解にては法文の矛盾を認めざるものと爲すの外なく、從て第二條に對して自由なる攻究を
主張せるは理由なき要求なり。實に美濃部博士の議論を貫徹せしめんが爲めには、明かに一の確實なる國家觀の上
に起ちて、日本の政體ほ最高機關を一人の特権者と平等の多數とによりて組織する民主的政體なりと爲すことに存
すべし。(憲法の精神につきては後の歴史解釋を見よ)
 公民國家につきて政體三大分類の主張
 故に、吾人は在來の國家主權論者の政體の二大分類を排して、今日の公民國家と云ふ一體
に就きて政體の三大分類を主張するものなり−−第一、最高機關を特權ある國家の一員にて
組織する政體(農奴解放以後の露西亞及び維新以後二十三年までの日本の政體の如し)。第二、最高機關を平等の
多數と特權ある國家の一員とにて組織する政體(英吉利獨乙及び二十三年以後の日本の政體の如し)。第三、最高
機關を平等の多數にて組織する政體(佛蘭西米合衆國の政體の如し)。
 
 吾人は國體と政體との差別を君主々權論者の如き思想に於て維持せんとする者に非らずと雖も、今の國家主權論
者の如く混同する事に賛する能はず。何となれば政體とは統治權發動の形式にして統治權の本體が其の目的と利u
との爲めに(即ち君主々權の時代及び國家ならば君主の利uに從ひて、國家主權の時代及び國家ならば國家の目的
 一木博士は政體の差別よりなしと云ひ美濃部博士は國體の差別よりなしと伝ふ
に應じて)、國家の機關を(或は君主々權ならば君主の機關を)國家の定
めたる(或は君主の定めたる)法律の手續によりて改廢し、若しくは其の手
續其者よりして改廃し得べく。國體とは國家の本體と云ふことにして統治權の主體たるか若しくは主權に統治さる
る客體たるかの國家本質の決定なり。しかるに、國家學につきて不注意に、國家の進化的分類を試みざるいまの國
家主權論者は、依然としてアリストーツルの統治者の數と云ふ形式的數学に最高機關と云ふ文字を當て嵌めて、或
者は國體の差別のみにして政體の其れは無しと云ひ、或者は政體の其れのみにして國體の差別は無しと云ふ。例へ
ば一木博士は君主政體共和政體のみを認め、美濃部博士は君主國體共和國體のみを認む。即ち、國體と政體とは今
の國家主權論者に取りては同質の最高機關に對して用ひらるゝ異名に過ぎずとさるゝなり。
 而しながら、是れ今日に於ても凡ての國家を説明する能はざるものにして、支那朝鮮の如き國家に於ては君主は
決して國家の目的と利uとの爲めに存する最高機關にあらず、統治權は國家の權利にあらず君主の所有權として官
職を自己の利uの爲めに賣買し、國土及び人民は君主の目的の爲めに存する、全く進化の程度を異にする別種の國
體なるを以てなり。特に、此の混同よりして單に今日の凡ての國家を説明する能はぎるのみならず、古代及び中世
 國體及政體の歴史的分類
の國家は全く説明の外に逸出すべし。假に今日の文明國と稱せらるゝ者のみを研究の内に置きて
今日は『公民國家』と云ふ一國體のみと爲すも、今日の公民國家は希臘の如き古代の國家とは國
體を同うして政體を異に.し、中世時代の國家とは政體の頗る似たるものありて國體はまつたく異なる。希臘古代の
國家に於ては國家の團結的權力、即ち、主權の本體が裸體のまゝに發動して政治的形式を經ざりしが爲めに、個人
の上に秩序なき壓力を以て臨みたりき。即ち政體とは團結的權力に對して個人の自由を保證する政治的形式なるに、
古代に於ては此の制度なかりしが爲めに少數者と犯罪者と同意義にして所謂多數専制の時代なりしなり。而して此
の多數専制時代は常に急轉して僣主なる者を生じて一人専制の時代となり又更に急轉して多數専制時代となり、専
制より専制に轉々して個人の自由は國家なる名の前に全く無視せられたりき。是れ國體は今日と同一なる公民國家
なるも、三權分立説に影響せられて統治權發動の形式が確定せられたる今日の政體とは全く異なれる所謂専制政體
なる者なり。中世史に入りて階級議會の生ずるに至り専制政體は去りしと雖も、君主と貴族とは(日本に於ては将
軍諸侯天皇の各々が)各々其の目的と利uとを有して各々の土地及び人民は某目的と利uとの爲めに所有物として
存したる『家長國』と云ふ全く別個の國體なり。即ち國家が統治權の主禮に非らずして、統治さるべき客體として
國土及び人民の二要素が國家の所有者の目的と利uとの爲に存したる君主々權の國體なり。故に一木博士の如く政
 國家主權論者の國鱧と政體とを混同するを排す
體の差別のみにして國體の差別はなしと云はゞ、中世時代は其の全く今日と異なる家長
國なるに係らず今日と政體の似たる者あるが故に、階級間の契約を以て今日の立憲君主
政體と同一視し、中世の君主と貴族とを以て國家機關なりとして今日と同一の國體分類中に置かざるべからず。又、
美濃部博士の如く國體の差別のみにして政體の其れは無しと云はゞ、氏自身も認むる家長國と云ふ中世の國體を、
國體分類の外に排斥するか、或は君主國體、共和國體、家長國體と羅列するが如き奇觀を呈するかの孰れかならざ
るべからず。而して斯く國體と政體とを同一視する所以の者は、實に國家の進化的研究を爲さゞるが故なり。
 吾人は國家人格實在論の上に國家主權論を唱ふ
 故に、吾人は斯る根據なき紛々たる國家主權論者を排して國家人格實在論の上に國家
主權論を唱ふる者なり。固より法律學上の人格とは其の實在の人格なると法律の擬制に
よる人格なるとを問はず法律の認識を以て權利の主體なるや否やを決する者なるを以て、國家が實在の人格なりと
も其の未だ法上に於て認められざるに於ては主權の本體なりとする能はざるは論なし。而しながら實在の人格が法
律に認識せられたる者と、人格なき者が法律の擬制によりて人格を附與せられたる者とは、法律を進化的に攻究す
る者に取りては決して混同すべからざることなり。−−法律の進化とは實在の人格が法上の人格に認識さるゝこと
 法律の進化とは實在の人格が法上の人格を認識さるゝことに在り
に存す。家長國時代の國家は其の實在の人格なるにも係らず、恰も實在の人格が
奴隷たりしが如く法律上は其の國家の所有者の利uのために存したる物格なりき。
故に、中世時代に於ては『國家のために』と云ふ國家自身の獨立自存の目的よりして要求さるゝことなく、要求は
常に『君の爲めに』と云ふ國家の所有者の目的と利uとに在りき。而しながら、奴隷が法律上の人格に非らざりし
と雖も實在の人格たることは始めより然りし如く、國家は長き進化の後に於て法律上の人格たりしと雖も、實在の
人格たることに於ては家長國の時代より、原始的平等の時代より、類人猿より分れたる時代より動かすべからざる
者なりき。故に國家と云ふ大人格が擬制の機械的技巧なるか將た實在の人格なるかは、國家の進化、起原、目的理
想の如きを取扱ふ國家學のみの重大なる問題にあらず、法律學の決して怠慢に附すべからざる根本思想なり。何と
なれば國家が擬制の人格なりと云はゞ法律の力を以て國家其者を解體消散せしめ得べく、實在の人格なりとせば人
爲を以て如何なる法律を作るも決して消滅せしむること能はず。−−個人主義の佛國革命を以て國家を分解せしと
云ふも國家は依然として社會的團結に於て存し破壞せられたるは表皮の腐朽せる者にして國家の骨格は甞て傷れざ
 國家が實在の人格にして法上に認識せられざりし家長國時代
りしを見よ。−−國家は實在の人格として假令家長の下に於ても時に家長の利u
の爲めに家長の定めたる法律を破りて其れ自身の目的と利uとの爲めに活動し、
其の進化して法律上の人格たるに至りては其目的と利uとに反する法律を恣に改廢して一切の法律の根據たる者な
ればなり。此の根本點に於て些の智識なきが爲めに、今の國家主權論者は國家を以て一の社團の如く解しつゝある
なり。彼の穗積博士が今尚頑迷に社會の原始を家族制度に取りて對抗しつゝあるは此の故にして、國家を以て社團
の如き擬制の人格と見るは實に佛國革命時代までの偏局的個人主義の國家觀なればなり。眞理に於て國家主權論を
唱ふるならば穗積博士等の舊き臆説の社會起原論によりて非難さるゝが如き失態あるべからず。−−社會主義は法
理學の上に於ても眞理なり。國家の人格とは吾人が前きに『生物進化論と社會哲學』に於て説きたる社會の有機體
なる事に在り。即ち空間を隔てたる人類を分子としたる大なる個體と云ふことなり。一切の社會的諸科學は生物學
 羅馬時代の個體の觀念と當時の人格の思想
によりて基礎を與へられたり。然るに遠き羅馬時代に於ては、個體と云へば單に一個人に
限れる者の如く感じ、個人のみ實在の人格にして他は皆法律上の擬制なりと云ふが如き思
想なりしは止むを得ずとすべし。今日、國家を法律上の人格なりとして而も同時に君主を主權の本體なりとする如
き矛盾の君主々權論者も、或は國家を單に思考の便宜として考ふと云ひ、國家の人格を擬制なりと云はゞ君主の其
れも擬制なりと反撃して僅かに對抗する國家主權論者も、恐らくは法律學研究の爲めに羅馬法に接して羅馬時代の
個體の觀念に判斷の根據を先占せられたるが爲めなり。故に其議論は如何に精細を極むるとも共に等しく臆説の暗
鬪に過ぎず。若し學者にして國家の人格の實在なることは奴隷の其れの實在なるが如しと雖も、今日の法律にては
未だ認識されざる事實上の者に過ぎず、大日本帝國とは天皇の利uと目的との爲めに客體として統治さるゝに過ぎ
ずと論ずるならば、法律現象のみを取扱ふ學者としては一貫せる態度なるべく、吾人は憲法の文字と精神と而して
歴史とによりて今日の國家が法上の人格たる公民國家なるか將た未だ家長國の國體に止まりて人格に非らざるかを
 君主々權論者と國家主權論者との臆説の暗鬪
論議すべし。然るに敢て君主々權論者のみならず凡ての國家主權論者と雖も、國家を進化
的に見ざるのみならず、人格の基礎たる個體の觀念を顯微鏡以前なる羅馬時代の俗見に止
めて暗中の格鬪を事とするが故に、反對論者たる君主々權論者も國家を人格なき君主の所有物なりとも云ふ能はず、
形式に於て同論者なるに似たる國家主權論者と雖も、國家を生命ある實在の人格が法律上に認められたる者なりと
云ふ能はずして、機械的技巧の、若しくは擬制の人格に過ぎずとして甘んずるの餘儀なきに至れるなり。實に、國
家は法律の擬制によりて作られたる機械的のものに非らず、國家は始めより其れ自身の目的を有する實在の人格な
り。人格は人格の目的と利uとの爲めに活動す。固より人類一元論が定説となり、社會主義が世界を抱擁して實現
せられたる曉に於ては、個體の最高階級は全人類と云ふ生存進化の目的を有する一人格たるべく、遠き將來の理想
として此の最高階級の個體としての人格に於て全人類の世界的國家が實現さるべきを期待し得べし。而しながら目
下の進化の程度に於ては民族或は人種地理的區劃等に限られたる或る程度の階級の個體に於て、國家は一個體とし
ての人格の目的を有す。今日の公民國家は古代の市府的國家、中世の封建國家より、漸時に個體の階級を高めて、
以て今日の大なる人格の國家となれるなり。而して此や實在の人格が或る時代叉は或る地方によりて法律上の人格
 国民の信念に於ける國體主權論の表白
として認識せられ、若しくほ所有者の利uの下に統治の客體として存したることありき。
而して今日の凡ての公民國家は明かに怯律の明文を以て、或は國民の法律的信念によりて國
家の貸在の人格を法律上の人格と認むるに至れるなり。−−故に今日は『國家の爲めに』と云ひて國家を利uの歸
屬する所、目的の存する所となして國家主權の國體なることを國民の信念に於て表白す。然るに國家が君主の所有
物として其の目的と利uとの下に客體たりし中世時代に於ては國家の爲めにと云ふことなく『君の爲めに』として
君主々權の國家なることを表白するの語ありき。而して其の時代に於ても高遠なる理想を有する東西の聖賢は、法
律上の主權體たる君主の要求に對抗して、實在の國家の人格のために國家の利uを主張したり。(『社會主義の啓蒙
運動』に於て儒教の國家主權論を論じたる所を見よ)。若し國家の人格とは法律上の擬制に過ぎずと解するならば、
擬制としての法律なき以前よりして聖賢の身を捨てゝ國家のためにしたるは解すべからざることゝなるべく、今日
に於ても擬制を維持せんが爲めに人類が血を流して戰ふとは解すべからざる現象ならずや。今日の國際戰爭は中世
の如く君主の名に於て君主の利uの爲めに戰はれず、國家の爲めなりと云ふ。是れ未だ同類意識の發展せずして國
家と云ふ地理的に限定せられたる階級の個體が、個體としての人格たる目的と利uとの爲めに『國家の爲めに』と
云ふ語を以て法律と國民の信念とに於て要求せるなり。而して若し、此の實在の人格が日本今日の進化の程度に於
ては法律上の人格として認められずと論ずるならば、是れ兵役の義務は國家の目的を充たさんが爲めに國家の分子
が負擔する義務にあらずして、君主に所有さるゝ奴隷として所有主の處分に服從する者なりと解し、日露戰爭は日
本帝國の目的の爲めにしたる所に非らずして天皇に歸屬すべき利uの爲に戰はれたる者と論ぜざるべからず。是れ
憲法の解釋に於て誤まり、國民多數の信念として有する一般の思想と背馳するは論なし。
 今日の國家は實在の人格が法上の人格に認識されたる者なり
 故に吾人は國家人格實在論によりて國家を進化的に研究し、以て一の據所なく
して徒らに無用の論爭を事とする凡ての君主々權論者と國家主權論者とを排する
者なり。君主々權論者の如く今日の近代國家の國家觀の上に君主々權論を築くが如きことの矛盾極まる誤謬なるは
固より、國家主權論者の解する如く國家の主権は法律の擬制によりて人格を附與せられたるが故に非らざるなり。
家長國時代の國體に放ては國家の所有者に主權ありて國家は實在の人格たりと雖も法律上は物格なりき。公民國家
の國體に於ては國家が主權の本體として實在の人格たると共に亦法律上の人格なり。
 『君の爲めに』と云ふ君主々權の時代と『國家の爲めに』と云ふ國家主權の時代
 『君主の爲めに』と云ふ忠君の時代は君主々權の中世なり。『國家の爲
めに』と云ふ愛國の時代は國家主權の近代なり。(尚彼の歴史解釋及び天
皇と國民との道徳關係を論じたる所を見よ)。
 
 實に、人類を空間を隔てゝ分子とせる大なる個體と云ふ意味に置ける今日の國家有機體説は、井上博士の『國の
元首』を解して國家神識の宿る所なりと云ふ比喩的有機體説を學界より驅逐せるものなり。吾人は明言す、國家意
 今日の國家有機體説と比喩的國家有機體説
識は未だ嘗て一人のみの頭腦に宿りて他の人類が全く精神なき手足の如きことは、如何な
る古代の家長専權の時代と雖も、帝權の絶對無限の時代と雖も決して存在せしこと無しと。
率然として考ふるも、同一の意識なき者の間に、團結あり服從あり政治法律あり得べき理由なげればなり。穗積博
 國家意識は一人にのみ有せらるゝ者に非らず
士の如きは常に君主固有の威力によりて國家が團結すと云ふ、而しながら氏の好んで爲す
如く文字の意義を恣に變化せしめずして、固有とは君主の一個人が先天的に肉體の中に有
すとの事ならば、力と云ひ威力と云ふ者は決して君主の固有に非らず社會と云ふ者の有する團結的權力なり。即ち
君主の威力あるかの如く見らるゝは此の團結的權力の背後より君主を推し擧ぐるが爲めにして、此の團結的權力と
分離したる時に於ては後醍醐天皇の如き卓越せる個人的威力を有する者と雖も如何ともする能はざりしに非らずや。
固より君主の絶對無限權を振ひたる時代の人民に取りては、恰も戀人が實在の美に向つて戀するに非らず自己の頭
腦に畫かれたる實在の其れに數千倍する自己の觀念に對して戀するものなるが如く、君主の個人的威力以上に威力
 君主の威力に非らず團結的強力と自己の畫きたる觀念なり
なる者として自己の畫きたる自己の觀念の前に恐怖しつゝありし事は事實なり、然
しながら個人として先天的に有する威力は如何なる英雄と雖も限りある者にして、
日本天皇の威力として見らるゝ者は多く各自の畫きたる觀念と國家の團結的權力なり。即ち穗積博士の如き頑迷な
る家長國時代の國體に復古せしめんとする無數の革命家的思想の者あるに係らず、國家の進化は終に大化革命の公
民國家の理想を實現したるが爲めに、日本天皇は大日本帝國の重要なる機關に於て國家の團結的權力を充分に發表
しつゝあるなり。彼の後世よりの逆進的批判者によりて暴逆壓制なりと云はるゝ家長國時代の君主と雖も、國民が
君主の處分權を認識し、若しくは認識したる墮力の爲めにして、一人の強力のみにては數千萬倍する多數の意志に
反して何事をも爲す能はず。最も専制權を振ふ者は政教一致時代の祭主と君主とを兼ねたる者なりと雖も、其の人
民が専制に服從するは其の宗教に對して強烈なる信仰に於て結合する故に過ぎずして。國家神識が一人のみの頭腦
に宿りて他が機械的に服從せる者に非らざるなり。即ち、同一なる宗教を奉ずと云ふ社會意識に於て結合せず、又
 君 主 の 基 礎
其の専制者が祖先の靈若しくは部落の神の意志を發表する者なりと云ふ信念に於て受取られざる
ならば専制權は保たるべきに非らず。決して君主固有の威力と云ふが如きことの在らざるは論な
し。故に彼の契約説の如く、君主の權は貸與せられたる者なりと云ふは固より貸與の契約ありしことなく、又貸與
したる者は奪ひ返へす權利ありとは、貸與すべき主權を契約前の個々の人民が先天的に有すとせる個人主義の革命
論にして謬れるほ論なしと雖も、權力の本質は團結的觀力に在るを以て如何なる一人と雖も先天的に有する固有の
者に非ざることだけは明白なり。東洋の専權を振ひたる家長君主は皆此の團結的強力を所有することの多少に從ひ
て興廢し、希臘の僣主も亦この團結的強力に媚びて其の専制權を保有したりき。此の權力の源泉たる團結は社會的
本能によりて、進みては明確なる社會意識によりて結合せらる。原始時代に於ては某が明確なる自覺に於ける意識
に非らずして本能的に眠れる社會性に在りしと雖も、決して個人主義の臆説の如く利己心の思想による契約や、又
穗積博士等の説く如き威力に對する恐怖よりしての餘儀なき結合又は服從に非らず。社會的生物として、契約なく
とも言語を有せし如く威力によらずとも始めより國結して存在し、團結其の事が威力なるなり。(尚『生物進化論
と社會哲學』を見よ)。井上博士が國家意識を以て國の元首に宿るとなせるが如きは獨斷的比喩の有機體説にして
 井上博士と穗積博士は前提と緒論とを顛倒す
取るに足らざるは論なく、穗積博士が君主の威力の下に團結すとは氏の好んで破する個人
主義の社會契約説と等しく價値なき臆説にして前提と結論とを顛倒せる者なり。君主のみ
國家意識を有して他が機械的に服從するに非らず、國家意識の覺醒と其の進化の程度とによりて機關の發生し消滅
するなり。威力の下に團結するに非らず、團結其者が威力の本體として存するなり。
 國家意識と政權の覺醒
 而しながら此の國家意識が法律の認識によりて政権に覺醒するには歴史的進化に從ひて漸時的
に擴張す。最も原始的なる共和平等の原人部落に於ては全く社會的本能によりて結合せられ政治
的制度なき平和なりしを以て政權者なるものなかりき。然るに長き後の進化に於て大に膨脹せる部落の維持を祖先
の靈魂に求めて祖先教時代に入るや(如何なる民族も必ず一たび經過せり)祖先の意志を代表する者として家長が
 原始的共和平等の時代と君主制の原始
先づ政權に覺醒し、更に他部落との競爭によりて奴隷制度を生じ土地の爭奪の始まるや、實
在の人格ある國家は土地奴隷が君主の所有たる如く、〔君〕主の所有物として君主の利uの
爲に存するに至れり。是れ則ち家長國體及び君主政體の萌芽にして、アリストーツルの國家の三分類を形式的數字
の者に解せず之を動學的に進化的に見るならば、君主國とは第一期の進化に属す。而して貴族國とは此の政權に對
する覚醒が少數階級に限られて擴張せる者と見るべく、民主國とは更に其の覺醒が大多數に擴張せられたるものに
 アリストーツルの國家三分類を進化的に見よ
して第三期の進化たりと考へらるべし。日本國も亦等しく國家にして古代より歴史の潮流
に從ひて進化し來りたる國家なるが故に、如何に他の國家と隔離せられたることに由りて
進化の程度に多少の遲速ありしとするも、獨り全く圃家學の原理を離るゝ者に非らず。日本民族は原始的共和平等
の時代を他の國土に於て經過し巳に農業時代にまで進化せる家族團體として移住し來れるものなるを以て、固より
後世より謚名せられたる意義の天皇に非らざりしは論なしと雖も、家長國體及び君主政體の萌芽として來れること
ほ最古の記録を悉く沒意義の者とせざる限り充分に想像せらるべし。而して其の人口の繁殖と共に當時の社會組織
に於て骨格たりし族制の混亂を來し、且つ皇族と併行し發達せる大族が其の家族奴隷の團結的強力を負ひて他の大
族たる皇族と對抗するに至るや、茲に皇族中の智識ある革命家によりて理想的國家の夢想的計畫となり−−恰も新
開國に於て空想的社會主義の屡々實現を試みられたる如く−−國家主權の公民國體と其の機關としての君主専制政
體とが夢想せられたり。而しながら斯る未開なる時代に於て理想國の單に理想たりしは論なく、理想の實現は遠き
後の維新革命に於てせられ、事實に於て建設せられたる者は君主々權の家長國にして中世史を終るまでの長き時日
は凡て家長君主としての天皇なりき。而して他に無數の群雄と名けられ諸侯將軍と呼ばるゝ家長君主ありて相抗爭
したりき。只、其の藤原氏時代の終るまでは天皇は日本全土と全人民とを『大御寶』として所有する家長君主とし
て、例へ事實上は攝政關白の専横ありしと雖も、又例へ事實上は統治權の行使されたる所が近畿地方の狹小なる區
 日本史に於ける君主國貴族國民主國の三時代
劃たるに過ぎざりしと雖も、天皇が唯一の君主として唯一の政權者たりしことは法律上疑
ひなき所の者なりき。是れ政権の一人に覺醒したる進化の第一期なり。而して國司の土着、
土豪の發達より天皇の外に更に多くの家長君主を生じ以て維新の公民國家に至る迄の中世史を綴りたりき。彼の歐
州中世史の羅馬法王、神聖皇帝、國王貴族の重複錯雜して最高の統治權、即ち主權を爭へるは、固より今日の統治
權に非らず今日の政權者に非らずと雖も、皇帝國王貴族の各々が國土及び人民の所有者としての統治權を有し、其
の統治權を相續遺言贈與結婚等によりて伸縮得喪し、國家を所有權の客體として取扱ひ各々の者が統治權の主體と
して其等の階級に政權が盤醒したりしが如く、日本に於ても皇室は神道的信仰の上に『神道の羅馬法王』として統
治權を有し、其の法王より冠を加へらるゝ形式せ經て征夷大将軍と稱せられたる『鎌倉の神聖皇帝』は、亦群雄戰
國及び封建制度の『國王』『貴族』と共に統治權を有し、而して其の各々が統治權の主體として國土及び人民を所
有者として處分し、各々主権即ち最高の統治權を爭ひたりき。斯く政權者が同時に統治權の主體たる時代は固より
家長國體にして今日の公民國家とは別なるを以て、其の皇帝國王貴族等を今日の政權者と同一視すべき者に非らざ
るは論なしと雖も、其等の家長等が各々統治權を有するに至れるは諸侯階級即ち貴族階級に政權の覺醒が擴張せら
れたる第二期の進化なり。比の第二期は如何なる國家に於ても甚だ長く日本の如きも維新革命まで繼續したりき。
而して維新革命は無數の百姓一揆と下級武士の所謂順逆論によりて貴族階級のみに獨占せられたる政權を否認し、
政権に對する覚醒を更に大多數に擴張せしめたる者にして、『萬機公論に由る』と云ふ民主々義に到達し、茲に第・
三期の進化に入れるなり。而して國家對國家の競爭によりて覺醒せる國家の人格が穣夷論の野蠻なる形式め下に長
き間の統治の客體たる地位を脱して『大日本帝國』と云ひ『國家の爲めに』として國家に目的の存する事を掲げ、
國家が利uの歸屬すべき權利の主體たることを表白するに至れるなり。此の國家を主權體とせる公民國家の國體と
民主的政體とは維新後二十三年までの間を國民の法律的信念と天皇の政治道徳とに於て維持し、後、帝國憲法に於
て明白に成文法として書かる〜に至りて茲に維新革命は一段落を劃し、以て現今の國體と今日の政體とが法律上の
認識を得たるなり。(更に後の歴史解釋及び『生物進化論と社會哲學』に於て社會進化論の歴史哲學に説き及ぼせ
る處々を見よ)。
 吾人が先きに穗積博士の天皇の一身に統治權の存して個體の延長によりて萬世一系に傅はると云ふ議論を演繹し
て、更に個體の蕃殖と云ふことによりて全國民に普及して民主々義に至ると云ひしは此の故なりとすべし。井上博
士に至りては穗積博士の始めに主張したる皇位に主權ありと云ふ皇位説の維持すべからざるを指摘して、天皇の一
身に統治權の存することを最も明らかに説ける明敏なる君主々權論者なり。而して國家主権論者の天皇の一身に統
 井上博士は君主々權論を主權體の更新と云ふことを以て説明す
治權あらば天皇の死と共に國家滅亡すべしとの非難に對して、穗積博士の如く高
天ケ原に飛揚して萬世一系死せずして連綿たりと論ずるが如き醜態なく、最も學
者らしき説明を與へて充分に對抗せり。曰く、統治權の主體は天皇にありて天皇死するとも統治權の消滅して國家
の滅亡を來す者にあらず、統治權の主體が更新するのみなり。若し統治權の主體が更新するを以て統治権の消滅と
なすならば、凡ての現今の國民も皆悉く一たびは死すべき者なるを以て國家に主權ありとの議論も自家の論理によ
りて維持さるべからざる事となると。是れ充分に今の根據なき國家主權論の機械的國家觀よりする駁撃を撃退して
 今の凡ての學者は個人主義の法理學を先入思想とす
餘りある者なり。而して是れ同時に今の國家主權論者も又井上博土の如き君主々權論
者も等しく佛國革命前後の個人主義の法理學を先入思想とすることを暴露する所以の
者なり。眞理は社會主義に在り。吾人は社會主義によりて下の如く主張す−−國家の分子たる天皇と國民とに國家
の權利たる統治權が存するに非らず。分子の消滅と共に更新する所の者は政權者にして統治權の主體にあらず。國
家の分子たる天皇が統治權の行使によりて得べき利uの歸屬する主體にあらず、又國民が國民を終局目的として統
 更新する國家の分子は主權體にあらずして主權體たる國家の利uの爲めに統治者となる要素なり
治權を行使する權利の主體にあらず。近代國家に於ては國家の生
存進化の目的と其れに應ずる利uの歸屬すべき権利の主體たる事
を認め、最高機關を特權ある一分子或は平等の多くの分子或は特權ある一分子と平等の多くの分子とによりて組織
し、其機關が權利の主體たらずして國家の目的と利uとの爲めに國家の統治權を行使するなり。而して國家と云ふ
歴史的繼續を有する人類社會は法理上消滅する者にあらず、分子は更新すと雖も國家其者は更新する者にあらず。
即ち國家が統治權の主體たり。(故に誤解すべからず、『社會民主々義』とは個人主義の覚醒を受けて國家の凡ての
 『社會民主々義』と云ふは社會が主權の本體にして民主的政體を以て之を行使するを意味す
分子に政權を普及せしむる事を理想とする者にして個人主義の誤れ
る革命論の如く國民に主權存すと獨斷する者に非らず。主權は社會
主義の名が示す如く國家に存する事を主張する者にして、國家の主權を維持し國家の目的を充たし國家に歸屬すべ
き利uを全からしめんが爲めに、國家の凡ての分子が政權を有し最高機關の要素たる所の民主的政體を維持し若し
くは獲得せんとする者なり)。
 以上の概括は下の如くなる。今日の國體は國家が君主の所有物として其の利uの爲めに存したる時代の國體にあ
 日本今日の國體と政體とは社會民主々義なり
らず、國家が其の實在の人格を法律上の人格として認識せられたる公民國家の國體なり。
天皇は土地人民の二要素を國家として所有せる時代の天皇にあらず、美濃部博士が廣義の
國民中に包含せる如く國家の一分子として他の分子たる國民と等しく國家の機關なるに於て大なる特權を有すと云
ふ意味に於ける天皇なり。臣民とは天皇の所有権の下に『大御寶』として存在したりし經濟物にあらず、國家の分
子として國家に對して權利義務を有すると云ふ意味の國家の臣民なり。政體は特權ある一國民の政治と云ふ意味の
君主政體に非らず、又平等の國民を統治者とする純然たる共和政體に非らず。即ち、最高機關は特權ある國家の一
分子と平等の分子とに上りて組織せらるゝ世俗の所謂君民共治の政體なり。故に君主のみ統治者に非らず、國民の
み統治者に非らず、統治者として國家の利uの爲めに國家の統治権を運用する者は最高機關なり。是れ法律の示せ
る現今の國體にして又現今の政體なり。即ち國家に主權ありと云ふを以て社會主義なり、國民(廣義の)に政權あ
りと云ふを以て民主々義なり。
 
 依之觀之、社會主義の革命主義なりと云ふを以て國體に牴觸すとの非難は理由なし。其の革命主義と名乘る所以
の者は經濟的方面に於ける家長君主國を根底より打破して國家生命の源泉たる經濟的資料を國家の生存進化の目的
 社會主義は國家主權の國體の擁護者なり
の爲めに、國家の權利に於て、國家に歸屬すべき利uと爲さんとする者なり。實在の人格は
個人と雖も之を剥奪して奴隷とすることは今日に於ては不能なる復古に非らずや、國家と云
ふ實在の大人格が長き進化の後に於て得たる法律上の人格を無視して君主の利uの爲めに存する物格と考ふる如き
は、所謂國體論と云ふ復古的革命主義にして吾人社會主義者は却て今日及び今後に亘りて國體の擁護者たらざるべ
からず。何ぞ國體を革命すと云はんや。而しながら政體は統治權運用の機關なるを以て、國家は其の目的と利uと
に應じて進化せしむべし。而も其の如何に進化すべきかにつきては或は今日の民主的政體のまゝに進むか、或は一
人のみの特權者を以てする君主政體に進むか、或は純然たる共和政體に進むか、又或は社會の驚くべき進化して一
切の政體の無用になりて地上に天國を築くか、斯ることは國體論とは係りなき問題なり。吾人は『國體論とは主權
論なり』と云へる穗積博士に從ひて主権の所在を決定すれば足る。而して又吾人は、穗積博士が現今の國家主權の
國體を覆へして國土及び人民を天皇の私有地及び奴隷となし、國家を天皇の所有權の客體たる物格とし、現今の民
主的政體を破りて絶對無限の家長政治となさんと企圖しつゝあるが爲めに、政體の變更を計る著書を出版する者は
輕禁錮ニケ年に處すと規定せる出版法を恐れて大學講義の出版を敢てせざる謹慎を諒する者なり。
 希くは吾人をして國家主權論の論理の赴く所に赴かしめよ! 憲法は國家が其の生存進化の目的に適合する利u
 政體今後の進化は國家の目的と利uとによる
ある方法を取るべきことを豫想して其の第七十三條に國家機關を改廢する場合の手續を規
定せり。故に此手續によるべき場合の多きは論なし。而しながら君主々權の時代に於て君
主が自巳の主権によりて定めたる法律を等しく自己の主權による他の法律を以て破るとも正當の權利なる如く、
(而して今日を君主々權の國體なりとする穗積博士が天皇の權利によりて第七十三條によらずして憲法の條文と矛
盾する法律を發布し、若しくは憲法を改廢し、又若しくは七十三條の手續によらずして改廢するの自由ありと論ず
ることの貫徹せる主張なる如く)、國家主權の今日及び今後に於ては、其手續を定めたる規定其者と矛盾する他の
 國家機關の改廢作成に於ける國家主權の完全なる自由
規定を設くとも、又其の規定されたる手續によらずして憲法の條文と阻格する他の重
大なる立法をなすとも、國家主權の發動たる國家の權利にして、國家は其の目的と利
uとに應じて國家の機關を或は作成し或は改廢するの完き自由を有す。何となれば等しく國家主權の發動たる法律
の中に於て特別に第七十三條のみ現今存する他の條文より重く、又將來發せらるべき他の多くの法律を打ち消して
無效ならしむべき力ある者に非らず。今日憲法の精神を無視する法律省令等が第七十三條の手續によらず言論の自
由集會結社の自由を剥奪して憲法改正の實を擧げつゝあるが如く、憲法の國家機關の外に他の重大なる國家機関を
他の法律によりて設定することありとも等しく國家主權の發動にして國家の輕重なき法律なればなり。(故に今の
基礎なき國家主權論者が此の鮎に於て一貫せる議論を爲すこと君主々權論者の如くなる能はぎるは、實に主権の思
想に於て貫徹せざるよりの致す所として歎ずるの外なし)。
 吾人を以て國家萬能主義なりと誤解すべからず。國家萬能主義とは國家が國民の思想信仰の内部的生活にまで立
 社會主義の法理學は國家主義なりと云ふ理由
ち入る事を許容せられたる時代を指す。國家が國民の外部的生活を規定するだけの範圍内
に於て完全なる自由を有する主權體なることを主張する點に於て社會主義の法理學は國家
主義なりと云ふのみ。只、如何なる者が國家の目的と利uとに適合する主權の發動なるかの事實論に至りては、是
れ自ら法理論とは別問題にして其の國家の主權を行使すと云ふ地位に在る政權者の意志に過ぎず。即ち事實上政權
 法理學を離れて事實論としては政權者の意志が國家の意志なり
者の意志が国家の目的と利uとの爲めに權力を行使するや否やは法理論の與かり
知らざる所なり。−−是を以ての故に憲法論は強力の決定なり.と云ふ。(『社會主
義の倫理的理想』に於て説ける階級的良心の説明及び『社會主義の啓蒙運動』にて論ずる階級鬪爭の議論を見よ)。
 
 故に國家を一たび原子的個人に解體して新たに新社會を組織せんと主張する社會主義者と名乘るものゝありとも、
 社會主義と強者の意志
そは佛國革命時代の個人主義にして社會主義と混同すべからざるは論なし。社會主義者は現今の
國家が國家主權の國體なる事を明確に意識して、長き時日と大なる努力とを以て只強者の意志た
るべきのみ。何ぞ國體を革命すと云はんや。故に、今日の強者の意志の下に於てほ國家主權の名に於て迫害さるべ
き義務を有す。(尚『社會主義の啓蒙運動』に於て迫害の権利を説けるを見よ)。
 
 
 
       第 十 章
 
           所謂國體論は法理論以前に在り−−家長國なりと云はしむる神道的迷信の堕力−−天皇を
           主權者と云はしむる顛倒の歴史解釋−−信仰の自由は君主との契約に非らず−−天皇の信
           仰と國氏の信仰とは無關係なり−−日本帝國は宗教團體に非らず−−穗積博士の信仰論と
           君臣一家論−−民は神道の信仰と共に神話の科學的研究を爲す−−社會の原始及び公法の
           淵源−−家長制度と家長權は社會の原始に非らず又永遠のものに非らず−−氏は進化論を
           否定す−−神道のアダム、イヴによりて基督教的世界主義を取るか猶太教的排外教を取る
           か−−氏の天照大神を天祖と云ふことは神道を毀傷するものなり−−故K川博士の進化論
           評−−神道の勢力の皆無−−氏は天皇を空虚の上に置きて覆へす−−君臣一家論による二
           樣の革命論−−君臣一家論と發狂視−−穗積家は皇家の末家に非らず−−家長制度は敢て
           日本に限らず−−穗積博士自身は神道を信仰せず−−多神教の哲學と祖先教の宗教−−氏
           は生殖器を禮拜するか神道を捨つるか−−沙汰の限りの忠孝一致論−−忠孝一致論を破壊
           する者は君臣一家論なり−−天皇と國民は親籍の平等關係に非らず−−内地雜居による一
           家論の困難−−歴史上より君臣一家に非らず−−國體論の破壊者は現天皇陛下なり−−日
           本人種研究論と國體論者−−親戚關係の平等なる今日に於て天皇を家長と云ふ事の自殺論
           法
 
 上述、吾人は國家學と憲法論とによりて『現今の國體』を明かにし、所謂國體論なる者の現今の其れを顛覆する
 所謂國髄論は法理論以前に在り
『復古的革命主義』なることを論じたり。而しながら、國家の本質と憲法の法理とを取扱ふ今の
凡ての學者をして斯る復古的革命思想に陷らしむる所以の者は、國家學と憲法論との研究より來
るに非らずして、巳に所謂國體論と云ふ者のありて其の國家學と憲法論とを誘惑するが故なり。果して然らば上述
の如く、國家の本質を論じ憲法の法理を説き以て主權の國家に存することを語るとも、東洋の土人部落に取りては
何等の刺激を與へ得る者にあらず、國體論は土人等の合掌稽首に祀られて一切の國家學と憲法論の上に蠻神の如く
君臨する者なればなり。然らば議論は國家學と憲法論とにあらずして國家學と憲法論とを誘惑する國體論其者に有
りとせざるべからず。國體論とは何ぞや。
 家長國なりと云はしむる神道的迷信の堕力
 第一は、今日の國家を以て家長國なりと云ふ議論の起る基礎として神道的迷信の堕力に
在り。我が萬國無比の國體に於ては國長は一家の赤子にして天皇は家長として民の父母な
りと云ふ者是れにして、君臣一家論と云ふ者あり、忠孝一致論と云ふ者あり、忠君愛國一致論と云ふ者あり。而し
て是れ實際の勢力として國民の道徳的判斷の基礎を形づくれる者にして、穗積博士及び多くの君主々權論者の國家
觀と法理論とを組織せしむる思想の源泉なり。
 第二が、天皇を以て主權の本體若しくは一人の最高機關なりと考へしむる所以の者にして全く顛倒せる歴史解釋
 天皇を主權者と云はしむる顛倒の歴史解釋
の順逆論なり。即ち、日本民族は皆忠孝にして萬世一系の皇統を扶翼せりと云ふことにして、
萬國無比の國體と云ふ思想の生ずる根據なり。而して是れ、二千五百年來より四千五百萬
人に亘りて些の疑問をも抱くべからざる所の者として、一切の倫理學説と道徳論とは是れによりて其の學説と議論
とを曲折し、有賀博士及び凡ての君主々權論者をして歴史によりて主權の基礎を定むと論ぜしむる權威たる者なり。
 國體論中の土偶は此の妄想によりて捏造せられたる者なり。土偶は神輿より引き出して以て粉碎すべきのみ。
 
 第一の點、穗積博士等の據りて以て日本の現時を家長國なりとする神道的迷信の墮力を驅逐せざるべからず。
 能ふならば吾人は斯る取るにも足らざる者に係はりて議論の筆を汚さゞらんことを望む。吾人は法科大學長帝國
大學教授法學博士の肩書を有する迷信者に向て如何に語るべきや。若し常識と科學とによりて狐狸を禮拜しつゝあ
る翁嫗の迷信を覺醒せしめ得るならば、穗積博士の八百萬神を信仰する神道を改宗せしめ得べし。信仰となれば翁
嫗の狐狸も、穗積博士の眞の神も、他の基督教佛教と等しく理論の侵入する範圍とは境界を異にする別天地の者な
ればなり。故に吾人は充分に穗積博士の宗教を尊敬する者なり。−−而して是と同時に吾人及び獨立の良心を有す
る者は博士の信仰より自由ならざるべからず。本地垂迹説を去れる眞の佛教徒には博士の信仰は意義なき者にして、
唯一神を信ずと云ふ基督教徒には博士の宗教は野蠻時代の多神教として映ずべし。而して、吾人の如き神道的記録
を以て古代の過ぎされる宗教となし、今日に於て之を視るときに於ては神話として科學的に取扱ひつゝある者に取
りては博士の贅言の如きは神官の烏帽子直衣と少しも相異せざるなり。博士に於ては、或は八百萬神を以て宗教
に非らず歴史上の人物なりと信じてならんか、然らば吾人は大に歴史論として論義の自由を有す。信仰の自由、思
想の獨立は大日本帝國の威力を以ても其の内部的生活に止まる間ほ固より、行爲に現はれたる者と雖も或る場合を
 信仰の自由は君主との契約に非らず
除きての外は脅かす能はざる者なればなり。或る場合とは臣民たる義務に背く場合を云ふ。吾
人は前きに臣民の義務とは直接に天皇と對抗せる契約によりて負ふ義務に非らず、國家に對し
て國家の一分子として負擔する者なることを言へり。臣民と云ふは天皇の所有權の下に在る無限服從の戟隷に非ら
ざるは固より、天皇との権利義務の関係に於て契約的對立を爲す者に非らずして、國家の臣民なる事を言へり。故
に臣民たる義務に背かざる限りに於て信仰の自由を有すと云ふ憲法の條文は、中世の階級國家の契約憲法の如く、
君主との契約によりて君主の信仰に係らず臣民は自由の信仰を有すべしと云ふに非らず。今日の天皇ほ國家を所有
して國家の外に立つ天皇に非ず、美濃部博士が廣義の國民中に包含せるが如く、日本國と云ふ有機體の空間を隔て
たる分子の人類として、即ち日本帝國の一員として特権を有する政權者と云ふ意味の天皇なり。此の特權ある一分
子と他の分子とは決して契約的對立に非らず、故に他の凡ての權利義務が直接に要求し負擔する者に非らざる如く、
信仰の自由につきて臣民の義務に背かざる限りに於てはと云ふ前置きの義務も、決して國家の分子が他の等しき分
子たる特權者に對して負へるに非らず。即ち臣民たる義務に背かざる限りに於てと云ふことは、國家に對する義務
 天皇の信仰と臣民の信仰とは無關係なり
の一たる兵役を拒絶するクエーカー宗の如き宗教の除外を示す者なり。然れば假定として、
穗積博士と匹敵すべきほどの神道の迷信者が皇位に即き、穗積博士の如く國家の臣民を君主
の所有する臣民と解し、其の神道を信ぜざることを以て臣民たる義務に背くとなすとも、是れ固より大日本帝國の
國體と政體とが許容せざる要求なり。(現皇帝は實に基督教をも包容しつゝあり)。又聖武天皇の如き佛教の熱誠な
る信奉者が出でゝ佛教の信仰を國家の臣民に要求すとも、大日本帝國の前に有する信仰自由の權利によりて穗積博
士は其の尊貴なる神道の信仰を放棄するに及ばざるべきなり。又、今後の天皇が基督教を信仰するに至るとも、全
國の嚴肅なる戒律を守れる圓頂等は今日基督教に向つて爲しつゝある如く、佛教は逆賊なりとして攻撃さるべき理
由なき者なり。吾人は皇室が如何なる信仰を有するやを知らず、而しながら亦等しく知らざるべき土偶の國體論者
が、自家の迷信と背馳するのゆゑを以て他に對するに即ち不敵呼ばりを以てすとは抑々何の權利ぞ。天皇に不敬を
加ふることは國家に對する非違にして國家の許容せざる所なり。復古的革命思想に對抗して國家の主權を防衛する
 日本帝國は宗教團體に非らず
ことは吾人の義務にして、彼等山僧等の不敬呼ばりは假令鯨波のごとく起るとも嚴肅なる議論に
一分の動揺を與へ得べきものにあらず。−−大日本帝國と帝國の機關とは決して宗教の基礎の上
に建てられたるものに非らず。神道の信仰を以て家長國體を作り、天皇を祭主の長たる意味において其の信仰の上
に置げる時代は歴史の遠き頁に葬られたり。國體寺の山僧等は今日の國體と政體とを迷信の爲めに視る能はず、甞
て山僧等の爲せるごとく國民の迷信に眠れるを恃みて法律を突破し憲法を蹂躙して、天皇と全國民とにむかつて神
輿に禮拜せよと嗷訴しつゝあるものと云ふの外なし。國民の迷信に恐怖せし時代は山僧等の神輿は警固の武士をし
て兜を脱せしめたりき。今日、吾人は國體の擁護者たる名に於て科學の利刃を執るべきのみ。希くは國民の速かに
迷信より覺醒して國體寺を燒壞するに至らしめよ。
 穗積博士の信仰論と君臣一家論
 穗積八束氏は實に國體寺の座主にして山僧の將軍なりとすべし。曰く。『我が民族は同祖先の
者なり。宗室として皇室を崇拜すと云ふは事實誤れりと云ふものありと雖も、之は我が説を破す
るに足らず。見よ基督教徒の團結するは神を信仰するに由る。而も神の有無の議論は此の團結を非認する能はず。
信仰は第一にして智識は第二なり。ひとは悉く原因を尋ねて何事む爲すに非らず。信仰によりて動く。國民に於て
も然り、必ず信仰によりて團結す』。是れ大學筆記より引用せる者にして、氏が國體寺の座主たる尊嚴を以て斬新
なる信仰論あるは決して鼻を撮むべき事に非らざるは論なし。氏の憲法論は凡て此信仰の上に築かる。曰く、『現在
皇位にまします天皇が此民族を統治し給ふは即ち氏族の祖先たる天祖の御位なり。天祖に代りて天祖の威力を受け
て天祖の子孫を保護し給ふ者なり』。又曰く『我が國體は民族間有の宗族制度より發達せり。故に之を推して考ふ
れば皇位は即ち過去に於ける皇位の天視たる天照と、現在の天皇と、未來の君主とを結びたる觀念にして、一家に
於ける家長の位が即ち天皇の祖先の位たると同じく皇位は天皇の御位にして其子孫が此の位に昇り、天照の威靈を
代表して國民に臨む』。而しながら氏の所謂天照と云ひ天祖と云ひ信仰上の神を意味して用ひらるゝが如く、又歴
史上の人物として取扱はれつゝあるが如く、浮動する意味を一語にて使用する氏の常態なるが爲めに、吾人は氏と
共に『天照大神』を論議するに信仰上より考ふべきか科學的考察の題目とすべきか殆ど處置に苦しむ。
 故に、穗積博士の態度は、日本民族の古代を研究するに於て、古事記日本紀をバイブルとする神道の迷信者とし
ては甚しく科學的研究者の如く、又科學的研究者としては其の高天ケ原一點張の頑迷は疑なき迷信者に似たり。實
に、氏は烏帽子直衣に高襟を着けて大學の講壇に立てる者なりとすべし。神道の信者ならば宗教として神道を信ず
るは可なり、祖先崇拜は權カの崇拜なりと解する如きは法律學の理論として誤れるのみならず、神道の信仰とは背
 氏は神道の信仰と共に神話の科學的研究を爲す
馳する科學者の態度なり。天照大神を信仰に於て見るならば太陽の中に存すとして朝夕
禮拜すべし、今日の社會學は彼の母系々統なるものを解して全く亂婚に非らざるも夫婦
關係の定まらざりしが爲めに父の何人なるかゞ知れずして母によりて系統を意識する甚しき未開時代なることを論
じつゝあるに、天照大神を母系々統なりと指示せるが如きは神道を信仰する頭の外に科學者の頭を肩に附けたる兩
頭の怪物なり。固より氏は政體變更の刑罰を恐れて大學講義を出版せざる如く、何等の警戒すべき事ありてか暗默
の指云に過ぎざりしと雖も、國家學會雜誌六十號に載せる下の言を見よ。曰く、『男系の發達したるは社會の發達
したる後に行はるゝ事にして女系々統は世界普通の古の有樣なりと論ずる者あり。確然斷言し能はずと雖も女系々
統の恐くは何れの國にても行はれたりと見ゆるなり。日本支那の歴史に於ては吾輩は敢て斷言せず、日本の國體の
如きは男系統と定むれども、若しも歴史的の人民ならざる以前に於ては女系々統にて非らざりしやと云ふことは隨
分一の問題なるべし。』是れ果して正當の推理なりや否やは固より反對の見解を抱くものもあるべしと雖も、穗積
博士にして斯る確信を有するならば警戒を極めたる辭令を弄するに及ばず明確なる斷言を爲すとも、愚昧者の不敬
呼はりに對して國家の法律は氏の思想の獨立を保護すべし。只奇怪なるは其の兩肩にある兩頭の相格鬪せずして平
和なることなり。
 故に吾人は其の頭の何れの者に向て問ふべきかを解せず。而しながら若し其の或る頭が科學的考察は法律學者の
態度なりと發音するならば、吾人は實に語るべき者を有す。−−即ち、國家の起源は決して一家の膨脹に非らずと
 社會の原始及び公法の淵源
云ふことなり。固より或る時代に於ける舊き學説として國家の起原を一家に置きたることありし
は事實なり。而しながら、系統を意識し家族を爲すに至るは遥かに後代の進化にして、氏も知れ
る母系々統以前には存在せざるなり。母系々統とは今日より見れば誠に未開極まる者なりと雖も、覚醒したる意識
を以て母子の間を永續的に繋ぐまでに進化したる後ならざるべからず。而して父系々統とは此の意識が更に父にま
で擴張せられ永續的の夫婦關係と父子の連絡が生ずるに至れるなり。即ち社會と云ひ國家と云ひ氏の信ずる家族制
度以前に存在せしなり。社會は契約なくとも、又氏の主張する如く父の威力なくとも、本能的社會性によりて社會
的生物として存在し、公法の淵源も又決して氏の信ずる如く家族制度に進み家長の威力を恐怖するに至りて始めて
發生せる者に非らず、更に遠き以前の原始的社會より存在せる部落の道徳的制裁及び慣習なりと推想することは當
然なり。何となれば家族制度なく家長なき高等なる社會的生物と雖も、某社會維持の爲めに制裁の單純なる者を有
すればなり。穗積博士は今尚力を極めて偏局的個人主義の機械的國家觀を攻撃し、契約説の死屍に鞭ち、國家社會
の基礎を愛國心又は公共心と名けて社會性に置くならば−−而して是れ家長の威力を恐怖して團結すと云ふ他の言
と矛盾すと雖も、ホッブスの如く社會國家の原始を各人の各人に對する鬪爭に於て存在せしと臆説する者に非らざ
るべし。即ち、氏にして明らかに生物進化論を知り、人類が類人猿より分れたる時代よりして社會的生物なること
を知れるならば、原人社會より母系々統と云ひ父系々統と云ふが如き家族的意識に於て存在せしと信ずるは生物進
化を踰越すと認むる者なり。實に、類人猿と云ふ社會的生物より分れたる原人が社會的存在を本能的結合に於て繼
承したるべしと云ふ科學の歸結は、父の威力の下に團結せられたりと云ふ(是れ威力なき時代は個々に存在せりと
云ふ個人主義の假説を窃取せる者なり)臆説の社會起原論を驅逐したる者なり。−−始めを知らざる者は今を知ら
ず又終りを知らず、家族制度と云ひ同一系統による社會階級と云ふが如き階級的社會に入りしは社會の大に進化せ
る或る過程の状態にして、即ち社會意識が近親の系統にのみ覺醒せられたる或る程度の進化にして、決して原始の
者にあらず又現今の状態に非らず、又固より社會の永遠にまで繼續すべき者に非らず。(『生物進化論と社會哲學』
を見よ)。公法の淵源を論じ社會の起原を推究するほどの者ならば凡てを進化的に見よ。假に社會の原始が家族制
 氏は進化論を否定す
度の發達にして公法の淵源が家長の權力に在りしと定むるも、社會の進化し法律の進化したる今
日及び今後を律するに家長權と家長國とを以てするは抑々何ぞや。實に穂積博士の論法は人類の
原始は類人猿なるを以て世界の人類は今日も今後も類人猿にして、類人猿の屬する獸類は更に鳥類と分れたる爬蟲
類なるを以て博士も吾人も今尚爬蟲類なりと云ふ者なるに似たり。
 否、穗積博士は日本の社會の起原を神道によりて推究する者にあらず、遠き以前に棄却せられたる社會學の維持
すべからざる臆説を以て自家の恣に捏造せる者なり。笑ふべきに非らずや。『神道を信仰して智識を第二位に置く』
と云ふ氏の信仰論は鼻を撮めば足る、智識を論ずる社會起原論の舊智識を信仰して其の第一位たりと云ふ神道の信
仰を破壞せるに至りては天理教の翁嫗も嘲笑すべきぞ。見よ。神道は何處に日本國は天照大神の一人より膨脹せる
 神道のアダム、イヴによりて基督教的世界主義を取るか猶太教的排外教を取るか
者なりと云へる。神道は伊諾那岐伊册那美の二人が人類の元始なりと云へ
るのみ。而して是れ猶太民族のアダム、イヴが人類の始祖なりと云へる如
く古代の思想の程度としては一般の人類起原論なるに過ぎず。故に斯る人類起原論を信奉するならば、棊督が其れ
によりて人類同胞の世界主義を唱へたる如く神道を基督教の如き世界教とならしむるか、或は亦猶太民族のみアダ
ム、イヴの子孫たる神の子なりと云ふ如く、日本民族のみ伊諾那岐伊册那美の後裔なる神人なりとして神道を排外
思想の猶太教とならしむるかの何れかならざるべからず。十四世紀後に書かれたる文字にて想像せば、天照大神を
以て神武一家の征服者の直系の祖先なりとは云ひ得べし。神武より先きに移住せる日本民族、及び後に來れる民族、
叉天照時代に巳に八百萬神と稱せられたる多くの人口、及び歴史上の無數の歸化被征服者の他種族の繁殖せる子孫
たる今日の日本民族とは係はりなきことなり。即ち高天ケ原の民族につきて云ふも單に同一民族と云ふだけのこと
にして、天照一人より分れたる者が高天ケ原の大なる一家なりとは何處に於ても記されざる所の者なり。穗積博士
 氏の天照大神を天祖と云ふことは神道を毀傷する者なり
にして若し實在の人物として天照大神を見るならば−−然らざれば思想上の作成た
る神の生命が延長して實在の天皇の一身に統治權を繼續すと云ふ氏の君主々權論者
は理由なきに至るが故に−−天照は女性の一人にて如何にして八百萬の人口を繁殖し得たりや。古典に書かれたる
素盞雄尊は天照と併行せる傍系に非らずして天照の單性生殖にて産める子なりや。素盞雄尊が出雲に入りしとき蛇
に喰はるゝほどの多くの人口を有し而して其の蛇に喰はれたる娘の翁嫗は、恐くは其れよりも年少なるべき天照の
腹より出でし者か。神道を信ずるならば伊諾那岐伊册那美が鶺鴿の交尾を見て生殖の法を知り以て人類を産めりと
云ふ世界一家論を唱へよ。是れ神が自己の形に似せてアダム、イヴを作りしと云ふ猶太の神話より基督教の人類同
胞の高貴なる理想が孚まれたるが如くなるべし。八百萬神を産まざる天照大神は八百萬神の子孫たる者の多かるべ
き國民の大多數に取りては氏の所謂『天祖』に非らず。而しながら斯る尊き世界主義は所謂國體論を云ふ者の如き
に取りては餘りに尊くして仰ぎ見るを得べきに非らざるは論なく、從て氏は恰も猶太民族のみ特別に神の子たるア
ダム、イヴの後なりと云ふ如く、日本民族のみ伊諾那岐伊册那美の二人より産れたる特別の神裔なりと論ぜざるべ
からず。而して是れ天照大神一人を天祖なりとして日本民族は其の單性生殖にて繁殖せる者なりと云ふ氏の前きの
主張を取消して、全く新たなる議論に移るものなりと雖も、君臣一家論と云ひ、日本民族は一家の膨脹發達せる者
なりと云ふ氏の主張に取りては利uなるべし。人は成るべく善意に解せざるべからず、故に吾人は充分に善意を盡
くして故人となれる文學博士K川眞頼氏の言を氏に示すべし。若し氏にして以下の言を讀了するに堪へずして過て
噴飯するがごときことあらば、吾人の善意は拒絶せられたる者にして氏は人類同胞の世界主義に於て神道の基督と
 故K川博士の進化論評
なるか、然らざれば猶太教的神道論を止めざるべからず。K川博士は曰く『衣は體に從ひて作り
出でたるものにして衣は上部に着、袴は下部に着る、之を着て世を送りたり。然るに近世の人謂
へらく上古の人は衣を用ふべからず、人と云ふものは元と獸にして其の獸は何ぞと云はゞ猿なりしを、其猿が若干
の世を經るまゝに身體の毛が漸時に拔けて人となり、之を進化と云びて漸時に智も備はり來て、身體の毛の減ずれ
ば寒を覺ゆるからに草木の皮を取りて衣服を作るやうになりたりと、是れ外邦の説なり。外邦の説は眞に信ずべし
など云へる人あれども、是れは我が古典を窺はざる人の只外邦の説によりて言ふなり、外邦の人民は猿の化したる
者なるべけれど我邦の人民は然らず。我國にては人は人なり猿は猿なり、猿の進化したるが人となりたるに非らず。
古事記に伊邪那美尊の御言に曰く、愛我勢命爲然者我國之人草一日絞殺千頭爾伊邪那岐尊詔愛那邇妹命汝爲然者一
日建千五百産屋とあるを見ても猿には非らざりし事を知るべし。是れ若し猿ならんには汝の國の猿草とぞあるべき。
又猿が子を産まんには産屋を立つべくも非らず。猿ならざること明瞭なり』
 吾人は故人を嘲笑せんが爲に笑謔の材料として斯る引用を爲す者にあらず。穗積博士が基督教の世界主義に於て
神道のアダム、イヴを執るか、或は又神道のアダム、イヴを猶太教の排外思想に於て取るかの撰擇に利するあらん
としての善意のみ。穗積博士は今尚社會の起原を家族團體なりと云へる舊き臆説によりて解する程なるが故に、生
物進化論を解せざることに於て恰もK川博士が古典を引用して對抗せしに匹敵すべし。果して然らばK川搏士の、
『外邦の人民は猿の化したる者なるべけれど我が人民は然らず』と斷定し、『猿ならざること明瞭なり』と一末千
鈎の力を以て結べる確信の程度は、實に議論の一貫せることに於て遥かに穗積博士を超過せりと云ふべし。若し穗
 神道の勢力の皆無
積博士の猶太教的神道の信仰にして斯くまでに固く、他人に神道的信仰を要求する如く氏自身の
衷情に於て君臣一家論や思孝一致論を信仰個條とするならば、誠に以て國體寺の座主たるべき榮
譽に孤負せざるなり。而しながら注意すべきことは、國體寺は腐敗せる本願寺よりも多くの信者を有せざることに
在り。然らざれば翁嫗の念佛唱名を壓して『高天ケ原に神づまり』の聲が日本全國に蚊の鳴く如く聞え渡らざるべ
からざる理に非ずや。而して新智識者と稱する者の神社に叩頭する者の少なくして教會に行くものゝ多くなれるは
解すべからざる現象に非らずや。斯く迄に神道の信仰が皆無となれる今日に於て大日本帝國と其の重大なる機關の
一たる天皇を神道の基礎を以て代へんとするは何たる革命家ぞ。否、恐く國體寺の座主其の人と雖も其の科學的攻
究を以て神道の教義を毀傷しつゝある如く、只革命論の便宜の爲めに唱ふるに過ぎずして衷心ほ決して些の信仰だ
も無かるべしと考ふ。
 吾人は理由なくして他の信仰の衷心に迄立ち入りて想像を逞うするの愼むべき事を知る。而しながら穗積博士の
議論は之を今日の國家主權の國體より見る時に於ては明かに革命論として斷ずるの外なく、大化革命の遠き昔より
 氏は天皇を空虚の上に置きて覆へす
理想として畫かれ明治維新に於て漸くに實現せられたる公民國家と、其の國家の機關として國
家の基礎の上に置かれたる天皇とを、自家も信ぜざる神道の信仰の上に置かんとする者に非ら
ずや。自家も信ぜず天下も信ぜざる信仰とは信ずる者なき死せる信仰と云ふことにして、空虚の上に天皇を置くと
云ふことなり、即ち何者の上にも置かずして覆へすと云ふことなり。−−事實は歴史の上に存在す、大化革命を以
て儒教の理想的國家を實現せんとしたる所以の者は祖先教を以ては天皇の維持すべからざる危險に陷れるが爲め化
非らずや。佛教の信者たる蘇我氏にとりては別宗教の皇室は尊き者に非らず!外國人の漢氏の駒にとりては崇峻天
皇は君臣一家の『民の父母』には非らざりしなり! 是を以ての故に假へ夢想に過ぎざりしとは雖も皇室中の大膽
果敢なる理想家が公民國家を夢みたるに非らずや。漸くにして其理想の實現せられたる國體を覆へして蘇我氏と駒
との權利を今日に主張せしむるに至る穗積博士は、之を復古的革命家と呼ばずして何ぞ。國家は國家としての獨立
自存の目的を有し、天皇は國家の利uとして國家の維持する國家の機關なるが故に國家に害する義務として犯すべ
 君臣一家論によるニ樣の革命論
からず。若し日本の國籍に在る人民は『天皇の赤子』にして天皇は其の家長たる『民の父母』な
るが故に尊しと云はゞ、君臣一家に非らずして國籍に入れる伊太利の無政府黨員は其の爆烈彈の
權利を穗積博士の憲法學によりて主張するに至らん。『基督教徒の團結は神の有無に非らず國民は信仰によりて團
結す』との氏の信仰論は、ニコライ教徒をして露西亞に團結せしめ國家に對する反逆を許容する者なり。−−斯る
革命論は氏に於ても否と云ふべし。然らば異教徒を殺戮し外國人を絞磔せざるべからず、而して等しく亦革命なり。
 
 穗積博士にして頑迷に今日の國體を以て家長國となし、君臣一家忠孝一致を以て一切の法律學と倫理論とを築く
ならば、吾人は實に氏に問ふ。−−若し足下の車夫が旦那の親類は何處ですと間ひし時に、拙者の親類は天子樣な
 君臣一家論と發狂視
りと答ふるや否や。車夫は不敬漢と云ふべく、吾人は其の大膽なる平等主義に敬服す。而して更に
民にして拙者と天子樣とは血を分けたる兄弟分なりと云はゞ査公必ず手帳を出して一應の尋問ある
べく、子が産れた親類の天子様に知らせよと云はゞ産褥の令夫人は驚きて逆上すべく、大道に立ちて穗積家は皇室
の分家なりと云はゞ腕白の小學生徒等は必ず馬鹿よ々々々と喚めきて尾行し來るべし。−−吾人をして憐むべき愚
夫を飜弄する者と解すべからず、後の歴史解釋に於て系統を辿りて平等主義の發展する歴史的擴張を見よ−−果し
て然らば君臣一家論を最も強く主張する氏に於ても皇室と穗積家とを平等関係の親類ど考へず、親類などと云はゞ
發狂と見らるべきほどに血縁的關係の稀薄疎遠になれる者ならば、之を以て國家の聯鎖とし天皇の基礎とせんとは
何たる白痴ぞ。若し穗積博士にして神道の傅道者にして法律學者に非らざるならば兎に角、現今の民法は未だ全く
家長制度の痕跡を脱する能はざるに係らず、家長權が二三の特權に止まり、親族法に於ては或る等親を以て限界と
 穗積家は皇家の末家に非らず
するを解せざるの理なし。素封家の葬式には猫の子を貰ひしまでも親戚なりと云ひて集まる。皇
室にして寛大ならざるならば將に曰ふべし。便侫なる八束と及び四千五百萬の奴隷よ。卑しき穗
積家が朕が家の末家にして乞丐に至る迄朕が家の分家なりと云ふか。皇室は汝等の如き下賤なる人種と平等の祖先
より分れたる親籍に非らず。汝等は皇室の祖先が零落せる時に於ては路傍の人の如く過ごし或は共に石を投じなが
ら、今の繁榮に媚びて三千年前の古き、遠き、系統の知れもせざる者を、僣越にも親類と云ひ本家と云ひて爲めに
せんとするは何たる侫猫ぞ。皇室は平等の祖先より分れたる分派にあらず國民を強力によりて壓伏せし堂々たる征
服者なりと。
 吾人は断言せん、穗積博士は單に君臣一家の家長國を信ずるものに非らざるのみならず衷心を探ぐれば神道の信
仰は影だも有せざるものなりと。若し氏にして神道を信ずるが如き言動ありとせば、其は姦邪なる姑婆が念佛を唱
へ懶惰なる書生輩が教會に遊びてアーメンと云ふと同一なる外面の装飾に過ぎず。−−吾人は穗積博士の憲法論を
 家長制度は敢て日本に限らず
神道的信仰の上に置くと云ひ來れる凡ての言を取り消す。氏は神道を信仰する者に非らずして其
の所謂信仰とは舊式の社會起原論なり。實に氏等の所謂國體論の脊椎骨は、如何なる民族も必ず
一たび或る進化に入れる階段として踏むべき祖先教及び其れに伴ふ家長制度を國家の元始にして又人類の消滅まで
繼續すべき者なりと云ふ社會學の迷信に在り。家長制度や祖先教は何ぞ獨り日本民族のみの特産物にして日本のみ
萬國無比の國體なりと云ふが如き性質の者ならんや、今の歐洲諸國も皆悉く一たびは經過したり。直れ事實に於て
明かに知らるゝのみならず如何なる先進國と雖も階段を踰越して進化する者に非らざればなり。是を以て甞て歐州
に於ても王權或は公法の淵原を家長制度と家長權とによりて説明する説の勢力を有せし時代ありて、恐らくは穗積
博士の如きは其の天賦の佳良ならざるが爲めに彼等の糟粕を甞めて日本國を説かんとし過て革命家となりしに過ぎ
ざるべし。雖然、若し穗積博士にして強ひて余の神道的信仰は第一なり社會起原論の智識は第二なりと主張するな
らば、吾人は斯る虚僞を剥奪するに於て一分の寛假あるべからず。問ふ−−祖先教とは多神教の事なるが足下は多
 穗積博士自身は神道を信仰せず
神教の信者か。恐らくは氏は傲然として然り八百萬神を信ずるのみと答へん。固より可なり、而
しながら祖先教と云ふ多神教は其れ以外に多くの拜すべき神を有す。彼の信仰の自由の最も極端
なる印度に於てはいま尚祖先の靈魂を祭る多神教の在りて其の多神教には大蛇、木石、島獸、甚しきは生殖器等が
禮拜せらるゝ如く、基督教傅播以前の歐州人も種々の動物奇石怪木を祖先の靈魏と共に拜りたる如く、八百萬神を
信仰する日本の祖先教も多神教たることに於て無数の噴飯憫笑すべきものを祭ゆたりき。穗積博士は酸素と炭素と
の化合による火の説明を斥けて迦具土の神を信仰しつゝありや、氣壓の爲めに起ると云ふ暴風を級長戸邊の神が怒
りて大木を拔くとして恐れつゝありや、波浪の起るは大渡津美の神の所爲として恐怖しつゝありや、蝗蟲は歳の神
して農學は國體を傷くる神道の邪教なりや、氏の邸宅の竈と厠とには供物を供して竈の神、厠の神を祀りつゝあり
や、氏は動物園の大蛇を神社に祀るべく主張し、木造の生殖器の前に朝夕合掌稽首しつゝありや。−−斯る婬祠邪
教の存するが故に帝國憲法は安寧秩序を妨げざる限りに於てと云ふ前置きを設けたるなるぞ。祖先教と多神教とは
 多神教の哲學と祖先教の宗教
同一の根より生じたる宗教と哲學の萌芽なり。今日に於て顧みれば固より笑ふべき者の多く尚未
開國或は開明國中に放ても僻遠の愚夫愚婦の間に於て斯る迷信の殘りて憫笑の題目とせられつゝ
あるが如しと雖も、人類進化の過程としては如何なる民族も避くべからざる第一階段なり。即ち、人類は天地萬物
皆神なりとする多神教(汎神教の意義に非らざるは云ふまでも無し)によりて先づ靈智の開發を始めて哲學を知り、
人は悉く死せずして屋上に墓中に天空に魂魄として殘るとする祖先教(又吾人が先きに論じたる科學的宗教の個體
の延長と云ふ意味の不死に非らざるは論なし)によりて安身立命の宗教を得たるなり。此の宗教ありて此の哲學あ
り、此の哲學無くして此の宗教あらず。然らば、若し穗積博士にして余は天照大神や八百萬神は信仰するも蛇や厠
 氏は生殖器を禮拜するか神道を捨つるか
や生殖器は禮拜せずと遁辭を作るならば、是れ然りと否とを同時に發音する舌を有する者な
り。故に吾人は氏を下の三樣の方法によりて思考するの外なく氏も亦其の中の一を決定すべ
し−−穗積八束氏は一事を同時に肯定し又否定し得る新論理學を發明したるアリストーツルとべーコンに比肩すべ
き哲學者か、或は多神教を肯定して木造の生殖器の前に合掌しつゝある法科大學長帝國大學教授法學博士か、或は
又祖先教を否定して自己の憲法學を否定し自己の君臣一家論を否定し以て所謂國禮論を否定するか。
 
