
◆東日本大震災以降(2011年3月11日付以降)の「身辺雑記」について、すべての日付にそれぞれ直接リンクできるように設定しました。「最新版」ではなく「各月のページ」に飛びます。例えば、2011年5月1日付の記事の場合のリンク先は「http://www.geocities.jp/ookaminami/zakki2011-5.html#20110501」となります。
5月26日(金曜日) ようやく授業の成果が
大学の授業で学生に作文を毎週書かせているが、今週になって、おやっと思える文章が増えてきた。一時は言葉を失うほどの不出来さに、「こりゃどうしたものか」と講義する意欲も萎えかけていたのだが、しつこく何回も添削指導した手応えがようやく感じられるようになった。
文章表現力はまだまだだと思うが、ネットで拾ってきた知識をつぎはぎしただけのレポートでなく、自分にしかかけない文章、ありきたりでない文章を書くためのヒントはつかみ始めたようだ。テーマを独自の視点で切り取り、具体的なエピソードを踏まえて分かりやすく書く作文が増えてきた。
繰り返しアドバイスを続けただけの成果はあった、ということなんだろう。少なくとも無駄ではなかったとは言えると思うけど、でも結構大変なんだよなあ。授業前日はほぼ毎週徹夜になってしまうし。一定レベルに達した後の添削や講評は楽になるのだが、それまでは正直言って結構苦痛なんだ。
などと弱音を吐きつつも、学生の成長著しい姿をようやく見ることができたので、萎えかけていた労働意欲がほんの少し回復してきた。「先生のコメントは適切で分かりやすい。文章を書くスピードもアップした」といった学生の感想を糧に、とりあえず次週以降の授業もこれまで通り続けよう。
5月25日(金曜日) 「名張毒ブドウ酒事件」再審認めず「名張毒ブドウ酒事件」の再審開始を名古屋高裁(下山保男裁判長)が認めない決定をした。2005年に名古屋高裁がいったん認めた再審開始決定を、翌2006年に取り消した同高裁の門野博裁判長が元凶だ。門野氏と同期の元裁判官は、僕の取材に答えて「可能な限り審理の機会を与えればいいじゃないか」と門野決定を批判していたが、全くその通りだと思う。
いったん認めた再審開始決定を取り消すこと自体、そもそも理解に苦しむ。今回の再審請求差し戻し審で再審を認めないとした名古屋高裁の決定も、「疑わしきは罰する」を地でいくようなものだとしか思えない。改めて審理してもだれも困らないだろう。時代錯誤の刑事裁判官には怒りを覚える。
司法問題は、つまるところ裁判官問題だと言っていい。裁判官改革こそが司法改革の最大のテーマだ。検察官がどんなにクズで酷い取り調べをしたとしても、裁判官がまともに審理して判断すれば無罪判決を言い渡せるのだから。刑事事件だけでなく行政事件も労働事件も同じ。裁判官がクズだから司法に絶望する人が増えるのだ。名張毒ブドウ酒事件も然り。
残念ながら日本の裁判官はボンクラが多過ぎる。もちろん全部が全部ではないが、圧倒的大多数の裁判官は、法律と良心のみに従って公正に判断するという職務を放棄している。なんとも救いようのない悲しい司法の現実だ。
◇◇ 「敵をつくって論戦して有名になった」「民衆煽動家」との米紙ワシントン・ポストの分析記事に対し、大阪の橋下市長が「僕は敵をつくりたくないが、向こうからバトルゲームみたいに次々と敵が出てくる」などと反論(産経)。よく言うよ。橋下市長自身が次々に敵をつくってバッシングし、庶民の鬱憤のはけ口に利用してるんじゃないか。いつものあきれた橋下流の詭弁を、しれっと垂れ流すメディアもどうかしてる。
5月24日(木曜日) NHKトップとしておかしいNHKの数土(すど)文夫・経営委員長が東電の社外取締役に内定したことについて、東電の取材報道に影響ないのか、公正さに欠けて不信感を持たれるなどと批判されていたが、同氏は経営委員長を辞任し、東電の社外取締役に専念することを明らかにした。報道機関のトップとしての自覚のなさにあきれる。
兼職批判に対し、数土NHK経営委員長は「報道の中立に懸念はない」と言い切っていたのに、辞任に際して「東電への協力を優先した」「私がいなくてもNHKは揺らぐことはない」と説明。だったら最初から経営委員長なんて引き受けなければいいじゃないか。報道機関を預かっている責任者としておかしい。
独立した報道機関であるNHKの立場を自覚していないし、権力や取材対象に毅然とした姿勢が取れる距離感を理解していないからこそ、今回の兼職のような問題が起きるのだろう。このニュースをNHKはどうしてトップ項目で伝えないのか。なぜ問題点を明確に指摘しないのか。正面から取り上げて批判してもいいはずだ。報道現場にも問題意識や危機意識が欠如しているとしか思えない。
