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大河内の伝統文化、まつり

神楽


国指定重要無形民俗文化財

臼太鼓踊


江戸時代からの衣装をまとう

矢立祭祀考


もと事務局長の民俗学レポート

■まつり観覧の約束ごと■

ここでご紹介するどの祭も、観光イベントではありません。
地域住民にとっては年に一度の大切な祝祭です。
伝統文化に敬意を払い、マナーを守って楽しく交流しましょう!

  • 祭に参加する(観覧する)方は、御神前(3千円以上)ま たは御神酒(焼酎2升以上)を奉納する慣わしとなっています。

  • 祭における接待や供応は、神事をつかさどる神官や祝子、地域の役員が優先 されます。また、飲食物の内容や提供のタイミングなどは、地域の慣わしによって異なります。過大な要求や催促は厳に慎みましょう。

  • 祭の進行や他の参加者の邪魔にならないよう気を配りましょう

  • 特に写真やビデオの撮影、神楽における仮眠は、 周囲の迷惑にならないようにしましょう。

  • 祭では必ず酒食の供応があります。運転なさる方は、飲酒しないよう にしてください(祭参加者にはあなたが運転するかどうか判断できません。自らの責任で断ってください)。


国指定 重要無形民俗文化財 大河内神楽

<合戦原神楽、大河内神楽、矢立神楽、大藪神楽>

(1) 国指定重要無形民俗文化財
 椎葉村には29の集落ごとに、それぞれ異なった神楽が伝承されています(うち4集落は廃絶)。そのすべてをひとくくりにした呼び名が「椎葉神楽」で、国 の重要無形民俗文化財に指定(1980年)されています。つまり、椎葉の各集落で行われる神楽全てが、国指定重要無形民俗文化財なのです。

(2) 大河内神楽のあらまし
 大河内は、椎葉村西南部の、高塚山、三方岳、市房山、江代山(椎葉では津野岳と呼ぶ)に囲まれた一ツ瀬川源流域に位置する集落群の総称です。ここには、 いくつかの神社があり、4つの地区で神楽が伝承されています。大河内八幡神社での「大河内神楽」、合戦原王宮神社での「合戦原神楽」、矢立雪矢神社の「矢 立神楽」、今森神社・鹿倉神社の「大藪神楽」です。といっても、4地区の神楽は、同じ神楽保存会が同じ祝子(「ほうりこ」と読む=後述)で同じ演目を行う ので、ここでは総称して「大河内神楽」と呼びます。
 ただし、大河内八幡で4年に1度行われる『注連の願(しめのがん)』の際は、他の地区にはない特別な演目が追加されます。神社の前庭には特殊な飾り付け が施され、演目には藁で編んだ大蛇なども出てきて、非常に興味深いものです。
 大河内神楽の発祥は定かではありません。
 ただ、それまでひそやかに営々と続けられ、守られてきた椎葉の神楽がはじめて外部に知られたのは、1964年、国の文化財保護審議会専門委員であった本 田安次氏による、大河内神楽の調査研究が最初といわれています。つまり、椎葉神楽が国指定重要無形文化財に指定されるきっかけを作ったのは、大河内神楽 だったのです。あちこちに伝承されている神楽の中でも、大河内神楽のかたちは最も古い形をとどめているといわれています。