 所謂國體論に於ては此君臣一家論と云ふものよりして更に忠孝一致論と云ふ者を演釋す。固より斯る沙汰の限り
の者を理論の筆に上すは汚らはしと雖も、素朴篤實なる教育者の如きは其疑問を抱く事に慣れざるが爲めに今尚山
僧等の土偶に欺かれて、道徳的判斷の根據として幼少なる頭腦に吹き込みつゝあるに至りては誠に戰懐すべきなり。
萬世一系の鐵鎚に頭蓋骨を打撲せられたる國民に取りては斯る惑亂の平常なるべきは論なしと雖も、假りに今日の
 沙汰の限りの忠孝一致論
全日本國民が穗積博士等の所謂天皇一人より繁殖せる君臣一家なりとするも、而も忠孝一致論に
何の連絡ありて演繹し得るや。競る者の如く、忠孝一致論なる者を君臣の一家と云ふことゝ分離
して、單に君に忠を盡くして親の名を擧げて家を盛にするが故に忠は孝と一致すと云はゞ、是れ大に論理的なるも
のにして、クロムエルは革命によりて名を擧げ家を起したるが故に孝と弑逆と一致し、ワシントンにては孝と獨立
と、ワット、ジョンソンにては孝と蒸氣及び電氣と一致すと云ふものなり。而して、忠ならんと欲すれば孝ならず孝
ならんと欲すれば忠ならずと惑ひし平重盛は、忠孝一致論を解する能はざる愚夫にして、父義時に對する孝の爲め
に三帝を流竄せし泰時は孝と一致して三帝の大忠臣たるべく、國民の祖先より主權者として仰がれ九代の間北條氏
を盛にしたるを以て實に忠孝兩全の君子なりと論ずるは一歩の弛みなき論法なり。而しながら是を君臣一家論なる
者の演繹として君臣は一家なるが故に忠と孝とは一致すと論じつゝあるは誠に東洋の土人部落なるかな。假に天照
大神の單性生殖によりて四千五百萬人が悉く繁殖せり七するも、天照其の人に對してのみ忠孝一致論は唱へらるべ
く、同一なる子孫の間に何の故を以て忠の權利義務が生ずるや。土人ならば同一なる子孫の間に差等を設けて一子
 忠云一致論を破壊する者は君臣一家論なり
のために他を犠牲の奴隷的道徳に繋ぐべし、天照大神を信仰の眼に仰いで親と云ひ祖と云
ふならば一視同仁の愛を見よ。或は末家なるが故に平等に非らず本家に忠を盡くすべしと
云ふか。然らば教育勅語の教ふる血縁の親近による道徳履行の順序によりて、一旦緩急あらば三千年前の遠き本家
たる天壌無窮の皇運を扶翼するより先きに、親の代に分れたる本家に忠なるべく、兄の世に分れたる末家は更に忠
ならざるべからず。而して法律を知れる穗積博士の如きは等親の限定による親籍關係の消滅を主張して忠の義務な
きことを主張するに至るべく、若し是れが爲めに不敬不忠と呼ばるゝことありとも國家の主権を負ひて立てる嚴正
なる判官は可憐なる教育勅語の遵奉者を保護すべし。−−實に教育勅語に基きて斯る忠孝一致論を視るならば飽く
までも平等主義なり。吾人は君臣一家論によりて忠孝一致論を唱ふる者の説明を求む。−−末家の父老は各々其の
本家の子女の爲めに血を流しつゝありといふか。末家の壯丁は各々其の本家の兒童の爲めに屍を晒らしつゝありと
いふか。末家は各々其の身の股を割て本家の美膳を整へしつゝありといふか。末家の長兄は各々其の本家の小弟の
爲めに道を避け警官の叱咤に惶走し、最敬禮を爲し君が代を三唱しつゝありといふか。−−所謂國體論者にして各
々其の本家に對して斯る義務を負擔しつゝ非らざるならば、平等關係の本家末家を以て皇室と國民との間を誣ゆる
 天皇と臣民は親籍の平等關係に非らず
は今日の國家が許容せざる過激なる革命主義なり。日本の國體は君臣一家に非らずして堂々
たる國家なり。天皇は本家末家に非らずして國家の機關たる天皇なり。皇室費は末家に對す
る本家の掠奪に非らずして國家に對する皇室の権利なり。兵役は本家の利uの爲めに末家の殺戮さるゝことに非ら
ずして國家に對する國民の義務なり。天皇が他の何者も比較すべからざる重大なる榮譽權を有し國民の平等なる要
求を爲すべからざるは國家の利uの爲めに國家の維持する制度にして、皇室の特權を無視することは國家の許容せ
ざる所なり。即ち、大日本帝國は君臣一家の妄想にあらずして實在の國家なり、天皇は國民と平等なる親籍關係の
本家に非らずして國家の利uの爲めに國家に對して重大なる特權を有する國家の一員なり。實に忠孝一致論を唱ふ
る者は其の理由とする所の君臣一家論によりて國家に對する叛逆なりとすべし。(家長制度と忠孝主義とにつきて
は後に解く日本の倫理史を見よ)。
 内地雜居による一家論の困難
 斯る、日本國を以て一家の膨脹したる家長國にして國民は天皇の赤子なり天皇は民の父母なり
と云ふ國體論は内地雜居によりてヂレマに掛る。今日の法律は如何なる外國人と雖も日本の國籍
に入るときに於ては國家の臣民たる義務に於て差等なし。−−赤髯碧瞳の歐米人に取りては單に國籍に入れりと云
ふことを以て天皇の赤子なりとは承認せざる所にして彼等は日本國の臣民なりと云ふべく、K人種の入籍を許可し
て日本國の臣民とすべきも、天皇を以てK奴の父母なりとは天皇の快ろよしとせざる所なるべし。君臣一家論によ
りて天皇を家長なりとして忠を要求する穂積博士等の國體論者は何の理由に要めて歸化人の義務を要求するや。國
體論者の撰ぶべき送は二あり。即ち前きに言へる伊太利無政府黨員の暗殺と異教徒の叛逆に權利を附與し、外國の
歸化人は臣民たるの義務を免かると論ずることが一なり。他の一は内地雜居を排斥すること。
 而しながら土人の國體論者と雖も、内地雜居が重大の死活問題にして明らかに家長國の主張を掃蕩するものなる
ことを知れるが故に極力之に反對したることは事實なり。而しながら、國體論の復古的革命の成らざりしのみか斯
くまでに歴史の進化に打ち勝たれて内地雜居となれる今日今後を如何にするかゞ問題に非らずや。否! 歴史の始
 歴史上より君臣一家に非らず
めより所謂國體論者に對する脅迫は存するなり。穗積博士は英雄の姿を以て日本歴史を飾る神功
皇后は三韓より歸化せる者の裔なるを以て、國體の破壞者なりと云ふや。小學生徒をして最も悦
ばしむる坂上田村麿は雜種兒なるを以て國體を傷けたる國賊なりと云ふや。應神天皇の時に十七縣の人民を率ゐて
歸化せる阿智王の子孫及び當時の支那文明を輸入せる凡ての歸化人の子孫は氏にとりては天皇の臣民に非らず又天
皇は彼等の君主に非らずと云ふや。三韓征服の度毎に人口攝Bの目的を以て捕虜として連れ歸れる驚くべき多數の
奴隷と、蝦夷人種の歸化し或は征服されたる賤民なる者の血液の混淆せる者は、其の厚薄の度によりて天皇と國民
との權利義務及び道徳關係に達等を生ずるや。−−あらず、吾人は恐るべき國體論の破壊者を示す。
 誰ぞ、現在の天皇陛下なり! 而しながら國體論者よ恐るゝに及ばず、吾人は眞の天皇を神輿に奉じて吾人が今
 國體論の破壊者は現天皇陸下なり
爾等の土偶に爲しつゝある如く吾人の國體論に一矢を試みよと云ふ者にあらず。只、南都の僧
兵が其の神輿によりて當時の天皇を地獄に落すと威嚇したる如く、若し今の天皇が土偶の國體
論と背馳せる行動あるが爲めに不敬を加ふるが如きことあらば吾人は傍觀すべしと雖も國家には厳粛なる刑法あり。
即ち天皇の有する權限によりて外國を日本の版圖に包含せることなり。日清戰爭によりて支那人を包含せる如きは
巳に君臣一家論と忠孝一致論とを破壞したる前驅にして、日露戰爭によりて露西亞民族を國籍に編入せるは實に山
僧其の神輿を粉碎すべく、頑迷なる國體論者の土人等を排斥して内地雜居の條約を締結せる者は實に大日本帝國皇
帝陛下の名なりしぞ。
 否!.今日に於て君臣一家に非らざるは固より、歴史時代に於て國民が天皇の赤子にして天皇が民の父母に非ら
ざりしは固より、建國當時より日本民族は一家の膨脹せる者に非らざるは又固より、日本民族其の者が己に混淆せ
る血液に於て歴史以前より存在したることの定説となれる事實を如何する。吾人は斯ることにつきては殊の外門外
漢なるが故に無數に提出せられたる日本人種論につきて可否を決し得るものに非らずと雖も、高天ケ原とは空間の
 日本人種研究論と國體論者
高き所にあらずとなして地圖的に考察せられつゝありて、日本民族は特別に伊諾那岐伊册那美の
二人より繁殖し外國人のみ猿なりと主張する者の無きことだけは確實なり。−−此の事だけの確
實と云ふことは日本民族は一家の膨脹せる者なりと云ふ國體論の根本思想が確寶に虚妄なりと云ふことに非らずや。
吾人は敢てK人種を輕侮せず又白皙人種を崇拜せざるが故に自本民族の祖先をフィニシア人が印度を經て南洋に至
り、南洋より潮流に從ひて日向に上陸し支那より移住せる人種と混和して成れる民族なりと云ふ解釋を必ずしも悦
ぶ者にあらず、而しながら斯く解する者の存することは君臣一家論を證明する所以に非らざることは確實なり。又、
林産の競の如く其の泰伯跡を荊蠻に暗ますと云ふ語よりして、又凡ての文明が支那大陸と朝鮮半島とより來れる歴
史以後の事實より推して、吾人の祖先は悉く支那朝鮮より移住せる者にして日本民族は純然たる支那人種なりと云
ふ見解の必ずしも信ずべき者なりとも云はず、而しながら所謂古典派なるものよりも古來斯る説の勢力ありしこと
は忠孝一致論に材料を供給する所以に非らざることは確實なり。又、一般の科學的研究者の如く、言語學、解剖學、
人種學の上より考察して、日本民族は馬來人種と蝦夷人種と漢人種との雜種なりと斷定せらるとも吾人の可否を云
ふべき權なきは論なし。而しながら何事も科學的攻究の今日に於ては儒者や國學者なる者の空論に耳を傾くるより
も、科學者の研究の結果一般に信頼せられつゝある説明に從ふの外なきは當然なるべく、而して未だ一人の學者と
雖も日本民族は始めより此國土に住みて特別の一人種なりと主張する者の見られざるが故に、兎に角或る處より來
りて或る人種の混淆せる雜程なりとの見解は不動なる者とすべし。果して然らば、如何に下等なる物質にて組織せ
られたる頭腦を有すとも世人が穗積博士の憲法論に注意を拂ひつゝあるが如く、今日の程度に於ては例へ日本人種
の研究は甚だ幼穉なりとするも其途に於ては其途の専攻者に聽くべく、帝國大學教授法學博士とも在るべき者が一
國の基礎法たる憲法學を講ずるに自己も信ぜず天下も信ぜざる原始時代の原始的宗教を以て一切演繹の根本思想と
なすは何たる事ぞ。或は其の復古的革命主義よりして日本人種研究の如きは神政政治の家長國を建設するに不利な
りと云ふか。そは今日の國體に於て云ふべき事にあらずして國體論の復古的革命が成功し、現今の公民國家を破壞
し國家の機關たる天皇を覆へして、土偶が君臨したる時に於て言へ。吾人は茲に亦穗積博士の取るべき途を指示せ
んが爲めに故人内藤耻叟氏の言を擧ぐべし。是れ實に理想的國體論者にして其の朝廷の誅なる者を以て人種研究を
禁壓せんとしたる所、到底博士等の企及すべからざる一貫の態度なればなり。曰く、『我が神州の民は固と此の神
國に特生せる一の人種にして決して他國より遷轉し來れる者に非らず、全く此國に生ぜる開闢以來の一種特別の神
裔なり。この頃一種の小人あり、我が神人を以て他人種の遷轉し來りたる者となさんとす、以て西洋學者に媚附せ
んとす。其の心術の卑陋なる固より論ずるに足らずと雖も世人或はこの鼠輩を信ずる者無きに非らず。斯る臆説を
逞うして以て我が神聖なる朝廷を汚辱する者は實に天地に納れざる逆賊とす。誅せざるべからず。古へ桓武天皇の
御時に巳に明詔を垂れて斯くの如き小人を戒め給へり。今日朝廷の上に於て誅なきは何ぞや』
 
 親藉關係の平等なる今日に於て天皇を家長と云ふことの自殺論法
 實に、日本國今日の國體を以て家長國なりと云ふは斯る神道的迷信にして何
の根據なし。其の君臣一家論と云ひ忠孝一致論と云ふ者を家長或は本家が家族
と末家とに對して絶對無限權を有したる時代に唱ふるならば事實の如何は別問題として理由あるべきも、是を親籍
關係の平等を原則とする今日に於て主張するに至つては明かに自殺論法なり。故に『民の父母』と云ひ『天皇の赤
子』と云ふが如き語は歴史的踏襲の者にして恰も『神聖』の其れの如く意義なし。
 
 
 
         第十一章
 
           日本に於て系統主義と忠孝主義の特に發展したる理由−−系統主義と忠孝主義との顛倒せ
           られたる歴史解釋−−政治史−−順逆論と天動説−−教育勅語の歴史解釋と吾人の獨立−
           −天皇の鐡柵内に侵入する者−−日本には未だ歴史哲學なし−−政治史と倫理史−−皇室
           初代の政治的道徳的地位−−神武の結婚綏靖の即位−−純然たる原始的生活−−數の觀念
           の不明確なる時代と神武紀元の計算−−記録すべき文字なかりし一千年間は政治史より削
           除すべし−−コロンブス時代の羅馬法主の世界所有權と皇室初代の日本所有權−−逆進的
           批判に入るべき地方と塗國獨立の部落−−各族長の私有民と皇族の長との無關係−−國體
           論より除外すべき一千年間と當時の天皇の意義−−其後歴史的記録の編纂さるゝ迄の四百
           年間は依然たる原始的生活の繼承なり−−政治史の開卷第一章よりの亂臣賊子−−逆進的
           批判の歴史−−例外は皇室の忠臣義士にして國民の大多數は亂臣賊子なり−−皇室は最初
           の強者なりき−−蘇我氏の亂臣賊子−−大化革命後の八九十年間−−家長國に於ける財産
           權としての統治權−−祖父の愛孫と後見人の權利−−大政六蘆の不可侵權−−壷切の劔と
           皇位繼承權の表白−−天皇對内閣全員のストライキ−−血液による皇位の侵犯−−山僧の
           活動と平清盛−−中世史即ち日本歴史の全都なるを例外とは何ぞ−−平氏、源氏、北條氏
           −−北條氏の三帝放逐と國民の共犯−−吉野山の殘兵よりも多き高時の殉死者−−敗れた
           る忠臣よりも勝てる足利氏はより多くの亂臣賊子を有す−−師直の天皇不用の放言と政黨
           内閣論者−−戰國時代の皇室の悲慘の事例−−秀吉と權利思想の表白−−徳川氏の對皇室
           策−−抱腹すべき徳川責任内閣論−−有賀博士は委任の文字を逆進せしめて論ず−−不斷
           の幽閉と不斷の強迫讓位−−義時の自家防衛と徳川氏の積極的迫害−−王覇の辯の主權論
           と白石の幕府主權の計畫−−天皇の榮譽權の蹂躙−−勤王論の言論迫害と志士の窮迫−−
           日本歴史は亂臣賊子の連絡して編纂したる者なり
 
 以上論ぜる如く一家と云ひ一致と云ふが如き誠に迷信者の捏造に過ぎずと雖も、君臣一家論の據て生ずる根本思
想たる『系統主義』と、忠孝一致論の基く『忠孝主義』とは決して輕々に看過すべからざることなり。
 固より特殊に日本民族のみに限らず如何なる民族と雖も社會意識の覺醒が全民族全人類に擴張せられざる間は、
系統を辿りて意識が漸時的に擴張するの外なきを以て血縁關係に社會意識が限定せられて系統主義となり、從て其
進化の過程に於て生ずる家長國に於ては當然に忠孝主義を産むべきものにして、天下凡て系統主義と忠孝主義とを
經過せざる國民は無し。只日本民族に於てはゲルマン民族の家長國の中世史を終ると共に古代に存在せしラテン民
族の民主政を囘顧し得たる西洋史の如くならず、而して海洋の隔絶によりて歐州民族の如く早く中世史を脱する能
はざりしが爲めに、即ち維新革命が佛蘭西革命より後れたるを以て、國家主權の今日に於ても尚惰力に放て君臣一
家論となり忠孝一致論となりて迷信に漂ふのみ。兎に角斯る事情の下に系統主義と忠孝主義とは日本に於ては些の
障害なく著しく發展したり。故に系統主義と忠孝主義とは是を國家主權の今日に於て主張するは明らかに復古的革
命主義なりと雖も、二千五百年間と稱せらるゝ上古中世を通じての歴史は此の鍵なくしては開かるべからず。茲に
 系統主義と忠孝主義との顛倒せられたる歴史解釋
於て所謂國體論者は云ふべし、故に日本國民は克く忠孝に萬世一系の皇位を扶翼して萬
國無比の國體を成せるなりと。是れ忠孝主義と系統主義とが東洋の土人部落に取られた
るが爲めに前提と結論とを顛倒せられたる者なり。−−日本民族は系統主義を以て家系を尊崇せしが故に皇室を迫
害し忠孝主義を以て忠孝を最高善とせしが故に皇室を打撃したるなり。吾人は薄弱なる根據によりて古今の定論た
る者に反抗するに非らず、政治史と倫理史とは吾人をして此の斷定を避くる能はざらしむ。−−系統主義の民族な
りしと云ふ前提は世界凡ての民族の上古中世を通じて眞なり、而もその故に萬世一系の皇室を奉戴せりと云ふ日本
歴史の結論は全く誤謬なり。忠孝主義の民族なりしと云ふ前提は世界凡ての民族の上古中世を通じて眞なり、而も
その故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云ふ日本歴史の結論は皆明らかに處僞なり。
 是れ君主々權論か國家主權論かの法理學を決定すべき政治史なり、是れ忠君か愛國かの倫理學を判斷すべき倫理
史なり。是れ實に凡てに通ずる社會進化論にして即ち歴史哲學の日本史なり。自己の歴史を意識せざるものは其の
南洋なると東洋たるとを問はず土人部落たることに於て別なし。
 
 政 治 史
先づ政治史より考察せしめよ。
歴史は嚴肅なる判官なり。然るにこの判官の前に立ちて今の日本國民は凡て事實を陰蔽し解釋を
紆曲して虚僞を陳述しつゝあり。所謂順逆論なる者是れなり。曰く、日本民族の凡ては忠臣義士にして亂臣賊子は
例外なりと。而して此の順逆論につきて疑問を抱く者なきは、嘗て太陽が世界の東より西を繞ぐると盲信せられた
 順逆論と天動説
るが如し。而しながら吾人は斷言す、−−太陽が世界の東より西を繞ぐる者に非らざることの明
らかなりしが如く、必ず一たび地動説の出でゝ、例外は皇室の忠臣義士にして日本國民の殆ど凡
ては皇室に對する亂臣賊子なりとの眞實に顛倒されざるべからずと。此の言に驚くものは恰もガリレオの言に怒り
たる天動説の羅馬法王廷の如く、國體論の歴史解釋を羅馬法王の權威としつゝあるが故なり。或は『今日朝廷の上
に於て誅なきは何ぞや』と云へる復古的革命主義者は、教育勅語を引用して『爾臣民克く忠に克く孝に億兆心を一
にして天壌無窮の皇運を扶翼したり』との意味の文字を引用して、ガリレオにも非ざるべき微少なる吾人の言を迫
 教育勅語の歴史解釋と吾人の獨立
害せんと試むるやも知るべからず。而しながら日本天皇は固より羅馬法王に非らず。天皇は學
理を制定する國家機關に非らず。故に巡査が勅令を出すとも無効なる如く、天皇が醫學者に黴
菌學上の原理を命令し、理科大學に向て化學の方程式を制定したる法律を下すとも固より效力なし。國體論中の土
偶と明皙なる天皇とを混同することは決して許容さるべからず。天皇は詠歌に於て驚くべき天才を示しつゝありと
雖も而も星と菫とを歌ふ新派歌人を詠歌法違反の罪を以て牢獄に投じたることなきがごとく、天皇が如何に倫理學
の智識に明らかに歴史哲學につきて一派の見解を持するとも、吾人は國家の前に有する權利によりて教育勅語の外
に獨立すべし。天皇が倫理學説の制定權を有し、歴史哲學の公定機關なりとは大日本帝國に存在せざる所の者にし
て、妄想によりて畫きたる眩影を指して天皇なりと誤るべからず。故に、教育勅語の中に在る『皇祖皇宗徳を建つ
ること深厚なり』の語が、ルヰ十四世の専制を想望する今の復古的革命主義者の見解に合せず、古今の天皇皆ルヰ
十四世の如き専制權を振ひしと解すとも亦等しく彼等の自由たるべし。吾人は吾人の見解、即ち天皇の祖先は皆多
く優温閑雅の詩人的天才を遺傅的に有し、儒教の政治道徳學を理想として國家の利uと目的との爲めに行動すべき
ことを期待したりとの意見に於て爭ふも、教育勅語違反の不敬漢なりと云ふが如き卑陋は口にだもせず、又天皇と
吾人とは彼等を迫害すべき權利なきものなり。果して然らば、臣民は克く忠孝に世々その美を濟して萬世一系を奉
戴せりとの天皇の見解と吾人の見解と全く合する能はずとも、その天皇の歌風と〔星〕菫詩人の文句とが背馳する
が如き者と等しかるべく、吾人は學理攻究の自由によりて、皇室の常に優温閑雅なりしにも係らず、國民の祖先は
常に皇室を迫害打撃し、萬世一系の傷けられざりしは皇室自家の力を以て護りしなりと斷定するに於て何の憚りあ
らんや。由來學理上の問題に政治的特權者の見解を引用して自家の醜劣を蔽ふの狂態は東洋の土人部落を外にして
は見らるべからず。又他面より考ふるも教育勅語中の其文字の如きは單に天皇の國民を稱揚したる者として見れば
可なり。幾多の戰爭に於て勝利を得る毎に、天皇より安くる稱讃に對して皆型の如く、是れ皆大元帥陛下の御稜威
に依るとして辭退しつゝあるに非ずや。皇室が自家の護りたる萬世一系を國民の尊王忠君なるが故に然りしかの如
く解し、却て皇室に恩を售らんとするが如き跡あるは獨り何ぞや。而も吾人の如く國民の祖先が皇室に對して悉く
 天皇の鐵柵内に侵入する者
不忠不義の者のみなりし事を言はんとするものあらば恐らくは呼ばるゝに『不敬漢』の一言を以
てすべし。斯る發狂は如何なる精神病學者も病名に苦しまん。國家の刑法は國家の利uの爲に設
けられたる制度として、天皇と皇室とに不敬を加へたる者を許容せず。國民が歴史の鏡に照されて過去の行爲と良
心とを敍述さるゝに不敬罪を以て護るあらば、是れ天皇の鐵柵内に四千萬の國民が侵入する者なり。穗積博士の如
きは此侵入者の例にして、其著『憲法大意』に於て『日本國民を忠孝の念に乏しと云ふ者は之を侮辱する者なり』
と云へるが如き足れなりの歴史をして充分に侮辱せしめよ。
 
 日本には未だ歴史哲學なし
 而しながら日本に於ては歴史的事實の記録されたる者あるも未だ一の歴史哲學なる者なし。歴
史の意義は社會進化の過程を知ることに在り。即ち歴史哲學とは社會哲學に包含されたる社會進
化論のことなり。然るに萬世一系の鐵槌に頭蓋骨を打撲せられたる白痴の日本國民は嘗て日本史の進化的研究を試
むることなく、政治史と倫理史とは日本民族のみを進化律の外に置きて只順逆論の逆進的批判を爲すのみなり。本
編の始めに少しく言へる有賀長雄氏の如き日本唯一の政治歴史家を以て認識せらるゝに係らず、『天皇』と云ふ文字
 政治史と倫理史
の上に一切の空中楼閣を築き、日本民族は此の周圍を廻轉して些の進化なき者と考へつゝあるが
如き是れなり。今日世に存する倫理史の著者の如き、日本民族は移住當時の原始的生活時代より
皇室と國氏との關係が今日の如く、今日の關係は又雄略仁徳時代の如く、克く忠孝に穴居時代より教育勅語を遵奉
せる者と考へて其倫理史を綴りつゝあるなり。憐むべき東洋の土人部落よ、鐵道と電信とがありて文明國たり得る
ならば亞弗利加の内地も文明の君子國なるべし。政治的形式は二千五百年間同一の軌道を循環したる者に非らず、
道徳的内容は亦開闢以來淀みなく進化し來れり。然るに後代の政治を以て太古を推想し、太古の道徳を今日の規範
によりて評價しつゝありとは土人部落に非らずして何ぞ。故に、吾人は日本の政治史と倫理史とを進化的に敍述し
て政治的形式と道徳的内容との進化し來れる跡を見んと欲す。只、如何せん、所謂國體論と稱せらるゝ逆進的批判
によりて歴史的事實の蔽はるゝが爲に、止むを得ざる方法として排除的態度に出でゝ第一に順逆論を驅逐せざる可
らず。
 順逆論とは、日本民族は悉く皇室の忠臣義士にして亂臣賊子は例外なりと云ふ妄想を云ふ。日本國民は此の逆進
的敍述の爲めに後世の謚名に過ぎざる神武天皇を以て後世の天皇の如き意味に解し、形態發菅の同一なる標號の用
ひらるゝが爲めに中世と近代との異なるを忘却せるのみか、謚名に過ぎざる原始的生活をも一律に律しつゝあり。
若し神武天皇と呼ばるゝ時代に於て、皇室と國民との關係が後代の如くなりしとせば、神武天皇の結婚の如きは如
何にして解せらるべきぞ。今日の『御通り』に於て見るが如き特權ある天皇なりしならば、神武自ら路傍に立ちて
 皇室初代の政治的道徳的地位
道行く七人の小女に就きて自らの口を以て婚を求むるが如きことのあるべき理なく、又、先年の
『御慶事』に於て開きし如き榮譽ある天皇なりしならは、神武自ら小女の家に通ひて、葦原のし
こけき小屋に菅疊いやさや敷きて我が二人寝しと歌ふが如き事のあるべき理なし。戀に上下なしと云ふことの一面
の理なると共に戀ほど階級に隔絶せらるゝものなし。今日諸國の君主にして自ら路傍に立ちて戀を語り、茅屋に通
ひて戀を遂やるが如きは精神の常態を失したる時と組も想像し得べからず。固より神武は數千年以前の者な吩と云
ふを以て智識に於ても今日を以て推及すべからざるは論なしと雖も、兎に角日本の建設者と稱せらる者、吾人は決
して戀愛の爲めに其の政治的道徳的地位を汚辱するほどの無智ならざりしを信ぜんど欲す。政治と道徳との進化を
認めざる逆進的歴史家は日本歴史の第一頁より『天皇』と『皇后』とが皇位を汚辱して其取所謂國の父母たるを得た
 神武の結婚綏靖の即位
りと考ふるや。時の天皇に取りては路傍の求婚と醜けき小屋へ通ふことは汚辱たるべきほどの隔
絶せる地位に非らざりしを以てなり。又神武に次ぎて即位せりと云はるゝ綏靖天皇の母の如きは
神武の皇后(文字の形態と發菅によりて内容を推想すべふらず)なりしに係らず、其の夫神武の子なる多遮耳と再
婚し、多遮耳が綏靖天皇を殺さんとせるが爲に綏靖が反撃して位に即げるが如き如何に今日の進化せる道徳と異な
るやを見るべく、而して多遮耳の殺されたる時に其の皇子なるにも係らず實に穴居せるに於ては又如何に皇室の地
位が後代を以て推測すべからざるかは推想し得べし。しかるに若し是を今日の政治歴史家と倫理史の著者の如く皇
室の地位が古今不變なる者と考ふるならば皇室を初代より破倫極まる不道徳者のみと論決せざるべからず。然かく
不道徳の者が假令如何に強者なりと雖も人民の團結の上に立ちて支配するを得んや。良心の内容は東西に於て異な
る如く古今又同じからず、今日の進化には今日の良心あり穴居時代の未開には又穴居時代の良心あり。皇室と國民
とが階級的懸隔なかりし時代に於ては神武天皇の戀ほ皇室の政治的地位を汚す者に非らず、結婚關係の薄弱なりし
原始的生活時代に於ては母と異子とめ結婚も皇室の恥辱たるべき不道徳に非らざりしなり。−−一言にして評すれ
ば原始的生活時代に於て獨り皇室の祖先のみ後代の政治的特權と道徳的義務とを有したるの理なきを以てなり。實
 純然たる原始的生活
に純然たる原始的生活に非らずや。陶器は單に粘土を水にて固結せしめたるを火に燒きし者に過
ぎざるが故に緑葉を上に敷きて盛り、机と云ふも未だ釘なきが爲めに一枚の板に四本の木を葛に
て結び附けたるに過ぎず。物尺の如きは固より無く、單に咫と云ひ握と云ひ尋と云ひて各自の指手を以て大體を計
量するに過ぎず。大和武尊の八百年後に至りて[石遂]石を以て發火せる事實あるも、其れまでは今日其の遺風を繼承し
て伊勢大神宮出雲大社等にて用ひつゝありと云ふ如く槽の磨擦によりて火を得たるほどなり。染料の如きは無く今
日の亞米利加印度人の如く植物の草葉或は色彩ある粘土を布帛に[てへん櫂]りつけたるものにして、其の帛と云ふも上流の
者に止まりで、口中に繭を舎み唾液の熱を以て絲を引き出し何等かの野蠻なる方法を以て綴り合せたるものなり。
−−否! 支那と交通するに至りで文字の輸入さるゝまでは文字なき純然たる原始的生活時代として政治史より除
 数の觀念の不明確なる時代と神武紀元の計算
外すべきことを當然なりとす。即ち一千四百年後に書かれたる古事記日本紀を信じて、其
の四百年前に至り始めに文字を得たる者とせば、前きに論じたる火星文字の假説によりて
其の謂ふ所の一千年間は單に傅説として受取れば可なり。何となれば是れ其の傅説たることに放て移住以前の高夫
ケ原時代と相違なく、而して高天ケ原時代は今日の歴史家に於ても單に傅説として待遇するを以てなり。吾人は固
く信ず−−今日の南洋の原始人が事實に於ては幾萬年の暦日を經過したるに係らず祖先が怪鳥猛獸と戰ひしと云ふ
二三の口碑より外に歴史的自覺なきが如く、紀元後所謂一千年間と稱せらるゝ原始的生活時代は文字を以て記述す
べきほどに座史的自覺なかりしなりと。實に歴史を意識するは人類中の文明人のみにして、若しくは文明人の文明
に進みし時代のことのみにして、今日の歐州文明人が未だゲルマン蠻族として獨乙の森林に原始的共和平等の部落
として存在せしより遥かに以前なりと計算せらるゝ神武時代に放ては、後世の僅少なる口碑傅説によりて(若しく
は後世の恣なる作造推想によりて)皇后の册立皇后の處在等を推定し得るに過ぎざるほどの文化にして、歴史的意識
を有せざる純然たる原始的生活時代なりしを以てなり。彼の神武以後の四百年と數へらるゝ安寧懿徳孝照孝安孝靈
孝元開化と遥かに後世より謚名せらるゝに止まりて何等歴史上の記述さるゝ者無き此例なりとすべし。今日歴史家
の或者が神武紀元を二千五百年よりも遥かに後世なるべしと論ずる者あるは其論據とする所固より薄弱なりと雖も、
紀元後千四百年に文字なき時代の傅説を集めたる古事記日本紀も傅説より以上に確實なる者に非らざるは論なし。
即ち古事記日本紀が傅説によりて神武の移住を今日より二千五百年前なりと數へしむるとも、其の傅説たることに
 記録すべき文字なかりし一千年間は政治史より削除すべし
於て『其壽各々一萬八千歳』と云ふと同一なり。何となれば時間の觀念に於て不明
確なる、即ち物の數を精確に數ふる能力なきは原始的生活の一般にして、今日文明國
の文明と云ふも誠に最も近き近代のものに過ぎざればなり。果して然らば斯る原始的生活時代に於て例へ其が一千
年間なりとするも、將た十萬年間なりとするも、文字なき時代は政治史の取扱ふ所に非らざるを以て、而して又取
扱ふにも及ばざる價値なき暦日の流轉に過ぎざるを以て、其の間例へ何事が皇室の祖先と國民の祖先との間に存在
せしとするも原始的生活時代は原始的道徳を以て評價すべく、歴史は後代の順逆論を以て逆進して批判すべき者に
非らざるなり。即ち記録すべき文字なかりしと云ふ一千年間と數へらるゝ傅説的年代は當然に政治史より削除すべ
きことを主張す。實に支那の歴史家が各一萬八千歳なる壽を算して支那の歴史を數萬年なりと云はざる如く、日本
歴史を『二千五百年』史と云ふことは大なる恥辱なりとす。而して時に注意すべきは今日四千五百萬人の祖先の多く
は當時の近畿地方に限られたる戦勝者とは關係なき他の地方の部落の原始人なりし事なり。固より神武天皇の傍に
 コロンブス時代の羅馬法王の世界所有權と皇室初代の日本所有權
於ては普天の下王土に非らざるなく率土の濱王臣に非ざるなしと後世の古典によ
りて想像せられたりとするも、其は恰もコロンブス時代の羅馬法王が未だ發見せ
られざる世界の所有者なりとせられたるに係らず、支那も日本も印度も決して法王の王土にも非ず王臣にも非ずし
て其れぞれ獨立なりしが如く、順逆論の逆進的批判に入るべき者は實に近畿地方の小區域に過ぎざりし也。彼の始
めて租税、寧ろ祭祀の費用として熊皮鹿角等を徴集せし崇神天皇が『遠荒の民今尚正朔を幸ぜず』と云ひしは、固
より羅馬法王の世界所有権と等しき思想を以てせし古典の逆進的口吻なりと雖も、意味する所は即ち天皇の統治權
が拒絶せられたりと云ふことにして東北に獨立せる蝦夷九州に在りし支那の屬邦或は獨立の部落に取りては他の侵
 逆進的批判に入るべき地方と全國獨立の部落
略を防禦して對抗せりと云ふことなり。−−故に建國の始めより日本天皇を以て今日の地
圖面に散布せる國氏の祖先の君主にして國民の祖先の凡てと今日の土地の凡てとが王臣王
土なりしと云ふは歴史を無試する者なり。國體論と云ふ羅馬法王に取りては古事記日本紀はバイブルたるべしと雖
も土偶は歴史晢學の全能者に非らず傅説の補綴は神聖不可侵に非らずり−−而して亦近畿地方に於て天皇たりしと
するも、始めは天皇の所有の最も大なりしに係らず他の大族の發達と共に其の所有地と所有民は愈々強大を加へて
終に皇族と對抗して相下らざるに至り、天皇の所有地の外なる土地及び所有民の外なる人民は他の族長の所有地所
有民として天皇とは無關係の者なりき。故に天皇の統治外に獨立せし全國の大部分と、各族長の下に所有されし大
 各族長の私有民と皇族の長との無關係
多數の人民とは、皇室とは何等の關係なかりしが故に自ら順逆論とは別問題なり。即ち神武
紀元後一千年間と稱せらるゝ原始的生活時代は各一萬八千歳と等しく暦日の觀念の不確にし
て歴史的自覺なかりしと又歴史的事實を記すべき文字なかりしとを以て、政治史と倫理史とより除去すると共に又
 國體論より除外すべき一千年間と當時の天皇の意義
當然に『國體論』より削らるべきなり。而して謚名せられたる天皇の文字の内容は原
始時代の一強者として定めよ。
 否! 其の後四百年を經て歴史的記録の編輯さるゝに至るまでは尚歴史的記録を要せざるほどに歴史的自覺なき
原始的生活の繼承なりき。−−今日以后四世紀間歴史的記録なくして今日の吾人及び四百年間の子孫が滿足すべし
と思ふや。事實につきて當時の文化の程度を見よ。雄略天皇の崩じたる時遺族驚懼して殯宮に坐し、國大奴佐をし
 其の後歴史的記録の編纂さるゝまでの四百年間は依然たる原始的生活の繼承なり
て種々の生剥、逆剥、犯己母罪、犯己子罪、犯母與子罪、馬婚、牛婚、鶏
婚、犬婚の罪を求めて國の大秡を爲して神に謝したりとあるに見ても當時
の道徳が純然たる原始的の者なりしことを察せらるべく、夫婦同居の家族的結婚にも進まず多く一時的生殖關係
に過ぎずして、多妻多夫の間相知らざりしを以て異母兄弟の結婚は儒教の形式的道徳の入りし後にも自由なりし程
なりき。而して儒教渡來後二百年に至るも一人の王辰爾なる歸化人を外にして高麗の奏文を讀み得たる者なきに想
到せば依然として野蠻なる發音と態度とを以て意志感情を表白しつゝありしを見るべく、上層階級の如き常に三韓
の使者の笑謔の材料となり、仁徳天皇に至つて文明の農業を學び茨田堤を築きて旱に備ふるを知りしに至ては如何
に原始的生産の未開極まるものとして猿のごとく手より口に生活しつゝありしかを知るべし。而して、和銅年間の
鑄錢あるまでは外國錢の些少なる輸入されたるものを奨勵するに爵位を以てせざるべからざる程なりき。斯る經濟
状態は學者の所謂物々交換の時代と稱して原始的生活の證明となしつゝある所の者なり。是れを天皇の生活に就き
て見るも、一千三百年彼の皇極天皇が其の皇居を瓦葺にするまでは佛寺のみ外國的建築にして、民族最大の強者は
堀立柱に藤葛を以て縛し其の茅萱を堅魚木によりて風を防ぎたる今日の南洋に於て見るべき家屋に生活したりしな
り。−−否! 其の四百年間と云ふも等しく記録なき時代の傅説なるに非らずや。故に、吾人は斯る時代に迄今日
の政治的理想と道徳的判斷とを逆進せしめて順逆論者を困難に陥るゝ者に非らずと雖も、其の外國文明との接觸に
よりて西南地方は皇室祖先の統治權を峻拒して自由に行動し、儒學佛教の進化せる哲學宗教は多神教祖先教の未開
思想を先づ上層階級より驅逐し始めて茲に皇族の基礎を掃蕩して諸大族の交る交るなる亂臣賊子なるものを生ずる
に至りしことせ知らざる可らず。國體論に對する侮辱は歴史的生活時代の開卷第一章よりして存す。彼の所謂蘇我
 政治史の開卷第一章よりの亂臣賊子
氏の専横と稱せらるゝ事實の如きは皇族なる大族が其の強者たる地位を失ひて他の諸大族に壓
倒せられたる事例の著しき者にして、諸族の膨脹發達して他の族長たる天皇と對抗するの勢力
を得たるは實に原始的生活時代の完結と共に始まりしなり。實に原始的生活時代の一千年間と稱せらるゝものを除
げる歴史的生活以後の一千五百年間の日本歴史は羅馬法王廷の所謂國髄論を根底より覆へす。
 
 實に、教育勅語の稱讃を其の儘に自己に對する讃辭として、克く忠孝に億兆心を一にして世々厥の美を濟し以て
萬世一系の皇統を奉戴せりと稱する國體論者は原始的生活時代を除去せる一千五百年間の歴史を顧みよ。一千五百
 逆進的批判の歴史
年間は日本歴史の凡てなり、凡ての日本歴史を顧みよ。吾人は、幼時の行爲を成人せる後の道徳
的標準を以て批判せざるごとく、一千五百年間の長き間を尊王論時代の良心を以て逆進的に評價
し、忠臣義士と云ひ亂臣賊子と云ふが如き蒙昧なる敍述を敢でする者に非らず。而しながら逆進的批判の國體論な
る者が、其の逆信的敍述が歴史の態度として巳に顛倒せるのみならず、其の逆進によりて得たる批判其事が悉く歴
史的事實を無視して全く顛倒せる歸納を爲しつゝあるに至りては、先づ其の歸納の顛倒なることを指示せんが爲め
に暫く彼等の逆進的批判と同一なる態度を取りて敘述するを避くる能はず。是れ新しき見解せ立てんが爲めに舊説
を打破するに當て避くべからざる方法なればなり。即ち、天動説に對する地動説の如く、國體論が日本歴史を解し
て皇室に對する亂臣賊子は二三の例外にして國民は古今を通じて忠臣義士なりしと云ふと正反對に、歴史的生活以
後の日本民族は皇室に對しては悉く亂臣賊子にして例外の二三のみ皇室の忠臣義士なりしとの眞實を以て國體論其
 例外は皇室の忠臣義士にして國民の大多數は亂臣賊子なり
の者を顛覆することは迷信者の最も善く覺醍すべき刺激たるせ以てなりり實に例外
とは僅少の特異なるものにして一般大多數を通例と云ふならば、亂臣賊子は一般大
多數の通例にして皇室の忠臣義士は僅少の特異なる例外なり。然るに之を正反對に解して殆ど古往今來の定論とな
しつゝあるが故に世界萬國の歴史中日本の歴史家によりて綴られたる歴史なる者より噴飯憫笑すべき謎語を連ねた
る者無し。事實は事實にして歴史は歴史なり。萬世一系の鐵槌に頭蓋骨を毆打されたる白痴は如何に其の事實を組
み其の歴史を綴るとも事實は正直にして僞るべからず歴史は嚴正にして蔽ふ能はず。國體論者の夢想が成功して秦
の始皇帝を擁立せざる間は燒かれざる古今の記録は決して國體論を顛覆せずして止む者に非らず。見よ。
 嚴密に云へば日本氏族の歴史的生活は古事記日本紀の編纂されたる以後の約一千年間なり。而しながら古事記日
本紀の記録を信じて歴史的生活時代は文字なき原始的生活時代の一千年間を削除したる三韓交通以後の一千五百年
 皇室は最初の強者なりき
間とすべし。固より三韓征服の當時に於て皇族は諸大族中の最も強大なる大族にして應神仁徳の
如き儒教の政治道徳學を嚴守せる君主、或は雄略武烈の如き家長としての權利を極度迄行使した
る君主となり、以て他の大族の上に主權を振ひたりき。而しながら社會の發達人口の揄チによりて諸大族の交る
交る興亡して遂に蘇我族の強大となるや、他の諸族を壓倒し歸伏せしめて皇族と強者の權を爭ふに至り、而して相
降らざる迄の對抗を爲すに至れり。皇族の長の如く其の族長の墳墓を大峻小峻と名け、其の居を宮門と云ひ、谷の
 蘇我氏の乱臣賊子
御門と云ひ、其の子を皇子と呼び五十人の儀仗を從へて出入し、城柵を繞らし兵庫を有する宮殿
に據り、恰も皇族の爲す如く其の族民以外なる蝦夷の歸化民及び他の族長の所有民に勞役を賦課
したり。崇神天皇の弑殺と云ふが如き一事實よりも斯る行動は時の天皇の有したる凡ての特權を所有したるものに
あらずや。吾人は斯る國體論者と雖も知悉せる事例を擧げて足れりとするものに非らずと雖も、歴史的生活の始ま
ると共に強者の權を以て皇族の強に對抗せし第一の事例として、例外なる亂臣賊子が開卷第一章より存せしことを
指示せざるべからず。
 次に來る者は大化革命の理想的國家の失敗によりて來れる藤原氏専制時代なり。天智天皇が儒教の政治學により
て国家主權の公民國家を未だゲルマン文明人の祖先が暗Kなる中世史の初期に入りし時代に於て建設せんと夢想し
 大化革命後の八九十年間
たりし所以の者は、族刺々度と祖先教とを以ては佛教の蘇我族に壓伏されんとしたる如く社會の
進化し新宗教の來れる當時に於て皇室の基礎たる能はざるを看取したるが爲めなり。茲に於て天
皇は蘇我氏顛覆の凱歌を終ると共に、天皇を以て國家最高の機關として全人民全國土の上に支配すべき理想を表白
したり。(大化革命の理想の實現につきては後の維新革命を論じたる所を見よ。儒教は世俗の所謂民主々義に非ず、
『社會主義の啓蒙運動』を見よ。)斯くの如くして皇室が天智の明哲によりて全國民の上に國家機關の理想を以て臨
みたる者實に八九十年間なりき。而しながら基礎なくして建築は成る者に非ず、理想は遠き昔に掲げらるゝ事恰も
プラトーのレパブリックの如くなりと雖も實現は皆永き進化の後に於て縛らる。當時の國家主權の國體と國家の最
高機關たる天皇とは天智の如き明哲なる人物に於てのみ理想さるべく、其後祖先教の代りに佛教を國教とするが如
き事ありて儒教の理想と全く背馳し從て國家機關の理想は先づ朝廷の手によりて破壞せられ念佛と題目とが政事と
なるに至りて大化の理想的國家は理想家の死と共に葬られたり。佛寺伽藍の建立、僧侶比丘尼の遊民の攝B等によ
 家長國に於ける財産權としての統治權
りて租税と皇室の私有財産とにて足らず、茲に統治權を皇室自家の利uの爲に行使し官職を
責買して國家機關たる天皇は國家を自己の目的の下に存すとする家長君主となり、其賣官制
度によりて國家の機關たりし國司は再三同地に任ぜられて土着し、在來の土豪の外に多くの土地人民を所有し後世
の群雄割據となり封建制度となるべき家長國の萌芽を作りつゝ始まるに至れり。即ち、大化革命の主謀者が世を去
ると共に皇室は統治權を自己の目的と利uとの爲に存する所有權と考へて、土地及び人民を統治して得べき利uを
獻金なる名に於て讓渡し、獻金を以て國司たりし土豪等は購買したる統治權を以て土地人民を自己の目的と利uと
の爲に所有物として處分するに至りしなり。−−故に當時の天皇の文字の内容は最も多くの土地と人民を有する強
大なる家長なりと知るべし。此統治者が國家の目的と利uとの爲に存せず自己の財産權の行使として統治權を行使
したる時代なりしが爲に、藤原氏は自己の利uの爲めに統治權を行使すべき後見人を爭ひて所謂藤原氏専制時代を
生じたるなり。穗積博士等の復古的革命主義者が夢想する、天皇が國土及び人民の所有者にして統治權を天皇の財
産權とせし時代は、後見人たる道長をして此の世を我が世とぞ思ふと歌はしめし如く後見人の横暴を來し得べき家
長國の平常なり。當時の天皇なる者は藤原氏の産める所にして其の母なる藤原氏の女と共に將來攝政たるべき祖父
の家に連れ行きて養はれ、殆ど前後も解せざる中に國家と云ふ財産を相續して國家の戸主となり、而して代を重ぬ
るに從ひ天皇の血管中には神武天照の遠き血液よりも藤原氏の血液が多量に循環するに至り、當然の情として其の
 祖父の愛孫と後見人の權利
母たる藤原氏を愛し其の祖父たる攝政を慕ふべく、攝政は亦天皇の祖父として祖父と愛孫との濃
厚なる愛情を以て其愛孫たる天皇の相續を希望し戸主の幼少によりて後見人となれるなり。−−
統治權の禁治産者に對して後見人の専斷を爲すは統治權の財産權たりし時代に於ては少しも不法に非らざりしなり。
逆進的批判者は後代の天皇と攝政の權利權限を以て一千年前の古代を推想して藤原氏専横時代と名けて憎みつゝあ
りと雖も、實は祖父の愛情と權利とによりて幼戸主の意に反して財産の處分を爲しつゝありしのみ。世に不法を以
て榮え不法を以て永續せし者無し。藤原氏専制時代と稱する者が地方に於ける家長等の發達して源平の名に於て政
權を爭ふに至るまで繼續せしは家長國に於ける後見人として些の不法なかりしを以てなり。藤原氏は天皇を其の孫
として愛し天皇は藤原氏を祖父として慕ふ、未だ祖父が無智の幼孫の命令に從ひ幼孫が祖父の計らひを斥けざりし
と云ふを以て後世より亂臣賊子と云ふは沒理も甚しとすべし。故に血液の混淆により王氏藤氏と併稱するた至り恰
も君臣一家論者の如く皇家と藤原家とを平等の親籍關係と解せるに非らずや。故に親籍の愛孫の神聖なる如く、祖
 太政大臣の不可侵權
父たる親籍の太政大臣は彈正臺の責問すべからざる無責任の不可侵權を享有したるに非らずや。
故に基經は其の姪なる清和天皇を廢すること恰も幼戸主を去るが如く易々として行ひしに非らず
や。故に源氏の姪を得て臣に降れる定省親王が基經によりて弘元天皇として立てられ、基經をして大權を總攬せし
め彼の怒りに對して恐怖したるに非らずや。故に基經の子時平が位を受くるや其の母が天皇の親筆を以てせざるを
 壷切の劒と皇位繼承權の表白
見て乃父の恩惠によりて立てる源氏として禮に罪らずとして之を裂き、兄仲平の時には天皇恐怖
して自ら筆を執りて怒を宥めたるに非らずや。故に壷切の劔を以て皇位繼承權が藤原氏と天皇氏
との混淆せる血液に在ることを表示し、藤原氏の血液の稀薄なる後三條天皇が藤原氏の衰へたるに乘じ事を以て抗
 天皇對内閣全員のストライキ
 血液による皇位の侵犯
爭するや、藤原氏の一族は皆退朝すべしとの號令の下に對皇帝全内閣員と云ふ大ストライキを以
て打ち勝ちたるに非らずや。女帝の寵愛によりて國家の戸主權を相續せんとせし受動的の道鏡の
みが例外に非らず。國民たる自家の血液を以て皇室祖先の血液と代謝せしめ皇室祖先の血液の多
量なるものを排斥して皇位繼承權を獨占したる藤原氏の連綿たる専制時代は、例外なる亂臣賊子
と云はん濫は餘りに長き數百年の例外なり。
 
 藤原氏専制時代の終幕と共に清盛入道の登場となる。而しながら精確に言へば其の間に甚だ短き一幕の茶番狂言
あり。即ち山僧等の神輿にして皇位は實に是れが爲めに夥しく脅迫せられたることなり。固より當時の白河院政と
稱せらるゝ前後數十年間は何の基礎なく、單に漸く政權を爭ふまでに進みつゝありし豪族なる家長君主等の權力平
均の上に榮華を夢みたる者なりと雖も、其の夢を第一に起ちて打破したる者は實に山僧の神輿なりしなり。今日、
 山憎の活動と平清盛
權力の前に尾を振りて國體寺の後に從ひつゝある輕蔑すべき圓頂寺よ。陛下の宸襟を惱まし奉る
逆賊とは新思想の入り來る毎に必ず用ひらるゝ宣言なりと雖も、双六の恣ならざるに比せし白河
法王の歎息は實に佛教徒の放誕なる活動の爲めなりき。大乘教と教育勅語との牴觸せずとは今日の國體寺の僧侶等
の輿論なりと雖も、當時の山僧は僧餘慶を天台寺の座主とすと命ぜる一條天皇の勅語を引き裂き其の勅使を辱しめ
て追か返へせるに非らずや。今日の世人は皇居の外濠に集りて萬歳を唱ふるより外知らざるに、當年の彼等は塀を
破り門を打ち碎きて宮殿の階前に至り、數珠を揉みて祈り、言聞かれざるならば地獄に落すと威嚇したるに非らず
や。地獄に落すと云ふが如きは今日に於てこそ何の脅迫にも非らずと雖も、當時の智識の程度に取りては羅馬法王
の破門と云ふ事と少しも異ならざる効力ありしなり。否、彼の放氏と稱せられて時の最上の權力者たる藤原氏の上
に加へられたる者は明白なる破門にして、未だ天皇を破門せし例は非らざりしと雖も、是れグレゴリオ七世の山僧
無かりしに非らずして天皇自ら地に降りて遥かに其の神輿を禮拜せしが故なり。天皇を地に降して禮拜せしむとは
何たる大膽の脅迫なりしぞ。今の無恥なる圓頂等は曰ふべし、彼等は破戒のものにして吾々の如き勤王的大乘經を
知らざりしを以てなりと。而しながら彼等は佛教徒にも僧侶にも非らざる楠正成を釋迦の上に置きて自家の誇榮と
しつゝありながら山僧等の活動につきて無責任の面貌あるは噴飯も甚しと云ふべし。實に、山僧の打撃に對して皇
室は餘儀なく源平の二氏を近けて保護せしむるに及びて終に皇室を保元平治の膏血中に投ずるに至り、接近は油畫
を醜ならしむる理由によりて終に無遠慮なる清盛は白河法王の侮るべきを發見して露骨に之を迫害するに至りしな
り。今の圓頂等は其の等しく圓頂の一人なる平清盛を呼ぶに惡逆入道の名を以てしつゝありと雖も、他の多くの圓
頂なる山僧等の更に一層の惡逆にして、其の惡逆入道を驅りて宮中に惡逆を働かしむるに至りたる者は、宮外に惡
逆を働きたる山僧の惡逆入道等のありしが爲めなり。而してこれも亦例外の亂臣賊子なりと云はんには山林の仙骨
と流水の雲僧とを除きて天下の僧侶を擧たる大多數の例外なり。
 
 平氏より後、即ち所謂國體論者に於ても例外と稱する、源氏、北條氏、足利氏、群雄戰國、徳川氏と云ふ一千年
 中世史郎ち日本歴史の全部なるを例外とは何ぞ
間の長き長き中世史なり。日本民族の歴史と云へば恰もゲルマン民族の歴史が中世史を
以て始まれる如く、古事記日本紀以後の一千年間−−少くも文字の記録として殘すべき
方法と又殘すべき歴史的意識なき原始的生活時代の一千年間と傅説さるゝものを除きて、文字輸入以後を算して一
千五百年間なるに、歳月の上よりするも大部分なる源平以後を亦等しく例外の一語を以て葬り去るとは何たる東洋
の土人部落ぞ。如何なる野蠻人も斯くまでに顛倒せる歴史を有する者あらず心濠太利土人と雖も、アメリカンイン
デヤンと雖も。
 事實をして事實を語らしめよ。忠孝の二途に迷ひて涕泣せし可憐なる讀書家を除きて、敢て清盛一人と云はず平
 平氏、源氏、北條氏
氏の凡ては其の族長の命令を奉じて皇居を攻撃し天皇を幽することの屡々なりしは殊更に指示す
るの要なしり源氏が以仁王の命旨を受け或は院宣を請ひて平氏を滅ぼせしを以て自家の再興の爲
めに非らずして勤王の目的なりとは國定教科書も書かざる所なるべし。吾人は敢て王覇の辯を爲す者の如く、院宣
と勅令との効力を比較し、或は三種の神器を有する天皇を西海に沈めたる東北軍を亂臣賊子なりとは云はず。而も
大江廣元の策略を用ひて立法司法行政の主權凡ての發動を掌握せる頼朝は、秀吉に敬愛せらるべき人物たるも湊川
に建てられたる伊藤博文氏の銅像よりも忠臣義士の人相に非らざりしことは想像し得べし中今日多くの守錢奴が種
々の名に於て漸く帝位を購ひて世俗に誇示するに比すれば、坂東の老尼禮に慣はずとの皮肉を極めたる反語を以て
拜謁を嘲笑し、形式的敍爵を拒絶せる頼朝の妻政子は、今の令夫人なる者よりも勤王家に非らざりし事は其の驕慢
ならざる外交的辭令によりて亦推察し得べし。北條氏に於ては是れ所謂國體論者に取りても、如何ともすべからざ
る困難として止むなく例外に數へつゝある者なり。然りと雖も、例外の亂臣賊子は彼等の考ふる如く義時一人に止
まるべき者に非らずして、義時の共犯或は從犯として三帝を鳥も通はぬ遠島に放逐せし他の十九萬の下手人、尚後
より進撃せんと待ちつゝありし二十萬の共謀者を忠臣義士の中た數ふる事は國體論をして神聖ならしむる所以に非
らず。逆進的批判者が三帝を遷し奉れりと云ふに對して吾人は放逐の文字を用ゆ。何となれば斯る潤飾を極めたる
文字は戰々兢々の尊崇を以てする行動を表白すべく、後鳥羽天皇が隱岐に三十九年間巌崛に小屋を差し掛けて住ひ、
 北條氏の三帝放逐と國民の共犯
順徳帝が佐渡に於て今日尚順徳坊樣と呼ばれつゝあるが如く物を乞ひて過ごせし如き極度迄の迫
害窮追を表はすべき言葉に非らず。安徳天皇を矢の來らざる船に移し奉れりと云はゞ理由あるべ
く、松の下露に袖沾れて落ち行くものを兵力に訴へて連れ來ることは捕ふと云ふことにして、居住の自由を奪ひて
都會の榮華より無人島に流竄したることば明白なる放逐に非らずや。神官が恭敬恐縮を以て舊殿より大神宮を捕へ
て新殿に放逐したりと云ふものあちば發狂視せらるべきが如く、義時が兵力を以て三帝を隱岐佐渡に移し奉れりと
云ふが如き文字の使用は逆進的敍述も沙汰の限りと云ふべし。多くの歴史家は搴セに見ゆる、泰時が父義時に向ひ
て若し天皇の御輿を陣頭に立てゝ進み來らば如何すべきやと問ひしに義時の答へて然らば矢を折りて降れとある信
ずるにも足らざる記事を引用して、如何なる義時の如き亂臣賊子と雖も日本國民の良心は内ば潜みて皆斯くの如し
と論じ、以て其の所謂例外の辯護を爲しつゝあり。而も其の義時は元よりも遥かに深甚たる苦痛を三帝に加へ、其
の泰時は後に安藤義景の順徳の皇子立たば如何と問ひしに對して、膝を折りて降れよとは答へずして之を廢すべし
と命じたるに非らずや。兩統併立の如きは皇室の自ら求めて招きたる禍なりと雖も、泰時時宗等の賢明にして大膽
 吉野山の殘兵よりも多き高時め殉死者
なる抑壓の下に之を動揺せしめず。高時の驕慢に對抗して後醍醐天皇の英雄的模型ありてこ
れを斃したりと雖も、一たびは亦捕へられて隱怯に放逐せられ、高時の死するや實に八百七
十餘人の殉死者と外に門葉恩親の僧侶男女之を聞き傅へて泉下に恩を報ぜんとして殉死する者單に鎌倉のみにて六
千餘人ありしと云ふに非ずや。而して是れ劔を按じて崩ぜる後醍醐の殘兵よりは遥かに大多數の例外なり。あゝ平
氏より源氏に至り、更に二百年間の治平なる北條氏に至る迄の全國民は凡て例外の亂臣賊子か。
 
 足利氏に至つては更に甚だし。後醍醐の努力は單に北條氏と足利氏とを代へたるのみにして、鎌倉と京都と對抗
せし事の代りに更に京都其れ自身も奪ひ取られたる者なりき。あゝ後醍醐天皇と其の忠良なる殉死者! 是れ日本
 敗れたる忠臣よりも勝てる足利氏はより多くの亂臣賊子を有す
歴史を通じて辛うじて見らるゝ二三だけの例外にして、此の悲慘可憐なる物語が、
實に幕末の國體論時代に於て詩歌文學の題目となりて以て革命論に詩的光彩を加
へしめたる者なりき(維新革命に於ける國體論の意義につきては後に説く)。而しながら尊氏の率ゐて攻め上れる
七十隻の兵船と二十萬人の陸軍とは、戰敗れたる湊川の三百人より僅少なる例外とは日はれざるに非らずや。滅び
たる新田氏よりも勝ちて天下を取れる尊氏はより多くの亂臣賊子を有したるが爲めにして、例へ外交的折衝に於て
父子の禮として三種の神罪を渡せしとは云へ、北朝の終に南朝に降服せるは所謂忠臣義士の大多數なるが故に僅少
なる例外の亂臣賊子に敗れたりとは日はれざるに非らずや。高師直のごときは『都に王と云ふ人のましまして若干
 師直の天皇不用の放言と政黨内閣論者
の所領を塞げ、内裏、院、御所と云ふ所ありて馬より降るむつかしさよ。若し王なくして叶ふ
まじき道理あらば木にて造るか金にて鑄るかして、生きたる院、國王をば何方へも流し捨て
奉らばや』と放言したり。是れ太平記の記事なれば語調の如きも記者の慣用によりしものなるべく、師直は更に此
の殺伐なる平等主義に適當せる無遠慮の言語を放ちたるなるべし。今日、幾多の政黨者流が穗積忠臣等の憂慮する
如く事實上の共和政體−−若しくは共和政體を慣習によりて實現する不文憲法たるべき政黨内閣、責任内閣を主張
し、政黨内閣責任内閣に於ては亦實に穗積忠臣等の憂慮するが如く天皇の意義に大なる變動を及ぼすべきを知りつ
ゝも、尚且つ民主々義を解せざるかの如き面貌を装ふ國民の狡猾とは正反對なる露骨なりと雖も、而も全國民が彼
を共和演説を爲せる大臣を有撃したる如く排斥せずして、尊氏に次ぐ權力者として奉戴せるは政黨内閣論者の祖先
たるに恥ぢざる亂臣賊子の國民と云ふべしの足利義滿の如きは北朝の天皇を自家の恣に製作し南朝の天皇を降伏せ
しめ、其の太政大臣を望みて與へられざるや、強迫や威示に非らずして自古立ちて天皇たらんとし、其死するや天
皇より實に太上天皇の謚名あらんとせしに非らずや。足利氏は恰も後白河法王が源平二氏の權力平均の上に榮華を
夢みたる如く、他日の戰國と名けられ群雄割據と稱せられて知らるゝ家長君主國の大混戰の上に暫く金閣寺を建て
ゝ徒らに殿上人の風流を學びしに過ぎざりしを以て、皇室が足利氏以降の零落窮困につきて獨り責任の負擔者たる
べからざるは論なし。而しながら所謂國體論者に於ては戰國時代に於ける皇室の悲慘を極めたる零落につきて何者
が責任者なるかを指示せざるべからず。土御門天皇が崩ぜし時葬式の費用なくして葬る能はざるが爲に柩に入れて
 戰國時代の皇室の悲慘の事例
御殿のK戸に置くこと四十餘日間、近臣宮女等宿直して之を護りしに皇太子の來りて十善の身に
は貧禍なしと白居易の歌ひしは僞りなりと聲を放ちて泣きしと云ふに非ずや。後柏原帝の即位式
を行ふ能はずして費用を時の管領細川政元に求めたるに、改元は將軍にて足る他は要せずと拒絶して顧みず、二十
年間之を行ふ能はず、漸く本願寺兼光より金一萬貫を借りて式を終へたりと云ふに非らずや。後奈良天皇の時には
貧困殆ど極度に達し三條西實隆の苦心によりて諸方の豪族より數石の米數兩の金の寄附を求め廻りて漸く衣食の料
を得たりと云ふに非らずや。而して公卿の勸説によりて得る所も限りあるを以て天皇自ら其の能書を售りて米粟の
費を補ひしと云ふに非らずや。隊を組める野武士の火を放ちて強盗を爲せるが爲めに公卿は其の妻子を引き連れて
敗殘の皇居に雜居せしと云ふに非らずや。外廓も塀も無く三條橋より内裏の火が見られ紫宸殿前の橋下に市人が茶
菓を賣りたりと云ふに非らずや。歌の會のある時には色Kく煤けたる三寶の上に赤豆を載せて出せしと云ふに非ら
ずや。曚昧者の事々しく信長の忠義などゝ云ふに限らず其の爲せし所の如き眞の僅かなる修繕に過ぎずして、其れ
までは『邊土の民屋に異ならず、竹の垣に茨など結び附けし樣なり。老人小兒の時には遊びて縁の上に土などねや
し、破れたる簾を折節擧げて見れば人もなき樣なり』と云ふほどの赤貧なりしに非らずや。是れ言ふまでも無く信
長の如き慧眼者のみ天皇を擁することの他日の利uあるべきを認めしも、一般の國民は政元の如く天皇を無用なり
として顧みざりしが爲めの貧困に非らずして何ぞ。−−而して斯る貧困は一般人民の陷る所の窮乏にして、只一般
人民の如く貧困の爲めに家を滅ぼし系統を意識する能はざるが如きに至らざりしのみ。而して是れ亂臣賊子を僅少
なる例外なりと云はんには、億兆心を一にして万世一系の皇統を扶翼せざりし億兆の多き例外なり。
 
