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栃木県那須塩原市
くろたきやまだいにちそん
黒滝山大日尊
黒滝山は私の好きな山で毎年登っています。
その山が文化・文政時代ごろ(1800年代前期)盛んに登られていたと知りました。
黒滝山は江戸時代中期ごろ山岳信仰として24カ所参拝して登る「一の木戸」?だそうです。

どんなルートで200年前黒滝山に登ったのか興味が湧き黒滝山大日尊へ行って見ました。
偵察日 2007/9/9(日)曇り
荒沢大聖不動尊 あらさわたいせいふどうそん
弁財天 べんざいてん
西部曼陀良石 せいぶまんだらいし
右御久良伎山神 みぎごくらえやまがみ
御水上山 おみずうえやま
岩谷観音 いわやかんのん
役行者 えんのぎょうじゃ
古倉山 こくらやま
天子の地蔵尊 てんしのじぞうそん
両部の滝 りょうぶのたき
弘法大師護摩石 こうぼうだいしごまいし
天登大日尊 てんとだいにちそん
雷光の滝 らいこうのたき
推量権現 すいりょうごんげん
八万八千仏(賽 はちまんはっせんぶつ
の河原)
御宝前 ごほうぜん
御衰三宝公神 ごすさんほうこうじん
欠番 けつばん
雷風弐神 らいふうじかみ
天狗岩窟 てんぐいわあな
母の胎内潜り ははのたいないくぐり
薬師岳 やくしだけ
五百羅漢 ごひゃくらかん
四天王 してんのう
この地図で今分かるのは
赤倉山(鴫内山しげうちやま)1413m