(3) 神楽の基礎知識
<「舞」、「せり歌」>
 神楽は「冬祭(ふゆまつり)」と地域では呼ばれます。全ての農作物の収穫を終え、神々に感謝するとともに、雪に閉ざされる前に集落の全員が集い、共同体 全体で厳しい冬を乗り切るという意味合いがあります。
 神楽は神聖なものです。神になりかわり、あるいは神にささげるものですから「踊り(人間的なもの)」ではなく、「舞い(神聖なもの)」といいます。
 舞の最中に観衆から「せり歌」と呼ばれる歌が起こるときは、観衆と舞手が一体となった瞬間で、まるで「ジャム・セッション」を思わせるでしょう。
<祝子・舞衣・舞笠・御幣>
 神楽を舞う人を「祝子(ほうりこ)」と呼びます。神になりかわって舞う神聖な人という意味です。祝子は白装束で、舞う際 には、色紙で飾った舞笠(めーがさ)を被り、舞衣(めーぎん)という裃を着けます。また、舞によっては金襴の衣装に面をつけたり、手にさまざまな神聖なも の(御幣、刀、弓、鈴、榊の枝、供物など)を持つこともあります。
 神楽の際使われる御幣(ごひい)は、神の依代(よりしろ)です。それぞれ形の違いにより別の神をあらわします。すべて祝子が祭りの都度、山刀一本で切り 込んで作ります。神楽終了後に、参列者に御幣が下げ渡されることがあります。記念に頂いて帰りましょう。
<御神屋・くも>
 神楽は、御神屋(みこうや)と呼ばれる空間で舞われます。四隅に竹を立て、注連縄(しめなわ)で囲まれたおよそ4畳半ほどの広さの空間です。文字どおり 「神の宿る場所」ですから、神主、祝子、氏子の主だった者以外は原則として足を踏み入れてはいけません。御神屋の正面は神を祀る祭壇で、そこには高天原 (たかまがはら)と呼ばれる、藁を束ねたものに御幣を立てたものと、さまざまな奉げもの(海のもの、山のもの、その年の生産物など)が12種類奉げられま す。
 御神屋を囲む注連縄には、榊や御幣のほかに、四季を表す切り紙細工(彫り物=「えりもの」と読 む)が飾られます。切り紙細工は山刀一本で梶紙に切り込まれたものです。素朴なデザインに、山里のアニミズムのエッセンスがあるようにすら感じます。
 御神屋の天井には、「くも」と呼ばれる可動式の丸い天蓋があり、舞の最中、囃しに合わせて揺り動かされます(左の写真)。この、「くもを揺り動かす」と いうのは各地で伝承されている神楽の中でも、とても珍しいものです。他の地区と異なり、大河内神楽の「くも」には太陽と月が意匠化されて描かれています。 舞の最中激しく揺れ動く「くも」を見ていると、「舞のエネルギーが世界を揺り動かす」ようにも見えます。
<神楽の数と順序>
 神楽には決まった順序があり、33番を数えます。しかし、大河内八幡神社の「注連の願(4年に1度の大祭)」のときと、それ以外の年では、数と順番に若 干の違いがあります。
 それぞれの舞は結構長く、舞い手も笛や太鼓も非常な体力を使います。そのため、舞と舞の間には、十分な時間をとり、神酒を口にしたりして休憩します。多 少間延びして感じることがあるかもしれませんが、本質的に神事であり「見せ物」ではないことをご理解ください。