 秀吉の統一によりて天皇は衣食の貧困−−衣食の貧困とは外國の王室には存在せざる歴史なり−−より脱し得た
り。而しながら之を以て秀吉を忠臣義士なりと稱讃する事は貧民の血液の一部を投與する慈善家なる者を君子なり
と云ふと一般なり。全天下の富有を握りたる彼が九牛の一毛にも過ぎざる米禄を皇室に供したりとも國體論に如何
ほどの誇榮たるべき事實ぞ。彼は其の演劇的氣質よりして『鳳輦牛車等の品々久しく廢したるものなれば知れる老
人も定かにはべらず』と當時の京人を讃歎せしめたる如きことを試みざりしに非ずと雖も、彼の太政大臣も關白も
解せざるほどの無學を以て如何ぞ皇室の歴史的意義を知らんや。不用意の發言は多く眞情を吐露す、彼が明の公使
 秀吉と權利思想の表白
より愚弄の封册を受くるや激怒して發したる言を見よ。曰く『我は我が力を以て天下を取れり、
王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝、何ぞ爾等の封を待たん』と。歴史の大字を朗讀
することを止めて之を今日に於て發言せられたる者と考へよ、彼の狡猾なる李鴻章が伊藤博文氏を日本國王に封ず
と談判せしとも、伊藤氏は我は我が力を以て内閣を取れり、王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝、何ぞ
豚尾漢の封を待たんと怒らざりしが爲めに湊川に銅像が立つを得たるなり。秀吉の地位は實に強力による權利にし
て、強力が凡ての權利を定めたる上古及び中世に於ては(『社會主義の經濟的正義』に於て權利思想の變遷を述べ
たる所を見よ)、若し支那の公使の代りに皇室が其の權利を侮辱するあらば、彼は力を以て取れる天下の權利を強
力の發現に訴へて或は以て王たるべく帝たりしなるべし。一言なりとして輕視すべからず、今日一言を發するにも
恐れ多くもと云ふ冒頭を用い、一語にも必ず御と云ひ、給ふ、あらせらるゝと云ひて謹愼を怠らざる注意を以ては、
如何に激怒と雖も唇頭に響くべき言葉に非らず。即ち、秀吉も亦例外なる亂臣賊子たるべき思想を持して天下に號
令したる者なるは論なし。
 
 徳川氏に至つては不斷の幽閉と缺かしなき強迫讓位を以て其の唯一の對皇室策となしたり。吾人は有賀長雄氏の
逆進的歴史家なる事は前きに言へる如く、又後に詳しく説く。其の徳川氏につきて亦秀吉と家康と參内し、家康の
家臣が頻りに秀吉の暗殺を勸めしも應ぜざりし事例を擧げて、是れ兩雄相提携して皇室を奉戴せる所以なりと論ず
るに至りては抱腹の外なし。察するに、斯る曲解は、氏の主権の體と用とを分ちて皇室は二千五百年來主權の體を
持して失はず幕府は單に其用を委任されしのみと云ふ見解より生ぜし者なりと雖も、秀吉の思想を事實に於て表現
しつゝありし家康を以て忠臣義士と解しては東照宮の墓石も感動の餘りに振ふべきなり。見よ。『諄和奨學院別當
 徳川氏の對皇室策
職關東將軍に任ぜられ侯上は三親王攝政を始じめ公家并びに諸侯と雖も支配致し侯、國政一切知らす
べく政道奏聞に及ばず』と規定せしに至つては萬國無比の國體に相應する萬國無比の責任内閣なるか
な。『學問手習御勤行御懈怠あるべからず……三種の神器御守りは第一の事』とあるは實に皇室をして歌人たらしめ、
空名に過ぎざる三種の神器を擁すれば天皇の任盡くと云ふ者、吾人は未だ如何なる憲法史にても主權の用を委任さ
 有賀博士は委任の文学を逆進せしめて論ず
れたりと云ふ者にして主權の體に斯る法規を強制したる事實を知らず。由來、今日の委任
と云ふ文字と意義とを逆進せしめて當時の天皇と將軍との間を説明せんとすることが誤謬
の根源なり。−−有賀博士は何事も逆進的なり。更に見よ。『國々諸侯は勅命と雖も宮中参内仕るまじく侯、西國
諸大名往來の砌り洛陽往來停止仕り侯、密々往來のこと露見に於ては何ほど大禄の家なりとも絶家致すべし。若し
洛陽見物致し度くば某旨御屆可申其の砌り沙汰及ぶべく侯、若し許すとも三條橋の中を限り申し侯』。斯る上奏も
裁可も無用なる權限を有する外に、主權の體なるものに近づくことを絶家の最大重罪を以て嚴禁せるは何と名け
らるべき東照宮内閣ぞ。而して内閣大臣は閣下と呼ばれずして神君と崇められ、其の椅子は世襲にして他の各省大
臣も無く、責任を負ふべき何人も無く、而して亦、皇室費としでは禁裏御料僅かに二万石、新院御料五千石、本院
御料五千石と云ふ内閣大臣よりの當がひなるに、徳川内閣大臣閣下は實に三百倍せる八百万石の年俸なりしとは噴
 抱腹ずべき徳川責任内閣論
飯すべき大憲章なる哉。有賀博士が『日本國民を以て悉く天照大神の子孫なりとし、この事實の
みを以て日本國民に對する天皇主權の基礎となすは歴史を知らざる俗論直り』と喝破せるは天皇
主權論の基礎の一たる穗積博士等の神道的信仰に對する罵倒たると共に、有賀博士自身等の基礎として取る所の歴
史解釋の上に加へらるゝ侮辱たる者なり。歴史に基きて天皇主權論を主張すと云ふならば歴史を欺く如ぎことある
べふらず。天皇の二萬石なるに徳川氏自らの八百萬石なる所有は政治的活動外源泉たる經濟の上より皇室の咽喉を
絞めたる者なり。彼の辭令の温嚴を極めて京都と諸侯との經濟的聯絡を隔絶し、『京都より縁邊の武家に無心申入
るゝこと相愼可申候、所謂禄は重く金錢自在に取扱ふやうに心得候とも、萬石は萬石の國役相勤め天下の御用勤め
侯、公家は小禄なりとも國役相勤め民を撫育する役なし。然らば宮中を相勤め家の扶持を相立つるのみなり。奢な
くして相勤め侯時は小禄と雖も安し云々』とあるが如き實に天皇の財源を枯渇せしめて經濟上の孤立者たらしめん
としたる者なり。『公家より武家に縁組のこと關東へ相達し將軍家より沙汰に及び其の上に取組可申、若し其の儀
無くして取結ばれ候に於ては重罪たるべきこと』と厳命したる者、亦實に皇室と握手すべき一切の社會的勢力を排
 不斷の幽閉と不斷の強迫譲位
除せんが爲めなり。而して是が爲めに天皇は恰も監視に附せられたる囚徒なりき。後水尾天皇が
近畿を旅行せんとすれば幕府之を許さず、爲めに強ひて行かんとするや兵力を以て強迫して止め
たるに非らずや。其の撃劔を勵みたるが爲めに所司代の板倉重宗の之を阻止するの理由に『江戸へ聞えなば穩便に
歸すべしとも思はれず』と云ひしに非らずや。父子相見ゆるすら幕府の許可を得ざるべからずして、用明天皇の如
き徳川氏の出なるに係らず其の賢明なることが禍を爲して何の理由も無く二十一歳より五十四歳まで仙洞に禁錮せ
られ、一年一囘の年始より外に骨肉に逢ふことの外親王にも攝家にも門跡にも一切面會を許さず。一人の行幸の如
き嚴重に禁じたるに非らずや。是れ巧慧なる義時と云はるべく、隱岐佐渡の代りに京都を用ひしに過ぎざるもの、
斯る責任内閣は萬國無比の國體より外に見ざる所なり。有賀博士は主權を用と體とに分ちたる如く、主權を又更に
滑稽なる無數の分類を爲して榮譽權と云ふ者を天皇に留保したりと云ふに係らず、後水尾天皇は其れをすら蹂躙せ
られ、達府は其の僧侶に與へたる紫衣を奪ひ、其の與へられたる僧侶を流罪に處分し、終に春日局をして讓位を諷
せしめたり。−−實に徳川氏の政權を握りし間に於て天皇の強迫讓位は一貫の政策にして、後水屋の卓勵なるは固
より用明の賢明も、後西天皇も、東山天皇も、中御門天皇も、櫻町天皇も、即ち徳川氏の幕府を維持せし間の凡て
の天皇は、苟も佚儒に非らずして年長ずる者は其の長ずることが強迫讓位の理由なりしなり。後西條天皇の如きは
一の口實をも發見する能はぎるが故に、單に『四時陰陽和せず』と云ふが如き羊に對する狼の口實を以て譲位を強
迫したりとは何たる亂臣賊子ぞ。後鳥羽天皇が其の輕躁と一寵姫との爲めに義時に挑戰せしは天皇の傍にも一分の
 義時の自家防衛と徳川氏の積極的迫害
責任存するを以て吾人は決して順逆論者の如く義時をのみ亂臣賊子なりとは云はず、而も徳
川氏が皇室に對する迫害の陰忍陰惡なるに至りては吾人の如く公平を以て歴史を看察せんと
するものに取りては憎惡の念の胸に漲ぎるを覺ゆ。義時は天皇の自家を顛覆すべき挑戰に對して受動的の自家防衛
もありき。而も三代將軍家光の如きは能ふだけ後水尾を侮辱し、後水尾が怒に堪へずして自ら位を去るに至るまで
は義時の爲せし如く之を隱岐に流さんとし、伊達政宗を先鋒とせる三十五万の軍を率いて都に入れる如きは實に
長を極めたる威示運動に非らずや。又、彼の王覇の辯と稱せられて他日主權論の起るべきを豫想せる新井白石の大
膽なる政策を見よ。彼は有賀博士の所謂天皇の榮譽權なる者を剥奪して幕府を純粹なる主權者、即ち最高の統治權
者たらしめんと企圖したり。固より彼の繼承者が彼と反對に退嬰政策を取りしが爲めに彼の死と共に實行に至らず
して止みしと雖も、彼は頼朝の共犯者たる大江廣元よりも遥かに大規模なる陰謀家なりき。曰く『王朝巳に衰へ武
家天下を治しめして天皇を立てゝ世の共主となされしより、其の名は人民なりと雖も實ある所は其の名に反せり。
 王覇の辯の主權論と白石の幕府主權の計畫
我巳に王官を受けて王事に從はずして我に事ふる者我事に從ふべしと令せんに下たる者豈
に心服せんや。且つ我が受くる所も王官なり、我臣の受くる所も王官なり、君臣共に王官
を受くるとき其の名は君臣なりと雖も其の實は共に王官なり、其の臣豈に我を尊ぶの實あらんや。義滿の代叛逆常
に絶たざる者は其の不徳の致す所と雖も且つは又君を尊ぶの實なきによるなり。其の上巳に人臣たり、然るに臣を
召仕へて是を名けて臣となし、其の家僕となすと雖も僣越の罪豈に万代を免れんや。世態巳に變したれば其の變
に應じて一代の禮を制すべし、これ即ち變通の義なるべし。若し此の人をして不學無術ならましかば漢家本朝古今
の事例を閲して其の名號を立て、天子に下ること一等にして王朝の公卿大夫の外は六十餘州の人民悉く其の臣下た
るべき制あらば近代に至るとも適用に便あるべし云々』。此れ即ち幕末の所謂國體論なる天皇主權論によりて幕府
諸侯の權利を否認する維新革命家が革命論の理論を構成したる點なると共に、家康の遺志を完成すべき幕府主權論
の當然に趣くべき態度なり。而して白石は言論に止まらず敢然として實行に着手したり。彼が朝鮮公使と樽爼折衝
せるを國威を發揚せしめたる效績なりとして教育者等の好で小學生徒に擧示しっゝある所なりと雖も、是れ實は從
來の慣例を破りて幕府自ら日本國王と號し、從來の公使の席次を下して三家の次ぎに置きしが爲めに起りし紛議の
み。然るを尊王忠君と共に斯る大逆無道の亂臣賊子を鼓吹すとは誠に滑稽を極む。彼は又藤原氏の爲せし如く皇室
と幕府との血液を混和せしめんとし、皇女と將軍との結婚を約したりき。幕府の制度衣冠を悉く朝廷其まゝに模し
て同一の程度に進め、勅語に對するを對等の態度を以て返答と改めたりき。斯る歴史上の證據は文字の形態發音に
よりて臆斷する如き幕府にても非らず、又征夷大将軍にても非らず、何ぞ況んや責任内閣ならんや。固より歴史の
研究の起ると共に唯一の最古なる記録が、儒教の王覇の辯と合致して所謂國體論なる名の下に天皇主權論が學界に
勢力を占め、荻生租徠等の卓勵して幕府主権論を唱ふるものありしと雖も平等觀發展の社會進化に對抗する能はず
して封建制度の顛覆したることは事實なりの而も其の實際運動となるに及びて如何に時の權力階級−−即ち幕府諸
侯の貴族階級が下級武士の革命黨を迫害したりしぞ。今日詩に賦し歌に詠ぜらるゝ勤王家なるものゝ艱難は實に全
日本國民が當時に於て之を迫害せるが爲めの艱難にして、幕府顛覆前に於ける勤王家の如きは實に僅少なる例外に
 勤王論の言論迫害と志士の窮迫
過ぎざりしは論なし。言論の追善の如きは驚くべく極端に勵行せられ、靖獻遺言を講ぜし竹内式
部を朝憲紊亂罪に問ひて放追し、其の講義を聞ける大納言鳥丸道胤以下七人の官職せ剥奪して之
を禁錮に處せり。僅かに留保せし有賀博士の榮譽權の如きは白石の憂へとせるが如く天皇主權論者の論據とする唯
一の理由たるを以て幕府の之を抑壓挫折せんとする事最も甚しく、光格天皇が其の肉身の父の微少なる大宰帥たる
 天皇の榮譽權の蹂躙
を以て自己の榮譽に應じて之を太上天皇とせんとするや、人情として當然の要求なるにも係らず
松平定信は冷酷にも斷乎として拒絶し、却て傅奏議奏の二卿を江戸に召し寄せて之を論破し其れ
に賛同せる公卿に差控を命じ、父君典仁親王には恰も恩威兼ね行ふかの如き面貌を以て毎年二千苞を揩ケしに過ぎ
ざりき。實に徳川幕府の二百年は終始を一貫せる義時尊氏以上の亂臣賊子なりしなり。斯くても三百年とは僅少の
例外か。
 
 吾人は餘りに事責を羅列せざるべし。實に一千年間と傳説さるゝ文字輸入までめ原始的生活時代を除きて、爾來
の歴史的生活以後の一千五百年間は亂臣の手と賊子の足とを尾長猿の如く繋ぎて日本の歴史を編纂せるなり。固よ
り皇室は第一の強者として最古の歴史的記録の編纂さるゝまでほ強力によりて天下の權利を有したりき。而して此
の間に於て巳に仁徳天皇の如き理想的君主、雄略武烈天皇の如き専制的暴威を振へる君主と共に、社會の發達人口
の揄チによりて蘇我族の強大となりて理想的の亂臣となり飽くまで専制的暴威を振ひし賊子を出したり。而して皇
 日本歴史は亂臣賊子の連絡して編纂したる者なり
族中より大膽なる理想家の現れて漸くこの亂匡賊子を斃すや僅かに一百年を維持するに
過ぎずして、記録的歴史以後は更に忽ち藤原氏の名に於て蘇我氏に代れる亂臣賊子を産
みしに非らずや。而して亦藤原氏の亂臣賊子去りて白河法王の驕慢なる政治に一瞬の榮華を夢みたりと雖も、直ち
に僧兵と名くる亂臣賊子の暴力となり、清盛と云ふ亂臣賊子の打撃となり、更に之を掃蕩して代れる亂臣賊子の木
曾義尚となれり。義仲と法王との對抗は其の餘りに露骨なるは一の喜劇にして、我れ巳に法王に勝ちたり、法王と
ならんか法王は法師なり、法師とならんも可笑し、天子は小兒なり、小兒とならんも亦可なちずと壮語するに至れ
り。而して此の亂臣賊子を破れる源頼朝は詐欺を以て主權の用を委任されし者にして(笑ふべき有賀博士よ)固よ
り亂臣賊子なるべく、次に來れる義時は白匁に訴へて主權の用を委任せられし者にして(更に笑ふべき有賀博士
よ)又固より亂臣賊子なり。而して更に泰時時宗の亂臣賊子を經て高時の亂臣賊子に至り、終に時の皇室黨に敗ら
れて北條氏の亂臣賊子は去りしと雖も、又更に足利尊氏と云ふ亂臣賊子を生じて其皇室黨を撃破し、義滿に至つて
亂臣賊子の舞踏を充分に演じて足利氏の殺伐なる舞臺は廻轉せしと雖も、世は即ち戰國の群雄割據となりて全天下
悉く亂臣賊子となり、天皇を衣食の貧困に陷れて一顧だもせず、其の漸くに平靜なると共に猿面の亂臣賊子出でゝ
王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝と傲語し、次で徳川氏の一貫せる亂臣賊子となりて三百年の長き皇
室の迫害を以て始まり天皇黨の志士を窮追するを以て終りとしたり。−−吾人は實に國體論者と並で日本歴史の前
に判決を仰がんと欲す。
 あゝ今日四千五百萬の國民は殆ど擧りて亂臣賊子及び其の共犯者の後裔なり。吾人は日本歴史の如何なる頁を開
きて之が反證たるべき事實を發見し、億兆心を一にして克く忠に萬世一系の皇室を奉戴せりと主張し得るや。
 而しながら萬世一系の一語に毆打されたる白痴は斯る事實の指示のみを以ては僅かに疑問を刺激さるゝに止まる
べし。故に吾人は更に亂臣賊子の『行爲』を記述すると共に、亂臣賊子の『思想』を説明せざるべからず、政治史
と倫理史とは相待て歴史的現象の解釋たらざるべからざればなり。
 
 
 
         第十二章
 
           政治史と倫理史の根本的説明たる歴史哲學−−系統主義及び忠孝主義と凡ての民族の上古
           及び中世史−−皇室の傍より見て亂臣賊子たりしことは其の對抗者より見れば忠臣義士な
           り−−亂臣賊子が一人にて働けると思ふや−−民族の歴史と歴史の符合−−凡ての民族の
           忠孝主義と系統主義−−原始的共和平等の時代−−忠幸主義は人類原始の道徳に非らず−
           −系統を辿りて發展する社會意識−−家長制度と祖先教−−忠孝一致論の本來の意義−−
           神武天皇の所謂大孝−−國體論者は神道の異端にして古典の叛逆者なり−−遠き家長の代
           辨者としての天皇−−全國各部落の獨立−−歴史的生活以後の系統主義と忠孝主義−−近
           親の家長の爲に遠き本家たる皇室を打撃す−−一族一家を單位とせる生存競爭−−系統主
           義と各家長の平等觀−−大化革命のユトピアなりし理由−−藤原氏の乱臣賊子も亦家族々
           黨の忠孝主義の故なり−−中世史の系統主義の特殊の説明−−道徳の本質−−他律的道徳
           時代と自律的道徳時代−−模倣的道徳時代の中世史と系統崇拜−−系統崇拜と乱臣賊子の
           首領−−亂臣賊子の首領は系統によりて天皇との平等觀を作り、系統的誇榮によりて系統
           崇拜の國民に奉戴せられたり−−系統主義は貴族階級をして天皇に對する平等主義となら
           しむ−−中世史の忠孝主義の特殊の説明−−道義の形態と社會の経済的境遇−−政治史及
           び倫理史の根底として經濟状態の時代的考察−−忠とは経済物としての處分に服從すべき
           奴隷の道徳的義務なり−−歐州の奴隷制度と日本の其れ−−忠の極度の履行たる殉死の他
           律的時代−−奴隷制度の繼續と自律的時代の殉死−−武士道は奴隷の道徳を自律的形式に
           於て行ふ−−貴族階級の土地を占有せる階級國家時代と土百姓及び武士の經濟的從屬關係
           より生ぜる奴隷的服從−−貴族階級の經濟的獨立による政治的獨立−−武士道の理論−−
           武士道は皇室を迫害せる者なり−−井上博士は土人の酋長なり−−所謂例外の忠臣義士な
           る者につきて更に一段の考察−−歴史の始より數へよ−−新田氏と楠氏−−日本民族は各
           自の主君に忠なりし傍發の結果として皇室の忠臣となり亂賊となる−−水戸齎昭の所謂
           『眼前の君父』−−正成の殉死者と高時の殉死者−−貴族階級を組織せる無數の眼前の君
           父と其の下に衞星の如く從ふ亂臣賊子−−皇室の忠臣義士は其れに經濟的從屬關係を有す
           る公卿のみ−−系統主義と忠季主義とが皇室を打撃迫害したりとの斷案
 
 斯くの如し。傅説に過ぎざる文字もなき一千年間と稱せらるゝ原始的生活時代を高天ケ原と等しく政治歴史より
削除するならば、日本民族は歴史的生活時代に入りしより以降一千五百年間の殆ど凡ての歴史を擧げて、億兆心を
一にせるかの如く連綿たる亂臣賊子として皇室を打撃迫害し來れり。−−是れ如何なる思想に基くぞ。吾人は單に
政治史の表皮をのみ見て古今の定論たる者を逆倒せしめんとするに非らず。政治史の記述せられたる行爲を稽査す
 政治史と倫理史の根本的説明たる歴史哲學
ると共に、思想を考察すべき倫理史によりて得たる歸納として、國體論の歴史解釋が全く
天動説の如く顛倒したる者なることを發見したるを以てなり。而して民族の行爲には民族
の思想あると共に、一元の人類より分れたる凡ての氏族の歴史には人類として共通なる社會進化の道程あり。故に
政治史と倫理史とは其の特殊の民族が進化せる事實と理由との敍述たり説明たると共に、凡ての民族に通ずる社會
進化論の哲學は社會進化の跡を考究する歴史哲學として凡ての民族の政治史と倫理史との基礎たる者なり。(前編
の『生物進化論と社會哲學』の讀了を希ふ)。而して凡ての民族を通じて上古中世の歴史が系統主義と忠孝主義と
を骨子として解釋せらるべきが如く、日本民族の上古中世に於ても社會進化の當然なる道程として系統主義と忠孝
主義とを根本思想として其の歴史を解釋せざるべからず。吾人が前きに『系統主義の民族なりしと云ふ前提は凡て
 系統主義及び忠孝主義と凡ての民族の上古及び中世史
の民族の上古及び中世を通じて眞なり、而も其の故に萬世一系の皇室を扶翼せりと云
ふ日本歴史の結論は全く誤謬なり。忠孝主義の民族なりしと云ふ前提は凡ての民族の
上古及び中世を通じて眞なり、而も其の故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云ふ日本歴史の結論は皆明かに虚僞な
り』と云ひ、『日本民族は系統主義を以て家系を尊崇せしが故に皇室を迫害し、忠孝主義を以て忠孝を最高善とせ
るが故に皇室を打撃したるなり』と云へる者これなり。斯る排除的の口吻は天動説に對する地動説と云へる如く、
國體論と云ふ羅馬法王の顛倒せる迷信を打破せんが爲めに過ぎずと雖も、國に凡ての民族に通ずる系統主義と忠孝
主義とは日本民族の歴史を擧げて亂臣賊子として皇室を打撃迫害したる所以なるなり。
 吾人は暫く逆進的批判者に習ひて日本民族の凡ては亂臣賊子なりと云へり。而しながら斯る逆進的批判は道徳を
進化的に批評せずして皇室の側に粘着せるよりの誣妄なり。即ち皇室の側よりの見て亂臣賊子なりと云ふことは、
皇室の對抗者たる他方より見れば誠に忠臣義士なりしなり。即ち、日本民族は其の仕ふる所の主君たる貴族等に忠
孝の道徳を履行せんが爲めに、其の從犯となり共犯となりて皇室の側より見れば亂臣賊子たりしなり。更に繰り返
 皇室の傍より見て乱臣賊子たりしことは其の對抗者より見れば忠臣義士なり
へして日へば、日本民族は凡ての民族の如く強盛なる忠孝主義の爲めに、其
の仕ふる各々の家長君主等に對して強盛なる忠孝主義の履行として、其の家
長君主等の敵に對して身命を抛て打撃を加ふることを道徳上の義務としたるが故に。其の家長君主の前面に皇室が
現はるゝ時に於ては、日本民族は其の仕ふる所に對する忠孝の強盛なる道徳家として皇室の上に大膽なる亂臣賊子
となりて壓倒したりしなり。今日の國體論者等は口を開けば義時を怒り尊氏を罵る。彼等は旅順口が乃木氏一人に
 亂臣賊子が一人にて働けると思ふや
て落ちず波的艦隊が東郷氏單獨にて滅亡せざることを知れるに係らず、亂臣賊子だけは一人に
て働ける者なるかの如く考ふるなり。憫むべき東洋の土人部落よ、義時が鎌倉に安然として而
も三帝を隱岐佐渡に放追するを得たる所以の者は、十九萬の國民が皇軍を破り天皇を捕へて彼の命令を遵奉して處
分せるが爲めなることを知らざるか。尊氏が後醍醐天皇を京都より驅逐せるは七十雙の海軍と二十萬の陸軍とに組
職せられたる祖先が正成を湊川に屠りたるが爲めなる事を解せざるか。吾人は實に少しく國民の反省を要む、日露
戰爭は乃木氏と東郷氏とのみの愛國心により勝ち國民は皆露西亞皇帝の忠臣義士にして賣國奴露探なりしと云ふ者
を顛狂者と名くべきが如く、亂臣賊子は義時と尊氏とのみにして其他の日本國民は皆克く忠に萬世一系の皇統を扶
翼せる皇室の忠臣義士なりきと云ふが如き痴呆は土人部落に非らずして何ぞ。歴史は二三人物の恣なる作成に非ら
 民族の歴史と歴史の符合
ず。彼等は單に民族の思想を表白する符號として歴史上の上に民族の行爲を代表して某所爲を印
するに過ぎず。故に、日本民族の歴史を義時の歴史尊氏の歴史と見ず、又今の歴史家の如く皇室
一家の敍述を以て日本歴史なりと見ざるならば、民族の歴史としての日本史は實に皇室に對する亂臣賊子の物語
を以て補綴せられたるものなり。記録せられたる代表者若しくは符號のみが亂臣賊子に非らず、其の下に潜在する
『日本民族』が即ち皇室に對する亂臣賊子なりしなり。−−而してこの皇室の側より見て亂臣賊子なりし所以の者
は、凡ての民族の如く系統主義と忠孝主義との上古及び中世史の當然なり。
 
 吾人は先づ一千年間と傅説さるゝ原始的生活時代より一言せざるべからず。是れ如何なる民族に於ても系統主義
と忠孝主義とは歴史的生活以前よりして萌芽を有する者なればなり。
 凡ての民族の忠孝主義と系統主義
 即ち、古代に於て最も早く民主政に到達せしラテン民族が希臘羅馬に移住せざりし以前は固
より、移住後と雖も初めは絶對無限の家長權と其れに伴ふ忠孝主義の道徳より外無かりし如く、
今日の歐州の民主國たるゲルマン民族が原始的共和平等の時代を經て中世史の長き歳月を亦等しく君主政治と家族
制度とを以て經過し、從て忠孝主義が唯一の最高道徳なりしが如く、例へ文字無き時代にして其の間の歳月の如き
固より取るに足らざる傅説の者なりとするも、最古の歴史的記録を全く沒意義のものと見ず少くも其記録的歴史の
書かれたる以前數百年間程の大體を推し得べきものとせば、(其の歴史的記録の中に於て他のゲルマン民族の其れ
の如く原始的共和平等の時代に係はる記録が他のラテン民族の觀察によりて世に傅はれるが如き事なきが故に、)
 原始的共和平等の時代
日本民族の歴史的生活は系統主義と忠孝主義との萠芽を繼承して始まれる者と想像し得べし。實
に彼の母系系統時代と稱する永續的の夫婦關係なき時代、或は其の母系すらも意識せざる一層の
原始的なる社會に於ては、原始的生活の部落が只本能的社會性を以て共和平等の團體として存在し、平和に、或る
時は鬪爭して生活し、父子の意識なく、若しくは甚だ薄弱にして長ずると共に忘却するを以て孝と云ふ道徳の要求
さるゝ理なく、又公法の淵源たるべき素朴なる信仰僅少なる慣習より外に複雜なる支配服從の關係なくして、原始
的平等の共和的團體なりしが故に忠と云ふ階級的道徳の要求さるゝ所以も非らず。−−故に吾人が先きに家長制度
 忠孝主義は人類原始の道徳に非らず
を以て人類の原始に非らず又終局に非らずと云ひし如く、家長制度に伴ふ忠孝主義は決して人
類原始の道徳に非らず又人生終局の權威にても非らざるなり。即ち忠孝主義とは民族の或る程
度の進化に到達して家長制度を生ずる時に發生する道徳にして、家長の下に意識的團結を爲すまでの進化に於ける
一階段の道徳なり。即ち第一に社會意識の覺醒すべきは乳房を含ましむる母と子との間にして茲に母子の間にのみ
覺醒せられたる社會意識を以て聯絡する母系系統となり、更に父にまで擴張せられて父系系統となり、尚兄弟に及
び、兄弟の妻子叔伯に及び、一家の中に三四家同居せしものゝ漸時に人口揄チして末家支流となりて分派し、其の
分派せる末家本家が系統の意識によりて聯絡し、茲に家長制度となりて系統主義忠孝主義の社會進化の過程に入る。
而して此の系統主義と忠孝主義とによりて繋がれたる家長制度は、其の時代の原始的宗教たる祖先教によりて祖先
 家長制度と祖先教
靈魂の不死を信じて本家の家長の下に統一せられたる祭祀をなし、祭祀の長たる本家の家長が同
時に其の家族と末家とに對して祖先の代辨者として絶對の支配權を有し、以て政教一致の君主政
となるなり。−−日本民族は其の原始的共和平等の時代を恐くは他の國土に於て經過し、神道の下に統一せられた
る政教一致の家長制度として系統主義と忠孝主義とを以て其の歴史的生活時代の前編を書き始めたる者と想像する
事を得べし。即ち家長は子女の父たるを以て孝を要求し、同時に一家族の支配者なるが故に忠を要求す。忠孝とは
都落對部落の生存競爭に於て覺醒する公共道徳と共に(『生物進化論と社會哲學』に於て偏局的社會主義を論じた
る所を見よ、)家長制度の下に發弄すべき私徳の最も原始的なる者なり。故に、斯る最も原始的なる時代に於ては
家長が即ち忠と孝との要求者なるが故に忠孝一致の思想は少しも捏造に非らずして君は即ち民の父母なりと云ひ民
を以て君の赤子となすと云ふが如き言も今日の如き無意義なる歴史的襲踏の形容辭に非ざりしなり。而しながら生
 忠孝一致論の本來の意義
ける忠孝の對象は一家内のみに於て云はるべき事にして、一家の漸時に數十の末家本家に分派す
るに至りては各家各々家長ありて各家の家族の仰やべき父たると共に從ふべき君たり。而して本
家末家の關係は漸時に血縁的關係の稀薄になるを以て、この間を繋ぐには本家末家の凡てが仰いで以て共同の父と
する所の遠き祖先の靈魂に求めざるべからず。即ち遠き祖先の靈魂を祭ると云ふ事は祖先に孝を致す所以なると共
に、祖先靈魂の命令なりとする所に服從する事によりて祖先の靈魂に忠なる所以なりとせられたり。彼の神武天皇
と謚名せらるゝ皇室の祖先なりと傅説さるゝ者が其の家族團體を率ゐて日本國を征服するや、『我が皇祖の靈天よ
り降りて朕が身を光助け給へり、今諸の慮巳に平らぎ海内事無し、以て天神を郊祀して大孝を述ぶべし』とあるは、
固より後世の傅説なりとする者を集めたる日本書紀の逆進的敍述と漢文字の口吻なるを以て大に注意して受取るべ
きものなりと雖も、天神を郊祀して大孝を述ぶべしとあるは天照大神が忠と孝とり對象と云ふことにして、祖先靈
 神武天皇の所謂大孝
魂の不死を信じて家長制度の國體を爲せる時に於ては、君宦一家と忠孝一致とは全く事實なりし
なり。而しながら誤解すべからず、君臣一家の事實なりしと云ふことは神武一家の征服者が家長
制度によりて君となり臣となりて天照大神の下に一家なりと云ふのみにして、其れに征服せられたる奴隷賤民は固
より家族と同樣に家長の所有たる經濟物たりしと雖も家族の一員にあらず、又其の前後苹無數に移住し來れる他の
家族團體とは本家末家の關係に非ざる事は論無し。而して其の忠孝の一致と云ふも神武の言の如く、天照大神其者
の命令に服從し天照大神其者に大孝を述ぶることに於て即ち末家本家の共同の祖先に對してのみ忠孝の一致すと云
ふことにして。共同の祖先より分れたる末家本家の間に於て、即ち本家の神武を末家自身の祖先たる天照の代辨者
としてに非らず、神武其者を忠の終局目的として、神武よりも白髪なる者もあるべき末家が神武に孝を盡くして神
武に忠孝が一致すと云ふことには非らざるなり。穗積博士が今日の日本國を家長國なりと云ふに個體の延長と云ふ
が如き説明を以てせるは顯微鏡以後の科學のことにして、現今の天皇は天照の身體の延長なるが故に現在の天皇即
ち天照大神の生ける者として現在の天皇其の者に忠孝が一致すと曲辯するが如きは、古典の文字を無視し神道の信
仰に叛くのみならず、等しく天照の生命の延長たる其の所謂末家たる國民は平等に天照の延長たる天皇に−−即ち
天照と云ふ個體の大きくなれる天照の各分子の間に−−何の故に忠孝の關係が生ずるかを解釋する能はず。實は所
 國體論者は神道の異端にして古典の叛逆者なり
謂國體論者は神道より見れば甚しき異端にして古典の叛逆者なりとすべし。兎に角、祖
先教時代に於ては近畿地方の一強者たる皇室の祖先天照大神が現に靈魂として存在し本
家の家長の口を通じて命令を下しつゝありと信ぜられたるが故に天照大神に對して忠孝が一致し(又各家の家長に
對しても忠孝一致せしを以て)、忠と孝とは些の矛盾なく行はれて、各家の家長及び家長の間を聯ぐ遠き家長の靈
魂は忠孝の一致する焦點として最も高き權威たりき。固より斯くの如き歴史的生活以前の時代は固より傅説に過ぎ
ざるを以て吾人は其の傅説を科學的推理の材料として用ゆるに過ぎずと雖も、天皇(と謚名せられたる或る地方の
 遠き家長の代辨者としての天皇
家族團體の家長)の命令は、忠孝一致の本體たる天照大神(と傅説さるゝ其等の各家族の遠き家
長)の代辨者として其團體員の間に於て疑問なく服從せられたる者なるべく、假令最も嚴肅なる
科學的態度を執りて、古事記日本紀の傅ふる文字無き時代の凡ての天皇を記録的の歴史の外に置くとするも、社會
進化の一過程として祖先教の原始的宗教と、系統を辿りて社會意識の覺醒し始めたる家長制度とによりて家長及び
遠き家長が忠孝の本體として權力の源泉たりしことは充分に推理さるべきなり。−−而して皇室の祖先が忠孝一致
の本體たる家長或は遠き家長の代辨者として其の地方の家族團體に臨みたりと云ふことは、即ち他の大部分の地方
 全國各部落の獨立
に散在せし大多數の家族團體が各々忠孝一致の本體たる家長或は遠き家長の代辨者を有して對抗
したりと云ふ所以にして、『遠荒の民今尚正朔を奉ぜず』の語ある如く一千年間と傅説さるゝ原
始的生活時代の大多數の國民の祖先が國體論の外に獨立せし所以なり。實に原始人の部落に於ては原始的宗教たる
祖先教によりて各部落各々異なる家族團體として各々異なれる家長の靈の下に統一せられ、交通の隔絶と共に家長
の靈を異にすることを理由として獨立に對抗したる者なり。
 兎に角、日本民族も他の凡ての民族の如く系統主義と忠孝主義とを以て漸時に原始的生活時代を進化し行き、終
に歴史的自覺を有し其の自覺を後代に繼承せんが爲めに歴史的記録を要するに至り、茲に支那文字わ輸入によりて
歴史的生活時代に入る。
 
 歴史的生活時代は即ち諸大族の膨脹發達して交る交る亂臣賊子を働ける時代にして先きに云へる蘇我氏の如き其
の著しく強大なりしを以て最も注意を引く所の者なり。−−而して是れ亦同様に系統主義と忠孝主義との故なり。
 歴史的生活以後の系統主義と忠孝主義
固より儒教佛教以後の系統主義と忠孝主義とは祖先教の家長の靈を不死として信仰するが如
き者とは大に趣を異にし、本家末家の共同祖先に對する大孝と云ふ意義の忠に非らずして、
系統を辿りて一家或は其の一族に覺醍せられたる社會意識が其の一族一家を社會團體として家長の下に統一せられ、
家長の目的と利uとの爲めに努力する事を以て忠とし孝としたるなり。而して社會意識は近親の者には最も強盛に
して疎遠なるに從ひて漸時に稀薄となる。故に彼の臣連と云ふが如き權力階級は皇族と元と共同祖先の系統より相
分れたる同じき枝なりと雖も、遠き本家たる皇室に對する稀薄なる社會意識よりも、各自家の家長若しくは近親の
 近親の家長のために遠き本家たる皇室を打撃す
本家に對する忠が遥かに強盛なる社會意識によりて道徳の第一位に置かれ、終に本家た
る皇室と其末家たりし各家の家長と−−同一系統の同一なる枝なりと云ふ平等觀により
て−−相對抗する場合に於ては、近親の社會意識によりて其の家族及び末家等は各自の家長或は近親の本家のため
に忠孝を盡くし以て皇室を打撃すべき道徳的義務の履行に服したる所以なり。(吾人が先きに忠孝一致論の困難を
教育勅語の訓ふる愛の厚薄による道徳履行の順序によりて指示したる事の決して理由なきに非ざりしを知るべし)。
即ち、斯る時代に於ては社會意識が甚だ狹少なる範囲に限られて覺醒せるを以て一族一家を生存競爭の単位とし、
 一族一家を單位とせる生存競爭
彼の蘇我氏が此の單位の競爭に於て古來の大族たる物部中臣の諸氏に打ち勝ち更に他の大族たる
皇族と競爭を開始したる如き是れにして、社會意識は一時に擴張するものにあらず、歴史の進化
に從ひて系統を辿りて漸時的に覺酲し、從て他の系統の者を排斥するに至るを以てなり(『生物進化論と社會哲學』
に於て生存洗爭の單位が狹少なる者より漸時に擴大し行くを説けるを見よ)。故に天皇族の近親の一家一族のみ某
の家長たり族長たる天皇に忠なりしと雖も、他の競爭の單位たりし臣連等の一家一族は只其の各自の家長族長の下
 系統主義と各族長の平等觀
に忠孝主義を奉ずるのみむ而して其の家長族長は天皇と同一系統なりと云ふ平等觀と稀薄になれ
る社會意識とを以て天皇と利害相異るときは其の下に疎遠なる末家として行動し、其相關せざる
ときは無關係の傍觀者となり、而して其の相反するときは各自の一家一族を率ゐて亂臣賊子となりきの一人のみが
亂臣賊子にても非らず又忠臣義士にても非らず、諸大族の交る交るなる亂臣賊子と云ふは單に其の家長族長に非ら
ずして最も親近の系統に於て團結する一家族團體が忠孝主義を以て其の家長族長を奉戴せしが爲めにして、彼の皇
族自ら匁を振て起たざるまでは長き間蘇我氏に壓伏されし如き、多くの家長族長が其の忠孝主義の家族團體を率ゐ
て傍觀せしが故なり。
 是を以ての故に、彼の英雄的模型の天智天皇は家長制度を超越して天皇一人を最高機關とせる國家主權の理想國
を建設せんとしたる所以なり。而しながら斯る理想國は遥かに後代に於て實現さるべき者にして社會の未だ進化せ
ず社會意識の系統を辿りて僅かに覺醒しつゝありし如き古代の社會に於て夢みらるべきに非らず。恰も社會主義が
資本家制度の充分なる發展を承けて始めて實現さるべきにも係らず幾多の理想家が其の理想國を新開國に於て建設
 大化革命のユトピアなりし理由
せんと夢想したりしごとく、天智の理想せるがごとき公民國家は家長國の歴史的進行を中途に遮
斷して實現し得べきものに非らずして實に家長國の長き進化を繼承したる後において國家の凡て
の分子に社會意識の普く覺醒すべきことを要するなり。−−果して然らば、斯る企圖の單に天智のユトピアにして
其の死と共に消滅し、家長國の潮流に從ひて皇室自身が家長として存し從て藤原氏の専制時代を生じたることは明
 藤原氏の亂巨賊子も亦家族族黨の忠孝主義の故なり
瞭に解せらるべし。實に藤原氏の専制時代とは其の近親の系統なる一家一族を競爭の
單位として、家長族長の下に其の家族族黨が忠孝主義によりて團結し數百年の長き間
天皇族の上に其の族長をして亂臣賊子を働かしめたる者なり。
 實に所謂國體論者の主張する系統主義と忠孝主義とは、皇室の祖先が家長として存在したりし日本史の第一頁よ
りして皇室を打撃迫害して亂臣賊子となれるなり。
 以降。平氏、源氏、北條氏、足利氏、徳川氏に至る中世史。−−此の聯綿たる亂宦賊子は實に系統主義と忠臣主
義の家長國の當然として其等家長君主の下に在る臣屬の忠によりて皇室を打撃迫害し來れり。而しながら等しく家
 中世史の系統主義の特殊の説明
長國の潮流なりと云ふも、系統の一事のみによりて社會の組織されたる古代とは中世史の大に異
なるは論なく、從て源氏と云ふ系統の一家のみ平家と云ふ系統の一族のみは家長制度と忠孝主義
とを以て亂臣賊子を働きたるべきは上述の説明によりて解せらるべしと雖も、其等の歪以外の多くの祖先等が亦
等しく亂臣賊子に加擔せることは社會の進化に應ずる特殊の理由に求めざるべからず。先づ系統主義より説く。
 此の説明は聊か精細に道徳の起原、良心の形成と云ふが如き科學的倫理學につきて考察せる者に取りては容易に
解せらるべきなり。言ふまでも無く、道徳の本質は本能として存する社會性に在り。而しながら道徳の形を取りて
 道徳の本質
行爲となるには先づ最初に外部的強迫力を以て其の時代及び其の地方に適應する形に社會性が作
らるゝ事を要す。道徳とは此の形成せられたる社會性のことにして、單に道徳とのみ云ひては恰
も物理學上の原子と云ふが如く思考上の者に過ぎず、地方的道徳時代的道徳として地方を異にし時代を異にする社
會によりて形成せられたるものとして始めて行爲に現はる。今日の野蠻部落に於ける慣習の些少なる者と雖も嚴格
を極めたる刑罰を以て強制するは實に社會性を外部的強迫力によりて形成しつゝある者にして、而して其の外部的
強迫力としては祖先教多神教の日月星辰より犬馬木石に至るまで神とせられたるを以て到る處無數の神が外部より
 他律的道徳時代と自律的道徳時代
の監視者として道徳を強迫したりき。然るに社會の進化するに從ひて此の外部的強迫力を漸時
に内部に移して良心の強迫力となし、慘酷なる刑罰によりて臨まれずとも又無數の神によりて
監視されずとも、良心其れ自體の強迫力を無上命令として茲に自律的道徳時代に入る。他律的道徳と自律的道徳と
ほ上の一生に於て小兒より大人に至る間に進化する過程なる如く、社會の大なる生涯に於ても其の社會の生長發達
に從ひて他律的道徳の時代より自律的道徳の時代に進化する者なり。日本民族の道徳發達の順序と雖も亦この理に
洩るべからず。外國文明輸入までの應神仁徳に至る一千年間と傅説さるゝ間は、先きに言へる如く其の年數を傅説
のまゝに受取るとするも恰も今日幾萬年の歴史を有する南洋の士人が依然として野蠻を繰り返へしつゝある如く、
原始的生活時代の當然として祖先の無數の靈魂は固より、日月風雷より蛇鳥魚石の神に至るまで無數の外部的強迫
力によりて社會の維持せられたる他律的道徳の時代なりき。然るに遥かに進歩せる社會の儒教佛教等の自律的道徳
の入るに及びて、從來他律的に系統主義を以て家長の下に團結したりし者、明確に自律的意識として訓誡せられ、
國民は系統的團結を道徳の最高善となし外部的強迫力たる祖先の靈魂或は刑罰等を待たず、自ら良心の無上命令と
して進で系統主義の下に一切行爲を爲すに至れるなり。而して良心とは單に道徳的判斷の本體と云ふ意味にして、
如何に道徳的行爲を判斷すべきやとの内容は全く出生後の社會的境遇によりて作成せらるゝものなり。(『社會主義
の倫理的理想』に於て良心形成の理由を説げる所を見よ。)而して又道徳とは社會を進化せしむるより先きに、現
存の社會によりて作り始めらるゝが故に、先づ社會を現存のまゝに維持することより外なく、而して其の事を以て
 模倣的道徳時代の中世史と系統崇拜
最初の任務となす。故に等しく良心による自律的道徳と云ふも、今日に比しては固より社會の
進化せざりし時代なりしを以て現存の造徳の上に超越して現存の道徳を疑ひて更に進化せる道一
徳の理想を掲ぐる事なく、−−而して特に海洋に封鎖せられたる日本民族の中世史に於ては今日の如く他の社會の
進化の程度或は方向を異にせる道徳とを比較對照してさらに進化せる道徳の理想を得て、現存の道理を批判するの
機會なかりしを以て、良心の形成に於ては全く投射的模倣的にして巳に社會に存在する道徳的慣習倫理的訓誡を受
け入るゝに止まりたりしなり。斯くの如き疑問なき模倣的道徳時代の中世史に於て、如何なる民族にも嘗て一たび
崇拜せられたる系統の價値が強烈なる渇仰を以て迎へられたることは當然にして。人口の揄チによる同一系統の繁
殖と社會の衝突動亂による社會意識の發展とたよりて−−即ち系統を辿りて或は系統を越えて−−人類の平等觀が
漸時に擴張せらるゝに係らず、何々の未、何々の後と云ふ事は誠に尊貴なるものとして絶對に服從すべき者なりと
して受動的に道徳的判斷の内容が作られたるなりき。是の系統崇拜は敢て日本民族のみに限らず、社會意識が系統
を辿りて發展しつゝありし上古及び中世に於ては今の歐州民族と雖も實に長く社會の良心を支配せしものにしで、
今日尚取るにも足らぬホーへンツォルゲン家を鼻に脱糞する神聖の獨乙皇帝が社會民主々義の前に抵抗を試みつゝ
 系統崇拜と亂臣賊子の首領
ある如き是れなり。而して、此の系統崇拜は海洋の封鎖によりて進化の急速なる能はざりし日本
の中世史に於ては特に甚しく、如何なる亂臣賊子も自家の系統の尊貴なる事によりて國民の崇拜
を集め以て亂臣賊子を働くを得たりしなり。彼の天兒屋根尊の後裔なりと云ふ藤原氏が系統的誇榮を負ひて他の階
級を排斥すると共に人民の崇拜を集中して大化革命の理想を朝廷の上より打破し、崇神天皇の頃よりして代々地方
に赴きたりと傳説さるゝ無數の皇子等の子孫は天皇と同一の枝なりと云ふ系統的誇榮を負ひて地方に土着し他日の
群雄諸侯となりて興廃すべき貴族國の萠穿となり、常に誇る所の桓武天皇の末なりと云ふ平氏、等しく榮とする所
の清和天皇の後なりと云ふ源氏の如き、實に系統を無上に高貴なるものなりとせる祖先の良心に奉戴せられて存分
 亂臣賊子の首領は系統によりて天皇との平等觀を作り系統的誇榮によりて系統崇拜の國民に奉戴せられたり
なる亂臣賊子を働くことを得たるなり。歴史の上に記録せら
れたる事實は明かに之を證明す。彼の最も初めに政權に覺醒
して起てる土豪の−−即ち後の貴族國の萠芽たる平將門の如きは實に簒奪の權利を『我は桓武の孫なり』と云ふ系
統的誇榮に求めて系統崇拜の良心を支配せんとしたり。同じき系統の清盛が後年斯る信念によりて彼の放誕なる行
動を敢てせしや否やは記録の據るべきもの無しと雖も、源氏の掠奪が『清和天皇の末なる八幡太郎義家公の裔』と云
ふ系統的誇榮の一語に系統崇拜の良心を集中して爲されたることは何人も知れる所の如し。實に系統崇拜の甚しき
屡々勅令によりて天下の武士の源平二氏に屬するを禁じたるにても知らるべく、單に一夜の宿泊によりて其の通過
せし地方の土豪國司等は源氏の家臣となり平氏の忠僕となれり。彼の源平の戰と稱せらるゝものによりて一時天下
の兩分せられたるは固より不羈獨立の幸福に置かれて自家の自由に從ひて就去せし其等の多かりしは言ふまでも無
しと雖も、些の系統的聯絡なく單に爲朝の暫く九州に在りしが爲めに其の尊き系統に從ひしとか、平氏の來り投ぜ
るを以て家門の光榮なりとして其貴き系統に屬せしとか云ふ如き、實に些少なる事實によりて其の臣僕となり以て、
其の忠なるの勵しきだけ源氏或は平氏の前に皇室が敵として現はるゝ時に於ては大膽不敵なる亂臣賊子となりしな
り。彼の北條氏が系統に於て甚だ劣れるが爲めに其の弱點の補ひを善政に求め常に謙譲の從五位下を餘儀なくせら
れたるに拘らず、簾を掲げて聲涙共に下れる尼將軍の一言は涙を垂れて十萬の將士に死を誓はしめ尊族自ら甘じて
北條氏の號令の下に統一せられ、終に彼の三帝を追放せる如き亂臣賊子を働きたるに非らずや。而して彼の足利尊
氏の容易に北條高時を破りしは系統的誇榮に於て遥かに勝れたる源氏の後裔なるが故にして、尊氏の飜て後醍醐と
對抗するに至るや國民は亦尊き源家の後裔に從ひて忠を盡くし、尊氏を奉戴する熱情の餘り『八幡太郎義家の子孫
は必ず天下を取らんと』の流言が行はれたるほどに非らずや。而して彼の義滿が太政大臣を望みて得ざるや、『よ
し々々、義滿國王となりて斯波、細川、畠山、六角、山名を五攝家とし、土岐、赤松、仁木、京極、山内、一色、
武田を七攝家とし、其しの外の諸大名を其の他の姓に任じ、菅家江家の式とし、楕、清原の性を以て其家を立て、諸
侯の陪臣の名高きを武家とし、鎌倉の管領氏滿を將軍として武道を糺して文事を起さば以て聖帝と云ふべし』とな
し、百官公卿の所領を沒収して簒奪に着手したるや、實に其の權利を『我れ清和の末なれば非理の道に非らず』と
云ふ系統的誇榮に求めたりしに非らずや。−−實に吾人が、日本民族は系統主義を以て家系を尊崇せしが故に皇室
を迫害せりと云ひ、系統主義の氏族なりしと云ふ前提は凡ての民族の上古及び中世を通じて眞なり、而も其の故に
萬世一系の皇室を扶翼せりと云ふ日本歴史の結論は皆明かに誤謬なりと云へる者茲に存す。
 而して系統主義は一面下層階級に對して系統崇拜たると共に、崇拜さるべき系統の貴族階級に取りては天皇と自
 系統主義は貴族階級をして天皇に對する平等主義とならしむ
家とが同一の天皇より分れたる同一系統の同一なる枝なりと云ふ理由によりて平
達主義の殺伐なる實行に於て説明なりき。平氏の將門が『我は桓武の末なり』と
して自立せんとしたる如き、源氏の足利義滿が『俄れ清和の末なれば非理の道に非らず』して簒奪せんとしたる如
き實に系統を辿りて平等觀の漸時に發展したる者に外ならざるなり。(吾人が前きに君臣一致論の却て大膽なる平
等主義となりて自殺論法に終るを指示せるは徒らに歴史を無視せる推理に非らざるを見るべし)。
 
 中世史の忠孝主義の特殊の説明
 次ぎに説くべきは忠孝主義なり。忠と云ふ道徳も古代の家長及び家長の間を聯ぐ遠き家長の靈
に對する孝と云ふことゝ同意義なりし者とは異なりて、忠其れ自身が充分に自律的道徳として發
達し、而して國民は忠と云ふ道徳的義務の履行として亂臣賊子の下に皇室を打撃迫害したりき。
 凡ての道徳は社會の生存進化の爲めなり、道徳的判斷は社會の生存進化の目的に應じて作らる。而して社會の形
態は經濟關係の其れ々々異なるに從ひて組織を異にす。故に又道徳の内容も社會組織の異なれるに從ひて異なる。
是れ今日に於ては何人も知れる所の者にして、經濟的要求を充たす能はざる境遇の野蠻人が人肉を喰ふことを惡事
に非らずとし、幼兒を殺し或は遺棄することを不道徳に非らずとするは其の經濟状態を異にするによりて異なる道
 道徳の形態と社會の經濟的境遇
徳にして、移住の際にブラジル土人が頭大の棒を振つて老人を撲殺するを道徳上の權利と考へ、
飢餓の時にエスキモー人は老人自ら發議して部落の會議にて自殺を決することを道徳上の義務と
思ふは、亦經濟的缺亡の社會組織に伴ふ異なれる道徳なるなり。然るに經濟的要求の充分に滿足さるゝ支那の如き
は全く道徳を異にして古代より老人を敬養することを最高善となし今日の文明國に於ては殺兒の如きは戰慄すべき
犯罪とせられつゝあるに非らずや。斯くの如きは固より極端に相異せし事例を擧げしに過ぎずと雖も、社會生存の
維持たる道徳が其の社會の置かれたる經濟的境遇によりて其れ々々異なるの斯くまでに甚しきは以て推想さるべし。
此の社會の組織道徳の形式が經濟状態によりて各異なると云ふことを皮想的に土地或は黄金とのみ見ず、生命維持
の物質的資料と解するならば、社會と云ふ大なる個體の生物が其の生命を維持せんが爲めに經濟状態の異なるに從
ひて其の組織と、及び組織を繋ぐ道徳とを其の目的に從ひて其れ々々變化せしむるは當然のことなり。實に社會と
は一個の生物にして生物は生存進化の目的の爲めに其の境遇に適應する形式を取る者なればなり(『生物進化論と
 政治史及び倫理史の根底として經濟状態の時代的考察
社會哲學を』見よ)。故に道徳の進化と云ふことは社會の進化と云ふことにして社會の
進化と云ふことは經濟状態の進化と云ふことなり。是を以て道徳の進化を見る倫理史
と社會の變遷を察する政治史とは凡て經濟状態の時代的考察によりて解せらる。
 忠とは經濟物としての處分に服從すべき奴隷の道徳的義務なり
 即ち、人類が他の人類の所有權の下に經濟物たりし奴隷制度に於ては經濟物と
しての處分に服從すべき道徳あり。即ち自己の身體が自己の所有に非らずして自
己を處有する他の人類の之を贈與し賣買し殺傷すべき權利を承認する所の道徳なり。是れ忠と云ふ奴隷的道徳の最
も原始的なるものにして、家長の所有權の下にある家族及び征服せられたる奴隷の子孫は、前きに説ける道徳の社
會的作成の理由によりて先づ外部的強迫力を以て經濟物としての處分に服從すべき事を要求せらるゝなり。然るに
此の外部的強迫の他律的道徳時代より内部的強迫の自律的道徳時代に進化するや、自ら良心の無上命令としで主君
が自己の身體む經濟物として處分することの、即ち自己の道徳的義務として主君の利uの爲に自己の生命を滅ぼす
事の所謂忠と稱せらるゝ道徳を生ずるなり。忠の最も原始的なる奴隷制度の他律的道徳時代に於ては歐州に於ては
鎖と鞭とを以て、日本に於ても恐くは嚴酪を極めたる刑罰の外部的強迫力を以て、其の道徳の履行を要求せざるべ
 歐州の奴隷制度と日本の其れ
からざりき。只、日本に於ては歐州諸國の近き以前まで鎖と鞭とを以て奴隷制度を維持せし者の
如くならざりしは、彼に於ては常に外國との攻戰によりで、若しくはK奴の捕獲によりて對等獨
立の外國人を新たに奴隷とし其の獨立心の發動を壓伏せしが爲めに鎖と鞭とを要したる者にして、神武移住時代に
於ける奴隷、某後の三韓蝦夷の奴隷は、征服せられたる若しくは捕虜とせられたる初めの一二代の奴隷に於では獨
立心による反抗の有りしことは記録の上に見らるゝ如くなりと雖も、其の子孫たる奴隷に至りては良心の社會的作
成の理由によりて經濟物としての處分に對する絶對的服從を他律的に(或は進みて自律的に)承認するに至りしな
り。(而して如何に良心の作成が社會的境遇によりて自由に敏速に形づくらるゝかは『社會主義の倫理的理想』を見
よ)。此の經濟物としての處分に服從する奴隷的道徳の極度は即ち殉死なり。プラトーが其の社會主義の財産公有の
中に人類たる奴隷及び婦人を包含したるは奴隷及び婦人が共に人格にあらずして經濟物たりしが爲めなる如く、殉
 忠の極度の履行たる殉死の他律的時代
死の時に金銀玉石の經濟物と共に近臣妻妾を土中に埋めたるは其等が經濟物なりしを以てな
り。而して忠の最も極度の履行たる殉死は日夜鳴號絶えざりしと云ふ如く崇神天皇頂に至る
までの原始的生活時代に於ては原始的道徳の當然として全く他律的なりしなり。
 此の人類を經濟物と見る奴隷制度は日本に於ても遥かに後世にまで繼續したりき。而して此の經濟状態と其れに
伴ふ社會組織の在る間は經濟物の處分たる殉死のみを社會の外に驅逐し得べきものに非らず。彼の崇神天皇が殉死
に代ふるに土偶を以て代へたるは大に社會の進化し又進化せる社會の儒教によりて社會意識の鋭敏になれる爲めな
りと雖も、尚純然たる奴隷制度は賤民なる名に於て存し、其の賣買が官署の屆出によりて爲され、奴隷の産める奴
 奴隷制度の纏續と自律的時代の殉死
隷の子は恰も牛の子が農夫の所有たるが如く産みの親の之を賣るときに於ては盜罪に處せられ
し程なれば、大化革命後に於て三族の誅滅を以て殉死の禁を勵行せしに見ても如何に甚しく行
はれたるかを推想し得べし。斯く人類を經濟物とする奴隷制度は尚中世に繼續して、倭寇時代には人商人、人買船
と稱せらるゝ者ありて奴隷賣買の行はれ、羅馬に於けるが如く奴隷の病むや平常之を愛用せしに係らず小屋の隅或
は路傍に放置し、叉姨捨山の物語にある如く奴隷の老廢者を山林に捨てたりき。實に忠と云ふ道徳は人類の人格を
剥奪し之を經濟物として其の所有主の處分に服従せしむる奴隷的道徳なり。從て殉死と云ふが如き經濟物の處分は
此の奴隷制度の繼續する間忠なる名に淤て種々なる形式の下に存續せしことは當然にして、其の自律的道徳時代に
入るや奴隷の聊か人格をもたげつゝ始まりし家の子郎等が主君の戰死に伴ひて其の屍の傍らに殉死し、徳川時代の
武士が幕府の嚴罰を以て諸侯を戒飭せるに係らず大名の死と共に冥途の御伴なりとして必ず二三の殉死者を絶たざ
りし如き是れなり。彼の『貞女ほ兩夫に見えず忠臣は二君に仕へず』と云ふの言は、婦人及び臣僕が夫と君との所
有物なることを自律的道徳に於て承認すべきことを訓誡する者にして殉死の聊か輕減せられたる者と考へらるべし。
 武士道は奴隷の道徳を自律的形式に於て行ふ
 實に、日本中世史の武士道は其の自律的道徳にまで進める點に於ては誠に美はしきもの
なりと雖も、其の人格たるべき人類を君主の所有物、即ち君主の所有權の下に物格として
贈與せられ殺戮せらるべきことを承認したる奴隷的道徳の繼承なりき。是れ敢て日本のみに限らず社會の進化道徳
の發達の過程として如何なる民族も必ず一たびは經由せざるべからざる進化の一階段にして、歐州中世史に於ても
日本と等しき貴族國たることに於て、日本と等しく忠を眼目とせる騎士氣質を産みし如き是れなり。而しながら
茲に注意すべきは社會の漸時的進化のことにして、中世貴族國の家長君主等は其の家長君主等の目的と利uとの爲
めに土地及び人民が其の所有權の客體として存したる者なりと雖も、古代の家長制度よりも漸時に進化して其の所
有物たりし人民も、古代の家長の下に在りし奴隷より或る程度まで人格を認識されたる者なり。即ち人類其れ自體
が直接に貴族の所有權の下に經濟物として取扱はれず、人類を養ふべき土地が貴族の所有物なりしを以て土地に對
する經濟的從屬關係よりして土地に養はるゝ人類其の者を土地の所有者たる貴族の從屬物と考ふるに至りしなり。
言はゞ間接の關係なり。彼の一般人民が土百姓として土地と共に恰も貴族の財産なるかの如く相續贈與或は殺戮せ
られたる如き是の故にして、特に武士が其の仕ふる所の貴族の意志によりて他に贈與せらるゝも自己の意志を以て
拒絶する能はず、貴族の自由に御手討にするも自己の獨立を以て自家防衛を爲す能はざりしは、實に全く此の土地
に對する經濟的從屬関係よりして生ぜる奴隷的服從なり。而して今日の科學的倫理學が道徳の進化を分ちて本能的
道徳時代、模倣的道徳時代、批評的道徳時代、と爲しつゝある如く、道徳進化の過程として如何なる民族に於ても
 貴族階級の土地を占有せる階級國家時代と土百姓及び武士の經濟的從屬關係より生ぜる奴隷的服從
中世史頃までは現存の道徳を批評して其の上に超越せる道徳的理
想を掲ぐる能はざる模倣的道徳時代なりしを以て、巳に社會の進
化して其の道徳的形式を自律的に於てする時代に入れるに係らず、其の内容は古代より社會に現存する奴隷的服從
の道徳的訓誡を模倣して受け入るゝの外無く、此の點よりしても中世史の武士道が各自の君主に對する奴隷的服從
を最高善とするに至りしなり。−−實に、此の貴族階級の土地を占有せるが爲めに生ずる經濟的從屬関係と、中世
史の程度なる模倣的道徳時代と云ふ二つの理由によりて、自律的形式の壯嚴華麗なる武士道は其の道徳的形式とし
ては誠に高貴なる者なるに係らず道徳的判断の内容を奴隷的服從を以て充塞したりしなり。而して歐州中世史の
騎士氣質も其の中世史なることゝ階級國家なることに於て同樣なり。
 吾人が政治史と倫理史とは經濟状態の時代的考察によりて解せらると云へる者これなり。實に經濟的基礎に於て
獨立する者は政治上に於ても道徳上に於ても獨立の権利を有し、經濟的基礎に於て從屬する者は政治上に於ても道
徳上に於ても服従の義務を負ふ。故に、天皇が其の強力を以て凡ての土地(而しながら事實に於て近畿、後に至つ
ては諸大族の分割となる)を所有したる古代に於ては凡ての人民は天皇の下に政治上道徳上の服從者なりしと雖も、
 貴族階級の經濟的獨立による政治的道徳的獨立
源平以後の貴族國時代に入りては同じき強力による土地の掠奪によりて經濟上の獨立を
得たる貴族階級は天皇に對して政治的道徳的の自由獨立を以て被治者たるべき政治的義
務と奴隷的服從の道徳的義務を拒絶し、而して其等の亂臣賊子の下に在る家の子郎等武士或は土百姓は其等の貴族
階級に對する經濟的從屬關係よりして貴族を主君として奉戴すべき政治的義務と其下に奴隷的に服從すべき道徳的
義務とを有して從屬したりしなり。從て其從屬する所の貴族が其の政治的道徳的の自由獨立を所謂亂臣賊子の形に
於て主張する場合に於ては、貴族の下に生活する中世史の日本民族は、其經濟的從屬關係よりして忠の履行者とな
り、以て亂臣賊子の加擔者となりて皇室を打撃迫害したりしなり。彼の武士道の幼期とも名くべき時代の頼朝の訓
誡に、『主從互に恩義を重ずべき事』とあるは此の經濟的從屬関係を説明するに、主君を經濟的恩惠よりして土地
米禄を與ふるものとし土地米禄を受くる臣僕に對して恩惠に對する從屬的義務を要求したる者なりと見るべく、彼
 武士道の理論
れ以後の發達せる武士道が『其の酬に命を君に参らする者ぞかし、我が物に非らずと思ふべし』
と云ふを以て訓誨の理論とせるは、主君の經濟的恩惠によりて臣僕の一身一家の維持さるゝを以
て主君の恩惠によりて繋がれたる身命は主君の利uの爲めに酬いとして捨つべき身命なりと云ふ、經濟的從屬關係
より生ぜる政治的道徳的服從の承認なり。而して武士道は此の忠を良心の無上命令とする貴き自律的形式に於て行
ふ、中世貴族國の一千年間が全く皇室に對する亂臣賊子を以て一貫せる者論なきことなり。即ち武士道の良心を以
 武士道は皇室を迫害せる者なり
てする皇室の迫害なりしなり。−−實に、吾人が、日本民族は忠孝主義を以て忠孝を最高善とせ
るが故に皇室を打撃したりと云ひ、忠孝主義の民族なりしと云ふ前提は凡ての民族の上古及び中
世を通じて眞なり、而も其の故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云ふ日本歴史の結論は皆明かに虚僞なりと云へる
者茲に存す。
 井上博士は土人の酋長なり
 今日の國體論者は武士道と共に起れる武門を怒り武門起りて皇室衰ふと悲憤慷慨す。而も萬世
一系の鐵槌に頭蓋骨を打撲せられて武士道と共に天皇陛下萬歳を叫びつゝあり。土人部落なるか
な。(彼の文科大學長文學博士井上哲次郎氏の如きこの土人の酋長なりとす。彼の凡ての著書を見よ)。
 
