親鸞会の真実


平成16年にサイトで息子が突然親鸞会に入会したという、私の体験と親鸞会についての考えを公開した。
その後、私自身の心境の変化もあり、追記として文章を書き足したいと思う。

あれから息子は親鸞会を続けて、社会人として元気にやっているようだ。大卒でも離職率が3割を越える時代に、真面目に会社で働いている姿は、父親としてもなかなか頼もしい。

 一方、私はといえば、定年に近づき、そろそろ第2の人生を考える機会が増えてきた。息子が親鸞会に入ってからよく言われることだが、この年になって思うことは、仕事は人生のすべてではないということだ。いつ死ぬかは分からないが、突然の病気でもなければ、リタイヤ後の20年近い時間は決して短くはない。

いわゆる団塊の世代にとって、これはとても深刻な問題らしい。私も含めて、仕事一辺倒で働き続けてきたため、明日から会社に行かなくていいですよと言われたら、確かに何をしていいか分からない。
実際にリタイヤした後も、別の就職先を探してまた働いている先輩の姿や、何もすることがなくなった人の話を見聞きすると、自分はどうだろうかと考える。

 先日『60歳からの「生きる意味」』(森村誠一、堀田力著 PHP研究所)という本を読んでみた。いろいろと自分も思い当たるところがあったので、一部抜粋しながら紹介したい。

「日本人が年を取ると寂しくなるのは、「自己の存在証明」が認められないことと関係しているのではないかと思います。」 (60歳からの「生きる意味」)


 ここでいう「自己の存在証明」とは、「自分は何のために生きてきたのか」ということになる。世のため人のため、家族のためにと働いてきた。それらが私自身の存在証明だったと考えている。家庭の中では、父として夫として自分の存在する理由があり、会社ではそれなりのポジションがあり、自分の存在する理由、生きている理由について悩むこともなかった。しかし、子どもも自立し、会社を去ることになればそれらは、存在証明とは言えなくなってしまう。

年をとると寂しいと、死んだ父がよく口にしていた。何がそんなにさびしいのかと、当時は分からなかったが、今はなんとなく分かる気がする。電車で会社から帰宅するとき、この電車に乗るのもあと少しだなと思うと、ふと寂しさを感じることがあるからだ。

寂しさを通り越して、うつになる人も多いようだ。

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