(4) 演目と簡単な解説(伝承されるうちに由来等定かでなくなった部分が多い)
● 板おこし:大河内神楽はこの神事から始まります。舞ではありません。唱教を唱えながら、神前で猪や鹿の肉を切り分け奉げ た後、参列者にも配ります。高千穂などの神楽と異なる「狩猟の民」のまつりであることが、この神事からも伺えます。血の滴る生肉は縁起物ですので受け取っ てください。
● ありなが(有長):はじめに、神官が参列者に榊の枝で神水を掛け、一座を清めます(このときには、参列者全員が低頭して祓いを受けます)。次に、楽の音に合わせて、祝子が捧げものを順に手渡しし、 神前に運びます(捧げものに息がかかると不浄となるという考えから、祝子は榊の葉を口にくわえています)。その後祝詞奏上と拝礼が行われます(このときは 参列者も二礼二拍手一礼の参拝を神官とともに行わなければなりません)。拝礼が終わったら、祝子は着座して榊の枝を振りながら唱教を唱えます。山の民の祭 りらしく、二人の神格化された猟師が鹿を狩り、皮を太鼓にする模様が語られます。
● みこうや(御神屋):舞所である御神屋をたたえ、清める行事です。
● 式三番:最初に神にささげる舞と唱教。とても格式の高いものです。威儀を正して観覧しましょう。式三番が終わるまでは、 原則として飲み食いや私語は慎まなければならないといわれています(ここまでは原則として写真撮影禁止です)
  ・ 壱神楽:刀を持った2人舞。
  ・ タスキの手:赤い襷と剣を持った勇壮な2人舞です。(右上の写真)
  ・ 花の手:榊を持った4人舞。
  ・ 剣の手:刀を持った4人舞。
  ・ 地割:太鼓を中央に立て、刀を立てて唱教を行います。四方を清め、地固めを行う意味があるといわれています。
  ・ 宝わたし:刀2本を左手に持ち、別の舞手に渡します。地固めが終わった後の地に、豊穣を祈るものでしょうか。
● 日月:あまたある神楽の中でも、椎葉の神楽(それも一部の地区に限定)だけに伝えられています。鈴と金銀の扇を持った二 人舞。長時間にわたるため、間に休憩を挟む、優雅な舞です。
● 花の手:鈴と榊を持った4人舞。式三番に出てくるものと同じで、神へささげるもっとも基本的な舞。通常、子供神楽で行わ れます。子供神楽は伝統の継承を意図して育成されていますが、その費用はほとんど子供たちの手出しです。子供神楽の際はぜひ「おひねり」を投げてあ げてください。
● 鬼神:面の舞。呼出(先導役)に導かれて御神屋に入った鬼神が、扇と棒を持って、激 しく舞います。鬼神と人との力比べ(左の写真)の後、勝ち誇った鬼神の舞が披露されます。この神楽のリズムをとってみると、七拍子になっていることがわか ります。神楽は現代音楽より「新しい」のかもしれません。
● 稲荷:椎葉の神楽にしか伝わっていない優雅神聖な2人舞。熟練したものだけが舞うことができるといわれています。最初に 扇をもって舞い、次に御幣を持って舞い、最後に舞衣を持って舞います。神具を代える度に休憩が入ります。
● 大神:大神御幣を持った4人舞。ここで唱えられる唱教では、北野天神の由来が語られます。御幣を連ねて並んで舞うさま は、「神遊び」と形容したくなるような楽しさです。
● シシ舞:猪2頭と、狩人2人のコミカルな舞。猪は観客席に入り、観客の頭を噛んでいきます。噛まれることはとても縁起が いいことなので、ぜひ噛まれてください。そのさい、猪には酒をふるまってあげましょう。最後には狩人が猪を捕えて皮をはがし、持ち去ります。一座の笑いが 絶えないとても楽しい演目です。
● 芝引(しばひき):蒼白鬼面の一人舞い。山神が山を自らのものとするさまを表したものといわれます。高千穂や五ヶ瀬の神 楽では、古事記の「天の岩戸隠れ」の一連のストーリーの中に位置づけられていますが、大河内神楽ではそのような流れにはなっていません。榊の枝を手に持っ て激しく舞うさまは、すばらしい写真になります。これも七拍子のリズムです。
● みくま:4人舞。ほかの舞と異なり、舞衣を着けません。代わりに赤い帯を着け、手に載せた盆に神米を載せて舞います。三 本の指を立てた上に盆を載せ、盆に載せた米をこぼさないよう、揺るぎなく舞わなければならないので、この舞いの後は腱鞘炎になりそうなほど疲れると言われ ます。神々に供物をささげる舞と思われます。
● 太力(たぢから):記紀神話でおなじみの田力男命(たぢからおのみこと)をたたえる舞。赤い鬼面をかぶった1人舞です。 舞いが非常に激しいため、ストーリー上続くべき「戸取」との間に別の舞を入れます。
● 大神(だいじん):前出の舞が再び舞われます。もとはここにコミカルな「女性面(にょしょうめん)」の舞いが挟まれたよ うです。筆者は一度だけその舞いを見たことがありますが、その舞を継承しておられた方が急逝されて以降、目にすることができていません。伝統をつなぐこと の難しさを感じます。
● 戸取(ととり):ふたたび田力男が登場し、力のこもった舞の末、ついに岩戸を開けるというストーリー。非常に激しく舞 い、最後には天岩戸を後ろに放り投げ、勝ち誇ったように舞って終わります。
● 森(もり):矢を持った舞。格式が高い舞です。狩猟儀礼とかかわりがあると思われます。
● 太力(たぢから):みたび田力男が登場します。ここでは、天照大神に扮した子供を田力男が御神屋に導き入れます。岩戸を 開けた後の大団円。
● 弓の手:弓を持った2人舞。舞の後半、「芝入れ」と称して、榊を持った観客が御神屋に乱入し、「よいさぁよいさ」とはや します。このような乱入がなされる神楽は、全国的にも大河内神楽を中心とした地域にしかないといわれています。舞が終了すると全員正座し、 神主に叱られ、樽1本を捧げることを約束して引き下がります。榊を渡されたら芝入れに参加しましょう。ただし、撥ね飛ばされることもありますのでご注意。
● 樽めん:「芝入れ」で約束した樽を担いだ面舞。こっけいな所作で笑わせます。観客席を回る樽面には、酒を振舞いましょ う。
● 荒神:最初に黒面の荒神が登場し、時に荒々しく、時に重々しく舞います。その後、樽面が持ち込んだ樽に腰掛けた荒神と、 神主の問答(右の写真)が行われ、荒神から「金剛杖(豊穣の象徴)」をいただいた神主が舞うというストーリー。「樽荒神」と呼ばれ、全国的にも非常 に珍しい舞です。祭り参加者にはもう相当お酒が入り、周囲が騒々しいとは思いますが、神主と荒神のやりとりが聞き取れるようでしたら、ぜひ聞いて みてください。
● オキエー:海神をたたえ、火伏せとして舞われるといわれます。
● 伊勢の神楽:神主の一人舞です。伊勢神宮をたたえる神楽でしょうか。
● ごつでん:牛頭天王(ごずてんのう=災厄をはらい、豊穣と繁栄をつかさどる神)をたたえる舞。
● 火の神:火の神をたたえるもの。舞の最後、御神屋を出て、台所に火神御幣をおさめます。
● 神崇(かんしい):今度は台所から、抜刀した祝子が御神屋に舞い入ります。これが最後の舞で、もっとも長く、もっとも格 式の高いものです。抜き身の刀で4人が輪を作りそのまま順に刃の下をくぐるという難度の高い舞が行われます。休憩毎に舞い手がひとりずつ減っていき、最後 に1人になって舞い終えます。

