親鸞会の真実

14.「死ぬ瞬間」(親鸞会との比較)−2


「大人で、50歳、60歳、70歳の人びとはやり残したことが沢山あるんです。
 そのために死が近づくにつれ、憤り、怒り、畏れ、罪悪感が強くなる。
 自分の人生を生きてこなかった。
 こんな人は他人を満足させるためにだけ生きてしまったのです。そして死ぬときは悲しみで一杯です、全人生を売り渡して愛を求めてきたのです、愛を買ってしまったのです。
こういう人たちは、無償の愛、無条件の愛を知らない本当に不幸せな人、かわいそうな人。
死ぬまで愛をお金で買おうとするのです
でも、愛はお金で買えません。愛は無償であるべき」
(1985年 NHKこころの時代出演の時)


地位やお金で人間幸せになれるものではない(親鸞会でも同様なことを聞いた。まあ、これは大人ならば、誰でもそう思う)、死を前にした人間を支えるのは愛であると話をしている(親鸞会では愛とはいわなかった、確か、仏の慈悲?この辺は教えの違いだろう)。
欧米人のいう無償の愛とは、キリスト教で言うところの神の愛のことだろうか。多くの人から聖女と生前いわれていたというのも頷ける。

ところが、その後1995年にキューブラー・ロスは、脳梗塞で倒れ、左半身麻痺状態になる。

1人で室内の移動もできない、簡易トイレで用を足すのがやっと。朝ベットから起きて、窓の外を1日15時間眺める以外にない日々となった。
2001年にテレビ番組の取材を受けている。そのインタビューを見て私は、少なからず驚いた。


「私は、神にあなたはヒトラーだといった。
まるでヒトラーだと言ったのに神はせせら笑った。
40年間も仕えてきて、やっと引退しようとすると何もできなくなった。本当にいまいましい。」


死にゆく人に無償の愛を説き続けてきた人間の言葉とは、これはとても思えない。
さらに次のようなやりとりが続く。

「あなたは自分を愛するべきと、本に書いていますが。」
「愛の話なんてしたくないわ。気分がわるくなる。
 自分自身を愛せって?よく言ったもんだ。大嫌い。私の趣味じゃない。誰が言ったの?殺してやる」

愛によって死を受け入れよといった、同じ人物の言葉である。無論これは、狂気でもなく、ジョークでもない。彼女の意識は鮮明で、明らかに本心を吐露していると私には思えた。とすれば、これはどういうことなのか。人間これほど変わるものなのか。

これほどに彼女を変えたものはなんだろうか。
番組中に、彼女が、沢山の患者の死に接しているうちに、人間死んだらどうなるのかということに強い関心を示すようになったことが取り上げられていた。

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