親鸞会の真実

読者の反響・「野球少年だった私」

私が親鸞会で、仏法を聞くようになったのか、述べたいと思います。ご参考になれば幸いです。

子供のころからスポーツが大好きで、得意科目は体育。最も打ち込んだのは、野球でした。

中学では野球部で、毎日練習に励みました。その甲斐あって、ライバルを抑え、レギュラーの座を獲得したのです。将来の目標は、野球の名門高校に入り、甲子園に出場することでした。

ところが、中学3年の夏、県大会直前に右ひじの異常を感じ、病院へ。剥離骨折でした。翌日、手術を受けた私に、医師の言葉は冷たく、「野球はやめなさい」と告げられました。

ショックでした。

県大会で、チームは準決勝まで進みましたが、興奮と感動に浸る友だちとは対照的に、私の心は冷めていました。

野球ができなくなった高校時代は、陸上部で走ることに打ち込みました。成績トップで入学したものの、目指す大学や職業のなかった私は、勉強せずに陸上競技に明け暮れ、成績はどんどん落ちていきました。

それでも走り続け、地方大会まで進みましたが、敗退。陸上部を引退した3年の夏には、もう進路の選択に迫られたのです。

漠然とした未来。
「好きな野球はもうできない。陸上に生涯を懸ける才能もない。何を目指せばいいのか」
将来の不安を抱えたまま、大学受験の渦に巻き込まれていきました。

担任の先生から、
「一番の成績で入学した人は、皆、東大に入っている」
と言われ、周囲の期待がプレッシャーとなりました。ただプライドだけで、がむしゃらに受験勉強に取り組んでいました。

未来に納得のいく答えのないまま、大学に進んだ私は、ふとしたことで親鸞会の人から話を聞くことになりました。
それが、親鸞聖人の教えとの出遇いでした。

そして5月、高森顕徹先生にお会いしました。親鸞会主催の、ご法話会場でのことです。
「『人生には、果たさなければならない目的がある。それは現在、完成できる。どんなに苦しくとも、この人生の目的を果たすまでは、生き抜きなさいよ』と、親鸞聖人はお勧めです」

進むべき方角が分からず、何もかもが漠然としていたのは、生きる目的を知らなかったからだったなのか。野球ができなくなったのも、この仏法を聞くためだったのかと、喜ばずにおれませんでした。

現在の私たち若者を取り巻く社会状況は、10年前、20年前に比べると、大変厳しくなっていると思います。

野球を断念した当時の私には、未来に対する希望がありませんでした。元々、明るい未来を描くのが困難な世代なのかも知れません。
野球に打ち込むことで、明るくない未来から目を背けたかったのかも知れません。

社会に出て、結婚をして、定年まで働いて、あとは余生を楽しむというビジョンは、今は大多数の、社会人の歩むルートではなくなっています。
たとえつまらないと言う人があっても、みんながそういう未来を描ける時代は今よりはましだったのかなとも思います。
大学に行けなかったら、新卒の就職に失敗したら、勤めていた会社をリストラされたら、これら今、杞憂でなく、現実として大きな問題です。

そんな中にあると、何のために生きるのかと、どうしても考えざるを得なくなります。

それについて明確な回答を示されているのが、親鸞聖人の教えであり、その教えを正しく伝える団体が親鸞会だと思っています。

そう考えると、こんな不安要素の多い時代だからこそ、自分は仏法が聞けたのかなと、と逆に感謝したくもなります。マインドコントロールされているから仏法を聞くなどというのは、人間のとらえ方が、非常に浅いと思います。生と死の根本問題は、人間の技術的なことで解決できるものではありません。

むしろ、世の中の疑問に気づき、かりそめの安らぎから目覚め、人間の真のあり方を追求する人が、今、増えているように思います。

そして、親鸞聖人の力強い言葉の数々は、私の人生に消えない光を与えてくれました。

ごまかしのない、本物の光を味わわせてくれてています。

若者がなぜ仏法を聞くのかという、疑問に少しでも参考になればと願っています。

 

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