「かんしい」 が終わったあとは、それぞれの地区によって行われることが異なります。
● 矢立神楽、大藪神楽では、神主と祝子、氏子たちが神社に移動し、「宮神楽」を奉納します。その後、祝子・氏子は『直会(なおらい)』という締めの宴会 を行います。
● 大河内神楽、合戦原神楽は、神社が神楽の会場となるため「宮神楽」の必要はありません。そのまま『直会』になります。
● 大河内神楽の『注連の願』の年は、神社の庭で「注連引き」(左の写真)や「綱荒神」、「大蛇」の舞が奉納されます。大変珍しいものですが、4年に1度 しか見ることができません。これらが終わると『直会』となります。

2014/6月補筆
文責:前事務局長 小川弘志

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村指 定無形文化財 臼太鼓踊

<大河内臼太鼓踊、大藪臼太鼓踊>

未稿(後日をお楽しみに)

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矢立 祭祀考(やたてさいしこう)

<前事務局長の民俗レポート>

はじめに

 椎葉村は広い。面積536平方キロ(役場資料より)という。が、平成の大合併後では、この広さもさほど珍し いものではなくなった。 面積を数字としてだけ見れば、ほぼ神戸市の広さに匹敵する。東京23区よりひとまわり小さいくらいである。
 だが、山と谷に隔てられた集落間を行き来してみれば、そのあまりの時間のかかりようによって、数倍、あるいは数十倍の広さとして実感されることだろう。 たとえば、私の住まう矢立(椎葉の南西部)と向山(椎葉の北西部)は、直線距離ではおよそ15kmしか離れていない。しかし、 矢立から向山まで車で行くとなると、いったん北東に峠越えの道を走り、村の中心部(上椎葉)に出て、さらに北に川沿いの道を走り、 それから西へ山に登る道を延々と走らねばならないのだ。平坦な直線距離であれば、15分で着くような距離しかないのに、実際は3時間ゆうにかかるのであ る。
 椎葉の集落は、大雑把にいくつかに分けられる。それぞれの集落群では、文化と習俗、言語が微妙に異なる。私の住居のある矢立は、 大きく「大河内」と呼ばれる集落群の中にある。ややこしいのは、この「大河内」という言葉が、この「集落群」を指す場合と、もっと広い範囲の 「大字としての地名」を指す場合とがあることである。ここでは、「大河内」を、文化、習俗を一定共通させた「集落群」の意味として使用する。 大字としての大河内を使用する場合は、その旨別途注記するものとする。
 さて、ここでは、大河内の中のひとつの集落である「矢立(やたて)」のまつりについて、民俗学上の資料としても通用する形でまとめてみようと思う。
 この文章をまとめるきっかけは、
 2004年度の「世話役(「せわやき」と呼ぶ=年間を通じて祭祀の世話をする当番の家)」になったため、 これまで参加するのみであった矢立のまつりの準備から執行までに自ら携わる機会を与えられたこと。
 次第に由来や伝承、祭祀のあり方などの伝統継承が薄れつつあるとの危機感を、矢立の住民が抱き始めており、現在わかっていることだけでも、 文書として残しておきたい・・・との意志が私に伝えられたこと。
である。
 神事や由来については、すでに古老すら不明な点も多々ある。私の推測で解釈あるいは補った部分は、【作者 註】 にて記述し、地の文章については事実のみを客観的に記述するつもりである。
 また、この文章は、一度に完成版を掲載するのではなく、このホームページ上で書き進めていく形をとり、これからしばらくかけて加筆を重ねていく つもりである。つまり、今回ご覧になった内容が、いつか再びご覧になったときにはさらに補充されているはずである。気長にお付き合いいただきたい。 また、疑問点やご意見、ご教示などあれば、メールをいただければ幸いである。

