親鸞会の真実

12.親鸞会は異端か、伝統仏教か?


それから3年の月日が経った。卒業まで1単位も落とさないから、親鸞会を続けさせてくれ、という息子の約束は、4年生の時に1度だけ破られた。

しかし私は許した。4年間で1単位だけだ。立派ではないか。そして地元に工場のある中堅家電メーカーに就職した。

あのあと私は家内と一緒に、富山にある親鸞会の本部に2度行った。高速道路のインターチェンジを降り山の中を進むと、突如として大きな会館が現れた。白いタイル張りの、シンプルな建物であった。ずいぶんと人が多いのには驚いた。

地元の法話には年に数回は参加している。家内は月に2〜3回は行っているようだ。息子から入会を勧められたこともあったが、それは断った。実のところ入会しても良いとは思っていたのだが、もうしばらく、親鸞会を離れたところから見たいという気持ちもあった。

息子が2年生の時に、同級生である例の住職が「救いの正体」という、宝島社の本を持ってきた。親鸞会のことが載っているという。「親鸞会は伝統仏教か?異端か?」これについては私の中では結論はついている。親鸞会が異端なら親鸞の教えが異端と言うことになる。そんな本を見せに来る暇があったら、一言でも親鸞さんの教えを話したらどうだと言いたくなった。

本の内容は親鸞会を脱会した人の証言によってまとめられていた。脱会者のみの証言でしかも出版が宝島社なら、この程度の内容だろうと思った。逆に同じく記事として載っていたオウム真理教や、エホバの聖人、統一教会、法の華の記事と比較して、親鸞会に反社会性の影も形も見あたらないことを再確認したようなものだ。住職にそのことを話したら黙ってしまった。

このホームページを見た方の中には、親鸞会の会員を子供に持ち、色々な心配を抱いている方も多いと思う。私は、親鸞会の教えが正しいかどうかは、正直な気持ちわからない。自分はそんなに数多く親鸞会で話を聞いていないし、親鸞の教えについてそんなに詳しくもないからだ。しかしこれだけは言える。もし貴方の子供が親鸞会にはいることによって、学業を放棄したり、家族の関係を破壊したり、家出したりするのではないかと思っているのなら、それは杞憂である。

ただ、意見がすれ違うこともある。そんなときは頭ごなしに反対するのでなしに、子供の言うことに真摯に耳を傾けてはどうだろうか。何と言ってもわが子だ。大学生といっても親の責任は大きい。そして出来れば親鸞会の行事に出て、自分の目と耳で確かめてみればいい。

その上で、やっぱり反対だ、と言うのならば仕方がない。しかし自分で見聞きもしないのに、宗教は危険だからやめろと言うのはどうかと思う。宗教アレルギーは、団塊の世代の特徴かもしれない。

親子が人生について、あれこれ言い合うのもなかなかいいものだ。

親鸞さんの教えは、確かに深い。多くの作家や、哲学者が魅了されているのも事実だ。そして親鸞会がそれを忠実に伝えようとしていることは、認めざるを得ない。だからこそ現実に、多くの若者もまた、ひきつけられているのだろう。

まだ若いから正常な判断力がないと言うのならば、自分が見て聞いて判断すれば良いだけのことである。少なくとも親鸞会は、布施を積めば病気が治るとか、信仰を妨げるものはたとえ家族であってもサタンだとか、そういうものと違う事はすぐにわかるはずである。反対するのは自分がまずよく知ってからでも、遅くはないのではなかろうか。

 人生、この年になると、だいたい先は見えてくる。仕事は、どれだけやってもキリがない。体力は衰えてくる。若いころは私も唯物論だったが、どうもそれだけでは人生割り切れない。生きることの本質を知りたいという気になっている。

やはり、人間には、信仰が必要なのだろう。
やがて死んでいく己を支える何かが欲しいと、私も思うようになった。
若いころには、なかった思いである。

考えてみれば、仏教は、私自身の問題を教えている。
いいときに息子は、親鸞会を教えてくれた、と言っていいかもしれない。今は、感謝したい気持ちである。

親鸞さんの教えを学ぶ人のことを、親鸞会では親鸞学徒というらしい。
なにか、古風なようにも聞えるが、新興宗教とは違う粋な言い方にも感じる。
なかなか、悪くない。

この拙文が、親鸞会の理解に少しでも役に立つことを願っている。

 

平成16年2月

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