東京六大学野球リーグ
 六大学野球 「今、ここ」を生き抜く 
  
  • 2003年秋季リーグ戦結果
  • 印象に残った六大学の選手
  • 東京六大学野球20年史


2006年春季リーグ戦結果

大学名 勝敗 勝ち点 勝率
1 法政大学 9勝2敗1分 .818
2 早稲田大学 9勝4敗 .692
2 慶應義塾大学 7勝5敗1分 .583
4 明治大学 7勝6敗 .538
5 立教大学 3勝8敗 .273
6 東京大学 0勝10敗 .000


印象に残った六大学の選手

 東京六大学野球を20年近く観ている私。それ故、法政以外にも多くの印象に残った選手たちがいます。以下に、各大学で一番印象に残った選手を紹介します。尚、それぞれの選手について、HATAEの主観的コメントも含まれていますので、その辺のところをご理解の上お読み下さい(敬称は原則として略)。
早稲田大学・小宮山  悟
慶應義塾大学・志村  亮
明治大学・広沢  克己
法政大学・中根   仁
立教大学・長嶋  一茂
東京大学・大越  健介


早稲田大学

小宮山  悟投手(芝浦工大柏高出身)
 88年秋早慶2回戦で小宮山は、慶應・大森を徹底的に歩かして、最後の9回の対決では、マウンドで涙を流しながら、勝負を避けた場面が小宮山の一番の思い出(試合を観ていたが確かに小宮山は泣いていた)。
  聞けば春から慶應に3連敗中で、今日負ければ、4年生は慶應に1つも勝てずに大学4年の年を終えてしまうため、当時3年だった小宮山は、どんなことをしても、今日4年生を勝たせるために、自らの意志で大森との勝負を避けたとか。
  当時3年といっても小宮山は二浪しており、現役で入った4年生は年下にあたる。年下の先輩のためにここまでするとは、いかにも学年絶対主義の早稲田らしいと言えば、早稲田らしいなぁ、と私は思った。
慶應義塾大学

志村   亮投手(桐蔭学園高出身)
 85年秋1年生投手・志村を擁して、慶應は72年秋以来の優勝を果たしたが、もし、このときに優勝していなかったら、慶應はそれ以後も優勝を重ねることは出来なかったかもしれない。そういう意味で志村は、慶應野球部の救世主であったとも言える(志村以後、桐蔭学園からの慶應進学が急増した)。
  現役時代は31勝を記録し、大学4年春早稲田1回戦から秋法政1回戦まで、53イニング連続無失点の記録をつくった(確か法政・中根にバックスクリーンに叩き込まれた本塁打で記録が途絶えた)。
  志村と言えば、4年秋に巨人からのラブコールを拒否して、大学で野球を辞めて三井不動産に就職するということで当時話題となった。世間では、巨人をふって一流企業に就職する志村の姿を「格好いい」等と共感する人もいたが、ある意味でバブル経済がなし得た出来事。今みたいに不景気のどん底で一流企業もどうなるか解らない社会だったら、志村もプロ入りしていたかも。
明治大学

広沢  克己一塁手(小山高出身)
 法政以外の大学の打者で、最も凄かったというか、恐かった打者が広沢であった。六大学の本塁打記録をつくった慶應・高橋は、新記録の本塁打こそ法政戦であったが、そんなに法政相手に本塁打を打った記憶がないので、あんまり凄いとは思わなかったのだが、大学3年当時の広沢は、とにかく法政戦で、春・秋ともに本塁打を叩き込んできたから、法政ファンの私としては恐かった。春・秋どちらの法政戦かは忘れたが、バックスクリーン直撃の本塁打もあった。法政相手に、バックスクリーンに叩き込んだ本塁打を放った選手は、広沢と慶應・大森ぐらいしか私は過去に観たことがない。
  広沢は、大学3年春に6本、秋4本の本塁打を放ち、当時田淵等がつくった年間通算10本塁打の記録に並んだ(後に慶應・丸山が新記録を樹立)。その記録に並んだ試合が確か83年秋法政1回戦であるが、この試合結果的には法政が勝って優勝を決めた。しかし翌日のスポーツ紙には、広沢がでかでかと写真入りで扱われ、法政の優勝はおまけのように小さくしか扱われなかったのを見て私は激怒した。
法政大学

