親鸞会の真実

親鸞会の真実|19.「なぜ生きる」を再読する(1/6)

人間の生と死について、思考をめぐらせてきた。

考えてみると、歳を重ねて分かってくるのは、生き方である。
生きるための知識や、仕事の流儀や、人間関係の煩わしさの解決法、生活のあれやこれや、である。

人生そのものについては、実は何も分かっていない。

科学や文明の進歩とともに、人間はなにもかも分かっているような錯覚にとらわれてしまいがちだが、最も基本的な、生き死にのことになると、実はさっぱり分かっていないのである。

著名な学者といわれる人たちも、そのあたりは同様らしい。


以前、息子に勧められて読んだ、「なぜ生きる」という本を読み返してみた。

2年前に読んだときは、共感できる部分も多々あったものの、ずいぶんマイナス思考だな、というのが正直な感想だった。

とくに前半は、生きる楽しみを、ことごとく否定される感じがした。 
後半は、仏語が多くて、何がなんだかよく分からなかった。


再読して、印象は一変した。

分かるのである。

何が書いてあるのかが、読めるのである。

ここ半年ほど、死の問題を考え続けてきたからであろうか。文章の意味が、心に染み入るように理解できるのである。

なるほど、この書は、人生の最も肝心なことを見据えている。

生と死。それだけを問題にしている。そして、死ぬことに定まっている人間の生きる価値、すなわち人生の目的を論じている。生き方(この書では「どう生きる」と表現されている)ではない。世にあふれるハウツー本とは、この点で、一線を画しているのだ。

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