 所謂例外の忠臣義士なる者につきて更に一段の考察
 系統主義と忠孝主義に對する以上の説明は所謂皇室の忠臣義士なる者の僅少なる例
外につきて更に一歩を進めて考察せしむ。
 先づ忠臣義士と稱せらるゝものを國體論者に習ひて歴史の始より數ふるに、四道將軍あり武内宿禰ありと屈指さ
るべきも、斯くの如きは原始的生活時代のことにして吾人の論外なり。女帝の寵愛によりて來せる道鏡の行動を大
逆無道なりとして憤るものに取りては和氣の清麿は大忠臣として讃美さるべし、而しながら斯くの如きも亦吾人の
論外にして繪草紙の題目たるべく、吾人は敢て不忠なりとは云はざるも彼の背後に大族の潜みて其の行動を大膽な
 歴史の始めより數へよ
らしめしことを注意すれば足る。其の大族とは藤原氏にして其の衰ふるまで一指を屈すべき忠臣
なる者無し。或は噴飯すべき白痴ほ在原業平の歌によりて彼を其の一人に屈すべきも、彼は皇后
たるべき者と通ぜる程の平等主義者にして菫詩人の崇拜たるべき者なり。平氏は藤原氏を壓倒したるも忠臣とは云
はるまじく、義仲ほ平氏を追へりと雖も亦義士に非らず。或は義仲の如き野武士に對して〔後〕白河法王を保護せ
る鼓判官と二萬人の軍勢とは忠臣たるを失はずと云ふか、而も其の二萬人は洛陽の内外に出沒せる半士半盜の浮扱
者と惡僧のみなりしを如何せん。義仲を破りて主權の用か委任されしと云ふ頼朝は有賀長雄氏に取りては理想的勤
王家なりと雖も、其の未亡人の一言に感激して攻め上れる十九萬の亂臣賊子に對して三帝を護れる一萬七千五百人
と僧兵とが忠臣義士に非らざることは確實なり。何となれば僧兵は屡々天皇を地獄に落すと威嚇し只利害によりて
就去する者にして、重忠の如きは宮門を叩いて『大臆病の君主に語はれたるぞ口惜し』と怒罵せし不敬漢なるを以
てなり。而して北條氏顛覆に至るまで一人も無し。
 只、新田氏と楠氏と在り。固より新田氏の最初の就去が經濟的獨立による自由の行動なりしことは當然にして又
記録の證する所なり。而しながら吾人は敢て彼の朴納仁に蚯き性格より推して最後まで自己の權力を中心として行
動せりとは信ぜず。又南北朝の對抗を以て新田對足利の戰爭なりとの見解に全部の賛同を表する能はず。南北朝な
 新田氏と楠氏
る者は山名細川の旗幟の下に二分して應仁の亂の戰はれたる形を南朝北朝と云ひ或は新田足利と
云ふ符號に表はして來るべき群雄割據の混戰の序幕たるに過ぎず、中世史の貴族國時代は或は聯
合により或は抑壓によりて統一の形を取ることありとも各貴族悉く統治者なるを以てなり。即ち吾人は義貞が始め
に於て貴族として自由獨立の行爲を執ると共に素朴なる彼の性格として摸倣的道徳時代の系統主義と忠孝主義とを
疑問なく受取り、最も貴き系統を有する天皇を發見することによりて當時の最高善とせらるゝ忠の履行者となりし
者なるべきは充分に想像せんと欲する所なり。然らざれば後醍醐の彼を售りて尊氏と和するが如き不徳なる處置に
對して只涙を垂れて去りしことや、流矢に中りて死する時に勅書を錦嚢に盛りて首に掛け居りし如きことは解すべ
からざればなり。而しながら誤解すべからず。其は義貞其人のみのことにして、彼の臣僕たる家の子郎等は其の經
濟的從屬關係よりして義貞其人の爲めに忠を盡くせしにて皇室が義貞の敵たるか味方たるかは無關係のことなりし
なり。正成と正行とは最も卓越せる例外なり。故に吾人は順逆論者の如く、彼が始めに高時に反抗して起てる北條
氏顛覆の先鋒とも云ふべき攝津の住人渡邊孫右衛門尉、紀伊の安田荘司、大和の越路四郎等を逆賊高時の命を奉じ
て征服せしとも其れが爲めに正成の鼎を輕重すべき者とも思はず。又三度の召喚によらずして應じたるを以て孔明
の其れに比して正成を特別に揚ぐべき者とも考へず。況んや其の落花の如き死を權助の褌に比する如き暴をや。只
彼の湊川に死せし當時に於ては模倣的道徳時代の當然として、系統主義と忠孝主義とによりて皇室の系統を崇拜し
最高善たる忠の爲めに死せしことは亦充分に想像し得べし。是れ彼等貴族階級の經濟的獨立としては解すべからざ
るが如くなりと雖も、摸倣的道徳時代に於ては卓越せる哲學的頭腦か然らざれば高師直の如く舊道徳の外に立ちて
放縦なる者かに非ざれば在來貂道徳を疑問なく履行するものなればなり。而しながら斯くの如くにして正成のみは
天皇の忠臣義士たりしと雖も、他の三百人ほ正成の從屬として正成某者の爲めに忠を盡くせしにて決して天皇の爲
めに死せし者に非らざるは論なし。正行に至つては實に花の如き物語なり。閑雅にして沈勇に滿てる性格より見る
も、又幼時の嚴格なる家庭の道徳的訓誡より察するも、政治的野心や經濟的勢力の爲めに非らずして最も獻身的の
者なるべし。而しながら彼と共に如意輪堂に名を連ねたる一族郎等は彼の就去に背馳してまでも天皇の爲めに死せ
んとする者に非らず、特に一族以外にて最後まで血戰せる者は、彼が嘗て阿倍野の合戰に於て霜月廿六日の嚴寒渡
邊の橋より落ちて溺れし五百人の敵軍を救ひて馬具足までを與へしほどの將器に感激して彼の從屬たりし者なり。
−−湊川四條畷の忠魂なる者にしてすら斯くの如し。吾人は實に是等二三の−−眞に二三の例外中の例外を除きて
今の四千五百萬人の祖先中何と名くる者が眞に皇室に忠なりしかを聞かんことを欲す。
 實に斯くの如し。皇室の側に立ちて防ぎし者も、皇室の前に進みて打撃せしものも皇室の忠臣義士たらんが爲め
と云ひ亂臣賊子たらんが爲めと云ふに非らずして、皆實に各自の主君に對して克く忠なりし傍發の結果なり。此の一
 日本民族は各自の主君に忠なりし傍發の結果として皇室の忠臣となり亂臣となる
點を最も明瞭に表白せる者は幕末の國體論の漸く唱導せられたる時の貴族
階級の一人水戸齊昭の言なり。曰く−−『人々天祖の御恩を報いんと惡し
く心得違ひて眼前の君父を差し置きて直ちに天朝皇邊に忠を盡くさんと思はゞ却て僣亂の罪逃るまじく侯』と。
 水戸齊昭の所謂眼前の君父
 貴族階級として此の要求は當然なり。而して維新革命に至るまでの上古中世を通じての階級國
家は實に此の眼前の君父と云ふことを以て一實したるなり。此の『眼前の君父』を外たして眞の
忠孝なし。孝と云ふ道徳が血縁の關係、或は其れに匹敵すべきほどの特殊の關係なき者の間に生ぜざる如く、忠と
云ふ道徳も自己が他の所有権の下に經濟物なるか、或は經濟的從屬關係なくしては生ずる者に非らざるなり。故に
例せば、彼の忠臣義士の最も讃歎すべき理想的實例たる赤穗義士に見るも、其の忠臣義士たりしは齊昭の所謂眼前
の君父たる貴族に對する經濟的從屬關係のありしが爲めにして、實に幕府の兵を迎へて城を枕に討死せんとは一た
び赤穗城中刑輿論たりしが如く、眼前の君父を外にして幕府の義士たり天皇の忠臣たる事は齊昭の云ふ如く彼等に一
取りては却て僣亂の罪たるべきなり。故に眼前の君父たる正成の爲めに殉死せし湊川の三百人も、等しく眼前の君
 正成の殉死者と高時の殉死者
父たる高時に從ひて殉死せし當座の八百人と其後の數千人も、其眼前の君父たる貴族階級に對し
て經濟的獨屬關係のあるが爲めにして、眼前の君父を外にして幕府の忠臣たり天皇の義士たる如
き僣亂は彼等誠忠なる殉死者に取りては思ひも寄らざることなり。−−此の眼前の君父に對する忠孝と云ふことは
凡ての民族に通ずる階級國家時代の鍵なり。皇室一家の移住時代に於ては其の限られたる家族團體と限られたる地
方とに於て天皇及び天照大神は眼前の君父として忠孝の本體なりき。然るに社會の進化し人口の揄チしで皇室と同
 貴族階級を組織せる無數の眼前の君父と其の下に衛星の如く從ふ亂臣賊子
一なる系統の分派が誇大族となりて朝廷に枝を張り諸豪族となりて地方に根
を擴やるに至りて、茲に無數の眼前の君父は貴族階級を組織して天皇と同一
系統なり云ふことを自覺して天皇に對する平等觀を作り、以て其忠孝の從屬者を率ゐて亂臣賊子を働くに至れり。
而して此の眼前の君父は多く土地の掠奪による經濟的獨立よりして自己の絶對的自由を目的として就去し、或は模
倣的道徳時代の系統主義と忠孝主義の爲に、源平に屬し、北條に屬し、足利氏に屬し、皇室に屬し、更に何者にも
屬せずして獨立し、獨立せる群雄の下に屬し、豊臣徳川の下に屬し、其の屬する者の下に又更に屬し、以て中世貴
族國時代の階級國家を組織したりしなり。故に其の貴族階級を奉戴せる一般人民にとりては各々眼前の君父たる貴
族の就去に從て衛星の如く繞ぐるより外なく、從て僅少なる土地と墮弱なる公卿とより外有せざる皇室に對して亂
臣賊子を以て一貫したりしなりり
 皇室の忠臣義士は其れに經濟的從屬關係を有する公卿のみ
 故に吾人は断言す、皇室を眼前の君父として忠臣義士たりし者は其れに經濟的從
屬關係を有する公卿のみにして、(即ち今日の公卿華族の祖先のみにして)、日本民
族の凡ては貴族階級の下に隷屬して皇室の亂臣賊子なりしなりと。而して貴族の萠芽は歴史的生活時代の始めより
存したるを以て、日本民族は其の歴史の殆ど凡てを擧げて皇室の亂臣賊子なりしなりと。−−是れ羅馬法王の天動
説に對する地動説と云へる者なり。吾人をして更に斷言を繰り返へさしめよ−−日本民族は系統主義を以て家系を
 忠孝主義と系統主義とが皇室を打撃迫害したりとの斷案
尊崇せしが故に皇室を迫害し、忠孝主義を以て忠孝を最高善とせるが故に皇室を打
撃したるなり。系統主義の民族なりしと云ふ前提は凡ての民族の上古及び中世を通
じて眞なり、而も其故に萬世一系の皇室を扶翼せりと云ふ日本歴史の結論は全く誤謬なり。忠孝主義の民族なりし
と云ふ前提は凡ての民族の上古及び中世を通じて眞なり、而も其故に二千五百年間皇室を奉戴せりと云ふ日本歴史
の結論は皆明かに虚僞なり。吾人は實に速かに羅馬法王の天動説より覺醒せざるべからず。
 遮莫、吾人が日本國民の頭蓋骨を横しまに打撲して白痴たらしむる鐵槌と云へる問題が殘る−−日本民族の凡て
が皇室に對する亂臣賊子なりと云はゞ如何にして皇統の萬世一系あるを得たるや。
 
 
 
         第十三章
 
           然らば如何にして萬世一系なりや−−萬世一系の傅はれる理由は憲法學者に最も必要なり
           −−『天皇』と云ふ文字の内容の進化−−『天皇』の内容の進化なき等一期たる原始的生
           活時代は一族一宗家の家長として祖先を祭るときの祭主と云ふ意義なり−−原始的時代の
           皇室は神道によりて奉戴せられたり−−國體論の革命が可能のとき−−大化革命以前の社
           會の混亂と天皇の基礎の崩壊−−皇族對蘇我族の宗教鬪爭−−『天皇』の意義の第二期の
           進化は全人民全國土の所有者と云ふことなり−−孝謙天皇は財産權の自由なる行使にして
           溺愛にあらず−−君臣一家論が大逆無道なる道鏡の論理なる所以−−系統主義は皇室を打
           撃迫害すると共にまた皇室を維持したる所以なり−−神道の勢力は凡ての民族の其れのご
           とく國家起原論として近き以前までの勢力なりき−−神道の國家起原論によりて維持され
           たる皇室−−藤原氏の亂臣賊子は系統主義の爲めにして其の皇位を奪はざりしも系統主義
           の爲めなり−−系統主義は自己以下の階級に向つては誇榮たると共に邑巳以上の系統の者
           に對しては憚を生ず−−中世史の『天皇』は其の所有の土地人民の上に家長君主たりしと
           共に全國の家長君主等の上に『神道の羅馬法王』として立てり−−將軍とは『鎌倉の神聖皇
           帝』なり−−歐州の中世史と日本の中世史−−神道の信仰が勢力ありし間は神道の羅馬法
           王は鎌倉の神聖皇帝を支配したりき−−中世史の『天皇』の内容を古代の其れと等しと解し
           ては秀吉の宣言は天皇の否認たらざるべからず−−神道の勢力の衰退と其の惰力−−將軍
           の天皇たらざりしは神聖皇帝の羅馬法王たらざりしと同じく別天地の存在なるを以てなり
           −−皇室の復古的希望に伴はざる強力−−全日本の統治者たらんとの天皇の要求を國民は
           常に強力に訴へて拒絶しつゝありき−−幽閉の安全によりて系統は斷絶するものに非らず
           −−絶望の爲めに繼續したる萬世一系は亂臣賊子が永續不斷なりし事の表白なり−−優温
           閑雅なる詩人として政權爭奪の外に在りしを以てなり−−佛蘭西國民よりも天皇を迫害し
           たり−−殺人狂に非らざれば如何なる強盗と雖も財布を奪ひたる後、芳しくは充分に膨ら
           して持てる其子孫は逹き以前に失へる所に向つて匁を加へず−−強盗の手より強盗の手に
           轉々せる財布−−將軍の悲壯なる末路に反して萬世一系の血痕なき理由−−亂臣賊子は簒
           奪者たる必要なかりしなり−−幕末の國體論者は亂臣賊子の掠奪者を顛覆せんための努力
           なるに今の國體論者は掠奪者を辯護して却て尊王忠君なりと云ふ−−皇室の萬世一系ある
           は系統主義と忠孝主義と及び神道的信仰によると云へる以上の説明−−國民の奉戴と云ふ
           ことゝ系統の連續と云ふ事とは別問題なり−−基督の後に羅馬法王ある如く國體論は羅馬
           法王となりて今や眞理を迫害するに至れり−−有賀博士の統治權委任論−−有賀博士は歴
           史家として一の價値なし−−有賀博士は宇宙開闢説を以て歴史を解しつゝある點に於て神
           道の信者たる穗積博士と等し−−有賀博士の徳川氏に關する統治權委任論は純然たる論理
           的錯亂なり−−博士は更に徳川氏以前より凡て幕府との關係は委任なりと云ふ−−兵馬權
           なる者が天皇より委任されしとの議論は成立せず−−外交權なる者が天皇より委任されし
           との議論も成立せず−−有賀博士の用語は詐欺取財脅喝取財を委任取財と云ひ贓品を委任
           財産と云ふ者なり−−博士の主權論は其の主體と行用とが相背馳し若しくは相打撃し得べ
           しと云ふ者なり−−歐州今日の各國は主權の體と云ふもの無き空虚のものか−−萬國無比
           の國體には萬國無比の統治權委任論あり−−穗積博士の主權本質論は有賀博士の統治權委
           任論を打ち消す−−穗積博士の主權本質論は權力を行ふ力なかりし中世史一千年間の天皇
           が主權者にあらずとの斷言なり−−其二、權力を行ふ所の今日の天皇を主權者とすると共
           に幕府を權力者なりと云ふ主張なり−−其三、日本の主權は決して萬世一系に固定せず常
           に動搖したりとの歴史解釋なり−−穗積博士の主權本質論は亂臣賊子を主權者なりと追認
           するものなり−−穗積博士の銅像は兩頭にして各々脱糞を要す−−伊藤博文氏の強者の權
           の表白と穗積博士の奴隷−−穗積博士は幕府主權論者として志士の忠魂を侮弄す−−穗積
           博士の維新革命論は凡て矛盾なり−−『主權の恢復』とは主權の喪失を前提とす−−氏の主
           權本質論は強力説にして神道的憲法論を打消す−−穗積博士の主權本質論は自らの君主々
           權論を打ち消す所の國家主權論なり−−有賀博士と穗積博士の衝突−−中世史の天皇の意
           義につきては有賀博士も穗積博士もともに誤謬なり−−多くの統治權の主體が存在せし家
           長國と云ふ別個の國體−−強力が凡ての權利を決定せし中世時代−−天皇は神道の羅馬法
           王たる以外其の範圍内に於ける家長君主としての統治者たる事を失ひし事なし−−貴族國
           時代の『貴族』の意義−−主權本來の意義は最高の統治者と云ふことにして統治者の上の統
           治者君主の上の君主と云ふことなり−−主權の思想は中世の出現にして今日は最高權と云
           ふことなし−−最高權の意義に於ける主權所在論は『王覇の辯』の名に於て天皇主權論と幕
           府主權論との論爭なり−−主權論とは無關係に天皇の君主たりしことに動きなし−−幕末
           の國體論ほ天皇に對する尊王忠君を要求として唱へたるにて歴史上の事實として認めたる
           にあらず、萬世一系を奉戴すべき事を要求として唱へたるにて歴史上の事實として奉戴し
           つゝありしと云ふにあらず−−吾人は國體論の名に於て羅馬法王の教義を排し、萬世一系
           の連綿たるは國民の億兆心を一にして萬世缺くるなき亂臣賊子を働きたる結果なりと云ふ
 
 然らば如何にして萬世一系なりや
 誠に然り。然らば如何にして皇統ほ萬世一系なりや。日本民族は克く忠に萬世一系の皇統を
幸戴せりと云ふ從來の天動説を顛倒して、亂臣賊子とは歴史を擧れる大多數にして二三の僅少
なる例外が皇室の忠臣義士なりセ云ふ以上の解釋にして正常ならば、如何にして皇統は萬世一系なりやの反問は充
分に理由あり。
 萬世一系の傳はれる理由は憲法學者に最も必要なり
 是の萬世一系の解釋は單に歴史解釋として重要なるのみならず、現今の國體及び政
體を研究する所の憲法學に取りて誠に看過すべからざる所の者なり。固より英國の憲
法が其の憲法史によりてのみ解せらると云ふほどに明らさまに日本歴史によりて日本の現憲法が直ちに解釋せらる
とは云はず。而しながらその西洋文明に接して其れの憲法を取り入れて現憲法の作られしと雖も、國家は直譯の被
布を蒙ることによりて骨格まで變換するものにあらず。今の君主々權論を取る者が天皇を主權の本體となし、又國
家主權論を取る者が天皇を唯一最高の機關となすは、共に等しく憲法解釋の根底たる日本歴史につきて在來の天動
説を迷信するが故なり。
 
 皇統は如何にして萬世一系なりや。この説明は依然として系統主義と忠孝主義となり。而して皇室は他の貴族階
級の君主等と異なりて後世漸時に稀薄になりしと雖も神道的信仰の勢力によれり。
 『天皇』と云ふ文字の内容の進化
 吾人は前きの憲法論に於て説ける『天皇』なる文字の内容の進化と云ふことを注意せざるべ
からず。即ち歴史的生活に入らざる原始的生活時代は、日本國土の上に無數の家族團體が散在
し皇室はその近畿地方に於ける家族團體の家長として神道の信仰によりて立ちたりき。是れ先きに詳説せる文字も
なく數の観念も朦朧として今の土人と大差なき生活をなせる一千年間と傅説さるゝ時代なり。即ち三韓交通により
て文字を得るまでの一千年間と傅説さるゝ間は、人口も誠に稀薄にして単に皇族のみならず臣連の諸族も後世の想
像するが如き者にあらず。(日本歴史ありて以來の大歴史家『二千五百年史』の著者は當時の其れ等が單に後世の
君主貴族の萠芽なることを表白せんが爲めに諸大族の中其等大族の漸時に強大を加ふることを説けり。而して當時
の生活が純然たる原始人なることを豊富なる事實によりて示したり。而しながら日本歴史を『二千五百年史』と名
けたる事を惜しむ。三韓よりの移住者は多く九州中國に獨立し若しくは獨立せる部落に屬して未だ近畿に入りて
歸化人となるほどに至らず、九州も、東北も、又神武の經過せしと傅説する中國も全く獨立の原始的部落にして、
雄健なる皇室祖先の一家が純潔なる血液によりて祖先教の下に結合し以て近畿地方と被征服者の上に權力者として
立てる者なりき。斯くの如くなるを以て當時の『天皇』の意義は其の謚名せられたる時代、或は今日の天皇を指し
 『天皇』の内容の進化なき第一期たる原始的生活時代は天皇は一族一家の家長として祖先を祭るときの祭主と云ふ意義なり
て云ふ其れと全く内容を異にして、一族宗家の家長と
して祖先を祀るときの祭主との意義なり。−−是れ
『天皇』の内容の未だ進化なき第一期なり。彼の先きに説ける神武天皇の結婚に於て(傅説の凡てを全く沒意義と
せざるならば)其の時代の天皇の政治的社會的地位を見るに足るべく、崇神天皇が祭祀の費用として熊皮鹿角を徴
せしに見ても今日の天皇と全く別意義なる神道の祭主なることを察するに餘りあるべし。而して天照大神の靈は死
せずして存在すとの祖先教は其れに對する忠と孝とを一致せしめ、系統によりて覺醒を繋ぎたる社會意識は一家族
團體のみを社會と考へて他の其等を排斥する所の君臣一家の素朴なる團結の爲めに本家たる(注意するを要す、其
の一家族團體内に於て本家たる)皇室を無上の命令者として服從したるべきは論なし。即ち、祖先教、君臣一家、
 原始的時代の皇室は神道によりて奉戴せられたり
忠孝一致の如きは如何なる民族にも共通なる社會進化の第一期として等しく日本民族の
原始的時代の社會組織の聯鎖たりしは疑なく、皇室の地位は決して今日の進化せる時代
に比すべからざるものなるに係らず、當時の原始的宗教によりて奉戴せられたることは明かに事實なり。(故に穗
 國艦論の革命が可能の時
積博士の神道的憲法論は進化律を逆倒せしめて今日までに進化せる天皇を原始的宗教時代の其れ
に退化せしめ、日本國を封鎖して外國人の歸化入籍を拒絶し民族の血管中を流れつゝある異人種
の血液を入れ替ふるときに可能なる革命なり)。
 
 而しながら進化律は原始的宗教の祭主たりし『天皇』の内容を進化せしめて第二期に入れり。即ち日本の社會其
れ自身の進化と、更に進化せる社會と交通せる三韓文明の繼承以後の天皇は、凡ての權利が強力によりて決定せら
れし古代として最上の強者としての命令者と云ふ意義に進めり。−−吾人はこれ以後の古代中世を通じて『家長國
體』となし、藤原氏滅亡までに至る間の君主國時代を法理上『天皇』が日本全土全人民の所有者としての最上の強
者と云ふ意義に進化したる者となす。
 實に、三韓交通と共に日本民族は第一革命を爲せり。固より古典出現以前數百年なりと云ふ三韓交通−−即ち等
しく傅説の年代なるを以て革命が急速に來りしか徐々に來りしかは想像するの根據なしと雖も外國との交通の爲め
 大化革命以前の社會の混亂と天皇の基礎の崩壊
に無數の歸化人種の血液も混和し、征服せられたる奴隷との階級的隔絶が戀愛の蟻穴よ
り崩れ始じめ、更に人口揄チによりて系統家筋の混亂を來せるが爲めに、家族單位の
社會組織は決して原始的生活時代の如き純潔を以て維持すべからざるに至れり。而してこの動揺を更に甚しからし
めたる者は原始的宗教より遥かに進化せる儒教と佛教となりき。殊に其の最も高く進化せる佛教は、假令その當時
の國民に骨髓を信仰せられたるか將た單に偶像教として取扱はれたるか(固より後者なるべし、進化は踰越せず餘
りに隔絶せる高級の信仰は漸く原始的宗教を脱せし程度の當時に解せらるゝの理由なし)其の何れにせよ、佛教の
進化せる宗教は先づ上層階級より未開なる神道を駆逐し、『天皇』は神道の祭主として立てる意義を全く一變せざ
るべからざるに至れり。斯くて蘇我對物部の旗幟に於て宗教鬪爭は行はれたり。吾人は信ず、宗教鬪爭は皇室其者
の内を二軍に分ちたりと。蘇我氏に奉戴せられたる者若しくは物部氏に奉戴せられたる者のみならず、佛教の蘇我
 物部對蘇我氏の宗教鬪爭
氏は神道の崇唆天皇の尊敬すべき所以たりし信仰を異にすることによりて之を弑し、佛教の聖徳
太子は恩愛の涙を因果律に呑みて佛教黨の勝利を強ひそ責問すべきの理由を認めざりき。其の下
手人たる駒が君臣一家の血縁的關係なき漢人種なりし如き如何に『天皇』が祖先教の下に團結せる家長として立つ
べかろざるまでに社會の進化せるかを示すよ! 而して兩教徒は各々其の良心の衝突を強力によりて決定したり。
強力其の事は善にあらず單に力なりと雖も善ならざるものは力なし。神道は原始時代に於ては善なりしと雖も先代
の善が現代の善によりて惡とせちれ現代の善亦後代の其れによりて惡とせらるゝ如く、善惡とは畢竟進化的過程の
者なり。(『社會主義の倫理的理想』及び『社會主義の啓蒙運動』た於て階級的良心及び階級鬪爭を説げる所を見
よ)。故に今日社會民主々義の力なきは未だ社會の良心に善と認めらるゝこと少なきが爲めなる如く、當時佛教徒
の蘇我氏が皇室より多くの力を有せしは其の私有地私有民の經濟的勢力による政治的勢力なると共に佛教の善が神
道の善に打ち勝つを待るまでに祖先教の信仰が滅退したるを以てなり。
 而しながら強力の決定は稍烟の平野若しくは議會の演壇大學の講座に於てなさるゝ事あると共に、亦等しく刺客
の短刀革命黨員の爆烈彈によりて決定さるゝことあり。英雄皇帝天智は彼の途を擇んで挺身の一劔直ちに儒學の國
家主權論を宣言したり。恐くは彼は餘りに高遠なる理想家なりしなるべし。彼は原始的宗教を倍ぜずまた其の上に
天皇を祭主として置かず、また佛教を偶像教化して土偶木偶の代りに銅佛金佛を合掌して足れりとする後の藤原廷
の如くならず。彼は國家を以て終局目的となし天皇が國家の利uの爲めに(人民の爲めと云ふことゝは別問題なり)
最高機關として存すべしと理想したる儒教をそのまゝに實現せんとしたり。而しながら是れ固より不可能のことに
 『天皇』の意義の第二期の進化は全人民全國土の所有者と云ふことなり
して彼の死と共に社會進化の原則に從ひて國家が天皇の利uとして取扱はるゝ
君主々權の家長國となれり。蘇我族を倒せる皇族は功臣藤原族と共に強者の權
を以て『天皇』は全人民全國土の所有者なりとするに至れり。是れ『天皇』の意義の第二期の進化にして君主國時
代なり。而して斯る家長國に於ては天皇は國家の利uの爲めに存するものにあらずして國家が天皇の目的を充すべ
き手段として取扱はれたる國體なるを以て(前きの法理論を見よ)、國家を分割し相續し贈與することは所有者た
る天皇の自由なる財産の處分なり。彼のヰクトリア女皇が其の婚姻の後も皇位を自己の所有物として相續せしめ又
は贈與する能はざりしに反して、當時の孝謙天皇は國家と云ふ財産を道鏡に相續せしめんとしたる如きは是れなり。
 孝謙天皇は財産權の自由なる行使にして溺愛にあらず
斯くの如きは今日の思想を以て逆進的に批判すれば兩者共に解すべからざる行動なり
と雖も、當時の天皇の權利として孝謙の行爲は違法にあらず、道鏡に取りても(後世
史家の言ふ如く其處に愛の行はれしとせば)吾人の考ふるほどに無謀ならざりしなり。殊に孝謙は天智天皇の弟の
後にして道鏡は天智天皇の第四子の後なるを以て、共に系統主義の時代に於て其の愛は決して背徳にあらずと推論
するを可とす。
 君臣一家論が大逆無道なる道鏡の論理なる所以
 吾人は前きに皇室を打撃迫害したるものを系統主義なりと云へり。道鏡は系統的誇榮
と愛の聯鎖とを以て同一系統の同一の枝なりと云ふ平等觀を最も始めに覺醒したるもの
なり。(是れ後世の歴史家によりて大逆無道と稱せらるゝ所以にして。穗積博士等の君臣一家論が等しく大逆無道
なる道鏡の論理なる所以なり)。而してこの系統主義による平等觀の最も著しき者は後に至つて我は桓武の後なり
と云へる平氏の將門あり、我は清和の末なりと云へる源氏の足利義滿ありき。而しながら斯く系統主義は一面同一
系統の者に對して平等觀の導きたると共に自己より劣れる若しくは優れる系統の者に向つては階級的なるは論なし。
 系統主義は皇室を打撃迫害す各と共に又皇室を維持したる所以なり
−−故に吾人は信ず、系統主義は皇室を打撃迫害したると共に又皇室を維持した
る所以なりと。而して神道の信仰が今日に於ても尚匹婦匹夫の間に於て、(穗積
博士も木造の生殖器を禮拜すると云ふならば大學教授の間に於ても)、惰男としての勢力が殘る如く、社會の進化
は截然と區別すべからず。天智の大革命により儒學により佛教によりて神道の勢力は大に削られつゝ進みしに係ら
ず尚古代及び中世を通じての一勢力なりしことは疑ふべからず。特に其の排外的信仰なる點に於て、長き間を海洋
に封鎖せられたる日本民族にとりては恰も猶太教と等しき意味を以て國家起原論として考へられたりき。即ち我が
 神道の勞力は凡ての民族の其れの如く国家起原論として近き以前までの勢力なりき
民族のみ特別に神の子にして他は夷狄なりとは凡ての民族が近き以前ま
での信仰なりしがごとく、日本民族も等しく斯る信仰の神道を幕末に至
るまで脱却する能はずして尊王攘夷論となり、さらに外國人は猿の化したるものなるべけれど日本人は神人なりと
云ふ進化論の拒絶となり、穗積博士の憲法論となりて餘波を今日にまで波うたすなり。而して斯く神道の信仰より
 神道の國家起原論によりて維持されたる皇室
したる攘夷論が其の信仰の經典によりて尊王論と合體したる如く、斯る國家起原論ある間
國家の起原と共に存すと信仰せらるゝ皇室に對して平等主義の制限せられたるは想像せら
るべし。加ふるに系統の尊卑によりて社會の階級組織なりし系統主義の古代中世なりしを以て、優婉閑雅なりし皇
室が理由なき侵犯の外に在りしは誠に想像せらるべし。彼の藤原氏に於て、其族長の下に忠孝主義を奉ずる家族々
黨は其族長の命ならば内閣全員のストライキをも憚からざりしに係らず、尚その族長が其團結的強力を率ゐて皇位
を奪ふに至らざりし者、實に皇族と云ふ大族が最も尊き系統の直孫なりとせられたればなり。藤原氏はこの尊族の
戸主の上に後見人として恣なる亂臣賊子を働きたることは事實にして又血縁的恩愛の聯鎖より當然の事なり。藤原
族の繁榮して各分家が互に後見の地位を爭ふに到りしときも、其の方法は皇后を自家の血液より出だし其血液の皇
 藤原氏の亂臣賊子は系統主義の爲めにして其の皇位を奪はざりしも系統主義の爲めなり
后によりて産れし自家の血液の天皇たるべきものを自家に連れ來りて
養育し他の競爭者よりも濃厚なる血縁的關係に立つことに過ぎざりき。
自家の系統を壷功の劔に表白し皇位繼承權の要素とせしは道鏡の行爲を或る程度まで事實にしたるものなりと雖も、
系統主義の階級國家時代に於ては自己の誇負する系統自己の崇尊する系統は他より犯さるべからず又犯すべからず
とせしが爲めに、藤原氏と云ふ系統的誇榮を以て他の一切の下層階級の上に特權を保つと共に、其の特權が無視せ
られざる若しくは特權の要求が排斥されざる場合に於ては皇室と云ふ系統的榮譽に取つて代らんとするが如きこと
なかりしなり。而も特權に限りなく要求は滿足と共に又要求せらる。故に系統主義は藤原氏をして亂臣賊子を働ら
かしめたる所以なると共に、凡てを讓歩せる皇室は等しく系統主義によりて藤原氏凡てを道鏡たらしむることを免
かれたりき。
 以降。平氏が天皇法皇を幽閉せしも之を害せず、義仲が傲語しつゝも尚法師とも兒童ともなる能はざりしは、そ
 系統主義は自家以下の階級に向つては誇榮たりと共に自家以上の系統の者に對して憚を生ず
の平氏と云ひ源氏と云ふを誇榮とする系統主義の良心が他に對して
自家を誇榮なりとすると共に自家以上の其れを有する系統に對して
は幾分の憚を生ぜざるを得ざりしが爲めなり。彼等の臣屬たる家の子郎等及び他の土豪等が彼等に對する忠孝主義
の爲めに天皇の軍門に到りて、長き縷々たる名乘りを擧げて系統的誇榮を弓矢よりも先きに鬪はしたりし中世思想
は、院宣が義仲の脅迫によるを辯解せんとして來れる院使を更に脅迫を加へて返へせる頼朝をして假令形式にもせ
よ從二位征夷大将軍を拜せしめたる所以なり。加ふるに高貴なる佛教が中世の鎖國的思想に取られて、原始的宗教
の八百萬神を佛の權現とするに至つて、純然たる無信仰の高師直等に非らざるよりは理由なく迫害を加ふる事を敢
てせざりき。吾人は實に考ふ−−中世史の天皇は某所有する土地と人民との上に家長君主たりしと共に全國の家
 中世史の『天皇』は其の所有の土地人民の上に家長君主たりしと共に全國の家長君主等の上に『神道の羅馬法王』として立てり
長君主等の上に『神道の羅馬法王』として立ちたる
なりと。天皇と云ふ語を文字の形態發音によりて古
今同一なりと推測すべからずとの注意は歴史的研究者に取りて最も必要なり。有賀博士の如きは天皇とあらば凡て
古今同一なる者にして内容の進化なきかの如く考ふるを以て、又征夷大将軍と云ふ大將の文字を見て今日の陸軍大
將ほどの意味に解す。當時の征夷大將軍とは其の所有する土地人民の上に全部の統治權を有すること恰も天皇及び
他の群雄諸侯等が其れぞれの土地人民の上に家長君主として其れぞれ統治者たりしがごとく、只異なる所は神道の
羅馬法王としての天皇によりて冠を加へらるゝ『鎌倉の神聖皇帝』なりしなり。固より全く比喩として用ふるもの
 將軍とは『鎌倉の神聖皇帝』なり
に非らずと雖も、各國の歴史が一切の出來事に於て符合するものに非らざるがゆゑに、日本の
中世史が欧州の其れと少しも異ならずと云ふものに非らず。例へば歐州の羅馬法王は純然たる
基督教によりて立ちしに反し、神道の羅馬法王は神道の信仰以外に他の家長君主等と等しく其の所有の土地人民の
上に統治權を振ひ、而して全人民全國土の上に所有者たりし君主國時代を囘顧して常に他の家長君主等と抗爭しつ
ゝありし如き是れなり。而しながら兎に角この『神道の羅馬法王』と『鎌倉の神聖皇帝』と而して他の群雄諸侯と
 欧州の中世史と日本の中世史
云はるゝ『各國王』と云ふことを骨格として日本中世史を編まざるならば、貴族國時代の日本は
只以て不可解として國體論の戸棚に押し隠すより外なし。然るに、古今凡ての歴史家なるもの、
悉く順逆論の逆進的敍述の上に征夷大將軍を天皇の家臣となし而して群雄諸侯の如きを陪臣と名けて、武門の跋扈
と怒り陪臣の専横と罵るに過ぎず。−−不道理のみを以て一千年の間を繼續すとは如何なる思想によりて考ふるぞ。
斯る土人部落なるが故に如何なる民族も一たびは經過すべき貴族國時代の中世史を徙らに攻戰討伐の軍談とし、以
て其れを繼承せる近代の日本を全く解する能はざるなり。
 而しながら羅馬法王が舊教の信仰盛なりし間は雪中門前に立たしめて神聖皇帝を屈服せしめたる如く、『神道の一
羅馬法王』も純然たる原始的信仰を維持せし間は聖壇の上より俗權を振ひて源家の祖先義家の如き征夷大將軍を支
 神道の信仰が勢力ありし間は神道の羅馬法王は鎌倉の神聖皇帝を支配したりき
配したりき。(固より藤原氏滅亡迄は吾人の之を君主國時代と名けたる
如く天皇が第一の強者たりし點去りも思考すべし)。而しながら舊教の信
仰衰へて神聖皇帝の權が各國王と共に延び終に政權を以て法王の冠を犯したる如く、『鎌倉の神聖皇帝』は神道の
信仰盛ならざりしに至りて『神道の羅馬法王』を自由に改廃するに至れり。神聖皇帝に羅馬法王の加冠なくしては
其尊嚴を保つ能はざりしが如く、『神道の羅馬法王』より征夷大将軍の冠を加へらるゝ事によりて『鎌倉の神聖皇
帝』の飾られたる事は神道の信仰の勢力ありし間は事實なりき。否、將軍大名の如きは恰も今の獨乙皇帝が其れ自
身の虚榮心の爲めに今尚神聖皇帝の冠を望みつゝあるが如く、神道の信仰が大に力なくなれる後も尚朝廷よりの敍
位敍爵を悦びたりし事は事實なり。而して朝廷はグレゴリオ七世の如くならず大に優温閑雅にして戰國の窮乏より
徳川氏に至つては更に不斷の幽閉に在りしが爲めに、『鎌倉の神聖皇帝』或は『冬國王』の虚榮心を打撃して彼等
の強力に觸るゝが如きことは無かりき。彼の足利義滿が太政大臣たらんとの要求を拒絶せる如きときも『神道の羅
馬法王』の傍より譲歩し、自ら天兒屋命の後なりと稱して系統を神代に求めたる一匹夫秀吉(故に君臣一家論者は
彼の天下を取りて王たらんと欲すれば王帝たらんと欲すれば帝と云へる權利を承認せざるべからず)にまで攝政關
白を拒絶せざりき。若し中世史の天皇の内容が上古の其れと等しく天下の所有者の意義なりしならば、強力が凡て
 中世史の『天皇』の内容を古代の其れと等しと解しては秀吉の宣言は天皇の否認たらざるべからず
の權利を決定せし正義の時代に於て、『我は我が力を以て天下を取
れり』との秀吉の宣言は天皇其者に對する否認ならざるべからず。
而しながら歴史上の事實は然らずして當時の天皇の意義は假令衣食の缺亡に陷れるほどに土地人民を失へりとする
も『神道の羅馬法王』としての榮譽を傷けられざりしを以て、彼等強力者とは無關係なる別天地に於て其れ自身の
存在を繼續したりしなり。固より社會の進化と共に原始的宗教の信仰が漸時に衰退し行くは論なく、北條氏の兩統
 神道の勢力の減退と其の惰力
迭立の苦肉策が禪學によりて神道の法王に對する尊崇の薄らぎしや、又徳川氏の殘忍冷酷を極め
たる不斷の幽閉と不斷の脅迫譲位が儒學によつて等しく然りしやは斷定すべき根據なしと雖も。
而しながら其の勢力の衰退せるに係らず足利氏が北朝を立てて自ら神道の法王とならず群雄戰國の貴族等が亦自ら
天皇と稱せざりしは、『天皇』の内容が中世史に入りて天下を所有する強者と云ふと全く別なる『神道の羅馬法王』
の意義なりしを以てなり。基督教の羅馬法王が歐州の神聖皇帝によりて易置せられたる如く、神道の羅馬法王は鎌
倉の神聖皇帝によりて中世史の一千年間を通じて極度の自由を以て改廢せられたりき。而しながら歐州の神聖皇帝
が自ら立ちて基督教の羅馬法王の位を奪ひしことなく又其の必要なかりし如く、神道の羅馬法王が天下を取て最上
 将軍の天皇たらざりしは神聖皇帝の羅馬法王たらざりしと同じく別天地の存在なるを以てなり
の強者たることを目的とせる鎌倉の神聖皇帝によりて奪はれざりし
は各々存在の意義を異にせるよりの必要なかりしを以てなり。實に、
天皇の文字の内容を歴史の進化に順行して決定せずしては、古代の天下の所有者と云ふ意義の天皇と、『我れは我
が力を以て天下を取れり』と公言し、天下の凡てより『天下樣』と仰がれたる將軍との双ながらなる存在は解すべ
からざるなり。
 吾人は固より天皇の希望として神道の羅馬法王たる以外に尚古代の如く天下の所有者たらんと努力したることな
しとは言はず。而しながら希望と歴史上の事實とは別問題なり。平將門は天皇の裔なることを理由として他の裔な
る天皇に取て代らんとの希望はありき、而しながら歴史上の事實は固より天皇にあらずして叛逆者の名を負はされ
て後の貴族國の前に陳勝呉廣の任務を盡くしたるに過ぎざりき。強力が凡べての權利を確定せし古代及び中世に於
 皇室の復古的希望に伴はざる強力
ては、大なる權利の獲得には大なる強力を要す。古代の天皇を見よ、九州の邊より畿内の端ま
でを征服せる神武、一劔虎龍の間を横行せる大和武尊、戰慄せる謀臣に抽でゝ自ら劔を振つて
最強者を斬殺せる天智、斯る大なる強力の基礎に於てのみ大なる権利の君主國時代あるなり。−−權利思想は時代
の進行に從ひて進化す。若し佛蘭西革命及び維新革命時代の如く貴族階級の強力による掠奪を中世の權利に非らず
と否認するならば、其の否認の逆進は更に古代史に逆進して當時の天皇其者に對する由々しき結論を餘儀なくされ
ざるべからず。斯る逆進的批判の歴史より外解せざるが故に、雄略天皇の當然なる權利を無視して暴逆無道なりと
云ひ、孝謙天皇の權利として行使せんとせる所を婦女子なるが故の溺愛なるかの如く考ふるなり。−−吾人は古代
の天皇の絶對無限權が強力に伴ふ絶對の權利なることを強烈に主張す。而して中世の天皇が神道の羅馬法王として
の萬世一系なりしことを、貴族階級の亂臣賊子なりし事實によりて亦何者よりも強烈に主張す。
 全日本の統治者たらんとの天皇の要求を國民は常に強力に訴へて拒絶しつゝありき
 あゝ國體論者よ、この意味に於ける萬世一系は國民の克く忠なりしこ
とを贅々する國體論者に對して無恥の面上に加へらるべき大鐵槌なり。
即ち、天皇は深厚に徳を樹てゝ全人民全國土の上に統治者たらんことを要求したりき、實に如何なる迫害の中に於
ても衣食の缺亡に陷れる窮迫の間に於ても寤寐に忘れざる要求なりき、然るに國民は強力に訴へて常に之を拒絶し
たりと云ふ事なり。−−何の國髏論ぞ、斯る歴史の國民が克く忠に萬世一系の皇室を奉戴せりと云はゞ義時も尊氏
も大忠臣大義士にして、楠公父子は何の面目ありや。或は云ふべし、而しながら萬世一統に匁を加へざりしと。−
−亦何の國體論ぞ、是れ國民の凡てが悉く亂臣賊子に加擔して天皇をして其の要求の實現を絶望せしめたればなり。
 幽閉の安全によりて系統は斷絶するものに非らず
斯ることが誠忠の奉戴ならば北條氏の兩統迭立と徳川氏の不斷の脅迫讓位は何よりも誠
忠なる萬世一系の奉戴にして幽閉の安全によりて系統は斷絶する者ならんや。問題は萬
世一系の繼續某事に非らずして如何にして萬世一系が繼續せしかの理由に在り。−−斯る理由によりて繼續された
 絶望の爲めに繼續したる萬世一系は亂臣賊子が永續不斷なりしことの表白なり
る萬世一系は誠に以て亂臣賊子が永續不斷なりし事の表白に過ぎずして、
誠忠を強辯する國髄論者は宮城の門前に拜謝して死罪を待て! 何の奉戴
ぞ。日本民族の性格はルヰ十六世を斬殺せる佛蘭西人と同一なりと云はれつゝあるに非らずや、只皇室が日本最高
の強者たりし間は二三のものを除きて多くルヰ十四世の如くならず殆ど良心の無上命令として儒教の國家主權論を
 擾温閑雅なる詩人として政權爭奪の外に在りしを以てなり
政治道徳として遵奉し、皇室の其れが他の強者の權利に壓伏せられたる時には擾温
閑雅なる詩人として政權爭奪の外に隔たりて傍觀者たりしが故なり。萬世一系は皇
室の高遠なる道徳の顯現にして誇榮たるべきものは日本國中皇室を外にして一人だもあらず、國民に取りては其の
亂臣賊子たりし所以の表白なり。若しチャールス王の如く政權に對する慾望を以て義時に對抗せしと假定せよ、何
 佛蘭西國民よりも天皇を迫害したり
人か義時のクロムエルたらざりしを保すべきぞ。明かに降服の態度を示して東軍を迎へたるに
係らず全國民の一人として死よりも苦痛なる三帝の流竄を護らんとせし者なきは、外國干渉の
口實を去らんが爲めの餘儀なき必要ながら而も僅かに一票の差を以て死刑を決せし佛蘭西國民よりも遥かに殘忍な
る報復に非ざりしか。(吾人は今尚故郷なる順徳帝の陵に到る毎に詩人の斷腸を思ふて涙流る)。強力が所有權を決
定せし時代は所謂切取り強盗は武士の習ひなりしを以て暫く強盗に例へしめよ。強盗の匁を振ふは財布の目的なり、
財布を獲たる後に匁を振ふ事は殺人狂にあらざればなさゞる所なり。否! 既に財布を充分に膨らして持てる所の
 殺人狂に非らきれば如何なる強盗と雖も財布を奪ひたる後若しくは充分に膨らして持てる其の子孫は遠き以前に失へる所に向つて匁を加へず
切り取り強盗の子孫は財布を遠き以前に失へ
る所の者に向つて殺人狂となるものにあらず。
頼朝は巧妙なる脅迫の強盜にして義時は持兇器強盗なり。北條氏、足利氏、徳川氏の守成の將軍等は父祖の強盗に
よりて膨れたる財布を相續して不足なき有福長者なり。彼等は凡て成功せる強盗なりき、而しながら何の理由によ
りて強盗が同時に殺人狂たり、有福長者が亦然らざるべからざるや。實に、一たび強盗の手に入りし財布は強盗の
子孫に世襲財産として傅へられ、其の數百年の經過の後には今日の法律に於てすら時効によりて贓品が神聖なる權
利となる如く、時の國民によりて明らかに犯すべからざる權利とせられ先きの所有權者たる天皇は恰も今日數百年
 強盗の手より強盗の手に轉々せる財布
前の田地の持主が忘却さるゝ如く全く記憶に存せざりき。故に『天皇の御謀反』の語あり。
而して世襲の財布は又更に他の強盗の白匁によりて強奪せられ、強盗は直ちに其の強力によ
りて權利を設定す。故に秀吉は我は『我が力を以て天下を取れり』と云へり。強盗の社會に於ては他の強盗が一の
強盗の財布を強奪の即夜より認識するが如く、強力が所有権を確定せし時代に於では先きの強奪されたる者を外に
して全天下の強盗は掠奪者の第一世よりして其の權利を認識したり。故に家康は全國民よりして『天下樣』と仰が
れたりき。斯くの如くにして財布は常に強盗の手より強盗の手に轉々せられ、強盗は互に殺戮して之を爭奪せしと
 將軍の悲壮なる末路に反して萬世一系の血痕なき理由
雖も、強力を失へる皇室はこの流血の外に傍觀者たるの外なく、爲めに萬世一系に
血痕を附着せしめざりしのみ。將軍の末路が悲壯なる割腹を常とせしは財布を持ち
て而して剛健に之を握れるが爲めにして、色紙に歌を走らすの指は財布の時にも堪へず。而して亂臣賊子の國民は
一千年の遠き以前に於て強盗を働らき、幕末の歴史編纂に至るまで皇室が最も最初の所有者たることを忘却したる
 亂臣賊子は強奪者たる必要なかりしなり
が爲めなり。貧民は強盗の憂なし。天下の所有者たる意義を國民の亂臣賊子によりて奪はれ
たる神道の羅馬法王は、強盗を招くべき懐を有せざりしなり。當時の強者に取りて神道の羅
馬法王たる能はずまたその要なきは恰も獨乙皇帝が基督教の羅馬法王たる能はず又その要なしと云ふと同一にして、
彼の木曾の猿猴冠が我れ巳に法王に勝てり法王たらんか法王は法師なるを以て法師たらんも可笑しと云へる如き或
は一場の傲語ならざりしやも知るべからず。實に強盗等が強力を以て天皇を財布の外に排斥せし事の甚しき、中世
只一囘の後醍醐天皇の英傑に向つてすら殆ど匁に血ぬるの要なしとして隱岐の遠島に幽閉したる如きに見よ。源氏
然りき、北條氏然りき、足利氏然りき、戰國の一百年徳川氏の三百年凡て皆然りき。−−幕末の眞正なる國體論者
は近代の權利思想を以てこの掠奪者を否認し以て革命論を唱へたるものに非らずや。今日その國體論を繼承して尊
王忠君を唱ふるものが當年の革命黨の如く掠奪に憤怒せずして却て掠奪者の亂臣賊子を蔽ひ、萬世一系は其等掠奪
 幕末の國體論者は亂臣賊子の椋奪者を顱覆せんための努力なるに今の國體論者は掠奪を辯護して却て尊王忠君なりと云ふ
者の恩惠による奉戴の結果なるかの如く誣ゆるは獨り何
ぞや。我が幕末の尊王論者は等しく尊王なる所の貴族階
級を顛覆せんが爲めに尊王を唱ふる如き自家撞着の癲狂漢にあらず。維新の元勲なる伊藤博文氏の『憲法義解』を
見よ、實に明瞭に維新革命が主權の囘復なるを論ぜるに非らずや。囘復とは喪失を前提とす。
 吾人が皇室の萬世一系あるは系統主義と忠孝主義と及び神道の信仰によると云へるは以上の説明によりて解せら
るべし。原始的生活時代は神道の信仰と系統主義と忠孝主義の凡べてによりて其の勢力の及びたりし地方の間に於
て奉戴せられたりき。(而して是れ他の凡べての部落は各その酋長を其の三者によりて奉戴することによりて逆進
的歴史家の所謂亂臣賊子を歴史的生活以前より意味す)。歴史的生活時代に入りて君主國時代の初期は純然たる強
者の權を以て全日本に君臨し後大族の専横ありしに係らず系統崇拜の良心によりて萬世一系の犯さるゝことなく法
理上君主國時代として藤原氏の終局までを奉戴せられたりき。(而して是れ藤原氏の系統を誇榮とする等しき系統
主義によりて君主國時代の殆ど凡べてを通ぜる亂臣賊子の壓迫なりき)。中世史の貴族國時代に入りては強者の爭
ふ所の者とは無関係なる『神道の羅馬法王』として神道の衰退しつゝありし信仰に奉戴せられたりき。是れ頼朝よ
 皇室の萬世一系あるは系等主義と忠孝主義と及び神道的信仰によると云へる以上の説明
り徳川氏に至る一千年の長き間なり、一千年とは今の先進國の文明に
至るまでの歴史なり。さればこの長き間の社會の進化に於ては最早皇
室は系統のみによりて崇拜せられず陪臣の世と云ふが如く平等觀は實に強力の手によりて廣大に擴張せられ、維新
革命の王侯相將豈種あらんやとの其れが先づ一匹夫秀吉の腕によりて實現せらるゝに至れり。斯くの如くにして皇
室は平等觀が更に擴張して貴族階級を顛覆するに至るまで、貴族階級だけに擴張せられたる平等觀によりて君主國
時代の意義を失ひ、全く『神道の羅馬法王』として宗教的榮譽を有したるに過ぎずなれり。固より吾人は革命以前
ほ其の階級國家たるゆゑを以て社會の組織が系統主義と忠孝主義となりしを否むものに非らず。而しながら其の系
統主義とは却て天皇と同一の枝なりと云ふ、若しくは父祖より天下の主たりと云ふ系統的誇榮による平等觀若しく
は強者の權の表白として皇室に對する貴族階級の亂臣賊子となり、其系統的誇榮を負ふ所の貴族階級の下に隷屬す
る武士農奴の下層に取りては系統崇拜の良心による亂臣賊子の加擔者として桀狗堯に吠ゆるの理由をなすに外なら
ず。忠孝主義は經濟的獨立による政治的自由の貴族階級に取りては全く意義なく、單に他の貴族若しくは皇室と對
抗する場合に於て其の經濟的從屬の下層階級に向つて對抗者を打撃すべき義務の要求たるに過ぎず。−−實に、中
世以後の萬世一系の繼續は皇室に對する系統崇拜に非ず、又天皇に對する忠孝主義に非ず、貴族階級に對する系統
崇拜と其等『眼前の君父』に對する經濟的從屬による忠孝主義とを以て皇室に對する亂臣賊子が成功したる−−即
ち謂はゞ亂臣賊子の紀念なり。斯る意味に於ける系統の繼續は今の出雲の神官にもあり、彼は國民より主權者とし
て奉戴されざる者なりと雖も神代より連綿たりと云ふに非ずや。斯る意味に於ける最も純粹なる眞の一系は印度の一
マラハーナにあり、彼ほ政權者にあらずしてクヰンス神の權化したるより三千年の間只僅かに一囘傍系を養ふて繼
 皇室の奉載と云ふことゝ系統の連續と云ふことゝは別問題なり
がしめたることあるのみにして其の婚姻を結ぶは只印度の大皇室デルビー家に限
らると云ふ、是れ無數の傍系より傍系に上下縦横し多くの人民の血液殊に藤原氏
の其れを無量に混ぜる日本の比に非らざるに非ずや。萬世一系そのことば國民の奉戴とは些の係りなし。秀吉は自
ら天兒屋根尊より多くの人民の血液と多くの傍系とによりて傅はれる萬世一系なりと考へたりしと雖も彼の父祖は
固より田園の匹婦なりしは論なし。穗積博士の如きは皇室も國民も同一なる血液にして自ら天照大神の後裔なりと
考ふるを以て(白痴よ!)、其の父祖が徳川將軍に奉戴せられずとするも穗積家の斯る意味に於ける萬世一系なる
 基督の後に羅馬法王ある如く國體論は羅馬法王となりて今や眞理を迫害するに至れり
ことは論なし。否! 單に萬世一系が國民の奉戴と係はりなしと云ふの
みならんや、國度の餘りに亂臣賊子にして萬世一系が凡てを絶望せるを
以てなり。掠奪に憤慨せる維新革命の國體論者は、掠奪者を辯護して自らを天照大神よりの萬世一系なりと考ふる
下賤なる國體論者を後繼とす! 眞理の爲に十字凝に昇れる基督の後に、眞理を僞はりて基督を十字架に昇す所の
羅馬法王あり。國體論が羅馬法王となれる今日、吾人は實に十字架に昇れる國體論者を思ふて涕泣せざる能はず。
枯骨夜陰に泣くや。
 故に斷定す−−皇統の萬世一系あるは萬世の長き間國民が常に大膽殘忍なる亂臣賊子にして天皇は遠き以前に其
内容の大部分を掠奪せられ神道の羅馬法王として絶望したるを以てなりと。實に萬世一系は亂臣賊子の紀念なり。
 
 吾人をして十字架に昇れる國體論者の爲めに、國體論者を十字架に昇しつゝある所の羅馬法王に對して更に語ら
しめよ。
 有賀博士の統治權委任論
有賀博士の『國法學』は曰く、
『主權の用は之を幕府に委任したりと雖も主権の體は萬世一系の天皇に在りき』と。
 吾人は有賀博士をして日本有數の歴史家の名を博せしめたる『帝國史略』を讀まず又今後恐くは拜讀の光榮を有
せぜるべしと雖も、その『國法學』に於て日本政治史を敍説せるを見て實に在來のこそなんめるの代りに主權と云
ひ統治者と云ふが如き法律學上の術語を用ひたるに過ぎざる逆進的敍述なるに驚く。鎖國時代の歴史家が歴史を以
て進化の跡を見るものとして歴史を考へざりしは今日の進化に至らざる社會として當然なり。又コント、ダーヰン
以前の歐州の其等が歴史を以て繰り返へす者と解したることも宇宙循環論の思想系を脱する能はざりし進化の一過
程として社會の致す所なり。而しながら天下に先ちて『社會進化論』を著はし(等しく見ず)、天下に向つて現代
 有賀博士は歴史家として一の價値なし
の國法を歴史的に研究して天皇主權論の基礎なりとしつゝある者が、政治歴史が政權覺醒の
發展擴張する順序を研究する者なることを解せざるとは土人なりと云ふの外なし。有賀博士
一人に限らず、日本歴史家の凡ては進化論以後の思想を以て日本歴史に臨み太ること殆ど無かるべきを思ふ。斯く
の如きは歴史的研究に非らず。動學的説明にあらず。基督教の天地創造説若しくは神道の宇宙開闢説によりて一切
の禽獸木石が各々其れぞれに創造せられたる如く、人類の始めより、即ち基督教ならば天地の創造より、神道なら
ば宇宙の開闢より、アダム、イヴの西洋は共和民主國にして伊諾那岐伊册那美の日本は君主國に作られたるものと
迷妄し、以て國體及び政體の時代的分類を忘却するなり。−−是れある哉、『我が日本の國體』! 吾人はむしろ
進化論を解せず宇宙開闢説を信仰して憲法學を講ずる可憐なる穗積博士の一貫せるを稱揚す。有賀博士は穗積博士
と等しく神道の信仰たる宇宙開闢説を思想の中樞とす、自ら歴史的研究の名を掲げて穗積博士の君主々權論を嘲笑
 有賀博士は宇宙開闢説を以て歴史を解しつゝある點に於て神道の信者たる穗積博士と等し
し、『天皇主權の基礎を單に天照大神の子孫なりとの事實によりて定
むるは歴史を考へざる俗論なり』と喝破するが如きは僣越も甚し。有
賀博士は歴史によりて天皇主權論を唱ふる者に非らず、穗積博士と等しき神道的信仰より歴史を玩弄しつゝあるも
のなり。博士の罵倒は天に向つて吐ける唾にして自家の面を汚せり。
 瓢箪より駒の出づることが因果律に許容せられざる間、徳川氏の公武法制十八箇條、禁中方御定日十七箇條の中
より有賀博士の統治權委任論の出づる理由なし。吾人は再び公武法制十八ケ條と禁中方御定目十七箇條とを掲げて
幕府の對皇室策を縷述せず、又義時尊氏を凌駕せる不斷の幽閉と不断の脅迫讓位の事實を羅列せざるべし。而しな
 有賀博士の徳川氏に關する統治權委任論は純然たる論理的錯亂なり
がら少しく歴史的研究者の態度あらば皇室の壓迫に用ひられたる其等の法文を
逆用して皇室と幕府との間を委任關係を以て説明せんとするが如き癲狂なかる
べき理なり。博士は曰く、『源平より以降戰勝の結果によるに非らずして支配權を得るもの徳川氏を以て始めとす、
故に統治權を維持するの理由は之を兵力の外に求めざるべからず。家康古典に渉り國體に通ず、一旦政權を天皇に
返へし奉り其の委任によりて幕府を編成するの主義を取り勅を奉じて公武法制を制定す』と。何たる論理ぞ。天皇
より政權を委任されんが爲めに『一旦政權を天皇に返へし奉る』とは。即ち委任されざる以前に於て有したる所の
政權を返へすと云ふことにして、委任以前に徳川氏が政權者なりしことを前提とす。博士は云ふべし、秀吉が委任
せられたる所の政權を兵力によりて奪ひ其れを天皇に返へして更に委任を受けたるなりと。吾人は天皇の委任した
る主權の用なるものを主權の用を委任されず從て兵權なかるべき徳川氏が如何にして奪ひ得たるかを問はず。而し
ながら古典に渉り國體に通ずる所の徳川氏が委任によりて支配權を得たる『始め』なりとせば、『源平以降戰勝の
結果による』政權者は主權の用を委任せられたる者に非らずと云ふことの明言にして統治權委任論は自殺論法なり。
反覆して云へば有賀博士の統治權委任論とは下の如くなる。即ち『一旦政權を天皇に返へし奉り其の委任により
て支配權を得るもの徳川氏を以て始めとす』るが故に、『源平より以降戰勝の結果による』凡ての幕府は統治權を
委任せられたるものに非らず。又最初の幕府が統治權の用を委任せられしとするも、統治權の用を委任せられざる
所の即ち兵權なき所の徳川氏は『一旦政權を天皇に返へし奉りし』と云ふも返へすべき主權の用を委任せられし事
なし。
 博士は更に徳川以前より凡て幕府との關係は委任なりと云ふ
 而しながら有賀博士は云へり。曰く『兵馬大權も理論上は尚天皇に在りし。勅
宣を以て頼朝を總追捕使征夷大將軍に任ぜしめ給ひ、追討は必ず院宣によりて之
を行はしめ給ひしにて知るべし』。曰く『又外交に於ても理論上その權力の天皇に存したるは文永九年元國の高麗
より書を獻じ通便を求め來りしとき時宗之を朝廷に奏したりしにて知るべし』。是れ『委任によりて幕府を編成』
し『支配權を得る者徳川氏を以て始めとす』と云へる前きの主張を打ち消して、『源平以降戰勝の結果による』もの
も等しく共に統治權の用なるものを委任せられたりと云ふ立言なり。−−萬國無比の統治權委任論よ! 吾人は敢
て頼朝が總追捕使征夷大將軍に任ぜられ又追討の時に院宣を受けしことを否むものにあらず、そは博士が文字の形
態發音によりて考ふる如く今日の天皇が陸軍大將を任命し宣戰の勅語を發すると同じ意義のものに非らずして神道
 兵馬權なる者が天皇より委任されしとの議論は成立せず
の羅馬法王と鎌倉の神聖皇帝との關係なるを以てなり。博士は須らく省みるべし。
彼が追捕使征夷大將軍に任ぜられざる以前に於て却て院宣を受けて來れる平氏を撃
破せる兵馬の權利は何人の委任によりしか。院宣なるものは何の權利ありて天皇を有する平氏の追討を命ずること
を得たるや。主權の體と云ふは院宣にありや勅命に在りや。有賀博士にして院宣の勅命とは當時の事實によりて共
に有効なりしと主張するあらば、是れ誡に事實を重ずる歴史家の態度にして事實上の兵馬權は頼朝の遠き以前より
有したる所なり。否! 頼朝は院宣を奉じて勅命の者を鏖殺せしのみならず院宣其事をも眼中に置かず、例へば其
許なきに係らず我の臣を征するなり君にして臣を征する何ぞ院宣を待たんとなして堂々君主の慨を以て奥羽を伐ち
しに非ずや。吾人は又敢て文永九年元國の通使を求めしとき時宗の奏聞せし事を否む者に非らず、そは亦博士が文
 外交權なる者が天皇より委任されしとの議論も成立せず
字の形態發菅によりて考ふる如く今日の天皇が外務大臣の報告を聞くと同意義の者
に非らずして、神道の羅馬法王たりしが爲めなるを以てなり。即ち龜山上皇が身を
捨てゝ伊勢大廟に祈りしが爲めに神風の起りて元寇を掃蕩せしと信仰せられたるほどに神道の信仰の上に立てる神
道の羅馬法王たりしを以てなり。博士は凡てに於て須らく自ら省みるべし。時宗の専制權を以て勅答を反古にし、
宣戰の布告は膽甕の如き相模太郎の一喝によりてなされ而して天下凡て之に從ひて戰ひしものは彼の外交權を承認
したるが故に非らざるか。足利義滿は天皇の委任による主權の用を以て外交權を行使し支那より日本國王に封ぜら
れしか。豊臣秀吉は天皇の委任による兵馬權なる者を以て朝鮮を征伐し、委任による外交權を以て和議の文書を破
棄し我れは吾が力を以て天下を取れり王たらんと欲すれば王帝たらんと欲すれば帝と云ひしか。家康の外交は開國
を旨として外國貿易を自由にし、家光は嚴唆なる鎖國政策を以て國家を封鎖せしは皆天皇の委任による外交權の行
使なりしか。−−實に萬世無比の統治權委任論なるかな、委任とは合意の契約を要素とし、又定められたる條件を
 有賀博士の用語は詐欺取財脅喝取財を委任取財と云ひ臓品を委任財産と云ふものなり
外にして契約解除の自由なかるべからず。詐欺を以て他の財布を奪ひし
ものを詐欺取財、脅喝を以て奪ひしものは脅喝取財と云ふ言語文字あり
て委任取財とは有賀博士のみの使用たるべく。白匁に掛けて奪へるものは盗賊の臓品と名けられて委任財産とは日
本の法律にて未だ通用せざる文字言語なり。而して委任したるものゝ契約解除若しくは返還を要むるに却て無人島
に放追すること義時の如く、或は徳川家光の三十五萬の軍を率ゐて威喝せるが如き何たる奇怪の委任契約なりしぞ。
主権の體と用とが分離すべく而して用を幕府に委任したりと云ふ有賀博士よ! 主權の本體たる天皇が外交權の體
によりて鎖國攘夷を命ずるに、其の用を委任せられたる幕府が開港條約を結びたるは體と用とが相互に他を打ち消
 博士の主權論は某の主體と行用が相背馳し若しくは打撃し得べしと云ふものなり
すことの自由なりと云ふ條件附の委任契約なりしか! 主權の本體として
理論上兵馬大權を有したる天皇は、其の兵馬大權の用なるものを北條義時
に委任し其の用を以て體を打撃することを契約したりしか! 主權とは其の本體の上に其の用なる自己の主權が壓
倒して行使さるゝものなるか! 吾人が日本中世史の天皇と將軍との意義を以て歐州の中世史に比し、以て『神道
の羅馬法王』と云ひ『鎌倉の神聖皇帝』と名けたるはこの故なり。萬國無比の統治權委任論よ! 神道の羅馬法王
 歐州今日の各國は主權の體と云ふもの無き空虚のものか
より征夷大將軍を任命せらるゝことによりて鎌倉の神聖皇帝が統治權の用を委任せ
られたるものなりとせば、彼の歐州の神聖皇帝に冠を加へたる羅馬法王は統治權の
體を有したるものなりしか。而して又當然の論理として當時の諸侯は天皇の委任によりて統治權の用を委任された
る幕府より更に其の用を委任されたるものなりと云ふか、然らば今日の歐州諸國の君主は羅馬法王より主權の用を
委任せられたる神聖皇帝より更にその用を委任せられたるものにして歐州各國の今日は主權の體とやらんは無き空
虚の浮島か。−−斯る萬國無比の統治權委任論を以てすれば佛蘭西も米國も凡て『萬國無比の國體』たり得べし。
 萬國無比の國體には萬國無比の統治權委任論あり
日本の大學教授は足利義滿の獨立せる『日本國王』の稱號を以て外交權の用を委任せら
れたるよりの獨立となすべし、而しながら米國の大學教授は米國獨立戰爭が主權の體な
る英王より獨立を委任せられたりとは云はず。日本の法學博士は義時が三帝を流竄せるは兵馬權の用を委任された
るよりの反逆とすべし、而しながら佛國の法學博士は革命黨が主權の體なるルヰ王より王自身を斷頭臺に昇すべき
主權の用を委任せられたりとは云はずり凡て萬國無比には萬國無比の議論あり。
 