5月23日(水曜日) 「武道必修化」テーマに学習会千葉県市原市で開かれた「9条の会」の学習会に講師として招かれ、中学校武道必修化の背景について話をさせていただいた。日の丸・君が代の強制、教育基本法改正、学習指導要領改訂、大阪橋下維新の台頭などの流れが根底でつながっていることを、メディアの問題も含めて、これまでの取材経験をもとに2時間ほど解説した。
学習会には市民のほか、武道必修化について地元議会で積極的に質問を続けている市会議員や県会議員、弁護士も参加。現場の教員や教育委員会への聞き取り調査なども報告されたが、市内の体育教師に柔道経験者がほとんどいない事実や、わずか12時間の教員向け講習(しかもそのうちの半分が座学)で柔道段位が取得できてしまう実態に驚かされる。
武道必修化の学習会は時間が足りないほど、質疑応答が相次いで盛り上がった。経験や知識のない体育教師が指導することの怖さ、死亡事故や重大事故が多発し、現状のままでは子どもたちが危険にさらされること、拙速な必修化は異常であるといったことを、地道に訴えるのが、問題解決のためには何よりも一番の早道だろうなと改めて感じた。
5月22日(火曜日) 労働意欲少しでもやっておこうと思って作文添削に取りかかる。労働意欲が高まらず、どうにもこうにもなかなか進まない。うーん。
5月21日(月曜日) 金環日食厚い雲に覆われていた横浜南部だったが、金環日食となる予定時刻の午前7時31分になった瞬間、雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせて、きれいなリングを見せてくれた。絶妙のタイミングの3分ほどの天体ショー。近所のマンションのベランダのあちこちから、「わあすごーい」「きれい」「初めて見たよ」といった歓声が一斉に上がった。
日食グラスを通して見事なリング状態になった太陽が、はっきりと3分間ほど見えた。やはりこれは感動の一言しかないなあ。しかも後半の2分間は厚い雲を通して、肉眼で金環日食を見ることができた。「直接見ちゃダメだって言ってたけど、きれいに見えちゃうね」との声がご近所さんからも聞こえてきた。
それにしても絶妙のタイミングだったなあ。金環日食が始まるまでずっと、本当に分厚い雲に覆われていたというのに、まさにその瞬間に雲の切れ間から顔をのぞかせてくれるなんて。しかも横浜南部は午前6時半ごろまで雨が降ってたんだぜ。まさに神様からのプレゼントだな(神様は信じてないけど)。
分厚い雲がフィルターのようになって、金環日食を肉眼で見ることができたので、この瞬間を逃すわけにはいかんと撮影。くっきりとリング状になった太陽=写真(画面左上)。コンパクトデジカメで撮影したのをトリミングしたのでこれが限界だけど、意外とちゃんと映っている。これならちゃんとした一眼レフデジカメをスタンバイしておけばよかった。
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5月20日(日曜日) カエルのツラにあれだけ指摘されても、カエルのツラにションベンなんだなあ。迷惑行為や危険行為を顧みようとせず、約束を履行せずに平然としていられるなんて、恥ずかしいという感覚はないのだろうか。むしろ開き直っているとしか思えない。いい加減にしてほしい。そろそろ堪忍袋の緒が(以下省略)。
5月19日(土曜日) やる気に落差2時間ほど仮眠して、午後から授業。先週の「身辺雑記」に「学生に覇気がない」「意欲的な学生が少ない」などと書いたからかどうか分からないけど、今週は熱心に話を聴く学生が少し増えた(ような気がする)。提出していなかった宿題を遅れて持ってきた学生も複数いた。やる気がある学生とない学生との落差は、相変わらず相当あるように思うけど、それはそれでもう仕方がないことなのだろう。前者は目に見える形で成長が著しい。
夕方からマンションの管理組合総会。まともに人の話を聞かず、微妙に論点をずらして、一方的に仕切って勝手にまとめるのには閉口する。論理的でないから話が噛み合わないし、正面から異義を唱えると角が立つし。困惑している。
5月18日(金曜日) どう考えても無罪昼過ぎの南武線に武蔵小杉から乗車。武蔵溝ノ口に差し掛かると青空は一転し真っ黒になって、激しい雨が降り始めた。慌てて窓を閉める乗客たち。登戸駅に着くと土砂降り。バケツの水をひっくり返すどころでなく、容赦なく叩き付ける豪雨にホームから悲鳴が上がる。ところが稲田堤駅に近付くと、青空が広がって太陽の光が射している。なんじゃろこの天気は。通り雨だったのか?