大佐飛川・大蛇尾川 発音は一緒か
●2007年9月9日14:37

黒滝山大日尊に行ってみると車が沢山駐車していた。

地元の人のお祭り?
●14:41
●14:40

これが黒滝山大日尊

地元の人が見終わったら
中に上がって行って下さいと
言ってくれた。
●14:50

中に上がらず、缶のお茶を頂き

登山道発見

一本杉1.4キロ 登ってみる事にした

地図持ってこなかったし
半袖、半ズボン姿なので
●14:43

鴫内山から湧き出ている泉
招福延命水を持ってきた2リットルの
ペットボトルへ汲んだ。
●14:51

すぐに道は行き止まり

●14:50

車で行けるところまで
行ってみる。
●14:57

登山靴に履き替えて

登ってみる。
●14:59

砂防ダムに出て右側の丸太の橋を渡り

山道へ入って行く。

この最近作られた立派な道標は
どこまで続いているのだろうか
もしかして、黒滝山まで??
●15:03

踏み跡がしっかりしている

今でもここを歩いている人が

いるのだろうか。
●15:05

一本杉まで0.8Km

踏み跡はしっかりしていて
道に迷う事は無かった。
●15:07

要所要所に置かれた

「大日尊コース」道標
●15:09

地図を持ってこなかった(思い立ってすぐに来たので用意する時間が無かった)ので現在の場所が不明だが、
道は明瞭と道標が案内してくれるので早きに進む。

蚊が多い、止まると刺されるので
ひたすら歩く。
●15:10

一本杉まで500メートル
●15:12

登山道の様子
●15:13

またも道標

何メートルおきに有るんだ
●15:17

刈り払いした場所に出た。
●15:17

また道標

下界が良く見える。
●15:17

眺めが良い。
●15:18

吹き流しが有る
こんな景色見たことがあるぞ
三毳山、 高峯


ハンググライダーの発進基地か
●15:20

誰もいない立派なあづまや

脇にはトイレまで有る
●15:21

飯を食べるベンチ群

誰が使うのだろう?
●15:21

豊かな体験活動推進事業って何?
●15:21

大日尊コース終点
●15:22

ここまで林道が来ているのか
●15:22

今度は平沢コースか
●15:23

770.5mの三角点

親切な看板だ
●15:23

三角点
●15:23

今日は時間も無いし、準備不足

涼しくなったら出直そう

来た道を引き返す。
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中高年の山登りと温泉
2015/1/3更新
鴫内山(しぎうちやま)の奥に標高1754メートルの黒滝山という山がある。この山はもとは黒獄山といい、弘法大師によって開かれたと伝わる山岳仏教の霊場であった。この黒滝山の登山口にあたる一の木戸に、黒滝山大日尊祀られている。この黒滝山大日尊は今から二百年余り前の寛政四年二月、百村・鴫内・湯宮・木綿畑(きわのはた)四ヶ村の発願により、黒滝山の登拝口に安置されたものである。二百七十年続いた江戸時代に凶作は三十五回起きた。約八年に一度、凶作に見舞われたことになる。そのうち、享保・天明・天保に起きた凶作による飢餓は三大飢餓といわれている。なかでも天明二年から七年の五年間に起きた冷害による大飢饉の惨状はすさまじく、関東・東北で三十万人の餓死者が出たといわれている。黒滝山の麓の百村・鴫内・湯宮・木綿畑の四ヶ村も例外ではなかった。これらの村は標高五百メートル内外の高冷地にあったため、水稲は栽培されておらず、稗(ひえ)や粟(あわ)・麦などの畑作物が主だった。畑作物は水稲に比べて収量も低く、その上冷害を受け易かった。村人は、毎年冷害を恐れながら暮らしていた。鴫内や湯宮などの各村には穀蔵と呼ぶ、稗や粟を貯えておく蔵があった。凶作や不作の年は、この穀蔵から稗なとせを借り手飢えをしのいでいた。しかし凶作が三年続くと、穀蔵は空になった。食うものがなくなると、山へ行って木の実、草の根を採ったり、馬や犬や猫の肉を食べた。そして木の実や草の根を採りつくすと、そちこちで餓死者が続出するのだった。村に餓死者が出たとき、百村・鴫内・湯宮・木綿畑四ヶ村の村人が心の拠り所としたのが、黒滝山大日様だった。長雨が続くと、信心しなくちゃなんねえと、村人は大日様のおこもり堂へ行って念仏をするのだった。黒滝山大日尊の縁日は、毎年旧四月八日と八月八日だった。昔は宵の日に白装束をつけた登拝者が、六根清清浄と大声を上げながら黒滝山へ登った。黒滝山は二十四の拝所があった。山頂には二十四拝所の終わりの四天王があった。黒滝山の山頂の裏には清水があった。そこで米をとぎ煮焚きをして一晩泊まった。この日、麓のおこもり堂で、女達が念仏を行った。大日様(黒滝山とも)の念仏の詞に次のようなものがある。一の木には 大日如来なーむ
おんきわ達には 不動みようなーむ
あみだよ
なむあみだぶつ なもあみだ
ひだりの方にには あめのみやなーむ
みぎの方には かぜのみやなーむ
あみだよ
なむあみだぶつ なもあみだ

この神信じん するひとはなーむ
ごこくじょういの そのためになーむ
あみだよ
なむあみだぶつ なみあみだ

りしょうけんごにましましてなーむ
その年年の雨風あらしの なんをよけなーむ
あみだよ
なむあみだぶつ なもあみだ
この念仏に唱われる不動明王は大日尊の脇に、また風の宮、雨の宮は、大日尊の前に祀られている。雨宮、風の宮が大日尊の前に祀られたのは、それが村人の生死を左右したからである。黒滝山から降ってくる雨や、吹き降りてくる風は、その年々の作物の豊凶を左右する雨や風であった。また、大日様の念仏に次のようなものがある。
黒たき山の ふもとにてなーむ
高野の山にと たちたまえなーむ
あみだよ
なむあみだぶつ なもあみだ
大日様の念仏に唱われた高野の山というのは、弘法大師が開創した高野山ことである。高野山は女人禁制の山で死者の霊や祖先の霊があつまるという信仰の山である。
黒滝山も、女人禁制の山であった。百村・鴫内・湯宮・木綿畑の村人は、黒滝山を、この高野山にみて信仰していたのである。
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