 更に穗積博士をして有賀博士の罵倒に復酬せしめよ。
 實に以て土人部落の滑稽劇と云ふの外なし。穗積博士は有賀博士と共に君主々權論者にして其の論據を原始的宗
 穗積博士の主權本質論は有賀博士の統治權委任を打ち消す
教の信仰と共に日本歴史に置くものなり。而して有賀博士が穗積博士の原始的宗教
を罵倒せるに係らず博士自身は原始的宗教の宇宙開闢説を以て歴史を静的に取り扱
ひつゝある如く、穗積博士に至つては原始的宗教を信仰すとの權榜なるが故に日本民族のみ進化律の外に結跏跌坐
して古今國體の進動せしことなしと云ふ歴史哲學者なるた於て共に一なり。而も、斯る點に於て慶賀すべき一致あ
るに係らず有賀博士の氣焔が偶々穗積博上に對する罵倒となりしが如く、主權本質論の見解に於て穗積博士の意氣
は亦以上の有賀博士の解釋を根本より打ち消すに至つては實に噴飯の限りなり。固より兩氏は君主々權論の大傘の
下に於て敵なるべき理なく、有賀博士の氣焔が穗積博士に向つて吐かれざると同樣に、穗積博士の意氣も有賀博士
を的に吹かれたるものに非らざるべきは論なし。−−吾人は敢て惡戯の爲めに盲者に等しき二氏を衝突に導きて傍
らより嘲笑せんとするものに非らずと雖も二氏に對してほ深く謝せざるべからず。即ち、穗積博士の主權本質論は
同じき君主々權論者に向て主權の學理せ示したるやのにあらずして、所謂政黨内閣を主張する所の民主々義者が事
實上の共和政體を慣習憲法によりて樹立せしめんとする企圖に對して論じたるものなり。曰く、
 『チエールの君主は統御すれども支配せずと云ふは理論としても取るに足らず。凡て權力は活動するが故に權力
なり。活動せざる權力と云ふは權力の観念に反す。君主が主權者ならば權力を行ふ力を有せざるべからず。權力を
 穗積博士の主權論本質論は權力を行ふ力なかりし中世史一千年間の皇室がが主權者にあらずとの斷言なり
行ふ力なきものは主権者にあらず』。是れ權力を行ふ力なかりし
中世史一千年間の天皇が主權者に非らざりしと云ふ斷言なり。
更に曰く、
 『權力を行ふを得ざる權力者と云ふ觀念は自家撞着なり。權力とは意志の働きにて行動するが故に權力なり。權
 其二、權カを行ふ所の今日の天皇を主權者とすると共に幕府を權力者なりと云ふ主張なり
力なき主權者と云ふは理論上意味をなさず。法理論として攻撃するの
價値なし。且つ實際論としても權力の主體と權力の作用とを分つ能は
ず。語の上説明の上に於てこそ分離して考ふれども、事實上權力の本體と其の作用とは同一人に屬せざれば意味を
なさず。權力を行ふ人を權力者となすなり』。是れ權力を行ふ所の今日の天皇を權力者なりとすると共に幕府を權
力者なりと云ふ主張なり。更に曰く、
 『社會の主權の成立するは社會的勢力による。論理的に成立するにあらず。故に歴史を讀むときは往々にして主
權の所在の極めて不明なることあり。或は君主が主權者たる如く、君主と雖も貴族豪族の擁する所となりて實權は
 日本の主權は決して萬世一系に固定せず常に動搖したりとの歴史解釋なり
豪族の手にあるが如く、或は君主と國會とが合體して主權者となると云ふ觀
念を有するものあり。歴史の實際は必ず君主にありとか國會に在りとか判然
せざる場合多し。是れ主權の性質の然らしむる所なり。主權は社會的勢力なり。社會の成立は種々なる原因により
て定まる。故に歴史の結果として其の國民が其の主權の所在する所を確信して喜で其の權力に服從する所を以て主
權の所在とするの外なし』。是れ固より君主國貴族國民主國の三時代の進化を解するよりの見解に非ざるは論なし
と雖も、歴史の實際云々以下の文字によりて日本國の主權は決して萬世一系に固定せず常に動揺したりとの歴史解
釋なることは明かに認めらる。
 穗積博士の主権本質論は亂臣賊子を主權者なりと追認するものなり
 是れ實に亂臣賊子の權力を追認する者にあらずや。義時の墓に向つて徳川氏
の廟に向つて主權者の稱號を奉るものに非らずや。嗚呼忠臣穗積氏之墓よ!
 斯くの如き主權本質論は『天皇の御謀反』と名けて義時の權力の下に歡で其權力に服從せし北條氏時代ならば可
なり。家康を『神君』と云ひ凡ての將軍を『天下樣』と稱して歡で其の權力に服従せし徳川氏時代ならば可なり。
尊王屋忠君業を以て天下に鳴る穗積八束氏其人の口より亂監賊子の追認とは呆るゝの外なし。吾人一人のみは穗積
博士を以て現今の國體を革命し政體を變更し從て重大なる國家機關の一たる天皇を顛覆するに至るべき復古的革命
家なりと云ふと雖も、一般世人は博士の憲法學を謬りて勤王的法律家と呼び死後必ず伊藤博文氏の傍らに聊か謙遜
に小さく而して黄色の物質を戴きて銅像として建てらるべく、芳名を湊川神社のあらん限り殘すを期待しつゝある
 穗積博士の銅像は兩頭にして各々脱糞を要す
者なり。然るに、權力なき主權者とは理論上無意味なりと云ひ、國民の悦で服從する所を
主權の所在となすと云ふとは何たる亂臣賊子ぞ。而も曰く『國家主權は萬世一系の皇位に
在りて他に移らざりしを我が國體となす』と。若し銅像が建てらるゝならば必ず兩頭を要し、而して各々の頭に黄
色の脱糞を要す。
 吾人は理由なく法科大學長帝國大學教授法學博士を侮弄するものにあらず。若し貴族階級と苦鬪したる幕末の國
體論者の如く、貴族等の亂臣賊子が天皇の主權を掠奪しつゝありしことを認めて其顛覆の爲めに皇室が主權を奪は
 伊藤博文氏の強者の權の表白と穗積博士の奴隷
れたりと主張するならば、議論を外にして吾人は滿腔の同情に傾倒すべし。又、彼の伊
藤博文氏が維新の功臣たるの故を以て『維新革命は主権を囘復せるものなり』と主張す
とも、そは彼等の功業に對する滿足の表白にして強者は自己の權利が何者に基くかを説明するの理論を有せざるべ
からず。固より伊藤氏の斯る事を主張する『憲法義解』の謬れるは論なし、而しながら穗積博士が彼れの『憲法義
解』を額に戴きて大學の講壇に昇るの時は彼が如き強者の榮譽を表白するものにあらずして奴隷なり。幕末の國體
 穗積博士は幕府主權論者として志士の忠魂を侮弄す
論者ならば主權の掠奪者を憤怒して許容せざるべし、然るに恰ど幕府主權論者の口吻
を以て『權力なき主權者とは理論上無意味なり』と云ひ『國民の悦で服從する所を主
權の所在となす』と云ふが如きは、誠に志士の忠魂を侮弄するも極まる。幕末國體論者は幕府の權力者なる事を認
めたりき、而しながらそは顛覆せんが爲めの認識にして穗積氏の如き主權本質論を以て幕府の膝下に平伏せんが爲
めの辯護にあらず。吾人は實に疑ふ−−斯る主權本質論よりして『國家主權は萬世一系の皇位に在りて移らざりし
を我が國體となす』と云ふ歴史解滯が如何にして産るゝや、更に詳しく見よ。
 『近世歐州諸國の基礎は封建制度の分裂獨立より成れり。我が國に於ては封建制度衰へて諸侯權力を失ひ、中央
 穗積博士の維新革命論は凡て矛盾なり
の朝廷再び權力を恢復して統一したり。之を我が明治維新の大業どす。歐の封建制度は之と
正反對の結果を來したり。封建制度衰ふるに從ひ中央の皇帝は全く權力を失ひ遂に地方の大
諸侯が小諸侯を併呑し自立して獨立國をなせり。今日の歐州諸國は中世には神聖羅馬皇帝の下に屬する諸侯なり。
而るに中央の政府滅亡して諸侯獨立せり。恰も日本に於て云はゞ維新後薩摩長州の如き數多の獨立国に分れたると
同一の形況なり』
 『主權の恢復』とは主權の喪失を前提とす
 凡べてが矛盾なり。『諸侯權力を失ひ』と濾諸侯の權力を持てることを前提とし、『中央の
朝廷再び權力を恢復したり』とは天皇が權力を喪失せることを前提とす。『國家主權が萬世
一系の皇位に在りて移ることなかりし我が國體』ならば、維新革命によりて他に移ることなかりし『主權を囘復す』
とは人類の言語にあらず。彼は天皇主權論を云ふか、幕府主權論を云ふか。彼をして歐州の如く中央の神聖皇帝
滅びて地方諸侯の自立せる惡夢を見せしめよ、目醒めての彼は君臣一家論も忠孝一致論も神道の信仰も一切のこと
 氏の主權本質論は強力説にして神道的憲法論を打消す
を捨てゝ『權力の在る所主權の在る所なり』として薩摩長州の君主の下に亂臣賊子の
頭に於て天皇主權論を否認すべし。即ち斯る主權論は純然たる強力説にして神道的憲
法論の其れの如く宗教道徳とは別の基礎なり。實に穗積博士を思考するには兩頭の怪物を想像するより外なきなり。
 あゝ兩頭の怪物穗積八束氏! 彼の兩肩にある頭は各相肯定し相否定しつゝあり。右の頭が神道を宗教として信
仰すと云へば左の其れは神話の科學的研究を爲しつゝあり。左の其れが幕府主權論を唱導しつゝありと云へば、右
の頭は天皇主權論を説述しつゝあり。否!、彼の左肩の頭は國家主權論を信じ、右肩の其れは天皇主權論を説く。
此の處に引用せる彼の主權本質論と前きの法理論に掲げたる彼の主權の説明とを見よ。『主權とは社會的勢力なり』
 穗積博士の主權本質論は自らの君主々權論を打ち消す所の國家主權論なり
と云ふ此の處の名題は實に國家主權論の思想にして、君主々權論の説明たる
『主權は君主固有の力なり』と云ふ名題を打ち消すものなり。主權が社會的
勢力たらば社會が主權の主體たるべく、君主固有の力なりとせば君主の死と共に死すべし。−−この相對抗しつゝ
ある法律學界の二大思潮を同時に窃取すとは如何にすとも考ふべからず、吾人は僅かに兩頭の怪物を想像して思考
し得たり。上智と下愚の移らずと云ふは上智は自己の智なる二とを知るの智識を有し、下愚ほ自己の愚なることを
知るの智識すらも有せざることを意味す。穗積博士は固より自己の愚なることを知るの智識を有するものにあらず
と雖も、自己の智なることを知るの智識を有するを以て吾人は其の何れなるかを知る能はず。而しながら斯る兩頭
の怪物が帝國大學の講壇を獨占するが故に(而して近時大學の神聖を唱へたりと云ふが故に、呵々)、大學卒業生
なる者が嘲笑の材料とせられ、更に大日本帝國の意志を表白する重大の機閼たるべき司法行政の登龍門に立ち塞が
れるが爲めに思想の獨立を無上の權威とする少壯學者にして實に韓信の忍耐を以て彼の跨下を匍匐して過ぐるの外
なきなり。土人部落ならずんば斯る兩頭の怪物なし。
 有賀博士と穗積博士の衝突
 重ねて謝す、吾人の有賀博士と穗積博士とを對抗せしめたるは決して盲者を衝突に導きて傍よ
り嘲笑する頑童の惡戲を爲したるものにあらず。頼山陽日本外史の苦心焉ぞ彼等の諒察し得る所
ならんや。
 
 中世史の天皇の意義につきては有賀博士も穗積博士も共に誤謬なり
 然らば、日本中世史の天皇は『神道の羅馬法王』たる以外何等の意義を有せざ
りしや。否、吾人は信ず、天皇はそれ以外に幕府諸侯と等しき統治權を有し、只
強力に於て劣りしのみと。即ち、有賀博士の統治權委任論の如く幕府諸侯が其の所有の土地人〔民〕の上に統治權
を有したるは天皇の委任による統治權の用にあらずして各々統治權者たりと云ふことなり。穗積博士の主權本質論
の如く他の強力に壓伏せられたることありと雖も維新以前の天皇は其の内容の凡てを幕府に奪はれで幕府のみが日
本の統治者なりしと云ふものにあらず、將軍諸侯天皇の各々凡でが統治者たりしと云ふことなり。
 吾人が國體の進化的分類と云ふ主張は茲に在り。即ち、維新革命以前の國家は『家長國』と云ふ別種の國體にし
て必ずしも一國一主權にあらず、多くの統治者が某所有内の國土及び人民を自己の利uと目的との爲に私有財産と
して處分しつゝありし者なり。即ち、この財産權の主體を統治者と云ひ財産權の行使を統治と云ふ者にして、今日
 多くの統治權の主體が存在せし家長國と云ふ別個の國體
の如く國家の目的と利uの爲に國家自身が統治する所の主體なりと云ふとは大に意
味を異にする君主々權の國體なりしなり。而して始めには近畿地方の國土及び人民
の上に天皇が一人の所有權者にして君主國時代なりき。然るに天皇の系統の分派が漸時に地方に侵略して土豪とな
り群雄となりて國土及び人民を所有するに至り日本全國の上に無數の君主を生じたりき。是れ頼朝以後の貴族國時
代なりき。即ち歴史的記録の發現より維新革命に至るまでの一千數百年間は『家長國』にして、始めには小區域に
止まりし者が漸時に大區域に擴張し、始めは一人の家長君主なりしものが漸時に多くの家長君主となりて相抗爭す
るに至れり。而して古代及び中世を通ぜる權利の決定は強力なりき。故に皇室が最初の強力者として小地方の國土
 強力が凡ての權利を決定せし中世時代
人民の上に家長君主たりしと雖も、更に皇室の系統の源平足利徳川等が地方の國土人民の上
に家長君主となるに至り、茲に個人の權威を強力の決定に求めたりき。即ち貴族國時代の貴
族とは其の将軍と云ひ群雄と云ひ諸侯と云ひ種々の名稱あるに係らず、其の所有の國土人民の上に絶對無限の權利
を有したる家長君主たる點に於ては凡て悉く同一なりき。而して天皇も中世に至つては神道の羅馬法王たる意義以
外、其の所有の土地人民の上に於て無限絶對の權利を有したることは疑なし。固より中世史の後半即群雄戰國の一
百年より徳川氏の二百年に至るまでは全く神道の羅馬法王たる以外何の權利も剩さゞりしかの如く考へらると雖も
 天皇は神道の羅馬法王たる以外其の範圍内に於ける家長君主としての統治者たる事を失ひし事なし
其の貧窮の間に於ても尚憐れなる公卿を臣として有し徳川氏より
無限の壓迫を蒙りつゝも少許の土地を與へられしを以て、法理上
その土地人民の上に於て家長君主としての絶對の權を有したは事實なり。(尚『生物進化論と社會哲學』に於て君
 貴族國時代の『貴族』の意義
主國貴族國民主國の進化を社會哲學の上より論じたる所を見よ)。貴族國時代の貴族とは決し
て今日の『華族』なる者の如く特權ある國民と云ふものにあらず、その所有の土地人民の上
に絶對の權利を有したる『君主』なり。即ち、貴族國時代とは斯る『君主』が或は抗爭し或は合同して多く存在し
たりし時代のことにして、彼等は天皇の系統と云ふ誇榮を以て先づ社會の一分子の實現したる所の者を少數階級に
 主權本來の意義は最高の統治者と云ふことにして統治者の上の統治者君主の上の君主と云ふことなり
實現を及ぼして君主國時代の君主と同一の平面にまで進化し昇
れるものなり。而しながらこの理由は有賀博士の統治權委任論
の否定なりと雖も、天皇を以て統治者に非らずと論ずる穗積博士の主權本質論の肯定にあらず。諸侯將軍共に君主
なりき。而しながら天皇も共に君主たりしことは歴史上の事實なり。只、『主權』の文字を本來の意義、即ち『最
高の統治者』『統治者の上の統治者』、『君主の上の君主』の意義に解するならば、是れ實に王覇の辯の論爭されし
所以にして亦一問題なり。
 この問題に對する零點の答案は穗積博士の其れなり。『主権の處在の不明なるときは國家の動揺せる時なり』と。
彼が其の『憲法大意』に定義せる如く『國權とは國を統治する主權なり』と云ふほどに主權本來の意義を忘却して
一國一統治權の現代を以て中世史を考ふるならば單に日本中世史に限らず歐州の其れも然かりしを以て近代を解す
る唯一の途たる凡ての中世史は國家學の研究外に進出すべく、且つ國家とは常に進化して止まざるものなるを以て
 主權の思想は中世の出現にして今日に最高權と云ふことなし
常に動揺すべく、穗積博士は憲法學の匙を投ずるの外なし。『主權』と云ふ文字は
實に中世の出現にして多くの君主統治者の存在せし中世に於て何人が『君主の上
の君主』『統治者の上の統治者』なるかを表白せんが爲めに實に『最高權』と云ふことを意味す。今日の國家に於て
は假令君主々權論を取るとも又國家主權論を取るとも君主若しくは國家より外に權利の主體たるもの一もなきを以
て『最高權』と云ふことなし。『最高權』の意義あるは即ち最高ならざる所の權利の主體存することを意味して即
ち家長國の中世史なり。然らば、萬世一系の天皇は日本の中世史に於て主權者、即ち最高權を有する統治者の上の
統治者君主の上の君主なりしや。
 最高權の意義に於ける主權所在論は王覇の辯の名に於て天皇主權論と幕府主權論との論爭なり
 王覇の辯とは主権の處在の決定なりと解すべし。即ち、王者が大
名なる統治者の上の統治者として最高權を有すべきや、覇者が諸侯
なる君主の上の君主として最高權を有すべきやと云ふ論爭なり。而しながら、假に幕府主權論者の物徂徠等の見を
取ると定むるも、足利時代の幕府は尊氏の始めより群雄の上に最高の統治權を振ひたる主權者にあらず。又徳川氏
の末は長州薩摩の統治者等の上に最高權を發動する能はず、又皇室の強大を加へて從來の如く壓伏する能はざりし
を以で當時の幕府を主權者なりと云ふ能はず。又假定して天皇を榮譽の源泉としてこの榮譽權を留保せしと云ふこ
とを理由として國學者の如く天皇主權論を唱ふるも、其の榮譽權の行使が常に兵權によりて阻害せられ且つ療譽權
の本體たる天皇が兵權者の自由によりて改廢せられしを以て或る時代に於ては此の意味に於ける主權者として議論
の貫徹せざるものあり。加ふるに強力が凡てを決定せし正義の時代に於て天皇御謀反の語あり、今日に於ても國際
間は尚多く強力による權利なるを以て主權國と非主權國とを分類するに兵權を第一要素に擧ぐる思想よりすれば、
 主權論とは無関係に天皇の君主たりしことに動ぎなし
天皇主權論を以て一千年間を一貫することは困難なり。−−吾人は斷言す、主權とは
数多の家長君主等が抗爭の間に於て生ずる勢力の消長のことにして、主權者は其の時
代々々によりて決定すべく、決して不變のものにあらずと。故に吾人は斯る意味の主權論と無關係に諸侯幕府が各
々統治者たる君主にして天皇も亦決して統治者たることを失ひしことなしと斷言せんと欲す。即ち、天皇は天皇と
して君主なりき、而して社會の進化は平等觀の擴張となり貴族階級が天皇を摸倣して到達に努力し、群雄諸侯皆其
れぞれに進化して其れぞれの範圍内にて君主となりしなり。
 幕末の國體論は天皇に對する尊王忠君を要求として唱へたるにて歴史上の事實として認めたるにあらず、萬世一系を奉戴すべき事を要求として唱へたるにて歴史上の事貴として奉戴しつゝありしと云ふにあらず
 故に、吾人は
幕末の國體論者
の如く幕府諸侯が天皇の統治權を掠奪して天皇は實質なき空に名けられたる者なりと考ふるものにあらず、而しな
がら彼等は國民は悉く天皇に尊王忠君なるべきことを要求として唱導したるものにして今の國體論の如く幕府諸侯
の掠奪を辯護して彼等を尊王忠君なりと稱揚したるが爲めに斬られたるに非らざりき。彼等は國民が萬世一系を奉
戴すべきことを要求として言へり、而しながら萬世十系が國民の尊王忠君に奉戴せられたる事實の爲めに零落悲慘
の極に逹せりとして悲憤慷慨せざりき。彼等は零落悲慘なる萬世一系の繼續を橋土に伏して眺めたる時是れ國民の
萬世缺くるなき亂臣賊子の爲めに凡てを絶望せる罪惡の記念なりと感じたりや否やは知らず、而しながら萬世一系
は皇室一家のみの誇榮たるべき者にして國民の奉戴による効果に非らざることだけは確實に知れり。あゝ國體論は
終に羅馬法王となれり、而して國體論の精神を傅ふる眞の國體論者を却て十字架に昇さんとするか!
 吾人は國體論の名に於て羅馬法王の教義を拒絶し、萬世一系を指して明かに告げん。是れ皇室の徳を建つること
深厚なるよりの皇室の誇榮にして、國民に取りては億兆心を一にして萬世缺くるなき亂臣賊子を働きたる歴史的ピ
ラミッドなりと。
 
 
 
          第十四章
 
           維新革命の國體論は天皇に對する忠を主張せんよりも貴族階級に對する忠を否認せんが爲
           なり−−國體論者は亂臣賊子なる名に於て亂臣賊子に殺さる−−等しく忠臣義士なる所の
           諸侯將軍と等しく忠臣義士なる所の國體論者との奇怪なる階級鬪爭−−尊王忠君が十年な
           らずして憲法要求の運動となれりと云ふ奇怪なる民族心理學−−維新革命は王政復古にあ
           らず、歴史とは復古するものにあらず−−維新革命は大化の遠き理想たりし公民國家の實
           現なり−−個人の現在的利己的目的より外なかりし家長國時代と社會の永遠なる理想を意
           識せる公民國家の現代舊社會哲學の見地と道徳學法律學の見地−−大化革命の公氏國家
           は天智の理想に止まりて實現されたるものは君主々權の家長國なりき−−國家主權論と共
           に土地國有論を斷行したるは其經濟的關係に於て國家に忠ならしめん事に在り−−土地國
           有論の勵行と貴族國の萠芽−−後の天皇皆天智の理想を打ち消して家長國となる−−經濟
           的基礎を失へる中世史の天皇は單に理想國を理想しつゝありしに過ぎず−−大化革命の政
           治的組織は尚純然たる階級國家なり−−プラトーの理想國とプラトーの期待したる哲學者
           の君主−−國家主權の國體は長き進化の後なり−−朕即ち國家なりとは法理上國家の一部
           分なる君主か國家の全部なることを意味す−−個人的利己心の意識が同時に國家の意志た
           る家長國−−社會の進化と國家意識の覺醒−−攘夷論の社會單位の生存競爭による社會的
           存在の覺醒−−維新革命は國家の目的理想を法律道徳の上に明らかに意識したる點に於て
           社會主義なり−−下層階級の經濟的進化による民主的獨立−−革命の要求と理論−−『國
           體論』とは民主々義を古典と儒教とに薇ひたる革命論なり−−權利思想の三百年間に於け
           る急轉−−革命論の要求急なりしが爲めに古代史を考察するの暇なし−−幕末に於ける神
           道的信仰の皆無−−國體論者の革命文學−−革命論は凡て王霸の辯と古典の假定より演釋
           されたり−−維新革命は社會間の接觸によりて覺醒せる國家意識と一千三百年の社會進化
           による平等觀の普及とが未だ社會民主々義の理論を得ずして先づ爆發したるものなり−−
           政權藩領の奉戴にあらず又尊王忠君に非らず−−『二千五百年史』は義時尊氏等の貴族主
           義者を民主々義者と誤り國體論を君主々義と謬れり−−高山彦九郎と獨乙皇帝の狙撃者は
           國體論と社會民主々義とが皇帝其者を目的とせざる事を解せざる政治狂なり−−政治史と
           は政權に對する意識の擴張と云ふ事なり−−現天皇は特權ある一國民として維新革命の民
           主的大首領たりき−−維新革命以後の『天皇』の内容−−維新革命は建設的方面に於ける
           無計畫の爆發なり−−歐州の革命は長き計畫後なりき−−維新革命と戊辰戰役に於て貴族
           主義に對する破壊をなし民主々義の建設的本色は二十三年間の繼續運動にて段落したり−
           −『華族』の意義−−維新革命の民主々義者は成功と共に貴族主義となれり−−貴族主義
           者の大勝利−−維新革命の本義を明らかに解し藩閥がその破壊的方面に於て元勳たること
           を正當に認識すると共に建設的本色に於て元兇なることを嚴肅に解せよ−−『亂臣賊子』
           と云ふが如き逆進的批判は善惡の進化的のものなることを知らざるによる−−成功せる今
           日維新革命の民主々義者が亂臣賊子の名を拭はれたる如く成功せる貴族は當時に於て亂臣
           賊子と呼ばれず−−善惡の決定と社會的勢力−−教育勅語を自家の護衛に使役する井上博
           士の倫理學−−現天皇の個人的卓越に向つて科學的倫理學者としての全能までを要求する
           は暴なり−−教育勅語は學界に惡果を來したるものにあらず、學者の愚呆を教育勅語の責
           任に導くべからず−−義時尊氏等が國利民福の爲めに民政を害する皇室を排斥せる者なり
           と云ふ他の獨斷論−−中世貴族の亂臣賊子に非らずと云ふことは其の人民及び他の貴族等
           より自由獨立を承認せられたりと云ふことなり−−貴族のみならず凡ての武士百姓の階級
           も亂臣賊子にあらず−−經濟史の進化と武士平氏の組放−−社會民主々義は現今の國體と
           政體とを顛覆して實現さるゝものにあらず維新革命其事が社會民主々義なり−−今日の社
           會民主々義−−憲法第一條の『萬世一系』とあるは將來のことにして歴史に係はりなし−
           −契約憲法に非らざると共に又君主々權論者の解する如き欽定憲法にあらず−−維新より
           二十三年に至るまでに於ては國家主權の國體にして政體は最高機關を一人の特權者にて組
           織する政體なりき−−家長國時代の君主専制と公民國家の君主専制−−二十三年の帝國憲
           法は國家が其の主權によりて一人の最高機關の口を通じて最高機關に平等の多敷を要素す
           る敦體に變更することを表白したるものなり−−國家は主權體として機關を改廢作成する
           を得と雖も二十三年にして消えたる一人の最高機關は憲法改正又は廢止の自由なし−−穗
           積博士の欽定憲法論は繼體天皇若しくは光孝天皇の如きを金村基經等の自由に改廢するを
           得べき欽定天皇なりと云ふ論理なり−−欽定憲法の意義−−憲法の解釋權は何者にも存せ
           ず−−『愛國』と『民權』の聲−−天皇の國家機關たる地位は原始的宗教を信ぜずと云ふこ
           と若しくは血液を異にすとの理由古以て侵犯さるべからず又奴隷的從屬關係にあらず−−
           天皇は崩壊しつゝある系統崇拜の基礎に立てたるものに非らず−−天皇と國民とが血液に
           於て懸隔なしと云ふことを以て天皇を否認することは國家の是認せざる所なり−−土人部
           落の蠻神は教育勅語を盜奪したり−−國家機關は内部的生活に立ち入る能はず−−井上博
           士一派の解釋家の『克く忠に』の意義は天皇を解せず−−忠君ヒ愛國との道徳的理想の進
           化−−忠君愛國一致論の迷妄−−穗積博士の忠君愛國一致論は其の排撃する國家主權論と
           自家の君主々權論と一致すと云ふ死滅なり−−『爾臣民克く忠に』とは國家の利uの爲め
           に天皇の特權を尊重せよと云ふことなり−−以上の概括
 
 維新革命の國體論は天皇に對する忠を主張せんよりも貴族階級に對する忠を否認せんが爲めなり
 吾人は先きに國體論を貴族階級が天皇に對する忠順の義務を缺
けることを憤怒して唱へられたるかの如く解したり。而しながら
歴史哲學の上より見れば、貴族階級に對する忠順の義務をも拒絶せんが爲めに貴族階級自身が忠順の義務を拒絶し
たりしたことを指示したるものなり。即ち、平等觀が貴族階級にまで擴張したる歴史の進化を承けて更に一般階級
に擴張せんとする−−維新革命の民主々義の爲めに! 説明の根據を儒教と古典とに求めて、『貴族等は吾人に忠
順の奴隷的道徳を要求しつゝあり、面しながら彼等は其の始めに忠順の義務を蹂躙したる亂臣賊子にあちずや。吾
 國體論者は亂臣賊子なる名に於て亂臣賊子に殺さる
人は彼等に對する亂臣賊子とならんが爲めに彼等の却て亂臣賊子なることを攻むべ
し』と論ぜんが爲めの革命論に過ぎず。即ち、『忠』其者の否定の爲めに過ぎず。斯
くの如くにして貴族主義者は其の亂臣賊子によりて得たる地位を維持せんとして國體論者を迫害し。國體論者の民
 等しく忠臣義士なる所の諸侯將軍と等しく忠臣義士なる所の國體論者との奇怪なる階級鬪爭
主々義者は亦貴族階級と同一なる地位に進化せんが爲めに『眼前の
君父』に對して亂臣賊子を働らき、亂臣賊子なる名に於て亂臣賊子
に殺されたりき。−−維新革命の本義は實に民主々義に在り。然るに未だ日本の歴史を哲理的に研究することなく、
維新革命家が驚くべき言論迫害の下に在りて餘儀なくせられたる舞文曲筆に惑はされて却て日本國民の凡てが皇室
の忠臣義士なりと解し、等しく忠臣義士なる所の諸侯將軍と、等しく忠臣義士なる所の國體論者との階級鬪爭を奇
怪とも考へず只以て茫々然として頁を送るなり。彼等は日本國民は其歴史たよりて外國文明を吸収する素養を有し
 尊王忠君が十年ならずして憲法要求の運動となれりと云ふ奇怪なる民族心理學
たりとして誇るにあらずや。而も維新當時の『萬機公論による』の宣言、
維新後十年ならずして起りたる憲法要求の運動を全く直譯的のものとなし、
斯くの如き急激なる變化が數年間にて來るものなるかの如く考へて奇怪なる民族心理學を疑はんとだもせざるなり。
憐むべき東洋の土人部落よ! 維新革命を以て王政復古と云ふことよりして巳に野蠻人なり。
 野蠻人にあらざるならば、一千三百年後の進化せる歴史を一千三百年前の太古に逆倒して復古することが人力の
能ふ所なりと考ふるか。歴史とは社會の進化せる跡と云ふ事なり。歴史は循環するものにあらず。亦固より復古す
 維新革命は王政復古にあらず歴史とは復古するものにあらず
るものにあらず。維新革命が大化王政の復古なりと云ふは、記録的歴史をも要求
せざるほどの傅説的時代の其れに社會の凡ての事、生活も、人情も、風俗も、思
想も文字も言語も逆行して退化せざれば想像し得べからざることなり。−−維新革命は大化の王政に復古したるも
のにあらず、大化の革命に於て理想たりし儒教の『公民國家』が一千三百年の長き進化の後に於て漸くに實現せら
 維新革命は大化の遠き理想たりし公民國家の實現なり
れたるものなり。公民國家は家長國の潮流を遮斷して建設さるゝものにあらず、家長
國の充分に發展したる進化の跡を受けて始めて實現さるべき新國體なり。即ち、家長
國體の如く家長が(君主國時代ならば一人の家長が、貴族國時代ならば多くの家長が)その所有財産として土地人
民を所有主の利uの爲めに處分するにあらず、家長が國家の外に立ちて國家を經濟物として自己の目的の爲めに手
段として取扱ふにあらず、國家が國家自身の目的と利uとの爲めに其の國家の分子に其れぞれの特權を與へて國家
の機關たらしむる全く別種の進化なり。繰り返へして云へば家長國時代に於ては社會の未だ進化せざるが爲めに社
會自身の目的と利uとを意識して國家の永久的存在なることを知らず、社會の一分子若しくは少數分子が其等個人
としての(社會の一部としてにあらず)利己心を以て行動するより外なく、他の下層分子は其等上層の利己心の下
に犠牲として取扱はれ以て社會を維持し來れる者なり。(『生物進化論と社會哲學』に於て個體の欠損によりて維持
 個人の現在的利己的目的より外なかりし家長國時代と社會の永遠なる理想を意識せる公民國家の現代
する生存方法を説きたる所を見よ。)近代の公民國家に至つては
然らず。社會は大に進化して社會其れ自身が生存進化の目的を
有することを解し、國家の利uと目的とが全分子に意識せられ、其の國家の意志を表白すと云ふ機關たる分子に於
ても社會の一部としての社會的利己心を以て(機關が其自身を個人として意識する場合の個人的利己心にあらず)
行動する者なり。即ち、社會の分子が犠牲たる場合に於ても家長國の如く他の個人の個人的利己心の滿足の爲めに
あらず、自己が社會の部分位ることを意識する社會的利己心を以て社會の他の部分若しくは後の部分の爲めに欠損
 社會哲學の見地と道徳學法律學の見地
さるべき個體の制分となることなり。社會哲學化上より見れば結果は共に同じき社會生存の
方法なり。而しながら結果より見ず意志より論ずる所の法律學よりしては同一なる社會生存
の爲めの犠牲の方法と雖も明かに分類しで進化を截然たらしめざるべからず。即ち、家長國時代の道徳法律は君主
の個人的利己心の爲めに犠牲たる『忠君』なりき、公民國家の道徳法律は社會の社會的利己心の爲めに犠牲たる
『愛國』なり。意志を考察する所の道徳法律は明らかにこの國體の進化的分類を爲さゞるべからず。
 大化革命の公民國家は天智の理想に止まりて實現されたるものは君主々權の家長國なりき
 大化革命とは漸く原始的生活を脱するか脱せざるかの太古に於て、
この儒教の高遠なる理想的國家論を實現せしめんと夢想したるものな
り。而しながらそれは單に大皇帝天智の夢想に止まりて、現實に現はれたるものは君主々權の家長國なりき。天智
は固より國土及び人民を天皇の利uの爲めに存する天皇の私有財産なりと考ふるものに非らざるは論なく、事實に
現はれたる土地國有制に見るも儒教の國家主權論を嚴格なる政治道徳に於て把持したりしは亦疑なし。實に。儒教
の社會主義を實現せんと夢みたりし大化革命が、其の政合的方面たる社會主權論を天皇の政治道徳として把持する
と共に、其の經濟的基礎たる井田の法と稱せられたる土地國有論を斷行したりしは誠に以て大皇帝たるを失はず。
國家の經濟的基礎−−當時に於ては唯一の基礎たる土地を蘇我氏顛覆までの家長制度の如く貴族階級の私有として
 國家主權論と共に土地國有論を斷行したるは其の經濟的閼係に於て國家中心ならしめんとするに在り
は、國家の各分子が直接に國家に對せずして國家は階級的の層
をなし、從て上層階級に經濟的に從屬する下層階級の分子は、
國家を目的とせずして其の從屬する所の分子その者の利uの下に行動し、爲めに上層階級の分子の間に於て利己心
の相衝突する場合に於ては後代の群雄割據の如く國家の分裂を來たし、例へ或る聯合若しくは壓迫の下に國家の分
裂を免かれたる時と雖も、國家は其れ自身の目的を失ひて上層階級の君主等の利己心の下に客體として取扱はるゝ
に過ぎざるを以てなり。大化革命はこの經濟的方面に於ては理想の實現に近かりき。而しながら儒教の國家學其者
が孔孟時代の支那民族に取りても餘りに高遠なる理想にして、其の井田の法なるものと雖も現今の社會主義の唱ふ
る如き意味の土地國有論にあらずして、當時の家長國の土地私有制の歴史的進行に逆行して只復古的に遊牧時代或
は農業時代の土着當時に於ける部落共産制の堯舜を囘顧したるものに過ぎず。從て土地私有制度は歴史的進行の當
然として其の行くべき所にまで行くの外なく、特に直譯的智識の政府は今日法律を發布するに英語を以て書くが如
く、當時の無文字なりし時代に取りては英語よりも不通なる漢文の律令を以てせる者なれば行ほれざりしは論なき
ことなり。斯くの如くなれば皇族の理想家は蘇我氏の顛覆と共に土地國有論を勵行して暫くの間貴族階級の萠芽を
 土地國有論の勵行と貴族國の萠芽
芟除することに努力したりと雖も、英語の法律の達せざりし地方に於ては土地私有制の勢は滔
々として進み、國司土豪は或は法律を破り或は法律を兔かれて中世史の貴族國たるべき萠芽を
培養しつゝありき。延暦二年に『民惟れ國の本、本固ければ國安し。民の資る所農業に在り。頃者諸國司等その政
癖多し。撫導の法に背くを愧ぢず、唯浸漁の未だ巧ならざるを恐る、或は廣く林野を占めて蒼生の便要を奪ひ、或
は多く田園を營みて[馬念]黎の屈菜を防ぐ。自今以來國司等[やまいだれ解]田の外に更に水田を營むことを得ず、又私かに貪ぼりて
開墾し百姓農業の地を侵すことを得ず』と令し、又弘仁三年には『諸國司の公[やまいだれ解]田の外に水陸の田を營むは珠に制
限せり。然るに諸國司朝憲に從はず、専ら私利を求め百端奸欺少しも懲革することなし。或は他人の名を借りて多
く墾田を買ひ或は言を天臣に托して爭ひて[痩]地を占む。民の業を失ふこと是れに依らざるはなし』と令したる如き
に見よ。斯くの如くにして國司なるものは漸時に大なる私有地を有するに至つて公民國家の據て立つべき經濟的源
泉が枯渇し、延喜天暦の賢良なる君主等が理想の夢より下界を顧みて下民の情を問ひし時には實に租税の皆無にし
て太藏省の前に草が生じ居たるほどなりしなり。斯くて皇室は理想的國家の夢想に失敗して經濟的要求の餘儀なき
 後の天皇皆天智の理想を打ち消して家長國となる
必要の爲めに、若しくは天智の死と共に高遠なる理想を解せざる多くの君主が佛教の惑
溺の爲に、金銀米穀を以て富有なる土豪に國司を賣り、又國司を再任するに至りて皇室
自ら公民國家の理想を打ち消したり。即ち國家の利uと目的との爲めに行動せし天皇は天智の死と共に去りて、天
皇の利己心の爲めに國土及び人民を財産として取扱ひ國家が天皇の爲めに手段として存する所の家長國となれり。
而してその始めには天皇ほ最上め強者とし其の地方の土地と人民との上に家長として天皇一人が國家の所有者なり
き。而しながら斯くの如にして土着せる國司、強大になれる土豪は社會の進化と共にその強大を加へて後年の源平
となり群雄となり諸侯となり、家長國の潮流は滔々として維新の革命に至るまでの貴族國時代となれり。彼の君主
 經濟的基礎を失へる中世史の天皇は單に理想國を理想しつゝありしに過ぎず
國時代の半よりして天下の大半を私有せる藤原氏あり、諸皇子餓ゑて天皇よ
り米穀を與へられたりと云ふに至りては如何に皇室が後の家長君主として抗
爭すべき經濟的基礎を失へるかを見るべく、一從て理想國の上に唯一最高機關として起たんことを夢みたりし天皇の
甚だ微弱にして常に抑壓せられ、理想が單に理想たるの外なかりしは社會の進化として當然なり。否! 經濟的基
礎に於てのみ大化の公民國家が一場の夢想的計晝なりしのみならず、其の政治的組織は至つては純然たる階級國家
 大化革命の政治的組織は尚純然たる階級國家なり
なりと云ふの外なし。天武天皇は萬姓を混同して八色の姓を賜ひ、大なる氏の氏長には
大刀を、小なる氏の氏長には小刀を賜ひたる如き明かに家長制度の継承にして、氏に尊
卑を定めたる如き依然として階級國家時代の系統主義なり。大寶令に放て官吏を任用するにも系統門閥によりて制
限を設けたるは如何に公民國家の計畫と背馳する思想なるかを見るべく、國家機關たる一切の官職が私有制度とし
て系統門閥によりて定まり、重要なる官職は凡て藤原氏の私有なるは固より、法律は大江氏中原氏の家系の私有と
し、漢學は菅原氏三善氏の私有としたるは、公民國家と云はんよりも疑ひなき家長國なりしなり。即ち、大化革命
め公民國家は明哲なる天智天皇のみの理想にして千三百年前の古代の社會に取りては未だ國家が國家自身の生存進
化の目的理想を有すと云ふ意識の覺醒せざるは論なく、恰もプラトーの理想國の如く古代に於て人類の政治的理想
 プラトーの理想國とプラトーの期待したる哲學者の君主
として、プラトーの期待したる哲學者の君主によりて試みられたるに過ぎざるなり。
大化革命〔の〕事實にせられたる部分は原始的宗教の神政々治の打破にして、凡て
の理想は一千三百年の長き進化の後に於て漸く維新革命によりて實現せられたるなり。
 實に公民國家の國體には、國家自身が生存進化の目的と理想とを有することを國家の分子が意識するまでに社會
の進化なかるべからず。即ち國家の分子が自己を國家の部分として考へ、決して自己其者の利uを終局目的として
他の分子を自己の手段として取扱ふべからずとするまでの道徳的法律的進化なかるべからず。−−法律的に云へば
 國家主權の國體は長き進化の後なり
君主々權の時代より長き進化の後に於て國家主權の現代たる國家主義に至れるなり。一は君主
及び貴族(即ち多くの君主等)の利己心の爲めに他の凡ての分子が犠牲として存すと云ふ點に
於て個人主義なり、他は凡ての國家機關が自己を社會の部分として社會の生存進化の目的の爲めに行動すと云ふ點
に於て社會主義なり。國家主義とは世界單位の大國家主義に至るべき地方單位の社會主義なり。(吾人は故に國家
其者の否定を公言しつゝある社會主義者と稱する個人主義者は社會其者の否定に至る自殺論法として取らず)。而
してこの君主々義より國家主義に到達する爲めには國家意識が社會の一分子若しくは少數分子に限らずして全分子
に擴張する事を要す。彼の『朕即ち國家なり』と云へるルイ十四世の言は之を社會全分子に國家意識の擴張せし今
 朕即ち國家なりとは法理上國家の一部分たる君主が國家の全部なることを意味す
日に於て見れば誠に野蠻に驚かると雖も、朕即ち朕なりと云はんよりも大
なる進化なるは論なし。即ち、朕なる彼が社會の部分なることを先づ意識
し、他の部分たる下層階級は未だ何等の意識なきを以て、法理上朕其者が社會の全部なるを以てなり。斯る時代に
於ては忠君と愛國とは一致す、即ちルイにとりては彼自身が國家の全部なるを以て彼自身の利己心は國家が國家自
身を愛する愛國心にして、國家の部分にあらざる下層階級が國家意識の覺醸せる所の君主の利己心に向つて忠なる
事は、等しく國家の全部に向つてする行動なるが故に愛國なり。即ち、忠君愛國一致論の成立するは君主以外の國
家の分子は國家の部分にあらずと云ふ時代ならざるべからず。(この家長國時代の君主と臣民との關係は亦先きの
法理論に説ける如く君主を國家の外に置きて國土及び人民を國家と名くることあり、從て君主の愛國心は國家を自
己の財産として愛し國民には忠君あつて愛國なし)。大皇帝天智は儒教の理想的國家論によりて朕即ち國家の全部
なりと云へるルイ十四世の如くならず、天皇が國家の一部分なることを意識し、國家自身に生存進化の目的あるこ
とを意識したり。而しながら凡ての者は天智にあらず、社會の進化は遠き古代よりして卓越せる個性を出現せしめ
 個人的利己心の意識が同時に國家の意志たる家長國
て到達を努力せよと教ふるかの如く後代の理想たること基督釋尊の古代に産れたるが
如くなりと雖も、彼以後の天皇は社會進化の當然として自己が國家の一部分なる事を
解せずして國家の全部なりと考へ、個人的利己心の意識が同時に國家の意志たる者多かりき。家長國の君主國時代こ
れなり。而して家長國の潮流は斯る個人を終局目的として行動する多くの家長が相続爭せる貴族國時代となり國家
意識は少數階級にまで擴張したり。固より其の各地に相攻伐せる戰國時代に於てはその所有の區域内に於て朕即ち
國家たりしと雖も、封建制度に入りて貴族階級の聯合するに至るや、彼等は彼等各を以て國家の全部とせず茲にその
 社會の進化と國家意識の覺醒
階級間の凡べてに平等觀を擴張せしめて他の貴族等と共に國家の一部なりと云ふ國家意識を有す
るに至れり。國家の進化は平等觀の發展に在り。社會内の衝突動揺混亂接近等によりて自他の同
類なりと云ふ意識を漸時に擴張せしめ、奴隷賤民が家の子郎等となり、家の子郎等が武士となり、伊勢瓶子と卑し
められたるものゝ子孫が太政大臣となり、今世の思ひ出に昇殿したるものゝ子が征夷大將軍となり、陪臣の北條氏、
平民の豊臣氏が天下の主となり、草莽の野武士が一劔天下を横行して諸侯となり大名となり−−茲に平等觀が貴族
階級にまで擴張せられて貴族等が國家の部分なることを意識するに至りたる如く、同一なる平等觀は社會の進化と
共に武士平民の一般階級にまで擴張して國民全部が國家なりと云ふ國家主義國民主義の進化に至れるなり。即ち、
プラトーの『社會とは個人の全部にして個人とは社會の部分なり』と云へる如く、國家の全分子を以て國家なりと
云ふ所の社會民主々義の世に至れるなり。維新革命とは國家の全部に國家意識の發展擴張せる民主々義が舊社會の
 攘夷論の社會單位の生存競爭による社會的存在の覺醒
貴族主義に對する打破なり。而してべルリの來航は攘夷の聲に於て日本民族が一社會
一國家なりと云ふ國家意識を下層の全分子にまで覚醒を擴げたり。恐怖と野蠻の眼に
沖合のK煙を眺めつゝありし彼等は、日本帝國の存在と云ふ社會主義を其の皷膜より電氣の如く頭腦に刺激せられ
たり。國家は生存の目的を有す、國家は進化の理想を有す、而して吾人は凡て上下なく國家の分子なり、國家の分
子として國家の生存進化の目的理想のために努力すべき國家の部分たる吾人なり。實に維新革命は國家の目的理想
 維新革命は國家の目的理想を法律道徳の上に明らかに意識したる點に於て社會主義なり
を法律道徳の上に明かに意識したる點に於て社會主義なり、而してそ
の意識が國家の全分子に明かに道徳法律の理想として擴張したる點に
於て民主々義なり。斯くの如くにして下級武士は劍に杖て天下を浪々せり。土百姓は平民の意義を棄てゝ君主の如
き權威を其の竹鎗席旗に掲げたり。彼等の多くは亂臣賊子なる名に於て殺されたり、彼等の凡ては百姓一揆なる名
 下層階級の經濟的進化による民主的獨立
に於て沈壓せられたり。誅求苛歛なるが故の反撃と云ふべからず、誅求苛歛の點より言へば
身體その者を經濟物として取扱ひつゝありし古代の奴隷制度より甚しきはなかるべしと雖も、
良心の社會的作成の理由によりて自己を奴隷所有者よりも下等なる生物と考へ、たとへ生ながら殉死として土中に
埋めらるゝも慟哭して一の反抗なかりしに非らずや。徳川氏時代に至りての百姓町人は最早奴隷賤民にあらず、土
百姓にあらず、亦平民にあらず、維新後忽ちに擧がれる憲法要求の叫聲を呑みつゝありし民主的國民なりしなり。
通商の發達は素町人と卑められたる市民を先づ經濟的獨立に導き、三百年の平和は諸侯の下に永小作權を有するに
 革命の要求と理論
過ぎざるに係はらず尚庄屋名主の大百姓をして經濟的基礎を作らしめたり。革命の炬火は先づ下
級武士の手に焔を擧げたり。−−王侯相將豈に種あらんや、貴族等が天皇に對して亂臣賊子たり
し如く我れは貴族等の要求する忠順の義務を負ふべき理あらんや! 炬火は燃えつゝあり、理論なかるべからず。
彼等は遺憾にもその革命論を古典と儒學とに尋ねたるなり。
 『國體論』とは民主々義を古典と儒教とに蔽ひたる革命論なり
 實に、『國體論』とは民主々義を古典と儒教との被布に蔽ひたる革命論なり。古
典と儒教とは被布なりき、被布は如何に蠹ばみ破るゝとも民主々義の丈夫は胸毛露
はに大道闊歩し始めたり。天皇に對する忠其事は志士艱難の目的にあらず、貴族階級に對する忠を否認すること其
事が目的なりき。貴族階級は巳に忠を否認して獨立したり、一般階級は更に其れに對する忠を否認して自由ならざ
るべからず。歴史は進化にして循環にあらず、アリストーツルの政體三分類は三時代の進化の順序にして彼の時代
 権利思想の三百年間に於ける急轉
に考へられし如く民主政より君主政に循環する者にあらず、況んや貴族政治より王政の太古に
復古することをや。而して三百年の平和と文化は権利思想を全く一變したり。切り取り強盗を
習ひなりとせる武士は、町人よりの借財に向つて強力に訴へて所有権を定むが如き野蠻をなす能はずなれり。この
強力が權利に非らずとさるゝに至れる權利思想の進化は、實に強力によりて得たる中世的家長君主の基礎を波濤流
水の如く崩壞しつゝ始めたり。三百年の平和に莫大なる經濟的進化を齎らし從て凡ての所有権は肉體的精神的勤勞
によりて決定せらるゝに至れり。然るに貴族武士なるもの何の勞働だもなさず只晏然として威權を弄しつゝあるは
何ぞ。而して三百年の文化は更に國民をして粗朴なる歴史的自覺を有せしめたり。彼等は高天ケ原の迷宮に入りて
日本國が如何にして建てられ皇室が如何にして今日あるかを考ふるまでには至らざりき、而しながら明かに聽かる
 革命論の要求急なりしが爲めに古代史を考察するの暇なし
ゝ古文書の囁きは彼等の主君として奉戴しつゝある將軍諸侯が切り取り強盗なりし
と云ふ事なり。あゝ切り取り強盗! 彼等は貴族階級の強力による権利を否認する
ことは更に古代史の強力を否認するに至らしむることに氣附かざりき。彼等は左手に燃えつゝある炬火を握りて右
手に理論を述べざるべからざる急に迫りぬ。炬火は焔を雲に上げて消ゆ。無名の由井正雪は前後に起り前後に仆れ
たり。革命論の理論は火よりも急に要求せらる。−−この間に於て假令原始的宗教の信仰は全く去れりとも原始時
代にまで無用の學究的研究を積むの暇あらんや。夷狄のK船は海を蔽ふて焔を吐きつゝありと雖も、天皇は龜山上
皇の如く國家の安寧を原始的宗教に鎚らざるに至りぬ、赤髮碧眼の彼等が同類のものなりと考ふるまでには至らざ   幕末に於げる神道的信仰の皆無
りしと雖も神風の起りて冠を拂ふと云ふほどに神道のアダム。イヴに對する信仰は強固ならざる
に至りぬ。只急なり。革命家の歴史的敍述は殆ど古代を高閣に束ねて中世以降に論議の筆を凝ら
したり。頼山陽の日本外史は今の國體論者をして諸侯將軍をまで尊王忠君なりと誤らしむるほどに学べき舞文曲
 國體論者の革命文學
筆を以て言論迫害の中に世に出でたり。水戸の大日本史はマークスの資本論が資本家掠奪の跡を
敍述せる如く、強者の權に於てせる貴族の掠奪を最も精細に敍述したり。中世史の三百年は古代
史の三千年に匹敵すべき社會進化の速力なり。三百年前の父祖が關ケ原矢石の間に於て得たる権利は三百年後の當
時に於て一個の犯罪として歴史家の評論に昇れり。革命の風潮は只否認に急なり。彼等は甞て貴族階級に對する忠
 革命論は凡て王覇の辯と古典の假定より演繹されたり
を以て皇室を打撃迫害せる如く、皇室に對する忠の名に於て貴族階級をも顛覆せんと
企てたり。貴族階級に對する古代中世の忠は誠のものなりき、今の忠は血を以て血を
洗はんとせる民主々義の假装なり。彼等は理論に暇あらずして只儒學の王覇の辯と古典の高天ケ原との假定より一
 維新革命は社會間の接髑によりて覺醒せる國家意識と一千三百年の社會進化による平等觀の普及とが未だ社會民主々義の理論を得ずして先づ爆發したるものなり
切の革命論を糸の如く演繹したり。日
く−−幕府諸侯が土地人民の上に統治
者たるは覇者の強のみと、而して是れに對抗して皇室は徳を以て立てる王者なりと假定したり。國民は切り取り強
盗に過ぎざる幕府諸侯に對して忠順の義務なしと、而して是れに對抗して皇室は高夫ケ原より命を受けたる全日本
の統治者なりと假定したり。
 維新革命は國家間の接觸によりて覺醒せる國家意識と一千三百年の社會進化による平等觀の普及とが、未だ國家
國民主義(即ち社會民主々義)の議論を得ずして先づ爆發したる者なり。決して一千三百年前の太古に逆倒せる奇
蹟にあらず。
 政權藩領の奉還にあらず又尊王忠君に非らず
實に明らかに維新革命の本義を解せよ。
維新革命の根本義が民主々義なる事を解せざるが爲めに日本民族は殆ど自己の歴史を意
識せず恣なる臆説獨斷を羅列して王政復古と云ひ政權藩領の奉還と云ひ、以て吾人自身が今日の存在の意義を意識
せざるなり。政權と土地とを尊王忠君の爲めに奉還するほどの貴族階級ならば、何が故に砲火によりて餘儀なく奉
遷されざるべからざるほどに掠奪し、掠奪を奉還せしめんとする國體論者を絞斬せしか。櫻田門外の雪を染めたる
血は共に皇室に對して尊王忠君たらんが爲めの同志討なりしか。戊辰戰爭が全日本國を擧げて皇室に尊王忠君たら
んが爲めの其れにして七卿の都落ちは徳川氏の尊王忠君の結果たり、錦旗に向て飛び來る矢丸は尊王忠君の目的の
爲めの反逆なりしか。明らかに維新革命の本義を解せよ。斯の歴史の進化とは平等觀の發展に在る事を注意せざる
が爲めに、局部の美に於て遺憾なき『二千五百年史』と雖も、義時尊氏の貴族主義者を却て民主々義者となし、從
 『二千五百年史』は義時尊氏等の貴族主義者を民主々義者と誤り國體論を民主々義と謬れり
て國體論の民主々義を軽侮の眼に看過するに至れるなり。義時尊氏
は君主に對しては明かに平等主義なりしと雖も下層の武士百姓に向
つては嚴然たる君主として立てる貴族主義なり。維新革命の國禮論は天皇と握手して貴族階級を顛覆したる形に於
て君主々義に似たりと雖も、天皇も國民も共に國家の分子として行動したる絶對的平等主義の點に於て堂々たる民
主々義なりとす。長州薩摩の貴族等が関ケ原の屈を濺がんことを動機とし或る野心家の武士が倒幕の後に貴族たら
 高山彦九郎と獨乙皇帝の狙撃者は國體論と社會民主々義とが皇帝其者を目的とせざることを解せざる政治狂なり
んとの契約を爲せしとするも、一たび廻轉せる關ケ原の舞
臺は再び歴史の看客の前に反覆さるゝものに非らず、野心
家の個人的飛躍は革命の動亂に伴ふ必然の現象なり。維新革命の國體論に神道的彩色あり勤王論の副産物あるも、
當年志士の本色は貴族階級を顛覆せんとの民主々義にあり。彼の高山彦九郎輩の陣笠連は恰も社會民主黨の興起と
共に故獨乙皇帝を狙撃せると等しき無用有害の政治狂のみ。社會民主黨に取りて皇帝の顛覆が目的に非らざる如く
國體論の目的とする所は貴族政治の打破に存せしなり。古の家長國時代の一千數百年前は哲學者の君主を外にして
國家其者の目的理想を意識する能はざる未開時代なりき。維新革命は家長國の太古へ復古したるものにあらず、家
長國の長き進化を繼承して公民國家の國體に新たなる展開をなせるものなり。東洋の土人部落ならば王政復古と云
へ、歴史は進化と云ふことなり。
 政治史とは政權に對する意識の擴張と云ふことなり
 實に歴史と云ふことは進化と云ふことなり。社會の進化とは社會意識の擴張と云ふ
ことにして、從て政治歴史は政権に對する意識の擴張と云ふことなり。ラテン民族が
西洋の古代に於て希臘羅馬の共和民主制に進化するまでに君主國貴族國の時代を經過せる如く、ゲルマン民族が英
獨の民主的政體の今日に到達するまでに亦君主國貴族國の進化を經由せる如く、日本民族も古代の君主國より中世
史の貴族國に進化し以て維新以後の民主的國家に進化したり。−−而して現天皇は維新革命の民主々義の大首領と
 現天皇は特權ある一國民として維新革命の民主的大首領なりき
して英雄の如く活動したりき。『國體論』は貴族階級打破の爲めに天皇と握手した
りと雖も、その天皇とは國家の所有者たる家長と云ふ意味の古代の内容にあらず
して、國家の特権ある一分子、美濃部博士の所謂廣義の國民なり。即ち天皇其者が國民と等しく民主々義の一國民
 維新革命の『天皇』の内容
として天智の理想を實現して始めて理想國の國家機關となれるなり。−−維新革命以後は『天
皇』の内容を斯る意味に進化せしめたり。
 而しながら維新革命の民主々義が無計劃の爆發なりし事は明かに事實なり。彼等は王侯相將豈に種あらんやとの
 維新革命は建設的方面に於ける無計劃の爆發なり
平等主義に覚醒したり。貴族等が天皇に對して亂臣賊子たりし如く吾人は貴族等に忠順
の奴隷的義務なしとの自由主義は意識せられたり。而しながらこの自由平等主義を以て
貴族國を顛覆したる後は如何にすべきやと云ふ建設的方面に至つては殆ど全くの無計劃なりき。これが爲めに薩長
の貴族等は徳川氏の占有せる地位に執つて代らんと夢みたり、野心家は一躍以て侯伯たらんことを期したり。萬機
公論によると宣言しつゝ尚諸侯の聯邦國の上に撰良を以て議せんと云ふが如きを夢想したり。雖然、動亂の根底は
 歐州の革命は長き計劃後なりき
平等觀の發展にあり、自由の要求にあり、民主々義にあり。−−革命は建設の計劃なくして巳に
破壞し了りたり。是れ歐州の革命と大に異なる所なりき。彼に於ては長き討究の後に於て新社會
の理想を明かに畫き、又ラテン民族の古代に實現せる民主政は其の理想を復古の形に於て歴史の上に指示したり。
歐州の其れは明らかに計劃的なりき。故に吾人は考ふ−−維新革命は貴族主義に對する破壊的一面のみの奏功にし
て、民主々義の建設的本色は實に『萬機公論による』の宣言、西南佐賀の反亂、而して憲法要求の大運動によりて
得たる明治二十三年の『大日本帝國憲法』にありと。即ち維新革命は戊辰戰役に於て貴族主義に對する破壞を爲し
たるのみにして、民主々義の建設は帝國憲法によりて一段落を劃せられたる二十三年間の繼續運動なりとす。明ら
 維新革命と戊辰戰役に於て貴族主義に對する破壞をなし民主々義の建設的本色は二十三年間の繼續運動にて段落したり
かに維新革命の本義を解せよ。『藩閥』と『政黨』との
名に於て貴族主義と民主々義は建設の上により多くの
努力を占めんことを爭ひぬ。藩閥の元勳なる者、一刀を落し差しに天下を放浪せし花の若武者なりし間は大膽華麗
なる民主々義者なりき。萬機公論に決せよ、大名諸侯何する者ぞ、吾等は彼等の臣にあらず忠順の義務なしと。而
しながら凡ての進歩的勢力が其の権力を得ると同時に保存的勢力たる社會進化の原理によりて、彼等は貴族階級の
 『華族』の意義
顛覆と共に身親ら王侯將相に取て代りぬ。固より今日の『華族』なる者は單に切開後の創痕にし
て恰も社會主義の經濟的實現によりて企業家地主等が暫く公債によりて特別なる經濟的幸福に在
るべく想像せらるゝ如く、全く君主たる當年の意義を失へる一國民にして公債の所有者に過ぎざるは論なし。(故
に今の社會主義者が斯る無權力なるものを家長國時代の意義に於ける今日の經濟的貴族と同一視して攻撃の中に一
括しつゝあるは理由なし)。而しながら彼等の花顔が銀色の髯を以て蔽はれ、輕俊敢爲の冒険的眼光が沈思傲岸の
色を湛ふるに至りて彼等は全く當年の彼等と別人格の者となれり。吾人は彼等が功成り名遂げて安逸を貪ぼるに至
れりと云ふ世評を信ぜず。野心は滿々たり。彼等は自ら往年の敵たりし貴族階級に投じて降服したりと云はんより
 維新革命の民主々義者は成功と共に貴族主義者となれり
も實に陣頭に立ちて戰へり。萬機公論に由るの宣言は成り上り者の冷笑が無くなる
に從ひて全く忘却したり。−−斯くの如くにして維新革命の繼承者は所謂在野黨と
なれり。彼等藩閥者は維新革命の破壞的方面に於て元勳なりき、而しながら維新革命の建設的本色に至つては民主
々義者を壓迫する所の元兇となれり。維新元勳其れ自身が二派に分れて果斷聰明の貴族主義者は勝を取れり。大久
 貴族主義者の大勝利
保利通の絶對専制に對して西南佐賀の民主黨は割腹に獄門に終りたり。山縣有朋の保安條令は熱
狂せるダントン、ロべスピールを一網打盡して京城三里外に放逐したり。伊藤博文の帝國憲法は
獨乙的専制の飜譯に更に一段の専制を加へて、敗亂せる民主黨の殘兵の上に雲に轟くの凱歌を擧げたり。−−あゝ
 維新革命の本義を明らかに解し藩閥がその破壞的方面に於て元勳たることを正當に認識すると共に建設的本色に於て元兇なることを嚴粛に解せよ
民主黨なる者顧みて感や如何に! 解散の
威嚇と黄白の誘惑の下に徒らに政友會と云
ひ進歩黨と云ふのみ。繰り返へして曰ふ、維新革命の本義を明らかに解せよ。藩閥者が維新革命の破壞的方面に於
て元勳たることを正當に認識すると共に、維新革命の建設的本色に於て明らかに元兇なることを亦厳粛に解せよ。
而して實に吾人の日本史を嚴肅なる歴史哲學に於て解せよ。
 社會民主々義は維新革命の歴史的連續を承けて理想の完き實現に努力しつゝある者なり。
 
