「オペラの歓び」月例会(第28回)2006年4月8日 


☆ヴェルディ/オテロ☆ Otello



原作:シェイクスピア著『オセロー』
台本:アルリーゴ・ポーイト
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ 1880-86年
初演:1887年2月5日、スカラ座(ミラノ)

演奏時間 第一幕32分、第二幕35分、第三幕43分、第四幕32分
時・所 十五世紀末。キプロス島の海に面した町

登場人物
オテロ(ムーア人、ヴェネツィア共和国の将軍)・・・・・・プラシド・ドミンゴ(テノール)
デズデーモナ(オテロの妻)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バルバラ・フリットーリ(ソプラノ)
ヤーゴ(旗手)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・レオ・ヌッチ(バリトン)
ロドヴィーコ(ヴェネツィアの大使)・・・・・・・・・・・・・・・・・ジョバンニ・バッティスタ・パローディ(バス)
カッシオ(オテロの副官)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・チェーザレ・カターニ(テノール)
モンターノ(キプロス島の前総督)・・・・・・・・・・・・・・・・・・チェーザレ・ラーナ(バス)
エミーリア(ヤーゴの妻、デズデーモナの侍女)・・・・・・・ロッサーナ・リナルディ(メゾ・ソプラノ)
ロデリーゴ(ヴェネツィアの貴族)・・・・・・・・・・・・・・・・・・アントネッロ・チェロン(テノール)

指揮:リッカルド・ムーティ、演出:グレアム・ヴィック  ミラノ・スカラ座 2001年12月 ライヴ収録

出演者紹介
リッカルド・ムーティ(指揮)
1941年ナポリ生まれのイタリアの指揮者。ミラノで学び、1967年にグイド・カンテッリ国際指揮コンクール
で優勝する。1970年より1981年までフイレンツェ5月音楽祭の首席指揮者を務め、70年代には、フイラデル
フィア管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者にも迎えられた。1986〜87年シーズンには、
ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任。以降、イタリア指揮界を代表する巨匠として、絶大な人気を博している。
とりわけヴェルディとモーツァルトの解釈で名高い。

プラシド・ドミンゴ(オテロ)
1941年生まれのスペインのテノール。初めバリトンとしてスタートしたが、やがてテノールに転向し成功
を収める。60年代の末から、メトロポリタン・オペラ、ウイーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座等に登場して、
30年間に1OOを越える役を歌っている。近年は指揮者としても活躍し、ニューヨーク、ロンドン、ウィーン
等でタクトを取る。さらに劇場支配人としても知られ、ワシントン・オペラ、ロサンゼルス・オペラの芸術
監督を務めている。

レオ・ヌッチ(ヤーゴ)
1942年ボローニャ近郊生まれのバリトン。1967年にスポレートで《セヴィリアの理髪師》フィガロでデビュー
するが、その後はスカラ座の合唱団員として活躍する。1977年にソリストとしてスカラ座に再デビュー。
翌年ロンドンで《ルイザ・ミラー》を歌い、急速に認められるようになった。
以降、現代を代表するヴェルディ・バリトンとして、世界的に活躍している。
スカラ座では、マクベス、リゴレット、父フォスカリ等を歌い、絶賛を博した。

バルバラ・フリットーリ(デズデーモナ)
1967年ミラノ生まれのイタリアのソプラノ。1993年、フェラーラ音楽祭の《フイガロの結婚》に代役登場し
(アバド指揮)、急速に知られるようになった。コヴェントガーデンの《ファルスタッフ》(ハイティンク指揮)、
メトロポリタンの《ルイザ・ミラー》(レヴァイン指揮)等で成功を収め、イタリア最大のホープとして高く
評価される。スカラ座では、《トロヴァトーレ》、《ファルスタッフ》、《フィガロの結婚》と連続出演し
(すべてムーテイ指揮)、プリマ・ドンナ的地位を獲得している。

