立政寺


立政寺・山門
立政寺 ・ 山門


 【立政寺】

 浄土宗の寺院である亀田山護国院立政寺は、文和 3年(1354)、浄土宗西山派の高僧であった智通光居が開山した。その前年、伊勢参拝の帰途に西荘を訪れた智通上人は、しばらくこの地に滞在したことから、近隣の村人がその徳を慕って参詣したといわれ、やがて領主たちの帰依を得たことで立政寺が建立されることになったという。その後、智通上人らの努力によって立政寺は美濃、尾張、伊勢、近江、それから信濃における浄土宗西山派の中心寺院として栄えた。
 永禄11年(1568) 7月、織田信長は、越前一乗谷の朝倉義景のもとにいた室町幕府12代将軍足利義晴の子で、13代将軍義輝の弟である義昭を、細川藤孝、明智光秀の仲介によって立政寺に迎えた。その後、信長は義昭を奉じて上洛し、義昭を室町幕府15代将軍につけ、天下布武の道を突き進んでいくことになる。
 又、立政寺には家康公にまつわる次のようなエピソードも残されている。慶長 5年(1600)の関ヶ原合戦直前のこと、美濃に入った家康公は、大垣城の石田三成らと対峙するために美濃赤坂の岡山へと向かう途中、立政寺で休息した。その際、時の住職が家康公に柿を献上したのだが、その中の 1つがお盆より転げ落ちてしまった。しかし住職は慌てずに、「これはめでたいことです。大柿(西軍の大垣城)が落ちました」と、即答で応えて家康公を大喜びさせたという。のちに家康公は立政寺に50石を与えて、下馬所に定めている。

 ・ 立政寺フォトページ
岐阜県岐阜市西荘 3-7-11 Map Fan


家康公史跡めぐり・目次へ