午後から東京地裁立川支部へ。バス車内で起きた痴漢冤罪事件の公判を傍聴取材する。この日は被告人質問。今回から今村核弁護士が主任として参加した。質問自体は別の弁護士がしたのだが、今村弁護士が加わったことで弁護団の力量は格段にアップしたのは明らかだ。車内ビデオ映像の時間記録から痴漢行為が物理的にできるはずがないことを、科学的に完璧に立証してみせた。さすがだ。これはどう考えても無罪判決しかないんじゃないかなあ。
◇◇ 「光学機器メーカーが製造した安全で安心できる日食グラスを、お求めやすい980円でご提供しております」。家電量販店の店員が声を張り上げてアピールしていた。なるほど1500円近い製品に比べてこれは安い。藤子F不二雄先生のイラストもいい(ドラえもんが売り切れだったのは残念だったけど=笑)。即購入した。金環日食を3日後に控えて、どこの家電量販店も日食グラスの売り込みに必死だ。
◇◇ 日高屋の餃子ってこんなに美味しかったっけ。皮はもっちりで、中からジューシーな肉汁がじゅわーっと出てくる。そこらの有名ラーメン店で出されるパサパサした餃子よりはるかに美味い。今まで軽く見ててごめん、ちょっと見直しちゃったぞ日高屋(笑)。
5月17日(木曜日) 年令と同数の本を企業法務で有名な久保利英明弁護士(67歳)から、「『はしがき』に見る企業法務の軌跡」を献本していただいた。62冊目の著書だそうで、年齢と同数の書籍を出すために、「これからは年に2冊書いて72歳で年齢に追いつく」との抱負が挨拶状に書かれていた。意欲的な姿勢に敬服。年齢と同じ冊数はなかなか難しいが、この前向きさは見習いたいものだ。
5月16日(水曜日) メディアに関する3題「大阪市の入れ墨をした職員は110人に上る」などと大きく取り上げるテレビ各局は、はしゃぎ過ぎだろう。例によって橋下市長は「組織として異常だ」「やりたい職員は民間に移れ」などと攻撃対象を絞って一方的に切り捨て、テレビはそれをそのまま垂れ流しているが、そもそもそんなに大層な大問題なのか。職務に支障を来すような話か。伝える側もよく考えて自制した方がいい。
個人的には入れ墨は好きではない。世の中にはいろんな人がいるから、「公務員がなぜわざわざ入れ墨なんかするのか」「子どもを銭湯やプールにも連れて行けない公務員とはいかがなものか」などと思うのも自由だ。しかし職務とは何ら関係ないことであれば、それは自己決定権の範疇であって、他人がとやかく言うような話ではないだろう。
児童館の職員が子どもに入れ墨を見せて脅し、それが問題視されたことが一連の問題の発端だというが、しかしそれならば児童館の職員本人を注意して、法律と規則に基づいて適切に処分すればいいだけのことではないか。問題を起こしていないほかの職員にまで広げて調査したり、問題視したりするような話ではないし、「調査をされても仕方がない」などというのはおかしい。
それに、入れ墨をする職員は不利益を被る処分があるとか免職にするといった法律や規定がない限り、遡及して処分や処罰をすることは許されない。レッテルを貼って特定の少数グループを排除する理由にし、市民の不満のはけ口に利用する橋下氏のやり方もまた、到底許されるものではない。ターゲットにした人々を排除する橋下氏の手法は、もっと大きな問題の背景や本質から市民の目をそらさせることになりかねない。メディアはこの点を深く自省し、垂れ流し報道を自制すべきだ。
◇◇ NHK経営委員長が東電の社外取締役に内定。NHKは組織として、これが異常で深刻なことだと議論にならないのだろうか。加害企業である東電の取材報道に影響がないと言い切れるのか、公正さに欠けると不信感を持たれるとは考えないのか。NHKの独立した報道機関としての自覚のなさ、権力に毅然とした姿勢が取れない体質、問題意識の欠如が改めてよく分かるニュースだ。
◇◇ 皮肉たっぷりにパロディーニュースを発信する「虚構新聞」の批判精神が楽しめず、マジレスする連中は頭が弱すぎるだろう。「実名で他人の評判を貶めるウソ記事を書く虚構新聞の危うさ」「危ういデマばかり飛ばしていてリスク管理は大丈夫なのか」って、あんたの頭こそ大丈夫なのかと心配になるよ。ピントがずれているにしてもほどがある。
5月15日(火曜日) 土肥元校長の控訴審始まる定年後の非常勤教員採用試験で不合格とされた都立三鷹高校の土肥信雄元校長が、東京都教育委員会の教育現場への不当な支配や干渉は違法だとして、東京都を相手に損害賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論(一審判決は2012年1月30日付「身辺雑記」参照)。東京高裁で傍聴取材する。
土肥元校長は10分間にわたって、「私は生徒・教職員との信頼関係を大切に教育実践を行ってきた。一審判決には教育や生徒の視点が全く抜けている。控訴審では事実を究明し公正な判断をしてほしい」などと意見陳述。市村陽典裁判長はずっと土肥さんの顔を見て、真剣な表情で訴えに耳を傾けていた(ように見えた)。左陪席裁判官も時折メモしながら、何かを考えるような顔つきで土肥さんの話を聞いていた(ように見えた)。一方、右陪席裁判官はずっと目をつぶって微動だにしなかったので、なんとも推測のしようがない。しかしいずれにせよ、少なくともけんもほろろの対応で控訴棄却する、といった態度ではなさそうだ。