 

T 概説

1.矢立の祭神

(1)雪矢神社(ゆきやじんしゃ)

  矢立集会所の左横からその上へ回る坂道を登りつめると、2軒の家が並んでいる。左の家の庭先を抜けると鳥 居が見えるが、 そこが雪矢神社の正面参道である。ちなみに、この地方では神社を「じんじゃ」と呼ばず「じんしゃ」と呼び習わしているため、ルビ表記もそのようにしてい る。
  男女対の夫婦神を主神として祀る神社である。この夫婦神のことを「雪矢さん」と呼ぶ。「雪矢」は「征矢」とも書かれるが、 最近は「雪矢」で統一されている。

写真1 雪矢神社祭壇

  神楽ができるほどの広さの社殿があり、正面には祭壇。その中央に、夫婦神を納めた小さな神殿がある。まつ りの時のみこの神殿の扉は開かれ、 真綿にくるまれた木製のご神体(男性は衣冠束帯、女性は十二単か=左の写真)を拝むことができる。
  この「雪矢さん」は、天神と同一視されている。つまり菅原道真信仰の流れをくんでいるわけである。
 が、どうもそれだけでは説明しがたいものがある。天満宮と異なり夫婦神であり、大河内の他の集落に存在する神社や祠の祭神と、 親子や兄弟の関係にあるとも伝えられているからである。
 【作者註】その祭神間の関係については、後日この文章を膨らます形で述べる予定である。それら「大河内の 神々」は、国家神道のもとに組織化された神々とは異なる、この地域独自の「地域神信仰」を体現しているのではなかろうか。
  祭壇(写真1)には、夫婦神を納めた神殿に向かって右側に、山神(さんじん=山の神)、稲荷(いなり=田の神)の2神、 向かって左側に大神(だいじん=どのような神か不明)が祀られている。したがって、この社殿には、主神の雪矢天神も含め、4つの神が祀られているわけであ る。

(2)地主堂(じぬしどう=「堂(どう)」と簡略化して呼ばれる)

  矢立集会所上の坂道で最初に出てくる人家のすぐ下にある、木造の小さな堂。
  神体(右の写真)は石彫彩色の、衣冠束帯坐像。矢立集落に最初に住み着き、骨を埋めた「地域の祖先神」として祀られている。 4畳ほどの広さのお堂の中に祭壇があり、石造りの像が3つ置かれている(写真左側の石像はその一つ)。 うち2つは古いご神体がそのまま置かれているものであり、本体は一つとみなされる。
  堂の外には、苔むして風化した石が幾つか並んでいる。これは「地主さんの墓」と呼ばれている。また、その奥に大石の碑が立てられている。 碑文はすでに風化して読むことができない。いずれにしても、地主堂はこの墓所と密接に関連していることは間違いない。 地元の人々は、「地主さんは仏さんから神さんになった」と言う。明らかに最も古い家の開祖の墓を「祖先神」として祀っているわけである。
  この墓所の主である「矢立氏」の子孫は、すでにこの土地には住まっていない。以前は集会所付近にあった屋敷に住まっていた ということである。
  【作者註】神楽の幟に「矢立某」の奉納者名が染め抜かれているところを見ると、それほど古くない時代に この地を離れ、いまだにこの地との何らかのかかわりを保っておられるものと思われる。

