養寿院


青龍山養寿院
青龍山養寿院


 【養寿院】

 青龍山養寿院(曹洞宗)。鎌倉時代の寛元年間(1243~47)に、河越太郎重頼の曾孫・河越経重の開基、大阿闍梨円慶法師が開山となり、はじめは天台密教の古道場であったといわれる。
 河越氏は桓武平氏の血筋で、その後、鎌倉幕府の有力御家人となっているが、河越荘は平安時代末期から鎌倉時代にかけて河越氏の荘園であった(後白河法皇の時にこの荘園が京都の新日吉山王社の社領として寄進されている)。河越経重は“文応元年(1260)”銘の銅鐘(国重文)を養寿院に寄進しており、この銅鐘は現在でも本堂内に保存されている。又、養寿院内には河越重頼の供養塔もある。重頼は源頼朝と親しく、重頼の妻は頼朝の子で、鎌倉幕府 2代将軍となった頼家の乳母に、娘は頼朝の弟・義経の妻になっている。しかし、義経と頼朝が不仲になり、殺害されると、娘は後を追って死に、重頼自身も死に追いやられたという。
 養寿院は、のちの天文 4年(1535)に曹洞宗に改められているが、家康公の関東入国後、寺領10石の御朱印を受け、家康公自身も鷹狩の際に養寿院に立ち寄ったと伝えられている。

 ・ 養寿院フォトページ
埼玉県川越市元町 2 Map Fan


家康公史跡めぐり・目次へ