弁護士会館で開かれた報告集会には、裁判傍聴と同じように多数の支援者が詰めかけて超満員。控訴審での審理の進め方や問題点について、弁護団や土肥さん本人から説明。いくつかの書証や証人申請とともに、僕の書いた陳述書も裁判所に提出したと紹介された。
夕方から横浜駅北口の居酒屋で、先輩記者と久しぶりに会って飲む。東南アジアでの原発建設計画をめぐる問題について、出張取材から帰国したばかりの先輩から土産話を聞かせてもらった。原発マネーがどこまで及んでいるのかが、今後の取材ポイントになるのだろうか。関心を持って注目したい。
5月14日(月曜日) 脅迫みたいな「節電対策」原発が運転再開しない場合は、関西電力管内の家庭や企業に対し20%の節電を要請するほか、計画停電や電力使用制限令の実施も検討する、と今夏の節電対策の政府原案。原発再稼働に向けて必死のアピール。NHKや民放も電力不足をやたらと強調して伝えている。焦っているのはよく分かるが、そんなに原発を再稼働させたいのか。これじゃほとんど脅迫か恫喝だよなあ。
一方、関西電力大飯原発の地元のおおい町議会が、原発の運転再開に同意することを決めた。「町の財政や雇用を守るため必要」だとさ。取り返しのつかない大事故を自ら体験しないと、結果がどうなるか想像も実感もできないのか。福島の二の舞いになったら周辺自治体にどう説明するつもりなんだろう。避難しない覚悟なのだろうか。
◇◇ 世界ウイグル会議の代表大会が東京で開かれていることに中国政府が激しく反発しているというが、戦前も多くの中国人革命家らが日本人にかくまわれて、日本を舞台に活発に活動していたじゃないか。脈々と続く伝統だ。あきらめた方がいい。
5月13日(日曜日) 雑用の山頼まれている学習会のレジュメを作成。そのほか雑用をだらだらと片付けるが、やらなければならないことが、まだあれやこれやと山のように残っている。困惑するばかりだ。
5月12日(土曜日) 学生に覇気がない完全徹夜明けで授業に出る。昨年度と比べて今年度の受講生はどうも覇気がなく、意欲的な学生が少ないように感じる。講義に集中せず、話を聞いていないと思われる学生も少なくない。それが作文の文章にも、てきめんに現れている気がするんだよなあ。
視点や切り口の鋭い作文は読んでいて楽しいし、こちらも大いに刺激を受けるが、ありきたりで何が言いたいのかよく分からない作文を読むのは、かなりのエネルギーと忍耐力を必要とする。作文添削にかかる精神的負担ももちろん大きい。助言や指導がまるで反映されていないと、疲労度はさらに倍加する。
僕の担当するクラスだけなのだろうかと、少しばかり憂鬱な気分だったのだが、ほかのクラスの先生も同じように感じているというから、どうやら今年の新入生全体に共通している傾向みたいだ。ううーん、どうしたものか。
5月11日(金曜日) 「冤罪弁護士」登場テレビで金曜ロードショー「風の谷のナウシカ」を見ながら学生の作文を添削。画面に見入って集中できない。あきらめて視聴に専念するかなあ(おい)。テレビでもビデオでも、もう何回見たことやらというほど見ているが、このころのジブリアニメは本当に面白くて飽きさせない。困ったもんだ(苦笑)。
◇◇ 3月29日付の「身辺雑記」で紹介した「十分な弁護が受けられていないと思われる冤罪事件の被告人」について。「冤罪弁護士」で著名な今◯核弁護士が主任弁護人として新たに加わって、弁護団が結成されたと被告人本人から聞いた。よかったよかった。これまで難しい冤罪事件に対し緻密で科学的な弁護を展開し、無罪判決を数多く勝ち取ってきた刑事弁護の第一人者だ。個人的にも尊敬・信頼できる弁護士のお一人だ。
今後は新たな証拠もいくつか提示するそうで、被告人とのコミュニケーションもしっかり取れている様子だ。「大いに期待できると思います。次回公判に注目しています」と感想を伝えたら、被告人は弾んだ声でとてもうれしそうだった。ご心配・ご助言いただいたみなさま、ありがとうございました。とりあえずご報告まで。
5月10日(木曜日) 粘り腰友人の元高校教師に誘われて、横浜・野毛の老舗洋食店でランチを食べる。外は雷雨と強風で大荒れだったが、店内はレトロ調で落ち着いた雰囲気。ボリューム満点でリーズナブルなランチも、美味しくいただいた。
絶妙のタイミングで店に入って出たので、雨にも雹(ひょう)にも全く遭遇せず、この日はほとんど傘を差さずに済んだ。その後も帰宅するまで傘を開いたのはわずかに1回だけ。日ごろの行いがいいから…なのだろうたぶん(笑)。
◇◇ 1時間半以上も粘り強く説得された結果、どういうわけか僕が記事を書くことになってしまった。本人に文章力があるのだから、ご自身で書けばいいと思うんだけどなあ。むしろその方が迫力もあるし説得力もあるのに。「どうしてもあなたに書いてほしい」と言われてもなあ。ありがたいとは思うけど…。