(3)荒神(こうじん)

  雪矢神社を背後に抱える家と反対側(右側)の家の裏の森の中、大きな樫の木の根元に祀られている。伝承、 起源は不明である。
  【作者註】森の地面に御幣を立てて祭られていることから、いわゆる「三宝荒神」(火の神、 竈の神)ではなく、「地荒神」ではないかと思われる。だとすれば、山の神、集落神、地の神としての性格があるのかもしれない。あるいは「牛馬神」か。いず れにせよ、「荒神」と呼ぶからには「荒ぶる神」「祟り神」として恐れられるべき神であろう。後に述べる「カケグリ」も、「荒神さんは欲張りじゃけん」と、 荒神にだけは他の神と異なりたくさん供えるが、これは荒神のたたりを恐れたものと解釈することができる。また、大河内神楽には「荒神」という舞いがあり、 地域の人々の荒神さんへの畏れをかいま見ることができる(大河内神楽の項参照)。

(4)水神(すいじん)

  雪矢神社参道の、鳥居をくぐったすぐの、カヤの木の下に祭られている。
  端的に水の神である。伝承、起源は不明である。
  【作者註】これとは別に、各家にも水神は祀られているが、全て水源に近い、あるいは水源に関わる場所に 祀られている。とすれば、この水神も、集落の水源に、なんらかかかわりがある場所なのかもしれない。

(5)ササワキ(漢字不明。「笹湧き」あるいは「笹脇」か?)

  雪矢神社社殿のすぐ下に、次の「モリ」と並んで祀られている。「モリ」とは別に供え物をする。伝承、起 源、どのような神であるかは不明。
  【作者註】西都市東米良の銀鏡(しろみ)地区では、「ササワキ」は御幣の形であって、流れ 潅頂として川に流すものというが、それ以外の民俗資料で「ササワキ」の名を見つけることが今のところできていない。椎葉の他の地区で同じ神が祀られている かどうかも、寡聞にして知らない。ために、ササワキが何を意味するのか、どのような神であるのか、あるいは仏教の影響を受けたものか、など、分からないこ とだらけである。

(6)モリ(漢字不明。「森」あるいは「杜」か?)

  ササワキの項参照。起源、伝承不明。古老に聞いても「モリは森じゃろうかね?」と返ってくる。
  【作者註】もし、この「モリ」が「ソシモリ」のこととすれば、牛頭天王(スサノオ)信仰と かかわりがあるのかもしれない。が、「ササワキ」と並んで祀られていることについても考える必要があるだろう。大河内神楽には、「森」という舞があり、関 わりがあるものと思われる。しかし、これもまた分からないことだらけである。

(7)その他の神仏

  次回以降執筆

 

2.祭具、供物

(1)神体としての御幣(ごひい)

  「ごへい」ではなく、「ごひい」と呼び習わす。梶紙(かじがみ=梶の木から漉かれた和紙)を折り、小刀で 切って四角形や三角形が連なった複雑な形を作り、 それを篠竹にはさんだもの(写真1に、いくつか写っている)。
  御幣とは、「神に捧げるもの」かと漠然と思っていたが、実は、神そのものを体現するものなのであった。 したがって、神それぞれで、御幣の形は違う。これは水神の御幣、これは山神の御幣・・・とはっきりと折り方、切り方が区別されているのである。
  ご神体がない神を祀る場合、この御幣そのものが神として祭祀の対象となるわけである。
  御幣は、年1回、冬祭(神楽)の際に新しいものが、祝人子(ほうりこ=神楽を舞う神人)によって共同作業で作成され、 それぞれの神の分が更新される。ただし、屋外に祭られる神々については、取り替えるのではなく、新しいものを加えていくという方法となる。
  また、冬祭の際には、各家庭の水神への御幣も配布され、各家庭で大晦日に新しいものを加えて祀る。
  御幣の形については、後日図示する予定である。

(2)カケグリ(漢字不明)

  篠竹を節から上に3寸(約13cm)、下に1寸(約3cm)ほど切って、中に御神酒(焼酎)を入れたもの (右の写真)。 神に供える御神酒の容器として使われる。祭祀のたびに新しい篠竹を切ってきて作られる。作るのは、世話役の仕事である。
  祭神ごとのカケグリを供える数は決まっていて、以下のとおりである(特記がないものは2本を一組としたもの)。