 『亂臣賊子』と云ふが如き逆進的批判は善惡の進化的のものなることを知らざるによる
 吾人は前きより用ひ來れる『亂臣賊子』と云ふ文字を取消さゞるべ
からず。是れ東洋の土人部落にあらざれば無き所なり。只、斯る文字
を使用せるは『國體論』の天動説を破るの餘儀なき必要の爲めにして、一時代の規矩を以て古今數千年間の政治的
行爲と倫理的意志とを批判することの野蠻なるは論なし。斯く政治史と倫理史の進化を解せず、一時代の標準を以
て古今を律して亂臣と名け賊子と呼ぶが故に、雄略武烈が國家の所有者として其の所有の經濟物を處分する權利に
於てする人民の殺戮を今日の天皇を以て想像し之を無道無仁となす政治史と倫理史とが存するなり。『鶯の宿はと
問はば如何答へん』と云ふとも、天皇は凡ての人民の財産を取り上ぐるの自由ありしは論なく、人民其者が天皇の
財産なりしを以て臣下の妻妾を奪ふことも今日の如き政治的非違にもあらず道徳的犯罪にもあらざりしなり。凡て
の善惡は進化的善惡なり。(『社會主義の啓蒙運動』にて階級鬪爭を説ける所を見よ)。故に維新革命黨が其の仕ふ
る所の君主等より亂臣賊子の名を以て處刑せられたる者の今日に至て濺がれたる如く、維新革命黨が名けて以て亂
 成功せる今日維新革命の民主々義者が亂臣賊子の名を拭はれたる如く成功せる貴族は當時に於て亂臣賊子と呼ばれず
臣賊子なりと云ひし貴族等(今の華族にあらず、其祖先)
の名も亦維新革命の成就せる今日に至つては全く取消さざ
るべからざるなり。即ち、科學的倫理學の上より言へば成功せる民主々義者が今日貴族階級より蒙れる亂臣賊子の
名を拭はれたる如く、貴族階級が天皇に打ち勝ちて成功しつゝありし時代に於ては當時の社會より決して亂臣賊子
の名を負はされざりしなり。理論に於て然るのみならず事實は明らかに之を證す。凡ての善惡は進化的善惡なり。
 善惡の決定と社會的勢力
社會の進化は階級鬪爭をなして漸時に上層に進む。故に凡ての善惡の決定は社會的勢力なり。人
倫第一の無道なりと云はるゝ亂臣賊子を以て如何ぞ社會的勢力の上に將軍たり諸侯たるを得んや。
或は亦教育勅語を自家の護衛に汚辱して曰ふべし、−−『是れを古今に通じて謬らず之を中外に施して戻らず』と
明示せらるにあらずやと。而しながら前きにも論じたる如く、教育勅語が倫理學説の公定權を有する者にあらざる
 教育勅語を自家の護衛に使役する井上博士の倫理學
は歴史哲學の其れを有せざると同一なり。天皇は帝國議會と共に立法機關を組織して
法律を命令し、又獨立の或る權限を以て命令を發し得べきものなりと雖も學説を公定
する國家機關にあらず。故に天皇が凡ての國民を『克く忠に克く孝に』と稱揚するに係らず所謂國體論者の義時尊
氏を亂臣賊子なりと罵る事の不敬漢にあらざる如く、吾人は科學的倫理學の上より祖先の行爲を其の時代の道徳的
標準に從ひて進化的に批判するに於て凡ての妨害を超越すべし。由來、今の學者なる者−−特に教育勅語を唯一の
盾として學術の世界を横行する文學博士井上哲次郎氏の如き−−自家の劣等なる頭腦を天皇の責任に導きて平然た
りとは、吾人の固より執て名けんとする所にあらずとは雖も『不敬漢』の稱は斯るものに正當とす。科學的研究者
としての冷靜を以て云へば(何となれば吾人は歴史學を語りつゝあるものにして理由なき便侫阿諛をなす幇間的學
者にあらず、又謂れなき惡感を包藏する盲動的慷慨業者にあらざるを以て)、現天皇が萬世一系中天智とのみ比肩
 現天皇の個人的卓越に向つて科學的倫理學者としての全能までを要求するは暴なり
すべき卓越せる大皇帝なることは論なし。常に純然たる詩人たりしもの
が徳川氏の壓迫を排除せんが爲めに、卓勵明敏の資質を憂憤の間に遺傅
したり。爾を玉にすと云へる艱難に充てる歴史を以て垂髫の時より革命動亂の渦中に在て磨かれたり。孟子が居は
氣を移し養は體を移すとして齊王の子を望み見て歎じたる如く、維新革命の諸英雄を使役して東洋的模型の堂々た
る風草は誠に東洋的英主を眼前に現はしたり。(吾人は想ふ、今日の尊王忠君の聾は現天皇の個人的卓越に對する
英雄崇拜を意味すと)。而しながらこの規由を以て天皇を學究の範圍内に引き來りて科學的倫理學者としての全能
を要求することは暴の極なり。二十三年頃の幼穉なる思想界を以てすれば如何なる卓越せる者と雖も、良心の社會
的作成の如き善惡の進化的批判の如きを知るの理なし。而もこの理由を以て天皇の明哲を傷くることは後の明治歴
史を書くものの斷じて爲すまじき所なり。天皇は學究たる以上の大なる任務を國家に對して有す。假令教育勅語が
舊説の倫理學を取り入れたりとも、大に進歩したる思想界に在る學者其人が舊智識を脱する能はずと云ふは學者其
人の怠慢にして教育勅語の係りなき所なり。詳しく言へば、井上哲次郎氏の如きが今日尚獨斷的舊説の倫理學を奉
じつゝあるは哲次郎氏其人の文學博士たる所以の賢明の爲めにして、井上博士の愚に對して教育勅語は責任を負ふ
 教育勅語は學界に惡果を來したるものにあらず學者の愚呆を教育勅語の責任に導くべからず
ものにあらざるなり。尚詳しく言へば日本國民が今日尚靜的倫理學
より上に出づる能はざるは教育勅語の關係なき所なりと云ふことな
り。天皇の國家に對する意義を明確に解せよ。學者の論爭に於て教育勅語を自家の便宜に使役するが如き漫暴なか
るべく、又教育勅語と背馳する見解を執れるが爲めに教育勅語は學界に惡果を來したりと耳語するが如きこともな
かるべきなり。皆これ國民の罪なりとす。國民の意義天皇の意義を解せざる國民其者の罪なりとす。  前きに説
ける如く天皇は遠き以前に於て『國體論』を打壞しつくしたるにあらずや。土偶は山僧等の神輿に安置されて國體
論の守護神たり得べし。日本天皇は嚴として日本天皇なり、日本天皇は井上哲次郎氏等の倫理學を確かめんが爲め
に教育勅語を學者の問題に與へたるにあらざるなり。
 而しながら誤解すべからず、吾人が中世史の貴族階級を當時の道徳的標準に從ひて亂臣賊子に非らずと云ふこと
は、彼等が國利民福の爲めに皇室を排斥せし道徳家なりと云ふ他の獨斷者の其れとは無關係なり。北條義時は單に
 義時尊氏等が國利民福のめに民政を害する皇室を排斥せる者なりと云ふ他の獨斷論
當時の貴族階級の利uを代表せる者にして民政主義者と名くべき理論を
事實となし、如何に形容辭の豐富に溺惑するも足利尊氏は無數の家長君
主の上の家長君主たる大度の一人物にしてオリヴァ・クロムヱルなどに比すべき者にあらざるは論なし。國家の目
的理想を意識せざる家長國の古代中世に於て、多くの家長君主としての天皇が其れ自身の個人的利己心を以て行動
するの外なかりし如く、義時と云ひ尊氏と云ひ國家の利u國民の幸福と云ふが如きを目的として皇室と戰ひしもの
と云ふは論外なり。況してや亂臣賊子の汚名を忍受して人民の爲めに盡くせりと論ずるが如きは、其の獨斷論なる
事に於て勤王家の其れを寧ろ凌駕するものなり。吾人が彼等を以て當時の道徳的標準に從ひて亂臣賊子に非らざり
 中世貴族の亂臣賊子に非らずと謂ふことは其人民及び他の貴族等より自由獨立を承認せられたり
しと云ふは、彼等の臣屬及び其の所有せる人民と他の貴族等より
彼等の自由獨立を承認せられたりと云ふことなり。固より天皇黨
は彼等が其の所有の範圍以外に強力を發動せしめて天皇の嚴高權の要求と衝突することを承認せず亂臣賊子を以て
目したることは事實なり。而しながら下層階級が上層と同一の平面に進化し昇らん事の鬪爭に於て上層階級の之を
拒絶するに亂臣賊子を以てするは、敢て君主國より貴族國に進化するときのみに限らず、貴族國より民主國に進化
せんとする維新革命の時にも革命黨の諸侯より蒙らされたる名なりしなり。而しながら維新革命黨が貴族に對する
忠順の義務を拒絶するに、等しく忠順の義務を拒絶しつゝある所の貴族其者に對して論理的反撃を加ふる便ありし
に反して、貴族等が政治的道徳的獨立を得たるときに於ては強力以外に主張の何者をも有せざりしなり。彼等は其
強力の土地掠奪による經濟的獨立よりして凡ての政治的義務道徳的義務より開放せられたり。況んや時は未開極ま
る中世なり。高師直の如くその自由を放膽に發揮するの外なかりしなり。彼等は皇室黨より亂臣賊子と呼び來られ
たることは中世史を通じての事實なりと雖も、社會大多數よりは其れぞれの地方に於ける君主として絶對的自由を
承認せられ、自由の發動する所として他の君主の其れと衝突すとするも決して亂臣賊子とは受取られざりしなり。
 貴族のみならず凡ての武士百姓の階級も亂臣賊子にあらず
而して皇室も君主たりし點に於て衝突したりき。−−吾人は故に斷言す、絶對無限
權の君主の凡ての行爲は善惡の評價以上に在りとさるゝ如く、彼等は其れそれの範
圍内に於て君主たりしを以て凡て無道徳(不道徳に非らず)の自由を絶對的に享有したるなりと。天皇の義時尊氏
等に對して失敗せしは其の強力の足らざりしが爲めにして民政を害せしや否やとの問題とは別なり。義時尊氏の天
皇に打ち勝ちしは其強力の勝れたるが爲めにして民主々義の高貴なるものとは無關係なり。民主音義とは『國體
論』の舊套に蔽はれて世に出でたる維新革命前彼のことなり。
 吾人は更に前きより用ひ來れる『亂臣賊子』の文字を取消さざるべからず。それは日本國民の凡ては亂臣賊子の
從犯若しくは共犯として皇室を打撃迫害したる亂臣賊子のみなりと云ふ吾人の斷定これなり。是れ先きに説ける所
にて明らかなるべく、武士の階級は各その仕ふる所の『眼前の君父』の行く所に從ひて衛星の如く繞ぐれる忠孝の
 經濟史の進化と武士平民の開放
道徳家なりしを以てなり。即ち、正成に從ひて湊川に死せし三百人の如くならず、中世史の全部を
通じて高時に從ひて鎌倉に死せし七百人の如くなりしが爲めに、武士道は皇室に對しては大膽果
敢なる亂臣賊子として受取らるべしと雖も、其の高貴なる自律的道徳は各々の仕ふる『眼前の君父』に對する誠忠
なりしなり。吾人は實に凡てを亂臣賊子なりと云ふ事を取り消す。維新革命黨も、其の建設的方面の繼承者たりし
民權黨も吾人社會民主々義者も、一たびは其の上層より亂臣賊子と云はれ又云はれつゝあり。而しながら經濟的獨
立は凡ての獨立なり。古代の主君が其の經濟的獨立によりて政治的道徳的自由を實現したる如く、中世の貴族が其
の經濟的獨立によりて政治的道徳的自由を實現したる如く、經濟史の進化は同時に政治史倫理史の進化となりて武
 社會民主々義は現今の國體と政體とを顛覆して實現さるゝものにあらず維新革命其事が社會民主々義なり
土平民の下層階級を更に貴族より開放せしめ、經濟的獨立に
よる政治的道徳的自由の實現を國家の全分子に擴張せしめて
茲に維新革命となり民權黨の運動となり更に社會民主々義の大要求となれり。否、社會民主々義と云ふは彼の個人
業義時代の革命の如く國家を個人の利uの爲めに離合せしめんとするものにあらずして、個人の獨立は『國家の最
高の所有權』と云ふ經濟的從屬關係の下に條件附なり。而して社會國家と云ふ自覚は維新前後の社會單位の生存競
爭に非ずして社會主義の理想を道徳法律の上に表白したり。國民(廣義の)凡てが政權者たるべきことを理想とし、
國民の如何なる者と雖も國家の部分にして、國家の目的の爲め以外に犠牲たるべからずとの信念は普及したり。即
ち民主々義なり。−−故に吾人は決して或る社會民主々義者の如く現今の國體と政體とを顛覆して社會民主々義の
實通さるゝものと解せず、維新革命其の事より嚴然たる社會民主々義たりしを見て無限の歡喜を有するものなり。
(實例を擧ぐれば彼の勝海舟が自己を天皇若しくは將軍と云ふが如き忠順の義務の外に置きて國家單位の行動を曲
げざりし如きこれなりとす)
 今日の社會民主々義
 只、今日の社會民主々義はこの、小社會の聯合によりて小社會の理想的獨立と共に大社會の進化
を圖り、民主々義の法律的理想を經濟的内容の革命によりて現實のものたらしめんとするに在り。
 實に、法律的理想及び道徳的信念に於ては日本現時の道徳法律は堂々として社會民主々義なり。吾人をして更に
以上の見解より憲法學の解釋に返へらしめよ。
 憲法第一條の『萬世一系』とあるは將來のことにして歴史に係はりなし
即ち、憲法第一條の『大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す』とある『萬世
一系』の文字は皇室典範の皇位繼承法に譲りて棄却して考へて可なりと云ふ事
なり。何となれば、假令萬世一系とは直系ならずして無數の傍系より傍系の間を上下縦横せる歴史上の事實なりと
も、又萬世一系の天皇悉ぐ全日本國の上に統治者として繼續せざりし歴史上の事實なりとも、現天皇以後の天皇が
國家の最も重大なる機關に就くべき權利は現憲法によりて大日本帝國の明らかに維持する所なるを以てなり。且つ
『一系』とは直系に非らず止むを得ざる場合に於ては其れぞれの順序によりて遠き傍系に繼承權を擴張するを得る
皇室典範の規定あるを以てなり。而して又『天皇』と云ふとも時代の進化によりて其の内容を進化せしめ、萬世の
長き間に於て未だ甞て現天皇の如き意義の天皇なく、從て憲法の所謂『萬世一系の天皇』とは現天皇を以て始めと
し、現天皇より以後の直系或は傍系を以て皇位を萬世に傅ふべしと云ふ將來の規定に屬す。憲法の文字は歴史學の
眞理を決定するの權なし。從て『萬世一系』の文字を歴史以來の天皇が傍系を交へざる直系にして、萬世の天皇皆
現天皇の如き國家の權威を表白せる者なりとの意義に解せば、重大なる誤謬なり。故に『萬世一系』の文字に對し
ては多くの憲法學者が『神聖』の文字に對して棄却を主張しつゝあるが如く棄却すべきか、或は吾人の如く憲法の
精神によりて法文の文字に歴史的意義を附せず萬世に皇位を傅ふべしとの將來の規定と解するかの二なり。而して
後者とせば一系とは皇室典範によりて擴張されたる意義を有す。
 吾人は又先きの憲法論に於て、日本の現代は國家主權の國體にして天皇と國民とは階級國家時代の如く契約的對
立にあらず、(歐州中世時代の階級國家の憲法は君主と國民とは契約憲法を以て直接に權利義務の對立をなしたり
と雖も日本の階級國家時代の諸君主は革命によりて華族の痕跡となれり)、從て日本現時の憲法は天皇と國民との
 契約憲法に非らざると共に又君主々權論者の解する如き欽定惠法にあらず
權利義務を規定せず、廣義の國民が國家に對する關係の表白なりと云へり。
固より契約憲法を經過せる歐州諸國と雖も、其の君主と云ひ貴族と云ひ法理
學上階級的層をなすものに非らずして國家の主權を行使する國家機關たるを以て契約當時と全く進化を異にせるは
論なし。而しながら日本に於ては憲法の制定が天皇の専斷にありしが爲めに現憲法を以て契約憲法なりと云ふもの
なき代りに(固より事實に於ては個人主義の法理學を以て契約的對立の如く解釋しつゝある學者の多きは前きに説
ける如くなりと雖も)、欽定憲法の名に於て君主々權論者は由々しき誤謬を傅播しつゝあり。
 この誤謬は以上の歴史解釋によりて巳に氷解したるべし。維新革命以後の日本は日本民族が社會的存在なること
を發見したる國家主義たる點に於て國家主權の國體なり。全國民が國家の部分にして凡ての部分が其の代表者を出
し特權ある一部分(即ち天皇)と共に最高機關を組織すと云ふ國民主義たる點に於て民主々義なり。  而して維
新革命より二十三年に至るまでに於ては國家は國家主權の國體にして、政體は最高機關を一人の特權者にて組織し
 維新より二十三年に至るまでに於ては國家主權の國體にして政體は最高機關を一人の特權者にて組織する政體なりき
たる君主政體なりき。(先きの法理論に於て政體三大分類
を主張したる所を見よ)。文字の形態發音に於て君主政體
と云ふを以て之を家長として全國家を所有すと云ふ意味の家長全體の其れと同一視すべからず。即ち、維新後の
『君主』と云ひ『天皇』と云ふは國家の全部の利uの爲めに國家の一部が、家長國時代の如く個人的利己心により
てにあらず高貴なる社會的利己心を以て、個人としてにあらず社會の一部として社會の意志を發表しつゝありし一
 家長國時代の君主専制と公民國家の君主専制
國民なりしなり。斯くの如き君主政體は誠に純然たる政治道徳のものなりき。故に唯一最
高機關たる君主の人格如何によりて君主の個人的利己心の爲めに國家の全部の目的と利u
とを無視し、自己以外の國家の部分を國家の部分に非らずと考ふるか或は自己が國家の外の者にして國家は自己の
財産なりと考ふるかに至りて事實上の家長國と化し去ることあり。維新革命のヒーローは社會單位の生存競爭の激
甚なりしが爲めに國家の目的と利uとに其の頭腦の全部を奪はれ、劣等なる利己心の如きは痕跡もなく去れり。−−
即ち維新革命以後二十三年に至るまで日本天皇の意志は法理上明らかに大日本帝國の意志なりしなり。(この故を
以て天皇と國家とを同一なりと云ふべからざる注意は繰り返へされざるべからず、斯る君主政體に於て天皇と云ふ
國家の部分が國家全部の利uと目的との爲めに意志すと云ふことを以て部分と全部とを同一なりと云ふ能はざるは、
恰も共和政體の國に於て議會と云ふ國家の部分が同時に共和國の全部ならざるが如し)。而して君主々權の家長國
體に於て君主の利uと目的との爲めにされたる凡ての法律が凡て有効なる如く、國家主權の國體に於ては國家はそ
の目的と利uとの爲めに國家機關を改廢作成するの完き自由を主権の本質に於て有す。即ち二十三年の帝國憲法は
 ニ十三年の帝國憲法は國家が其の主權によりて一人の最高機關の口を通じて最高機關を平等の多數を要素する政體に變更することを表白したるものなり
國家がその完全なる主權の發動により
て國家の目的と利uとの爲めに國家の
最高機關を改めたる者なりとす。而して國家機關の變更は國家の意志を成す所の一人の最高機関によりて表白せら
れたり。即ち、二十三年の帝國憲法は國家が其の主權を一人の最高機關の口より發表したるものにして、現皇帝は
維新以前と維新以後とは法理學上全く別物なり。維新以前は諸侯將軍の君主等と等しく其の範圍内に於ける家長君
主たる法理上の地位なりしと雖も、維新以後二十三年までは唯一最高の機關として全日本國の目的と利uとの爲め
に國家の意志を表白する者となれるなり。故に國家は主權體たる本質よりして國家機關の改廢作成に於て絶對の自
 國家は主權體として機關を改廢作成するを得と雖もニ十三年にして消えたる一人の最高機關は憲法改正又は廢止の自由なし
由を有すと雖も、單に主權の表白に於て唯一最高機關
たりし天皇は二十三年の經過と共に過ぎ去れるものに
して、今後國家主權の名に於て國家機關を改廃作成する國家機關は天皇と帝國議會とを以て組織されたる最高機關
の外なし。是れ現行憲法が明らかに憲法改正の方法を規定せる所以にして、彼の穗積博士が欽定憲法の名よりして
天皇は憲法の改正廢止に於て絶對の自由を有すと主張するが如きは疑ひもなく政體の變更を圖る朝憲紊亂罪に當る
ものとす。吾人は穗積博士に問ふ。
 穗積博士は最も價値なき頭腦にして齒牙にだも掛くるの要なき者なりしに係らず、法科大學長帝國大學教授の重
大なる地位にあるが爲めに吾人の筆端に最も多く虐待されたる者なり。吾人は深く博士に謝すると共に尚暫く忍耐
を要む。若し意志を表白したる者が權利の主體なりと云ふ獨斷より、現行憲法を天皇の權利によりて與へ又天皇の
權利によりて奪ふを得べき欽定憲法なりと云ふならば、吾人は實に博士に問はん。彼の山野に陰れたる繼體天皇が
大伴金村の意志によりて天皇の位に即ける如き、源氏の姓を得て臣に降れる光孝天皇が藤原基經の意志によりて天
 穗積博士の欽定憲法論は繼體天皇若しくは光孝天皇の如きを金村基經等の自由に改廢するを得べき欽定天皇なりと云ふ論理なり
皇の位に即ける如き、金村基經等の欽定天皇なりと
云ふやと。博士の兩頭中の尊王忠君の頭は大に驚き
て之を否みて曰ふべし、否! 君主國時代なるを以て彼等は君主の機關として君主の利uと目的との爲めに機關と
しての意志を表白したるに過ぎずと。而しながら兩頭は平和なる能はず、亂臣賊子の他の頭は尊王忠君の其れを毆
打して沈默せしめ大音聲に叫ぶべし。曰く、國家の目的と利uとの爲めに國家の機關として表白したる天皇の意志
を以て、天皇の自由に改廢與奪し得べき欽定憲法なりと云はゞ、繼體天皇と光孝天皇とは金村基經の自由に廢止變
 欽定憲法の意義
更するを得る金村基經等の欽定天皇なりと云はざるべからずと。大日本帝國憲法は固より欽定憲
法なり、而しながら欽定とは斯る意味のものにあらずして國家の主權が唯一最高機關を通じて最
高機關を變更して特權の一人と平等の多數とを以て組織すべきことを表白したることなりとす。
 穗積博士は最早忍耐の頂上に在るべし、吾人は餘りに氏を價値無くしたることに同情を表すると共に氏に向へる
鋒を收めざるべからず。只一言あり。即ち以上の説明によりて憲法の解釋權は天皇に在りとの氏の議論は從て意味
なし。天皇が主権の本體たりし古代に於ての法律ならば然かるべく、又、天皇一人が最高機關なりし時ならば然か
るべく、又或る國の如く立法機關と獨立せる司法機関に解釋權が指定されしならば問題たらず。而しながら天皇と
 憲法の解釋權は何者にも存せず
帝國議會とが最高機關を組織し而もその意志の背馳の場合に於て之を決定すべき規定なきに於て
は法文の不備として如何ともする能はざるなり。恰も帝國議會の中に於て衆議院と貴族院とが各
その見解を持して相譲らざる時に處置の途なき如し。法律上の規定なきことは法律學者として論議の權外なり。
 以上述ぶる所の如し。後の歴史家なる者よ。國家の生存進化の目的理想を嚴肅に意識して凡てを行動せる民主々
義の大首領を、穗積博士輩の讒誣に蔽はしめて明治歴史の主人公を誤り傅ふるなかれ。
 
 最後に天皇と國民との道徳關係を述ぶ。
 道徳とは法律の外部的規定たると併行して内部的規律なり。故に法律が國家主權の國體たる國家主義と國民(廣
義の)全部が政權者たる政體の國民主義とを實現したるを以て、内部的法律たる道徳の其れと併行して社會の生存
 『愛國』と『民權』の聾
進化を目的としその目的の爲めに社會全分子の努力すべきを理想とせる社會民主々義となれるは
論なし。彼の『愛國』の聲が大に中世的蠻風の血腥き音響臭氣あるは遺憾なりとするも社會的存
在なることを漸く意識するに至れる社會主義の初歩なるは事實にして、『民權』の叫びも尚土百姓武士時代の奴隷
的良心を脱却し得ざるは恥辱の極なりと雖も國民凡てが國家の部分なることに覺醒したるを以て民主々義の根本義
を得たることは亦事實なり。然らば天皇と國民との道徳關係は如何に解すべきや。
 上來縷々として説ける所によりて君臣の一家なるが故にあらず又忠孝の一致するが故に非らざるは明らかなり。
若し『國體論』の如く現今の天皇が國家機關たるが故に天皇にあらず、其の天皇なるは原始的宗教の信仰あるが故
なりと云はゞ、是れ今日の佛教徒と基督教徒と舊宗教の何者をも信ぜざる科學者として蘇我の馬子たるべき權利を
 天皇の國家機關たる地位は原始的宗教を信ぜずと云ふこと若しくは血液を異にすとの理由を以て侵犯さるべからず又奴隷的從屬關係にあらず
附興するものにして、内地雜居によりて歸化
せる外國人の凡てをして漢氏の駒たるべき道
徳上の放任に置くものなり。而して忠孝一致とは原始時代の稀薄なる人口の時に於て家族團體時代の一過程に於て
のみ云はるべく、又今日の如く一家と云ふ血縁的意識の全く斷絶せる民族團體時代に不可能なるを知れるならば、
之を今日に主張する如き三千年前の系統的關係の知れもせぬものに何の義務なしとの結論に到達せしむべく。又本
家と末家とが純然たる平等となり家長と家族との關係も生殺の權利と奴隷の義務とに於て對立せざるに至りしを以
て天皇を家長とすることは天皇の意義を解せずして天皇其者の否認に至らしむべし。而して更に忠とは自己の身體
が君主の財産として經濟物たりし奴隷制度の古代、又は經濟的從屬關係によりて奴隷道徳を繼承しつゝありし武士
道の中世に於てのみ要求せらるべきを知りて之を今日に唱ふることは、私有財産制の確立による經濟的獨立により
て亦等しく天皇其者の存在をも疑惑して國家の利uを害するに至らしむべし。−−斯る結論と斯る結論に導くべき
前提とは大日本帝國の一歩も許容せざる所なり。天皇は國家の利uの爲めに國家の維持する制度たるが故に天皇な
り。如何なる外國人と雖も、末家と雖も一家と雖も、全く血縁的關係なき多数國民と雖も、この重大なる國家機關
の存在を無視する事は大日本帝國の許容せざる犯罪なり。又或は、萬世一系連綿たりと云ふ系統崇拜を以て天皇と
國民との道徳關係を説かんとする者あるべし。固より歴史の進行は截然區劃されず、社會の一般階級が近代の進化
に入れる後も尚或る下等なる智識の下層は中世的思想を繼承しつゝある社會進化の常として、今尚獨乙皇帝が中世
 天皇は系統崇拝の崩壊しつゝある基礎に立てるものに非らず
的思想を有する如く日本の下層的智識の部分に於ては日本天皇の意義を解せずし
て中世的眼光を以て仰ぎつゝある者の多かるべきは論なし。而しながら先きに引
例せるマラハーナの印度の如き未開國の良心を以て日本國民の現代に比することは國民に對する無禮たる外に皇室
を以て斯る浮ける基礎に立てりとの推論に導きて皇室其者に對する一個の侮辱なり。否! 系統崇拜を以て中世的
良心が支配されしが爲めに皇統より分派したる將軍諸侯の亂臣賊子となり、今日其の亂臣賊子を囘護して尊王忠君
なりと云ふ所の穗積博士の如きが君臣一家論を唱へて下賤なる穂積家を皇室の親類なり末家なりと云ふ精神病者が
生ずるなり。若し穗積博士にして其の主張するが如く穗積家なるものが天照大神より別れたる傍系なる事を明らか
に知り、而して皇統は無數の傍系と傍系とを織りて幅廣き者なる事を知れるならば、即ち國民の中にも天皇の血液
が流れ天皇の血管にも國民の鼓動が聽かるゝならば、恐くは其の亂臣賊子の首を擧げて拙者穗積八束も神聖不可侵
なりと稱して其の車夫に對するときの驕慢を全国民に向つて要求すべし。(博士はその頭腦の車夫を載せて曳くべ
き車夫たるの價より外有せざるに係らず車夫に向つて言語を交ゆるを以て光榮を傷くるとなすと云ふ、吾人は學者
として彼を排撃する以外に憎惡輕蔑の情を有することを表白す)。假令彼が如き亂臣賊子に非らずとも、人類が梅の
木の根より産れず、桃の實より産れず、弓矢八幡によりて産れざるならば、吾人人類は凡て類人猿より十萬年の綿
々たる系統を有すべく、誠實なる丘博士の如きは其の生物進化論よりして穗積博士の亂臣賊子に誘惑さるべし。−
−實に斯る結論と斯る結論に導くべき前提とは大日本帝國の決して許容せざる所にして天皇は斯る惑亂者の上に超
 天皇と國民とが血液に於て差等なしと云ふことを以て天皇を否認することは國家の是認せざる所なり
越して國家の利uを表はしつゝある者なり。國民の血液が天皇
に入り天皇の血液が國民に入りて天皇と國民とは血液の上に於
て全く混和して此の點より懸隔を立つる能はずと雖も、それはそれだけの事實にして是の故を以て天皇を是認し若
しくは否認するの理由とすべからず。天皇は國家の主權によりて是認せられ之を否認することは國家の主権に對す
る背反なり。
 然るに復古的革命主義は大に天下に蔓延し天皇を後へに排斥して驚愕すべき野蠻部落の土偶を作り上げたり、而
して野蠻人は此の土偶に形容すべからざる角、牙、大口、巨鼻を着け顔面に紅白の粉末を塗抹し、而して雜多なる
虚爲迷妄惑亂の襤縷を補綴して被らせ、以て『四千五百萬同胞の土人等よ、この威靈の前に禮拜稽首せよ』と叫び
 土人部落の蠻神は教育勅語を盜奪したり
つゝあり。而して四千五百萬土人は悉くこの蠻神の偶像の前に叩頭合掌して實に日本天皇の
存在を忘却し果てたり。この蠻神の前には釋尊も國體を傷くるものと罵られ、基督はナザレ
の大工の子と毀られ、神道の本義も悉く蹂躙せられ、神話の科學的研究も一たび脅かされたり。而して蠻神の祭主
等は抱腹すべき擬古文を以て訟徳祭禮を事とし、大日本帝國と皇帝陛下とが如何なる嚴肅の關係に於て維持されつ
ゝあるかを一顧だもせざるなり。特に、天皇が詩人として天才を示しつゝある如く國家機關たる意義の外に於て發
表せられたる凡ての意見は必ず土人等の盜奪に逢はざるなく、土人等は其の盜奪物を汚して以て蠻神の装飾となす。
蠻神の怒りは學者も政治家も新聞記者も一切のものの尾を垂れて慴服する所にして、不敬漢! の一語は實に東洋
の土人部落に於ける社會的死刑の宣告なり。(獨乙の専制なる現代と雖も驕慢なる皇帝あるのみ、日本國のみ何が
故に天皇の外に蠻神ありや)。−−曰く爾は『爾臣民克く忠に』と命ずる教育勅語に違反する不敬漢なりと。
 吾人は、實に國體と天皇の名に於て蠻神の宣告を拒絶せざるべからず。『國體論』の國體は土人部落の國體にし
て日本現代の國體にあらず、『國體論』の天皇は土人部落の土偶にして日本現代の天皇にあらず。−−吾人は實に
土人等の盜奪より教育勅語を天皇の手に取り返へさゞるべからざるなり。
 教育勅語に就きては前きに屡々説明したり。土人部落に於ては些少なる信仰に對する背反も直ちに虐殺せらると
云ふ如く蠻神の土偶は思想界の上にも絶對無限權を有すべし、而しながら外部的生活の規定たる國家に於て天皇の
可能なる行動は外部的規定の上に出づる能はず。蠻神の土偶は土人部落の原始的宗教と原始的道徳とを鬼神蛇鳥の
威に於て土人に強制するの權あるべし、而しながら近代國家の原則として國家の一部分たる個人の思想信仰を國家
の大部分若しくは上層の部分が蹂躙すべからずとさるゝ今日に於て、天皇は假令佛教の信仰を有するも又基督教の
道徳を有するも之を國家の他の大部分に強制する能はず。天皇が醫學上の學説を命令し、天文學上の原理を強制す
る能はざる如く、一派の倫理學派を勵行し一派の歴史哲學を制定する能はざる如く、−−良心の内部的生活に立ち
入る能はざる國家、從て其の一機關たる天皇は道徳を強制する事能はざるものなり。道徳が強制の形を取るときに
 國家機關は内部的生活に立も入る能はず
法律となる。教育勅語とはその教育の名が示す如く道徳の範圍内のものにして法律的效力を
有せず。現天皇の歴史上の効果に對し現天皇の明哲に充分なる信頼を置かしめよ! 吾人は
斷言す、『克く忠に』の意義は斷じて井上哲次郎氏以下の紛々たる教育勅語解釋家が説明しつゝあるが如き内容の者
にあらざるなり。彼等の見解の如くんば第二の天智天皇として公民國家の理想を實現せる大皇帝に對する惡意の表
 井上博士一派の解釋家の『克く忠に』の意義は天皇を解せず
白なり。又一般國民の道徳的信念につきて考察せよ、天皇の利uの爲めに日露戰爭
の戰はれたりとせずして『國家の爲めに』と云ふ國家主權論の社會主義を以て其
の門出の涙を拭ひつゝは非らざりしか。若し維新以前の階級國家時代の如く多くの君主の下に奴隷的に從屬せし武
士ならば國家の爲めにと云はずして必ず各仕ふる所の『君の爲めに』と云ふは論なく、然るに國家の爲めと云ふは
國家が生存進化の目的を有する人格なることが法文の上と共に道徳的信念に於ても一般國民に認識せられ、斯の國
家と云ふ限定されたる社會其者の目的の爲めに國家に『克く忠に』戰ふことにして其の忠が他の如何なる者の個人
的利己心に取扱はれざるを表示する者なり。『國家の爲めに』と云ふ社會主權の公民國家と、『君の爲めに』と云ふ
君主々權の家長國とは、國體の進化的分類に於て截然たる區劃をなす如く、道徳的理想の進化に於て個人單位の現
 忠君と愛國との道徳的理想の進化
在的のものより社會單位の永久的のものに進化せるものとして大段落を劃せらるべきなり。朕
即ち國家の全部にして國民は國家の部分に非らずと云はざる限り(穗積博士すら言はず)、國
民のみ國家の全部にして君主は法理上國家の外に在りと云はざる限り(日本の凡ての君主々權論者は之を言はず)、
中世史と現代と合致して停止せる者なりと云はざる限り(日本の學者も歴史の進化するだけは知る)、君主々權論
と國家主權論と同一なりと云はざる限り(日本の其等はその故に爭ひつゝあり)、『忠君愛國一致論』とは理由の一
をだも發見すべからざるものなり。國家の生存進化が目的にして、而して國家の凡ての部分即ち全國民が國家なり
と云はゞ、國家の目的理想の爲めに努力する國民の忠は國家に對するものにして、等しく國家の一部たる天皇の悦
びは等しく國家の大部分たる國民の悦びの如く大個體の一部としての大個體の滿足にして目的其事と係はりなし。
故に家長國の階級國家時代の如く諸侯將軍の君主等に奴隷的從屬をなし彼等其者の個人的利uが忠の目的なりしと
 忠君愛國一致論の迷妄
同樣に、天皇が家長君主にして忠の目的が天皇の利己的慾望の滿足に向つての努力なるならば、
論理的進行の當然として例へば諸侯將軍等の如く天皇の個人性が其の社會性を壓伏して(即ち國
家の機關として存する國家の意志を壓伏して)働くときに於ては、國民は壓伏されたる天皇の社會性を保護するこ
となく、國家機關たる地位を逸出せる個人としての天皇と共に國家に向つて叛逆者とならざるべからず。斯る場合
を假想する時に於て、天皇は政治道徳以外に法律的責任なきは論なしと雖も、國家は其の森嚴なる司法機關の口を
通じて國民を責罰すべき法律を有す。是れ忠君愛國一致論の矛盾すべき時にあらずや。天皇なるが故に斯る矛盾な
し、若し蠻神の土偶が天皇を驅逐して蠻神の個人的利uの爲めに國家の臣民に忠を命ずるならば、國家の生存進化
の目的の爲めに國家の全部を成せる天皇と國民とは必ず之を粉碎せざるべからず。國家の科學的研究なき井上博士
の輩ならば可なり、國家の法理を専攻する學者たる穗積博士の如きが忠君愛國一致論を説くに至つては何の語を以
 穗積博士の忠愛一致論は其の排撃する國家主權諭と自家の君主々權論と一致すと云ふ自滅なり
て評すべき。これ力を極めて排撃しつゝある國家主權論と自家の君
主々權論とが一致すと云ふと何ぞ異ならん。怪物の兩頭は相毆打す
ることを止めて相抱擁したり、而して相抱擁するとき頭蓋骨を破裂せしめて死せり。嗚呼忠臣穗積氏の墓! (吾
人は氏の墓碑を建てゝ再び發ばきたり、而しながら再建の碑は堅牢なり。氏の怨靈希くは吾人の枕頭に現はるゝ勿
かれと云ふ)。
 即ち、『爾臣民克く忠に』とある忠の文字の内容は上古及び中世の其れの内容とは全く異なりて、國家の利uの
 『爾臣民克く忠に』とは國家の利uのため
爲めに天皇の政治的特權を尊敬せよと云ふことなり。若し文字の形態發
 に天皇の特權を尊重せよといふことなり
音を以て内容の歴史的進化を無視するならば、是れ君僕失敬と云ふを以
て角帽と海老茶式部との間に神聖なる尊王忠君の關係が成立せしと云ふ有賀博士の論法なり、今の博士階級と同列
に置かるゝことは吾人と雖も侮辱に感ずべし、民主的革命のヒーローは群盲に評價されんには餘りに偉大なり。
 以上の概括
以上の歸結。
日本民族の進化を見る歴史哲學は皇室一家の傳記とは自ら別種の性質にして皇室は日本歴史の
脊椎骨に非らず、一元の人類より繁殖せる凡ての民族は凡ての其れに通ずる社會進化論の歴史哲學を有すと云ふこ
と。
 今日の日本を家長國となすことは異教徒と異人種を國民の義務より放任し、親族法の平等關係を以て民の父母を
赤子と平等なりと云ふ自殺論法に終ると云ふこと。
 日本國民は克く忠に萬世一系の皇統を奉戴せりと云ふことは羅馬法王の天動説にして、日本國民は古代中世の階
級國家を通じて系統主義と忠孝主義とを以て皇室を打撃迫害したりと云ふこと。
 萬世一系は日本國民が貴族階級の下に忠孝なりしが爲めに皇室を打撃迫害すること甚しく爲めに皇室は全く絶望
に捉へられたるよりの結果にして亂臣賊子の歴史的ピラミッドなりと云ふこと。
 日本歴史は原始的時代の一年間と傅説さるゝ部分、若しくは記録的歴史が要求さるゝほどに歴史的生活に入りし
古事記日本紀出現以前の一千四五百年間を除きたるものなりと云ふこと。而して古代は一人の家長君主が法理上全
日本の統治者なりしを以て君主國時代となし、中世は多くの家長君主が其れぞれに統治者たりしを以て貴族國時代
となすべしと云ふこと。而してこの長き間は國家の生存進化の目的が意識せられざりしを以て家長國と云ふ別個の
國體なりと云ふこと。
 現代は國家主權の公民國家と云ふ國體にして國家の凡ての部分が全部たる國家の生存進化の目的の下に行動する
機關たるを以て民主的政體なりと云ふこと。從て今の君主々權論者も國家主權論者も共に價値なき臆説の暗闘にし
て、法律のみの上に於ては維新以後の日本は社會民主々義なりと云ふこと。
 故に『天皇』の文字の内容は歴史的に進化し、原始的時代のものに後世より謚名せる天皇は小地方と小人民の上
に原始的宗教の信仰によりて立てる家長として他の小家族團體の其等と抗爭しつゝありしと云ふこと。藤原氏時代
に至るまでは天皇の内容は全日本の土地人民を所有せる最上の強者なりしと云ふこと。鎌倉以後の貴族國時代に於
ては他の家長君主と同樣に其の範圍内に於て家長君主たる外に神道の羅馬法王として絶えず鎌倉の神聖皇帝と抗爭
しつゝありしと云ふこと。維新革命以後に至つては國家の終局目的の下に行動する民主的國民として國家主權を表
白する最高機關となり、更に二十三年以後は大に進化して帝國議會と共に最高機關を組織すべき要素と云ふ意義と
なれりと云ふこと。
 即ち、所謂『國體論』中の天皇とは土人部落の土偶にして却て現天皇を敵としつゝあるものなりと云ふこと。
 
 
 
 
第五編 社會主義の啓蒙運動
 
         第十五章
 
           法理學上の國家と政治學上の國家とを混同するより生ずる權力階級と社會黨の惑亂−−現
           今の國體に於て國家とは國民の全部なり−−今日國家の意志たる者が上層階級なりと云ふ
           ことを以て國家を否定すべからず−−個人主義の革命論に於ては國家の否定は論理的可能
           なり−−社會主義の革命は國家の否定にあらずして國家の意志が新たなる社會的勢力を表
           白することに在り−−現今は經濟的階級國家の爲めに政治上に階級國家の實を表はしつゝ
           あるなり−−法律上の階級國家なりと云はゞ論理上議會に入ることを拒絶せざるべからず
           −−べーべルの矛盾−−社會主義の革命は血を以て法律の根據より動かさんとする如き壯
           烈なる革命にあらず−−經濟的維新革命−−法律的源泉の固有と經濟的源泉の國有−−國
           家の内容は全く階級國家となれり−−今日の階級とは經濟的階級にして天皇と云の華族と
           云ひ中世の階級たりしものと異なりて國家の機關なり−−武力の掠奪者と資本の掠奪者−
           −社會主義は國家主義を抱擁するものにして國家主義と背馳するものは中世までの君主々
           義なり−−國家の名を盜奪しつゝある經濟的貴族−−歴史上無比の大矛盾−−君の爲めに
           せし事を恥とせざりし武士と經濟的君主等の爲めにしつゝある事を恥づる紳士−−社會
           民主々義を迫害しつつある者は國家にあらず−−専制に用ひらるる自由の名と個人に用ひ
           らるる國家の名−−國家を解せざる日本國民と國家を解せざる日本社會黨−−經濟的維新
           革命黨の迫害−−旅順閉塞の決死隊と革命黨の實行委員−−イゴール・サソノフの爆烈彈
           の説明−−べランメーの一喝と暗殺の教唆犯−−社會主義の迫害と教育普及の矛盾−−露
           西亞政府は迫害に於て貫徹せり−−文字の普及は社會主義に入るべき鍵なり−−露西亞皇
           帝と露西亞國氏との間に法律關係なし−−露西亞皇帝が法律的意義に於て存在する場合−
           −露西亞の革命黨は政治上の利害より如何に評せらるるも法律上の背反に非らず−−金冠
           の叛逆者−−叛逆は主權體に反することなるが故に露西亞皇帝は法理學上謀反人なり−−
           穗積博士も露西亞皇帝の主權者に非らざることを承認すべし−−國家機關を逸出して一介
           の暴僕となるときに生ずる正當防衛權−−今の社會黨が正當防衛權を振はざるは權利なき
           が爲めに非らずして社會の利uの爲めなり−−利害を無視する無政府主義者の社會主義に
           加ふる嘲罵−−吾人にして露西亞に産るれば爆烈彈の主張者となるべし−−法律戰爭に於
           ける普通撰擧權の獲得は投票の爆藥庫の占領なり−−革命は思想系を異にするを主眼とし
           て流血は要素にあらず−−革命は新生兒にして普通撰擧權は産科醫なり−−空名の權利に
           あらず−−凱旋にあらず法律戰爭の進撃軍なり−−血税と權利−−『國家の爲め』とは國
           家の全部の盛めか上層の一部の爲めか−−『國家の爲め』とは經濟的貴族の顛覆さるゝ時
           の叫聲なり−−國會早尚論と普通撰擧權早尚論−−突貫の第一列を爭へる國民は撰擧權な
           き鯨波の群に甘ぜず−−[火章]烟の階級鬪爭と議會の階級闘争−−階級鬪爭とは下層が上層に
           進化せんとするときの鬪爭なり−−國家主義をプラトーの意義に於て嚴肅に唱へよ−−社
           會主義は經濟的君主々義に國家を掠奪せられて冷然たるほどに非國家主義に非らず−−吾
           人は萬國社會黨の大會の決議に反して現今の國家を法律の上に是認す−−權利の基礎と強
           力−−強力なき今日の社會民主々義は惡なり−−眠れる獅子は喚び醒されつゝあり−−鍬
           と鐡槌とを持てる百千萬の貴族−−慈善家とは基督を逆倒して人はパンのみによりて生く
           と考ふる者なり−−資本家地主は席上の乞食にあらず堂々たる掠奪者なり−−個人的生産
           時代の慈善と社會的生産を掠奪せる今日の其れ−−慈善を恥づるに至れるは奴隷の卑屈を
           脱して貴族たらんが爲めなり−−社會民主々義と個人の貴族的權威−−聖書をパンにせよ
           と云ふ惡魔の試み−−資本勞働の調和と公武合體論−−勞働の具體的表現たる資本と勞働
           の調和と云ふ事は意味をなさず−−農夫と其の牛とが蒭草を分配すと云ふ講壇社會主義の
           文法−−維新革命黨に米祿を多くするが故に國體論を止めよと云ふ社會政策−−金井博士
           の社會黨觀−−日嶋博士の社會黨觀−−社會民主々義はパンの問題に非らず−−講壇社會
           主義は飢へて鐡鎖を脱する能はざる獅子に一臠の肉を投ずる愚なり−−社會民主々義が先
           づ社會政策の實行を求むる理由−−處士横議を如何にすべきやと云ふ講壇社會主義の歎息
           −−社會政策なる者を以つて社會民主々義を絶たんとするは堕胎せんとして牛乳を求むる
           の愚なり−−社會黨に對する唯一の方法は沈壓政策の外なし−−對社會黨の政策として啓
           豪運動を迫害し又所謂社會政策を蹂躙しつゝある日本政府は堂々たり−−ビスマークの沈
           壓政策の効果−−佛蘭西革命を見てナポレオン沈壓政策なきを歎ず−−社會主義を迫害す
           ることは却て社會主義を盛ならしむる者なりと云ふ社會黨の聲言しつゝある所は僞なり−
           −社會政策は上層の利uを中心とする者に限らずと雖も階級的智識感情の爲めに社會全體
           の利否は確實ならず−−階級鬪爭の歴史學及び倫理學−−日本の國家社會黨は全く階級鬪
           爭につきて無智なり−−政權奉還に非らざる如く生産權が天皇に奉還さるゝ時を待つべか
           らず−−社會の進化は一に進化せる權利思想に社會が啓蒙さるゝことなり−−『掠奪者』
           とは新らしき權利思想が舊き其れを名くるなり−−世に絶對の善なく絶對の惡なし−−上
           層は其の進化せる善を以て下層の道化せざる善を排撃するを得べしとの意味に於ける今後
           の刑法學−−將來の善を迫害しつつある現代の善として上層階級は社會黨の迫害につきて
           自己の良心に叛かず−−迫害の定義−−地方的良心の衝突たる國家競争が千戈に決せられし
           如く階級的良心の衝突たる階級鬪爭に於て迫害が却て敵勢を盛ならしむと云ふは痴愚なり
           −−地主資本家の處分策は主義の問題にあらずして政策論なり−−極端と云ひ過激と云ふ
           は其の主義を持する個人若しくは社會的勢力を表はすのみ−−個人主義の革命と其の政策
           −−個人主義の革命後と社會主義の革命後−−今の所謂社會主義者は政策論に於ても個人
           主義時代の継承なり−−『国家の爲め』と云ふ個人の沒收と『最高の所有權』の經營−−
           勞働者と云ふ『生産機關』を使用し破壊しつゝある社會の權利−−公債の所有者は私有財
           産制の革命に於ては正當なるも共産制の革命に於て經濟的貴族が華族として殘るは人類に
           獸尾あるものなり−−社會の者は社會に返へせ
 
以上の説明によりて『國體論』なるものが却て明らかに現代の國體と政體とを顛覆する所の復古的革命なるを知
 法理學上の國家と政治學上の國家とを混同するより生ずる權力階級と社會黨の惑亂
るべく、社會民主々義は維新革命以後の日本國が法律の上だけに於て堂
々たる社會民主々義なるを認め、其の維持と共に更に其の發展を努力す
る者なり。而しながら、國家の論究に於て、法理學上の國家と政治學上の國家とは自ら考察の途を同じうせず。法
理學より考察されたる國家は其の法律の上に表はれたる國家が如何に組織されたるか國家の目的理想が如何なる程
度まで法律の目的理想として表白せられたるかの理論的の者にして、政治學より論究されたる國家は法律の上に超
越して國家の目的理想等を論ずると共に、更に國家を現實のありのまゝに法律の上に現はれたる國家の組織が如何
にして活動しつゝあるか、法律に表白せられたる國家の目的理想が如何にして實現せられつゝあるかの事實論なり。
法律とは國家の理想的表白なり、政治とは國家の現實的活動なり。凡ての者が此の明白なる差別を明らかにせざる
が故に、上層階級は社會の利uを圖ると標榜する社會主義者を迫害するに却て社會其者の名に於てし、社會主義者
は亦上層階級を國家の名の下に否認すべきに係らず却て國家其者の掃蕩を公言して自家の論理的絞臺に懸りつゝあ
るなり。社會の利uの爲めに土地及び一切の生産機關の公有を主張する社會主義者は單に社會が最高の所有權者た
ることを規定せる法律の理想を實現せんとする忠實なる法律の遵奉者にして、決して法律と背馳するの理由に於て
迫害する能はざるは論なく。亦社會主義者なる者も穗積博士の如く天皇をのみ國家なりと云ひ若しくは米のバルヂ
 現今の國體に於て國家とは國民の全部なり
ヱスの如く議會のみを國家なりと名くるが如き無智にあらざるならば、『勞働者は國家を
有せず』と激語せるマークスの宣言を信仰個條とし、以て國家其者の否定を公言して國家
の部分たる所の自家を否定し國家の將來の進化に來る所の理想的國家を否定するに至る如き論理上の矛盾無かるべ
し。科學的社會主義は二千年前の太古に掲げられたるプラトーの理想國家論の源泉より流れ來れる大河なり。プラ
トー曰く、國家は個人の全部にして個人は國家の部分なりと。而して現代の法律を見よ、何度に天皇のみ國家なり
と云ひ上層階級のみ國家なりと規定せるか、又何度に勞働者は國家に非らず小作人は國家の部分にあらずと規定せ
るか。或は曰ふべし。上層階級が國家の凡ての機關を占有し上層階級の意志が國家の意志なりとさるゝが故に國家
は否定さるべしと。然らば上層階級の意志をなさざる所の上層の小兒は國家の外にあるものにして、國家の全部分
が政權者として意志を表白するに至れる後と雖も凡ての社會の小兒は國家の意志をなさゞる故に其等は國家の部分
 今日國民の意志たる者が上層階級なりと云ふことを以て國家を否定すべからず
に非らずして年長者のみ同家なりと云ふか。彼の普通撰擧の要求は社會主
義が國家の意志たらんとの目的の爲めにして、普通撰擧を呼號しっつ國家
を否定するは社會主義を解せざる無理想の盲動者なり。國家を否定するならば、何が故に否定すべき國家に土地を
所有せしゅんとする自家の主張を否定せざるか。否定されたる國家は空なる國家にして、空なる國家は公有にされ
たる生産機關を持扱ふこと能はざるなり。上層階級が只吾等のみ國家なりと考ふるとも、社會主義者は彼等の暴に
對するに暴を以てして然らば吾人は國家を否定すと反撃せざるべきなり。彼等は固より國家の進化せる(物質的に
若しくは精神的に)國家の部分なり、而しながら國家は他の未だ進化せざる國家の部分たる下層階級を旬含して國
家なり。国家は佛蘭西革命時代の個人主義の如く、原始的個人の假定より個人の意志によりて舊社會を解體し以て
 個人主義の革命論に於ては國家の否定は論理的可能なり
新國家を組織すと云ふが如く考へらるべきものにあらず。個人は決して原始的に個
人として存ぜしことなく墳墓に入るときにも社會をなす。個人主義の革命論は國家
を解散して更に自由平等の基礎によりて國家を組織せんとしたり。故に國家の否定は新國家の建設までは論理的可
能なり。而しながら社會主義の嚴肅なる科學的基礎より見れば國家は決して個人の自由に解散し若しくは組織し得
べき機械的作成の者にあらずして、革命とは國家の意志が時代の進化に從ひて社會的勢力と共に進化すと云ふこと
なり。故に今日の國家に於て今日の上層階級の意志が國家の意志とさるるは今日の社會的勢力の上に立てるが爲め
 社會主義の革命は國家の否定にあらずして國家の意志が新たなる社會的勢力を表白することに在り
にして、若しこの故を以て今日の國家が否定さるるならば同一な
る論理によりて近代の社會的勢力の上に立ちて國家の意志たるべ
き社會主義は國家の意志に非らずとして否定されざるべからず。−−敢て日本と云はず、今の社會主義者の殆ど悉
くは純然たる個人主義者にして、社會主義を以て單に佛蘭西革命の反復と等しく解しつつあるに似たり。法理學上
 現今は經濟的階級國家の爲めに政治上に階級國家の實を表はしつゝあるなり
の國家と政冶學上の國家とを明らかに解せよ。法理學上の國家は國家主權の
社會主義なり、而しながら凡ての政治的勢力は經濟的勢力に在るを以て今日
の經濟的階級國家が政治の上に階級國家の實を表はしつゝあるものなり。是れ社會民主々義が經濟的方面に革命の
手を着けたる所以にして、而して其の革命が現今の法律を是認して法律戰爭によりて優勝を決定しつゝある所以な
 法律上の階級國家なりと云はゞ論理上議會は入ることを拒絶せざるべからず
り。法律其者より階級國家にして主權が上層に在るならば社會主義者の努力
は單に上層に歸屬すべき利uの爲めにして上層が其の目的に背馳すと考ふる
ときには直ちに凡ての努力を取消さるべき論理にして、先づ議會に入ることより拒絶せざるべからず。是に至りて
は彼の佛蘭西革命と云ひ、維新革命と云ひ、又今日の無政府黨員の行動と云ひ理論としては社會主義者なるものよ
り矛盾なし。吾人は信ず−−社會民主々義の革命は佛蘭西革命若しくは維新革命の如き法律的革命の理想を現實の
完きものたらしめんが爲めに、其の法律の下に於てするの經濟的革命なりと。彼のべーべルの言へるが如く、佛國
 べーべルの矛盾
が若し獨乙の挑戰を受けたる時之に應戰すべき正當防衛を國家の名に於て有すと云へるは吾人の
主張しつゝある國家が其れ自身の目的理想を有するを意識せるに至りし國家主權の現代なること
を表白せるものにして、ヂョーレスの見解に打ち勝ちて現今の國家が階級國家なることを主張して國家其者の否認
を決議せる萬國社會黨大會は矛盾なり。吾人は更に斷言す−−社會主義の革命は佛蘭西革命若しくは維新革命の如
く主權の所在を動かさんとする、即ち法律の根據其者を革命する法律以上の實力に訴へらるべき革命にあらずして、
 社會主義の革命は血を以て法律の根據より動かさんとする如き壮烈なる革命にあらず
確定されたる社會主權の上に社會の意志たる社會的勢力を法律の上に表
白すれば足ると。故に、社會主義の經濟的革命は先きの法律的革命の如
く歴史の頁を血に染むるものにあらず、又革命家自身に取りても然かく壯烈なるものにあらず。謂はゞ第一革命の
法律的理想と背馳する現今の經濟的組織を整頓して理想を現實ならしめば足る。故に吾人は先きに維新革命が法律
 経済的維新革命
の上に社會民主々義なることを説明したるに繼承して、社會主義の經濟的方面たる土地資本の國
有を名けて『經濟的維新革命』と呼ぶ。
 
實に、維新革命の完き實現は國家が國家の生存進化の目的理想の爲めに自由に行動すべしと云ふ法律的源泉の國
 法律的源泉の國有と經濟的源泉の固有
有を以て、經濟的源泉たる土地資本を更に國有ならしめて國家の生存進化の目的理想を現實
ならしむることに在り。多くの君主等が其れぞれ主権體として法律的源泉を自己の利uの爲
めに自己の財産權として行使しつゝありし貴族國が維新革命によりて法律的源泉を國家の有に移して國家主權の社
會主義を法律の上に表はしたる如く、法律の上に表はれたる國家の主權を以て多くの經濟的家長君主等が其れぞれ
自己を利uの歸屬すべき主體として經濟的源泉を私有しつゝある經濟的貴族國を革命して經濟的公民國家に至らん
とすることに在り。維新革命は固より經濟的基礎よりの革命なりき。貴族階級のみの私有財産にして下層階級は單
に使用權を有したりしに過ぎざりしものに國家が權利を賦與して、民主々義の根底たる所の私有財産制を確立した
り。維新革命は法律の根本に於て明らかに社會民主々義なり。然るに今や如何の状ぞ。
 實に維新革命によりて得たる法理學上の國家を見て、政治的に國家の現實に眼を轉ずるときに於ては、吾人は全
く天國より地獄に失墜せるの感あり。吾人は『愛國』の名に於て國家の利uと目的とを中心として行動しつゝある
 國家の内容は全く階級國家となれり
べき法律的理想と倫理的信念を有すと雖も、是れを經濟上の現實より考ふれば吾人は家長國、
階級國家時代の如く無數の黄金貴族經濟的大名の生存進化の爲めに犠牲として取扱はれつゝあ
り。法律學と倫理學とは吾人を人格として遇しつゝあるに係らず率直なる經濟學は黄金大名の自由に賣買するを得
べき物格として取扱ひつゝあり。吾人は法理學の上に於ては日本帝國の部分にして國家の部分たる點に於て生存進
化の目的を有す、而しながら經濟學の上よりしては地主の目的の爲めに手段として存し工場主の利uの爲めに犠牲
として死すべき−−即ち國家の部分にあらず。吾人は土地と共に賣買さるべき農奴にして賃銀に縛せられたる奴隷
なり。地主と云ふ黄金貴族は土地を私有して吾人を土百姓となし、資本家と云ふ經濟的諸侯は工場の封建城廓に據
りて吾人を素町人として遇す。而して往年の武士の階級が其の武藝を以て貴族の下に隷属して下級に威を振ひたる
如く、憐むべき紳士は其の學術と事務の才を以て黄金貴族の武士となり主君の爲めに奴隷的服從の忠勤を勵み(卑
しむべし!)、勞働者階級に向つては大に權威を弄しつゝあり(噴飯すべきコントラストよ!)。凡ての事は天皇の
名に於て、國家の主權に於てなさる。而も現實の日本國なるもの天皇主權論の時代にもあらず國家主權論の世にも
あらずして、宛として資本家が主権を有するかの如き資本家萬能の状態なり。大臣も資本家の後援によりて立ち議
員も資本家の頤使によりて動く。斯くの如くにして國家の機關が國家の意志なりとして表白しつゝある所は、國家
の目的理想の爲めに國家が執らんとする意志にあらずして自己若しくは自己の階級の利uのみを意識して意志を表
 今日の階級とは經濟的階級にして天皇と云ひ華族と云ひ中世の階級たりしものと異なりて國家の機關なり
白するを以て事實上は階級國家となれり。即ち、今日の階級
とは資本家地主と云ひ小作人勞働者と云ふが如き經濟的階級
國家にして、天皇と云ひ華族と云ふは社會民主々義の革命とは別天地に存する國家の機關にして今日は中世的意義
の階級にあらず。武力によりて經濟的源泉を掠奪せる貴族は維新革命によりて法律の上より掃はれたり、然るに今
や資本によりて他の資本家と小有土農とを併呑せる經濟的家長君主等は往年の其等に代りて國家の機關を自家の階
級の恣に取扱ひつゝあり。國家は中世君主等の手より武器を奪ひて腕力による併呑掠奪は跡を國家内に絶てりと雖
 武力の掠奪者と資本の掠奪者
も、資力の更に鋭き兵刃は智巧なる若しくは幸運なる匹夫等をして資本を併呑し土地を掠奪せし
め以て嚴然たる中世的階級國家は美はしき自由平等の法律に蔽ひて立てられたり。貴族政治は明
白に存す、何處に維新革命ありや。國家の名に於て要求せられる、而も維新革命によりて得たる國家は何處にあり
や。北米の人民が自由國の名に醉ひて經濟的君主等の割據せるを知ざる如く、維新革命の社會民主々義の法律の上
にのみ殘して國家は中世に逆倒せり。
 結局目的が國家に存すればこそ、國家の名に於て要求し又國家の名に於て死しつゝあるなり。今日の社會民主々
義はプラトーの社會民主々義の如く希臘に限られたるものにあらず、又維新革命の如く日本民族のみに限られたる
ものにあらずと雖も、國家が政治的單位の社會にして、國家單位の聯合によりて國家の理想的獨立と個人の絶對的
 社會主義は國家主義を抱擁するものにして國家主義と背馳するものは中世までの君主々義なり
自由とを實現し得べきことを主張しつゝある點に於て(『生物進化
論と社會哲學』を見よ)、現質的國家を超越して而も悉くその目的
理想を包含す。國家の目的の爲めに努力すべき國家主義と相納るる能はざるものは實に君主等の利己心の爲めに一
切が犠牲たりし所の中世貴族國にして君主々義なり。君主々義を掲げて各々の君主の爲めに犠牲として取扱はれた
る貴族國は維新革命によりて國家主義の名の下に國家の利uの爲めに打破せられたり−−然るに今や國家の名の下
に此の經濟的君主等に殺されつつある此の經濟的階級國家を如何。王侯將相豈種あらんやの單純なる平等主義を國
體論の被布に包みて國家の爲めに貴族政治を打破したるならば國家の目的と背馳するの甚しき此の經濟的貴族國が
 國家の名を盜奪しつゝある經濟的貴族
平等主義の眼に映ぜざるや。過去の貴族制度が顛覆さるべき人権の侮辱なりしならば人権を
侮辱するの甚しき此の經濟的貴族の發生が維新革命の讃美者に無感覺なりや。否! 今の經
濟的階級國家の群雄諸侯等はこの國家の爲めにこの語を盜奪して、貴族階級の爲めにすべき一切の利uと罪惡の辯
護としつゝあり。經濟的貴族に歸屬すべき利uと利uを歸屬せしめんとする意志を以て爲さるゝ一切のことが、却
て國家の爲めと云ひ國家の利uが目的なるかの如く僞はらる。是れ君主々義にして、即ち二三子の個人の利uを中
心とする個人主義にして國家主義にあらず−−少しも國家主義にあらず。ソクラテスは斯る『國家』の前に毒盃
を傾けんや。あゝ眞正なる愛國者よ! 今の黄金貴族等は其の貴族國を顛覆したる所の國家主義を以て、却て經濟
的家長國を維持しつゝあるものなる事を見ずや。國家主義と君主々義! 國家主義は國家が目的にして君主々義は
主君が利uの主體たり、從て一切の他の者は犠牲たり手段たり。この二大矛盾が−−恐くは歴史上無比の二大矛盾
 歴史上無比の大矛盾
が愛國者の前に滑らかに運轉しつゝありとは何たる怪事ぞ。國家主義とあらば國家が外の其れに
對して權利を主張する如く、國家の利uは經濟的君主等の蹂躙に放任すべからず。國家が經濟的
家長君主等の爲めに恣に處分せらるゝは是れ國家の人格が打破されたるものにして、『大日本帝國』は名を憲法の反
故に止めて家長國の中世に復古せるものなり。國家は其の眠りたる眼を開き見よ−−二三個人の利uを圖る經濟的
君主々義は國家の錦繍を剥奪して美々しべも飾られたるかな! 中世貴族國時代の家長君主等はこの經濟的貴族等
より露骨なりき。彼等は國家の目的が解せられざる時代なりしを以て其の經濟的從屬の奴隷に向つて『君の爲め
に』として死を求めたり。然るに今の經濟的君主等は其の自己の利uの爲めのみを意識してする生産も之を社會の
利uの爲めとなし、金鑛を南阿に爭ふも、砂糖をキューバに獨占せんとするも、國家主義を掲げて國家の爲めにと云
ふ。個人の權威は著しく進化したり。嘗て奴隷階級の武士が下層に向つては虎の威を振ひたるに係らず其の仕ふる
 君の爲めにせしことを恥とせざりし武士と経済的君主等の爲めにしつゝあることを恥つる紳士
所の貴族に對して猫の如く平伏する事を道徳的義務として少しも疑
はざりしものが、今日の紳士と云ふ經濟的武士の階級は其の下層に
對して依然として權威を弄するに係らず尚その仕ふる所の經濟的貴族の前に平蜘蛛の如くなる滑稽劇を見らるる事
を恥辱となす、これ平等觀の發展にして權利思想の進化の爲めなるは論なく、『君の爲めに』の語はカーネギー王
と雖も、モルガン陛下と雖も、三井岩崎と雖も口にし得べき所に非らず。故に曰く國家の爲めにと。あゝ國家の
爲めに! 自由の像が綿羊の狼に奉ぜられたる時驚くべき壓虐が常に自由の名に於てなされたる如く、維新革命に
よりて得たる國家が第二の經濟的貴族等の占據する所となりて凡ての愛國者は却て國家の名に於て迫害せられつゝ
あり。(吾人は愛國者と云ふ、個人主義の革命家の常に嗤ふ所なり)、社會主義は近代に入りて漸く忠君より覺醒せ
る愛國心を更に他の國家に擴充せしめて他の國家の自由獨立を尊重する所の愛國心なり。自ら『最高の所有権』を
 社會民主々義を迫害しつつある者は國家にあらず
有する所の國家なる者、何の理由を以て土地と資本とを國家の所有たらしめんとする社
會民主々義を秩序紊亂と云ひ安寧幸福を傷害すと名けて迫害するや。否! 決して國家
の迫害にあらず、國家なる手袋を脱ぎ去らしめよ、資本家の筋張れる鐵拳は明らかに見らるべし。昔はマダム、ロ
ーランド、斷頭臺に昇り自由の像を指して、おゝ自由よ! 如何に多くの罪惡が爾け名に於てなされつゝあるよ!
と。經濟的君主の家老たる大臣も國家の爲めと云ひつゝあり、黄金貴族の武士たる議員も國家の爲めと辯じつつあ
り、村長も巡査も國家の爲めと説きつゝあり、藝妓のカッボレにも國家の爲めにの文句を以てし、賣淫的令夫人の
 審判に用ひらるゝ自由の名と個人に用ひらるゝ國家の名
夜會遊興にも國家の爲めにの冒頭を以て開會の辭は述べられつゝあり。−−而して
社會黨の迫害にも實に國家の爲めにと名けられて國家の斷頭臺が用ひられつゝある
なり。自由の名に醉ふとき専制は現はれて眞實の自由を絞殺し、國家主義の聲に狂へるとき君主々義は其の陰に潜
みて最も理想的なる愛國者を打撃しつゝあり。
 國家を解せざる日本國民と國家を解せざる日本社會黨
 吾人は、國家を解せずして國家主義を呼號する現代の日本國民を排すると共に、等
しく國家を解せずして等しく國家を解せざる國民より迫害せられつゝある日本現代の
社會黨を讃するものにあらず。而しながら其至る所の迫害に敢然として抗し天下を浪々する様の何ぞ颯爽として維
新革命黨の彼等に似たるや。(志士幸ひに健鬪せよと云ふ)。
 
