椿姫観音


椿姫観音
椿姫観音


 【椿姫観音】

 永禄 8年(1565)、曳馬(引馬・引間)城主であった飯尾豊前守乗竜(連竜)が駿府の今川氏真に徳川方への内通を疑われて暗殺されると、嫡男の義広はまだ幼かったことで、代わりにその母である於田鶴(おたづ)の方が城主となった。永禄11年(1568)12月、遠江に侵攻した徳川軍は曳馬城に攻めかかり、曳馬城を落すが、この戦の際に於田鶴の方も侍女18人と討死したという。戦後、家康公は於田鶴の方と侍女18人の遺骸を手厚く葬り、塚を築いて祠を建て、家康公の正室・築山御前も塚の周囲に100本余の椿の木を植えて供養を営んだというが、椿はその後も美しく咲き、付近の人々はこの塚を椿姫塚(あるいはお台塚)と称して追善供養を捧げたという。
 昭和19年(1944)、かつて椿姫塚があったと伝えられている付近(田の中の10坪余の台地であったという)に御堂が建立されたが、翌年の浜松大空襲で焼失、現在のものは昭和27年(1952)に再建されたものである。御堂内には観音様が祀られ、今も椿姫観音として近隣住民に親しまれている。

 ・ 椿姫観音フォトページ

 ・ 椿姫観音関連のリーフレット等
静岡県浜松市中区元浜町 132 Map Fan


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