中根   仁外野手(東北高出身)
 東京六大学を20年観ている私だが、基本的に法政中心に観ているので、法政で印象に残った選手は数えきれない程いる。しかし、その中で中根を一番印象に残った選手として選んだのは、1年後輩の葛西が真面目風な人間なのに対して、非常にひょうきん者(失礼)であり、ある意味で最も法政らしい選手であったからである。
  中根で思い出すのは、何といっても86年春立教戦で、六大学初の幻の本塁打を放ったことだ。当時2年で代打で起用された中根は、見事に大学初本塁打を放った。しかし当たりがライナー性であったため中根は全力疾走。しかし一塁ランナーの高校からの先輩金子(元阪神)は、打球の行方を見ながらゆっくり走っていたため、中根はランナーの金子を追い抜いてしまい、アウトとなってしまった。金子から「お前、アホやなぁ」と中根は言われて、「2年生が、ちんたら走ってる訳にはいかないし・・・」としょぼくれるが、当時の鴨田監督は「ランナーの金子がちゃんと走らないから悪い」と、金子を一喝。中根も「代打本塁打より、六大学初の幻の本塁打が打てたから良いか」と楽天的に解釈して、以後大学で活躍した。
  中根でもう一つ思い出すのは、同学年の慶應・志村にめっぽう強かったことがある。元々左投手に強く、ここで打って欲しいというときに必ず打ってくれた。中根がプロの世界で何とか現在も生き残っているのは、こういう特徴があるからだと思う。
立教大学

長嶋  一茂三塁手(立教高出身)
 やはり、立教で一番印象に残った選手は、長嶋一茂である。大学1年の春開幕の対法政戦で、いきなり確か「7番サード」でスタメン起用された。そしてこの試合で、父親譲りの平凡な三塁ゴロを見事にトンネルして、私は大笑いしてしまった。試合後、対戦した法政・西川佳明は一茂の印象を新聞記者に聞かれて、「ぜーぜん、大したことなかった」と余裕のコメント。週刊誌でもデビュー戦がとりあげられ、アマ野球評論家・松尾俊治氏は、「立教だから、開幕戦で起用出来たのでしょう。これが法政・明治だったらすぐには使ってもらえなかった」と冷静に分析。
  私自身も、大学での活躍度といった点を考えた場合、立教では矢作や黒須、山口といった選手の方が、一茂より大学で活躍したと思う。しかし、彼を一番印象に残った選手としたのは、やはり彼には華があったし、プレイしていた4年間楽しませてもらったからである。
東京大学

大越  健介投手(新潟高出身)
 大越は下手から投げてくる投手で、83年日米大学野球に、東大選手として初めて選ばれた。この日米野球のメンバー選考をしたのは、駒澤大学・太田監督であったが、太田監督はその年のドラフトの目玉であった東海大学・高野投手を選ばず、何と大越をメンバーに選んで話題となった。
  まぁ、そのような太田監督の迷選考ぶり?はともかくとして、私が大越を一番印象に残った選手としたのは、彼が東大の選手らしからぬ、闘志をむき出しにしたガッツあふれる投手であったからである。84年秋の対法政戦で大越は、投げた球がボールと判定されて、からだ一杯に悔しさ(怒り)を表現していた。彼のあのときの姿は今でも脳裏に焼きついている。