解説:音楽によるドラマとしては、史上最高の名曲の一つ。
歌劇《オテロ》は、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813ー1901)の長い人生における、最後から2番目のオペラである。
ヴェルディは、1871年に初演された《アイーダ》以降、オペラの作曲を事実上停止していた。1870年代の彼の
作品は、《弦楽四重奏曲》(1873年)と《レクイエム》(1874年)を除けば、宗教的小品が2曲あるだけである。
実際ヴェルディは、オペラ創作の筆を折ることを考えており、サンターガタの農園経営に専念する気配さえ
見せていた。特に、新たな作品を求める周囲のプレッシャーには敏感で、妻のジュゼッピーナに至っては、
「彼に作曲を無理強いすることはもう諦めた」と語っている。こうした情況は何よりも、過剰な創作活動を
強いられた青年時代への、拒否反応から引き起こされたものだった。ヴェルディは、次から次へと新作を
書かなければならなかった時代を「ガレー船の年」(註1〕と呼び、「期限付きで作品を仕上げるのはまっぴら
だ」と公言していたのである。
しかしそうした情況は、台本作者アッリーゴ・ボーイト(1843ー1918)の出現によって一変する。彼こそは、
ヴェルディに晩年の2大傑作、《オテロ》と《ファルスタッフ》を書かせた最大の功労者であった。
つまりボーイトは、緊張感に溢れた優れた台本を提供し、ヴェルディに新作を書く気を起こさせたのである。
もともとボーイトは、19世紀後半のイタリア新芸術運動の担い手として、音楽・ジャーナリズムで中心的な
役割を担った人物だった。ミラノの前衛芸術家集団「スカパリアトゥーラ」(註2)に属し、自らもオペラを作曲。
1868年にスカラ座で初演された《メフィストーフェレ》は、今日でもしばしば上演される。しかしボーイトは、
自らの作曲の才に限界を感じていた。1860年代には「低俗な」イタリア音楽(=ヴェルディのポピュラーな
作品)を批判し、ドイツ流の室内楽とワーグナーを称揚していた彼も、やがて敵対視していたヴェルディに
歩み寄るようになる。そして最後には、台本作者として彼に全面奉仕するのである。ヴェルディとボーイトは、
1879年の秋頃から《オテロ》の創作を閉始した(彼らはそれを、「チョコレート・プロジェクト」と呼んでいる)。
リブレットは両者の協議によって執筆されたが、作業は当初《シモン・ボッカネグラ》と《ドン・カルロ》
の改訂のために、数度にわたって中断された。制作が再開されたのは1884年に入ってからで、ヴェルディは
同年春から約1年半の間に、スコアの原案を書き上げている。入念なオーケストレーションが施された後、
全曲は1886年11月1日に完成。初演は翌年の2月5日に、スカラ座で行われた。
この際ヴェルディはリハーサルに隣席し、舞台・演奏に細かな指示を与えている(彼の出版者ジューリオ・
リコルデイは、メモを元に100ページを超える上演資料を出版した)。
初演のオテロはフランチェスコ・タマーニョだったが、彼の歌唱は数十年間にわたって規範的な意味を持ち
続けることになった。

註1:休みなく船を漕ぎ続ける「奴隷的存在」だった、という意味。
註2:1860年代イタリアの芸術集団で、ヴェルディを含む伝統的な芸術語法に挑発的な批判を行った。

第一幕 キプロス島の海に面した砦の外
嵐の吹き荒れる海をオテロの率いるヴェネツィア艦隊がトルコ艦隊を破り戻って来る。民衆が心配気に
見守るうち、高い波のなかで、やっと接岸した軍艦からオテロが上陸して来る。歓呼して迎える民衆に
オテロは、<喜べ、高慢なる 回教徒は海に沈んで Esultate! L'orgoglio musulmano sepolto e' in mar >
と叫び城内に入る。嵐も静まり人々は戦勝気分に酔って騒ぎ始める。デズデーモナに振られ沈んでいる
ロデリーゴにヤーゴは黒人のオテロと副官のカッシオには俺も恨みがある、きっと 仇を討ってやると囁き、
<乾杯の歌 Inaffia l'ugola! >を歌いながらカッシオに酒を勧め泥酔させる。折から砦の見張の番だと
告げられ、カッシオは千鳥足で行こうとして皆に笑われ、前総督モンターノにも見咎められるので怒り
剣を抜く。ヤーゴは騒ぎを煽り、 ついにオテロが現われる。
前任者のモンターノが傷つき、愛妻のデズデーモナまでが眠りを覚まされて出て来たのを見て、オテロは
怒りカッシオを罷免し皆に帰宅を命ずる。事の成行で夜更けの海岸に妻と二人きりになったオテロは
優しく 彼女に話しかける、愛の二重唱<もう夜も更けた Gia' nella notte >。オテロは妻に三度接吻し
優しく抱きしめる。