「客観的な立場で書いてほしい」というのは確かによく分かる。しかし文章力がない人ならいざ知らず、分かりやすく具体的にしっかり書けるだけの表現力がある人なので、「本人が書いた方がインパクトがあると思う」と何回も助言したのだけど。粘り腰に押し切られた格好だ(汗)。
◇◇ 週刊文春に掲載されている漫画家・小林よしのりの橋下徹批判を読んだ(立ち読みです、ごめんなさい=汗)。論理的だし説得力もあって、全くその通りだと思わず拍手したくなった。小林よしのりの思想や政治的スタンスには賛同できない点が多いけど、筋は通っている。支離滅裂で恫喝しかできない橋下徹・大阪市長とは、そこが決定的に違う。
5月9日(水曜日) 小学生のコドモみたいな橋下さん「健全な成長と発達」に問題があると思われる大阪の橋下さんは、まずご自身が「わが国の伝統的子育て」によって再教育を受けたらいいんじゃないかな。記者に逆ギレして、顔を真っ赤にしながら逆質問し、同じことを何回も繰り返す姿は異様だと思った。
逆ギレして記者に食ってかかる橋下さんには、小学生のけんかを思い浮かべてしまった。いたよなあ、都合が悪くなるとああいう感じでまくし立てて、「いつ言った?何時何分何秒?」などとわめき散らす奴。でもあの人、小学生じゃなくて大阪市長なんだぜ。しかも弁護士だってさ。
「どうして教員は起立斉唱しなくてはならないのか」との記者の質問に、「公務員だからですよ」と声を張り上げる橋下市長。それなのに「社歌はないのか」と民間放送局の会社員を相手に、意味不明の難癖。言ってることが支離滅裂じゃん。
それと、教員に職務命令を出すのは校長なんだよね。校長に職務命令を出すのは教育長(教育委員会)。でもってその根拠となる条例をつくったのは橋下市長なのに、まるで人ごとのように、教育委員会がやったことだと責任回避。あきれてものが言えないよ。橋下番の記者に心から同情する。
5月8日(火曜日) 「日本はすごい国」と自賛する前に世界の人気観光都市トップ25で、日本はアジア部門の11位に京都、12位に東京が入った。世界のトップ25に日本は入らず、アジア部門でもようやく11位と12位だった。残念ながら日本人が思っているほど、あるいは日本のメディアが喧伝するほど、日本は世界から注目されていない。まずこの事実を認識すべし。
→(世界の人気観光都市)http://www.narinari.com/Nd/20120517915.html
多くの外国人に日本に来てもらって、日本を知ってもらうのは大切なことだ。観光立国に力を入れるのは平和国家の戦略としても悪くない。そうであればこそ、世界の人気観光都市トップ25に日本が入らず、アジア部門でもようやく11位が京都で、12位が東京だったという現実をしっかり認識した上で、理由や対策について考えるべきだろう。
もちろん、日本にはいいところや自慢できることがたくさんあると思っているが、しかしやみくもに根拠もなく、「日本はすごい国で世界が注目している」「もっと日本に自信と誇りを持とう」などと自画自賛しても、独善的な自己満足で終わるだけでほとんど何も意味をなさない。「本当にそんなに立派な国なんだろうか」と疑ってかかるくらいの方が、改善すべきことがたくさん見つかって、建設的な議論ができるはずだ。実際に、自慢できるところと同じくらい、日本には課題や問題点も結構あるだろう。
そもそも、それほどまでに「すごい国」なら、もっとたくさんの観光客が世界中から日本を訪れていいはずではないか。どうして外国からの観光客が、日本人が思っているほど多くないのか、その理由や背景に目を向けてしっかり考える方が、「日本は世界から注目されている。自信と誇りを持とう」などと自画自賛していい気持ちになるよりも、ずっと愛国的な日本人だと思うよ。
5月7日(月曜日) 家庭教育に行政が踏み込む異常大阪維新の「家庭教育支援条例案」は、発達障害の項目だけが問題なのではない。「親の愛情不足や育て方が発達障害の原因だ」「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防・防止できる」などとする条例案の内容が、医学的根拠がなく非科学的だと批判を浴びたが、発達障害の条項を削除すれば済む話ではない。
「親の愛情不足が発達障害の原因だというのは非科学的だ」との批判の声に、橋下市長もなぜか同調し市議団も陳謝したが、発達障害条項はこの問題の一部に過ぎない。そもそも意味不明で定義も不確かな「わが国の伝統的子育て」なるものを振りかざして、家庭教育に行政が踏み込むこと自体が異常なのだ。
「子どもの健全な成長と発達」「親になるための学び」「家族の絆」といった極めて曖昧な概念を持ち出して、保護者に一日保育士や幼稚園教諭の体験を義務付けようとする。そうして子育てや家族のあり方に行政が土足で踏み込んで、一方的な価値観を強要することこそ、大阪維新の条例案の最大の問題点だ。
