村越直吉

永禄 5年(1562)〜慶長19年(1614)

 茂助と称した村越俊吉の子で、永禄 7年(1564)、3歳の時に父を失い、叔父の俊信に養育された。その後、俊信とともに家康公に仕え、近江国城田、武蔵国入間・多摩の 3郡の内に1000石を与えられている。
 慶長 5年(1600)、関ヶ原合戦では、東軍の将、福島正則・黒田長政・池田輝政・藤堂高虎らとの連絡を務め、岐阜城攻略の命を伝達した。又、慶長18年(1613) 2月、安藤重信と池田利隆の領地である播磨国姫路に赴き、国政を監督するなど、家康公の側近として活躍したが、翌年の 1月、53歳で没した。


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