第二幕 城内の庭園
沈んでいるカッシオにヤーゴは復官のためにはデズデーモナに取り入るのが一番だと囁き、頷いて立ち
去る彼の姿を見ながら悪魔への信条<クレード Credo >を歌う。庭に出て来たデズデーモナにカッシオが
近づき話しかける。その時遠くに オテロの姿が見えるので彼は逃げ去る、ヤーゴは現われたオテロに
気づかぬ振りをしながら「なんたる事だ」と呟き、聞き咎めたオテロに、カッシオとデズデーモナについて
奥歯に物の挾まった言い方で呟き、彼に二人の関係について 疑念を持たせる。
島の女子供がデズデーモナに花を捧げに来る。皆が立ち去ると彼女はオテロに近づきカッシオの赦免を
願う。彼は疑いを裏書きするような妻の願いに不機嫌になり、彼女が彼の額を拭こうとしたハンカチをも
振り落とす。侍女のエミーリアがそれを拾い上げると、夫のヤーゴがひったくる。デズデーモナは夫に
甘えるように許しを求め、オテロは妻の汚れない顔をみて悩む。四人四様の心情を吐露した四重唱の後、
デズデーモナとエミーリアは立ち去る。
オテロは妻への疑いを深め苦悩する、独白<さらば栄光よ Ora per sempre addio sante memorie >
さらにヤーゴを捕えて証拠はどこにあると詰め寄る。ヤーゴは証拠はないが、カッシオが寝言でデズデーモナ
との愛を呟いたと囁き、さらに、彼が彼女のハンカチを持っていたと言うに及んでオテロの怒りは爆発し、
死神に復讐を誓う、壮絶なる二重唱<大理石のような天に誓う Si, pel ciel marmoreo giuro! >

第三幕 城砦の大広間
ヴェネツィア大使の軍艦が港外に見えた事が告げられる。ヤーゴはオテロに、ここにカッシオを誘い出して
不義の証拠を何とかお見せしましょうと言い立ち去る。そこにデズデーモナが現われ再びカッシオの赦免
をと執拗に迫るので、オテロは 妻に対する疑念をますます深め、自分が贈ったハンカチを持っているかと
確かめると、彼女は持っておらず、当惑するのを見てついに彼女を「売女」と極めつけ、驚き悲しむ妻を
立ち去らせ絶望して呟く、独白<神よ総ての恥禍を私に与えるのか Dio! Mi potevi scagliar >
ヤーゴがカッシオを連れて現われ、隠れているオテロに見え隠れにカッシオの情婦ビアンカの話を持ちかける。
彼は笑いながらそれに応え、自分の家にこんなハンカチが落ちていたと例のハンカチを取り出す。ヤーゴは
それをそっとオテロに見せ、カッシオを立ち去らせる。妻の不貞を確信したオテロはどうやって妻を殺すかと
叫ぶ。ヤーゴはあの汚れたベッドの上でと言う。
ヴェネツィア大使一行が到着し島の主だった者総てが集まって来る。大使はオテロにヴェネツィアヘの帰還と
後任はカッシオである事を伝える命令書を手渡す。オテロはそれを読み上げ、悲し気な妻にカッシオとの
別れがつらいものと誤解し、彼女を罵倒し突き倒す。あまりの事に人々は驚愕しその場を立ち去る。一人
残ったオテロは悶絶し、戻って来たヤーゴが勝ち誇ったように「これがヴェネツィアの獅子か」と高らかに笑う。

第四幕 デズデーモナの寝室
デズデーモナはエミーリアに髪を梳かせながら<柳の歌 La canzon del salice >を歌い、彼女を退けて
静かに<アヴェ・マリーア Ave maria >を唱えて床に就く。オテロが現われ妻の不貞を責め、無実を訴える
妻の首を締める、壮絶な二重唱<今夜の祈りはすませたか? Diceste questa sera le vostre preci >
デズデーモナがぐったりとなった時、扉をノックする音が聞こえエミーリアが駆け込んで来て、カッシオが
ロデリーゴを殺した事を告げる、その時、デズデーモナが虫の息で呟くのが聞こえる。驚くエミーリアに
「わしが殺した」とオテロが言うので、 エミーリアは大声で「デズデーモナが殺された」と叫ぷ。驚き皆が
集まって来る。その場でハンカチの件はエミーリアから明らかになり、ロデリーゴも死ぬ前にヤーゴの
奸計を告白したとモンターノが告げる。総てを悟ったオテロは短剣で自らの胸を刺し、最後に妻に三度の
接吻をして事切れる。



この上演について  城所孝吉(音楽評論・ベルリン在住)