政治や行政が学校教育に介入することと、家庭教育に土足で踏み込んで一方的な価値観を押し付けようとすること、どちらも意図するものは同じだろう。思い込みと差別と偏見。大阪維新・橋下市長や彼らに連なる人々の気持ち悪さが垣間見れたはずだ。「家庭教育支援条例案」の本質を見誤ってはいけない。
◇◇ 大阪維新による条例案は、さすがにあまりにも稚拙でお粗末な内容だったので各方面から広範に猛反発が起きたが、しかしまだまだ油断はできない。大阪維新の会は、「会派内での議論はこれから進めていきます。5月議会では提出いたしません。更に議論を尽くします」と公式サイトで表明しているからだ。つまり5月議会での提案は見送ったが、次以降の議会には提案する可能性があるということだ。彼らはあきらめていない。
5月6日(日曜日) 地球様の怒り?NHKのニュース映像やネットの画像などを目にして、茨城や栃木の突風(竜巻?)の凄まじさに言葉を失う。横浜でも午後4時過ぎに、かなり強い風が吹き始めた。昼過ぎまでは穏やかでいい天気だったのに…。しかし横浜の突風は20〜30分ほどでぴたっと止まり、晴れ間も出てきた。猫の目のように天気がくるくる変わる。その後は至って穏やかで、夜空には雲一つなく、大きな満月が頭上にひときわ明るく輝いていた。昨夜の月よりもきれいに見える。それにしても悪天候続きのすっきりしないGWだったな。昨春から、地球様の怒りはなかなか鎮まらない。
5月5日(土曜日) 原発は稼動停止したが北海道電力泊原発3号機が定期検査のため運転を停止した。これで国内の原発50基はすべて止まったことになる。しかし、しつこいようだけど、これはあくまでも発電を一時的に停止しただけで、原発がなくなったわけではない。廃炉にしなければ、原発が完全になくなったことにはならない。
泊原発の運転停止について「大変残念だ」「早く再稼働してほしい」と言い放ち、虎視眈々と再稼働を画策している人たちは大勢いる。電力会社も立地自治体の首長も政府も財界も、もちろん自民党の政治家も。そして原発利権の関係者も。原発が人間の手に負えない事実を目の当たりにしたはずなのに、懲りない面々。
福島第一原発の事故処理に、これからまだ何十年もかかるというのに、それでもまだ原発を稼働させようだなんて理解できない。そもそも大量に生み出される放射性廃棄物の処理さえ満足にできない欠陥システムを、動かし続けてどうする。原子力による発電を「一時的に停止」しただけで、安心するわけにはいかない。
◇◇ 月が地球に最接近する「スーパームーン」。5日から6日にかけて、通常の満月より14%大きく30%明るく見えるというが、確かにまん丸だし心持ち明るい気がする。月が低い位置に降りてきた5月6日午前3時過ぎ、近くのマンションを前景に撮影=写真。本当はもっと大きくてきれいに見えたけど、超望遠レンズではないのでこれが限界だなあ。
余計な明かりを消せば、夜空の星も月も今よりずっとたくさんきれいに見えるはず。無駄に電気を使っている(使わされている)ことが、そもそもいろんな意味で問題なのだ。「オール電化」の促進なんてとんでもない。電力不足を言い訳に原発再稼働なんてとんでもない。電気は余っている。
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5月4日(金曜日) 稼動停止は「原発ゼロ」とは違う北海道電力泊原発3号機が定期検査のため5日夜に停止することで、国内原発がすべて止まることになる。もちろん喜ばしいと思っているが、しかしこれで原発がなくなったのではない。あくまで制御棒挿入で稼働を制御し発電を止めるだけであることを認識すべきだ。原発が廃炉になったわけではない。
東京新聞の社説が「あす、原子力発電の火が消える」という書き出しで、泊停止・原発ゼロを論じているが、これは誤解を招く表現だと思う。原子力の火が消えるわけではない。制御棒を引き抜いたらいつでも再稼働できる状態にあるのだ。廃炉にしなければ、原子力発電からの完全脱却にはならない。
国内の原発がすべて稼働停止になることは大賛成だし、原子力発電に頼る生活から脱却するための第一歩だと思うが、これで「原子力発電の火が消えた」などと浮かれて、お祭り騒ぎのようにはしゃぐのは大間違いだ。いつでも再稼働できる状態にあることを忘れずに、完全廃炉を目指したいと思う。
それにしても「電力不足、電力不足」とNHKも民放も煽り過ぎだ。それも電力会社の出した数字を一方的に垂れ流すだけ。ニュースの冒頭で北海道の海産物冷凍庫と責任者を出して、「停電したら終わりだ」とはあざとい。原発が稼働してたって停電したら終わりだろう。そもそも福島のような原発事故が再び起きたら、日本はもう一巻の終わりなんだよ。
5月3日(木曜日) 稚拙で危険な大阪「家庭教育支援条例」差別と偏見と勘違いと思い込みと稚拙さが満載されている、としか言いようがない大阪維新の会・大阪市議団の「家庭教育支援条例案」。しかしこの条例案を読めば読むほど、日本国憲法の存在意義を改めて噛み締めることができる。まさに憲法記念日にふさわしい話題だと思う。→ (条例案全文)http://bit.ly/JCZ50I