東京六大学野球20年史

 
1981 ・春・東大、早慶から勝ち点をあげ、東大旋風起こる。
・秋・法政の小早川、三冠王。
・秋・法政、明治神宮大会優勝。
1982 ・春・法政、10戦全勝優勝。大学選手権優勝。
・春・明治、下級生部員が合宿所を集団脱走。後に戻る。当時2年生だった広沢克己も脱走者の1人。
・秋・早稲田、大学創立100周年を優勝で飾る。
1983 ・春・東大の大越、東大選手といして初めて日米大学野球の選手に選ばれる。
・明治の広沢、法政の山崎、何れも年間本塁打タイ記録放つ。
・明治の広沢、春・秋連続首位打者。
1984 ・春・立教の長嶋一茂、開幕スタメンでデビュー。
・春・法政の西川佳明、16連勝の記録つくる。
・春・法政、大学選手権優勝。
・秋・立教の長嶋、プロコーチから指導された様子を写真週刊紙に撮られ、学生野球憲章違反疑いで、一部試合のスタメンから外れる。
1985 ・TVK六大学中継、土曜日のみに縮小。
・春・法政、10勝無敗優勝。大学選手権優勝。
・秋・慶應、10勝無敗優勝。明治神宮大会優勝。
・早稲田、特選入学者の甲子園優勝投手・石田が退部・退学。
・早稲田、飯田監督がPL学園・桑田のもとに受験のお願いをしに大阪まで行くがふられる。
1986 ・春・早慶3回戦で、ツーアウトから逆転負けで、慶應優勝逃す。法政優勝。
・この年を最後に、TVK六大学中継打ち切られる。
1987 ・春・慶應、大学選手権優勝。
・春・早稲田の田宮、最後の早慶戦を休んで最高打率を達成。
・秋・東大、開幕の慶應初戦で勝利して199勝目を達成。これ以後70連敗の大記録がスタート。
・秋・明治の武田一浩が、大渓助監督と対立して退部寸前となる。後に武田が頭を丸めて謝罪。
・秋・法政、30回目の優勝。早稲田の優勝回数抜く。
1988 ・春・慶應の大森、三冠王。
・慶應の志村、春の早稲田戦から秋の法政戦まで、連続イニング無失点記録をつくる。
・秋・法政、3連覇達成。
1989 ・春・法政、4連覇達成。
・秋・慶應の若松、東大戦でノーヒットノーラン。
・秋・立教、1966年以来の優勝。
1990 ・CSテレビで六大学中継復活。
・春・早慶両校による直接対決によって、早稲田が優勝。
・早稲田、春活躍した甲子園準優勝投手・大越が退部。後に退学。
・秋・法立で優勝決定戦で立教が優勝。
1991 ・TVKテレビ、ダイジェストで六大学中継復活。
・春・東大、開幕立教戦で勝利して通算200勝を達成。連敗を70で止める。
・慶應、春・秋連覇。
1992 ・春・明治、久々の優勝。
・秋・日本シリーズの影響で、六大学ナイターに日程一部変更。
・秋・早慶両校の直接対決で、慶應優勝。
・秋・慶應、明治神宮大会優勝。
1993 ・春・明治、2年連続春制覇。 
・秋・日本シリーズの影響で、六大学9週制をとる。 
・秋・法政、東大から勝ち点落とす。
・CSテレビ、この年を最後に六大学中継打ち切り。
1994 ・春・早慶戦で天覧試合。
・春・明治、3年連続春制覇。
・秋・法政、久々の優勝。
・秋・慶應の丸山、年間本塁打記録と三冠王達成。
・この年を最後にTVKのダイジェスト打ち切り。
1995 ・春・法政、大学選手権優勝。
・秋・明治、アメリカから来た女性投手・ジョディ・ハーラー、東大戦で女性として初めて六大学に出場。
・秋・明治、明治神宮大会優勝。
・秋・六大学結成70周年記念試合行われる。
1996 ・春・慶應の高橋、三冠王。 
・秋・明治、10戦全勝優勝。明治神宮大会優勝。
1997 ・MX六大学中継開始。
・この年より、春はプロ併用日と秋は全試合で、試合開始時間が1日2試合のときは午前11時となる。
・春・慶應の高橋、六大学本塁打タイ記録に並ぶ。
・春・NHKの早慶戦テレビ中継行われず。
・秋・慶應の高橋、法政戦で六大学本塁打新記録放つ。
・秋・明立戦で乱闘。
1998 ・春・法政、久々のBクラス転落。
・秋・法政の福山、立教戦でノーヒットノーラン。
1999 ・MX六大学中継、スポンサーがつかず、春は4回のみの放送となり、秋は中継なし。
・春・法政の廣瀬、三冠王。
・春・早稲田、久々の優勝。
・秋・明治の木塚、東大戦でノーヒットノーラン。
・秋・法政、最後の明治戦に連敗して立教優勝。
・秋・新人戦で、東大の竹本恵が、日本人女性として初めて出場。
2000 ・法政の後藤、2年春に最速で三冠王。
・秋・立教の上重、東大2回戦で史上2人目の完全試合を達成。
・法政の後藤、史上3人目の春秋連続首位打者。
・慶應秋優勝、神宮大会も優勝。
2001 ・法政春優勝も大学選手権で東海大に大敗。
・慶應秋優勝、慶應の喜多、最高打率を達成。
2002 ・早稲田の和田、六大学奪三振記録樹立。
・早稲田春秋連覇。
2003 ・早稲田野球部史上初の4連覇達成。
2004


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