親鸞会の真実

17.文学から親鸞会をみる−カラマーゾフの兄弟(1/3)">

生きる意味を論ずるとしたら、この本をさけることはできないだろう。学生時代読んだ『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)である。
言うまでもなく、世界文学の最高峰とされる傑作中の傑作である。

ドストエフスキーは19世紀中ごろに活躍をしたロシアの小説家。父親が殺され、自身も空想社会主義サークルに所属していた際、死刑判決を受けている。
執行の直前に恩赦を受け、シベリアに流刑となる。そのときの体験を元に書いた、『死の家の記録』で文壇に復帰した。

その後、自らに、人間の存在を問い、人間と神、世界とは何かを追求した作品を書き続けている。

『カラマーゾフの兄弟』は、物欲のかたまりのようなフョードル・カラマーゾフと、その3人の息子兄弟の愛憎劇を描いたものだ。

とりわけ、第5編の〔反逆〕〔大審問官〕は有名である。

神と人間という壮大なテーマについてドストエフスキーの考えが示されている。


「カラマーゾフの兄弟」を再読しようと思った理由の一つは、最近の幼児虐待事件の報道を見て、一体何が起きているのか、何かおかしいのではないかと、感じたことである。

虐待される子どもに何の罪があるのか。
この世に、神も仏もないものかと、事件の報道を見るたびに思う。
まさにこれは、現代の大きなテーマであろう。

さて、「カラマーゾフ」の〔反逆〕の章には、育児放棄や、虐待、はては猟犬に食い殺される子どもが出てくる。

登場人物の一人、無神論者イワン・カラマーゾフは、修道僧である弟の、アリョーシャ・カラマーゾフに語りかける。


「すべての人が苦しまなければならぬとしても、その場合、子どもにいったい何の関係があるんだい、ぜひ教えてもらいたいね。何のために子どもたちまで苦しまなけりゃならないのか。何のために子どもたちが苦しみによって調和を買う必要があるのか、まるきりわからんよ」
「お前に建物を作ってもらう人たちが、幼い受難者のいわれなき血の上に築かれた自分たちの幸福を受け入れ、それを受け入れたあと、永久に幸福であり続けるなんて教えを、お前は認めることができるかい」


仮に、キリスト教の神によって救われる人があってもその影には、多くの子どもたちのおびただしい血が流れている。救われない子どもが大勢いるという現実がある。これは現在もそうだ。中東の戦争を見るまでもない。この日本でも。どうして、神というものが現れないのか、奇跡を起こさないのか。

そんな神が本当に人を救うことができるのだろうか。まず苦しんでいるものを助けなければならないのではないか。多くの犠牲の上でなければ、救いというものは現れないのか。


イワンは、そんな多くの子どもの犠牲の上にやってくる救いなら、オレは要らないと拒絶する。

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