 實に、今の社會民主々義者は維新革命の社會民主々義を經濟的革命によりて完備ならしめんとする經濟的維新革
命黨なり。革命黨の迫害せらるゝは其の社會的勢力を集中せざる間は社會の進化として常態なり。維新の革命黨が
貴族等の屈從より脱して浪人となれる如く、彼等の矯々たる頭は官吏となり會社員となる能はずして先づ經濟的強
 經濟的維新革命黨の迫害
迫の下に浮浪漢とならざるべからず。而して幕府諸侯の巡羅が維新革命の宣傅者を行く所に迫害
せるが如く、放尿の判決權より外有せざるべき警察官の下に、堂々たる學者が言論も集會も印行
も身體其者の自由も脅迫せられ剥奪せられつゝあるなり。彼の維新革命の元勳伊藤博文氏に率ゐられたる政黨内閣
によけて、其の政黨内閣とは明白に穗積忠臣等の言ふが如く慣習憲法による共和政體の樹立なるに係らず、而して
維新革命黨が貴族政治を顛覆せる民主々義なるに係らず、『社會民主黨』の結社は亂臣賊子なりとして禁止せられ
たり。今の官吏等が日本國民の凡てが亂臣賊子の子孫若しくは加擔者の子孫にして自身も内心に全く獨立の思想を
以て充たきれつゝあるに係らず、『社會平民主義』と云ふものの意義を暗號ならんかと臆測して何日かは繩にと待
ちかまへつゝありき。往年の維新革命黨が東山西海身を納るゝ所なかりし如く(あゝ彼等は佛蘭西革命家の如く世
界の感謝をも得るなく徒らに君主々義者と誤られて如何に多くの英魂は土に葬られしよ!)、經濟的維新革命黨の
後へには何處に行くも國家の費用にて畜ひ置かるゝ人面の犬が尾行しつゝあり。而して辯士中止、而して拘引、而
して牢獄。−−理由に曰く國家の爲めなりと。
 あゝ國家の爲めに! 國家の爲めと信じて屍を滿韓の野に晒らしたる國民は國家の爲めに艱苦しつゝある社會民
主々義者を發見して迫害に加はるべき國民にあらず。露西亞國民は怯懦の爲めにあらず國家の爲めならざるを明ら
 族順口閉塞の決死隊と革命黨の實行委員
かに解せるが故に極東の戰爭に於て常に退却したり、而も國家の爲めには暗殺の決死隊に撰
ばれて革命黨の實行委員となる。國家の爲めなりとして旅順口閉塞の決死隊を爭へる日本國
民は、經濟的君主等の暴力に遁逃して國家の爲めに實行委員を辭返すべき國民に非らず。誤解すべからず、吾人は
爆烈彈が何事をも爲さざることを知る。時に聞く爆烈の響きは大潮流の前に岩石の横はれる爲めに生ずる飛沫の音
に過ぎず。而も爆烈彈の國家に如何なる害毒あるやと云ふ問題と係はりなく、爆烈彈其事の事實なるは常に見る現
象なり。この爆烈彈の理由を最も明らかに説明せるものは、目下露西亞に起りつゝある革命戰爭の號砲をなせるイ
ゴール、サソノフの言なり。彼はブレヴエを暗殺せる爆烈彈の使用者として彼自身を語りて曰く。
 イゴール・サソノフの爆烈彈の説明
 『露西亞政府は吾人に禁ずるに言論の自由を以てす。言論なくんば吾人は意志を通ずる能は
ずと思ふか。人類は言論なくとも意志を通じ得る靈性を有す。
 『我が社會革命黨は武器の撰擇に於て決して怯懦なるものにあらず。政府が劍を以てするとき吾人は劍を以てす
るのみ。大罪惡を犯したるブレヴエを殺したるは、罪人は刑を免かる能はずと云ふことと露國の官吏に示したるに
過ぎず。之を行はんとするまで我黨は豫備役たりとも之を行ふに於て斷然現役に服し、余はその任務を遂行するを
以て光榮としたるものなり。
 『余の受げたる服從の遂行により革命は開かれ、政府は始めて噴火山上に舞蹈しつゝありたることを知りしなる
べし。實は政府は四十年前に醫すべからざる傷を受けたるものとす。而して未だ仆れざる所以の者は専制のアルコ
ール中毒ありて僅かに意氣を張るに過ぎず。豈に之を生理的生活と云ふべけんや。
 『當時は農奴解放を以て一幕を終りたる如くなりしもこれ皮相の觀なり。農奴開放は明らかに自由と獨立とを思
ふに至らしめたりき。歴山二世の改革は是れ露西亞革命のアルファにして爾來露國々民は孜々として勉めたり。さ
れば革命のオメガーは今日に在りとす。要するに今日の問題は何人が革命の遂行者たらんとするかと云ふことに在
り。吾輩は爆烈彈を以て革命を遂行し得べしとする愚人にあらず。一爆烈彈の背後には幾萬の國民の立つを忘るべ
からず。余の如きは之を感じて泣けり。我等は國民を煽動するに及ばず。國民は巳に獨立に考慮するの智あるなり。
現今の制度は二三爆烈彈を合圖として國民の困難により倒さるべし。國民の困難と不平とは現制の維持さるゝ間は
靜まるべきにあらず。余はこの目的を遂行する爲めに三年を費やせり、而して其の一ケ年半は牢獄に在りき。斯く
の如く熟慮して行ひたる天誅や決して其の報酬なくしては止まず。余が西比利亞に在るや幾度ケラジミール大公と
ブレヴエとを一擧に仆したることを夢みたるぞ。余の如きものを戰士たらしめたるものは獨り政府の罪惡なり。余
がブレヴエを仆したるを見しときに余は余の良心の命に從ひたるを悦びたりき』。
 吾人は斯る現象を單に學理の材料として冷靜に看過する能はず、是れ吾人自身と共に迫害を言論の上に加ふる所
の非立憲なる者の戰慄すべき所にあらずや。日本國民の性格は佛蘭西人若しくは伊太利人に比較せられつゝあるが
如く忍耐の甚だ缺けたることは蔽ふ能はざる國民なり。嘗て貴族階級顛覆の時には政治狂の彦九郎を出し、民主的
運動の時には大坂にて天皇の寫眞を踏みたる門田其なる者を出し、自他の生命を重ぜざることの甚しき、殺人犯に
 べランメーの一喝と暗殺の教唆犯
放て最も多き伊太利人より遥かに凌駕せる統計を示しつゝある國民なり。多くの理由もなきも
忽ち怒りてべランメーと叫ぶ勞働者を見よ。−−このべランメーの一語! 今の勞働者が自家
の状態が如何なる理由によるかを解し而して迫害さるゝの時、べランメーの一喝と共に振り上ぐる鐵拳中には實に
サソノフの使用せる薬品を握るべし。−−この時を如何する。吾人はイゴール・ナソノフの言を讀で實に今の権力
階級が暗殺の教唆犯を敢てしつ、みるに戰慄す。
 實に言論迫害の如き蠻風は文明國の標榜に於ても爾今再びさるべからざることなり。而しながら、只奇怪なるは
迫害者が社會主義を禁壓しつゝ却て教育の普及を圖りつゝあかことなり。若し徳川家康の教育奨勵が貴族國の革命
 社會主義の迫害と教育普及の矛盾
を早めたることを忘れざるならば、全國民が與へられたる教育によりてサソノフの謂へる『獨
立に考慮するの智』あるに至りたるとき、茲に經濟的貴族階級を一掃すべき經濟的維新革命の
來るに氣付かずとは何たる矛盾と云はんか。この點に於て迫害の貫徹せるものは實に露西亞政府なりとす。彼に在
りては大學の教授に政府の命令を以て學説を決定して與へ各國々法の比較研究を禁止したりき、是れ、穗積博士の
憲法學が伊藤博文氏の憲法義解の旨を奉ぜずして獨立に講義せらるゝが如き比に非らざるなり。大學生徒にして自
 露西亞政府は迫害に於て貫徹せり
由主義の傾向を帶ぶる書籍を所有すること其事を以て退校なりき、是れミューハヘッドの倫理
學に狼狽して喜劇の限りを盡くしたるよりも遥かに周到なる注意なり。世界歴史を講ずるに希
臘羅馬の共和政治とルーテルの宗教改革と佛蘭西大革命とを拔き去りて意味なき反故の殘餘をのみ許容したりき、
是れ建武の失敗を無禮千萬にも後醍醐の溺愛にのみ負擔せしめ頼朝家康の如きを撫育愛民の者なりと稱揚する如き
歴史哲學者をして教育勅語を講義せしむる如き不謹慎の及ばざる所なり。啓蒙運動は凡べての革命の前に先きて革
命の根底なり。社會民主々義は其の實現を國民の覺醒に待つ。國民が漸く長夜の眠より醒めて社會民主々義の眞價
を獨立に判斷しつゝあるは、若しくは判斷せんと待ち設けつゝあるは實に今日までの教育に感謝せざるべからざる
 文学の普及は社會主義に入るべき鍵なり
なり。高天ケ原にても日出づる國にてもそは問ふ所にあらず、有賀博士の叛逆委任論にても
穗積博士の義時主權論にても亦顧みる所にあらず。智識を傅達すべき文字を殆ど全國民にま
で普及せしめたるは−−露西亞の革命はこの點に於て困難なるに反して、日本國民の凡ては社會民主々義に入るべ
き鍵を其の手に握れるものにあらずや、−−而して全國民によりて權力階級の包圍されたるものなり。開墾された
る畑に暫く假令雜草の蔓莚するとも、社會主義にして眞理ならば一粒萬倍として花さき實るべし。(吾人が上來社
會民主々義を批難する多くの學者を打破し來れるに對照して何れが眞理なるかを見よ)。一切は生存競爭なり、眞理
の生存競爭に打ち勝ちて社會民主々義が全國民の頭腦を占領せる時、茲に國家の意志は新たなる社會的勢力を表白
して經濟的維新革命が法律戰爭によりて成就せらるゝの時なり。
 故に社會民主々義の運動は純然たる啓蒙運動なりとす。從て、マークスとプルードンとの分離せる以來、暴力に
訴ふるものを第一に起ちて斥くるものは社會民主々義者なり。固より法律戰爭を戰ふべき法律的形式なき時代及び
國家に於ては、サソノフの言へる如く『劔に對するに劔』を以てすることは唯一なる方法にして法理學上の正當な
り。露西亞の如きは皇帝の行動が法律によりで規定されたるものあらざるが故に遵法的行爲ありと云ふ能はざる如
く、人民の行動も從ふべき規定されたる法律を有せざるを以て違法の行爲と云ふことなし。國民と皇帝との關係は
 露西亞皇帝と露西亞國民との間は法律關係なし
始めより法律關係にあらずして道徳關係か或は強力關係なり。即ち奴隷道徳によりて一
切を服從するか然らずんば強力に訴へて拒絶する關係なり。故に皇帝の公殺を死刑と云
ふことが不當ならざるならば革命黨が其の暗殺を死刑と名けつゝあることも正當なり。近代國家に於ける死刑とは
國家の目的に背反するものに對して國家の殺戮することにして方法の公殺なると暗殺なるとによりて差等さるべき
にあらず。露帝が其の個人的利uに反する國民を罪人と名くるならば、國民が國民の利uに非らずと認むる露帝を
罪人と呼ぶことは共に自由なり。罪人とは國家の利uを害するが故に國家が命名することにして皇帝と國民との
名辭の有無が理由をなすものにあらざるなり。露西亞皇帝なるものゝ發する言語を見よ、曰く『朕の臣民』、曰く
『朕の國家』と。若し農奴解放以前の如く土地及び人民が多くの家長君主等(即ち皇帝及び貴族等)の所有たる財
産ならば、財産權の主體たる權利に放て斯る主張は不當にあらず。而しながら現代の露西亞は一人を以て最高機關
 露西亞皇帝が法律的意義に於て存在する場合
を組織する君主政體なりと雖も國家の外に立ちて國家を自己の利uの爲めに手段として取
扱ふ所の家長國に非らず。然るに彼は如何なる自由を與へられたる最高機關と雖も君主た
る行動に於て法律上の效力を有するには國家の部分としての國家の意志の表白たるべく(即ち自己其れ自身の利己
心を以てする行爲にあらず)、之を外にしての云爲は何等の效力なきことを忘却せるなり。故に露西亞皇帝が國家
の機關として國家の意志を表白するものならば其れに反することは如何なることも法理上犯罪たるは論なく、殺戮
は國家の刑罰にして死刑と名けらるべし。而も彼は人民と土地とを朕の利uの爲めに殺活贈與するを得べき朕の所
有財産の如く考へつゝあるが故に、國民は始めより法理上の正當防衛に立ちつゝあるなり。強力の決定なり。刑罰
なく、犯罪なく、叛逆なく、只絞殺臺とダイナマイトとあるのみ。吾人は斷言す−−露國革命黨が止むを得ざる正
 露西亞の革命黨は政治上の利害より如何に評せらるゝも法律上の背反に非らず
當防衛によりて國家機關の破壞者の上に殺戮を加へつゝあるは、政治上の
利uよりしては如何に評せらるゝとも少くも法律上の背反に非らざる事だ
けは確實なりと。(暗殺は違法なるも國家の利uの爲めに可なりとは必ずしも凡てに當らず)。固より露西亞と雖も
法律の形式あるものは存すべし、而もそは皇帝が自己を國家の部分としての意志表示にあらずして個人的利己心の
滿足の爲めに他の國家の部分を犠牲として取扱はんとせる無效の法律なり。法律に非らず、君主専制政體が家長國
と多く差別され難き事實あるはこの理由にして、其の唯一なる國家の最高機關が法律的規定なく單に政治道徳とし
て皇帝の良心のみによりて維持さるゝが爲めに、低級なる良心のものは多く其の個人的利己心を以て自ら國家機關
 金冠の叛逆者
を破壞し國家を掠奪して金冠を戴ける叛逆者となる。露西亞皇帝にして若したとへ法律的拘束な
くも國家の利uを中心として行動すること、恰も儒學の政治道徳を持して唯一なる國家機關とし
て一歩も亂れざりし維新以後二十三年までの日本天皇の如くならば其の一言一行と雖も國家主權の發動なるが故に
之に背反することは國家に對する違法なり。然るに彼に在ては如何、國家掠奪者なり、國家機關にあらず。國家に
對する叛逆者なり、國家の主權を行使する君主にあらず。−−『朕の臣民』と『朕の國家』とを放言せる彼は實に
國家の掠奪者にして國家に對する叛逆者なり。掠奪者を驅逐せんとしつゝある革命黨も固より國家の機關に非らざ
るが故に皇帝の暗殺を死刑と宣言しつゝあることは法律的意義なしと雖も、國家の叛〔逆〕者たる皇帝の築ける絞
殺臺は彼の爆烈彈以上に法律的效力あるものにあらず。叛逆とは主權者に反することなり。故に皇帝が國土人民を
 叛逆は主權體に反することなるが故に露西亞皇帝は法理學上謀反人なり
財産として凡ての者を犠牲として取扱ひつゝありし家長國に於ては皇帝が主
權體なるを以て叛逆は皇帝の名は於て刑さるべし。公民國家の現代に於ては
主権體たるものは生存進化の目的を有する國家なり。その目的を無視する行爲と意志とあらば露西亞皇帝と雖も一
個の謀反人に過ぎざるは法理學の原理より動かす能はざる所なりとす。故に叛逆者に對する自家の防衛は法律上の
 穗積博士も露西亞皇帝の主權者に非ざることを承認すべし
正當にして、國家は自己の目的を表白する所の途を失へる者として機關の設定さ
るゝときを待つの外なし。(穗積博士の怨靈曰く『國家の動揺するときは主權の
所在不明なる時なり』と、氏も亦吾人と等しく露西亜現時の動揺によりて皇帝の主權者ならざることを主張する者
 實に、この法理學の原理よりして見ればサソノフの言は現代の露西亞に於ては明らかに眞理にして、吾人はこの
理由より今の迫害者が國家機關たる地位を逸出して自己を一介の暴徒と化し去るを恐るゝなり。今日までの日本政
 國家機關の逸出して一介の暴僕となるときに生ずる正當防衛權
府は頻々として是れあり! 内閣大臣が議員を死刑に處すべしとの命令を發する
とき彼は吾人の服從すべき國家機關たりや。巡査が勅令を出して交番の前に帝國
議會を召集せんとするとき彼は吾人の服從すべき國家機關たりや。國家機關は其の與へられたる權限内に於てのみ
國家機關たり。從來の政府なる者が社會黨に對するとき與へられたる權限の外に逸出して暴力を以てすることは是
 今の社會黨が正當防衛權を振はざるは權利なきが爲めに非らずして社會の利uの爲めなり
れ實に國家機關の破壞者たる暴僕にして社會民主々義者は權利の侵害
に對して凡ての手段を執ることを得べし。只、今の社會黨が之を看過
して防衛權を振はざるは權利を尊重せざるが爲めならずして血を流すことの多くの利uならずと云ふ利害論よりな
らんと考ふ。(天下は彼等の忍辱を讃美せよ、何者の前にも良心の服從なき彼等は其の主張の傅播さるべき利uの爲
めに警官輩の泥靴にあらゆる權利を蹂躙せられつゝあり)。故に利害論を輕視する無政府主義者より社會民主々義
に加へらるゝ嘲笑漫罵は凡てこの點に集まる。曰く、社會主義者は遵法的方法と云ふも遵ふべき法律其者が遵ふべ
 利害を無視する無政府主義者の社會主義に加ふる嘲罵
き權利によりて作られたるものに非らざるが故に、其の法律に從ひて罪惡の議會に入
るとも何等の效力ある法律を生ずべきものに非らず、社會主義者は議會的ユトピアな
りと。而しながら斯る推理的の議論に答へ得ずと云ふとも社會民主々義者に取りて決して恥辱ならず。現實は理想
の階級にして現實の社會國家に脚を立てずして理想の到達は斷じて不可能なればなり。社會民主々義の法律戰爭が
現實の不合理の法律を以て出發點とすと云ふを以て效力を否まるゝならば天下何の處に合理的なるもの存すべきぞ。
無政府主義者の或者は何者をも否定して合理的なりと云はざるべし、然らば其の多く使用さるゝダイナマイトも不
合理なりとして否定されざるは何ぞ。只社會は進化す。進化は階級鬪爭による。社會が今日まで進化し而して階級
鬪爭の優劣を表白するに投票の方法を以てするに至れり。投票は最もよく社會的勢力を表白する革命の途にして、
爆烈彈よりも同盟罷工よりも最も健確に理想の階上に昇るべき大道なり。此れなきの國家に於ては他の徑路として
叛亂と爆烈彈の途が開かる。この叛亂と爆烈彈との途を經過して法律戰爭の大道に入れるものは今の多くの文明國
 吾人にして露西亞に産るれば爆烈彈の主張者となるべし
と稱せらるゝものにして未だ徑路を歩みつゝあるは實に露西亜國民なり。吾人をし
て露西亞に生れしとせよ、吾人は社會民主々義者の口舌を嘲笑して爆烈彈の主張者
たるべし! あゝ己れの腕より地に投げられたる爆發の[火章]烟中にツアールと共に仆るゝニヒリストよ! 天國の戸
は僧の手に叩かれて開くべく、革命の舞臺は血染の花道を通りて達せらるゝ事あり、維新の民主々義者はこの故に
血ぬられたる匁を懐に潜ましめたりき。只、今日の吾人は一歩の幸運に會して立法的方法にまで進化せる現今の日
本國に置かれたるが故に、たとへ暴漢が如何に國家機關たる權限を逸出すとも、吾人は決して之に應じて正當防衛
權を主張せよと奨むるものにあらず。社會民主々義者は其の名の示すが如く個人の權威よりも社會の利uを尊重す
るの犠牲に甘ずべき時の多き事を知るべし。(吾人は重ねて今の日本の社會黨の温良なるを讃美す)。
 
 普通撰擧權の要求はこの法律戰爭の爲めなり。
 實に維新革命の理想を實現せんとする經濟的維新革命は殆んど普通撰擧權其のことにて足る。國家が主權體たら
ざる以前の革命は常に叛逆者の名を負ひて血と鐵とを以て廻轉せり、國家内容の革命は國家主權の名の下に一に投
 法律戰爭に於ける普通撰擧權の獲得は投票の彈藥庫の占領なり
票によりて展開す。−−『投票』は經濟的維新革命の弾丸にして普通撰擧權の獲
得は彈藥庫の占領なり。法律戰爭以前の革命は常に血の膏によりて其の廻轉を滑
らかにしたり、投票の弾丸による革命は拍手喝采を以て其の舞臺を開く。故に、革命の定義中に流血を缺くべから
ざる要素として加ふる如きは取るに足らざる見解なるは論なく、若し流血其の事を以て革命なりと云はゞ皇室内の
 革命は思想系を異にするを主眼として流血は要素にあらず
鬪爭も無數の革命なりとし、戰國時代の攻戰討伐の如き幾百千の革命の去來せる者
なりとせざるべからず。革命とは思想系を全く異にすと云ふことにして流血と否と
は問題外なり。從て如何に多くの血を濺ぎ屍を積むとも同一なる思想系の繼承にあらばそは戰亂と稱せられて革命
に非らず。例せば壬辰の亂を革命と云はずして大化の立法を革命と云ひ、源平の戰を革命と云はずして頼朝の鎌倉
を革命と云ひ、大阪の陣を革命と云はずして戊辰の戰爭を革命と云ふは、君主國貴族國民主國と其れぞれに思想系
を異にするを以てなり。−−社會民主々義の革命と云ふは、今の少數階級の私有財産制度(個人主義の理想したる
社會全部分の私有財産制度にあらず)を根本より掃蕩して個人が社會の部分として部分の全體たる社會を財産權の
 革命は新生兒にして普通選擧權は産科醫なり
主體たらしむる共産制度の世界たらしむる別思想系に轉ずることに在ればなり。革命とは
故に舊社會の死して新社會の産るゝことなり。固より母と子との間に大なる遺傅ある如く、
新社會が凡て舊社會の遺傅を受けて發展するものなることは論なし。只、難産にて生死の間に出入せざれば生れた
るものが新生兒にあらずと云ふ痴呆の世に存せざる如く、社會生理學の原理によりて發見せられたる投票の産科醫
は平易に新社會を誕生せしむるに至りしのみ。只奈何せん、舊社會の野蠻にして其の子を愛するを知らざる毒婦は、
自己の腹に孕まれたる胎兒を堕胎せしめんとし、産れんとする嬰兒を壓殺せんとす。毒婦の無智野蠻は常に撰擧權
の産科醫を拒絶し、獨り自ら顛轉して流血の惨憺に苦しむ。而しながら孕まれたる者は産れざるべからず、又よし
之を堕胎壓殺すとも母體自身にして強壯なる間は再び孕まる。(故に衰亡の國に革命の風潮なし)。歴史的經驗を有
する社會は如何に無智なるも流血の母體其者を苦しましむるを知り、又愛の進化は新社會が自己に代りて第二の自
己として生存する者なるを知り、又更に産科醫の力の驚くべく出産を安易ならしむる事實を知れり。故に彼が胎兒
と共に自己其者を滅ぼし得るものに非らざるを知れる以上は、又彼自身の外部的壓迫若しくは内部的不調の爲めに
衰弱して姙娠に堪へざるに至らざる以上は、普通撰擧權の猛烈なる要求を峻拒し得るものにあらず。彼女は巳に胎
兒の重きに堪へざらんとす。−−この胎兒は如何にして孕まれたる。謂ふまでもなく母體の成熟によりて發育せる
社會性と云ふ卵が社會民主々義を受精したる故なり。胎兒は實現さるべき理想として完全に作られたり。胎兒は母
體の中に躍る。殆ど呱々の聲を聽く。腹を破らんとす。月産科醫の來るを待つのみ。−−普通撰擧權は斯くの如く
にして要求さるべしとす。
 故に、社會民主々義の要求する普通撰擧運動は決して空名の爲めにあらず。今の米合衆國の如く徒らに黄金皇帝
 空名の権利にあらず
等の御意を捧じて奴隷として發言せん爲めの一票幾何の市價にあらず。一票の投票は封建の城廓
を打壞したる大砲の轟きなり。日本の現時の如く紙幤と交換すべき汚らしき手を以て投票に觸る
ゝにあらず、一片の投票を箱に投げ入るゝことによりて其の諸手は實に鮮血に滴るなり。この覺悟を以て要求する
普通撰擧權運動の前に何人かよく抗し得べき。−−凡ての者只蹴破し去るべし。吾人は一人身を挺して城門を爆破
せる大膽華麗なる愛國者の如く、轟然たる爆發の聲の日本國内に起るべきことを期待する者にあらず。而しながら
團結が一切の力なることを信じて進退一に規矩を重じたる滿洲の誠忠質實なる勞働者が歸り來る時! −−今、彼
 凱旋にあらず法律戰爭の進撃軍なり
等は續々として歸りつゝあり、人は彼等の凱旋を迎ふと雖も彼等は凱旋者にあらずして法律戰
爭を戰はんが爲めの進撃軍なり。露西亞の彼等は敗北にあらずして帝冠の叛逆者を轉覆せんが
爲めに進撃しつゝあるにあらずや。(吾れ書窓を開いて歡迎の萬歳が誠に王者の軍を迎ふる桀紂の民なることに想
ひ到りて涙雨の如き時あり)。團結は勢力なり。社會的勢力は主権なり。この團結的權力の前に尚無謀にも納税の
多少を搜で輕蔑の眼を以て眺め得るや。若し納税の僅少が擴擧權を超絶すべき理由たるならば、血税の無能力者が
重大なる政權を有することは何の理由に求めて説明する。愛國者よ! 爾等が擔架に横はりて夢心地に後陣に運ば
 血税と權利
れつゝありし時、帶の如く繃帶を洩れて曳ける鮮血は徒らに寒草を肥やすに過ぎずして權利一粒
をも實らしめざりしか。月明の夕夜陰の雨、爾等が家郷の戀妻と愛子とを想ひやりつゝ前哨に立
てるの時は、國家の大臣は赤十字社を名として醜業婦を獵さりて天下を悠遊し、萬骨只殘る一片墓標の前に、爾等
が野花を手向けて決別の涙を雄々しき拳に振ひつゝありし時は、七博士なるものは(賤ケ嶽の七本鎗にてもあるま
じきに!)硬直の譽を沾りて揚々とし、爾等の同類のものは一賣色奴お鯉の門前を警戒しっゝありしことを知らざ
りしか。戰友の骸骨が埠頭に歩み出でゝ爾等が船の煙の東に消え行くを見送りつゝ、その窪こき眼に湛へたる涙は
只家郷兒女子の音づれに過ぎざりしか。無權利の奴隷となりて兒戯の金片を胸に飾らんよりも、丈夫只鬼となりて
滿洲の野にこそ迷へ。−−吾が愛國者よ答辯せよ! 爾等は國家の部分として國家の他の部分の生存進化の爲めに
笑みて以て犠牲となりき、爾等の此の犠牲は他の國家競爭なき時に於ても上層の淫蕩遊興の爲めに奴隷として死す
 『國家の爲め』とは國家の全部の爲めか上層の一部分の爲めか
べき永續不斷の者か。『國家の爲め』とは國家の上層の部分の爲めのみにあらず
して等しく國家の部分たる爾等の妻子の爲めをも含まざりしか。露西亞の侵害に
對して國家の或る部分が脅かさるべきことは事實なり、而しながら等しく國家の部分たる爾等の階級が國家の上層
よりして常任不斷に虐殺せられつゝあることは『國家の爲めに』處理すべき途なしとするか。國家の爲めなり、四
千萬の同胞よと叫ばれたるときは四千萬の同胞を國家なりと云ふことにして二三子若しくは少數階級をのみ國家の
全部なりと考へしに非らざるべし。然るに爲めにしたる所が全く上層階級の部分にのみ止まりて−−寡婦と、孤兒
と、而して野に滿つる餓[くさかんむり孚]と! 彼等は國家の部分にあらずして牛馬の一部か! 今日は國家の部分たる一人が
全部たる君主國にあらず。少數部分たる階級が國家の全部たる貴族國にあらず。民主國とは國家の全部分が國家な
るが故に愛國の名に於て凡ての同胞に犠牲たるべき事を呼ばるなり。而して凡ての犠牲たるべき義務は凡てが目的
 『國家の爲め』とは經濟的貴族の顛覆さるゝ時の叫聾なり
たるべき権利を意味す。−−『國家の爲め』とは國家對國家の場合のみにあらず、
國家の大部分を虐殺しつゝある今の經濟的貴族を顛覆する時に要求せらるべき森嚴
なる叫聲なるぞ。資本家政府と地主議會との共犯を擧國一致と云ひ、贓品分配の喧嘩を官民の衝突と稱せらるゝ今
日に於て、『國家』の聲に眠を破られたる國民が滿洲の野より血染の服を以て進撃し來るとき、而して進撃軍を歡
迎して進撃に加はるべく用意しつゝあるとき、尚且つ普通撰擧權早尚論を唱へ得るや。外敵の城門は之を突貫によ
 國會早尚論と普通撰擧權早尚論
りて破壞し、議會の妖魔殿は普通撰擧權を以て堂々として攻め入るべし。あゝ國會早尚論に怒髪
冠を衝ける彼等は今や飜て普通撰擧權早尚論を唱へつゝあり。斯くの如くにして彼の政友會なる
ものと進歩黨なるものと、全く民主黨當年の精氣無く經濟的貴族主義の良心を以て藩閥と上院との貴族等を奉戴し
て奴隷となれり。吾人は斷言す、普通撰擧權の獲得は片々たる數千百人の請願によりて得らるべからず實に根本的
啓蒙運動による全國民の覺醒によりて彼等權力者の一團を威壓して服從せしむることなりと。凡ての權利は強力の
決定なり。團結に覺醒せるときに強力生ず。小兒が如何に數多くとも零を數千倍して依然たる零なる如く、國家の
下層にして圍結の強力なることを覺醒せざる間は權利を要求すべき基礎の強力なし。吾人はこの點に於て萬國社會
黨大會の決議に反して日露戰爭の効果を天則の名に於て讃美す。國民は團結したり。圍結の強力なることは明らか
 突貫の第一列を爭へる國民は撰擧權なき鯨波の群に甘ぜず
に意識せられたり。而して[火章]烟の間に飜へりたる『愛國』の旗は今や法律戰爭の進
撃軍の陣頭に高く掲げられたり。彼等は後方鯨波の群に止まる事を快よしとせずと
して奮ひて突貫の第一列に起てり、−−而してこの心これ投票戰爭に於ても撰擧權なき鯨波の群たる能はずして自
ら戰鬪員たらんとの覺醒なり。佛蘭西革命の三色旗が先づ起ちてバスチール城の弾藥庫を奪ひ、西南戰爭の壯士が
亦始めに是れを襲ひたる如く、法律戰爭に於ては投票の弾藥庫を占領すべき普通撰擧權の獲得が宣戰の布告よりも
先きならざるべからず。笑ふべき事の限りなるよ! 今の政府と資本家とは自家を滅ぼすべき進撃軍を却て萬歳の
聲を擧げて迎へつゝあるなり。彼等の突撃隊、彼等の決死隊、彼等の夜襲、彼等の總攻撃を稱揚して自ら得たりと
なしつゝある政府と資本家は、同一なる彼等の突撃決死隊總攻撃を以て一擧に顛覆さるべきことを解せざるか。頭
を廻らして城の後方を顧みよ、革命の火は將に爆々として燃え移りつゝあらずや。今日、日本の社會黨を以て温良
なる二三の『文士』『基督教徒』の輩と誤まるならば、是れ斥候の陰を認めて雲の如き大軍を忘却せるものなり。
大軍とは覺醒せる一般階級を云ふ。
 [火章]烟の階級鬪爭と議會の階級鬪爭
 實に一般階級が普通撰擧權を得て議會に其の戰士を送るの時、茲に階級鬪爭は[火章]烟の原野の
代りに議院の壇場に戰はる。維新革命が一般階級の覺醒によりて[火章]烟の階級鬪爭を以て貴族の
手より土地と政權とを打ち落したる如く、經濟的維新革命は投票の階級鬪爭を以て黄金貴族の資本と土地とを國家
に吸収し事實上の政權獨占を打破すべし。社會民主々義の階級鬪爭は執て代らんとするの鬪爭に非らず。否、凡て
の階級鬪爭とは運動の本隊が下層階級に在りと云ふ事にして鬪爭の結果は摸倣と同化とによりて下層階級の上層に
 階級鬪爭とは下層が上層に進化せんとするときの鬪爭なり
進化して上層階級の擴張することに在り。即ち下層階級が其れ自身の進化による階
級の掃蕩にして上層階級の地位が轉換されて下層となり、若しくは社會の部分中進
化せる上層が下層に引き下げらるゝ原始的平等への復古にあらず。(今の社會黨の或者、若しくはトルストイズムの
如きこの故に決して社會民主々義にあらず)。更に換言すれば、社會が其の進化に於て社會の部分を區劃して漸時に
進化せしむる結果社會の全部分が終に今日の上層、否固より是れ以上に進化するに至ると云ふことなり。維新革命
に於て法律上國民の全部が國家にして國家が目的なりと云ふ社會民主々義が理想として掲げられて凡ての家長君主
等の掃蕩せられて階級國家の消滅したる如く、經濟史の進行として更に生産の利uの歸屬すべき主體たる經濟的家
長君主が國家に吸収せられて國民全部が經濟團體となり經濟團體が生産の目的となり以て國家の經濟的内容に於て
 國家主義をプラトーの意義に於て嚴肅に唱へよ
社會民主々義の完き實現に至ることなり。即ち經濟的君主々義を打破して經濟的國家主
義を建設することに在り。−−あゝ國家主義を嚴粛なるブラトーの意義に於て主張せよ。
−−而して經濟的君主等の掠奪より手段として取扱はれつゝある國家主義を救ひ出せよ。君主々義とは同家の一部
分たる君主等の利uの爲めに他の國家の部分が犠牲として生死し一切の利uと終局の目的とが君主等に存するを以
て名けらる、是れ維新革命によりて法律の上より掃ひ去られたる所の者なり。然るに資本家と地主なるものと、國
家の部分たる他の勞働者と小作人とを自家の利uと目的との手段として殺活する所の君主として經濟界に存し、從
て其の經濟的勢力を政治的勢力に表はして國家主義は法文の外に見られざるに至らんとす。法律の上に見よ、大日
本帝國は嚴として生存進化の目的を有する國家なり。然るに社會黨なる者と全日本帝國民と、國家主義の假装の下
に經濟的君主々義が潜伏するに心附かずとは何たる事ぞ! 社會主義は社會主義にして現今の地理的社會の國家よ
 社會主義は經濟的君主々義に國家を掠奪せられて冷然たるはどに非國家主義に非らず
り一段の高きを理想するは論なし。−−而しながら經濟的君主々義に國
家を掠奪せられて冷然たるほどに非國家主義にあらず。社會主義はこの
國家を嚴粛に承認して更にこの國家の聯合によりて理想的獨立に發展せんとする大國家主義なり。國家主義は社會
主義の進化の一過程にして經濟的君主等は國家の反逆者なり。社會黨何ぞ國賊ならん、社會黨亦何ぞ國家を否定す
 吾人は萬國社會黨大會の決議に反して現今の國家を法律の上に是認す
るの惑亂ありや。國家は倫理的制度なりと云ひしル!テル、一切の倫理的要求
の満足を國家に求めたる孟子。吾人は萬國社會黨大會の決議に反して彼等と共
に國家を是認し、而して社會民主々義の名に於てすべし。今日の法律を見よ、大日本帝國は嚴として倫理的制度な
り、而して一切の倫理的要求を滿足せしめんことを理想しつゝあり。只、この國家の法律の下に經濟的貴族等が割
據して存し、國家主義の盜奪によりて經濟的貴族等の個人主義が倫理的光彩を汚すが故に、大日本帝國其者が罪惡
に塗られて醜なり。おゝ來るべき第二の維新革命よ。再び第二の貴族諸侯に對して階級鬪爭を開始せざるべからず。
是れ階級を超越せる國家の法律的理想によりてなり。一切は階級鬪爭による。闘爭に打ち勝ちたる者の頭上に權利
の金冠が輝やく。正義の神は衡と共に劔を有す。法律の理想たる正義は其の理想の前に横はれる腐朽の制度を打破
 權別の基礎と強力
して獲らるべき衡なることを劔に於て表示す。権利の決定は古代中世を通じて全く腕力なりし知
く、最初の訴訟法は原被兩造を法廷に喚びて決鬪せしめたり。『我は我が力を以て天下を取れり、
王たらんと欲すれば王、帝たらんと欲すれば帝』とは秀吉のみの權利獲得の方法にあらず。劔の重量に從ひて衡は
傾き正義の神は其の傾斜の上に判決を下す。今日の法律なるものは國家の機關を組織して國家の意志を表白すと云
ふ資本家階級の決定せる正義なり。資本家政府と地主議會とは黄金の分銅によりて資本家階級の恣なる方向に衡を
傾斜せしむ。劔が衡を定め戰勝者が権利を作る。腕力戰争の勝者が嘗て君主國を建て貴族政治を築きたる如く、今
日の經濟的混戰の中に於て僥倖なる者は戦勝者として凡ての權利の源泉たり。故に吾人は斷言す−−社會黨が弱く
勞働者が奴隷として甘じつゝある間は社會民主々義は法律の上のみに於ては罪惡にあらずと雖も實世間に向つては
 強力なき日本の社會民主々義は惡なり
些の權利にあらず正義にあらずと。只勝者必ずしも勝者ならず敗者亦永久に敗者ならず。平
等觀の發展と無數の百姓一揆とによりて社會の下層が武士農奴の奴隷階級より脱して強力と
なり維新革命の劔によりて貴族國を顛覆し以て平等の權利に衡を保ちたる如く、社會民主々義の現行法の下に小作
人と賃金勞働者とが劔の閃きに驚き起て團結の強力を作るとき、茲に經濟的貴族國は顛覆して經濟的平等の上に正
義の神は現はる。民主黨志士の鮮血に染めて織り上げたる憲法の敷物の上た黄金を播き散らして賭賻に耽りつゝあ
る政府と議會よ! 其賭博場を繞ぐりて廣大なる階級が久しき眠りより目醒め、夜陰に鳴り渡る社會民主々義の警
 眠れる獅子は喚び醒されつゝあり
鐘に耳を傾けつゝあるを見よ。この大團結が大丈夫の如き闊歩を以てその敷物の上に進み入る
とき盜奪の黄金は決してツランプの玩弄物に非らず。眠れる獅子は犬よりも愚なり、奴隷の百
千萬は一人の貴族に恐怖す。小作人と賃銀勞慟者との奴隷が貴族の如き權威に眼を光らして百千萬の強力に手を繋
 鍬と鐡槌とを持てる百干萬の貴族
ぎて一團となるとき、獅子は茲に鬣を振つて政界の一角に立ち上がるべし。二十日鼠の逃るゝ
樣なるかな政府と議會なる者よ! 然るに笑ふべきは此の鍬と鐵槌とを持てる百千萬の貴族の
前に無禮にも麺麭屑を投じ、獸王の耳に就きて狐の甘言を囁く者あることなり。
 
 麺麭屑! 是れを讃美して慈善と云ふ。あゝ慈善なる名の如何に人類の權威を侮辱しつゝあるぞ。吾人は饑餓の
爲めに昏倒せんとする者に向つて、惠まるゝ手を拂ひのけよと云ふほどに迂愚なるものにあらず。而しながら多く
 慈善家とは基督を逆倒して人はパンのみによりて生くと考ふる者なり
の慈善家と名けられたる蝮蛇の類は其の最も善きものも自己の道徳的快樂の
爲めに貧困者を犠牲として取扱ひ下等なる輩に至つては夜會舞躇の餘興より
以上には考へず。吾人はたとへ短銃を執て咽喉に當つるとも、掠奪者の裏門より投ぜらるゝ殘飯を嚥下し得るや。
この故に面目を重ずるものの貧困に陷るや救貧院に入るに堪へずして自殺し、其の肉體の救はるゝ者も精神の殺さ
れたる後なり。慈善家なる者の人生觀は全く基督を逆倒して人はパンのみによりて生くと考へつゝあるなり。慈善
家の最も悲憤慷慨的なるものは或は云ふべし、勞働者は清貧の尊ぶべきものにして富豪等は席上の乞食なり、勞働
 資本家地主は席上の乞食にあらず堂々たる掠奪者なり
者の勞働に衣食するものなりと。而しながら事實は決して然らずして彼等は乞食にあ
らず堂々たる掠奪者なり。吾人をして不徳を暴露して日はしめよ。若し貧困に生るゝ
ならば吾人は地上の乞食たると席上の乞食たるとを問はず他の愛に縋らんよりも寧ろ盗賊となりて掠奪せんと。社
會民主々義者は君子と名くる蚯蚓的道徳家とは別物なり。乞食は卑しめられ掠奪者は崇めらる。希臘の詩人は海
賊を高貴なる事業として詠歎し近き以前まで海賊の剛健がバイロンの詩に入りしほどに崇尊せられ、中世の騎士、
日本の武士、皆切り取り強盗を其の習りとして一個の讃美なりき。乞食は歴史上讃美されたることなく金冠は常に
掠奪者の額に在り。如何に資本家地主を席上の乞食に比して自ら快を貪ぼるとも、強者たる彼等の前に蟻の如く匍
匐して掠奪を讃美するものゝ絶えざる間は、掠奪されたる地上の乞食に對する輕蔑は永久に去らず。惠む手の唇に
は傲慢の微笑あり、受くる所の首には屈辱の冷汗滴たる。而も是れが往年の如く個人勞働の結果たるものを涙の手
 個人的生産時代の慈善と社會的生産を掠奪せる今日の其れ
に割きて他の不幸なる個人と共に分ち喰ふならば、吾人はこの尊き人を地に伏して
拜すべし。然るに蒸氣と電氣とによる社會勞働の凡てを上層の少數部分にて掠奪し
其の掠奪の爲めに不幸に繋がれたる社會の大部分を『慈善制度』の牢獄に押し込みて鐵柵の間より麺麭屑を投じつ
ゝありとは何たる殘酷ぞ、−−惡魔にも優さる。野犬と講壇社會主義者とは慈善に欺かれ得べし。人類は犬の如く
食を得て足れりとするものにあらず、社會民主々義に覺醒して貴族の如き個人の權威を得たる勞働者階級は講壇社
會主義者の如く路傍馬糞の傍に土下坐して黄金大名を禮拜するほどに無恥なる良心を持たず。慈善を言ふ者の前に
慈善なる名を以て金錢を投じ見よ、烈火の如く怒らざるか。社會の凡てが慈善を受くるを恥ぢとするに至れるは
 慈善を恥づるに至れるは奴隷の卑屈を脱して貴族たらんが爲めなり
奴隷の卑屈より脱して貴族の良心に心臓を染めたる者なり。凡ては強力関係
なり。力によりて掠奪したる時代は力によりて掠奪し、今の法律によりて掠奪
しつゝある者は新たなる法律によりて掠奪すべし。強力即ち正義。黄金貴族が力ある間は今日の掠奪は當然にして
吾人は餓[くさかんむり孚]の傍に立ちて尚且つ彼等の掠奪を正義なりと承認せん。獸王が一切を慴服せしめて其の牙が血に染まり
たるとき正義とは即ち社會民主々義なり。吾人は涙を流して議論の補助とするものに非らず、鐵よりも冷たき權利
 社會民主々義と個人の貴族的權威
論に訴へて社會民主々義を唱ふるものなり。麺麭屑の問題にあらず、麺麭其者の問題なり。餓
ゑたるものに麺麭屑を投與せよと云ふ道徳論にあらず、麺麭に對する權利の爲めに餓ゆる事を
顧みざる森嚴なる權利問題なり。武士は喰はねど高揚子。全社會にしてこの貴族的權威なくして何の社會民主々義
ぞ。
 否! 權威に覺醒したる彼等が今眼前にパンを投げられて侮辱せられつゝある如く、彼等の餓ゑたりしときには
 聖書をパンにせよと云ふ惡魔の試み
宗教家なるものは聖書を指しつけて愚弄しつゝありき。『イエス聖靈に導かれ惡魔に試みられ
んが爲めに野に往けり。四十日四十夜食ふ事をせず後餓ゑたり。試むる者彼に來りて言ひける
は爾若し神の子ならば命じてこの石をパンとせよと。イエス答へけるは、人はパンのみにて生くるものに非らず唯
神の口より出づる言に因ると録されたり』。あゝ基督にも非ざる彼等は何者の導きによりてか路傍に食を乞ひて立
てり。彼等は眞に神の子なりや否やを四十日四十夜の餓の後に於て惡魔の前に試みられつゝある者なり。饑ゑたる
神の子が喰はれざる石をパンにせよと嘲笑せられたる如く神の子に非らざる彼等は一粒をも生ぜざる紙片の補綴を
眼前に指しつけられて、爾等奇蹟を行ひ得るならばこの聖書をパンにせよと愚弄せられつゝあるものなり。惡魔は
充分に其の試みを盡したるべし。−−然るに何事ぞ! 經濟的進化の爲めにパンを得更に神の權威を得んと努力し
つゝある彼等に惡魔は再び愚弄を始めたり。曰く、爾等は往年より善き生活を爲すにあらずや、物質的幸福を求む
る勿れと。蚯蚓的宗教論は個人の權威につきて何者をも解せず。
 
 資本勞働の調和と公武合體論
 而して又、この森嚴なる權利問題の前に下劣なる講壇社會主義者なる者は資本勞働の調和と云
ふ。あゝ資本勞働の調和−−何ぞ公武合體論に似たるや! 若し貴族諸侯の土地が掠奪なる事を
日本歴史によりて知らざりしならば、而して資本が勞働の掠奪なることを『資本論』によりて知らざるならば、公
武合體論は今日に存在すべく、資本勞働の調和は地球と共に永遠の制度たるべし。今の講壇社會主義者にして穗積
博士が統治權は天皇の皮膚に附着せるものなりと主張する如く、其の經濟學に於て資本家は母體より出づるときに
其の臍の上に銀行券を貼附したりと論じつゝあるならば議論は貫徹すべし。然るに噴飯の甚しき、講壇社會主義者
 勞働の具體的表現たる資本と勞働の調和と云ふことは意味をなさず
は資本の發生の勞働なる事を認め、其の資本によりて更に他の資本の生ずるこ
とを認む。然らば資本は即ち勞働の具體的表現なり。言ひ換ふれば−−資本と
勞働との調和と云ふことゝなる。斯る説明は隻手に聲ありやと問はれたる時に答ふべし。(第一編『社會主義の經
濟的正義』に於て彼等の資本と資本家とを混同しつゝあるを論じたる所を見よ)。斯くの如くにして彼等は資本勞
働の調和なる名の下に資本家階級の利子利潤と勞働者の賃銀とが生産物を分配すと論ぜり。前きにも説ける如く、
 農夫と其の牛とが蒭草を分配すと云ふ講壇社會主義の文法
舊派經濟學の賃銀基金説の價値なき臆説なるは論なく從て其の上に立てるラサール
の『賃銀の鐵則』が修正なくして唱導さるべからざるは論なし。而しながら農夫と
其の牛とが蒭草を分配すと云ふが如き文法が國定教科書に採用されざる間は、分配とは斯る關係を言ひ表はす文字
にあらず。命令し、而して服從す。統治關係なり。經濟的貴族國の君主等が御機嫌と利害とによりて其の農奴と奴
隷との上に殺活の權を振ふ所の君臣關係なり。維新革命黨に向つて貴族と其の家老等の上級武士が米禄を多くすべ
 維新革命黨に米碌を多くするが故に國體論を止めよと云ふ社會政策
きが故に國體論を止めよと云はゞ笑ふべきことの限りなりしなるべし、今の講
壇社會主義者は經濟的大名其者の否認に蹶起せる勞働者階級に向つて『賃銀の
値上げ』と云ふ狐狸の甘言を以て沈壓し得べしと考へつゝあるなり。勞働者は餓を訴へて鳴號する犬にあらず、社
會民主々義は勞働者階級が單に貧困より脱し得たりと云ふことを以て足れりとするものにあらず。實に獸王の目醒
めたる憤怒なりとす。
 金井博士の『社會經濟學』は曰く、
 金井博士の社會黨觀
 『現今獨逸に最も強大を極め他の歐州にても同情を表するもの多き社會民主黨の如きは畢竟政
冶上の革命思想と經濟上の缺亡との間に古來屡々ありし所の聯合が其の形を變じて發生せるもの
なるに過ぎず。この黨の煽動擾亂に對する最上の手段方法は社會の改良即ちこれなり。最近經濟學の攻究、獨逸帝
國の一八七七年以來皇帝とビスマークとの力によりて多少實際に行へる社會政策は畢竟これに外ならず。この社會
政策を行ふに際し法令違反の行爲又は擾亂煽動等を禁制し、若しこれを犯すものあるときは之を嚴罰に附すべきは
最も必要なる方法なること勿論なり。一之を換言せば一方社食黨に對する法令と其の執行とは之を嚴にし、他方に於
ては彼等の依て生ずる所の原因を極めて着々社會の改良を葹して弊害を漸時に掃蕩することを必要とす』。
 『從來社會民主黨の政治上並に道徳上の危險に對し各國政府の執りたる手段方法の中には正當なるものあり失策
に陷れるものもあれども……顧ふに此の黨の亂暴狼藉に對して強制手段と教訓勸誘等の方法によるのみにては決し
て禍害を全然掃蕩するに足らざるべし。必ずや是れと同時に細民の貧困を救ひ貧富懸隔の程度を緩うし之に對する
惡感情たるものを排除し……』
 田島博士の社會黨觀
田島博士の『最新經濟論』は曰く、
『社會黨はもと社會問題解釋を目的として起りたるものなれども、今や社會黨それ自身が社會
間題の目的物となれり。如何に社會黨を處分すべきやば實に社會政策上の一難問なり』
 以て如何に馬鹿大名と其の家老等とが『處士横議を如何にすべき』として空虚なる頭腦を叩きつゝある樣を見る
べし。
 
 所謂社會主義者の無理想なる者よ。斯く根本組織を革命せんとするものと根本組織を維持せんとするものと如何
にして調和し提携し得べきか。社會民主々義の名を汚辱するに過ぎざる盲動者の一群よ。賃銀の値上げ、八時間勞
 社會民主々義はパンの問題に非らず
働、強制保險法、−−斯るものが社會主義なりと云はゞ吾人は斯る無理想の盲動者より社會民
主々義の名を剥奪して公武合體論の中に馳り込むべし。維新革命は納税の苦痛を訴へて竹鎗蓆
旗を掲げたる百姓一揆と決して同一に非らざる如く、米價の高きを訴へ賃銀の低廉を叫びて同盟罷工をなす如き工
場一揆は斷じて社會主義と同一視さるべからず。社會の進化は階級的層を追ひて漸時に上層に進化し上る事に在り。
故に維新革命が君主の絶對的自由にまで貴族階級の進化して各地に君主として臨みたりしものより、更に全國民が
武士土百姓の階級より脱して君主にまで進化せる貴族階級に進み入りて國民全部の自由獨立と個人の絶對的権威を
實現して『民主』となりし如く、經濟的内容に於て維新革命の法律上の社會民主々義を完き現實の者とせんとして
努力しつゝある社會民主々義は、今の小作人と賃銀勞働者とが今の經濟的貴族若しくは其れ以上の經濟的幸福と其
れに伴ふ凡ての政治的道徳的進化を得んとする全社會の貴族主義なり。故に、(繰り返へして言ふ如く)彼の『平
民主義』の名の如きは其の無理想なる事講壇社會主義の輩と大差なきものにして、徒らに工場一揆の頭取たるに
過ぎざる者の言行なり。社會民主々義は全社會の名に於て、即ち個人の凡てを擧れる個人の權威の名に於て唱へら
るべし。賃銀の値上げ、八時間勞働、強制保險法等によりて貧困が除去さるゝならば講壇社會主義者の所謂社會政
策なる者は成功して、『平民主義』の理想たる下層的平等、清貧の平分が實現さるゝときなり。社會民主々義は『貧
困』と『罪惡』とより以上に高遠なる理想として社會進化の宗教的理想界と而して當面の要求として個人の權威あ
り。若し賃銀の値上げ、八時間勞働、強制保険法等によりて社會民主々義の理想が一分なりとも滿されたりと云ふ
ならば−−奇怪にあらずや、其等を得たるが爲に獨乙社會民主黨は更に飛揚して進み征服の翼は垂天の雲の如く全
世界を蔽へり。眠れる獅子は犬よりも憐れなり、而しながら醒めたる獅子と雖も餓ゑては鐵鎖を脱する能はず。愚
 講壇社會主義は餓ゑて鐡鎖を脱する能はざる獅子に一臠の肉を投ずる愚なり
も茲に至つては歴史家の特筆を要すべし、−−講壇社會主義者なる者は醒め
たる獅子の餓ゑたるに向つて一臠の肉を投じ再び眠らしめんと考ふるか。封
建時代の百姓一揆は屡々繰り返へされて滿腹となり維新革命によりて鐵鎖を脱したり。日本社會黨の獅子は低廉な
る賃銀と、過度の長時間勞働と、疾病老癈の不安とによりて其眠りより醒めたる力なき身を鐵柵内に横へて未だ起
ち上がる能はざる者なり。三百萬の投票と八十二人の代議士とを以て獨乙皇帝を侮弄しつゝある社會民主黨よ!
是れ柵外の恐怖によりて投げられたる一臠の肉の爲めに鐵柵を噛みて吼え猛りつゝある者にあらざるなきか。固よ
り獅子は死にまで餓ゑしむる能はず。獅子は凡ての者を裂きて食ふべき牙を有す。而しながら餓ゑては勞働者と雖
 社會民主々義が先づ社會政策の實行を求むる理由
も大膽にその同盟罷工を繼續する能はず。勞働組合の大聯合を爲して軍事費を備ふるこ
とは朝夕の妻子をも養ふ能はざる低廉なる賃銀の與ふ所にあらず。過度の長時間勞働は
理性ある生物より考ふるの時を奪ひ社會民主々義を受け入るゝ腦力を枯渇せしむ。日本の獅子が今日尚畜主たる資
本家と地主の前に柔順なるは、只餓の爲めに力なきが故にして、−−あゝ、獨乙社會民主黨の猛烈なる勢よ、其の
滿腹によりて獅子の權威を表はし、多數黨の當然に占むべき副議長の椅子をも一匹夫獨乙皇帝輩に敬禮せざるべか
らざる不面目の爲めに弊履の如く棄却し、一撰擧毎に幾何級數の速力を以て投票と議員とを揄チしつゝあるに見よ。
(この點に於て今の日本社會黨の志士は肉の所在を指示せる鋭眼として『日本社會黨史』の第一頁に初號活字を以
て印せらるべき光榮を有す)。日本歴史が存在せる限り掠奪者たる大名貴族の殘骸をも許容すべきものに非らざり
しが如く、資本家掠奪の歴史が明示されたる『資本論』が燒かれざる限り、如何に公武合體論を以て讓歩せんと
するも讓歩は更に次ぎの譲歩を迫り、−−否、讓歩を待たず法律戰爭の劔の下に經濟的貴族等が壓伏せられざる限
 處士横議を如何にすべきやと云ふ講壇社會主義の難問
り、決して『社會政策上の難問』は去るべきにあらず。革命の前には常に調和折衷の
好名辭を以て怯懦蒙昧なる言議を見る。馬鹿大名と其の家老とが處士横議を如何にす
べきと空虚なる頭腦を叩きたる如く−−當時の處士は元老となりて禿頭を叩きつゝあり−−この社會黨を如何にす
べきやとの問題が如何に法學博士大學教授の尊嚴を有する講壇社會主義者に取りて難問と稱せらるゝも、革命は斯
る合體論者を蹴散らして進む。孕まれたるものは産れざるべからず。産婦の腹に膏藥を貼附して苦痛は去るものに
あらず。吾人は斷言す−−社會民主々義の革命の前に所謂社會政策の讓歩あるは分娩の前に營養物を送るが如きも
の、社會民主々義者は新生兒の利uの爲めに又舊母體の安産の爲めに強く之を要求し、譲歩なきときに於ては強力
によりて獲得するものなり。社會政策なる者を以て社會民主々義を刈り取らんと考ふる如きに至つては胎兒を堕胎
 社會政策なる者を以て社會民主々義を絶たんとするは堕胎せんとして牛乳を求むるの愚なり
せしめんとして盛に牛乳スープを用ひよと云ふ藪醫と髣髴たり。金
井博士と田島博士とは餘りに賢明にして明治人名辭書の一隅〔にあ
る〕も頗る疑問なりと雖も、斯くの如き議論は如何に私有財産制時代の頭痛が興味ある形に組織されたるかを示す
者にして彼等の大著は後世の歴史的研究者に取りて博物館の珍品なり。(否、彼等は通辯なるを以て此の光榮に與
かる能はざるも知るべからず、責任者は外に在るべし)。
 
 故に、吾人は階級的利uより超越して公言す、即ち社會民主黨に對する唯一の方法はビスマークの敢行したる沈
 社會黨に對する唯一の方法は沈壓政策の外なし
壓政策のみに在りと。露西亞が爲しつゝある如く腕力を以て孕まるゝ凡ての胎兒を虐殺
することに在りと。ビスマークの沈壓政策なくば獨乙皇帝は其の帝座を十年以前に斥け
られてカイゼル萬歳の忌はしき聲は今日の獨乙國に聽かれざるべく、日本と殆ど同時に憲法を要求せられて今尚
ツァールは壓虐の砲火を開らきて宮城を護り、専制主義の母體が恣なる生活を續けつゝあるなり。−−何處に於て
も權力者は博士輩よりは惡なりと雖も大學教授を誇りとする者よりは遥かに賢なり。露西亞が革命運動を解する能
はざるほどに國民を愚蒙に繋ぎたると同樣に、今の政府は實に聰明にも先づ迫害の手を啓蒙運動の上に加へて言論
の迫害を敢行しつゝあるなり。而して見よ更に壓虐の足を擧て公武合體論者の所謂社會政策を蹂躙しつゝあるにあ
 對社會黨の政策として啓蒙運動を迫害し又所謂社會政策を蹂躙しつゝある日本政府は堂々たり
らずや。窶迫害も斯くの如くんば堂々として丈夫の者なり。ビス
マークの社會政策は講壇社會主義者の推測し得るが如きものにあら
ず。歴史は吾人に斷言を命ず。ビスマークの社會政策は其の強力によりて壓制せしだけ其れだけ成功したり、而し
て社會民主黨の強力によりて讓歩せしめられたるだけ其れだけ失敗したり。講壇社會主義者の指して以て彼の社會
 ビスマークの沈壓政策の効果
政策となす強制保險法等は實に彼のものにもあらず又彼の本意にもあらずして社會黨の強力が或
る程度まで彼の手によりて凱歌を擧げたる者なり。只、彼は其の打ち勝たれたるに係らず尚沈壓
政策の鐵槌を振ひつゝ社會民主黨と戰へり。−−而してこも亦打ち落されたり。ルヰ十六世が兒女子烏合の衆によ
りて斷頭臺に昇るに至れるは其の同情に厚き『小羊』なりしが爲めにして今の禳西亞を見よ、全版圖に沸騰せる大
 佛蘭西革命を見てナボレオン沈壓政策なきを歎ず
革命に包圍せられて恰も大海の波濤中に孤島の立つが如く能く護りつゝあるにあらずや。
ナポレオン、ルヰの王城に突貫しつゝある群集を見、囁きて曰く、何が故に一たび砲火
を開きて追ひ散さゞるやと。實に終局は維持すべからざることなりと雖も權力階級に取りては唯一の途は迫害より
外なく、彼等の前に跪きて社會國家の利害を説くは彼等の権利を侮辱する者なり。吾人は科學的研究の名に於て斷
言す、迫害は強者の利uにして権利なりと。
 社會主義を迫害することは却て社會主義を盛ならしむる者なりと云ふ社會黨の聾言しつゝある所は僞なり
 即ち、此の斷言は社會主義を迫害する事は却て社會主義を
盛ならしむる者なりと云ふ社會黨の聲言しつゝある所の僞り
なることを示すと共に、講壇社會主義者の公武合體論が爲しつゝある所謂社會改良策が何の價値なきことを表は
すものなり。社會改良策とは上層階級の意志を以て全社會の利uなるべしと考ふる所を強制する者なり。吾人は上
層階級の社會政策が上層の利uのみを中心としての行動なりと云ふことの惡感の爲めに事實を無視するの階級的感
 社會政策は上層の利uを中心とする者に限らずと雖も階級的智識感情の爲めに社會全體の利否は確實ならず
情なることを知る。而しながら上層階級の者は特殊に卓越せ
る者、例へばトルストイの如き、無政府黨のクロボトキン公
の如き者に非らずしては、其の容貌が階級的美を表はしつゝある如く智識も感情も凡て階級的作成を脱する能はず
して、其の良心に從てする行動と雖も必ずしも下層の利uを來すべき社會改良なるや否やは確實なりとすべからず。
故に吾人は斷言す。社會民主々義を解せざる國民に上より欽定的に社會政策を降下するは價値なき事なりと。眞の
人格ある公民國家が大化朝廷の夢想によりて産れず、全國民にまで國家の永久的存在と云ふ生存進化の目的が意識
さるゝに至るまでに國家意識の發展擴張することによりて始めて維新革命となりて生ぜる如く、社會民主々義は一
片の勅令にて建設さるゝものに非らざるは論なし。否、社會民主々義は決して藩閥内閣若しくは政黨内閣によりて
實現さるゝものに非らざる如く、たとへ今日の社會黨の二三先覺者を以て内閣が組織さるゝも、今日の日本國民に
ては實行さるゝものに非らざるは論なし。固より權力階級にして社會主義に傾くことの幾分なると、社會主義を排
 階級鬪爭の歴史學及び倫理學
斥することの強烈とは實現の遲速に大なる影響あるべしと雖も、歴史學上の事實としても権力階
級が自ら進みて其の消滅を提唱したるものなく、又良心の階級的作成の倫理學によりて然るべき
理由なし。各階級は各異なれる階級的利害を有し、階級的智識階級的感情を有し、階級的良心を有す。(凡て先き
に説ける『社會主義の倫理的理想』及び『生物進化論と社會哲學』を見よ)。−−斯くの如くなるを以て階級的良心
と階級的良心との衝突は恰も宗教を異にし道徳を異にせる時代の國家が其の地方的良心の衝突を戰爭に訴へて決す
るより外なかりし如く、階級鬪爭は法律戰爭による強力の決定の外に途なし。この階級闘爭の歴史學と倫理學とを
解せざるが爲めに、維新革命を以て封建諸侯が尊王忠君の爲めに政権と土地とを奉還せるものとなし、其れの如く
 日本の國家社會黨は全く階級鬪爭につきて無知なり
今日の經濟的大名階級に向つて其の生産權と土地生産機關とを國家に−−或者は天皇
に−−奉還せしめんと論ずる講壇社會主義者を見るなり。(國家社會黨の領袖山路愛
山氏の如き其の土人的歴史家なる點に於て斯る議論の著しき代表者なり)。幕末の志士をして徒らに道徳の講義を
以て天皇を不斷の幽閉と不斷の脅迫讓位とを以て壓伏しつゝありし貴族等に對せしとせよ、強者の權によりて得た
る土地と政權とを有する貴族等は『奉還』を云ふものを以て自家の權利を侵害するものとなし其の沈壓政策を以て
現今の世に徳川氏は嚴として繼續しつゝあるべし。天則に無用と誤謬となし。宗教道徳を異にせる國家と國家とが
 政權奉還に反せざる如く生産權が天皇に奉還さるゝ時を待つべからず
戰爭によりて其の地方的良心の衝突を決定したりし如く維新志士の民主々義の
良心は貴族階級の良心に向つて暗殺と戰爭とを以て打ち勝ちたり。經濟的維新
革命は只法律戰爭によりて強力を決定すべきのみ。喰人族に向つて佛教の原理を説きて喰人族に作られたる良心を
一夜に入れ替ふる能はざる如く、今の經濟的貴族階級に作成せられたる資本家地主の良心に向つて生産權奉還を呶
々して足れりとする國家社會主義者に放任せば、社會民主々義の實現は地球が慧星と衝突せる後なり。天下の事凡
べて啓蒙されたる後なり。維新の民主的革命は其の三百年の平和による下層階級の經濟的進化と進化せる權利思想
 社會の進化は一に進化せる權利思想に社會が啓蒙さるゝことなり
の説明を古典儒教に求め、長き啓蒙運動の後貴族階級を掠奪者の名に於て顛覆
したり。彼等は中世史の始めに於て權利たりしものが社會の進化によりて掠奪
者となれるのみ。この社會進化は一に進化せる權利思想に社會が啓蒙さるゝことなり。今日に至るまで個人主義の
勞働による權利として個人が資本と土地とを所有する事は少しも掠奪にあらず當然なる權利なり。而しながら『資
本』が蒸氣と電氣との上に跨がりて他の小資本家を併呑し資本の高利に對抗する能はざる小有土農を併呑するに至
っては是れ明らかに個人主義の理想たる今日の正義にも反するものにして、社會民主々義の啓蒙運動によりて全社
 『掠尊者』とは新らしき權利思想が舊き其れを名くるなり
會が進化せる權利思想に覺醒するに至らば茲に經濟的貴族は掠奪者の名を負ひて顛
覆されざるべからず。この社會進化の理法を解せざるが故に、山路愛山氏一派の如
きは維新革命の其れの如く権力階級を奉戴し利用せよと云ひ、又或者の如きは日本現代の經濟的進化の未だ甚しき
低級の者なるを見て社會主義早尚論を唱ふるに至るなり。天地萬有たゞ『力』なり。社會は強力によりて動く。勝
てば是れ官負くれば是れ賊。凡ての善惡は階級鬪爭の決定なり。社會民主々義を眞とに知れるものは明らかに覺悟
すべし−−今日の時代に於て社會民主々義者は罪人にして上層階級は其の階級的良心に從ひて處罰すべき權利と義
務とを有すと云ふ事を! 進化論の思想は世に絶對の善と絶對の惡との二元的對立を許容せず、哲學に於ても絶對
 世に絶對の善なく絶對の惡なし
の無を假定することは維持すべからざる系統となれり。善惡とは進化的善惡にして進化の程度を
異にするよりのことに過ぎず。古代の善は進化して中世の惡となり中世の善は又更に進化して近
代の惡となる。而して社會の上層は凡てに於て下層階級の理想として到達を努力する、即ち模倣の對象たるを以て
善に於ても最も進化せるものなり。故に上層はこの大體の理論よりして未だ進化せざる下層の階級的善を國家の名
 上層は其の進化せる善を以て下層の進化せざる善を排撃するを得べしとの意味に於ける今後の刑法學
に於て犯罪者として處罰するの權利と義務とを有するなり。(こ
の意味に於て今後の刑法學は組織さるべし。『社會主義の倫理的
理想』を見よ)。而しながら如何なる個人と雖も其の良心の進化は程度なり。今の所謂社會主義者が其の個人主義
の獨斷を繼承して却て社會の政治的組織たる國家を否定する如きを見て直ちに社會民主々義に累を及ぼし、彼等に
對するに個人の自由を尊重せざる良心を以て臨むときには如何ともすべからず。國家主權の現代に於て、國家の機
關が其の個人的利己心の爲めに國家の一部分としての自己が意識する社會的利己心と背馳するならば其の言行は明
らかに法理學上の無效なりと雖も、其の良心の命ずる所によりて行動するならば其等より進化せる良心なりと雖も
進化せざる犯罪階級の良心と共に法理學上の犯罪なるは論なし。而しながら斯くの如きは法理學上の思辨に過ぎず
して人の内心に立ち入りて國家機關が良心の命令に從ひしか將た利己心の發動を抑ふる能はざりしかの如きを知る
途なきは論なく、特に多く階級的良心によりて行動するを以て其の言行は凡て法理學上の效力を有するに至つては
 將來の善を迫害しつゝある現代の善として上層階級は社會黨の迫害につきて自己の良心に背かず
社會民主々義者なるものは誠に森嚴に考へざるべからず。平靜に
萬事を見よ、世に惡人は甚だ少なくして皆悉く自己の有するだけ
の良心によりて行動しつゝあるものなり。社會黨に對して沈壓政策を執りつゝある上層階級を見て彼等の良心に背
反せる彼等の惡に基くと解するが如きは吾人斷じて執らず。彼等は現代の善によりて行動し、社會民主々義者は將
來の善によりて行動するなり。茲に至ては凡て強力の決定なり。強力とは社會的勢力なり(單純に中世時代の腕力
が社會的勢力を集めたることを以て今日の強力を腕力と速斷すべからず)。社會的勢力は社會の進化に從ひて新陳
 迫害の定義
代謝す。−−故に迫害とは権力階級が認めて以て社會の生存進化に害ありと考ふる言行を社會的
勢力たる能はざらしむる凡ての手段なりと定義すべし。人は先天的に自由にも非らず。平等にも
あらず。自由を承認する社會、平等を原則とする國家の内に於て其の良心が自由平等を尊重する所の良心として作
成さるゝが故に自由平等なるなり。故に社會民主々義の時代と雖も個人主義の假定の如く個人の自由は絶對的のも
のにあらず。裸體にて大道を行くとせよ、社會は其の自由を尊重する能はず。放火を敢行すとせよ、姦通を公行す
とせよ、國家の土地と生産機關とを掠奪して私有財産制を復古せんことを圖るとせよ、斯る自由は社會民主々義の
強力を以て壓伏すべきは論なし。(只、道徳の本能化して個人的利己心と社會的利己心の衝突なく、從て他の個人
若しくは個人の集合たる社會と自由の衝突を來すことなしと云ふにあるのみ)。凡べては強力の決定なり。宗教と
 地方的良心の衝突たる國家競爭が強力に決せられし如く階級的良心の衝突たる階級鬨爭に於て迫害が却て敵勢を盛ならしむと云ふは痴呆なり
道徳とを異にせる國家と國家とが其の地方的
良心の衝突を干戈に訴へて決定しつゝありし
時代に於て、猛烈なる攻撃は却て敵勢を盛ならしむと云へる痴呆ありしや。今日の日本の社會黨なる者が權力者の
強力に恐怖して迫害は却て社會主義の勢を盛ならしむと論じつゝあるが如き、法律戰爭の兵學につきて甚だ無智な
りといふの外なし。凡べては啓蒙運動に在り。凡べては強力の決定に在り。
 實に、權力階級の良心に於て社會民主々義が社會の生存進化の目的に背馳すと考ふるならば法理學の上より社會
民主々義の迫害は権利にして又義務なり。
 
 地主資本家の處分策は主義の問題にあらずして政策論なり
 從て、この法律戰爭による階級的良心の衝突と云ふことを解するならば、社會民
主々義の實現後資本家地主を如何に處分すべきかと云ふが如き問題の眞に枝葉のも
のなるを知るべし。沒収すべしと云ふとも、公債を與へよと云ふとも、其の公債を無利子と云ふとも年限附の有利
と云ふとも、吾人は決して斯ることせ論ぜざらんと欲す。是れ主義の論にあらずして政策論なり。以上の説明によ
りて知るべし、今日如何に上層階級の安ずべき無數の條件を附加し、又社會民主々義に對する一般の惡感情たる極
端過激と云ふが如き讒誣の中より逃れんとするも、經濟的大名等が生産權奉還を申し出づるが如き勤王論は期待さ
るべからず。主義は主義として宣傳さるべく、理論は一分も例外を許容せず。極端と云ひ過激と云ふが如きは其の
主義を持する個人の性格若しくは社會的勢力の強弱を表はすものにして主義その事は理論として必ず推理力の及ぶ
 極端と云ひ過激と云ふは其の主義を持する個人若しくは社會的勢力を表はすのみ
終局まで指示せざるべからず。社會民主々義の最初にして最終なる運動は
只一の啓蒙運動にして政策論の如きは其の啓蒙されたる社會的勢力の如何
に伴ふ一時的現象なり。即ち、資本家地主を如何に處分すべきかの如き問題は今日の社會民主々義者にとりて全く
無用なりと云ふ事なり。固より政策は時代と地方とによりて其れぞれ異なるものにして、彼の佛蘭西革命の時僧侶
貴族の財産を沒収したるは個人主義の時代として私有財産を失ひたる彼等は直ちに社會の下層に落ちて退化せざる
 個人主義の革命と其の政策
べからざるが故に政策として失敗なるのみならず、個人主義の理論よりして國家と云ふ機械的作
成の者が如何にして不當なる彼等の財産を沒收する正當なる權利を有するかを説明する能はず。
故に、獨乙及び日本の如く公債を以て貴族の土地に代へたるは社會の動亂を避くる便利なる政策たりしのみならず
私有財産制の時代として理論よりしても正當なり。而しながら社會民主々義の革命は法理上個人に分割されて存す
る私有財産を(而しながら事實は經濟的貴族階級に占有せられたる社會の上層部分の私有財産を)社會全部分の共
 個人主義の革命後と社會主義の革命後
同所有に移すことにして、個人主義の革命の如く法理上上層階級に占有せられたる社會の上
層部分の私有財産を社會の全部分たる個人に分割して個人の私有財産を平等にせんと理想し
たることゝは全く異なるなり。歴史は繰り返へすものにあらず。社會民主々義の實現されて凡ての個人が社會の部
分として共同財産の所有者たる時代に於て、個人主義時代の政策を襲蹈せんと考ふるは政治學の無智なり。社會民
主々義が眞理に缺くる所あり、若しくは時代の進化せざるが爲めに國民が啓蒙さるゝこと廣からざるならば、強力
の薄弱と云ふ階級鬪爭の理由によりて政策論とは別問題に今日の掠奪階級の痕跡を印すべし。主義其者の啓蒙運動
以外未だ何の要なき今日に於て個人主義時代の政策論を社會主義の上に繰り返へすべきや否やを論爭するが如きは
 今の所謂社會主義者は政策論に於ても個人主義時代の繼承なり
只盲動と云ふの外なし。(實に今の社會主義者と稱するものは徹頭徹尾佛蘭西革命
時代の個人主義なり)。戰場に引かるゝ國民を見よ、『國家の爲めに』と云ふ社會
主權の發動によりて生命其者をも沒收さるゝに非らずや。吾人は固より個人主義時代の思想の如く個人を終局目的
と考ふるものに非らざるは社會主義者の名が示す如くなりと雖も、而も個人の生命が今日の法律に於てすら何者の
代替物を以ても計算さるゝものとされざるを知るならば、貴き個人の生命すらも國家の利uの爲めに犠牲として沒
 『國家の爲め』と云ふ個人の沒收と『最高の所有權』の經營
收せられつゝある社會主權の今日に於て、社會の主權が社會の生存進化の利uの
爲めに巳に其の『最高の所有權』として有する土地と資本とを經營するに何の法
理學が之を妨ぐるものぞ。マカルロックは其の經濟學以外より外解せざる唯物論を以て、勞働者は長き時間と大な
る辛苦とによりて造られたる機械なりと云へり。其の運轉によりて年々歳々父母妻子を養育するに於て或は似たり
 勞働者と云ふ『生産機關』を使用し破壞しつゝある社會の權利
とすべし。然らば其の生命機關が最もよく運轉する時代即ち徴兵の期間を社會の
利uの爲め某社會の主權によりて使用し、必要の場合には戰場に送りて機關其者
を破壞するの自由なる今日の社會主義の法律の下に於て、資本の掠奪たる生命なき凡ての生産機關が國家の所有權
によりて國家が國家の利uの爲めに使用するに何の權利か之を拒むべき。私有財産制の今日勞働に劣れる婦人若し
くは全く勞働する能はざる小兒を殘して而も憐むべき生産機關は一言の賠償と云ふが如き汚はしきことを口にせず
して笑みて犠牲となるに非らずや。土地と資本との公有は資本家と地主にとりて犠牲にあらず彼等をして其の地位
を維持して其の地位にまで進化し昇れる全社會と共に公共財産の共同所有者たらしむることなり。其の妻と子とを
 公債の所有者は私有財産制の革命に於ては正當なるも共産制の革命に於て經濟的貴族が華族として殘るは人類に獸尾あるものなり
勞働の途なき下層に陷るゝ今日の如くならずして、
共に公共的經濟の經營によりて大に經濟的進化を來
せる社會財産の共同所有者たらしむることなり。只社會の生存進化の目的理想の下に啓蒙運動によりて社會的勢力
たれば足る。私有財産制の今日に華族が正當なりとするも、社會共産制の實現の時に於ては經濟的家長君主等が公
 社會の者は社會に返へせ
債の所有者として殘るは全く別種屬たる人類に獸尾あるが如きなり。昔は基督、カイザーの者は
カイザーに返へし神の者は神に返へせと云へり。社會民主々義の凡ての運動は只斯かるべし。−
−世にカイザーのものなし。神のものは神に返へし社會の者は社會に退へせ!
 