大阪維新「家庭教育支援条例案」は実にお粗末な内容だが、笑うだけではすまない危険な考え方の拡散には戦慄する。大阪だけでなく、下村博文氏、安倍晋三氏らが超党派で立ち上げた「親学推進議連」の「家庭教育推進法」(仮称)とリンクしていると思われるのが不気味だ。→ http://bit.ly/JOpiHp
公務員や教師など攻撃しやすい少数派を執拗に叩いて、市民の鬱憤ばらしに利用してきた大阪維新・橋下市長だが、母親を敵に回すことになるので、「家庭教育支援条例案」には反発が強いのではとの見方がある。うーん、どうなんだろう。子育てに理解のない人は結構いるし、発達障害の子どもがいる家庭は少数派なので、大阪維新の暴言条例の尻馬に乗る人は多そうな気もする。
とは言うもののさすが世間の風向きに敏感な橋下氏は、形勢が不利だと感じ取ったのか、大阪維新の「家庭教育支援条例」に距離を置き始めている。そもそも維新の会の代表者なんだから、条例案の内容を把握していなかったはずがないのだが、「条例は市議団の議員提案」だとか「僕には決定権はない」などと言い、「賛同できないので市議団に伝える」「科学的ではないと思うという僕の考えを市議団長に伝えた」「これから市議団内での議論が始まる」と必死の防戦…。どこまでも卑怯でずるい人だなあ。
◇◇ 朝日新聞阪神支局襲撃事件から25年。事件発生時の様子が描写された特集記事を読むと、改めて初心に立ち返らされる。新聞記者2年目の時に起きたこの事件は衝撃的だった。「日の丸・君が代」関連の記事や連載を書いて、もちろん応援の声もあったが、会社にきた嫌がらせや抗議の電話に少し怯んだのを思い出す。日本国憲法の重みを再認識する。
◇◇ 新聞記者の年収をどうこうとあげつらうよりも、最も大事なのは志の問題だと思うけどな。上昇志向が強く、権力に取り込まれるボンクラもいれば、ブレないで初志貫徹する人もいる。記者に限らずどの職業でも同じ。人それぞれだろう。
5月2日(水曜日) 「やよい軒」のご飯定食屋「やよい軒」のご飯は、なんであんなに美味しいんだろうといつも思う。ご飯に含まれる水分量が絶妙で、口に含んだとたんふわっととろける。値段から考えて上等のブランド米を使っているわけがないので、たぶん申し分のない炊き方をしているのだろう。米は炊き方次第で美味くもまずくもなるというのは本当だ。
5月1日(火曜日) 映画「テルマエ・ロマエ」映画千円デーだったので「テルマエ・ロマエ」を観た。古代ローマの浴場設計技師・ルシウス役の阿部寛がはまり役。ローマ人の中に混ざっていても、濃い顔なので違和感がない(笑)。そういう意味では、同じく濃い顔の皇帝役の市村正親も同様だ。
ルシウスが時空を超えて古代ローマと現代日本の銭湯や温泉を往復し、「平たい顔族」の合理的で進んだ文化に驚愕する姿に爆笑。思わず銭湯の広々とした湯船にゆったりとつかって、フルーツ牛乳を一気飲みしたくなった。
後半やや退屈で眠くなったのが残念。前半はすごく面白いのに、終盤や結論部分が唐突で無理筋で飛躍して違和感があるのは、フジテレビのドラマ全般にいつも思うことだけど、エンドクレジットの製作にフジテレビが出てきたのでなるほどなと納得した。
4月30日(月曜日) 「積ん読」ではない録画ディスクにたまっていた深夜アニメを一気に視聴。放置していた雑用も粛々と片付けつつある。あとは、ふと気付いたら山のように積み重なっている文庫や新書や単行本の読破だ。電車内や取材の合間にちょこちょこ読んでいるのだが、購入したり頂戴したりする方が多いので全く追いつかず、山がなかなか片付かない。でも決して「積ん読」ではないぞ。
灘中の元国語教師・橋本武「<銀の匙>の国語授業」(岩波ジュニア新書)は、大昔の本だと思っていたら新刊だった。朝日新聞の連載コラムでも紹介されていた授業実践報告なので読みやすそうだけど、一緒に買った中勘助「銀の匙」(岩波文庫)は難しそうだなあ。灘中の生徒はこんなのを1年かけて読んでいたのか。
手塚眞「父・手塚治虫の素顔」(新潮文庫)は、父親としての手塚先生の日常と仕事ぶりが垣間見れて実に興味深い。おすすめの一冊。新書版で出ていたのが今年4月に文庫版にリニューアル。書店で新書を見かけて買おうかなと思案していたタイミングで、文庫版が出たのでそっちを買った。
4月29日(日曜日) 鳴り響く警報音東京・阿佐ヶ谷で「日の丸・君が代」の強制に反対する市民集会を取材。大阪からの報告の最中に、会場の参加者の携帯から一斉に地震警報のアラームが鳴り響く。5秒ほどするとかなり大きな揺れが1分ほど続いた。千葉県旭市で震度5弱。東京は震度3。司会者がすかさず「ここは津波の心配はありませんから」と笑わせて場を和ませるが、それでもやっぱりドキッとするよなあ。
校長ら管理職のパワハラ(パワーハラスメント=職権や地位を使った権利侵害や嫌がらせ)によって職を失った教員から、都内の喫茶店で話を聞く。1時間ほどと思って店に入ったら、あっという間に2時間以上が経過。それだけ話が多岐にわたって問題が深刻だということだ。終電に飛び乗って深夜1時過ぎに無事帰宅。