  ●雪矢神社社殿内
    主神:2組  山神:2組  稲荷:2組 大神:1組
  ●地主堂内
    地主像:1組
  ●森の中に祀られた神
    ササワキ:1組  モリ:1組  水神:1組  荒神:1組(ただし、通常年12本、閏年13本を一組としたもの)

  冬祭の際には、各家庭の水神に供えるカケグリも水神御幣とともに配布される。配布されるカケグリには神社 本殿に備えられた御神酒が入っている。御幣と併せて「水神幣(すいじんび)」と呼ばれる。

  【作者註】荒神に供えるカケグリの数は、旧暦の月の数(通 常年は12か月、3年に1度の閏年は13か月=二十三夜で供える餅の数もそれに従う)に他ならないと思われる。

(3)海のもの、山のもの・・・

  カケグリ以外の供物は、雪矢神社主神と、地主との2つに供えられる。
  雪矢神社主神に対してが最も本格的な供物であり、海のもの(魚)、山のもの(野菜)、果物2種と、必要に応じて餅が供えられる。 地主堂への供物も、海のもの、山のものという考え方であるが、具体的には、塩、米、煮干という軽い内容になっている。

 

3.年間の祭祀

(1)地主講

  旧暦の3月17日に行なわれる祭。地主さんの命日だといわれる。地租神の祭りである。 神事(神主及び世話役で執り行う)ののち、集落の全員(老若男女)が集まって、酒を酌み交わす。

(2)さのぼり(さなぼり)

  全戸の田植えが終了した頃を見計らって、世話役が日程を諮り調整して開催される祭り。豊作祈願の神事(神 主及び世話役執行)ののち、集落の全員が集まって、酒を酌み交わす。

(3)二十三夜

  旧暦の9月23日、神事の後、月の出(深夜)を待ちながら酒を酌み交わす。 月待ちの祭り。餅を月の数(通常12個、閏年には13個)供えて、月祭りをする。男(壮年)のみの祭りである。十五夜の習慣はないが、二十三夜はちゃんと した祭りとして執り行われる。

(4)神楽(冬まつり)

  12月はじめに行なわれる、収穫を神に感謝する祭り。「秋祭り」とも呼ばれる。 雪矢神社から神を集会センターに移し、神楽を奉納する。3年に1度の「一コヤ(ひとこや)」と、それ以外の年の「半コヤ(はんこや)」があり、 一コヤのときは日没から夜明けまで、半コヤの場合は日没から深夜まで、神楽を舞う。地域以外の来客もある、集落最大の祭りである。

(5)酒迎え(さかむかえ)※

  地蔵迎えともいい、近隣の北郷村にある宇納間地蔵の鎮防火災の札を迎える祭り。宇納間地蔵は、防火の霊験 あらたかということで、 近辺のみならず、熊本県、大分県からも、例大祭の参拝者は多い。この防火札は、各家庭に2枚、旧道の交わる場所(辻)に各1枚貼るのが習わしとなってい る。 例年、くじ引きで代参者2名を決め、集落全体のお札を入手してもらうのだが、その慰労会と、地蔵への信仰の祭りとして、この行事がある。集落全員の祭り。

※この記述について、九州ハイランド観光ガイド・インスト ラクター協会副会長の井澤さん(熊本県在住)から、次のようなメールをいただきました。

「酒迎え」の表記ですが、私も以前はこのように書くと思っていま した。「どうかくのか?」と尋ねられ、郷土史家の先生に聞きましたところ、集落の代表者がお参りしてお札をいただいてきたのを、村のはずれ(他の村との 境)まで出迎えて労った。だから「さかむかえ」「境迎え」と表記。

矢部の中川さんというおじいさんは『その「さかむきゃ」(私には 老人はこう発音したように聞こえました)の飲み方をした小さな原っぱのことを「さかむきゃばる」と呼んでいた』そうです。

こちらでの「境迎え」は、阿蘇神社にお参りしてお札をいただいて きたときで、今は公民館で開催。

以下未稿

4. 個別祭祀の態様

1.地主講

2.さのぼり(さなぼり)

3.二十三夜

4.神楽(冬まつり)

5.酒迎え(さかむかえ)


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