 社會民主々義は維新革命以後の法律的理想として掲げつゝある國民の全部が國家なりと云ふ國家の主権と國民の
政權とを以て、國家の經濟的内容を理想に到達せしむべく經濟的貴族等を革命することにあり。而して個人主義時
代の佛蘭西革命の如く國家を否定することにあらずして只眞理の下に結合されたる社會的勢力を國家の機關により
て國家の意志として表白すれば可なり。而してその階級鬪爭は法律戰爭なり。
 
 
 
         第十六章
 
           東洋社會主義の源泉たる儒學の理想的國家論−−東西古代の政治學と倫理學の合致−−東
           洋のプラトー−−孟子の社會主義の倫理的基礎−−性善説と社會的本能の先天的存在−−
           容貌の階級的定型の説明−−彼の説明せる良心の社會的作成−−彼の痛快なる獨斷的不平
           等論の打破−−彼の説明せる下層階級の道徳的低級の理由−−『性善』と『蕘舜』とを掲
           げたる急進的革命主義−−所謂慈善の嘲笑−−所謂社會改良主義の排斥−−彼の土地國有
           論は部落共有制時代の復古的夢想なり−−彼の承認せる掠奪階級の發生と『空想的社會主
           義』−−彼の想望せる社會主義の理想郷−−堯舜の原始的天然物の時代と社會主義の機械
           による物質的豊富の時代−−經濟的君主等の生産權を吸收して國家が經濟的源泉の主體と
           なる−−孟子は社會主義の啓蒙運動を解せず−−社會民主々義と日本天皇と兩立するを
           得るや否や−−吾人の如き意味に於ての孟子の政治學は民主々義なりと雖も一般に謂ふ民
           主々義にあらず−−孟子は國家主權論者にして最高機關を一人の特權者にて組織すべきを
           云へり−−今日孟子の如く天皇にのみ社會民主々義を説くべからざる理由−−多數政治の
           意味に於ける民主的政體と政治的槓杆−−『一夫紂論』と帝冠の叛逆者−−國家主權の國體
           を保つには純然たる民主政體若しくは特權者の一人と平等の多數とを以て組織する民主的
           政體とを要す−−天皇が社會民主々義たりとも經濟的貴族は其の實現を妨害すべき法律的
           可能を有す−−社會民主々義と兩立せざるのは經濟的貴族と帝冠の叛逆者にして天皇は國
           家の重大なる機關なり−−孟子の民主的政體の想望−−彼の説明せる國家の原始時代−−
           彼の説明せる君主の發生及び君位繼承の理由の説明−−君主政の萠芽−−社會の機關とラ
           マルクの用不用説−−君位世襲制の正義−−吾人の哲學科學よりする天則と彼の所謂『天』
           −−天、賢に與へたる維新革命と天、子に與へたる帝國塞法−−天は露西亞皇帝の愚より
           天下を奪ひ獨乙皇帝の子に天下を與へざらんとす−−日本民族は原始的共和平等の時代を
           他の國土に漂浪せしを以て孟子の國家起原論を解する能はざりき−−儒教を君主の政治道
           徳に對する制裁の意味に解するの外なかりし理由−−『一夫紂論』の反覆と中世史の進化
           −−維新革命の議論が要求と背馳せる理由−−講壇社會主義に對する無限の輕蔑−−樋口
           氏の社會主義實現の方法−−『赤子』にあらず『父母』にあらず−−蒸氣と電氣とは天皇
           の資本家に與へたるものにあらず天皇は資本家等の財産を汲收する能はず−−社會主義は
           私有財産制によりて社會全分子の覺醒するを要す−−『赤子』の無意識と原始的共産時代
           −−大化の土地國有論の夢想なりし理由−−吾人は國家社會黨と握手せんよりも地主資本
           家の權利救濟に努力すべし−−國家社會主義なる者は經濟的君主國の下に全國民が君主の
           經濟物たる奴隷たらしめんとの革命なり−−『不敬』を云ふ卑劣の桑田博士−−文字の形
           態發音によりて獨乙皇帝と日本天皇とを同一視すべからず−−國家社會主義は『國家』を
           知らず−−無抵抗主義の非戰論は無抵抗主義のトルストイズムとなりて社會主義を否認せ
           しむ−−原子的個人を單位としての世界主義は個人主義のナポレオンを承認して侵容とな
           る−−日露戰爭を否定せる萬國社會黨大會の決議は取るに足らず−−社會主義者はマーク
           スよりも寧ろプラトーに據るべし−−『國家の外に在るものは神か然らざれば禽獸なり』
           −−國家競爭の現實なることは尚排泄作用と交接作用との現實なるが如し−−階級的作成
           と國家的作成−−個人の世界に對する関係は階級と國家とを通しての關係なり−−日露戰
           爭が無勢力なる資本家の爲めに戰はれたりと解するは直譯的慷慨なり−−日露戰爭は尊王
           攘夷論を繼承せる國民精神の要求なり−−下層階級の排外思想は最も根本的なり−−非戰
           論者の日露戰争論は國體論式の論理なり−−尊王攘夷論と國家の覺醒せる中世的自由−−
           國家主義なくして世界聯邦なし−−社會主義者が却て個人主義的世界主義を取り資本家地
           主の個人主義者が却て國家を主張する帝国主義を取る−−羅馬帝國はあり得べきも世界聯
           邦なし−−瑞西は理想國に非らず−−國家は自由を得てより僅少なる時日なり−−中世的
           蠻風の國家の自由と今後の非戰論−−『國體論』と國家の權威
 
 上來、吾人は社會民主々義を經濟學、倫理學、法理學、政治學、社會學、歴史學、生物學、哲學の上より考察し、
特に日本民族に於ても其の歴史の進化する所として法律的理想及び道徳的信念に於て社會民主々義に到達したるこ
とを論じたり。而して歴史哲學の上よりして維新革命が大化の遠き理想を法律の上に於て實現したるものなること
を説き、土地と資本との公有は其の法律の下に於て國家の經濟的内容を法律の表白する所にまで到達せしむれば可
なりと断定したり。即ち今後に於ける社會民主々義の革命とは新たなる社會的勢力が國家の意志となりて經濟的階
級國家を經濟的公民國家に進化せしめんとする法律戰爭の經濟的維新革命なりと云へり。
 東洋社會主義の源泉たる儒學の理想的國家論
 從て大化革命の理想たりし儒學の理想的國家論につきて一言するの要あり。是れ恰も歐
州に於てプラトーのレパブリックが理想の國家として後世の社會主義の源泉たりしと等し
く、支那及び日本に於て社會主義の源泉として古代に掲げられたる理想的國家論なるを以てなり。
 
 プラトーの希臘古代に於て政治學(今日の政策學の意味にあらず廣く國家學をも含む)と倫理學と分れざりし如
く、支那古代の儒學に於ても亦政治學と倫理學とは未だ分化せざりき。是れ全く交通の隔絶せられたる古代の西洋
 東西古今の政治學と倫理學の合致
と東洋とに於ても、其の一元の人類より分れたる大國體たる點に於て人性の原理と社會の生存
進化の原則とが同一なる天則の下に支配せらるゝを證する所以にして、後世進化の過程として
偏局面に分化し爲めに相背馳するに至りしが如くならざりき。政治學は社會と云ふ大生物の倫理學にして、倫理學
は個人と云ふ生物の政治學なり。故に倫理學と政治學とは單に同一なる原理の上に立つべきのみならず相待たずし
ては共に其の要求を事實にする能はざるなり。斯くの如くにして、社會主義が人類の倫理的生物たるよりして倫理
的生物の生息に適すべき政治組織を倫理的に建設せんとしつゝある如く哲學史の直覺的考察時代は其の倫理的政治
的本能を以て恰も蜜蜂が本能に於て巣を作る如く倫理的なる政治組織を有したりしなり。而して嚴密なる科學的研
究の結果、倫理的活動の前に先づ經濟的要求を滿足せしめざるべからざるを主張しつゝある如く、彼等の政治學と
倫理學の根據は人類を經濟的誘惑より取り去ることにありき。『先聖後聖その揆一なり』と云へる孟子は事實なり。
 東洋のプラトー
吾人をして歐州の社會主義が其源泉をプラ卜ーに探ぐる如く東洋のブラトーたる孟子の理想的國
家論につきて斷片的に語らしめよ。彼は東洋のソクラテスたる孔子を祖述して恰もプラトーが西
洋の孔子たるソクラテスを亞ぎて人類古代の理想的國家論を哲學史の始めに掲げつゝある如く、東洋思想史の開卷
に於て社會主義の理想的國家が如何に古代の遠き昔より人類の理想たりしかを示しつゝある者なり。
 孟子が齊宣王に王道を説ける左の言は明確に科學的社會主義の倫理的基礎を言ひ表はしたるものなり。曰く、
 孟子の社會主義の倫理的基礎
 『恒産なくして恒心あるものは只士のみ能くすとなす。民の如きは恒産なきときは恒心無し。
苟も恒心なきものは放僻邪移爲さゞるなきのみ。罪に陷るに及で然る後に從て之を刑す、之れ民
を網するなり。焉ぞ仁人位に在て民を網するをなすべき。是の故に明君の民の産を制するには、必ず仰いでは以て
父母に仕ふるに足り、俯しては以て妻子を養ふに足り、樂歳には終身飽き、凶年には死亡を免かれしむ。然る後に
驅て善に行かしむ、故に民の之に從ふや輕し。今や民の産を制するに、仰いでは以て父母に仕ふるに足らず、俯し
ては以て妻子を養ふに足らず、樂歳には終生苦しみ凶歳には死亡を免かれず。これ唯に死を救ふて足らざるを恐る、
焉ぞ禮儀を治むるに暇あらんや。王之を行はんと欲すれば何ぞその本に反へらざる』
 彼は斯くの如くにして其の倫理的要求を政治的組織の上に求め、之を其の本と云ふ土地國有論に置きたり。土地
は今日の土地及び資本と併稱さるゝと異なりて當時の社會主義に取りて公有にすべき一切の經濟的源泉なり。(プ
ラトーの希臘は奴隷及び婦人が奴隷たりしを以て、即ち人格にあらずして經濟物なりしを以て土地と共に公有にす
べき經濟的源泉としたり)。『黎民餓ゑず寒えず然り而して王たらざるもの未だ之れあらざるなり』と云ひ、『生を
養ひ死を喪して憾みなきは王道の始めなり』と云ひ、一切の倫理的活動の前に經濟的要求の滿足さるゝことが前提
たることを示したる者なり。
 性善説と社會的本能の先天的存在
彼の所謂『性善説』なるものは直覺的に社會的本能の先天的に存在することを認めたる者なり。
『五穀は種の美なるものなり、苟も熟せざるを爲さば[くさかんむり夷]稗にも如かず。夫れ仁も亦之を熱する
に在るのみ』。是れ社會的本能の微少にして一に四圍の社會的境遇によりて或は殘賊せられ或は圓滿に開發せらる
るものなることを説明せる者なり。
 『孟子范より齊に之き齊王の子を望み見て喟然として歎じて曰く、居は氣を移し養は體を移す。大なるかな居や、
夫れ悉く人の子にあらざらんや。孟子曰く、王子の宮室車馬衣服は多く人と同じ、而るに王子彼れが如きものは其の
 容貌の階級的定型の説明
居之を然らしむるなり。魯君、采に行き垤澤の門に呼ぶ、守る者曰く、これ我が君に非らざるや。
何ぞ其の聲の我が君に似たるやと。是れ他なし、居相似たればなり』。是れ現天皇の東洋的大皇
帝の英姿の前には如何なる大臣等も奴隷の如く匍匐する所以にして、吾人が容貌の階級的定型を説きたると合致す。
 『孟子、戴不勝に謂って曰く、子、子の王の善を欲するか、我れ明らかに子に告げん。楚の大夫茲に在らん、其
の子の齊語を欲するや即ち齊人をして之に傳たらしめんか楚人をして之に傅たらしめんか。曰く齊人をして之に傅
 彼の説明せる良心の社會的作成
たらしむ。一の齊人之に傳たるも衆の齊人之を[くちへん休]くせんには日に鞭て其の齊たらんことを求むる
と雖も得べからず。引て之を荘獄の間に置く數年ならば日に鞭てその楚たらんことを求むと雖も
得べからず』。是れ吾人が良心の社會的作成を説きたると合致す。言語を異にする外國人が各々良心を異にするが
如く便侫阿諛の宮廷内にて獨乙皇帝の中世的良心が作られ、官吏社會に於て驕慢と奴隷の良心が作られ、野蠻部落
の如き言語を有する一般下層階級には野蠻人と同一なる殘戻淫靡なる良心が作らるゝなり。而して更に『矢人豈に
凾人より不仁ならんや、矢人は只人を傷けざらんことを恐れ、凾人は唯に之を傷けんことを恐る。巫匠亦然り。故
に術は愼まざるべからず』と云ふに至りては、中世的蠻風の國家競爭と經濟的貴族の産業的大混戰によりて全天下
の悉く道徳的低級に止まる理由の説明なり。
 彼は發展せる天才の全く社會的培養によることを明かに解せり。而して講壇社會主義者の獨斷的平等論を一撃の
下に打破し得て痛快を極む。
 『富歳には子弟頼多く凶歳には子弟暴多し。天の才を降す然かく異なるに非らず、其の心を陷溺する所以の者然
るなり。今それ蕎麥は種を播て之を獲す。その地も同じく之を種る時も亦同じければ勃然として生じ、日至の時に
 彼の痛快なる獨斷的不平等論の打破
至り皆熟す。同じからざるものありと雖も即ち地に肥痩あり、雨露の養、人事の等しからざる
ものあればなり。故に凡て類を同ふするものは擧て相似たるものなり。何ぞ獨り人に於て疑は
んや。聖人は吾と類を同ふするもの。故に籠子曰く足を知らずして履を作るも我れその簣とならざるを知る、履の
相似たるは天下の足同じければなり。口の味に於ける同じく嗜むあり。易牙は先づ我が口の嗜む所を得たるものな
り。若し口の味に於ける、其の性の人と殊なる犬馬の我と類を同ふせざる如くならば則ち天下何の嗜か易牙の味に
於げるに從はんや。味に於て天下易我に歸す、是れ天下の口相似たればなり。唯々耳も亦然り。聲に於ては天下歸
曠に期す。是れ天下の耳相似たればなり。唯々目亦然り。子都に至つて天下その[女交]を知らざるなし、子都の[女交]を知
らざるものは目無きものなり。故に曰く、口の味に於ける同じく嗜むことあり、耳の聲に於ける同じく聞くことあ
り、目の色に於ける同じく美とすることあり、心に於て獨り同じく然るなからんや。心の同じく然る所の者は何ぞ。
謂ふ、理なり、義なり。聖人先づ我が心の同じく然る所を得たるのみ。故に理義の我が心を悦ばすは猶蒭豢の我が
口を悦ばすが如し』。聖人と我とを同類のものと云へるは實に平等論の根本主義を掲げたるものにして、全く類を
異にせる犬馬の如くならば聖人なるものゝ社會に解せるべきの理なきを論じたる所、堂々として誠に古賢なるか
な! 而して現今の勞働者階級を説明して下の言あり。『餓ゑたる者は食を甘じ渇する者は飲を甘ず。是れ未だ飲
 彼の説明せる下層階級の道徳的低級の理由
食の正を得ざるものなり。饋渇の是れを害すればなり。豈に唯に口腹に饋渇の害のみあら
んや、人の心も亦皆害あり。人より饋渇の害を以て心の害をなすことなくんば即ち人に及
ばざるを憂へとなさず』。
 實に、彼は社會進化の理想と理法とを素朴なる直覺的信念に於て把持したり。前途に理想を認め、而してその實
現さるべき理法を發見せるものは、決して公武合體論となり資本勞働の調和論となる能はざるなり。彼は最も急進
的根本的なる革命主義を掲げて天下を遊説したり。『孟子性善を道ふ、言へば必ず堯舜を稱す』とあるもの、如何に
彼が社會主義の根本思想より一切の議論が口を衝て出で絲の如く演繹されしかを想望すべし。『性善』と『堯舜』
 『性善』と『堯舜』とを掲げたる急進的革命の意義
とは今日の科學的社會主義の歸結と等しく、人性は社會的動物として社會的本能を有
すと云ふことゝ社會的動物として堯舜の原始時代は平和平等なりしと云ふことゝを直
覺的に解したる者な月。彼はこの人性と社會との根本思想よりして今日の社會民主々義者の意氣を以て改良主義と
云ひ調和主義と云ふものを徹頭より唾棄したり。『徒善は政をなすに足らず、徒法は以て自ら行ふ能はず』とはこ
 所謂慈善の嘲笑
の信念より迸れる喝破にして、子産が鄭國の首相たりしとき其の乘輿を以て人を湊淆に渡すや、
『惠にして政を知らず。歳の十一月渡江成り十二月橋梁成る、民未だ渡るを病まず。君子その政
を平かせば行くには人を避けしむるも可なり。焉ぞ人に之を渡すを得ん。故に政をなすものは人毎に之を悦ばしめ
んとすれば日も亦足らず』と云ひしもの、其の君主國時代に入りて階級的臭氣の厭ふべきものありと雖も所謂『慈
善制度』なるものが何の價値だもなきことを表はしたる者なり。而して彼は經濟的源泉の國有の爲めに、誠に根本
的急進的なる、恰も宮殿を毀て我れ三日にして建てんと言ひし基督の如くなりき。常に口を衝きて出づる『夫れ道
は一のみ』と云へる如き、『若し藥暝眩せずんばその疾[廖のやまいだれ]へず』と云へる如き、殆ど土地資本の公有以外如何なる
 所謂社會改良主義の排斥
ことをも傲然として拒絶しつゝある現今の社會民主々義者を其の儘に表はす。戴盈之なる者が
『什が一にして開市の税を去るは今茲に能はず、請ふ之を輕うして來年を待ち然る後に止めん』
と云ひしとき−−何ぞ講壇社會主義者に似たるや、呵々−−彼は實に社會主義の権利思想を以て經濟的正義の名に
於て斷乎として斥けたり。曰く、『今、人の日に其の隣の鷄を盗むものあり。或人之れを告げて曰く、是れ君子の道
にあらずと。曰く之れを損じて月に一鷄を攘て來年を待ち然る後に止めんと。若し其の義に非らざるを知らば速に
止めんのみ、何ぞ來年を待たん』
 而しながら孟子の言を以て凡て今日の社會民主々義と同一なりと考ふべからざるは論なし。即ち、彼は單に東洋
の思想史の上に於て最も明らかに理想的國家論を夢想し其の實現の爲めに終生を投じて努力したりと云ふ點に於て
重大なりと云ふことにして、其の土地國有論の如き一歩を轉ずれば直ちに土地君有論なり。而して其の井田の法と
 彼の土地國有論は部落共有制時代の復古的夢想なり
云ふものゝ單に部落共有制の原始時代への復古にして、機械農業を以てする科學的社
會主義の國家經營と云ふことゝ異なるは論なく、即ち萠芽なり。私有財産と云ひ君主
の絶對専制と云ひ人生の自然として社會進化の過程たる者、孟子等の如き特殊に卓越せる良心を以てすれば惡なり
しと雖も、上古中世を通じての社會の標準として見れば社會の承認によりて得たる權利にして誅求苛斂も不道徳の
ことにあらざりしは吾人斷言すべし。何となれば彼等權力階級が誅求苛斂によりて而も社會的勢力に奉戴せられた
りと云ふこと其の事が當時の道徳的水準を證明する所以にして、孟子の如きは一介の夢想家として取り扱はれたり
しは歴史的記録の示しつゝある所なり。人口の稀薄にして漸く土着せるまゝなる堯舜の原人時代に於ては土地の自
由は空氣より聊か缺亡せりと云ふほどに天産物の豊富なりし樂園にして、社會の進化する所人口の揄チを來して部
 彼の承認せる掠奪階級の發生と空想的社會主義
落單位の生存競爭となり、終に彼自身の言へる『心を勞する者は人を治さめ、力を勞す
る者は人に治めらる。人に治めらるゝものは人を養ひ、人を治むる者は人に養はる』と
云ふ如き掠奪階級の生じたる時代に於て、部落共有制を復古せんとすることの不可能事なりしは論なし。即ち私有
財産制が先づ君主國となりて君主
一人が財産權の主體となり、次ぎに貴族國となりて少数の貴族が財産權の主體と
なり、更に民主國となりて從來奴隷農奴として君主貴族の財産となり、後漸く人格を承認せられて君主貴族等の所
有する土地の上に小作權を有するに至れる一般階級が悉く財産權の主體となるに至りて、個人の自由個人の權威が
一分子より少數分子に擴張し更に全分子に擴張して上古中世及び近代までの社會進化の道程として、私有財産制度
は『空想的社會主義』時代に考へられし如く權力者の惡に基くものに非らざるなり。而しながらプラトーと等しく
理想的國家論を哲學史の開卷に殘したる彼は明らかに社會主義の理想郷を掲げたり。曰く、
 彼の想望せる社會主義の理想郷
『其の田疇を改め其の税歛を薄くすれば民をして富ましむべきなり。之を食ふに時を以てし、
之を用ふるに禮を以てすれば財擧げて數ふべからず、民水火に非らざれば生活せず。昏暮に人の
門戸を叩いて水火を求むるに與へざるものなし。至て足ればなり。聖人の天下を治むる菽粟あること水火の如くな
らしむ。菽粟水火の如くにして民焉ぞ不仁なるものあらんや』。
 固より彼れの聖人と稱する堯舜なるものは原始人の平和なるものにして其の水火の如き菽粟は天産物の豊富なる
ものにして決して尚古的口吻の彼の如く天下を治むることの妙を得たるが爲めにあらざるは論なし。從て彼の時代
 堯舜の原始的天然物の時代と社會主義の機械による物質的豊富の時代
に於て如何に田疇を改め税斂を薄くすとも菽粟の水火の如くならんことは固よ
り理想家の夢に過ぎざるは論なし。然るに二千年間の社會の進化は終に今日の
物質文明に到達して、蒸氣と電氣とが人類の物質的勞働に代るに至り人類は殆ど悉く精神的勞働に止まるに至れり。
即ち、彼の言を用ひて言ひ表はせば、心を勞する者は全人類にして力を勞する者は蒸氣と電氣となり。人を養ふべ
きものは蒸氣と電氣とにして人類は凡て養はるべき者なり。人に治めらるべき者は哲學者によりてのみ生命を認め
 經濟的君主等の生産權を吸収して國家が經濟的源泉の主體となる
らるゝ蒸氣と電氣とにして全人類はこの蒸氣と電氣とを治めて宇宙を平らかに
したる聖人として天地萬有の上に君主となることなり。−−是れ、プラトーと孟
子とによりて流れ始めたる社會主義の泉が、私有財産制の君主國貴族國民主國の斷崖絶壁の間を通過し、物質文明
の平野に流れ入りて茲に始めて『慈航の湖』となれるなり。維新革命が幾多の家長君主等の所有せる統治權を國家
に吸收したる如く、經濟的維新革命は亦幾多の經濟的家長君主等の所有せる生産權を國家に吸收し國家が凡ての經
濟的源泉の主權體として土地及び生産機關を經營すべし。
 
 只而しながら、最も注意すべきことは孟子に於ては吾人の説きつゝある『社會主義の啓蒙運動』と云ふことを全
く解せざりしなり。是れ誠に如何に卓越せるものと雖も其の古人たる點に於て止むを得ざることにして、階級鬪爭
 孟子は社會主義の啓蒙運動を解せず
の原理が歐州に於てカール・マークスに至りて漸く發見せられたる如く(固より彼の説明は完
からざりしと雖も)、二千年前の孟子としては其の實現を君主等の權力階級に説くの外なかり
しなり。即ち彼は君主の良心を社會主義に作成せんと努力したる點に於て啓蒙運動なりと稱せられざるに非らずと
雖も、前きに説ける如く啓蒙運動とは下層階級を對象とすべきものにして階級鬪爭に於て強力を發現すべき前提の
 社會民主々義と日本天皇と兩立するを得るや否や
者なり。故に孟子の運動が君主の遊説なりしに反して、今日の社會主義は一般階級特に
勞働者階級の智識を開發することを以て唯一の方法となす。この點は『社會民主々義と
日本天皇と兩立するや否や』と云ふ最も恐るべしとさるゝ問題に觸るゝが故に、更に孟子の國家學原理論につきて
一言の説明を避くる能はず。
 一般の倩ずる由々しき誤謬は孟子の政治學を以て漠然と民主々義なるかの如く考へ來れることなり。固より吾人
 吾人の如き意味に於て孟子の政治學は民主々義なりと雖も一般に謂ふ民主々義にあらず
の如き見解を以てすれば堂々たる民主々義なり。即ち、吾人が先きに
説ける如く國家を進化的に分類し、人類の社會的存在なることを意識
せず單に一人若しくは少數の君主等の個人的利己心に從ひて行動する事より外なかりし時代を君主々權の家長國と
なし、終に長き進化の後に於て國家が生存進化の目的を有することを國家の全部分によりて意識せられ凡ての部分
が法理上社會的利己心を以て國家の利uを目的として行動するに至りし近代を國家主權の公民國家となし。從て君
主が國家の外に在りて國家を客體として取扱ふ所有者たる主體なるか、將た國家の人格の下に行動する國家の一部
分なるかによりて、前者を君主國と云ひ後者を民主國と云ふならば(吾人も上來この意味に於て民主々義の語を使
用せしを以て)、孟子の政治學を民主々義と命名することは吾人の固より主張せんと欲する所なり(『所謂國體論の
復古的革命主義』を見よ)。而しながら、多くの學者が今尚思想の中樞となしつゝある個人主義の法理學の如く、
君主々義と云ふを以て近代の君主にも主権ありとし民主々義と云ふを以て亦個々たる國民が主權體なりとなし、甚
しきは單に治者の數の一人なるか多数なるかによりてアリストーツルの如く君主々義と云ひ民主々義と云ふならば、
孟子の政治學は一人専制の組織より外に考へ及ぼせしことなきを以て彼れを此の意味に於て民主々義と云ふは明ら
 孟子は國家主權論者にして最高機關を一人の特權者にて組織すべきを云へり
かに謬れり。故に吾人は先きの法理論に於て説けるに當て箝めて下の如く孟
子を考ふ−−孟子は國家の倫理的目的を認め政權者の行動は國家の利uを中
心とする倫理的行爲たるべく此の機關たる地位を逸出するときには服從の義務なき一夫紂となると云ふ點に於て國
家主權論者なり。而して最高機關を一人の特權者にて組織し其の内心の政治道徳に依頼して國家の意志たる所を表
白すと云ふ點に於て吾人が政體の三大分類として掲げたる第一の者なり。大化の理想は是れにして、維新革命より
明治二十三年までは孟子の政治的理想が全部實現せられたる者なり。而しながら明治二十三年の帝國憲法以後は國
家が其の主權の發動によりて最高機關の組織を變更し天皇と帝國議會とによりて組織し、以て『統治者』とは國家
 今日孟子の如く天皇にのみ社會民主々義を説くべからざる理由
の特權ある一分子と他の多くの分子との意志の合致せる一團となれり。從て啓蒙
運動以外は法律的實現の上に於ても亦孟子の如く天皇をのみ社會民主々義者たら
しめて足れりとする能はず、資本家地主等が上下の議院に據りて天皇の社會民主々義を實現せざらしむる法理的可
能を豫想せざるべかず。
 實に、孟子の國家主權論を唱へたるは政治的動物の本能よりして直覺的に國家の實在と目的とを知り、其れより
して演繹的に君主に對する見解が君主機關論となりたるに似たり。佛蘭西革命前後の契約以前の個人は主權體たり
 多数政治の意味に於ける民主的政體と政位的槓杵
しと云ふ意味の民主々義、若しくは希臘哲學者の云ヘる多數政治の意味の民主政體は、
國家の目的に適合する國家の意志を完全に表白する唯一の方法たる、『投票による多數
決』の發見されざる不幸なる國民に夢想さるべきにあらず。投票による多數決と云ふ方法によりて國家の意志を表
白する手段は、人類の政治的組織に於て理想郷に入るべき第一歩の發明にして、恰も物理學に於ける槓杆の發明の
如きものなり。此の第一歩の差が實に東洋と西洋とをして政治的進化の上に大なる遲速を今日に生じたる所以なり。
固より西洋と一括すべからずして希臘羅馬の共和政治の滅びて、ゲルマン蠻族が其の文化を繼承するまでに要した
る長き間の中世史一千年は東洋と少しも異ならず家長國の潮流を辿りて只干戈の爭奪なりき。(實に西洋を指して文
明國と云ふものは單に佛蘭西革命以後の多數政治にして其れまでは日本と等しく武士土百姓の貴族國なりしなり)。
國家が實在の人格として生存進化の目的理想ある生物なりと云ふこと、而して其の人格が實在なるに係らず法律上
は奴隷の其れの如く物格として君主の所有なりしことは前きに詳く説ける所なり。孟子は斯る家長國の潮流中に立
 『一夫紂論』と帝冠の叛逆者
ちて『一夫紂論』を掲げて國家主權論を明らかに表白したる者なりとす。即ち君主として服從を
要求すべき權利あるは其れが國家の利uの爲めに文王武王の社會性を以て行動する所の(日本に
例せば天智天皇の如き維新以後の現天皇の如き)國家機關たるが故にして國家機關としての社會性によりて行動せ
ず個人としての小さき利己心によりて國家の利uの無視しつゝある所の桀紂たる露西亞皇帝或は獨乙皇帝の如きは、
彼の謂へる如く法理學上一匹夫にして君にあらず。從て彼は君にあらざる所の一匹夫を殺すことは國家の目的を無
視する叛逆に非らざることを主張せんとして、國家機關たることを表示する『君』の語を桀紂より奪へるなり。是
れ實に今の露國革命黨がツアールを目して皇帝となさず一個の叛逆者として殺戮の隙を窺ひつ、あると合致す。日
本の皇室に於ては上古よりの長き年代の間に於て國民は決して克く忠ならざりしに係らず天皇等の徳を樹つること
の深厚なりしは雄略武烈の如き二三の例外と他の強力に壓せられて徳を樹つる能はざりし時代とを外にして疑問な
き歴史上の事實なり。而しながら世界の凡ての君主は日本の皇室にあらず、プラトーの期待せる哲學者の君主は日
本の皇室と雖も然かく續出せざりしにあらずや。露西亞皇帝の如き、獨乙皇帝の如き其の近代に進化して國家の永
久的目的の明らかに意識せらるゝに係らず、尚且つ小我の滿足の爲めに國家機關たる君主の地位より失脚して『一
 國家主權の國體を保つには純然たる民主政體若しくは特權者を一人と平等の多數とを以て組織する民主的政體とを要す
匹夫』となりつゝあり。−−故に國家主權の國體を保つ
爲めには純然たる民主政體若しくは特權者の一人と平等
の多數とを以て組織する民主的政體なくしては単に政治道徳のものに過ぎざるなり。二十三年の帝國憲法は現天皇
がこの政治道徳を更に法律的規定の上に進化せしめ、國家の利uを中心とする所の高貴なる社會性によりて國家の
最高意志を表白する最高機關を一人の特權者と平等の多數とによりて組織することに進化せしめたるなり。固より
獨乙皇帝の如き一匹夫ならば斯る民主的政體あるも彼が今爲しつゝある如く國家の目的を考へざる利己的行動に出
づるは論なしと雖も、從て國家機關たる所の君主に非らざる帝冠の叛逆者として一夫紂論の爆發することはあり得
べしと雖も、親ら民主的革命の大首領たりし現天皇は固より歴史以來の事實に照らして日本今後の天皇が高貴なる
愛國心を喪失すと推論するが如きは、皇室典範に規定されたる攝政を置くべき狂疾等の場合より外想像の餘地なし。
 天皇が社會民主々義たりとも經濟的貴族は其の實現を妨害すべき法律的可能を有す
只如何せん、國家の主權が天皇一人によりて表白する能はざる今日に於
ては天智天皇の再び出でゝ經濟的源泉(當時に在ては土地、今日に於て
は土地及び生産機關)の公有を斷行せんとするも、私有財産制の確立して地主と資本家との其等が天皇の財産に非
らざる以上は、而して亦彼等が上下の議會に據りて天皇の意志を否定する自由ある以上は、孟子の如く天皇一人が
社會民主々義となるの時を待つ能はず。故に經濟的維新革命黨は土地及び生産機關を天皇に奉還せよと云ふ尊王論
とは全く別種の大々的啓蒙運動によりて經濟的貴族を國家の意志より驅逐す檣ことに在り。
 社會民主々義と兩立せざるものは經濟的貴族と帝冠の叛選者にして天皇は國家の重大なる機關なり
 故に社會民主々義と兩立せざる者は國家の利uを掠奪する所の
經濟的貴族と國家の目的を蹂躙する所の獨乙皇帝の如き帝冠の叛
逆者にして、國家は其の生存進化の爲めに重大なる機關を保護するに大なる特權を以てすることは主權の完全なる
自由なり。
 
 實に孟子の國家學は東洋のプラトーとして東洋の社會主義の源泉なり。
 孟子の民主的政體の想望
『左右皆賢と云ふも末だ可ならず、諸大夫皆賢と云ふも未だ可ならず、國人皆賢と云ひ然る後
に之を察し賢を見て然る後に之れを用ひよ。左右皆不可と云ふも聽くなかれ、諸大夫皆不可と云
ふも聽くなかれ、國人皆不可と云ひて然る後に之を察し其の不可を見て之を去れよ。左右皆殺すべしと云ふも聽く
なかれ、諸大夫皆殺すべしと云ふも聽くなかれ、國人皆殺すべしと云ひて然る後に之を察し殺すべきを見て之を殺
せよ。故に曰く國人之を殺すなりと。斯くの如くにして然る後に民の父母たるべし』。是れ投票の政治的槓杆なく
して一夫紂論の裸體なる社會精神の發動を承認すると共に君主の政治道徳によりて君主を社會意志の代辯者たらし
めんとの民主的政體の想望なり。彼れに國家の原始時代を説明したりと見らるゝものあり。曰く。
 『民を貴としとなし社稷之に次ぎ君を輕しとなす。是の故に丘氏に得て天子となリ、天子に得て諸侯となり、諸
 彼の説明せる國家の原始時代
侯に得て大夫となる。諸侯社稷を危うすれば即ち變置す。犠牲巳に成り、粢盛巳に潔く祭祀時を
以てす。然り而して早幹水溢すれば則ち社稷を變置す』。是の社稷とあるは即ち國土のことにし
て、遊牧より漸く進化して農業に土着し一定の國土を領域として天神地紙を祭るも其の國土にして定着して農業を
營むに適せざれば社會より輕しとなして之を顧みずして去りし事を意味す。而して諸侯社稷を危うすれば變置すと
あるは社稷たる土地を爭ふ遊牧の途上他の遊牧民族若しくは土着當時の農業民族との衝突よりして戰鬪の指揮者と
して君主の發生したるものなるを以て目的たる土地よりも輕しとされたるなり。即ち、この時代は後世の私有財産
制度に入り君主が土地人民の凡べての上に所有權者とならざる部落共産制の原始時代として、本能的に國家の生存
が目的とせられ其の目的の爲めに素朴なる一時的なる機關が生ずるに至りしなり。尚彼れに其の機關たる君主の發
生及君位繼承の理由を説明したりと見らるべきものあり曰く。
 『萬章問ふて曰く、堯天下を以て舜に與ふと、諸れありや。孟子曰く、否、天子天下を以て人に與ふる能はずと。
然らば即ち舜天下を有つや執れか之を與ふる。曰く天之を與ふ。天之を與ふとは諄々然として之を命ずるか。曰く、
 彼の説明せる君主の發生及び君位繼承の理由の説明
否、天言はず行と事とを以て之を示すのみ。曰く行と事とを以て之を示すとは之を如
何。曰く天子は能く之を天に薦むるも天をして之に天下を與へしむる髄はず。諸侯は
よく人を天子に薦むるも天子をして之に諸侯を與へしむること能はず。大夫はよく人を諸侯に薦むるも諸侯をして
之に大夫を與へしむること能はず。昔は堯、舜を天に薦めて天之を受く、之を民に暴はして民之を受く、故に天日
はず行と事とを以て之を示すのみ。曰く敢て問ふ、之を天に薦めて天之を受け之を民に暴はして民之を受くとは如
何。曰く之をして祭を主らしめて百神之を享く之れ天之を受くるなり。之をして事を主らしめて事治まり百姓之に
安ず是れ民之を受くるなり。天之を與へ人之を與ふ。故に臼く天子は天下を以て人に與ふる能はずと。舜、堯に相
たること二十有八戴、人の能くする所にあらず、天なり。堯崩じて三年の喪畢はり舜、堯の子に南阿に避く。天下
の諸侯朝覲する者堯の子に行かずして舜に行き、訟獄する者堯の子に行かずして舜に行き、謳歌する者堯の子に謳
歌せずして舜に謳歌す。故に曰く天なりと。然る後に中國に之きて天子の位を踐む。然るに堯の宮に居て堯の子に
迫らば是れ簒なり、天の與ふる所に非らざるなり。泰誓に曰く天の視るは我が民の視るに自がひ、天の聽くは我が
民の聽くに自がふと。此れこの謂なり』
 『萬章問ふて曰く、人言ふあり、禹に至つて徳衰ふ。賢に與へずして子に與へたればなりと。諸れありやり孟子
曰く。否然らず。天賢に與ふれば即ち賢に與へ天、子に與ふれば即ち子に與ふ。昔は舜、禹を天に薦むる十有七年、
舜崩じて三年の喪畢はり禹、舜の子を陽城に避く。天下の民之に從ふ事堯崩ずるの後堯の子に從はずして舜に從ふ
が如し。禹、uを天に薦むる七年、禹崩じて三年の喪畢はり、u、禹の子に箕山の下に避く。朝覲訟獄するものu
に行かずして啓に行きて曰く、吾が君の子なりと。謳歌す牒ものuに謳歌せずして啓に謳歌して白く、吾が君の子
なりと。丹朱の不肖、舜の子も亦不肖。舜の堯に相たる、禹の舜に相たる、年を盛ること多く澤を民に施こす久し。
啓賢にして能く敬で禹の道を繼承す。uの禹に相たる年を盛る少く澤を民に施す未だ久しからず。舜、禹、u、相
去る久遠。其の子の賢不肖なる皆天なり、人の能くなす所にあらざるなり。之を爲すなくして爲すものとは天なり、
之を致すなくして致すものは命なり。匹夫にして天下を保つものは徳必ず堯舜の如く而して天子の之を薦むるもの
あり。故に仲尼は天下を保たず。世を繼で天下を保ち天の廃する所は必ず桀紂の如きものなり。故に、u、伊尹、
周公は天下を保たず。伊尹陽を助けて天下に王たらしむ。陽崩じて太甲未だ立たず。外丙六年仲任四年、太甲陽の
典刑を顛覆す。伊尹之を桐に放つ三年、太甲過を悔い自ら怨み自ら改めて桐に在て仁に處り義に還る三年、以て伊
尹の己を訓ふるを聽き毫に復歸す。周公の天下を保たざるは猶uの夏に於けるが如く伊尹の殷に於けるが如し。孔
子曰く、唐虞は譲り夏后殷周は繼ぐ、其の義一なりと』。
 上の二章より尚古的口吻と形式的形容辭とを取り去りて考へよ。喪に居る幾年と云ひ、相たる何年と云ひ、其の
子に何々の處に避くと云ひ、天に薦むると云ひ、讓ると云ひ、固より孔孟時代の尚古的思想の作造にして其の使用
せられたる文字も當時の文字を當時の思想に於て用ひたるものなるを以て枝葉は棄却して可なり。彼等の仰望しり
つありし堯舜の時代とは禹が洪水を治むるまで平原に下る能はずして未だ山腹に穴居し或は夜間獸類の襲來を避く
るが爲めに樹上に寝所を營みしぼどの純然たる原始時代なりしは敢て論ずるの要なし。而して其れが支那に於ては
食物の特に豊富なりしが爲めに平和に平等に些の鬨爭もなく生活したるなり。然れば斯く鬪爭なき幸福の原始的平
 君主制の萌芽
等の原人部落に於ては其の首長も後世の如く土地爭奪の爲めに生ぜず、堯と云ひ舜と云はるゝ如
く柔和なる赤子の如き人物が村老ほどの地位に立ちて簡單なる事故を處したりしものなり。(ゲ
ルマン蠻族の共和平等の原始時代は其の遊牧農業による土地爭奪の爲めに首長は最も剛健なる戰鬪者が擁立せら
れたり)。是れ、即ち君主政治の極めて萠芽の者にして敢て後世の作造の如く讓ると云ひ其の子に避くると云ふこ
となくとも其の首長たりしものゝ死すると共に他の優れたる者が事故の處理に當りしなり。即ち謳歌と云ひ朝覲と
云ひ訟獄と云ひ固より後世の作造にして、『堯の子に迫りて堯の宮に居らば是れ簒なり』と云ふ如きは尚古的思想
の過失に過ぎず。然るに、禹に至りて人口の揄チし山腹の狭小の爲めに平原に下り洪水の防禦に全力を注ぐに至り
ては確固たる政治的組織を有せざるべからざるまでに社會は進化したり。君位の繼承とは斯る進化に入れるが爲め
に發生せる機關にして社會と云ふ大生物は小個體の生物と等しくラマルクの用不用説によりて其の生存進化に必要
 社會の機關とラマルクの用不用説
なる機關を進化せしめ若しくは退化せしむ。而して本能的に無意識的に存在したるものより自
覺に進化せる社會意識は、系統を辿りて其の意識を漸時に擴げ行くものなるを以て(『所謂國
體論の復古的革命主義』に於て系統主義を論じたる所を見よ)、系統によりて親粗尊卑を劃するに至り茲に『我が
 君位世襲制の正義
君の子なり』と云ふ系統崇拜となりて、社會單位の生存競爭(『生物進化論と社會哲學』を見よ)
の爲めに不斷の戰爭による不斷の君主の必要と君主の死去毎に君位を爭奪して社會内の紛亂を來
すことを避けんとする要求と合體し、茲に君位世襲の時代に進化せるなり。彼に引用せられたる孔子の言に『唐虞
は讓り夏后殷周は繼ぐ其の義一なり』とある者は、社會の進化に應じて正義の進化することを能く認識したる者な
り。故に、斯く系統主義の家長國時代に入りて君位の世襲せらるゝに至りては是れ社會の生存進化の必要に基くも
のにして、桀紂の如く甚しく社會の目的理想と背馳するものに非らざるよりは國家の人格が一夫紂論となりて發動
する事なきなり。『天子天下を以て人に與ふる能はず』とあるは實に土地人民を君主の利uの爲めに存する物格と
考ふる君主々權論の思想を排し、堂々として明らかに國家主權論の思想を表白せるものなり。而して彼は吾人が凡
 吾人の哲學科學よりする天則と彼の所謂『天』
て宇宙目的論の哲學と生物進化論の科學とによりて天下のことを擧げて『天則』の致す
なりと云ふと等しく、『天之を與ふ』と云ふ宗教的信念に起ちて凡てを是認したり。禹
に至つて徳衰ふ、賢に與へずして子に與へたればなりと云へる如き君位の繼承を君主の私曲に出づるかの如く解す
るは獨斷論を事とする盲動者のことにして、彼は吾人の如く社會進化の方則を眼前に見るかの如き意氣を以て斷々
 天、賢に與へたる維新革命と天、子に與へたる帝國憲法
として斯る輩を排斥したり。『天、賢に與ふれば即ち賢に與へ、天、子に與ふれば即ち
子に與ふ』と。『天』は幾多貴族の手より奪ひて現天皇の賢に與へたり、而して『天』
は更に帝國憲法に於て後世子孫たとへ現天皇の如く賢ならずとも子に與ふべきことを國家の生存進化の目的の爲め
に命令しつゝあり。『天』が露西亞皇帝の愚より天下を奪ひ、獨乙皇帝の子(獨乙帝國は皇太子の時に至つて純然た
 天は露西亞皇帝の愚より天下を奪ひ獨乙皇帝の子に天下を與へざらんとす
る共和政體たるべし)に天下を與へざらんとしつゝある現状を見て、直に社
會民主々義なるものが皇帝と仇敵なるかの如く考ふるはラマルクの用不用説
が社會と云ふ大生物にも原則たることを解せざるが故なり。天賢に與へず天、子に與ふることなくして奈何ぞ維新
革命と帝國憲法とあるべき。機關の發生するは發生を要する社會の進化にして其の繼續を要する進化は繼續する機
關を發生せしむ。日本の天皇は國家の生存進化の目的の爲めに發生し繼續しつゝある機關なり。
 
 實に、孟子の理想的國家論は斯くの如く堂々として東洋のプラトーたるに恥ぢざりき。然るに、日本民族に於て
 日本民族は原始的共和平等の時代を他の國土に漂浪せしを以て孟子の國家起原論を解する能はざりき
は此の國土に移住し來れる常時巳に戰鬪によりて土地を掠奪せ
し農業的民族たりしを以て、堯舜時代の原始的共和平等の時代
は固より他の國土に漂浪せる中に於て經過し、『天、子に與ふる』の時代にまで進化し來れりと想像さるべし。而し
てこの君位繼承は孟子の理想せる意義のものと異なりて今日の如く國家の統治權を行使する機關たる制度に非らず
統治權を國家と云ふ財産に對する所有權と云ふ意味に於て相續せる家長國なりき。(孟子の説ける春秋戰國時代も
家長國なりしは前きに説ける如し)。故に、日本民族の歴史的記録は家長國を以て筆を起し、彼のゲルマン民族が其
原始的共和平等時代を他の文化の民族羅馬人によりて記録されて傅はれるが如くならざりしを以て後世儒教の講ぜ
 儒教を君主の政治道徳に對する制裁の意味に解するの外なかりし理由
らるゝに至りても孟子の國家學原理論を解得すべき歴史なく從て單に君主の政
治道徳に背馳する場合に於ける制裁との意義に取扱はるゝの外なかりき。而し
て今の天皇の祖先は長き間家長君主としての意味に於ける天皇たりしに係らず二三の例外を外にして嘗て孟子の政
治道徳を無視するの行動に出づることなく、中世史に入りて續出せし他の多くの家長君主等は常に一夫紂論の發現
によりて將軍諸侯の興隆滅亡となりて嚴肅に制裁せられたりき。『一夫紂論』とは之を家長國時代の君主等の側よ
り見れば未だ法上の人格を認識されざりし奴隷の國家が生物たる實在の目的の爲めに殘虐暴戻なる奴隷所有者を反
 『一夫紂論』の反覆と中世史の進化
撃することなり。奴隷が叛亂の反覆によりて漸時に法律上の人格を認識さるべく進化せる如く、
國家も亦一夫紂論の反覆によりて中世史の家長國時代を進化し來り終に國家の目的理想が國家
の全分子に意識せられて愛國が道徳の目的となり法律の上に人格者となりて凡ての法律命令の源泉たるに至れるな
り。只如何せん、日本中世史の家長國が維新革命の社會民主々義によりて掃蕩せらるゝの時、古事記日本紀の古典
が家長君主國の記録を以て始まれるが爲めに儒教の理想的國家論たる國家主權論を解得し得ずして、議論の組織を
假令暫くなりとは云へ神武時代の家長君主としての天皇に復古せんとして組み立つるに至りしなり。即ち、貴族階
 維新革命の議論が要求と背馳せる理由
級の土地人民の上に存する殺活與奪の權を否認するに天皇の其れを全國家の上に擴張するに
至り、終に歐米の革命以後の法理學國家學を承けて二十三年の帝國憲法に一段落を劃するま
で、絶えず國家國民主義の要求と背馳する復古的革命論を餘儀なくされつゝありし所以なり。而してこの『國體論』
に對して最も苦鬪せるものは今の政黨にして彼等は其の經濟的獨立を得たる私有財産制の基礎に立ちて、其の民主
主義の要求を血腥き佛國革命の直譯に掲げたり。社會民主々義は堕落せざる以前の彼等に感謝す!
 講壇社會主義に對する無限の輕蔑
 この感謝は今の講壇社會主義者なるものに對する無限の輕蔑を表白するものなり。講壇社會
主義が經濟學の上に於ても倫理學の上に於ても一切の科學哲學の上に於ても、一の理論なく組
織なく主張なく理想なきは上來の説明に至りて明らかなるべし。而して彼等は其の『國家社會主義』と標榜するに
係らず國家の本質及び法理につきて亦全く無智なるは只以て呆るゝ外なし、樋口勘次郎氏の『國家社會主義新教育
學』を見よ。曰く、『我が國には社會主義の行はれ易き歴史上の事實あり。我が國は全國擧つて一家なり。恐れ多
くも皇族は一家の主長にまします。天皇の前には四民平等にして天皇の皇民を見給ふは一視同仁なり。されば國土
は日本と云ふ一家の所有なりとの觀念は古へよりあり、今に至りてかはらず。三十七代孝徳の朝、豪族の領地を沒
し代ふるに俸禄を以てして入之をあやしまず。土豪の小農を併呑するを禁じ、一般人民に其の好む所の職業を撰ま
 穗口氏の社會主義實現の方法
しめしは之れ社會主義的革命にして、全國一家觀念の上に一視同仁の徳を以て實行せるものなり。
令義解を見よ。人生れて五歳に達すれば、男に二段女に其の三分の二の口分田を賜ひ人死すれば
公に返へさしむ。其の後功田莊園等の發達して封建の制をなしたりと雖も領土を與ふるは天皇なり。維新の際全國
大小名の領地の所有權を抛つや天皇に奉還すと云へり。是れ外國に無き美はしき觀念なり。土地財産は天皇の御物
なり。此を日本と云ふ大家の爲めに家の子より沒收するは家長の勝手なり。之を一家の爲めに奉還するは子供の徳
なり。只一度與へたる実物なり菓子なりを沒収するに當りては玩具か砂糖を與ふるは父母の情なり。大小名に公債
を賜はりたるは斯くの如きのみ。我が國にては斯くの如き改革比較的に圓滑容易に行はるべし。時に子供の爭はあ
るべきも家長の一喝之れを制せんこと難からじ云々』。あゝ斯る言を聽くものゝ背は慚汗に沾ふ!
 恥ぢよ! 恥ぢよ! 『國家社會主義』なるもの斯くの如くんば、國家主義にもあらず社會主義にもあらずして
絶對無限の君主々義となる! 是れ『余が國家社會主義は我が歴史、我が國體、我が現状の上に立つものにして世
間に流布せる値譯的社會主義にあらず』と高く持するものゝ面目なりとするか! 日本國民は[身區]幹の小なるを以て
遺憾としつゝある國民なりと雖も天皇より『玩具』よ『砂糖』とを與へられて爭を止むる『子供』にあらず。髯あ
 『赤子』にあらず『父母』にあらず
る子供、禿頭せる子供、子を孕める子供、老婆の子供、孫を持てる子供! 萬世一系の後は如
何なる年少者と雖も天皇たるべく、而しながら嬰兒なる父母、十歳の父母は今の國家社會黨諸
君と一家をなせる父母として諸君を産みしものにあらずの伊藤博文氏は現天皇の高貴なる血を分けたる子供として
皇太子殿下の同胞にあらず、桂太郎君は皇太子殿下を父母として皇孫殿下等と兄弟たる如き恐れ多き者にあらず。
是れ少しも『我が歴史』にあらず『我が國體』にあらざるなり。否! 世界何處を探險するも斯る噴飯すべき歴史
斯る抱腹を極めたる國體の存せしことなし。明らかに答辯せよ、『土地財産は天皇の御物にして』『一たび與へたる
菓物なり菓子なり』と云はゞ、『我が歴史』によりて蒸氣と電氣との凡ての生産機關が第何代の天皇の第何年に今
 蒸氣と電氣とは天皇の資本家に與へたるものにあらず天皇は資本家等の財産を沒收する能はず
の資本家等に與へたりしかを答辯せよの『外國に無き美はしき觀念な
り』として『此の日本と云ふ大家の爲めに家の子より沒収するは家
長の勝手なり』とし外國資本家の資本を恣に奪ひて皇室費の中に加へ、外國貴族の漫遊を擁し其の珠玉を勝手に沒
收して帝冠を飾るべき權利ありとするかを答辯せよ。斯くの如きは敢て樋口氏一人に限らざるは論なく、東洋の土
人部落たるが爲めに今の『國家社會黨』の主義綱領にして八字髯の『赤子』山路愛山氏の如き其の維新革命の社會
民主々義を解せざることより放誕に生産權奉還の經濟的尊王攘夷論を唱へつるあるものなり。社會民主々義は私有
財産制と個人主義の完き發展を承けて國家の理想的獨立個人の絶對的自由に至るべき國家主義世界主義なり。即ち、
 社會主義は私有財産制によりて社會全分子の覺醒するを要す
國家の全分子が私有財産權の主體となれる個人主義の社會進化の過程を經ずして
は、全分子の自由平等の競爭發展と扶助協同によりて全分子の全部たる社會を進
化せしめんとする國家主義世界主義は夢想に止まるを以てなり。大化の土地國有論の夢想たりしが如きは是れにし
て、社會全分子の覺醒せずして一分子たる天智のみの理想が如何に高遠なるも、眠れる分子の集合たる社會は依然
として古代の眠に耽るより外なかりしを以てなりとす。天皇一人『父母』の如く覺め、四千五百萬人の凡てが『赤
 『赤子』の無意識と原始的共産時代
子』として只命のまゝに自己の意識なきとき、朕即ち國家にして四千五百萬人は國家の外なる
禽獸なりと云はざる限り、無意識なる赤子の集合たる國家は依然たる無意識の國家にして、或
は以て原始的共産の社會たり得べし。−−而しながら原始的共産の社會より進化せる第一の過程は實に凡ての土地
及び財産が酋長の所有權の下にありし君主政の萠芽なりしことを記憶せよ。凡てはプラトーの期待せる哲學者の君
主にあらず。孟子の社會民主々義の道徳的高調に於て遺憾なく理想を實現したるものは日本の皇統中と雖も大化革
命の英雄と維新革命の其れとに過ぎざりしにあらずや。大化革命の英雄の後に英雄の事業を解せざる凡庸の君は出
 大化の土地國有論の夢想なりし理由
でゝ大化の社會主義を打破し、天智の國有にしたる土地を君主の所有財産となして寵臣に與へ
寺僧に寄贈し國家の機關として設定し置けるものを君主の財産權の讓渡として土豪に國司に賣
りしに非らざりしか。社會進化の先登に立つ所の日本天皇が社會進化と背馳して古代に退化すと考ふる餘地なきは
論なく、從て國家社會主義者の云爲する所が單に一種の弄策−−亂臣賊子の多くは斯る策を弄して天皇を祭り込み
たりき−−に過ぎざるは論なしと雖も、明かに辯明を求めざるべからざるは其の土地の公有とは土地國有論か土地
君有論かと云ふことなり。資本家が掠奪せる蒸氣と電氣との機械は社會の生産を壟斷せるものなりしか、又天皇の
 吾人は國家社會黨と握手せんよりも地主資本家の權利救濟に努力すべし
勞働を盗みしものなりしかと云ふことなり。奴隷よ! 奴隷の集合よ! 吾人
はむしろ所謂『國家社會主義』と共に古代の奴隷制度に鼓腹せんよりも國家主
權の名に於て資本家地主の權利救濟に努力すべし。彼等は何者も解せず、一のことも解せず『國家』と云ひ『社會』
と云ふも其の自ら稱する赤子の智識だもなし。社會主義とは社會の全部分が財産權の主體たることなり。國家主義
とは國家の全部分が利uの歸屬する權利者たることなり。社會の少數部分が財産權の主體として、大部分が單に使
 國家社會主義なる者は經濟的君主國の下に全國民が君主の經濟物たる奴隷たらしめんとの革命なり
用權より外に有せざるは現今の經濟的貴族國なり−−國家社會主
義者なるものは、經濟的貴族國より經濟的民主國に至らしめずし
て、經濟的君主國に法律の上より逆倒せしめんとするかの國家の或る少數部分が利uの歸屬する主體にして他の大
部分が戰爭と貧困との爲めに犠牲となりつゝあるは現今の經濟的階級國家なり−−國家社會主義なるものは經濟的
階級國家より經濟的公民國家に至らしめずして國民の身體其者を君主の經濟物たりし絶對無限の家長權を法律の上
に設定せんとするか。誠に更に答辮せよ。國家社會黨の諸子は、雄略天皇の所有權の下に其の妻を獻ぜんとするか。
武烈天皇の所有權の下に其の親を獻じて經濟物として破壊せしむるか。−−否と云ふべし。然らば是れ自家の主張
 『不敬』を云ふ卑劣の桑田博士
の利uの爲めに天皇を玩ぶ唾棄すべきの卑劣にして、亦所謂『不敬』と云ふものなるは論なし。
然るに彼等は却て『不敬』なる矢を番へて社會民主々義を射ることあるに至つては、只以て土人
と云ふの外なきなり。常に『國體論』を以て社會民主々義に對抗する桑田博土の如きはこの最も露骨なる例にして
(氏は山路氏等の國家社會黨にすら入會を求めて拒絶されたりと傳へらるゝほどなるを以て)、獨乙皇帝と獨乙社
會民主黨との爭鬪を以で日本社會黨に推想し、社會民主黨は國體に危險なり天皇に對する不敬漢なりと云へり。獨
乙皇帝の如く國家機關たる地位を逸して『一夫紂』となれる帝冠の叛逆者ならば社會民主黨を御陪食と云ふ光榮に
與らしめず(而して是れ社會民主黨の羨望に堪へざる所なりと云ふ)、社會民主黨も亦この叛逆者に對して嘗て最敬
禮と云ふものをせし事なく、不敬罪の刑法を廢すべきことを發案して暫くの少數の爲めに敗れたるなり(而して是
 文字の形容發音によりて獨乙皇帝と日本天皇とを同一視すべからず
れ社會民主黨の落膽に堪へざる所なりと云ふ)。而しながら日本天皇は獨乙皇帝
輩と同一の水準に置かるべき凡物にあらず。『天』は維新革命によりて現天皇の
『賢』に與へ更に帝國憲法によりて萬世一系の『子』に與へたる重大なる國家機關なり。國家機關に反するものは
國家に對する叛逆なり。社會民主々義は國家に對する叛逆たるべからずして、國家主權の完全なる自由によりて國
家の生存進化に努力するのみ。『天皇』と云ふ文字言語の形態發音によつて其の内容の地理的に時代的に異なるこ
とを忘却すべからずとは常に重要なり。(『所謂國體論の復古的革命主義』を見よ)。
 
 上來の説明によりて所謂『國家社會主義』なる者が社會主義と名けらるべき根本思想の何者をも有せざるのみな
らず、特にその冠する『國家』につきて些の解する所なきを知るべし。而してこの主張は今の所謂『社會主義』と
稱しつゝあるものが實は純然たるユトピア的世界主義、即ち個人主義にして、等しく『國家』を解せずして國家を
否定するの盲動なることを表白せしむるに至る。
 無抵抗主義の非戰論は無抵抗主義のトルストイスムとなり社會主義を否認せしむ
 實に今の所謂日本社會黨の非戰論は其の自ら稱する者のある如く無抵抗
主義の宗教論なり。−−而しながらこの宗教論の無抵抗主義はトルストイ
の其れの如く下層階級が上層に對する抵抗の階級鬪爭をも否認して社會主義を排斥するに至らしむ。原子的個人を
假定して直ちに今日の十億萬人を打て一丸たらしめんとする如き世界主義なり。−−而しながらこの世界統一主義
 原子的個人を單位としての世界主義は個人主義のナポレオンを承認して侵容となる
は個人主義の佛國革命に擁せられたるナポレオンの夢想を承認するもの
にして、露西亞の侵略に對して日本國の獨立を放抛すると共に、支那朝
鮮に對して日本國の侵略せんとする場合にナポレオンの下に兵卒たらざるべからざるに至らしむ。ユトピア的世界
主義は個人主義の假定の上に立つ。個人主義が他の國家を無視するときにナポレオンとなり、自己の國家を忘却せ
るときに猶太民族となる。−−この故に吾人は斷言す、國家を否定するものは假令激語に於てすとも、(而してマー
 日露戰爭を否定せる萬國社會黨大會の決議は取るに足らず
クスは激語に於てしたりと雖も)、社會民主々義は一の是認すべき理由をも發見せず
と。この断言は更に次ぎの断言に導く−−マークスの共産黨宣言の激語を先入思想
とし日本社會黨の個人主義者等の云爲を材料として決議せる萬國社會黨大會の日露戰爭の否認は斷じて執るに足ら
ずと。
 微少なる吾人は全世界の社會黨を擧れる決議に對して一管の筆を以て抗し得べしとするものにあらず。而しなが
らマークスの偉大に心醉する事は今の全世界の社會黨に取りて由々しき誤謬なり。彼の偉大は近世機械工業の資本
 社會主義者はマークスよりも寧ろプラトーに據るべし
につきて歴史的に説明したる經濟學の方面と社會の進化が階級鬪爭による事を發見せ
る歴史學の局部とに於てのみにして、而も其の價格論は誤まり、階級鬪爭説も心的考
察にあらず。社會民主々義とは十九世紀の發明にあらず、人類の文明に入りてより以來哲學史の源泉よりして流れ
來れる大思想なり。プラトーの『理想的國家論』是れなり。社會民主々義の大思潮は古代に於て土地が唯一の經濟
的源泉たりしを以て土地國有論となり、近世に至りて資本が最も多く經濟的源泉たるを以て土地資本の公有を併稱
するに至りしのみ。社會の進化は階級競爭の外に國家競爭あり。プラトーは土地國有論を其の否認さるべき國家の
 『國家の外に在るものは神か然らざれば禽獸なり』
爲めに唱へしか! 萬國社會黨員の凡てよ。『國家の外に在るものは神か然らざれば
禽獸なり』と云へるプラトーの言が、凡ての思想も道徳も人種民族も悉く社會的作成
なりとする今日の科學的社會主義と合致する事を否定せざるならば−−何ぞ國家を否定し國家競爭を否定するや。
萬國社會黨員は悉く神か然らざれば悉く禽獸ならざるべからず。ユトピア的世界主義を以て原始的共和平等の世を
神の郷なりとしつゝあるトルストイは若年の時交接作用をなし今日尚天下に向つて交接作用を止めよと云はざるを
以て神にあらざる如く、獨乙皇帝と等しくべーべル君は排泄作用を餘儀なくせられつゝあるが故に決して神にあら
 國家競爭の現實なることは尚排泄作用と交接作用との現實なるが如し
ず。人類はこの交接作用と排泄作用と無き神に到達せんが爲めに禽獸の如く個
々に存在せずしてプラトーの言へる國家に在るものなり。(『生物進化論と社會
哲學』に於て人類今後の進化の理想郷を論じたるを見よ)。巳に國家に在り、國家競爭なからんや。固より國家競
爭の現實は速かに脱却せざるべからず、而しながら未だ脱却する能はざる現實たる事に於て排泄作用と交接作用と
の止むべからざると同一なり。凡ては社會的作成なり。故に階級的道徳、階級的智識、階級的容貌によりて今日階
級鬪爭の行はれつゝある如く、階級間の隔絶より甚しく同化作用に困難なる今日の國家間に於ては國家的道徳國家
 階級的作成と國家的作成
的智識國家的容貌の爲めに行はるゝ國家競爭を避くる能はず。社會民主々義は階級競爭と共に國
家競爭の絶滅すべきを理想としつゝあるものなり。而しながら現實の國家として物質的保護の平
等と精神的開發の普及となきを以て、社會主義の名に於て階級鬪爭が戰はれつゝある如く(『社會主義の倫理的理
想』及び『生物進化論と社會哲學』を見よ)、經濟的境遇の甚しき相違と精神的生活の絶大なる變異とが世界聯邦の
實現と及び世界的言語(例へばエスべラントの如き)とによりて掃蕩されざる間、社會主義の名に於て國家競爭を
無視する能はず。著しく卓越せる者に非らざるよりは階級的眞善美より超越する能はざる如く、國外の人種民族に
 個人の世界に對する關係は階級と國家とを通じての關係なり
接すること少なく又外國の言語思想を解せざる一般の國民に取りては國家的道徳
智識容貌の外に出づる能はざるなり。即ち個人の世界に對する關係は階級と國家
とを通じてならざるべからず。階級鬪爭が階級的隔絶に依る如く、國家競爭は實にこの國家的對立に原因するなり。
然るに彼の矯々として戰勝熱の沸騰せる中に立ちて非戰論を唱へたる日本社會黨の志士と、及び彼等の云爲を材料
として日露戰爭を否認せし萬國社會黨大會とは、實に事實を無視するの甚しき、日露戰爭とは單に滿洲朝鮮に利害
 日露戰爭が無勢力なる資本家の爲めに戰はれたりと解するは直譯的慷慨なり
を有する資本家等の恣に起したるものなるかの如く解す。日本の渺たる三井
岩崎が今日斯る力ありと考ふるならば直譯的慷慨も極まる。南阿戰爭が大に
英國資本家の利uに動機を有し、西米戰爭が亦米國の其等の利uに動機を有したることは事實なりと雖も、日本資
本家の利害が日露戰爭に於て有したる動機の如き誠に微少なり。吾人は斷言す−−日露戰爭の動機の多くは國家的
權威の衝突にして戰爭を要求したる根本思想は實に尊王攘夷論の繼承にありと。
 吾人は科學的研究の名が餘りに甚しく感情と背馳することの苦痛に堪へず。實に斯くの如き斷言は全日本に對抗
して苦鬪せる非戰論者に對して有する感歎の情と餘りに甚しく背馳する者なり。−−而しながら是れ即ち社會主義
 日露戰爭は尊王攘夷論を繼承せる國民精神の要求なり