ここに収録されているのは、2001年12月にミラノ・スカラ座でプレミエを迎えた《オテロ》の新演出公演である。
演出はイギリスの中堅グレアム・ヴイック、指揮はスカラ座の音楽監督リッカルド・ムーテイが担当し、主役の
3人には、プラシド・ドミンゴ(オテロ)、レオ・ヌッチ(ヤーゴ)、バルバラ・フリットーリ(デズデーモナ)が迎え
られている。ムーティは、ヴェルディの主要作品をほとんどすべて振ってきたスペシャリストだが、《オテロ》を
指揮したのはこの時が初めてであった。ドミンゴがオテロ役を歌うことも、現在では稀なことであり、会場には
祝祭的な雰囲気が漂っている。《オテロ》は、2002年1月から改装工事に入ったスカラ座最後の演目であり、
公演は様々な意味で特別なものであった。
収録年に還暦を迎えたドミンゴは、公演時にはオーバーワークのためキャンセルが続き、実際には3日しか
歌っていない。公演自体が一部中止となったこともあり、世界中から駆けつけたファンは肩を落としたと
言われる。しかし少なくともこの映像では、彼は実に見事な歌唱を聴かせて、観る者を喜ばせてくれる。
確かに第2幕の殺人的な2重唱や、いくつかのハイb、ハイhでは年齢を感じさせるが、中音域は豊かで格調に
溢れ、1O年前とほとんど変わらない。この歳でこれほどの声を維持している歌手は、そういないだろう。
スカラ座での《オテロ》といえば、ドミンゴはカルロス・クライバー指揮の前回プレミエと、その再上演
(1976年と1987年。後者は《オテロ》初演1OO周年記念公演でも歌っているが、今回の舞台は、その輝かしい
演奏歴に名を連ねるものと言える。

この舞台で印象的なのは、ドミンゴの演技が以前と微妙に変化している一点である。かつて彼のオテロといえば、
そのダンディな容姿を前面に出した、男性的魅力に溢れたものだった。若々しい声のヒロイックさ、熟考された
演技はパーフェクトで、我々はその完成度に圧倒されたものである。
しかし今回の演出では、彼の実年齢がオテロのキャラクターとオーバーラップし、独特の効果を上げているように
思われる。というのはオテロは、ここでデズデーモナよりも、はるかに年上の人物として描かれているからである。
第1幕で彼女を見つめるドミンゴの表情は、若く美しい妻への慈愛に満ち、ほとんど父性的な暖かさを感じさせる。
それは人生の秋を迎えた男性が、やっと見出した安らぎの表情なのである。
しかしオテロの悲劇は、まさにこの「老い」に萌芽を持っている。なぜなら彼は、自分の歳がデズデーモナの若さに
ふさわしくなく、そのことが不貞の原因となっていると感じているからである。つまりオテロを疑惑へと陥れるのは、
彼自身が持つ「若さ」、「美しさ」へのコンプレックスなのであった(ちなみにここでカッシオを演じるチェーザレ・
カター二は、「デズデーモナにふさわしい年齢の」好青年である)。
ドミンゴの演技は、この点でかつてないリアリテイを湛えているが、それはデズデーモナを演じるフリットーリの
若々しさと見事なコントラストを成している。事実、彼女の美しさは息を呑むばかりで、自然な演技には思わず
見惚れてしまう。声楽的にも現代ヴェルディ歌唱の最高峰と呼べるもので、緊張感に溢れたピアニッシモは、
彼女の高い音楽性を伝えている。

ところでこのDVDのもうひとつの目玉は、言うまでもなくムーティの指揮である。しかし彼が用いている楽譜も、
ヴェルディ・ファンの大きな関心を集めるに違いない。なぜなら当盤での演奏は、作曲家が1894年のパリ初演の
ために準備した、改訂版によっているからである。ヴェルデイはこの機会に、第3幕のフィナーレに大きな変更を
加えた。具体的には、デズデーモナの悲劇的なソロ「地に臥して、そう」から、合唱の付いたアンサンブルの
終りまでだが、3点cesを伴うこの大コンチェルタートは、ほぼ完全に新しいものに入れ替わっている。
この「パリ版」は、近年クラウデイオ・アバドもベルリン・フィルとの上演で使っており、主要な歌劇場や音楽祭では
取り上げられつつある。しかしCDやDVDとして一般に発売されるのは、今回が初めてである。
ムーティがこの楽譜を採用したのは、ヴェルデイ自身が望んだ《オテロ》の決定稿が、改訂版の方であると判断
したためだろう。興味深いことに彼は、作曲家がパリ初演で書き足したバレエ音楽については、完全にカット
している。というのはヴェルディは、パリの聴衆の趣味に合わせてバレエを書くことを好まず、この曲の場合も
説得の末、嫌々引き受けているからである(ヴェルディは、総譜に皮肉を込めて「所要時間3分59秒」と記している)。
その意味でムーテイは、作曲家の意図にできるだけ忠実な演奏を目指していると言える。それは極めて彼らしい
処置だが、スカラ座音楽監督就任16年にして初めて《オテロ》に臨んだムーティとしては、万全を期したという
ことなのだろう。彼の演奏は、厳格であると同時にスタイリッシュな劇性に満ち、我々の心を掴んで離さない。


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