4月28日(土曜日) 徹夜明けで授業連休とはまるで関係なく、徹夜で作文添削。1時間だけ仮眠して授業に出たが、さすがにこれじゃあへろへろ状態でまずいよなあと不安に思った通りの講義になった。でもメモを取りながら話を聴く学生は前回よりも増えているし、内容自体はまあまあだったかも。次回はもう少し早めに準備に取りかかろう。
◇◇ 行政訴訟の控訴審のために頼まれて書いた陳述書。弁護士とやり取りを重ね、ようやく確定版にたどり着く。法廷戦術の都合から必要なんだろうけど、あれも入れてほしいとか、こういう言葉の挿入も希望するとか、注文や要望が結構あるんだなあ。ご自由にどうぞと全部をお任せして丸投げすることができない性分なので、その度にチェックすると時間がかかってしまう。陳述書って書いたらそれで終わりでなく、アフターケアがいろいろと大変なんだな。面倒くさいし疲れるけど、初めての経験なので勉強になる。
4月27日(金曜日) 無謀運転事故の続発千葉県館山市で路線バスを待っていた児童ら6人の列に軽乗用車が突っ込み小1男児が死亡。愛知県岡崎市で当校中の児童の列に小3と小5の2人が重傷。容疑者は20歳、24歳の男で、いずれも「ぼーっとしていた」。京都・祇園で起きた大事故があれだけのニュースになっているのに。なぜ慎重に運転しない。なぜ立て続けに児童の列に突っ込むのだろう。学習能力のない懲りないバカは、原発を再稼働させようと必死な電力会社や財界人だけじゃない。
続発する集団登校の児童の列に車が突っ込む事故(事件)。集団登校と運転免許制度のあり方を見直した方がいいんじゃないかと思う。飲酒運転や持病の無届けは故意犯(確信犯)なんだから、生涯絶対に免許を交付しないと定め、無免許運転は厳罰に処するといった対応を取るべきだ。それでも無謀運転の暴走に児童は対応できないよなあ。
若者の心に働きかけるような教育も必要なんだろう。そういう啓蒙活動もやった方がいいとは思うが、しかしそういう働きかけが心に響いて反省するような人は、たぶん最初から無謀運転なんかしないのではないかと想像する。いくら言ってきかせても、平気で飲酒運転を繰り返す連中は後を絶たない。それにそういう輩は若者に限らない。中年や高齢者にもいる。
僕がかつて勤務していた新聞社にも、泥酔状態なのに堂々と車を運転する若手記者がいた。こういうのが何食わぬ顔で「交通事故防止キャンペーン」だとか「死亡事故」などの記事を書いていることに、怒りを通り越して驚愕するやら愕然とするやら。道徳教育は大事だが、それだけではもはや不十分なんじゃないかと思う。
4月26日(木曜日) 公訴権を監視する検察審査会刑事裁判の分野で、判事と検事の人事交流(判検交流)が今年度から廃止された(朝日)。「誤解を生むような制度は続けるべきではない」(法務省)というが、むしろ民事裁判での判検交流こそただちに止めるべきだろう。裁判官が法務省に出向し、行政訴訟で国側代理人を務める「訟務検事」の方が問題は大きい。
◇◇ 政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された小沢一郎・民主党元代表に無罪判決。テレビで流れた政治家のコメントの中では小泉進次郎氏が一番しっくりくる。「なんだかなと思いますね。小沢氏は国会での説明を拒んできたが今後どうするのか。政界の霧はさらに深まったという印象ですね」。ほんと、なんだかなあ。
漫画家やくみつる氏の話「小沢一郎元代表には、スパッと政界から消えていただきたい。この事件は、性質がどんどん変わっていった感がある。もともとは小沢元代表の収入にスポットが当たっていたものが、収支報告書の虚偽記載となり、最後は検察を裁くものになった印象だ。今回、自身は「白」と判断されたが、秘書だった石川知裕議員らの行為は有罪とされている。晩節を汚さないためにも、政界から消えるべきだ」(時事)。納得。
◇◇ 検察が作為的にあるいは怠慢で起訴しない事件について、起訴すべきだと国民が指図できるのが検察審査会制度だ。法律が改正される前は、起訴すべきと意見する権限は与えられても、無視されることが大半だった。2回の議決を経て強制起訴の権限が与えられた結果、いくつかの事件で無罪になったからといって、検察の公訴権を国民が監視できる唯一の機会であるこの検察審査会制度を、全否定するべきではない。
4月25日(水曜日) 図書館の雑誌は禁帯出に図書館で調べもの。それにしてもいつも思うのだが、雑誌は館内のみ閲覧可能の禁帯出にするべきだ。貸し出しをしないでほしい。待っている人が2〜3人いて、1人あたり3週間ほど借りているという。発行されてから少なくとも3カ月〜半年以内の雑誌は、リアルタイムの情報をできるだけ多くの利用者に提供する必要がある、という考え方をしてほしいものだ。
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